自宅で突然死した父――警察による「2時間の事情聴取」と「通帳の捜索」で大騒動

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 90歳間近の父を突然失った宮坂志満さん(仮名・60)。

 夕方まで元気に出歩いていた父は、晩酌の途中で具合が悪くなったようだった。ただ「胃が痛い」と受け答えもできたので、翌日まで様子を見ようと判断した。

翌朝、父はすでに冷たかった

 翌朝、いつもより早く目が覚めた宮坂さんは、父宅の居間を覗いた。いつもなら、とっくに起きて味噌汁を作っている時間だ。

「ところが電気がついていません。ああ、まだ具合が悪いんだとがっかりして、父の寝室で『まだ具合悪い?』と声をかけました。室内は暗くて、父の表情は見えませんでした。返事がないので、もう一度声をかけながら、父の顔を覗き込むと……昨晩と同じ体勢のまま、父は冷たくなっていました。口を少し開けて、まるで眠っているようでした」

 「ああ……」としか声が出なかった。急いで娘を呼びに行った。2人で父の傍らにへたり込んでしまった。

「もう救急車を呼ぶ状況ではないのは明らかでした。娘と『でもまずは救急車よね』と話して、救急車を呼びました」

 それからは、怒涛の中に投げ込まれたようだった。

 救急車と消防車が到着し、防護服を着た救急隊員が5人ほど家の中に踏み込んだ。が、「もう死後硬直が始まっていて、病院に搬送する状態ではありません」と告げられ、警察がやって来た。

警察官による事情聴取と通帳の捜索

 「刑事」と名乗る目つきの鋭い男性と、男女の捜査員が10人ほど、どやどやと入ってきた。刑事からは、昨日の父の様子から始まり、発見するまでの経緯、父の毎日の生活、家族や親せき構成、交友関係、若い頃からの職歴など、2時間以上、子細に話を聞かれた。

「自宅で亡くなると大変だとは聞いていましたが、これほどとは思いませんでした。事件性がないかを調べるために、これほど細かく聞くんだろうと納得はできました。当然、私たち家族も疑われている前提です。妹とはもう30年以上前から絶縁状態なのですが、その理由なども聞かれました。話せば長くなるので、『まあ、いろいろ事情がありまして……』と言葉を濁してしまい、後で娘に『そんな言い方したら、ますます怪しいじゃない』と怒られましたが。でもこの事情聴取は、父のこれまでの人生を振り返る良い機会にもなったような気がします」

 父の携帯電話は押収された。メールや通話履歴から、交友のあった人たちに警察から連絡が行ったらしい。突然警察から電話が来て、父の死を知らされた父の友人たちは、どんなに驚いたことだろうと恐縮したが、自宅で亡くなるとはそういうことなのだ。

「それから、強盗などの可能性はないかということで、警察から通帳の置き場所を確認されました。父は自分で金銭管理もしていたので、通帳のありかは私もはっきり把握していませんでした」

 ただ、心当たりの場所はあった。数年前、父が入院し手術する際に、万一のことを考えて通帳の置き場所を確認しておいたのだ。

「あのときに聞いておいてよかったと思いました。それでその場所を警察に伝えたんですが、『ない』と言うんです。『やられた』と苦笑しました。父は私に通帳の隠し場所を知られたので、退院後に変えたんでしょう。これでイチからやり直しです。それから、警察の人たち総出で、家じゅう大捜索することになりました」

 警察官10人ほどの人数で、冷蔵庫の中から、仏壇やタンス、押し入れなどを探すが見つからない。宮坂さんも狐につままれた思いだった。それどころか、これまで使っておらず扉も開きっぱなしだった金庫にもカギがかかっていることが判明したのだ。そのうえ、そのカギも見つからない。とうとう宮坂さんも警察と一緒にあちこち探すことになった。

 大捜索から3時間。「ありました!」と捜査員が見つけたのは、父が以前通帳を隠していたのと同じ部屋、押し入れの奥からだった。

「私も一度手を入れて探ってみた場所でしたが、もっと奥に入っていたようです。警察が来ていなければ、後で私たちが必死で探すことになったでしょうから、通帳が見つかったのは警察のおかげかもしれません。それにしても警察官10人で探して、3時間もかかるってどういうことでしょうね。泥棒のほうがもっと早く見つけるんじゃないかと思ったほどでした」

 金庫のカギはとうとう見つからないままだったが、通帳が見つかったので、警察はそれだけを押収して帰った。警察が引きあげると、宮坂さんは呆然と座り込んでしまった。それほどの大騒動だった。

90歳直前で亡くなった父……ピンピンコロリの大往生でも、喪失感に襲われたワケ

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 ピンピンコロリを願っても、そんな死に方ができるのは数パーセントの幸運な人だけだ、とこれまで書いてきたが、それができたとして、果たして本当に幸運なのか。家族にとっては、親との別れを覚悟する時間があることもまた幸せだと言えるのではないだろうか。

元気だった父との急な別れ

 「胸に穴が空いたよう」という比喩はよく使われるが、宮坂志満さん(仮名・60)はまさに自分がその状態だと感じている。文字通り、体の中心部に大きな穴がぽっかり開いて、そこを強風がビュービュー吹き抜けていくようだ。

 宮坂さんは、2週間前に父親を亡くした。90歳になる直前だった。母はすでに亡く、十三回忌も済ませたところだった。母が亡くなったときは、長く患っていたこともあり、肩の荷が下りたという思いこそあれ、これほどの喪失感に襲われることはなかったという。

「90歳近くまで長生きしてくれて、本来なら大往生で悔いはないと満足すべきなのでしょうが、あまりに別れが急すぎて、心の準備ができていませんでした」

 父はがんの手術歴はあったが、それも5年以上前のことだ。頭もしっかりしていて、大好きな囲碁を打ちに週の半分は近くの公民館に、自分で車を運転して出かけていた。

「腰が痛むので100メートルほどの距離でも歩けないといって、近くの公民館でも車を運転していくんです。事故を起こさないか心配で、90歳になったら電動のシルバーカートを買って、運転を辞めてもらうように説得するつもりでした。カタログも取り寄せていて、どのタイミングで言いだそうかと考えていたところだったんです」

 「年を取ると、酒くらいしか楽しみがない」と、毎晩の晩酌も欠かさなかった。朝早く起きる父は、自分の朝食を作るついでに、宮坂さんの分も作ってくれていたし、掃除や洗濯も自分でできていた。もちろん、介護保険は使ったことがない。昼食や夕食の支度は、隣に住む宮坂さんがしていたが、好き嫌いもなく食欲も旺盛だった。

「もうすぐ90歳になろうとする人とは思えないくらい、矍鑠(かくしゃく)としていました。ただここのところ、時々『胃が痛む』とは言っていました。胃の手術をしたときの担当医から頓服の胃薬をもらっていて、それを飲めば治まっていたので、胃の不調もそう重く受け止めていなかったんです」

晩酌の途中で体調が急変

 その日も父はいつもと変わらず、昼食後囲碁を打ちに出かけ、夕方には焼酎のお湯割りを飲んでいた。酒の肴は鯖の西京漬け焼き。宮坂さんが用意していたものだ。こうして毎晩のように青魚を食べているので、栄養状態も抜群に良いと、主治医から太鼓判を押されていたくらいだった。

 宮坂さんが午後6時頃、庭に出ると、父の家の居間の電気が消えていた。飲むといつも6時半くらいには寝てしまう父だが、さすがに早い。具合でも悪いのかと思い、父のところに行ってみると、コップには並々と焼酎が注がれたままになっている。床には、スリッパと漬物の容器が散乱していた。

「倒れたんだと思いました。飲みすぎて、足がふらついて倒れそうになることはよくあったのですが、お酒の途中で寝室に戻ろうとしたということは、急に具合が悪くなったんだろうと思い、すぐに寝室に様子を見に行きました」

 宮坂さんが父の寝室に入ると、父はベッドに倒れ込むようにして臥せっていた。布団もかけていない。「具合悪いの?」と聞くと「ウーン」としか答えない。「救急車を呼ぶ?」と聞くと、「いらない」と言うように手を振った。

 言葉が出ないことが気になった宮坂さんはすぐに隣の自宅に戻り、夫と、たまたま里帰りしていた娘に「おじいちゃんが倒れている」と告げ、様子がおかしいことを相談した。娘は医師ではないが医療職だ。娘と共に再び父のもとに向かった。

「すると今度は、ちゃんと布団をかけて、こちらを向いて寝ていたんです。娘が『どこが、どんな感じ?』と聞くと『胃が痛い』と答えました。言葉が出たし、胃痛ならいつものことなのでちょっと安心しました。娘が頓服を飲んだか聞くと『飲んだ』と答えたので、娘と話して、今晩は様子を見ていいだろうと判断したんです。明日まだ具合が悪いようなら、病院に連れて行けばいいだろうと思っていました」

 それでも父のことが気になった宮坂さんは、もう一度午後10時少し前に父の寝室を覗きに行った。ただ、寝ているところを起こすのも悪いと思い、ドアの外から異変がなさそうか室内の様子をうかがうにとどめた。大げさに騒がれるのが嫌いな父を配慮したつもりだった。

 寝室は静かだった。異変は感じず、寝ていると思った宮坂さんは自宅に戻った。その夜は、不思議なほどぐっすり眠れたという。

続きは4月23日公開

母亡き後、父との同居を事後報告した兄……家と土地の相続をめぐる妹のモヤモヤ

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

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父を気にかけてくれていた兄

 浅倉貴代さん(仮名・39)はここ数年、兄とこれまでで一番良い関係を築いている。

 「母の死でわかった“一族の支配者”――『ママがいなくなったんだから……』優しい伯母の正体」で登場してくれた浅倉さん家族は、“女が強い一族”だった。母、隣に住む母の姉と祖母、従姉妹たちとは密に付き合っていたが、父や兄家族とはあまり接点がなかった。

 そんな関係が一変したのは、母の死だった。まだ50代だった母が急死すると、伯母との関係がぎくしゃくし出した。みんなで使っていた別荘の維持管理費など、お金のことをこまごまと言われるようになり、それまで防波堤となっていた母がいなくなったことで、伯母や祖母からの軋轢が直接、浅倉さんにのしかかってくるように思えたのだ。

 そうするうちに別荘にも足が遠のき、あれほど仲のよかった従姉妹たちとも会うことがなくなっていた。

 その代わりのように親密になったのが、兄家族だった。

「兄より年上のお嫁さんが苦手で、ずっと敬遠していたのですが、それで気が付かなかった兄のマメさがわかったんです。一人になった父のことを気にかけて、ちょくちょく実家に顔を出しては掃除をしたり、お金に無頓着な父のために金銭管理をしたりしてくれていたようで、すっかり見直しました」

 浅倉さんは、実家の隣県に住んでいることもあって、父の面倒を見てくれる兄を信頼し、感謝していたという。

同居の事後報告に納得できない……

 ところが、先日兄から突然「父さんと一緒に住むことになった」と聞かされたのだ。

「兄家族のマンションを売り、実家をリフォームして父と同居するというんです。もうマンションも売りに出していて、同居も決まったことだと言うのでモヤっとしてしまいました。私には一言も相談してくれなかったんだ、と」

 決まってから伝えたのは、事前に相談したら、浅倉さんに反対されるかもしれないと思ったからじゃないか、と疑念を抱いた。

「兄のお金でリフォームするというので、父の介護も兄夫婦がする覚悟なんでしょうから、私はラクではあるんですが……」

 そういいながらも、納得できない表情だ。

 家の名義は父だが、兄がリフォームして同居するとなると、家も土地も兄が相続することになるだろう。そのつもりで、浅倉さんに打ち明けるのはすべて決定した後になったのではないかと疑ってしまう。

 「家や土地、ちょっとアテにしてたんだけど」と軽く笑う浅倉さん。

「さすがに、父が死んだ後に『土地や家の評価額の半分を私にちょうだい』なんて言ったら兄が困るでしょう。そんなお金、工面できるわけがないですから。父にも家や土地以外に預貯金はないと思うし」

 モヤモヤを抱きながらも、兄家族とはこれまで通り付き合っていくつもりだ。疎遠になった伯母や祖母のようにはなりたくないと思う。母が生きていた頃は、伯母一家と隣同士で互いの生活も丸見えだったのに、今や他人以下なのだ。

「実は、伯母が1年ほど前に亡くなっていたというんです。そんな大切なことさえ、私たちには知らされていませんでした。一人になった祖母はますます頑なになっていて、兄家族が実家に戻ってくるのもイヤがっているらしいです」

 兄家族が父と同居すると、隣の祖母との関係はどうなるのか。トラブルにならないか心配する半面、面倒なことに巻き込まれないで済んだと、ホッとする気持ちもあると明かした。家や土地と天秤にかけると、どっちが得なのか。その結果はまだはわからない。

虐待されても母親が大好き――不安と喜びを抱えながら介護をする女性

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 母・良江さん(仮名・70)から虐待を受けて育った黒沢美紀さん(仮名・45)。良江さんは長く統合失調症を患っていたが、体に合う薬が見つかり、おっとりとした女性に変わった。ただ、夫・昇二さん(仮名・75)から激しいDVを受けていたことも忘れてしまっている。今後は介護が必要になる可能性も高いと言われているし、昇二さんは脳梗塞のあと自宅で転倒、今も入院中だ。

どんなときも母のことが大好きだった

 今、良江さんからはたまに電話がかかってくる。「良江さんとの会話は楽しい」と美紀さんは笑う。

「この前は、うちに遊びに来てくれました。2人でテレビを見て、おしゃべりして、一緒にお寿司を食べて。私の手作りプリンに『お店に出せるで』とおいしそうに食べてくれました。私と母はのんびりした性格なので、一緒にまったりした時間を過ごせてうれしかったです。もし母が病気にならなかったら、病気になったとしても、すぐに治療を受けられていたら、私の人生は変わっていたのかな、とふと思いました」

 こんな穏やかな日にも終わりが来るのかと美紀さんは考える。良江さんが認知症になったとき、どこまで耐えてサポートできるのか不安を抱きながらも、それは今考えても仕方のないことだとも思う。

 美紀さんは、良江さんのことが大好きなのだ。

「あまりにもつらい思いをさせられて『なんで私だけ……』と涙することはたくさんありました。でもどんなときも、お母さんのことが大好きでした。私が2歳になるまでの短い間だったけれど、母が病気になるまでは私のことを大切に育ててくれていたんだろうと思います。本当は母は暴力なんて振るいたくなかった。娘のことを愛したかったはず。病気に振り回される母にとって、自分を取り巻く世界は恐ろしいもので、それが怖くて暴力を振るっていたんでしょう」

 それでも、わずかながらも良江さんが美紀さんに向けてくれた愛情があった。裁縫が得意で、浴衣やボストンバッグを作ってくれた。小学校の卒業旅行のために縫ってくれたそのバッグを持っていくと、友達からうらやましがられてうれしかったのを覚えている。

「当時は洗濯を干してくれなかったので、濡れた服で学校に行くしかなくてみじめでした。ただ、今思うと洗濯機さえ一生懸命回していたんでしょう。あんなことをされて、なんでだろうと思うくらい、母には愛情を持っています」

 統合失調症だけでなく、知的障害と発達障害もある母。もうおばあちゃんなのに、5歳くらいの女の子みたいにかわいらしい母――。今の母と過ごせる時間は限られているのかもしれない。それでもこの楽しいときをできるだけ心の中に貯金しておきたい。

 そして良江さんのおおらかさに救われつつも、昇二さんが施設に入ったら、あるいは亡くなったら、良江さんをどうするのか。経済的には大丈夫なのか――。差し迫った現実として考えなければならないところに来ている。

美紀さんの幸せを願う

 美紀さんの長い物語はここで終わった。

 父と母による壮絶なDV、性的虐待――それによって引き起こされた美紀さんの苦しみ、フラッシュバックで取った行動……。それらの詳細は書かなかったが、美紀さんは正直に打ち明けてくれた。息をのむほどの過酷な現実だった。思い出すのも、言葉にするのもどんなに苦しかったことだろう。よく生き延びることができたと感嘆するほどだった。

 美紀さんは「この機会に勇気をもって振り返る経験をしてみたい。それで何かが変わるかもしれません」と言って、すべてを話してくれた。美紀さんは「棚卸し」と呼ぶその作業をすることで、自分を癒やそうと――いや、“癒やす”なんて軽い言葉では表せない――生き直そうとしているのかもしれない。

 美紀さんにどんな言葉をかけていいのか、何度も逡巡した。

 「お父さんを許さなくていい」「距離を取っていい」――カウンセリングで使うような、どんな言葉も美紀さんの経験の前には、あまりに安っぽく薄っぺらい。

 美紀さんが言うように「重い十字架を背負わせた」のが神様なのなら、その神様が美紀さんと夫を出会わせてくれたことに感謝したい。そして、童女に返ったような良江さんとの平穏な日々が少しでも長く続くことを祈りたい。

虐待された姉と「いない子」にされた妹――違う傷を背負いながらも親の介護をする2人

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 幼い頃、虐待されながらも生き延びた黒沢美紀さん(仮名・45)。葛藤を抱き、フラッシュバックに襲われながらも、父・昇二さん(仮名・75)と母・良江さん(仮名・70)の住む地元に戻り、両親と向き合おうとしている。

「いない子」のように扱われていた妹の傷

 美紀さんの話を聞きながら、妹の理香さん(仮名・43)のことが気になった。昇二さんから評価されている理香さんはDVを受けなかったのか。

 美紀さんは、「妹は、私とはまったく違う心の傷を持っています」と明かす。

「私は両親の注目を集め、虐待の限りを尽くされましたが、妹はまったく逆で、両親の視界に入っておらず、まるで“いない子”のように扱われていました。高校入学とともに、平日の夜間も土日もバイトに明け暮れ、文字通り“家にいない子”になりました。妹は、中学卒業を前に、母から『お前は高校には行かせちゃらん。中学を卒業したら働いて、姉ちゃんに貢げ』と言われたそうで、それが大きな心の傷になっているようです。そのときに、父から『高校くらい行かせちゃる』と言われたのがうれしかったようで、父のことを『いつも私の味方でいてくれる』と慕っています。だから父は妹のことを自慢の娘、私のことをバカな娘と評価しているんです」

 同じように傷を持ちながら、姉妹の心はすれ違った。理香さんは、中学生になった頃から「姉ちゃんとしゃべっても面白くない」と美紀さんを無視するようになり、暴言も吐いた。

妹にとって姉は「両親の愛を奪い合う敵」

 その関係は大人になっても変わることはなかったが、理香さんは美紀さんを頼りにしてくることもあるようだ。夫は「理香さんは美紀にひどいことを言うが、ひどい人ではないと思うよ」と言う。

「妹はキツい性格で、私には特に当たりが強いんです。父からの性的虐待を打ち明けたときも、『いつまでも昔のことをうるさい!』と怒鳴られました」

 今でも、昇二さんから暴言を浴びせられて理香さんに愚痴を言うと、心ない言葉を投げつけられ、さらに傷つくことも多いという。

 あるとき、理香さんが「うちら姉妹が仲良さそうに見えるのは、姉ちゃんが何も言わないからや。優しいのと気が弱いのとは違う。腹立ったときは怒らなあかん」と言ってきた。美紀さんは「私は、私ら姉妹が仲が良いなんて思ったことはない」と、何かがブツっと切れてしまい、理香さんの連絡先はすべて消去してしまった。

 それでも、昇二さんが骨折したときは理香さんから連絡が来て、少し話をした。理香さんは実家から遠いところに住んでいるのでそう接点はないが、ひどい扱いを受けると距離を置きたくなる。

「それ以上に、妹は私に複雑な感情を持っているんだと思います。妹は両親から愛情を受けずに育って、父の『高校くらい行かせちゃる』という言葉だけが、親からかけられた愛情のある言葉だったのでしょう。その言葉だけを頼りに大きくなった妹が、『お父さんから性的虐待を受けた』という私の言葉で、父が決定的に悪者になる事実を突きつけられた。愛情を向けてくれた父の姿が壊れるのが怖くて、私に暴言を吐いてしまったのではないかと思います」

 またこんなこともあった。

 美紀さんが病院に連れて行ったことで、良江さんが元の人格を取り戻したとき、理香さんはそのことをかたくなに認めようとしなかった。「家が新しくなって、日が差すようになったからや。前の古い家は日が入ってこなかったから」と。美紀さんの力で良江さんが変わったことを受け止められなかったのだろうと思う。それでも良江さんが正気に戻ってからは、理香さんは休みのたびに車を飛ばして実家に帰ってくるという。

「両親に甘えたいのでしょう。そしてたぶん、妹は私にも甘えたいのだと思います。でも姉である私は、両親の愛を奪い合う敵のようにも映っているのでしょう。そんな気持ちが複雑に絡みあって、私に反発する。妹は、私が大学入学で家を出ていく朝、自分の部屋から出ず、見送りにも来ませんでしたが、布団の中で泣いていたのだそうです。妹の夫には、私のことを『優しいお姉ちゃんやったで』と言っていました。私の前では素直になれないけれど、本当は私のことを好きなのかもしれません」

 美紀さんは理香さんのことを、たった一人の妹だからかわいいとは思う。でも仲が良いのかどうかは、正直よくわからない。

続きは3月12日公開

性虐待された父親を「許すのも、許さないのもつらい」——傷を背負いながら介護をする女性

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 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 両親から虐待され、実家を離れていた黒沢美紀さん(仮名・45)は30年ぶりに地元に戻った。「何かあったら助けちゃる」と思っていたが、脳梗塞で倒れた父・昇二さん(仮名・75)からは、感謝の言葉どころか暴言を吐かれた。再び転倒し入院している昇二さんのために動く自信がなくなっている。

「お父さんに戻ってきてほしい」と願う母

「もう、私は父のために動くことはできないかもしれません。今も『母のために』と言い聞かせて動いています。今日も母に付き添って父の面会に行ってきましたが、両親は久しぶりに会ってうれしいのか、笑顔で言葉を交わしていました」

 昇二さんは老いて暴力をふるわなくなったが、母の良江さん(仮名・70)には聞くに堪えない暴言を吐く。それなのに、良江さんは病気に振り回されていたときの記憶があいまいになっているのか、昇二さんに暴力をふるわれていたことをあまり覚えていないようだ。

「それに、母は驚くくらい“スルースキル”を持っていて、父の暴言をスーッと聞き流しているんです。私なら父のような夫のそばにいるのは、絶対に無理だと思うのですが」

 昇二さんが入院して、一人暮らしになった良江さんを心配していたが、特に問題なく生活しているという。美紀さんや妹の理香さん(仮名・43)が、「お父さんのいない自由を知ったら、お母さんはお父さんともう一緒に住みたくなくなるんじゃないの」と心配していたが、良江さんは「お父さんには帰ってきてほしいわぁ」と答えたという。

親を許すのも、許さないのもつらい

 それにしても、だ。なぜ、そこまでされた昇二さんを「助けちゃる」と思えたのか――。美紀さんは「親を憎むことの罪悪感が、自分の中にずっとあったんだと気づいた」という。

「どんなにひどい父でも、私はこの人の娘だから。父がことあるごとに妹と私を比べ、アホ呼ばわりしたり、怒鳴りつけたりして、自分のことを受け入れてくれないさびしさもあったのだと思います」

 夫は、「縁を切っていい。それだけのことをされているのだから」と言ってくれた。でも、昇二さんを憎むのもつらいし、しんどいのだ。

「許すのもつらい。でも許さないのもつらいんです」

 人を憎むと自分のことが嫌いになるし、エネルギーを割くことになる。憎んでもむなしいだけ。憎むのが嫌になったから、昇二さんのことを「嫌いやけど、何かあったときには助けちゃろう」になったのかもしれない、と洞察する。

 「本当は、父のことをどう思っているのか」――美紀さんは自問する。父は、自分のした性虐待で、自分がどれだけの苦しみを負ったのかも知らないだろうし、自殺を図ったことも知らない。言ったとしても、父が謝罪するとは思えないし、それでさらに傷つけられるだろう。母は子どもたちのことを愛したかったのに、病気のために愛することができなかった。でも、父は人から愛されたことも、人を愛したこともなかったのだろう……。

 いまだにフラッシュバックを起こしそうになる自分を、父の前に差し出すのは違うんじゃないかとも思える。自分のことは守らないといけないとも思う。夫は、「最大の復讐は幸せになること」と言ってくれた。

 昇二さんの退院はそう先ではない。良江さん一人ではどうにもならないから、美紀さんが助けてあげるしかない。良江さんには会いたい。でも昇二さんには会えない。

「なぜ自分に与えられたのはこの人だったんだろう。なぜ自分がこんなに重い十字架を、この人のために背負わなければならなかったのか――」

 これから先、昇二さんや良江さんが、そして美紀さんの気持ちがどうなるかはわからない。昇二さんが亡くなったとき、どんな気持ちになるのか。亡くなった後も、きっと葛藤は続くだろう。

続きは2月26日公開

統合失調症の虐待母を「おっとりした女性」に激変させた入院――自閉症と知的障害も発覚

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 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 統合失調症を患っていた母・良江さん(仮名・70)を医療につなげようと、黒沢美紀さん(仮名・45)は奔走し、ついに入院して治療を受けさせることができた。30年近く未治療だったので、もう元には戻らないだろうと言われていたが、奇跡的に良江さんに合う薬が見つかった。

おっとりした女性に激変した虐待母

 ようやく良江さんを病院につなげ、入院させることができてホッとしたのもつかの間。父の昇二さん(仮名・75)は一人暮らしに堪えられなかったのか、良江さんを無理やり退院させてしまった。再び、美紀さんの元にも、怒鳴り散らす良江さんからの留守電が入るようになった。

「その留守電を主治医に聞いてもらって、母がちゃんと通院できているか、今後私に教えてほしいと頼みました」

 主治医は、留守電を聞いて驚いていたという。

「母は入院中、何の問題も起こしていなかったそうで、主治医は『症状がひどくないから家に帰りたかったのかと思っていた』と言っていました。私が、『前はもっとひどかった。ましになったから病院にも連れて行くことができたんです』と言うと、納得していましたね。私の夫は『美紀が今ここに生きていることが奇跡なんです』とも伝えていたんです」

 その後、良江さんは服薬を続けていくうちに、状態が安定してきた。「私は統合失調症っていう病気なんやて」と病識を持てるまでになったのだ。

「母は、おっとりとしたかわいい女性にガラリと変わりました。元の母はこんな人だったんだろうと思います。ただ、母には統合失調症だけでなく、自閉症や知的障害もあるとのことで、今後、介護が必要になる可能性は高いそうです」

 その話を聞いた夫は、驚くべき提案をした。「ここにいたら、お義母さんに何かあったときに対応ができない。美紀の故郷に帰ろう」と。

虐待の記憶の残る地元に戻った美紀さん

 そして、美紀さん夫婦は5年前、両親の住む地元に戻った。

 30年ぶりに戻ったとはいえ、虐待を受けて育った美紀さんの心の傷が癒えていたわけではもちろんない。昇二さんと会うとフラッシュバックを起こしてしまう。それでも「父のことは嫌いやけど、何かあったときには助けちゃる」と思えるまでになった。

 「何かあったとき」は、予想していたより早く訪れた。昨年12月、昇二さんが脳梗塞で倒れたのだ。良江さん一人では何もできない。美紀さんは良江さんに付き添い、昇二さんの病院や手続きに走り回った。

 昇二さんもリハビリを頑張った。右手足に重篤なマヒが残ったが、4点杖をついて移動できるところまで回復して家に帰ってきた。

 しかし、昇二さんは良江さんに感謝の言葉をかけるどころか、暴言を吐いた。

「理香(美紀さんの妹)はワシの言うことをすぐに理解して動いてくれるから賢い。それと比べて、美紀や良江はワシの言うことがわからんアホじゃ」

 電話でも怒鳴られ、美紀さんの心はさらに大きく傷ついた。

 そして先月、昇二さんは廊下で転倒し、大腿骨を折った。今も入院してリハビリ中だ。どこまで回復するかはわからない。歩行器で歩けるところまで頑張ろうと言われているという。

 しかし、美紀さんはもう昇二さんのために動くことはできないのではないかと思う。

続きは2月12日公開

虐待親のいたずら電話は彼氏や友人にまで……「殺したろか」と怒鳴られても、母を助けるために動いた理由

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 黒沢美紀さん(仮名・45)は、統合失調症を患った母・良江さん(仮名・70)からの暴力に加え、良江さんに激しい暴力を振るう父・昇二さん(仮名・75)からは性的虐待も受けた。大学入学と同時に家を出て、その後結婚したが、ふたをしていた性的虐待の記憶がよみがえり、自殺を図った。一命を取り留めたが、今も自分と向き合い癒やす旅の途中だ。

実家を出てからも苦しめられた、母からのやまない電話

 統合失調症を患いながらも、30年近く治療を受けさせてもらえないままだった良江さんを病院につなげたのは、美紀さんだった。美紀さんが30代半ばの頃のことだ。

「幼い頃から母にはつらい目に遭わされて、『お母さんなんか死んでしまえばいい』という気持ちがある半面、『お母さんを助けてあげたい』という気持ちもありました。母が父から暴力を受けているとき、祖父が『全部お母ちゃんが悪い』と言うのを聞いて、『それは違う』とも思っていました」

 18歳で家を出てから、ほとんど実家には戻らなかったが、良江さんからは毎日電話が来る。大学から帰ると電話が鳴り続けていて、一晩中やまない。良江さんは『殺したろか』と何時間も怒鳴り散らす。受話器を離してうずくまっていると、良江さんは美紀さんが話を聞いていないことに気づき、美紀さんの下宿の大家さんや彼氏、友人たちにいたずら電話をかけて、『お前が電話に出ないから、こんな目に遭うんじゃ』と脅した。大家さんから泣くまで説教されたこともある。彼氏と別れた後も、良江さんは元カレの家に電話をかけ続けたため、苦情を言われたこともあった。

 美紀さんが社会人になって、ようやくたどり着いた精神科医からは、「お母さんからの電話は、たとえ苦しめられても取らないようにしなさい。取ってしまうのは、あなたの弱さ」だと言われ、良江さんが友人にいたずら電話をかけても、良江さんからの電話は取らないようにしてからは、かかってこなくなった。

母からの「助けて」のメッセージを聞き、地元へ通うように

 それから数年たったある日、美紀さんは留守電に良江さんからの「助けて」というメッセージが入っているのに気づいた。

 「初めてお母さんがまともなことを言った」と驚き、連絡をしてみると、良江さんは定年を迎えることに不安になった昇二さんから背中を蹴られ、背骨にヒビが入っていたことがわかった。

「『助けて』と言っている今なら、今度こそ助けられるかもしれない」

 美紀さんは夫と共に何度も地元へ通い、良江さんを医療につなげるため、保健所と連絡を取るなど奔走した。

 しかし、当然のように昇二さんは非協力的だった。「ワシが言っても、お母ちゃんは聞かん」と匙を投げていて、とうとう良江さんを保健所に連れていくことはできなかった。

 当時、地元に住んでいた妹の理香さん(仮名・43)は「姉ちゃん、もういいよ」と言い、夫も「お母さんを助けたいと思って動いたのは美紀なんだから、美紀がここであきらめても、誰も何も言うことはできないよ」と声をかけてくれた。

 それでも、美紀さんは最後にもう一度だけ頑張ろうと実家に向かった。すると、良江さんはあっけないくらい簡単に病院へ行ってくれたという。

 良江さんは、入院して治療することになった。担当医からは「未治療だった期間があまりに長いので、人格が壊れていて、もう元には戻らないかもしれない」と言われていた。ところが、さまざまな薬を試していくと、良江さんに合う薬が見つかったのだ。

続きは1月29日公開

母から刃物で刺され、父からは性的虐待……“記憶にふた”をして生き延びた女性が「親の介護」に直面したら

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 親との関係に苦しみ、葛藤しながら、それでも親の介護をしている子どもたちは少なくない。このシリーズでも、そんな方たちを紹介してきたが、今回登場してくれる黒沢美紀さん(仮名・45)ほど過酷な経験をしている人はいないのではないかと思えた。誰かと比べて、どちらがつらいか比較するものではないのはわかっている。それでも美紀さんの話はあまりに重いものだった。

統合失調症を患った母に刺される

 美紀さんは現在、夫と猫2匹と暮らしている。精神科から強い薬をもらっているため、子どもを持つことは諦めた。

「複雑性PTSDとウツを患っています。それから4年前に、先天的な自閉症スペクトラム障害があることもわかりました」

 美紀さんの抱えるPTSDは、両親によってもたらされたものだ。美紀さんは、父の昇二さん(仮名・75)と母の良江さん(仮名・70)、妹の理香さん(仮名・43)の4人家族で育った。良江さんは、美紀さんが2歳のときに統合失調症を患った。ところが診断を受けただけで、昇二さんは良江さんを通院させず、それから30年間治療を受けることがかなわなかった。

 良江さんに食事を作ってもらえず、美紀さん姉妹は給食とカップラーメンでしのぐ毎日だった。洗濯をしても干してくれなかったので、濡れた服で学校に行くしかなかったという。

 さらに、良江さんは家の中で暴れ狂った。良江さんから依存されていた美紀さんは、暴力を1人で受けることになった。

「私が母の前からいなくなると、トイレに行っただけでも極端に不安がり、『美紀! どこに行った! 殺すぞ、おんどらー!』と叫んで私を探し回っていました。買い物も、私と一緒でないとできません。3歳の時には、母から刃物で刺されたそうで、その傷跡が今もはっきり残っています。殺されかけたのはこれ以外にも何度かありました」

母を殴り、窓ガラスを割りまくる父

 暴力を振るうのは良江さんだけではなかった。昇二さんのDVは、良江さん以上に美紀さんの心身を傷つけた。

「父は大企業に勤めていて収入は高かったのですが、人格的に異常なところがありました。突然スイッチが入って食卓をひっくり返したり、手当たり次第に物を投げ、家じゅうのガラスをたたき割ったりしていました。そして、母に対して、『殺してしまうのではないか』と怖くなるくらいの暴力を振るうんです。『ワシがどつき回したら、お母ちゃんはおとなしくなるんじゃ』と」

 昇二さんが良江さんに投げつけたものが美紀さんを直撃することもあり、「私も死んでしまうのでは」と恐怖を覚えたそうだ。

 昇二さんがいるときは、昇二さんが良江さんに暴力を振るう。昇二さんがいないときには、良江さんが美紀さんに暴力を振るう。美紀さんの家には常に暴力があった。

「父がガラスを割りまくるので、家の中には外の風がもろに吹き込んでいました。ガラスを母と一緒に片付け、割れた窓に新聞紙を貼るのが私の仕事でした。それでも小学生の私は、母を殴る父を見て『お母さんから私を守ってくれているんだ』と思い込もうとすることで、何とか自分を保とうとしていました。私の家族に、私を守ってくれる人は誰もいなかったのに……」

 昇二さんはほら吹きで、自分を大きく見せようとする癖があったという。外では他人が怖くて、小さくなっている。大人の男性には何も話せないのに、女性や子どもの前では偉そうにする。

「弱い父が大きな顔ができるのは、小さい我が子の前だけだったのでしょう。私はいい子にして、父の話を『お父さん、すごいね』と一生懸命に聞いていました」

 そんな美紀さんに、昇二さんは性的虐待を加えた。美紀さんの脳は、“記憶を失くす”という方法で、自分の精神をかろうじて守った。

「それを覚えていたら、もう生きていくことすらできなかったと思います。父の行為によって私は心身症になりました。足が動かなくなり、耳も聞こえなくなり、学校にも行けなくなりました。それでも父からされた行為の記憶にはがっちりとふたがされ、鍵がかけられて、30歳になるまで思い出すことはできませんでした」

 こうして、何とか生き延びた。

 美紀さんは大学進学時に実家を離れ、その地で夫と出会い、結婚。夫との生活は幸せだった。

「でも幸せになったから、私の頭が『もう出てきても大丈夫』と判断したのでしょう。突然記憶のふたが開き、父からの性的虐待がよみがえったのです」

 混乱した美紀さんは、夫を深く傷つける行為に走り、そして自殺を図った。

 美紀さんはかろうじて一命をとりとめ、精神病院に入院した。

「そこから立ち直るのは容易なことではありません。今も自分と向き合い、癒やす旅の途中なんです」

 美紀さんは、その旅の途中、自分だけでなく両親とも向き合わざるを得なくなった。親の老いに直面したからだ。

続きは1月15日公開

自称「姫」の母親がクレーマーに! 病院で見つけた生きがいは「若い男性スタッフ」だった

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

母の骨折に姉は「自傷行為」

 「姉との関係はずっと悪かった――姉妹で『連絡を取らないよう』仕向けていた母の意図とは」では、竹本多恵子さん(仮名・56)と姉の志津子さん(仮名・58)が、“姫”と呼ぶ自己中心的な母の久江さん(仮名・80)に振り回されていた。

 久江さんは、多恵子さん姉妹に心配してほしくて、何かあるとすぐに救急車を呼ぶ。ブラックリストに載っているのではないかというほど頻繁に救急車を呼んでは、多恵子さん姉妹をうんざりさせていたが、とうとう本当に救急車を必要とする事故が起こった。

 久江さんが、自宅の階段から落ちて腰を骨折したのだ。もちろん、いつものように救急車を呼んで、行きつけの救急病院に搬送された。

「私と姉も連絡を受けてすぐに病院に向かいましたが、しょっちゅう大騒ぎをしては救急車を呼んでいるので、『またか』としか思えませんでした。私以上にこき使われている姉にいたっては、『もはや自傷行為ね』と言う始末です。私も、母ならやりかねないとさえ思いました」

 病院でも、久江さんは“通常営業”だった。

「すっかりクレーマーと化しています。ケアワーカーさんや看護師さんがしてくれることすべてが気に食わなくて、いちいち文句をつけては謝罪させるんです。それでも気が済まなくて、師長やら事務長やらを呼びつけて謝罪させています。後で、私や姉がお詫びに回っていますが、職員の皆さんの間で、母は腫物扱いです。お世話になっているのに申し訳なくて……」

 当然、久江さんのわがままは多恵子さん姉妹にも向かう。「あれが足りない」「これも持ってきて」と、毎日のように連絡が来ては呼び出されているという。

 姉の志津子さんは、久江さんの要求にこたえて、言われたものを持って病院に行くが、「これじゃない」と言われ、取りに戻らされている。「また次に来るときでいいわよ」とは絶対に言わないところが、久江さんらしい。

母がリハビリで見つけた生きがい、若い男性スタッフを気に入って――

 とはいえ、久江さんも80歳だ。

「さすがの母も、今回ばかりは回復は難しいでしょう。退院できても車いす生活になるだろうと。母もそれがわかっていたから、私たちや病院の職員さんたちを困らせていたんだと思います」

 多恵子さん姉妹は、いよいよ“姫”の介護生活がはじまるのだと覚悟していた。ところが、久江さんはスイッチが入ったようにリハビリに励みだした。若い男性のリハビリ担当スタッフを気に入ったのだ。

「リハビリの時間、先生が自分だけに注意を向けてくれることが、母のプライドをくすぐったのでしょう。先生にはクレームをつけるどころか、笑顔で素直に従っています。先生も気難しい高齢者には慣れているんでしょう。母をうまくおだててリハビリを進めてくださっていて、さすがプロだなと感心しています」

 ついに久江さんは車いすも卒業して、無事退院した。骨折前より元気になったくらいだと多恵子さんは苦笑する。

 久江さんは退院後も毎週、病院のリハビリに通っている。

「お化粧もばっちり、“満艦飾”というくらい飾り立てて、いそいそと出かけています。もはやリハビリで先生に会うのが新しい生きがいになっているようです。恐るべきことに、母はさらにパワーアップしているんです」

 介護が必要にならなくて済んだことに、多恵子さん姉妹はホッとしてはいるものの、これから先、久江さんのパワーについていけるのか、新たな不安が生まれた。久江さんに負けないよう、体力をつけようと姉と話しているところだ。