老人ホーム、入居者の“愛人”疑惑の老女――高齢者は“清く正しい”ワケじゃない?【老いてゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 老人ホームにはさまざまな人生があり、人間模様がある。ある有料老人ホームには、入居する男性のもとに、妻ではない女性が毎日通ってくるという。職員たちはその女性のことを男性の家族公認の「愛人」だとうわさしている。その正体とは――?

家族同然。奥さま公認の女性?

 その日訪ねた有料老人ホームには、エントランスからこれまでに見てきたホームにはない猥雑な雰囲気がにじみ出ていた。水槽のあるホームは珍しくないが、このホームの水槽には小学生が川で採ってきたようなザリガニが数匹たたずんでいる。出迎えてくれた女性職員は、夜の街の方が似合いそうな明るい茶色のロングヘアーにロングスカート。エントランスは決して汚いわけではないが、手狭なロビーのすぐ隣には食堂があり、なんとも言えないカオスな感じは家庭的と言えば家庭的。これくらいの方が落ち着くという入居者もいるだろう。合わない人には絶対無理だと思われ、評価は分かれそうだ。

 入居者である会社経営者の男性に、ホームでの生活についてお話を聞かせてもらうことになっていたのだが、職員から「この方は口が重いので、田辺さんという女性に聞いてください。毎日いらっしゃっているので、間もなく見えるはずです」と言われた。

 「ご家族の方ですか?」と聞くと、職員は意味ありげな笑みを返した。

「そうではないんですが、家族同然の方です。ご家族よりも“社長”との付き合いは長く、奥さんやお子さんたちも公認で……」

 え? それって愛人さん? 確かに、世の中ではそう珍しいことではない。これまでホームで出会ったことはなかったが、ホームに入居している高齢者が皆、常に清く正しいわけではないだろう。

 職員によると、この“社長さん”、地区の有力者で、ホーム近くには豪邸を構えているという。頭はしっかりしていて、まだ経営の実権も握っているが、足腰が弱くなってきたためこのホームに入居。会社の関係者や幹部である息子たちもよく訪れている。ただ、奥さんだけは一度も面会に来たことがないという。そのかわり、田辺さんは毎日朝夕2回やって来て、社長の晩酌に付き合って帰っていくのだそうだ。

 まさにカオスなこのホームらしい人間関係ではないか。これまで有料老人ホームの「清く正しい」面しか見てこなかった筆者は、俄然興味を持って田辺さんが現れるのを待った。

 しばらくして、田辺さんが来訪したというので、職員とともに“社長さん”のもとへ行く。

 ……が、この社長、ニコリともしない。だけでなく、挨拶さえ返してくれなければ、こちらの問いかけにも完全無視だ。こんなことは、過去に1回だけあった。こういう男性は、いくら話しかけても、キレられて終わるだけ。社長の機嫌を損ねないことが肝心だ。

 というわけで、そばにいる“愛人”さんに話を聞くことにした……のだが、いわゆる“愛人”さんをイメージしていた筆者、思わず二度見してしまった。

 化粧気もなければ、フェロモンといったものも感じられない。白髪染めの落ちかけたショートカットの小柄な女性。妻公認の愛人というより、“付き添い婦さん”。古い例えで、読者にはおわかりいただけないかもしれない。病院が完全看護でない時代、入院すると家族が泊まり込むか、それが無理なら結構なお金を払って“付き添い婦さん”をお願いしていたものだ。“付き添い婦”を生業(なりわい)とする女性たちは、こうした患者に付き添うため、病院から病院を渡り歩いていたものだ。お金は入るが、病院に泊まり込んでそこで生活するのだから、結構な重労働だった。

 話が脇道に逸れた。愛人にはとても見えない、“付き添い婦さん”のような女性。一時期、世間をにぎわせた“後妻業”とも思えない素朴ないでたちに面食らった。この女性自身が、ホームの入居者だと言ってもおかしくない年齢だ。職員が考えているような愛人関係とはとても思えない。

 あらためてこの女性、田辺さんに話を聞いてみると、20歳の頃から社長のもとで働いて、もう60年になるという。

「80歳になる今も従業員だけど、週に数日、忙しいときだけ会社に行って、あとは毎日朝晩社長のもとへ通って、夕食時には部屋で社長が晩酌するのにお付き合いしているのよ。私? 私はつまみを買ってきて、社長が晩酌するのをそばで見ているだけ。一緒には飲まないわよ」

 聞けば田辺さん、20歳の頃に足を悪くして、それまでの仕事を辞めざるを得なくなり、仕事を探しているときに親戚が社長を紹介してくれて、それから勤続60年。社長とは「家族のような関係」だという。毎週社長のもとに来ると「ただいま」、帰るときには「また来るね」と声をかける。兄のもとに通う感覚なのだそうだ。

 田辺さんの言葉に嘘はないと思えた。

 今にも怒鳴り出しそうな、ご機嫌の悪い社長と60年。家族同然に付き合ってきたとは、よほど社長と波長が合ったのだろう。

「社長には本当によくしてもらってきたの。小さな会社が大きくなる過程を、社長と一緒に見てきたから、社長のことは尊敬しています。今は高齢になり、耳も遠くなって周囲とのコミュニケーションもとれなくなってきたけれど、私の言葉だけは理解できるのよ」

カオスなホームもいいかもしれない

 毎日社長のもとに通う田辺さんは、ホームの入居者ともすっかり顔なじみだという。

「社長の晩酌の時間までは、仲良くなったほかの部屋の方のところにも顔を出して遊んでるの。ここの入居者さんはみんないい人たち。もし社長がいなくなっても、私が元気な間はここに通うと思うわね」

 ああ、これが“カオス”なこのホームの良さなのだろう。居室のドアは開けっ放し。いつでも来訪者を歓迎している。おかずをおすそ分けする下町のような雰囲気が好きな人だけが味わえる、互いの領域に遠慮なく入り込む心地よさ――一見煩わしくも思えるが、少なくとも寂しくはない。

 ずっと独身で、今もホームから徒歩5分のアパートで一人暮らしをしているという田辺さんに、寂しくないのか聞くと、そんなことは思ったこともないというようにかぶりを振った。

「私の人生はずっと人に恵まれてきたの。この年まで仕事も続けられているし、兄弟とも仲良しだから、寂しいなんて感じたこともないわよ。社長もそうじゃないかしら。銀行の人との交渉などもまだ自分でやっているし、息子さんやお孫さんたちもよく来ている。誰かに必要とされるって、いくつになっても大切よね」

 人の幸せって、ひとつのものさしではかれるものじゃあない。80歳になる田辺さんのこれからを心配した自分が、少し恥ずかしい。そして田辺さんは、愛人以上の存在なのかもしれないとさえ思った。ただ、一度もホームに面会に来たことがないという妻との関係だけはよくわからないままだったが。

 さて、あなたはこういうカオスなホームに親を入れたいと思いますか?

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ

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【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

「正直、またか」「帰宅しても誰もいない」遠距離介護に励む妻、夫の“意地悪”な本音

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”

――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 “遠距離”というと読者の皆さんは何を思い浮かべるだろうか。「遠距離恋愛」? いやいや「遠距離介護」という方も多いと思う。遠距離介護は、遠距離恋愛よりむずかしい、と筆者は思う。今回は遠距離介護する娘――ではなく、その夫の本音を探った。

遠距離で母親を介護する妻

 「幸い僕の母はまだまだ元気です。父と二人で暮らしていたころよりも活動的なんじゃないですか」と苦笑するのは小池武さん(仮名・53)だ。

「父は10年以上前に亡くなり、母は僕の家の近くで一人暮らしをしていますが、習い事をしたり、友人と旅行したりと、毎日忙しくしています。配偶者を亡くしても女の人は強いですね。男はそうはいかない。もし自分が奥さんに先立たれたら悲しみのあまりすぐに死んでしまうと思います」

 小池さんがそういうのは、妻・淳子さん(仮名・50)の不在がこたえているからだ。

 淳子さんの実家へは、飛行機で2時間近くかかる。淳子さんの父親ががんでここ数年闘病中だったのだが、ここ数カ月で急激に悪化し、いつ急変してもおかしくないと言われた。「お母さんも疲れているし、お父さんのそばにいてあげたい」と淳子さんが言うので、「それは娘として当然だから、こっちのことは気にしないでいいよ」と快く送り出したのだという。

 小池さんは、夫婦二人暮らし。大学院生の一人息子は都内で一人暮らしをしていて、めったに帰ってこない。淳子さんが父親の看病で実家に帰っている間は、仕事を終えた後に外で飲んで帰ることが増えた。「単身赴任した経験もなかったので、帰宅しても誰もいないということが結構こたえました」と笑う。

 淳子さんの父親は「もう危ない」と言われながら何度か持ち直したが、半年前ついに力尽きた。淳子さんは力を落としている母親のそばにいてあげたいといって、しばらく実家に滞在した。

 2カ月ほどすると、母親も落ち着いてきたといって、淳子さんがようやく戻ってきた。

「妻も疲れていましたが、やるだけのことはやれたと満足していました。一人暮らしになった義母のことは心配ではありましたが、僕の母を見ていても、残された女親の方はしばらくすれば元気になると思っていたので、そう心配しなくても大丈夫だろうと楽観していたんですが……」

 淳子さんが帰ってきて、小池さんの日常が戻ってきた。ところが、小池さんがホッとしたのもつかの間、「お母さんの様子がおかしい」と淳子さんが言い出した。

「『お母さんから、立ち上がれない、歩けないと連絡が来た』というんです。それでまた妻が実家に向かうことになりました」

 淳子さんは、母親が通っている整形外科に連れていったが、骨に異常はなかった。紹介された総合病院で検査したところ、整形外科でもらっていた膝の痛み止めの薬の副作用で、低ナトリウム血症を発症していることが判明したというのだ。

 低ナトリウム血症とは、血液中のナトリウム濃度が非常に低い状態をいう。高齢者の場合は認知症症状が悪化したり、意識障害、食欲不振などさまざまな症状が出て、重症化すると命の危険もあるという。

 低ナトリウム血症への治療を開始すると、淳子さんの母親は少しずつ回復していった。それでも、再び母親を一人にすることに不安を抱いた淳子さんは、その病院が運営するサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に入居してもらうことにした。

「義母の引っ越しは大変だったようですが、ひとまず問題は片付いたので妻も帰ってきました。ただ妻と交代して義母の様子を見に行った義弟の話では、義母は環境が急に変わったせいか、自分がどこにいるのかわからなくなったり、ボーっとしていることが増えたというんです」

 母親を心配した淳子さんは、再び実家に通うようになった。

「妻の実家はそのままにしていたので、時々サ高住から義母を連れて帰って、2~3日そこで過ごして、またサ高住に戻るというようにしているそうです。それで、また頻繁に実家に帰らなければならなくなりました。ずっとこうした二重生活をするのはお互い負担なので、義母をこちらに呼びたいと言っています。僕もそれがいいと思うのですが、義母は地元を離れる決心がつかないと。それで、やはり妻が時々義母のもとに行くというのが、今のところベストだろうということになったんです」

 妻は毎月、義母のもとに帰らせてほしいと言っている、と小池さんはため息をつく。問題はお金?

「交通費は確かにものすごくかかっていますが、それは義父がかなりの遺産を残してくれたので我が家の懐が痛むわけではない。お金に関しては、『どうぞどうぞ』という感じなんです(笑)。ただね……」

 小池さんは一瞬、言いよどんだ。

「義父が亡くなる前、何カ月も妻は家を留守にしていました。やっと戻ってきて落ち着いたと思ったら、また毎月実家に帰るという。しかも、一度帰ると10日ほどは滞在することになります。正直、『またか……』と思ってしまうんです。先の見えないこんな生活がいつまで続くんだろう。妻の大変さも、義母を大切に思う気持ちもよくわかってはいるんですが……」

 小池さんは、最近よく昔の記憶がよみがえるという。

「伯母がよく母のところに来て、愚痴をこぼしていたんです。伯母はお嫁さんと同居していたんですが、お嫁さんのお母さんの具合が悪く、『たびたび実家に帰って困る』と陰口を言っていました。我が伯母ながら、ひどいことを言うなあ、お嫁さんが自分の母親を心配して実家に帰るのは当たり前じゃないですか。それを非難するとはなんて意地悪な姑なんだろうとあきれていたんですが、今その伯母の気持ちが少しわかるような気がしているんです。妻がたびたび実家に帰ることでイヤな気持ちになるのは、あのときの伯母と変わらない。伯母のことを意地悪だと思う資格はないなと思います。伯母も、単なる嫁いびりをしていたんじゃなくて、さびしかったのかもしれませんね」

 伯母は晩年認知症になって、息子の顔もわからなくなり、最期は施設で枯れ木のように亡くなったという。お嫁さんは、最期まで伯母のもとに通い続けていた、と誰に言うともなくつぶやいた。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

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【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

有料老人ホーム、職員の“全員辞職”で起こった変化――「入居者を守る」の意味

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。親に介護サービスを提供する側である有料老人ホームの管理職、山岸恵美子さん(仮名・44)の話を続けよう。

どうせ怒られるのなら、入居者のためになることを堂々とやろう

 離婚しシングルマザーになった山岸さんは、昔取得したヘルパー資格を生かし、自宅近くの有料老人ホームの介護職員になった。しかし、介護主任をはじめ介護職員全員から、就職してすぐに無視されるようになる。主任からは、「入居者の家族と一切しゃべるな」など理不尽な命令をされ、そんな空気を察した入居者から避けられることもあった。理由のない集団いじめにさらされ、毎日がつらく、家に帰ると涙が出てしまう。それでも娘を育てるために仕事を辞めるわけにはいかないと、重い足を引きずるようにして出勤した。

 そして、そんな日が1年続いた。

「究極までいじめられました。それが、あるときスーっと心がラクになったんです」

 開き直った、と山岸さんは振り返る。

「辞めるのはいつでもできる。ご家族としゃべるなと言われていても、どうせ叱られるのなら主任の言いなりではなく、入居者のためになることは堂々とやろうと気持ちを切り替えました。そして、これまでとは違うホームをつくろうと決心したんです。意地だったと思います。私が辞めずに毎日出勤すれば、先輩たちはあからさまにイライラするし、『まだ辞めないんだ』と嫌味を言われたりしますが、私は辞めない。ざまあみろ、と思うことにしました」

 山岸さんが、「入居者のために頑張ろう」と決意するきっかけとなったできごとがある。

「まったく言葉を発しない入居者の方が、就寝前の口腔ケアでどうしても口を開けてくれませんでした。そのとき、先輩がその方の歯茎を強く押して、無理やり口を開けさせたんです。さっさと済ませて早く帰りたかったのでしょう。口腔ケアが終わったあとで、私はその方に謝りました。『●●さんの気持ちがわかるのに、守ってあげられなくてごめんなさい』と。すると、その入居者の方は涙を浮かべて、私の頭をなでてくれたんです。それからは、私にだけは口を開けてくださるようになりました。自分では何もできない入居者の方でも、嫌なことはわかります。私がいじめられるなんて大したことではない。ここで生活している入居者の方を守らないといけないと思いました」

 そんな気持ちをホーム長にも伝えた。主任やほかの職員はとうとう「山岸さんを辞めさせないのなら、私たちが辞める」と言い出した。ホーム長が「山岸さんが何をしたんですか」と聞いても、山岸さんに非はないのだから答えられるはずがない。

「ホーム長にとっては、ベテランの職員が辞めてしまうことの方が、私を守るよりもずっと困るはずです。たちまち人手不足になって、ホーム長も現場に出ないといけなくなるのは、目に見えていました。本社からも問題視されるでしょう。それでも、それらを覚悟のうえで、私を守ることにしてくれたんです。ホーム長には本当に感謝しています」

 結局、徐々にではあるが、職員は全員が辞めたという。山岸さんの入居者に対する態度が評価され昇進したことも、いじめていた職員には耐えられないことだったようだ。

「私をいじめの標的にすることで、ほかの職員は一致団結できていたんだと思います。学校と同じ。閉鎖された空間はこうなるんですね」

 山岸さんをいじめていた職員が全員辞めた後は、職員を募集しつつ、派遣スタッフを雇うなど何とかやりくりしながらしのいだという。

「ホーム長は本社から叱られたと思いますが、私には何もおっしゃいませんでした。その恩返しをしないといけないと思っています」

 しかし、それまでの職員が辞めたことで、ホームは風通しのよい組織に生まれ変わった。

「職員がものを言えるようになりました。これまで主任の言うことが全てだったのが、職員から『こうした方がよいのでは』とか『レクリエーションを考えてもいいですか』など、入居者のことを考え自発的にホームの改善点を提案してくれるようになりました。その気持ちを尊重し、得意なことを生かして役割を担ってもらうようにしています」

 今、山岸さんは管理職として、職員採用にもかかわるようになった。「ホームの良し悪しは職員に左右される」という信念は、これまでの経験から導き出したものだ。介護技術は入ってからでも身につくので、入居者の方への思いや人柄を重視して採用するようにしていると言い切る。

 同時に、人の上に立つことの難しさも感じている。

「なあなあになってもいけないし、職員を怒るのも難しい。悩むところですが、私が常に正しいわけでもない。何か考えがあってやったことなのかどうかを判断基準にしています。職員がストレスを抱えると、虐待などにつながります。ここから介護のイメージを変えていきたいんです」

 山岸さんには、もう一つ夢がある。それは入居者を一人ずつでもいいので、思い出の場所や昔住んでいた場所に連れて行くことだ。

「皆さん、最期まで家に帰りたいと思い続けていらっしゃいます。それをかなえてあげられない限り、私は後悔し続けることになるでしょう。入居者には事情を抱えている方もたくさんいます。『私の娘も、今ごろはあんたくらいになっているんだろうな』と言われることもあり、胸が痛みます。私は娘さんの代わりにはなれませんが、自分の親にしてあげたいと思うことをここで実現したいと思っています」

 離婚したとき中学生だった娘は大学生になり、保育を学んでいる。

「子どもは未来に向かって成長していきますが、入居者の方の多くはよくても現状維持。でも保育と介護は似ていると思うんです。入居者の方がリハビリによって状態が改善することがあるのですが、『回復の過程と子どもの発達とは似ているね』とか、『コミュニケーションが大事なところは共通しているよね』などと、娘と会話できるようになったのがうれしいですね。これまでどんなにつらくてもがんばってきてよかった。娘に負けないよう、私ももっと学ばないといけないと思っています」

 「介護は人」だ。親がどんな介護を受けるかは、介護を提供する職員次第なのだ。職員の入れ替わりが激しかったり、一度に多くの職員が辞めたりした施設は要注意だと言われているし、筆者もそう訴えてきた。が、山岸さんのホームのような例もあることを思えば、一概にそれが悪い施設だとは断言できないだろう。職員が入れ替わったことで、よい方に生まれ変わるのならば、入居者にとっても幸運だ。もし山岸さんのホームがこれまでのままだったら、入居者はどういう毎日を送っていたのだろう――。それを考えると恐ろしくもある。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

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【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

有料老人ホーム、「入居者家族とは一切しゃべるな」新人介護士への理不尽な命令

「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。今回は、親に介護サービスを提供する側、有料老人ホームの職員に話を聞いた。

離婚し、一人娘を育てるために介護職に

 山岸恵美子さん(仮名・44)は、有料老人ホームの管理職をしている。介護の世界に入ったのは7年ほど前。その肩書から想像すると、7年という経験年数は短いようにも思えるが、彼女には長い長い7年だった。

 山岸さんは、介護職につく10年以上前にヘルパーの資格は取っていた。そのときは将来役に立つかもしれない程度の軽い気持ちだったという。そんな山岸さんが介護職に就くことにしたのは、夫と離婚し、シングルマザーとして中学生の一人娘を育てていかなければならなくなったためだった。

「結婚以来ずっと専業主婦で、お金に困ることのない生活でしたが、離婚して、これから教育費のかかる子どもとどうやって生活していけばいいのか、途方に暮れました。頭の片隅に介護という選択肢もあったものの、現場で実習をしたときに介護の大変さを味わっていたので躊躇して。そんなとき、娘に『ママは介護の資格があるじゃない』と言われたんです。私は母を中学生のときに亡くしているので、娘が唯一の生きがい。娘に背中を押されたこともあり、自宅から近い介護施設なら娘に何かあってもすぐに帰ることができるだろうと考え、介護の世界に入ることを決めました」

 自宅の近辺で介護職を募集している施設を探したところ、歩いて通える場所に有料老人ホームが職員を募集していることがわかった。

 当初は介護の世界に入ることにためらいがあったとはいえ、働こうと決めさえすれば、あとは自分が頑張れいいだけだと考えていたと山岸さんはいう。独身時代にはサービス業に従事しており、明るく気さくな性格でお客さんからもかわいがられていたので、人と接することに不安はなかった。まさか、職員間の人間関係で悩むことになるとは思ってもみなかったのだ。

「介護職員を募集していたのは、有料老人ホームでした。自宅から近いとはいえ、それがどんなホームで、評判がいいのか悪いのかも知りませんでした。採用に応募してすぐに、ホーム長と介護主任から面接を受けたのですが、そのときから女性の主任が厳しそうだなとは感じていました」

 無事採用されて働くようになると、すぐに主任からの手厳しい洗礼を受けた。

「ホームの介護職員は全員が女性で、女社会のトップに君臨していたのが主任でした。彼女が黒といえば、絶対に黒なんです。その主任に、私はなぜか最初から嫌われてしまいました。もちろん、ほかの職員はみな主任に従うので、私は完全に無視されるようになり、研修期間なのに、私に業務を教えたくないとホーム長に直談判する人もいたようです。私は、何か教えてもらうたびに『すみません』を繰り返して、ひたすら低姿勢でいるようにしたのですが、風当たりはますます強くなりました。ホーム長からは『すみませんばかり言うと、なおさら嫌われるよ』と言われたので、今度は『ありがとうございます』と言うようにしましたが、何も変わりません。いかにホームが閉ざされた空間か、嫌というほど感じました」

 理不尽な態度はエスカレートしていった。入居者の家族が面会に来たときに、その入居者の日ごろの様子を家族に伝えたのが、火に油を注ぐことになった。「新人のくせに生意気だ」と非難され、主任から「入居者の家族とは一切しゃべるな」と命令されたのだ。

「主任がほかの電話に出ていたときに、もう一つの電話が鳴ったことがありました。ほかに誰もいなかったので、私が電話に出ないと怒られると思い、電話をとったら『ほかの人としゃべるなと言ったはずだ』と怒鳴られるんです。もう何をしても叱られる。家に帰っても翌日職場に行くのが怖いんです。毎日がつらくて、泣いてばかりいました。とうとうある日、ズル休みをしてしまいました。でも娘に『ママ、仕事に行かないの?』と言われて、娘を不安にさせてはいけないと思い、休むこともできませんでした」

 ホーム長は、山岸さんの好きなアイドルの曲をホームでかけて、「見ているよ」と無言で伝えてくれたり、食堂のおばさんからは「またキツいことを言われてたね。頑張りなよ」と励まされたりしたという。しかし入居者の多くは、職員のギスギスした雰囲気を敏感に察知していたようだ。

「主任に嫌われるとホームにいられなくなると感じるのか、私を避ける入居者の方もいました」

――次回につづく(9月29日更新)

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

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父の“終の棲家”を探して――自宅で同居をケアマネジャーに反対されたワケ【老いゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。夫が60歳で脳出血を起こし、在宅でリハビリを続ける藤本千恵子さん(仮名・58)の話を続けよう。

じゃあ、やってやろうじゃない

 認知症の義母ヨシエさんは、特別養護老人ホーム(特養)に入ることができた。夫の公男さん(65)からは、「申し訳ない。自分と結婚しなかったら、こんなことにはならなかったのに」と謝られたという。

 「何言ってるの。私はあなたが好きで結婚したんだから」と返事をした藤本さん。「だから、自分のためにリハビリがんばって! とさらにお尻を叩きました」と笑う。公男さんはどれほど救われたことだろう。

「厳しい妻だったと思いますよ。外歩きのリハビリについていって、睨んでたんだから」

 公男さんが「つらい」「横になりたい」と言っても、藤本さんは許さなかった。そんな妻に、公男さんは「だったらお前も運転やってみろ!」と挑発した。

 苦し紛れに出た軽口のひとつだったのだろう。藤本さんは、ペーパードライバーだった。

「夫が倒れる前、ちょうど新車を買ったばかりだったんです。それで、売り言葉に買い言葉で、『じゃあ、やってやろうじゃない』と。教習所の先生に来てもらって運転の練習をはじめました」

 「一生、ペーパードライバーでもいい」と思っていた藤本さんにとっては、一大決心だった。車に乗れるようになれば、公男さんを連れて遠出もできると考えたのだ。

「映画好きな夫を映画にも連れていけるし、ドライブにも行けるでしょう。バリアフリーのホテルを探して、温泉にも行こうと思いました」

 目標ができると熱が入った。駐車が苦手だったので、先生に教えてもらいながら、スーパーで何度も練習を繰り返したという。そして、とうとうペーパードライバーを返上。公男さんを乗せて、高速に乗る練習までしたというのだから、あっぱれだ。ついには高速に乗って、公男さんが好きな神戸までドライブすることができたのだ。

 一緒に出かけるようになると、公男さんは一気に体力がついたという。

「外に行くと、障害物も多いんです。どうしようかと二人で考えながら、克服していきました。なにより、出かけると楽しい。夫も『すごいもんだな、千恵子は』と感嘆していました」

 食事も、藤本さんよりよく食べる。頭も、倒れる前の状態まで回復して会話もできるようになったというのだから、驚くばかりの回復だ。

特養も入れたし、最後まで要領よくいけた

 藤本さんの“ドライブリハビリ”が効果を発揮し、あちこち旅行に出かけられるようになったころ、ヨシエさんが亡くなった。特養に入所して1年あまり後のことだった。藤本さんと義弟はたびたび面会に行っていたが、ヨシエさんは最後まで藤本さんの顔を忘れることはなかったという。

「『千恵ちゃんの顔を見るとうれしい。世話かけるけど、頼むね』と言ってくれていました。92歳、大往生だったと思います。すんなり特養にも入れたし、夫のリハビリもうまくいったし、結果的に、やっぱり私は最後まで要領よくいけたと思います」

 藤本さんは「要領がいい」と繰り返す。そう自分に言い聞かせながら、次々と襲う困難を乗り越えてきたのだろう。そして、やった分はちゃんと返ってくるのだ。

 でも、これで藤本さんの介護生活が終わったわけではない。人生、山あり谷あり。幾度目かの谷がやってきた。

 公男さんの体調がすぐれない日が増えていた。夜にトイレに行く回数も目立って多くなったため、通っていた病院で診てもらったところ、前立腺がんが発覚したのだ。ホルモン治療、抗がん剤治療がはじまった。公男さんが入院して治療をしていた、ちょうどそのころ、藤本さんの実父にも問題が発生した。

「父が住んでいた家が事情があって取り壊されることになって、住む場所を探さないといけなくなりました。亡くなった義母の家が空いていたので、そこに住んでもらって、私が夫と父をみるという生活もできるんじゃないかと思ったんですが、ケアマネジャーさんに絶対無理だからと反対されたんです」

 ケアマネジャーは、また藤本さん一人に負担がかかることを懸念したのだろう。とすると、父親の住む場所を探さないといけない。

 当時、父親は93歳。認知症はなく、足腰もしっかりしているとはいえ、年相応の衰えはある。しかし、要支援1なので特養には入れない。国民年金しかないので、有料老人ホームに入るのも難しい。そこで選択したのが、「養護老人ホーム」だった。介護の必要性の有無にかかわらず、金銭面や環境面で自宅で生活するのが困難な高齢者を対象とした施設だ。

「うちからは車で20分ほどのところにあって、父と一緒に見学に行って決めました。個室で食事もついています。自宅のような扱いなので、そこからデイサービスに通っています。隣には特養もついているので、今後介護が必要になっても大丈夫でしょう。なんだか、また義母のときと同じように、導かれるようにすんなりと決まりました」

 慣れない環境なので、買い物に行けないことがつらいと父親は言うが、95歳になる今も毎日日記を書いて、ラジオ体操をしているというから、順調だといえるだろう。

「父はほとんど施設にお任せです。夫の闘病は続いていますが、病気のことばかり考えても仕方ないと思っています。二人でおいしいものを食べて、ドライブをして楽しまないとね」

 要領がいいからきっと大丈夫、と笑う藤本さん。その言葉に救われるのは、公男さんばかりではない。誰よりも、藤本さんの力の源になっているのだ。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

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“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”

――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考える当シリーズ……なのだが、ヨロヨロがなく、突然ドタリという人もいる。その代表的な疾患が脳卒中だ。昔なら「ピンピンコロリ」で、ある意味うらやましがられたものだ。先日、くも膜下出血で倒れ、間もなく亡くなったジャーニさんもその一人だろう。しかし今、脳卒中で「ピンピンコロリ」というのはもはや少数だ。ドタリと倒れてから長い介護生活がはじまるのだ。

「お父さんが死にそうだからすぐに来て」と言う義母

 藤本千恵子さん(仮名・58)は、この10年余り介護を続けている。始まりは、すぐ近所に住んでいた義母のヨシエさんからだった。たくさんの「おかしいな」が重なった。

 この頃、夫の公男さん(63)は仕事帰りにヨシエさんが一人で暮らす実家に一旦立ち寄り、戸締りをして自宅に帰る。朝も実家に寄ってから出勤するというのが日課だった。

「その日、夫が夜9時頃に実家に寄ると、お風呂が沸かしっぱなしで、室内に水蒸気が立ち込めていたそうです。義母は気づかずにぐっすり寝ていて、夫が実家に寄っていなかったら、間違いなく火事になっていたでしょう」

 ほかにも、お金の管理ができなくなって、藤本さんに「1万円貸して」とたびたび言ってきたり、家事が億劫になってきたヨシエさんのために弁当のデリバリーを注文したが「受け取っていない」と言ったりと、ただの物忘れとは思えない言動が増えていった。

「決定的だったのは、夜中に電話がかかってきて『お父さんが死にそうだからすぐ来て』と言うんです。『お父さんは、もうとっくに亡くなっていますよ』と言っても、『ベッドで死にそうになっている』と言い張るので、夫と駆け付けました。すると家中に灯りがついて、玄関で義母が『早く来て!』と呼んでいるんです。もう間違いなく認知症だと確信しました」

 病院に行きたくないと言っていたヨシエさんを、なんとか連れて行った。病院では、公男さんのことを「弟」と呼んでいたという。診断結果はアルツハイマー型認知症だった。その後室内で転倒、骨折し、要介護2に認定された。

 ヨシエさんの介護は、訪問介護とデイサービスを利用することで比較的スムーズに進んだ。週2~3回はデイサービスに行き、それ以外の日はヘルパーが入った。

「もともと義母は面倒見が良くて、さっぱりした性格。大正生まれの気丈な人でした。それが人の世話を受けるというのは、嫌だったんでしょう。最初はデイサービスにも行きたくないと言っていましたが、行ってみると結構気に入って、楽しく通うようになりました。私はパート勤めをしていたので、朝、義母の身支度を手伝い、デイサービスの準備をしてから出勤し、パートから帰ると、デイサービスから戻った義母の晩ご飯をつくる。義母が食べ終わって、片付けてから自宅に戻るという毎日でした」

 そうして3年ほどたった。ヨシエさんの足腰が弱くなってきたと感じていたある日、いつものように実家に寄って出勤しようとした公男さんが倒れた。脳出血だった。

「高血圧だったのに、何かと理由をつけて薬も飲んでいなかったので、いつか倒れるんじゃないかとヒヤヒヤしていました。運悪く、倒れたのは義母がデイサービスに行ったあと。義母がデイサービスから帰って、送ってきたスタッフに発見されるまで7時間くらい放置されることになりました。パート先に電話が来て、『義母に何かあったのかな』と思って出たら、義母ではなくて夫だったんです」

 意識がもうろうとしていた公男さんは、手術を受けた。

「手術後はずっと眠った状態だったので、10日ほどたって目を開けて言葉を発したときには、娘たちと思わず歓声を上げました」

 こうして、千恵子さんにとってはダブル介護が、公男さんにとっては過酷なリハビリがはじまったのだ。

――次回(7月28日更新)に続く

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ

介護施設は虐待が心配――生活が破綻寸前でも母を手放せない娘
父は被害者なのに――老人ホーム、認知症の入居者とのトラブル
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ

【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

認知症の義母の介護中に、倒れた夫……ダブル介護を背負った嫁 【老いてゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”

――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考える当シリーズ……なのだが、ヨロヨロがなく、突然ドタリという人もいる。その代表的な疾患が脳卒中だ。昔なら「ピンピンコロリ」で、ある意味うらやましがられたものだ。先日、くも膜下出血で倒れ、間もなく亡くなったジャーニさんもその一人だろう。しかし今、脳卒中で「ピンピンコロリ」というのはもはや少数だ。ドタリと倒れてから長い介護生活がはじまるのだ。

「お父さんが死にそうだからすぐに来て」と言う義母

 藤本千恵子さん(仮名・58)は、この10年余り介護を続けている。始まりは、すぐ近所に住んでいた義母のヨシエさんからだった。たくさんの「おかしいな」が重なった。

 この頃、夫の公男さん(63)は仕事帰りにヨシエさんが一人で暮らす実家に一旦立ち寄り、戸締りをして自宅に帰る。朝も実家に寄ってから出勤するというのが日課だった。

「その日、夫が夜9時頃に実家に寄ると、お風呂が沸かしっぱなしで、室内に水蒸気が立ち込めていたそうです。義母は気づかずにぐっすり寝ていて、夫が実家に寄っていなかったら、間違いなく火事になっていたでしょう」

 ほかにも、お金の管理ができなくなって、藤本さんに「1万円貸して」とたびたび言ってきたり、家事が億劫になってきたヨシエさんのために弁当のデリバリーを注文したが「受け取っていない」と言ったりと、ただの物忘れとは思えない言動が増えていった。

「決定的だったのは、夜中に電話がかかってきて『お父さんが死にそうだからすぐ来て』と言うんです。『お父さんは、もうとっくに亡くなっていますよ』と言っても、『ベッドで死にそうになっている』と言い張るので、夫と駆け付けました。すると家中に灯りがついて、玄関で義母が『早く来て!』と呼んでいるんです。もう間違いなく認知症だと確信しました」

 病院に行きたくないと言っていたヨシエさんを、なんとか連れて行った。病院では、公男さんのことを「弟」と呼んでいたという。診断結果はアルツハイマー型認知症だった。その後室内で転倒、骨折し、要介護2に認定された。

 ヨシエさんの介護は、訪問介護とデイサービスを利用することで比較的スムーズに進んだ。週2~3回はデイサービスに行き、それ以外の日はヘルパーが入った。

「もともと義母は面倒見が良くて、さっぱりした性格。大正生まれの気丈な人でした。それが人の世話を受けるというのは、嫌だったんでしょう。最初はデイサービスにも行きたくないと言っていましたが、行ってみると結構気に入って、楽しく通うようになりました。私はパート勤めをしていたので、朝、義母の身支度を手伝い、デイサービスの準備をしてから出勤し、パートから帰ると、デイサービスから戻った義母の晩ご飯をつくる。義母が食べ終わって、片付けてから自宅に戻るという毎日でした」

 そうして3年ほどたった。ヨシエさんの足腰が弱くなってきたと感じていたある日、いつものように実家に寄って出勤しようとした公男さんが倒れた。脳出血だった。

「高血圧だったのに、何かと理由をつけて薬も飲んでいなかったので、いつか倒れるんじゃないかとヒヤヒヤしていました。運悪く、倒れたのは義母がデイサービスに行ったあと。義母がデイサービスから帰って、送ってきたスタッフに発見されるまで7時間くらい放置されることになりました。パート先に電話が来て、『義母に何かあったのかな』と思って出たら、義母ではなくて夫だったんです」

 意識がもうろうとしていた公男さんは、手術を受けた。

「手術後はずっと眠った状態だったので、10日ほどたって目を開けて言葉を発したときには、娘たちと思わず歓声を上げました」

 こうして、千恵子さんにとってはダブル介護が、公男さんにとっては過酷なリハビリがはじまったのだ。

――次回(7月28日更新)に続く

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ

介護施設は虐待が心配――生活が破綻寸前でも母を手放せない娘
父は被害者なのに――老人ホーム、認知症の入居者とのトラブル
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ

【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

父は被害者なのに――老人ホーム、認知症の入居者とのトラブル【老いてゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”

――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。前回に続き、もう少し福田涼子さん(仮名・48)の話を続けたい。

施設長が替わって空気が一変したホーム

 福田さんの両親は有料老人ホームに入居している。実家から近いこと、なにより見学に行ったときに施設長の対応が良かったことが入居の決め手になった。職員や施設長の感じが良くて、そのホームを選んだという人は多い。ただし、大手企業が運営しているホームの場合、施設長は定期的に異動する。施設長が替わると、ホーム全体の雰囲気がガラリと変わることもある。職員の入れ替わりの激しさは介護業界の特徴ではあるが、施設長の異動は入居者に大きな影響を及ぼす。

 福田さんの両親が入居するホームでも同じことが起きた。

「ホームに入居するとき、父は施設長が大変気に入っていました。母がすべての介護を拒否していて苦労していた私たちですが、母にも施設長の人柄が伝わったのでしょう。入浴も、薬も、職員に素直に従っていてびっくりしたくらい。それはそのまま、私たちのホームへの信頼になりました」

 それが、施設長が替わったことで、ホームの空気が一変したのだ。

「新しい施設長は、それまでの施設長とまったく違うタイプで、入居者に対して冷たい気がしてなりません。特に父とはソリが合わず、施設長の言葉にいちいち腹を立てています」

 職員の介護の質や接遇も、目に見えて低下したと福田さんは感じている。リネン交換や着替えの介助などのときに、職員がものを投げて渡すようになった。入居者が職員を呼んでもなかなか来てくれないことも増えていったという。

 父親が特に悩まされたのが、認知症の入居者とのトラブルだった。

「各居室は介護職員が入るために施錠しないことになっているのですが、認知症で徘徊する男性が自室と間違えているのか、頻繁に父の部屋に入ってくるそうなんです。そして父の部屋のものをポケットに入れて持って帰ったり、壊したりするんです。何度も職員に訴えているのに何の対処もしてくれませんでした。ある日、夜中に父の部屋の椅子に座っていたそうです。たまりかねた父が『出ていけ!』と怒鳴ると、父の眼鏡をかけて出て行ったと。ところが、それを父から聞いた施設長は、その男性ではなく父に『なぜ怒鳴ったんですか。彼は何もわからないんだから、あなたが親切に手を取って、あなたの部屋はこちらですよと教えてあげなきゃダメでしょう』と怒ったというんです。父は入居者ですよ。しかも迷惑をかけられた方なのに、謝るどころか逆になぜ怒られなければならないんでしょうか。父も『もうこんなホームにはいたくない。出ていく!』と大騒ぎになりました。出ていっても困るのはこちらなので、結局泣き寝入りだったんですが」

 父親の部屋に勝ってに入ってきていた男性は、その後、廊下で便をしたり、ほかの入居者に暴力をふるったりするようになり、迷惑行為がエスカレートしていった。

「父が言うには、わざとほかの入居者に足をひっかけて転ばせたこともあったそうです。『優しく言い聞かせなさい』と父を怒った施設長も、さすがにこれ以上この男性をホームにおいておくのは危ないと思ったのでしょう。入院するためにホームを退去することになり、ようやく父は安心できるようになりました」

 一方で、ほかの入居者にも変化があった。福田さんの父親が入居してしばらくは、父親と気の合う入居者が何人かいて一緒に囲碁や将棋をしていたが、そうした入居者もほかの施設に移ったり、体調や介護状態が悪化して部屋から出られなくなったりして、今、父親の話し相手はほとんどいなくなったという。

 ホームの活気もなくなっていった。ホーム主催の外出イベントは年に数回開かれているが、参加する人はごくわずか。サークル活動も以前は行われていたが、今はなくなってしまったと福田さんは嘆く。

「いずれはうちの親もそういう道をたどるのはよくわかってはいます。自宅で過ごせなくなった両親をここで介護してくれているのは、本当にありがたいとは思っています。それでも、父のように足腰は弱ってきてはいるものの、頭ははっきりしていて、人とのコミュニケーションなどの社会的なつながりを求めている人に、ホームが何もしてくれないというのは、私が見てもつらいものがあります。楽しみも生きがいも見出せない、そんな居心地の悪い場所が両親の終の棲家となるということに、胸が痛んで仕方ありません」

 父親の意欲がなくなってしまう前に、施設長が替わればまだ間に合うかもしれない。運営側がホームの評判が悪くなったと知れば、施設長を替えて、立て直しを試みることは少なくないからだ。評判の良い施設長が、別のホームからやってきて立て直しに取り組めば、再び生き生きとした暮らしやすいホームになる、という例は多い。そのかわりに、今度はそれまでの施設長が異動したホームが変容していく可能性もあるのだが――。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ

【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

母を置いて仕事に行くのは“虐待”? 仕事とダブルで追い詰められ……【老いてゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。親を介護する子どもの年齢は幅広い。リタイアした60代もいれば、働き盛りの40~50代ということもある。後者の場合、介護と仕事をどう両立するかは大きな課題となる。

 前回紹介した福田涼子さん(仮名・48)もフルタイムで仕事をしながら母親の介護をしていた。

 認知症の母親に暴言を浴びせ続けられた父親が倒れ入院、退院後は有料老人ホームに入ったため、一人で暮らすようになった母親の介護は福田さんと兄がするしかない。二人は交代で毎日実家に通った。

「仕事帰りに実家に寄って、晩ご飯をつくって母と食べ、朝昼食用に簡単に食べられそうなものをつくって冷蔵庫に入れておきました。失禁で汚れた下着や寝具も大量に放置してあるので、洗濯も大変でした。お風呂にも入っていないので、部屋の中は異臭が充満しています。しかもその間、母はずっと私や兄を攻撃し続けているんです」

 福田さんの介護が大変になった原因は、母親が半日型デイサービスに行く以外、介護サービスをすべて拒否していたことにあった。それだけではない。頻繁に失禁していたがオムツも、入浴も拒否。福田さんが朝昼食用につくり置いていった食事にも手を付けなかったという。

母を置いて仕事に行くのは虐待?

 福田さんには、忘れられない言葉がある。母の介護で疲弊していた福田さんと兄に、ケアマネジャーがこう言ったのだという。

「あなたたちがやっていることは、虐待なんですよ!」

「すべてを拒否している認知症で一人暮らしの母親を放置して、仕事に行っている私たちが悪いんだというんです……」

 ケアマネジャーの言葉は、その職業による正義感から発せられたのかもしれない。しかし、毎日必死に介護を続ける福田さんをひどく傷つけるものだった。

「思わず泣いてしまいました。私が仕事を辞めて介護に専念しなさいということですよね。それができれば苦労はしません。夫は転職したばかりで給料も安いし、私も非正規雇用なので、とても食べていけません。それに、辞めたら次の仕事を探すのは年齢的にもう難しいでしょう」

 福田さんは、ケアマネジャーに強い不信感を持った。しかし、兄の反応は違ったという。

「兄は、ケアマネジャーがそうまで言うのなら、それが真実かもしれないと言っていました。だから、ケアマネジャーを代える必要はないというんです」

 福田さんはそもそもケアマネジャーを代えることができることさえ知らなかったという。そのケアマネジャーも、地域包括支援センターから「お宅の担当はこの人」と指名されていたため、「そういうものだ」と思い込んでいたのだ。

 福田さんは母親からも責められていた。「お前は仕事に行って楽をしている」と。常にそばで世話をやくことのできない娘に苛立っていたのかもしれない。女は家にいて家庭を守るものという観念の強かった母親だから、その言葉も当然だろうと福田さんは反論する気も起きなかった。

 もっとも、福田さんにとっては仕事をすることで四六時中母親と顔を突き合わせずに済むというメリットがあったのは確かだ。そうでなければ、母親の度重なる暴言で倒れてしまった父親のように、ウツになるほど追い詰められていた可能性も十分あっただろう。

 その反面、仕事と介護の両立も母親が言うほど楽なことではない。介護離職が大きな社会問題となっている時代だ。福田さんも例外ではなかった。

 実家に通って洗濯や食事づくりをし、自宅に帰るころには深夜になっていた。夫は「自分は好きなものを食べておくからいいよ」と言ってくれていたとはいえ、自宅の家事もある。数時間寝られればいい、という状態が続いていた。

「でも身体的な疲れはなんとか乗り切れます。極限だったのは精神状態。職場でも余裕がなく、同僚がランチ時に他愛ない話題で盛り上がっていても、その輪の中に入ることができません。私にはテレビを見る時間も余裕もなくて、見ているのは母の汚れ物くらい。何をしても気持ちが晴れることはありませんでした」

ホームに入っているから介護休暇を取る必要はない?

 会社は、福田さんが介護をしていることに理解がなかったわけではなかった。父親が入院したときに5日間介護休暇を取得したが、上司は快く許可してくれたという。

「ただ、あまり長くは休みづらい雰囲気がありました。私はほぼ独立した仕事をしているので、休んでも同僚に影響はないのですが、同僚は腫れ物に触るような感じで、介護のことには触れてきませんでした」

 今は両親ともに有料老人ホームに入り、福田さんは一時期の“介護地獄”の状態を脱することができた。ところが、いまだに社内では窮屈な思いをしているという。

「先日、今年分の介護休暇を申請しようとしたところ、上司から『ご両親はもうホームに入っているのに、なぜ休暇を取る必要があるんですか?』と言われて取得を認めてもらえなかったんです。本来、介護休暇は毎年取得できるはずです。でも上司からこう言われてしまうと反論してまで取得するのはためらわれます。これからは、有給を取りながら対応していくしかないですね」

 福田さんはすっかりあきらめているが、親が施設に入ったからといって、上司が「もう介護休暇は必要ない」と断定するのはおかしなことだ。

「うちの場合、母親が同じホームに入ったことで、また母親からの暴言を受けることになりました。憔悴した父から『助けてコール』が入ると、実家に一時避難させたり、気晴らしに食事に連れて行ったりする必要があるんです。精神的にダメージを受けている父に寄り添ってあげたいし、定期的な通院の付き添いもホームから家族が同行してほしいと言われています。うちの会社では、介護休暇の積み立て制度のようなものも新たに設けられました。取りきれなくて消滅する前年度の有給を介護用として積み立てるという制度らしいのですが、これも今のところ絵に描いた餅です」

 親がホームに入ったからといって、介護が終わったわけではない。福田さんは「その時々で問題は変化するし、なくならない」と感じている。

 制度がいくら充実していても、使えなければ制度がないのと同じ――福田さんの言葉にうなずく人は少なくないはずだ。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ

【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

 

認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ【老いてゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。2017年版「高齢者白書」(厚生労働省)よれば、65歳以上の認知症患者は462万人(12年)。25年には700万人を超え、約5人に1人になると推計している。自分の身の回りを見渡してみると、必ずどこかに認知症の人がいるという状態になるのは間違いない。

 福田涼子さん(仮名・48)の母親(78)も、その一人だ。

お母さんは、壊れてしまった

 「お母さんは、壊れてしまった」――福田さんの父も兄も、口をそろえて言う。

 福田さんの母がアルツハイマー型認知症と診断されたのは5年前のことだ。認知症の始まりは突然だった、と福田さんは振り返る。

「物忘れが激しいとか、冷蔵庫の中に同じものがたくさん入っている、というのはよく聞きますが、うちの母はそういう『あれ? おかしいな』という兆候は、私が見た限りではまったくありませんでした」

 母親の「あれ? おかしいな」は、突然入った“怒りのスイッチ”だった。

 その頃、父親が入院、手術をしていた。体調はまだ十分とは言えなかったが、「早く自宅に戻りたい」と言う父に押し切られる形で退院が決まったのだ。それを聞いた母が福田さんに電話をかけてきて、こうまくしたてたのだ。

「『なんでこんなに早く退院させるんだ。涼子が勝手に決めたんだろう! お前は会社に行って楽しているくせに』と、私がいくら『お父さんが決めたことだよ』と言っても聞く耳をもたず、何時間も一方的に私を責め続けました」

 これ以来、母の怒りスイッチは、理由もなく、頻繁にオンになるようになっていった。標的となるのは、福田さんだけではない。毎日顔を合わせている父には「お前なんかいらない。役立たず!」と暴言を浴びせ続けた。父はそのたびに号泣し、うつ状態になった。止めに入った兄まで泣いてしまうこともあったという。

 介護認定だけは兄が説得して何とか受けさせることができたものの、ヘルパーやデイサービスなどの介護サービスは絶対に受け付けない。尿失禁も多くなったが、おむつをすることも、入浴もかたくなに拒否した。精神的に追い詰められた父は、とうとう意識障害を起こして倒れ、入院してしまう。半年後に退院できるようになったものの、うつ状態もひどかったことから、母のいる自宅には戻せないと判断し、有料老人ホームに入居することになった。

 福田さんは仕事帰りに毎日実家に通い、母の暴言を浴びながら、大量の汚れものと格闘した。そんな生活は1年近く続いた。兄も福田さんも、ギリギリのところでなんとか踏ん張っている状態だったが、見かねた父のホームの施設長が間に入ってくれた。

 具合の悪くなった母を、病院帰りに体験入居という形でホームに宿泊させたのだ。プロの技のおかげか、母はその夜、素直に入浴したと聞いて、福田さんと兄は狂喜した。そして、母親はよく事情が理解できないまま、父のいるホームに本入居となったのだ。

 父母がホームに入ったことで、福田さんの過酷な介護生活はようやく終わりを迎えた。スタッフの声かけで、薬もおとなしく飲むようになったので、母の状態は自宅にいるときと比べるとずいぶん落ち着いた。ただ、今でも母の怒りスイッチは何かの拍子に突然入る。同じホームにいる父に怒りの矛先が向かうため、父親へのケアは欠かせないという。

 父も兄も、事あるごとに「家庭的で、主婦として完璧だった母はもういない。壊れてしまった」と嘆く。

「でも、私にはそうは思えないんです」

 母は明治生まれの父親に厳しく育てられ、骨の髄まで「女は男に尽くすものという封建的価値観」が沁み込んでいる、と福田さんは思う。

「私が幼い頃から、母は、父や兄を一番に立ててきましたし、私もそうすることを要求されてきました。両親は、私が結婚して家を出た後、『老後のことを考えて』という理由で、郊外の戸建てから、私の住む町の近くのマンションに越しています。それは、娘である私に老後の面倒を見てもらおうと考えてのことでした。母の持論は『家と財産は長男が継ぐのが当たり前。親の世話は、娘のお前がするのが当然』でしたから……」

 男尊女卑。封建的価値観――それまで理性や建前で覆い隠され、父や兄には見せてこなかった母の偏狭な性格が、認知症になってむき出しになっただけだと、福田さんは冷ややかだ。

 そういえば確かに、母親の暴言は、「お前たちは私をバカにしている」「私が死ねばいいと思っているんだろう」というものばかりだ。「財布を盗まれた」「食事をさせてもらえない」といった類いの言葉は一切ない。

 だとしたら、母親も時代の被害者なのかもしれない。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心

【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ