『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第8回 田中千恵美さん(仮名・30代)前編
クリニックに勤務する田中千恵美さんは30代。7歳と4歳という2人の女の子を、両親のバックアップを得ながら育てている。外国人の夫とは一緒に暮らしていない。夫とはどこで出会い、なぜ結婚し、そして別れてしまったのか?
■宗教にハマっている英会話講師の誠実さに惹かれ
「別居している夫は、イギリス出身の白人です。年は私と同じぐらい。職業は英会話学校のバイト講師です。彼とは日本で、友達のツテで知り合いました。10年ほど前のことだから、20代後半の頃。私自身、留学したことがあって英語が話せるので、出会ったときから意思疎通にはまったく問題がなかったです。友人として彼と付き合うようになってわかったのは、ナチュラル系といいますか、“健全なヒッピー”という感じの人だということ。お酒は飲まないし、タバコも吸わない。カルトというほどではないですけど宗教にハマっていて、バイブルのようなモノを熱心に読んだり、瞑想にふけったりしているんです」
彼女はなぜ、そんな変わった外国人とお付き合いすることになったのだろうか?
「彼には、相談できるような友人がいなかった。異国で1人きりって大変じゃないですか。だから、かわいそうだと思って、何かと気にかけてあげていたんです。すると彼に熱烈に好かれてしまい、交際を申し込まれました。私には、そのとき恋愛感情はありませんでしたから、『真剣にお付き合いしたいんだったら、その証拠を見せてほしい』って無理難題を彼に言ってみたんです」
すると、彼は「見せたいものがある」と言って、数日後、田中さんの前に現れた。
「血液検査の結果を持ってきたんです。性病はもちろん、ほかの病気もシロ。ロマンティックさのかけらもないですよね。だけど、むしろそこがよかった。彼のまっすぐな行動に胸を打たれまして、信頼感といいますか、はっきり言うと、恋愛感情を持つようになったんです。それ以来、彼と真剣に交際するようになりました」
田中さんは彼と同居を始める。資産家の両親に買ってもらい、彼女が一人住まいをしていたマンション。そこに彼が転がり込んできた。
「同居して思ったのは、彼がとても誠実で真面目な人だということ。家事は積極的にやってくれますし、きちょうめん。それでいてメンタルが弱い一面もありました。イライラしてパニックになったり、物に当たったり。ときには自分の腕をナイフで切ったりするんです」
――彼のメンタルの弱さは、どこからきていたのでしょうか?
「生い立ちに一因があるのかもしれません。彼はイギリスの田舎町出身なんです。住んでいるのは白人ばかり。外部の人が入ってきたら警戒するという、保守的で閉鎖的な土地柄なんです。父親は元軍人。冷戦の時代に、国内外の基地を転々としていたらしいです。一時期、アルコール依存症で、彼は父親からよく暴力を振るわれていたそうです。向こうの両親によると、小さい頃、ちょっと難しい子だったようですし、高校時代はいじめられていたそうです。実際、彼本人から『ずっと自殺願望があった』と聞いています。
その後、彼は2000年ぐらいに来日します。生きづらさを克服するために、世界中のあらゆる宗教に興味を持つようになったそうで、そのひとつが仏教だったんです。そこから、東洋の文化、そして日本という国へと興味が広がっていったのだとか」
――同棲から結婚に至ったきっかけは何でしたか?
「夜の営みのとき、宗教上の理由なのか、避妊具の装着を毎回拒否されました。そうして回を重ねているうちに、自然と子どもがデキてしまったんです。妊娠がわかったとき、そのまま子どもを産むかどうか、頭を抱えました。仕事でキャリアを積んでいきたいって思っていたからです。それですぐ、妊娠したことを彼に伝えると、彼はたちまち血相を変えて言うんです。『千恵美とおなかの子どもを殺して、俺も死ぬ!』って。私、まだ別に堕ろすとは言っていないのにですよ。
怖くなったり、嫌いになったりしなかったのかって? それはないです。むしろ、その真剣さに惚れ直しました。生まれてくる子どもに、それだけ愛情を注いでくれているんだって、わかりましたから。それで私、産む決心がついたんです」
その後、2人の人生は急展開していく。
「出産より先に、結婚式を行いました。式場や日取りを決めたり、彼の両親をイギリスから呼んだり。身重なのに、大急ぎで準備して大変でした。
その後、入籍して、晴れて夫婦となったんですが、前途は多難でした。彼がそれまで勤めていた英会話学校を辞めたり、別の学校に移籍したりと、仕事が不安定だったんです。しかも、そこにうちの両親が介入してきて、『もっと待遇のいいところに勤めなさい』って、やぶから棒にわざわざ言うんですよ。私を心配するがゆえの行動なんでしょうけど、正直、迷惑でした。
おかげで、彼が精神的にきつい状態になってしまって、マンションの壁を殴ったり蹴ったり、ナイフで冷蔵庫に傷をつけたりと、物に当たり始めたんです。そして、ついに私に危害を及ぼすようになりました」
――実際、どんな被害に遭ったのですか?
「拳で私の頭をぽかぽか殴ったり、腕や足を蹴ってきたり。そうして散々暴力を振るった後に、ふっと我に返って『ごめんね、ごめんね。そんなつもりじゃなくて』って、誠意を込めて謝ってくるんです。だけど、顔は絶対に狙ってこなかった。周囲にバレるのを恐れていたようです。ずるいですよね。殴るきっかけは、だいたいは私の発言です。『もう別れたい』って私が言った後、決まって手を出されましたから。私のことが好きすぎるんですよ」
田中さんの被害は、暴力に限らなかった。
「臨月に近い頃でしょうか。彼が馬乗りになって腕を殴ってきた後、服を全部脱がされて、変な話……犯されたのです。夫婦間でおかしな話ですが、その時は一方的で恐怖を感じました。そのとき警察には行ってないです。他人には言い出せないという気持ちと、そのような形でしか表現できない彼を救ってあげたいという気持ちで、いっぱいだったんです」
田中さんは嫌がる彼を説得して、精神科のある病院に半ば無理やり、連れて行った。
「医師は心が落ち着く、軽い精神薬の処方箋を出してくれました。本当はもっと強い薬を出したかったようですが、西洋医学を信用しない彼が、断固拒否したんです。それでも、その薬もかなり効きまして、彼の精神状態は次第に安定していきました」
ようやく平静を取り戻した田中さん夫婦。千恵美さんはその後、無事に出産、娘と親子3人で暮らし始めた。
「彼はとても献身的に、育児に励んでくれました。私の代わりに徹夜でミルクをあげて、私を寝かしてくれたりね。このまま穏やかに過ごしていけるのかと期待しましたが、長続きしませんでした。実は彼、処方されていた薬を勝手に中断しちゃってたんですね」
1年後、我慢の限界が訪れる。
「子どもが1歳になった頃、彼がナイフを振り回したんです。子どもに危害が加わらないようにって思って、とっさに子どもに覆いかぶさりました。幸い、ナイフで刺されることはなかったんですけど、背中を拳やナイフの柄みたいなものでボコボコに殴られたんです。
なんとかスキを見つけて、友人に電話をしました。すると友人からの通報を受けた警察が、うちまで駆けつけてくれたんです。その後、彼と私は別々のパトカーに乗せられて警察署まで行って、別々に事情聴取を受けました」
警察で田中さんは、事件の概要を一通り話した。
「その後、警察官に言われました。『あなた、子どもと一緒に、シェルターに逃げたほうがいいよ。旦那は傷害罪でお縄にして、母国に返したほうがいい』って。でも、子どもにとっては血を分けた実の親ですからね。自分の父親が犯罪者だってわかったら、子どもがかわいそうじゃないですか。暴力っていっても頻繁にあるわけではなくて、3カ月に1回ほどのことですし。それに私、やっぱり彼のことが好きでしたし。だから、警察に『立件しないでほしい』ってお願いしたんです」
――では、すぐに同居を再開したのですか?
「いえいえ。それはさすがにないです。かといって、マンションは私の名義ですからね。明け渡すつもりはありませんでした。そこで、警察に協力してもらって、彼に退去を言い渡してもらったんです。すると彼はおとなしく従って、近くにある友人の家に、居候として引っ越していきました」
(後編へつづく)
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