木嶋佳苗死刑囚、三度目の獄中結婚――「佳苗さんを好きになることは、宗教を信仰することと一緒」被害者が口にしていた言葉

 2009年、“婚活連続不審死事件”で逮捕され、17年5月に死刑判決が確定した木嶋佳苗死刑囚。「セレブブログ」「婚活サイト」「高級料理学校」「ブランド品」「高級外車」といった木嶋死刑囚を形容するキーワードや、「テクニックではなく、女性として本来持っている機能が高い(と男性から褒められる)」「(騙し取ったお金は)借りたお金ではなく、いただいたお金なので返す必要はない」などの本人の発言が世間の注目を浴びたが、ここにきて、またしても話題を集めている。

 4月25日発売の「週刊文春」(文藝春秋)によると、木嶋死刑囚は「週刊新潮」(新潮社)デスクと昨年結婚し、これは三度目の獄中結婚になるという。ネット上には、「木嶋佳苗の恐ろしさが際立つ」「殺人犯でありながら、これだけの人を惹きつける不思議」「ブスとか美人とか若いとかおばさんとか関係ないところにこの人はいる」「事実は小説よりなんとやら……」と驚嘆と戸惑いの声が続出し、波紋を広げている。

 サイゾーウーマンでは、2012年から木嶋死刑囚の公判を追い、その人物像や事件像を考察した記事を掲載。被害者の1人が、「佳苗さんを好きになることは、宗教を信仰することと一緒」と口にしていたことや、セックスに関する具体的な発言も収録している。「木嶋佳苗」という女に、なぜ世間は熱狂してしまうのか。この機会に、あらためて読んでいただきたい。

(すべて取材・文/神林広恵)

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“ニセ殿下”の虚言癖、“出たがり女”の虚栄心――「有栖川宮詐欺事件」の浅はかな見栄

jyunihitoe

(前編はこちら)

◎“ニセ殿下”の虚言癖
 有栖川識仁(当時41)を名乗った男の本名は北沢康弘。北沢が有栖川を名乗り出したのは結婚式が行われる約18年ほど前の1995年頃のことだったという。いわく、87年に亡くなった高松宮宣仁殿下の“ご落胤”で、断絶した有栖川宮を“復興させる権利”があるとのこと。そして90年には「有栖川記念事業団」という政治団体の代表に就任、寄付金などを集めていたという。その後も“宮様”である北沢はあるマルチ商法の広告塔として、全国で詐欺行為を働いていた。

 しかし、実際には北沢は京都宇治市の長屋に生まれ、両親は八百屋を営み、経済的にはあまり恵まれない家庭に生まれ育っている。母親によれば、勉強も苦手で中学卒業後に働き始めたという。だが、仕事は長続きせず、親子の折り合いも悪くなり、北沢は家を出た。

また北沢には若い頃から虚言癖もあり、“叔父が衆院選に出馬する”“自分は京大卒”などと言い出し、そしてついには“高松宮殿下がお亡くなりになる前に自分を呼び寄せ、お前には有栖川宮家を継ぐ権利があるといわれた”などと、主張しはじめた。

 その後は皇室の名前を利用して、各地で細々と詐欺を行ってきたという。こうした“皇室詐欺”は時折世間を騒がすものの、被害者も“本当に皇室につながる人間だったら”という心理が働き、事件化されないことは珍しくなかった。北沢もそうした人々に漬け込み、地味で目立たない詐欺を繰り返していたとみられる。

◎上昇志向と虚栄心、いわくつきの“婚約者”
 一方の坂上春子(仮名・当時44)は熊本県で、郵便局に勤める堅実な両親と妹がいる、質素だが堅実な家庭で生まれ育った。

 また、その美貌は幼い頃から有名だったという。18歳の時に「準ミス熊本」に選ばれたほどで、同級生からもあこがれの存在だった。その後、高校を卒業した坂上は、地元のバス会社に就職。そこを1年で辞めたのち結婚、夫婦で学習塾を始め、2人の子どもにも恵まれた。

 しかし、問題は坂上の強烈な上昇志向だった。当時坂上は、自己啓発教材販売で高額な報酬を得たり、化粧品のセールスで月に500万円以上の収入を得ているなどと周囲に吹聴していた。それが、事実なのかどうかは不明だが、もともと派手好きで、セレブっぽい振る舞いを好んだ坂上は、地味な結婚生活に嫌気が差し、数年で離婚する。

 その後、31歳になった坂上は、あるプロダクション経営の男性と再婚し上京するが、34歳で再び離婚した。その間、銀座ホステスや宗教団体の巫女、さらに結婚式をプロデュースする会社の設立し、「アナウンサー」「モデル」「ミスインターナショナル」などを自称していた。

 一貫して地道な生活を嫌い、強烈な上昇志向と華やかな生活を求めた坂上。一方で身の丈に合わない生活で借金もあった。そんな坂上に転機が訪れたのは、2002年のことだった。銀座のクラブで働いていた坂上は、当時、北沢と一緒に“皇室”詐欺を行っていた広告制作会社社長と知り合い、その社長と愛人契約をする。その関係から02年10月頃、北沢の存在を知り、より効果的に金儲けをしようと計画されたのが、“有栖川宮家の結婚式”だった。坂上は北沢を“殿下”と呼び、周囲にその関係を印象付けていった。

 坂上は“有栖川”を名乗る北沢の存在を巧妙に利用し、自らの結婚をプロデュース、一儲けを目論んだ。もちろん宮家につらなる人物との結婚は、それがニセとはいえ、坂上の虚栄心を満たすのにも十分だったのだろう。

◎出所後も続く“皇室”パフォーマンス
 しかし、そんな坂上の浅はかな見栄と虚像が破滅への一歩だった。

 マスコミによる大報道、そして坂上の積極的な露出は不必要なほど2人を目立たせ、世間の関心を買う。しかも、ことは皇室関連の詐欺だ。時間を追うごとに、事態は収集するどころか、ヒートアップ。ついに警察も重い腰を上げ、摘発に向けて動き出したのだ。

 03年10月21日、2人はご祝儀をだまし取ったとして詐欺罪で逮捕された。マスコミもこれを大きく取り上げたが、しかし2人は最後まで詐欺容疑と同時に“ニセモノ華族”であることを認めず、06年9月、ともに懲役2年2月の実刑判決が下されている。

 出所直後も2人はマスコミの取材に応じ、坂上が“殿下”にキスするパフォーマンスなどもしていたが、当時も2人は未入籍であることを明かしている。

 坂上の目立ちたがり屋、虚栄心が墓穴を掘った“バブルの残香”がそこはかとなく漂う事件。そのため必要以上に、マスコミや世間に必要以上の関心を持たれ注目されてしまった。地味に働くことよりも、一発逆転を狙おうとしたが、しかしスケールはあまりに小さい事件といえる。何しろここまでさまざまな仕掛けを作り、マスコミも大騒ぎした割には、その被害額は1350万円ほどで、例えば晩餐会の出席者で割ると1人4万円ほどの計算だ。

 上昇志向が強く口の立つ女と、無口で従順な詐欺師の出会いから巻き起こった陳腐な詐欺事件。しかし人々の記憶には残る“メディア先行”の演技型、劇場型犯罪だった。
(取材・文/神林広恵)

“ニセ殿下”の虚言癖、“出たがり女”の虚栄心――「有栖川宮詐欺事件」の浅はかな見栄

jyunihitoe

(前編はこちら)

◎“ニセ殿下”の虚言癖
 有栖川識仁(当時41)を名乗った男の本名は北沢康弘。北沢が有栖川を名乗り出したのは結婚式が行われる約18年ほど前の1995年頃のことだったという。いわく、87年に亡くなった高松宮宣仁殿下の“ご落胤”で、断絶した有栖川宮を“復興させる権利”があるとのこと。そして90年には「有栖川記念事業団」という政治団体の代表に就任、寄付金などを集めていたという。その後も“宮様”である北沢はあるマルチ商法の広告塔として、全国で詐欺行為を働いていた。

 しかし、実際には北沢は京都宇治市の長屋に生まれ、両親は八百屋を営み、経済的にはあまり恵まれない家庭に生まれ育っている。母親によれば、勉強も苦手で中学卒業後に働き始めたという。だが、仕事は長続きせず、親子の折り合いも悪くなり、北沢は家を出た。

また北沢には若い頃から虚言癖もあり、“叔父が衆院選に出馬する”“自分は京大卒”などと言い出し、そしてついには“高松宮殿下がお亡くなりになる前に自分を呼び寄せ、お前には有栖川宮家を継ぐ権利があるといわれた”などと、主張しはじめた。

 その後は皇室の名前を利用して、各地で細々と詐欺を行ってきたという。こうした“皇室詐欺”は時折世間を騒がすものの、被害者も“本当に皇室につながる人間だったら”という心理が働き、事件化されないことは珍しくなかった。北沢もそうした人々に漬け込み、地味で目立たない詐欺を繰り返していたとみられる。

◎上昇志向と虚栄心、いわくつきの“婚約者”
 一方の坂上春子(仮名・当時44)は熊本県で、郵便局に勤める堅実な両親と妹がいる、質素だが堅実な家庭で生まれ育った。

 また、その美貌は幼い頃から有名だったという。18歳の時に「準ミス熊本」に選ばれたほどで、同級生からもあこがれの存在だった。その後、高校を卒業した坂上は、地元のバス会社に就職。そこを1年で辞めたのち結婚、夫婦で学習塾を始め、2人の子どもにも恵まれた。

 しかし、問題は坂上の強烈な上昇志向だった。当時坂上は、自己啓発教材販売で高額な報酬を得たり、化粧品のセールスで月に500万円以上の収入を得ているなどと周囲に吹聴していた。それが、事実なのかどうかは不明だが、もともと派手好きで、セレブっぽい振る舞いを好んだ坂上は、地味な結婚生活に嫌気が差し、数年で離婚する。

 その後、31歳になった坂上は、あるプロダクション経営の男性と再婚し上京するが、34歳で再び離婚した。その間、銀座ホステスや宗教団体の巫女、さらに結婚式をプロデュースする会社の設立し、「アナウンサー」「モデル」「ミスインターナショナル」などを自称していた。

 一貫して地道な生活を嫌い、強烈な上昇志向と華やかな生活を求めた坂上。一方で身の丈に合わない生活で借金もあった。そんな坂上に転機が訪れたのは、2002年のことだった。銀座のクラブで働いていた坂上は、当時、北沢と一緒に“皇室”詐欺を行っていた広告制作会社社長と知り合い、その社長と愛人契約をする。その関係から02年10月頃、北沢の存在を知り、より効果的に金儲けをしようと計画されたのが、“有栖川宮家の結婚式”だった。坂上は北沢を“殿下”と呼び、周囲にその関係を印象付けていった。

 坂上は“有栖川”を名乗る北沢の存在を巧妙に利用し、自らの結婚をプロデュース、一儲けを目論んだ。もちろん宮家につらなる人物との結婚は、それがニセとはいえ、坂上の虚栄心を満たすのにも十分だったのだろう。

◎出所後も続く“皇室”パフォーマンス
 しかし、そんな坂上の浅はかな見栄と虚像が破滅への一歩だった。

 マスコミによる大報道、そして坂上の積極的な露出は不必要なほど2人を目立たせ、世間の関心を買う。しかも、ことは皇室関連の詐欺だ。時間を追うごとに、事態は収集するどころか、ヒートアップ。ついに警察も重い腰を上げ、摘発に向けて動き出したのだ。

 03年10月21日、2人はご祝儀をだまし取ったとして詐欺罪で逮捕された。マスコミもこれを大きく取り上げたが、しかし2人は最後まで詐欺容疑と同時に“ニセモノ華族”であることを認めず、06年9月、ともに懲役2年2月の実刑判決が下されている。

 出所直後も2人はマスコミの取材に応じ、坂上が“殿下”にキスするパフォーマンスなどもしていたが、当時も2人は未入籍であることを明かしている。

 坂上の目立ちたがり屋、虚栄心が墓穴を掘った“バブルの残香”がそこはかとなく漂う事件。そのため必要以上に、マスコミや世間に必要以上の関心を持たれ注目されてしまった。地味に働くことよりも、一発逆転を狙おうとしたが、しかしスケールはあまりに小さい事件といえる。何しろここまでさまざまな仕掛けを作り、マスコミも大騒ぎした割には、その被害額は1350万円ほどで、例えば晩餐会の出席者で割ると1人4万円ほどの計算だ。

 上昇志向が強く口の立つ女と、無口で従順な詐欺師の出会いから巻き起こった陳腐な詐欺事件。しかし人々の記憶には残る“メディア先行”の演技型、劇場型犯罪だった。
(取材・文/神林広恵)

「宮家の後継者」を自称、マスコミ・芸能人を巻き込んだ「有栖川詐欺事件」の女

世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

[第29回]
有栖川宮詐欺事件

 今から13年前、マスコミを熱狂させた珍妙な事件が起こった。

 すでに断絶していたはずの華族・有栖川宮家の後継者を名乗る人物と、そのパートナー女性による結婚祝賀を舞台にした詐欺事件だ。

 事件は2003年4月6日、有栖川宮家の後継者を名乗る有栖川識仁(当時41)と妻となるはずの坂上春子(仮名・当時44)による「有栖川記念奉祝晩餐会」と称した結婚式を舞台にしたものだ。このパーティは、カナダ大使館地下にある会員制のクラブで開かれたものだが、2人は結婚式の出席者375人からご祝儀など1350万円を騙し取ったとして、この年の10月21日に詐欺罪で警視庁公安部に逮捕されてしまう。

 有栖川を名乗る2人の存在は、結婚式以前から“あまりに胡散臭い”カップルとして一部メディアで話題になり、注目されていた存在だった。

◎筆者にも届いた「招待状」
 発端は、この年の2月に送られた「有栖川記念奉祝晩餐会」の招待状だ。その送付数は2千通ともいわれているが、彼らはさまざまなツテや、一度しか面識がない人々にまで結婚招待状を送りまくっていた。送付された人の中には何人ものマスコミ関係者がおり、「本当に有栖川家の継承者なのか」「末裔なんて嘘だろう」とその胡散臭さを嗅ぎ取り、“皇室詐欺事件”ではないかと裏付け取材が行われていた。

 実は筆者も、この招待状を受け取った1人だ。

 結婚式が行われる前年の02年末、著名人が集まるあるチャリティー・ショーが行われたが、筆者もそこに取材のため出席し、“知人の知人の知人”のような形で坂上と名刺交換をしている。当時の彼女は確かに活発で、物怖じせず、バリバリ働いている女性という印象だったが、一方で少々押しが強く、初対面なのに距離感が近いという感想を持った。ほんの短い時間だが、当時は“彼氏募集中”といっていた気がする。それだけの関係だったが、なぜか翌年2月に“有栖川宮記念”と記された立派な結婚式招待状が送られてきたのだ。

 名刺交換した人間なら誰彼構わず招待状を送っているとのうわさは聞いていたが、筆者も当時仰天したことを覚えている(残念ながらお金がもったいないので出席はしなかったが)。

 しかも、関係者をさせたのは、それからしばらくして送られてきたもう一通の招待状だった。前回の式はキャンセルとなり、別の日、別の場所、つまりカナダ大使館地下に変更になったという案内。華族という由緒正しき結婚式にあるまじき事態だとこれまた話題になった。

 ますます怪しさを増していく有栖川結婚式。そのため2人にアプローチするマスコミもあったほどだ。そして4月6日、晩餐会が開かれて以降、この“騒動”はさらにヒートアップしていく。

◎芸能人の参列と、金が飛び交う結婚式
 その最大の理由は、“華族の末裔”を名乗る2人のキャラにあったのだが、それは後述するとして、もう1つの理由が、このパーティーに何人もの著名人が出席していたことだ。その筆頭株が俳優の石田純一だった。石田は友人として出席者たち一人ひとりに挨拶するというサービスぶりで、「こんな名誉な席にお招きいただいてありがとうございます」とスピーチに立ち語っている(とはいえ、後に石田も2人は大した交友がないことを明らかにしているのだが)。

 ほかにもエスパー伊東、デーブ・スペクター、数々の選挙に出馬したことで知られる羽柴秀吉(故人)、日本青年社幹部などが出席したとされる。

 結婚式もいかにもマスコミが飛びつくようなネタが満載のものだった。雅楽が流れる中、新郎が衣冠束帯ならば、新婦の衣装は十二単。さらにお色直しは新郎が勲章付きの陸軍大将の軍服で、新婦はピンク色のド派手なドレス。また2人の傍には神官と袈裟を着た僧侶もいたという。

 また結婚式は随所に“カネ”が介在した。受付で2人の写真が3,500円と5,000円で売られ、“謁見の間”での2人との記念撮影代金は1万円。さらに二次会の会費は1万5,000円なり。

 金が飛び交う怪しい“元華族”の結婚式、仰々しい“華族”を全面に押し出した演出、そして著名人の出席――。もちろんマスコミはこのネタに食らいつく。もしニセモノなら、これほど面白いネタはない。多くのマスコミが2人に群がったが、2人は逃げるどころか、嬉々として取材にも応じた。

◎宮内庁は「有栖川宮家は大正時代に断絶した」
 特に“ミニスカート”がトレードマークの坂上のマスコミ好き、出たがりもそれに拍車をかけていく。だが、その過程で浮かび上がってきたのは、一連の出来事は有栖川宮家であるはずの識仁ではなく、妻となる坂上が主導していたということだ。

 多くの取材に対し、口を開くのは決まって坂上で、いかに“殿下”が正当な後継者か、自身たちが愛し合っているかなどをまくしたてる。一方の“殿下”こと識仁はその傍らでほとんどしゃべることはなく、モゴモゴ、モゾモゾと不可思議な態度に終始した。

 当時のワイドショーもこのネタを盛んに報じた。そして坂上もまたテレビに登場し、「殿下は有栖川家の祭祀のお手伝いをしている」「披露宴を一度中止したのは、昨年11月に高円宮殿下がお亡くなりになったから」などと、強く主張している。それはまるで注目されている自分に酔っているかのようにも見えた。

 同時に彼らの疑惑は結婚式に関しても噴出していく。引き出物の業者に金を払っていない。記念撮影で1万円支払ったのに写真が送られてこない。出席者には燕尾服やイブニングドレスというドレスコードを義務付けたが、会場は立食形式でぼったくり。

 何よりとどめは、2人の結婚式に関し、宮内庁はまったく関知せず「有栖川宮家はお世継ぎがなく大正時代に断絶した」としたことだった。

 世間の空気はすっかり“ニセ殿下決定”というものだったが、しかし2人はそれでも自らの主張を変えることはない。しかも結婚式後でも2人は入籍をしようとしなかった。

 メディアの熱狂とともに次々と暴かれたのは2人の“本当”の経歴だった。

(後編につづく)

17歳年下恋人と交際の果て――46歳の旧華族令嬢が殺めた、「日商岩井社員射殺事件」

<p><strong>世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。</strong></p>

腐乱死体と生活、殺害を“美しい物語”にすり替える「ラストダンス殺人事件」の女殺人犯

<p>(事件の概要、プロフィールはこちら)</p> <p>◎2人の分かれ目となった就職<br />  源一郎は卒業後、一度は就職したもののほどなく辞めてしまい、鎌倉で祖母が経営していた小料理屋の手伝いをしていた。しかし、実質的には何の働きもしていない状態だった。そのためか源一郎はクリエイティブな仕事や事業を興すと吹聴し、カメラマンやジャーナリストを目指したが、どれもものにはならなかった。しかし源一郎は母親から月18万円もの小遣いをもらい生活に不自由することはなかったという。</p>

恋人の遺体と45日間生活、交際5年の果てに女が犯した「ラストダンス殺人事件」

<p><strong>世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。</strong><br /> </p>

「上野小2殺害事件」――37年前から続く「母親の責任」「心の闇」という断罪

<p> 母親はそれまでに経済的に自立し、池之端の家賃10万円ほどの高級マンションで娘との生活をスタートさせている。近くでマッサージの治療院を開業していたが、女手一つの生活に帰宅が深夜になることも多かった。そのためA子は、朝食は母親と共にするものの、夕食代千円を渡されほとんど毎日を1人で外食していたという。そんな負い目もあったのか、母親は教育熱心で、休日にはA子を連れて食事に行き、欲しい物は何でも買い与えていた。</p>

「佐世保小6女児同級生殺害事件」で隠された、加害者少女の“もう1つ”の特性とは

<p> 事件後、加害者のA子に関わる大人たちは困惑した。事件以前のA子は「普通のおとなしい子」といった印象を持たれていたが、事件後は「素直だが、表情がない。動揺もしていない」とされる人物像。事件と少女が結びつかない。交換日記とホームページのトラブルだけが動機と言っていいのか。</p>