安倍政権肝いりの家庭教育支援法とは何か?――保守派が描く「あるべき家庭像」のために親を矯正する法案の危険性

 前編では、保守派が教育問題に介入する理由や、戦後の教育行政の変遷、その結実としての教育基本法の「改悪」について、実践女子大学の広井多鶴子教授に解説してもらった。後編では、教育基本法「改悪」を受けて、自民党や保守団体が国会への上程をもくろんでいる、家庭教育支援法について話を聞いた。

(前編:“教育の憲法”教育基本法を改悪した安倍政権の狙いは?――「自己責任論」の徹底で縮小された教育行政の責任)

立法の正当性がない家庭教育支援法

――教育基本法の家庭教育の条項と連動する形で、自民党が上程しようとしているのが、家庭教育支援法です。家庭教育支援法については、どのようにお考えですか?

広井多鶴子教授(以下、広井) 家庭教育支援法は国家権力の家庭への介入という点で批判されてきました。確かにその通りなのですが、国家介入自体がいけないということにはなりません。たとえば児童虐待に対して介入すべきではないと考える人はほとんどいないでしょう。フェミニズムも、DVやセクハラや性犯罪に関して国家が正当に介入することを求めてきました。ですから、問題は介入そのものではなくて、何のために、どのように介入するのか、つまり国家介入の正当性があるかどうかという問題だと思います。とはいえ、そうした観点から見ても、家庭教育支援法には多くの問題があり、法を制定する正当性自体がないと思います。

――「正当性がない」とおっしゃる具体的な理由を教えてください。

広井 まず、今日の社会において、家庭教育支援法を制定する必要性や理由があるのか、ということです。自民党の法案では、家族の構成員の減少、家族が共に過ごす時間の減少、家庭と地域社会との関係の希薄化等による「家庭をめぐる環境の変化」から家庭教育への支援が必要になったと書かれています(第1条目的)。ですが、どれも法律を作成する根拠、つまり、立法事実としてはあまりに疑わしいものです。

 たとえば、世帯人数の減少というのは、三世代家族の減少や核家族化を想定しているのでしょうが、現在は近居が増えており、しかも、今日ほど祖父母が健在で、「孫育て」に関わっている時代はありません。

 それに、かつては三世代同居が多かったから子どもがよく育ったというのは、幻想にすぎません。今より三世代家族が多かった高度経済成長期は、少年による殺人、強盗などの凶悪事件の検挙人員がとても多い時代でした。それが、近年は戦後最低水準です。今の70代以上の世代が未成年だった頃のほうが、今よりはるかに凶悪犯罪が多かったのです。親が悪いから犯罪が起きるという考えからすれば、今日の親は歴史上最も子どもを凶悪な犯罪に走らせない親であり、子どもの規範意識を最もよく育てている親だといえるでしょう。

 つまり、同法案が挙げている根拠(立法事実)はどれも根拠とはなりえず、法を制定する必要性も正当性もありません。にもかかわらず同法を制定するとすれば、いたずらに家族に対する介入を強め、教育基本法が禁止する「不当な支配」を招くことになりかねません。

――たしかに教育基本法との矛盾が感じられます。

広井 それに、そもそも家庭教育支援法を制定する目的がよくわかりません。自民党の法案の第2条1項では、教育基本法と同様に、「家庭教育は、(略)父母その他の保護者が子に生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めることにより、行われるものとする」と規定しています。家庭教育支援法は、教育基本法第10条が掲げる家庭教育の理念を実現するための法として位置づけられているわけです。そうである以上、家庭教育支援法の目的もまた、親が子どもに生活習慣を身に付けさせ、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図ることを支援するということになるはずです。

 しかし、同法案の家庭教育支援はずいぶん違います。第2条2項は、「家庭教育支援は、家族が共同生活を営む場である家庭において、父母その他の保護者が子に社会との関わりを自覚させ、子の人格形成の基礎を培い、環境の整備を図ることを旨として行われなければならない」となっています。これでは第1項とのつながりがよくわかりません。それでも関連しているのだというのであれば、家庭教育支援は教育基本法の規定と直接関わらないことまで行ってもいいということになり、教育基本法を逸脱してしまいます。

 また、同条3項は、「家庭教育支援は、家庭教育を通じて、父母その他の保護者が子育ての意義についての理解を深め、かつ、子育てに伴う喜びを実感できるように配慮して行われなければならない」と書かれています。2項もそうですが、この3項も奇妙な条文です。家庭教育支援のあり方を定めるわけですから、通常であれば、「家庭教育支援は親の意思や自主性を尊重して行われなくてはならない」というような規定になるはずです。ところが、これではまるで親は家庭教育支援を受けることによって、自ら家庭教育を行いつつ「子育ての意義についての理解を深め」て、「子育てに伴う喜びを実感」しなくてはならないかのようです。「配慮規定」のような形をとりながら、親や家庭教育を拘束しているわけです。

 このように、自民党の家庭教育支援法案は、教育基本法の範囲を超えて、無限定に家庭教育のあり方や支援の方法を定め、それによって、国や自治体が恣意的に家庭教育に介入することを可能にするものです。こうした恣意性ゆえに、同法案は何を目指して何をし、どんな成果や効果を上げようとしているのかわからない法案だといえるでしょう。

――とはいえ、すでに8県6市で家庭教育支援条例が制定されています。

広井 そうですね。どの自治体の条例も、ほとんど同様です。まず、現在の家庭の問題を列挙し、親の「第一義的責任」と親の任務、家庭教育のあり方を定め、家庭教育を支援するための自治体、学校、地域、事業者の役割などを規定しています。親の役割や家庭教育に関する条文は基本的に教育基本法第10条に基づいているのですが、教育基本法の規定以上に親の役割を拡大させている条例が少なくありません。

 たとえば、2012年に全国に先駆けて制定された熊本県の条例第6条は、「保護者の役割」について、「子どもに愛情をもって接し、子どもの健全な成長のために必要な生活習慣の確立並びに子どもの自立心の育成及び心身の調和のとれた発達を図るよう努めるとともに、自らも成長していくよう努めるものとする」と定めています。「愛情をもって」子どもに接するとともに、自ら「成長していく」ことを親の任務として定めているのです。そのため、親は県が提供する「親としての学び」を支援する講座に参加しなくてはならず、しかも、それによって自ら「成長」しなくてはならないかのようです。

 他の条例もこの熊本県の条例によく似ているのですが、岐阜県と鹿児島県南九州市の条例は、さらに詳しく家庭教育の内容や保護者の役割を定めています。「祖父母の役割」や、子どもに対して「親になるための学び」を規定している条例も少なくありません。18年制定の埼玉県志木市の条例は、「子どもは、その発達段階に応じて、責任感を持ち、自らの生活を律するよう努めるものとする」という条文まで設けています。これは家庭教育支援の主旨から大幅に外れています。

――まるで「あるべき理想的な家庭像」を押し付けるかのような内容に驚きます。

広井 そうですね。家庭教育支援法と条例は、かつて法や政策が踏み込むことを抑制してきた家庭教育に対して、国と自治体が直接的に介入できるようにするものであり、90年代末から進められてきた政策転換の集大成ともいうべきものだと思います。つまり、子どもの教育の「第一義的責任」を親に課し、親が果たすべき任務と役割、家庭教育のあり方を定めた上で、そうした責任と任務を担うにふさわしい親へと「成長」するよう、「社会総がかり」で親を「支援」する政策だということです。

 そのため、家庭教育支援は「支援」や「学び」といいながら、親の自主的な学びではなく、親への啓蒙、啓発、矯正のための「親教育」となります。家庭教育支援がそうした発想から逃れ得ないのは、そもそも「今の親はダメだ」という認識が出発点あり、「ダメな親」を教育によって変え、問題を解決しようとする政策だからです。そうである以上、家庭教育支援は、それぞれの家庭の要望や必要に応えて家庭を支援するものではなく、家庭教育の自由や自主性、家庭の多様性を侵害して、すべての家庭をあるべき方向に誘導しようとするものにならざるを得ません。

 しかも、家庭教育支援法案や条例を見ると、法や条例によって国や自治体が求めるあるべき家庭教育のあり方や支援の方法を無限定に定め得るかのようです。法を制定する根拠も目的も定かでなく、したがって、その効果もまったくわかりません。だからこそ、家庭教育支援は近年の法や政策の中でもひときわ政治的でイデオロギッシュに見えるのだと思います。

――子育て世代は日々の暮らしに精いっぱいで、こういった教育基本法の改悪や家庭教育支援法の危険性に気づかない人がほとんどです。同時に、「やはり今の親は問題だ」と思っている人は少なくないと感じます。

広井 親一般に関して、悪いイメージが作られているからですね。実際に自分の身の周りにいる人たちを想起すれば、そうは思わないはずなのですが。現実と一般論とが乖離しているように思います。

 その根拠となっているのが、90年代末の少年犯罪に代わり、今は児童虐待です。ほとんどの人が、児童虐待が急増していると考えているでしょう。児童相談所の虐待に関する相談対応件数の増加から、毎年、マスコミは児童虐待が急増しているかのように報道してきましたから。ですが、児童相談所の相談対応件数はいわば児童相談所の業務報告であって、虐待の発生件数ではありません。

――相談件数は年々増大していますが、虐待による死亡児童数は減少していますね。

広井 はい。警察庁の統計では、2000年代の初めは年間約100人の子どもが虐待によって死亡していたのですが(無理心中が約4割を占める)、09年ごろから減少し、18年は36件です。うち、無理心中が8件、出産当日の殺害が6件、それ以外の虐待死が22件となっています(※1)。

 虐待死に関する長期的なデータはないのですが、警察庁の嬰児(1歳未満)殺のデータを見ると、70年代までは年間200人以上の0歳児が殺害されていました。それが80年代以降急減し、18年は10人です。厚生労働省の「人口動態統計」の「他殺」に関するデータでも、子どもの殺人被害は同様に減少しています。つまり今日の親は、歴史上、最も子どもを殺さない親なのです。そうである以上、児童虐待が増加・深刻化しているとは、とても考えられません。

 児童虐待が社会問題になるのは90年代ですが、90年代は嬰児殺しや子どもの他殺が大幅に減少した時代です。ということは、児童虐待問題が登場したのは、虐待が増加したからではなくて、逆に虐待が減少したからだということになります。親が子どもを大事に育てることが当たり前の時代になったからこそ、子どもを害する親の行為が許しがたい児童虐待と見なされるようになったのです。

――では、現在の虐待対策についてどう考えますか?

広井 児童虐待に社会の関心が集まり、対策がとられるようになったことは、子どもの権利を保障する社会になったということです。ですが、現在の虐待対策は、別の問題を生み出しているように思います。今日の虐待対策では、あれもこれも虐待と見なし、範囲を拡大することが虐待を予防すると考えています。また、「どんな家庭でも虐待が起こり得る」として、乳幼児のいる家庭を全戸訪問(※2)し、すべての親をチェックしようとしています。

 そのため、社会が子どもを育てている親を監視し、不寛容になり、子育てをしている親を萎縮させているように思います。今の若い親は子どもを泣かせるだけで虐待と思われるのではないかと、かなりプレッシャーを感じているのではないでしょうか。親の負担は相当重くなっていると思います。

――世間が「今の親はダメ」という色眼鏡で見ていることも、親にとってはプレッシャーです。

広井 「昔の親は、ちゃんとしつけていた」「昔は良かった」といった言説をよく耳にしますが、いつの時代も「今の親はダメだ」と批判されてきました。50年代から60年代にはしばしば「年寄りっ子は三文安い」(甘ったれでわがままに育つ)と言われ、直系家族は人間関係が複雑なため、子どもの人間形成にとってよくないと考えられていました。ところが、70年代になると、核家族では「多角的な人間関係の中で育つ機会に乏しい」などと言われるようになりました。親や保護者は、常に政治家や学者から問題にされてきたのです。

――真面目に子育てをしようとしている親ほどそういった根拠なき批判を気にしてしまうような土壌が、現代の日本にはあります。

広井 これ以上、親にプレッシャーをかけない社会にするためには、今の親はとてもよく子育てをしているということを伝えていく必要があると考えています。社会が若い親たちをそのように見れば、親が「ダメ」だから支援するのではなくて、よくがんばっているから、あるいは、子育ては社会にとって大切なことだから、親を支援する社会になるのではないでしょうか。

 そうすれば、家庭教育支援法のような法が制定されることもないと思います。家庭教育支援法は、「今の親はダメだ」と見なし、「ダメ」な親の意識や態度を教育によって変えようとする法なのですから。

※1 児童虐待に関するデータは、「児童虐待は本当に『増加』『深刻化』しているのか」現代ビジネス(講談社)を参照

※2 厚労省による乳児家庭全戸訪問。対象乳児が生後4カ月に達するまでに、自治体が各家庭に保健師らを派遣。厚労省は「子育ての孤立化を防ぐために、その居宅において様々な不安や悩みを聞き、子育て支援に関する必要な情報提供を行う」としているが、訪問者が乳児の身長や体重を測りながら、あざなどの虐待痕の有無をチェックする、虐待対策という面も持ち合わせている

 

“教育の憲法”教育基本法を改悪した安倍政権の狙いは?――「自己責任論」の徹底で縮小された教育行政の責任

 特集の第1回ではフェミニズムへのバックラッシュ、第2回では24条改憲による女性の権利後退を取り上げたが、第3回では教育行政の歩みと国による家庭教育への介入に迫ってみたい。

【第1回】女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む
【第2回】家庭内に押し込まれる子育て・介護、DV、虐待問題――安倍政権と保守派の「24条改憲」の狙いは何か?

 安倍政権は2006年、“教育の憲法”とも称される教育基本法を「改正」した。教育基本法は、国が国民の教育に責任を負うこと、権力が教育をゆがめないことを掲げるなど、国家への責務を規定するものだった。しかし、「改正」後は、国民への直接的な責任を放棄し、日本の伝統や愛国心を育むことを教育の目標とし、なにより家庭での教育に関する条項を新設するなど、教育の責任が国民に向けられるようになった。

 この「改正」を受け、自民党が国会へ上程しようとしているのが「家庭教育支援法」である。この法案(仮称、2016年10月20日時点素案)では、子どもの教育の第一義的責任を保護者(家庭)に求め、「地域住民」までが家庭教育への協力を求められている。自己責任論があらゆるところに根を張っている現代においては「子の教育の第一義的責任は保護者に」という文言に疑問を持つ人は少なく、問題が認識されにくい。一方、家庭教育支援法案や文部科学省が行っている家庭教育支援の施策のベースになっているのは、安倍政権に近い一般財団法人「親学推進協会」の「親学」なる教えで、科学的実証の乏しい脳科学や、史実的にも疑問の残る「江戸しぐさ」に論拠を求めている点で、多くの批判が寄せられている。

 そこで今回は、実践女子大学の広井多鶴子教授に、これまでの国の教育行政の指針を振り返りながら、教育基本法・家庭教育支援法の問題点を解説してもらった。

――まず2006年の教育基本法「改正」についてうかがいます。当時、教育基本法を変更すべき事案や世論、つまり立法要件はなかったように思います。どのような経緯で「改正」に至ったのでしょうか?

広井多鶴子教授(以下、広井) 確かに教育基本法を改正すべきだといった世論の盛り上がりはほとんどなかったですね。それでも改正に至ったのは、安倍首相をはじめとした保守派の長年の執念によると思いますが、それを可能にした契機となったのが、1997年の神戸連続児童殺傷事件(以下、神戸事件※1)です。

――当時14歳の少年による凶行が、教育行政に衝撃を与えたということでしょうか?

広井 今となっては、その当時もその後も少年犯罪はまったく「凶悪化」しておらず、それどころか、軽微な犯罪ですら急減していることはデータを見ても明らかなのですが、事件当時は国や自治体はもちろん、マスコミも研究者も世論も、少年犯罪の「増加」「凶悪化」「低年齢化」を疑いませんでした。そうした狂騒の中で、国は「今の子どもは規範意識が低下している」「家庭が問題だ」「教育を変えなければならない」と、教育基本法改正に向けて機運を高めたのだと思います。

――神戸事件を契機に、国の政策はどう変わったのでしょうか?

広井 神戸事件以降、問題は家庭教育にあるとして、家族への介入を強める政策へと方向転換しました。それ以前の96年の中央教育審議会答申は、家庭教育が「すべての教育の出発点」であるとしつつも、「行政の役割は、あくまで条件整備を通じて、家庭の教育力の充実を支援していくということ」だと述べています。また、しつけや学校外の巡回補導指導など、本来家庭や地域が行うべきことまで学校が担っているとして、学校の「スリム化」を主張します。この頃まで国は、子どもの教育を家庭の「自己責任」と見なして、学校の役割や公費支出を「スリム化」するとともに、国や自治体が家庭に関与することを抑制してきたのです。

 それが、神戸事件後の98年に出された中教審答申「新しい時代を拓く心を育てるために」では、一転して家庭教育に対する提案を多数書き込みます。学校に関しても、「学校は道徳を教えることをためらわない」という方針が打ち出され(教育改革国民会議「教育を変える17の提案」00年)、学校スリム化論から転換します。

 “家庭が教育の原点であり、親に第一の教育責任がある”という認識は従来と変わらないのですが、かつてはだから「自力でやれ」と言っていたのが、今度はだから「支援する」(介入する)ということになったのです。教育基本法改正後の06年、内閣に「教育再生会議」が設置され、「社会総がかりで教育再生を」というスローガンが掲げられますが、90年代末から「社会総がかり」で親に自らの責任を果たさせる政策へと転換し始めたのだと思います。

――90年代末というと、保守政治家・市民団体によるフェミニズムへのバックラッシュが激しくなった時期です。親学推進協会の会長である高橋史朗氏は、バックラッシュにも加担している保守派言論人ですが、なぜ保守派は教育に関与したがるのでしょう?

広井 「保守」というのは、個人よりも国家を上位に置き、国家に対する道徳的な忠誠や恭順、つまり愛国心によって国民を統合しようとする思想だと思います。そのため、保守思想では道徳教育が国家に対する愛国心を育成する手段として位置づけられ、家族が国民統合と統治のための「基礎単位」と見なされてきました。そうである以上、保守としては道徳教育と家庭教育に関心を払わないわけにはいかないのでしょう。

 保守というと、日本の変わらない伝統を守る思想であるかのように思われていますが、保守思想が重視する「国家」も「教育」も「家族」も近代の産物です。伝統は近代社会の「発明品」だとする議論がありますが、たとえば、保守派が日本の伝統だとする夫婦同姓は、周知のように明治以降西欧から導入された制度です。一夫一婦制もそうです。つまり、保守というのは、明治以降の近代化によって作られた日本という国民国家に対する忠誠を、教育や道徳や家族によって涵養(かんよう)しようとする、信念・思想といえるのではないかと思います。

※1 1997年に、当時14歳の少年が起こした、2件の殺人と1件の傷害事件。残虐な犯行と、センセーショナルな犯行声明文などで世間を震撼させた。2000年の少年法改正の引き金になったともいわれている

――安倍政権による「改悪」と評されることの多い教育基本法ですが、どういった問題点があるのでしょうか?

広井 旧教育基本法は戦前の軍国主義教育への反省から生まれた法律であり、国家権力や政治が教育をゆがめ得ることに対して自覚的な法律でした。安倍首相としては、そのことが不満だったのでしょう。新教育基本法で変わった点はいろいろあるのですが、こうした点に関わっていて私が関心を寄せているのは以下の4点です。

 まず1つ目は、よく言われることですが、教育の目的として、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」や、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(略)態度を養うこと」という条文が新たに挿入されたことです(第2条)。前文にも「公共の精神」と「伝統」が書き込まれています。学校教育の目標がこのように定められた結果、武道の必修化や道徳の教科化が行われました。

 2つ目は、教育行政の目的や任務に関してです。教育行政について定めた旧法第10条は、「教育は不当な支配に服することなく、 国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とし、教育行政の目的は「諸条件の整備確立」と規定していました。それに対し新法第16条では、「国民に対し直接に責任を負って」という文言が削除され、「法律の定めるところにより」に変わりました。抽象的な条文でわかりにくいのですが、ここで想定されているのは、道徳教育を含めた教育内容の問題です。新法では、教育行政が「法律の定め」により、教育内容に直接関われるようにすることを意図しています。

 3つ目は、教育に関する責任についてです。旧法に記載された「責任」は、前述した教育行政の「国民全体」に対する「直接責任」だけです。教育行政は国民全体に対して直接責任を持って行われるべきものだったのです。それが新法では、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」という条文が新たに設けられました(第10条)。また、学校、家庭、地域住民などが、「教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする」という条文も規定されました(第13条)。

 一方、国と地方公共団体に関しては、「義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う」と規定するだけです(第5条3項)。国と地方公共団体がすべきことはそれなりに書かれているのですが、責任については、ほかには明記されていません。教育行政は義務教育の「実施」については責任を負うものの、教育に関して「第一義的」に責任を負うのは親だということにしたのです。

――「第一義的責任」は親としながらも、「第二義的責任」の所在はどこにも明記されていません。

広井 そうですね。親が子どもの教育に責任を持つのは当たり前だと思われるかもしれませんが、親の「第一義的責任」という文言は、00年代に入る前の法律にはありませんでした。それが今や、国、自治体、家庭の関係を再編するための重要なキータームになっています。

 わかりやすいのは児童福祉法です。1947年制定の児童福祉法第2条は、「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」と規定していました。かつてはこのように、国は親とともに子どもを「健やかに育成する責任」を負っていました。しかし、2016年の改正で、この条文の前に、「児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う」という規定が挿入されました。これについて、厚生労働省は責任の所在を明確にしたと説明しています。国や自治体の責任を、親が責任を負えない場合に限定したということです。

 責任の所在という点では、子どもの貧困対策推進法(13年制定)も重要です。同法第3条は、「国は子どもの貧困対策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する」と規定しています。同法の制定によってさまざまな対策が行われるようになったのですが、法律上、国が負う責任は貧困対策の「策定」と「実施」であって、子どもの貧困を減らすことではないのです。ですから、子どもの貧困率が上昇しても、国は責任を問われずにきました。

 「政治は結果責任」のはずなのですが、このように近年の法では国が政策の結果に責任を負わなくてもいいかのような条文になっています。それは、子どもの教育は親に「第一義的責任」があるということを法律上に明記するようになったからだと思います。

――国としての責任を減らすために、「第一義的責任」として親にすべてを押し付けたように見受けられます。続く4つ目は何ですか?

広井 4つ目は、法と道徳の混同という問題です。新設された第6条2項では、学校においては、「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない」と定めています。とても奇妙な条文だと思いませんか? 形式としては学校が行うことを定めているのですが、その実、児童生徒が自ら規律を重んじ、学習に意欲的に取り組まなくてはいけないかのようです。

 また、第10条では、親は子どもに「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」と、家庭教育の目的や方法について定めています。第13条の学校、家庭、地域住民の連携・強力に関する条文もそうですが、新法では、努力義務とはいえ、旧法にはなかったこのような国民の任務が盛り込まれるようになりました。

 このことは教育基本法に限りません。食育基本法(05年制定)など、00年代以降に制定された法律には、国や自治体の責務に加え、親、地域住民、学校、国民など、それぞれの任務や責任が規定されるようになりました。中には子どもの任務すら書かれている法があります。

 その典型がいじめ防止対策推進法です(13年制定)。同法の第4条は、「児童等は、いじめを行ってはならない」と定め、第9条は、「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする」と規定しています。ここでも親の「第一義的責任」が書かれていますが、いじめ問題は第一義的にはいじめた子の親に責任があり、まるで親が規範意識を養わないからいじめが起こるかのようです。

 このように、近年の法には国民それぞれの立場に即した任務がかつてなく多く書き込まれており、その結果、法といえるかどうか疑わしい道徳的な規定が盛り込まれることになりました。法が公権力の行使による強制力を持つものである以上、近年の法は公権力が国民の果たすべき役割を定め、その遂行を強制するようになったのです。このことは法と道徳を区別し、公権力が介入する範囲を制限することによって、国民の自由を保障してきた近代法の原理を形骸化するものだと思います。

(後編に続く)

家庭内に押し込まれる子育て・介護、DV、虐待問題――安倍政権と保守派の「24条改憲」の狙いは何か?

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止・再開騒動や補助金の不交付をめぐる騒動、徴用工訴訟に端を発した日韓対立など、安倍晋三首相や政権中枢、それを支える日本最大の保守団体「日本会議」の歴史修正主義が日本社会を文化的・経済的に混乱させている。安倍首相は、国会議員としてのキャリア初期から「慰安婦」問題を否定し、歴史修正主義の動きに関わり、各方面に圧力をかけてきた。その姿勢から見えてくるのは、強烈なセクシズムの姿だ。

 だが、第二次安倍政権以降、「女性活躍」政策を打ち出しているために、その反動性が見えづらくなっている。しかし、今後国会で争点になるであろう、憲法、教育、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の“改悪”を通して、女性や子ども、マイノリティの権利は脅かされ、「多様性ある社会」も後退の危機に瀕することが予想される。そこで今回の特集では、安倍政権や日本会議の狙いと危険性を、項目ごとに検証する。

【第1回】女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む

 第2回は、安倍政権の悲願ともいわれている憲法改正に注目したい。1月6日、自民党は憲法改正を推進するためのポスターを初めて発表した。そこには「憲法改正の主役は、あなたです。」をキャッチコピーが躍っているが、世論として改憲が盛り上がっていない現状を考えると、主役として事を進めたいのは安倍政権側だと言わざるを得ないだろう。改憲というと、長らくメディアでは自衛隊明記を含めた9条改正などが取り沙汰されてきたが、自民党や日本会議(前身団体も含む)などの保守派が60年以上、虎視眈々と狙ってきたのは、24条である。その具体例として示されたのが、2012年の自民党の日本国憲法改正草案(以下、改正草案)だ。

 「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という一項(家族条項)が新設されている。現行24条が「家庭生活における個人の尊厳と両性の平等」を掲げているのに対し、「家族の助け合い」と“改正”することはすなわち、個人よりも家族を重視するという表れである。改憲保守派の狙いはなにか、またその問題点はどこにあるのか。「24条変えさせないキャンペーン」の呼びかけ人であり、室蘭工業大学大学院准教授(憲法学、家族法専攻)の清末愛砂氏に話を聞いた。

――まず、「改憲」は一般的なものではなく、どういった影響が起きるのかわからない人も多いので、ご説明いただけますでしょうか。

清末愛砂氏(以下、清末) その答えは、改憲の要件と同じ意味ですので、そちらからお話しします。私はよく改憲は最終手段というのですが、国民の人権を保障できないような事態が生じ、今ある法律を改正したり、憲法を積極的に解釈したりしても具体的な施策が難しい状況、なおかつ国民の中から強く要請されるときに、改憲への動きが始まります。「国民の要請が強くある」というのが、非常に重要です。普通の法律は、国会で審議して採択されれば法改正や立法ができますよね。だけど憲法は、両議院で総議員の3分の2以上の賛成を得て、さらに国民投票をしないといけない。このように日本国憲法の場合、改正のハードルは高く、つまり頻繁な改正は当初から予定してないということです。

――憲法が変わることによって、それに沿うように法律も改正されていくということですよね?

清末 憲法に基づいて動く国ですから、当然法律がそれに付随して変わることもあるでしょう。

――裁判所の判断も、当然新しい憲法に基づく判断となりますね?

清末 裁判官がどこまで憲法を意識しているのかわかりませんが、当然憲法に沿った判断じゃないとまずい。だけど実際に日本の裁判所が現実として、今それをしているかと問われると、私は裁判官による政権への忖度も大きいと思っています。ただ、本来そうでなければならないし、実際にそうしている裁判官もいます。

政治利用される、同性婚の法制化

――改憲の影響を確認した上で、女性やマイノリティ、そして多様性ある社会にとっての脅威となる、保守派の24条改憲の動きについておうかがいします。9月の第4次安倍第2次改造内閣発足の際には、安倍首相が改憲への決意を新たにしましたが、24条は18年に自民党憲法改正推進本部がまとめた改憲4項目(自衛隊明記、緊急事態条項、参院選合区解消、教育の充実化)には入ってはいません。それでも憲法学者、ジェンダー学者の多くが危機感を抱いている理由を教えてください。

清末 今は4項目には入っていないのですが、最近富山市で行われた講演会でも、自民党の下村博文氏が「同性婚の法制化のための憲法改正」と24条に関わることを言っていましたし、自民党も「必ずしも4項目にこだわらない」と言い始めています(※1)。そうなると24条が狙われる可能性が非常に高い。とりわけ「同性婚の法制化」の名のもとで、24条1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」を、「両者の~」に変えようと言っているわけですから。今の情勢でなぜ再び24条改正論が出てきたかというと、同性婚法制化のための改憲だったら、野党でも賛同する政党があるから。自民党は7月の参議院選では改憲決議に必要な総議員の3分の2には届かなかったけれど、数席足りないだけです。その数席を改憲側に持ってくればいいわけだから、野党のうち改憲に賛成しそうな党が求めているところで妥協することがひとつの戦略として考えられるということでしょう。だけど、そもそも「国民が改憲を強く求めているか」というと、声すら出ていないと思うんですよ。例えば、「緊急事態条項」と聞いてその内容がわかる人はそれほど多くないですよね?

――「聞いたことがある」という程度の人が多いような気がします。

清末 言葉すら知らない人も多いと感じますし、知らない以上は、声が出るはずはないんですよ。いわゆる立法事実といわれるものがない。それ自体に問題があるんですが、同性婚の法制化と言えば納得する人も出てくるでしょう。ただ24条を改正したからといって、自民党が同性婚の法制化を認めるとは思えない。憲法を変えても、それだけで同性婚が法制化されたということにはならず、実務を動かすためには関連する法律の改正が必要になります。しかし、自民党は党内でも同性婚反対の声がそれなりに強いので、そこはやらないと思う。今は、改憲を進めるために、その正当化の理由として同性婚の法制化を利用してるだけで、実際には法制化を進める気はないだろうとは、弁護士や憲法研究者と話していますね。ちなみに、同性婚法制化のために24条を変える必要はありません。

――そうなんですか?

清末 「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」は、「合意のみ」が重要なのです。そもそも制定の趣旨として(結婚に戸主の許可が必要だった戦前の家制度を否定し)、単に異性婚の成立要件を「合意のみ」と書いているにすぎない。当時は同性婚の議論がなかったから、当然禁止する意図はないのです。24条2項に、家族に関連する立法については、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基づくと書かれています。同性婚が認められていないこと自体、それを望む人々の「尊厳」を奪っています。「個人の尊厳」に着目したら、24条2項のもとで同性婚の立法化が可能です。なので、24条の改正は、同性婚の法制化には関係ありません。

※1 9月21日に富山市で行った講演で、改憲項目について、24条の「両性の合意」を「両者の合意」に書き換える案などを示した。その後、党内からの反発を受け、「野党が望むテーマがあれば議論を検討する」と発言を後退させている

――ではなぜ保守派は、事あるごとに24条を狙っているのでしょうか?

清末 改憲の動きは、1951年のサンフランシスコ講話条約以降に、保守派が始めます。改憲といえば9条(戦争の放棄)に注目が集まりますが、保守改憲派にとって9条以上に嫌なのは、象徴天皇制と、家制度を解体・否定した24条です。「両性の本質的平等」や「個人の尊厳」を、家族の調和を乱す元凶と見なしているのです。「個人の尊厳と言うから利己主義になる」というのが彼らの主張です。

 そこに「家族は、互いに助け合わなければならない」という文言が入る具体案が12年の改正草案ですけど、05年の自民党の改憲の論点整理でも24条を「家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべき」と言っていました。そこから、24条見直し論が12年に実際の条文案として出てきたという流れですね。その中に、「家族の助け合い」というおかしなものが入ってくる。

――自民党の改正草案をベースに、24条改憲の問題点を教えてください。

清末 そもそも「家族の助け合い」というのはモラルでしょう? 憲法は権利を保障するものですから、モラルや道徳が入ってはダメ。立憲主義的に考えても、あり得ないんです。それに「家族の助け合い」とは、要は子育てや介護の負担を全面的に家族に負わせる根拠になるものです。少子高齢化で家族にどんどん介護が押し付けられ、払った税金が社会保障として戻ってこなくなるわけです。また、憲法に自衛隊が明記され、実際に安保法制のもとで戦場に送られるときに、「家族の助け合い」なんか求められたら……戦場に行く兵士を支えろということですよ。まさに大日本帝国の様相です。

――女性学ではよく「家制度が戦前の天皇主権国家を支えた」と指摘されますが、一般の人にはわかりにくい概念なのでご説明いただけますか?

清末 大日本帝国は家族のような国家で、元首である天皇が国家の父であり唯一の主権者、臣民と呼ばれる国民がその子どもという概念です。家の中には男性優位の家制度として同じような縦社会があり、戸主は家の構成員に対して扶養義務がある一方、その構成員に対する婚姻等の同意権等を含めた権限を持っていた。つまり戸主が家を統制する仕組みを導入することで、帝国の土台がつくられたのです。家制度の廃止=家の中のヒエラルキーをなくすという意味ですから、天皇主権国家のヒエラルキーを崩したことと非常によく似ています。それを可能にしたのが、家制度の解体(24条)と、教育制度の自由主義化をもたらした旧教育基本法です。愛国教育は家制度以上に臣民を作ることに大きな役割を果たしました。だから、第一次安倍内閣は、06年に教育基本法を“改悪”して、愛国心を育むことを教育の目標のひとつに入れたわけです。「教育」に手を打ったから、あとは24条改憲で、家制度に通じるような家族に関する“モラル”を浸透させたいのです。その発想のもとで、夫婦別姓については「家族を崩壊させるもの」として一貫して反対しています。

――「家族は大切で、助け合うべき」との言説は一般的に反論しづらい面がありますが、危険な条文ですよね。

清末 同性婚法制化のために、「両性」を「両者」にするだけならすぐには何も変わらないかもしれませんが、24条1項を一度でも触って改憲の“走り”をつけたら、次から次へ変わる可能性がある。その時に2012年の改正草案に近づいていくのでしょう。家族条項の影響は大きいですから、安倍政権のもとでの改憲は危険なのです。

――改正草案でいう2項では「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」の「のみ」が消え、3項では、現行憲法の「配偶者の選択」「住居の選定」が消え、「扶養」「後見」「親族」が加わっています。具体例としては、結婚/離婚について個人の自由が制限され、他者の介入を許す可能性が高いということですよね?

清末 明らかにそうです。さらに「住居の選定」が消えていることから、DV被害者が離婚しにくくなったり、逃げにくくなったりすることも考えられます。

――「扶養」という面から考えると、例えば、性的虐待を受けて育った女性の将来父親が、経済的に破綻した場合、女性側に「家族の助け合い」による扶養義務が生じることも考えられますか?

清末 そうですね。ちなみにシンガポールには両親扶養法という法律があります。老親が子からの扶養を求めて、両親扶養裁判所に申し立てができる。ただし条件があります。親がきちんと子どもを養育し、虐待していないなどです。子を虐待した親については、申し立てが却下されたり、扶養料が減額されたりするのです。親としての責任を果たしていない以上、その子が扶養する必要はないということなのです。だから、改正草案のように、家族に関する問題への指針を一律にされると、問題が多いと思います。

――保守派による家庭教育支援法制定(※2)への動きも活発です。国や自治体も、「早寝早起き朝ごはん国民運動」などの施策を行っています。そういった家庭像の押し付けは、現行24条の「個人の尊厳」に抵触する可能性が非常に高いと思いますが……。

清末 そうですね、あれは愛国心の醸成だと思います。「家庭教育」という言葉自体、学校だけでは愛国教育はできないから、家庭で学校の延長線上として教育するという発想で、大日本帝国時代に作られた造語なんですよね。その言葉を使って、いま文科省は施策を行っている。家庭教育支援と聞くと、貧困家庭や大変な問題を抱えている家庭の支援になる、児童虐待の早期発見ができると思う人もいるわけですけど、それは家庭教育支援法を作らなくても、現行の法律を使えばいいのです。むしろ家庭教育と称して、公権力にとって都合がいい一定の家族像を押し付けるために家庭に介入することが可能になる。それは非常に危険です。戦前の皇民化教育につながってきます。

 そうした介入は、思想・良心の自由を脅かす可能性があります。どういう形態の家族を持ちたいか、両親が別居・離婚した後の子の意思についても、母親と一緒にいたいとか、父親といたいとか。あるいは家族そのものを持ちたくないとか。人によっていろいろな考え方がありますよ。そういうのは個人の価値観。なので、一定の家族像を国が示すのは、多様性の後退ともいえるのではないでしょうか。

※2 子に「生活のための必要な習慣」「自立心の育成」「心身の調和」を身につけさせることを国民への責務とし、そのために行政が親への教育を支援することなどを目的としている。問題を抱える家庭を支援する面もあるが、家庭や内面への介入が問題視されている。家庭教育支援法については次回取り上げる

新宿駅「首つり自殺写真」をSNS投稿――弁護士が「プライバシーの侵害では?」の疑問に回答

 1月6日の正午過ぎ、JR新宿駅南口の歩道橋にて、男性がマフラーで首をつって自殺を図り、心肺停止状態となって、搬送先の病院で死亡が確認されるという事件が起こった。新宿駅という土地柄、多くの人が現場付近に居合わせたとみられ、SNS上では目撃情報が相次いだほか、中には、首をつっている人物の写真まで散見されたのだ。

 これに対し、ネット上では「撮影するだけでもあり得ないのに、それをSNSにアップするって信じられない」「モラルはないのか」「人間のやることではない」などと怒りの声が噴出、また、「見たくないのに、Twitterに写真が流れてきて見てしまった」と動揺する声もあった。さらに、昨年10月、JR新宿駅のホームで人身事故が発生した際、救出活動を行っている様子をスマートフォンで撮影する人たちが現われ、「お客さまのモラルに問います。スマホでの撮影はご遠慮ください」という異例の放送が流れたことを振り返りつつ、「最近こういう野次馬が多い」と嘆くコメントも見受けられた。

 そんな中、ネットユーザーの間からは、「プライバシー侵害ではないのか?」といった疑問も飛び出しているが、果たして実際のところはどうなのだろうか。今回、山岸純法律事務所の山岸純弁護士に解説してもらった。

「死者」にプライバシーはあるのか

 プライバシーの侵害とは、通常であれば他人に知られたくないような個人の情報をコントロールする権利を侵害することを指すという。刑法上の犯罪行為にはならないが、民事上の損害賠償の対象となるそうで、今回のケースに関しては、「プライバシー侵害にはあたらないでしょう」と山岸氏は言う。

「なぜなら『死者』にはプライバシーがないからです。しかし、写真にあえて『ウソの情報』……例えばウソの自殺原因などを付け加え、SNSで拡散した場合は、『死者に対する名誉毀損罪(刑法230条2項。3年以下の懲役など)』が成立する可能性があります」

 ただし、この「死者に対する名誉毀損罪」は、遺族による「親告(犯人を罰してくださいという意思)」があって、初めて罰せられるものだという。

「写真だけではなく『ウソの情報』が拡散された場合、刑事罰のほか、『遺族の名誉感情』が害されたものとして、民事上の損害賠償責任を負う場合もあります。この場合の慰謝料は、その『ウソ』がどの程度のものかによるでしょう」

 近年、スマホの普及とSNSの発達により、誰でも気軽に写真が撮れ、それを簡単に全世界に公開することができるようになった。今回の一件においても、その点を指摘しつつモラル低下を嘆く声が聞かれたが、山岸氏はこうした時代背景を踏まえ、写真撮影やSNS投稿全般について、次のように警鐘を鳴らす。

「写真撮影は『個人的な記録のため、また自分が楽しむため』に行う場合、一方で『誰かに見せるため』に行う場合がありますが、注意が必要なのは後者のケースです。写真を見せたい相手を特定しない……要するに、公開範囲を制限せずにSNSに投稿すると、『見たくない人』『不快に思う人』も出てくるものだと意識することが必要。『伝えたい人』『見せたい人』だけに見せればよいといった考え方も大事なのではないでしょうか。『これは、世間のみんなに知らせなければならない』という写真もあるでしょうが、そういった義侠心による行動こそが、実は的外れでデタラメというケースも少なからずあるものです」

 「人の痛ましい姿」が、無遠慮に撮影され、SNSで拡散される――このような異常事態がこれ以上進行しないことを祈るばかりだ。

眞子さまと小室圭さん、2月に「結婚スケジュール」「再延期」発表か? 2年間の騒動を振り返る

 2018年2月、宮内庁から「2020年までの結婚延期」が発表された秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さん。背景には、小室さんの母親・佳代さんが抱える借金トラブルがあるとされ、2年間のうちにその決着をつけ、晴れてゴールインするものとみられていたが、ついにその20年になった現在もなお、事態はまるで進展していないようだ。20年2月には、眞子さまから、結婚問題に関する何らかの発表があると伝えられる中、今回、皇室ウォッチャーX氏に、あらためてこの結婚騒動を振り返ってもらうとともに、今後の展開を予想してもらった。

――18年2月に発表された結婚延期から、もう間もなく2年がたとうとしています。当時、何の進展もなく20年を迎えることを想定していましたか?

皇室ウォッチャーX氏(以下、X) 延期した大きな原因は、小室家の借金問題であることは明らかであり、それを解決するための2年間だったのではないでしょうか。20年までの2年間で、解決しないまでも、“解決までの道筋”はつくるかと思っていたので正直、何の進展もない現状には驚きを隠せません。一応、19年1月に小室さんから、借金問題に関する見解文書が公表されましたが、進展と言えるものではありませんでした。

――ここまで結婚問題がこじれた原因は何でしょうか。

 小室家のトラブル対応が「遅すぎる」ということに尽きるでしょう。借金トラブルがスクープされて、2年の延期期間を設けるところまではよかったと思います。しかしその後、小室家はいつまでたっても、「お金を貸した」と主張する元婚約者男性にコンタクトを取らなかった。そのため、秋篠宮さまが、18年11月のお誕生日会見で「それ相応の対応をするべき」とおっしゃられたのでしょう。小室家が行動しないうちに、国民の不信感が募り、ついには秋篠宮家へのバッシングまで巻き起こってしまいました。

――19年11月、秋篠宮さまがお誕生日会見で「長女との話し合いでしたっけ、それについては、結婚のことについては話をする機会はありません。最近ですと、この即位礼の一連の行事についての事柄については話をいたしました。また、小室家とは連絡は、私は取っておりません」とご発言しました。これをどうご覧になりましたか。

 一般家庭でもそうだと思いますが、「父親と娘」というのは、こうした結婚問題については話しにくいものなのだなと感じました。秋篠宮さまと眞子さまは、本当に仲の良い父娘だったのですが、結婚問題が原因でコミュニケーションが減っているのは確かでしょうし、少し気まずい雰囲気が漂っているのではないかと思われます。

また、18年11月のお誕生日会見の際は、たまに小室さんから連絡があるとおっしゃっていたのですが、現在は一切連絡を取っていらっしゃらないご様子。加えて、小室家との連絡を“私は”取っていないと強調されたのも印象的でした。これはつまり「娘は小室さんと連絡を取っているけれど、自分は取っていない」ということではないでしょうか。秋篠宮さまは、「小室さんが今何を考えているのかわからない」ということを示唆されたか、もしくは「娘に全て任せている」というスタンスを示されたのか……。

――秋篠宮さまは、20年2月で2年がたつことを踏まえ、「何らかのことを発表する必要があるというふうに私は思っております」ともおっしゃられていました。

 これは明らかに、眞子さまと小室さんの2人に「来年2月に何らかの発表をしてほしい」というメッセージだと思います。おそらく、延期が発表されたときのように、2人のお気持ちを記した文書が公表されるのではないでしょうか。そういった意味では、秋篠宮さまは2人に任せるスタンスだと言えるでしょう。秋篠宮ご夫妻としては、小室さんへの不信感があるのかもしれないのですが、現在でも眞子さまのご意思を尊重したいという親としての気持ちがあるのだと思います。眞子さまと小室さんは、現在も変わらずに結婚の意思が固いと言われているので、2月に発表されるのは「結婚スケジュール」、もしくは「再延期」のどちらかだと個人的には予想しています。

――この2年間、眞子さまと秋篠宮家、また小室さんに対して、「もっとこうすべきだったのではないか」と思う点はありますか。

 小室家が抱える借金問題に、皇族である眞子さまや秋篠宮家は関わりづらいので、解決のためにできることは少なかったと思います。ただ、実際のところはわかりようがありませんが、眞子さまは唯一小室さんと密にコミュニケーションが取れる方なので、秋篠宮ご夫妻の意見を伝えたり、迅速に借金トラブルを解決できるよう促してあげることはできたのではないでしょうか。小室さんに関しては、たとえアメリカ留学中であっても、母親の佳代さんに、早急に元婚約者と話し合いをするよう伝えるべきでしたし、19年1月の「小室文書」も、もっと早い時期に出すべきだったと思います。

――今後、眞子さまと小室さんのご結婚問題に望むことを教えてください。

 眞子さまのご意思が変わらない限り、結婚する方向に話は進むと思います。しかし、いざ結婚となった場合、小室家の借金問題を何かしらの形で解決させ、かつ国民にある程度納得してもらえるような状況をつくってほしいです。皇室は国民のお手本になるべき存在。皇嗣家である秋篠宮家の長女でいらっしゃる眞子さまの結婚相手が、国民から反対される方であってはいけないと思います。国民から多くの支持を受けて、幸せになっていただきたいのです。

雅子さまの涙、眞子さまの結婚進展なし……皇室ウォッチャーが選ぶ「2019年皇室ニュースベスト3」

 いつの時代も、日本国民の注目を集め続けてきた“皇族”たち。令和の時代を迎えた2019年も、さまざまな皇室ニュースが報じられたが、今回は、長年皇族の動向をチェックしているウォッチャーX氏が、独自の見解を交えながら、「印象的だった皇室ニュースベスト3」を選出する。

第1位:200年ぶりの生前退位と一連の即位関連行事

 やはり、今年の1位はお代替わり関連で決まりでしょう。16年に天皇陛下(現上皇陛下)が生前退位に関するお気持ちを発表され、特例法が施行、そして令和の時代が幕開けしました。今年1年を表す漢字が「令」に決まったことからも、国民にとって大きな出来事だったことがうかがえます。5月1日から即位関連の儀式や行事が行われ、特に10~11月に行われた「即位礼正殿の儀」や「大嘗祭」などの皇室にとって重要な行事も、両陛下おそろいでつつがなくこなされました。いまだご体調が万全ではない雅子さまも、全ての儀式と行事に出席されるなど、奮闘されていたことが印象深かったです。11月9日の祝賀パレードで、国民から祝福を受けられた雅子さまが涙ぐまれた姿は、これからも語り継がれる皇室の名場面だと思います。

第2位:秋篠宮ご夫妻が“計3回”ご回答も……眞子さま“結婚進展なし”の衝撃

 延期から約2年が経過しても、いまだに進展が見られない眞子さまと小室圭さんのご結婚問題。今年、秋篠宮ご夫妻は計3回にわたって、ご結婚問題に関して、宮内記者から質問を受けました。1回目は6月のご夫妻が北欧を公式訪問される前の記者会見、2回目は紀子さまのお誕生日に際する文書回答、3回目は秋篠宮さまのお誕生日での記者会見。国民の関心事となっている結婚問題に関して、特に進展の報告がなかったというのは衝撃的でした。「延期の原因」と言われる借金トラブルの当事者である小室さんの母親・佳代さんは自宅に引きこもった状態のようで、一方、元婚約者の男性も、8月上旬以降は、佳代さんの代理人弁護士と連絡を取っていないとのこと。問題解決に、何ら進展がありません。来年2月には「何らかの発表が必要」と秋篠宮さまは会見で語られていましたが、トラブルが解決していない以上、どんな発表があるのか……。来年2月に大注目です。

第3位:悠仁さま初海外、着々と進む「帝王教育」

 今年で中学1年生となった秋篠宮家の長男であり、お代替わりに伴って皇位継承順位が2位となった悠仁さま。今年8月には、ご両親と一緒にブータンを訪問され、これが初めての海外旅行となりました。親日国として知られるブータンで、悠仁さまは、同世代の子どもたちと交流されたり、観光地や自然を大いに楽しまれたそうです。国際親善の重要度が高まっている今の皇室にとって、早い時期から海外に行かれることは有意義な体験だったと思います。さらに、12月には、佳子さまとともに「少年の主張全国大会」に出席され、ご両親がいない中で、同世代の学生とも懇談されました。公の場で国民と接する機会が増えることで、未来の天皇陛下としての帝王教育も少しずつ進んでいるように感じます。

番外編:ウォッチャーの心をほっこりさせた、今年の皇室ニュース

“自由奔放”佳子さまのへそ出しセクシーダンス
 今年の秋に、佳子さまのダンス大会でのご様子が報じられましたが、そのお写真は、なかなか衝撃的なものでしたね(笑)。以前からダンスにご関心があることは散々伝えられてきたものの、今回はおへそを出されている衣装を身につけられていたので、国民も驚いたことでしょう。皇族のおなかを見る機会もあまりないですし、“美しすぎるプリンセス”と呼ばれる佳子さまのダンス写真は目を引きました。今年の春に大学を卒業されてから、大学院には進まず、就職もされていないので、今はダンスをライフワークとして楽しまれているのでしょう。皇嗣家となって、ますます重要な立ち位置となった秋篠宮家を支える成年皇族として、今後はさらにご公務に邁進されてほしいと思っています。

我が子を“ブラック部活”から救うために――保護者と顧問が「定時帰宅を徹底」するべき理由

 2016年8月、『クローズアップ現代+』(NHK総合)が「『死ね!バカ!』これが指導? ~広がる“ブラック部活”~」と題し、中学・高校の部活動において、顧問から生徒に“ハラスメント”が行われている実態を特集した。「死ね、消えろ!」といった暴言だけでなく、日常的な体罰、1カ月に3日しか休めない長時間拘束が行われている現状には、視聴者から大きな反響があった。それ以降、「ブラック部活」という言葉が世に広がり、改善へ向けた問題提起や、現場での取り組みが活発に。18年には、政府が部活動に関する「ガイドライン」を策定し、「週当たり2日以上の休養日を設ける」といった具体的な基準や、体罰の禁止について明文化された。

 しかし、それから1年たった現在も、部活の“ブラック化”がもたらす問題はなくなっていない。今年4月には、茨城県高萩市の卓球部で、顧問の男性教諭から「バカ野郎」「殺すぞ」といった暴言を受けた女子生徒が自殺。同部は全国大会の出場歴がある強豪校で、男性教諭もベテランの指導者だったという。また、「ガイドライン」の策定をきっかけに、記載された休養日を守らず、“自主練”と称して強制的な練習を行う「闇部活」も、新たな問題として浮上している。

 時に尊い命を奪うこともある「ブラック部活」は、なぜなくならないのだろうか? そして、子どもが部活動で苦しんでいる時、親には何ができるのだろうか? 名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授であり、前出の番組にも出演した、内田良氏に話を聞いた。

明確な制度がない、無法地帯な部活動

――いち早くこの問題に取り組んできた内田先生は、「ブラック部活」をどういった状態の部活動だと捉えているのでしょうか。

内田良氏(以下、内田) 最も主眼に置いているのは、「やりすぎている部活」です。さらに言えば、「やりすぎているせいで、安全・安心が損なわれている部活」に関心があります。例えば、休養日がなく毎日活動、1日何時間も拘束するといった「練習のやりすぎ」、大会やコンクールが毎週末あって休めない「大会のやりすぎ」、顧問や指導者が生徒に暴言・体罰を加える「指導のやりすぎ」、校内に練習場所が取れず、狭い校庭や体育館をいくつもの部活で分け合って使う「同時にやりすぎ」などがあり、どれも生徒や先生の安全・安心を脅かすものです。

――18年3月には「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」が、同年12月には「文化部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」が、それぞれ策定されました。この中には、体罰の禁止や管理体制のほかに、休養日や適切な練習時間の設定についても基準が設けられています。それにもかかわらず、なぜ「やりすぎ」が起こるのでしょうか。

内田 「健全でない部活=ブラック部活」をなくしていくために、このガイドラインの策定は“前進”でした。しかし、今回策定されたのは「ガイドライン」ですから、必ず守らなければいけない決まりではなく、“目標”レベルのことなんですよね。法的な拘束力はなく、違反した場合にペナルティが科されるわけでもありません。

 部活動は、授業と違ってきちんとした“制度設計”がなく、これが大きな問題です。授業には「学習指導要領」というはっきりとした制度がありますが、部活には「ガイドライン」のみ。すると、狭い校庭を複数の部活が分け合って使うことが問題視されず、ストレッチをしている陸上部の隣で、サッカー部がボールを蹴るといった、事故が起こりやすいシチュエーションができてしまいます。体育の授業で場所が足りないとなれば、体育館か学校自体をもうひとつつくることになります。でも部活には制度設計がないため、そもそも「広さ○平方メートルに対して、活動できる部活はいくつまで」といった決まりもない。なので、なかなか状態が変わらないのだと思います。

――生徒や先生を守るはずの「ガイドライン」ですが、現場からは反発も多いようです。それはなぜでしょうか。

内田 やはり、「部活は楽しいから」「やりがいがあるから」でしょう。練習や大会が大きな負担であっても、そこに楽しさややりがいを感じていると、自粛するのは難しい。子どもたちが楽しんでやっていれば、大人たちも規制しにくいのでしょう。

――学校側が止めても、顧問や部員たちが“自主的な練習”として活動をしてしまう「闇部活」もあると聞きます。

内田 “部活動の練習”として認めると問題があるので、朝や放課後の練習を“自主練”として、学校に届けず活動をする部活もあるようです。しかしこの「闇部活」、とても恐ろしい問題をはらんでいます。“自主練”といっても生徒だけで行うわけではなく、顧問の先生が個人的に引率したり、保護者が付き添ったりするでしょう。しかし、どちらにしても「学校が認めた活動」ではありませんから、何かトラブルが起きた場合に、責任の所在が曖昧になってしまいます。

 「闇部活」中に子どもが大ケガをした、練習場所として借りていた施設を破損した、学校の楽器を運んでいたら落として壊した……そんな時、一体誰が責任を取るのでしょうか? こうした問題が起こる可能性について、顧問・保護者の認識が非常に甘い。近所の友だち同士で勝手に遊んでいるのとは状況がまったく異なりますから、思わぬトラブルに巻き込まれかねません。

――「練習のやりすぎ」をなくすためには、まず大会やイベントが多すぎる「大会のやりすぎ」問題を解決する必要がありそうです。

内田 まさにそうですね。今の部活は、練習試合、大会、地域の交流会など、年に何度も大会やコンクールなどがあります。もしかしたら、社会人より忙しいかもしれません。しかし、大会の数自体を減らすという動きは、実はほとんど起こっていない。例えば吹奏楽部なら、コンクールには参加せず、地域の行事や学内演奏会などの活動をメインにする選択肢があってもいいはずなのに、ほとんどの学校が複数のコンクールを中心にして、1年のスケジュールを組んでいます。大人になったら、スポーツも音楽も“趣味”として楽しみながらやっていますよね。勝利や高みを目指して大会を目標とする活動のほかに、学生でも「趣味として楽しむ部活」という観点があってもいいのではないでしょうか。

――では逆に、「たくさん練習したくても、ガイドラインがあってできない子ども」に対し、顧問や親はどうしてあげるべきなのでしょうか。

内田 「がんばりたい子」のフォローは、部活改革の重要な課題です。ひとつの方法としては、民間のクラブなどに入って、そこで練習をすることが考えられます。誰よりもうまくなりたい、プロを目指したいという子どもに、質の良い指導を受けさせることもできるでしょう。あくまで部活の中で、ということなら、「長い時間練習すれば上達する」という考え方を変える必要があります。例えば、週3日の練習で最大のパフォーマンスを引き出すためにはどうしたらいいか、顧問と生徒が頭を使って考え、密度・濃度の高い練習にシフトしていくのです。週3日のみ活動を行う部活が集まって、年に1回だけ大会を開催するというのもありでしょう。

――部活が過熱したり、「辞めたくても辞められない」生徒がいる背景には、“内申点”の存在があるように思います。「部活をやっていたほうが高く評価される」という“部活神話”も聞きますが……。

内田 学習指導要領の中で、部活は「自主的参加」です。要するに、部活をやっていないからといって、それをわざわざネガティブに書くことは、まずありません。一般論として、スポーツ推薦が欲しいとか、全国大会に進むほどの抜群な成績だったとか、そういった特殊な事情がない限り、部活は内申書において大きな影響力を持たないと言っていいでしょう。内申のため、部活を無理に続けるくらいなら、その時間を使って勉強したほうが、受験には有利ということになります。

 また、学校側が明らかに逸脱した指導を行っているのに、子どもがそれを嫌がっておらず、なかなか止められないという場合もあるかもしれません。保護者としてはもどかしい状況ですよね。そのとき保護者は、「ガイドライン」を持って学校に相談するといいでしょう。法的な拘束力がないとはいえ、表立った基準ができたことで、学校側に意見が言いやすくなったことは確かです。

――「部活は内申点にほとんど影響がない」という事情は、顧問の先生なら知っているはずですが、部活動はなぜブラック化してしまうのでしょうか。

内田 リスクよりも、それによって“得るもの”のほうに目が向いているからではないでしょうか。企業がなぜブラック化するかといえば、従業員の健康被害や離職率よりも、“会社の利益”に目が向いているからですよね。部活だったら、利益の代わりに得られるものは、“子どもの笑顔”や“達成感”でしょう。目標が高ければ高いほど、得られる感動や一体感は増していきます。先ほども言いましたが、部活って楽しいんです。喜びもやりがいもあるから、子どもたちは夢中になる。でもその一方で、苦しむ声が無視されていることを忘れてはなりません。

子どもを“ブラック”から救うために、大人がするべきこと

――現代では、「ブラック企業」に始まり「ブラックバイト」「ブラック部活」などの言葉が生まれ、組織が個人を酷使することが問題視されています。その中でも「ブラック部活」は、人生の中で一番最初に出合う「ブラック」ともいえそうです。

内田 「ここで頑張らないと、将来もっと大変なことがあったときに乗り越えられないぞ!」とは、キツい練習をさせるときの常套句ですよね。なんでこの先も「大変なこと」が起こる前提なんだよ、と思いますが(笑)。でもこの言葉こそが、現代の理不尽を強いる社会構造の表れです。

 人より多く練習・仕事をすることは、「負けたけど頑張った」「成果は出なかったけどよくやった」という形で、“免罪符”になりがちです。練習時間の長さで出し抜こうとしたり、熱意を測ったりするのをやめて、早いうちから“ルールの中で最大のパフォーマンスを発揮すること”を学んでいくのが大事ですね。そのためにはまず、先生や保護者が定時に帰宅することを徹底し、社会人の一人として、子どもに背中を見せる必要があるのではないかと思います。「がむしゃらに頑張る」一辺倒の構造に対し、「おかしい」と言える人間を育てていくべきではないでしょうか。

■内田良(うちだ・りょう)
名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授。学校リスク(スポーツ事故、組み体操事故、転落事故、「体罰」、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究を行う。啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『学校ハラスメント』(朝日新書)、『教育という病』(光文社新書)など。

女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む

 先日発表された、世界経済フォーラムによる「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版で、過去最低の121位となった日本。なぜこの国は、女性が生きにくいのか。「女性活躍」という時代のもと、なぜ私たち女性は苦しくなっているのだろうか。

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止・再開騒動や補助金の不交付をめぐる騒動、徴用工訴訟に端を発した日韓対立など、安倍晋三首相や政権中枢、それを支える日本最大の保守団体「日本会議」の歴史修正主義が日本社会を文化的・経済的に混乱させている。安倍首相は、国会議員としてのキャリア初期から「慰安婦」問題を否定し、歴史修正主義の動きに関わり、各方面に圧力をかけてきた。その姿勢から見えてくるのは強烈なセクシズムの姿だ。だが、第二次安倍政権以降、「女性活躍」政策を打ち出しているために、その反動性が見えづらくなっている。しかし、今後国会で争点になるであろう憲法、教育、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の“改悪”を通して女性や子ども、マイノリティの権利は脅かされ、「多様性ある社会」も後退の危機に瀕することが予想される。そこで今回の特集では、安倍政権や日本会議の狙いと危険性を、項目ごとに検証する。

なぜ日本で女性運動は“後退”した?

 第1回では、安倍首相が1993年に議員当選した直後から積極的に関わってきた「慰安婦」問題とフェミニズムへのバックラッシュを振り返りながら、保守派の狙いを浮き彫りにしつつ、日本における女性運動の“後退”についても考えたい。

 本稿でいうバックラッシュとは、男女共同参画社会の流れを止めようとする政治・市民運動の総称を指す。女性差別撤廃条約や、国連での会議の積み重ねなどを経て、95年に北京で国連世界女性会議が開催された。こうした動きを受け、日本でも99年に男女共同参画社会基本法が成立したが、その直後から保守派の“攻撃”が始まる。国会や地方議会では、保守系議員の質問の中で、男女共同参画条例への攻撃が行われたり、男女共同参画条例制定に向けたタウンミーティングに保守派が押しかけて「フェミニズムは共産主義」などとわめいたりすることもあった。右派論壇誌などでも男女共同参画は「過激なフェミニズム」の陰謀などとして批判され、ネット上でも叩かれるなど、あらゆる手段でのフェミニズムへの反動の動きがあった。

 ほかにも、都立養護学校での性教育に都議が介入した七生養護学校事件(※1)や、母子衛生研究会発行の性教育副教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』が、不備もないのに山谷えり子参議院議員の批判によって回収・絶版となった事件に象徴されるような性教育バックラッシュが起こった。また東京都国分寺市での上野千鶴子・東大教授(当時)の講演キャンセルや、福井県生活学習館から上野氏らの著作を含む約150冊が書棚から撤去される(※2)など、さまざまな事案が全国で起こった。

 多くの事案で、日本会議系団体の動きがみられ、人脈的にも重なりが見られる。彼らの狙いは一体なんだったのか。バックラッシュについて、行政側や女性運動関係者、バックラッシャーと呼ばれる保守団体/議員側双方の聞き取りをまとめた共著『社会運動の戸惑い』(斉藤正美・荻上チキ、勁草書房)を持つ、モンタナ州立大学教員の山口智美さんに話を聞いた。

――まず初めに、安倍政権を支える「日本会議」についてご説明いただけますか。

山口智美氏(以下、山口) 日本会議は、会員4万人ほどの保守団体です。それだけでは大きな勢力ではないのですが、神社本庁や、新生佛教教団などといった宗教団体が参加しているため、裾野が広く、動員に長けていて、署名・集会活動を得意としています。共通のイシューを持っている団体というよりは、右派団体の集合体といったようなイメージでしょうか。「日本会議国会議員懇談会」には安倍首相をはじめ、現内閣の閣僚が多く名を連ねています。

※1 都立七生養護学校(現七生特別支援学校)では、知的障害を持つ子どもたちが理解しやすいように工夫を凝らした人形や歌を通じて性教育を行っていたが、03年7月に土屋敬之都議(当時)が都議会でこれを批判。後日、都議や杉並区議らと共に産経新聞の記者が同校を訪れ、教材や授業内容を非難。翌日には産経新聞が「まるでアダルト・ショップ」と記事にした。校長をはじめ大量の教員が処分されたが、一部の教員らが裁判を起こす。13年に最高裁が原告・被告双方の上告を棄却。それにより、当時の都議3人と都に計210万円の賠償を命じた一、二審判決が確定した。

※2 06年4月に「福井県生活学習館 ユー・アイふくい」の情報ルームに置かれていた図書が、男女共同参画の内容にふさわしくないと撤去されたもの。その苦情は、県が委嘱した男女共同参画推進員のひとりが申し立てたのだったが、実は彼は反フェミニズム側の統一教会(当時)関係者であり、行政制度を利用してバックラッシュを行った事例として知られる。『社会運動の戸惑い』には、彼への聞き取りも収録されている。

――バックラッシュとは、どの期間の流れを指すのでしょうか?

山口 男女共同参画行政へのバックラッシュは、99年の男女共同参画社会基本法の成立がきっかけとなり、実際に運動が起きて広がったのが00年からでした。基本法は理念が書かれたもので、これに基づいた条例が各自治体で制定されていきました。ちょうど02~05年が一番バックラッシュの激しかった時期ですね。そこで攻撃に利用されたのが、95年に東京都の外郭団体だった東京女性財団が発行したパンフレットの中で提起された「ジェンダー・フリー」という概念でした。「ジェンダーにとらわれない態度や意識」といった意味合いで使われ始め、その後、主に行政のパンフレットや講座などを通じて広がった概念でした。ですが、定義が曖昧なカタカナ語だったこともあり、2000年代に男女共同参画へのバックラッシュが本格化した際に、保守派によるバッシングの格好のターゲットになってしまいました。保守派は「ジェンダー・フリー」概念の曖昧さにつけ込んで、「性差の無視」「人間を中性化し、カタツムリ化をめざす」「ひな祭りなどの伝統を破壊する」、さらには「日本社会全体の解体」をめざす、などと解釈します。そしてそれを右派論壇で拡散し、条例制定に反対する議会質問でも活用するなどと、攻撃に利用していったのです。

 そして05年には政府が第二次男女共同参画基本計画を出し、「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる」として、「ジェンダー・フリー」という用語は国としては使用しないという趣旨の文言が入れられたことで、保守派にとっては一定の満足ができる内容になり、バックラッシュの動きが落ち着いてきます。でも、日本軍「慰安婦」問題に目を向けてみると、90年代半ばからすでに反動の動きが始まっていました。もうひとつ、96年に法制審議会から選択的夫婦別姓に関する民法改正の答申が出たことも、背景としては大きいと思います。日本会議の前身となる運動は、95年に「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」を結成して、大規模な集会や署名集めなどを始めていました。

――「慰安婦」問題が一般的に表面化したのは、91年に金学順さんが「慰安婦」として初めて名乗り出たことです。これは保守派にとっても大きな衝撃だったのでしょうか?

山口 名乗り出自体には、実はそれほど大きな反発はなかったように思います。それよりも、96年に中学校用歴史教科書に「慰安婦」の記述が掲載されたことに保守の人たちは危機感を覚えたようです。同年には「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が生まれ、それまで保守の運動にかかわったことのない人、例えば漫画『新・ゴーマニズム宣言』(小学館)で歴史認識問題を取り上げた小林よしのりさんらが参加するなどの動きもあり、地域レベルでも保守の運動に参加したことがなかった市民が、つくる会の教科書運動に関わり始めるなど、運動の広がりを見せました。教科書採択は市町村の教育委員会が担当するため、運動も地域密着にならざるを得ない。すると各地を結ぶネットワークが生まれてきます。これが現在に至るまでの保守派の大きな流れのひとつになっています。

――「慰安婦」否定や教科書問題、男女共同参画へのバックラッシュに関わっている人物は重なり、安倍政権に近い人が多いですね。例えば八木秀次・麗澤大教授は「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」の理事長を務め、安倍政権のブレーンとも言われる存在。バックラッシュ当時は、統一教会(現「世界平和統一家庭連合」)系の雑誌「世界思」』(世界思想社)のインタビューで「(ジェンダー・フリーには)ポストモダン思想や新左翼の過激思想が入り込んでる」と批判的な発言をしています。また、安倍首相が推進議員連盟の会長を務めていた、「親学推進協会」会長の高橋史朗・麗澤大特任教授は、性教育や夫婦別姓、男女共同参画への批判記事を書き、「つくる会」では副会長を務めていました。さらに高橋氏は現在も「慰安婦」問題など歴史認識に関わる国内外での動きにも深く関わっています。

山口 以前、保守派の方に話を聞いたところ、歴史教科書の最初の採択運動が01年夏に失敗に終わり、彼らの中でも大きな喪失感が広がったようです。もちろん運動を離れた人もいましたが、「次は何をしようか」と目を向けたときに、よく知らない間に通っていた男女共同参画社会基本法があったと言っていました。そして、男女共同参画条例制定の動きが地域レベルでも起きてきたことで、危機感が高まりました。こうして保守派は男女共同参画の条例づくりへの反対運動を展開していったのですが、その際に教科書採択運動でできたネットワークが活用されたのだと思います。それを引っ張ってきたのが、「諸君!」(文藝春秋)や「正論」(産経新聞社)などの右派論壇や、保守系団体の機関紙などで活躍していた学者、評論家、ジャーナリストでした。

 もうひとつバックラッシュの動きを後押ししたのは、インターネットです。95年に発売された「Windows 95」によってパソコン、インターネットが多くの人に普及するようになり、99年には「2ちゃんねる」などの掲示板サイトが生まれました。バックラッシュの際には、「フェミナチを監視する掲示板」などの掲示板サイトや、活動家のブログが運動を助けました。また、この頃には産経新聞や世界日報など、右派メディアの情報もネット上で手に入れやすくなっていました。2000年代半ばになると、排外主義を打ち出す「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が生まれますが、彼らは動画やストリーミングなどを積極的に使ってきました。ネットの影響はすごく大きい。

――在特会もそうですが、保守派にとって「慰安婦」問題の否定は長年のテーマです。戦時性暴力の問題である「慰安婦」問題こそ、植民地主義やレイシズムの問題はもちろんのこと、女性の権利侵害を浮き彫りにする問題でもあります。

山口 第二次以降の安倍内閣は、「女性活躍」とか「女性が輝く社会」を打ち出しているので、フェミニズムへの反動性が見えづらいのですが、歴史を振り返ってみても、「慰安婦」問題否定の動きの裏には必ず安倍さんがいます。彼は93年に政界入りしてすぐに自民党の「歴史・検討委員会」のメンバーに名を連ねます。同会は、95年に「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と主張する『大東亜戦争の総括』(展転社)という本を発売するのですが、その中にも安倍さんが出てきます。その後、97年に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)では事務局長を務め、同じ97年に日本会議が結成されるとその議連にも参加します。

 00年には、日本軍の戦時性暴力を裁く民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(※3)が行われましたが、法廷を取り上げたドキュメンタリー番組を制作したNHKに圧力をかけて番組を改変させている。05年には自民党内に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が設置され、その座長を務めました。そして06年に第一次安倍内閣が成立し、07年3月には「慰安婦」の強制連行はなかったという発言もしている。だからこうしてみると、彼は「慰安婦」問題とジェンダー平等、両方へのバックラッシュにずっと関わっているんですね。

※3 元「慰安婦」らが日本で起こした裁判では被害の事実認定はされるものの、国家損害賠償は認められなかったことを受け、日本軍の戦時性暴力の責任の所在を明らかにするために行われた民衆法廷(抗議活動のひとつ)。「慰安婦」だけでなく、日本軍兵士だった男性が自ら行った強姦の事実について証言した。NHKはETV特集『戦争をどう裁くか』の第2夜放送「問われる戦時性暴力」(01年1月30日放送)でこの裁判を取り上げたのだが、最も注目を集めていた昭和天皇への有罪判決についてまったく言及しないなど、不自然な構成となっていた。05年には朝日新聞が、放送前に安倍氏と故・中川昭一氏がNHK幹部に圧力をかけて番組内容を改変させたと報じた。

――行政の男女共同参画へのバックラッシュとして、山口さんが印象に残っている事例を教えてください。

山口 男女共同参画へのバックラッシュは、男女共同参画条例の制定、当時次々に建てられていた男女共同参画センターやそこで行われていた啓発活動への反対、ジェンダー平等教育や性教育、アカデミックなフェミニズムへの批判など、さまざまな側面がありました。当時の保守派は、男女共同参画やフェミニズムを、「『男らしさ、女らしさ』を完全に否定する」「マルクス主義や共産主義に基づく革命思想である」「日本を破滅に導く」など、時には荒唐無稽とも思える主張を行い、センセーショナルにフェミニズムを攻撃していました。

 ただ、実際の動きとしては、02年6月に制定された山口県宇部市の男女共同参画条例作りをめぐる動きが、私は印象に残っています。それまでは男女共同参画やフェミニズムの動きにひたすら反対してきた保守派が、宇部市の男女共同参画条例では、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」「専業主婦を否定することなく」などの、性別による固定的な役割分担にとらわれないことをうたう男女共同参画社会基本法の本来の方向性と異なる内容の文言が含まれた条例を提案してきたのです。そして可決されたこの条例は、フェミニストたちに大きな衝撃を与えました。この動きの中で大きな役割を果たしていたのが、先ほども日本会議に関わる宗教団体として触れた、山口県に本部を持つ新生佛教教団系の新聞、日本時事評論でした。これ以降、保守派は男女共同参画に反対するだけでなく、自分たちの方向性に沿った内容の条例作りに関わり始め、すでにできた条例については文言の変更を要求するようになっていく、その大きな転機となったのが宇部市の条例だったのです。

 ただでさえわかりづらい「男女共同参画」の中身を、保守派が主張する内容にすり替えてしまうという動きは、現在の安倍政権の男女共同参画や「女性活躍」の政策に帰結しているともいえると思います。

――ジェンダー平等に反対するだけでなく、保守派は性的マイノリティの権利向上にも反対していますね。

山口 性的マイノリティに関しては、宮崎県都城市の事案が象徴的です。同市は03年12月に、当時の岩橋辰也市長のもとで「男女共同参画社会づくり条例」を制定しました。条例の中で「男女共同参画社会」を、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もってすべての人が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」と定義しました。これは、「性別又は性的指向にかかわらず」という言葉で性的マイノリティの権利擁護を明文化した、全国で初めての条例でした。ただ成立過程を見てみると、統一教会系の世界日報が「“同性愛解放区”に向かう都城市」といった記事を出し、実際に保守派議員への働きかけも行っていました。結果、わずか1票差で条例は可決されました。しかし、04年12月の市長選で岩橋氏が落選し、新市長のもと市町村合併が行われると、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権」から「性別又は性的指向にかかわらず」をカットして「すべての人の人権」に変更されたうえで条例が再制定されました。男女共同参画へのバックラッシュの中には、LGBTなど性的マイノリティへの攻撃が含まれていたことはとても重要なのですが、フェミニズムの立場で運動をしてきた人たちの間でも、その視点が抜けるという問題を抱えてきたと思います。

――保守派による、リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの攻撃はあったのでしょうか?

山口 リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関しては、男女共同参画へのバックラッシュよりもずっと古くから反動の動きがあります。72年の優生保護法“改悪案”(人工妊娠中絶の要件から、「経済的理由」を削除し、「障害をもつ胎児」を加えようとするなど)に向けて、宗教団体の「生長の家」が当時、大々的なキャンペーンを行っています。また、82年にも「生長の家」が、「経済的理由」を削除するという提案を再び行いました。どちらも保守派の提案は通らなかったのですが、現在の「日本会議」のリーダー層の中には当時、「生長の家」の運動に関わっていた人たちがいるというつながりがあります。また、バックラッシュの時に大きな役割を果たした統一教会でも、同性愛や両性愛を否定するというのが教義の前提にありますし、中絶は禁じられています。もともと欧米のキリスト系保守団体が同性愛に反対し、中絶の禁止をずっと訴えてきて、当時のアメリカではジョージ・W・ブッシュ政権が禁欲を性教育のベースとする動きがありました。統一教会はこうした海外の動向をきちんと見ており、禁欲性教育を日本にも取り入れようとした。

――「男らしさ、女らしさを否定しない」「専業主婦を否定しない」などの彼らの主張や中絶禁止へのこだわりを見ると、女性を家庭内ケア労働に従事させるために性別役割分業、「女性=産む性」への固執が見えてきます。

山口 女性が「産む性」であることの維持には、すごくこだわっています。性別役割分業でいえば、保守派が目指すのは、家庭や地域社会の相互互助を日本の伝統・美徳とした大平正芳内閣の提唱した「日本型福祉社会」なのです。社会保障や教育といった分野での公(おおやけ)の役割を小さくしようとする、新自由主義社会に合わせてアップデートした家制度、つまり子育てや介護の問題を社会化せずに、家族内での相互扶助の問題に終始させたいのです。そこで子育てや介護を担わされるのは、日本社会の現状を考えれば、女性になってしまうことでしょう。自民党が02年に出した改憲草案の中で、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた24条には「家族は互いに助け合わなければならない」という文言が新たに加えられています。これはまさに「日本型福祉社会」的なあり方を志向するものだといえます。

 昨年、杉田水脈衆議員議員がLGBTの人たちは「生産性」がないと発言して批判を浴びましたが、その杉田議員は次世代の党に所属して いた14年に「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」と述べ、男女共同参画社会基本法の廃止を訴える質問を国会で行っています。また、杉田議員は「慰安婦」問題を否定する活動を繰り広げてきた人でもあります。00年代初めのバックラッシュの時代だけではなく、現在に至っても、男女共同参画やフェミニズム批判と、性的マイノリティへのバッシング、さらには「慰安婦」問題などの歴史認識問題もつながったものだということが明らかです。

――日本会議や安倍政権によって女性の権利が奪われかねないという危機感は、なかなか社会で共有されません。バックラッシュの全体像は一般的にまったく知られていませんし、日本型福祉社会への布石である24条改憲は、「自衛隊明記」「緊急事態条項」などの他の改憲項目に比べて報道量も少ないように感じます。

山口 マスコミ業界ではまだまだ男性が多く、例えば大手新聞社に勤める彼らは高給取りで、専業主婦を配偶者に持つ人たちも多いようです。彼らのジェンダー観は、実は日本会議と同じようなものなのではと思う時もあります。むしろ日本会議の人たちの方が、ある意味「素直」に本音を発しているといえるのかもしれません。一時期「日本会議」の研究本がブームとなりましたが、そうした書籍の筆者のほとんどが男性でした。それらの本では、「慰安婦」問題については教科書問題の項目で多少触れられているものもありましたが、フェミニズムへのバックラッシュについてはほとんど記載がなく、見落とされています。日本会議があれだけ熱を入れてフェミニズムへの反対運動に関わってきたにもかかわらず、これだけ無視されるのはおかしいと思います。

――改めて、バックラッシュというのは何を後退させたと思いますか?

山口 いろんなものを後退させたと思いますが、ひとつは行政の対応ですね。内容的には不十分とはいえ男女共同参画社会基本法ができて、これから男女共同参画に向けた社会を作っていこうという機運がありました。それがバックラッシュによって、行政の腰が引けてしまった。それまで市民がフェミニズムの講座を受けたりパンフレットを作ってみたり、男女共同参画センターを活動の場にしたりしていたのに、予算も減らされ、そういった運動がかなり後退しました。また、行政の講座も、男女共同参画との関連が不明なもの、例えば婚活講座などが男女共同参画の名のもとで行われるようにもなっています。今や、「男女共同参画」という名称も消えつつあり、「女性活躍」や「少子化対策」などに取って代わられてしまっています。

 もう一点、重要な後退としては、第一次安倍政権のもとで、06年に政権最大の成果である教育基本法の「改正」が行われたことがあります。ここで「愛国心」教育など新たな項目が入り込んできました。愛国心教育ももちろん問題ですが、この「改正」において「家庭教育」の条項(※4)を入れられたのは非常に影響が大きかった。そして、第二次安倍政権以降は、表向き政権は経済成長戦略として「女性活躍」や、「女性が輝く社会」をうたってきましたが、実際にはフェミニズム側はやられっぱなしになっている状況だと思います。安倍政権のもとで、女性やマイノリティにとって住みやすい社会になったでしょうか? 多くの女性にとっては、仕事と家事、育児、介護などさまざまな負担を抱え込みながら、ますます生活は苦しくなり、女性の間の格差が広がっている状態にはなっていないでしょうか。同じひとり親世帯でもシングルマザーの方が貧困率が高かったり、非正規雇用の比率も女性の方が圧倒的に多かったり、男女の賃金格差も続いており、多くの女性は苦しい生活を強いられています。性教育の広がりは頓挫し、選択的夫婦別姓の導入も進んでいませんし、性暴力の加害が問われない判決も相次いでいます。さらに日本軍「慰安婦」問題の解決も程遠いどころか、政権が積極的に歴史の事実の否定に必死となり、国内のみならず海外でも、「少女像」設置などの戦時性暴力の歴史を記憶する動きに圧力をかけているという状況です。

――「南京虐殺はなかった」など意図的に事実を歪曲した主張を右派雑誌に掲載し、極端な言説で支持者を広げる歴史修正主義者の動きと、バックラッシュ当時の保守派の動きは似通っています。『社会運動の戸惑い』の中で、当時の女性運動側にいた関係者の話として、バックラッシュ側が「『条例ができると男女のトイレがいっしょになります』と何度も繰り返していたことを、『そんなことに反応するのってばかばかしい』と思っていたのに、あっという間に社会に浸透した」と振り返りつつ、「わかりやすいメッセージってものすごく浸透がはやいんです」とおっしゃっていたのが印象的でした。それを踏まえると、バックラッシュから学ぶことも多いと思います。

山口 先ほども言ったように、歴史修正主義の主張を展開する人たちと、フェミニズムへのバックラッシュに関わってきた人たちは同じなので、そのやり方にも当然共通性はあります。そして、今振り返ると、当時のフェミニズムの対抗は概ね失敗に終わったと私は思っています。バックラッシュの主張を受けた形での腰の引けた反論しかできなかった。当初は相手の主張をバカにして、まともに取り合わなかった。もちろん、小山エミさんや荻上チキさんらネット上でバックラッシュ批判の言論を展開してきた人たちはいました。さらに、フェミニズム批判の主張の中に、まともに取り上げる必要がないものが多々あるのも事実で、フェミニストがそうしたものに対して必ず議論を行わねばならないとも思いません。むしろ議論に応えるえることで、土俵に乗ってしまい、相手の問題設定に縛られてしまうという問題が発生することもあります。例えば、当時、日本女性学会がバックラッシャーの主張を批判する『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(日本女性学会ジェンダー研究会編、明石書店)を出版しました。ですが、Q&A形式を使う中で問題のありかが、ひな祭りの是非などといった保守派が設定したものにずらされてしまい、守りに入った反論しかできなくなってしまったこともありました。

 さらに、バックラッシュに対抗していく上で、フィールドワークや分析もせずに、バックラッシャーを新自由主義のもとで冷遇され、鬱憤を抱えている男性と決めつけてしまっていたのも問題でした。実際に私が会ったバックラッシャーの男性は、保守的な家庭観を持ちつつ、実は配偶者は活動的だったり、社交的だったりするケースもありましたし、フェミニズムをかなりしっかり勉強している人もいました。そして、勉強した上で、あえて効果を狙って、大げさでトンデモとも見える論を使ってフェミニズム批判をしている人もいました。男女共同参画へのバックラッシュに対抗しようとした人たちが、バックラッシュの動きが「慰安婦」問題バッシングと人脈や運動の仕方において共通点があると十分に気づけなかったことも、失敗の一因だと思います。さらに性的少数者へのバッシングも同時に起きていたのに、それに留意していたとも言い難い。私自身も含め、フェミニズム側も、バックラッシュについて誰が、どんな目的で、どんなネットワークを持っているか、彼らの主張と運動の組み立て方を冷静に分析するなど、バックラッシュ当時の対応を反省し、再検討する必要があります。

※4 新設された10条のこと。子の教育についての第一義的責任を保護者に求めている。同時に、国や自治体が家庭教育支援の名のもとに、家庭教育に介入する余地が生まれている。教育基本法の改悪や家庭条項の問題点については、次回以降取り上げる。

山口智美(やまぐち・ともみ)
モンタナ州立大学教員。専門は文化人類学、フェミニズム。アメリカにおける「慰安婦」の碑や像の設置と、それに反対する日本政府や右派団体の動向にも詳しい。共著に、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)、『ネット右翼とは何か』(青弓社)、『エトセトラ VOL.2 特集 We Love田嶋陽子!』(エトセトラブックス)など。現在、斉藤正美と共著で『田嶋陽子論』(青土社)執筆中。

女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む

 先日発表された、世界経済フォーラムによる「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版で、過去最低の121位となった日本。なぜこの国は、女性が生きにくいのか。「女性活躍」という時代のもと、なぜ私たち女性は苦しくなっているのだろうか。

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止・再開騒動や補助金の不交付をめぐる騒動、徴用工訴訟に端を発した日韓対立など、安倍晋三首相や政権中枢、それを支える日本最大の保守団体「日本会議」の歴史修正主義が日本社会を文化的・経済的に混乱させている。安倍首相は、国会議員としてのキャリア初期から「慰安婦」問題を否定し、歴史修正主義の動きに関わり、各方面に圧力をかけてきた。その姿勢から見えてくるのは強烈なセクシズムの姿だ。だが、第二次安倍政権以降、「女性活躍」政策を打ち出しているために、その反動性が見えづらくなっている。しかし、今後国会で争点になるであろう憲法、教育、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の“改悪”を通して女性や子ども、マイノリティの権利は脅かされ、「多様性ある社会」も後退の危機に瀕することが予想される。そこで今回の特集では、安倍政権や日本会議の狙いと危険性を、項目ごとに検証する。

なぜ日本で女性運動は“後退”した?

 第1回では、安倍首相が1993年に議員当選した直後から積極的に関わってきた「慰安婦」問題とフェミニズムへのバックラッシュを振り返りながら、保守派の狙いを浮き彫りにしつつ、日本における女性運動の“後退”についても考えたい。

 本稿でいうバックラッシュとは、男女共同参画社会の流れを止めようとする政治・市民運動の総称を指す。女性差別撤廃条約や、国連での会議の積み重ねなどを経て、95年に北京で国連世界女性会議が開催された。こうした動きを受け、日本でも99年に男女共同参画社会基本法が成立したが、その直後から保守派の“攻撃”が始まる。国会や地方議会では、保守系議員の質問の中で、男女共同参画条例への攻撃が行われたり、男女共同参画条例制定に向けたタウンミーティングに保守派が押しかけて「フェミニズムは共産主義」などとわめいたりすることもあった。右派論壇誌などでも男女共同参画は「過激なフェミニズム」の陰謀などとして批判され、ネット上でも叩かれるなど、あらゆる手段でのフェミニズムへの反動の動きがあった。

 ほかにも、都立養護学校での性教育に都議が介入した七生養護学校事件(※1)や、母子衛生研究会発行の性教育副教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』が、不備もないのに山谷えり子参議院議員の批判によって回収・絶版となった事件に象徴されるような性教育バックラッシュが起こった。また東京都国分寺市での上野千鶴子・東大教授(当時)の講演キャンセルや、福井県生活学習館から上野氏らの著作を含む約150冊が書棚から撤去される(※2)など、さまざまな事案が全国で起こった。

 多くの事案で、日本会議系団体の動きがみられ、人脈的にも重なりが見られる。彼らの狙いは一体なんだったのか。バックラッシュについて、行政側や女性運動関係者、バックラッシャーと呼ばれる保守団体/議員側双方の聞き取りをまとめた共著『社会運動の戸惑い』(斉藤正美・荻上チキ、勁草書房)を持つ、モンタナ州立大学教員の山口智美さんに話を聞いた。

――まず初めに、安倍政権を支える「日本会議」についてご説明いただけますか。

山口智美氏(以下、山口) 日本会議は、会員4万人ほどの保守団体です。それだけでは大きな勢力ではないのですが、神社本庁や、新生佛教教団などといった宗教団体が参加しているため、裾野が広く、動員に長けていて、署名・集会活動を得意としています。共通のイシューを持っている団体というよりは、右派団体の集合体といったようなイメージでしょうか。「日本会議国会議員懇談会」には安倍首相をはじめ、現内閣の閣僚が多く名を連ねています。

※1 都立七生養護学校(現七生特別支援学校)では、知的障害を持つ子どもたちが理解しやすいように工夫を凝らした人形や歌を通じて性教育を行っていたが、03年7月に土屋敬之都議(当時)が都議会でこれを批判。後日、都議や杉並区議らと共に産経新聞の記者が同校を訪れ、教材や授業内容を非難。翌日には産経新聞が「まるでアダルト・ショップ」と記事にした。校長をはじめ大量の教員が処分されたが、一部の教員らが裁判を起こす。13年に最高裁が原告・被告双方の上告を棄却。それにより、当時の都議3人と都に計210万円の賠償を命じた一、二審判決が確定した。

※2 06年4月に「福井県生活学習館 ユー・アイふくい」の情報ルームに置かれていた図書が、男女共同参画の内容にふさわしくないと撤去されたもの。その苦情は、県が委嘱した男女共同参画推進員のひとりが申し立てたのだったが、実は彼は反フェミニズム側の統一教会(当時)関係者であり、行政制度を利用してバックラッシュを行った事例として知られる。『社会運動の戸惑い』には、彼への聞き取りも収録されている。

――バックラッシュとは、どの期間の流れを指すのでしょうか?

山口 男女共同参画行政へのバックラッシュは、99年の男女共同参画社会基本法の成立がきっかけとなり、実際に運動が起きて広がったのが00年からでした。基本法は理念が書かれたもので、これに基づいた条例が各自治体で制定されていきました。ちょうど02~05年が一番バックラッシュの激しかった時期ですね。そこで攻撃に利用されたのが、95年に東京都の外郭団体だった東京女性財団が発行したパンフレットの中で提起された「ジェンダー・フリー」という概念でした。「ジェンダーにとらわれない態度や意識」といった意味合いで使われ始め、その後、主に行政のパンフレットや講座などを通じて広がった概念でした。ですが、定義が曖昧なカタカナ語だったこともあり、2000年代に男女共同参画へのバックラッシュが本格化した際に、保守派によるバッシングの格好のターゲットになってしまいました。保守派は「ジェンダー・フリー」概念の曖昧さにつけ込んで、「性差の無視」「人間を中性化し、カタツムリ化をめざす」「ひな祭りなどの伝統を破壊する」、さらには「日本社会全体の解体」をめざす、などと解釈します。そしてそれを右派論壇で拡散し、条例制定に反対する議会質問でも活用するなどと、攻撃に利用していったのです。

 そして05年には政府が第二次男女共同参画基本計画を出し、「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる」として、「ジェンダー・フリー」という用語は国としては使用しないという趣旨の文言が入れられたことで、保守派にとっては一定の満足ができる内容になり、バックラッシュの動きが落ち着いてきます。でも、日本軍「慰安婦」問題に目を向けてみると、90年代半ばからすでに反動の動きが始まっていました。もうひとつ、96年に法制審議会から選択的夫婦別姓に関する民法改正の答申が出たことも、背景としては大きいと思います。日本会議の前身となる運動は、95年に「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」を結成して、大規模な集会や署名集めなどを始めていました。

――「慰安婦」問題が一般的に表面化したのは、91年に金学順さんが「慰安婦」として初めて名乗り出たことです。これは保守派にとっても大きな衝撃だったのでしょうか?

山口 名乗り出自体には、実はそれほど大きな反発はなかったように思います。それよりも、96年に中学校用歴史教科書に「慰安婦」の記述が掲載されたことに保守の人たちは危機感を覚えたようです。同年には「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が生まれ、それまで保守の運動にかかわったことのない人、例えば漫画『新・ゴーマニズム宣言』(小学館)で歴史認識問題を取り上げた小林よしのりさんらが参加するなどの動きもあり、地域レベルでも保守の運動に参加したことがなかった市民が、つくる会の教科書運動に関わり始めるなど、運動の広がりを見せました。教科書採択は市町村の教育委員会が担当するため、運動も地域密着にならざるを得ない。すると各地を結ぶネットワークが生まれてきます。これが現在に至るまでの保守派の大きな流れのひとつになっています。

――「慰安婦」否定や教科書問題、男女共同参画へのバックラッシュに関わっている人物は重なり、安倍政権に近い人が多いですね。例えば八木秀次・麗澤大教授は「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」の理事長を務め、安倍政権のブレーンとも言われる存在。バックラッシュ当時は、統一教会(現「世界平和統一家庭連合」)系の雑誌「世界思」』(世界思想社)のインタビューで「(ジェンダー・フリーには)ポストモダン思想や新左翼の過激思想が入り込んでる」と批判的な発言をしています。また、安倍首相が推進議員連盟の会長を務めていた、「親学推進協会」会長の高橋史朗・麗澤大特任教授は、性教育や夫婦別姓、男女共同参画への批判記事を書き、「つくる会」では副会長を務めていました。さらに高橋氏は現在も「慰安婦」問題など歴史認識に関わる国内外での動きにも深く関わっています。

山口 以前、保守派の方に話を聞いたところ、歴史教科書の最初の採択運動が01年夏に失敗に終わり、彼らの中でも大きな喪失感が広がったようです。もちろん運動を離れた人もいましたが、「次は何をしようか」と目を向けたときに、よく知らない間に通っていた男女共同参画社会基本法があったと言っていました。そして、男女共同参画条例制定の動きが地域レベルでも起きてきたことで、危機感が高まりました。こうして保守派は男女共同参画の条例づくりへの反対運動を展開していったのですが、その際に教科書採択運動でできたネットワークが活用されたのだと思います。それを引っ張ってきたのが、「諸君!」(文藝春秋)や「正論」(産経新聞社)などの右派論壇や、保守系団体の機関紙などで活躍していた学者、評論家、ジャーナリストでした。

 もうひとつバックラッシュの動きを後押ししたのは、インターネットです。95年に発売された「Windows 95」によってパソコン、インターネットが多くの人に普及するようになり、99年には「2ちゃんねる」などの掲示板サイトが生まれました。バックラッシュの際には、「フェミナチを監視する掲示板」などの掲示板サイトや、活動家のブログが運動を助けました。また、この頃には産経新聞や世界日報など、右派メディアの情報もネット上で手に入れやすくなっていました。2000年代半ばになると、排外主義を打ち出す「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が生まれますが、彼らは動画やストリーミングなどを積極的に使ってきました。ネットの影響はすごく大きい。

――在特会もそうですが、保守派にとって「慰安婦」問題の否定は長年のテーマです。戦時性暴力の問題である「慰安婦」問題こそ、植民地主義やレイシズムの問題はもちろんのこと、女性の権利侵害を浮き彫りにする問題でもあります。

山口 第二次以降の安倍内閣は、「女性活躍」とか「女性が輝く社会」を打ち出しているので、フェミニズムへの反動性が見えづらいのですが、歴史を振り返ってみても、「慰安婦」問題否定の動きの裏には必ず安倍さんがいます。彼は93年に政界入りしてすぐに自民党の「歴史・検討委員会」のメンバーに名を連ねます。同会は、95年に「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と主張する『大東亜戦争の総括』(展転社)という本を発売するのですが、その中にも安倍さんが出てきます。その後、97年に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)では事務局長を務め、同じ97年に日本会議が結成されるとその議連にも参加します。

 00年には、日本軍の戦時性暴力を裁く民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(※3)が行われましたが、法廷を取り上げたドキュメンタリー番組を制作したNHKに圧力をかけて番組を改変させている。05年には自民党内に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が設置され、その座長を務めました。そして06年に第一次安倍内閣が成立し、07年3月には「慰安婦」の強制連行はなかったという発言もしている。だからこうしてみると、彼は「慰安婦」問題とジェンダー平等、両方へのバックラッシュにずっと関わっているんですね。

※3 元「慰安婦」らが日本で起こした裁判では被害の事実認定はされるものの、国家損害賠償は認められなかったことを受け、日本軍の戦時性暴力の責任の所在を明らかにするために行われた民衆法廷(抗議活動のひとつ)。「慰安婦」だけでなく、日本軍兵士だった男性が自ら行った強姦の事実について証言した。NHKはETV特集『戦争をどう裁くか』の第2夜放送「問われる戦時性暴力」(01年1月30日放送)でこの裁判を取り上げたのだが、最も注目を集めていた昭和天皇への有罪判決についてまったく言及しないなど、不自然な構成となっていた。05年には朝日新聞が、放送前に安倍氏と故・中川昭一氏がNHK幹部に圧力をかけて番組内容を改変させたと報じた。

――行政の男女共同参画へのバックラッシュとして、山口さんが印象に残っている事例を教えてください。

山口 男女共同参画へのバックラッシュは、男女共同参画条例の制定、当時次々に建てられていた男女共同参画センターやそこで行われていた啓発活動への反対、ジェンダー平等教育や性教育、アカデミックなフェミニズムへの批判など、さまざまな側面がありました。当時の保守派は、男女共同参画やフェミニズムを、「『男らしさ、女らしさ』を完全に否定する」「マルクス主義や共産主義に基づく革命思想である」「日本を破滅に導く」など、時には荒唐無稽とも思える主張を行い、センセーショナルにフェミニズムを攻撃していました。

 ただ、実際の動きとしては、02年6月に制定された山口県宇部市の男女共同参画条例作りをめぐる動きが、私は印象に残っています。それまでは男女共同参画やフェミニズムの動きにひたすら反対してきた保守派が、宇部市の男女共同参画条例では、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」「専業主婦を否定することなく」などの、性別による固定的な役割分担にとらわれないことをうたう男女共同参画社会基本法の本来の方向性と異なる内容の文言が含まれた条例を提案してきたのです。そして可決されたこの条例は、フェミニストたちに大きな衝撃を与えました。この動きの中で大きな役割を果たしていたのが、先ほども日本会議に関わる宗教団体として触れた、山口県に本部を持つ新生佛教教団系の新聞、日本時事評論でした。これ以降、保守派は男女共同参画に反対するだけでなく、自分たちの方向性に沿った内容の条例作りに関わり始め、すでにできた条例については文言の変更を要求するようになっていく、その大きな転機となったのが宇部市の条例だったのです。

 ただでさえわかりづらい「男女共同参画」の中身を、保守派が主張する内容にすり替えてしまうという動きは、現在の安倍政権の男女共同参画や「女性活躍」の政策に帰結しているともいえると思います。

――ジェンダー平等に反対するだけでなく、保守派は性的マイノリティの権利向上にも反対していますね。

山口 性的マイノリティに関しては、宮崎県都城市の事案が象徴的です。同市は03年12月に、当時の岩橋辰也市長のもとで「男女共同参画社会づくり条例」を制定しました。条例の中で「男女共同参画社会」を、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もってすべての人が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」と定義しました。これは、「性別又は性的指向にかかわらず」という言葉で性的マイノリティの権利擁護を明文化した、全国で初めての条例でした。ただ成立過程を見てみると、統一教会系の世界日報が「“同性愛解放区”に向かう都城市」といった記事を出し、実際に保守派議員への働きかけも行っていました。結果、わずか1票差で条例は可決されました。しかし、04年12月の市長選で岩橋氏が落選し、新市長のもと市町村合併が行われると、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権」から「性別又は性的指向にかかわらず」をカットして「すべての人の人権」に変更されたうえで条例が再制定されました。男女共同参画へのバックラッシュの中には、LGBTなど性的マイノリティへの攻撃が含まれていたことはとても重要なのですが、フェミニズムの立場で運動をしてきた人たちの間でも、その視点が抜けるという問題を抱えてきたと思います。

――保守派による、リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの攻撃はあったのでしょうか?

山口 リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関しては、男女共同参画へのバックラッシュよりもずっと古くから反動の動きがあります。72年の優生保護法“改悪案”(人工妊娠中絶の要件から、「経済的理由」を削除し、「障害をもつ胎児」を加えようとするなど)に向けて、宗教団体の「生長の家」が当時、大々的なキャンペーンを行っています。また、82年にも「生長の家」が、「経済的理由」を削除するという提案を再び行いました。どちらも保守派の提案は通らなかったのですが、現在の「日本会議」のリーダー層の中には当時、「生長の家」の運動に関わっていた人たちがいるというつながりがあります。また、バックラッシュの時に大きな役割を果たした統一教会でも、同性愛や両性愛を否定するというのが教義の前提にありますし、中絶は禁じられています。もともと欧米のキリスト系保守団体が同性愛に反対し、中絶の禁止をずっと訴えてきて、当時のアメリカではジョージ・W・ブッシュ政権が禁欲を性教育のベースとする動きがありました。統一教会はこうした海外の動向をきちんと見ており、禁欲性教育を日本にも取り入れようとした。

――「男らしさ、女らしさを否定しない」「専業主婦を否定しない」などの彼らの主張や中絶禁止へのこだわりを見ると、女性を家庭内ケア労働に従事させるために性別役割分業、「女性=産む性」への固執が見えてきます。

山口 女性が「産む性」であることの維持には、すごくこだわっています。性別役割分業でいえば、保守派が目指すのは、家庭や地域社会の相互互助を日本の伝統・美徳とした大平正芳内閣の提唱した「日本型福祉社会」なのです。社会保障や教育といった分野での公(おおやけ)の役割を小さくしようとする、新自由主義社会に合わせてアップデートした家制度、つまり子育てや介護の問題を社会化せずに、家族内での相互扶助の問題に終始させたいのです。そこで子育てや介護を担わされるのは、日本社会の現状を考えれば、女性になってしまうことでしょう。自民党が02年に出した改憲草案の中で、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた24条には「家族は互いに助け合わなければならない」という文言が新たに加えられています。これはまさに「日本型福祉社会」的なあり方を志向するものだといえます。

 昨年、杉田水脈衆議員議員がLGBTの人たちは「生産性」がないと発言して批判を浴びましたが、その杉田議員は次世代の党に所属して いた14年に「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」と述べ、男女共同参画社会基本法の廃止を訴える質問を国会で行っています。また、杉田議員は「慰安婦」問題を否定する活動を繰り広げてきた人でもあります。00年代初めのバックラッシュの時代だけではなく、現在に至っても、男女共同参画やフェミニズム批判と、性的マイノリティへのバッシング、さらには「慰安婦」問題などの歴史認識問題もつながったものだということが明らかです。

――日本会議や安倍政権によって女性の権利が奪われかねないという危機感は、なかなか社会で共有されません。バックラッシュの全体像は一般的にまったく知られていませんし、日本型福祉社会への布石である24条改憲は、「自衛隊明記」「緊急事態条項」などの他の改憲項目に比べて報道量も少ないように感じます。

山口 マスコミ業界ではまだまだ男性が多く、例えば大手新聞社に勤める彼らは高給取りで、専業主婦を配偶者に持つ人たちも多いようです。彼らのジェンダー観は、実は日本会議と同じようなものなのではと思う時もあります。むしろ日本会議の人たちの方が、ある意味「素直」に本音を発しているといえるのかもしれません。一時期「日本会議」の研究本がブームとなりましたが、そうした書籍の筆者のほとんどが男性でした。それらの本では、「慰安婦」問題については教科書問題の項目で多少触れられているものもありましたが、フェミニズムへのバックラッシュについてはほとんど記載がなく、見落とされています。日本会議があれだけ熱を入れてフェミニズムへの反対運動に関わってきたにもかかわらず、これだけ無視されるのはおかしいと思います。

――改めて、バックラッシュというのは何を後退させたと思いますか?

山口 いろんなものを後退させたと思いますが、ひとつは行政の対応ですね。内容的には不十分とはいえ男女共同参画社会基本法ができて、これから男女共同参画に向けた社会を作っていこうという機運がありました。それがバックラッシュによって、行政の腰が引けてしまった。それまで市民がフェミニズムの講座を受けたりパンフレットを作ってみたり、男女共同参画センターを活動の場にしたりしていたのに、予算も減らされ、そういった運動がかなり後退しました。また、行政の講座も、男女共同参画との関連が不明なもの、例えば婚活講座などが男女共同参画の名のもとで行われるようにもなっています。今や、「男女共同参画」という名称も消えつつあり、「女性活躍」や「少子化対策」などに取って代わられてしまっています。

 もう一点、重要な後退としては、第一次安倍政権のもとで、06年に政権最大の成果である教育基本法の「改正」が行われたことがあります。ここで「愛国心」教育など新たな項目が入り込んできました。愛国心教育ももちろん問題ですが、この「改正」において「家庭教育」の条項(※4)を入れられたのは非常に影響が大きかった。そして、第二次安倍政権以降は、表向き政権は経済成長戦略として「女性活躍」や、「女性が輝く社会」をうたってきましたが、実際にはフェミニズム側はやられっぱなしになっている状況だと思います。安倍政権のもとで、女性やマイノリティにとって住みやすい社会になったでしょうか? 多くの女性にとっては、仕事と家事、育児、介護などさまざまな負担を抱え込みながら、ますます生活は苦しくなり、女性の間の格差が広がっている状態にはなっていないでしょうか。同じひとり親世帯でもシングルマザーの方が貧困率が高かったり、非正規雇用の比率も女性の方が圧倒的に多かったり、男女の賃金格差も続いており、多くの女性は苦しい生活を強いられています。性教育の広がりは頓挫し、選択的夫婦別姓の導入も進んでいませんし、性暴力の加害が問われない判決も相次いでいます。さらに日本軍「慰安婦」問題の解決も程遠いどころか、政権が積極的に歴史の事実の否定に必死となり、国内のみならず海外でも、「少女像」設置などの戦時性暴力の歴史を記憶する動きに圧力をかけているという状況です。

――「南京虐殺はなかった」など意図的に事実を歪曲した主張を右派雑誌に掲載し、極端な言説で支持者を広げる歴史修正主義者の動きと、バックラッシュ当時の保守派の動きは似通っています。『社会運動の戸惑い』の中で、当時の女性運動側にいた関係者の話として、バックラッシュ側が「『条例ができると男女のトイレがいっしょになります』と何度も繰り返していたことを、『そんなことに反応するのってばかばかしい』と思っていたのに、あっという間に社会に浸透した」と振り返りつつ、「わかりやすいメッセージってものすごく浸透がはやいんです」とおっしゃっていたのが印象的でした。それを踏まえると、バックラッシュから学ぶことも多いと思います。

山口 先ほども言ったように、歴史修正主義の主張を展開する人たちと、フェミニズムへのバックラッシュに関わってきた人たちは同じなので、そのやり方にも当然共通性はあります。そして、今振り返ると、当時のフェミニズムの対抗は概ね失敗に終わったと私は思っています。バックラッシュの主張を受けた形での腰の引けた反論しかできなかった。当初は相手の主張をバカにして、まともに取り合わなかった。もちろん、小山エミさんや荻上チキさんらネット上でバックラッシュ批判の言論を展開してきた人たちはいました。さらに、フェミニズム批判の主張の中に、まともに取り上げる必要がないものが多々あるのも事実で、フェミニストがそうしたものに対して必ず議論を行わねばならないとも思いません。むしろ議論に応えるえることで、土俵に乗ってしまい、相手の問題設定に縛られてしまうという問題が発生することもあります。例えば、当時、日本女性学会がバックラッシャーの主張を批判する『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(日本女性学会ジェンダー研究会編、明石書店)を出版しました。ですが、Q&A形式を使う中で問題のありかが、ひな祭りの是非などといった保守派が設定したものにずらされてしまい、守りに入った反論しかできなくなってしまったこともありました。

 さらに、バックラッシュに対抗していく上で、フィールドワークや分析もせずに、バックラッシャーを新自由主義のもとで冷遇され、鬱憤を抱えている男性と決めつけてしまっていたのも問題でした。実際に私が会ったバックラッシャーの男性は、保守的な家庭観を持ちつつ、実は配偶者は活動的だったり、社交的だったりするケースもありましたし、フェミニズムをかなりしっかり勉強している人もいました。そして、勉強した上で、あえて効果を狙って、大げさでトンデモとも見える論を使ってフェミニズム批判をしている人もいました。男女共同参画へのバックラッシュに対抗しようとした人たちが、バックラッシュの動きが「慰安婦」問題バッシングと人脈や運動の仕方において共通点があると十分に気づけなかったことも、失敗の一因だと思います。さらに性的少数者へのバッシングも同時に起きていたのに、それに留意していたとも言い難い。私自身も含め、フェミニズム側も、バックラッシュについて誰が、どんな目的で、どんなネットワークを持っているか、彼らの主張と運動の組み立て方を冷静に分析するなど、バックラッシュ当時の対応を反省し、再検討する必要があります。

※4 新設された10条のこと。子の教育についての第一義的責任を保護者に求めている。同時に、国や自治体が家庭教育支援の名のもとに、家庭教育に介入する余地が生まれている。教育基本法の改悪や家庭条項の問題点については、次回以降取り上げる。

山口智美(やまぐち・ともみ)
モンタナ州立大学教員。専門は文化人類学、フェミニズム。アメリカにおける「慰安婦」の碑や像の設置と、それに反対する日本政府や右派団体の動向にも詳しい。共著に、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)、『ネット右翼とは何か』(青弓社)、『エトセトラ VOL.2 特集 We Love田嶋陽子!』(エトセトラブックス)など。現在、斉藤正美と共著で『田嶋陽子論』(青土社)執筆中。

三船美香、湘南ベルマーレ前監督、織田信成……意外と知らない、モラハラの境界線

 近年、「モラハラ」という言葉がさまざまな場面で使われるようになりました。三船美佳や米倉涼子のモラハラ離婚を筆頭に、J1湘南ベルマーレの曺貴裁前監督による選手へのモラハラ、最近ではフィギュア・織田信成氏のモラハラ提訴問題などが話題になりましたね。

 言葉自体が広まる一方で、当事者は自身の行為がモラハラだと気づいていないケースが多いのが実態です。実際、パートナーに家を出ていかれて初めて、自分がモラハラをしていたと気づく人も少なくありません。

 DV・モラハラはシステムの問題です。そうせざるを得ない状況に追い込まれれば、誰にでも起こり得ます。「今」DV・モラハラをしないということが「一生涯にわたって」しないという保証にはなりませんし、自分が加害者になる可能性だってあるのです。大事なのは、問題が起きてしまったときに、解決に向けて協力できる信頼関係がパートナーと築けているかどうかでしょう。

 さて、モラハラという言葉は知っていても、その定義や仕組みの理解はあやふやなままの方も多いのではないでしょうか。

 モラハラとはモラルハラスメントの略で、「精神的暴力(精神的DV)」ともいわれています。男女共同参画局のウェブページによると「心無い言動等により、相手の心を傷つけるもの」と定義されており、いくつか事例も紹介されていますが、これだけで理解するのは少々難しいでしょう。

 僕の定義では、モラハラとは「自分の価値観を無理やり相手に押し付けること」で、「わかっていない相手に、自分の正しさをわからせてやろう」という、相手の価値観や感情を無視した行動のこと、価値観を押し付けるために「さまざまな力」を用いてそれを押し通すことを指します。

 筋力や体力差を見せつける、または匂わせるという威圧の力、理論武装で相手の感情お構いなしで言いくるめる力、権威や財力なども、これに当てはまります。相手との力の差を用いた無意識な圧力や脅しであり、これをパワーコントロールといいます。そして殴ったり蹴ったりするなど、直接なんらかの力を行使するに至るのをDV、そこまでに至らないパワーコントロールをモラハラと呼んでいます。つまり、DVもモラハラも根っこは同じなのです。

 「モラハラ=人格否定」というイメージが先行しがちですが、「(相手に)わかってほしい」「わからせたい」が「わからせなければならない」になった時点で危険信号です。

 いわゆる「スイッチが入る」きっかけはいろいろあります。「親としてこうあるべき」「社会人としてこうあらねばならない」という社会規範や常識と呼ばれるものがそこに作用してしまう例は多いです。「男として」「女として」というジェンダー観なんかも影響します。

 「よかれと思ってしたことで、相手が傷ついていた。間違ったことは言っていないのに!」とよく加害者側は言いますが、正しいことなら相手を傷つけないというわけではありません。「みんなが正しいと認めていること」だと思うとブレーキが利かなくなってしまいがちで、前述した「システムの問題」はここにあります。

 これが夫婦ゲンカであればパワーバランスは拮抗している状態なので、モラハラ発言があったとしてもそこまで大きな問題にはなりませんし、お互いの考える正しさはそれぞれ違っているが、相互に尊重されるというルールのもと、どこかでお互いが納得するところに着地するか、少し距離を置いてクールダウンするという解決も見られます。

 ですが、どちらかが一方的に相手を責め立てる形になっているとすれば要注意。相手に、「不倫をした」「家族に内緒で借金を作った」といった明確な落ち度があったとしても、限度を超えて責めることはモラハラになり得ます。

 一方的に価値観を押し付られた側は、最初こそ反発する気概があるかもしれませんが、それが何度も繰り返されると徐々に反発する気もなくなっていき、責められるがまま、いつもビクビクして傷が深まっていく一方という負のループに入ってしまいます。これが、夫婦ゲンカとモラハラの違いといえるでしょう。

 そして夫婦間モラハラの被害者は、最後に残された力を振り絞って家を出る・離婚を切り出す等の行動に出るというパターンが多く見られます。

 僕の元には、そこまでこじれてしまった末の当事者からの相談が多く寄せられます。僕はいわゆる元「モラハラ夫」で、過去にそれが原因で離婚しています。その経験や自分自身の脱暴力、回復の過程の中で当事者理解を少しずつ深め、今ではDVやモラハラの当事者(加害被害・男女問わず)に対するカウンセリングや、DV・モラハラからの脱却を目的とした脱暴力グループワークという自助グループイベントでのファシリテーターをしながら、Web系エンジニアの仕事もしています。

 また、3年前に再婚し、今は一児の父でもあります。こちらに関して詳しくは、共著書『DVはなおる 続』または「DVは なおる 続 note無料公開分」を読んでいただけるとうれしいです。

 当事者として、カウンセリングやグループワークの支援につながってから6年ほど。カウンセラーとして看板を上げては3年ほどになりますが、その間に多くのモラハラやDVの当事者と触れ合い、学び合ってきました。

 自分自身カウンセラーと名乗ってはいますが、当事者性も持ち合わせています。だからこそ同じ問題を抱えている当事者に対して、他人事ではなく支援ができると思っていますし、そうありたいと願っています。

 僕の周りにいる多くの当事者は、加害者・被害者ともにカウンセリングや脱暴力ワークで少しずつでも回復し、モラハラの頻度や程度が軽くなったり、こじれずに離婚したり、別居しながらもお互いに良い距離感を保ちながら家庭を営んでいるケースが多く存在します。また、加害被害には男女関係ありません。実際に、男性の被害/女性の加害の相談が寄せられることも、最近増えています。

 次回以降ではそんな実例を、加害者・被害者それぞれの視点から紹介しつつ、モラハラからの回復・脱暴力の可能性について、お伝えしていきたいと思います。