ザ・ゲームのインスタグラムより
1979年にカリフォルニア州コンプトンのサンタナ・ブロックという治安の悪い地区で、暴力的で薬物中毒の両親のもとに生まれたラッパーのザ・ゲーム。兄が殺害され、思春期には里子に出されるなど壮絶な経験を経てきたものの、恵まれた体格と運動神経でワシントン州立大学にバスケットボール選手として奨学金を得て進学した。しかし麻薬所持がバレて退学となり、麻薬売人に逆戻り。2001年10月には敵対者に深夜自宅を襲撃され、5発被弾して昏睡状態に陥る重体に。病床で麻薬売人から足を洗い、ラッパーとして人生をやり直そうと決意した。
西海岸の大御所ラッパー/プロデューサーのドクター・ドレーに見いだされたゲームは、ドレーの後ろ盾を得て、ラッパーの50セント率いる「Gユニット」のメンバーとして知名度を上げた後、05年にアルバム『The Documentary』でメジャー・デビュー。血の気が多いことからほかのアーティストとのビーフ、暴力沙汰、警察沙汰が後を絶たないが、90年代に2パックとノートリアス・B.I.G.を中心に繰り広げられた東西ヒップホップ抗争集結後、勢いを失っていた西海岸のギャングスタラップを再びメインストリームに押し上げた立役者として、数多くの崇拝者を持つカリスマラッパーに成り上がった。



