※本記事は『灘校物語』(小社刊)の出版を記念して、「まぐまぐ!」にて11月16日に配信された「和田秀樹の『テレビでもラジオでも言えないわたしの本音』」(https://www.mag2.com/m/0001686028.html)を加筆修正し、再掲載したものです。
◇ ◇ ◇
総理主催の「桜を見る会」への招待が世を騒がせているし、その中止がさらに話題になっている。
実は麻生太郎氏が首相の頃だから、2009年の春に、これに呼ばれたことがある。
当時は今よりもっとおめでたい人間だったし、自分もやっと世に認められる人間になったのかと勘違いして、のこのことかけつけた。
食事も予想外にしょぼいし、麻生氏と面識がなかったこともあって、まったく声をかけられることがなかった。
後で聞くと、とある官僚が推薦してくれて呼ばれることになったという。
食べ物のしょぼさ(これは予期していた)より、もっとがっかりしていたのはそのメンツだ。
多少、芸能人やスポーツ選手も呼ばれていたが、特別枠のようで、その人たちが集まる場所があった。
むしろ、田舎からきた県会議員とか村会議員とか、一介の自民党員がごそごそと来て、私も何人かそういう人から声をかけられた。
当時は、多少の選民意識もあったので、正直なところちょっとがっかりした。
内閣府からの招待だから、国の金の集まりなのに、自民党の支持者の接待になっているのはいかがなものかと多少の疑問は当時の私でも感じたものだ。
桜を見る会のセキュリティチェックの甘さも問題になっている。総理が間近にいる会なのに、事実上ノーチェックだったようだ。
実際、私のときもチェックを受けた記憶はない。
招待客の皆様に不快な思いをさせたくないという配慮なのか、呼ばれた客を考えると絶対にテロ的なことは起きないという読みなのかはわからない。
後者だとすれば、政府に批判的な人は呼ばないということだから、それを国の金でやるのは、公職選挙法の精神にもとる。
確かに、選挙で政権政党が勝つことで、その選挙区に利益誘導といえるような公共事業がなされることはあった。
しかし、選挙というのは選挙民に有利な政治をやってもらうためのツールとも言えるので、これを問題にするつもりはない。
選挙で勝って、政権をとったら、支持者を国の金で接待するというのは、民主主義の国では許されないことだ。
テレビのコメンテーターが、政治家が接待するのは法に触れるが、国の金で接待するのは法に触れないのがおかしいと論じていたが、そんなことは先進国ではありえないのが前提だ。自民党は憲法改正を求めているが、正直に、我が国には民主主義は合わないので、この手の規制のない封建制だの、王政に戻す憲法改正案を出せばどうだろう。
日本人はマゾだから、意外に票が集まるかもしれない。
ここしばらくの天皇陛下の即位にまつわる儀式でも感じることだが、この手の儀式の招待客がどういう基準で選ばれるのかが曖昧なのに、選ばれたものは選民意識をもつことは確かだ。
私自身も恥ずかしながら10年前はそうだった。
芸能人であれ、スポーツ選手であれ、作家であれ、それに呼ばれた人間は一流だと思うだろうし、人によっては、選ばれなかった人間に勝ったとか、そいつらのほうを下に見ることだろう。
選ばれなかった人間にしても、私のように僻みっぽい人間は、自分はどうせ二流と感じるかもしれない。
こういう形で、選ばれたものとそうでないものを分断するのは、どうしても好きになれない。
園遊会もそうだが、おそらく官僚に気に入られた人間とか、政権与党に気に入られた人間が選ばれるのだろう。
共産党やN国の議員が選ばれるとは思えない。
スポーツや文化に功績があった人というのも、世界記録を出したとか、金メダルを取ったとか、わかりやすい基準があればいいが、そういう人でない人も選ばれている。
ある程度、基準を明確にして、残りについては、たとえば財界人などは、誰を呼ぶかの基準が曖昧なら、いっそ高額納税者を上から1000人呼ぶとかしてはどうなのだろうか?
明らかに国に貢献しているし、それをすれば脱税していた人が呼ばれたいばかりに経費を計上しなくても、自分の所得を多めに申告するようになるかもしれない。
兆単位の税収増になることはあり得るし、これなら多少そういう会に金をかけても誰も文句を言わない。
この手の皇室とか首相主催の集まりというのに呼ばれた人間は、より天皇陛下や首相のことを好きになることは間違いない。
会ってみたら嫌なヤツとは思われない程度には儀礼を尽くすから感激する人のほうが普通だろう。
陛下に関してはそれでいいのかもしれないが、首相が支持者を増やすために国の金を使うのは、やはり好きになれない。
まだブッチホン(内閣総理大臣だった小渕恵三が著名人にかけた電話のこと。小渕の「渕」のテレフォンをかけ合わせた造語)のほうがましだ。
さて、セキュリティの甘さの話に戻るが、実際、日本の警察はテロなど起こるものではないと思っているから、首相がそばに来るような会でろくに荷物の検査をやらないのだろう。
ならば、今回の即位にまつわる行事での大げさな警備はなんだったのだろうか?
今回は、見えるところは私服で警備をしていたようだが、交通規制では制服を着た警察官が一般市民を蹴散らすようにやっていた。
大した警備をしなくても、テロなど起こらないのがわかっていて、自分たちが「やっています」と見えるために警備をしているなら市民には大きな迷惑だし、渋滞を作ることは地球環境に悪い。
あるいは、警察には逆らえないぞというのを示すための行事ならなお性質が悪い。
桜を見る会のようにすなおに市民を信用して、鍛えられたSPだけで警備をするほうが、よほどすなおに祝福できる。
さて、東池袋の自動車暴走死傷事故で加害者が書類送検されたということでマスコミが騒いでいる。
確かに若い母親と幼い子供が死に、10人が負傷した痛ましい事故だ。
加害者はマスコミでぼろくそに叩かれ、被害者は厳罰を求める署名活動を始め、マスコミは全面的に味方している。
結果を見たら仕方のないことだ。
ただ、いっぽうで、確実に言えることは、この加害者のほかに交通事故の加害者は年間3,000人以上いるし、被害者は3,500人以上いるということだ。
スマホをいじりながらとか、あおり運転まがいの危ない運転をして、人を撥ね殺したのに、飲酒をしていなかったり、高齢でなければ、マスコミは取り上げない。
被害者だって、残りの3,500人の中には、「なぜ、うちの子も死んだのにマスコミは取り上げてくれないのだ」と、その映像をみて不快に思っている人もいるだろう。
「高齢者や飲酒運転の車に撥ね殺されたほうが、マスコミを通じて世間が同情してくれるだけはるかにまし」と思う被害者だっていないとは限らない。
毎日、10件も交通事故の死亡者が出ているのに、マスコミがいろいろなことを煽りやすいものだけを重点的に取り上げる。
それによって飲酒運転バッシングが起こったわけだが、そのきっかけになった東名の姉妹を撥ね殺した飲酒死亡事故の場合、ウィスキー1瓶とチューハイ1缶を飲んでいた。
3人の子どもが犠牲になった福岡の飲酒死亡事故でも、運転者を含む3人で生ビールのジョッキを4杯、焼酎のボトル1本を空けたあと、スナックでブランデーの水割りを飲んだ後の事故であることがあきらかになっている。
両者とも、あきらかに泥酔運転であり、酒気帯びレベルの運転ではない。
しかし、警察は、日本人の程度を考えず、二分割思考(酒を一滴でも飲んだか、飲まないか)の特性を考えて、ビール一杯飲んだくらいで免許を取り上げる厳罰化を始めた。
それによって、地方の飲食店はバタバタとつぶれ、跡地には警察の天下り先のパチンコ屋ができているという話を何人もの地方出身者から聞いた。
アメリカでもフランスでも、食事のときに飲む酒では事実上つかまえない(ニューヨークは厳しいらしいが)。
しかし、マスコミはスマホのながら運転の事故はまず報道しない。
自分たちはタクシーチケットがあるから飲酒運転の心配はないが、スマホ運転が厳罰化されたら、わが身にふりかかるからと思えてならない。(※編注:このメルマガが出た時点では、スマホ運転の厳罰化は施行されていなかった)
さて、交通事故の犠牲者でもマスコミにまったく取り上げられない気の毒な人がいるが、それでも近所の人は同情してくれるだろう。
しかし、それ以上に、マスコミの人に殺された人たちは、自己責任の扱いを受ける。
たとえば、「セブンティーン」(集英社)という雑誌は、まだ判断力が未成熟な10代半ばの少女を読者対象にしているのに、BMIが15を切るようなモデルをトップモデルに起用したりしている。
それに憧れて、拒食症になった人はおそらく数多くいるだろう。
毎年、約100人が拒食症で死んでいる。
そういう雑誌が痩せすぎモデルと追放すれば、せめてティーンが読む雑誌だけでも追放すれば、半分くらいに減るはずだ。
実際、世界的に見ても、拒食症が出現したのはツィギー以降であり、それゆえ、とくにヨーロッパでは痩せすぎモデルは追放され、それを使った雑誌やテレビは罰金を支払わないといけない。
しかし、自分の子が、判断力のない中学生でも、痩せすぎモデルに憧れて、拒食症になって死んでも、自己責任の扱いを受ける。
死ななかったとしても、思春期に過度のダイエットを行うと、子宮や脳の発育に大きな悪影響を及ぼすとされている。一生赤ちゃんを産めない体にされる女性が年間1万人は出ているだろう。軽度の知的障害になって、ろくな働き口がなくても自己責任の扱いだ。
欧米だと、雑誌やテレビが断罪されるのに。
毎年、100人もの命をうばっておいて、この老人を叩く資格があるのだろうか?
WHOが再三にわたって、アルコール依存者を増やし、アルコール関連死を増やすからと、飲酒シーンを含む広告をやらないように勧奨しているのに、日本のテレビは自分たちの年収1,500万円を守るために、アルコールの飲酒シーンの広告はやめない。
日本のアルコール関連死は5万人というのに。
パチンコにしても200万人が依存症になり、それがらみの自殺は年に1,000人は出ているとされる。高齢者が起こす死亡事故より多いし、飲酒死亡事故の4倍もの数だ。
それでも金もうけのための広告はテレビ局はやめない。
自分たちこそ正義なのだ。
チャップリンは『殺人狂時代』の中で、「一人殺せば悪党で、百万人だと英雄だ」と叫んだ。日本という国も、一人か二人殺せば悪党だが、万単位で殺せば正義の国のようだ。
人殺しを断罪する前に、自分が何をやっているのか、胸に手を当てて考えられる人はいないのだろうか?
テレビに出たい人間(私にはクソにしか思えない)が、この手の本質的なテレビの批判をしない時代が続く限り、誰にも同情されない自己責任の扱いを受ける被害者は、毎年、万単位で出続けることだろう。
一定の確率で避けられない(飲酒運転をどんなに厳罰化しても、老人全員から免許を取り上げても毎年3000人は死ぬ)交通事故で亡くなる人より、そういう人が可哀相になってしまうのは、私が異常者だからだろうか?
和田秀樹(わだ・ひでき)
1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。国際医療福祉大学心理学科教授。和田秀樹こころと体のクリニック院長。「I&Cキッズスクール」理事長。一橋大学経済学部非常勤講師。製作・監督した『受験のシンデレラ』はモナコ国際映画祭で最優秀作品賞(グランプリ)を受賞し、『「わたし」の人生 我が命のタンゴ』もモナコで4部門受賞、『私は絶対許さない』でインドとニースの映画祭で受賞するなど、映画監督としても活躍している。
●『灘校物語』(和田秀樹・著/サイゾー・刊/定価1600円+税)
『灘校物語』は全国書店、ネット書店でお買い求めいただけます。 CYZO BOOK STORE(https://cyzo-two.shop-pro.jp/)でも、限定特典付き、著者の専門である個別受験カウンセリングをセットにした商品を販売中です。