7月に投開票された参院選では、元おニャン子クラブの生稲晃子氏(自民党)や、歌手で俳優の中条きよし氏(日本維新の会)、元陸上選手でタレントの松野明美氏(維新)、暴露系YouTuberのガ―シーこと東谷義和氏(NHK党)など、多くの著名人候補も当選を果たした。
その中で、れいわ新選組から比例区に出馬した、お笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士氏も見事に当選。維新の松井一郎代表か…
7月に投開票された参院選では、元おニャン子クラブの生稲晃子氏(自民党)や、歌手で俳優の中条きよし氏(日本維新の会)、元陸上選手でタレントの松野明美氏(維新)、暴露系YouTuberのガ―シーこと東谷義和氏(NHK党)など、多くの著名人候補も当選を果たした。
その中で、れいわ新選組から比例区に出馬した、お笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士氏も見事に当選。維新の松井一郎代表か…
7月10日に投開票された参院選でれいわ新選組から比例代表で立候補し、初当選を果たしたお笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士。たけし軍団からは、東国原英夫以来、2人目の議員となるが、今回の選挙活動をめぐって、肝心のビートたけしとの師弟関係が悪化しているという。
「立候補を表明した際、たけしが“俺を利用するな”と…
お笑い界の重鎮・ビートたけしの愛弟子でお笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士が6月22日公示の参議院選挙にれいわ新選組から比例代表で出馬予定。水道橋を担ぎ出した山本太郎代表の狙いは、師匠のたけしの支援を得ることだったことが関係者の取材で明らかになった。
「山本は、庶民に影響力を持つたけしに接近しようと接近を…
昨年11月より体調不良のため休養していた浅草キッドの水道橋博士が、4月1日より芸能活動復帰を発表した。1日には自身が編集長を務めるメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』で日記を更新。さらに2日発売の「アサヒ芸能」(徳間書店)では、相方の玉袋筋太郎とともに誌面に登場し「ピエール瀧の代わりにシャバに復帰しました」とひと笑いを取った。3日には、師匠であるビートたけしに挨拶をした様子がツイッターで報告されている。
気になるのは、そのルックスであろう。休養前よりかなり太ったようだ。これはナインティナインの岡村隆史が2010年に約半年間の長期休養を経て復活した時にも経験している。岡村も博士も小柄な体型であるだけに、余計体重の増加が目立ってしまうのだろう。だが芸人の中には「昔は太っていた」人物が少なくない。
「『昔太っていた芸人』の代表格といえばホンジャマカの恵俊彰でしょうね。いまやシャープな体型で、TBSのお昼の顔となっていますが、実はもともとはぷっくりとした体型でした。相方の石塚英彦は当時から太っており、両者を比べて『大デブと小デブ』とも呼ばれていましたね」(芸能関係者)
さらにホンジャマカより若手の芸人でも「昔は太っていた」芸人は多い。
「ビビる大木は、もともとかなり太っており13キロの減量に成功しています。コンビ時代は相方が痩せたキャラであったため、デブと痩せ身として対比的でしたね。劇団ひとりも痩せているイメージがありますが、昔はぽっちゃり体型でした。さらに禁煙により体重が10キロ増えてしまったため、食事のハシを右手から左手に持ち替えるメンタル的なダイエットで7キロの減量に成功しています」(同)
水道橋博士は、ダイエットを含め、視力矯正、増毛などあらゆる健康法を自分自身で実体験するストイックな性格で知られ、著作『博士の異常な健康 文庫増毛版』(幻冬舎文庫)もある。ただ「病的に痩せている」よりは現在の姿の方が健康的ともいえるかもしれない。
(文=平田宏利)
体調不良により昨年11月より芸能活動を休養している浅草キッドの水道橋博士に完全復活の兆しが見えている。
3月20日発行のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』186号では、スタッフの原カント君による編集後記で、博士が完全復活へ向けて動いており、最初の場はメルマガである旨が報告された。
さらに、これに合わせて博士のTwitterも、メルマ旬報関連のツイートをリツイートを始めている。博士は休養中も、作家の橋本治さんや、『噂の真相』の編集発行人であった岡留安則さんの訃報に際して短い言葉を発してきたが、ここまで積極的にTwitterが使われるのは新しい動きといえるだろう。くしくもこの日は、東京で桜の開花宣言が出されている。桜とともに博士にも“始まりの春”が訪れたのだろうか。
22日には、博士の著作『藝人春秋』(文春文庫)のKindle版が割引販売を開始し「Kindleストアランキング24時間で、14007位⇒28位に急浮上しました」との報告を受け、「どんだけ急上昇なんだよ!」と驚きのツイートをしている。リツイートばかりではなく、博士の生の言葉も徐々に聞けるようになっている。
博士のまず復活で聞きたいのは、やはり盟友ともいえる電気グルーヴのピエール瀧のコカイン逮捕についてであろう。浅草キッドと電気グルーヴは、90年代はじめに深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のレギュラーを同時期に務めていたことがあり、当時から親交がある。浅草キッドの漫才と電気グルーヴの演奏がジョイントしたライブイベント「2階からぎょう虫ぶら下げおじさん」を開催したことも。博士としても瀧の逮捕に思うところがあるだろうから、何かしらの見解を聞いてみたいものだ。
(文=相川ナロウ)
昨年11月に浅草キッドの水道橋博士が突如として芸能活動の無期限休養を発表した。その後は、TwitterをはじめとするSNSのほか、自身が編集長を務めるメールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」においても近況報告は行われていない。同12月に行われたイベントでは、先輩芸人であるガダルカナル・タカが「(復帰は)年内いっぱいは無理でしょう」とコメントをしていた。
博士は相方の玉袋筋太郎が、所属のオフィス北野退社を明言しており、コンビの所属事務所が異なる状態となっている。玉袋の退社発表と博士の休養のタイミングが重なったため、この件について博士からの反応はない。やはり気になるのは復帰のタイミングではないだろうか。
「博士と同じような例としてはナインティナインの岡村隆史が2010年に約5カ月間の長期休養を取っています。これでも異例のスピード復帰といわれていますので、少なくとも半年程度はかかるのではないでしょうか。そうなると今年春あたりが候補になりますね。3月はビートたけしの事務所独立騒動から丸1年となる節目のタイミングですし、5月1日には改元も行われます。文字通り『平成最後の復帰』を目指している可能性はありそうですね」(業界関係者)
ただ博士の体調不良は、事務所退社と独立に向けてたけし本人と話を詰めていたところ、たけしの愛人で新事務所社長を務める人物からパワハラまがいの圧力を受けたためともいわれている。単に仕事に復帰できればいいわけではなく、一筋縄ではいかないのが現状であろう。
「博士は『お笑い男の星座』シリーズや『藝人春秋』(ともに文藝春秋)など文筆活動でも知られていますから、休養体験なども必ずや作品に仕上げてくるでしょう。かつてはメルマガでも早朝に起床して日記の整理などを慌ただしくこなす様子が記されていました。今は名作を生み出すための準備期間と考えても良いかもしれません」(同)
どのような形、タイミングになるかはわからないが、博士復帰の日をじっくりと待ちたいところだ。
(文=平田宏利)
女優の酒井若菜が、体調不良で休養中の水道橋博士が編集長を務める有料メルマガ「水道橋博士のメルマ旬報」の代理編集長を務めると発表。明日、その1本目が配信される予定だ。
過去、同マガジンで連載をしていた酒井は12日、自身のブログで「博士さんのピンチにスライディングすることが、私の芸能生活の1つの役割なのではないかと思ってきた」「リニューアルする2月までの期間限定ではありますが、私が『水道橋博士のメルマ旬報』、編集長代理を務めます」と報告した。
「メルマ旬報」は2011年11月に創刊。「大人のコロコロコミック」「子どもの文藝春秋」を目指し、サンボマスター山口隆、クリープハイプ尾崎世界観、映画監督・園子温、元・日本テレビプロデューサーの土屋敏男、元K-1イベントプロデューサー谷川貞治、プロレスラー棚橋弘至など、多彩な執筆人約60名が名前を連ねる。博士自身も毎回、3万字を超える原稿を書いており、既存のメルマガとは一線を画すその分量と熱量から、コアなファンに支持されている。
そんなメルマガの編集長代理を務めることになった酒井は、グラビアアイドルとして活躍後、2002年に女優へ転身。ドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS系)や映画『恋の門』で演じた個性的なキャラクターが評価され、一躍注目を集めるも、05年に体調不良で約1年間の休養を余儀なくされた。その後は脇役ばかりで仕事に恵まれず、女優業は低迷。そんな中、小説やエッセーなど執筆業にも力を入れるようになり、現在までに小説1冊、エッセー本3冊を出版している。
「過去のインタビューで、『もしあの時休業しなかったら、私は小説も書かなかったし、エッセーも出さなかった』と話しており、休業がきっかけで彼女の文才は開花したようですね。彼女の書く文章は、その人柄がにじみ出た温かみのある文体で、随所に知性やセンスのよさを感じさせ、芸能界にもファンが多い。酒井さんは16年、10代の頃から膠原病(全身の皮膚、血管、筋肉、関節などに炎症が起こる病気)を患っていることを公表して話題になりましたが、そんなこともあって、彼女の書く文章はより深みを増しているのでは? 編集長としては、執筆人が全員女性のメルマガ『marble』を月2回出しているので、今回の『メルマ旬報』の作業も難なくこなせるでしょう」(文芸誌編集者)
先日はNHK『透明なゆりかご』や『グッド・ドクター』(フジテレビ系)で母親役を好演。来年1月公開の映画『LOVEHOTELに於ける情事とPLANの涯て』では濃厚な濡れ場を演じるといい、女優としてのキャリアも着々と積んでいる酒井。そんな二足のわらじを履く彼女の、今後の活躍が楽しみだ。
たけし軍団のお笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士が、体調不良により活動を休止していたことがわかったが、その背景には、やはり師匠・ビートたけしの独立騒動の影響があるという。
「博士は、たけしが愛人Fと暮らす等々力邸に頻繁に出入りしていたんですが、2カ月くらい前から、それがパタッとなくなった。その頃から精神的に不安定になったようで、“Fとの関係に悩んでいたのではないか”と言われています」(親しいバラエティ番組関係者)
騒動をおさらいしておくと、今年3月、たけしが所属していた「オフィス北野」から突如、独立。この時、弟子のたけし軍団が「オフィス北野」の森昌行社長の経営責任を追及したうえ、謝罪を求める声明文を発表し、芸能界を揺るがす大騒動となった。
「騒動の本質は、たけしに独立をそそのかして新事務所『T.Nゴン』の役員に収まった愛人Fと、オフィス北野との対立だったんですが、たけしは愛人問題を隠蔽しようと、軍団をけしかけたんです」(元オフィス北野社員)
とりわけ水道橋博士は、騒動のさなか、前面に立ってメディア対応に務めていたが、たけしは、軍団の中でメールマガジンや雑誌の連載を持つ博士を“広報係”として利用するため、いかに自分が事務所から搾取されているか、森社長をはじめとした役員が法外な報酬を得ているかを吹き込んだという。
「お笑いの世界は、師匠がクロと言えばクロ。博士も、『師匠のためなら、やるしかない』とこぼしていましたよ。Fの悪評を聞いたガダルカナル・タカは、たけしに具申したところ、逆に激怒され、Fから嫌われながらも、隠蔽に加担した。他の軍団メンバーも同じですよ」(お笑い関係者)
しかし、声明文で悪者扱いされた森社長が、「週刊新潮」(新潮社)誌上で反論。事実関係をことごとく否定されて軍団の正当性が崩れたこともあり、結局、話し合いによる和解に至った。
「“広報”として活躍した博士を、たけしは2日に1回のペースで等々力邸に呼び、博士も殿が寂しがっていると思って出かけていました。ところが、愛人から本妻との離婚を迫られたたけしは、博士を通じて、息子のAに『離婚するよう母親を説得しろ』など、無理難題を吹っかけたんです。息子が説得に応じないとわかると、今度はFがその矛先を博士に向けたそうで、博士も徐々に等々力邸に行かなくなったんです」(前出のバラエティ関係者)
一方、騒動をうやむやに収束させたオフィス北野は、早ければ今月末にも森社長が退社。新社長には軍団のつまみ枝豆が就任する。
「自分のことさえ売れなかった芸人が、事務所の社長になる。博士にとっては、お先真っ暗でしょう。Fとの関係や新事務所への不安がストレスになって、精神的に不安定になったようです」(前出のお笑い関係者)
実際、事務所も博士の体調不良は「過労、蓄積疲労によるもの」としており、復帰のめども立っていないという。さらに、相方の玉袋筋太郎の退社意向が報じられ、事務所に残留する博士との解散危機まで浮上した。
「たけしは、思い込みが激しい博士の性格を知りながら、独立騒動の本質隠しに利用した。それで休養を余儀なくされ、コンビ存続の危機にまで発展してるんだから、たけしの責任は重いですよ」(前出の元オフィス北野社員)
いまだに尾を引いている、たけしの独立騒動。新しく生まれ変わるオフィス北野や、浅草キッドのコンビの行方など、まだまだ目が離せそうにない。
浅草キッドの玉袋筋太郎が、所属事務所であるオフィス北野を退社することが10日、明らかになった。一方、相方の水道橋博士は前日に、過労蓄積疲労による当面の休養を発表している。
そこで気になるが、浅草キッドの今後であろう。玉袋はフリーで活動するのか、別の事務所に所属するのか定かではないが、コンビが異なる立場に置かれることになる。こうした例は過去にはあるのだろうか?
「所属事務所が異なっていたコンビとしては、わらふぢなるおがいますね。ボケ担当のふぢわらが、髭男爵、小島よしおらが所属する『サンミュージックプロダクション』、ツッコミの口笛なるおが、サンドウィッチマン、永野らが所属する『グレープカンパニー』所属でした。なぜ変則的かといえば、もともと別のコンビを組んでおり、解散後に現在のコンビを結成するも、そのままの事務所にとどまったためです。しかしスケジュール調整などに困難が生じたため、ふぢわらがグレープカンパニーに移籍し、現在は2人とも同じ事務所の所属となっています」(放送作家)
やはり現実問題として、事務所が異なると、コンビとしての仕事に支障が出るのだろう。だが、浅草キッドの師匠であるビートたけしも、コンビの事務所は別である。
「ビートたけしはビートきよしとツービートを結成していますが、たけしが太田プロダクションから独立しオフィス北野を設立した時、きよしは合流しませんでした。その後は、フリーからダテ企画を経て、オフィス北野所属となりました。しかし、たけし独立後には、再びオフィス北野を離れています」(同)
ただツービートは解散こそしていないものの、現在コンビとしての仕事はほとんどない。浅草キッドも、師匠と同じ道を歩むのだろうか?
(文=平田宏利)
4月8日、2時間半あまりの時間をかけてたどり着いた山梨県立文学館で、ぼくの目に最初にとびこんできたのは、壇上にいる、猟犬のような目をした一人の男であった。
「竹中英太郎没後30年 『竹中英太郎と労』父子を偲ぶトークのつどい」
戦前、江戸川乱歩や横溝正史らの名だたる作品を手がけ、多くの模倣者を生み出した挿絵画家の大家。そして、ルポライターの元祖。その父と息子を偲ぶ催し。思い出を語り懐かしむ中で、求められるのは、先達たちの思いと行動を、自分がどう理解し、取り込み、自らの行動に生かしていくかに尽きると、ぼくは思っているのだ。
英太郎のように、労のように生き、自らの作品を生み出したい。客席には、そんな想いで会場へとはせ参じた人たち。ぼく以外にも、みんなそう。そして、その一人が、壇上にいた。
いま、事務所の騒動をめぐりスポーツ紙とワイドショーを賑わす男・水道橋博士である。
イベントの始まりは、大工哲弘の島唄から。竹中労との思い出を語りながらの歌の時間。
水道橋は、東京から追いかけてきたマスコミ対応に追われて、その貴重な時間を堪能することができなかったと、後から聞いた。
そして、トークの時間。登壇者をひとりずつ紹介する司会の金子望(湯村の杜竹中英太郎記念館主宰)は、水道橋の番になると、まったく遠慮することもなく、こう切り出したのだ。
「いま話題の、水道橋博士さんです」
ドッと笑いに包まれる客席。でも、次の水道橋の一言で聴衆は、キリッとして視線を集中させた。
「今日はなんでも質問に応えます……いま、リアル風雲たけし城をやっている……」
そう語る水道橋の目は、明らかに獲物を狙う猟犬の目。都会のジャングルに潜む、ルポライターのまなざしであった。
水道橋が竹中労を語る姿を見るのは、これが2回目。前回は、2016年10月。やはり甲府で開かれた「竹中労没後25年今ふたたび『戒厳令の夜』特別上映会と労を偲ぶトークのつどい」の時である。
その時、水道橋は今回も同じく登壇した樹木希林から「竹中労を語るならば、心酔してやまない人物を加えたほうが盛り上がるだろう」と連絡を受け、奇跡的に、その時間だけスケジュールが空いていた幸運に恵まれ、駆けつけたのだった。
水道橋の十代からの竹中労への心酔は、これまで水道橋自身が機会があるたびに語っている。その時は、こう語っていた。
「自分もルポライターになりたかった。でも、コミュニケーションが苦手だから、いろんな人と取材で関わるルポライターになれないと思った。だから芸人になったんですが……自分は芸能界に潜入しているルポライターのつもりで、今でもやっていますよ」
それまでも、水道橋は幾度か自分のことを「芸能界に潜入しているルポライター」と称していた。でも、この時の立ち振る舞いは、まだ「芸能人」の側にいるように見えた。
というのも、この催しの翌日、ふと竹中労をTwitterで検索した時に見つけた、水道橋のツイート。そこで写真に写る彼は、トークや打ち上げでは見せることのなかった、いつもテレビで見せる芸能人らしい表情でフレームに収まっていた。
それから1年半余りが過ぎ、そんな表情の名残は欠片もなくなっていた。そのまなざしは、文字通り「芸能界に潜入しているルポライター」になっているように見えた。
そのきっかけが、一連の事務所の騒動なのか。あるいは、そうでないのかはわからない。
そもそも、いま、スポーツ紙やワイドショーを賑わしている騒動が、どれほど重大なものなのか。ぼくには、よくわからない。
でも、これだけはわかる。
竹中労が作品に刻んだ情熱は、世間の濁流に呑み込まれずに、何者かになろうと抗う人を心酔させ、追いつき、越したくなる目標として、永遠に色あせないということ、である。
そして、すでに作品を読んだことのある人は、竹中労の情熱は、父・英太郎から受け継がれたものであることを知る。竹中労の作品にしばしば登場する父子の情熱。その中でも、ぼくが何度も読み返す一節がある。
* * *
ひばりと「部落」の関係を書いたことで、私はさまざまな誤解をうけなければならなかった。まるで私自身が美空ひばりをダシにして、差別を強調したように、いろいろ言われた。私事にわたるが、私の父親は、その青春期に「水平社」の宣言を読んで感動し、熊本県のある「未解放部落」にとびこんだ経歴をもつ。そのとき、私の父親は十七歳であった。
その熱い血は、いま、私の体内に流れている。一昨年、父親は私の羽織の裏に、「せめて自らに恥じなく眠れ」と書いてくれて、穢多と署名してくれた。私はエタという二字を、差別とたたかい、人間に真に人間として解放する運動に一生をかける義務を、羽織の裏地に文字どおり背に負うている。
(初出:「週刊明星」1969年3月9日号 集英社『芸能界をあばく』1970年日新報道所収)
* * *
いま、水道橋は、羽織に刻まれた文字と同じものを、背に負うている。ぼくが「今の状況を受けて、これからどういうものを書いていくのか」と、問うた時に水道橋は、よどむことなく、こう話したのだ。
「芸能を愛でて、まつりごとをからかうこと。そこに、恥じることありません……なぜなら、自分は権力に従うことなどできないから……」
それから、一呼吸。
「そういったことが、読者に伝わるものを書きたい。自分は55歳になったけど、もう伸びるとは思えないなんて、あり得ないと信じているから……」
竹中労の絶筆となった「ダカーポ」1991年6月19日号(マガジンハウス)に掲載された連載「実戦ルポライター入門」。
死の直前まで、竹中労は取材し、書くことをやめなかった。
* * *
余命おそらく三~四ヶ月。
そして六日沖縄へ。ぼくにはもう、残された時間がない。
(「決定版ルポライター事始」1999年ちくま文庫所収)
* * *
ぼくも、いつの間にかそう思うようになっていたのだが「ルポライター」とは、単なる書くことで、いくばくかの金銭を得る職業ではない。インターネットで、手軽に知識を得る手段として用いられるウィキペディアには、ルポライターという項目はない。
一方ルポルタージュの項目を見ると「取材記者、ジャーナリスト等が、自ら現地に赴いて取材した内容を放送・新聞・雑誌などの各種メディアでニュースとして報告すること」
だとか「事件や社会問題などを題材に、綿密な取材を通して事実を客観的に叙述する文学の一ジャンル」という簡潔明瞭なことが書かれている。そして、ルポライターとは、そうしたものを書く人のことだという。
でも、竹中労の情熱を継ぎ、いつかは追い越したいと思っているぼくたちに、この説明は、まったくといってよいほどそぐわない。ルポライターというのは、何か自分でも説明がつかないようなものに突き動かされて、現場に足を運んでしまう、どうしようもない生き方のことをいうのだと思う。
竹中労がルポライターを名乗るよりも、ずっと以前。その父・英太郎は挿絵画家として、あちこちにひっぱりだことなり、現在の貨幣価値にして2億円、3億円もの稼ぎを得た。でも、英太郎は、大家としての地位を服を着替えるように脱ぎ捨てて、満州へと渡り、再び挿絵を描くことはなかった。戦後、竹中労の著作の表紙のために、再び絵筆をとるまでは。
今回の催しを司会した英太郎の娘婿の金子から、こんなことを聞いた。
「挿絵画家のことも、水平社のことも、こちらが尋ねても話すことはなかった……それが、英太郎のダンディズムだったのだろうと思ってる……」
それを聞いて、改めて気づいた。ルポライターという生き方は、竹中労だけでなく、英太郎と共に築かれたものであること。ぼくらは、その血脈を受け継いでいることを。
催しの翌日、甲府に一泊したぼくは、改めて竹中英太郎記念館を訪ねた。
初めて訪問してから、もう5年あまり。英太郎の娘であり、労の妹である館長の竹中紫は、いつも嬉しそうに歓迎してくれる。
「明日で、いよいよ開館15周年なんですよ」
紫にとっては、ただただ優しい肉親だった、父と兄。その生き様に感銘を受けて、記念館を訪れる人は絶えることがない。だから、ずっと記念館は続いている。そして、ぼくは、ここに来るたびに、自分の日々の取材と執筆と、生き様のことを振り返り、またルポルタージュを書きたい気持ちになるのだ。
今度の帰り道、腰に下げたコンパクトデジタルカメラを取り出して、記録した写真を眺めた。その中に、催しの後に山梨県立文学館の玄関で、記者から取材を受けている水道橋の一葉があった。ルポライターの生き様そのものの、猟犬のような目をした水道橋に対峙するテレビ記者は、どこか怯えた小動物のような目をしていた。
後日、水道橋を追いかけてきたワイドショーやスポーツ紙が報じたものを見た。どこも、水道橋のわずかなコメントを紹介するだけで、催しの中で語ったルポライターへの情熱を紹介したものはなかった。
当然、催しの詳細など語られることもなく「甲府市内で行われたトークイベント」とだけ。事情を知らない人が読めば「お笑いのイベントでもあったのだろうか」と誤解するような書きざまだった。
東京から水道橋を追ってきた記者たちが、壇上での水道橋の言葉を聞いていたかどうかは知らない。竹中労や英太郎のことに、なんらかの知識や興味があるのかも、わからない。
ただ、もし彼らが竹中労と英太郎のことを知っていたとしたら。そして、水道橋の言葉を聞いていたとしたら……あの、テレビ記者の小動物のようなまなざしの意味は、よく理解できる。
彼らは、確かに怯えていたのだ。たとえ<バクロ屋>と非難され、蔑みの意味で<ルポライター>と嘲笑されても、最下層から芸能界の不条理を、容赦なく追求し続けた情熱に。
そして、水道橋がその生き様に覚悟を決めたことを、どこか感じていたのだ。それは、お仕着せの
コメントを集めて、記事に仕立てるルーティーンを繰り返す、自分たちの存在理由を揺るがすものに、ほかならない。
いま、まさに時代は、書き手本人が、現場に足を運び取材して書くことに回帰しようとしている。そこで求められるのは、ルポライターの情念。そこに、魅せられることに、怯えている人も、まだ多いのだ。
いま、自分が手を付けているテーマのことを頭に思い浮かべて、一刻も早く、書き始めたくなった。ぼくは、思わずネクタイを締め直した。
(文=昼間たかし)
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