故・有賀さつきさんは「超マイペースな人だった」関係者が明かす“意外な素顔”

 2月5日に死去のニュースが伝えられた元フジテレビのアナウンサー・有賀さつきさんは、1月中旬に体調を崩して入院し、同30日に亡くなったというが、本人が家族にまで闘病を伏せていたことが話題となった。フジテレビで一緒に仕事をしたことのあるベテラン関係者によると「良くも悪くも、超マイペースな人だった」という。

「フジテレビは八木亜希子、河野景子と同期の“花の63年組”と呼ばれたけど、元祖アイドルアナみたいなもので、みんなバブリーな振る舞いだったよ。中でも有賀さんは、局で車通勤が禁止されてるのに、愛車のベンツで乗りつけて大先輩の露木茂さんに怒られたけど、そういうとき彼女は大げさに号泣して謝るから、年配の上司にはむしろかわいがられていた。新人時代に『スーパータイム』のレポーターをやっていたときも原稿がうまく読めないだけで泣き出す始末で、それを上司が『有賀の持ち味だ』と、かばっていた。当時はぶりっ子女子アナが全盛だったから、たとえ生本番でミスをしても『それがカワイイ』と褒められたぐらい。有賀さん、ニッポン放送のラジオでラッツ&スターのことを『黒塗りしてバカみたい』とか発言して始末書を書かされたときも、上司が代筆したんだ」(同・関係者)

 奔放さが許された時代の空気のせいか、有賀さんは独身時代、男性遍歴も数多く伝えられた。大物俳優の息子やプロデューサーらと次々に交際のウワサが立っていた。

「局の打ち上げパーティでも、2次会の頃には、すでに男と2人で抜け出していたりね。大のF1好きで、レポーターの川井一仁さんとの仲を報じられたこともあったけど、彼は本命ではなく、レーサーの中嶋悟さんの宿泊先に押し掛けていたんだよ。その後はゴルフに傾倒して、有名ゴルファーとも交際していたけどね」(同)

 どこまで本当かわからないほどゴシップが出ていたのも、人気女子アナならではだったが、2002年に上司である解説委員の和田圭氏と結婚。ただ、「プロポーズを断ったけど妊娠が判明して、刑務所に入るつもりで籍を入れた」と本人が後に語ったように、結婚生活はうまくいかず、4年後には離婚した。

 そんな彼女が当初、守っていたのが「娘の顔出しNG」だという。

「当時は有名人が子どもをメディアで紹介することが当たり前だったけど、有賀さんは相川七瀬、渡辺美奈代、田中律子らと並んで、娘の出演を頑なに拒否。それでも娘が大きくなって何度か出演させたことはあったけど、もともと信用できる関係者からのオファーでないと受けないところがあった」(同)

 07年には参院選で当時の民主党から出馬のオファーがあったというが、これも本人が「ありがたいお話ですけど、私生活をいろいろ掘り返されるのが嫌なので」と断ったという話だ。ある知人女性によると、「友達にも連絡あるとき、ないときが激しくて、半年間も音信不通だったこともあったり、約束をドタキャンした理由が『急にバラ園に行きたくなった』とかだった」という。

 そんな超マイペースの有賀さんは、最期まで自分流を貫いた印象だ。
(文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

故・有賀さつきさんは「超マイペースな人だった」関係者が明かす“意外な素顔”

 2月5日に死去のニュースが伝えられた元フジテレビのアナウンサー・有賀さつきさんは、1月中旬に体調を崩して入院し、同30日に亡くなったというが、本人が家族にまで闘病を伏せていたことが話題となった。フジテレビで一緒に仕事をしたことのあるベテラン関係者によると「良くも悪くも、超マイペースな人だった」という。

「フジテレビは八木亜希子、河野景子と同期の“花の63年組”と呼ばれたけど、元祖アイドルアナみたいなもので、みんなバブリーな振る舞いだったよ。中でも有賀さんは、局で車通勤が禁止されてるのに、愛車のベンツで乗りつけて大先輩の露木茂さんに怒られたけど、そういうとき彼女は大げさに号泣して謝るから、年配の上司にはむしろかわいがられていた。新人時代に『スーパータイム』のレポーターをやっていたときも原稿がうまく読めないだけで泣き出す始末で、それを上司が『有賀の持ち味だ』と、かばっていた。当時はぶりっ子女子アナが全盛だったから、たとえ生本番でミスをしても『それがカワイイ』と褒められたぐらい。有賀さん、ニッポン放送のラジオでラッツ&スターのことを『黒塗りしてバカみたい』とか発言して始末書を書かされたときも、上司が代筆したんだ」(同・関係者)

 奔放さが許された時代の空気のせいか、有賀さんは独身時代、男性遍歴も数多く伝えられた。大物俳優の息子やプロデューサーらと次々に交際のウワサが立っていた。

「局の打ち上げパーティでも、2次会の頃には、すでに男と2人で抜け出していたりね。大のF1好きで、レポーターの川井一仁さんとの仲を報じられたこともあったけど、彼は本命ではなく、レーサーの中嶋悟さんの宿泊先に押し掛けていたんだよ。その後はゴルフに傾倒して、有名ゴルファーとも交際していたけどね」(同)

 どこまで本当かわからないほどゴシップが出ていたのも、人気女子アナならではだったが、2002年に上司である解説委員の和田圭氏と結婚。ただ、「プロポーズを断ったけど妊娠が判明して、刑務所に入るつもりで籍を入れた」と本人が後に語ったように、結婚生活はうまくいかず、4年後には離婚した。

 そんな彼女が当初、守っていたのが「娘の顔出しNG」だという。

「当時は有名人が子どもをメディアで紹介することが当たり前だったけど、有賀さんは相川七瀬、渡辺美奈代、田中律子らと並んで、娘の出演を頑なに拒否。それでも娘が大きくなって何度か出演させたことはあったけど、もともと信用できる関係者からのオファーでないと受けないところがあった」(同)

 07年には参院選で当時の民主党から出馬のオファーがあったというが、これも本人が「ありがたいお話ですけど、私生活をいろいろ掘り返されるのが嫌なので」と断ったという話だ。ある知人女性によると、「友達にも連絡あるとき、ないときが激しくて、半年間も音信不通だったこともあったり、約束をドタキャンした理由が『急にバラ園に行きたくなった』とかだった」という。

 そんな超マイペースの有賀さんは、最期まで自分流を貫いた印象だ。
(文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

元フジテレビアナウンサー有賀さつきの死去で注目される、「花の3人娘」の波瀾万丈人生模様

 元フジテレビアナウンサーでタレントの有賀さつきが、1月30日に港区の山王病院で亡くなっていたことが、1週間後の2月5日にわかった。52歳だった。

「痩せたので心配していた、カツラをつけて仕事をしていた、など、“今思えば”な関係者からのコメントは出てくるものの、有賀さんは、実の父親にさえ正確な病状を知らせていなかったようで、その真相をひとりで抱えたまま召されてしまいました」(芸能記者)

 有賀は、1988年にフジテレビに入社。同期の河野景子、八木亜希子とともに「花の三人娘」と呼ばれて人気者に。女子アナブームの先駆けとなった。

「三人娘の中でも、有賀さんの存在は大きかった。八木は単体では地味だし、河野は美形ですがキャラクターが薄かった。対して、有賀さんは背も高くパッと華やかで、発言も奔放。高いタレント性を備えており、新しい女子アナ像を身をもって提示してくれた。それが、現在の女子アナ人気につながっていることは、疑いようがありません」(フジテレビ関係者)

 かつて“旧中山道”を「きゅうちゅうさんどう」と読んだことから、おバカアナの先駆けと思われてきたが、最近はクイズ番組などで難問をすらすら解答する博識ぶりを見せており、タレントとしても、まだまだ活躍できたに違いない。

 だが、フジ退社後の3人の人生が、表舞台で再びクロスすることはなかった。

 八木は、お笑い芸人のウッチャンナンチャン内村光良との熱愛、明石家さんまとのウワサ、後輩のフジテレビアナウンサー・野島卓との社内恋愛を経て、2002年、大学時代の同級生である会社員と結婚。フリーアナとしてマイペースな活動を続けながら、昨年は『陸王』(TBS系)のナレーションを務めるなど、3本の話題ドラマに関わっている。

 だが、すべてが順調かというと、決してそうではなさそうだ。

「夫との夫婦関係は決して良好ではなく、本人の口からも『もう形だけの夫婦』という発言があったという報道もあり、仮面夫婦状態が10年近く続いているといいます。結婚時に37歳だったこともあり、子宝にも恵まれなかったようですね」(芸能記者)

 一方、河野の現在はというと、言わずと知れた貴乃花部屋の女将だが、

「貴乃花親方は元横綱・日馬富士の貴ノ岩暴行事件によって、相撲協会との確執が浮き彫りになり、先の理事選でも落選。有望な力士は増えてきましたが、協会はもちろん世間からの逆風も強く、女将さんである景子夫人にとっても、しばらくは苦しい日々が続くのではないでしょうか」(スポーツ紙記者)

 こう見ていくと、三人娘は“花”というより“茨”の人生を送っているように見える。残された2人は、有賀の分まで幸せになってもらいたいが――。

元フジテレビアナウンサー有賀さつきの死去で注目される、「花の3人娘」の波瀾万丈人生模様

 元フジテレビアナウンサーでタレントの有賀さつきが、1月30日に港区の山王病院で亡くなっていたことが、1週間後の2月5日にわかった。52歳だった。

「痩せたので心配していた、カツラをつけて仕事をしていた、など、“今思えば”な関係者からのコメントは出てくるものの、有賀さんは、実の父親にさえ正確な病状を知らせていなかったようで、その真相をひとりで抱えたまま召されてしまいました」(芸能記者)

 有賀は、1988年にフジテレビに入社。同期の河野景子、八木亜希子とともに「花の三人娘」と呼ばれて人気者に。女子アナブームの先駆けとなった。

「三人娘の中でも、有賀さんの存在は大きかった。八木は単体では地味だし、河野は美形ですがキャラクターが薄かった。対して、有賀さんは背も高くパッと華やかで、発言も奔放。高いタレント性を備えており、新しい女子アナ像を身をもって提示してくれた。それが、現在の女子アナ人気につながっていることは、疑いようがありません」(フジテレビ関係者)

 かつて“旧中山道”を「きゅうちゅうさんどう」と読んだことから、おバカアナの先駆けと思われてきたが、最近はクイズ番組などで難問をすらすら解答する博識ぶりを見せており、タレントとしても、まだまだ活躍できたに違いない。

 だが、フジ退社後の3人の人生が、表舞台で再びクロスすることはなかった。

 八木は、お笑い芸人のウッチャンナンチャン内村光良との熱愛、明石家さんまとのウワサ、後輩のフジテレビアナウンサー・野島卓との社内恋愛を経て、2002年、大学時代の同級生である会社員と結婚。フリーアナとしてマイペースな活動を続けながら、昨年は『陸王』(TBS系)のナレーションを務めるなど、3本の話題ドラマに関わっている。

 だが、すべてが順調かというと、決してそうではなさそうだ。

「夫との夫婦関係は決して良好ではなく、本人の口からも『もう形だけの夫婦』という発言があったという報道もあり、仮面夫婦状態が10年近く続いているといいます。結婚時に37歳だったこともあり、子宝にも恵まれなかったようですね」(芸能記者)

 一方、河野の現在はというと、言わずと知れた貴乃花部屋の女将だが、

「貴乃花親方は元横綱・日馬富士の貴ノ岩暴行事件によって、相撲協会との確執が浮き彫りになり、先の理事選でも落選。有望な力士は増えてきましたが、協会はもちろん世間からの逆風も強く、女将さんである景子夫人にとっても、しばらくは苦しい日々が続くのではないでしょうか」(スポーツ紙記者)

 こう見ていくと、三人娘は“花”というより“茨”の人生を送っているように見える。残された2人は、有賀の分まで幸せになってもらいたいが――。

「避妊もせずに被害者ヅラ」有賀さつき、でき婚夫との“仮面夫婦”告白で大炎上

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有賀さつきオフィシャルサイトより

 元フジテレビアナウンサー・有賀さつきが、6日に出演した『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)での発言をめぐり、ネット上で大炎上している。有賀は2002年、当時の上司であったフジテレビ社員・W氏とできちゃった婚、同年に長女を出産していたが、当時の心境を「子どもができたから」「刑務所に入る覚悟で結婚しよう(と決断した)」としたことから、「子どもの気持ちを考えろ」といった批判が殺到した。

 有賀はW氏との結婚生活を振り返り、「新婚当初から仮面夫婦だった」と激白。結婚生活は4年でピリオドを打っているが、実際には別れ話の直後に妊娠が発覚し、タイプでもなければ話も噛み合わなかったW氏と結婚生活を決意せざるを得なくなったという。さらには「1人で寝るのが好きなので、1人で寝かせてください」と別々に寝ていたこと、心労から連日嘔吐し激ヤセしたことなどを明かした。