ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。

映画は嘘をつくメディアである。優しい嘘で塗り固めた新人監督の社会派コメディ『鈴木家の嘘』

 こんなに笑えるシリアスドラマがかつてあっただろうか。いや、近年稀に見るヘビィなコメディと称するべきか。野尻克己監督のデビュー作『鈴木家の嘘』は、“自死”という重たい題材を優しい嘘でふんわりと包み込んだ温かい作品だ。嘘を重ねることで、崩壊していた一家が少しずつ再生していく姿を描いた倒錯的な物語に魅了される。

 1974年生まれの野尻監督は、これまでに『まほろ駅前多田便利軒』(11)の大森立嗣監督、『舟を編む』(13)の石井裕也監督、『恋人たち』(15)の橋口亮輔監督らの助監督を長年つとめてきた。待望の監督デビュー作は、野尻監督の手によるオリジナル脚本作となっている。処女作には作家のすべてのエッセンスが詰まっているとよく言われるが、野尻監督の場合もそのようだ。野尻監督自身がお兄さんを自死で失っており、そのことを周囲に話すことができずにいた。この体験がモチーフとなって、本作が誕生している。

 ずっと部屋に引きこもっていた鈴木家の長男・浩一(加瀬亮)が自室で首をつるシーンから物語は始まる。異変に最初に気づいたのは、昼食を作っていた母・悠子(原日出子)だった。悠子は息子を救おうと懸命にロープを包丁で切ろうとするが、パニック状態に陥ってなかなか切断することができない。夜になって大学から帰ってきた娘の富美(木竜麻生)は驚いた。息の絶えた兄と手首から血を流す母を見つけてしまったからだ。

 浩一の四十九日の法要。遺骨を抱え、途方に暮れる父・幸男(岸部一徳)と富美、そして法要に参加した叔母の君子(岸本加世子)と母方の叔父・博(大森南朋)。お寺は自死者を嫌って、納骨を拒否したのだ。キリスト教以外でも、自死を認めない宗教は少なくない。4人が法要できずにいるところに、病院から連絡が入ってきた。あの日以来、悠子は病院で意識不明のまま眠り続けていたのだが、ようやく目を覚ましたらしい。4人が病院に駆け付けると、悠子は「浩一は?」と尋ねる。事件のショックで健忘症となり、あの日のことは悠子の記憶から抜け落ちていた。思わず富美は「お兄ちゃんはアルゼンチンにいる」と答えてしまう。博がアルゼンチンで赤えびの養殖業を始めており、とっさに思いついた嘘だった。

 悠子の精神状態を心配して、鈴木家ではその嘘を突き通すことになる。富美が文面を考え、博が雇っているアルゼンチン駐在員の北別府(宇野祥平)が浩一の筆跡を真似た絵ハガキを悠子宛に郵送する。さらに古着屋で買ったアルゼンチン生まれの英雄チェ・ゲバラのTシャツを浩一からの贈り物だと言って渡す。死んだはずの浩一が、鈴木家では生きていることになる。しかも、引きこもりを克服して、明るくなった家族想いの長男として。悠子が笑顔でいられるよう、それまでバラバラだった鈴木家は一致団結する。長男の自死によって生じた大きな心の穴を、残された家族で懸命に埋めようとする姿はどこかおかしくて、そして哀しい。

 ペーソス漂うコメディに、岸部一徳はよくハマる。岸部演じる父・幸男は息子が亡くなって間もないのに、ソープランドで騒ぎを起こす。ソープのサービス料金を持ってきた娘の富美に引き取られ、とぼとぼと自宅に帰る幸男の情けない表情が味わい深い。幸男は憂さ晴らしのためにソープランドに行ったわけではなかった。息子の部屋からソープ嬢・イヴちゃんの名刺が見つかり、イヴちゃんに一度会いたくてソープランドを訪ねたことが後日分かる。亡くなった息子が何を考え、どんな女の子が好きだったのか父親として知りたかったのだ。父・幸男もまだ息子の死を受け入れられずにいる。

 女相撲を題材にした瀬々敬久監督の『菊とギロチン』(18)でヒロインに選ばれた若手女優・木竜麻生は、今回さらにナイーヴな難役への挑戦となった。兄が首をつった現場を目撃しただけでなく、警察の遺体確認にも立ち会った富美はトラウマとなって、夜は眠れず、勉強にも部活の練習にも身が入らない。何よりも、部屋に引きこもっていた兄に優しい言葉を掛けられずにいたことに自責の念を感じていた。富美の通うグリーフケアの集いがリアルに描かれる。自死によって家族や恋人を失った人たちが円座となって、それぞれの体験を語り合う。思春期の娘を失った母親、夫が鉄道自殺を遂げたために多額の賠償金を請求されている主婦。強烈な体験の持ち主たちに囲まれ、富美はひと言もしゃべることができない。心のキズは時間をかけて少しずつ癒していくしか方法はなかった。

 映画とは、もともと嘘をつくメディアだ。赤の他人である俳優たちが偽物の家族を演じ、偽りの愛の言葉を交わし合って偽りの恋人たちを演じるのが劇映画だ。でも、そんな嘘の中にほんの少しの真実が混じっていることで、観客は心地よく騙され、共鳴することになる。フィクションだと分かっていても、つい笑ってしまい、涙をこぼすことになる。『鈴木家の嘘』の中で描かれる“嘘”の中に混じっているものは、キズついた家族を思いやる優しさだろう。そして亡くなった息子が今も元気に生きているという嘘をつくことで、不在のはずの息子の存在を家族それぞれが心の中で確かめ合うことになる。嘘の中に含まれた真実が、ボロボロになった家族を辛うじて支える。

 野尻監督はお兄さんが亡くなったことを10年間ほど人に話すことができなかったそうだ。自死で亡くなったと話すとその場が凍ってしまうため、病気で亡くなった、事故で亡くなったと嘘をたびたびついていたという。監督デビュー作に向き合うとき、改めて思い浮かんだのが死因を周囲に隠していたお兄さんの存在だった。

「兄の死を正面から扱うことだけは決めていました。しかし、あの日の光景が脳裏に浮かんできては涙が止まらず、脚本を書くことが時には困難でした。何度も形を変えようと思いましたが、ここだけは逃げてはいけないと思い書き上げました。ヒロインの富美がもがき苦しんだり、『自死遺族の会』に通ったり、鈴木家の父・幸男の過去のエピソードは実体験や取材をもとに形を変えて入れています」と野尻監督は語っている。

 苦心に苦心を重ね、亡くなったお兄さんとの思い出を、笑える温かい劇映画へと昇華させた。映画づくりが、野尻監督にとってのいちばんのグリーフケアとなったのではないだろうか。
(文=長野辰次)

『鈴木家の嘘』
監督・脚本/野尻克己
出演/岸部一徳、原日出子、木竜麻生、加瀬亮、吉本菜穂子、宇野祥平、山岸門人、川面千晶、島田桃依、金子岳憲、レベッカ・ヤマダ、政岡泰志、岸本加世子、大森南朋
配給/ビターズ・エンド PG12 11月16日(金)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
(c)松竹ブロードキャスティング
http://suzukikenouso.com

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石田ゆり子、新作映画で久々“官能シーン”披露! 過去には激エロ「手淫」も……

 大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)など、“可愛すぎるアラフィフ”として不動の人気を確立している石田ゆり子が、来秋公開の映画『マチネの終わりに』で久々の官能シーンを演じると、7月23日発売の「週刊ポスト」(小学館)が報じている。

 原作は芥川賞作家・平野啓一郎氏の小説で、ジャーナリスト役の石田は、福山雅治演じる天才クラシック・ギタリストと「禁断の恋」に落ちるという内容。

「石田はアメリカ人のフィアンセがいながら、別の男に惹かれてしまうという役どころ。彼女は年齢のせいか、最近は肌の露出に抵抗があるそうですが、今回の原作にはフィアンセに激しく体を求められるシーンもあるため、久しぶりに彼女のベッドシーンが拝めそうです」(映画ライター)

 石田の濡れ場といえば、思い出されるのは1997年放送のドラマ『不機嫌な果実』(TBS系)だろう。ここで彼女は不倫セックスに溺れる役を大胆に演じ、話題を呼んだものだった。

 しかし石田には、『逃げ恥』路線からは想像もできないような過激艶技を披露している作品が他にもあるのだ。それが2015年に公開された映画『悼む人』(東映)だ。映画ライターが振り返る。

「DV夫から逃げた石田は、井浦新演じる寺の息子に救われ、生きる喜びと初めてのエクスタシーを教えられる。それゆえ、夜の営みは激しく、井浦が正常位で深く突き立てると、石田は『私にできることなら何でもする!』と叫ぶのです」

 圧巻だったのは、“手淫”シーン。この映画ライターが興奮した口調で続ける。

「暗がりの中、井浦に下半身の秘部に指を挿入された石田の口から甘い吐息と共に『アン……アン、アン』とアエギ声が漏れ出す。そして、指の動きが速まるにつれ、悦びの声は間隔が短くなり、やがて上体が弓なりにのけぞると、足の爪先がピンと伸びて昇天するのです。さらにこの後、石田は高良健吾演じる主人公を相手に、白昼の山中で野外セックスにも挑んでいます。ズボンと純白の下着をはぎ取られ、正常位で貫かれうつろな目で口を半開きにしている表情に股間がビンビン刺激させられましたよ」

『マチネの終わりに』では、この時を越える濃厚シーンを期待したいものだ。

福士蒼汰『BLEACH』、初登場4位で「どう見ても大コケ」「キャラが浮いてる」の声

 7月20日に公開された映画『BLEACH』が、全国週末興行成績ランキングで初登場4位(興行通信社提供/全国動員集計)となった。ネット上からは「見事なまでの爆死ですね」「納得のいく実写化とは言えないからしかたない」と冷たい目線が向けられている。

 久保帯人の人気マンガが原作とあって、制作発表時から注目を浴びていた実写映画『BLEACH』。死神の力を与えられた高校生・黒崎一護が、魂を食らう悪霊・虚(ホロウ)に立ち向かう姿を迫力のアクションによって展開する。一護役に福士蒼汰、一護に力を与える死神・朽木ルキア役に杉咲花を迎え、ほかに吉沢亮・早乙女太一・MIYAVI・江口洋介・長澤まさみといったキャストが名を連ねた。

「300を超えるスクリーンでの公開になりましたが、公開2週目の『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(1位)、『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』(3位)に太刀打ちできず。同日公開作品でも『未来のミライ』(2位)に軍配が上がっています。この結果にネット上では、『どう見ても大コケじゃないですか……』『「BLEACH」みたいな大作系で初登場4位はヤバいな』『正直期待していなかったからね。むしろ順当な結果じゃない?』『キャストがいろんな番組でPRしてたけど、客足には全然つながらなかったか』といった声が続出しました」(芸能ライター)

 作品の評価も賛否が入り乱れ、原作ファンからはネガティブな感想が相次いでいる。

「人気マンガを実写化すると、どうしても元のイメージが損なわれて批判されがち。今回は原作の『死神代行篇』をメインにVFX満載のバトルが描かれましたが、実写化への“呪縛”からは逃れられませんでした。原作ファンからは、『各キャラクターが浮いてて、単なるコスプレ映画っていう印象が強い』『原作に近づけようと頑張ったのはわかるけど、全員ミスキャスト感ハンパなかった』『「銀魂」や「るろうに剣心」の実写化に比べて、全体的に薄っぺらい』といったクレームが向けられています」(同)

 批判の声が上がる一方で、原作者の久保は映画を鑑賞して安堵した様子。“原作と違う点はもちろんある”と前置きしつつ、「スピードとスケール感のあるアクションは、日本映画として新しいレベルに到達しています」と自筆のコメントをTwitterで発表している。

「久保は映画について、『気に入らなかったらコメント書かないよ』と周囲に言っていたそうです。結果的に合格ラインをクリアしての評価に至り、『コメント書けて良かった。どんなものか、是非観に行って確かめて下さい』とアピール。久保が指摘したように、ネット上でも『邦画アクションのレベル、こんなところまで来てたんや』『福士蒼汰と早乙女太一のバトルシーンはマジですごくて、このシーンだけで元が取れる』『終盤の剣劇シーンが、完全に別の次元に達してる』などとアクションを絶賛する声が多く見られました」(同)

 スタートからつまずく形になってしまった映画『BLEACH』。久保も太鼓判を押すアクションシーンが観客動員につながるか、今後の推移に注目したい。

 

女性器をひたすら撮り続けたカメラマンがいた!! 安藤政信主演『スティルライフオブメモリーズ』

 女性器は不思議だ。女性が脚を開いていると、どうしても気になってしまう。ベランダに咲いた花の匂いを嗅ぐように、思わず顔を近づけたくなってしまう。その日の天候や水加減によって花の咲き方が毎日少しずつ変わるように、女性器も少しずつ変化していく。日によって濡れ具合や開き方も微妙に変わってくる。もちろん、男女の関係も大きく左右する。そんな女性器の魅力に取り憑かれてしまった、ひとりの男がいた。安藤政信主演映画『スティルライフオブメモリーズ』は、女性器をひたすら撮影し続けたカメラマンの実話をヒントにした風変わりな物語だ。

 売り出し中のカメラマン・春馬(安藤政信)は奇妙な仕事の依頼を受ける。依頼人は美しく、知的な雰囲気をたたえた怜(永夏子)。彼女からの仕事の条件は2つ。春馬からは質問しないこと、そして撮影したフィルムはそのまま手渡すということ。週に一度、人里離れた廃墟寸前の別荘にて、春馬と怜の2人っきりでのフォトセッションが始まった。カメラを手にした春馬の前で、怜は下着を脱ぐ。怜は股間を指差し、ここを撮ってほしいと言う。初対面の怜からの突拍子もない注文に、春馬は面喰らってしまう。

 春馬が先日まで開いていた個展では、モノクロ写真として接写した植物がテーマとなっていた。春馬が撮った花のつぼみや花弁には気品が漂い、怜には写真から音が聞こえてくるように思えた。生と死が同価値のものとして同時存在する春馬の写真を気に入った怜は、自分も同じように撮ってほしいと考えたのだ。しばらくは戸惑っていた春馬だが、撮り進めていくうちに自分から怜の衣服を脱がせ、脚の開き方を指示するようになっていく。怜の女性器を接写しながら、春馬は新しいテーマを見つけたような高揚感を覚えていた。

 春馬が怜の女性器の撮影に熱中する一方、同棲中の恋人・夏生(松田リマ)と春馬との関係も続いていた。より若く、しなやかな肉体美を誇る夏生の若草のような陰毛に彩られた女性器は、怜のそれとはまた違うことに春馬は気づく。春馬がカメラマンとしての新しいテーマを見つけたことを喜ぶ夏生だが、自分以外の女性をモデルとしていることには複雑な心境だった。ある日、夏生は妊娠したことを春馬に告げる。夏生は絶対に産むという。春馬は不思議に思う。女性器の向こう側から、新しい生命が、自分の子どもが降臨するという事実に。長い長いトンネルを潜り、春馬は夏生と暮らす自宅と怜が待つ別荘とを往復することになる。

 本作のモチーフとなっているのは、フランスの画家・写真家アンリ・マッケローニの写真集『とある女性の性器官写真集百枚 ただし、二千枚より厳選したる』。マッケローニが2年間にわたって恋人の女性器を撮り続けたものだ。フランスでマッケローニが初めて写真展を開いた際は、婦人団体の抗議運動が起き、大変な騒ぎになったらしい。2016年にマッケローニは亡くなったが、今でも彼が情熱を注いだ写真集は、日本への輸入は禁じられたままとなっている。そんなマッケローニの逸話をもとに映画化したのは、R指定作品『ストロベリーショートケイクス』(06)や『不倫純愛』(11)などを手掛けた矢崎仁司監督。前作『無伴奏』(16)では成海璃子の初濡れ場が話題を呼んだが、池松壮亮と斎藤工との過激なラブシーンがより印象に残った。世間的にアンモラルとされる題材を扱うことで、本領を発揮する監督である。

 春馬が質問することを怜は禁じていたが、逆に怜は春馬に尋ねる。どうしてカメラマンになったのかと。春馬の答えはこうだ。若い頃に一枚の気に入った写真を見つけ、自分もその写真の中へ入っていきたいと思うようになったのだと。被写体と一体化するためにカメラマンになったのなら、今の春馬は怜の女性器の中へ入っていきたいということになる。むきだしの怜そのものと一体化したいということではないのか。

 春馬が撮影したフィルムを現像することを拒んでいた怜だったが、「フィルムは撮影しただけでは未完成なんだ」と春馬から懇願され、それまで撮り溜めていたフィルムを現像することに同意する。暗室の中、現像液にひたした印画紙から次第に怜の大切な部分が姿を現わし始める。写真の中の怜の女性器は一枚一枚が違った表情を見せていた。それは怜が女として生きている証しであり、怜と春馬の想いがひとつになった瞬間でもあった。

 女性器は不思議だ。ひとつひとつの花が色や形が異なるように、ひとりひとりの女性器もずいぶんと異なっている。女性器をずっと見つめていると、まるで女性器そのものがその人の中心であり、手足や頭は女性器に付随した部位であるように思えてくる。街を行き交う人たちは、女性も男性もみんな逆立ちをして、本当の顔を隠しながら歩いているかのようにすら思えてくる。女性器を見つめていると、やがて女性器は語り掛けてくる。彼女は何を伝えたがっているのだろうか。ただじっと見つめ、静かに会話するしかすべはない。
(文=長野辰次)

『スティルライフオブメモリーズ』
原作/四方田犬彦 脚本/朝西真砂、伊藤彰彦 監督/矢崎仁司
出演/安藤政信、永夏子、松田リマ、伊藤清美、ヴィヴィアン佐藤、有馬美里、和田光沙、四方田犬彦 
配給/「スティルライフオブメモリーズ」製作委員会 7月21日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次ロードショー
(c)2018 Plaisir/Film Babdit
http://stilllife-movie.com

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人気漫画家・押見修造の思春期の体験を映画化! 苦い青春『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

 自分が心の中で感じたこと、考えたことを完璧に話すことができる人はこの世界にどれだけいるのだろうか。うまい言葉を見つけ、誰かに伝えようとすればするほど、サイズの合わない靴を履いてしまったような違和感を覚えてしまう。映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、『アバンギャルド夢子』『惡の華』(講談社)などで知られる人気漫画家・押見修造が10代の頃に吃音症に悩んだ実体験をベースにした同名コミック(太田出版)の実写化作品だ。コンプレックスを抱えた思春期の少年少女たちが傷つきながらも成長していく姿を、真摯に描いた作品となっている。

 大島志乃(南沙良)は入学したばかりの高校1年生。新しいクラスでさっそく一人ずつ自己紹介することになるが、志乃は自分の名前を言えずにいた。ずっとひとりで自己紹介の練習をしてきたが、クラスメイトが見ている前ではどうしても言葉が詰まってしまう。焦るあまり、「……志乃、大島です」と名乗ってしまう。母音が特に言いづらいのだ。志乃が吃音症であることを知らないクラスメイトたちは爆笑する。サイアクの高校デビューだった。

 自己紹介でつまずいてしまった志乃は、普段の授業でも発言できなくなってしまう。担任の教師(山田キヌヲ)は志乃を呼び出し、「緊張しているのかな? 名前くらい言えるようになろうよ。がんばって」と励ます。志乃はがんばっているが、どうがんばっても心で思っていることが口に出来ないから苦しいのだ。昼休みにひとりでお弁当を食べていた志乃は、同じクラスの加代(蒔田彩珠)が休み時間はいつもイヤホンをして音楽を聴いていることに気づく。志乃と違って孤高さが漂い、かっこいい。声を掛けられずに志乃がもじもじしているのを見て、加代はぶっきらぼうに「しゃべれないなら、書けばいいじゃん」とメモ帳とペンを渡す。これがきっかけで、志乃は加代の自宅に遊びにいくようになる。

 加代はロック好きで、ギター演奏に熱中していた。志乃にせがまれた加代は「絶対に笑うなよ」と念を押してから、ギターを手に歌い出す。加代はかなりの音痴だった。加代の意外な一面を知った志乃は、思わず表情を緩めてしまう。このことが加代の逆鱗に触れた。音痴であることは、音楽を愛する加代にとってのトラウマだったのだ。加代はギターを投げ捨てて、「帰れ!」とマジ切れしてしまう。志乃はせっかくできた初めての友達を失ってしまった。

 本作は乃木坂46のショートムービー「天体望遠鏡」やミュージックビデオ「無口なライオン」などを手掛けてきた湯浅弘章監督の長編デビュー作。これまで美少女アイドルたちのキラキラした輝きを映像に収めてきた湯浅監督だが、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』はキラキラと輝けない高校生たちの苦くて、かっこ悪い物語だ。リアルな青春ものにするため、湯浅監督はメインキャストをオーディションで決めている。志乃役の南沙良は、三島有紀子監督の『幼な子われらに生まれ』(17)で義父役の浅野忠信を相手に迫真の親子ゲンカを演じてみせた。加代役の蒔田彩珠も、是枝裕和監督の『三度目の殺人』(17)で福山雅治の娘を好演し、これからが楽しみな逸材だ。

 将来性豊かな南沙良と蒔田彩珠だが、どちらも本作が初めての映画主演。吃音や音痴に悩む主人公たちの繊細な内面にどうアプローチすればいいのか戸惑う2人に対し、湯浅監督は細かい演技指導はしないという立場を貫いた。2人は本気で悩み、日々のシーンを手探りで演じていくしかなかった。加代が音痴なことをつい笑ってしまった志乃は、路上で大号泣しながら謝る。自分がコンプレックスで苦しんでいるのに、他人のことを笑うなんてサイテーだ。志乃役を演じる南沙良は涙と鼻水が滝のように流れ落ちるのを手でぬぐうこともせず、言葉にできない感情を爆発させる。役と本人がシンクロしていく瞬間を、我々は目撃することになる。

 和解した志乃と加代はバンドを組んで、秋の文化祭出場を目指す。うまくしゃべることはできない志乃だが、歌を歌うことは平気だった。しかも、澄んだ声の持ち主だった。バンド名は「しのかよ」。夏休みの間、2人は度胸づけのために、隣町まで出掛けて路上演奏することを日課にした。「しのかよ」がバンドとして成長していく様子を、原作よりも映画はたっぷり時間を割いて描いていく。ロケ地となった静岡県沼津市の海沿いののどかな風景の中で、不器用な2人の少女がゆっくりと友情を育んでいく姿が無性に愛おしく思える。

 無為な日々を過ごしていた女子高生たちが、文化祭に向けて張り切っちゃう青春ストーリーといえば、山下敦弘監督の『リンダリンダリンダ』(05)が思い浮かぶが、香椎由宇やペ・ドゥナたちがブルーハーツのお気楽コピーバンドだったのに比べ、近年の青春映画はハードルが高い。劇場アニメ『心が叫びたがってるんだ。』(15)がオリジナルのミュージカルを上演するように、「しのかよ」もオリジナル曲で文化祭のステージに立とうとする。加代が作曲、志乃が作詞して歌うという、加代が考えたプランだった。加代という親友ができたことに充分満足している志乃に、これは重荷だった。さらに志乃の吃音をクラスで真っ先に笑った男子の菊地(萩原利久)がバンドに入れてほしいと懇願してくる。お調子者に見える菊地だが、空気をいつも読めず、中学時代はイジメに遭っていた。「しのかよ」の路上演奏を見て、感激したというのだ。文化祭が近づくが、志乃と加代の間にビミョーな距離が生じていく。10代の彼女らにとって、このビミョーな隙き間は大きな溝となってしまう。

 原作コミックのあとがきを読むと、押見修造は中学2年のときに吃音に悩み、言いたいことが口にできない内向的な性格になったと述べている。だが、そのお陰で他人の表情や仕草から内面を読み取る能力が発達し、蓄積した想いを漫画執筆へと昇華できるようになったと思春期の悩みをポジティブなものへと転嫁している。新作アニメ『未来のミライ』が7月20日(土)から公開される細田守監督も、子どもの頃は吃音でうまくしゃべることができなかったそうだ。ロックバンド「オアシス」のノエル・ギャラガーも吃音をわずらっていたらしい。吃音症でなくても、心で思っていることをうまく言えずにいる人は多いはず。情感豊かな人なら、なおさらだろう。多分、言葉ではうまく表現できない複雑な想いを形にして解放するために、音楽や映画や漫画は存在するんだと思う。

 どんなに笑われても、かっこ悪くても、どうしても誰かに伝えたい想いがある。美少女アイドルたちの輝きを数多く撮ってきた湯浅監督は、そんなテーマの輝けない物語を自分の長編デビュー作に選んだ。表現者たちの想いが『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』には込められている。
(文=長野辰次)

『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』
原作/押見修造 脚本/足立紳 監督/湯浅弘章
出演/南沙良、蒔田彩珠、萩原利久、小柳まいか、池田朱那、柿本朱里、中田美優、蒼波純、渡辺哲、山田キヌヲ、奥貫薫
配給/ビターズ・エンド 7月14日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
(c)押見修造/太田出版(c)2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会
http://www.bitters.co.jp/shinochan

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女たちが本当に勝ちたい相手は男ではなかった!? 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』『菊とギロチン』

 日本では「キング夫人」の呼び名で知られてきた、女子テニス界の名選手ビリー・ジーン・キング。女子テニス最強プレイヤーとして長年にわたって活躍する一方、女子テニス協会の設立メンバーでもあった。そんなテニス界の“生きた伝説”ビリー・ジーンにとって、公式戦ではないものの生涯忘れられない一戦があった。1973年に元男子テニス王者ボビー・リッグスと闘った男女対抗試合だ。女と男がコート上でガチンコ対決したらどうなるか? 世界中の注目を集めたこの試合の顛末を、エマ・ストーン&スティーブ・カレル主演作『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は追っていく。

 1960年代から活躍を続けたプロテニスプレイヤーであるビリー・ジーン(エマ・ストーン)の闘いの場は、コートだけではなかった。男性上位が当然とされた当時、女子テニスプレイヤーたちの賞金額は男子の八分の一に過ぎず、ビリー・ビーンは納得できなかった。ビリー・ジーンたちの熱戦によって会場は女子の試合でも満席となっており、観客動員力は理由にはならない。全米テニス協会の役員は「生物学的に男のほうが優勢だからだ」と当然のように説明する。男が家庭を守り、社会も守っているので、男の報酬が高いのは当たり前だと協会のお偉い方は考えを改めようとはしなかった。

 ビリー・ジーンは行動する。女子テニスのトップ選手たちに呼び掛け、全米テニス協会を脱退。女子テニス協会を新たに立ち上げる。当時のビリー・ジーンは29歳。現役プレイヤーでありながら、新組織をつくり、運営していく。尋常ではないエネルギーの持ち主だ。無謀とも思える船出だったが、女には女の意地がある。女子のトッププレイヤー自身がチケットを売り、宣伝活動を続けるうちに、賛同者も現われる。デザイナーのテッド・ティンリング(アラン・カミング)が、女子プレイヤーたちのウェアをカラフルなものに仕立てる。伝統を重んじるテニスのウェアはそれまで白一色だっただけに、色とりどりのウェアを身に付けた女子プレイヤーたちがコートで躍動する姿は新時代の到来を思わせた。70年代に高まった「男女同権運動」の機運に乗って、ビリー・ジーンは“時代の顔”となっていく。

 時代の波に乗る女子テニス界に、挑戦状を送りつけるひとりの男が現われる。元男子王者のボビー・リッグス(スティーブ・カレル)だった。現役を離れ、55歳となっていたボビーだが、全盛期の脚光を集めていた日々が忘れられない。「男性至上主義のブタvsフェミニスト」という自虐的なキャッチフレーズでテレビ局に売り込み、ついに前代未聞の現役最強女子と元男子王者との異色対決が実現することに。世界中にテレビ中継され、9,000万人がこの「バトル・オブ・ザ・セクシーズ(性差を越えた戦い)」を観戦する。

 女性運動が盛り上がった70年代に実際に行なわれたテレビマッチを再現したシンプルなノンフィクションストーリーだが、本作の面白さはコートでは無敵の女王として君臨したビリー・ジーン、アスリートとしての全盛期は過ぎたもののマスコミ向けのリップサービスに磨きがかかるボビー、どちらもプレイベートな闘いを同時に強いられていたという点だ。ビリー・ジーンは後にレズビアンであることをカミングアウトするが、当時は弁護士のラリー・キング(オースティン・ストウェル)と婚姻関係にあった。ラリーはビリー・ジーンのツアー中心の生活に理解を示していた。そんな中、ビリー・ジーンは美容師のマリリン(アンドレア・ライズブロー)と出逢い、お互いに強烈に惹かれ合う。だがコートとは違い、同性との恋愛、しかも不倫愛にビリー・ジーンはなかなか大胆になれない。マリリンへの捨てがたい感情を抑えながら、ビリー・ジーンは世界ツアーでの転戦、女子テニス協会の運営、そしてボビーからの挑戦を受けて立つことになる。

 対するボビーはビリー・ジーン人気に便乗しようとするお調子者にしか見えないが、彼には彼の負けられない事情があった。現役を引退し、妻プリシラ(エリザベス・シュー)と息子との生活を守るため、会社員として働くようになったものの、デスクワークはどうも性に合わない。刺激を求めてギャンブルに熱中するあまり、プリシラから離婚を言い渡される。一家崩壊の危機だった。世界中が注目するこの試合に勝つことで、夫として父親としての威厳を取り戻したかった。カメラの前でビリー・ジーンをおちょくり続けるボビーだが、切実な想いで試合に臨んでいた。

 本作を撮ったのは、ホームコメディ『リトル・ミス・サンシャイン』(06)をヒットさせた夫婦監督のヴァレリー・ファリス&ジョナサン・デイトン。女性からの視点、男性からの視点のどちらかだけに偏ることなく、好奇の目で観られていた男女対抗戦をスポーツエンターテイメントとしてまとめ上げている。テニス特訓に励み、70年代のマッチョな女性アスリートに成り切ってみせたエマ・ストーン、『リトル・ミス・サンシャイン』に続いて憎めない変人を演じてみせたスティーブ・カレルの快演が楽しい。デザイナーのテッド役を好演したアラン・カミング、ビリー・ジーンの優しい夫ラリー役のオースティン・ストウェルも印象に残る。

 BGMとうまくマッチした名シーンが、本作の中盤に用意されている。お互いに強く惹かれ合うビリー・ジーンとマリリンが2人でドライブする場面だ。ここで流れるのはエルトン・ジョンのヒット曲「ロケットマン」。宇宙飛行士の孤高さを歌った美しい歌だが、ツアーで多忙を極めるロックスターの悲哀も重ね合わせてある。また、エルトン・ジョンは80年代に一度女性と結婚するも4年で離婚、2005年に同性と結婚することになる。つまりロケットマンとは、誰にも悩みを打ち明けることができない孤独な人間のこと。そんなロケットマンのひとりだったビリー・ジーンが、本当の自分を理解する恋人とようやく出逢いを果たす。ヴァレリー&ジョナサンいわく「ちょうど、1973年のヒット曲だから選曲したんだ。エルトン・ジョンのライブに、ビリー・ジーンがバックダンサー&シンガーとして参加するなど、2人はとても仲がいいんだよ」とのこと。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は単純な「女vs.男」という図式ではなく、自分らしく生きることを求める人々の闘いのドラマとなっている。

 7月7日(土)より公開が始まる瀬々敬久監督の『菊とギロチン』も“女の闘い”をテーマにした意欲的な歴史ドラマだ。女子プロレスにバトンを渡し、現在は興行が途絶えてしまった女相撲だが、江戸時代中期から明治・大正・昭和初期には女相撲の興行が各地で行なわれた。女性ならではの華やかさと観客の想像を上回る力強さを併せ持った女力士たちは、興行先の人々を魅了した。女相撲の歴史を知ると、「土俵は神聖な場であり、女性が土俵に上がると穢れる」という言説は、大相撲が生み出した迷信であることが分かる。日本相撲協会が「女人禁制」に固執しているのは、自分たちの利権を守ろうとしてきた先人たちの頑迷さを盲目的に受け継いでいるに過ぎない。

“テニスの女王”ビリー・ジーンも、土俵に生き甲斐を見出す『菊とギロチン』の主人公・花菊(木竜麻生)も、闘う相手は目の前にいる対戦相手ではない。本当に闘っている相手は、社会の偏見や既得権益の上にあぐらをかく輩たちだ。自由な生き方を認めようとしない排他的な保守勢力に向かって、ビリー・ジーンは強烈なスマッシュを、花菊は逆転の内無双を放っていく。
(文=長野辰次)

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』
監督/ヴァレリー・ファリス&ジョナサン・デイトン 脚本/サイモン・ボーフォイ
出演/エマ・ストーン、スティーブ・カレル、アンドレア・ライズブロー、サラ・シルヴァーマン、ビル・プルマン、アラン・カミング、エリザベス・シュー、オースティン・ストウェル、ナタリー・ラモレス 
配給/20世紀フォックス映画 7月6日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー
c)2018 Twentieth Century Fox
http://www.foxmovies-jp.com/battleofthesexes/

『菊とギロチン』
監督/瀬々敬久 脚本/相澤虎之助、瀬々敬久
出演/木竜麻生、東出昌大、寛一郎、韓英恵、渋川清彦、山中崇、井浦新、大西信満、嘉門洋子、大西礼芳、山田真歩、嶋田久作、菅田俊、宇野祥平、嶺豪一、篠原篤、川瀬陽太 ナレーション/永瀬正敏
配給/トランスフォーマー 7月7日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開 (c)2018「菊とギロチン」合同製作舎
http://kiku-guillo.com

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綾野剛『パンク侍、斬られて候』、初登場5位で大コケ! 「今年の映画でワースト」の声も

 石井岳龍監督・綾野剛主演の映画『パンク侍、斬られて候』が6月30日に公開された。北川景子・東出昌大・染谷将太ら豪華俳優陣が話題になったものの、全国週末興行成績(興行通信社/6月30日~7月1日)は初登場5位という結果に。ネット上でも「正直、今年見た映画の中でワースト」「シュールすぎて、どの層を狙ったのか謎」と不評の声が相次いでいる。

 ランキングでは29日公開の『ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー』が強さを見せてトップに。前週まで1位の『万引き家族』は1ランク下げたものの、依然堅調なヒットを記録している。『パンク侍、斬られて候』は322スクリーンという大規模公開で挑んだものの、ビッグタイトルの牙城を崩すことはできなかった。

「観客動員のためには『予告編』が重要な宣伝となりますが、同作の予告では時代劇とは思えないサイケデリックな映像が展開。群衆のダンスシーンや猿の大群が出撃するシーンなど、予告だけではストーリーが伝わりにくい内容となっていました。そのため、映画ファンからも『誰に向けた映画なのか、さっぱりわからん』『綾野さんも北川さんも宣伝がんばってたけど、予告の段階でつまらなそう』『予告を見ても、どういう話かさっぱり見えてこない』とケチがついています」(芸能ライター)

 スタート前からつまずいてしまった同作。公開が始まってみれば、100スクリーン以上少ない『それいけ! アンパンマン かがやけ! クルンといのちの星』にすら敗れている。

「監督を務めた石井は、『狂い咲きサンダーロード』や『蜜のあわれ』など、独特の映像美学が持ち味。そんな石井作品とあっても、今回は宣伝の失敗や不可思議な世界観がファンにそっぽを向かれてしまったようです。『石井節が炸裂してて面白い!』と評価の声もありましたが、ネット上には『もはや悪い夢を見ていたとしか思えない』『何を伝えたいのかわからないし、くだらないギャグを延々と見せられて、イヤになった』『物語が支離滅裂すぎて一体なにがしたかったのか』といった酷評が多く並びました」(同)

 同作は芥川賞作家・町田康の同名小説を原作に、熱狂的ファンの多い宮藤官九郎が脚本を書き起こしている。

「タイトルからもわかる異色の小説ですが、町田作品の中でも“傑作時代小説”との呼び声が高い作品。それだけに今回の映画化は大きな注目を集めていましたが、残念ながら原作ファンの期待値に届かなかったようで『小説の良さを残したいのはわかるけど、語りで展開する場面が多すぎてほんとしつこい!』『せっかくの町田康原作映画なのに、クドカンが滅茶苦茶にした感じ』『やっぱりこの作品は、小説で楽しむべきだね』と批判の声が上がっています」(同)

原作のファンからも落胆された同作。とはいえ、中には「ちゃんと理解するためにもう1回見に行こうかな」という声もあったので、リピーターが今後の興収の鍵を握っているかもしれない。

井筒和幸監督最新作が難航中! 夏からの撮影なのに「予算もキャストも集まらず……」

「実は今、あの井筒監督が来年公開の映画のオーディションを行っていて、夏から撮影の予定なのですが、まだ予算が全然集まっていなくて、四苦八苦してるそうなんです」(映画関係者)

 歯に衣着せぬ物言いで、テレビや雑誌などで幅広く活動している井筒和幸監督。最近では映画監督というよりも毒舌タレントとして知られているが、あくまで本業は映画だ。

「最後に撮った映画が、2012年に公開された『黄金を抱いて翔べ』ですが、主演が妻夫木聡さん、共演に浅野忠信さん、桐谷健太さん、西田敏行さんと超豪華メンバーだったのにもかかわらず、興収は5億円ちょっとでした。はっきり言って大失敗に終わったことで、なかなか次回作の話が出なかったそうです」(テレビ局関係者)

 そんな中、久しぶりの新作の準備に取り掛かっている監督だが、予算集めだけでなくキャスティングでも難航しているようだ。

「昔の井筒監督を知っている役者さんは、『ぜひとも出たい!』と言っている人もいますが、今の若い人たちからすれば『昔の人でしょ?』という感覚が強いようです。ストーリーはオリジナルで、荒くれ者の男の話という、井筒監督の得意なジャンルの話なので本人は自信があるみたいですけど、いかんせん予算とキャストが決まらないことには何も進みませんからね。今や映画界も監督の若返りも進んでいますから、井筒監督といえど、これが最後のチャンスになるかもしれませんよ」(芸能事務所関係者)

 久々にあの“井筒節”が炸裂するといいのだが……。