地下鉄サリン、東電OL殺人、秋葉原殺傷事件ほか平成30年を振り返る実話系犯罪映画ベスト10

 華やかなバブル景気と共に始まった平成時代。やがてバブル経済は崩壊、阪神・淡路大震災が続き、それまでの価値観や倫理観は大きく揺らぐことになった。混迷する社会を反映するように、凶悪化する少年犯罪、ネットを介した劇場型犯罪、そして真犯人の行方がわからない未解決事件など、さまざまな難事件・怪事件が起きている。そんな実話をベースにした10本の日本映画をセレクトしてみた。犯罪映画を通して、平成30年を振り返ってみよう。

福田和子が逃げ続けた理由とは?

 福田和子が同業のホステスを絞殺した「松山ホステス殺人事件」は1982年(昭和57年)に起きているが、福田は顔を整形して逃亡生活を続け、時効間近に迫った1997年(平成9年)に福井市で逮捕されたことで大きな話題となった。

 阪本順治監督がこの事件をヒントに撮った『顔』は、鬱屈した人生を送っていた正子(藤山直美)が罪を犯したことで、逃亡しながらも生きる歓びを手に入れるという逆説的な物語となっている。警察に追われる正子が夜の海へ飛び込み、不格好ながらも自由を求めて懸命に泳ぎ続けるラストシーンが印象的だ。

 映画では正子は酔っぱらったトラック運転手(中村勘三郎)にレイプされるが、福田の獄中手記『涙の谷…私の逃亡、十四年と十一カ月十日』(扶桑社)では18歳のときに拘置所に収容され、看守の手引きで女子房に入ってきたヤクザに強姦されたことが明かされている。二度とムショには戻りたくないがゆえの懸命の逃亡劇だった。

 福田の逃亡劇は、大竹しのぶ主演作『実録 福田和子』(フジテレビ系)、寺島しのぶ主演作『福田和子 整形逃亡15年』(テレビ朝日系)と度々ドラマ化されている。名前、外見、経歴、職業、男を変えながらサバイバルした福田の人生は、女優魂を突き動かすものがあるようだ。

毒ガス検知器代わりとなったカナリア

 死者13名、負傷者6300名を出し、全世界に衝撃を与えたオウム真理教による「地下鉄サリン事件」は1995年3月20日に起きた。教団内で育てられた少年にスポットライトをあてたのが、塩田明彦監督の『カナリア』だ。教団を出たものの、社会に適応できずに苦しむ元信者たちの姿が描かれている。

 カルト教団で育った少年・光一(石田法嗣)は児童相談施設に預けられていたが、洗脳が解けずに周囲になじむことができずにいた。教団で一緒に暮らしていた幼い妹を連れ戻すため、光一は施設を飛び出して妹を引き取った東京の祖父宅を目指す。途中、父親から虐待されている少女・由希(谷村美月)と出会い、行動を共にすることになる。

 家族に見捨てられ、信じていた宗教も否定された子どもは、何を信じて生きていけばいいのか。光一たちは自分らの居場所を求めて放浪を続ける。谷村美月が歌う昭和の懐メロ「銀色の道」が耳に残る。オウムの施設に突入した捜査隊が毒ガス検知器として手にしていた籠の中のカナリアと、歌を口ずさむ子どもたちを重ねるように描かれている。

 同時期に製作された是枝裕和監督の『誰も知らない』(04)では、1988年に発覚した「巣鴨子ども置き去り事件」が題材となっていた。時代の変化を敏感に察知するのは、やはり子どもたちであるようだ。

殺しの金メダリストが見せる殺人ショー

 満島ひかりをヒロインに抜擢した『愛のむきだし』(09)でカルト教団による洗脳の恐ろしさを描いた園子温監督が、次回作に選んだのが1993年に発覚した「埼玉愛犬家連続殺人事件」だった。設定はペットショップ経営者から熱帯魚経営者に変えてあるが、殺人鬼役を演じるでんでんの振り切った演技が話題を呼び、スマッシュヒットを記録。以後、実録犯罪映画が続々と企画されることになった。

「ボディを透明にする」というでんでんの台詞は、逮捕された関根元が実際に口にしていた言葉。関根は「殺しのオリンピックがあれば、金メダルだ」という名言も残している。ブリーダーとして有名だった関根は、犬を安楽死させるという口実で知り合いの獣医から劇薬を入手し、都合の悪い相手を次々と毒殺。死体は解体した上で、骨は焼却、肉はサイコロ状に裁断して川に流した。関根によってボディを透明にされた被害者の数は、30人以上ともいわれている。

 映画ではカリスマ性のある村田(でんでん)によって、社本(吹越満)たち崩壊一家は簡単に丸め込まれ、社本は死体遺棄を手伝うはめになる。犯罪には縁のないはずだった人間が、恐怖によって洗脳支配されてしまう過程がじっくりと描かれている。

 時間の経過がテロップで表示され、終盤からは秒単位で時間が流れていく。園監督によると「過ぎた時間は二度と戻らない」ことを示しているそうだ。死刑判決が下った関根は、処刑されるのを待つことなく2016年に拘置所内で病死している。

リビドー渦巻く、妖しき迷宮世界

 

 昼は大企業に勤める幹部社員、夜は円山町を徘徊する娼婦……。1997年3月9日に起きた「東電OL殺人事件」ほど、被害者のプロフィールに注目が集まった事件はない。2つの顔を持っていた被害者像は、多くの作家たちのイマジネーションを刺激した。作家・桐野夏生は2003年に『グロテスク』(文藝春秋)を上梓、石井隆監督が撮った官能映画『人が人を愛することのどうしようもなさ』(07)のヒロイン像にも強い影響を与えている。

 園子温監督もこの未解決事件をそのまま映画化するのではなく、独自の解釈による『恋の罪』として描いてみせた。事件の起きた渋谷のラブホテル街をリビドー渦巻く現代の迷宮に見立て、迷宮に足を踏み入れた主婦の目線から事件を物語っている。貞淑な妻であるいずみ(神楽坂めぐみ)をリビドーの迷宮へと誘うのが、有名大学の准教授と売春婦という2つの顔を持つ美津子(冨樫真)。やがて2人は殺人事件に関わり、事件を追う刑事の和子(水野美紀)もまた迷宮の世界へと迷い込む。

 迷宮をさまよった挙げ句、社会の底辺へと堕ちていくいずみ。だが、主婦として何不自由なく暮らしていた頃に比べ、生の実感を手に入れたいずみは別人のような輝きを放つ。亡くなったエリートOLが夜の街で求めていたものは、死と隣り合わせである生の実感だったのだろうか。この事件から14年と2日後、東電は全世界を震撼させる大事件を起こすことになる。

 2008年6月に起きた「秋葉原無差別殺傷事件」をモチーフに、大森立嗣監督は異色作『ぼっちゃん』を撮り上げた。犯人の加藤智大はネットの掲示板に犯行予告の文章を書き込んでおり、大森監督は加藤の文章に触発され、本作の脚本に着手したと語っている。

 社会からの疎外感を抱く主人公が犯行に及ぶシーンは、大森監督の独自の解釈によるものとなっているが、派遣社員が派遣先の職場で抑圧される様子はディテールたっぷりに描かれている。『SRサイタマノラッパー』(09)の水澤紳吾、『オカルト』(08)で怪優ぶりを発揮した宇野祥平が共演。インディーズ映画界の名優2人のやりとりが絶妙すぎ、ブラックコメディ要素の強い作品となった。実録犯罪ものを期待して観ると違和感を覚えるだろうが、格差社会の底辺でも行き場を失った人間は、野獣化せざるをえないというシビアな現実が浮かび上がる。

 大森監督は、真木よう子主演の官能作『さよなら渓谷』(13)では「秋田児童連続殺害事件」をモデルにしたエピソードを物語の導入パートとして描いている。現代人の心の闇、社会の歪みを見つめることで作家性を発揮する監督だといえるだろう。

迫真すぎたピエール瀧の演技

 2005年に死刑囚の告白を「新潮45」の記者がスクープ記事にしたことで、首謀者が逮捕されることになった「茨城上申書殺人事件」の映画化。薬物依存症の元暴力団組長役をピエール瀧が演じ、迫真の演技を見せている。

 藤井記者(山田孝之)のもとに、獄中にいる死刑囚・須藤(ピエール瀧)からの手紙が届く。須藤と面会した藤井は、まだ警察が気づいていない余罪と一連の事件には首謀者がいることを知る。半信半疑で取材を始めた藤井は、土地ブローカーの木村(リリー・フランキー)の足取りを追うことに。須藤が「先生」と呼んで慕っていた木村は、生命保険に入った老人を死に追い詰めるなどして億単位の大金を手に入れていた事実をつかむ。

 本作を撮った白石和彌監督は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)で知られる若松孝二監督の愛弟子。スキャンダラスな映画を撮り続けた若松監督を師匠として仰いだだけに、白石監督も実話を題材にした本作で思い切った演出を見せ、売れっ子監督への道を切り開いた。

 白石監督の作品は『孤狼の血』『止められか、俺たちを』(18)のどちらも、アクの強い“師匠”から主人公たちは大きな影響を受けることになる。本作にもそれがいえる。誤った師匠を選んでしまった男の哀しみが、ピエール瀧の演技には漂っている。

毒親、ネグレクト、無縁社会……断ち切れない負の連鎖

 毒親による虐待を受けている児童の数は、1990年代以降年々増え続けている。中でも世間の大きな関心を集めたのが、2010年に起きた「大阪二児餓死事件」だった。織方貴臣監督はこの事件を含め、いくつかの児童虐待事件を取り入れた形で『子宮に沈める』として自主映画化している。

 夫と別れ、若くしてシングルマザーとなった由希子(伊澤恵美子)は2人の子どもを連れて、アパートでの新生活を始める。よい母親になろうと張り切る由希子だが、学歴も職歴もなく、なかなか割りのいい仕事は見つからない。育児と仕事の両立に疲れた由希子は、次第に男と遊ぶようになり、アパートには戻らなくなってしまう。母親の心の荒廃を反映したかのように、アパートの部屋は大量のゴミで埋もれていく。数週間が経っても母親が帰ってこない中、残された姉弟の姉はまだ幼い弟の世話を懸命に看ようとするが……。

 実際に起きた悲劇をネタにして商業映画にしていると、織方監督はネット上でバッシングを浴びることになった。事件を起こした母親を糾弾するための映画ではなく、シングルマザーの苛酷さを伝えたかったという織方監督のメッセージは、バッシングする人々の耳には届かなかった。事件を招いた加害者をいくら叩いても、ネグレクト問題は何も解決しない。『子宮に沈める』はそのことに気づかせてくれる。

 

 2007年3月に起きた「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」の映画化。2年7か月に及ぶ逃亡生活を送った犯人・市橋達也の獄中手記『逮捕されるまで』(幻冬舎)を原作に、ディーン・フジオカ初主演&初監督作として劇場公開された。

 当初は『刑務所の中』(02)や『血と骨』(04)などのヒット作を放った崔洋一監督が撮る予定だったが、亡くなったリンゼイさんの遺族側への配慮から、事件の全体像を描こうとしていた崔監督は降板することに。台湾やインドネシアで俳優&ミュージシャンとして活動していたディーン・フジオカが主演だけでなく、監督も兼任することになった。

 映画では殺害および死体遺棄シーンはなく、市橋が警察の捜査網をかいくぐって逃げ続ける様子を、市橋の主観ドラマとして描いている。市橋は顔を整形し、名前を変え、離島で暮らしながら、自分は何者であるかを自問自答し続ける。結局、自分の正体が分からないまま逮捕の日を迎えた。現実から逃げ続ける市橋は、何者でもない、ただ中身が空っぽなだけの存在だった。彼がようやく手に入れたものは、殺人逃亡犯という重い肩書きだけだった。

“平成の毒婦”が仕掛ける禁断のゲーム

 3度目の獄中結婚をしていたことで話題を呼んでいる“平成の毒婦”こと木嶋佳苗。婚活サイトを通じて木嶋と知り合った男性たちが一酸化中毒などの不審死を次々と遂げたことから、「首都圏連続不審死事件」として世間を騒がせた。

 寺島しのぶが主演した『ソドムの林檎 ロトを殺した娘たち』はWOWOWで放映された5話完結のドラマだが、脚本は荒井晴彦、演出は廣木隆一監督と映画界の手だれたちが手掛けており、地上波ドラマとはひと味違う趣きに仕上げてある。結婚詐欺、および4人の男性を殺害した疑いで逮捕される恵(寺島しのぶ)。美人ではないものの、どんなメールの文面が男たちを惹き付けるかを熟知しており、誘いに乗った男たちは手料理の数々やセックステクによって、すっかり籠絡されてしまう。恵にとって、男たちは自由にお金を引き出せるATMみたいなものだった。

 大竹しのぶの魔性ぶりが目に焼き付く『後妻業の女』(16)も実在の婚活殺人を扱っており、彼女のターゲットとなった高齢者たちは夢見心地のままあの世へと旅立つことになる。禁断の果実を食べたアダムとイブの末裔である人類は、この禁断のゲームからは永遠に逃れることはできそうにない。

元犯罪者の社会生活は許されないのか?

 2013年に出版された薬丸岳のミステリー小説『友罪』を、『64 ロクヨン』(16)の瀬々敬久監督が映画化。あくまでもフィクションではあるが、この作品のモチーフとなっているのは1997年に神戸で起きた「酒鬼薔薇聖斗事件」だ。元少年Aと同世代である瑛太と生田斗真が熱演を見せた力作となっている。

 瀬々監督は「光市母子殺害事件」からインスパイアされた上映時間4時間38分の大作『ヘヴンズ ストーリー』(10)をはじめ、数々の実話系犯罪映画を撮ってきたスペシャリスト。更生施設で心理療法と職業訓練を受けた元少年Aが名前を変え、職場を転々とする姿を追っている。

 元少年Aのような大事件を起こしていなくても、誰しも人間は心の咎を感じながら生きている。一度でも過ちを犯した人間は、社会生活を営むことは許されないのか。もし、隣人の隠された過去を知っても、平然としていられるのか。建前と本音が異なるだろう難問を本作は突き付けてくる。

 瀬々監督が撮る犯罪映画は、風景のこだわりでも知られている。本作では終盤に登場する巨大なパラボラアンテナのある風景が印象に残る。心に闇を抱える主人公が、亡くなった人たちへ“祈り”という名の交信を試みているかのように思えてくる。
(文=長野辰次)

たらちねの母が語る初恋の思い出と戦争体験……平成の終わりに問う『誰がために憲法はある』

 母が元気なときに、もっといろんな話を聞いておけばよかった。多感な少女時代に戦争を体験し、戦後の混乱期を過ごした母親たちは、いったいどんな想いで大人になり、子どもを育てたのだろうか。親孝行する機会もなくこの世を去った親のことを考えると、胸がチクリとする。渡辺美佐子主演のドキュメンタリー映画『誰がために憲法はある』は、そんな世代が共感を覚えるものとなっている。

 渡辺美佐子は1932年生まれ、俳優座出身の大ベテラン女優だ。1970~80年代は『ムー』『ムー一族』『赤い疑惑』(どれもTBS系)などの人気ドラマで母親役を演じることが多かった。黄金期のテレビドラマを観て育った世代にとっては、いわば“日本の母”のような存在だ。そんな渡辺美佐子が85歳を過ぎ、自身の少女時代を振り返り、子や孫の世代に伝えなくてはならない大切なメッセージをスクリーン上からこちらに向けて、せつせつと語りかけてくる。

 渡辺美佐子が語る初恋の思い出が、このドキュメンタリーの核となっている。都内の小学校に通っていた少女時代、気になるひとりの同級生がいた。その男の子は登校時の通学路で、渡辺美佐子が現われるのをいつも待っていた。当時は男の子と女の子が親しく言葉を交わすこともなく、ただ一緒に学校に向かうだけの関係だった。手を繋ぐことすらなかったが、彼女にとってそれは淡い初恋の記憶だった。

 多くのテレビドラマや映画に出演し、人気女優となった渡辺美佐子は、1980年に『小川宏ショー』(フジテレビ系)の名物コーナー“ご対面”に出演。このとき渡辺美佐子が再会を願ったのは、小学校時代のあの初恋の男の子だった。お互いにおばさん、おじさんになった今なら、いろんな思い出を語り合うこともできるんじゃないかと番組出演したものの、生放送中に意外な事実を知ることになる。

 渡辺美佐子は男の子の名前をきちんと覚えておらず、“水瀧くん”と曖昧に記憶していた少年は、終戦直前に広島へと疎開していた。そして1945年8月6日に広島に投下された原爆により、爆心地にいた広島二中の生徒321人と教員4人と共に消滅していたのだ。遺体の一部も遺品もまったく見つからなかったという。“水瀧くん”の代わりに番組に出演した“水瀧くん”の両親からそのことを聞かされ、渡辺美佐子のその後の人生は大きく変わっていく。

 85年から全国を巡回する朗読劇『この子たちの夏』に参加し、2008年からは新劇系の女優仲間と共に「夏の会」を結成、『夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ一九四五』として公演を続けてきた。転校して別れたきりとなっていた“水瀧くん”や同年代の少年少女たちは、どんな想いで運命の日を過ごしたのかを舞台上で再現している。「夏の会」のメンバーは、『3年B組金八先生』(TBS系)で鶴見辰吾の母親を演じた高田敏江、海外ドラマ『大草原の小さな家』(NHK総合)でお母さんの声を長年吹き替えてきた日色ともゑ、『十年愛』(TBS系)での姑役が印象に残る岩本多代ら、母親役で馴染みのある女優たちが多い。舞台という表現の場で“母親”たちが反戦を訴えて闘う姿を、このドキュメンタリー映画は記録している。

 本作を撮った井上淳一監督は、門脇麦、井浦新らが熱演した実録映画『止められるか、俺たちを』(18)の脚本家として知られる。『止められるか、俺たちを』は井上監督の師にあたる若松孝二監督の若き日を描いた青春映画だった。『止め俺』は若松監督の“父性”に惹かれた若者たちの物語でもあったが、今回の『誰がために憲法はある』は“母性”を強く感じさせるものとなっている。

 1965年生まれの井上監督にとって、渡辺美佐子はまさに母親世代。まったくの偶然だが、井上監督の母親と渡辺美佐子は同年同日生まれだそうだ。戦争を知らない若い世代に向けて反戦メッセージを伝えようとする“もう一人の母”に、自称“不肖の息子”がカメラを回しながら寄り添うことで完成したドキュメンタリーだと言えるだろう。

井上淳一「若松監督は僕にとって師匠以上父親未満の存在でした。若松さんは福島原発事故を題材にした映画の企画を考えていましたが、2012年に交通事故で亡くなってしまった。僕が監督したドキュメンタリー映画『大地を受け継ぐ』(16)は僕なりに若松さんの遺志を形にしたものです。若松さんが今も生きていたら、憲法改正を強引に進めようとする現政権を皮肉った映画もきっと企画したはず。そんなことを考えていたときに、松元ヒロさんが憲法を擬人化して演じている一人芝居『憲法くん』を知ったんです。恥ずかしい話ですが、若い頃は“憲法とは国家権力を縛るためにある”ということを知りませんでした。『憲法くん』はそういう憲法の基本のキの字を分かりやすく伝えています。これならば、届かない人にも届くのではないかと映画にすることにしました。映画版は戦争を体験している高齢の俳優のほうが、よりリアリティーが出せるだろうと考えたところ、渡辺美佐子さんが出演をOKしてくれました。上映時間12分の短編映画として『憲法くん』の撮影をしているときに、渡辺さんの初恋のエピソードを知り、ドキュメンタリーパートを加えることで『誰がために憲法はある』ができました。いろんな繋がりがあって完成した映画です」

 

 2019年で最後となる渡辺美佐子たち「夏の会」の公演の様子を追ったドキュメンタリーパートは、2018年6月の広島で撮影された。折しも、西日本大豪雨と重なり、日色たちがインタビューに応えるシーンの背景には大粒の雨で曇って見える原爆ドームが窓ガラス越しに映っている。大豪雨によって撮影日数を短縮せざるをえなかったそうだが、井上監督は撮影のことだけでなく、もうひとつ気に病むことがあった。その頃、井上監督の実の母親は末期がんを患い、愛知県の実家で闘病中だった。

井上淳一「余命宣告されていたこともあり心の準備はしていたのですが、渡辺さんたちをカメラで追いながらも、どこかで母のことが気になっていた部分はあったと思います。母は2018年8月に亡くなったのですが、最期の2週間は母にずっと付き添いました。亡くなる前の母は、子どもの頃のことをよく話しました。『お父さんに会いたい』としきりに言うので、僕の父のことかなと思ったら、祖父のことでした。子どもの頃の記憶は鮮明に残っていたようです。母は三重県桑名市育ちなので、軍港のあった桑名で空襲も体験していたはずですが、そのことは口にしませんでした。僕の母だけでなく、つらい過去は話したくないという戦争体験者は多いと思います。そんな母には聞けなかったことを、誕生日が同じ“もう一人の母”である渡辺さんに求めていたのかもしれませんね」

 ドキュメンタリーパートの後半、渡辺美佐子の初恋の男の子“水瀧くん”の本名を我々も知ることになる。そのとき、広島に投下された原爆による犠牲者数14万人という数字が、ひとりの人間の命の重みへと変わる。

 映画の最後、憲法くんに扮した渡辺美佐子は憲法の前文を、スクリーンを見つめている観客に向かって朗々と語りかける。この国の主権は国民にあることを明記した憲法くんを、毅然とした表情で演じるたらちねの母。“母性”とは優しさや温かさだけではなく、そこにはたくましさや痛み、苦み、哀しみといった多くのものが内包されていた。
(文=長野辰次)

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『誰がために憲法はある』
監督/井上淳一 『憲法くん』作/松元ヒロ 音楽/PANTA
撮影/蔦井孝洋、土屋武史、髙間賢治、向山英司
出演/渡辺美佐子、高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代、日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳枝
配給/太秦 4月27日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
(C)「誰がために憲法はある」製作運動体
http://www.tagatame-kenpou.com

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寝た子を叩き起こす“慰安婦”ドキュメンタリー!! YouTuberが撮った白熱のディベート映画『主戦場』

 慰安婦像の設置をはじめ、もつれにもつれている日韓慰安婦問題。右派と左派、どちらの言い分が正しいのかを確かめようと書店や図書館へ足を運ぶと、そこでまた頭を抱えることになる。著者が右寄りか左寄りかで、書かれている内容がまるっきり異なってくるからだ。そんな中、注目のドキュメンタリー映画が公開される。日系米国人であるミキ・デザキ監督による『主戦場』は、慰安婦問題に新しい視点を与えてくれる興味深い内容となっている。

 YouTuberとしても活動するミキ・デザキ監督の劇場デビュー作となる『主戦場』は、これまでになかったディベート形式のドキュメンタリー映画となっている。上映時間122分の中で、右派と左派の論客たちが「慰安婦の実数」「強制連行はあったのか」「慰安婦は性奴隷だったのか」といったテーマごとに、自説をカメラに向かって語りかける。

 出演者たちはバラエティーに富んだ人選だ。右派陣営はジャーナリストの櫻井よしこ氏、自由民主党議員の杉田水脈氏、日本でタレントとしても活動している弁護士のケント・ギルバート氏。さらにネット上で人気の評論家“テキサス親父”ことトニー・マラーノ氏、「日本会議」の幹部である加瀬英明氏といった“濃い顔ぶれ”がそろっている。

 対する左派陣営は、慰安婦問題を研究する歴史学者の吉見義明氏、「女たちの戦争と平和資料館」館長の渡辺美奈氏、元日本軍兵士の松本栄好氏らである。過去の資料映像を織り込みながら、双方の主張がテンポよく交わされていく。従来のドキュメンタリーのような堅苦しさはなく、ぐいぐいと見せていく手腕はYouTuberならではのものだろう。

 ディベートが進むにつれ、慰安婦問題の不明瞭だった部分がかなりクリアになっていく。慰安婦の人数は20万人という数字が国際的に定説となっているが、この数字は韓国側が兵士29人に対して慰安婦1人という比率から算出したもので、数字そのものにはあまり信憑性はないようだ。

 かといって、右派が喜ぶ事実ばかりが取り上げられるわけではない。「強制連行はあったのか?」という疑問に関して、2007年に安倍総理は「日本軍が慰安婦を強制連行したという証拠文書はない」と国会で答えているが、戦時中の軍の記録の70%は焼却・廃棄されており、文書がないから強制連行の事実はなかったという安倍総理の答弁は説得力がないことが分かる。

 

 本作を撮ったミキ・デザキ監督は、1983年米国フロリダ州生まれの日系米国人二世。2007年に外国人英語教員として来日し、5年間にわたって日本の中学や高校で授業を行なってきた。その後、タイで仏教僧になるための修業を積み、YouTuberとしても注目を集めるなど非常にユニークな経歴を持つ。初めてのドキュメンタリー映画の題材に、なぜ“慰安婦問題”を選んだのだろうか?

ミキ・デザキ「JETプログラムの教師として、日本で授業を2012年までの5年間行ないました。最後の授業は自由なテーマでかまわないと高校側から言われ、人種差別についての授業を行ないました。米国には人種差別以外にもLGBTなどいろんな差別が存在する。日本にも差別はあるよね? という内容のものでした。生徒たちは熱心に聞いてくれました。教員仲間からも好評で、3学年全クラスで合計27回の授業を行ないました。その授業内容の一部を『Racism in Japan』というタイトルでYouTubeに投稿したところ、炎上騒ぎになったんです。ヘイトメールが殺到し、勤めていた高校にも抗議の電話が鳴り続きました。そのとき初めて“ネトウヨ”という言葉を知りました。自分自身にそんな体験があったので、慰安婦報道に関わった元朝日新聞の植村隆記者がバッシングされていたことにも関心を持ったんです。なぜ慰安婦問題はそんなに大騒ぎになるのか、米国人である僕には謎でした。そんな疑問から始まり、10~20分のYouTubeビデオではなく一本のドキュメンタリー映画にしようと考えたんです」

 企業や団体からの思惑に左右されないよう、クラウドファンディングで製作費を調達したミキ・デザキ監督。『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』(15)で知られるエロール・モリス監督、今村昌平監督、森達也監督らのドキュメンタリー映画はよく観るそうだが、『華氏911』(04)を大ヒットさせたマイケル・ムーア監督のような作品にはしたくなかったと言う。

ミキ・デザキ「マイケル・ムーア監督は最初から結論ありきで、一方的な立場から描いています。そうすればエンターテイメント性のある、面白おかしいものが撮れることは分かります。でも、それではプロパガンダ映画になってしまいます。僕自身がこの映画を撮り始めるまでは、慰安婦問題にはそれほど詳しくありませんでした。なので、双方の意見を聞く形で、映画を構成することにしたんです。日本で開かれている慰安婦問題のシンポジウムに通い、右派と左派の両陣営から影響力のあるオピニンオンリーダーたちを選び、出演をお願いしました。櫻井よしこさんはぜひ出てほしかったので、ケント・ギルバートさんから紹介してもらい、粘り強く出演交渉しました。出演者の中の数人からは、公開前に完成したものを見せてほしいと言われましたが、見せることで内容を修正することは断りました。それではジャーナリズム性を損なうことになりますから。どうしても見たいという人には、その人の出演したパートだけ見せるようにしました。不満がある場合はエンドロールでその旨をクレジットすると伝えましたが、特に不満を伝える連絡はなく済んでいます」

 

 本作の後半には、スクープ性のある驚きの事実も浮かび上がる。ここでその内容に触れることは控えるが、慰安婦問題は日本と韓国だけの論争ではないことがはっきりと分かる。日本から韓国への合計8億ドル(当時の韓国の国家予算2年分)の資金援助を決めた1965年の「日韓基本条約」も、慰安婦問題を最終的かつ不可逆的に解決させることを発表した2015年の「日韓合意」も、米国からの強い意向によって日韓両政権は握手したことが解説される。日本と韓国との間では泥沼化している慰安婦問題だが、米国をはじめとする第三国の動きによって今後大きく動くことが予測される。ミキ・デザキ監督は最後にこう語った。

ミキ・デザキ「この映画のタイトルは、『米国こそが、この歴史戦の主戦場だ』という出演者の発言から思いついたものです。米国でも慰安婦問題をめぐる情報戦はいろいろと起きています。でも、私はこう思うのです。本当の主戦場はみなさんの頭の中ではないのかと。この映画ではさまざまな意見を取り上げ、いろんな人物たちを映し出しています。映画をご覧になった方の頭の中は、きっと激しい闘いの場になるのではないでしょうか。いつか慰安婦問題が解決する日が訪れてほしい。そんな希望を込めた映画です」

 右派と左派、双方の主張が分かりやすく一本にまとめられたディベート映画。本作を見終わった後、あたなは一体どちらに軍配を上げることになるだろうか。
(文=長野辰次)

寝た子を叩き起こす慰安婦ドキュメンタリー!! YouTuberが撮った白熱のディベート映画『主戦場』の画像4

『主戦場』
監督・脚本・撮影・編集・ナレーション/ミキ・デザキ
出演/トニー・マラーノ(テキサス親父)、藤木俊一、山本優美子、杉田水脈、藤岡信勝、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、吉見義明、戸塚悦朗、ユン・ミヒャン、イン・ミョンオク、パク・ユハ、フランク・クィンテロ、渡辺美奈、エリック・マー、林博史、中野晃一、イ・ナヨン、フィリス・キム、キム・チャンロク、阿部浩己、俵義文、植村隆、中原道子、小林節、松本栄好、加瀬英明
配給/東風 4月20日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
(c)NO MAN PRODUCTIONS LLC
http://www.shusenjo.jp

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佐藤健『るろうに剣心』最終章が2020年公開へ! 剣心の元妻・巴役は? 誰が演じても批判は免れない?

 佐藤健主演の映画実写映画『るろうに剣心』の最終章にあたる「追憶編」「人誅編」が2020年夏に2作連続公開されることがわかり、話題を呼んでいる。

 佐藤は最終章について「『るろうに剣心』に関しては、やはり特別な思いがあります。また、この2部作は、剣心の十字傷の秘密(剣心の過去)を描いていることもあり、剣心にとって間違いなく一番重要なエピソードです」「僕自身が絶対に作りたいと思っていたエピソードを撮影できる毎日を通して、これが自分にとってとても大切な作品になると実感しています」など、並々ならぬ熱い思いを語っている。

 この作品は12年8月に第1作目を上映しており、1作目の撮影をしていたころの佐藤はまだ22歳。スタントマンやCGを使わずに殺陣のパフォーマンスを見事に務めたとして、当時は大絶賛を浴びていた。そんなこともあり、このニュースを受けたネットでは「30歳で撮影って体力的にキツそう」「30あたりでアクションは大丈夫なのかな、現代の技術があれば加工でどうにでもできるけど」と佐藤の身体を心配する声が。しかし佐藤のビジュアルに関する心配はなく、むしろ「剣心って30くらいの設定だからビジュアルとしては今が1番合ってるんだよね。若く見える優男」という感想も出てくるほど期待が高まっている状態だ。

 「追憶編」「人誅編」編には主人公・緋村剣心の元妻である巴が出演するため、誰がこの巴役を担当するのかネットで話題に。撮影現場の目撃情報では有村架純や橋本愛の名前が出てきており、「有村架純って嘘でしょー!」「目だけだと橋本愛は雰囲気あるけど顔だけ見るとかなり気強そうでちょっとちがうかな……誰になってもみんな揉めそう(笑)」など、この2人のどちらかが元妻役を担当するのではといった推測の声も出てきている。

「たしかに、主人公の剣心が愛していた女性ということで、かなり原作ファンからも重要視されているキャラなので、誰が演じても異を唱える声は出てくるでしょうね」(芸能事務所関係者)

 また、この『るろうに剣心』は今までのキャスティングでも、そういったファンからの「違う!」の声はよく出ていた作品であるという。

「長身で色っぽい美人医者・高荷恵役を蒼井優さんが任されていたのですが、これには蒼井さんが『満場一致のミスキャストだと思いました』と自虐コメントしていたことも。また藤原竜也さんが演じた敵・志々雄真実の恋人である駒形由美を演じた高橋メアリージュンさんにも、グラマーな雰囲気がまったくないとファンからブーイングが出ていましたね」(同上)

 果たして、巴は誰が演じるのか。それを含めて映画の情報公開を心待ちにしたいところだ。

恋愛感情とは異なる、好きな人に嫌われたくないという想い。岸井ゆきの×成田凌『愛がなんだ』

 原作小説と映画との、これほどまでの幸せなマリアージュもないのではないか。そう思わせるほど、映画『愛がなんだ』の登場キャラクターたちはみんな生き生きとしている。恋に浮かれ、愛に悶えのたうち回る。まるで、知人の体験談がスクリーン上で再現されているかのような親密さを感じさせる内容だ。原作の世界観、監督の演出力、キャスト陣の新鮮さがうまく化学反応を起こした愛すべき映画となっている。

 直木賞作家・角田光代が2003年に発表した同名小説が原作。角田作品は『空中庭園』(05)、『八日目の蝉』(11)、『紙の月』(14)、『月と雷』(17)などが映画化されており、いずれも高く評価されている。女の本音たっぷりな角田作品のヒロインたちは、映画との相性がいい。単館系での活躍が続く今泉力哉監督による本作も、角田名作劇場のひとつに加えることができる。

 主人公のテルコ(岸井ゆきの)は28歳になるOL。たいして仲のよくない知り合いの結婚パーティーに参加し、出版社に勤めるマモル(成田凌)と知り合った。お互いに社交派タイプではない2人は、妙にウマが合った。以来、テルコはマモルに携帯電話で呼び出されては、ほいほい付き合う飲み仲間となる。テルコはマモルにぞっこんだが、マモルはその気はないらしい。それでもテルコは、いつマモルに呼ばれてもいいように職場で連絡を待ち続けている。会社の付き合いは、いっさい断るというこだわりようだった。

 ゴールの見えない片想いなんて止めて、別の男を探せばいいとテルコの親友・葉子(深川麻衣)は忠告するものの、葉子は葉子で問題がある。雑誌編集者の葉子は、年下のカメラマン・ナカハラ(若葉竜也)を自宅に呼びつけ、使いっぱにしている。ナカハラに対して、女王さまのように振る舞う葉子だった。マモルも葉子もやっていることは一緒だ。惚れた相手の弱みに付け込み、生殺し状態にしている。恋愛マウンティング上位者の残酷さを感じさせるマモルと葉子だった。

 本作をジャンル分けすれば恋愛コメディになるわけだが、描かれているのは一般的な恋愛感情とはビミョーに異なる。好きになった相手には嫌われたくないという、まだ名前の付いていない心の動きだ。テルコはマモルからしつこい女と思われたくないので、自分から連絡を入れることはしない。気まぐれなマモルからの連絡をひたすら待ち続けている。お陰で仕事はまるで手につかない。ようやくマモルから連絡があると、ずっと待っていたことを勘づかれないようにうれしさを押し殺しながら振る舞う。けなげで、イタくて、報われない女、その名はテルコ。『ピンクとグレー』(15)以降、注目度がぐんと上がった岸井ゆきの演じるテルコが、たまらなく愛おしく感じられる。

『ニワトリ★スター』(18)ほかクセの強い役を好む成田凌が演じるマモルだが、こいつもかなりイタい男だ。33歳になったら今の仕事を辞めて野球選手になるだの、動物園の飼育員になるだの、現実味のない妄想をテルコにつらつらしゃべっている。なんで、こんなダメ男に惚れてしまうんだよ、目を覚ませよ、テルコ! と葉子ならずとも言いたくなるが、マモルのことで頭がいっぱいのテルコの耳には入らない。好きになったら、止めようがない。テルコの生態を観察することで、人間とは恋をすると実に面白い行動を繰り返すおかしな動物であることがよく分かる。

 今泉監督は『こっぴどい猫』(12)、『サッドティー』(13)、『退屈な日々にさようならを』(17)など“一方通行の想い”をテーマにしたオリジナル映画を撮り続けてきた才人。今泉作品の主人公たちは、いつも誰かに片想いしている。片想いがいつか両想いになれば、それはとてもハッピーなことだが、逆に相手のことが嫌いになる日が訪れるかもしれない。でも、ずっと片想いのままだったら、嫌いになることもできない。永遠に好きなままでいるはめになる。テルコとマモル、葉子とナカハラの4人に、マモルが合コンで出会った“がさつ女”すみれ(江口のりこ)が加わり、回転木馬のようにグルグルと一方通行の恋愛模様は回り続けることになる。『ちびくろサンボ』の虎たちのように、溶けてバターになってしまわないか心配になってしまう。

 映画用に脚色された『愛がなんだ』で、ストーリーの均衡を破るキーパーソンとなるのは口数の少ないナカハラだ。葉子を崇め、呼び出されるだけで充分満足していたナカハラだが、行き先の見えない関係に疲れ、回転木馬から降りることを決意する。ナカハラに自分の姿を投影していたテルコは、“片想い同盟”から離脱するナカハラをなじるが、恋愛とは決して我慢比べ競争ではない。テルコはナカハラを通して、観客はテルコを通して、そのことに気づくことになる。

 好きな相手に嫌われたくないという感情だけでなく、他にも言語化されていない感情が本作には描かれている。相手のことが好きすぎて、相手と一心同体化してしまいたいという願望だ。マモルの彼女になれないのなら、いっそマモルそのものになりたいとテルコは願うようになっていく。回転木馬はいったい、いつまで回り続けるのだろうか。

 原作にはない、テルコなりの決断が映画の最後に描かれる。ハッピーエンドでもなく、バッドエンドでもない、不思議なエンディングとなっている。愛がなんだ。テルコはけっこー楽しそうだ。
(文=長野辰次)

恋愛感情とは異なる、好きな人に嫌われたくないという想い。岸井ゆきの×成田凌『愛がなんだ』の画像4

『愛がなんだ』
原作/角田光代 監督/今泉力哉 脚本/澤井香織、今泉力哉 
出演/岸井ゆきの、成田凌、深川麻衣、若葉竜也、穂志もえか、中島歩、片岡礼子、筒井真理子、江口のりこ
配給/エレファントハウス 4月19日(金)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
c)2019「愛がなんだ」製作委員会
http://aigananda.com

 

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『ハロウィン』のブギーマンはミソジニストか? 伝説の凶悪殺人鬼と被害者一家との40年戦争!!

 ジョン・カーペンター監督の出世作となった『ハロウィン』(78)は製作費30万ドルという低予算映画ながら、映画史に残るマスターピースとして今なお人気が高い。ハロウィンの夜、お面を被った大男が包丁を片手に襲ってくるというシンプルな恐怖譚だが、『ハロウィン』の世界的大ヒットを受けて、『ハロウィンII』(81)や『13日の金曜日』(80)などの続編や類似作が続々と生み出されていった。全米で2018年に公開された新作『ハロウィン』は、オリジナル版の40年後の人間模様を描いた注目作となっている。

 ハロウィンはもともとはケルト文化圏のもので、収穫を祝う非キリスト教徒たちのお祭りだった。そんなお祭りの夜に、精神病院から逃げ出してきた男マイケル・マイヤーズが平凡な住宅街に出没する。テレビで懐かしい恐怖映画を見ながら夜更かししていた子どもたちは、白い不気味なお面を被ったマイケル・マイヤーズを、伝説上の怪物“ブギーマン”として恐れおののく。幼少期に殺人を犯したマイケル・マイヤーズの心の闇と、子どもたちが妄想する悪夢の世界がシンクロしたかのような幻想性のあるホラー映画だった。

 オリジナル第1作で描かれたマイケル・マイヤーズの経歴を簡単に振り返ってみよう。マイケル・マイヤーズは米国イリノイ州ハドンフィールド育ち。マイヤーズ家の息子マイケル(当時6歳)はハロウィンの夜、両親の不在中にボーイフレンドとイチャイチャしていた姉ジュディスを刺殺してしまう。未成年であることから精神病院に送られたマイケルは、彼の反社会的性質に気づいたルーミス医師によって隔離病棟に幽閉されることに。やがて21歳になったマイケルは、病院から脱走。故郷ハドンフィールドに戻った彼は、ハロウィンの夜に再び殺戮を始める。そんなマイケルに執拗に狙われるのが、ベビーシッター中の女子高生ローリー(ジェイミー・リー・カーティス)だった。マイケルとローリーとの長きにわたる戦いの始まりである。

 なぜマイケル・マイヤーズは、地味めの女子高生ローリーを狙い続けるようになったのか。シリーズ第2作『ハロウィンII』では、ローリーはマイケルの生き別れた実の妹であることが説明された。また、ロブ・ゾンビ監督によるリメイク版『ハロウィン』(07)では幼いマイケルが内包していた反社会的性質は、母親の溺愛と酒びたりの継父の無理解という歪んだ家庭環境によって誘発されたという心理学的な解釈が与えられた。幻想性豊かなオリジナル第1作は、多くの人たちのイマジネーションを刺激し、深読みしたくなる面白さがあった。

 新作『ハロウィン』は、シリーズ第2作以降の後づけ的な説明や解釈はいっさいなかったものとしている。実録犯罪映画『コンプライアンス 服従の心理』(12)を製作総指揮したデヴィッド・ゴードン・グリーン監督は、オリジナル第1作を原典としてリスペクトし、新シリーズとして本作を撮り上げた。あたかもオリジナル第1作で起きた凶悪事件は、実在するものであるかのように。40年前にハドンフィールドを震撼させたマイケル・マイヤーズは精神病院で厳重に隔離されていたものの、折からの福祉予算の大幅なカットにより大病院へ統合されることに。案の定、マイケルは移送の際に警備員を殺害して脱走。この知らせを聞いて、笑顔を浮かべるひとりの女性がいた。

 マイケルが脱走したことを喜んだのは、40年前に彼に襲われたローリー(ジェイミー・リー・カーティス)だった。かつての事件がトラウマとなり、ローリーはすっかり変人となっていた。自分の手でマイケルを仕留めるチャンスが訪れたと舌なめずりするローリー。この日がいつか訪れることを予感し、あらゆる武器を備え、森の中の一軒家を要塞のようにリフォームして待っていた。19世紀の哲学者フリードリヒ・ニーチェの有名な言葉に「怪物と闘う者は、その過程でおのれも怪物化せぬよう心せよ」(『善悪の彼岸』より)とあるが、まさに元女子高生ローリーは、怪物と対峙するために自分も怪物となったのだった。

 ローリー役で一躍“スクリーミング・クイーン”として人気を得たジェイミー・リー・カーティス。そんな彼女がリアルに40年の歳月を経た初老のローリー役を熱演しているのが、新作『ハロウィン』、いや新約『ハロウィン』の大きな見どころだ。ローリーは“闘うヒロイン”の先駆者でもある。

 ホラーファンタジーだった旧約『ハロウィン』の世界が、ファンから長く愛され続けたことで、伝説の巨大クジラとエイハブ船長との宿命の戦いを綴ったメルヴィルの長編小説『白鯨』のような文学的深淵さを漂わせるものとなった。ローリーには娘カレン(ジュディ・グリア)がいるが、強迫観念にとらわれた母親に育てられたせいで、つらい日々を過ごしてきた。物心がついた頃から射撃の訓練をさせられ、今では母娘関係は最悪なものに。再び大きな災いが街を襲うことを訴える母親に、カレンは呆れ返ってしまう。そして今回、マイケル・マイヤーズが狙うのは、カレンの娘アリソン(アンディ・マティチャック)。つまりローリーの孫娘が、ハロウィンの夜に追い掛け回される。なんという因果だろう。マイケル・マイヤーズという不死身の怪物と、ローリー家の女三代にわたる40年戦争が新約『ハロウィン』のメインストーリーだ。

 マイケル・マイヤーズは6歳のときに姉ジュディスを殺害し、成人後はローリーを執拗に襲い続ける。『ハロウィン』の大ヒットにより、イチャイチャしているカップルは殺人鬼から真っ先に標的にされるというホラー映画の不文律が確立されることになった。そんなことから、マイケル・マイヤーズは女性嫌い(ミソジニスト)かと思われがちだが、新約『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズは、性的格差を設けることなく男女平等に殺戮を重ねていく。ミソジニーだとか、セックス恐怖症だとか、そういったカテゴライズから、ブギーマンことマイケル・マイヤーズはするりと抜け出してしまう。澤村伊知のホラー小説『ぼぎわんが、来る』(KADOKAWA)では室町時代に南蛮文化と共に“ブギーマン”の概念が日本にも伝わり、“ぼぎわん”として土着化したというユニークな説が語られている。神出鬼没で、いつの間にかあなたの後ろに立っている怪物、それがブギーマンだ。

 ベテラン女優ジェイミー・リー・カーティスが40年間にわたって演じてきたローリーは、ブギーマンことマイケル・マイヤーズを自分の手で倒すことでトラウマを克服しようとする。もはや、マイケル・マイヤーズという負の存在と向き合うことが、彼女の人生の大半を占めることになった。マイケル・マイヤーズを葬り去れば、ローリーとその家族には幸せが訪れるのだろうか。

 哲学者ニーチェはこんな言葉も残している。「なんじが平和を求めるならば、それは新しい戦いの準備としてのそれでなければならない。永い平和よりも短い平和を求めよ」(『ツァラトゥストラ、かく語りき』より)。

(文=長野辰次)

『ハロウィン』のブギーマンはミソジニストか? 伝説の凶悪殺人鬼と被害者一家との40年戦争!!の画像4

『ハロウィン』
監督・脚本/デヴィッド・ゴードン・グリーン 
音楽/ジョン・カーペンター、コディ・カーペンター
出演/ジェイミー・リー・カーティス、ジュディ・グリア、アンディ・マティスチャック、ニック・キャッスル
配給/パルコ R15+ 4月12日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
C)2018 UNIVERSAL STUDIOS
https://halloween-movie.jp

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『学校と先生』『シンドローム』『バンブルビー』~高校生と隕石と、もう戻ることのできない季節の話~

 東京に住むようになって5年がたつ。春が訪れるたびに、街のさまざまな場所に桜が咲いていることに気づかされる。地方出身の私にとって桜は、山に咲くものか、学校の校庭に咲くものであった。とりわけ、4月に咲く学校の桜は新学期への期待と不安を膨らませ、何かが起きるんじゃないか、何かが変わるんじゃないか、そんな根拠のない想像を掻き立てる。

 3月22日発売のおほしんたろう『学校と先生』(ナナロク社)に、こんなセリフがある。

「俺たちゃ17歳だぞ! こんなこともたまには起こるよ!」

 この言葉の通り、高校時代、とりわけ17歳は何が起こったっておかしくない季節なのだ。

 前述のセリフは、1人の生徒の首が授業中に突然伸びたことにより発せられたものだ。『学校と先生』は、ファミ通町内会の伝説的なハガキ職人塩味電気、現在はお笑い芸人のおほしんたろうによる学校を舞台とした初の連作ギャグ漫画であり、こちらの想像を裏切る笑いにあふれている。しかし、この作品をとりわけ魅力的にしているのは、誰かから誰かへのまなざしが描かれている点だ。例えば、新田くんは心にゴリラを飼っている。その話を友人と話す姿を遠くから見つめる水谷さんは、こうつぶやく。

「私以外にも飼ってる人いるんだ、心のゴリラ」

 ご飯をおいしそうに食べる男子はモテるらしいといううわさを聞き、新田くんはおいしそうにお昼を食べるも、女子からは見向きもされない。しかし、屋上から双眼鏡でそんな姿を覗いている人がいる。

 新田くんと小野寺くんは、偶然入ったファストフード店で、学校では昼休みにノリでケツを出す久保くんがペラペラな英語をしゃべり、接客しているのを見かける。

 野球部のキャプテンは、マネジャーの青山がたまにふとさびしげな表情をすることを知っている。

 気づかれることなく誰かをまなざし、まなざされることは、まさに青春であり、愛おしいほどに意味のないギャグや不条理な出来事を支える重要な柱となっている。私が個人的に好きなのは、校庭に隕石が落ちてもそれほど動じず、「野球部の1年が片付けるだろ!」と言う場面だ。何が起きても受け止め日常の一部にしてしまう。そんな季節が17歳なのだ。

 4月9日に文庫化される佐藤哲也『シンドローム』(キノブックス)でも、隕石が落ちる。『シンドローム』は、高校生を主人公としたSF小説だ。この作品の面白いところは、街に隕石が落ち、謎の生命体が侵略してきても、主人公にとってそのことはさほど重要ではなく、常に頭の中にあるのは同級生の久保田葉子のことばかりという点だ。謎の生命体の侵略という非日常と、あの子のことを考える日常が分断されることなく同居しているのだ。

 物語は、主人公「ぼく」の一人称で進行する。「ぼく」は常に頭の中で思弁し、心の動きや目の前で起こることを理性的に捉えようとする。恋に落ちることを非精神的とし、自分がその状態に陥っていないことを、自分でも気づかないほどに自己弁護する。そんな思春期特有の自意識がどこまでも張り巡らされるが、結局のところ「ぼく」は久保田のことが好きというそれでしかないのだ。しかし、思春期の高校生の自意識は簡単にそんなことを認めることはできず、思弁を展開していく。そんな理性的な「ぼく」が唯一、恋を感覚として捉えた瞬間がある。久保田と河原でお昼を食べた時だ。

ぼくは久保田の顎を見つめる。

ぼくは久保田の手を見つめる。

ぼくは久保田の頬を見つめる。

ぼくは久保田を見つめている。

ぼくはまぶしさを感じている。

 好きな人のすべてを見つめたい。そんな一方的なまなざし、それはもう恋でしかないのだ。「ぼく」による一人称の自意識にまみれた語りの中で、川原でのこのひとときは、とても美しく輝いている。

『バンブルビー』もまた、空から何かが落ちてくることによって物語が始まる。家族や同級生との軋轢を抱えた思春期真っ盛りのチャーリーは18歳の誕生日を迎えた日、バンブルビーと出会う。チャーリーはすぐに彼を受け入れ、名前をつける。トランスフォーマーシリーズのリブートとなる本作は、これまでの作品とは一線を画したものとなっている。それは、SFやアクションではなく、れっきとした青春映画であるからだ。宇宙人との出会いや交流といった80年代のスピルバーグ的映画への目配せと、ザ・スミスを筆頭とする音楽の使い方、そして『ブレックファスト・クラブ』(1985)オマージュといった、さまざまな要素が折り重なって、出会い、成長、別れが描かれる。

 個人的に、たまらなかったのは、話すことのできないバンブルビーがカーステレオから流れるラジオの音楽によって会話をするところだ。なんて素敵な設定だろうか。物語終盤、バンブルビーはカーステレオからザ・スミスの音楽のワンフレーズを使ってチャーリーに言葉を投げかける。チャーリーは、「スミスで会話ができた!」と喜ぶ。このシーンは、好きな人と好きなものを共有できた多幸感がギュッと詰まった瞬間だった。CGがふんだんに使われ、非日常なアクションが繰り広げられる中での日常の小さな喜びに、どうしたって感動してしまう。

 この3作は、どれも高校生が主人公だ。そしてフィクションである。17歳の私の首は伸びていないし、地球外生命体も侵略してきていないし、車に変形する友人もいなかった。けれども、そんなフィクションの中に、あの時のまなざしや小さな喜びを見つけ、もう戻ることのできない季節をふと思い出してしまうのだ。

●ミワリョウスケ

1994年生まれ。生活のこと、面白かった映画や演劇、ラジオなどについてブログを書いている。日記をまとめた本の販売も行っている。好きな食べ物はうなぎ。<http://miwa0524.hatenablog.com/

『学校と先生』『シンドローム』『バンブルビー』~高校生と隕石と、もう戻ることのできない季節の話~

 東京に住むようになって5年がたつ。春が訪れるたびに、街のさまざまな場所に桜が咲いていることに気づかされる。地方出身の私にとって桜は、山に咲くものか、学校の校庭に咲くものであった。とりわけ、4月に咲く学校の桜は新学期への期待と不安を膨らませ、何かが起きるんじゃないか、何かが変わるんじゃないか、そんな根拠のない想像を掻き立てる。

 3月22日発売のおほしんたろう『学校と先生』(ナナロク社)に、こんなセリフがある。

「俺たちゃ17歳だぞ! こんなこともたまには起こるよ!」

 この言葉の通り、高校時代、とりわけ17歳は何が起こったっておかしくない季節なのだ。

 前述のセリフは、1人の生徒の首が授業中に突然伸びたことにより発せられたものだ。『学校と先生』は、ファミ通町内会の伝説的なハガキ職人塩味電気、現在はお笑い芸人のおほしんたろうによる学校を舞台とした初の連作ギャグ漫画であり、こちらの想像を裏切る笑いにあふれている。しかし、この作品をとりわけ魅力的にしているのは、誰かから誰かへのまなざしが描かれている点だ。例えば、新田くんは心にゴリラを飼っている。その話を友人と話す姿を遠くから見つめる水谷さんは、こうつぶやく。

「私以外にも飼ってる人いるんだ、心のゴリラ」

 ご飯をおいしそうに食べる男子はモテるらしいといううわさを聞き、新田くんはおいしそうにお昼を食べるも、女子からは見向きもされない。しかし、屋上から双眼鏡でそんな姿を覗いている人がいる。

 新田くんと小野寺くんは、偶然入ったファストフード店で、学校では昼休みにノリでケツを出す久保くんがペラペラな英語をしゃべり、接客しているのを見かける。

 野球部のキャプテンは、マネジャーの青山がたまにふとさびしげな表情をすることを知っている。

 気づかれることなく誰かをまなざし、まなざされることは、まさに青春であり、愛おしいほどに意味のないギャグや不条理な出来事を支える重要な柱となっている。私が個人的に好きなのは、校庭に隕石が落ちてもそれほど動じず、「野球部の1年が片付けるだろ!」と言う場面だ。何が起きても受け止め日常の一部にしてしまう。そんな季節が17歳なのだ。

 4月9日に文庫化される佐藤哲也『シンドローム』(キノブックス)でも、隕石が落ちる。『シンドローム』は、高校生を主人公としたSF小説だ。この作品の面白いところは、街に隕石が落ち、謎の生命体が侵略してきても、主人公にとってそのことはさほど重要ではなく、常に頭の中にあるのは同級生の久保田葉子のことばかりという点だ。謎の生命体の侵略という非日常と、あの子のことを考える日常が分断されることなく同居しているのだ。

 物語は、主人公「ぼく」の一人称で進行する。「ぼく」は常に頭の中で思弁し、心の動きや目の前で起こることを理性的に捉えようとする。恋に落ちることを非精神的とし、自分がその状態に陥っていないことを、自分でも気づかないほどに自己弁護する。そんな思春期特有の自意識がどこまでも張り巡らされるが、結局のところ「ぼく」は久保田のことが好きというそれでしかないのだ。しかし、思春期の高校生の自意識は簡単にそんなことを認めることはできず、思弁を展開していく。そんな理性的な「ぼく」が唯一、恋を感覚として捉えた瞬間がある。久保田と河原でお昼を食べた時だ。

ぼくは久保田の顎を見つめる。

ぼくは久保田の手を見つめる。

ぼくは久保田の頬を見つめる。

ぼくは久保田を見つめている。

ぼくはまぶしさを感じている。

 好きな人のすべてを見つめたい。そんな一方的なまなざし、それはもう恋でしかないのだ。「ぼく」による一人称の自意識にまみれた語りの中で、川原でのこのひとときは、とても美しく輝いている。

『バンブルビー』もまた、空から何かが落ちてくることによって物語が始まる。家族や同級生との軋轢を抱えた思春期真っ盛りのチャーリーは18歳の誕生日を迎えた日、バンブルビーと出会う。チャーリーはすぐに彼を受け入れ、名前をつける。トランスフォーマーシリーズのリブートとなる本作は、これまでの作品とは一線を画したものとなっている。それは、SFやアクションではなく、れっきとした青春映画であるからだ。宇宙人との出会いや交流といった80年代のスピルバーグ的映画への目配せと、ザ・スミスを筆頭とする音楽の使い方、そして『ブレックファスト・クラブ』(1985)オマージュといった、さまざまな要素が折り重なって、出会い、成長、別れが描かれる。

 個人的に、たまらなかったのは、話すことのできないバンブルビーがカーステレオから流れるラジオの音楽によって会話をするところだ。なんて素敵な設定だろうか。物語終盤、バンブルビーはカーステレオからザ・スミスの音楽のワンフレーズを使ってチャーリーに言葉を投げかける。チャーリーは、「スミスで会話ができた!」と喜ぶ。このシーンは、好きな人と好きなものを共有できた多幸感がギュッと詰まった瞬間だった。CGがふんだんに使われ、非日常なアクションが繰り広げられる中での日常の小さな喜びに、どうしたって感動してしまう。

 この3作は、どれも高校生が主人公だ。そしてフィクションである。17歳の私の首は伸びていないし、地球外生命体も侵略してきていないし、車に変形する友人もいなかった。けれども、そんなフィクションの中に、あの時のまなざしや小さな喜びを見つけ、もう戻ることのできない季節をふと思い出してしまうのだ。

●ミワリョウスケ

1994年生まれ。生活のこと、面白かった映画や演劇、ラジオなどについてブログを書いている。日記をまとめた本の販売も行っている。好きな食べ物はうなぎ。<http://miwa0524.hatenablog.com/

フェイクニュースはこうして既成事実化された!! 大手メディアの脆弱さを暴き出した『記者たち』

 フェイクニュースによって戦争が始まり、その結果50万人以上もの人命が犠牲となった。残念なことに、これはフェイクではなく事実である。ロブ・ライナー監督の最新作『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(原題『SHOCK AND AWE』)は、イラク戦争開戦時の米国内のメディア事情を追った実録サスペンスだ。「イラクは大量破壊兵器を保有している」というブッシュ政権の根拠のない主張に、米国の大手メディアはことごとく同調し、イラク戦争が勃発した経緯を描いている。

 物語は2001年の9.11同時多発テロから始まる。NYのワールドトレードセンターが崩壊し、ペンタゴンも襲撃されたことから、全米中がパニック状態に陥った。ブッシュ政権は、テロを指示したオサマ・ビン・ラディンを討つべく、アフガニスタンへの攻撃を開始。さらにはイラクのフセイン大統領はビン・ラディンと繋がり、大量破壊兵器を隠し持っているとイラク侵攻への準備を進める。米国民は愛国心一色で染まり、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手新聞やニュース番組はこぞってブッシュ政権を後押しした。

 本当にイラクは大量破壊兵器を持っているのか? 全米中がブッシュ政権を支持する中、異議を唱えたのは中堅新聞社のナイト・リッダー社だけだった。ワシントン支局長ジョン・ウォルコット(ロブ・ライナー)のもと、記者のジョナサン(ウディ・ハレルソン)とウォーレン(ジェームズ・マースデン)は真相を知る政府関係者や専門家たちを聞き込み取材。イラクが大量破壊兵器を持っていることを裏づける明確な証拠はないと突き止める。だが、ナイト・リッダー社が提携している地方の新聞社たちは、その記事を掲載することを拒否。ブッシュ政権による虚偽の主張は、あらゆるメディアが報道することで既成事実へと変わっていく。

 なぜ、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手メディアは、権力側の主張に簡単に迎合してしまったのだろうか。米国以外の海外ではフセイン大統領とアルカイダを率いるオサマ・ビン・ラディンが繋がっていることはありえないし、イラクが大量破壊兵器を保有しているという主張に疑問を感じていた。だが、米国民にとっては9.11同時多発テロのショックはあまりにも大きかった。愛国心という言葉で一致団結し、パニック状態から脱しようとした。真実を伝えることが役割であるはずの新聞やニュース番組は、愛国心一色となった民衆に対して無力化してしまう。ブッシュ政権に反論し、読者や視聴者からバッシングされることを恐れたのだ。その結果、権力者と民衆の機嫌におもねった記事しか流さなくなってしまう。現代の“裸の王様”はこうして誕生した。

 ロブ・ライナー監督は、『スタンド・バイ・ミー』(86)や『最高の人生の見つけ方』(07)などユーモラスかつウェルメイドな作風で知られるハリウッドの名匠だが、リンドン・B・ジョンソン大統領を主人公にした『LBJ ケネディの意思を継いだ男』(16)に続いて、社会派ノンフィクションに挑んだ。ケネディ暗殺後、公民権法の制定に尽力したジョンソン大統領と同じように、体を張って真実を伝えようとしたナイト・リッダー社の記者たちを歴史の闇に埋もれさせることがロブ・ライナー監督はできなかった。

 米国には『大統領の陰謀』(76)や『スポットライト 世紀のスクープ』『ニュースの真相』(15)などジャーナリズムの世界を舞台にした実録映画は少なくないが、決してドラマ的に盛り上がりやすい題材ではない。物語前半で特ダネをつかんだ記者たちのテンションはピークを迎えるものの、後半はその特ダネが事実かどうかを地道に裏どりするシーンが延々と続くことになるからだ。それでもロブ・ライナー監督は、記者役のウディ・ハレルソンたちが泥くさく裏どりを続ける姿を追っていく。真実をつかみ、記事化することは、ひどく地味な作業であることを本作は伝えている。

 真実を伝えることはとても骨が折れる。この問題は、今のメディア界を根底から揺るがせている。SNSなどのネット情報は、投稿者が見たことや感じたことをそのまま伝えるため、速報性、共感性、伝播力がとても高い。それに比べ、ナイト・リッダー社の記者たちが行なう「調査報道」は事件や事故の事実関係をさまざまな角度から検証しなくてはいけないため、速報性で大きな遅れが生じる。新聞や週刊誌といった従来のメディアは、大変な岐路に立たされているといっていいだろう。実際のところ、イラク戦争開戦時に唯一正しい報道を続けたナイト・リッダー社は、2006年に大手新聞チェーンに買収され、消滅してしまった。

 アレック・ボールドウィンが演じる予定だったワシントン支局長役だが、ボールドウィンが撮影直前に降板し、子役出身のロブ・ライナー監督自身が“理想のボス”として熱演することになった。フェイクドキュメンタリー『スナイプル・タップ』(84)で監督デビューを果たしたロブ・ライナー監督が、フェイクニュースを暴く役を演じているのも面白い。今年2月に初来日したロブ・ライナー監督は記者会見で、本作の製作意図をこう語った。

ロブ・ライナー「ベトナム戦争のとき、私は徴兵の年齢に達していました。ベトナム戦争もイラク戦争と同じように偽りのニュースから始まった戦争でした。イラク戦争でもまったく同じことが起きているのに、それを止めることができないことに胸が痛みました。どうしてこんなことが起きるのかを検証してみようと考え、この映画を撮ることにしたのです。『LBJ』でジョンソン大統領について調べている中でナイト・リッダー社の記者たちのことを知り、彼らの視点から映画にすることを思いついたのです」

 新聞やテレビのニュース番組は公共性が高く、報道されているニュースはどれも正しいものと思い込みがちだが、新聞は販売部数、テレビは視聴率やスポンサーの意向に大きな影響を受けやすい。マスメディアのそんな脆弱さにも、ロブ・ライナー監督は触れている。

ロブ・ライナー「1960年代にCBSテレビで『60ミニッツ』というニュースショーが始まり、ニュースが商品化していきました。ニュース番組がショー化しても、それで事実が伝わるのなら良いのですが、今のニュースメディアは大企業の傘下にどんどん入っているというのが現状です。ニュースメディアは健全な形で独自性を保っているのか。そのことに気をつけなくてはけません」

 ブッシュ大統領を裏で操り、イラク開戦へと向かわせた黒幕は副大統領のディック・チェイニーだったことは『記者たち』でも言及されているが、この謎の多いチェイニー副大統領の人間像に真正面から斬り込んだのがアダム・マッケイ監督の『バイス』だ。イラク開戦によってチェイニー副大統領(クリスチャン・ベール)が大株主だった石油会社の株が沸騰し、暴利を得た事実を暴いている。また、米国による中東への軍事介入は9.11同時多発テロ以前から既成路線として予定されていたという真相には、憤りを覚えずにはいられない。

 公開時期の近い『記者たち』と『バイス』を併せて観ることで、イラク戦争の内情がよりくっきりと見えてくる。新聞やテレビの報道番組ではなく、劇場公開までにかなりの歳月を要する映画という古いメディアが、イラク戦争のダークサイドを白日のもとに晒してみせたことも実に興味深い。

(文=長野辰次)

フェイクニュースはこうして既成事実化された!! 大手メディアの脆弱さを暴き出した『記者たち』の画像4

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』
監督・製作/ロブ・ライナー 
出演/ウディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン、ロブ・ライナー、ジェシカ・ビール、ミラ・ジョヴォヴィッチ、トミー・リー・ジョーンズ
日本語字幕/齊藤敦子 字幕監修/池上彰
配給/ツイン 3月29日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
(c)2017 SHOCK AND AWE PRODUCTIONS,ALL RIGHTS RESERVED
http://reporters-movie.jp

フェイクニュースはこうして既成事実化された!! 大手メディアの脆弱さを暴き出した『記者たち』の画像5

『バイス』
監督・脚本/アダム・マッケイ
出演/クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、スティーヴ・カレル、サム・ロックウェル
日本語字幕/石田泰子 字幕監修/渡辺将人
配給/ロングライド 4月5日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
(c)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved
https://longride.jp/vice

 

フェイクニュースはこうして既成事実化された!! 大手メディアの脆弱さを暴き出した『記者たち』の画像6『パンドラ映画館』電子書籍発売中!
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フェイクニュースはこうして既成事実化された!! 大手メディアの脆弱さを暴き出した『記者たち』

 フェイクニュースによって戦争が始まり、その結果50万人以上もの人命が犠牲となった。残念なことに、これはフェイクではなく事実である。ロブ・ライナー監督の最新作『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(原題『SHOCK AND AWE』)は、イラク戦争開戦時の米国内のメディア事情を追った実録サスペンスだ。「イラクは大量破壊兵器を保有している」というブッシュ政権の根拠のない主張に、米国の大手メディアはことごとく同調し、イラク戦争が勃発した経緯を描いている。

 物語は2001年の9.11同時多発テロから始まる。NYのワールドトレードセンターが崩壊し、ペンタゴンも襲撃されたことから、全米中がパニック状態に陥った。ブッシュ政権は、テロを指示したオサマ・ビン・ラディンを討つべく、アフガニスタンへの攻撃を開始。さらにはイラクのフセイン大統領はビン・ラディンと繋がり、大量破壊兵器を隠し持っているとイラク侵攻への準備を進める。米国民は愛国心一色で染まり、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手新聞やニュース番組はこぞってブッシュ政権を後押しした。

 本当にイラクは大量破壊兵器を持っているのか? 全米中がブッシュ政権を支持する中、異議を唱えたのは中堅新聞社のナイト・リッダー社だけだった。ワシントン支局長ジョン・ウォルコット(ロブ・ライナー)のもと、記者のジョナサン(ウディ・ハレルソン)とウォーレン(ジェームズ・マースデン)は真相を知る政府関係者や専門家たちを聞き込み取材。イラクが大量破壊兵器を持っていることを裏づける明確な証拠はないと突き止める。だが、ナイト・リッダー社が提携している地方の新聞社たちは、その記事を掲載することを拒否。ブッシュ政権による虚偽の主張は、あらゆるメディアが報道することで既成事実へと変わっていく。

 なぜ、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手メディアは、権力側の主張に簡単に迎合してしまったのだろうか。米国以外の海外ではフセイン大統領とアルカイダを率いるオサマ・ビン・ラディンが繋がっていることはありえないし、イラクが大量破壊兵器を保有しているという主張に疑問を感じていた。だが、米国民にとっては9.11同時多発テロのショックはあまりにも大きかった。愛国心という言葉で一致団結し、パニック状態から脱しようとした。真実を伝えることが役割であるはずの新聞やニュース番組は、愛国心一色となった民衆に対して無力化してしまう。ブッシュ政権に反論し、読者や視聴者からバッシングされることを恐れたのだ。その結果、権力者と民衆の機嫌におもねった記事しか流さなくなってしまう。現代の“裸の王様”はこうして誕生した。

 ロブ・ライナー監督は、『スタンド・バイ・ミー』(86)や『最高の人生の見つけ方』(07)などユーモラスかつウェルメイドな作風で知られるハリウッドの名匠だが、リンドン・B・ジョンソン大統領を主人公にした『LBJ ケネディの意思を継いだ男』(16)に続いて、社会派ノンフィクションに挑んだ。ケネディ暗殺後、公民権法の制定に尽力したジョンソン大統領と同じように、体を張って真実を伝えようとしたナイト・リッダー社の記者たちを歴史の闇に埋もれさせることがロブ・ライナー監督はできなかった。

 米国には『大統領の陰謀』(76)や『スポットライト 世紀のスクープ』『ニュースの真相』(15)などジャーナリズムの世界を舞台にした実録映画は少なくないが、決してドラマ的に盛り上がりやすい題材ではない。物語前半で特ダネをつかんだ記者たちのテンションはピークを迎えるものの、後半はその特ダネが事実かどうかを地道に裏どりするシーンが延々と続くことになるからだ。それでもロブ・ライナー監督は、記者役のウディ・ハレルソンたちが泥くさく裏どりを続ける姿を追っていく。真実をつかみ、記事化することは、ひどく地味な作業であることを本作は伝えている。

 真実を伝えることはとても骨が折れる。この問題は、今のメディア界を根底から揺るがせている。SNSなどのネット情報は、投稿者が見たことや感じたことをそのまま伝えるため、速報性、共感性、伝播力がとても高い。それに比べ、ナイト・リッダー社の記者たちが行なう「調査報道」は事件や事故の事実関係をさまざまな角度から検証しなくてはいけないため、速報性で大きな遅れが生じる。新聞や週刊誌といった従来のメディアは、大変な岐路に立たされているといっていいだろう。実際のところ、イラク戦争開戦時に唯一正しい報道を続けたナイト・リッダー社は、2006年に大手新聞チェーンに買収され、消滅してしまった。

 アレック・ボールドウィンが演じる予定だったワシントン支局長役だが、ボールドウィンが撮影直前に降板し、子役出身のロブ・ライナー監督自身が“理想のボス”として熱演することになった。フェイクドキュメンタリー『スナイプル・タップ』(84)で監督デビューを果たしたロブ・ライナー監督が、フェイクニュースを暴く役を演じているのも面白い。今年2月に初来日したロブ・ライナー監督は記者会見で、本作の製作意図をこう語った。

ロブ・ライナー「ベトナム戦争のとき、私は徴兵の年齢に達していました。ベトナム戦争もイラク戦争と同じように偽りのニュースから始まった戦争でした。イラク戦争でもまったく同じことが起きているのに、それを止めることができないことに胸が痛みました。どうしてこんなことが起きるのかを検証してみようと考え、この映画を撮ることにしたのです。『LBJ』でジョンソン大統領について調べている中でナイト・リッダー社の記者たちのことを知り、彼らの視点から映画にすることを思いついたのです」

 新聞やテレビのニュース番組は公共性が高く、報道されているニュースはどれも正しいものと思い込みがちだが、新聞は販売部数、テレビは視聴率やスポンサーの意向に大きな影響を受けやすい。マスメディアのそんな脆弱さにも、ロブ・ライナー監督は触れている。

ロブ・ライナー「1960年代にCBSテレビで『60ミニッツ』というニュースショーが始まり、ニュースが商品化していきました。ニュース番組がショー化しても、それで事実が伝わるのなら良いのですが、今のニュースメディアは大企業の傘下にどんどん入っているというのが現状です。ニュースメディアは健全な形で独自性を保っているのか。そのことに気をつけなくてはけません」

 ブッシュ大統領を裏で操り、イラク開戦へと向かわせた黒幕は副大統領のディック・チェイニーだったことは『記者たち』でも言及されているが、この謎の多いチェイニー副大統領の人間像に真正面から斬り込んだのがアダム・マッケイ監督の『バイス』だ。イラク開戦によってチェイニー副大統領(クリスチャン・ベール)が大株主だった石油会社の株が沸騰し、暴利を得た事実を暴いている。また、米国による中東への軍事介入は9.11同時多発テロ以前から既成路線として予定されていたという真相には、憤りを覚えずにはいられない。

 公開時期の近い『記者たち』と『バイス』を併せて観ることで、イラク戦争の内情がよりくっきりと見えてくる。新聞やテレビの報道番組ではなく、劇場公開までにかなりの歳月を要する映画という古いメディアが、イラク戦争のダークサイドを白日のもとに晒してみせたことも実に興味深い。

(文=長野辰次)

フェイクニュースはこうして既成事実化された!! 大手メディアの脆弱さを暴き出した『記者たち』の画像4

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』
監督・製作/ロブ・ライナー 
出演/ウディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン、ロブ・ライナー、ジェシカ・ビール、ミラ・ジョヴォヴィッチ、トミー・リー・ジョーンズ
日本語字幕/齊藤敦子 字幕監修/池上彰
配給/ツイン 3月29日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
(c)2017 SHOCK AND AWE PRODUCTIONS,ALL RIGHTS RESERVED
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フェイクニュースはこうして既成事実化された!! 大手メディアの脆弱さを暴き出した『記者たち』の画像5

『バイス』
監督・脚本/アダム・マッケイ
出演/クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、スティーヴ・カレル、サム・ロックウェル
日本語字幕/石田泰子 字幕監修/渡辺将人
配給/ロングライド 4月5日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
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