「賞味期限切れ」「主演は無理」映画関係者が選ぶ2019年“大コケ映画”4作品とは?

 2019年も数多くの映画が公開され、実写邦画では4月19日に上映開始した『キングダム』が興行収入57億円(興行通信社調べ、以下同)を突破するなど大ヒットを記録。しかし、話題性はあったものの、“大コケ”した作品も少なからず存在するようだ。そこで映画業界の関係者に、特に印象に残っている「大コケ作品」を振り返ってもらった。

「Kis-My-Ft2・玉森裕太が主演を務めた『パラレルワールド・ラブストーリー』(5月31日公開)は、人気作家・東野圭吾氏の同題小説を実写化したもので、玉森のほかメインキャストには染谷将太、吉岡里帆が名を連ねました。全国316スクリーンで公開され、初週末の映画ランキングは4位を記録したものの、興行収入は4.8億円という結果に。話題性や上映規模から考えても、興行収入10億円は目指したかったでしょう」(映画誌ライター)

 ネット上に書き込まれたレビューを見ると、「原作ファンですが、複雑な世界観を映像化するのは難しい」「ラブストーリーなのかミステリーなのかハッキリしない、中途半端な感じだった。だから薄っぺらい印象」「玉森に主演は無理」といった低評価が寄せられていた。

「次は、人間を食らう種族“喰種(グール)”が潜む東京が舞台の『東京喰種 トーキョーグール【S】』(7月19日公開)。窪田正孝が主演を務め、全国292スクリーンで上映スタートして初登場7位を獲得後、2週目にはランキング圏外に。興行収入は3.2億円でした」(同)

 原作は石田スイ氏の世界的人気漫画(集英社刊)で、17年には映画第1弾『東京喰種 トーキョーグール』が公開されていた。主演はその前作も窪田が務めたが、ヒロイン役は1作目が清水富美加(現在は法名・千眼美子として活動)、2作目は山本舞香に変更。清水は17年2月に宗教団体「幸福の科学」への出家を発表しており、当時、彼女が「人肉を食べる人種の役柄など、良心や思想信条にかなわない仕事」に悩んでいたことも明かされ、ネット上で「『東京喰種』のことではないか」と指摘されていた。

「そんな騒動を経て、映画は2作目公開に至ったものの『ヒロインは清水の方が良かった』『いろんな意味で清水の印象が強い』といった声が続出。また、『ストーリーや映画のクオリティーも含め、1作目の方が魅力的』『2作目は主演の窪田くんも影が薄いし、全体的に物足りない』などとも言われていました」(同)

 一方、話題性があったにもかかわらず、初週末の映画ランキング圏内にすら登場しなかった作品も。それは、高橋一生と川口春奈がダブル主演を務めた映画『九月の恋と出会うまで』(3月1日公開)である。

「作家・松尾由美氏の同題恋愛小説(双葉文庫刊)を映像化した同映画は、全国248スクリーンで公開され、トップ10入りを狙うには十分でした。また、公開にあたり高橋と川口がさまざまなテレビ番組で宣伝していたこともあり、さすがに初週くらいはトップ10入りできたはずですが、残念ながら初登場11位。その後、巻き返すこともなく、最終的な興行収入は1.8億となりました」(マスコミ関係者)

 ネット上には「よくあるラブストーリーって感じだった」「SF要素がややこしい。原作読んでないと難しいかも」といったレビューもあったが、作品自体そこまで“酷評の嵐”だったわけではない。となると、なぜ客足が伸びなかったのか……。

「業界内では“高橋の集客力低下”が指摘されていました。高橋は15年放送の連続ドラマ『民王』(テレビ朝日系)や、17年の『カルテット』(TBS系)で女性ファンを増やしてブレーク。しかし、この遅咲きイケメン俳優枠では18年に『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)で主演を務めた田中圭、NHK連続テレビ小説『半分、青い。』や『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)などに出演した中村倫也が大ブレークし、その間には高橋に熱愛報道もあったためか、人気の勢いがストップしてしまいました。『九月の恋と出会うまで』のターゲット層は女性とみられますが、制作側が期待したほど、高橋の固定ファンが残っていなかったのか……いわば“賞味期限切れ”と言えるでしょう」(同)

 そんな『九月の恋と出会うまで』よりも興行収入が得られなかった“大爆死”映画が、三吉彩花が主演を務めた『ダンスウィズミー』(8月16日公開)だ。

「同映画は、『ウォーターボーイズ』(01年)などを手掛けた矢口史靖氏が、監督・脚本を担当したミュージカルコメディー。主演の三吉は、かつてアイドルグループ・さくら学院に在籍し、近年は女優業を中心に活動していますが、同年代の女優たちと比べると、まだまだ存在感が薄い印象。『ダンスウィズミー』はそんな三吉のほか、女性芸人のやしろ優や、シンガーソングライター・chayなどが出演していました」(同)

 一応、三浦貴大やムロツヨシなど認知度のある俳優も出演していたが、「話題性もなければインパクトにも欠ける、“地味”な顔ぶれ」(同)に見えるという。

「“ミュージカルコメディー”という点に置いても、『ミュージカル映画というわりに、ダンスシーンが少ない』『日本映画でミュージカルをやろうとすると、やっぱりチープな感じになる』など厳しい評価が寄せられていました。映画ランキングでは初登場10位を獲得しましたが、全国305スクリーンという上映規模に対して、最終興行収入が1億円というのは、間違いなく“大コケ”と言えるでしょう」(同)

 20年もさまざまな映画が公開される予定だが、不名誉な記録を塗り替える作品がどれだけ生まれるのだろうか。

南キャン・山里に試練!? 蒼井優が高橋一生に「性器を見せつける」新春映画の壮絶な濡れ場

 芸能人の結婚ラッシュとなった令和元年で、最も世間を驚かせたのが南海キャンディーズ・山里亮太と女優の蒼井優の結婚だろう。

 しかし、それも束の間、幸せいっぱいの新婚生活を語っていた山里だが、来年早々にも「女優の夫」としての大きな試練を迎えそうだ。

「来年1月24日公開の映画『ロマンスドール』で蒼井は、高橋一生を相手に壮絶な濡れ場を披露しているんです」

 すでに試写を終えたという映画ライターがさらに続ける。

「同作で高橋はラブドール職人を演じ、そのモデルを蒼井が務める。彼女の胸の感触を確かめるべく高橋の手がバストを覆ったり、下半身のホール部分をリアルなものにするために悩む高橋に、蒼井がM字開脚で性器を見せつける場面も」

 しかも、蒼井の艶演技はこれだけでは終わらない。

「また、急接近して夫婦生活を送るようになると、ベッドシーンも盛りだくさん。正常位、対面座位、騎乗位で高橋のモノを受け入れながら『お願い、して……』『気持ちいい……』と絶頂で失神してしまう場面まで。蒼井は結婚後の9月公開された映画『宮本から君へ』でも、池松壮亮とのシックスナインを披露していましたが、今作の過激さはそれ以上。新婚の山里にとってはまさに拷問となるでしょう」(映画ライター)

 ちなみに12月26日放送の『スッキリ』(日本テレビ系)では、蒼井が登場することが決まっている。同番組の人気コーナー『クイズッス』では山里の“親友”である「天の声」が2人の新婚生活に触れるという。はたして、妻の性器丸出しM字開脚をどんな気持ちで紹介するのだろうか。

サイテー映画との出会いは人生を大きく変える!? 『死霊の盆踊り』ほか映画史に残る珍作奇作たち

 日本におけるサイテー映画の歴史の発火点となったのが、米国映画『死霊の盆踊り』(原題『Orgy of the dead』、1965年製作)だった。死霊化したトップレスダンサーたちが墓場で延々と踊り続けるだけという超低予算のホラー映画だが、1987年に日本で劇場公開された『死霊の盆踊り』は邦題のセンスのよさもあって劇場が満席になるという珍事となった。ちなみに『死霊の盆踊り』は、カンヌ国際映画祭常連の配給会社ギャガ(当時の社名はギャガ・コミュニケーションズ)の配給第3弾作品だった。

 80年代の日本ではまだ知られていなかったが、観た者の脳みそを空っぽにしてしまう『死霊の盆踊り』の脚本を書いたのは“史上最低の映画監督”として名を馳せることになるエド・ウッドだった。エド・ウッドの代表作『プラン9・フロム・アウタースペース』(59)と共に『死霊の盆踊り』も年末年始にリバイバル上映される。サイテー映画の仕掛け人である映画評論家の江戸木純氏と、これまでに『八仙飯店之人肉饅頭』(93)や『ムカデ人間』(09)など数々の鬼畜映画を配給してきた映画プロデューサーの叶井俊太郎氏が、30年以上にわたって関わってきたサイテー映画について語り尽くした。

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――1987年に『死霊の盆踊り』が日本で劇場公開されたことで、我が国でのサイテー映画の歴史が始まった。江戸木さんにとっても、思い出深い作品ですね。

江戸木 “史上最低”というフレーズは、実は僕が苦し紛れで付けたものです(笑)。当時のギャガは今と違って、ビデオの版権を売るエージェントだった。創業直後で、社員は東北新社から移った僕も入れて3名だけ。創業者の藤村哲哉社長がマニアックな映画を扱う米国の会社ライノ・エンタテインメントから、中身を観ないで10本まとめて買ってきた中の1本が『死霊の盆踊り』だった。女性のヌードがあって、狼男やミイラ男も出るホラーものだから、ビデオ化したら売れるだろうってことだったんだけど、観たら本当にひどかった。セールスポイントがまるでないので、仕方なく“史上最低”と呼んで売った。当初は『ディスコ・ハカバカーナ 亡霊たちの盆踊り』という邦題を考えていたんだけど、あるプレゼンの際に「“死霊の盆踊り”みたいな映画です」と説明したら大ウケしたんで、『死霊の盆踊り』に決まったんです。ビデオは5000本も売れました(笑)。

叶井 『死霊の盆踊り』は東京ファンタスティック映画祭でも上映したでしょ? 会場に人が溢れていて、すごい盛り上がってた。訳が分からなかった。当時の俺、学生だったけど、あの異様なノリにはついていけなかったから。

江戸木 ホラーマスクをみんなで被って、渋谷の歩行者天国で踊ったの、『トゥナイト』(テレビ朝日系)が取材に来てくれるっていうから。でも、本当は『死霊の盆踊り』は東京ファンタの正式参加作品じゃなかった。東京ファンタの小松沢陽一プロデューサーに「面白い映画ない?」ときかれて、『死霊の盆踊り』があるよと話したら、東京ファンタでやろうと言ってくれて。当時の東京ファンタは渋谷でいちばん大きな劇場だったパンテオンでやっていたけど、上映するのに35ミリフィルムを用意しなくちゃいけなかった。そのことをA・C・スティーブン監督に国際電話で伝えたら大喜びして、自腹で日本に来ると言い出した。ところが、東京ファンタを主催していたニッポン放送が「いくらなんでもコレはだめ!」と怒って、東京ファンタで上映できなくなって。それで急遽、パンテオンのすぐ近くにあった渋谷松竹を借りて上映したんだよ。東京ファンタ“惨禍”作品ということにして。スティーブン監督はもう亡くなったけど、最後まで東京ファンタで上映されたと信じていたと思うよ。「こんなに感動的な上映会は初めてだ」と感激してたから。その後、『死霊の盆踊り2』の台本まで渡されたし(笑)。日本で製作費を集めてくれって。

叶井 『死霊の盆踊り2』? 誰も映画化しないよ!

江戸木 話の内容はまったく同じ。舞台が宇宙になって、音楽がロックになるだけ。『エドウッド』(94)を映画化したティム・バートン監督を取材した際に、「スティーブン監督が書いた続編の台本があるけど興味ないか?」と尋ねたら、「すごくある」っていうから渡したんだけど、それっきりになった(笑)。

叶井 『エドウッド』で描かれて、有名になった『プラン9・フロム・アウタースペース』も劇場公開するんだ。江戸木純というペンネームは、エド・ウッドが由来なわけでしょ。エド・ウッドが好きなんですね。

江戸木 「死霊の盆踊り』は映画を売るサラリーマンの仕事としてのベストを尽くして、最善の結果になったと思う。でも、決してサイテー映画が大好きで、サイテー映画ばかり観ているわけじゃないから(笑)。まぁ、『死霊の盆踊り』はこれまでに50回以上は観て、愛着はあるよ。江戸木純は確かにエド・ウッド・ジュニアから思い付いたペンネームなんだけど、売り込んだ雑誌や出版社から原稿も書いてくれと頼まれて、会社員だったから本名を名乗ることができず、便宜的に付けた名前。エド・ウッド作品は『死霊の盆踊り』以外は観たことがなかったのに、いつの間にか「江戸木純」としての仕事が僕の本業になってしまった(笑)。

叶井 でも、なんで今、『死霊の盆踊り』と『プラン9』なの?

江戸木 サイテーの時代だから、サイテーな映画で盛り上がってほしい。というのは冗談だけど、時間をかけて準備していたものがこの年末にたまたまできることになった。『死霊の盆踊り』は日本公開から32年とすごく中途半端なんだけど、カラーライズ化された『プラン9』も一度きちんと劇場公開したいとだいぶ前から計画はしてた。2018年は僕が日本に紹介したインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)の4K版を公開したんだけど、これがけっこーしんどかった。インド映画界と仕事するのは、なかなか大変なの。その分、面白い体験もいっぱいするけどね。『ムトゥ』の権利を買うためにインドに渡ったときも、プロデューサーがサイババの信者で「君たちが日本から来ることはサイババが予言していた。この映画は日本で必ず大ヒットする」と言われた。そのときは「大丈夫か、この人」と思ったけど、本当に大ヒットしたからね。インド映画は配給自体が一種の神秘体験でもあるんだけど、いろいろと体力や神経をつかう。『ムトゥ』がひと段落したことで、ようやくこの2本の上映ができることになったんだ。

叶井 今回の『死霊の盆踊り』と『プラン9』の売りは何なの?

江戸木 これまではスタンダードサイズで上映されていたんだけど、もともとは横長のビスタサイズで上映されることを前提にして撮影されていたもので、初めてのビスタサイズでの一般上映。横長のビスタサイズで観ると、案外計算された映画だということが分かる。裸で踊っているダンサーたちも当時の米国のストリップダンサーたちで、けっこうレベルが高い。猫のコスプレで踊る女性がいるんだけど、作家の岩井志麻子さんのコスプレ姿にそっくり。岩井さんのコスプレは、『死霊の盆踊り』の影響じゃないかな?

ー1980年代に流行ったミュージカル『キャッツ』だと思います。

江戸木 そうか。でも、「キャッツ』の元ネタは『死霊の盆踊り』だという説もある。『キャッツ』も『死霊の盆踊り』もストーリーはほぼ同じ。ただ、猫が踊っているかトップレスダンサーかの違いくらいだよ(笑)。

叶井 『死霊の盆踊り』も実写版『キャッツ』も、気持ち悪いという点ではよく似ているよね。

――叶井さんは90年代に映画業界に入り、香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』(93)を大ヒットさせて映画業界の名物男に。

叶井 江戸木さんがきっかけですよ。僕がいたアルバトロス社に、江戸木さんがアドバイザーをしていたJCAという会社が「こんな映画があるんだけど」と『人肉饅頭』を売り込みにきた。当時のアルバトロス社はフランスの文芸映画を扱うような会社だったけど、ビデオ部門を立ち上げることになり、『人肉饅頭』しかないと俺も猛プッシュした。江戸木さんとの付き合いは『人肉饅頭』からだよね。『人肉饅頭』が当たったんで、『人肉天婦羅』(93)、『人肉竹輪』(93)、『香港人肉厨房』(92)とひどい映画を次々とリリースしたよね。

江戸木 90年代前半の香港は、97年の中国返還を直前に控え、「三流片」と呼ばれるトンデモない映画がどんどん作られていた時期だった。『実録 幼女丸焼き事件』(93)は中国大陸から流れてきた元人民解放軍が香港でマフィア化しているという内容で、サイモン・ヤムが主演。今の中国では絶対に無理。『人肉饅頭』で犯人役を演じたアンソニー・ウォンは、主演映画『淪落の人』の舞台あいさつのためについ先日、東京に来てた。僕は舞台あいさつの司会をしたんだけど、すごくいい人で驚いた。『淪落の人』も感動必至の感動作(2020年2月公開予定)。アンソニー・ウォンが出演した『エボラ・シンドローム 悪魔の殺人ウィルス』(96)や『ザ・ミッション 非情の掟』(99)の宣伝プロデュースをしたことを本人に伝えると、笑っていたけどね。

叶井 最近、アンソニー・ウォンはあまり映画に出てないんじゃない?

江戸木 香港のデモ運動を支持するようなコメントをSNSでしているから、映画に出れなくなっている。反体制的な発言をするタレントは、中国政府が映画会社に圧力を掛けて、映画に出演できなくしてしまうから。それでもアンソニー・ウォンは男気のある人で、低予算で制作された『淪落の人』にはノーギャラで出演している。逆にジャッキー・チェンは中国でシネコン・チェーンのオーナーとして大儲けして、中国寄りの発言ばかりで、今の香港ではかなり嫌われている。

叶井 アンソニー・ウォンはタブーのない、自由を愛する人なんだね。

――ネクロフィリア(死体嗜好家)を主人公にした『ネクロマンティック』(87)も、映画マニアの間で話題を呼びました。

叶井 江戸木さんが雑誌で“ヤバい映画”の特集記事を組んでいて、そのときに紹介していたのが『ネクロマンティック』や『ラットマン』(93)だった。俺、江戸木さんが紹介した映画は全部日本でリリースしようと使命感に燃えていたから(笑)。でも、江戸木さん、ドイツで発禁扱いされていた『ネクロマンティック』をよく発掘してきたよね。

江戸木 ホロコースト問題で廃刊になった、月刊誌「マルコポーロ」に書いた「マジで危ないビョーキ映画コレクション」を読んだんだね。以前から『ネクロマンティック』というドイツ映画があることは知っていたけど、観る手段がなかった。それでカンヌ映画祭に行ったときに、『ネクロマンティック』を知らないかと尋ねて回ったら、うまく当たった。映画マーケットは「松・竹・梅」となっていて、お金のある映画会社はホテルの一室をブース代わりにしていて、お金のあまりない会社は会場を仕切られたブースを使って営業している。それより、もっとお金のない人はスーツケースの中にビデオと資料を詰め込んで営業している。『ネクロマンティック』を持ってた売人は、さもヤバイもののようにこっそりとスーツケースからビデオを取り出してみせた。あのときはドキドキした(笑)。

叶井 『ネクロマンティック』の主演俳優ダクタリ・ロレンツは、たまたま日本にいて「NOVA」の英会話講師のアルバイトをしていたんだよね。死姦映画に主演したせいでドイツで俳優業を続けられなくなって日本に来たらしい。「日本で『ネクロマンティック』をリリースされると、英会話の講師ができなくなってしまう」と泣きつかれたんだけど、「5万円あげるから」って言ったら緊急来日記者会見に出てくれることになった。結局、「NOVA」はクビになってドイツに帰ったんだけど、俺のところに『モスラ』のラジコンを送ってくれと電話を掛けてきて、渋谷のパルコで買った5~6万円するモスラのラジコンを送ったら、『キラーコンドーム』(96)のうねうね動く巨大コンドームとして使われていた。俺の送ったラジコンが『キラーコンドーム』の小道具になったかと思うと、ちょっと感動したね。

江戸木 イタリア映画『ラットマン』もひどかった。

叶井 世界一小さい人ネルソン・デ・ラ・ロッサさんが、人を殺しまくるというひどい内容。日本テレビの「世界の奇人さん大集合」みたいな番組に出演することになって来日させたんだけど、空港まで取材に来ていた女性誌のカメラマンがロッサさんに「スーツケースの中に入って」とか無茶なことを頼んで写真を撮っていた。今だったら、大問題でしょう。ロッサさん本当に小さくて70センチくらいしか身長がなかったんだけど、そんなに小さいならホテルに泊まらなくてもいいんじゃないとか誰かが言い出して、俺のアパートに泊めることになってさ。浴室のバスタオルとか入れる籐籠で2日間寝てもらった。ひどい話だよね。

江戸木 その話は初めて聞いた。サイテー映画にはサイテーなエピソードがいろいろとあるもんだね。

――江戸木さんが発掘した北朝鮮映画『プルサガリ 伝説の大怪獣』(85)も、忘れられない作品です。

江戸木 別に僕が発掘したわけじゃないですよ。これはJCAから新しいビデオ・レーベルのプロデュースを頼まれて、よくその事務所に出入りしていたんだけど、たまたまその会社が北朝鮮映画の窓口という人から相談を受けていて、『プルガサリ』の35ミリフィルムがその事務所に積まれていた。見せてもらったら新品のきれいなフィルムで、映画も面白い。これはちゃんと公開すべきだと思ったので新レーベル「レイジング・サンダー」の配給で劇場公開したんです。『ムトゥ』と同じ年、1998年の7月公開で、キネカ大森1館の公開だったけど予想以上のヒットになった。でも、その数週間後、北朝鮮がテポドンを発射した途端、劇場はガラガラになっちゃった。(笑)

叶井 「レイジング・サンダー」がなくなったのは残念。『プルサガリ』はリメイクされたんでしょ?

江戸木 そう、脱北したシン・サンオクというプロデューサーが、米国に渡ってルーマニア・ロケでつくった。『ガルガメス』(96)という題名で、日本でもビデオ発売されたことがあります。舞台は中世のヨーロッパなんだけど、物語はまったく同じ。けっこう、よくできたファミリー映画だったよ。

――お話を聞いていると、江戸木さんの映画紹介が叶井さんの映画人生を大きく左右したようですね。

江戸木 叶井くんと僕には共通の知人がいて、その人からの影響が大きいと思う。

叶井 映画宣伝会社イーグルスカンパニーの梶原和男さん! 僕が映画業界に入ったのも梶原さんから声を掛けられたから。ラジオ局でバイトしていたら、ちょくちょく梶原さんが映画の売り込みに来て知り合って、梶原さんの紹介でアルバトロスに入社することになった。すごい宣伝マンだった。

江戸木 どの映画にも「これは実話だ」「5分に一度は必ず~」というキャッチフレーズをつけてしまうし、香港映画やフランス映画だと売れないとかいって、香港・米国合作映画とかフランス・米国合作映画に勝手に変えてしまう人だった。ジョージ・A・ロメロ監督の『死霊のえじき』(85)の邦題を考えたのも梶原さん。

叶井 梶原一騎と一緒に「三協映画」を立ち上げた人で、角川映画『犬神家の一族』(76)などの宣伝もやってた。うさん臭い映画宣伝といえば、梶原さんの独壇場だった。梶原さんの宣伝スタイルを受け継いだのは、今や江戸木さんと俺のふたりだけですよ。

江戸木 梶原さんが映画人生を賭けてつくったベトナム戦争アクション『ブルドッグ』(92)もすごい映画だった。フィリピンで撮影したんだけど、撮影がずるずると延びて製作費に2億円くらい費やしてしまったという。すごくチープな『エクスペンダブルズ』(10)みたいな話なんだけど、全編突っ込みどころ満載のすごい怪作だった。

叶井 そうそう! 『ブルドッグ』もリバイバル上映するべきですよ

ー日本にも知られざるサイテー映画があったわけですか。映画評論家の水野晴郎さんが撮った『シベリア超特急』(96)と比べてどうですか?

江戸木 どっちも同じくらい、楽しい映画です(笑)。水野さんの『シベ超』シリーズはいつかちゃんと再評価されるべき作品だと思いますね。

 

――叶井さんはアルバトロス時代に『アメリ』(01)を大ヒットさせ、その後独立。トルネード・フィルムは残念なことになりました。

叶井 残念な結果でした。みなさんには大変ご迷惑をお掛けしました。河崎実監督の『日本以外全部沈没』(06)はヒットしたんだけど、全国公開した『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発』(08)で調子に乗りすぎてしまいました。

江戸木 『日本以外全部沈没』は面白かった。「日本のエド・ウッド」を自称している河崎監督は特殊な才能の持ち主だと思う。

叶井 本人には言えないけど、河崎監督は製作費が100万円でも1億円でも、完成させる映画のクオリティーは変わらないと思う。それってすごい才能だよね。河崎監督の最新作『ロバマン』は2020年1月10日(金)公開なので、こちらもよろしくお願いします。

――その後の叶井さんはトランスフォーマー社に再就職し、『ムカデ人間』(09)がヒット。2018年からはサイゾー社に席を置き、パリ人肉事件で有名な佐川一政のドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』(17)を劇場公開。『人肉饅頭』から手がけてきた作品は、すべて鬼畜系一色で一貫しているのはすごい。

叶井 最初にやった『人肉饅頭』がやっぱり大きい。『人肉饅頭』の宣伝のために、佐川さんに応援コメントをもらったりしたからね。やっぱり、佐川さんのことはずっと気になっていたから。『カニバ』はヒットとは言えないけど、赤字にはなってないよ。今は『ムカデ人間』を撮ったトム・シックス監督の新作を日本で公開できないか検討しているところ。他人が死ぬ瞬間を見て、オナニーする人たちを描いた本当にひどい映画。デヴィッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ』(96)のオナニー版みたいな感じ。配給権が高すぎるのがネックだね。

江戸木 クローネンバーグと『ムカデ人間』の監督を同列に語っていいのかという問題もあるような気がするけど(笑)。

叶井 江戸木さん、12月20日(金)から『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』も公開するんでしょ。どうですか、チャールズ・ブロンソンのそっくりさんは?

江戸木 ロバート・ブロンスキーは、本当にブロンソンにそっくりで驚くはず。ハンガリー出身の元軍人で、馬の調教師などをやった後、スペインの西部劇村のショーに出ていたところを、スカウトされて映画デビューした人。来日したときはずっと一緒にいたんだけど、話しているうちに「もしかしたら、本当のブロンソンじゃないのか」と思えてきた。約束した時間には1秒も遅れないし、超マジメでブロンソンを全身でリスペクトしている、すっごい律儀な人。今回の『野獣処刑人』はブロンソンの代表作『狼よさらば』(74)シリーズの超絶オマージュ作で楽しめる。ブロンスキーのそっくりさんぶりは海外でも話題になっていて、出演オファーが殺到しているらしい。チャールズ・ブロンソンの新作はもう観ることはできないけど、ブロンスキー映画はこれからも期待できそう。きっとさらに面白い映画がつくられると思う。

叶井 若い人は観にくるかな?

江戸木 若い世代にも、この機会にブロンソン映画の面白さをぜひ知ってほしい。『野獣処刑人』の初日には、ブロンソンの熱烈ファンのみうらじゅんさんと田口トモロヲさんのブロンソンズが来てくれることになってます。映画鑑賞って、予告やチラシを見て「どんな映画なんだろう」とワクワクしながら劇場に向かうのも含めての楽しさだと思う。いかがわしさもないと、映画はつまらない。

叶井 見世物小屋に行くみたいな、何が待っているか分からない面白さがないとね。

江戸木 最高の映画があれば、最低の映画もある。サイテー映画は映画としては最低でも、決してつまらない映画ではない。自宅にいたんじゃ出会えない楽しさを、ぜひ映画館で味わってほしいな。

(取材・構成=長野辰次)

●江戸木純(えどき・じゅん)
1962年東京都生まれ。東北新社、ギャガなどで日本語版制作や宣伝を行ない、数々の邦題やキャッチ・コピーを担当。日米合作映画『カブキマン』(90)では企画・キャラクターデザインを手掛けた。独立後は映画評論家としての執筆活動の傍ら、インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)、スウェーデン映画『ロッタちゃんとはじめてのおつかい』(93)などの国内配給を手掛けた。著書に『龍教聖典 世界ブルース・リー宣言』(洋泉社)、共著に『バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争』(洋泉社)ほか。

●叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)
1967年東京都生まれ。91年に洋画配給会社アルバトロスのグループ会社ニューセレクトに入社。94年よりアルバトロスに異動し、洋画バイヤー兼宣伝マンとして活躍。『アメリ』(01)を大ヒットさせた後、独立。ファントム・フィルム、トルネード・フィルムなどの映画会社を立ち上げた。その後はトランスフォーマー、レスぺを経て、2018年よりサイゾーへ。ドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』の国内配給を手掛けた。2020年2月7日(金)より、観ると死ぬ映画『アントラム/史上最も呪われた映画』が公開。著書に『突然、9歳の息子ができました』(サイゾー)、江戸木純との共著『映画突破伝』(洋泉社)ほか。

 

『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』
監督・脚本・撮影・編集/レネ・ペネス
出演/ロバート・ブロンジー、リチャード・タイソン、エヴァ・ハミルトン、レイア・ペレス、ダニエル・ボールドウィン、ストミー・マヤ
配給/エデン 12月20日(金)より新宿武蔵野館にてロードショー
(c)2018 Action Film Partners LLC.All Rights Reserved. 
http://www.eden-entertainment.jp/thebronson

『死霊の盆踊り』
製作・監督/A・C・スティーヴン 脚本/エド・ウッド
出演/クリスウェル、ファウン・シルバー、パット・バリンジャー、ウィリアム・ベイツ
配給/エデン 12月28日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
(c)1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome
http://eden-entertainment.jp/saitei2020

 

『プラン9・フロム・アウタースペース』
製作・監督・脚本・編集/エドワード・D・ウッド・ジュニア
出演/グレゴリー・ウォルコット、クリスウェル、トー・ジョンソン、ヴァンパイラ、ベラ・ルゴシ
配給/エデン 2020年1月11日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
(c)Legend films.
http://eden-entertainment.jp/saitei2020

根底にはいつも人種差別がある! ハリウッドの巨匠スピルバーグが訴える“戦争の元凶”

――巨匠、スティーブン・スピルバーグ監督は、多作であることを差し置いても、多くの戦争をテーマに取り扱ってきた。近年でも『ブリッジ・オブ・スパイ』や『戦火の馬』など精力的に表している。スピルバーグの戦争映画を追いながら、ハリウッドと戦争の一面を見ていこう。

◇ ◇ ◇

 ドナルド・トランプが大統領に就任してからというもの、多くの国へ戦闘姿勢を見せているかのようなアメリカ。だが考えてみれば同国は、それ以前からもずっと戦争を続けている。アメリカとは常に、戦争とそれへの批判が渦巻く国でもあるわけだ。

 同国では、時にストレートな批判的作品として、そして短絡的なエンタメとしても戦争をテーマにした映画が量産され続けている。そんな中で、ハリウッドで多数の衝撃的な作品を生み出し、かつ数々の称賛や批判を浴びてきたのが、映画監督スティーブン・スピルバーグだ。

 映画ファンは別として、その名を聞くといまだ『E.T.』(82年)や『ジュラシック・パーク』(93年)『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~08年)といった作品群が、咄嗟に浮かぶ人も少なくないだろう。だが特に近年は、硬派な戦争関連作品を立て続けに放っている。もちろん、監督として半世紀近く活躍しているだけに、“スピルバーグが撮る戦争”にもアプローチやスタイルの変遷がある。

 本稿では『スティーブン・スピルバーグ論』(フィルムアート社)『フィルムメーカーズ スティーヴン・スピルバーグ』(宮帯出版社/ともに編著)、『スピルバーグ、その世界と人生』(大久保清朗氏との共訳/西村書店)と、スピルバーグ関連の書籍を手がけてきた映画評論家の南波克行氏のガイドをもとにして、アメリカと戦争の距離感がスピルバーグにどう作用し、戦争をテーマにした映画を創り続けさせてきたのかを探っていこう。

 彼のフィルモグラフィを見ると初期は、太平洋戦争を背景にしたコメディ『1941』(79年)や日中戦争時のイギリス人少年の成長ドラマ『太陽の帝国』(87年)ぐらいで、直接戦争をテーマにした作品はそうは多くない。そこには彼の“1946年”という生年と、それゆえの戦争との距離感が大きく関係していると南波氏は分析する。

「当然ですが、彼が生まれたときには第二次世界大戦は終わっていた。太平洋戦争時に無線士として爆撃機B-25に乗り込んで日本軍と戦っていた父親から戦争の話を聞かされていたが、間近でその脅威にさらされていたわけではないんです。だから大戦の話を肉親から聞いていても一種のファンタジーのようにとらえていただろうし、過去の戦争の数々も後付けの歴史として認識していたと思います」

 スピルバーグが4歳の頃に勃発した朝鮮戦争は南北分断という状態で休戦となり、米ソ冷戦の両陣営による応酬が“キューバ危機”という一触即発の事態を生むも結局、第3次世界大戦の幕開けになることはなかった。ただ冷戦に関しては、何かしらの“外敵”に対するアメリカ国内の過剰な反応がスピルバーグ少年にも強烈な記憶として焼き付いているようで、「日本軍が真珠湾に続けてロサンゼルスに乗り込んでくる」という思い込みによって米兵たちが半狂乱になった揚げ句に街が壊滅状態になる『1941』という作品で、それを巧みにコメディへと転化させた。そうしたアプローチが確固たるものとなったのはベトナム戦争の頃だ。

「46年生まれだと、青年期がベトナム戦争まっただ中になる世代。スピルバーグも18歳のときに徴兵対象者であることを通知されています。でも、彼は徴兵を逃れるためにカリフォルニア州立大学の英文科に入る。徴兵という危機こそ体験はしましたが、回避したことで戦争と直接的にかかわることがなかった。同じ46年生まれのオリバー・ストーンは、逆に自ら志願したことでベトナム戦争にこだわるようになって『プラトーン』(86年)や『7月4日に生まれて』(89年)でブレイクしているのが対照的で非常に興味深い。かといって、スピルバーグは映画においてはベトナム戦争から目を背けてはいない。批評家の間では『激突!』【1】の主人公は、実はベトナム帰還兵ではないかといわれています。タンクローリーに追われる彼がドライブインのトイレで気を落ち着かせようとするシーンで『なんてこった。まるでジャングルに戻ったみたいだ』と独白する。このジャングルはベトナムの密林のことで、顔を見せないタンクローリーの運転手は藪に隠れて襲いかかるベトコンの暗喩ととらえることができる。また『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97年)でも、草原を進む捜索隊がそこに潜んでいたヴェロキラプトルに下から襲われる場面は、ベトコンによるブービー・トラップの暗喩です。『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17年)の冒頭でベトナム戦争の戦闘を直接的に描くまで同戦争に触れてこなかったといわれてきたスピルバーグですが、作品をつぶさに読み解いていくと実はそんなことはない。つまり、ストーンが現実的に描いた(戦争を含めた)世の問題を、スピルバーグはフィクションでもって問いかけてきたんです」

 また、スピルバーグはベトナム戦争の反戦運動に身を投じるわけではなかった。さらに世代的に切っても切り離せない、ドラッグやヒッピーのカルチャーにも接近することもなかったという。

「高校の同級生が『彼は反戦運動には興味を持っていなかった』ことを証言しています。フラワー・ムーヴメントやドラッグ・カルチャーにも目を向けず、映画もデニス・ホッパーが監督した『イージー・ライダー』(69年)をはじめとする同カルチャーと関係深いものには興味を持たなかった。どちらかといえば、デヴィッド・リーンやアルフレッド・ヒッチコックに夢中だった。そんな彼が最も関心を寄せていたのが公民権運動です」

 スピルバーグの両親は共にユダヤ人。運動が大の苦手で失語症ということもあったが、ユダヤ人であることを理由にクラスメイトからの罵声を常に浴び続ける少年時代を送っていた。さらに、音楽家で英語教師でもあった母親のもとには、ナチスの強制収容所から生還したユダヤ人が生徒として集っており、アウシュビッツ収容所で彫られた囚人番号の刺青を幼いスピルバーグに見せる者もいた。漠然ながらも鮮烈にホロコーストを筆頭にユダヤ人が歩んできた苦難の歴史を学び、さらに自身が受けるいじめで差別が公然と続いていることを知ったのだ。

「スピルバーグが公民権運動に興味を抱いたのは、ユダヤ人に対する人種差別を身をもって感じていたからでしょう。だから、彼が映画で戦争を題材にする際には人種差別、“人類が抱えている不公平”を課題にしています。その最たるものとしての象徴がホロコーストで、スピルバーグの創作におけるバックボーンになっているのは間違いない。先程、『激突!』『ロスト・ワールド/ジュラシック・ワールド』でベトナム戦争を暗喩していると話しましたが、すでに初期の作品からナチスやホロコーストも違う形で表れていると言っていいと思います。それは『JAWS』(75年)の鮫であり、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス・レックスやヴェロキラプトルといった恐竜たちです。彼らに共通する行動パターンは情け容赦がなくて、問答無用で女だろうが子供だろうが襲いかかっていく。ホロコーストの恐ろしさもそれと同じ。ユダヤ人であれば自動的に虐殺する。そしてシステム化することで、誰も勢いを止めることができなくなってしまう。まさにモンスターとして描いたんです」

 このように実は映画監督デビュー以来、暗喩という形で戦争とその元凶となる人種差別を訴えてきたスピルバーグだが、ある時期からストレートにそれらを描破するようになる。その転機となったのがナチス党員でありながらホロコーストから1200人ものユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラーの実話を描いた『シンドラーのリスト』【2】だ。実は企画自体は82年からあったもので、トマス・キニーリーの原作小説の映画化権を獲得したユニバーサル・スタジオの社長シドニー・シャインバーグから「君がつくらなければいけない映画だ」と強く推されていた。シャインバーグは、同スタジオのテレビ部門の責任者だった頃にスピルバーグの短編『Amblin’』(68年)を観て彼の才能を見抜き、スタジオに招いたユダヤ系の恩人である。当時は正面を切ってホロコーストを描くことに抵抗を感じたスピルバーグであったが、それから10年ほどを経て女優ケイト・キャプショーとの再婚に子どもの誕生と、家族を持ったことでユダヤ人という自身のアイデンティティを改めて深く意識するようになっていた。そんな中で同胞がどのような体験をしてきたのか。その問いと想いは映画でのホロコーストの再現へと繋がり、ポーランド出身の撮影監督ヤヌス・カミンスキーを抜擢して実現に臨む。貨車に押し込まれ、ガス室で苦しみ、気まぐれに射殺されるユダヤ人たちの姿をモノクロの手持ちカメラでとらえた画は、スピルバーグに映画であることを忘れさせて精神的に追い詰めるほどだったという。

 同作でアカデミー賞作品賞、監督賞ほか全7部門に輝いた彼は、再びカミンスキーと組んで『プライベート・ライアン』【3】で戦場の悲惨さを観客に追体験させる。徹底した人体破損描写、実銃の銃声を用いた効果音、画面をスモーキーなものにする現像法“銀残し”の活用は、その後の戦争映画の表現を完全に変えてしまった。以降、スピルバーグは実話に基づく作品が目立つようになっていく。

「『シンドラーのリスト』がヒットし映画界からも大衆からも受け入れられたことで、世界や人類の負の摂理みたいなものを直球で撮ることに対して、怖いものがなくなった感じが見えました。さらにスピルバーグはユダヤ人としてのアイデンティティを大事にしていますが、イスラエルの暗殺チームがユダヤ人を殺したパレスチナ・ゲリラに報復する『ミュンヘン』【4】では彼ら側に立つことはせず、イスラエルにも問題があるように描いている。結果的にユダヤ人たちからバッシングされましたが、それも承知の上だったのでしょう。ちゃんと映画で戦っているんです。『リンカーン』でも、法案成立と南北戦争終結のためにリンカーンが“ある嘘”をつく場面をクライマックスに持っていく。どの時代、どの世界にも清廉潔白な正義や平和がないことを訴えている。その根底には、人類の不公平を是正したい強い気持ちがあるからです」

 すでに70歳を超えた今でも、戦争や人種差別を描き続けるその姿勢が弱まる様子はまったくない。18年に発表され第90回アカデミー賞で作品賞候補となった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』では、ベトナム戦争をめぐる機密文書をめぐるワシントン・ポスト紙とニクソン政権の戦いを通して、ジャーナリズム・メディアを攻撃するトランプ大統領に対する怒りをぶつけてみせた。いまだトランプによって全世界が翻弄され、彼の人種差別的言動によって銃乱射事件をはじめとするヘイトクライムが引き起こされるなか、彼が次にどのような手を打つのか、注視したい。(月刊サイゾー9月号『新・戦争論』より)

スピルバーグが描いた戦争映画の変遷

【1】『激突!』(71年)
リチャード・マシスンの短編小説が原作のサスペンス・スリラー。商談のために自動車でカリフォルニアに向かうセールスマンがタンクローリーを追い抜く。するとタンクローリーは執拗に彼の車を追い、命をも奪おうとするが……。もともとはテレビムービーとして制作されたが、完成度の高さからアメリカ以外では劇場公開された。

【2】『シンドラーのリスト』(93年)
ドイツ占領下のポーランドで工場経営に乗り出したナチス党員、オスカー・シンドラー。強制収容所の所長を務めるゲート少尉と懇意になるが、彼の行うユダヤ人虐殺を目の当たりにする。やがて工場で雇うユダヤ人たちにも危険が迫るのを察知し、ある行動に打って出る。本作で悲願であったアカデミー賞監督賞に輝いた。

【3】『プライベート・ライアン』(98年)
ノルマンディー上陸作戦での激戦をくぐり抜けたばかりのミラー大尉の部隊に、ある命令が下される。それはライアンという二等兵を戦場から見つけ出して保護するというものだった。冒頭で繰り広げられるオマハビーチでの死屍累々という言葉だけでは済まぬリアルかつ凄惨な戦闘描写は、戦争映画の表現を一変させることに。

【4】『ミュンヘン』(05年)
1972年ミュンヘンオリンピックの選手村にパレスチナ過激派組織が侵入し、イスラエル人選手団を殺害。イスラエル諜報組織モサドは、暗殺部隊を編成して首謀者抹殺を命じるが……。ラストにワールド・トレード・センターが映し出されるが、同時多発テロに対するアメリカの報復とその泥沼化を訴えているのは明らか。

根底にはいつも人種差別がある! ハリウッドの巨匠スピルバーグが訴える“戦争の元凶”

――巨匠、スティーブン・スピルバーグ監督は、多作であることを差し置いても、多くの戦争をテーマに取り扱ってきた。近年でも『ブリッジ・オブ・スパイ』や『戦火の馬』など精力的に表している。スピルバーグの戦争映画を追いながら、ハリウッドと戦争の一面を見ていこう。

◇ ◇ ◇

 ドナルド・トランプが大統領に就任してからというもの、多くの国へ戦闘姿勢を見せているかのようなアメリカ。だが考えてみれば同国は、それ以前からもずっと戦争を続けている。アメリカとは常に、戦争とそれへの批判が渦巻く国でもあるわけだ。

 同国では、時にストレートな批判的作品として、そして短絡的なエンタメとしても戦争をテーマにした映画が量産され続けている。そんな中で、ハリウッドで多数の衝撃的な作品を生み出し、かつ数々の称賛や批判を浴びてきたのが、映画監督スティーブン・スピルバーグだ。

 映画ファンは別として、その名を聞くといまだ『E.T.』(82年)や『ジュラシック・パーク』(93年)『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~08年)といった作品群が、咄嗟に浮かぶ人も少なくないだろう。だが特に近年は、硬派な戦争関連作品を立て続けに放っている。もちろん、監督として半世紀近く活躍しているだけに、“スピルバーグが撮る戦争”にもアプローチやスタイルの変遷がある。

 本稿では『スティーブン・スピルバーグ論』(フィルムアート社)『フィルムメーカーズ スティーヴン・スピルバーグ』(宮帯出版社/ともに編著)、『スピルバーグ、その世界と人生』(大久保清朗氏との共訳/西村書店)と、スピルバーグ関連の書籍を手がけてきた映画評論家の南波克行氏のガイドをもとにして、アメリカと戦争の距離感がスピルバーグにどう作用し、戦争をテーマにした映画を創り続けさせてきたのかを探っていこう。

 彼のフィルモグラフィを見ると初期は、太平洋戦争を背景にしたコメディ『1941』(79年)や日中戦争時のイギリス人少年の成長ドラマ『太陽の帝国』(87年)ぐらいで、直接戦争をテーマにした作品はそうは多くない。そこには彼の“1946年”という生年と、それゆえの戦争との距離感が大きく関係していると南波氏は分析する。

「当然ですが、彼が生まれたときには第二次世界大戦は終わっていた。太平洋戦争時に無線士として爆撃機B-25に乗り込んで日本軍と戦っていた父親から戦争の話を聞かされていたが、間近でその脅威にさらされていたわけではないんです。だから大戦の話を肉親から聞いていても一種のファンタジーのようにとらえていただろうし、過去の戦争の数々も後付けの歴史として認識していたと思います」

 スピルバーグが4歳の頃に勃発した朝鮮戦争は南北分断という状態で休戦となり、米ソ冷戦の両陣営による応酬が“キューバ危機”という一触即発の事態を生むも結局、第3次世界大戦の幕開けになることはなかった。ただ冷戦に関しては、何かしらの“外敵”に対するアメリカ国内の過剰な反応がスピルバーグ少年にも強烈な記憶として焼き付いているようで、「日本軍が真珠湾に続けてロサンゼルスに乗り込んでくる」という思い込みによって米兵たちが半狂乱になった揚げ句に街が壊滅状態になる『1941』という作品で、それを巧みにコメディへと転化させた。そうしたアプローチが確固たるものとなったのはベトナム戦争の頃だ。

「46年生まれだと、青年期がベトナム戦争まっただ中になる世代。スピルバーグも18歳のときに徴兵対象者であることを通知されています。でも、彼は徴兵を逃れるためにカリフォルニア州立大学の英文科に入る。徴兵という危機こそ体験はしましたが、回避したことで戦争と直接的にかかわることがなかった。同じ46年生まれのオリバー・ストーンは、逆に自ら志願したことでベトナム戦争にこだわるようになって『プラトーン』(86年)や『7月4日に生まれて』(89年)でブレイクしているのが対照的で非常に興味深い。かといって、スピルバーグは映画においてはベトナム戦争から目を背けてはいない。批評家の間では『激突!』【1】の主人公は、実はベトナム帰還兵ではないかといわれています。タンクローリーに追われる彼がドライブインのトイレで気を落ち着かせようとするシーンで『なんてこった。まるでジャングルに戻ったみたいだ』と独白する。このジャングルはベトナムの密林のことで、顔を見せないタンクローリーの運転手は藪に隠れて襲いかかるベトコンの暗喩ととらえることができる。また『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97年)でも、草原を進む捜索隊がそこに潜んでいたヴェロキラプトルに下から襲われる場面は、ベトコンによるブービー・トラップの暗喩です。『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17年)の冒頭でベトナム戦争の戦闘を直接的に描くまで同戦争に触れてこなかったといわれてきたスピルバーグですが、作品をつぶさに読み解いていくと実はそんなことはない。つまり、ストーンが現実的に描いた(戦争を含めた)世の問題を、スピルバーグはフィクションでもって問いかけてきたんです」

 また、スピルバーグはベトナム戦争の反戦運動に身を投じるわけではなかった。さらに世代的に切っても切り離せない、ドラッグやヒッピーのカルチャーにも接近することもなかったという。

「高校の同級生が『彼は反戦運動には興味を持っていなかった』ことを証言しています。フラワー・ムーヴメントやドラッグ・カルチャーにも目を向けず、映画もデニス・ホッパーが監督した『イージー・ライダー』(69年)をはじめとする同カルチャーと関係深いものには興味を持たなかった。どちらかといえば、デヴィッド・リーンやアルフレッド・ヒッチコックに夢中だった。そんな彼が最も関心を寄せていたのが公民権運動です」

 スピルバーグの両親は共にユダヤ人。運動が大の苦手で失語症ということもあったが、ユダヤ人であることを理由にクラスメイトからの罵声を常に浴び続ける少年時代を送っていた。さらに、音楽家で英語教師でもあった母親のもとには、ナチスの強制収容所から生還したユダヤ人が生徒として集っており、アウシュビッツ収容所で彫られた囚人番号の刺青を幼いスピルバーグに見せる者もいた。漠然ながらも鮮烈にホロコーストを筆頭にユダヤ人が歩んできた苦難の歴史を学び、さらに自身が受けるいじめで差別が公然と続いていることを知ったのだ。

「スピルバーグが公民権運動に興味を抱いたのは、ユダヤ人に対する人種差別を身をもって感じていたからでしょう。だから、彼が映画で戦争を題材にする際には人種差別、“人類が抱えている不公平”を課題にしています。その最たるものとしての象徴がホロコーストで、スピルバーグの創作におけるバックボーンになっているのは間違いない。先程、『激突!』『ロスト・ワールド/ジュラシック・ワールド』でベトナム戦争を暗喩していると話しましたが、すでに初期の作品からナチスやホロコーストも違う形で表れていると言っていいと思います。それは『JAWS』(75年)の鮫であり、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス・レックスやヴェロキラプトルといった恐竜たちです。彼らに共通する行動パターンは情け容赦がなくて、問答無用で女だろうが子供だろうが襲いかかっていく。ホロコーストの恐ろしさもそれと同じ。ユダヤ人であれば自動的に虐殺する。そしてシステム化することで、誰も勢いを止めることができなくなってしまう。まさにモンスターとして描いたんです」

 このように実は映画監督デビュー以来、暗喩という形で戦争とその元凶となる人種差別を訴えてきたスピルバーグだが、ある時期からストレートにそれらを描破するようになる。その転機となったのがナチス党員でありながらホロコーストから1200人ものユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラーの実話を描いた『シンドラーのリスト』【2】だ。実は企画自体は82年からあったもので、トマス・キニーリーの原作小説の映画化権を獲得したユニバーサル・スタジオの社長シドニー・シャインバーグから「君がつくらなければいけない映画だ」と強く推されていた。シャインバーグは、同スタジオのテレビ部門の責任者だった頃にスピルバーグの短編『Amblin’』(68年)を観て彼の才能を見抜き、スタジオに招いたユダヤ系の恩人である。当時は正面を切ってホロコーストを描くことに抵抗を感じたスピルバーグであったが、それから10年ほどを経て女優ケイト・キャプショーとの再婚に子どもの誕生と、家族を持ったことでユダヤ人という自身のアイデンティティを改めて深く意識するようになっていた。そんな中で同胞がどのような体験をしてきたのか。その問いと想いは映画でのホロコーストの再現へと繋がり、ポーランド出身の撮影監督ヤヌス・カミンスキーを抜擢して実現に臨む。貨車に押し込まれ、ガス室で苦しみ、気まぐれに射殺されるユダヤ人たちの姿をモノクロの手持ちカメラでとらえた画は、スピルバーグに映画であることを忘れさせて精神的に追い詰めるほどだったという。

 同作でアカデミー賞作品賞、監督賞ほか全7部門に輝いた彼は、再びカミンスキーと組んで『プライベート・ライアン』【3】で戦場の悲惨さを観客に追体験させる。徹底した人体破損描写、実銃の銃声を用いた効果音、画面をスモーキーなものにする現像法“銀残し”の活用は、その後の戦争映画の表現を完全に変えてしまった。以降、スピルバーグは実話に基づく作品が目立つようになっていく。

「『シンドラーのリスト』がヒットし映画界からも大衆からも受け入れられたことで、世界や人類の負の摂理みたいなものを直球で撮ることに対して、怖いものがなくなった感じが見えました。さらにスピルバーグはユダヤ人としてのアイデンティティを大事にしていますが、イスラエルの暗殺チームがユダヤ人を殺したパレスチナ・ゲリラに報復する『ミュンヘン』【4】では彼ら側に立つことはせず、イスラエルにも問題があるように描いている。結果的にユダヤ人たちからバッシングされましたが、それも承知の上だったのでしょう。ちゃんと映画で戦っているんです。『リンカーン』でも、法案成立と南北戦争終結のためにリンカーンが“ある嘘”をつく場面をクライマックスに持っていく。どの時代、どの世界にも清廉潔白な正義や平和がないことを訴えている。その根底には、人類の不公平を是正したい強い気持ちがあるからです」

 すでに70歳を超えた今でも、戦争や人種差別を描き続けるその姿勢が弱まる様子はまったくない。18年に発表され第90回アカデミー賞で作品賞候補となった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』では、ベトナム戦争をめぐる機密文書をめぐるワシントン・ポスト紙とニクソン政権の戦いを通して、ジャーナリズム・メディアを攻撃するトランプ大統領に対する怒りをぶつけてみせた。いまだトランプによって全世界が翻弄され、彼の人種差別的言動によって銃乱射事件をはじめとするヘイトクライムが引き起こされるなか、彼が次にどのような手を打つのか、注視したい。(月刊サイゾー9月号『新・戦争論』より)

スピルバーグが描いた戦争映画の変遷

【1】『激突!』(71年)
リチャード・マシスンの短編小説が原作のサスペンス・スリラー。商談のために自動車でカリフォルニアに向かうセールスマンがタンクローリーを追い抜く。するとタンクローリーは執拗に彼の車を追い、命をも奪おうとするが……。もともとはテレビムービーとして制作されたが、完成度の高さからアメリカ以外では劇場公開された。

【2】『シンドラーのリスト』(93年)
ドイツ占領下のポーランドで工場経営に乗り出したナチス党員、オスカー・シンドラー。強制収容所の所長を務めるゲート少尉と懇意になるが、彼の行うユダヤ人虐殺を目の当たりにする。やがて工場で雇うユダヤ人たちにも危険が迫るのを察知し、ある行動に打って出る。本作で悲願であったアカデミー賞監督賞に輝いた。

【3】『プライベート・ライアン』(98年)
ノルマンディー上陸作戦での激戦をくぐり抜けたばかりのミラー大尉の部隊に、ある命令が下される。それはライアンという二等兵を戦場から見つけ出して保護するというものだった。冒頭で繰り広げられるオマハビーチでの死屍累々という言葉だけでは済まぬリアルかつ凄惨な戦闘描写は、戦争映画の表現を一変させることに。

【4】『ミュンヘン』(05年)
1972年ミュンヘンオリンピックの選手村にパレスチナ過激派組織が侵入し、イスラエル人選手団を殺害。イスラエル諜報組織モサドは、暗殺部隊を編成して首謀者抹殺を命じるが……。ラストにワールド・トレード・センターが映し出されるが、同時多発テロに対するアメリカの報復とその泥沼化を訴えているのは明らか。

福山雅治、主演映画『マチネの終わりに』がガラガラ大苦戦で映画俳優としての限界露呈か

 11月30日~12月1日の国内映画ランキング(全国週末興行成績・興行通信社調べ)が発表され、福山雅治の主演映画「マチネの終わりに」が前週の8位から10位にランクダウンした。

同作品は11月1日から全国322スクリーンで公開。芥川賞作家・平野啓一郎の同名ベストセラー小説が原作で、東京、パリ、ニューヨークを舞台に音楽家(福山)とジャーナリスト(石田ゆり子)の愛の物語が描かれている。

「製作を手掛けたフジテレビは今年に入り、『マスカレード・ホテル』、『翔んで埼玉』など映画事業が大当たり。『マチネ~』もかなりの客入りを期待していたのですが、現状ではなんとかギリギリ10億円を超えるかどうか。ガラガラの映画館も多く、予想外の苦戦を強いられています」(映画業界関係者)

 福山といえば、2015年9月28日に女優の吹石一恵と結婚。当日のNHKの夜のニュースが大々的に報じ、同日取引で所属事務所・アミューズの株は急落。結婚のショックで早退・欠勤または家事など仕事が出来なくなる女性が続出し、「福山ショック」、「ましゃロス」と呼ばれるほどの現象を巻き起こしてしまったが、結婚後の出演作品の数字で結婚によるダメージを露呈してしまったようだ。

「16年4月期のフジの系月9ドラマ『ラヴソング』の全話平均視聴率は8.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。16年公開のパパラッチを演じた主演映画『SCOOP!』の興行収入は7億円にとどまる大惨敗。その後はやや回復傾向にあるものの、結婚前のような動員は期待できない状態です。映画俳優としては限界が見えていますが、それでも相変わらずライブの動員は盛況なので、今後、映像作品をセーブして徐々に音楽活動に比重を上げて行くのでは」(芸能記者)

 どうやら、女性ファンたちは既婚者としての俳優・福山は受け入れ難かったようだ。

『宮本から君へ』助成金問題、KAWASAKIしんゆり映画祭……日本社会全体を覆う「忖度」と、どう闘う?

前編はこちらから

 11月15日(金)公開のドキュメンタリー映画『i-新聞記者ドキュメント-』が注目される森達也監督と、配給会社「スターサンズ」の代表取締役である河村光庸プロデューサーの対談後編。話題は映画の内容だけにとどまらず、「忖度」や「同調圧力」によって動いている日本特有の社会構造へと広がった。

戦争さえも「忖度」によって引き起こされた

―――記者クラブの閉鎖性は、村社会を生み出す日本人の民族性とも関わる問題のようですね。

 そう思います。日本社会は集団と親和性が高い。言い換えれば、群れるのが大好きなんです。群れは同質性でまとまります。異質なものを入れたら、群れではなくなってしまう。つまり集団化が進めば、異質なものを排除しようという動きも大きくなる。それは近年のヘイトスピーチ、あるいは欧米の移民排斥の動きなどにも表れています。排他性でいえば、まさに日本の記者クラブですね。民主党政権時代の記者クラブはフリージャーナリストにも扉を開こうとしたんですが、安倍政権になって再び固く閉められてしまった。たぶん、既成メディアの記者たちにとっても、そのほうが楽なんでしょう。政治権力にとっても、そのほうがメディアをコントロールしやすいわけです。

――菅官房長官に質問を繰り返す望月記者に対し、会見の司会を務める上村秀紀官邸報道室長は「質問は手短に」と連呼する。上村室長は「i」ではないわけですね。

 望月さんは「彼が標的になるのはかわいそう」と話していましたし、僕もそう思います。彼は別に悪人ではありません。官邸にはたくさんの「上村さん」がいる。たまたま前面に出ているのが、上村さんだった。組織の中には100人、200人の上村さんがいます。

河村 今のマスメディアに対して、私が言いたいのは、「表現者を孤立させるな」ということ。日刊サイゾーは『宮本から君へ』に対して文化庁が助成金の不交付を決めた問題を、プロデューサーである私に対する政権からの圧力ではないかと報じた(参照記事)わけだけど、問題を私個人のことに矮小化している。本当は「表現の自由」に関わる大きな問題なんです。もっとメディアはそのことを認識して、記事にしてほしい。メディアの責任は重いですよ。表現者を孤立させちゃ、ダメです。森監督は強い人だから孤立することを恐れていないけど、多くの人は孤立することを恐れ、多数派に同調してしまう。そこが問題なんです。

 『A』や『A2』を公開したとき、同業者からよく聞かれました。「危険な目に遭わなかった?」「公安とかの尾行がついているんじゃないの?」と。それを聞いて、みんなおびえているんだなぁと感じました。過度におびえていると、何も取材できなくなってしまう。

河村 6月に劇映画『新聞記者』を公開したとき、私も同じことを尋ねられました。内閣情報調査室にスポットライトを当てても平気なのかと。全然平気ですよ。権力は、直接的には手を出さないんです。誰も具体的な命令は下しません。すべては同調圧力、忖度で動いてしまう。そこには主体というもの、実体がないんです。

――みんな、実体のない影におびえ、踊らされている?

河村 すべては我々の勝手な思い込み、幻想にすぎないわけです。忖度した結果、そうなってしまう。官僚の世界は特にそうでしょうし、戦前も同じような状況だったと思います。海軍があって、陸軍があって、天皇陛下がいて、それを取り巻く大勢の人たちがいて、主体がどこにあるのかわからずに戦争に突入してしまった。戦争が始まったのに責任者はどこにもいないという、おかしな状況になっていたんです。

 『i-新聞記者ドキュメント-』は東京国際映画祭で上映され、中国とタイの記者からの取材を先ほど受けました。中国は共産党、タイは軍事政権が大きな存在となっていて、不自由である理由がはっきりとわかっています。でも、日本を支配しているのは場と空気なんです。場と空気という見えないものに支配されているので、自分たちが不自由であることすら気づいていません。日本は非常に屈折した状況なんだなと、他国の記者たちの取材を受けながら感じました。

河村 もしかしたら、安倍総理さえもそうなのかもしれない。自分の意思ではなく、「こうしたほうがいいんじゃないかな」という単なるイメージで動いているのかもしれない。かつて吉本隆明が『共同幻想論』という本を出しましたが、今の日本が共同幻想そのもののように思えます。戦前もね、大正デモクラシーがあり、自由を謳歌していた時期もあったのに、あっという間に戦争へとなだれ込んでしまった。今の状況はひどく危険に思えて仕方ありません。だから、マスメディアは物事や人物を孤立化させないで、社会全体を見つめながら取り上げていかないとダメなんです。『新聞記者』は大ヒットしたので、ネトウヨも騒ぎませんでした。

 ネトウヨは劇場で映画を観ないから。来てほしいなあ。

河村 『新聞記者』は公開前に右寄りの学者が少し騒いだ程度で、公開後にガンガンくるかと覚悟していたら、無反応だった(笑)。私はね、愛国主義も民族主義も、別に悪いことだとは思いません。ただ、自分とは異なる存在を排除しようとするのが問題です。その途端に、愛国主義や民族主義が排他主義になってしまう。それがマズいんです。

――『i-新聞記者ドキュメント-』はアニメーション表現もあり、最後は森監督自身のナレーションで締めています。若い観客にも届きやすいように努めたんでしょうか?

 いえ、何も考えていません。単にアニメーションは自分自身がやってみたかっただけで、ナレーションもこの作品にとってベストな演出だろうと考えてのことです。お客さんへのサービスはほとんど考えません。「森友事件」などを字幕で説明しているのは、僕自身が事件を忘れかけていたこともありますが、河村さんからの要望でした。

河村 「森友事件」など基本的なことはわかって観てもらわないと、『i-新聞記者ドキュメント-』は楽しめませんから。海外の人たちにも観てほしいでしすね。

 中国とタイの記者から取材を受けた話をしましたが、共産党が統治する中国から見ても、軍事政権下にあるタイから見ても、今の日本のマスコミの状況は、かなり特殊だと感じられたようです。同じアジアだから通じるところもあるでしょうが、はっきりと物事を捉える欧米人が観たら驚くと思いますよ。

――劇映画『新聞記者』や今回の『i-新聞記者ドキュメント-』を企画できるのは、河村プロデューサー自身が邦画界の異端児だからではないでしょうか。河村プロデューサーは、「スターサンズ」を立ち上げる前は出版社を経営。さらにそれ以前は、沖縄の「星の砂」などいくつかのブームの仕掛け人でもあったそうですね。

 そうなんですか?

河村 若い頃に、「星の砂」で商売していた時期がありました。「スターサンズ」という社名は、そこからつけたものです(笑)。

 河村さんは根っからの山師ですよ。映画プロデューサーとして、正しい姿だと思います。

河村 私は映画をプロデュースする上で、3つのポイントを心掛けているんです。ひとつはインディペンデントであること、もうひとつはシニア、そして映画を本業だとは考えないことです。森監督もそうでしょ?

 ドキュメンタリーだけでは食べていけません。本を出したり大学で教えたり、いろいろして暮らしている状況です。そうか。だからできることがある、という意味ですか。なるほどね。

――森監督からは「山師」という言葉が出ましたが、河村プロデューサーの目には、今の映画業界なら勝算は十分ありと映っているんじゃないでしょうか?

河村 多くの映画会社は、映画製作と配給を別々にやっているわけです。その点、私は企画の段階から、どんなふうに宣伝しようかと考えながら取り組んでいます。今の日本の映画界は、ぼや~っとした状況。エッジの利いたもの、強いフックのあるものが必要です。人の心に何か引っ掛かるものがないと、ヒットはしません。そういう意味では、今はチャンスだと考えています。

 要は、河村さんは組織人ではないわけです。組織人には映画プロデューサーは務まらない。ヘタしたら首を吊ることになるかもしれないけど、逆にカジノで豪遊できる立場になるかもしれない。そんな気質じゃないと、面白い映画はプロデュースできないと思います。映画は、そんなジャンルです。でも現状、多くの日本の映画プロデューサーは組織人になっている。だから冒険ができない。まあ僕の周囲には、冒険するプロデューサーは結構いますけれど。彼らが救いです。

――最後になりましたが、先ほども話に出た『宮本から君へ』に対して、文化庁が助成金の交付を取りやめた問題について。安倍政権への「忖度」が働いたと河村プロデューサーは感じていますか?

河村 わかりません。わかりませんが、「忖度」が働く構図ではあります。でも、それは「河村を潰してやろう」という誰かの主体的な意図があって、助成金の交付が取りやめられたわけではないと思います。この問題で重要なのは、「表現の自由」に抵触するということ。憲法違反になることを考えずに、役人は助成金の不交付を決めてしまった。私個人が狙われたとかそういうことではなく、もっと大きな問題です。

――ミキ・デザキ監督のドキュメンタリー映画『主戦場』は一部の出演者が上映差し止めを求め上告中であることから、「KAWASAKIしんゆり映画祭」では上映中止になりかけるなど、日本社会全体を「忖度」が覆っているように感じられます。

 この闘いのラスボスは「空気」ですよ。空気が相手だから、闘いようがありません。

河村 ラスボスは空気! うまいこと言うなぁ(笑)。空気が相手なら、自分たちで新しい、熱い空気を生み出していくしかないんじゃないですか? マスメディアが果たす責任は、大きいですよ。

(取材・文=長野辰次、撮影=名鹿祥史)

『i-新聞記者ドキュメント-』

監督/森達也 企画・製作・エグゼクティブ・プロデューサー/河村光庸
出演/望月衣塑子
配給/スターサンズ 11月15日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
(c)2019 「i −新聞記者ドキュメント−」製作委員会
https://i-shimbunkisha.jp

●森達也(もり・たつや)
1956年広島県生まれ。92年にテレビドキュメンタリー『ミゼットプロレス伝説 小さな巨人たち』でディレクターデビュー。テレビドキュメンタリーとしてオウム真理教の信者たちを取材した『A』は所属していた制作会社から契約解除を通告されるも、同作は98年に劇場公開された。2001年に続編の『A2』を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞・市民賞を受賞。11年には綿井健陽、松林要樹、安岡卓治らとの共同監督作『311』を発表し、賛否を呼ぶ。16年に公開された『FAKE』も大きな話題に。著書に『放送禁止歌』(光文社)、『オカルト』(角川書店)、『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)など多数。

●河村光庸(かわむら・みつのぶ)
1949年東京都生まれ。89年にカワムラオフィス、94年に青山出版を設立。98年にはアーティストハウスを設立し、映画への出資・配給を始める。『ブレアウィッチプロジェクト』(99年)などの日本配給を手掛けた。2008年に映画配給会社「スターサンズ」を設立。韓国のインディペンデント映画『息もできない』(08年)を大ヒットさせたほか、エグゼクティブ・プロデューサーを務めた『かぞくのくに』(12年)、企画制作を担当した『あゝ、荒野』(17年)は国内の映画賞を総なめ。新井英樹原作コミックの実写化『愛しのアイリーン』(18年)、『宮本から君へ』も過激な描写で大反響を呼んだ。

望月衣塑子記者は、なぜ“アウトサイダー”なのか? 報道の不自由さをもたらす元凶を徹底究明!

 国境なき記者団が発表する世界180カ国・地域を対象とした「報道の自由度ランキング」において、日本は2018年に続いて19年も67位と下位に低迷している。この国で報道の自由を妨げているものは、いったいなんなのか? ドキュメンタリー作家・森達也監督の『FAKE』(16年)以来となる新作ドキュメンタリー映画『i 新聞記者』が、11月15日(金)より劇場公開される。東京新聞でスクープを連発する望月衣塑子記者の取材ぶりをカメラで追ったものだ。望月記者の著書『新聞記者』(角川新書)を原案にした劇映画『新聞記者』や、助成金取り消し問題で揺れる『宮本から君へ』などの問題作を次々と放つ映画製作・配給会社「スターサンズ」の河村光庸プロデューサーと森監督が対談。安倍政権すらも動かしている「ラスボス」の正体に言及した、スリリングな1時間となった。

***

――『A』(97年)と『A2』(01年)ではオウム真理教の信者たち、『FAKE』ではゴーストライター騒ぎの渦中にあった佐村河内守氏、そして『i 新聞記者』では望月記者。森監督のドキュメンタリー映画は、どれも世間からバッシングされている人たちが被写体となっています。

 誤解されているようだけど、僕は受け身です。いつも自分から被写体を選んでいるわけではないんです。『A』は僕がテレビのディレクターをやっていた頃です。当時のテレビはオウム一色で、オウム以外は取り上げることができなかった。だから仕方なくオウムの取材を始めた。でも、結果的に僕はその作品が原因でテレビの世界から排除され、映画として公開することになった。『FAKE』のきっかけは、出版社から佐村河内さんを題材に本を書かないかと打診されたことです。いったんは「興味ないです」と断ったんですが、「本人に一度会ってくれ」と何度も頼まれて会ったところ、「これは本ではなく、映像にすべきだ」と思ったことが始まりでした。今回は2年くらい前に、河村さんから望月さんの著書を原案にした映画を撮らないかと声を掛けられたことが始まりです。結果として、望月さんのドキュメンタリーを撮ることになった。自分から能動的に動いているわけではない。まぁでも、被写体に興味が湧いてくる部分が、きっと自分の中にあるんでしょうね。

――菅義偉官房長官との会見でのやりとりで有名になった望月記者ですが、『i 新聞記者』は望月記者を追うと同時に、記者クラブの閉鎖性が浮かび上がってきます。

河村 記者クラブを題材にしようというのは、最初から考えていたものではありません。望月記者を森監督が追っているうちに浮かび上がってきたものです。望月記者と菅官房長官とが攻防を繰り広げる中で、記者クラブの在り方が素材として現われてきた。取材を進める中で、テーマが明確になっていく。これが森監督の撮るドキュメンタリーの真骨頂でしょう。

 望月さんと菅官房長官との記者会見でのやりとりが激しいものになっていたので、当然その様子を自分のカメラで撮ろうとしたんですが、官邸記者クラブに所属していないから、会見の取材どころか官邸に入ることすらできない。ハードルはとても高い。まず官邸の承認を得なくてはいけないんですが、その承認を得るためには、記者としての実績を証明することが必要。仮に官邸が承認しても、記者クラブに加盟している新聞社全社の了解を得なくてはいけない。まさに“ミッション・インポッシブル” でした。結局はカットしたけれど、隠しカメラとかいろいろ考えたんです。

――河村プロデューサーには、途中経過の報告などはあったんでしょうか?

河村 私のところには取材経過はほとんど伝わってこなかったし、こちらからも途中で口を挟むことはしませんでした。題名に『i』とついている意味すら、私は知らなかった。森監督からは「望月衣塑子の頭文字です」とか言われていたんです。完成した映画を観て、森監督が記者クラブとせめぎ合っていたことを知り、『i』の意味も映画の最後まで観ることで、「一人称」の「私」だとようやくわかった(笑)。

 望月さんの著書を原案に映画をつくろうという企画の段階から僕は関わり、藤井道人監督が撮った劇映画『新聞記者』とは別に、ドキュメンタリー映画を撮ることになった。河村さんがプロデューサーとして劇映画のスタッフに対して強権発動しているのも知っていました。なので、ドキュメンタリーも河村さんが撮影や編集に口を挟んでくるのかなと身構えていたのだけど、ありがたいことに僕に関しては、河村さんはほぼ放置してくれました。

河村 藤井監督の『新聞記者』だけに限らず、劇映画の場合は、いつも脚本に口を出しています。劇映画にとって、脚本はそのくらい重要です。でも、ドキュメンタリーには脚本がない。成り立ちが、まったく異なります。

 ドキュメンタリーは現実に規定されます。だから、ドキュメンタリーでゴジラや地底人を撮ることはできないけれど、劇映画なら撮ることができる。ならば、劇映画は自由なのか? 実はそうではない。脚本を書かねばならないから、自分のイメージに規定されます。現実は、時として自分のイメージを超えたり壊したりしてくれる。まさかと思うことが現実に起きてしまう。撮りながら、現実に翻弄されます。これはドラマにはない醍醐味です。

 

――望月記者は東京新聞社会部の記者であり、全国紙の政治部記者たちが詰める官邸の記者クラブではアウトサイダー。それゆえに菅官房長官に対して食い下がることができるものの、記者クラブでは浮いた存在となっている。

 それは確かですね。やっぱり感じるのは望月さんのメンタルの強さです。でも映画を観ればわかるけれど、決して強いだけの女性ではない。ならばなぜ彼女は、会見の場でこれほどに強いのか? 政治権力やほかの記者たちの冷たい視線に屈さないのか? それはこの映画のテーマにつながる部分です。

――東京新聞以外の他社の記者たちを取材しようとは、森監督は考えなかったんでしょうか?

 まったく考えませんでした。他社の記者も取材したほうがよかったと思いますか? だってほかの記者たちがどんなリアクションするのか、想像つくでしょう。『FAKE』のときも、佐村河内さんだけを密着取材するのではなく、ゴーストライターを務めた新垣隆さんやスクープ記事を書いた神山典士さんをもっと取材するべきだと言われましたが、僕にはその気がまるで起きませんでした。興味が湧かないのならカメラは向けません。

――『i 新聞記者』もそうですが、森監督は著書『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)や『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)でも、一人称単数で語ることの大切さを主張していますね。

 当たり前のことだと思うけれど、「考える」という述語の主語は、「私」や「僕」などの一人称単数です。「我々」ではない。「怒る」「笑う」「泣く」。ぜんぶ一人称単数です。テレビ番組でも、よくありますよね。「我々は、現場に飛んだ……」みたいなナレーション。「我々」ではなくディレクターの「私」でいいはずだと、ずっと思っていました。主語は大切です。なぜなら述語が変わる。さらにジャーナリズムにおいて最も大切な現場性は、主語は一人称単数にすることで発動するはずです。「我々」など曖昧な複数、あるいは自らが帰属する社や局などの組織を主語にするのなら、視聴率や部数などの市場原理、スポンサーの意向、組織の立場や政権との関係、リスクヘッジや社内規定など、現場にとって余計な要素がより大きな障害となってしまう。

河村 望月記者だけが日本では注目を集めているけれど、会見の場で突っ込んで質問するのは海外では普通のことですし、その質問にきちんと答えるのも当然のこと。日本のジャーナリズムの現場では、当たり前のことがなされていないんです。でも、誰もこの問題には触れようとはしない。誰もやらないから、私が映画をつくろうと考え、そして森監督に呼び掛けた。それだけのことなんです。忖度し、同調圧力化し、萎縮してしまっている社会が怖いんです。「私」はどうするべきか考えてほしいし、もっと多くの「私」が現われてほしい。

(後編へ続く/取材・文=長野辰次、撮影=名鹿祥史)

『i 新聞記者』
監督/森達也 企画・製作・エグゼクティブ・プロデューサー/河村光庸
出演/望月衣塑子
配給/スターサンズ 11月15日(金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー
(c)2019 「i −新聞記者ドキュメント−」製作委員会
https://i-shimbunkisha.jp

●森達也(もり・たつや)
1956年広島県生まれ。92年にテレビドキュメンタリー『ミゼットプロレス伝説 小さな巨人たち』でディレクターデビュー。テレビドキュメンタリーとしてオウム真理教の信者たちを取材した『A』は、所属していた制作会社から契約解除を通告され、1998年に劇場公開された。2001年に『A2』を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年には綿井健陽、松林要樹、安岡卓治らとの共同監督作『311』を発表し、賛否を呼ぶ。2016年に公開された『FAKE』も大きな話題に。著書に『放送禁止歌』(光文社)、『オカルト』(角川書店)、『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)など多数。

●河村光庸(かわむら・みつのぶ)
1949年東京都生まれ。89年にカワムラオフィス、94年に青山出版を設立。98年にはアーティスト・ハウスを設立し、映画への出資・配給を始める。『ブレアウィッチプロジェクト』(99年)などの日本配給を手掛けた。2008年に映画配給会社「スターサンズ」を設立。韓国のインディペンデント映画『息もできない』(08年)を大ヒットさせた他、エグゼクティブ・プロデューサーを務めた『かぞくのくに』(11年)、企画制作を担当した『あゝ、荒野』(16年)は国内の映画賞を総なめ。新井英樹原作コミックの実写化『愛しのアイリーン』(18年)、『宮本から君へ』も過激な描写で大反響を呼んだ。

望月衣塑子記者は、なぜ“アウトサイダー”なのか? 報道の不自由さをもたらす元凶を徹底究明!

 国境なき記者団が発表する世界180カ国・地域を対象とした「報道の自由度ランキング」において、日本は2018年に続いて19年も67位と下位に低迷している。この国で報道の自由を妨げているものは、いったいなんなのか? ドキュメンタリー作家・森達也監督の『FAKE』(16年)以来となる新作ドキュメンタリー映画『i 新聞記者』が、11月15日(金)より劇場公開される。東京新聞でスクープを連発する望月衣塑子記者の取材ぶりをカメラで追ったものだ。望月記者の著書『新聞記者』(角川新書)を原案にした劇映画『新聞記者』や、助成金取り消し問題で揺れる『宮本から君へ』などの問題作を次々と放つ映画製作・配給会社「スターサンズ」の河村光庸プロデューサーと森監督が対談。安倍政権すらも動かしている「ラスボス」の正体に言及した、スリリングな1時間となった。

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――『A』(97年)と『A2』(01年)ではオウム真理教の信者たち、『FAKE』ではゴーストライター騒ぎの渦中にあった佐村河内守氏、そして『i 新聞記者』では望月記者。森監督のドキュメンタリー映画は、どれも世間からバッシングされている人たちが被写体となっています。

 誤解されているようだけど、僕は受け身です。いつも自分から被写体を選んでいるわけではないんです。『A』は僕がテレビのディレクターをやっていた頃です。当時のテレビはオウム一色で、オウム以外は取り上げることができなかった。だから仕方なくオウムの取材を始めた。でも、結果的に僕はその作品が原因でテレビの世界から排除され、映画として公開することになった。『FAKE』のきっかけは、出版社から佐村河内さんを題材に本を書かないかと打診されたことです。いったんは「興味ないです」と断ったんですが、「本人に一度会ってくれ」と何度も頼まれて会ったところ、「これは本ではなく、映像にすべきだ」と思ったことが始まりでした。今回は2年くらい前に、河村さんから望月さんの著書を原案にした映画を撮らないかと声を掛けられたことが始まりです。結果として、望月さんのドキュメンタリーを撮ることになった。自分から能動的に動いているわけではない。まぁでも、被写体に興味が湧いてくる部分が、きっと自分の中にあるんでしょうね。

――菅義偉官房長官との会見でのやりとりで有名になった望月記者ですが、『i 新聞記者』は望月記者を追うと同時に、記者クラブの閉鎖性が浮かび上がってきます。

河村 記者クラブを題材にしようというのは、最初から考えていたものではありません。望月記者を森監督が追っているうちに浮かび上がってきたものです。望月記者と菅官房長官とが攻防を繰り広げる中で、記者クラブの在り方が素材として現われてきた。取材を進める中で、テーマが明確になっていく。これが森監督の撮るドキュメンタリーの真骨頂でしょう。

 望月さんと菅官房長官との記者会見でのやりとりが激しいものになっていたので、当然その様子を自分のカメラで撮ろうとしたんですが、官邸記者クラブに所属していないから、会見の取材どころか官邸に入ることすらできない。ハードルはとても高い。まず官邸の承認を得なくてはいけないんですが、その承認を得るためには、記者としての実績を証明することが必要。仮に官邸が承認しても、記者クラブに加盟している新聞社全社の了解を得なくてはいけない。まさに“ミッション・インポッシブル” でした。結局はカットしたけれど、隠しカメラとかいろいろ考えたんです。

――河村プロデューサーには、途中経過の報告などはあったんでしょうか?

河村 私のところには取材経過はほとんど伝わってこなかったし、こちらからも途中で口を挟むことはしませんでした。題名に『i』とついている意味すら、私は知らなかった。森監督からは「望月衣塑子の頭文字です」とか言われていたんです。完成した映画を観て、森監督が記者クラブとせめぎ合っていたことを知り、『i』の意味も映画の最後まで観ることで、「一人称」の「私」だとようやくわかった(笑)。

 望月さんの著書を原案に映画をつくろうという企画の段階から僕は関わり、藤井道人監督が撮った劇映画『新聞記者』とは別に、ドキュメンタリー映画を撮ることになった。河村さんがプロデューサーとして劇映画のスタッフに対して強権発動しているのも知っていました。なので、ドキュメンタリーも河村さんが撮影や編集に口を挟んでくるのかなと身構えていたのだけど、ありがたいことに僕に関しては、河村さんはほぼ放置してくれました。

河村 藤井監督の『新聞記者』だけに限らず、劇映画の場合は、いつも脚本に口を出しています。劇映画にとって、脚本はそのくらい重要です。でも、ドキュメンタリーには脚本がない。成り立ちが、まったく異なります。

 ドキュメンタリーは現実に規定されます。だから、ドキュメンタリーでゴジラや地底人を撮ることはできないけれど、劇映画なら撮ることができる。ならば、劇映画は自由なのか? 実はそうではない。脚本を書かねばならないから、自分のイメージに規定されます。現実は、時として自分のイメージを超えたり壊したりしてくれる。まさかと思うことが現実に起きてしまう。撮りながら、現実に翻弄されます。これはドラマにはない醍醐味です。

 

――望月記者は東京新聞社会部の記者であり、全国紙の政治部記者たちが詰める官邸の記者クラブではアウトサイダー。それゆえに菅官房長官に対して食い下がることができるものの、記者クラブでは浮いた存在となっている。

 それは確かですね。やっぱり感じるのは望月さんのメンタルの強さです。でも映画を観ればわかるけれど、決して強いだけの女性ではない。ならばなぜ彼女は、会見の場でこれほどに強いのか? 政治権力やほかの記者たちの冷たい視線に屈さないのか? それはこの映画のテーマにつながる部分です。

――東京新聞以外の他社の記者たちを取材しようとは、森監督は考えなかったんでしょうか?

 まったく考えませんでした。他社の記者も取材したほうがよかったと思いますか? だってほかの記者たちがどんなリアクションするのか、想像つくでしょう。『FAKE』のときも、佐村河内さんだけを密着取材するのではなく、ゴーストライターを務めた新垣隆さんやスクープ記事を書いた神山典士さんをもっと取材するべきだと言われましたが、僕にはその気がまるで起きませんでした。興味が湧かないのならカメラは向けません。

――『i 新聞記者』もそうですが、森監督は著書『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)や『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)でも、一人称単数で語ることの大切さを主張していますね。

 当たり前のことだと思うけれど、「考える」という述語の主語は、「私」や「僕」などの一人称単数です。「我々」ではない。「怒る」「笑う」「泣く」。ぜんぶ一人称単数です。テレビ番組でも、よくありますよね。「我々は、現場に飛んだ……」みたいなナレーション。「我々」ではなくディレクターの「私」でいいはずだと、ずっと思っていました。主語は大切です。なぜなら述語が変わる。さらにジャーナリズムにおいて最も大切な現場性は、主語は一人称単数にすることで発動するはずです。「我々」など曖昧な複数、あるいは自らが帰属する社や局などの組織を主語にするのなら、視聴率や部数などの市場原理、スポンサーの意向、組織の立場や政権との関係、リスクヘッジや社内規定など、現場にとって余計な要素がより大きな障害となってしまう。

河村 望月記者だけが日本では注目を集めているけれど、会見の場で突っ込んで質問するのは海外では普通のことですし、その質問にきちんと答えるのも当然のこと。日本のジャーナリズムの現場では、当たり前のことがなされていないんです。でも、誰もこの問題には触れようとはしない。誰もやらないから、私が映画をつくろうと考え、そして森監督に呼び掛けた。それだけのことなんです。忖度し、同調圧力化し、萎縮してしまっている社会が怖いんです。「私」はどうするべきか考えてほしいし、もっと多くの「私」が現われてほしい。

(後編へ続く/取材・文=長野辰次、撮影=名鹿祥史)

『i 新聞記者』
監督/森達也 企画・製作・エグゼクティブ・プロデューサー/河村光庸
出演/望月衣塑子
配給/スターサンズ 11月15日(金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー
(c)2019 「i −新聞記者ドキュメント−」製作委員会
https://i-shimbunkisha.jp

●森達也(もり・たつや)
1956年広島県生まれ。92年にテレビドキュメンタリー『ミゼットプロレス伝説 小さな巨人たち』でディレクターデビュー。テレビドキュメンタリーとしてオウム真理教の信者たちを取材した『A』は、所属していた制作会社から契約解除を通告され、1998年に劇場公開された。2001年に『A2』を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年には綿井健陽、松林要樹、安岡卓治らとの共同監督作『311』を発表し、賛否を呼ぶ。2016年に公開された『FAKE』も大きな話題に。著書に『放送禁止歌』(光文社)、『オカルト』(角川書店)、『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)など多数。

●河村光庸(かわむら・みつのぶ)
1949年東京都生まれ。89年にカワムラオフィス、94年に青山出版を設立。98年にはアーティスト・ハウスを設立し、映画への出資・配給を始める。『ブレアウィッチプロジェクト』(99年)などの日本配給を手掛けた。2008年に映画配給会社「スターサンズ」を設立。韓国のインディペンデント映画『息もできない』(08年)を大ヒットさせた他、エグゼクティブ・プロデューサーを務めた『かぞくのくに』(11年)、企画制作を担当した『あゝ、荒野』(16年)は国内の映画賞を総なめ。新井英樹原作コミックの実写化『愛しのアイリーン』(18年)、『宮本から君へ』も過激な描写で大反響を呼んだ。

綾瀬はるか『奥様は、取り扱い注意』映画化も、スタッフ総入れ替えでまったく別物に!?

 2017年に放送された綾瀬はるか主演のドラマ『奥様は、取り扱い注意』(日本テレビ系)の映画版が、20年6月に公開される予定だという。

 ドラマ版では、綾瀬はるかに夫役の西島秀俊が銃口を向けるところで終了となっていたため、続きが気になっていたファンは大喜び。しかし、映画版はスタッフの総入れ替えになっていることで、一部からは不安の声が聞こえている。

「ヒットドラマの映画化で、主要スタッフが変わることは異例です。『奥様は~』は、ドラマ版の脚本家・金城一紀氏だけでなく、『家政婦のミタ』(日本テレビ系)の監督で知られる演出家・猪股隆一氏、さらにはドラマプロデューサーまでが交代となっています。直木賞作家でもある金城氏は、過去に『SP 警視庁警備部警護課第四係』(フジテレビ系)、『BORDER 警視庁捜査一課殺人犯捜査第4係』(テレビ朝日系)など、ハードボイルド作品を手がけているのに対し、交代した、まなべゆきこ氏は恋愛モノを多く手掛けている。そのため、ドラマファンは『作風が真逆では』と眉をひそめています。ドラマでは隣家に暮らしていた広末涼子、本田翼の出演も発表されておらず、まったくの別物となる可能性が浮上しています」(テレビ誌ライター)

 脚本家のこの手の話題といえば、これまでもさまざまな物議を醸してきた。

「15年に井上真央が主演を務めたNHK大河ドラマ『花燃ゆ』は、途中から脚本家が2人から3人体制に。さらに中盤以降は新たな脚本家が残り全話を書き継ぐという異例の事態になりました。そのため、毎回、主人公のキャラが変わったり、エピソードがブレまくり。来春放送のNHK朝ドラ『エール』も脚本家の変更が発表され、早くも不穏な空気が漂っています。また、ドラマ『コード・ブルー』(フジテレビ系)は第3シーズンから脚本家が変更され、映画版もそのまま続投。この時も医療ドラマの名手から恋愛ドラマ系の脚本家に交代しました。視聴率や興行成績は良かったものの、『脚本微妙だった』『なんか人間ドラマみたいになってて、医療ドラマって感じがしなかった』などと、それまでのファンからは不満の声が上がったものでした」(芸能記者)

 せめて、まなべ氏には金城氏から西島の銃口の意味を聞いてから脚本を執筆してくれればよいのだが……。