皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――先日、秋篠宮眞子さまの「婚約者」である小室圭さんの長文手記が公表されましたが、お二人にとって、世論はより厳しいものになった気がします。今回は結婚に苦労したプリンセスのお話を聞かせてください。
堀江宏樹氏(以下、堀江) この連載の中でも何度も触れてきましたが、皇族の“プリンセス”の結婚のハードルは伝統的に、かなり高いのですね。明治以前の皇室には、皇族の人数を制限し、皇族が“貴種”であることを維持するため、皇子・皇女に生まれた方々の大半が結婚できないという厳しいルールがありました。皇族の男性以外と皇女が結婚できた例はさらに珍しく、皇室の長い歴史の中でも、現時点でたった36名です。
――元・乃木坂のメンバーだった深川麻衣さんがNHK大河ドラマ『青天を衝け』で演じて話題になっている、皇女・和宮のケースは? 和宮は第14代将軍・徳川家茂に嫁いだのですよね?
堀江 和宮もその36人の中の1人ですね。でもそれは、和宮の悲しい出生に対して与えられた一種の“ボーナス”なのです。和宮が母君のおなかの中にいる時、父帝・仁孝天皇が崩御なさいました。(異母)兄である孝明天皇を父がわりにして育ったのが和宮という方です。だから、孝明天皇は不幸な妹君に、結婚という権利を与えたといわれます。
皇族方は天皇による裁可なしに、結婚できないのは江戸末期も現代も同じなのですが、当時は結婚できるかどうかが決まるのも、天皇の御意志次第なのです。そして特に皇女は結婚できないのが普通でした。
――皇女も普通に結婚できるようになったのは、いつ頃ですか?
堀江 明治以降のことですね……。そもそも皇女にふさわしいお相手といえば、高い家柄やステイタス、そしてお人柄の良さ。さらに皇女と適切な年齢差におさまる方以外に考えられず、そうなると、本当に皇女にふさわしいお相手は「この世に、ほとんど存在しない」ことになってしまいます。
小室圭さんの長文レポートを読んだ世間の反応を見ていると、大半の方が、いまだに小室さんが皇女にふさわしい相手ではないと考えていることがわかります。ちなみに、イギリス国王の座を捨てて、意中のアメリカ人女性ウォレス・シンプソンと結婚することになったエドワード8世のケースでは「世論が真っ二つ」になったそうです。二度の離婚歴と、悪い素行の噂がある平民女性と、イギリス国王の結婚を一部の庶民は歓迎しましたが、上流階級は大反対。それでも国民全体では賛成と反対の比率は半々くらいでした。
――それでもエドワード8世は退位するしかなかったのですね。ある調査では「結婚に反対」が9割にもなった小室さんのケースはどう考えればよいのでしょうか?
堀江 立憲君主制における王族・皇族は国民の意思をムシして行動することは、元来できないハズなのです。しかしそんな小室さんを、眞子さまが全面的に支持しているという宮内庁の発表があると、世の声はさらに騒然としてきました。
――お金に関しては、小室さん自身の問題というより、お母様の問題かなとは思うので、彼には気の毒な部分があると思いますが……。
堀江 ある女性週刊誌では、宮内庁関係者の声として、「もうこうなってしまっては、眞子さまは一日も早く小室さんとご結婚なさって、皇室から遠いところでお暮らしになったほうがいい」というようなコメントを載せましたが、「もう、それしか道がなくなった」というあたりが真意でしょうね。
――結婚後も皇室の公務を担当しつづけるような、女性宮家創設の気運はこれで落ち着くでしょうか?
堀江 そうですね。眞子さまがほかの男性を選べば、しないでよい苦労をなさるであろうことは間違いないのでしょうが、それでも小室さんと結婚したいと考えていらっしゃるのであれば、もうどうしようもない、という感があります。
私見ですが、眞子さまが小室さんとの結婚にあれだけこだわる理由には、世間から数々の理由で叩かれる小室さんとそのご家族が「生まれもった身分やステイタスが原因で、不当な差別を受けている」とお感じなのかも。ご自分が彼らを守ってあげなくては、という思いがお強いのかもしれません。秋篠宮家のイメージダウンは避けられませんが、こうなっては一日も早いご成婚と眞子さまの皇室離脱が、将来の天皇といわれる悠仁親王殿下にとって最良の選択肢になる気がしてきました。
さて今回、結婚問題でモメにモメた例としてお話するプリンセスは、プリンセスではありますが、清朝のラストエンペラー・溥儀(ふぎ)の姪に当たる、愛新覚羅慧生(あいしんかくら・えいせい)という女性の悲恋、そして悲劇の死についてです。昭和中期の日本を騒がせた事件ですね。
――ラストエンペラーの姪に起こった悲劇の死、ですか……。
堀江 慧生さんも、すんなりと家族や世間に認めてもらうには難しい相手に熱烈な恋をしてしまいました。お相手の名前は大久保武道さん。青森県の裕福な実業家のご家庭出身で、慧生さんとは学習院の同窓生として出会いました。
――いつの時代もさまざまな生徒が通う大学は、プリンセスにとって貴重な出会いの場なのですね。
堀江 清朝の皇帝一家である愛新覚羅家は、日本の皇室とは血の繋がりはないものの、親戚のような存在です。慧生さんの御母上は嵯峨浩(さが・ひろ)さん。侯爵家の令嬢です。日本の皇室からも大いに期待され、当時、満州国の溥儀皇帝の弟君・溥傑さんに嫁がれました。
嵯峨さんが、溥傑さんの好きな女優の草笛光子さんに似ているという理由で選ばれたともいいますね(笑)。
お二人の長女として生まれた慧生さんは5歳以降を日本の嵯峨家で過ごし、事件当時は学習院の国文学科に通う女子大生だったのです。中国と日本の架け橋となるべく、日本の古典を翻訳して中国に紹介したいという夢を持つ、前向きなプリンセスでした。
――国文学科に進まれたのですね。そこで大久保さんと運命の恋に落ちた……。
堀江 一方、大久保さんは合気道など武道に秀でた方で、写真を見るかぎり、健康そうな方です。しかし、堂々と愛人を作ってしまう自分の父のあり方に大久保さんは大いに悩んでおり、死を考えるようにまでなったようです。慧生さんのようなプリンセスのお相手として、自分はふさわしくないという気持ちも強かったようですね。
――大学進学する人もまだ少なかった当時、学習院の学生同士であれば、「身分違い」ということではなさそうですが。
堀江 慧生さんの家族には彼が非常識で、失礼な男性だと思われました。普段から彼の服装はだらしない感じだったようですが、そのままで嵯峨家を初訪問してしまったのです。
大久保さんが帰った後、彼の服装に関して慧生さんは家族から皮肉を言われてしまった、とクラスメートの女性に明かしています。
――せめて好きな女性のご家族に初めて会う時くらいは、身綺麗にしていこうと思うのが普通でしょうが、そういう発想が彼にはなかったのでしょうか。
堀江 大久保さんは、青森の裕福な実業家の家庭に生まれ育ったお坊ちゃまですが、高校まで武道一筋。当時の学習院の中では浮くほどバンカラな学生とされていました。しかし、実情は人慣れ、世間慣れしていなかったようですね。
服装に構わないのは、自分に自信がないから。あるいは自分のことが嫌いだから、キレイに装うのは自分なんかにはふさわしくないと考えるという、ねじれた心理があったのかもしれません。
堀江 人気者だった慧生さんは、都会っ子だらけのクラスの中で青森弁の訛りを気にして、誰とも打ち解けられない大久保さんと周囲の橋渡しをしてあげたようです。すると大久保さんからものすごく感謝され、強い好意を向けられるようになり、アプローチも受けるようになった。その中で、気持ちを絆(ほだ)されてしまったようですね。
当初は慧生さんも、彼に違和感があったようですが、何度も絶交宣言を互いに出したり、出されたりしながらも、すぐに復縁して、その度にいっそう惹かれ合ってしまいました。
――まるで陰キャと人気者のお嬢様の恋……漫画やアニメでは見たことがありますが、本当にあるものなのですね。次回に続きます!

