秋篠宮さま、自宅に出たゴキブリは「つまんで捨てる」! 幼少期は巨大トカゲやヘビ、タヌキを飼育……知られざる皇室生活

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 

堀江宏樹氏(以下、堀江) 今回からは、毎日新聞社の記者・江森敬治さんのご著書、その名も『秋篠宮さま』(毎日新聞社)をみなさんと読んでいきたいと思います。前回までは、週刊誌の記事をベースに昭和末期~平成期の秋篠宮家のあゆみを振り返ってきましたが、今回からご紹介する『秋篠宮さま』は、その内容に宮さまが真正面から“大反論”という実に画期的な書物です。

 イギリスの王室もそうなのですけれど、基本的に王族・皇族は、批判的な記事にこそ「ノーコメント」を貫く立場です。ひとつのルールですが、秋篠宮さまは江森さんの著書の中で、“掟破り”の反論をなさっているんですよね。何に対する反論かは、おいお話していくとして、これがまず興味深かったです。

 そして、この本の表紙。ご覧になってください。

――ティアドロップ型のいかつい黒サングラスの秋篠宮さまが、なにかにまたがっておられますね?

堀江 そうなんです。「こういう生活を、あなたもやってごらんなさいと言われたら、10人中10人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから…」という秋篠宮さまのコメントが印字された帯で隠されているわけですが、この帯をどけてみると……。

――な、なんですか、これ!?

堀江 ね、怪しいでしょう。公園のアスレチック遊具か、タイとのご縁が深い宮さまとして秋篠宮さまは有名ですから、ゾウの頭? と思いきや、これ、なんとコモドドラゴン(コモドオオトカゲ)ですね(笑)。

――3メートルもある大トカゲに馬乗りですか(笑)。

堀江 実は子どもの頃から、巨大なトカゲには親しんでおられたそうですよ。

 宮さまが幼稚園の頃のお話というからには、まだ昭和天皇がご存命の頃だと思います。父宮(現・上皇さま)と母宮(現・上皇后さま)が「おみやげ」に持ち帰ったのが、「ウォーター・モニター」という「コモドドラゴンに次いで大きくなるトカゲ」だったそうで、御所に持ち帰られた当時すでに「1.5メートル」。それを「家族で飼っていた」とか……。

――庶民の家庭にはありえないスケール! なかなか衝撃的な逸話ですね。

堀江 このトカゲは死んでしまった後に剥製になっています。少年時代の宮さまは御所の「魚類研究室」の一室で、研究者に監修されながらも自らの手で、剥製を制作しました。その後につながる生物全般への強い興味を持ったきっかけの一つだとか……。

堀江 秋篠宮さまの少年~青年時代、御所ではさまざまな生き物が飼育され、タヌキも飼われていたとのこと。当時、宮さまは8歳でした。おとなしいタヌキだったので、お父上(現・上皇さま)が中庭に離して、お子さまがたに観察させようとしたとたん、いきなりタヌキが(秋篠)宮さまに飛びついて、足や手に噛み付いたのでした。当時、宮さまは8歳でした。

 ほかにも高校時代のある年の元旦、神奈川県三浦の「京急油壺マリンパーク」を訪れていた宮さまは、イルカと握手しようとしたところ、このイルカからも噛みつかれました。歯が鋭かったそうです。その傷跡は今でも宮さまの右手首にあるとか……。

――江森さんの『秋篠宮さま』、皇室本にはあるまじき流血ネタだらけのような(苦笑)。

堀江 いや、ほんとそのとおりなんですよ。なかなか攻めた本ですよね。この事故も、昔の笑い話(?)になっているから良いものの……。ほかにも宮さまに噛み付いた生き物として、ヘビのアオダイショウの話も紹介されていますね。

 ちなみに秋篠宮さまは本書内で、自由奔放な次男坊というイメージをマスコミに作られてしまったが、本当の自分は少年時代からインドア系だったよ、と。兄宮、妹宮とは異なり、宮さまだけが木登りができないのだとか。

――妹宮といえば、サーヤこと紀宮さまですよね(現・黒田清子さん)?

堀江 そう! 少女時代のサーヤ、とってもアクティブでいらしたのですね。

 ちなみに秋篠宮さまは少年時代から、学校から帰ってきたら部屋の中で本など読んでおり、「引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった」とか。実は私はシャイなインドア系なんだ、というアピールをさかんになさっているのが実に意外なんですね。ちなみに外で遊ぶ時も「大体、ひとり」。「もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたり」……。

――えっ? 今、またヘビって言いました?

堀江 はい(笑)。皇居の中心で、虫はともかく、ヘビを捕まえる兄妹ってなかなかにシュールですよね……。

 しかし、秋篠宮さまと虫捕りするのは紀宮さまにとっては「恐怖」で、もし失敗すると、怒った秋篠宮さまに叩かれたらしいのです。まぁ、これは秋篠宮さまご自身が冗談めかして、本書内で語っておられることですが。

 紀宮さまにわざとイジワルして、兄宮(現・天皇陛下)と秋篠宮さまが泣かせたこともあったそうです。お二人が「ごめん」と謝ると、幼い紀宮さまは「よろしいのよ」とお答えになる……。それがかわいらしいので、またイジワルしてしまうのでした(笑)。微笑ましいのか、ちょっと残酷なのか。それは置いておくとしても、本当に普通の兄妹みたいな感じで、宮さま方はご成長になったのですね。

――「よろしいのよ」(笑)。お姫様って感じですね! 秋篠宮さまと紀宮さまは4つ違いですが、たしかに幼少時の4歳違いは大きな差かもしれませんね。そして秋篠宮さまのイメージが「チャラの宮」から「ムツゴロウさん」に変わってきました。

堀江 成人後の宮さまがコモドドラゴンを研究なさっている時、襲われたら、蹴りとばして言うことを聞かせろ、と教えられたそうな(笑)。

――蹴ったら、おとなしくなるもんなんですか!?

堀江 その研究施設のコモドドラゴンは、ダメなことをしたら蹴られて、それでわきまえるように躾(しつけ)がされていたそうです。躾ができる動物なんだ……って思ってしまいましたが。

 ちなみに大人になった後も宮さまは、「家が大好き」。学生時代から寝るのは夜3時くらいになることが多く、お酒片手に深夜の静かな時間を愛する、典型的な夜ふかし族。ほかにも社交を必要とされる皇族でありながら、見知らぬ人との会話も長い時間するのが苦手。飲み会も嫌い。大学時代からコンパは好きではなかった、と。

――あれ? それとは真逆の生活が週刊誌に報じられていましたよね?

堀江 前にご紹介した週刊誌記事に、目白の住宅街のスナックで見知らぬ人にも「一緒に飲みませんか?」と声をかける宮さまの姿が描かれた文章がありましたが、あれに対する反論かな、と思って読んでいました。

――ここで反論なんですね。たしかに、インドア派のほうがイメージしやすいです。

堀江 ほかにも宮さまは興味はあるが、ご自分では料理やDIYはしないそうです。しかし、「掃除」の家事協力はすると公言なさっています。

――お掃除! すごく意外です。

堀江 掃除といえば……宮家にもゴキブリが出現することがあるらしく、たとえばご自宅にゴキブリが出た時は、宮さまがゴキブリを「つまんで捨てることもある」そうです。人一倍、動物からひどい目に遭わされた宮さまですが、動物への慈愛が失われるようなことはなかったのでした。

 さて次回は、宮さまが激怒して反論なさっているタイでの女性関係などについてお話しようと思います。

秋篠宮家の教育と経済事情ーー「学習院」離れと筆頭宮家の「厳しい」生活費事情

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回も、前回に引き続き秋篠宮家について振り返っています。

――今日は、眞子さまの結婚騒動をきっかけに関心が集まったテーマ、秋篠宮家の教育についてお話いただきます。

堀江宏樹氏(以下、堀江) さすがにこのテーマについては、雑誌に膨大な量の記事が掲載されていますね。私なりに分析するに、やはり秋篠宮家の教育方針は、記事のタイトルにもなった「子どもの興味を大切に!」(「女性自身」2004年4月27日、光文社)という言葉に尽きるようです。

 この記事によると、当時まだ小学生だった佳子さま(9歳)がフィギュアスケートの大会に出場、活躍するお姿が描かれています。成績は小学3年のクラスで「11人中6位」、「今大会」では「15人中10位」だったそうですが、“それでも素質は十分で、オリンピックを目指してほしい!”なんて記事はまとめられています。

――かなりヨイショ感が……(笑)。

堀江 一方、眞子さんはこの日、学習院女子中等科にご入学。同校のOGである紀子さまが懐かしい先生がたと談笑する姿がつづられています。

 それから約10年後の2012年、「文藝春秋SPECIAL」(文藝春秋)3月号に寄稿された江森敬治氏による記事「眞子さま、佳子さま 花開く『秋篠宮流子育て』」によると、眞子さんが学習院ではなく国際基督教大学に進学した背景には、「どのような方向に進んだらよいのかをいろいろと考え、そのためにはどこの大学に行くのが良いのかということを両親と話し、また、知人からも話を聞き、だんだんと自分の進路を決めていった」と伝えられました。

――やはり、自分の意思が尊重されているんですね。

堀江 しかし、実際はそれほど和やかにすべてが進んだわけではなさそうですよ。

 今年2021年、小室圭さんとの結婚を目前に控えた眞子さんが突如、自身を「複雑性PTSD」を患っていると告白、中学のころからすでに「誹謗中傷に精神的負担を感じていた」とも明かしましたからね

――それは眞子さんの学習院女子中等科時代に、すでに“誹謗中傷”を感じる出来事があったということですよね?

堀江 おそらく。記事のお写真を見ていても、この頃からの眞子さまの表情にはどこか翳りが宿されるようになった気がします。また、後には秋篠宮家の全ての皇女、皇子が学習院との縁を切って、外部に進学してしまいました。

 02年11月、36歳の誕生日の記者会見で、秋篠宮さまは子育てについて次のように述べておられました。

「それぞれが持っている個性、それぞれがやりたいこと、やってみたいことなどをできるだけ伸ばしていってあげることができれば」というお言葉どおりの教育を、2人の皇女に宮さまが施そうとしていたことがわかります。

 しかし、学習院とは別の教育機関に次々と眞子さん、佳子さま、そして悠仁さまがご進学した事実からは、「秋篠宮流」子育ての場として学習院は不適当とみなされたことが透けているのです。

――14年10月2日号の「女性セブン」(小学館)では、「秋篠宮家と学習院 かくも深き確執 2年前の『門前払い事件』」と題した記事を載せています。

堀江 この記事では、07年9月に学習院初等科の教員男性がお気に入りの女子生徒に約8年にわたって“セクハラ行為”を繰り返した事件などが報道されています。これは、秋篠宮ご夫妻がお茶の水女子大附属幼稚園を悠仁親王の進学先に選ぶきっかけにもなった事件だと目されています。

 また10年3月には、当時初等科2年だった愛子さまへの“いじめ問題”も学習院初等科で発生。学習院側はそれ以降、愛子さまにはとても気を使うようになり、悪くいえば、腫れ物に触るように特別に接してしまっていた、と。

 それが秋篠宮ご夫妻にとって「学習院の教育は劣化してしまった」と感じさせる結果となったとの説明もされています。

――記事には雅子さまや皇太子殿下も「皇族として特別扱いすることなく、他の児童と別け隔てなく教育してほしい」と強い要望を持っておられたとも書かれていますが、それが学習院では実践されなかったと、文章がほのめかしていますね。

堀江 10年4月、眞子さまが学習院女子高等科から国際基督教大学(ICU)の教養学部アーツ・サイエンス学科に進学。佳子さまも一時は学習院大に新設された教育学科に通い始めたものの、やはり姉宮のあとを追うように学習院大を退学、ICUの同学科に進学することになった“事件”が起きています。

――同10年4月には悠仁さまもお茶の水女子大附属幼稚園にご入園ですね。

堀江 これらの“秋篠宮家の学習院離れ”の結果、眞子さまはICUで小室さんと「出会ってしまった」わけで、「もし学習院大だったらこんなことにはならなかったはず」とする記事もいくつか読んだ記憶があります。しかし結局は、ご本人の価値観が問題の根源では……。

 以前にこの連載でもお話したように、“中国のラストエンペラー”溥儀(ふぎ)の親戚にあたる愛新覚羅家のプリンセスが、バンカラすぎた学習院の同級生と心中事件と思われる悲しい死を遂げたこともありましたから。すべてが教育機関の問題ではない、とするのが理性的な見解ではないでしょうか。

――その一方、“未来の天皇”と目される悠仁親王殿下が、“皇族の学校”のイメージがまったくない、一般的な進学校である“お茶の水系”の教育機関に進学したことを受け、「帝王教育」はどうなっているのだ、という声は大きくなりましたよね?

堀江 秋篠宮家は「帝王教育」など何も考えていないのでは!? という世間の声もあるわけですよね。逆に、すでに秋篠宮流の「帝王教育」は着々と進んでいるのでは……と私には思われるのですが。

――そうなんですか?

堀江 皇室の「帝王教育」には、具体的なテキストが明確に存在するわけではないのです。かつては天皇陛下や、年長の皇族方の生き方から学ぶのが「帝王教育」の本質だとされていたはずですが、秋篠宮の両殿下は、より開かれた環境に早い年齢から出ていき、さまざまな方々の影響を受けることが、悠仁親王には何よりの「帝王教育」になるとお考えだったのではないでしょうか。

 まぁ、開かれた環境に出ていても、“30歳までに大学で出会った相手との結婚”というご両親譲りのストーリーに固執した眞子さんのような例があることも事実なので、すべては自分次第の部分もあるのですが……。

――それを言っちゃあおしまいよ、という感じです(笑)。

堀江 しかし、悠仁さまに関してはほとんど何も聞こえてきませんね。眞子さまの結婚に関する世間からの強い風当たりに、心を痛めておられるという記事もいくつかWEB上で目にしました。

 また、眞子さんのお見送りなどにも、結局、悠仁さんの姿がなかったことは気になります。実姉の結婚なのですから、学校を休むことだってできたはずなのに……。

――佳子さまに関してはどうでしょうか? 眞子さんの結婚時に見せたさまざまな行動について、世間の一部は「秋篠宮家の教育は大失敗!」などと騒ぎたてましたよね?

堀江 実は眞子さんの結婚問題で、唯一皇室で評価を上げ得たのは佳子さまだけではないか、と私は思っています。佳子さまは、眞子さんの結婚を応援してきたことで知られますよね。しかし、さすがに理由も言えないのに「誹謗中傷」とばかり繰り返す眞子さんを見て、何かがおかしいと感じぬわけにはいかないでしょう?

 おそらく眞子さまは自分の信じたいことを真実だと思い込み、それにすがるしか、ご自分の理性を保つ方法がないというあたりにまで追い込まれていたのではないでしょうか。

 しかし、世間から猛批判を浴び、大炎上する眞子さんに具体的に寄り添ったのは、佳子さまだけでしたよね。ご自分も“延焼”する危険性をもろともせず、身を投げ出すようにして、姉君に寄り添ったのです。

――たしかに、最後まで寄り添っていらっしゃいました。現在も連絡を取られておいでとか。

堀江 あの時の佳子さまのお姿は、「自分の結婚時にも外野にうるさく言われたくないから、姉に協力し、少しでも自由に結婚できる先例を作る」といった打算で動いているようには、私の目には見えなかったのです。

 佳子さまには、眞子さまが真実に目を向けるよう、導いていただきたかったという本音もあるのですが、中学時代から傷ついた心を抱えてきた眞子さまは、もはや真実がもたらす痛みに耐えられなくなってしまっていたのかも。それを佳子さまは誰よりもわかっていたから、姉君を守ろうと必死だったのかもしれません。

 もちろん、これらは断片的にしか伝わってこない情報を、私なりに統合し、推理した結果にすぎないわけですが……。佳子さまについては、世間の一部でいわれているような、“公”よりも“私”を追求したがる、ちゃらついたお嬢様というわけではなさそうです。

――ところで、秋篠宮家は、皇太子家(当時)に比べ、世間との距離は近いようですね?

堀江 皇太子家とは異なり、秋篠宮家は生活にまつわるすべての経費を自力で支払わねばなりません。

 専属の職員数も皇太子家に比べると少なく、警備の皇宮警察31人に、ほかの宮家と分担してあたってもらっていると紹介されていました(「FRIDAY」講談社/06年10月6日号、「悠仁さま 天皇教育に立ちはだかる『予算格差の壁』」)。

 秋篠宮家にかつて支給されていたという「皇族費 5490万円」の捉え方についても、人件費が高騰した現代において何人ものメイドやスタッフ、さらには護衛なども雇って、家族4、5人で暮らすとなると「厳しい」のが現状であろうかと思います。

 筆頭宮家とはいえ、そんな秋篠宮家に生まれ育った時点で、ご姉弟はご両親のさまざまなご苦労を肌身に感じておられずはずです。

――現時点で、秋篠宮さまは皇位継承順位第1位の「皇嗣」として、皇族がたの中では最大の皇族費9150万円を受け取る立場になられましたね。

堀江 はい。シビアな言い方になりますが、皇族として生きるにふさわしい資質をお持ちの方だけが皇室を支えていく。昔も今もそうやって皇室は歴史をつないでいるのです。

 だから、単に皇族の子に生まれた“だけ”で、その方も皇族としてちゃんと活動できるかは別問題と考えるべき時期に来ているのでしょうね。

 現制度では皇族のお子さまは20歳を迎えると自動的に「成年皇族」として、より多くの皇族費を受け取り、人前に出て公務を本格的にこなす生活に移行していくのです。しかし、何かと制限も多い皇族の人生を受け入れる覚悟が本当にあるのかを丁寧にヒアリングし、ご本人の意向を反映したほうが、眞子さまのような“モンスター・プリンセス”、あるいはプリンスを世に出さないで済みそうです。

――モンスター・プリンセス……。

堀江 結婚騒動で、皇族として積み重ねてきた全てを名実ともに失った小室眞子さんだけを見て、秋篠宮家の方々についてすべて理解したつもりになるのは、まだ早いのではないでしょうか。

秋篠宮さま、大学時代に「7人の恋人」? 眞子さん結婚との「ただの偶然とは思えない」共通点

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回からは、秋篠宮家について振り返っています。

秋篠宮さま、宮内庁の顔を曇らせた「反抗」 眞子さん結婚の「先例」に

――小室眞子さん、佳子さまは国際基督教大学で青春を謳歌したと伝えられていますね。眞子さんは小室さんと出会い、佳子さまはダンスのサークルに入られ、それぞれ充実していたのではないでしょうか。

堀江宏樹氏(以下、堀江) そのお父さまである秋篠宮さまは、学習院大学法学部に通っていた当時、佳子さまのタンクトップ通学、へそ出しダンス写真などとは比較にならない位、奔放な行動を連発されていたようですよ。

――もし、当時ネットがあれば礼宮(あやのみや)をモジって、“チャラの宮”なんて言われてしまっているかも……。

堀江 まさに。

 1986年の「FOCUS(10月24日号)」の「礼宮文仁親王20歳―――目白のスナックで“青春の横顔”拝見」という記事によると、礼宮さまが約10人ものSPを店の外で立たせたまま、東京・目白の住宅街の「小ぢんまりしたスナック」にて、ビートルズの『イエスタデイ』をギターでつまびく姿が目撃されたとのこと。お酒を酌み交わし、煙草をくゆらせる御学友たちとのお写真がパパラッチされておられます(笑)。

――20歳にしてこの貫禄!

堀江 絶対に十代のうちから……ってかんじですよね(笑)。しかも「隣りのテーブルの客に声をおかけになった」礼宮さまが「一緒に楽しく飲みましょう」と持ちかけたり、大学の同級生の女性を見送るといって店を出ていってから、「30分ほどして店に戻った」りしています。自由なお姿が描かれていますね。

――もしかして、宮様がお見送りしたのが紀子さまだったとか!?

堀江 いや、違うのです(笑)。礼宮さまは女性には積極的で、同86年の「週刊現代(9月13日号)」には「ウワァ~礼宮さまに肩を抱かれた20歳美女の身辺」という、いかにも80年代っぽい軽薄さに満ち溢れたタイトルの記事が掲載されています。

 “事件”が起きたのは、礼宮さまの東南アジア旅行中……宮さまが委員長を務める学習院大のサークル「自然文化研究会」の活動の一貫で、御一行はシンガポールの植物園を訪問したのですね。ところが真っ昼間から、それも日本からの報道カメラマンが10数人いるのを承知の上で、礼宮さまが同行の竹山則子さんの肩を「ほんの五秒ほどではあったが(略)抱いてみせたのである」。

 これに対し、宮内庁は「こちらでは(略)話題にもなっていませんね」とコメントするだけ。随行した東宮侍従の富士亮氏も、「(肩を抱いたことに)特別に感想はない」とクールに答えるだけでした。

――え、チャラくないですか(笑)? 礼宮さまのそうした行動は日常茶飯だったと?

堀江 そうでしょうね。礼宮さまをめぐる報道を見ていると、兄宮(現・天皇陛下)とご自分の境遇をお比べになり、皇室のあり方に “反抗”するお姿を報じた記事がある一方、ハッキリ言えば、かなりのチャラ男として人生を楽しんでらっしゃいます(笑)。

――翌87年の「女性自身(5月5日号)」(光文社)には、「僕には7人の恋人がいる!」とタイトルの文字が踊る記事が……。

堀江 礼宮さまの奔放さに、マスコミが食らいついてきている姿がうかがえますよね。21歳当時の礼宮さまのこの発言については「7人というのは、つまり“特定の人はいないよ”という意味」など説明されてはいるのですが。

――しかし、この時からすでに紀子さまと笑顔で並んでいる写真が大きく掲載されていますね。

堀江 そうなんです。皇室記者は紀子さまこそが 宮さまの“本命”と認識していたことがわかりますね。この頃の礼宮様は、特技のギターの弾き語りに磨きをかけておられ、南こうせつの『神田川』や浅川マキの『かもめ』が十八番だったそうです。

――『神田川』って(笑)。風呂なしアパートに暮らし、銭湯の前でふるえながら、同棲中の恋人男性が出てくるのを待つ貧しい女性の気持ちが、殿下に想像できたのでしょうか?

堀江 浅川マキの『かもめ』も、「港町のあばずれ」なんて歌詞が出てくるんですよね~。わかってたのかな(笑)。礼宮様は「新人類の殿下」などと呼ばれていたそうですが、否定的なニュアンスは記事にはまったくないですね。マスコミから非常に愛されています。

 88年の「週刊現代(3月5日号)」の「次男坊殿下礼宮さま 教授令嬢とのデートの親密度」という記事によると、皇居の敷地で、礼宮様がオレンジ色のフォルクスワーゲンに本命の紀子さまを乗せてドライブ。毎日のようにお二人だけの「ハラハラ、ドキドキの」時間を過ごしていると報じた記事が載せられます。お二人が部屋にこもって3時間も出てこなかったことなどが書かれていますね。

――そして、この頃からすでに「もしかして、兄宮より先にご成婚かも」と囁かれはじめていた? 

堀江 はい。翌89年秋にはその予感は現実となり、イギリスに短期留学した23歳の礼宮さまを、同い年の川嶋紀子さんが「離れていても心は一緒です」と笑顔でお見送りしていますね。お二人のご結婚は「来年(=1990年)6月に決定」とすべてがトントン拍子で進んでいったのでした。

――小室夫妻も2012年、国際基督教大学1年生の時に知り合っており、眞子さんが同年8月にイギリス留学で日本を離れる直前に交際が開始されました。そして13年には小室さんから眞子さんにプロポーズがあったそうですよね。すごい共通性が……。

堀江 そうなんです。こうなると、ただの偶然とは思えませんよね。眞子さんはあきらかにご両親を意識して行動というか、そういうふうに振る舞えば、先例があるから自分も許されると判断なさっていたのかも……。

堀江 紀子様のご実家・川嶋家と皇室出身の礼宮様にも、大きな経済格差がありました。学習院大の職員用住宅の3LDKの「アパート」に暮らしていた紀子様を「3LDKのプリンセス」などという陰口もありました。

 「SPA!(89年9月6日号)」(扶桑社)に掲載された川嶋家の暮らす「共同住宅」は、エレベーターもなさそうな古びた公営団地のようです。これが“平成のシンデレラ”のご実家か~、という驚きはありますね。

――眞子さんは小室さんとの結婚において、ご両親の結婚までの過程を意識的、あるいは無意識的に踏襲していたのかもしれませんね。

堀江 その可能性は多いにあります。ただ、紀子さまには周囲と問題ばかり起こしている小室佳代さんのような困ったご家族はいませんでしたが……。

 礼宮さまと紀子さんのご結婚に反対する声は、実は少なからずありました。そもそもお二人のお話がまとまっていく頃は、昭和天皇の喪中にあたり、礼宮さまの兄の浩宮さま(現・天皇陛下)も、いまだ雅子さまとの結婚が決まらぬまま、30歳をそろそろ迎えようとなさっていました。少なくとも保守的な意味で完璧な縁談ではなかったはずです。

――なるほど。結婚で身を固める場合、皇室では30歳を節目として強く認識するものなのですか?

堀江 たしかに浩宮さまも「結婚は30歳くらいを目安に」などと発言しておられました。ただ、これは皇室というより、90年代の日本人の年齢感覚ではないでしょうか。

 1994年には山口智子さん主演のドラマ「29歳のクリスマス」が放送され、人気を呼びました。99年にも財前直見さん主演のドラマ「お水の花道〜女30歳ガケップチ〜」が放送されました。

 30歳をすぎれば“売れ残り”で、それは“ガケップチ”に転落することだとする感覚……まぁ、わからなくはないですけど、そういう価値観を反映したドラマがたくさん作られたのが、眞子さんのご両親の青春時代だった90年代後半という時代の風潮です。

 それから現代まで30年近くたちました。それなのに、眞子さんは古い時代の年齢感覚に縛られすぎだったのでは? とは思いますよね。

――30という数字にはとらわれません、といった言動を見せていたら、現代感覚を有した皇女として支持を集めたかもしれません。

堀江 はい。礼宮さまご夫妻のご結婚から、小室夫妻の結婚までの約30年の間に、日本の経済は悪化、空気も暗く、重たくなりました。価値観も保守化しつつあります。

 礼宮さまの青春時代である80年代後半~90年代、世間における皇室とはあくまで外国の王族・皇族の日本版にすぎなかったのかな、という印象もありますよね。

 しかし、2000年代初頭には爆発的なスピリチュアル・ブームが起きました。神仏が再び身近になり、同時に公務と祭祀に励まれる平成の天皇陛下(現・上皇陛下)のお姿を見てきた国民は、皇族をやはり“神”に近い存在だと感じるようになりました。

 皇族がたは人間でありながら、常人とは異なる“神”に近い存在で、そのように振る舞うことこそ“真の皇族らしさ”だと考える層が増えたのです。そういう空気を、若い皇族がたはどのように受け止めておられるのか。理解しておられるのか、という問題はありますが。

――話が飛んでしまいましたが、結局、礼宮さまと紀子さまはどうなったのでしょうか?

堀江 紀子さまに国民的な人気が高まったことを追い風に、お二人の関係はトントン拍子で進み、「昭和天皇さまの喪中に……」などと一部の上流層、宮内庁関係者の顔を曇らせたこと以外の大きな障壁はありませんでした。

 逆に昭和天皇の喪中の暗い空気を吹き飛ばすような、皇室の明るいニュースが国民から必要とされ、それがお二人の結婚を逆に早めた、と。

 かくして1990年6月29日、礼宮文仁親王と川嶋紀子さんとの結婚をきっかけに、秋篠宮家が創設されたのです。

 次回は秋篠宮家の子育てを取り上げます。

秋篠宮さま「反抗」の数々! かつての「皇室離脱願望」や「やりたいことは遠慮なく実行」がはらんだバッシングの伏線

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回からは、秋篠宮家について振り返っています。

――秋篠宮さまといえば、過去は“やんちゃ”だったけれど、現在は落ち着いて、地に足のついた生き方をなさり、しっかりした意見を述べられる方というイメージが強いです。

堀江宏樹(以下、堀江) 私もそうだと思っています。ただ、平成初期から秋篠宮さまをめぐるマスコミの報道を見ていると、現在の眞子さんバッシングへの伏線の存在も感じずにはいられないのですね。

 たとえば「週刊ポスト」1989年4月7日号(小学館)の「新天皇夫妻を悩ます『礼宮(あやのみや)の反抗』」という記事は、今読んでもかなりショッキングでした。

 戦後日本で、皇室史上はじめての“民主的”な家庭教育をおこなった「新天皇家(=現・上皇さまご夫妻)」。戦前の皇室に生まれた皇子・皇女がたは、兄弟姉妹をそれぞれ隔離して赤の他人である傅育官(ふいくかん)らによって育てられてきたのですが、戦後、はじめて一つの家庭として「家族団欒のなかで兄弟が仲良く一緒に育つ」教育が実施されました。

 同記事の「宮内庁OB」の主張をまとめると、兄の浩宮さま(現・天皇陛下、当時・皇太子殿下)にだけは「帝王教育」が実施されていました。また、割り振られる皇族費の額の違いなどから、ご自分との「身分差」の存在に礼宮様は「ショック」を受け、ノイローゼ気味になるほど悩まれた、などといっているのですね。

 それで、秋篠宮さまには「皇籍離脱願望」が生まれた……などと、攻めたことが書かれていますね(笑)。

――報道当時、秋篠宮さまは23歳にあたりますね。大学を卒業した翌春です。当時の礼宮さまは「口髭をたくわえたり、ブレスレットをしたまま宮中行事に出席してみたりと、やりたいことは遠慮なく実行」ともありますね……。

堀江 かつてはアイドルのような人気を誇り、昭和天皇からは「あやちゃん」、世間からは「アーヤ」と呼ばれておられました。大学時代には“ロン毛”でもあられたようですね。これはただの反抗期というより、“私らしさ”を求めた姿勢でもあります。皇太子殿下の弟宮として、ご自分の主体性を模索する行為だと思いますが……。

 ただ、礼宮時代から、秋篠宮さまご自身の“私”偏重をそれとなく指摘する記事も多く出ていたようですね。

――ブレスレットをしたままで宮中行事出席は、ちょっと大胆かもしれませんね(笑)。

堀江 はい(笑)。同記事によると、皇位継承の可能性が低くても、「自由を(天皇陛下や皇太子殿下同様に)束縛されつづけ、しかも与えられる仕事といえば、地方式典での挨拶やテープカットが主といったところ」。そんな「レールにのった人生を強いられたくない」と、当時23歳の秋篠宮さまはお悩みになっておられたのだとか。

――これは、眞子さんにもお父様と同種の葛藤があったのでは、と思われてなりませんね。

堀江 ファッション面での反抗で済めばよかったのですが……。

 この記事は礼宮さまの「皇籍離脱願望」に触れつつも、結局は天皇陛下(現・上皇陛下)が伝えた“皇族は天皇を補佐する存在”という鉄則を曲げるつもりはないと書いてはいます。しかし記事は“(自由がないなら)せめて皇太子殿下と待遇を同じにして”という宮さまの“平等願望”にも触れていますね。

――平民でも、長男と自分では親からの扱いが違うと葛藤する次男坊がいるようですが、皇室では残酷なほど明確に差があるわけですもんね。

堀江 そうなんです。秋篠宮家と皇太子家の大きな待遇差が縮まることは、長い間、ありませんでした。「女性自身」2006年10月3日号(光文社)の記事「悠仁さま『子育て』は愛子さまとどう違うの?」では、「天皇皇后両陛下、皇太子ご一家(略)の生活費3億2400万円」に対し、秋篠宮家は「5490万円」という待遇格差(当時)が記されています。

 住まいの規模にも格差は確実に見られ、「皇太子ご一家の東宮御所の広さは5460平方メートルで、秋篠宮邸は1417平方メートルと、約4倍の差」などと書かれていますね。

 同06年の「FRIDAY」10月6日号(講談社)の「悠仁さま 天皇教育に立ちはだかる『予算格差の壁』」でも、秋篠宮家に支給される「5490万円」の予算が、「未来の天皇」と目される悠仁親王のご実家のステイタスとして適切か? という問題が問いかけられています。

――しかし、この記事によると、当時の秋篠宮さま(元・礼宮さま)は、兄宮との“待遇差”に神経をとがらせている印象はありません。

堀江 そうなんです。逆に、質素な生活を楽しんでおられるように思われます。2LDKSの「こじんまりとした」住宅で、紀子さまとの新婚生活をスタートなさった宮さまは、眞子さま・佳子さまという愛らしいお子様がたを次々に授かりました。

 「『子どもも生まれたことですし、大きな家を建てたらどうですか』という人もありましたが、秋篠宮さまは、『いや、やめておきましょう』とおっしゃって、そのまま住まわれていました」とのことで、当時はお幸せそうだったそうです(ウェブサイト「mi-mollet」渡辺みどりさん記事「【秋篠宮家の教育】幼少時は温もりある家に住み、動植物と触れ合う」より)。

――この頃が、秋篠宮家礼賛の全盛期といえるでしょうか?

堀江 はい。どうやら現代の日本人が求める“理想の皇族らしさ”とは、「清貧」に尽きるようですね。そして、当時の秋篠宮家は「清貧ぶり」をうまくアピールできていました。また、2006年といえば、皇太子殿下(当時)が、適応障害を発症なさった雅子さまについて「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と発言なさった事件の翌年にあたります。

 思えば、あの事件は大きな波紋を日本中に巻きおこしましたよね。

――私は雅子さまファンなので、心が痛くなりました。

堀江 しかし、この兄宮のご発言について秋篠宮さまは「(皇太子殿下は)発言する前に、せめて(天皇)陛下とその内容について話をして、その上での」意見公開をするべきだったと、批判姿勢を明確になさいました。

 また「私は公務というものはかなり受け身的なもの」との姿勢も明らかになさっています。私なりに要約すれば、“海外で活躍したいという願望があってもよいが、国民に望まれたことに応える姿勢こそが、皇族の公務でもっとも大事なのではないか”となるでしょうか。

 また、恵まれた環境で暮らしているはずの皇太子殿下による“告発”は、エリート主義的に受け取られたのでしょうか。“優等生”とされつづけた兄宮一家の影に控えてきた“苦労人”の秋篠宮様による発言を、より肯定的に世間は受け止めたようですね。

――たしかに、これを機に秋篠宮さまの印象が私の中でも変わりました。ニコニコしてるだけではなく、はっきり物を言うタイプなんだなと。

堀江 ただ……外務省のキャリアとして活躍なさっていた雅子さまを、皇室に迎え入れた以上、諸外国との“皇室外交”において、存在感を発揮してもらうつもりだったのに、それがお世継ぎ誕生のプレッシャーをかけられる中、うまく実現できない時期が続いた(それが、雅子さまの適応障害発症に結びついた)とする皇太子殿下(当時)のお嘆きも理解できるのですが……。

――皇太子殿下は、幼い頃から“優等生”でいらっしゃったので、そんな方が突然、ネガティブな感情を強い言葉であらわになさったことも、世間に衝撃を与えたのでしょう。

堀江 慎重派の兄宮、やんちゃな弟宮という対立構図は、お二人が幼い頃から、現在にいたるまで何かと踏襲されているのですよね。

 しかし、今となってはお二人の立場は2006年前後と完全に真逆となった印象があります。それが、愛子さまのティアラの新調辞退にまつわる賛美にもあらわれていますね。おそらく世間は「さすがは天皇陛下、そしてそのご息女である愛子さま……!」という敬愛の念を強く持ったと思いますよ。

――話を聞いていると、国民とは勝手なものですね(苦笑)。

堀江 現代の日本国民は、皇族に“人間らしさ”よりも“神らしさ”を求めてしまうのでしょう。窮屈な日々に耐え、公務に勤しみ、その結果として支給された高額の皇族費を使って自分だって人並みに贅沢も楽しみたい……などと“人間らしく”振る舞いすぎると、確実に国民の敬愛を失うことになります。

 まさに眞子さまのケースですが、貯金1億円の使い方にまで国民がイライラしているのは、高額の皇族費とは、世間一般の給与水準よりもかなり高額であるがゆえに、そこには“神”としての品位を守って生きていただけることを願って国民から渡されたお金であり、「たんなる賃金ではない」という共通認識があるのです。

 一方、眞子さんとしては、自分の公務という労働の結果、与えられた対価だとしか考えていないのでしょう。どう使おうと勝手、というのはある意味、正しいのですが。

――国民と眞子さんの主張には最初から認識の食い違い、埋まらぬ溝があった、と。

堀江 国民の要求はもともと理論破綻しているのです。皇族の暮らしぶりに対し、ある種のラグジュアリーというか、身分の高さに伴った特別さを求める一方、「清貧さ」も当然だという。完全に矛盾した要求を突きつけていることがわかります。

 こうした経済問題に対し、眞子さんは深くは考えておられないご様子でしたよね。もしくは理解していても、世間の声になど影響されたくないとの思いが強いのでしょうか。

 さて、お若いころから“やんちゃ”であり、問題行動も少なからずあったところで、どこかで現実との妥協点を見出し、立派に踏みとどまることができる秋篠宮さまと、世間から暴走ととらえられる言動の末に日本から出て行った眞子さん。実の父娘ですが、皇族としての“器”はまったく違ったといわざるを得ない部分があります。

 同時に、秋篠宮様ご自身にも、過去の生き方に照らし合わせると、若い眞子さまの“自由追求”をストップさせることはできなかった。あるいは説得力がなかったのだろうなぁ……とも。

――次回は、掟破りの大学生皇族だった秋篠宮さま、そして紀子さまとの過去を見ていきます!

小室夫妻は歴史的には普通? 皇室に存在した“皇族のルールブック”にみる「結婚の教え」

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――日本中の多くの人々が反対する中、小室圭さんとの結婚を果たした小室眞子さん。皇族が重んじるべき「公」と「私」のバランスが崩れてしまっているとの批判が噴出しました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 結婚報告の会見で、眞子さんは国民による批判を事実無根の誹謗中傷だと繰り返し、カメラを見る目は怒りに満ちているような、泣きそうに見える瞬間もあり、終始不安定なご様子でした。尋常な結婚報告会見とは絶対にいえない空気でしたよね。

――結婚前にはご両親と大きな声で怒鳴り合っているという報道も再三ありました。

堀江 不気味なのは、こうした記事が出ても、宮内庁のホームページでは具体的な反論や訂正が一切されないままだったことかもしれません。結婚会見で自分の言葉ではなく、紙に書かれた文章を読み上げるだけだったのも、ご本人にしゃべらせるのはまずいという周囲の判断だったのではないでしょうか。

――眞子さんが感情に支配され、あらぬことを口走ってしまうことを食い止めたかったということですか?

堀江 そうです。そんな彼女の傍らで、圭さんは彼女の主張を肯定しつづけ、微笑んでさえいたような……。あれにはビックリしました。眞子さんにとって、圭さんは“頼るべき夫”というより、白いものを黒いとさえ言わせられる存在。ほしい言葉を常にかけてくれるスタッフに近いのではないでしょうか……。

――スタッフ……ですか。

堀江 はい。「最後の文豪」として知られる谷崎潤一郎の代表作に『春琴抄(しゅんきんしょう)』という小説があります。強気でワガママなお嬢様・琴(こと)に付き従い、何があっても彼女をひたすら肯定し続ける使用人・佐助との異様な関係を描いているんですね。琴は病で目が見えないので、彼女の手足として佐助が一心に働き、最終的には自分の目も針で突いて失明、彼女と同じ闇の世界に落ちていく……というダークな話です。

 圭さんがそこまで献身的だとは思えないところもありますが、佐助に依存している琴の姿には、周囲が見えなくなってしまっている眞子さんにかぶるところがありました。

――弁護士浪人で事務員の小室さんとしては、預貯金1億円超えとされる眞子さんに経済的に依存し、マンハッタンの高級住宅街で生活せざるを得ないようです。先日は、眞子さんを家に残し、パブでお友達と飲み会してる様子が報じられました。

堀江 お金の面の心配事は、眞子さんの配偶者だから“支持者”がなんとかしてくれているのかもしれません。借金もあるはずなのに、相談料だけでも1時間で1.1万円にもなる弁護士を雇用し続けているんですよね……。

――そんな小室さんの姿を、まったく不自然とも感じていないような眞子さんの姿勢に「秋篠宮家の教育はどうなっているんだ!」という声が上がりました。もう30歳の女性に対し、実家の教育を問う声があるのも、皇室がらみのニュースの特徴のように思います。

堀江 皇室の教育といえば、「帝王学」が有名ですよね。これはあくまで天皇陛下から皇太子殿下に「だけ」授けられるだけなのですが。

――「帝王学」といっても、門外不出の教科書があるわけではないのですね。

堀江 はい。皇太子殿下には、厳然たる“特別扱い”がなされています。これは皇室の伝統のようで、現代でも動かしがたいものがあります。

 たとえば、菅原道真を大抜てきしたことで知られる平安時代の宇多天皇は、皇太子(のちの醍醐天皇)には『寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)』というアドバイス集を残したことで有名ですね。「どんなに寒い朝でも手を洗い清めてから神様を拝みなさい」など生活レベルの助言もふくみ、皇族としてふさわしい生き方について説かれています。

 私なりに要約・翻訳すると、「独裁政治はいけない。必ず補佐してくれる臣下の意見を聞きなさい」、そばに置くべき人物を選ぶ基準としては「国民のためになる人事」をするように、ともありますね。

 また、「自分が過ちを犯していないか、常に気をつけなさい」「喜怒の感情を安易に出すことは慎むこと」などについても触れられています。

 これらの訓戒を与えられ、守った醍醐天皇は日本史において「聖帝」と呼ばれるお一人となりました。そしてこれらの訓戒は、皇太子だけでなく、ほかの皇族方も踏まえるべき行動原理だったでしょうし、理念としては現代においても現役だと思われるのですよね。

――ほかの皇族方も、ですか。ちなみに、結婚に際しての教えはあるのでしょうか? 眞子さんの行動は行動理念上どうなのか気になるのですが……。

堀江 そうですね。現在では『寛平御遺誡』は、ごく一部しか現存していないので、残念ながら、結婚の教えはあったかもしれませんが、少なくとも現在、読むことはできないのです。

 でも面白いことを思い出しました。醍醐天皇の崩御から約36年後に生まれた藤原道長は、「男は妻柄(めがら)なり」という言葉を残しています。

 「男が出世できるかは妻しだいだよ」などと普通に訳せますが、当時の皇族や上流貴族の男性は、妻とその実家の財産に寄生して生きるものだからです。だから「経済的に頼りがいのある妻をもらうのが一番!」とするのが、歴史的には正しい訳となるでしょうね。

――なんだか、どこかで聞いたような話ですが……。

堀江 たしかに夫を“養っている”点では、小室夫妻は平安時代なら普通なのかもしれませんが(笑)、現代の国民に馴染みが深い夫婦のあり方とは違うようですね。

――だからこそ、批判の嵐だったのでしょうか。しかし、平安時代に書かれた“ルールブック”と、多かれ少なかれ、同じような基準で生きることを求められてしまう21世紀の皇族がた。あの方々に許され得る“人間らしさ”とは……などとも思わずにはいられないのですが……。

堀江 現代日本人にとって天皇陛下をはじめ、皇族がたは“神”に等しい。信仰の対象なのでしょう。普段はそこまで気にならなくても、何かあるとすごい注目が集まるところも含めて“神”っぽいといえるかもしれません。

 その“神”であるべき皇族だった眞子さんが、「好きな相手がどんな人物であったところで、やっぱり結婚したい!」という生々しい人間的欲望をさらけだし、その充足のために突っ走った行為に対し、国民から拒否反応が噴出したのです。

 “小室禍”を報道した、海外の記事のほとんどすべてが的外れに思われたのは、こういう事情が彼らにはわからないからでしょう。

 現在でも若い皇族には具体的なルールブックが与えられるわけではなく、先輩である皇族がたのお姿を見ながら、自分の道を歩んでいきなさいとだけ、諭されているようです。まぁ、眞子さんは歴代陛下のお姿より、父宮である秋篠宮さまの背中から学ぶ部分が多くても当然だったと思われますが。

 実際、今回、大宅壮一文庫で集めてきた、ここ15~20年ほどの秋篠宮家の教育をめぐる一連の記事で、眞子さんのご両親である秋篠宮両殿下が結婚に突き進まれた道のりを見ていると、意外な共通点がたくさん出てきました。

――次回に続きます!

皇族の“特権”を失った元・プリンセスはハードモード! 「使用人」として生きた皇女の忌まわしい事件

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――小室眞子さん夫妻、ついにニューヨークに旅立っていかれましたね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 複雑性PTSDを公表している眞子さんに対し、精神疾患に対して厳しいはずのアメリカビザがすんなり下りてしまうあたりに、“ロイヤル忖度”のすごさを思い知らされました。しかし、そういう特別扱いも、駆け落ち同然の結婚をして、アメリカに“亡命”した日本の元・皇女に対する世界中の関心度の高さゆえだと思うのです。

――イギリスのタブロイド紙「デイリー・メール」には、家賃約55万円の新居の間取りまで報じられました。

堀江 王族/皇族に生まれた方への注目は、その方が特別な身分でなくなったとしても、一生ついてまわります。注目度がとくに高ければ、今回の眞子さんのように元皇族としての特権と、一般人の自由を両立した“ロイヤル忖度”を受けることも可能なのですが。

――歴史の中で、そのような例はあるのですか?

堀江 主に世界史では……。日本では伝統的に、皇族のお相手以外と結婚した皇女は、皇族としての“特権”を失ってきました。それ以外にも、世間から皇女として扱われなくなるケースもあったのです。

――いまの眞子さまを見ていると、想像がつかないのですが?

堀江 天皇の娘や孫(もしくは、上皇/法皇の娘や孫)を皇女と呼びます。ところが、彼女が父親から愛されない娘だったのであれば、その時点で、皇女でありながらも“平民扱い”になっちゃうんですね(苦笑)。独身なのに、皇女扱いもナシ、世間からは好奇の目で見られるだけというハードモードの人生がスタートし、元・プリンセスとして生きざるを得なくなったりもするのです。

――それでもある意味で、自由の身になれたということでしょうか……。

堀江 そのとおりかもしれません。逆にいうと自分で仕事を見つけて、自活しないと生きて行けません。父親が守ってくれないので。だから、上流家庭の使用人として生きざるをえなくなった皇女もいるんですよね。

でも、本当にそういう一般人になってしまうと、警護はつきません。正直、かなり危ない目に遭う可能性もありました。今回お話するのはその一例です。

――ええっ……そんなにひどい話があるんですか?

堀江 まぁ、ホントに怖い話ですよ。これは紫式部の優雅な『源氏物語』が宮廷社会でブームになっていたころ、本当に起きた事件です。今から1000年以上も出来事なのですが、要約すれば、12月の寒い深夜、裸に剥かれて死んだ皇女の遺体が野犬に食われ、凍った状態で見つかりました。

 この事件を語る前に、当時の複雑怪奇な皇室周辺の人間関係を見ていきましょう。

堀江 当時の皇室には超問題人物というべき花山法皇という方がおられました。この方が自分の乳母の娘……本来なら、自分のきょうだい同然に育った女性で、「中務(なかつかさ)」と呼ばれていた女房(=女性使用人)に手を出したのです。

――近親相姦のニオイが……。

堀江 平安当時のゆるめの性愛倫理ではタブーとはいえないまでも、世間に「えっ?」という顔をされる関係ではないでしょうか。

 花山法皇は中務に執着し、娘を二人、息子も一人生ませそうです。妹のほうは、「兵部(ひょうぶ)」と呼ばれる女房のもとに、生まれてすぐ里子に出されました。理由はわかりません。ただ、双子のきょうだい同然の女性(しかも既婚者)に手を出し続け、何度も妊娠させてしまう自分のおこないが急に恥ずかしくなったのかも。

――花山法皇、やらかしてますねぇ……。

堀江 ちなみに中務や兵部は、上流貴族や皇族にお仕えする女房にすぎません。ただの使用人です。

 身分の高い男性が、女性使用人に手を出すことは、黙認されていました。女性側にも金銭面などで援助を受けられるとか、それなりのメリットはありました。しかし、女性使用人が高位の男性に愛されたところで、彼のお妃候補になれるような奇跡は起きません。身分による壁が立ちはだかっていたからです。

 当時、高位の男性が身分の低い女性と付き合った場合、女性は「愛人」どころか「召人(めしうど)」、つまりは“寝室専門メイド”のような呼び名で呼ばれたのですね。そんな“夜のメイド”である召人が生んだ子が男でも女でも、生涯プリンスあるいはプリンセスとして扱われることは基本的にありません。

 女子の場合は、幼い頃、寺に捨てられるようにして入れられてしまうか、上流階級のお嬢様の使用人となるべく育てられるのが関の山でした。それが、花山法皇と中務の間に生まれた娘の宿命だったのです。

――花山法皇の実の娘、つまり皇女に生まれていながら、父親の気まぐれで使用人の世界に落とされた不運な元・プリンセスがいたのですね。ちなみにその皇女のお名前は?

堀江 それが、まったくわからないのです。それは彼女が実に忌まわしい事件に巻き込まれたことと無縁ではないでしょうね。

――例の全裸凍死事件ですか……。

堀江 彼女のことを元・プリンセスと便宜上、呼ぶことにしましょう。彼女はときの皇太后・藤原彰子にお仕えする女房として働いていました。しかし、万寿元年(1024年)の12月の凍える夜、彼女が滞在していた屋敷に強盗が侵入。

 元・プリンセスを屋敷から連れ出し、路上で衣服を剥ぎとり、そのまま放置して去ったのだそうです。

 女房は女性使用人ですが、身分の高い主人に仕えている都合上、高価な衣服をまとっています。その衣服を剥ぎ取られ、路上に放置された元・プリンセスはおそらくショックで失神中に凍死、もしくは平安京に多くいた野犬の群に襲われて死亡。血まみれの無残な死体が翌朝発見され、大ニュースとなったのでした。

――えええっ! どれだけ怖かったでしょうか。

堀江 当時の貴族社会のご意見番のような藤原実資の日記『小右記』にも見られる記事なので、本当にあった悲惨な話と見るべきでしょう。

堀江 『小右記』によると、検非違使(=警察官)の一人だった平時通(たいらのときみち)なる男性が、元プリンセス殺害事件発生から約3カ月後、お坊さんの格好で、その悪しき素性を欺いて見せていた隆範(りゅうはん)という盗賊一味の男を逮捕しました。

 隆範はいくらリンチまがいの尋問を受けても、共犯者の名前をなかなか明かさなかったのですが、ある時、荒くれ者の上流貴族として有名だった藤原道雅の指図で、元・プリンセスを集団で襲い、殺害したと言い出したのです。藤原道雅は、当時の最高権力者である藤原道長にもつながる血筋の上流貴族でした。

 ところが、その直後、盗賊一味の親玉を名乗る男性が自首してきたらしく、藤原道雅の冤罪は晴れたのでした。しかしこの主犯の盗賊の親玉の名前や詳細、その後、どういう処罰を受けたかの記載はないのです。

――それまで自首しなかったのに? 絶対に怪しいですよね。ウソっぽい。 

堀江 いちおう、警察=検非違使の立場上、書類上だけでも殺人事件が解決したといいたかっただけではないでしょうか。一時は犯人とされた道雅ですが、無罪放免されています。しかし、その後はなぜか中流貴族がやるような仕事しか任せてもらえなくなりました。これは降格処分ですね。

堀江 おそらく……藤原道雅が真犯人なのだろうけど、そんな上流貴族を罰すると朝廷の権威は地に落ちてしまう。殺人事件の被害者で、父親から愛されぬ皇女にすぎない元・プリンセスより、素行が悪くても上流貴族である藤原道雅を守ったほうが、身分秩序は維持できると冷徹に判断された結果かも。

――本当に気分が悪いです。当時の宮中は完全な男社会、身分社会なんですね。

堀江 うわさによると、藤原道雅は、元・プリンセスに恋していたものの、自分に振り向いてもらえなかったので、殺させたのだ、と。うわさが事実なら、道雅は正真正銘のサイコパスで、そんな男から一方的に恋されてしまった元・プリンセスが哀れです。

――父親も父親だし、好いてきた男も超サイコパス……本当に悲しいですね。

堀江 現在の皇女がたの“守られた”人生には、考えられないような話ですよね。

 さて、次回からは、皇女としての人生を捨てるかのように結婚した小室眞子さんの実家・秋篠宮家の教育事情などをここ20年ほどの雑誌記事をベースに分析していきたいと思います。お楽しみに!

昭和天皇の娘がタバコ屋に!? 夫は年収200万円? 一般人と結婚した皇女6人、知られざる「その後」と日常生活

 10月26日、秋篠宮夫妻の長女・眞子さんが、大学時代から交際していた小室圭さんと結婚を果たした。式を行わず、一時金も受け取らないという異例ずくめの展開となったが、東京・渋谷のマンションで生活後はアメリカ・ニューヨークで結婚生活をスタートさせる見込みだ。

 海外の地でサラリーマンの妻として生きることになった眞子さんは、今後どんな生活を送るのだろうか? そこで今回は眞子さんと同じく、一般人と結婚した皇女の歴史を振り返っていこう。歴史エッセイストの堀江宏樹さんによる連載「日本の“アウト”皇室史!!」から、皇女6人の事例を再掲する。

昭和天皇の長女:港区の300坪のお屋敷でセレブ生活! でも「お金がない」!?

――今回からしばらくは、昭和天皇の娘、皇女についてお聞きしたいです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇には5人の皇女がおられました。夭逝なさった久宮祐子内親王以外の4人の内親王が成人し、そして結婚もなさったということですね。というわけで、トップバッターは“長女”の照宮成子(てるのみや・しげこ)内親王です。

 まだ戦前の1943年、成子内親王は、東久邇宮盛厚(ひがしくにのみや・もりひろ)王と結婚なさいました。お相手は「天皇の娘(内親王)は、皇族の男性に嫁ぐ」という古くからのルールに従い、宮内省(当時の宮内庁)内で慎重に人選がされたことがわかっています。ちなみに成子さまのご結婚について、世間一般ではとくにニュースにはならなかったようですよ。

――今だったら大ニュースになりますよね。報道が規制されていたということでしょうか?

堀江 それもあるでしょうが、結婚相手はあくまで皇族男性の中から選ばれるということで、「意外なあの方に決定!」というようなニュース性が乏しかったのでしょう。

 

昭和天皇の第3女:結婚のお相手候補でマスコミを騒がす

――今回からお話いただくのは、昭和天皇の三女にあたる孝宮和子(たかのみや・かずこ)内親王のご結婚生活ですね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) はい。和子内親王の人生は、本当にドラマティックなものでした。そしてこの方ほど、マスコミから注目される結婚生活を経験した皇女は、過去にはいなかったでしょう。ご成婚まで何回もお相手が浮上しては消え、を繰り返していますからね。そしてご結婚後も、本当にいろいろと事件がおありでした。

――ご結婚されるまでに、どんな方が内親王のお相手候補になってきたのですか?

堀江 これがかなり複雑な経緯をたどっているのですね。

 天皇の娘である内親王の嫁ぎ先は皇族であるべき、という昔ながらのルールに基づき、戦後の1946年、16歳になっていた和子内親王の結婚相手として、賀陽宮邦寿(かやのみや・くになが)王のお名前が挙がっています。これが1人目のお相手候補でした。

 しかし、和子内親王の母宮である香淳皇后が結婚に反対を表明なさいました。香淳皇后には、賀陽宮家の家風にお気に召さない点があったこと。そして、結婚するのに16歳はあまりにも早いのではないかという声もありました。

昭和天皇の第3皇女:エリート夫が愛人と“変死”! スキャンダルまみれの生活

――前回から、昭和天皇の第3皇女である和子内親王の結婚についてお話を伺っています。一介の主婦となるべく、家事の修行を積まれた和子さんは、ついに3回目の縁談で、鷹司平通(たかつかさ・としみち)さんとの結婚を決められましたが、新婚生活はどうだったのでしょうか?

堀江 最初は、とても良かったのです。さすがに元・侍従長の百武三郎さんのお家に1年間“ホームステイ”しただけのことはあったようですよ。宮内庁の経費で派遣されてきた女官と女嬬(にょじゅ)、つまり、家事指南役のメイドと、家政婦の2人が当初いたそうなのですが、それも約10カ月で御所に戻ってしまったほど、和子さんの家事スキルは高かったようです。

――和子さんの夫になられた平通さんのご経歴、お人柄は?

堀江 1959年(昭和34年)の「週刊読売」(読売新聞社)4月5日号には、「東大工学部卒の技術屋で教養、趣味とも一流人」とありますが、 実際は大阪理工科大学(現近畿大学)卒業だそうです。

 しかし、現代日本でいうワンルームとはニュアンスがかなり異なり、「23平方メートルくらい」の一部屋で書斎、食堂、応接室、居間を兼用。そこにはピアノ、テレビ、食卓、ソファーなどが置いてあったそうな。つまり、ダイニングキッチンですね。1階にはほかに応接間や、女中部屋がありました。2階にご夫婦の寝室などはあったのだと思われます。

https://www.cyzowoman.com/2021/09/post_352601_2.html

昭和天皇の第4皇女:結婚後は「タバコ屋の看板娘」に!? お相手は「牧場主」

――このところ、昭和時代の皇女にまつわる結婚事情についてうかがっています。前回は、昭和天皇の第3皇女、和子内親王のスキャンダルだらけだった結婚生活をお話しいただきました。

堀江 今回は、昭和天皇の第4皇女、順宮厚子(よりのみや・あつこ)内親王の結婚生活についてです。1951年(昭和26年)7月、厚子内親王(21)と、池田隆政さん(24)の婚約が発表されると世間は驚きました。池田さんは旧・岡山藩主の家系に嫡男として生まれた方で、世が世なれば「大名家の若様」です。

 しかし、池田さんはこの時すでに青年実業家として成功を収めていました。しかも彼が営んでいるのは牧場で、「皇女が岡山の牧場主に嫁ぐことになった!」ということでより大きなニュースとなったのです。

――牧場主がお相手ですか! 

堀江 厚子さんの父宮である昭和天皇は、池田さんを高く評価していたようですね。昭和天皇も学者として、動植物に興味が深い方でしたから。

昭和天皇の第5皇女:東京プリンスホテルに勤務! 夫は年収200万円

――戦後の日本の空気を華やかにした、注目の女性皇族・清宮貴子さま。昭和天皇の末娘(五女)にあたられます。貴子さまの結婚相手は、「民間人」であるだけでなく、現在でいえば年収200万円台のサラリーマン男性でした。お二人の新婚生活はどうなったのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 皇女という「雲の上」の存在が、清貧サラリーマンの家庭に嫁ぐことになった面白さもあり、新婚のお二人の周りはマスコミの記者だらけとなりました。新婚旅行先だった宮崎にも当然のように報道陣がついてきていたのです。

――まるでストーカーめいていますね。

堀江 しかも旅路の様子まで、生放送の番組で取り上げられようとしていました。戦後に復活しはじめた皇室の人気を支えた元・皇女としては、マスコミからの要請をそう簡単に蹴るわけにもいきませんからねぇ……。

 宮崎へは神戸から船旅でしたが、その様子が1時間に渡って生中継されたのです。しかも、途中に「便秘薬」のCMが流れたことも大きな話題になりました。

三笠宮崇仁親王の第2女:婚約発表で“元カレ”が登場、皇室から「手切れ金」が支払われた?

堀江 ここで思い出したのですけれど、こういう興味深い逸話も昭和時代にありました。昭和天皇の弟君にあたる、三笠宮崇仁親王殿下の第2女・容子(まさこ)内親王が、1973(昭和48)年3月からスイスとフランスにそれぞれ1年ずつ留学なさっていたとき、パリでフランス人青年と恋愛問題をおこされたといううわさですね。

――うわさ、ですか。

堀江 あくまで、うわさです。パリで容子内親王がお暮らしになっていたころ、日本人留学生たちから、フィリップ・ギャル氏という画家の卵の男性を紹介され、一時期、とても親密になったというのです。容子内親王と彼の馴れ初めには異説もありますが、それは後ほど。

 容子内親王は、タバコもお酒も豪快に嗜まれることで一時期有名だったのですが、それもすべてギャル氏から教わったそうですよ。

――ギャル氏とは、どんな方だったのでしょうか? 

旧皇族・久邇宮家の娘:新居は飯田橋の2部屋アパート、しかし4年で離婚!

――ときの皇太子殿下(現・上皇陛下)と美智子さまのご成婚パレードに、複雑な想いを抱いたという旧皇族・久邇通子さん。激動の昭和を生き抜いた元・プリンセスです。民間出身ながら皇太子妃になられた美智子さまと、旧皇族出身ゆえに民間人の男性との結婚もままならない自分……。立場の違いに泣きたくなりそうです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) しかし、このまま家で鬱々としていても仕方ないと考えるのが、前向きな通子さんという女性でした。通子さんは「働く女性」となることを決意し、津田義塾で英文タイプを専門的に習いはじめます。後には首席という優秀な成績で卒業、大協石油(現・コスモ石油)に入社したのです。

 いまだ親族から結婚は許されないものの、学習院大学で出会った永岡義久さんとのデートも続いていたそうです。しかし、二人がお付き合いをはじめて5年半もの月日が過ぎようとしていました。

 結婚に反対したまま通子さんの父・朝融さんが肝硬変で倒れ、近親者の取り計らいで通子さんと永岡さんの結婚が決まりました。意識不明の父の枕元で婚姻届の用紙を二人で書いたそうです。新居は飯田橋の2部屋のアパートでした。

――2万坪の渋谷の豪邸に生まれたプリンセスの新婚新居としては、侘しいですね……。

堀江 この頃すでに永岡さんはサラリーマンになっていました。通子さんも働きながら、主婦としても一生懸命にがんばるのですが、悲しいことに同居するほど「性格の不一致」は広まり、二人の結婚生活は4年で終わってしまうのです。

旧皇族・久邇宮家の娘:学習院大学で恋人と出会うも……

堀江宏樹氏(以下、堀江) 今回お話したいのは、激動の昭和を生き抜いた、旧姓・久邇通子さんという旧皇族の女性のお話です。

――久邇家といえば、前にも出てきた久邇宮家ですよね?

堀江 はい。運命が一族に共通しているのなら、久邇家(旧・久邇宮家)は結婚問題で代々モメるということになっているのかもしれないと言えるほど、騒動が尽きないんですね。

 久邇通子さんは昭和8年のお生まれ。過去の連載内では、さんざんな取り上げ方になってしまいましたが、婚約破棄問題を引き起こした朝融王の第3女です。東京・渋谷にあった2万坪の大豪邸(現在の広尾、聖心女子大がある場所)で生まれた通子さんは、生粋のプリンセスといえるでしょう。しかし、その家庭事情は複雑でした。

――もしかして、朝融王はご結婚後も女性に対して“ヤンチャ”だったということですか?

 

「本当に嘆かわしい」宮内庁のあり得ない失態……眞子さま&小室圭さんに「まるで手放し」の姿勢が問題だった

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――2017年に眞子さまのご婚約内定が報じられてから現在まで、宮内庁の一連の対応は、過去の結婚発表の事例に鑑みてどうでしたか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 眞子さまの件では問題だらけのように感じます。宮内庁のお役人がたが本当の意味で、なすべきお仕事をしてくださったのかが私には疑問です。

 具体的には、眞子さまからご意向をきっちりヒアリングして、「世間に理解してもらうためには……」という道筋をちゃんとご提案するのがお仕事かと思われます。ところが、現在のお役人がたの姿勢を見ていると、「眞子さまがそうお望みだったので、われわれはそれを叶えて差し上げただけ」的な、実に冷淡で事務的、または杓子定規な対応だけのような気がしてなりません。

――眞子さまの私生活についてのことだから、役人としては触れるべきではない、というような?

堀江 そうですね。キャリアのお役人が、世情がまったく理解できていないのかな? と思えることも増えました。昭和時代の入江(相政)侍従長は、当時の記事などを見ると出しゃばりすぎかなと思えるところはあるにせよ、世間が求める皇室のイメージに沿った、的確なメッセージを出せていたような気はしますよ。

 少なくとも入江氏ほどに世慣れた方が、秋篠宮家の側近にまったくいらっしゃらない印象があり、非常に残念です。結局、どういう印象を世間に与えるかについては、それを「どう伝えるか」によって決定しますよね。婚約発表時、20代中盤だった眞子さまのご意向だけでは、不十分なところがあれば、宮内庁のお役人が、眞子さまの身近な年長者としてアドバイスさしあげる必要があったのだと思います。

――入江侍従長のような優秀なスポークスパーソンがいれば、たしかに違ったような気もします。

堀江 眞子さまご自身にも、歴史や伝統に対する認識の問題を指摘せざるを得ない部分がありました。眞子さまはイギリスに留学して、2016年1月には「博物館学」の修士号まで取得なさった方にもかかわらず、伝統的な価値観にはなぜか、ご関心が低いようですね。先日の宮中三殿へドレス姿でのご参拝の件もそうでした。

 しかし、そのような場合も宮内庁が眞子さま、あるいは小室さんのセーフティーネットとして、お二人の印象や評価を貶めないようにご注意するべきだったのです。

――しかし、それはなかったようですね。

堀江 例の金銭問題の釈明文書でも、眞子さまご自身に対する謝罪はおろか、皇室の方々に対してご迷惑をおかけしたことを謝罪する一言が小室さんからはないのは、いかがなものでしょう。良識の持ち主なら一番最初に書き込むであろうコメントです。

 眞子さまの複雑性PTSD症状の公表についても、放任主義が過ぎると思われます。もうここは1日も早く小室さんと日本を出ていっていただき、嵐が収まるのを待つ以外に、宮内庁のお役人が好むような穏当な解決策はないようですが……。

 これまでの眞子さま、小室さんに共通するのは、間違えても決して謝らず、反省もせず、悔い改めないという印象の態度です。そして、それに対しても宮内庁が何らアドバイスできていない印象。これは本当に嘆かわしい。

――宮内庁も積極的に関わりたくない姿勢が見て取れますね……。

堀江 一時期までは西村泰彦宮内庁長官も、眞子さまの結婚問題に全面賛成とはいえない態度でしたよね。それが小室さんの金銭問題説明文書について「よくできている」と発言しはじめたころから、まるで手放しのようになってしまっている。

 眞子さまには一緒に旅行なさるほどに仲のよいお友達がおられたはずです。宮内庁が皇族の私生活は放任という姿勢なら、ご友人がたから、ご結婚問題についてアドバイスはなかったのでしょうか……。

 批判を鎮めたい眞子さまにとって、最大の切り札だった一時金のご辞退も、その方法が大問題でした。「巨額すぎるので、もともと辞退のご意向」だったと宮内庁から公表されていましたが、それは今後、ほかの女性皇族の人生にも影響を与えるお言葉でしょう? 本当にそういう意識がおありだったなら、皇族会議で審議を行ってもらえるよう、意思表示を早くからなさるべきだったのでは、と。

――今後の眞子さまは、元・皇女として品位を保つために与えられる一時金もなく、どんな生活を送ると思われますか? 過去には薄給のサラリーマンと結婚した内親王もおられます。内職をしたり特売品を購入する生活を送っておられたとか。

堀江 結婚後が、眞子さまには最大の試練になると思っています。

 一説に何千万円もの年収を小室さんは受け取る“予定”だといわれていますね。ここ最近のアメリカはごく一部の富裕層をのぞき、サラリーの上昇よりも極端な物価高が進み、ニューヨークはその煽りをいちばん受けているような街です。コロナ禍も相まって、”中流”の生活を失い、”下流”に没落した人々が、路上生活に加わる様子も頻繁に見られるようになりました。

 当地の物価は、日本人には異次元ですよ。とくに食費など生活費の高騰は凄まじいですね。この前も、ラーメン1杯数千円という報道を見ました。

――それは恐ろしい。食費は切り詰めるにも限界がありますよね。

堀江 20年ほど前の話ですけれど、ニューヨークのアッパーウェストサイドのアパルトマンにほんの少し滞在したことがあるのですが、いわゆる“コスパ”の概念がゼロの社会なんだと痛感することがありました。本当に安いものはまずくて悪く、すべては値段次第なのです。

 しかも値段次第とはいえ、高級レストランでさえ「これ、ケチャップだよね?」みたいなソースのかかった肉が出てきて驚愕したことがありました(笑)。ロンドンより、ニューヨークの食文化の貧しさはやばいレベルだと思います。

堀江 話がずれてしまいましたが、数千万円の年収を受け取れたところで、終身雇用がまったく約束されておらず、小室さんのような若手弁護士は、数年で3分の1にまで首を切られて減少してしまうそうです。もしくは、小室さんがお勤めの事務所は大手なみの給料を保証している新興事務所であり、そういうところだからこそ、“プリンセス・マコのフィアンセ”という経歴を高値で買ってくれたウラ事情も推察されます。

 だから、すぐには首切りとかそういうことにはならない可能性もあるとはいえ、銀行に就職してもすぐに辞めてしまった小室さんには根性が試される職場になるでしょうね。通常なら1日10時間以上の労働が課されるのもザラという過酷な環境で、それでいて異常な物価高の中、贅沢な生活には程遠いでしょうから。

――「女性セブン」21年10月21日号(小学館)では、小室さんが“宮内庁の海外生活支援申し出に「放っておいて下さい」の態度か”などと報じました。すでに好ましくない支援者を獲得しているのでは……と。

堀江 ほかに眞子さまが秋篠宮さまの御手元金からなんらかの援助を受け取られるといううわさも否定はできないかもしれません。ただ、私は結婚後の眞子さまのご活躍には期待しているのです。

――それとは?

堀江 眞子さまは主婦として小室さんの扶養家族に収まるというように語られることが多いのですが、それだけではもったいないですよね。国際経験も、教養もある若い眞子さまなのですから。そして、せっかくニューヨークで暮らすのですから、ひとりのキャリアウーマンとして活動なさるのが一番だと思います。

 皇族に生まれたからといって、皇族としての職務をプレッシャーにも負けず、完璧にこなせる方ばかりではないのですよね。そのシビアな現実を眞子様は残念ながら、一身に体現してしまったという印象があります。

 しかし、今後はほかのフィールドで輝いていただきたい。複雑性PTSDなどと公言してしまったので、アメリカでの就労ビザが下りにくい可能性が出てきましたが、小室さんの妻として家に閉じこもっているより、一人の女性として従来とは異なるような分野で華やかに活動し、実績もたたき出して、さすがは眞子さま! と我々を納得させてくださるようなご活躍を期待しています。

 それが、ご自身の結婚問題で大ダメージを与えてしまった秋篠宮家、ひいては日本の皇室に対する”つぐない”にもなるのではないでしょうか。間違えても、英王室から資金面での援助を受けながら、元ロイヤルファミリーの肩書でうさんくさいことを繰り返しているヘンリー&メーガンのような道は歩まないでいただきたい……。

現役の皇族が大炎上するのは「歴史的なこと」? 眞子さま・秋篠宮家バッシングが象徴する「特権」と「私らしさ」の相克

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

▼前回▼

――前回に引き続き、皇室史上、最大の”アウト”になりかねない小室圭さんと眞子さまの結婚問題について、お話をお伺いしていきます。9月下旬、ニューヨークから日本に戻ってきた時の小室さんの姿には驚かされました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) ポニーテールにはびっくりしました。

 長髪がダメだというわけではないのです。「皇族がたとの面会の予定はない」と聞いていたにせよ、秋篠宮家の眞子さまとの結婚のために、ニューヨークから帰国する自分の“人生の大事に、いっそうの注目を浴びることがわかっているのに、あの伸びっぱなしの髪形……。TPOの感覚がなっていないし、眞子さまにも失礼な行為だと思いました。

――帰国後しばらくしてから、襟足までさっぱりと切りましたね。短髪姿はネット上で好評だったそうですが……。

堀江 人さまの外見センスに口を挟むのは控えます(笑)。伝統的な観点からのコメントさせていただければ、と。伸び放題の髪形で、就職活動を行ったとすれば、内定先に顔も出していたということですよね? 驚きです。いくらアメリカが「自由の国」とはいえ、弁護士として生きていくことは上流社会の一員となることを意味します。

 19世紀中盤のアメリカ大統領だったエイブラハム・リンカーンは、貧困層の象徴だった丸太小屋に生まれ育ち、政治家になる前には独学で弁護士となった人なんですね。

 弁護士になって、上流社会にはじめて足を踏み入れることになった彼は、服装や髪形のTPOがなっていない! との批判を受けました。フィアンセのメアリー・トッドという女性から一番注意されまくったのですが(笑)、そのたびに、リンカーンはストレスを感じながらも改善の努力を続けました。

 社会的なステイタスにふさわしい服装を公の場でするのは、欧米社会における常識中の常識です。あの長髪で「プリンセス・マコのフィアンセ」と経歴書に堂々と記していたらしいですが……情けない限りです。

――しかし報道陣も、帰国寸前になって、あのロングヘアの映像をしつこく放送してきましたよね。

堀江 一斉砲火は怖いですねぇ。しかも、一番大炎上するであろうタイミングで公開されましたからね。使われる写真も、ポニテが乱れてボサボサになっているやつだったり(笑)。

 あれも”大人の世界の怖さ”です。マスコミ各社にはニューヨークにも駐在員がいるのです。当地で暮らしていた彼をマスコミが追いかけ続けていたことは明らかです。当初、報道陣を完全無視する小室さんの態度、かなり堂に入っていましたから。

――でも、これから眞子さんや小室さんはああいう”怖い人”たちの中に、これから放り込まれてしまうのですよね。

堀江 いくらボディガードなど付けたところで、マスコミ相手にはほとんど丸腰状態だと思います。

 一部のマスコミは、何を言われてもヘコたれない小室さん母子について語る時、「自己肯定感が強すぎる」などの言葉を使いたがりました。本来、「自己肯定感が高い」というのは良い意味しかありません。しかし小室さんのようなケースは、むしろ「自己評価だけが異様に高いから無敵」なんです。それがあの伸び放題のポニーテールなどにも表れているような気がしてならないんですよね。

――その一方、眞子さまは、複雑性PTSDになってしまわれたと公表されました。

堀江 体調不良はウソではないと思いますが、あの診断の公表は実にまずい対応でした。宮内庁に批判が殺到したのでしょう、すぐに診断名公表は「眞子さまのご意思のままに」行われたとの釈明が宮内庁からありました。すべて完全な悪手(あくしゅ)……取ってはいけない選択です。

 さらに最悪なことに、実際の複雑性PTSDはあんな症状ではありえないとする精神科医・和田秀樹さんの見解がすぐに発表されるなど、簡単にメッキは剥がれてしまいました。それも含めて、結婚に関して眞子さまが行った対応は、ほとんどすべての点で猛批判に油を注ぐような結果となっています。

――Yahoo!コメントなどを見ていたら憎悪のすさまじさに、関係のない私でさえ恐ろしくなってきました……。最悪のタイミングで、大炎上のための燃料が、眞子さまからは投下されつづけているように思えます。

堀江 はい。小室さんが霞んで見えるくらいに眞子さまは現在、大炎上中であられます。現役の皇族が、これほどまでに国民の大部分から批判されたことはかつてないです。歴史的な瞬間ですよ。

 複雑性PTSDという発表には、“正当な批判であったとしても、正論でなぐりつけるような言葉を受け続けたから、心にキズを負ってしまった。もう少し大事にして”といわんがばかりと感じる方も多かったのでしょう。

 眞子さま、そして秋篠宮家の問題を象徴する言葉として「秋篠宮家の方々はそれ(=厳重な警備や、手厚い保障など)を当たり前の特権として享受しながら、さらなる自由を主張されている」(新潮社「週刊新潮」2021年9月23日号)以上に的確なものがない気もします。

――学習院OGでジャーナリスト・藤澤志穂子さんのコメントですね。以前はたしか秋篠宮家は世間から礼賛されていましたよね。そのムードは一変してしまっています。

堀江 はい。ざっくり資料を見渡した限りでは、15年前後が、手放しの礼賛からバッシングの対象に傾いていった転換点だと思われます。

 「文藝春秋」14年5月号(文藝春秋)、“秋篠宮さまと親交の深い”江森敬治さん(毎日新聞編集委員)による寄稿をまとめると、秋篠宮家は少ない人数の宮内庁職員の手でコンパクトに運用されているが、それは彼らへの感謝を忘れない宮家と職員の連携がうまく取れているからできること。

 これに限らず、秋篠宮家は質素倹約を重んじておられること。また、情愛に満ち、教育熱心な紀子さま、(眞子さま・佳子さまと同じように)悠仁さまにも自主性を重んじる教育を望む秋篠宮さまのお姿が描かれています。

 こういう論調が一昔前までは中心だったとは思うのですが、秋篠宮家の自主性を重んじる教育が、不干渉主義すぎたのではないか……と懸念する記事が目立ちはじめるのが15年以降ですね。

――15年に、なにかきっかけがあったんでしょうか?

堀江 15年には、国際基督教大学の学生だった佳子さまが、タンクトップ姿の私服で通学する様子に批判が集まりました。

堀江 その流れの中で17年、眞子さまが小室圭さんとの結婚が内定したとの報道が流れた直後から、小室家の金銭問題や数々の問題が噴出しはじめた。また、19年には同じく佳子さまが「へそ出しダンス写真」を公開されて批判を浴びる中で、秋篠宮家では将来の天皇とも目される悠仁親王に、適切な教育が本当に行われているのだろうか? という懸念が国民の中で高まり、いまや爆発してしまっている状況ではないでしょうか。

 しかし、礼賛から批判へのターニングポイントは、眞子さまと小室圭さんの婚約発表だったと思われます。

――海外での報道も気がかりなものばかりです。「天皇陛下の反抗的な姪」などといわれてしまっているらしいですね

堀江 王族・皇族は世界中の例をとっても”正しさの象徴”であるべきなのです。

 絶対王政の時代……たとえば17世紀のフランス国王ルイ14世の時代では、国王は神の化身である、と。一方、庶民の立場の説明として、“初期のキリスト教徒はネロのために祈ることにおいて、その義務を果たしたのである”という当時の言葉があります。

 わかりやすくいえば、国王が暴君でも、それは国民に与えられた神からの試練としてありがたく受け取り、国王が持ち直すよう、祈りなさい……とまで説かれていたのですけれど、革命を経験した後の世界では王族・皇族の問題行動に寛容でいてくれる国民はいません。

 また、皇族は日本の顔でもあります。正しさを体現すべき皇族がモラルなき行為を連発中の問題家庭に嫁ぐことに執着し、反対を押し切る際に複雑性PTSDまで発症したという “ストーリー”が全世界に発信され、最悪でした。「皇室外交」なる言葉もありますが、眞子さまの例は日本や日本人、日本文化などのブランド性を全世界に向けて貶めたと思われます。

――しかし、ひとりの人間として心に傷を……という眞子さまの言葉には胸が痛くなるところがありました。皇族だけど、やはり人間ではあるわけで。

堀江 そうなんですよね。それでも「公」を生きるべき皇族でありながら、「私」を求めすぎているのでは、という批判は正論であり、それゆえに看過できません。

 人気のある男性皇族、王族はスーパースターの扱いになることが多く、多少、おイタがすぎても許される部分はあるのです。「王様らしい」などといって。その時の、その方の好感度に左右されますが。

 ところが、女性の皇族・王族が、同じようなことをしたり、たとえば「私らしさ」を重視するようになると、世間の批判はすさまじいものになりがちです。たとえば19世紀末のオーストリアのエリザベート皇后や、18世紀のフランスのマリー・アントワネット王妃もそうですよね。

 皇族・王族であったところで、一人の女性として幸せに生きたいという願いは当然至極ですが、「特権を享受しながら、さらなる自由を主張」と見られてしまった時点で大失敗なのです。間違えた道を突き進むのではなく、手遅れになる前に改善の努力をするべきでした。

――女性皇族は「公」に尽くすしかない、と。それはあまりにも残酷に思えますが。

堀江 ジェンダーの問題もあるかと思います。(元)麻薬中毒患者のシングルマザーから、ノルウェー王室の将来の王妃、つまり王太子妃になったメッテ=マリット妃のお話もこの前にしましたが、彼らの性別が入れ替わっていたのなら……。

 たとえば、ヨーロッパの王室では女性が国王として即位する「女王」が認められるケースが多めです。しかし、ノルウェー王室の将来の女王が、麻薬の売人で、シングルファーザーの男性との結婚を望み、またその男性が会見で泣いて過去を反省したところで、国民の支持は、メッテ=マリット妃がそうだったように急激に上がってくれるのものか? という懸念はあるような気がします。

 たとえば、小室さんが、今度の会見で泣きわめいて過去を悔いたところで、評価が上がると思いますか?

――うーむ、たしかに難しいですね。よしながふみの『大奥』(白泉社)という漫画も、史実をベースとしながらもキャラクターの男女を逆転させていたのですが、側室(男性)をとっかえひっかえする行為を将軍(女性)がしていると、なんとなく心の闇を感じてしまったりしました。

堀江 そうですね。綱吉などのエピソードはとくに……。それはともかく、眞子さまと小室さんのケースは、メッテ=マリット妃に比べると解決は本来、容易だったのです。

 小室さんは問題行動が多すぎるお母様のいる家庭の出身者かもしれないけれど、母親を諭し、懸命に正しい方向へ導こうとしている “苦労人の好青年”との印象を国民に早期に与えることができていたら、こんな悲惨なことにはならなかったでしょう。

 そして、過去のある男性とあえて結ばれ、支えていく覚悟の眞子さまはご立派という印象も与えられていたら、ご自身や、日本の皇室の株も上がっていたかもしれない。眞子さまは現在でもそういうふうに、ご自分や小室さんのことを世間に評価してもらいたいのでしょうが……。

 もう少し、宮内庁の方が世論を読んだ対応をしてくださっていたら……と嘆かわしいですね。

――次回は宮内庁の一連の対応について考えます。10月25日公開

皇室の“歴史的”な危機を呼んだ、眞子さま数々の言動…… かつてない国民の批判と憎悪の中で人気回復のチャンスは?

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――これまで「アウト皇室史」として連載を続けてきましたが、それら過去の話を超えるほどのアウトな記録が自分の目の前で、リアルタイムで更新されていくとは思いませんでした。

堀江宏樹氏(以下堀江) 眞子さまが、ご自身を国民からの”誹謗中傷”によって、複雑性PTSDになったと公表した時に、きつい表現ですが「これは終わった」と感じてしまいました。

 小室家のさまざまな“疑惑”報道を、 “誹謗中傷”と言い切れるだけの弁明は、国民には一切行われていませんから。たしかに、小室佳代さんが渡米前の圭さんに避妊具を手渡した、とか誰がそれを見たの(笑)、的な報道も中にはありましたけど。宮内庁も眞子さまのお望みであろうが、どうして「公表は最悪の結果しか招かない」とお諌めしなかったのか……。残念です。

 しかし、その病名公表の文書を読んでいると、見えてくるものが私にはありました。かつての雅子さまがそうであったように、眞子さまは、日々を重圧の中で暮らす皇族としての活動に限界を感じておられたのでは? 女性皇族が穏便に、皇族としての責務から逃れるには結婚という道しかありません。だからあれだけ結婚にこだわったし、皇室の伝統などほとんど知らなければ、配慮もない小室さんだからこそ良かったと言えるのかもしれません。しかし、確実にそれは醜聞の渦に引き込まれる誤った選択でした。

――眞子さまと小室さんへの風当たりが強くなったきっかけは、小室さんの母・佳代さんの金銭問題でした。

堀江 小室圭さんの自死を遂げた父親、祖父母などの件は百歩譲って置いておいても、小室家が過去に婚約者だった男性から援助してもらった400万円を、彼から「やはり返して」と言われたにもかかわらず、返金しなかった。先方が主張する「佳代さん本人と話し合いがしたい」という要求も理由をつけて応えなかった。しかも、問題行動だらけの母親を小室さんは全面擁護するだけ。国民としては、まったく納得できない。だから問題は日々、炎上どころか大噴火しているのです。

――本当に金銭問題を解決しようとしている人の態度ではない、と?

堀江 はい。2021年4月に小室さんが突如公表した“金銭問題の説明文書”を初めてちゃんと読みましたが、専門職に就こうとしている29歳の男性に求めたいレベルとはいえませんね。平均的な能力の大学生が頑張って書いた、あまり出来がよくないレポートという印象しか私にはありませんでした。

本当に弁護士として仕事できるのでしょうか。ニューヨークの弁護士事務所では先輩のアシスタントとして、さまざまなレポートを作成しなければならないのに……。

――辛辣ですねぇ……。たしかに「0点」と評する識者も当時はたくさんいましたが。

堀江 小室さんの主張を私なりに要約すると、「先方(=元婚約者男性)が『男に二言はない!』と言って援助したお金なのに、返金を求めてきたので私たちは困っている」「交渉したいけれど、私たちの求める交渉の条件を先方が呑まないので、交渉は進まず困っている」の2点だと思います。

――先方の元婚約者の男性は、その場の空気に呑まれやすい方なんでしょうね。その場では言ったことが、後になって「やっぱり……」となりやすいのかもしれません。

堀江 しかし、その発言がコロコロ変わる人が唯一、ほぼ一貫して言い続けていることが「佳代さんと直接交渉をしたい」なのです。それなのに、さまざまな理由をつけながら、絶対に交渉のテーブルには座らない佳代さん。そして小室さんも母親の態度を諌めるどころか、完全に肯定してしまっている。

 そんな小室さん一家の態度は、少なくとも一般的なモラルからは逸脱してしまっていると思います。

――その一方、眞子さまは全面的に小室家を支持していると公表しておられますよね。

堀江 あれ以降、眞子さまにも批判の矛先が公然と向かうことになりました。眞子さまは今上陛下の姪です。“正しさ”を体現すべき皇族の中心的存在にもかかわらず、眞子さまは小室さんと結婚したいという自分の欲求を叶えるためなら、不都合な真実に目をつむってしまっている……そう国民には見えてしまうのですよね。

 ほかにも小室家のモラルを逸脱した行為の報告など、実に“いかがわしい”情報が今も毎週のように報道されつづけています。

 小室佳代さんの数々の不正受給疑惑……さらに最近は”健康上の理由”で勤務先のケーキ屋を長期欠勤し、そこからのお手当をもらいながら、別の仕事をしていた疑惑とか。いくら批判されたところで、生活態度がまったく変わらないのはある意味、すごいですね。

――今年の9月30日には、小室佳代さんの代理人の弁護士・上芝氏が元婚約者との金銭トラブルについて、「母親はなんとか対応しようと決意して試みました。しかし、心身の著しい不調があり、残念ながら対応」できていないまま、と「女性自身」(光文社)の取材に回答しています。

堀江 その「母親」って呼び方、違和感ありますよね。それはともかく、眞子さまは、こういうことを平然と行う人たちを諌めるどころか、全面的に肯定しておられ、嘆かわしい限りです。「事情があっても、たくましく生き抜こうとしている方たち」と脳内変換なさったのでしょうか。

 一方で、小室家から結局なんの説明も、また弁明もなかったことへの国民の不満、眞子さまご本人がそれを黙認どころか、小室さんたちの背中を押していたので国民の不満は強まるばかり……。

――これほどまでに皇族に対する国民全体の批判が強まったのは見たことがありません。

堀江 まさに歴史的なことだと思います。かなりの危機ですよ。革命前夜といってもよいくらい、荒んだ空気が流れています。

 眞子さまが、いくら「私的なご参拝」とはいえ、通称”十二単”ではない、洋装で宮中三殿参拝を行った件は、世間ではそこまで注目を浴びていないようですが、とても残念でした。眞子さまのドレスは、御陵などへの参拝で着ておられるデザインのものであろうとは思われますが、宮中三殿への参拝にはさらに格式の高い衣服が“ドレスコード”として必要で、それが“十二単”なのです。公式参拝ではないのだから、ドレスでいいでしょう? という人間側の理屈は神様の前では通りません。

――「宮中三殿」については、この連載の中でも何度か登場しましたね。

堀江 天皇家の祖神とされる天照大神や、歴代天皇の御霊が祀られている神聖な場所です。かつて詳しくお話しましたが、祭祀をめぐって昭和天皇、皇后両陛下の間に対立があったり、その中で“魔女”と呼ばれ、罷免される女官の存在もありました。

 それくらいの重要な場所を、いくら非公式とはいえ、皇族として参拝するのであれば、形で示してほしかったです。形にこそ、その人の心が表れるとする世界ですから。

 昭和天皇、皇后両陛下だけでなく、上皇さま、上皇后さまも熱心に祭祀に取り組んでこられました。その背中を孫として、眞子さまは約30年間もご覧になっていたのに、と残念に思えてなりません。民間では、いくら歴史や伝統を持つ家でも、以前のような規模での祭祀を行えているお家は少ないと思います。せめて皇族がたには……という思いが私の中にはありますね。

――国民の批判は、皇嗣殿下となられた秋篠宮さまにも向かっています。今後の皇室内のバランスにも影響が出そうですが。

堀江 すさまじい憎悪が秋篠宮家に集中していますよね。結局、眞子さまと小室さんの再会場面に秋篠宮両殿下が、短時間にせよ同席なさったことが、婿として認めた行為と報道され、これまた批判を浴びました。

 ご対応が甘かったなどと批判されている秋篠宮さまにも、ああいうふうにしか振る舞えなかった苦しさは感じられます。あえて言わせていただくと、宮さまのご対応にも致命的なところがあった、と。

 ご発言を私なりに要約するならば「結婚を許す。しかし、疑惑を説明して」ではなく「疑惑解明ができないかぎり、結婚は認められません」と仰るべきでした。実は、同じ意味なのですが、まったく印象が違いますから。

 ただ、小室さんや佳代さんの問題だらけに見える生き方について、より高く、強い立場の秋篠宮さまが「結婚など認めない」と公言するのは、皆に公平であるべき皇族の理想とは異なってしまうのです。秋篠宮さまの「公」を重んじたご対応が、逆に仇となってしまったと思われ、残念です。

――眞子さまを送り出される皇室の方々のご姿勢は?

堀江 私はむしろ感銘を受けています。当初はなんの儀式もご挨拶もなく、眞子さまは旅立たれる予定だったと聞いていますが、10月2日には、眞子さまが天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下にお別れのご挨拶をなさる予定との発表があり、その中に「皆様が眞子様のお幸せを願っていらっしゃる」という部分が含まれていました。

 たとえ皇室に未曾有の危機をもたらした身内であっても、その方を批判したり、批判をほのめかすようなことはなさらず、ただその方の幸福を祈るだけ。これは余人にはなかなかできることでありません。

――しかし、それもすべて小室さんは不在なのですよね……。

堀江 まぁ……それは当然といわざるをえません。ただ、問題のある家庭の出身者が、ずっと日陰にいなければならない法はありません。お母様の金銭問題については、小室圭さんご本人のせいではないわけですから。

 しかし、現在の佳代さんの態度を問題と思っていないような小室さんの振る舞いは、佳代さんだけでなく、小室圭さん自身の人間としての品格にも問題があると感じさせてしまっています。

――小室さんのような方は、やはり眞子さまにはふさわしくないという印象は消えないでしょうか?

堀江 勤務先のウェブサイトに経歴を粉飾して掲載したともいわれているようですが、それが本当であれば、見栄っ張りなところは、正直ふさわしくありません。それ以外の件では、ふさわしくないとは一概に言えない部分もあります。

 皇室(王室)と一般国民の結婚は、象徴的な事例となりうるのです。たとえば、戦後しばらくして、上皇さまが、皇族・華族の出身ではなかった正田美智子さん(現・上皇后さま)とご結婚なさったことは、ある意味ではスキャンダルでしたが、戦後の新しい皇室像をアピールするには最高だったと思います。

 近年の話ですが、恵まれない境遇にいた方とノルウェー王室の王太子が結婚、王室メンバーも彼女を迎え入れました。王室の度量の深さが世に示され、その人気が爆上げされたこともあったのですよ。

堀江 2000年頃の話で、ノルウェー王国の将来の国王とされる王太子のホーコン殿下が、麻薬中毒で服役中の男との間に生まれた子持ちのシングルマザー、本人も麻薬中毒の過去があり、うわさによると“ヤクの売人”ですらあったメッテ=マリットさんという女性と結ばれた “事件”です。

――メッテ=マリットさん、なかなか大変なご経歴ですね……。

堀江 メッテ=マリットさんは、記者会見で涙ながらに過去の嘆かわしい生活について認め、しかし悔いあらためて今後は生きると発言なさって、その勇気ある態度にノルウェー国民は感動し、彼女の支持も高まりました。小室さんと眞子さまも、もし名誉挽回できるとするなら、次の記者会見が最後のチャンスとなるでしょう。

――挽回の可能性は?

堀江 残念ながら、低いです。眞子さまは国民からの声を「誹謗中傷」とお考えのようで、“対話”をなさるご意思はおありにないようです。小室さんも、「借金を踏み倒すような人間として見られたくない」「切実に名誉の問題」などと語る一方、解決につながる具体的な努力はほとんどできませんでした。

 10月21日、26日に予定されている眞子さまとの結婚報告の会見で、小室さんが記者の質問に答える時間を設けるらしいというニュースを読みました。しかし実現したところで、プライドが人一倍高い彼が、公の場で自分の不名誉になるようなことを一言でも話すとは思えません。

――今後、皇室が人気を回復するにはどんな策が考えられますか?

堀江 天皇陛下になるべく近い位置にいる皇族の方が、なにか目覚ましい功績をあげられるとか。終戦後の人気低迷を、上皇様と上皇后様、そして”おスタちゃん”こと島津貴子さんの2連続ロイヤルウェディングのような結婚イベントが成功すれば……。約70年前の第二次世界大戦の敗北と、それによる皇室人気の低迷さえV字回復しましたからね。

――しかし、結婚は諸刃の剣。眞子さまのような爆下がりのケースもあるので、大分リスキーです。

堀江 そもそも皇族がご公務以外の活動に注力することは難しいですし、政治活動も禁止されているので。佳子さまが突如アイドルグループに加入、人気と実力でセンターを勝ち取るとかそれくらいのとんでもないことをしない限り、元には決して戻らないでしょうねぇ……まぁ、これは半分冗談ですが、異次元な方向から攻めないと難しいというたとえです。

――次回は、眞子さま・秋篠宮家バッシングの根底を考えます。10月24日公開