小室圭さん、弁護士として年収大幅アップか? 眞子さん「貯金1億円」ピンチ報道も……知られざる元プリンセス妻のギリギリ生活

 小室圭さんが米ニューヨーク州の司法試験に3度目の挑戦でついに合格したと報じられた。弁護士事務所で法務助手として働いているが、今後は弁護士として高収入を稼ぎ、年収も大幅アップするものとみられている。

 現在、アメリカは歴史的な物価高を記録中。特にニューヨークはもともと物価が高いことが知られており、そこで生活する眞子さんの懐事情についてもさまざまに報じられている。一部報道によれば、眞子さんには1億円もの貯金があるといい、しかし、ニューヨークの物価高を受けてそれを使い切ってしまうピンチの可能性もあるという。

 実は、過去に1億円を持ちながら、夫との間に経済問題を抱えて生活苦にあえいだ皇女がいる。安い商店で特売品を購入し、内職をしていた時代もあるという。それが昭和天皇の長女、照宮成子(てるのみや・しげこ)内親王だ。知られざるその結婚生活について、あらためて再掲する。


皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――前回は昭和天皇の弟君、三笠宮崇仁親王の第2女・容子(まさこ)さまの結婚騒動についてうかがいました。今回からしばらくは、昭和天皇の娘、皇女についてお聞きしたいです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇には5人の皇女がおられました。夭逝なさった久宮祐子内親王以外の4人の内親王が成人し、そして結婚もなさったということですね。というわけで、トップバッターは“長女”の照宮成子(てるのみや・しげこ)内親王です。

 まだ戦前の1943年、成子内親王は、東久邇宮盛厚(ひがしくにのみや・もりひろ)王と結婚なさいました。お相手は「天皇の娘(内親王)は、皇族の男性に嫁ぐ」という古くからのルールに従い、宮内省(当時の宮内庁)内で慎重に人選がされたことがわかっています。ちなみに成子さまのご結婚について、世間一般ではとくにニュースにはならなかったようですよ。

――今だったら大ニュースになりますよね。報道が規制されていたということでしょうか?

堀江 それもあるでしょうが、結婚相手はあくまで皇族男性の中から選ばれるということで、「意外なあの方に決定!」というようなニュース性が乏しかったのでしょう。

 しかし、戦後すぐ、東久邇宮家は「臣籍降下」の対象となり、自活の道を探らねばならなくなります。

 東久邇盛厚さんは、戦前は軍人で、陸軍士官学校を卒業なさっているのですが、戦後、旧皇族は「公職追放」の対象でしたし、日本軍は敗戦と共に解体されましたから軍人を続けることは不可能なのです。それで東大を受験なさるわけですが、不合格。

――皇族でいられないどころか軍人にもなれず、大学生にもなれない……。そんな苦境が?

堀江 戦前なら無条件合格だったともいわれましたが、皇族の男性は特に理由がない限りは軍人になることが定められていましたからね……。ちなみに1922年(大正11年)以前は、学習院高等科を卒業した男子生徒は、帝国大学に無試験入学が可能でした。「各地の帝国大学に欠員があれば」という条件付きでしたが。

――学習院OBにはそんな恩恵もあったんですね。いいなぁ~。

堀江 不合格後も東久邇さんの学業への意思は変わらずで、3年間を東大経済学部の聴講生として過ごし、後には日本銀行に就職します。しかし、石炭化学に関心を募らせ、銀行は退職していますね。

 59年(昭和34年)年4月5日号の「週刊読売」(読売新聞社)には「”プリンセス妻” 天皇家の四人娘とその夫たち」という記事が掲載されました。この中で、東久邇さんは「北海道炭礦汽船」という会社に転職、社長室に社長秘書として勤務していることが書かれています。「(社長の)欧米視察旅行にも(近日中に)同行することになっている」とのこと。

――10何年前まで、皇族だった人を部下として雇い、秘書になってもらうなんて、なんだか落ち着かないかも。

堀江 逆に雇う側のほうが緊張しそうですよね(笑)。このように、旧皇族の中でもっとも社会的に成功した一人とされる東久邇さんですが、この記事が書かれた時にはすでに港区麻布永坂町という「都内でも最高級の住宅地」にお屋敷を構えておられました。

 ご近所には大女優の高峰秀子氏や、東洋レーヨン(現・東レ)会長、ブリヂストン社長などの邸宅が立ち並んでいたとのこと。

 戦後、落ちぶれてしまった旧皇族・華族たちが多かった中で、こうした地位を確立なさったのは、とても立派なことです。しかし、東久邇さんの妻として、成子さんは「経済問題」、つまりお金のことで何度もケンカをしたと言っていますね。

――港区の高級住宅地でのセレブライフなのに、お金の問題があった?

堀江 昭和天皇の娘として成子さんは御所で育ち、結婚するまでご自分でお金をやりくりした経験がまったくなかったそうです。成子さんいわく「私は勘定がわからないものですから、そんなに使ったとも思わないうちに、いつのまにか予算がなくなってしまい、主人(=東久邇さん)は私が浪費するといってしかるのです」とか。

――典型的なお金持ちのお嬢さんらしい発言です。

堀江 ただ、別の見方もありますね。東久邇さんが会社にお勤めを始める前、東大の聴講生だったころなどは当然ながら家計は厳しかったそうなのです。

 49年(昭和24年)夏には、雑誌『暮しの手帖』(暮しの手帖社)に、NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』のヒロインのモデルになった大橋鎭子から依頼され、「やりくりの記」というエッセイを寄稿。少しでも安い商店の特売に通い、内職もして、家計を回していたと成子さんは発言していますね。

――ええっ。本当にそこまでギリギリの生活をなさっていたのでしょうか……?

堀江 うーん、これにもいろんな見方があるのですが。

 たとえば現在の女性皇族の方が結婚なさる時に支給される「一時金」。現在ではだいたい1億円以上の金額が用意されることが多いようです。一時金は皇族の身分を離れる方に「生活の品位を保つ」目的で支給されるお金で、単純な生活資金というより、ガードマンを永続的に雇っていくお金だったり、そういう安全保障に使われるものだと説明されることもありますね。

――眞子さまと小室圭さんについても、その「一時金」が世間の関心を買っていますね。成子さんの時代は支給されなかったのですか?

堀江 一時金がらみでは、面白いお話があるのです。戦前の皇族は、庶民の家計の何百倍もの豊かな生活を送るのが普通でした。この連載での梨本宮伊都子妃の回でも触れたように、莫大な「皇族費」が支給され、経済的な特権がかなり与えられていましたから。

 ただ、戦後になると、それらの特権のすべてが消え去ってしまいます。さらに戦後には重い財産税が課され、困窮する皇族も多かったのです。そんな中でさらに「臣籍降下」が行われ、東久邇宮家も皇族の身分を奪われることになりました。

 しかし、ピンチはチャンスとはよくいったもので、この「臣籍降下」によって、旧皇族となった家には家族数に見合った「一時金」が与えられており、その額がなかなかすごいのですね。

――結婚以外にも、一時金が与えられるケースがあるのですね!

堀江 そうなんですよ。47年に成立した「皇室経済法」をもとに、東久邇家の7人には当時のお金で675万円が与えられました。企業物価指数(日本銀行本店ホームページ)の数字をもとにすると、戦後すぐの1万円は、現在の貨幣価値で190万円ほどに相当します。当時の675万円は12億8250万円となり、お一人あたりに単純計算で1億8321万円が支給されたということですね。

――現在の内親王方のご結婚で支給される一時金の2倍とはいえないまでも、現代より割高な気が……。

堀江 ちなみに現在の女性皇族の一時金も、同じ「皇室経済法」をもとに算出されています。話が脱線しますが、小室さんがニューヨークの弁護士事務所に職を見つけ、日本には帰らない予定との発表が最近、ありましたよね?

――”小室問題”が新たな燃料を得て、いっそう激しく燃え上がりはじめた感があります。

堀江 眞子さまだけでなく、秋篠宮さまも小室さんの出世の足がかりに利用された被害者という見方もある一方、ネットには「世間を騒がせた責任を取って、秋篠宮家の方々は全員、臣籍降下を!」などと息巻く方の姿さえ見られます。

 ただ、こういうケースでも一時金は出ますからね。万が一、現実となってしまったら、小室家の警護などにかかった経費どころではない巨額のお金が動くことになるでしょう(苦笑)。

 さて、東久邇盛厚さんと成子さんのご夫婦に話を戻すと、まだお二人の身分が皇族だった45年に、長男・信彦さんが誕生していました。コロナ関係の給付金でもそうだったように、家族が多ければ多いほど、「お得」だったことは当時でも言えたのではないでしょうか(笑)。

堀江 ……ということで、たしかにこの手の一時金は生活費にはできないお金なのだ、とよく説明されるのですが、有利なスタートを東久邇家は切れていたのではないかな、と想像されるのですよね。ただ、巨額の貯金を持ってはいるが、それは簡単には手を付けられない種類のお金ゆえに、安いお店で買い物するなどの「やりくり」を成子さんがする必要もあった、というような。

――戦前に味わっていた豊かさとは比べ物にはならないけれど、それなり以上の生活の保証はあった上で、お金の「苦労」も一応はあったよという程度のお話なんですね。

堀江 たしかに、港区の一等地にある300坪のお屋敷に自家用車を完備、お手伝いの女性も複数名いる生活は、ふつうのサラリーマンでは不可能でしょうね。

 だからこそ、というか成子さんも旧皇族の交流を目的とした「菊栄親睦会」などの例会には必ず出席、社交界にも顔が効き、たまにはテレビやラジオにも出演するという、典型的な上流婦人としての暮らしを戦後でも楽しむことができたのです。

 昭和天皇の内親王がたの中で、(旧)皇族男性と結婚したのは成子さんお一人でした。しかし、臣籍降下時の一時金などの支給金を受けることができたのも、早くに結婚なさっていた成子さんお一人であり、東久邇家にとっては不幸中の幸いと呼べる事件だったのではないかな……と。

 しかし、幸せな日々は長くは続かず、60年、体調不良で入院した成子さんが実は末期がんであることが判明し、その年の内にお亡くなりになったのでした。

2021年8月7日の記事に追記・更新

眞子さま、メトロポリタン美術館に就職か? かつてはタバコ屋で働いた皇女も……知られざるプリンセスの仕事と所得

 「週刊新潮」(新潮社)10月20日号が、現在ニューヨークで生活する眞子さまについて「就活中」だと報じた。博物館学芸員の資格を生かして、メトロポリタン美術館への就職を見据え始めたという。

 眞子さまは、2021年10月に小室圭さんと結婚。国際弁護士を目指す小室さんは、先日、司法試験に3度目の挑戦をし、その結果は10月25日(現地時間)に明らかになるという。同誌では、現在、法律事務所で法務事務の職に就く小室さんの一方、眞子さまが「本格的な『就活』にも取り組み始めた」と伝えている。

 ネット上では、眞子さまの就職について賛否両論が上がっているが、これまでにも少なくないプリンセスたちが社会で働いてきた。職場のジャンルはさまざまだが、なかでも東京を遠く離れた岡山で、「タバコ屋の看板娘」として働いた異色のプリンセスについて、今回あらためて紹介したい。

 青年実業家と結婚したものの、タバコ屋で働くことになった昭和天皇の第4皇女、順宮厚子(よりのみや・あつこ)内親王の知られざる結婚生活とはーー?


(初出:2021年9月18日)

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――このところ、昭和時代の皇女にまつわる結婚事情についてうかがっています。前回は、昭和天皇の第3皇女、和子内親王のスキャンダルだらけだった結婚生活をお話しいただきました。

堀江 今回は、昭和天皇の第4皇女、順宮厚子(よりのみや・あつこ)内親王の結婚生活についてです。1951年(昭和26年)7月、厚子内親王(21)と、池田隆政さん(24)の婚約が発表されると世間は驚きました。池田さんは旧・岡山藩主の家系に嫡男として生まれた方で、世が世なれば「大名家の若様」です。

 しかし、池田さんはこの時すでに青年実業家として成功を収めていました。しかも彼が営んでいるのは牧場で、「皇女が岡山の牧場主に嫁ぐことになった!」ということでより大きなニュースとなったのです。

――牧場主がお相手ですか! 

堀江 厚子さんの父宮である昭和天皇は、池田さんを高く評価していたようですね。昭和天皇も学者として、動植物に興味が深い方でしたから。

 明治維新後の池田家は、居城だった岡山城のお堀の一部を埋め立て、造成した広大な土地を有していました。しかし、その中から1万坪を売って、戦後に課された莫大な財産税を支払わねばなりませんでした。所有権が残った、岡山市内の西北部・京山の斜面にある5,000坪の土地を使って、池田さんは自分の牧場を開くことにしたそうです。

――ムツゴロウさんの動物王国のようですね。

堀江 本当に。珍しい動物の飼育にまで手を伸ばしていたわけではないようですが、51年8月1日号の「アサヒグラフ」(朝日新聞社)によると、牧場にいるのは乳牛4頭、豚25頭、ヤギ12頭、鶏700羽あまり。鶏の卵から生まれた瞬間にヒナの性別を判別するためには経験で得たカンが必要なのですが、池田さんは24歳にして、それを体得していたそうです(笑)。さすが「人間より動物のほうが好きだ」と公言するだけの方ですね。

――趣味と実益を兼ね備えた人生を歩んでおられたのですね。素敵です!

堀江 「アサヒグラフ」のカメラマンが、池田さんをまるで“牧場のプリンス”のように撮影していますね。池田牧場で働く所員は10人、獣医が2人。経営、販売などすべてに池田さんは関わっていたそうです。ご自宅では犬だけでもセッター、シェパード、スピッツ、ポメラニアンなど10数頭を飼い、鳥もお好きで50羽以上飼育。しかも「増産した分は岡山のT百貨店小鳥売り場で」売りさばいて儲けを得ていたとか……。

――堅実でいらっしゃいますね~(笑)。頼もしいけど、自分だけの世界をもっておられる男性なので、そこに厚子さんが妻として入るのにはご苦労があったのでは?

堀江 池田さんは気遣いのできる、非常に愛情深い方だったようです。どんな証言よりもお金の使い方で、その人の価値観は見えてくると私は思うのです。池田さんたちは、牧場の敷地内に暮らしていたのですが、「裏の家の物干し」から、しかも見下ろすようにして厚子さんの生活風景が覗けてしまうことを避けるため、「ブードアール」を新築なさったそうです。

――ブードアール?

堀江 これはフランス語でいう“boudoir(ブドワール)”でしょう。ヴィヴィアン・ウェストウッドの香水の名前でも有名だけれど、貴婦人の寝室すぐそばのプライベート空間のことです。こういう言葉がサラッと出てくるあたり、池田さんは学習院出の貴公子だなぁと感じてしまいました。

 しかも、池田さんは昭和天皇が見込んだ男性なのですよ。実は宮内庁が選定した候補者は池田さんだけでなく、入江侍従長(当時)の51年1月の日記によると、徳川家の一族や、鍋島家の男性たちが候補になっていた中で、池田さんに決まったというのです。

――錚々たるメンバーの中で、ムツゴロウ的な池田さんが選ばれたのは意外です。

堀江 正式なお見合いは一度だけでしたが、それ以前に岡山に厚子さんが出向き、池田さんと会って、彼の牧場も見学するといったカジュアルな面会が一回ありました。厚子さんも乗り気でしたが、昭和天皇が池田さんこそ厚子さんにふさわしいと感じておられ、皇族会議も経ずに「即断」なさったそうです。昭和天皇も動植物に造詣の深い方でしたから、ご自分と同じ学究肌のニオイを池田さんにもお感じだったのかもしれませんね。

――順調に始まったように思える厚子さんと池田さんの結婚生活ですが、その後はどうなったのでしょうか?

堀江 「週刊読売」(読売新聞社)53年7月19日号によると、厚子さんの結婚に際して支給された一時金は600万円ほどだったそうです。ただ、これも和子内親王の場合と同じように、あくまでお手元に置いておくお金として扱われ、事業に使われるようなことは一度もなかったそうです。ちなみに池田さんは、岡山の菓子メーカー「カバヤ」に動物園のスポンサーなどになってもらっていますね。

――厚子さんも池田さんのお仕事を手伝ったりしていたのですよね?

堀江 はい。先程紹介した、「週刊読売」の記事には「タバコ屋の看板娘になった厚子姫」とも書かれていますね(笑)。53年の時点で、池田さんは牧場とは別に「池田産業動物園」もオープンさせています。この動物園のお土産屋で厚子さんの売るタバコが、大人気商品だったのです。

――かつては皇室が功労者をねぎらう目的で贈っていた“恩賜のタバコ”というものがあったそうですね。禁煙ブームで2006年に廃止されてしまったのですが。

堀江 当時、厚子さんが売っていたのは特に菊の御紋が入ったタバコというわけでもなかったのですが、それでも大人気だったのだから面白いものですよね。

 厚子さんは59年4月5日の「週刊読売」でインタビューに応じ、「別に東京が恋しくもありませんので、すっかり住みついてしまったといえましょう」と、「ぽつぽつと言葉少なげに」語っておられます。大変なことといえば、動物相手の仕事なので、池田さんだけでなく、厚子さんも予定が立てづらい生活が続いていたそうです。「タバコ屋の看板娘」以外にも、牧場や動物園の仕事に厚子さんが関わっていた空気が感じられますね。ちなみに厚子さんは歌手の島倉千代子の大ファンでした。

――池田さんとのご夫婦仲はよかったのですか?

堀江 はい。池田さんの厚子さんに接する姿勢は「皇女とて同じ人間」というものでした。ただそれゆえか、動物園内の土産物屋での仕事も、なかなか大変だった模様です。寒い時期の厚子さんの両手は「ヒビ、アカギレでいっぱい」だったとか。冬でも暖房がほぼない状態で、店内には火鉢がひとつあるだけ。しかし、厚子さんが店に立つと売り上げはグンとあがりました。

 59年頃になると、すでに動物園には閑散期である冬の休日1日で5,000人を超える入場者があったそうです。行楽シーズンでは、その倍以上の入場者数を誇りました。それには「厚子さんに会えるかもしれない!」というお客さんもたくさん含まれていたことでしょう。

――厚子さんと、ほかの皇室の方のご交流は続いていたのでしょうか。

堀江 機会あるごとに、東京の両陛下のおられる東京へ、厚子さんはお出かけになっておられたそうです。また皇族がたが岡山に公務でいらっしゃる時は、厚子さんがエスコートなさるということもしばしばあったそうです。63年(昭和38年)、厚子さんは敗血症で岡山大学病院に入院していたことがあるのですが、当初、公務が忙しくてお見舞いにいけなかった天皇皇后両陛下が、少女時代から厚子さんがお好きだったスープを、宮中の大膳部のシェフに作らせ、それを魔法瓶にいれて侍従の手に託した、という記事もありますね(「ヤングレディ」63年10月7日)。

 その後、厚子さんのもとに両陛下が「おしのび」で岡山までお見舞いにおいでになるのですが、この時ばかりは、娘として両陛下に厚子さんが甘えるところが目撃されています。「とくに恋しくない」と口ではおっしゃっていても、寂しさはあったと思いますね……。

――昭和天皇のお子様の中で、地方在住は厚子さんだけでしたよね?

堀江 そうなんです。この時、厚子さんは無事回復に向かわれます。しかし、今度は88年(昭和63年)、昭和天皇の容態が急変すると、厚子さんは動物園の事務所で記者会見した後、池田さんとともに上京するのですが、この時も心配で眠れなかった……とおっしゃっていました(「週刊読売」88年10月9日)。

 なお、厚子さんはちょうどこの年、88年から、伊勢神宮祭主の職を引き継がれています。2017年に黒田清子さんに“バトンタッチ”するまで、その仕事を長く続けておいででした。これは最近のことですから、覚えておられる読者も多いでしょう。

――はい。清子さんの前に長く務められていたお方だったんですね。

堀江 ちなみに実は女性祭主は厚子さんで3人めでした。他家に嫁いだ(元)女性皇族の職務の一つのように感じている方もいるでしょうが、比較的新しい伝統です。

 現在、厚子さんは90歳になられています。池田さんが2012年に亡くなった後も池田動物園の伝統は続いていますが、コロナ禍ということもあって入場者が減少してしまい、経営が苦しいと報じるニュースを目にしました。昭和の空気が残っている貴重な場所になっているようなので、お近くの方は訪問してみてはいかがでしょうか。

 

エリザベス女王の棺の中は……ヨーロッパ王族に流行した、国王の特殊な埋葬方式とは?

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回は、番外編として英王室に関するお話を聞きました。

――9月9日、英国女王エリザベス2世が96歳で亡くなりました。日本からは天皇皇后両陛下がイギリスでのご葬儀に参列なさいましたね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 天皇陛下はご即位の翌年にあたる2020年、エリザベス女王から国賓としてイギリスに招待されていたものの、コロナ禍の影響で渡英を断念なさったとか。陛下にとって、女王はイギリス留学時代から交流のあった大切なお方だと存じます。そのエリザベス女王のご葬儀が、ご即位の後、最初の外国訪問になってしまうのは本当に悲しいことですね。

――天皇陛下、そして雅子さまの喪服がヨーロッパでは評判になったそうですが。

堀江 日本の皇室は、いわゆる明治期の「文明開化」以降、当時のヨーロッパの王侯貴族の冠婚葬祭のドレスコードを輸入しています。雅子さまがネックレスとイヤリングに着用なさっていた“黒い宝石”こと「ジェット」がヨーロッパのメディアでは注目されたのですが、もともとこれは19世紀のイギリスで、愛する夫の死を悼み、自身が亡くなるまでの約40年間も喪服を着続けたヴィクトリア女王が愛用することで人気が出た宝石なんですね。日本では「黒玉」といわれたりもします。

 エリザベス女王の葬儀に参列なさったイギリス(など)の女性王族の方は、黒の喪服に真珠を合わせておられるケースが目立ちましたが、雅子さまは彼女たちよりも古式ゆかしいジェットのアクセサリーを身に付けておられたので、品格が違うと話題になったのかもしれません。雅子さまだけでなく、女性皇族の方々が葬儀でお付けになるアクセサリーもジェットが中心のようですね。

――「黒の喪服」と今、おっしゃいましたが、それ以外のカラーの喪服も昔はあったのですか?

堀江 はい。白や黒というモノトーンは、欧米では「色をもたない色」という扱いなので、白の喪服もあります。ヨーロッパで白い喪服が黒い喪服にとってかわったのは、歴史の教科書では「近世」とざっくりとした説明がなされていますが、上流階級向けのドレスのデザイン見本などを見た記憶からは、17世紀くらいには変化があったような気がしますね。

 ちなみに、日本では白い喪服の伝統は地方にもよりますが、20世紀半ばくらいまでは存続しており、2014年のNHK連続テレビ小説『花子とアン』にも登場したことを記憶しています。

――喪服やアクセサリーのTPOもずいぶんと変化するものなのですね。しかし、今回のエリザベス女王の葬儀で、一番疑問に感じてしまったことは、亡くなってから10日以上も保管されていたご遺体は大丈夫だったのかな……ということなんです。ヨーロッパでも寒冷地にあたるイギリスですが、今年は暑さが厳しく、40度を超えたともいいますし。

堀江 女王の家系はウィンザー家と呼ばれ、ヨーロッパの中でもとりわけ秘密主義の傾向が強い家風で知られています。私もすこし気になって調べましたが、ご遺体のエンバーミング(防腐処置)については当然ながら、何の情報も出されていないですね。

 女王の棺は、亡くなったバルモラル城からロンドンのウェストミンスター寺院へ向かい、しばし安置された後、19日に同地で天皇皇后両陛下もご参列になった国葬が営まれました。最後は埋葬地にあたる礼拝堂があるウィンザー城まで運ばれた……ということで、日数も移動距離もあり、いくら密封してあるとはいえ、外気の影響を受けると考えて当然です。

――イギリスの世論でも疑問が見られました。実はあの棺の中はカラッポで、実はほかの場所にご遺体は安置、保管されているのでは、という声もありました。

堀江 9日に亡くなり、埋葬……というか、ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂の地下に棺が安置されるまで約10日。いくら特注品の棺で、その内部は鉛張りで完全に密閉されているとはいえ、不安があるのはわかります。

 女王のご遺体の保管法について、英王室の広報官の発表はこの後もないでしょう。ですから、これから述べることは私個人の見解にすぎませんが、中世からヨーロッパの王族、ときには貴族の間でも流行した「三分割埋葬」と呼ばれる特殊なエンバーミングの一種が女王にも施されていたのかもしれません。当地ではラテン語で「Mos Teutonicus」などと呼ばれる方式です。

――それは一体、どんなエンバーミングなんですか? 

堀江 中世ヨーロッパ……とくに当時のイギリスとフランスで人気を呼んだ手法なのですが、国王が亡くなると、すぐさまそのご遺体から心臓、内臓を取り除いてしまうのです。内臓はアルコールで満たされた容器の中で保管するのですね。古代エジプトのミイラづくりでも、腐敗が始まる前に大急ぎで腐りやすい内臓を体から除去することが重視されたのですが、ある意味それと少し似ているかもしれません。

 一方で、12世紀のイギリス国王・リチャード1世(リチャード獅子心王)が亡くなると、彼の心臓はアルコール漬けではなく鉛の箱に納められました。その調査が近年行われていて、それによるとリチャード1世の心臓は、一度乾燥された後、デイジーやミント、ギンバイカの葉といったハーブ類やフランキンセンス(乳香)、そして水銀を使っただけにもかかわらず、腐敗せずにミイラ化して残っていました。

――ええっ! 心臓のミイラ化ですか!

堀江 徳の高い王様ほど、内臓、遺体が腐敗しないという伝承もあったりしたんですよ。現代でも、心臓、内臓、肉体を分ける三分割埋葬に近い埋葬法は、ハプスブルク家の一部の方の葬儀では行われていることがわかっています。

 ハプスブルク家は20世紀初頭に革命によってオーストリアの帝位を失いましたが、最後の皇帝の皇后だったツィタさんが1989年に亡くなった時も、厳格な三分割埋葬ではなかったにせよ、それに類する分割埋葬が行われています。また2011年、ハプスブルク家の当主であり、欧州議会議員を長い間勤めたオットー・フォン・ハプスブルクさんの葬儀でも同じように、分割埋葬が実行されています。

――つい最近まで継承されていることが判明してるんですね。

堀江 実はハプスブルク家も19世紀には、まるで遺体解剖のような三分割埋葬を廃止していたのですが、20世紀後半以降、なぜか復活を遂げたという……。

 ただ、これら三分割埋葬は主にカトリックの王族の間で主に行われている風習で、イギリス王家は16世紀以降、カトリックから英国国教会に宗旨変えしているため、エリザベス女王のご遺体については「よくわからない」というしかありません。

――ちなみに、心臓や内臓は容器に保管されると聞きましたが、それはその後、どうなるのですか?

堀江 フランスの王家だったブルボン家の例でいうと、ランスという都市にある聖ドニ大聖堂に、心臓や内臓を納めた壺を置いていた場所、遺体を納めた棺を安置する場所がそれぞれ別にあったようです。

 18世紀末のフランス革命期には、お棺の中身は暴かれてしまっていますし、心臓などを収めた壺は貴金属製だから、売り飛ばされました。その中に入っていた内臓も、絵の具に混ぜて使うと深い陰影が出るという考え方が当時はあったので……。潰され、油絵の具に混ぜられ、薄暗い雰囲気の静物画になっちゃったものを見たことがありますよ。

――すごい話ばかりですね。革命が起きるとそれまで庶民が知ることのなかった王室の秘密が明らかになるということでしょうか。イギリス王室はどうか安泰でいてほしいものです……。

天皇家の医学書は体位マニュアル「四十八手」の先祖? 難解で高尚なエロスの世界

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――これまで「天皇家秘伝のセックスマニュアル」ともいえる秘密の医学書『医心方』のうち、「ベッドルームでの知識」ともいえる「房内」について歴史エッセイストの堀江さんに語っていただいています。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 今回は『医心方』「房内」が後世に与えた影響をお話しましょうか。江戸時代に作られた体位マニュアル「四十八手」のことは、多くの読者がご存知だと思います。その四十八手の先祖にあたる体位マニュアルが『医心方』にもあるのでした。

 ちなみに江戸時代の「四十八手」って実は48で終わりなのではなく、96もあるのってご存知でした?

――めちゃくちゃ多いですね(笑)。

堀江 「四十八手」は「表」と「裏」の2巻構成になっているので、「48」じゃなくて「96」というね。延宝7年(1679年)に浮世絵師・菱川師宣が『恋のむつごと四十八手』という艶本の絵を担当しているのですが、同年、同版元から「四十八手」のフレーズを含む本がほかにも出ています。

 世の中で『恋のむつごと~』が「四十八手」の元祖という説があるのはわかりますが、それが元祖とは言い切れないかもしれません。もちろんこの頃に誕生したアイデアであることは間違いないのですが。

 一方、そういう発想の”先祖”にあたる『医心方』には、「九法(『玄女経』)」、そしてそれが継承・発展され、体位の数も増えた「三十法(「洞玄子」)」の2つが紹介されているだけです。時代が下るに連れ、体位の種類が増加していったことは興味深いですね。

――日本人はどんどんエッチになっていっているのでしょうか……。

堀江 なんともいえません(笑)。

 まず『医心方』の「玄女の九法」として最初に紹介されているのが「龍翻(りゅうはん)」の体位。これは「女を仰向けに寝かし、男がその上に伏し(以下略)」ということなので、現代日本語の「正常位」に相当です。この体位ですると「下等な娼婦と変わらない性の喜びを女は得る(=女則煩悦 其楽如倡)」なんてことまで書いてあります(笑)。

――本当に天皇家の方々に見せてもよい医学書だったのかって思いますよね、『医心方』。

堀江 淑女にも娼婦のような部分があるよ、ということなのでしょうか……。2番目に紹介されている体位は、その名も「虎歩」。

 「女をうつむきに寝かせて、お尻を高く、首を低くさせます。男はその背後にひざまずき、女の腹を抱え(以下略)」……これは現代日本語の「バック」に相当でしょうね。男性が40回ほど腰を降ると、「女陰開帳 精液外溢」してしまいます。

――男性が射精しちゃうということですか?

堀江 違うのです。これは『医心方』に書かれた古代中国由来の性医学の興味深いところなのですけど、「女性が絶頂に達すると、女性も精液を漏らす」という考え方があるのです。わかりやすくいえば、エクスタシーの状態の膣からにじみ出る分泌液こそが女性の精液であり、それは特別なパワーを秘めた液体で、男性に美と健康をもたらすのです……。この思想は江戸時代にも引き継がれていますよ!

――それにしても「女陰開帳」とは秘仏のご開帳みたいでありがたいですね(笑)。

堀江 こういう調子で「九法」、「三十法」ともに物々しい名前の付いた体位とその解説が語られていきます。

 しかし……『医心方』は、ほとんどの部分が文字による解説のみ。図解はあえて使わない書物なので、食い入るように読まないと何がどうなっているのかがわからないのが難です。その点で、この体位マニュアルの部分、わざと「わかりにくさ」を狙って書かれたものではないか、とも思われます。難解で高尚なエロスの世界が演出されていたのではないでしょうか……。

――やけにリアルだったり、逆に難解で、文章に食らいつかないと理解さえできない内容だったり……。読み手としては翻弄される書物ですよね。しかし、日本の高貴なお姫さまって性的な方面には消極的なイメージがあったのですが、どうやら違うようですね?

堀江 平安時代の、とくに女性の手によると考えられる物語文学では、女性は夜、男性が来るのを寝所でただ待っているだけで、男性が来ても積極的な反応を示すこともなく、なされるがまま……みたいな描写が定番なんですが、長い間、天皇家秘伝の書だった『医心方』、とくに「房内」を読んでいると、高貴な方々は非常に情熱的かつ能動的にセックスに向かい合っていた(のかもしれない)と思わせられますね。

 なお、『医心方』「房内」の冒頭に掲げられた「至理第一」の章に引用された、古代中国で成立したとされる書物『素女経』の一節からは、「天」と「地」のエネルギーがそれぞれ交わり合い、世界は永遠に形作られゆく、と考えられていたことがわかります。

 「天地得交会之道 故無終竟之限」……つまり、天と地は、まるで男女がセックスするかのようにふれあい、交わる道を心得ている。ゆえに永遠で、終わりがないとありますね。

 面白いことに、これは天皇家の歴史を刻んだ『古事記』(そして『日本書紀』)の冒頭部の「国生みの神話」を彷彿とする描写です。イザナギとイザナミという男女の二人の神がセックスを通じて、日本の国土を創り出したのですから……。

――セックスって本当はすごく壮大な行為だったのかもしれませんね……。難解な古代日本の性医学書の分析と解説、ありがとうございました。

天皇にとって、セックスは国事行為! 1,000年前から宮中に伝わる「すごい」エロティックな教え

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――前回から「天皇家秘伝のセックスマニュアル」ともいえる『医心方』「房内」について歴史エッセイストの堀江さんに語っていただいています。天皇家をふくむ、高貴な男女を対象にしたというわりには、かなり奔放な内容でびっくりしました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 性的にパワフルな人でなければ、良い後継者にも恵まれないということなんでしょうかね。『医心方』では男性がなるべく射精せず、数多くの女性と交わって、彼女たちに性の喜びを与えることが推奨されているわけです。男性はある意味「奉仕の性」に徹しなさいといわれているようなものですね。

 しかし、現代人がエクスタシーという単語を聞いて想像する以上に、『医心方』で描かれる女性のエクスタシーは奇妙なまでに細分化がなされ、深い分析が加えられているのです。『医心方』「房内」の「九気第一」で語られる内容は、「女性は全身でエクスタシーを感じるものだ」という前提で書かれているようだと私には思えました。

 キリスト教文化圏で男女がセックスしてもよいのは、夫婦が子作りを目的とする時だけでした。男性のエクスタシーは肯定されていても、女性が性的な快感をセックスで得ることは良いとはされない空気もありました。

 しかし、古代中国、そしてその性医学の考えを輸入した古代日本では、今から1,000年以上も前に、女性のエクスタシーが多面的かつ多層的なものであると見抜いていたのは驚がくすべきことだと思います。たとえば「九気第一」の章では女性は「肺で(も)イク」みたいなことが書いてあるのです(笑)。

――肺が性感帯ってすごいですね。

堀江 おそらく相手の男性に強い魅力を感じてのことでしょうが、女性が「はぁっ」とため息をついて(=原文の「女人大息」)、生唾を飲み込む(=「咽唾」)と、「肺でイッている」=「肺気(はいき)」の状態となるのです。

 ほかにも音を立てるほどに、男性と激しいキスをする(=「鳴面吸入者 心気来至」)のは「心気(しんき)」。つまり「心がイッている」状態。こういう描写が続き、足を男にからめつける(=「足拘人」)のが「筋気(きんき)」、男性のペニスをいじる(=「弄玉茎」)のは「血気」なども出てきます……。

――足を男にからめるのは、ネットスラングでいうところの「だいしゅきホールド」でしょうか。にしても、これって高貴な男性のお相手であるお姫さまを想定しているはずなのに、かなり過激でびっくりです。プリンセスは全身で達しまくっていたのですね……(笑)。

堀江 しかも男性器が「玉茎(ぎょっけい)」、女性器が「玉門(ぎょくもん)」。マネしたい格調高い表現です(笑)。『源氏物語』には濡れ場がまったく出てこないのですが、意図的に省かれたのは、光源氏と姫君たちが文字では書けないくらい激しいセックスをしていたということかもしれません。というか、実際に宮中の寝所でも夜な夜な、そういう愛の行為が帝と寵姫の間に……なんて想像もしたくなりますよね。ここまでハッキリ書かれてしまっているとね。

 もっとも露骨なのが、女性のエクスタシーについて分析した「九気」の最後に置かれている「内気(ないき)」。

――どこの部分で感じるエクスタシーなのかは文字からわかりません。

堀江 これは……おそらく正常位で交合している最中なんだと思うのですが、女性が感極まって「男の乳」……男性の乳首をいじる状態(=弄男乳)こそが、女性が「内気」に達したことの証しだというわけです。

――セクシー女優って感じの振る舞いですね……。

堀江 「内気」というのは「脳全体でイク」みたいなことなのでしょうか。『医心方』、男性はほとんど腰を動かさないまま女性をエクスタシーに導けとか、10人の女性を一晩でとっかえひっかえしろとか、実現性に疑問が残る指針が目立つのですが、世間ではあまり言及されない部分で妙にエロティックで、リアルな記述があることに驚かされます。

 これが1,000年前の宮中でどのように理解されていたかも含め、すごいなぁ~と思わざるを得ないですね。

堀江 ちなみに「九気」って言われていますが、『医心方』には8つしか書かれていません。現存する最古の『医心方』の写本は、現在放送中のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台の時代、つまり12世紀に書かれたものです。一つ写し忘れてしまったのでしょうかね(笑)。

――もともとは天皇家を中心とする高貴な方々だけのセックスマニュアルであった『医心方』「房内」ですが、戦国時代後半に民間に流出していったのは、何か理由があるのでしょうか?

堀江 『医心方』を医師・半井瑞山に下賜した正親町天皇の治世は、織田信長たちが活躍した時代です。かつては天皇に集中していた権力が、地方の戦国大名にも分散してしまっている状態……それは「房内」の想定読者層が、地方にも広がっていった状態だと言い換えられるかもしれません。

 半井瑞山の子孫である半井家と並ぶ医家の名門・曲直瀬(まなせ)家出身の曲直瀬道三(まなせどうさん)も、「房内」の知識をベースにしたセックスマニュアルの書物『黄素妙論(こうそみょうろん)』を、毛利元就に献上しています。曲直瀬道三の顧客には、織田信長などもいたんですよ。

――織田信長まで、この書の性的な情報に影響を受けたのでしょうか?

堀江 信長は男色のイメージがあるかもしれませんが、実際はかなりの子だくさんですから。子だくさんの上で『医心方』でいう「接して漏らさず」……「ヤッてもイカない」を実践していたら、毎日セックスばっかりしていることになったかも。

 冗談はともかく『黄素妙論』では、男性の射精可能回数が『医心方』よりだいぶ少なめに書いてあるのが興味深いですね。『医心方』では元気な男性であれば、20代は毎日1回でも射精可能なのに、『黄素妙論』では20代でも3日に1度なので。

――どうしてその数字を調整したんでしょうか?

堀江 帝王(=天皇)にとって、セックスは国事行為なのです。だから、おそらく国事行為を妨げてはダメだという観点から、皇室の方々を対象読者にまとめられた『医心方』では20代は毎日でも射精可能という見解になっているような気もします。

 なお、『医心方』「房内」の「五徴(ごちょう)第七」では挿入してもよい状態になった女性の外見的特徴として、「顔が赤らむ」「乳首が固くなって鼻の頭に汗をかく」「生唾を飲み込む」などの「五徴(ごちょう)」、5つの証しが段階的にあらわれると書いています。

 一方、『黄素妙論』では、ここがさらにリアルなシチュエーションに変わっていて「イチャつきながらエッチな話をした時、女性の顔が赤らみ」……などとあります。

――天皇も戦国武将も前戯としてイチャイチャしたり、キスをしていた、ということですね。

堀江 おそらく。あまり現代と変わらないかもしれませんね。『医心方』ではキスもいろんな目的で行う行為だと書かれています。絶頂に達した女性からはさまざまなエネルギーが放出されており、男女が結合している最中ならば、男性は自分のペニスをストロー代わりにして、女性器内部で発生したエネルギーを吸い取ることができるのです。

 斬新な考え方ですが、女性とキスして唾液を吸い取ることも、エネルギー吸収の観点から推奨される行為でした。

――あんまりそういう目的の男性と性的には絡みたくないですね。発想がぶっ飛びすぎてて。

堀江 女性は絶頂に達しまくっても、少し休憩さえすれば、無尽蔵にエネルギーを生み出せる存在という前提があるので、いくら男性から吸い取られても大丈夫なのだそうです(笑)。男性は女性に精液を吸い取られると、如実に弱くなるそうですが。

――次回に続きます!

一晩で10人以上と交わり、射精は月に2回まで……天皇家に伝わる非現実的な「セックス書」とは?

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――前回から「天皇家秘伝のセックスマニュアル」と呼ばれた医学書『医心方』の「房内」、つまり「ベッドルームでの知識」について歴史エッセイストの堀江さんに分析していただいています。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 「房内」の冒頭部分で、理想のセックスとは何かが語られています。男女のセックスが「鍋でいろんなモノから煮物を作る行為」にたとえられているのは興味深いですね。

――高貴な方向けなのに、いきなり庶民的ですね?

堀江 「如釜鼎能和五味」というのが原文で、その部分の私の意訳が「煮物」うんぬんなのですが、鍋料理ではさまざまな具材を一緒に煮込んだら、栄養値がアップするっていいますよね。

 恋愛もセックスもいろんな要素が絡み合って、素敵な化学変化を見せるものです。「房内」はセックスマニュアルなので、女性器全体がアツアツの鍋、具材がペニスだと思ってください(笑)。

 ここで興味深いのが、キリスト教の倫理観においてセックスとは子宝を授かるためにする行為であって、快楽追求、暇つぶし、ケンカの仲直りとか、子作り以外の目的で行ってはダメなんです。でも中国とか日本とか、東アジア文化圏では、何千年も前の古代の時点で、すでにセックスは子作りのためだけにあるものではない、という価値観が成立していたのですね。

――90年代に女性誌「an・an」(マガジンハウス)で有名になった「セックスできれいになる」の元祖ともいうべき「セックスで元気になる」という発想に近いかも。

堀江 そうです。しかも、そのキャッチコピーが生まれる何千年以上も前に発想され、実践されていた「らしい」のは興味深いというしかありません。「らしい」というのは、『医心方』「房内」のマニュアルはかなり複雑怪奇で、これを実践しようと考えていたら、本当にセックスなんてできるだろうか……と思ってしまう点が多いからです。

 たとえば、「九浅一深」の法というのがあるんです。男女が合体した時、男性の腰の動かし方にもいろいろと制約があって、それをまとめたのが「九浅一深」という言葉です。俗に「リズミカルにしないとダメ」みたいに理解されている概念ですが、女性のため、というより男性が簡単には絶頂に達しないため、加減して腰を動かさないとダメだよ……という教えのような。

――何年か前、男女が合体したまま、ほとんど動かないポリネシアン・セックスというものが注目された記憶がありますが……。

堀江 まぁ、本当に愛し合っている二人の場合はそれだけでも良いのでしょう。でも、女の体をいたわる目的以外で、早々と射精したくないから、動きを加減している男性相手に、女性は本気でアツくなれるのかな、とも考えてしまいます。

 前回のコラムで、年齢ごとに射精可能回数についてまとめられた本書のデータを引用しましたが、理想は「射精は月に2回まで。年間で24回程度にとどめれば100歳ないし200歳まででも元気で若々しくいられる」そうです。若いころから極端に射精数をセーブできたところで、理論的にそこまで長命になるわけがない(笑)。

 また、ごく制限された動きだけで、女性をエクスタシーに導きまくれるという前提からして、実現はたぶん無理。ほとんど魔術のようなものです。あ、この手の「房中術」を極めると、仙人になれるそうですよ。

――そもそも一晩に10人以上の女性と交わるのが前提なんですよね? 毎晩とっかえひっかえできる世俗権力の頂点にいる男性が、仙人なんかになりたいのでしょうか(笑)。

堀江 そういうところ含めて、非現実的な話では、と思ってしまいますよね(笑)。ほかにも興味深かったのが、(性的に)最高の女性! というのが外見でわかるという「好女(こうじょ)」の章でしたね。性的な方面での絶対エースの女性がいて、それはこういう属性、外見なんだ、と言い切ってるんです。

――どんな女性なんでしょう。すごく気になります。

堀江 まず年齢制限があります。30歳が上限値で、「なるべく年若い女性を選びなさい」だそうで、ベストは「未生乳」……胸も膨らんでいないくらい若いんだけど、肉付きがよい女性。というか、少女ですよね。

――それ、現代日本じゃ犯罪ですよ! うわー本当に気持ち悪い。

堀江 そうなんです(苦笑)。「陰部とワキの下には毛がないのが好ましい。毛があっても、細くて滑らかなのがベスト」との教えも。脱毛の結果とかじゃなくて、自然にそういう状態の女性が喜ばれたようです。ガサガサの陰毛がいっぱい生えている女性はそれだけで「悪女」です。悪女=愛するにふさわしくない女という意味ですが。

 私の台湾人の友人から聞いたのですけど、現代でも中国文化圏では、陰毛が生えていない女性を「白虎(びゃっこ)」と呼び、“名器”の持ち主だと考える習慣が残っているそうです。ちなみに「白虎」と同じ無毛の男性版が「青龍(せいりゅう)」。

――高貴な男性が求めるべき理想の女性像が、陰毛がない少女というのはびっくりしました。

堀江 ほかには「髪の毛は細く、目は細く、黒目と白目がハッキリ区別されているのがよい」。現代日本ではカラコンを入れてまで黒目がちに見せる人がいますが、古代ではNGだったんですね。ほかには「全身の皮膚がなめらかで、滑舌もよく、声がきれいで、肉付きは良いのだけれど、華奢で肥満しにくい体質」などの条件もありますよ。肉感性をも兼ね備えた合法ロリ女性というか……。

 現代日本は、ゲームとかアニメを通じて、全世界に二次元美少女のキャラクターを広めていますけど、その源流がすでに平安時代に確立されていたのかもしれませんね。

――平安時代でも、やっぱりスリムな女性しかモテなかったということでしょうか。

堀江 好みの個人差はあるでしょうけど、どんな体形もヨシとする「ボティポジティブ」の発想は、当時なかったと思いますよ。

 『源氏物語』には、朧月夜(おぼろづきよ)というお姫さまが出てきます。光源氏が「なまめかしう、かたちよき女(=艷やかな美人)」なんて珍しく褒めているので、おそらく体もグラマラスな女性が出てくるのだけれど、華やか、奔放、性的すぎる彼女は光源氏の本命にはなれず、最終的には捨てられちゃう存在ですから……。

 ただ、平安時代の日本でも本当に陰毛がない「白虎」の女性が喜ばれたかどうかはわかりませんねぇ。『源氏物語』を見ていても、「紫の上は白虎」なんて設定があるような気がしませんから。

――豊満な肉体は本命にならず、かといって、少女のように無毛が良いわけでもないんですね。

堀江 『医心方』「房内」の性知識……たとえば、男性が「接して漏らさず」=「ヤッてもイかない」などの行動理念は、江戸時代になっても現役だったんですけど、興味深いことに江戸時代の日本で喜ばれた女性器像と、『医心方』に書かれた理想の女性器像はかなり違うのです。

 たとえば江戸時代では、成人後も陰毛が生えない体質の女性は「かわらけ」などと呼ばれ、あまり喜ばれる属性ではないという考えが一般化していました。土を焼いただけの粗末な土器というのが「かわらけ」という意味ですからね。

 ガサガサの陰毛を荒野の雑草のように茂らせた女性は、江戸時代でもやはりダメだったみたいですが、ロリ系より、年相応に成熟した女性が好まれるようになっていました。要するに中国から性医学の知識を古代の日本は仕入れたけれど、その中でも生き残る知識と、淘汰される知識があったということです。

天皇の性教育にも用いられた“セックスマニュアル”? その刺激的な内容とは

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――先日、小室圭さんが3回目のニューヨーク州司法試験に挑戦したときの様子がニュースになりましたね。試験結果が出る10月までは小室さん夫妻だけでなく、皇室全体に大きな注目が集まりそうです。そもそも、どうして皇室の方々はここまで注目を惹きつけてしまうものなのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 「天皇家には愛されるための門外不出の秘伝がある」……こんなことを現在でもいう人がいるわけですが、戦国時代末期くらいまでは本当にそういう情報を含む、秘密の医学書があったのは事実なのですよ。

 全30巻にも及ぶ『医心方(いしんぽう)』という書物で、そのうち「房内」の部分は歴代天皇の性教育にも用いられた(らしい)セックスマニュアルです。厳密には「愛される」というより、「セックスで元気になるための秘密のマニュアル」で、天皇家を中心とする宮中にだけ伝わっていた のです。

――天皇家秘伝のセックスマニュアルですか!

堀江 『源氏物語』の完成より100年と少し前、医師の丹波康頼という人が中国から輸入された医学の知識をまとめ、天皇家に献上したのが『医心方』です。「房内」とは「ベッドルームでの知識」くらいに訳せると思うのですが、「正しくセックスすれば万病が治る」みたいな内容になっているんですね。ちなみに丹波康頼は、昭和時代に活躍した俳優の丹波哲郎さんのご先祖にあたります。

――丹波哲郎さん。懐かしいですね。若い読者は知らないかもしれませんが、バブルの頃の日本で大ヒットした『大霊界』シリーズでも知られる……。

堀江 「死んだら驚いた」ってキャッチをつけて、映画シリーズ化までされましたからね。本当は「やったら驚いた」って『医心方』の映画化をやってほしかったですが(笑)。

 歴史に話を戻すと、民間に『医心方』の知識が流出しはじめたのが戦国時代末期の頃。西暦でいえば16世紀末の正親町(おうぎまち)天皇が、自分の側室の病気を治してくれた医師・半井瑞策(なからい・ずいざく)にお礼の気持ちをこめて、『医心方』全巻を贈ったのです。「正しくセックスすれば病も治る」という「房内」の巻の知識は半井家の顧客のセレブリティや、同家の弟子筋・関係者にも流出していきました。

 それまででも『医心方』「房内」への関心は高かったのに、口語訳が出始めたのは、昭和になってからなんですね。戦前の天皇は名実ともに「神」でしたが、戦後、昭和天皇による「人間宣言」が影響したのでしょう。「天皇家の性教育にも用いられたのでは」なんてささやかれる『医心方』「房内」も、恐れ多さより、「どんな中身か知りたい!」という好奇心が勝ってしまい、口語訳されたものが何バージョンも出版されるようになりました。

――たしかに、どんな内容なのかとっても興味があります。しかし、そんなにいろんなバージョンが?

堀江 私の手元にあるのは、昭和49年(1974年)に日輪閣という出版社からなぜだか「秘籍江戸文学選」の第6巻として刊行された本なのですが、筆者の山路閑古という化学者・江戸文学研究者にとって、2冊目の『医心方』「房内」部分の翻訳だそうです。「房内」が正式名称ですが、「房内篇」などと呼ばれることもありますね。

 昭和も後半に差し掛かる頃には「房内ブーム」が出版界には来ていたのだと思われます。今回用いた翻訳のいいところは、原文が掲載されている点でした。一読しましたが、実際問題として、この内容を性教育に使うのは難しそう……。

――それはなぜですか?

堀江 一晩に10人以上の女性と片っ端から交わっていきましょう、という内容がメインだからです(笑)。交わり方にもコツがあって、女性に何度も何度もエクスタシーの境地を味わせることが重要なのですが、男性は絶対に射精しちゃダメ! という鉄の掟まであるのです。

――お年頃の男子には刺激が強い内容ですね(笑)。10人以上の女性を侍らせることができるのは、それこそ天皇家周辺の身分の高い男性に限られるかもしれませんが。

堀江 当時の医学において、精液は男性にとって健康や若さを維持するために大事なものだとされていて、無闇に発射していいものではないのですね。とはいえ、本当に男性が射精しなければお世継ぎも得られません。ちなみに射精マニュアルは「施写(せしゃ)」と題された章に収められていて、このタイトルのニュアンスは「施しとしての射精」という意味くらいでしょうか。

――施しとしての射精……なんだか上から目線ですね(笑)。たしかに高貴な方と交わって、彼の子種が欲しい! という女性には「射精は男性からの施しもの」という感覚はあったかもしれませんが……。

堀江 射精可能数の目安もあります。15歳とか20歳の元気な男の子は1日2回出してもOK。同じく元気な30歳は1日1回なのだそうですが、現代日本でもときどき話題になる「男性更年期」を意識しているのでしょうか、40歳になると3日に1回と射精しても支障ない回数がガクンと落ちているんですよね……。

 そもそも『医心方』の「房内」自体が、若くてピチピチの男性が想定読者というわけではなく、「男性更年期」あたりの年齢層の権力者の男性を想定した書物であろうと思うんですね。「30歳以下の子どもを生んだことがない女性」なんて条件をつけて、10人以上の女性を身辺に侍らせることができる人は、古代日本でもごく少数だったと思います。

――まさに天皇のための性医学書といえるでしょうか?

堀江 そうですね、天皇には後宮(ハーレム)があるじゃないか、と思うかもしれませんが、普通は最初から多くの女性がそこにいるわけではないのです。人気と実力のある天皇だからこそ、「うちの娘も是非」というようなノリで側室は“献上”されてくるわけで……。

 天皇家の場合は典侍など、女官の職種名で呼ばれ、側室とはいわないのですけど、今回はわかりやすさを取って、側室と呼びますね。高貴な生まれというだけでなく、実力者だと認められていなければ、側室の数もそろいません。また、そんな実力者になるには、それ相応の時間がかかっているはずです。

 『医心方』「房内」には、女性に向けたアドバイスもあるにはあるのですが、基本的に多くの部分が「身体に不調が出てきたぞ」「その不調をセックスで治そう!」という年齢層の男性むけの記述となっています。

 これらの理由を総合すると、やはりアラフォー前後、社会的にも成功し、多くの女性に囲まれた「男性更年期」あたりの権力者の男性が想定読者なんだろうなぁと私は考えます。

――なんだか10年ほど前に「週刊ポスト」(小学館)や「週刊現代」(講談社)がこぞって特集していた、“死ぬまでセックス”特集記事と似ているように思えてきました。次回から、『医心方』「房内」のめくるめく世界を検証していきたいと思います!

秋篠宮さま、小室圭さんに不信感をあらわにした瞬間……金銭トラブル報道時の胸中

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回までの3回に引き続き、皇室ジャーナリストの江森敬治氏によるインタビュー録『秋篠宮』(小学館)を読み解いていきます。

――2018年の4月、それまでは小室圭さんに関して好ましからぬ情報がいくら漏れても、眞子さまとの結婚を支持するという立場を崩さなかった秋篠宮さまの態度が、明らかに変わってしまいます。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 『秋篠宮』の本文に明記はないのですが、秋篠宮さまが小室さんの人間性に疑問を強く感じたことが、その理由として指摘できると思います。本文から宮さまの言葉を引用しますね。

「これだけ週刊誌でいろいろと書かれているのだから、こうなったら小室家側がきちんと説明しなくてはいけない。週刊誌で書かれているトラブルは全て小室家の話だ。秋篠宮家は、まったく関係ない」

 それゆえ、小室さんを宮邸に呼んで、金銭トラブルの解決と国民への説明を求めたそうです。

――結婚の条件として、秋篠宮さまが小室さんに金銭トラブルの説明を求めたというわけですね。結局、だいぶ後になってから、長いだけでほとんど具体的な説明にはなっていない通称「小室文書」が提出されただけでしたが……。

堀江 当時の秋篠宮さまは、すぐにでも小室さんから説明があるだろうと考えていたようです。しかし、小室さんからはそうした動きは出ませんでした。それを「投げたボールが返ってこない」という言葉で江森さんは表現しています。

 2018年5月のGW明けの取材で、秋篠宮さまは「うーん」というばかり。長い沈黙のあとに、「(小室さんは)どうするのだろうと思って……」。

――結婚までのロードマップをわざわざこちらで示してあげたのに、それに乗ってもこないのは、結婚しようという意思がないのでは、と思ってしまったのですね。

堀江 困惑半分、立腹半分というところでしょうか。これは、私の推論なのですが、小室さんの態度からは、皇族に対する敬意が感じられなかったのでしょうね。もっと言うと宮さまは、面と向かって御自分をここまで適当に扱う人物に接したことがなかったのかもしれません。

 ただ、皇族である私がここまで丁寧に解決策まで示してあげたのに、それに乗っても来ないなんてどういうつもりだろう、と言葉にするのは憚られることですから「うーん」と言うしかなかったような……。

堀江 しかもこの時、宮さまが懸念している金銭トラブルを解決させようという素振りさえないまま、小室さんは外国に留学にいくことが決定していたのでした。そういう不可解な態度に終始する小室さんに対し、秋篠宮さまが不信感をあらわにした瞬間ですね。

 また本書にいわく、「眞子内親王は、父親と結婚問題について話し合うことはなかった。加えて小室圭から国民に向けた説明がなされることもなかった」。そういう小室さんでもOKな眞子さまの男性観にも、われわれは大きな疑問を抱いたのですが、それについてはまた別の話ですね。

――小室さんにとって皇女との結婚は、旧家のお嬢さんと結婚するくらいの認識でしかないのかな、というのは感じられましたよね。

堀江 そうですね。ただ、皇女であることがどうやら窮屈でしかたなかった眞子さまにとって、そんな小室さんのフラットさは逆に心地よかったのかもしれないのですが。

 このあたりから、秋篠宮家が眞子さまの結婚にワンチームで取り組むという、かつての状況は崩壊していたこととわかります。また沈黙している眞子さま・小室さんに対し、国民の不満も爆発します。そんな中、秋篠宮さまだけが、ご自分の誕生日の会見で「やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約にあたる納采の儀というのを行うことはできません」などと言及なさいました。

――この発言はなかなかに衝撃でした。しかしその後、納采の儀はないまま、その他、皇女の結婚に必要な儀式もすべて執り行わないまま、眞子さんは小室さんとの結婚を強行しましたよね。

堀江 そうなんですよ。娘の”暴走”を止められなかった父親として、秋篠宮さまにも批判が集まりました。本作『秋篠宮』を読んでいても、皇族の結婚はハードルが非常に高いとか、特殊な事情があることは理解した上で、それでも秋篠宮さまや、そのご家族がどの程度、国民と向かい合えているのか? とか、国民の声を受け止められているのか? 疑問を感じてしまった部分がありますね。

 あとね、この本の中……とくに中間部で、何回も秋篠宮さまのことを「学者肌」とかいう言葉で語っているのも、あらためて気になったんですよね。なにか、トゲを感じたのですよ。旧著『秋篠宮さま』(1998年、毎日新聞社)でも、たしかに宮さまを学者視する描き方はありましたが、本作の「学者」という表現には、世知に疎い人というニュアンスのほうが強いのではないか……、と。

――たしかに憲法遵守の姿勢が強いことにも、学者的といえるかもしれませんが。眞子さまの結婚を反対しない理由としても、憲法24条が持ち出されました。秋篠宮さまは、憲法にすごくこだわる印象もあります。

堀江 一般家庭では、娘の結婚の可否に憲法を持ち出すケースは少ないでしょうが、よく考えたら、イギリス王室のエリザベス女王も、その少女時代の勉強といえば憲法とその解釈が中心でした。成長後も君主としての自らの行動規範や、家族に結婚を許可できるかといった問題に対しては、まず憲法や法律を自ら徹底的に調べ、それを遵守するという立場を貫いてきましたからね。立憲君主制の王族(皇族)の行動に正当性を与えるのは憲法という考え方なのでしょう。

――しかし、憲法の「婚姻の自由」で許されているから、眞子さまと小室さんの結婚も許される、許されねばならないという感覚は、どうも……。

堀江 やはり、憲法で正当化しているだけでは? ……という感覚はどうしても残りますよね。しかし『秋篠宮』を読む限り、先例とか、歴史とか、そういう要素には言及もしないし、振り返らない立場を秋篠宮さまが貫かれているのは少々意外でもありました。

――そこはどう読み解けばよいでしょうか。

堀江 皇室の歴史は何千年も続いているけれど、皇室を取り囲む周囲の視線は時代によって激変しているでしょう。第二次世界大戦前と戦後では、まったく皇室が置かれている立場も、皇室に期待されるものも異なっていると思います。

 ちなみにエリザベス女王は英国国教会の首長でもあるので、憲法や法律が及ばない問題に対しては、キリスト教の信者として、宗教的な良識に従えばよいという部分もあります。しかし、皇室の宗教を神道として考えた場合、神道には教典もなければ、教義もないんですね。つまり何をしたらNGとするような禁止事項も実は存在しないし、ついでにいうと、どんな状況を救済だと考えるのか、そういう教えもない。

 常に自身が誠の心を大事にして生きていくかが問われるのです。だからある意味で、自由すぎる教義の神道に対し、皇族は昔から、不自由な生活を送っているわけです。

 だから宮さまとしては宗教、歴史、伝統とかをご自身の行動の規範として明言するわけにはいかず、憲法の婚姻の自由にこだわるしかないといえるかもしれません。でもそれが我々にはどこか引っかかりがある。

――憲法云々ではなく、自分の思考の結果として、ということならば世間の印象も違ったでしょうね。

堀江 そうなんです。しかし、秋篠宮さまはそれを行うことはなかった。また、自分の取材を続けている江森さんに対し、自分の口からは伝えることができないメッセージを世間に代弁してもらうということも、「あえて」行わなかった。

 今回の出版も、秋篠宮さま自身の決断がなければ世には出なかったはずなんですね。でも、そういう異例なことを行うという決断はしても、踏み出し方が中途半端でいらっしゃった。

――『秋篠宮』の出版は、実に貴重な機会だったのに、それで不十分な成果しかもたらせなかったというのは、残念だった気がしてなりません。

堀江 はい。結局、「私の気持ちを察しなさい」ふうに振る舞ってしまう秋篠宮さまには、はっきりとした批判や不満を口に出したくても出せなかった、過去の天皇のおふるまいと同質の「何か」を感じてしまいました。

 ただ、江森さんがかつて『秋篠宮さま』の中で述べた「日本に連綿として続いた皇室の今を理解する上で大きな一歩になれば」という抱負は、本作『秋篠宮』に引き継がれ、より明確なメッセージとなって伝わったのかもしれません。実にネガティブな形で、ですが……。

――皇嗣殿下となられた秋篠宮さまについても『秋篠宮』では少し触れられていますね。しかしこちらは、眞子さまの結婚問題よりさらにガードが固く、あまり語るべき内容は見られなかったかもしれません。

堀江 重要なのは、秋篠宮さまが悠仁親王の父宮として、即位する可能性が出てきたことです。秋篠宮さまは可能性を明確に否定してはいないものの、「即位するつもりはない」などとの報道が見られますよね。

 儀式にかかる費用などいろいろと問題があるとは思うのですが、本音は天皇として即位すると「実記」もしくは「実録」といわれる詳細な伝記が書かれることがお嫌なのではないか、とも勘ぐってしまいます。死後何十年とたってからの刊行となるのが通例ですけれど、たとえば、眞子さま・小室さんの結婚問題の取材で、江森さんが文章にしなかったオフレコの言葉も、すべて文字に書かれて残されてしまうでしょうから。

――最近では、皇族記事が原因でヤフーのコメント欄が閉鎖されたり、『秋篠宮』のAmazonのレビュー欄の書き込みが制限されたり、騒然としてしまっています。眞子さまの結婚問題前後で、皇室への風当たりはすさまじく強くなりましたし、あからさまな批判も増えました。

堀江 本当に危ない状況ですよね。Amazonのレビューも「有用性が高い」とされる最初のいくつかを見ただけで、もう見たくない……ってなるほど。同時に日本全体が現在の皇室のありかたに、さすまじい不満を感じていることも感じ取りました。

――この連載でも、眞子さまと小室さんの結婚は、未来の皇室にいたるまで、大きな悪い影響を与えるであろうというお話になりましたが。

堀江 前回もお話しましたが、皇族方にもプロデューサーは絶対に必要でしょうね。その役割を宮内庁のお役人がたが果たせるのかという疑問はありますが……。

 現時点では皇族がたのセルフプロデュース力だけに頼り切ってしまっているように思われます。そして、昨今の秋篠宮家の方々は大変失礼ながら、世間の声に対し、適切に反応できているとはとても思えません。

――秋篠宮家から多額のお金が、眞子さまの口座に送られているのでは、とかいう疑惑の真相はどうなのでしょうか。ご結婚後も疑惑や問題は増えていく一方です。

堀江 そうなんですよね。『秋篠宮』出版準備のときにはすでにこの問題は明らかになっていました。そういうリアルタイムの疑問に答えきれていないのが残念です。また、『秋篠宮』の出版によって、逆に批判は強まった気がします。

 かくなる上は、秋篠宮さまがご自分の言葉で、さまざまな疑惑について詳細にお語りになるべき時期が来たのではないか、と。それも憲法云々などではなく、秋篠宮さまご自身のお考えをうかがいたいと多くの国民は願っているはずです。

秋篠宮さまが“致命的なエラー”を無視した背景とは……「大問題の原因」に宮内庁を指摘

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!前回から引き続き、皇室ジャーナリストの江森敬治氏によるインタビュー録『秋篠宮』(小学館)を読み解いていきます。

――2018年2月、眞子さんと小室さんの結婚が2年延期されるという発表が宮内庁からありました。発案は眞子さまだったそうです。すでに小室圭さんの身辺には多くの不安材料があることが明らかになり、その中には小室さんの母親・佳代さんの金銭問題など重大問題が含まれる中での延期発表でした。この発表の少し前、『秋篠宮』(小学館)の著者でジャーナリストの江森敬治さんは秋篠宮さまへ取材をしていたのに、秋篠宮さまは31年も親交のある江森さんにも一言も知らせていなかったとあります。

堀江宏樹氏(以下、堀江) このあたりから、宮さまの態度はさらに理解しづらいものになっています。メッキが剥がれたように、次々とボロが出てきてしまう小室さんとその家族に対し、こともなげに振るまいすぎている印象があります。

 江森さんによると、結婚延期を宣言した後の宮さまは安堵の表情でした。しかし、「眞子さまのご結婚が延期されましたが、正直なところ、お父様としてもホッとされましたか?」と直球で聞かれると、その答えは「二人はそれでも結婚しますよ」という驚愕の回答。

 「延期の理由」として、宮さまから明かされた情報もあきらかに不自然でした。NHKが婚約内定をスクープして、本来の結婚のための準備が滞ってしまったし、2019年には天皇陛下(=現・上皇様)の退位関連で忙しくなる。だから、最短日程の20年ということにしたというのです。

――小室さんは関係なしですか?

堀江 そうなんです。延期は小室家の問題ではない、と言い切った秋篠宮さまの反応に、江森さんも異様さを感じたようです。しかし、「この場は議論をする場所ではない」といって、例によって頭を切り替えざるを得なかったそうです。皇族として、小室さんは娘の大事な(実質)婚約者ではあるし、一国民を攻撃するようなことは言いたくなかったのかもしれませんが……。

 しかもこの時、紀子さまが突然、ノックしてから部屋に入ってきたそうなのです。本で見る限り、ほかの日の取材でこういうことは一度もありません。部屋に来た紀子さまは「ニコニコしていた」のだとか。秋篠宮さまは「座って話す?」などといったものの、「彼女は遠慮した」。

――この状況での笑顔というのは、何かが怪しいですよね……。

堀江 そう。作為的です。小室さんやその母親の身辺問題という世間からの批判の声には触れようともしないし、批判は気にもしていない素振りをして、完全に問題を無視している感じがします。

 マスコミの心ない報道で秋篠宮家の方々が傷ついてきたのは事実ですから、「今回も外野が騒いでいるだけ」と思い込むことで、なんとか平常心を保とうとしていたのかもしれません。一方、江森さんは「先のことは、誰にも分かりませんからね」とつぶやいたという宮さまの言葉を紹介して、そっちが本音では、などと推測していますが……。

――本音発言は別にして、そうした問題に触れない姿勢を見ると秋篠宮さまは、お二人を結婚させようとしていたように思えますね。

堀江 私もそう思います。本当は致命的なエラーが出ているのに、そんな問題は実は大したことがないと、せっかく芽生えた本能的な危機感を無視してしまっている観もありますね。でも、そこには皇室にありがちな結婚の難しさが影響しているのだとも感じました。この機会を逃すと、次はないぞ……という。

――たしか、以前から宮さまは「大学時代に相手を見つけておかないと(その後、相手を見つけるのは難しい)」と、江森さんに向かって語ったことがありましたよね?

堀江 はい。しかし、そのコメントを掲載した江森さんの著書『秋篠宮さま』(毎日新聞社)が発行された1998年の時点では、「今は女性の結婚年齢もまちまちですから」というふうにお考えを変化させておられたようです。また、「結婚よりも自分の興味なり仕事というものを優先させたほうがむしろ良いのでは」とも言っておられました。

 ところが2018年、当時25歳の眞子さまに小室さんというお相手ができたと知ると、「結婚が少し早いのではないかと」と問いかけた江森さんに対し、宮さまは「早くはない年齢です」と即答しているのです。

――ここはどう読めばいいのでしょうか?

堀江 眞子さまが早くに結婚したいという希望を持たれていることを、秋篠宮さまはご存じだったのだと思います。それならば、結婚できそうな状況があるなら、一日も眞子さまを早く嫁がせてやりたかったのでしょう。逆にいえば、それほど皇女にとって、結婚とは難題であるという認識をお持ちだったのだということでもあります。

 本書の後半部分、「小室眞子の結婚を考える」という章では、具体的な日付はふせられているものの、「まだ結婚への道筋に暗雲が立ち込めていたある日のこと」として、「なぜ眞子さまはここまで、この結婚にこだわるのでしょうか」と江森さんは宮さまに率直に問うたときの反応が書かれています。

堀江 聞かれると、「彼(=秋篠宮さま)は深く考え込み、重い沈黙を続けたままだった」。江森さんは、黙り込む宮さまに被せるように「眞子さまが、男性と知り合う機会は、これから先、まだまだ、たくさんあると思います。もっと素敵な人ときっと出会えますよ」と言いました。そこまで問い詰められても、宮さまからの返答はなかったそうですが、興味深いことを江森さんは書いています。その時、「彼が私の言葉に『んっ』と一瞬、疑問を浮かべたような気がした」。

 『秋篠宮』の文章からも、秋篠宮さまには、小室さんという人物に大いに不満があったのは事実だと思われます。しかし、その問題以上に、皇女である眞子さまが、年齢を重ねる前に結婚することのほうが重視されてしまったのだと思います。小室さんの次の男性といっても、なかなか見つからないだろうから、眞子さんの背中を押すしかなかった……こういうあたりが宮さまの本音ではないでしょうか。

――おつらかったでしょうねぇ……。江森さんも、皇女でいるかぎり、眞子さまが自由に何人かの男性と恋愛して、「自らの恋愛感や結婚観を確かなものとし、そして結婚することがベター」という一般論が通用するものだろうか、と思ったと書いていますが……。

堀江 庶民の間でも結婚は「勢い」が大事とかいいますけれどもね。皇族は庶民以上のテンションと勢いで乗り切らないと結婚が難しいのでしょう。皇族の苦労は皇族にしかわからない。秋篠宮様は皇族歴50年を超えるベテラン皇族でいらっしゃいますから、そのご判断には有無を言わさない気迫があります。

 しかし、眞子さまと小室さんのご結婚は成立してからも、ずっと秋篠宮家や皇室を揺るがし続けていますよね。問題の一つとして、皇族は自分の言葉ですべて説明することが難しい立場にいるということです。カリスマ性を守らねばなりませんので。

――そうであるなら、皇族がたの側近、宮内庁がもっと頑張るべきではないですか?。

堀江 単なる役所仕事以上の働きが期待されてしまいますよね。『秋篠宮』の別の箇所で、江森さんも「理想を言わせてもらえれば、秋篠宮家の人たちを長年、見守り続けてきた信頼の厚い側近がいればよかったのかもしれない」といっていますが、そういう「側近は、現状では見当たらない」とも指摘しています。

 「秋篠宮夫妻の意を汲んで、相手の家族と交渉や調整をし、うまい落とし所を早くに探り出す。情報管理も徹底させる」ような器の人物はおらず、秋篠宮さまがすべてを行ったことに今回の大問題の原因があると言っているとも思われます。極論すれば、将来の宮内庁は皇族方の属している(芸能)事務所みたいになったほうがよい、ということなのでしょうね。

――それは面白い考えですね(笑)。それってプロデューサーのお仕事に近そうですよね。

堀江 そうです。戦前、戦後すぐは宮内庁にも入江侍従長のような名物職員がおり、自らメッセージを発する機会が限定されている、皇室のみなさまの好感度を上げる名プロデューサーでもありました。しかし戦後、人員整理とか、宮内庁の職員の職業イメージも変化があり、そういうタイプの職員はいなくなってしまったのですね。

 また、この部分には少なくとも、宮さまよりは世間を知っている元・新聞記者のジャーナリストの江森さんが、「私にもっと本音で相談してほしかった」と悔しさを伝えているような気もしました。

 その後、18年4月の取材では、「金銭トラブルは小室家の問題(で、秋篠宮家は関係ない)」という発言が秋篠宮さまの口から飛び出しています。手のひら返しのように聞こえますが、これまで、できる限りポジティブに、小室家のことは考えるようにしてきたけれど、ついに庇いきれないと思ってしまったといわんがばかりの”本音”でしょう。小室さん問題が、秋篠宮さまのキャパシティーを超えてしまったことがうかがえます。

――感情をあらわにして小室さんを批判しはじめた宮さまの姿が、ついに描かれてゆくのですね。次回に続きます。

秋篠宮さまが、小室圭さんの「年収300万円」と「身辺」を問題視しなかった真意

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――前回から、秋篠宮さまのインタビュー録『秋篠宮』(小学館、江森敬治)を堀江さんと分析しながら読んでいます。前回は、眞子さまと小室さんの婚約内定のニュースがNHKで報道された直後から、小室さんの好ましくない身辺情報が一気に漏れ出しても、宮さまは上機嫌だったというところまで読み進めました。正直、これには驚きました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) そうなんですよね。江森さんから「今回の結婚に反対された、ということはありませんか?」と尋ねられても、宮さまは「反対する理由はありません」の一点張り。この時、宮さまが持ち出したのが、なんと日本国憲法の第24条でした。

 「憲法には『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する』と書かれています。私は立場上、憲法を守らなくてはなりません。ですから、二人が結婚したい以上、結婚は駄目だとは言えません」と滔々と畳み掛けられたそうです。江森さんは、それが宮さまの本音だろうかと疑ったのでしょう、質問の角度を変えて迫っています。

 小室さんが当時、年収300万円ほどのパラリーガル(=法律事務の仕事)で、それが生涯の定職と呼べるものではないだろうと江森さんは考え、「小室さんは定職に就いていないのでは」などと聞いたそうなんです。しかし、秋篠宮さまは「不思議そうに(江森さんを)見ながら、『いまのお仕事が定職ですよ』」。

――内親王の夫となるべき男性が「パラリーガルのままでもよい」とする秋篠宮さまの発言は大きな話題を呼びました。

堀江氏 弁護士になる前段階の“腰掛け”の仕事ともいわれることが多い、法律事務所の事務職=パラリーガルですね。そして、年収300万円という「問題」。

 昨今の20代の日本人男性としては、そこまで低くはない収入かもしれないけれど、内親王の嫁ぎ先としてそれは十分なのか、と世間は疑問の声を上げたのです。でも、それを秋篠宮さまは意にも介さなかった。今後もパラリーガルのままでも構わないという認識が秋篠宮さまにはおありだったことを、江森さんは「はっきりと記しておきたい」そうです。

――ここはどう読めばいいのでしょうか?

堀江氏 眞子さまが小室さんを選んだことを喜んでいたということは興味深いです。この時、宮さまは年収300万円でも、二人が「身の丈にあった暮らし」ができるのであれば……とも言っています。

 秋篠宮さまには、皇女という特殊な背景を持つわが娘を、小室さんが素直に受け入れてくれた喜びがあまりに大きかったのかもしれません。皇女の結婚は難航しがちですから。

 こういう言い方は失礼かもしれませんが、秋篠宮さまは世間ずれなさっておられませんので、“お金”という非常にやっかいなファクターを、その気になれば簡単に解決ができる問題だと過小評価していたのかな、と。お金がないことが、清く正しく生きている証しというか。本来は必ずしも結びつくことではないと思うんですけれど。

 本書の中間部分では、宮さまは学者タイプという表現がよく出てくるのですけれど、まさにお金の問題を軽んじたような対応を娘の結婚相手の”査定”においてもしてしまった、ということでしょう。

――しかし、江森さんはそういう宮さまにツッコミを入れるわけでもなかったようですね。

堀江氏 そうですね。でも江森さんがジャーナリストとしての仕事を完全に怠っていたわけではないとは思いますよ。宮さまからめぼしい反応が返ってこなかったことが書かれていますから。

 眞子さまの婚約内定から約1カ月後、小室さんの身辺情報を理由にバッシングがさらに激化した状態で次の取材が行われています。江森さんは眞子さまの結婚問題に対して、秋篠宮さまに再度、切り込んだのですが、ここで、宮さまは初めて不安げな表情を見せました。

――ちょっと遅いですよね。

堀江氏 そうですね。小室さんについて家庭の内実をどの程度、把握していたかを尋ねられた宮さまは、宮内庁には小室さんの身辺調査を依頼しなかった、と明かしています。「個人情報がいろいろとうるさい時代なので、家庭状況などを調査すること自体に問題があります」と「小さい声で(秋篠宮さまは)言った」そうです。また、「宮内庁と関係がある人物には相談」していたが、「週刊誌報道で伝えられているような内容はやはり把握できなかった」。

 ここで、江森さんは「長女の結婚なのだから、もっと慎重さがあってもよかったのに」と思いながらも、その気持ちを飲み込んでしまったのでした。

――うーん、やっぱりそういう気持ちはぶつけてほしかった気がしますね。

堀江氏 そうですね。小室さんの母親の金銭問題がついに報道されてしまった2017年12月中旬以降の面会では、江森さんが「ひどく落ち込んでいるはずだ」と宮さまのことを気遣う一方、取材現場に現れた宮さまは「表情を見る限り、悩んで眠れない日々を過ごしているとは思えなかった(略)正直、拍子抜けしてしまった」。

――ここはどう解釈すべきでしょうか?

堀江氏 秋篠宮さまは、江森さんに本心を明かそうとはしなくなったのです。この12月の面会時、江森さんは宮さまに「殿下、週刊誌に大きく記事が出ていましたね」というダイレクトな質問をぶつけています。

 しかし、宮さまは「そうですね……」としか答えず、「重い沈黙が続いた。何を問いかけても会話が続かなかった」。また、「この件については何も答えないぞ」という宮さまの断固として姿勢をありありと感じたという江森さんは、違う質問に「切り替えてしまった」のでした。

――インタビューする側としては、与えられた限られた時間を少しでも有効に使おうとしがちではありますが……。

堀江氏 沈黙って怖いですものね。

 さて、年が改まった2018年1月末、強くなる一方の小室さんバッシングの最中でしたが、江森さんは秋篠宮さまの取材を継続して行っています。今回も、まったく宮さまはバッシングなど意にも介していないという態度を取られました。この時には、小室さんの母・佳代さんの生活態度……もっというと男性問題や、金銭問題が次々と浮上してはじめていたのですが。

堀江氏 「殿下、週刊誌に大きく記事が出ていましたね」と水を向けられても、秋篠宮さまは「そうですね……」としかいわず、会話が成立しなかったのだそうです。

 そんな中の2月6日、眞子内親王の結婚を20年まで延期するとの発表が、宮内庁からありました。江森さんには何も告げられていませんでした。

――オフレコという形でも、何一つ、秋篠宮さまはお伝えにならなかったということですね。

堀江氏 そうなのです。延期自体は眞子さまの発案だったそうですが。2月の取材で江森さんが宮さまに確認すると、沈黙を貫いた1月にはすでに延期は決まっていたことが、彼の口から語られたのだそうです。

――まさに翻弄されたのですね。

堀江氏 相手を不安にさせるような沈黙を使ったり、かといって服を褒められたりした場面では、素直にニコッとしたり……。かなりの人心把握術の使い手でいらっしゃるな、という印象です。実際、江森さんも「恐るべし秋篠宮」などと書いていますね。江森さんが旧著『秋篠宮さま』(毎日新聞社)などでも記してきた、「不器用」とご自分を分析する宮さまとはまったく別人のように思えてしまいました。

 さらに注目すべきは「このときのやりとりの詳細は書けないが」と、この場面に書かれてあることです。この本の情報密度が薄いと読者が感じてしまう理由は、この手のオフレコ部分が極めて多かったせいではないかと思われます。

――江森さんが、宮さまを仮に怒らせてでも真実に迫ろうという姿勢までは見せなかったことも大きいのでは?

堀江氏 “荒業”ですが、本音に迫るため、相手をあえて怒らせるというのは、たしかにジャーナリズムの現場では使いうる手ではあります。でも、そういう手を江森さんは宮さまには使いたくなかった。もしくは、使えないということでしょうか。

 しかし、そういう江森さんの配慮を、宮さまは利用して、黙秘を使うなど、なかなかなことをなさったわけです。2月の取材時でも、秋篠宮さまは謎めいた態度で江森さんを翻弄し続けるのでした。

――混迷と共に深まる秋篠宮さまの謎めいた態度……。次回に続きます。