Netflixドラマ『ザ・クラウン』に非難轟轟のワケ! もっとも最悪のシーンは…

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回はイギリス王室の描き方をめぐり視聴者の間で物議を醸しているテレビドラマ『ザ・クラウン』(Netflix)の第5シーズンについて、堀江氏に聞きました。

――前回までは、Netflixが2022年末に公開したドキュメンタリー番組『ハリー&メーガン』のレビューを寄稿していただきましたが、女王エリザベス2世の人生を描いたテレビドラマ『ザ・クラウン』の第5シーズンについてはどうご覧になりましたか? こちらも批判は多かったようですが……。

堀江宏樹氏(以下、堀江) いくら「史実をもとにしたフィクション」であるといっても、あまりに事実と異なる内容だといって、存命中の関係者からクレームがついたりしています。現代に近い時代の作品を作ると話題性こそ抜群ですが、デメリットは批判を受けやすという問題ではないでしょうか。

 たとえば、ドラマに登場したジョン・メージャー元英首相ご本人が、チャールズ皇太子(当時)から「母親の女王が長生きしすぎて、若い世代の私は活躍できずに困っている」と相談されたという作中のシーンは事実ではない、とわざわざコメントを発表しています。

――ほかにも、露悪的な描写がかなりあるとの声もありました。

堀江 チャールズがカミラとの大人の会話を盗聴され、それが公開された「カミラ・ゲート事件」、もっというと「タンポン・ゲート事件」の生々しすぎる映像化ですね。

 当時、チャールズとダイアナは不仲で、すでに公務のときだけ仲が良い、ビジネスカップルの状態。チャールズはカミラ・パーカーとの不倫愛を再燃させており、スピーチ原稿の内容の相談なども人妻である彼女に電話で行うことがありました。しかし、ある晩、相談のついでに、盛り上がってしまったチャールズは「君と本当はずっといっしょにいたい」という代わりに、「君のタンポンになりたい」などと発言したのですが、運悪く、こういう恥ずかしい会話が、無線マニアの手によって盗聴・録音され、新聞社を通じて公開されてしまった……というわけです。この事件を赤裸々に描きすぎたことが、21年9月はじめにエリザベス女王を失ったばかりの英国民の感情を刺激し、「『ザ・クラウン』は不敬だ」という声が多数上がってしまっているようです。

――そんな事件、本当にあったのですね。しかし、日本ではさすがに批判はそこまで大きくはなかったですね。やはりイギリスの王室の話ということで、ワンクッション置かれて捉えられていた気はします。

堀江 そうですね。ドラマの中では、憔悴したチャールズを妹のアン王女が慰めて、「(他人に聞かれたら)恥ずかしい話を(恋人同士で)しない人間がいる?」ときっぱり言い切るシーンがありました。このように、製作者からも、一応の“フォロー”はされているのですが。

 ちなみに、チャールズから「そういう相談を受けたことはない」としたメージャー元首相ですが、ダイアナ妃の私設秘書パトリック・ジェフソンという人物がテレグラフ紙のインタビューに応え、「チャールズ皇太子はメージャー前首相とではないが、別の前首相と実際にそのような会話をしたことがある、と語っている」という記事も読みました。

――脚本の脚本家のピーター・モーガンも、「ドラマの内容が100%真実であるとは思わないほうがよい」とわざわざ発言しているようですが……。

堀江 第1〜4シーズンの時点で、すでにそういう事実関係の問題は指摘されていたのですが、2019年のニューヨーク・タイムズ・マガジンのインタビューでは、脚本家のピーター・モーガンに対して、制作姿勢への言及があり、複数のリサーチャーを使って、歴史的資料を集めさせたのに、結果的にはああいう形になってしまったとか。

 あるリサーチャーは、モーガンが「資料を大切にしない」と嘆いているそうです。モーガン自身は、そういう仕事スタイルをとる彼が、存命中の人物も出てくる歴史ドラマを描き続けられていることについて、「視聴者との信頼関係があるのだと思います」と答え、「視聴者はその(=ドラマに出てくるシーンの)多くが推測であることを理解しています。ある出来事が、私が想像していた場所、あるいは時間とは違っていたかもしれないのです。でも、根底にある真実には絶対にこだわります」などと回答しているんですね。

――それでいうと、第5シーズンで視聴者からの批判が相次いだということは、彼のいう信頼関係の崩壊を意味しているのかも。

堀江 とりわけ第5シーズンでは、重要な事実関係が史実とは異なっている点や、人物やエピソードの描かれ方が本当に適正か、などについて指摘が多くありました。たとえば、フィリップ殿下と親戚の年若い女性ペネロペ・ナッチブルの友情が、まるで愛情に見えるようにドラマでは描かれていたといわれますね。具体的に男女の関係であることをほのめかすシーンはなかったのですが、表立って問題視されたのは、やはりエリザベス女王が亡くなった直後だったということもあるでしょう。

 シーズン5からフィリップ殿下を演じているのが、名優ジョナサン・プライスで、彼がいぶし銀の輝きを発する“美老人”でありすぎたことも、関係しているのかも……。

――第5シーズンについては、ドラマ自体のクオリティが1〜4シーズンよりも落ちた、つまらないという声がありました。

堀江 「ロイヤルヨット」こと、女王やその家族が外交する際に乗船していた思い出の客船「ブリタニア号」の老朽化とそれに伴う莫大な維持費の問題で、結局は廃船されたという出来事に、老年期に入ったエリザベス女王自身の悲哀を重ねたお話でした。このシーンをはじめ、客観的に見たら創作物として、そこまでクオリティが落ちたとは感じませんでしたよ。

 ただ、主人公が老いてしまっていると、どうしても物語は子供たち、孫たちの話が中心になります。それに伴って、ドラマ自体も「攻め」ではなく「守り」の方向に傾きますし、そういうところが「(前に比べて)つまらない」と感じた人も多かったという話ではないでしょうか。あと、これまで3人の女優が演じる、3人のエリザベスが登場したわけですが、第2シーズンまで、つまり中年期に入ったくらいまでのエリザベスを演じ、大好評を得たクレア・フォイほどの説得力を、他の2人が演じるエリザベスからは感じられないことも、視聴者の心が離れる原因かもしれません。

――『ザ・クラウン』を英王室のメンバーが見ているという噂も根強いですが、それってどうなのでしょうか?

堀江 見たくないけど、見てしまうという感じに近そう。でも、生前のエリザベス女王からは“お墨付き”も得ていたようですよ。『ザ・クラウン』の第2シーズンの撮影が行われていた2015年の終わり頃、モーガンはバッキンガム宮殿から茶色い小さな封筒に入った手紙をもらい、女王から「演劇界への貢献」を認められた彼は「大英帝国勲章のコマンダー(C.B.E.)に叙任され、その授与式にバッキンガム宮殿に出席するよう要請された」のだそうです。

 チャールズ皇太子から勲章を与えられたとき、モーガンは皇太子と5分くらい談話したそうですが、「脚本を書くのは大変な作業でしょう?」と問われています。そして会話の中で、チャールズから「私は何を残すかより、何を省くかを大事に考えます(I tend to think it’s not what you leave in but what you leave out that’s most important)」と言われたそうです。

――それって、チャールズ皇太子ご本人からの「私のタンポン・ゲート事件は、書いてくれるなよ」というメッセージだったのでしょうか(笑)。

堀江 モーガン本人も、離婚寸前のいがみあいをするエリザベスとフィリップの家庭生活が描かれていた当時の『ザ・クラウン』の内容がスキャンダラスすぎるという叱責だったのかも……と思わなくもなかったそうですが、王族の発する言葉は、ドラマにも描かれているように、どうとでも受け取れるような、曖昧なメッセージであることが多く、その実例として解釈されたようですね。モーガンは、皇太子の一連の発言は「何かを書く」という行為一般にまつわる世間話だったのでは……と考えているようです。そして堂々と「タンポン・ゲート」の事件も書いてしまったという(笑)。

 ただ、モーガンはスキャンダラスな真実を世間に晒して、「チャールズって本当はこういう一面もあるんだよ」と世界に訴えたいというより、ドラマでも出てきたけれど、王政という「システム」の中で翻弄され、苦悩する普通の人々として、王族を描きたいのだな、と感じましたね。

――ドラマの中で、ダイアナ妃は「カミラと不倫中のチャールズから、酷い扱いを受けている」と訴えるインタビュー番組に出演することになりましたが、出演をやめさせようとしたフィリップ殿下の“対決”シーンがありましたよね。あの中でも、「(王政という)システム」という言葉は印象的に用いられていました。

堀江 非常によいシーンでしたが、史実では両者にそういう対話があったという記録はありません。ただ、チャールズ皇太子からモーガンが受け取った「曖昧なメッセージ」に代表されるように、ドラマでは徹底して、「王族たる者、自身の感情や意見は抑えに抑えろ」という王室に伝わる“教え”が説かれていますよね。まさに王冠(=クラウン)を構成する貴金属や宝石のように、個人の心の中で何が起きていようとも、王族たる者、公明正大、堂々と振る舞いつづけなさい、と。

 第3シーズンの名シーンですが、エリザベスがベッドで寝込んでいる妹のマーガレット王女を訪問して、「私(エリザベス)が即位した頃、イギリスはまだ偉大だった。でも今は……(違ってしまった)」と嘆きます。

 しかし二人は「私たち(王族の仕事は)はひび割れに紙を貼ること。私たちのすることが派手で壮大で自信に満ちていれば、私たちの周りが崩壊していても誰も気づかない」などと会話するわけですが、実際、王族たちが、そういう頭でっかちな「王族論」を語り合ったりすることってあるのかな? それも体調不良の妹をお見舞いした席で語ることかな? とは思いつつも、王族という“特殊な職業”についてうまく表現できているシーンだな、と感じました。

――個人の感情など後回しで、公明正大さだけを期待され、それに翻弄される王族の姿は『ザ・クラウン』の見どころですよね。第5シーズンでもその手のエピソードで気づいたことはありますか?

堀江 あまり話題にはなりませんでしたが、これまでのシーズンで、もっとも深刻なシーンが含まれていたかもしれません。親戚を見殺しにして、それによって英王室の安定を試みる話がサラッと出てきているんですよね。エリザベス女王とフィリップ殿下がロシアを訪問し、1918年に革命勢力の手で惨殺されたロシア皇帝のロマノフ一家を追悼する儀式に参加したシーンを覚えておいででしょうか。私はこれこそが、『ザ・クラウン』第5シーズン最大の問題だったのでは、と考えています。次回につづきます。

Netflixドキュメンタリー『ハリー&メーガン』が映し出すメーガンの葛藤と傲慢

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回はいつものインタビュー形式から少々趣向を変えて、イギリス王室を離脱をめぐってすったもんだあったヘンリー王子とメーガン夫人を追ったドキュメンタリー番組『ハリー&メーガン』(Netflix)について、堀江宏樹氏のレビューをお届けします!

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 メーガンさんとヘンリー王子の結婚を、21世紀においてもあえて「貴賤結婚」だったと考える理由について前回もお話してきました。今回はその続きです。メーガンさんの「私はアメリカの平均的中流女性」という強固なアイデンティが、英王室とその伝統文化に新風を吹き込むどころか、摩擦を引き起こしていたことは、女王に謁見する時に女性が行うお辞儀の作法について、「中世のような」と揶揄した発言からも明らかだったと思われます。

 たしかに、20世紀後半以降、王室の(特に若い世代の)女性のスカート丈は短くなる一方で、靴のヒールも高くなる一方です。そのため、女性のスカート丈が極めて長かったころの伝統的なコーテシーにのっとったお辞儀だと両足の筋肉の緊張が如実に伝わってしまい、不似合いだと感じられるところはあります。

 しかし、そうした何世紀、何世代にもわたるコーテシーという伝統を、「中世みたい」と小バカにする権利は、いくら身分上は「妃殿下」であるメーガンさんにもないはずです。

 それに上流社会の礼儀作法、つまりコーテシーは(クラシック)バレエの基本的な振り付けにも反映されているものですし、バレエといえば、故・エリザベス女王が少女時代から親しみ、劇場にも足繁く通ってご覧になっていた“ハイカルチャー”の代表格のひとつです。

 メーガンさんが行った、両手を広げる動作は「中世みたい」というより、むしろ「バレエみたい」というべきであり、そういう適切な語彙選びができないということはは、彼女にクラシックバレエという“ハイカルチャー”に関する素養の欠落を証明しているのではないでしょうか。

 実は、筆者はこの問題発言まで、メーガンさんとヘンリー王子のイチャイチャぶりをさんざん見せつけられた後でもなお、彼女に一定の同情と共感はあったのですが、ここで感情が反転しました。

 イギリスの王室のメンバーはそれぞれが、メーガンさんが得意な慈善活動以外にも“ハイカルチャー”に属する芸術家の団体などのパトロンの肩書を得て活動するものです。メーガンさんのような態度で、果たして本当の意味で「妃殿下」としての活動はできていたのでしょうか。『ハリー&メーガン』内に出てくるヘンリー王子の発言にもあったように、自分たちのことをちゃんと扱ってくれない王室の面々に、積もり積もった不愉快さを伝えるべく、ドアをバーンと開けて「出ていくにはちょうどよい時期だった」ということには納得せざるをえないと感じました。

 そもそもヘンリー王子の私邸に滞在するほど、2人の関係が深まっていたのなら、その時点で、彼氏の仕事がどういうものなのか、どういうふうに行われているかを、調べるはずではないでしょうか。また、社交界デビューを控えた女性のために、コーテシーを教えてくれるマナー教師はイギリス、とりわけロンドンにはたくさんいるはずで、どうして最初の公務が目前に迫るまで「知らなかった」「英王室のメンバーの公務の映像なんて見たこともない」などと言っていられたのでしょうか? 

 自分の生きてきた“中流”以外の世界、そしてそこで必要とされる”常識”など存在しないかのように振る舞うメーガンさんの行動パターンはあまりに独善的であり、本当に最上流階級……もっというと王室に入って良い女性とは思えないものがありました。

 しかしそういう“部外者”だからこそ、新しい風を英王室に入れることができたこともまた事実だとは思います。短期間で終わった英国生活ですが、それでも彼女の貧しい人々に対する尽力には目を見張るものがありましたね(この番組ではじめて知りましたが)。ただ、これにも厳しい言い方をすれば、民間の活動家としては合格でも、王室のメンバーとしては本当に適切な範囲での尽力であったかは、また別の話といえるでしょう。

 かつてヘンリー王子の報道を担当していたという男性が「メーガンが何を言い出すかわからないので苦労した」というようなコメントをさらっとしたあたりに、周囲の困惑ぶりが透けて見えるようです。

 番組の構成にも首をひねらざるをえない部分がありました。本当はここまでお話してきた“貴賤結婚”の影の部分が大きく影響しているのに、それを“人種問題”に置き換えてしまっていた点です。番組を見た限り、メーガンさんは、ハリウッドで女優として役を得るために「有色人種の女優」というラベリングを受け入れたにすぎず、それまでの人生では黒人女性として誰にも扱われず、話を振られることもなかったと認めていましたが、それは「自分がそのように振る舞う必要がなかった」ということです。つまり「有色人種」として生き始めて、さほど時間も経っていない女性が、ほんとうに人種問題の当事者といえるのかどうかという話ですね。

 さらに、そういうメーガンさんとヘンリー王子がイギリスを出ていったことが、有色人種の多い国々で“象徴的意味”を持ち、2021年11月30日に式典が開かれましたが、カリブ海の島国・バルバドスが、英国王を君主と仰ぐ立憲君主制から共和性に移行した事件の主要原因であるかのように『ハリー&メーガン』が主張したのは、大きな疑問です(エピソード5)。

 実際、エリザベス女王の死をきっかけに、バルバドスと同じカリブ海のアンティグア・バーブーダでも、共和性への移行を問う国民投票が現在、行われているのは事実です。しかし、この件もイギリスより、中国に対する経済的依存度が高まっているので、いずれは「コモンウェルス(Commonwealth of Nations、いわゆる英連邦)」から離脱して完全独立したほうがよいのではないかという壮大な議論が主目的のはずで、いわゆる「メグジット問題」との関係は薄いでしょう。

 英国に数あるタブロイド誌をはじめ、報道メディアにデタラメの「ストーリー」を作られつづけたと訴えておきながら、今度は自分が離脱したイギリスという国、英王室という権威に後ろ足で砂をかけてみせるような行動で、「後悔しても知らないぞ」と、ハリー&メーガンが吠えているのは、呆れてものがいえませんでした。

 現在においても、王族に許されうるもっともラディカル(革新的)な言動は、伝統的な何かの保存……つまり本当の意味での「保守」が中心となるわけで、活動家としての色彩の強いメーガンさんには結局のところ「王室離脱」しか選択肢はなかったのでしょう。

 それにしても、王室からの経済的援助が得られず、警備面で問題が出てきたカナダの邸宅を出た後は、面識がない人のロサンゼルスの邸宅に転がり込み、何週間も滞在していたエピソードが番組では披露されましたが、過剰な恐怖心とは裏腹の腰の軽さは大問題です。

 タレント活動に行き詰まったころ、どこかの国の独裁者から、「うちの(お飾りの)国王になって」などといわれて、ホイホイと即位、その後、政権が打倒され、独裁者にも見捨てられ、ハリー&メーガンの身も危うくなる……などという「ストーリー」がありありと脳裏に浮かんでしまいました。

 実際に19世紀後半、ハプスブルク家の皇帝の弟に生まれたマクシミリアン皇子が、皇位継承者にはなりえず、飼い殺しというしかない現実に辟易として(ちょうどヘンリー王子が自身を「スペア」呼ばわりするように)、「メキシコ皇帝にならないか?」という誘いを真に受けて海を渡り、メキシコの地で念願の皇帝即位を遂げたものの、わずか3年で政局が変化、後ろ盾からは見離され、当地で革命勢力から処刑されて死亡という憂き目を見ているのです(詳しく知りたい方は拙著『愛と欲望の世界史』をどうぞ)。

「歴史は繰り返す」といいますが、ヘンリー王子とメーガンさんの未来が明るいものであることを願うほかはありませんね……。

メーガンは本当に“多様性のシンボル”なのか?Netflix『ハリー&メーガン』にモヤつく理由

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回はいつものインタビュー形式から少々趣向を変えて、イギリス王室を離脱をめぐってすったもんだあったヘンリー王子とメーガン夫人を追ったドキュメンタリー番組『ハリー&メーガン』(Netflix)について、堀江宏樹氏のレビューをお届けします!

 Netflix特別製作のドキュメンタリー番組『ハリー&メーガン』を拝見して、モヤモヤがいっそうひどくなってしまった視聴者の一人です。インスタグラムで知り合い、メッセージ交換で親しくなってから、初リアル……と「普通の人」ぶりを執拗にアピールしたエピソード1。

 しかし、実際の「普通の人」は彼らみたいに、デートで使う飛行機代だけで何十万円もかけても平気なワケがありません。2022年の夏、カナダのある都市からロンドン行きのビジネスクラスの切符代は5500ドル程度だったようです(筆者調べ)。日本円で約75万円なり。

 チャールズ国王と故・ダイアナ妃の間に生まれた「第二王子」である「ハリー」ことヘンリー王子と、その妃となったメーガンさんの結婚生活は、どうしてこれほどまでにトラブル続きなのでしょうか。

 歴史的な観点から見たところ、彼らが「貴賤結婚(morganatic marriage)」のカップルであったことが大きいでしょうね。貴賤結婚という文字面のインパクトに、たじろく読者もいるでしょうが、「社会的階層と経済的な格差に大きな隔たりのある相手同士が結婚すること、そしてそれによって生じる問題」を指しています。

 イギリス王室では、20世紀中盤、英国王エドワード8世が退位してまで、離婚歴のあるアメリカ人の平民女性ウォリス・シンプソンとの結婚を強行した「王冠をかけた恋」が有名ですね。

 ヨーロッパの王室の歴史を遡ると、ちらほらと貴賤結婚の実践者は見られます。インパクトがあるのは、19世紀前半、オーストリア帝国の皇帝の皇子のヨハン大公が、山村の郵便局長の娘、アンナ・プロッフルと結婚した“事件”でしょう。

「王室の縮小」を掲げるチャールズ王の方針で、ヘンリー王子とメーガンさんの間に生まれたアーチーくんなどにも王室のメンバーであると証明する爵位(タイトル)が与えられない可能性が浮上していますが、身分違いの結婚をしたヨハン大公とアンナの息子にも同じように爵位が与えられず、「王室のメンバーとして認めない」という決定が下されました。

 ヨハン大公は、料理上手なアンナとの結婚生活にはとても満足していたようですが……。

 こういう“事件”が起きた場合、当初は大スキャンダルになるものの、歴史の表舞台からはカップルの名前はひっそり消えていく傾向があります。実家からはハレモノ扱いを受け、表に出てくることを禁じられてしまうからです。

 しかし、「メディアの世紀」である21世紀の王族・ヘンリー王子は、従来どおりに沈黙を続けなかったのでした。「沈黙は金」(正確には雄弁は銀、沈黙は金)は、19世紀イギリスの作家トーマス・カーライルが有名にした古いことわざで、言うまでもなく日本以外でも使われています。しかし、沈黙するだけでは「金(カネ)」は稼げませんからね……。

 もはや名ばかりの王族となったヘンリー王子には、メーガンさんとセット販売されるリアリティ・タレントとして生きていくしか、活路はないのでしょうか。『ハリー&メーガン』では、ほぼすべての質問への口火を切るのはメーガンさんでしたから、口下手でシャイなヘンリー王子の行く末には不安が募るばかりです。

 そうしたヘンリー王子が抱える鬱屈が、活動的なメーガン・マークルさんをより魅力的に際立たせたのでしょうが、彼女は妃殿下向けというより、活動家向けのパーソナリティの持ち主でした。また、彼女の“中流アメリカ人意識”はイギリス王族の出身であるヘンリー王子との結婚でも微塵も変化せず、結果的に、二人の結婚は「貴賤結婚」といわれる関係にありがちな問題を大いに抱え込むことになったのです。

「21世紀に身分の話!?」と思われるかもしれませんが、欧米社会において、生まれ育った家庭環境、そして社会環境はスティグマ(刻印)として生涯、その人につきまとう代物だと今なお、強く考えられています。これは厳然たる事実で、メーガンさんがこの番組の中でとった言動を見ていても、明らかです。

 彼女はあらゆる貧困を支援する立場を崩さず、“多様性のシンボル”として振る舞いたいようでしたが、自身がギャングの横行する貧民街の出身だと報道されたことにはたいそうご立腹で、自分が少女時代に暮らした街並みや、住んでいた家を母親とともに車で移動しながら、「素晴らしい場所!」とコメントする姿をわざわざ撮影し、見せてきました。古風なタイプで、規範を守り、成績はオールAの優等生の少女であったとも……。

 しかし、後に自身が認めているように、イギリスの上流階級の頂点に位置する英王室出身のヘンリー王子とメーガンさんには身分的、経済的な格差だけでなく、文化的な大きな落差があり、これはどうやっても解決できるものではなかったようです。これが彼らの結婚を「貴賤結婚」だったと認めざるをえない理由となって、彼らに大きな不幸をもたらしたと考えられます。

 誰しもそうですが、自分をこそ、平均的な人物だと考えがちです。

『ハリー&メーガン』の発言を見る限り、メーガンさんは、とりわけそういう傾向が強い上に、自分が宇宙の中心のように生きており、周囲の人々にもその“秩序”に従うことを求めているようです。

 そして彼女は、自分の価値観の外に決して出ようとしないのですね。自分の生まれ育った文化圏を“最上”として捉えるがあまり、そのポジションから見て“下”になる貧しい移民層の人々の支援では強く輝くことができるのですが、それよりも“上”の世界にはまったく順応できず、輝きを失ってしまっていたようです。

 たとえば、彼女はヘンリー王子が属するイギリスの上流階級の伝統、慣例、文化にはまったく無知であり、無知であることをむしろ誇っているかのようなそぶりが見られたのには閉口してしまいました。

 とくにひどかったのは、イギリス国歌さえも知らないのでグーグルで調べたという発言や、女王に謁見するときに女性が行わねばならない、「コーテシー(courtesy)」にのっとったお辞儀の作法を「中世みたい!」といって、バカにしたような笑みを浮かべたシーンです。ヘンリー王子が、この時、さすがに妻を擁護する言葉もなく、困ったような顔で沈黙したのは興味深かったですね。

 メーガンさんは自分を「優等生」だと主張しますが、カメラを向けられると、その場を盛り上げるために口からあらぬ言葉がしゃしゃり出てしまう生粋のタレント気質なのかもしれません。とにかく、おおげさに両腕を広げ、「こういうお辞儀までする人もいる」と言ってから「中世みたい!」と付け足した彼女の様子には、あからさまな悪意が感じられました。

「なにもかも上手にこなせて当然」とされる王室の伝統と流儀の前に敗北し、「(私は)頑張ったけれど、それでも足りなかった」と涙するメーガンさんに、同情の余地はありますが、本当の意味で、馴染むための努力を行ったかどうかも私には疑わしく思える部分もあります。「家族を守る」と言葉面は立派ですが、ヘンリー王子が行う度重なる引っ越しなどに伴う莫大な金銭の支出以外、「家族を守る」という目標に具体的に取り組めていたかも疑わしいですね。感情の浮き沈みが台風に激しい妻にひたすら引きずられていただけ、というように見えてしまいました。

次回に続きます。

“天皇の主治医”めぐる問題とは? スキルより重視される「伝統」……庶民以下の医療体制

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回から引き続き、昭和天皇崩御の前後について雑誌記事中心に振り返ります。

――昭和天皇崩御当時の記事を振り返っていくと、マスコミの姿勢が今では考えられないほど宮内庁に“攻撃的”だったように思えます。その背景には、当時「がん」に関する情報や知識が一般的に乏しかったこともあるのでは、と思われました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇は危篤に陥られたとき、御年87でいらっしゃいました。これは昭和60年の記録ですが、当時の日本人の平均寿命は「74.95」歳にすぎません。平均寿命は戦後、じわじわと伸び始めていましたが、その平均寿命を13歳以上も上回る、87歳という長命のご老人は珍しかったといえる気がします。

 一方、平均寿命が「男性 81.47 年、女性87.57年」にまで伸びた2022年現在では、高齢者の多くが悩まされる病気として、「アルツハイマー型認知症」にならんで「がん」も挙げられています。

 昭和25年頃から「がん」は、日本人の死因の上位5位に入り続けたものの、老化現象のひとつとしての「がん」がクローズアップされるようになったのは、ごく最近の長寿社会ゆえのことだと思うんですね。

 ですから、この頃の雑誌記事を見ていると、昭和天皇がおそらく「末期がん」であるがゆえの「ご重態」にもかかわらず、宮内庁が「危機的状況ではない」と報道したことを矛盾だと指摘する記事が散見されます。それというのも、「たとえ末期がんであっても、病と共存できている期間は案外長く、つねにベッドに横たわっていなくてはならないわけでもない」という“真実”が、一般的には周知されていなかったからでは、と私は思うのです。

――なるほど。

堀江 「アサヒ芸能」1988年10月6日号(徳間書店)に掲載された「大報道陣をイラつかせる宮内庁の秘密体質」という記事では、陛下に「(がんに由来する)黄だんが見られた」にもかかわらず、昭和天皇が「大相撲見物を中止しなかった」ことについて、宮内庁の長官が叩かれていますね。

 それを知った、宮内庁OBにして元・東宮侍従だった浜尾実さんは「仰天」し、陛下がひたすら我慢しながら、宮内庁が決めた予定をこなしたのではと考え、宮内庁のお役人を批判するという文章があります。

――浜尾氏によると、重病でも寝ていられない「陛下がお気の毒」とのことですが……。いまでは、末期がんの方がお出かけするのは珍しくないと思われます。

堀江 この時、宮内庁の「侍従長」は、相撲見物を止めなかった理由を「お上(陛下)は相撲がお好きだし、ご体調も悪くなかったから」と回答しています。これを浜尾氏は、お役人特有のお気楽さだと受け取ったのでしょうが、本当は陛下のことを想った宮内庁の決断であろうと私は感じました。

 余命が宣告された、しかも高齢のがん患者さんにとっては、まだ自由に体が動くうちにお好きなことを何でもさせてあげることが一番、大事だと思うのですよね……。

堀江 もちろん、浜尾氏も昭和天皇のお体を思っての苦言だったのでしょうが、それがOBによる宮内庁批判として、雑誌に公然と掲載されてしまったことは、よろしくはなかったと私は考えます。死が近い状態に変わりなく、また重い病におかされていたとしても、周囲の助けを借りつつ、最後まで自分らしく生きることはできますから……。

――前回のお話にも出てきた、エリザベス女王の事実上の危篤宣言の中で、直訳すると「(女王は危篤ではあるけれど)快適に過ごしている」という、一見矛盾するような部分にも通じるお話かと思います。

堀江 そうですね。たしかに、エリザベス女王も昭和天皇も、最後までできる限り、ご自分らしく、そして君主としての生を立派にまっとうなさったのでは、と感じました。

――それにしても侍医から健診を定期的に受けていたはずの昭和天皇が、開腹手術になった時点で手遅れの末期がん……いくら「膵臓がん」が検査では発見されにくい病気とはいえ、意外に思ってしまいました。

堀江 「天皇だから、最高の医療に日常的に恵まれているのではないか」というわれわれの想像は幻想にすぎなかったと、さまざまな記事からわかります。

 たとえば、公益社団法人「日本人間ドック学会」のウェブサイトからの情報ですが、症状がなくても、自費で全身検査が受けられる「人間ドック」については、「1954年(昭和29年)7月12日、国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター)」で開始され、「次いで聖路加国際病院など、全国の病院や施設で人間ドックが創設」とのことです。

 当時、すでに人間ドックはありましたが、少なくとも昭和天皇は受けてはおられなかったようです。

――ええっ……なんだかショックですね。

堀江 これは三笠宮寛仁親王のインタビュー記事(小学館「女性セブン」88年10月20日号)でも明らかなのですが、「(天皇)陛下には侍医団」がいる。しかし、全員が内科医ばかりで、偏りがあると思われる状態でした。

 そこで、「専門的な治療が必要になれば、その道の専門家がつねにいなきゃいけない」という、複数の医師からの助言をえた寛仁親王は、87年に昭和天皇が開腹手術をお受けになられた時点で、そういう医師たちの見解を踏まえ、「当時の宮内庁長官や侍従長に電話して、かなり突っ込んだ質問をした」そうです。

 親王から「いまの体制でほんとうに大丈夫なのか」と聞かれた宮内庁のお役人たちは「現在の体制はゆるぎもしない体制であり、最善の策」と断言したので、寛仁親王は「黙った」……つまり、皇族としてこれ以上、求めることは不可能だと悟って、追及をおやめになったとのことです。

――侍医団は皇族のためにあるというより、お役人の意向が重視される世界ということなのでしょうか? 

堀江 いや、寛仁親王は、皇族として民意を尊重せねばならないとお考えだったのでしょうし、その民意を宮内庁の決定に感じたがゆえに、追及をストップなさったということでしょうね。

――なぜ昭和の末になっても、本当は最良とはいえない医療環境に昭和天皇をはじめ、皇族がたは置かれていたのでしょうか?

堀江 天皇の身に重大な異変があってほしくないからこそ、逆に事なかれ主義になってしまう部分もあるでしょう。病気が見つからないほうがよいから、人間ドックにかからない……といったことかと思われます。このように、現在とは皇族、とりわけ天皇の身体について、まるで考え方が違うのですよ。

 たとえば、1987年に昭和天皇の開腹手術を担当した森岡恭彦東大教授(当時)が、手術後、天皇陛下の診察はもちろん、面会さえしないままだった事実がさまざまな記事に書かれています。

 これについては秘密主義の宮内庁にとっては、東大という「“外部”の人間から、情報が外に漏れること」を「嫌ったため」という推測がなされたり(「アサヒ芸能」1988年10月6日)、皇室ジャーナリストの河原敏明氏の見解では「『玉体(=天皇陛下の身体)にメスを入れた』うんぬんの右翼サイドからの批判」を、教授が気にしたからでは、というのもありますね。

――医療行為とはいえ、天皇の体を「傷つける」という古来からのタブーを犯した、という考えなのですね。推測はともかく、実際はなぜ、森岡教授はその後、昭和天皇を診察することがなかったのでしょうか?

堀江 記事を見た限りでは、それについての情報は見つからずじまいでした。「文藝春秋」(文藝春秋、87年12月号)に掲載された森岡教授による「執刀記」という記事も読みましたが、例の手術の「成功」後、陛下が危惧された合併症を起こすことがなかったので、これにて「苦心した外科医(=森岡教授)と医療チームの仕事は、ともかく終わった。今は陛下が末永く御健康であられるように願うのみである」と発言、自分の関与はこれで完全に終わりであるような口ぶりなのは事実です。

――成功したという手術でも、結果として昭和天皇の「がん」を完治させうる手術ではなく、「がん」の進行を食い止める程度のことしかできなかったわけですよね。「外科医」として自分にできることはもうないから、お会いできない……ということだったのでは? とも思ってしまいます。

堀江 そうですね。ですから、右翼からの報復云々という河原氏の推測は間違っていたと思います。ただ、陛下にはいくらなじみがあるとはいえ、当時の侍医団の手にまた任せてしまって、「それで良し」としてしまったのは、かなり思い切った決断だったようにも思いますね。

 診察中、立ってもいられないほど健康上の問題がある高齢の侍医も、“天皇の主治医”でありつづけられたというような事例があるらしいですから。

――それはすごく問題のような……。ひょっとして、侍医に求められている条件は医師としてのスキルとは別のなにかなんでしょうか? 天皇を長年診てきたのだという侍医の持つ「伝統」が、天皇家のプライベートスペースである「奥」では重視されてしまうとか?

堀江 はい。「天皇陛下は私たちのものだ!」という侍医団が、森岡教授から陛下を取り戻そうとした結果だという見方もできるかもしれませんが、実際は、余命わずかと推測される天皇のターミナルケア(=終末期の緩和ケア)を、部外者である自分より、陛下が長年、慣れ親しんだ宮内庁の侍医たちに任せるのが最善と森岡教授もお考えになったのでは、などとも推測されます。

 もちろん患者の症状について承諾もなく公表することは、医師としてできないから、例の「執刀記」などでは肝心の部分に沈黙を貫いたということですね。

――「浜尾実元東宮侍従と河原敏明(皇室ジャーナリスト)が究明する『宮内庁側近の弊害!』」(「アサヒ芸能」1988年10月13日号)という記事には、浜尾氏の見解として「むしろ、われわれ庶民のほうが病気の際には、より自由で機敏な処置を受けられる。皇族方は逆に、ご不自由であるといった逆転現象」が指摘されています。

堀江 実際、先日も宮内庁の発表で、われわれは天皇陛下が前立腺の検査を継続的にお受けになっていた事実をはじめて知ったわけですが、昭和期よりは、より適切な医療、検査を現在ではお受けになられていると願われてなりませんね……。

「昭和」最後の日、天皇崩御時の報道フィーバーと「自粛」空回り―日本中の異変からわかること

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回から引き続き、昭和天皇崩御の前後について雑誌記事中心に振り返ります。

――昭和天皇がいよいよ危篤だという時には、どういう情報が出ていたのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 天皇が崩御なさった昭和64年1月7日は土曜日で、NHKは早朝から特設ニュース枠にて特別放送をしていました(WEBマガジン「NHK政治マガジン」、2017年12月11日「昭和最後の日へタイムスリップ」)。

 この記事によると「皇太子殿下(=現・上皇さま)が皇居にかけつけた」「宮内庁が『ご危篤』と発表した」「竹下総理大臣(当時)が皇居にお見舞いに行ったあと、総理大臣官邸に入った」……などなどのニュースが次々と報じられ、「午前7時55分、宮内庁の藤森長官(当時)は、昭和天皇が午前6時33分に崩御したことを発表。NHKも、昭和天皇の崩御と今の天皇陛下(=現・上皇さま)の即位を伝えました」。

 その直後に、ご最期まで隠してきたが、昭和天皇のご病名は「十二指腸乳頭部周囲腫瘍、腺がん」だとする発表が宮内庁からもあったのは、前回お話したとおりです。

――朝日新聞などが「膵臓がん」とフライング発表してしまったのですが、その病名はあえて「踏襲せず」なのですね。

堀江 宮内庁のプライドということもあるでしょうけれど、進行後のがんは転移しやすくなりますので、実質的には「全身がん」の状態だったでしょうね。陛下の直接の死因となった症状が、その「十二指腸乳頭部周囲腫瘍」だったということでしょうか。

 お話が現在のイギリスに飛びますが、この約33年前の宮内庁より、2022年のイギリスのバッキンガム宮殿広報部のほうがすさまじく秘密主義だと思いました。

 女王の死因は「老衰」であると公表はされたので、昭和天皇の「(全身)がん」とは違う衰え方だったかもしれません。しかし、晩年の女王について体調不良や病状の公表はわずかに1回あっただけ。昨年(21年)末、“episodic mobility problems”(一時的な歩行の問題)が伝えられただけなんです。

 女王が亡くなった9月8日も、昼過ぎに「女王の医師団が、女王陛下は健康が懸念される状態であり、医師団の監督のもとに置かれる」という発表があっただけ。

――振り返ってみれば、これが実質上の危篤宣言であったようですね?

堀江 はい。しかも、危篤宣言だったにもかかわらず、“The Queen remains comfortable and at Balmoral”――女王は(滞在先の)バルモラル城で「comfortable(快適)」に過ごしている……などと訳せる衝撃の文章がついていたんですね。

――すごい矛盾を感じざるを得ません。この3時間ほど後に女王は亡くなったのですよね?

堀江 はい。死の直前でも快適……先ほども申し上げましたが、女王の死因は「老衰」だったので、この「comfortable」という単語を「何かの痛みに苦しむことなどはなく」と訳した媒体もありましたが……。とにかく、ヨーロッパでは国家の命運を体現する存在が君主であり、君主が体調不良でネガティブな状態に陥ることなど公にはありえない、認めないぞという超伝統的な立場を貫いたとも読めますね。

 とにかくすごい秘密主義だと思わせられるわけですが、それに比べると、昭和末期の日本の宮内庁は情報公開を「頑張った」ほうだといえるでしょう。

堀江 しかし、君主の体調不良については、どれほど情報を公開しても、「もっと、もっと!」とマスコミからは求められ、そのことが君主ご本人にとって「良いこと」にはならない可能性があったと思います。昭和天皇のときは、それが顕著だったのではないでしょうか?

――どちらが良いのかわからないですね。天皇家の方々における、とくに重篤な病状の公開は、昭和天王崩御時の報道フィーバーを考えると、今後は慎むほうがよいと堀江さんはお考えですか?

堀江 そうですね……。深刻な体調不良が明らかになると、国民生活への影響が大きいというのもあります。実際、昭和天皇重体報道が飛び交うと、日本中で「異変」が起きました。

 その名も「皇族はどう考えていらっしゃるか 『陛下の御心を思うに国民の行事自粛は行き過ぎです』」という三笠宮寛仁親王のインタビュー記事(小学館「女性セブン」1988年10月20日号)では、「相次いだ“自粛・取りやめ”」の例として、各地のお祭りの類いが自粛となったのに続き、「日産自動車の新型車CMのコピー、井上陽水がいう“みなさんお元気ですか”というセリフが口パク」になったとか、東京トヨペットが「生きる歓び」というポスターを撤去したとかいろいろとありますね。

――ほかには東海3県のスーパーが、お赤飯を置かないと決定したとか、びっくりの反応があったようですね。

堀江 だいぶ空回りしている感じはします。「陛下の体温が39度を超え、危機が報じられた(88年)9月24日には、フジテレビでは『おそ松くん』『オレたちひょうきん族』『ねるとん紅鯨団』『オールナイトフジ』が放送中止に。他局もバラエティやプロレス番組が中止」となり、「五木ひろしはじめ、芸能人の豪華挙式の延期」も相次いだそうです。

――お笑い系は勝手に自粛されてしまうわけですね。なつかしの人気テレビ番組や、「芸能人の豪華挙式」とか、いかにもバブル時代って感じがして、つい遠い目になってしまいます。

堀江 しかし、こうした世間の反応に対し、寛仁親王が「予定通りにさまざまな行事は執り行ってほしい。それが(昭和天皇の)思いに叶うのだから……」という主旨のことをお話しているのですが、やはり日本各地でこの手の自粛・延期は続きました。

――ここまで深刻な自粛体制だったとは驚きでした。

堀江 そうなんですよね。だからこそ、現・上皇さまのご退位という決断も、自身に今後「もしものこと」が起きても、前・天皇であれば国民生活への影響を最低限に留められるのでは、というご配慮が感じられるものでした。

 「昭和最後の日」にお話を戻すと、昭和天皇崩御と、平成の天皇即位のニュースとともに「平成」の元号が発表されました。発表をした小渕恵三さん(当時官房長官、のちに内閣総理大臣)が「平成おじさん」として有名になりましたね。

堀江 しかし、この元号の発表にも実は驚きの事実が隠されているのです。「FRIDAY」(講談社、88年10月7日号)では、昭和天皇が同年9月19日深夜に大量吐血なさったことをうけて、輸血用の血液輸送車が到着、現・上皇さま、上皇后さまが車で皇居にかけつける様子を記事にしているのですが、この時、「陛下『重体』の情報が流れはじめた。政府も『万一の自体に備えて』、ついに『新元号』の検討を始めた」とあるのです。

――新元号の検討開始が、昭和天皇がご存命中なのに、世間に宣言されてしまっているのですね! さすがに失礼な気もします。

堀江 「アサヒ芸能」(88年10月6日号)によると、「天皇陛下のご容体が急変した翌朝(9月)20日、政府は早くも新しい元号を決める準備作業に入った」として、「政治部記者」が「実は、新元号の候補案はもうできあがっているんです。3案あって、首相官邸の金庫の中に封印されて入っている」と明かしています。

 そして、「昭和」が決まったときのように宮内省ではなく、政府が主導して選定に尽力ともあります。政府筋にも、昭和天皇が末期がんであるという情報は入っていたと思われます。だからこそ、このタイミングでの元号選定開始が試みられたのでしょう。

 しかし、依然として宮内庁は本当の病名を隠しつづけたのは、たしかに不条理な気もしますよね。秘密主義と叩かれても仕方ないというか。しかし、改めて考えると、当時の宮内庁には「そうするしかなかった」……そういう気もしてきたのです。

――次回につづきます。

朝日新聞のスッパ抜きに宮内庁は激怒! 天皇ご本人にも伏せられた“事実”に皇族の反応は……

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――前回から昭和天皇崩御の前後におけるマスコミによる病状の報道を、雑誌記事中心に振り返っています。1987年に開腹手術を受け、「腸の通過障害」の除去に成功したと報道されていた昭和天皇ですが、89年9月、大量の吐血を何度もなさったことで「重病」であるという事実が世界中に知れ渡り、騒然となりました。

堀江宏樹氏(以下、堀江) それまで「回復中」だと宮内庁が発表していたにもかかわらず、実際は真逆だったということが問題視されたのだと思います。

 朝日新聞・共同通信社が、昭和天皇の病について実は「膵臓がん」だと報道した時、報道協定を破られた宮内庁は激怒しました。その事実がその時までは陛下ご本人には告知されていなかった可能性もあったようです。

 また、昭和天皇の「本当の病名」や「容態」は、陛下とは叔父と甥の関係である三笠宮寛仁親王にも、微妙に伝わりにくい状態だったらしいことが、親王のインタビュー記事からわかるのでした。

――寛仁親王によると、皇族の区分である「内廷皇族」と「内廷外皇族」で、与えられる情報に差があったとか。ほかにも、たとえば「内廷外皇族」の場合、陛下のお見舞いに出かけても、面会できないこともあったようですね。

堀江 「週刊読売」(読売新聞社、88年10月9日号)によると、「皇后さまのいとこ」の旧皇族の方々が皇居にお見舞いにこられたものの、陛下が9月に危篤になった直後の段階では、面会が許されたという情報は見つかりませんでした。

 一方、昭和天皇の(元)皇女(四女)の池田厚子さんは、当時の身分は「一般人」でしたが、それでも昭和天皇の病室に駆けつけ、病床の陛下と面会なさいました。また三女の鷹司和子さん、五女の島津貴子さんも池田さんに少し遅れて到着、陛下にご対面なさるということがありました。(元)皇女の方がたは陛下の手を握り、お励ましになったそうです。

――皇族であるかよりも、近親であることが重視されたみたいですね。

堀江 島津貴子さんは「週刊読売」のインタビューに答え、陛下には「ほんの短時間」面会できただけだったが、「直接お目にかかったところ、意識もしっかりしておられ、ホッとしました」という談話を残しました。一方、病名などに関して「宮内庁からは、まだ何の連絡もありません」とのこと。

 池田厚子さんは「(昭和天皇が)早くお治りになるよう願っています」とも言っているので、もしかしたら、一部の報道機関で報じられた「天皇が末期がん」という事実は、肉親(あるいは肉親の一部)にも長い間、伏せられ続けていたのかもしれませんね。もちろん、すべてわかっていても、娘として、父親の奇跡の回復を願う本心がそう言わせたのかもしれませんが……。

――現代と、昭和末期の病状の公表についての感覚の違いには驚きますね。

――そして朝日新聞・共同通信社が「末期の膵臓がん」をすっぱ抜いてから約3カ月後の翌89年1月7日早朝、昭和天皇は崩御なさいました。

堀江 島津さんや、池田さんたちお子様がたは、陛下の手を握ったり、おみ足をさすったりしてお看取りになったとのことです。実はこうした情報は、まさに陛下が崩御なさった当日、雑誌「SPA」(扶桑社)が島津さんと池田さんのお二人にインタビューを敢行しており、その記事がソースなのです。

――「父・陛下の最期は穏やかでした」という記事(「SPA」89年1月19日号)ですね。昔の「SPA」って、“中流サラリーマンの悲喜こもごも”みたいな記事が目立つ現在の誌面とはかなり違い、硬派な気が……。

堀江 私もびっくりしました。この記事もだいぶ驚くところがあって、インタビュアーもなぜかフジテレビのベテラン・アナウンサー(当時)の露木茂さんなんですね。

 昭和天皇崩御の当日早朝、宮内庁は「諸般の事由から慢性膵炎と公表してきましたが、最終診断は十二指腸乳頭部周囲腫瘍、腺がんとします」とついに発表しています。

 本来なら、(元)皇女である池田厚子さんと島津貴子さんには「本当はどの程度、昭和天皇の病状をご存じだったのですか?」と聞きたかったかもしれませんが、そういう話は一切ナシ。おそらく、そういう話で打診したら断られると感じたので、「陛下の最期のご様子と、父・昭和天皇との思い出を振り返っていただきたい」というオファーを送って、お二人のインタビューが成立したという経緯が感じられる記事でした。

――それでも昭和天皇の闘病生活を、お二人がどう見守ったかという質問がちらほら、断片的に出てきていますね。

堀江 そうですね。池田さんは9月に昭和天皇の重態が発表されてから、「20回以上」、岡山から東京まで通ってお見舞いされたそうです。

 一方、島津さんは「9月の半ばごろは私もだいぶパニックを起こしていたのですけれども、とても長いこと(昭和天皇が)頑張ってくださって、その間に、なにか心の準備をさせてくださったような気もします」とおっしゃっています。

 こういうコメントからは、さすがに宮内庁もお二人をはじめ、近しい親族の方には本当の情報を(少なくともある時期からは)伝えていたのだろう、と思うのですが、いかがでしょうか。

――そうですね。ただ、国民には崩御当日朝まで「がんではない」と言っていたにもかかわらず、やっぱり「がんでした」と認めるようなことになってしまったので、お二人も「本当は知っていた」とは言えない雰囲気も出ている記事ですね。

堀江 島津さんは混乱なさって、もしくは悲しすぎて思い出したくないからだと思いますが、ご結婚に際して、昭和天皇から贈られた言葉を「あんまりはっきり覚えてない」と発言しておられます。

 愛するお父さまが亡くなった日に、昭和天皇が国民にとっては「父」のような存在だったとはいえ、実の父親との思い出を語らねばならない立場……いくら(元)皇女というお立場とはいえ、つらかっただろうなぁと心が痛みました。

 縁起でもないお話ですが、今後、こういうことは、結婚によって皇室を離れた眞子さま、そして離れる可能性がある佳子さま、愛子さまなどにもあることですからね……。まぁ、「インタビューは受けない」という選択肢もあるにはあるでしょうが……。

――次回につづきます。

エリザベス女王と昭和天皇にみる「マスコミの情報操作」ーー“開示的”すぎた宮内庁の失敗とは?

 

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――前回までは、現在の英王室と皇室に注目して、ウィリアム王子やヘンリー王子のキャラクターと秋篠宮さまと天皇のキャラクターの違いを考察いただきました。王族・皇族の世界は似ている部分も感じられますね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 今年の9月8日のイギリスのエリザベス女王の崩御と、その前後の報道を見ていると、昭和天皇のときのことが思い出されて仕方ありませんでした。当時、私はまだ小学生でしたが、それでも「報道には秘密にされた部分が多いのではないか」と、ぼんやり感じていたものです。

 しかし、大宅壮一文庫で昭和天皇崩御時の病状がどのように雑誌で報道されてきたかを読んでみたところ、秘密めいた印象は当時のマスコミ(とくに雑誌関係)の情報操作の可能性が高いと思われました。

 当時の日本の宮内庁は、イギリスのバッキンガム宮殿の広報部に比べると、まったく秘密主義でもなんでもないといえるレベルに開示的だったのです。

――それは意外な気がします。最近の宮内庁は秘密主義ですよね? 皇后・雅子さまのご病気も「適応障害」であると、かれこれ20年近く前に発表があってから、詳しいことはそれ以上、あまりわからぬまま今日に至っています。

堀江 はい。ただ、こういう現代の宮内庁のマスコミへの態度も、昭和天皇崩御の際、多くの情報を出しても、それが思った効果をあげられなかったことへの教訓から情報解禁しなくなった側面も確実にありそうな気がしたのです。

 あらためていろいろと調べてみて、大きな衝撃を受けたのは、昭和天皇の容態が1989年(昭和63年)9月24日に急変した時、ご本人にもおそらく伝えられていなかったらしい真の病名――(末期の)「膵臓がん」を朝日新聞と共同通信が勝手にスッパぬき、宮内庁の許可なく発表してしまった“報道禍”でした。

――ええっ!? それはさすがに宮内庁もクレームを入れてきますよね……。

堀江 当時の宮内庁長官・藤森昭一氏は、朝日新聞と共同通信に「陛下の意識がはっきりしておられる時期に、このような記事が出されたことは適切さを欠いていると思う。自制してほしい」と申し入れを行いました。しかし一度、表に出た情報を、再び隠せるわけでもありません。

 「アサヒ芸能」(徳間書店)88年10月6日号の「大報道陣をイラつかせる宮内庁の秘密体質」という記事で、浜尾元東宮侍従が「わたし個人とすれば、一般社会で『ガン告知』の是非がいわれている現時点においては、いささかやりすぎ」とコメントをしているのですが、その後、彼と元祖・皇室ジャーナリストである河原敏明氏の対談では、要するに宮内庁の発表がまどろっこしかったから、国民の知る権利が優先され、こういうことになってしまったんだ! という主張になっているのです。

――うーん、でもこれは完全にマスコミのほうが悪いように思われます。一般的に本人への「がん告知」がなされていなかった時代に、自身の病気について報道で知るなんていくらなんでも……。

堀江 はい。イギリス王室も「秘密主義」で知られ、とくに王室のメンバーの健康状態については「詳しい発表はしない」という姿勢をバッキンガム宮殿の広報部にも固持させています。

 それに比べると、昭和末の昭和天皇の病状については、体温や食事内容などがテレビのテロップになって何時間かごとに流されるなど、毎日、かなり詳細な情報が宮内庁からは出されていたことがわかります。

――しかし、それでも宮内庁は秘密主義であるとか、まどろっこしいといわれつづけ、あげくのはてにオフレコの情報としていた「陛下の病名はがん」が、一部の報道機関にすっぱ抜かれてしまったということなんですね。

堀江 そうですね。宮内庁がマスコミ相手に天皇陛下の病状を事細かに報道したのは、昭和天皇の事例が日本史初のことでした。だから、出すべき情報と、たとえオフレコでも出さないでおくべき情報の取捨選択がうまくいかず、結局はめちゃくちゃになってしまったということだと思われます。

 がんの告知は、現代でも難しいテーマですよね。しかもそれが末期がんとなると……。

堀江 記録がある中、日本史において最初期に末期がん患者として余命宣告をされたのは、明治時代の大政治家・岩倉具視(いわくらともみ)なんですが、この時も外国人の主治医が、「あなたなら、死が近いと伝えられても衝撃に耐えられるだろうし、その時期を知っていたほうが職務上、いいと思った」

 と、岩倉に「あえて」余命を告げた記録があります。実際、岩倉は告知に感謝し、死の直前まで仕事を続けて、亡くなることができたわけですが……。

――現在でも、高齢者の方にはがんの余命宣告をすることの“功罪”については議論がありますよね。陛下やご家族の方々は、本当に何もご存じではなかったのでしょうか?

堀江 直接、その疑問に答える記事は見つかりませんでしたが、かなり興味深いコメントを、昭和天皇の甥にあたる三笠宮寛仁親王がなさっています(小学館「女性セブン」88年10月20日)。

 これは雑誌の発売時期から見て、同年9月19日深夜以降、何回か起きた昭和天皇の吐血事件の衝撃から1週間~10日前後あと……それこそ、朝日新聞などによる「膵臓がん」スッパ抜き報道を受けてのインタビュー記事だったと考えられます。

 寛仁親王は、本当に天皇陛下は「がん」なのか? と聞かれると「ぼくは医学の専門家ではないから、陛下ががんに蝕まれていらっしゃるかどうか、全然わかりませんよ」と、言いつつも、この記事の前年87年9月22日に「腸の通過障害を除去する手術を受けられた」ことについて触れ(講談社「FRIDAY」88年10月7日号)、この「手術がいちおう成功して」という言葉遣いになっているわけです。

――「いちおう成功」……微妙な言い方ですね。

堀江 はい。昭和天皇には秘匿されていた可能性は高いですが、おそらく陛下に近しい方々、そして現役の宮内庁関係者は全員、「昭和天皇は余命1年」などと知っていたのではないか……と推察します。「腸の通過障害を除去する手術」は、昭和天皇の膵臓がんが腸を含む全身に転移してしまっていたことを受け、少しでも余命を伸ばすための方策であったのではないでしょうか。

――「陛下に近しい方々」とは具体的にいうと?

堀江 三笠宮寛仁親王ご本人が「女性セブン」のインタビュー記事でわかりやすく解説してくださっているのですが、「われわれ(=皇族)の世界でいうと、両陛下をはじめとして皇太子ご一家(=現在の上皇さまご夫妻と、そのお子さまがた)は内廷皇族と申しあげており、常陸宮さまから、秩父、高松、三笠、私、桂、高円という宮さまがたは内廷外皇族」とのことで、「陛下に近しい方々」とはここでいう「内廷皇族」の方々であろうと思われます。

 内廷外皇族は天皇に対して「距離」があって、たとえ寛仁親王のように、天皇陛下とは叔父と甥の関係でも、お見舞いが自由にできる立場とは違うのだ、とお話されています。

 実際、寛仁親王は、このインタビューの時点で、昭和天皇の容態急変から3回(だけ)お見舞いに行けて、陛下の容態次第だったとは思うのですが、言葉を交わせた程度の交流が1度あっただけだったと明かしておられます。

――そのほかの皇室関係者はどうだったのでしょうか?

堀江 たとえば、戦後すぐに臣籍降下した旧皇族の方は、少なくともこの時の陛下に直接お会いにはなれず、昭和天皇にとっては「忠臣」にあたるような人物……たとえば、第二次世界大戦末期、天皇による「終戦宣言」を録音したレコードを決死の覚悟で守り抜いた逸話のある徳川義寛(元)侍従長にも、大きな距離がありました。陛下がもう亡くなりそう、という電話連絡すら入らぬまま、徳川元侍従長は崩御をラジオで知ったそうです(光文社「FLASH」89年1月31日号)。

 しかし、「一般人」でも、重体の陛下にお会いになれる方がいました。民間に降嫁なさった元・皇女の方々です。

――次回に続きます。

秋篠宮さま、かつては皇室を出ていく発言も! 「王室脱退」メンバー相次ぐ英国との違いとは?

皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回から引き続き、今回も新国王が誕生した英王室について聞いていきます。

――英王室の恋愛・結婚はいつくらいから世界の注目の的になってきたのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 19世紀後半くらいからでしょうか。しかし当初は社交界の艶話として、前回も少しお話した、ヴィクトリア女王のインド人使用人に対する「秘密の恋」も語られていたにすぎないと思います。彼女の息子のエドワード7世は、母親が長生きしすぎたせいで何もすることがなく、情事にうつつをぬかすプレイボーイであったいう逸話も、上流階級限定のうわさ話というような……。

 しかし、恋愛や結婚問題が完全な表沙汰となり、王室を語る上で避けられないテーマになっていったのは、第二次世界大戦後、ヘンリー8世の「王冠をかけた恋」が大々的に報道されてからでしょうね。エリザベス女王もフィリップ王配(エジンバラ公)の浮気に苦悩したとかいろいろといわれています。こちらはNetflixの『ザ・クラウン』でかなり誇張された形でドラマ化されていますね。

――近年の英王室の結婚スキャンダルといえば、なんといってもチャールズ皇太子とダイアナ妃の話ですが、思えばエリザベス女王の子どもたちは全員、この手の男女スキャンダルの当事者になってるんですね。特にスキャンダルの点で「すごい」のはアンドリュー王子でしょうか。1986年4月10日号の「週刊文春」(文藝春秋)には、当時26歳の「英国王室の次男坊殿下」アンドリュー王子と、同年のセーラ・ファーガーソンさんの婚約が発表されたとたん、すごい騒動が始まったとありました。

堀江 報道からわずか10日あまりの間に、セーラさんの過去の異性スキャンダルがてんこ盛りで報道されはじめたのです。この点、眞子さんと結婚したことで、小室圭さんの家庭事情が暴かれたのと似ているかも。

 アンドリュー王子もポルノ女優と交際したことが知れ渡っていましたが、セーラさんも22歳も年上で私生活に問題のある恋人と3年も交際、同棲までしていたそうです。

――「文春」の記事を見ると、とくに「同棲」という経歴が問題だったみたいですね。同棲=処女ではない、として王族の妃になるのは望ましくないととらえられたのでしょうか?

堀江 そうでしょうね。欧米においては伝統的に「処女でなければ、まともな結婚は期待できない」という重圧があり、それを無視した生き方のセーラさんには好奇の目が(海を渡った日本の地でさえ)向けられたことは面白いですね。

堀江 セーラさんの実家のファーガソン家は、「いまでこそ貴族ではないが、たどって行けば17世紀の国王チャールズ2世にまでつながる名門」と記事にもありますが、王様が愛人に生ませた庶子の子孫ということでしょう。チャールズ2世のニックネームは「愉快な王様」。王妃であるキャサリン妃との間に子はなかった一方で、多くの愛人女性を持ち、庶子として確認されているだけでも14人もいたことになっています。

――うわー。日本では考えられない状況ですね。そういえば、チャールズ新国王の妃となったカミラさんも、たしかセーラさんと同じような先祖持ちでしたよね。

堀江 カミラ妃は、彼女の高祖母……わかりやすくいえば“ひいひいおばあさん”にあたるアリス・ケッペルが、エドワード7世の愛人でした。国王の愛人になることは、名誉なことではあったのですが、愛人と正妻になれる女性は完全に別枠。身分差があるわけです。

 国王および王族の正妻となるには、国内では最高位の貴族、もしくは外国の王族のプリンセスがふさわしく、それ以外のセーラさんのような女性は、いくら上流階級の出身でも「ステイタスが低い」と20世紀後半でもみなされてしまっていたのです。「わざわざ昔の国王の愛人の子孫と正式に結婚するなんて……」という目が、セーラさんと結婚したアンドリュー王子にも向けられたでしょう。

――だからこそ、れっきとした伯爵令嬢だったダイアナ妃は、社会的ステイタスの点ではチャールズ皇太子の嫁として満点だったわけですね。

堀江 そうです。でもダイアナ妃はステイタスでは満点でも、チャールズ王子との相性が落第点だったので、不幸なことにしかなりませんでした。

 一方で戦後の日本の皇室男性に関しては、基本的に「お嬢様」と結婚していらっしゃいますが、旧華族の女性が選ばれることはほとんどありませんでした。上皇さまの弟宮・常陸宮正仁親王の妃の華子さまが、元・大名華族の津軽家のご出身だったくらいでしょうか?

――日本の皇室の場合は、敗戦後、支持率が大いに低迷した時期があり、それを「国民との結婚」という象徴的な意味をもたせたイベントによって、乗り越えねばならなかった……というお話が以前ありました。お嬢様とはいえ、身分は「一般人」である美智子さまがまさにその存在ですか?

堀江 そうですね。日本と比べると、イギリスは現在……とはいえないまでも、最低でも数十年くらい前までは、隠然たる階級社会が存続していたのだなぁ、と思われてしまいます。

 とはいえ、例のアンドリュー王子はポルノ女優以外にもモデルやバレリーナ、女優など多くの女性と浮名を流していたし、セーラさん自身も恋人男性の主催する「ワイルド・パーティ」に出席していたとか。

――それって乱交的なパーティということですか?

堀江 そうみたいですね。セーラさんの元・同棲相手で22歳年上のバディー・マクナリーさんは「世界各地の有閑階級の人々を集めて乱痴気パーティをひらいていた」。ただ、こういう倫理観が「ゆるい」女性だからこそ、そういう方面が同じく「ゆるい」アンドリューもやっていけると思ったのでしょう、離婚はしちゃいましたけど、人間としての相性はよくて、結局、今でも一緒に住んでいるようです。

――よほど気が合うんですね。そういえば、セーラさんはハリー王子と同じように元・王室メンバーとしての存在感をビジネスに利用もしているとか。

堀江 晩年、こういう問題児にも態度が軟化していたエリザベス女王にもセーラさんは上手に取り入り、宮殿に再び出入りするようになっていました。ただセーラさんの場合は、単に(元)王室メンバーの元妻の立場を利用しているだけというより、アンドリューの心の支えでもあるみたいですよ。それこそ潔癖で保守的な女性なら絶対に彼「なんか」とは完全に縁切りしていたと思われます。

 2022年の年明けくらいから、アメリカの実業家・ジェフリー・エプスタインが主宰し、アンドリューもそのメンバーだった少女買春サークルがらみのスキャンダルが深刻なことになって、彼はイギリス王室を名実ともに“クビ”になってしまっているのですね。

 雑誌「will」(ワック株式会社)2022年3月号に掲載された「アンドリュー王子の命運」という記事によると、アンドリュー王子は、事件当時17歳の女性、ヴァージニア・ジュフリーに性的暴行を3度にわたって働いた罪で、アメリカにおいて提訴されたそうです。

――注目されるのは、裁判が行われる前に「His Royall Highness(殿下)」という「肩書き、イギリスにおける軍事的な役割、非営利活動に関する役職などを女王に返還」してから、「一介の私人」としてアメリカでの裁判に臨むことになった点です。

堀江 この判断は「エリザベス女王だけでなく、チャールズ皇太子やウィリアム王子の強い意向」を反映したもので、不良王族は王室内の上位メンバーのご意向には従わずにはいられないところが興味深いですね。

――アンドリュー王子、本当に前代未聞のとんでもない王子なのでは?

堀江 19世紀のヴィクトリア女王の王子には、猟奇殺人鬼「切り裂きジャック」の犯人と目される人物、クラレンス公ことアルバート・ヴィクター王子がいましたが、これはあくまでうわさですからね。未成年者への性的暴行で訴えられるとは、前代未聞です。

――エリザベス女王の葬儀でも、王室を脱退したヘンリー王子と、クビになったアンドリュー王子はほかの現役の王室メンバーのように軍服の着用が許されなかったわけですが。

堀江 アン王女も軍服姿でしたよね。かつて秋篠宮さまは過去に紀子さまとの結婚が認められないのなら、皇室を出ていく的な発言をしたことで有名ですけど、この手の「皇族廃業」は日本では現実的になることは今後もないと思います。しかし、イギリスではほぼ同時期に2件も相次いで起きてしまっていたのですね。

堀江 しかし、アンドリューはこういう不名誉な形で王室を“形だけ”は追い出されたものの、例のヴァージニア・ジュフリーとは早々に和解したので、結局、女王の葬儀にも参列できましたし、年間3億円ほどかかっていた彼の身辺の警備もどうやら維持され続けているようです。

 「will」の記事には、いまや平民となったアンドリューの警備費用を、イギリス政府が(王室からの要請で)警察などを使い、維持しつづけることに英国民が不満を抱いたと報じていますが。

――警備費は、大富豪であるエリザベス女王あるいはチャールズ新国王のポケットマネーから出ていたのでは? 物価高のニューヨークで暮らす、眞子さまと小室さんにもかかっているであろう巨額の警備費についても思い出してしまいますが……。

堀江 イギリス、日本のどちらのケースでも「当主が問題児に甘い」とか「身内でかばい合う」という庶民的な文脈で評価してよい問題でもなく、それ以上のトラブルを引き起こされるよりは、多少の金を握らせるかわりに問題児は監視下に置くという「取引」なんだろうとは感じます。

 眞子さまの経済事情に関しては、皇女時代に培った1億円を超えるという彼女の預貯金を担保に、投資が行われているのだと想像しています。だから小室さんが法律事務所なり、どこかで働いているという最低限の体面を保ってくれる限り、それなりの生活をニューヨークで送っていくことは可能かもしれません。

堀江 しかし、それだけで警備費をも捻出することまではさすがに無理なので、秋篠宮家からなんらかの経済援助があるのは、事実だと思われます。しかし、これも宮家にとっては日本を飛び出ていってしまった娘夫婦のことを、まだコントロールできる範囲に置いておくための必要経費だと見るべきかもしれません。

 それこそ、アンドリューを孤立無援にせず、最低限の経済的援助は行い、その代わりに監視はするという英王室の態度と同じですね。

――皇室、王室の結婚問題、そしてお金の使い方には、われわれ庶民の想像を絶するものがあるような気がしました。

堀江 普通の感覚では生きていくことが難しいのが王族・皇族の世界ですからね。だからこそ、普通ではない魅力が存在しているともいえるのです。

「悪役」ヘンリー王子と「優等生」ウィリアム王子、「やんちゃ」秋篠宮さまと「冷静沈着」天皇陛下ーー皇族・王族における“キャラ”の重要性

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回から引き続き、今回も新国王が誕生した英王室について聞いていきます。

――英王室のヘンリー王子夫妻を見ていると、お子さまの結婚で王室・皇室全体が揉めるのは、よくあることだと気付かされます。一方、日本でも天皇家に比べ秋篠宮家の支持がガクンと落ちてしまった背景には、眞子さまの結婚問題がいまだに大きな余波を残しているからだと思われます。最近は何をやっても叩かれる英王室のヘンリー王子(以下、ハリー)の失墜も、メーガン妃との結婚がきっかけだったのでは?

堀江宏樹氏(以下、堀江) 当初はむしろ、英国民は歓迎ムードだったようにお見受けしましたが、その後、メーガン妃がキャサリン妃に「いじめられた」などと言い始めてからは、同情されるより、アンチのほうが急増しました。そしてそういう妻のことを、ハリーはなぜか止めようともしない。むしろ自分まで王室批判をしはじめてしまいました。

――注目を集めたいのでしょうか? 

堀江 メーガン妃についてはそういうところもあるでしょうが、すくなくともハリーには「王室を批判することが世間からは求められている」という認識もあったと思いますよ。彼は自分のような、やんちゃな王族、王族らしからぬ王族に対するニーズがあると確実に考えていると思います。

――ハリー王子の数々のやんちゃ伝説は、王室ファンからのニーズに応えたものだったと?

堀江 やんちゃを正当化というより、故・ダイアナ妃の息子である自分こそ、旧態依然の王室のあり方を批判する使命があるというような……。

 故・エリザベス女王の王配(=夫)だったエジンバラ公フィリップが興味深い言葉を残していて、それは

「ヨーロッパの君主制の多くが、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによってまさに滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革も行わずに、ただただ体制を維持しようとする連中だった」

というものです。

――それでいうと、ヘンリー王子は王室内の革命家気取りということでしょうか……。

――それにしても熱心な支持者が熱心なアンチに“反転”してしまうのは、なにもアーティストや女優・俳優のファンの話だけでなく、王政支持者でも事情は同じと言えるんですね。眞子さまの結婚問題について、秋篠宮さまには失望したという声がいまだに強いのを見てもわかります。

堀江 期待していたからこそ、失望もいっそう大きいということでしょうね。ちなみに国を問わず、先例のないようなことをするのは、王室には伝統的な意味での正義の体現者となってほしいと願っている大半の王室ファンに、あまり受けなそうな気がしますが……。

 ハリー王子にお話を戻すと、彼はウィリアム王子を兄に持ち、兄には3人も元気な子どもがいます。つまり、ハリー王子とその子孫が今後、英国王に即位できる可能性は非常に低いのです。しかも、そのウィリアムは、極端に秘密主義で、保守的な英王室批判の先駆けともなったダイアナ妃の息子であるにもかかわらず、旧態依然とした王室に批判的なそぶりは一貫して見せることのない「優等生」です。

 だからこそ、ハリー王子は、自分は兄のウィリアム王子とは対照的な生き方を模索せざるを得なかったのでは、と思うんですね。“キャラ”の模索は王室・皇室メンバーとして非常に重要ですから。王室内での発言権にも関わってきます。

――キャラといえば、日本でも天皇陛下と秋篠宮さまは、冷静沈着な皇太子と、やんちゃな弟宮という形で子どものころから対比的にメディアから取り扱われてきましたね。

堀江 そして、それぞれにファンを獲得していったわけです。しかし、日本の場合、宮内庁が皇室の方々の芸能プロデューサーのようにアドバイスすることはありません。しかし、英王室の場合、宮殿関係者がそういう側面で活躍することがすでに知られています。

 前回も少しお話しましたが、チャールズは宮殿のスポークスマンとは別に、「メディア操作の達人」マーク・ボラントを個人秘書としてわざわざ雇用しており、ダイアナとの離婚問題で地に落ちた自身のイメージを操作し、ジワジワと上げていっているというお話をしました。

――そんなチャールズという父親に育てられたら、いやがおうでもハリー王子は「熱心な(王室)支持者」のニーズを意識的に読まざるを得なくなるでしょうね。

堀江 はい。メーガンとの結婚がハリーにとっては失敗のはじまりだったというお話が出ましたが、否定できません。しかし、ハリーにとってはメーガンを選んだことが、自分のイメージを向上させる大きな賭けのつもりだったのではないでしょうか。もともと従来の英王室のお妃像からは離れた、奇抜な女性をハリーは探していたのでしょうね。

堀江 2014年4月11日号「週刊朝日」(朝日新聞社)の記事では、「一昨年から(ハリーとの)交際が始まった貴族の令嬢クレシダ・ボナス」という女性が紹介されているのですが、この女性も「ピンクのウィッグをつけるなど奇抜なファッションを好む」点で、英王室から受け入れられるか? という暗雲があったようです。そのうちメーガンが急浮上して、ハリー王子とゴールインしてしまったのですが‥…。

――クレシダ・ボナスはハリーとは破局したのに、結婚式には招待されています。別れても良好な関係であるというアピールだったそうですが、何か裏があるのではないかと思ってしまいます。しかし、アメリカの女優出身で、黒人系のメーガンはたしかに英王室の王子のお妃としては異色だったかもしれません。

堀江 日本の皇室ではそういう“多様性”のある結婚はまだまだ無理な気がします。英王室はその点、皇室の何歩も先を歩んでいるといえるでしょう。

 もともと英王室は19世紀のヴィクトリア女王の時点で人種差別という意識はなく、逆にインドから来た虚言癖のすさまじいアブドゥル・カリムという召使いに“老いらくの恋”をして、宮殿内で大問題となるなど数々のスキャンダル伝説の素地のあるところですから……。

 多少、個性的な経歴の女性が王子の妃になることくらいは王室からは受け入れられると思うのです。しかし、それは王位継承者の配偶者ではないという、暗黙の了解もあるみたいですけれど。

――ということは、王位継承者である皇太子の妃だったダイアナは、少々型破りの個性派すぎて、暗黙の了解を破ってしまった……ともいえますか?

堀江 そうですね。ダイアナからの告発以降、ある種の「王室改革」が国民から求められているため、ハリー王子も「異色の経歴」の持ち主であるメーガンを、意図して結婚相手に選んだような気がしてならないのです。

 しかし、王位継承者と目されるウィリアム王子の配偶者であるキャサリン妃が、ダイアナ妃の正当な部分……「表」のイメージを継承しているとしたら、ハリー王子とメーガン妃はダイアナ妃の「裏」の部分、スキャンダラスな側面を受け継ぐしかなかったのかも。兄夫婦と同じことをしてもキャラが被るだけですからね。

――ハリーとメーガンの数々の“問題行為”によって、王位継承者である父・チャールズ、そして兄・ウィリアムの正義が際立つともいえるのでしょうか?

堀江 そうです。どこまで意識的かはわかりませんが、ハリーはヒール(悪役)にならざるを得なかったのでは? 一般の方は、性質や生き方は隠そうとして隠せるものではないと思うでしょうが、英王室のメンバーともなると、世間に公表する生き様や、自分のキャラクターも選択できるのです。

 たとえば20世紀中盤の話ですが、「大衆王」の異名を取り、庶民からもその「さわやかさ」「親しみやすさ」で多いに人気を得ていたエドワード8世という英国王がいました。

 彼は後年、複数回の離婚歴があるウォレス・シンプソンとの恋愛、そして彼女との結婚を批判され、退位してしまうという「王冠をかけた恋」の当事者となった方ですけど、本当の彼はぜい沢好きな反面、使用人にはドケチで、教養にも欠けるので、実はそこまで女性からモテるほうでもなかったとか、だらしない日常生活を送る享楽的なだけの底の浅い人物だったことがわかっています。彼の死後、ようやく数々の証言が表に出始めたのでした。

――驚きました。メディアに見せていたキャラとは本当に真逆なんですね!

堀江 はい。そういう例が20世紀中盤にはすでに存在していたので、ハリー王子とメーガン妃もメディアに見せている“反抗者”としての顔も、実は何かを狙った演技にすぎないといえるかもしれませんし、理想の皇太子夫妻として振る舞い続けているウィリアム王子とキャサリン妃が本当にそうなのか……というと、こちらも完全な演技である可能性は否定できないのです。

――ヨーロッパの王室って今なお、日本の皇室とは別の意味で、なんだか本当に「怖い」ところなんですね。ハリー王子たちでなくても、出て行きたくなる気持ちはわかる気がします……。

堀江 しかし、ハリーやメーガンにとってはいくら反抗者を気取ろうと、元・王室関係者という肩書と権威なしにはビジネスができないという痛いところはあるわけですね。痛いと言えば、この先もずっと職業として“お騒がせ者”を演じ続けていてもよいのかという話でもあります。

 当面は、チャールズ新国王の戴冠式に出席するのか、チャールズを批判した部分を含むNetflixの番組や自伝はそのまま世に出るのか、とりあえずは暖かくハリー夫妻を見守り続けたいと思います。

チャールズ新国王は「スキャンダルを操る男」か――息子・ヘンリー王子を“利用”せざるを得ないワケ

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回から全3回は、新国王が誕生した英王室について聞いていきます。

――新英国王チャールズ3世の戴冠式が、来年5月6日に決定しましたね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) しかし、この日は王室批判を続けるヘンリー王子の長男アーチーくんの誕生日でした。ヘンリー王子がこの日を盛大に祝う習慣があると知りながら、まさにその日に戴冠式をぶつけてきたということは、チャールズ王がヘンリー王子に「ある選択」を迫っているように見えます。

 戴冠式という王室の主要行事を取るか、息子の誕生パーティという私生活を取るか。後者を選ぶなら、ヘンリーは王室から完全に見放されることになりそうです。そもそも、チャールズ王がヘンリー王子を戴冠式に招待自体しないのではないかという臆測もありますが。

――これまでチャールズ王は何かと反抗的なヘンリー王子にも一定の理解を示し、なおかつ経済的にも何億円という額を自身のポケットマネーから援助してきたことは知られていますね。しかし、ヘンリー王子は王室批判を強め、日本円にして145億円を超える巨額と引き換えにNetflixと番組配信の契約をするなど、問題行動がエスカレートしています。それも、経済的援助を断ち切られたことを理由に強まった父親への反感ゆえのようですが。

堀江 保守的な英王室のあり方に、一人の人間として反抗姿勢を明らかにした故・ダイアナ妃を、ヘンリー王子とメーガン妃はマネしすぎた気がします。チャールズにとってダイアナは、性格も価値観も合わずトラブル続きの結婚生活の末に別れた妻にすぎませんから。

――エリザベス女王はチャールズと離婚した後もダイアナに「殿下」の称号を許す……つまり王室のメンバー同然に扱い続けようとしていたとか。将来、国王となるであろう孫のウィリアムや、その弟のヘンリー王子の母親が非・王室関係者になってしまうことを危惧したのでしょうね。

堀江 しかし、チャールズがこれに猛反発し、取り消させたそう。チャールズは、従来の王室の子育ての伝統どおり、自分と距離を置いていた若い頃の両親、とりわけ母親の冷淡さを批判していましたが、いざとなると自分自身がルールブックのような冷たさを発揮する性格の持ち主だったようですね。

――女王が子育てに積極的ではなかった、冷たかったと言っているのはチャールズだけで、彼の妹弟たちは「自分たちのときはそうではなかった」と兄に反論しています。

堀江 チャールズ王はかつて母親を批判しましたが、今度は息子のヘンリー王子から冷淡だといわれる側になる……これはひとつのドラマですよね。

堀江 王室から出ていきながら、王族扱いをしてほしいと要望するヘンリー王子について、チャールズが暫定的にも恩情的だったのは、故・エリザベス女王の方針に従っていただけで、そしてそれが国民からの受けがよかったから、仕方なくという感じでもあるのでしょう。

 しかし、本心ではヘンリー王子のことは、かなり前から見切っていたとも思われますね。金銭援助は、これ以上、問題行動を取られないため、ヘンリー王子を飼っているくらいの考えだったと思いますよ。

――飼っていた、とは言葉にするとなかなかショッキングですが……。

堀江 ダイアナとの離婚で人気が地に落ちたチャールズですが、ここ数十年かけてジワジワと人気を回復してきています。その鍵となったのが、彼の個人秘書で、メディア対策に強いマーク・ボランドという男性で、90年代後半から、チャールズ王は「スキャンダルを操る男」として認識されるようになりました。これは2002年1月30日号の「Newsweek」(CCCメディアハウス)の記事タイトルにもなっています。

 この記事では、当時17歳のヘンリー王子がチャールズ所有の屋敷の中でマリファナを吸って飲酒したことを報じられたことについて、本来なら大スキャンダルになるところを、その芽を摘み取り、「つい魔が差した息子を立ち直らせるように仕向ける良きパパ」のエピソードとして、粉飾した記事を別メディアに書かせた……などと報じられています。息子でさえも、自分のために利用していたわけですね。

――しかし、今回、ヘンリー王子を切り捨てるとなれば、チャールズ王を非情と捉える国民もいるのでは?

堀江 もちろんいるでしょう。しかし、イギリス人にヘンリー王子、そしてメーガン妃の人気はもはやありません。しかも彼らの人気は落ち続けています。こうなると、そんな人物を(実の子とはいえ)恩情的に見守っていると、自分の人気まで落ちてしまう……そう、チャールズは判断したのでしょう。

 そもそも国王とは正義を体現すべき存在です。しかし、近代以降の国王は「君臨すれども統治せず」といわれ、政治的な存在ではありません。政治に関するアクションは取りにくいのです。

 では、どうやって自らの正義を証明するかといえば、その方法の一つが、スキャンダルを出した身内と関わることなのだと思います。見守るのか、断罪するのか。スキャンダルメイカーであるヘンリー王子とメーガン妃を制御することができるのかどうかによって、新国王としての正義と手腕が今、試されようとしているのです。

――自分が国王としてふさわしい存在であるかを世界に証明するために、息子を利用ということでしょうか?

堀江 そうですね。もちろん本当の理想は、ヘンリー王子が王室批判などしない人物に育つことでした。しかし、そうはならなかったので、正義を体現すべき国王としては、反乱分子であるヘンリー王子に、宣戦布告せざるを得ないというあたりでしょう。

 ヘンリー王子も焦って、Netflixにペラペラとしゃべった英王室批判……とりわけ父であるチャールズへの批判を取り下げようとしていると報道されていますが、事実ならば、あまりに無様ですよね。

――日本の皇室でも、今上陛下に対し、弟宮である秋篠宮さまがときに批判めいた言葉を口になさることがありましたね。

堀江 王室・皇室内の兄と弟の関係は難しいですよね。つねに対比されて扱われてしまいます。性別、そして立場や年齢が近いだけで、比較対象になることもしばしば。しかも「優等生ウィリアム王子」と、「自分の思うがままに生きてしまうヘンリー王子」というように極端な形で対比されがちです。

 日本でも国民の反対を押し切って、小室さんと結婚した眞子さまの後では、高額なティアラの製作を辞退したという愛子さまが「理想の内親王」として人気を得ました。

 自分や身内の人気・不人気に戦略的に向かい合わざるを得ないのが、現代の王室・皇室の方々だといえるでしょう。