虐待も愛情も人を殺せる。殺されないためには――中村うさぎ×伏見憲明×こうきトークショーレポ

 親子たるもの無償の愛で結ばれるものだと信じて疑わない人は、いまの世の中にどれほどいるだろう? 過去最多を更新し続ける国内の虐待件数を目の当たりにすると、どうやら必ずしもそうではないらしいと気づいてしまうものだ。

 しかし、これほどまでに成育過程で親の愛を刻めなかった人も珍しいかもしれない。新宿二丁目のゲイ・ミックス・バーで働きながらイラストレーターとしても活躍の幅を広げている、こうきさんである。

 「平手打ちをはじめとする日常的な暴力とネグレクト」「自室は小鳥やハムスターの飼育部屋」「汚物を見るかのような目線を向けられる」「高校卒業と同時に無言で持ち物を捨てられ、ホームレス生活を余儀なくされる」ーー両親から凄惨な虐待を受けてきた。

 学校では動物臭いといじめられ、ゲイであることをアウティングされ、高校卒業後は公園で寝泊まりしていた時期もあった。自身のセクシュアリティから新宿二丁目にたどり着き、心ある人たちに救われた。が、いまでも自分の中にくすぶり続ける“怪物”と戦っている。

 そんなこうきさんの体験をもとにした絵本、『ぼくは、かいぶつになりたくないのに』(日本評論社)が2018年12月に発売になり、話題を呼んでいる。文章はエッセイストで小説家の中村うさぎさんが担当、絵はこうきさん自身が描いた。

 1月10日には、出版を記念して「居場所・つながり・新宿二丁目」をテーマにコミュニティセンターaktaでトークイベントが開催された。こうきさんをはじめ、中村さん、熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター准教授)、マダム・ボンジュールジャンジさん(コミュニティセンターaktaセンター長)が登壇。こうきさんが働くバーのママでもある、作家の伏見憲明さんが司会を務め、愛や他人とのつながりについて、それぞれの観点から語られた。そのハイライトを紹介したい。

 親の愛情を知らずに育ったこうきさんは、「高校時代から寂しさを埋めるように、体のつながりにのめり込んでいった」と振り返る。しかし、セックスだけの関係にもむなしさを感じるようになり、仲間づくりのためHIVをはじめとしたセクシャルヘルスに関する情報を発信するaktaでボランティアをするようになる。そこでの活動を通して伏見さんに誘われ、バーに勤務、さらにそのバーの常連である中村さんとも知り合った。

 伏見さんと中村さんの後押しもあり、クラウドファンディングで自らの生い立ちを描いた絵本を出版することになったという。ここでは絵本の細かい描写は控えるが、なんともかわいらしいタッチの絵でありながら、おどろおどろしく、筆者はページをめくるごとに背筋がゾッとするトラウマ級の感覚を抱いた。

 それは、こうきさんが幼少期から連綿と続く「ぐちゃぐちゃにしてやる、自分の気持ちをぶつけて破壊するっていう気持ち」を表現しているからに他ならない。中村さんも「こうきくんの絵を初めて見たときに、こういう絵を描くんだと衝撃を受けました。この子の抱えるものに興味を持ち、代弁できたらと思いました」と話す。

 また、脳性麻痺で手足が不自由ながら、東京大学先端科学技術研究センター准教授として障害者の差別問題に長年取り組んでいる熊谷さんは、生い立ちは違えど、こうきさんに共鳴すると話す。

「障害者を健常者に近づけることを目的にしたリハビリ施設に通っていたのですが、暴力や抑圧と紙一重の日々。3歳の頃から全部焼き尽くす、夜な夜なかめはめ波(漫画『ドラゴンボール』に出てくるエネルギーを放出する技)で施設を焼き尽くすようなイメージにふけっていました」(熊谷さん)

 こうきさんの絵本には、自立を連想させる象徴的な絵がある。家を追い出され、行き場がなくなった当時の自身を描いたものだ。孤独のピークに達しながらも、なぜか安らいだ表情であることをめぐり、トークテーマは「真の自立とは何か」に移っていった。

 「こうきくんの両親ほど抑圧的じゃなかったものの、父親とは対立関係だった」と打ち明ける中村さんは、子どもの頃から一日でも早く自立したいと思っていたという。

「自立が人間の最高目標と考えていて、経済的にも精神的にも1人で生きていることに重きを置いていました。でも、病気をしてからは、夫に支えられないとコンビニにも行けない状態。苦しくて泣いたこともありました。そんな時、熊谷さんが『自立は依存先をたくさん増やすこと』とおっしゃっていたのを耳にして、目からウロコでした。依存はいけないっていうけど、ちょっとずつ増やしていかないと、生きるのが苦しくなるんですよね」(中村さん)

 また、「俗に言う、普通の家庭に育ち、学校もそこそこ楽しんでいた」と話すのは、aktaを切り盛りするジャンジさん。しかし、トランスジェンダーというセクシュアリティもあってか、「自分が自分として、そこにいない感じ」は常にあったという。

「早くから家を出たいと思っていて、新宿二丁目に来て初めて、ほっとする感覚はありましたね。自分らしく居られる場所が、探しても見つからないなら自分でつくろうと思って、性別やセクシュアリティ、国籍を超えて集まれるパーティを企画するようになりました」(ジャンジさん)

 それに対して、親からの深くも重い愛情を受けて、逆に「愛情に殺される」と感じていたという熊谷さん。身体的に介助がない生活は厳しいながらも、1人の開放感を味わいたいと18歳で家を出ることを決意したそう。

「開放感はあったんですけど、依存先が親という1カ所しかないような状態だったので、へその緒を切断したような気持ちでした。ただ、それによって息ができた。外に出たから、いろんな人とつながれました。依存先が少ないと、たとえば暴力を振るわれても逃げ先がないので、いつでもだれでも切れるようにしておいた方がいい。そのため、依存先は増やした方がいい。相反するようですが、自立するためにも依存先は必要になると考えています」(熊谷さん)

 三者三様の経験を踏まえて、「自立せざるを得ない不幸もあれば、自立させてもらえない不幸もある」と伏見さん。

 熊谷さんのいう“へその緒”とは、つまるところ、愛情に裏付けられた親とのつながりのことだろう。しかし、そのつながりを断ち切ったとき、すべからく穏やかでいられるとは限らない。中村さんは次のように考察する。

「親との太いへその緒があると、恋愛関係などで同じくらい太くて強烈な絆を求めがちですよね。私自身、親から自立した直後は男への依存が強かったと思います。それで最初の結婚にも失敗しましたし。年を重ねたからこそ、他人との太い関係はやめておこうと割り切れますけどね」

 捉えようによってはリスキーな依存関係を回避するため、熊谷さんはつながりを分類することを勧める。

「こうきさんがセックスだけの関係だけではなく、仲間を求めたことに近いかもしれませんが、私は生きるために欠かせないつながりと親密なつながりとを区別したいと思っています。私にとって、前者は介助者との関係なので、お気に入りのヘルパーさんを意識的に作らないようにしているんです。でも、生きる上では後者の親密なつながりも欠かせません。それは恋愛や性的に結ばれたいという相手。日本の家族制度はその2つのつながりをパッケージ化していますが、『分けましょうよと』思ってしまいますね」(熊谷さん)

 2人のトークを受けて、「そもそも太い関係性にあまり関わってこなかった人生なので、いいなとは思うんですけど、どういうものなのか不思議なので、現実味がないですね」と話すこうきさん。しかし、伏見さんとの“親子関係の再構築”を経て、少しずつ感情に変化が出てきたという。

「僕にとって、こうきは子どもみたいな感覚で、経験できなかった親子関係を楽しませてもらってるんです。ちょっとしたお母さん気分みたいな。ただ、これはバーのオーナーとスタッフという雇用関係があって成り立っているもの。何もないと、ただのうざくておせっかいな“おばさん”ですよね。心配になると電話したり、旅行に連れて行ったり、肉体関係もないのに何やってんだって思いますけど、時給の何パーセントかには、疑似親子費用も含んでいるということで(笑)」(伏見さん)

 それに対してこうきさんは、「僕も親がいたら、こういう気持ちなのかな。伏見さんが将来的に歩けなくなったり買い物へ行けなくなったりしたら、僕が手伝おうかなと思っています」と答える。

 人は孤独の中では呼吸ができない。へその緒から与えられる酸素が絶妙な配分で胎児を生かしているのに対し、人間同士のつながりは調整が難しい。薄すぎでも濃すぎでも呼吸困難になりかねず、やっかいだ。

 生まれながらに親子愛を否定されたこうきさんだが、新宿二丁目で息を吹き返した。それは、偶然の出会いによってもたらされたが、人のぬくもりを諦めなかったからこその必然だったのかもしれない。トーク終了後にあらためて読み返したこうきさんの絵本からは恐怖ではなく、過酷な状況でも生きようとする強さがにじみ出ているように感じた。
(末吉陽子)

虐待も愛情も人を殺せる。殺されないためには――中村うさぎ×伏見憲明×こうきトークショーレポ

 親子たるもの無償の愛で結ばれるものだと信じて疑わない人は、いまの世の中にどれほどいるだろう? 過去最多を更新し続ける国内の虐待件数を目の当たりにすると、どうやら必ずしもそうではないらしいと気づいてしまうものだ。

 しかし、これほどまでに成育過程で親の愛を刻めなかった人も珍しいかもしれない。新宿二丁目のゲイ・ミックス・バーで働きながらイラストレーターとしても活躍の幅を広げている、こうきさんである。

 「平手打ちをはじめとする日常的な暴力とネグレクト」「自室は小鳥やハムスターの飼育部屋」「汚物を見るかのような目線を向けられる」「高校卒業と同時に無言で持ち物を捨てられ、ホームレス生活を余儀なくされる」ーー両親から凄惨な虐待を受けてきた。

 学校では動物臭いといじめられ、ゲイであることをアウティングされ、高校卒業後は公園で寝泊まりしていた時期もあった。自身のセクシュアリティから新宿二丁目にたどり着き、心ある人たちに救われた。が、いまでも自分の中にくすぶり続ける“怪物”と戦っている。

 そんなこうきさんの体験をもとにした絵本、『ぼくは、かいぶつになりたくないのに』(日本評論社)が2018年12月に発売になり、話題を呼んでいる。文章はエッセイストで小説家の中村うさぎさんが担当、絵はこうきさん自身が描いた。

 1月10日には、出版を記念して「居場所・つながり・新宿二丁目」をテーマにコミュニティセンターaktaでトークイベントが開催された。こうきさんをはじめ、中村さん、熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター准教授)、マダム・ボンジュールジャンジさん(コミュニティセンターaktaセンター長)が登壇。こうきさんが働くバーのママでもある、作家の伏見憲明さんが司会を務め、愛や他人とのつながりについて、それぞれの観点から語られた。そのハイライトを紹介したい。

 親の愛情を知らずに育ったこうきさんは、「高校時代から寂しさを埋めるように、体のつながりにのめり込んでいった」と振り返る。しかし、セックスだけの関係にもむなしさを感じるようになり、仲間づくりのためHIVをはじめとしたセクシャルヘルスに関する情報を発信するaktaでボランティアをするようになる。そこでの活動を通して伏見さんに誘われ、バーに勤務、さらにそのバーの常連である中村さんとも知り合った。

 伏見さんと中村さんの後押しもあり、クラウドファンディングで自らの生い立ちを描いた絵本を出版することになったという。ここでは絵本の細かい描写は控えるが、なんともかわいらしいタッチの絵でありながら、おどろおどろしく、筆者はページをめくるごとに背筋がゾッとするトラウマ級の感覚を抱いた。

 それは、こうきさんが幼少期から連綿と続く「ぐちゃぐちゃにしてやる、自分の気持ちをぶつけて破壊するっていう気持ち」を表現しているからに他ならない。中村さんも「こうきくんの絵を初めて見たときに、こういう絵を描くんだと衝撃を受けました。この子の抱えるものに興味を持ち、代弁できたらと思いました」と話す。

 また、脳性麻痺で手足が不自由ながら、東京大学先端科学技術研究センター准教授として障害者の差別問題に長年取り組んでいる熊谷さんは、生い立ちは違えど、こうきさんに共鳴すると話す。

「障害者を健常者に近づけることを目的にしたリハビリ施設に通っていたのですが、暴力や抑圧と紙一重の日々。3歳の頃から全部焼き尽くす、夜な夜なかめはめ波(漫画『ドラゴンボール』に出てくるエネルギーを放出する技)で施設を焼き尽くすようなイメージにふけっていました」(熊谷さん)

 こうきさんの絵本には、自立を連想させる象徴的な絵がある。家を追い出され、行き場がなくなった当時の自身を描いたものだ。孤独のピークに達しながらも、なぜか安らいだ表情であることをめぐり、トークテーマは「真の自立とは何か」に移っていった。

 「こうきくんの両親ほど抑圧的じゃなかったものの、父親とは対立関係だった」と打ち明ける中村さんは、子どもの頃から一日でも早く自立したいと思っていたという。

「自立が人間の最高目標と考えていて、経済的にも精神的にも1人で生きていることに重きを置いていました。でも、病気をしてからは、夫に支えられないとコンビニにも行けない状態。苦しくて泣いたこともありました。そんな時、熊谷さんが『自立は依存先をたくさん増やすこと』とおっしゃっていたのを耳にして、目からウロコでした。依存はいけないっていうけど、ちょっとずつ増やしていかないと、生きるのが苦しくなるんですよね」(中村さん)

 また、「俗に言う、普通の家庭に育ち、学校もそこそこ楽しんでいた」と話すのは、aktaを切り盛りするジャンジさん。しかし、トランスジェンダーというセクシュアリティもあってか、「自分が自分として、そこにいない感じ」は常にあったという。

「早くから家を出たいと思っていて、新宿二丁目に来て初めて、ほっとする感覚はありましたね。自分らしく居られる場所が、探しても見つからないなら自分でつくろうと思って、性別やセクシュアリティ、国籍を超えて集まれるパーティを企画するようになりました」(ジャンジさん)

 それに対して、親からの深くも重い愛情を受けて、逆に「愛情に殺される」と感じていたという熊谷さん。身体的に介助がない生活は厳しいながらも、1人の開放感を味わいたいと18歳で家を出ることを決意したそう。

「開放感はあったんですけど、依存先が親という1カ所しかないような状態だったので、へその緒を切断したような気持ちでした。ただ、それによって息ができた。外に出たから、いろんな人とつながれました。依存先が少ないと、たとえば暴力を振るわれても逃げ先がないので、いつでもだれでも切れるようにしておいた方がいい。そのため、依存先は増やした方がいい。相反するようですが、自立するためにも依存先は必要になると考えています」(熊谷さん)

 三者三様の経験を踏まえて、「自立せざるを得ない不幸もあれば、自立させてもらえない不幸もある」と伏見さん。

 熊谷さんのいう“へその緒”とは、つまるところ、愛情に裏付けられた親とのつながりのことだろう。しかし、そのつながりを断ち切ったとき、すべからく穏やかでいられるとは限らない。中村さんは次のように考察する。

「親との太いへその緒があると、恋愛関係などで同じくらい太くて強烈な絆を求めがちですよね。私自身、親から自立した直後は男への依存が強かったと思います。それで最初の結婚にも失敗しましたし。年を重ねたからこそ、他人との太い関係はやめておこうと割り切れますけどね」

 捉えようによってはリスキーな依存関係を回避するため、熊谷さんはつながりを分類することを勧める。

「こうきさんがセックスだけの関係だけではなく、仲間を求めたことに近いかもしれませんが、私は生きるために欠かせないつながりと親密なつながりとを区別したいと思っています。私にとって、前者は介助者との関係なので、お気に入りのヘルパーさんを意識的に作らないようにしているんです。でも、生きる上では後者の親密なつながりも欠かせません。それは恋愛や性的に結ばれたいという相手。日本の家族制度はその2つのつながりをパッケージ化していますが、『分けましょうよと』思ってしまいますね」(熊谷さん)

 2人のトークを受けて、「そもそも太い関係性にあまり関わってこなかった人生なので、いいなとは思うんですけど、どういうものなのか不思議なので、現実味がないですね」と話すこうきさん。しかし、伏見さんとの“親子関係の再構築”を経て、少しずつ感情に変化が出てきたという。

「僕にとって、こうきは子どもみたいな感覚で、経験できなかった親子関係を楽しませてもらってるんです。ちょっとしたお母さん気分みたいな。ただ、これはバーのオーナーとスタッフという雇用関係があって成り立っているもの。何もないと、ただのうざくておせっかいな“おばさん”ですよね。心配になると電話したり、旅行に連れて行ったり、肉体関係もないのに何やってんだって思いますけど、時給の何パーセントかには、疑似親子費用も含んでいるということで(笑)」(伏見さん)

 それに対してこうきさんは、「僕も親がいたら、こういう気持ちなのかな。伏見さんが将来的に歩けなくなったり買い物へ行けなくなったりしたら、僕が手伝おうかなと思っています」と答える。

 人は孤独の中では呼吸ができない。へその緒から与えられる酸素が絶妙な配分で胎児を生かしているのに対し、人間同士のつながりは調整が難しい。薄すぎでも濃すぎでも呼吸困難になりかねず、やっかいだ。

 生まれながらに親子愛を否定されたこうきさんだが、新宿二丁目で息を吹き返した。それは、偶然の出会いによってもたらされたが、人のぬくもりを諦めなかったからこその必然だったのかもしれない。トーク終了後にあらためて読み返したこうきさんの絵本からは恐怖ではなく、過酷な状況でも生きようとする強さがにじみ出ているように感じた。
(末吉陽子)

『ガキ使』『有吉ジャポン』にも出演! タレントは全員オネエの“ゲイ能事務所”が好調なワケ

 テレビ業界では、すっかり欠かせないポジションであるオネエタレント。いまやその姿を見ない日はないほどだが、意外にもゲイ向けではない一般メディア向けのオネエ専門プロダクションは、いままで存在していなかったという。そこでゲイの聖地である新宿二丁目から、次世代のオネエタレントを生み出そうと「二丁目プロジェクト」というゲイ能人専門事務所を立ち上げた、NYプロダクションの松林佑典社長に、事務所設立の経緯やタレントの活動内容などについてお話を伺った。

■「二丁目のママを集めた事務所ができたらおもしろいね」

――そもそも、どのような経緯で「二丁目プロジェクト」を立ち上げたんですか?

松林佑典社長(以下、松林) 最初はというか、現在も経営していますが、「NYプロダクション」というグラビアアイドルをメインとした芸能事務所を設立したんです。私はそれまでゲーム会社に勤めていたんですけど、元々起業したいという気持ちがありました。同級生の結婚式で映像ディレクターをしていた友人と再会し、「芸能事務所なら、誰でもできるよ」と言われ、会社を辞めまして、具体的にどうしたらいいかっていう話を、その友人と渋谷のお店でご飯を食べながらしたんです。

 当時の僕は本当に何もわからなかったので、「芸能事務所ってどうすればいい?」と聞いたら、友人は「可愛い女の子がいたらグラビアアイドルになれるよ」と。そこで、食事をしていたお店で働いてた子を指して「あの子は?」と聞いたら、「なれるよ」と言ったので、その場で「グラビアアイドルをやりませんか?」とスカウトして、所属することになったんです。その後、知人から紹介されたイベントコンパニオンの子も入ってくれることになって、芸能事務所をスタートすることになりました。

――そこからなぜ、オネエ界に進出したんですか?

松林 これも最初は、全然そんなつもりはなかったんですよ。それまで単純に新宿二丁目に行ったことがなかったので、一度行ってみたいなとは思っていたんです。それで知人に紹介してもらったのが、よっちゃんというママがいるバーだったんです。僕はノンケなんですけど、よっちゃんにすごく気に入られたんですよね。よっちゃんは、もともと芸能界でスタイリストをしていて、その当時もある芸能プロダクションに所属してタレント活動もやっている人で、その契約が切れるので次の所属先を探してるタイミングだったんです。僕が「芸能事務所をやっている」という話をしたら、よっちゃんが「ダーリン(松林さんの呼称)のところに行くっ!」っていう流れになって、ウチの所属タレントになったんです。そのよっちゃんが、「もっとオネエを集めよう」って提案してくれて。

――よっちゃんさんが旗振り役だったんですね。

松林 「有名なオネエタレントは多いけど、みんな事務所がバラバラ。二丁目のママを集めた事務所はないから、それができたらおもしろいね」っていう感じで。よっちゃんは顔が広いので、いろんなお店を紹介してくれたんですよ。それからは、週6~7ペースで新宿二丁目に通ってスカウト活動。3カ月ほどかけて、15人が所属してくれることになりまして、NYプロダクション本体とは別ブランドの事務所として「二丁目プロジェクト」を立ち上げました。

――スカウト活動は大変でしたか?

松林 よっちゃんにずっと「二丁目受けするわよ~」とは言われてたんですけど、実際に二丁目に通ってると、交差点に立ってるだけで、いきなりキスされたり、エレベーターで2人きりになったときに襲われそうになったりとかあったんで、それなりに大変でしたね(笑)。

――「二丁目プロジェクト」を立ち上げて、反応はいかがですか?

松林 おかげさまで反応はいいですね。それまで、この業界にオネエ専門プロダクションはなかったので、その部分だけでも興味を持っていただけます。「ゆめみすぎこ」は、『有吉ジャポン』(TBS系)や『スクール革命!』(日本テレビ系)でスタジオトークに呼んでいただいてますし、「猛虎」「堂薗」は、『ダウンタウンのガキ使いやあらへんで!』(同)の夏のイベント“絶対に笑ってはいけないバスツアー”で、2年連続でオネエバスガイドを務めさせていただきました。ウチは二丁目で実際にママをやっている人が多いので、トークに長けているというか、場の空気を読めて、笑いを取るのはすごくうまいんですよ。「しゃべれないオカマは、ヤラせないソープ嬢と同じよ」って言ってたのが、すごく印象に残ってます。

――すばらしすぎる名言ですね(笑)。

松林 ただ、いろいろお話をいただけるのは、マツコ・デラックスさんのご活躍とか、先人の方々のおかげだと思っています。テレビの世界で、いわゆる「オネエ」という枠を当たり前にしていただいたから、私たちにも声をかけていただけるというのはありますね。

――“おかげです”といえば、先日『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)に石橋貴明さん扮する「保毛尾田保毛男」が出たことで物議を醸しましたが、社長個人的には、あの一件をどうお考えですか?

松林 僕は今30歳で、保毛尾田さんのキャラクターを知らなかった世代なんですけど、周りであのキャラクターに対してそこまで怒っている方はいなかったですね。これはあくまで私個人の意見ですが、あそこで抗議することで、LGBTは扱いづらいという印象を与えてしまって、“自分たちを認めてほしい”というゴールから逆に遠ざかってしまったように思えます。

――フジテレビ社長が謝罪する事態になりました。

松林 フジテレビさんやとんねるずさんは、ネット界隈から比較的批判を浴びやすい対象になってしまっているのも、炎上してしまった原因かもしれないですね。国民的漫画といわれる『ONE PIECE』(集英社)にもオネエっぽいキャラクターが出てきますけど、今回のような事態になっていないですから。

――最後に、今後の展望を聞かせてください。

松林 イケメンならジャニーズ(事務所)、お笑いならよしもと(クリエイティブ・エージェンシー)のように、「オネエなら二丁目プロジェクト」と言われるぐらいになりたいですね。世間の誰もが知っているマツコ・デラックスさんのようなスターを、二丁目プロジェクトから生み出していきたいです。
(伊藤雅奈子)

二丁目プロジェクト

警察からも頼られる新宿二丁目のママが語る、老舗ゲイディスコが50年続く理由

<p> 日本一のゲイ・タウン新宿二丁目に、年中無休のディスコがあるのをご存じだろうか。その名は「ニューサザエ」。1966年から続く老舗で、なんと今年9月で50周年を迎える。37、38年ほど前に先代から店を任され、以来、店とともに生きてきた紫苑(しおん)ママに、これまでの華やかな歴史、ニューサザエの今を聞いた。</p>

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『年収4000万にこだわる理由』/小学館

 本当は言いたいのに、言えないネタを持ってる芸能記者さん、集まれ~! 芸能ニュースの摩訶不思議なお話からウソか真か分からないお話まで、記者さんたちを酔わせていろいろ暴露させちゃった☆

A......スポーツ紙記者 グラドルからジャニーズまで、芸能一筋17年の芸能記者
B......週刊誌デスク 日中はラジオでタレントの発言をチェック、夜は繁華街に繰り出し情報収集を行う事情通
C......WEBサイト記者 通常ニュースから怪しいBBSまで日参、膨大な資料を作り続ける駆け出し記者