炭鉱に生まれた「白雪姫」、肥大した金と男への欲望【福岡スナックママ連続殺人・前編】

世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛した闇をあぶり出す。

 福岡県糟屋郡志免町。志免鉱業所を擁するこの町がかつて石炭の街として大いに栄えていた頃、その愛くるしさから近所の人に「白雪姫」ともてはやされた少女がいた。やがてその少女は大人となり、故郷を捨て、その美貌を武器に、数多くの男を陥れてゆく。

[第1回]福岡スナックママ連続保険金殺人

 2004年7月22日、かつて「白雪姫」と呼ばれた女が福岡県警に逮捕された。高橋裕子(当時49)は、3年前まで中洲にスナックを構えていた。肉体関係を持った複数の客に対し「家族に私との関係をばらす」などと脅し、現金数百万円をだまし取ったという詐欺容疑である。だがこれはいわゆる“別件逮捕”だった。

 裕子の周囲では不審な死を遂げた男性が複数いた。彼女の2人目の夫で工務店を経営していた野本雄司さん(当時34歳)は1994年10月、福岡県糟屋郡にあった事務所兼自宅の居間で死亡しているのが見つかったが、腹や腰に刺し傷があり、その傍らには包丁が落ちていた。ためらい傷がなかったことなど不審な点は見られたが、雄司さんの死は自殺として処理される。これにより、裕子はその後、約1億6000万円もの死亡保険金を手にした。

 3人目の夫・高橋隆之さん(当時54)は、2000年11月12日の夜中、福岡市南区にあった自宅の浴室内で死亡した。同じく当時は自殺とみられていた隆之さんにも、裕子を受取人として総額1億3800万円もの保険金がかけられていた。だが、このうち郵便局の簡易保険約2700万円は手にするも、隆之さんの持病の糖尿病を問診時に告知していなかったため、保険会社が支払いを拒否。これを不服とした裕子は保険会社を相手取り、8000万円の支払いを求め提訴していた。

 県警はこれを聞きつけ、2人の死亡に裕子が関係しているのではと追求を続けていた。取り調べにはポリグラフ(嘘発見器)まで用いられ、とうとう裕子はこの2人の死亡について、自分が関わっていたことを認めたのである。

 志免町の目抜き通りで靴屋を営む両親のもとに1955年、裕子は生まれた。両親は商売上手なうえ、地主でもあり「何不自由ない暮らしで両親は子どもに甘かった」という。母親は炭鉱の街に似合わぬ垢抜けた女性で、地元でも目立つ存在だった。幼い裕子は「白雪姫」の名にふさわしい、大きな目の可愛らしい女の子。母親が選ぶ赤や白のワンピースが白い肌によく似合っていた。

「うちの裕子は○○の服しか着ないの」

 と、高級子ども服メーカーの名を挙げる母親も、高価な服に身を包み、地元住民とは一線を引いていた。教育熱心でもある母の元で育てられ、裕子は小学校からピアノを習い、中高一貫のミッションスクールへ進学。高校生になると、月に何度か東京へピアノのレッスンに通った。

「東京までいうたら、並大抵の費用じゃなかでしょ。ピアノは裕子ちゃんが小学校の頃に家に置いてあったとですよ。当時、この辺りでピアノがあるなんていったらすごいですよ」(地元住民)

 裕子はのち、武蔵野音楽大学に進学する。当初は器楽学科のピアノ専攻だったが、音大でピアノを究めるには、小学校4年からのスタートは遅すぎた。先生のそんなアドバイスを受け、途中から声楽学科に転向した。ここまでは、田舎育ちのお嬢様の順風満帆な人生と言っていいだろう。だがここから、裕子の欲望は徐々に肥大していく。

結婚2年で包丁を突きつけ「失敗だった」

 大学2年の裕子は、早稲田大学が主催した銀座でのダンスパーティに女友達と2人で出かけ、のちに最初の夫となる男性と出会った。慶應義塾大学商学部の学生だった鈴木克己(仮名)が、清楚で一際目立っていた裕子に一目惚れしたのだ。鈴木のアプローチが身を結び、やがて2人は交際を始めることになる。大学を卒業して1年後に結婚。商工会議所の会頭が媒酌人をつとめ、300人以上が出席する結婚式を挙げ、福島県郡山市にある鈴木の実家そばで新婚生活がスタートした。

 翌年には長女が誕生するが、姑はじめ親戚らの干渉から、裕子は何かと福岡に帰省し「ズーズー弁が移る」と親戚付き合いを避けるようになる。結婚から2年後、鈴木に包丁を突きつけ「この結婚は失敗だった」と福岡に帰ってしまった。鈴木も後を追い、2年間の期限付きで裕子の実家で暮らすことにした。しばらくすると裕子の両親の薦めと、頭金を出すという打診もあり、近くに家を購入し、長男も誕生した。

 ところが、鈴木は慣れない福岡での暮らしと、期限付きで移り住んだはいいが、家を買うことになったなどの事情から生活が荒れ、競艇やポーカーゲームなどのギャンブルにのめり込む。気づいた時には借金が膨れ上がり、それが原因となって離婚に至る。85年のことだった。

 それから2年後、裕子は住宅販売メーカーに勤務していた4つ年下の雄司さんと再婚する。出会ったときは鈴木と結婚しており、家を新築する時の施主の妻と住宅会社の担当という関係だった。離婚後、裕子が所有し子どもらと住み続けていた、その家のメンテナンスに訪れた際に親しくなる。雄司さんには子どもが3人いたが、家族や妻の反対を押し切り離婚。裕子の略奪婚だった。

 一級建築士の資格を取得した雄司さんは会社を離れ、建築設計事務所を立ち上げる。離婚後はピアノ教室を開いていた裕子だったが、「社長夫人になるので、ピアノ教室はここで終わりにします」と、生徒や保護者らに宣言し、教室を畳んで、マイホームを手放す格好で、志免町の北部に建てた3階建の豪邸に引っ越した。92年には2人の間に女児が生まれ、3年後には長男も誕生したが、裕子はもともとの裕福な育ちも影響し、派手に散財するようになる。

 加えて、融資の相談で知り合った銀行の担当者と不倫にも溺れていく。だが、金銭的な安定は長くは続かなかった。バブル景気に陰りが見え始め、雄司さんの会社は傾き、たちまち1億の負債を抱えてしまう。しかし生活レベルを落とすことのできない裕子は、雄司さんを激しく責め立てた。

「あんたが死ねば借金を返せる」

 こう何度も言われた雄司さんは思いつめ、2度、車に排気ガスを引き込み自殺を図った。だが、それでも裕子はなおも責め続けた。

「どうして死なんと! 借金はどうやって返すの!」

『完全自殺マニュアル』で不倫相手と殺人計画

 そう雄司さんを責め立てながら裕子は、長男の家庭教師として雇っていた九州大学院生の大和康二(仮名)とも不倫関係となり、こう訴えていた。「頼めるのはあなたしかいない」……裕子にネックレスをプレゼントしたり「好きです! 付き合ってください」と迫ることもあった、一途で若き大学院生はこれを間に受け、雄司さんを自殺に見せかけ殺害するため『完全自殺マニュアル』(太田出版)を読み、真面目に策を練った。

 「ベンジンをウイスキーに混ぜて飲ませたらいい。普通に家にあるものだから怪しまれないはず」とベンジンを裕子に手渡し、ウイスキーと混ぜたが、臭いがきつくとても飲ませるのは難しい。「頭のいい学生さんが考えることは、現実感が乏しい。もっとリアルな方法はないの?」とベンジンを突き返す。考えた大和が裕子に伝えた方法は「腹部を刃物で深く突き刺して動脈を傷つけ、すぐに刃物を抜く」というものだった。

 事件当日、裕子はウイスキーと睡眠導入剤を雄司さんに飲ませ、寝入ったところ、手に軍手をはめ、腹と腰に包丁を突き刺したのだった。傷は背中まで貫通していた。その後おもむろに大和を呼び出し、軍手の処分などを手伝わせた。

 当時、雄司さんの母は、壱岐にある自宅の近くで、化粧品店を経営していたが、ある日、その店の留守番電話に雄司さんとおぼしき声が吹き込まれていた。

「サ・サ・レ・タ……」

 雄司さんの娘に聞かせると、こう言った。

「これはパパの声よ」

 警察は自殺と処理したが、家族はずっと、裕子による殺人と疑っていた。

――後編は、5月4日掲載