志村けん、まだまだ続く“結婚相手探し”大本命は麻布十番のクラブ「J」にいる!?

 2月20日に69歳の誕生日を迎えたお笑い界の大御所・志村けん。70歳を目前に、数々の女性と浮名を流してきたが、今もなお、結婚相手探しに勤しんでいるという。

 志村けんといえば、まず思い起こされるのは、昨年夏頃から交際がウワサされているフリーアナウンサーのカトパンこと加藤綾子アナだろう。

 以前は明石家さんまからラブコールを送られていた加藤だが、プライベートな交際ははっきり断ったと伝えられ、その直後に、『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)にゲスト出演したのがきっかけで、志村との交際が一部マスコミで報じられていた。

 そこから、健康診断で肝硬変の疑いがあると報じたられた志村が、加藤にプロポーズしたとの臆測も流れたが、番組関係者によれば、加藤を可愛がっていたのは、むしろ志村の所属事務所「イザワオフィス」の井澤健社長だという。

 井澤社長は、加藤がフジテレビに在籍していた頃から、食事に連れて行くなどして目をかけていて、彼女がフリーになって以降は、志村に「彼女を(番組で)使ってやってくれ」と頼むほどだったという。志村も、機転が利いてコントの上手い加藤を気に入って、コント番組『志村でナイト』(フジテレビ系)にも起用したというが、関係者によれば、どうやら結婚対象とは考えていない様子だという。

 となれば、志村けんの女として思い出されるのは、かつて交際がウワサされた元セクシー女優のみひろだ。4年前に俳優の下川真矢と結婚したが、つい最近、離婚を発表している。“志村とよりを戻すのでは”というウワサもあるが、ただ、志村自身はみひろについても否定しているという。

 実は志村の“本命”は、5年前から足しげく通っている港区・麻布十番のガールズバー「J」の女性店長ではないかとの見方が一部で根強かった。実際、彼女の出勤前には、2人で食事して同伴したこともしばしばあったというが、ところが、女性店長のほうが、志村に何も告げないまま突然、店を辞めてしまう。以来、連絡が取れなくなり、志村は相当落ち込んでいたという。

 ただ、志村は、彼女が辞めてからも日課のように「J」に通っている。先月20日の誕生日には、親しい芸能人らが前後1週間以上にわたって誕生日会を開いていたというが、その誕生会の帰りにも、しっかり「J」に立ち寄っている。

 ちなみに「J」では、日替わりで女性を食事に誘っているようで、今のところ、結婚相手の本命はいないようだが、誕生日会でも「結婚したいよ」と漏らしていたという。

 老いてますます盛んな志村の“婚活”が実を結ぶ日はくるのか、期待したい。
(文=本多圭)

志村けん、「結婚」への熱い思いを激白! 離婚したばかりの“お気に入り共演者”へラブコール!?

 今年69歳になったお笑い界のレジェンド芸人・志村けん。そんな志村が発言した“結婚への熱い思い”が話題を呼んでいる。

 志村は2月23日放送の『人生最高レストラン』(TBS系)にゲストとして登場。そこで独身の理由について聞かれると「結婚したい気はずっとあるんですよ」と返答。また20歳くらいからずっと女性と同棲してきたとのことで、相手が3年ほどで変わることが半ばルール化していることも明かした。また、基本恋人とは結婚しようと思って付き合っており、かつては恋人の親にあいさつをしに行ったことがあることにも言及。そんな志村の結婚へのモチベーションは“子ども”だそうで、「一番欲しいのは子ども」「子どもがいないと僕の存在が消えちゃうじゃないですか」とコメントしていた。

 このニュースを受け、ネットでは「ドンファンや加藤茶と違って結婚しないところが賢すぎる!」「愛人と噂だった人たちと同棲してたのかな 」「同棲を繰り返す男って地雷感」「若い子が好きだから次、次って目移りしてたらお爺ちゃんになってたんだろね。 結婚したかったしすると信じてた女性は何人もいたでしょ」といった手厳しい声が上がっている。

「志村さんといえば1980年代~90年代、何度もいしのようこと熱愛が報道されており、同棲もしていたとのことですが結局、結婚にはいたらず破局。次は優香さんに入れ込み、最終的に正式に結婚を申し込むほどだったが断られてしまったという話も。その後は、加藤綾子アナウンサーに夢中になり、やはり結婚を申し込むも断られてしまったという話がありましたよね。しかし実は、来年~再来年あたりに志村さんと結婚するのでは、と業界で言われている女性がいるんですよ」(テレビ局勤務)

 その人物とは、元セクシー女優のみひろ。みひろは志村との交際がささやかれていたものの2015年5月に俳優の下川真矢と結婚。その直後、志村けんが主演舞台『志村魂』の初日を迎えた際に報道陣がみひろの結婚についてツッコんだところ「どっか嫁いじゃったんで。(結婚)報告はありましたよ。相手の顔は見たくないよ」とリアクションし、場を湧かせていたことがあった。そのみひろが今年の2月1日に離婚を発表したということで、志村とヨリを戻すのではという噂があるのだという。

「志村さんはみひろさんの離婚を気にかけており、彼女のメンタル面を心配しているという話です。志村さんはもともと面倒見が良くて共演者には優しいことで評判ですし、また志村さん関連の仕事のキャスティングなどでみひろさんが抜擢されることも多くなるだろうし、そうなったら焼けぼっくいに火がつく可能性も……と関係者は思っているとか」(芸能事務所勤務)

 以前、みひろが結婚するまではテレビ番組のコントでは息ぴったりの演技を見せていた2人。今後はまた仲の良い姿が見られるかも!?

志村けん、「結婚」への熱い思いを激白! 離婚したばかりの“お気に入り共演者”へラブコール!?

 今年69歳になったお笑い界のレジェンド芸人・志村けん。そんな志村が発言した“結婚への熱い思い”が話題を呼んでいる。

 志村は2月23日放送の『人生最高レストラン』(TBS系)にゲストとして登場。そこで独身の理由について聞かれると「結婚したい気はずっとあるんですよ」と返答。また20歳くらいからずっと女性と同棲してきたとのことで、相手が3年ほどで変わることが半ばルール化していることも明かした。また、基本恋人とは結婚しようと思って付き合っており、かつては恋人の親にあいさつをしに行ったことがあることにも言及。そんな志村の結婚へのモチベーションは“子ども”だそうで、「一番欲しいのは子ども」「子どもがいないと僕の存在が消えちゃうじゃないですか」とコメントしていた。

 このニュースを受け、ネットでは「ドンファンや加藤茶と違って結婚しないところが賢すぎる!」「愛人と噂だった人たちと同棲してたのかな 」「同棲を繰り返す男って地雷感」「若い子が好きだから次、次って目移りしてたらお爺ちゃんになってたんだろね。 結婚したかったしすると信じてた女性は何人もいたでしょ」といった手厳しい声が上がっている。

「志村さんといえば1980年代~90年代、何度もいしのようこと熱愛が報道されており、同棲もしていたとのことですが結局、結婚にはいたらず破局。次は優香さんに入れ込み、最終的に正式に結婚を申し込むほどだったが断られてしまったという話も。その後は、加藤綾子アナウンサーに夢中になり、やはり結婚を申し込むも断られてしまったという話がありましたよね。しかし実は、来年~再来年あたりに志村さんと結婚するのでは、と業界で言われている女性がいるんですよ」(テレビ局勤務)

 その人物とは、元セクシー女優のみひろ。みひろは志村との交際がささやかれていたものの2015年5月に俳優の下川真矢と結婚。その直後、志村けんが主演舞台『志村魂』の初日を迎えた際に報道陣がみひろの結婚についてツッコんだところ「どっか嫁いじゃったんで。(結婚)報告はありましたよ。相手の顔は見たくないよ」とリアクションし、場を湧かせていたことがあった。そのみひろが今年の2月1日に離婚を発表したということで、志村とヨリを戻すのではという噂があるのだという。

「志村さんはみひろさんの離婚を気にかけており、彼女のメンタル面を心配しているという話です。志村さんはもともと面倒見が良くて共演者には優しいことで評判ですし、また志村さん関連の仕事のキャスティングなどでみひろさんが抜擢されることも多くなるだろうし、そうなったら焼けぼっくいに火がつく可能性も……と関係者は思っているとか」(芸能事務所勤務)

 以前、みひろが結婚するまではテレビ番組のコントでは息ぴったりの演技を見せていた2人。今後はまた仲の良い姿が見られるかも!?

志村けん、肉布団批判で窮地の『バカ殿』後継者に千鳥・大悟を指名し存続へ

「志村さんと夫婦コントやったときに、収録が柴田理恵さんも一緒だったんだけど。二人で泣いちゃった」

 1月16日に放送された『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)で、マツコ・デラックスが志村けんとの思い出を語った。子どもの頃から見ていたスターとの共演に、「胸、詰まっちゃって」とのことだった。

 言うまでもなく、志村は昭和から現在まで、お笑いの最前線に立ち続ける、お笑い界の生けるレジェンド。マツコが感激するのもよくわかる。

 だが、現在の志村は、非常にシビアな状況に置かれている。

「フジテレビの特番でおなじみの、『志村けんのバカ殿様』と『志村けんのだいじょうぶだぁ』が打ち切りの危機にあります。全体的に低視聴率のフジの中にあっては、悪目立ちしない水準にはありますが、大勢のゲスト出演者のギャラ、大掛かりなセットの制作費などを考えると、通常の倍ほどの予算がかかっている。もう数年前から打ち切り候補の筆頭として、何度も挙がっています」(フジ関係者)

 志村も、当然ながら、そんな気配を感じているのだろう。周辺からは、こんな話が伝わってくるのだ。

「最近、志村は千鳥の大悟がお気に入りで、週に何度も呼び出しては飲み歩いています。この大悟を『バカ殿』の後継者にしようと、水面下で調整を進めているそうです。自分が作り上げてきたテレビコントの王道が番組終了や自身の引退で完全に消えてしまわないようにと、この数年、あとを継がせることができる後輩を探していたそうですからね。人気と実力があり、二代目となったときにフジや世間が納得する人材となると、そうはいませんが、現在の大悟なら、まさに適任。相方のノブを、東八郎、桑野信義に続く、三代目家老役にすれば、収まりもいい。昨年10月から大悟を、『志村でナイト』(同)のレギュラーに引き入れたのは、このバカ殿引き継ぎへの布石だと言われているんです」(番組関係者)

 1月9月の放送では、水着姿の女性たちが肉布団となって志村に覆いかぶさったシーンが「性差別」と批判を受けた。また、老いが目立つ志村の白塗りもいいかげんキツイという意見もネット上には多い。

 確かに、完全に世間が「NO!」の判断を下す前に、後進に道を譲るのが賢明だろう。

 正直、大悟の『バカ殿』の方が面白そう! 今から期待したい。

志村けん、肉布団批判で窮地の『バカ殿』後継者に千鳥・大悟を指名し存続へ

「志村さんと夫婦コントやったときに、収録が柴田理恵さんも一緒だったんだけど。二人で泣いちゃった」

 1月16日に放送された『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)で、マツコ・デラックスが志村けんとの思い出を語った。子どもの頃から見ていたスターとの共演に、「胸、詰まっちゃって」とのことだった。

 言うまでもなく、志村は昭和から現在まで、お笑いの最前線に立ち続ける、お笑い界の生けるレジェンド。マツコが感激するのもよくわかる。

 だが、現在の志村は、非常にシビアな状況に置かれている。

「フジテレビの特番でおなじみの、『志村けんのバカ殿様』と『志村けんのだいじょうぶだぁ』が打ち切りの危機にあります。全体的に低視聴率のフジの中にあっては、悪目立ちしない水準にはありますが、大勢のゲスト出演者のギャラ、大掛かりなセットの制作費などを考えると、通常の倍ほどの予算がかかっている。もう数年前から打ち切り候補の筆頭として、何度も挙がっています」(フジ関係者)

 志村も、当然ながら、そんな気配を感じているのだろう。周辺からは、こんな話が伝わってくるのだ。

「最近、志村は千鳥の大悟がお気に入りで、週に何度も呼び出しては飲み歩いています。この大悟を『バカ殿』の後継者にしようと、水面下で調整を進めているそうです。自分が作り上げてきたテレビコントの王道が番組終了や自身の引退で完全に消えてしまわないようにと、この数年、あとを継がせることができる後輩を探していたそうですからね。人気と実力があり、二代目となったときにフジや世間が納得する人材となると、そうはいませんが、現在の大悟なら、まさに適任。相方のノブを、東八郎、桑野信義に続く、三代目家老役にすれば、収まりもいい。昨年10月から大悟を、『志村でナイト』(同)のレギュラーに引き入れたのは、このバカ殿引き継ぎへの布石だと言われているんです」(番組関係者)

 1月9月の放送では、水着姿の女性たちが肉布団となって志村に覆いかぶさったシーンが「性差別」と批判を受けた。また、老いが目立つ志村の白塗りもいいかげんキツイという意見もネット上には多い。

 確かに、完全に世間が「NO!」の判断を下す前に、後進に道を譲るのが賢明だろう。

 正直、大悟の『バカ殿』の方が面白そう! 今から期待したい。

『志村けんのバカ殿様』女性の水着姿に批判殺到!「昔は、おっぱい丸出しだったのに……」

 9日に放送された『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)の内容が、物議を醸している。この日の放送では番組冒頭にダウンタウンの浜田雅功が登場するなど、豪華な並びも話題となった。『バカ殿』はお正月の恒例番組といえるが、ある場面が問題となった。

 問題のシーンは、眠れないバカ殿が水着女性の“肉布団”を味わうといったもの。これが女性差別なのではないかと、一部で批判のターゲットになっているのだ。だが、昔からの『バカ殿』を知る視聴者にとっては「これが問題になるなら、昔はどうなのよ。おっぱい丸出しだったじゃん」「そもそも『バカ殿』がセクハラ、パワハラキャラだし、番組自体が完全に放送禁止だろ」といった声が聞かれる。

「現在は水着になっていますが、昔の『バカ殿』は、おっぱいが丸出しでしたからね。志村扮する殿のキャラクターは、とにかく下品でスケベ。夜這いをかけることはもちろん、人間すごろくのコーナーでは裸の女性とお風呂に入るといった場面も見られました」(放送作家)

 驚くべきなのは、これが現在と同じくゴールデンタイムで放送されていたことだろう。

「1990年代には夜7時から放送の『投稿! 特ホウ王国』(日本テレビ系)でも、若い女性のおっぱいを吸う猫といった企画が放送されるなど、子どもも目にする番組においてエロシーンが放送されていました。もちろんこちらは視聴率アップを狙ったものでしょうが、グロさのない作りであったのも事実ですね。『バカ殿』のくだらなさは昔から変わらないわけですから、むしろネット世論によって“発見”されてしまったといえるかもしれません」(同)

 テレビ番組の企画や内容をめぐっては、相席スタートの山崎ケイ原作によるドラマ『ちょうどいいブスのススメ』がネットで炎上し、『人生が楽しくなる幸せの法則』(同)にタイトル変更となる影響が現れている。『バカ殿』も、そうしたクレーム社会のターゲットとなってしまうのは「らしさ」の損失につながりかねず、少し寂しい気がするのもまた事実であろう。
(文=平田宏利)

志村けん69歳誕生日に“サプライズ発表”ある!? 「加藤綾子ではない新彼女」公表か

 来月2月20日に69歳の誕生日を迎える、お笑い界の大御所・志村けん。当日は多くの芸能人を招いての誕生日会が恒例となっているが、今年はこの場で志村から“サプライズ発表”があるかもしれない、という情報を入手した。

「どうも新しい彼女ができたみたいで、最近では外での酒を控えて、彼女と自宅で飲むことが多くなったようです。2月の恒例の誕生会で、関係を公表するかもしれませんよ」(某番組プロデューサー)

 志村の女性関係といえば、“カトパン”ことフリーアナウンサーの加藤綾子を真っ先に思い浮かべる人も少なくないだろう。

 これまで加藤が、明石家さんまから長らく、冗談とも本気ともつかないラブコールを送られ続けていたことは有名だが、昨年5月、フジテレビの特番でさんまが「(加藤と)付き合いたいし、抱きたい」と公言。これを受けて、加藤がプライベートでの交際はハッキリと断ったというが、その後、さんまに代わって活字メディアで浮上していたのが、志村の名前だった。

 ある週刊誌では、“5年前に志村が加藤にプレゼントとして5億円、妻手当として月500万円の条件でプロポーズしたものの、彼女は返事を保留したまま”と報道。昨年10月には、「肝硬変の疑いがある」と報じられた志村を心配して、加藤が連絡を取ったことをきっかけに、志村が再プロポーズ。健康不安を抱える志村は全財産を彼女に譲るつもりで、これを加藤が受けたようだ……という情報がまことしやかに流れていた。

 その後、11月18日には、加藤が自身のインスタグラムに、ティファニーのペアカップの写真をアップ。ハッシュタグに「大切な人へのプレゼント」と書き込んだことで、「やはり、志村からのプロポーズを受けたのか!」とSNSが盛り上がった。

 ところが、志村けんの飲み仲間でもある前出の番組プロデューサーは、「志村から加藤の名前が出たことは一度もない」と断言。それどころか、肝硬変などといった健康不安も「ないでしょう」と一笑に付す。

「確かに最近、(志村は)外ではあまり飲まず、飲んでも酒量が減っているかもしれません。ただ、自宅では相変わらず飲んでいますからね。過去にも似たようなことが何度かありましたが、そういうときは決まって、新しい女ができて、自宅に呼んで飲んでいるんですよ(笑)」(同)

 結論からいえば、加藤は、志村の新しい彼女の“隠れ蓑”状態になっているということだが、マスコミにおもしろおかしく志村との関係を報じられる。しかも、“5億円プロポーズ”などと伝えられるのはさすがに加藤もいい迷惑だろう。

 2月末に行われる志村の誕生日会は、そんな“熱愛疑惑”を晴らす良い機会にもなりそうだが、果たしてマスコミを驚かせる“サプライズ発表”はあるのか、注目したい。
(文=本多圭)

マツコ・デラックスと志村けん“共演NG”解除へ!? 「スッピン写真」騒動から、間もなく1年……

 長く“共演NG”とされてきたマツコ・デラックスと志村けんの関係修復に向け、テレビ局スタッフが動き始めたという。

 マツコと志村といえば、今年2月に都内のイタリアンレストランで行われた「志村けん68歳誕生会」で問題が勃発。これまで、プライベートの写真を一切公表してこなかったマツコだったが、あろうことか志村がブログで「誕生会」に出席していたマツコの私服&スッピン姿をアップ。その後、写真は削除されたが、所属事務所を通じてクレームを入れるなど、険悪な関係となっている。

「発端は志村の“遊び心”でしたが、マツコ側は怒り心頭だったようです。みひろ、タカアンドトシ、小林恵美、中山秀征、磯山さやか、多岐川華子、島崎和歌子らいわゆる『志村ファミリー』の芸能人出席者がたくさんいたことから、この話が業界内にすぐさま伝わり、大騒動となりました。これに頭を抱えたのがテレビ業界です。視聴率が見込める2人の共演を控えるようになりました」(芸能関係者)

 以降、番組スタッフはテレビ局内で2人がばったり会うことがないように、だいぶ気を使うハメにもなったという。

「もし2人が共演するとなれば、潜在視聴率などから換算して確実に8%以上の数字が取れます。それだけに、早く2人の関係を元に戻して、番組に出したいというのが本音です。そのため、あるバラエティー番組を使って、この話をネタにしてもらおうという企画が進行しています。ただ、マツコ側の了解が得られるのかまだ不透明だといいます」(テレビ局関係者)

 果たして2019年は2人の共演がみられるのか。テレビマンの苦労は続きそうだ。

志村けん、麻布十番への貢献エピソード明かすも「ろれつ回らず……」68歳で“痛飲”は大丈夫?

 東京・港区の麻布十番といえば、六本木ヒルズや東京ミッドタウンなど人気スポットのお膝元でもあり、通好みのショップや飲食店が建ち並ぶ都内でも屈指の繁華街である。芸能人の出没率も高い。だが、そんな麻布十番もかつては下町のアーケード商店街にすぎず、最寄り駅もない陸の孤島だった。そして、麻布十番が現在のオシャレな街に変貌を遂げる過程で、大きく貢献したのが志村けんだった――。

 そんな意外な事実が明らかになったのが、11日に放送された『有吉弘行のダレトク!?』(フジテレビ系)だった。同番組に出演した志村けんは、長年住み続けてきた麻布十番との意外な関係を明かし、MCの有吉らを驚かせた。

「志村が麻布十番に住み始めたのは、『8時だョ!全員集合』(TBS系)に出演していた頃。よそ者扱いされ、悩んでいた志村は、行きつけの喫茶店のマスターのアドバイスに従い、商店街の清掃活動や飲み会に参加するなどして、地元住民との親睦を深めていったそうです」(芸能ライター)

 そうした地道な地域密着への活動が実を結び、商店街会長の息子とも仲良くなり、街の発展のためのアドバイスを求められるまでになったという。現在の麻布十番の街並みは、赤坂・一ツ木通りの石畳を採り入れたものだが、これも志村のアドバイスによるもの。また、ノーギャラで十番祭りのミスコンの審査員も務めるなど、志村の街への貢献によって、麻布十番がメディアに取り上げられる機会が増え、街の認知度が劇的に高まったのだそう。

「通常、麻布十番のような高級な街の住民は、街のステータスが下がるとして、志村のような芸人が住むことを嫌うもの。彼がいかに地元に溶け込んでいるかがうかがえます。志村は麻布十番に長らく居住しているだけあって、夜な夜な若い女性と連れだって飲み歩く姿が目撃されています。多くはガールズバーに勤務する女性で、食事をしてそのまま店に同伴出勤するのがお決まりのコース。今年4月にも、そんな姿が写真週刊誌『FRIDAY』(講談社)で報じられていました」(同)

 志村と麻布十番の意外な関係は視聴者も驚かせたが、一方で志村の健康状態を危惧する声も上がっている。番組では出演者が酒を飲み交わしながらトークを展開したのだが、志村はろれつが回らなくなるほど深酔いしてしまったのだ。

「放送中に、ここまで酔っ払うのは考えもの。体調でも悪かったのでしょうか。最近の志村は肝硬変と診断されるなど、健康面に不安を抱えており、『“バカ殿”はもうできないかも』などと、すっかり弱気になっているそうです」(同)

 お笑い界の第一線を走る志村も、すでに68歳。健康のためにも酒量を控えて、今後も末長く地元・麻布十番の発展に貢献してほしいものだ。

志村けんブレークの陰に……ボーヤ時代に起こした失踪事件と、「まったくウケない」下積み時代

 5月28日放送『ファミリーヒストリー』(NHK総合)がルーツを掘り下げたのは、あの志村けん。

 1976年にヒットした「東村山音頭」でわかる通り、彼の実家は東京都東村山市にあるが、「志村家はもともと、山梨の出だったと聞いたことがある」とは志村の兄(長男)・知之さんの弁。志村の姓は、武田家(武田信玄)がいた甲府に多い名字だ。

 旧武田の武士たちが甲州を手に入れた徳川家康へ「今後、忠誠を誓います」と出した誓約書の中には志村姓の武士が多く含まれており、甲斐の国から武蔵の国に入る甲州街道上、八王子にある関門(現在の東村山の近く)を守る使命が志村たちに与えられたとのこと。

 その他、諸説さまざまあるが、彼の祖先は名のある人物であった可能性が高い。もしかしたら、武田信玄に仕えていた可能性もあるのだ。

 

■ボーヤ時代の志村が失踪した理由とは?

 東村山で300年続いているという志村家。彼の父・憲司の職は教師である。非常に厳しい父親だったが、ある日、「雲の上団五郎一座」の舞台中継をテレビで見て、珍しく声を出し笑った憲司の姿に衝撃を受ける。そして、これを契機に、友だちを笑わすことに熱中する少年になった。

 高校の卒業式直前の68年2月、なんのツテもないまま、彼はいかりや長介に弟子入りを直訴した。この時の様子については、「笑芸人」VOL.1(白夜書房)が詳しい。

「いかりやは仕事のため留守。志村は長時間、雪の舞う中を待ち続け、バンドのボーヤ(付き人)として、ドリフに携わることになる」

 志村家の三男だった彼は家族から反対されることなく、無事、ドリフのボーヤになった。

「(直訴から)1週間たった後に電話きて『明日から東北の旅へ出るから。1週間。用意してこい』と(笑)」(志村)

 そして69年10月、新番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)が始まる。同時に、一番下っ端の見習いとして志村の修業がスタートした。ちなみに、彼の本名は「康徳」(徳川家康のように立派な人間になってほしいという願いが込められた)で、「志村けん」という芸名は父・憲司から取ったものである。

 74年に志村は正式メンバーへと昇格するが、それまでの道のりは決して順調ではなかった。まず、69年秋ごろ、志村は一度失踪してドリフの前から姿を消している。理由は諸説ある。

・あまりの修行のつらさに逃げた

・同じボーヤ仲間の井山淳とコンビを組みたいといかりやに告げたところ、許しが得られなかったため出ていった

・コメディアンとして社会勉強をしていた(志村自身が自叙伝『変なおじさん』〈新潮社〉で告白)

 バーテンダーやその他の職を転々として社会勉強した志村は1年後、加藤茶の口利きでボーヤに復帰。やがて、井山とコンビ「マックボンボン」を結成し、ドリフの地方巡業の前座に出演するようになる。

 当時のマックボンボンのネタは、ボケの井山に志村が「何を言ってるんだよ!」と顔面を蹴ってツッコむというスタイル。コント55号をより凶悪にしたコントは客席を沸かせ、72年10月からスタートした日本テレビの新番組『ぎんぎら!ボンボン!』レギュラーをゲットするにまで至った。しかし、若い彼らは舞台とテレビの違いに戸惑ってパッとせず、番組自体も同年12月に終了。結果、マックボンボンは解散し、志村はドリフのボーヤへと戻った。

■黒人音楽のマニア・志村けん

 その後、メンバーの荒井注が休業という名目で74年にドリフを脱退。前述の通り、志村は正式メンバーに昇格する。

 それにしても、なぜ志村が選ばれたのだろう? 志村よりも先に舞台デビューし、ブルース・リーのモノマネで人気を博していたすわしんじを昇格させるほうが順当だった感は否めない。この時の経緯について、4月14日放送『たけしが行く!わがままオヤジ旅3』(テレビ東京系)にゲスト出演した加藤茶が回顧している。

「長さんがね、荒井さんと同じ年の奴を入れようと思っていたのよ。ベテランを。で、1人候補がいたの。バンドリーダーでフルバンドの指揮やってる人で、豊岡豊って人がいたのよ」

「『長さん、待ってくれ』と。一緒に回ってて、作り方も全部知ってるし、考え方も同じ奴って言ったら志村しかいないんです。『志村入れようよ』って言ったのは、俺なの」

「自分もだんだんキツくなってきたから。志村が入ってくれることで、広がりができるじゃない。あの時はしんどくて、ネタもあんまり出なくなってきてたし。志村は俺と年中ふざけ合ってたから『こいつ、面白いかもしれない』って入れたら、案の定、ああやってブレークして」

 こうして、正式メンバーになった志村。しかし、舞台上でどんなに頑張っても、客にまったくウケない期間が続いてしまう。志村の兄(次男)・美佐男さんが当時を振り返った。

「今風に言えばブーイングですよね。『なんだ、引っ込め』みたいな。だから、最初の2~3年はつらかった時期もありましたよね。笑いが止まっちゃうんですから」

 弟弟子のすわしんじも証言している。

「ほとんど人には言わないんだけど、かなり悩んでましたね。そんなにウケないはずはないと思ってたはずですよね。荒井さんのキャラクターが強かったですから、見るほうはやっぱり荒井さんの姿を重ねたりしますからね。志村さんの笑いを定着させるには時間がかかったんじゃないですか。もがけばもがくほど、どこか深みにはまっていきますから」

 転機は76年に訪れた。「笑芸人」VOL.1の文章を、再び引用しよう。

「3月6日、新潟市民会館で行われた『少年少女合唱隊』コーナー。この時のテーマは『民謡』。新潟ゆかりの曲やゲストの出身地の民謡が歌われる中で、ラストに歌ったのが志村けんの『東村山音頭』だった。この曲は、たまたま志村が鼻歌で歌っていたのをいかりやが聴いて、とりあえず出してみたという偶然的なものだったが、これが大ウケ。9月にはシングルで発売され好セールスを挙げる。東村山市長から『市の知名度を上げた』ということで感謝状も贈られている。このブレークにより、ドリフターズの一員として、コメディアン・志村けんが世間に認知され、第2期ドリフの快進撃の幕開けとなる」

 その後も志村の勢いはとどまるところを知らず、「ヒゲダンス」など、音楽ネタにブラック系ソウル・フリークだった志村の趣味が反映されるようになる。ついには『ザ・ベストテン』(TBS系)に出演し、音楽をバックにいつもの芸を披露した志村。

 ちなみに、80年に発売された「ヒゲのテーマ」は作曲者として志村の名がクレジットされているが、後に、ディスコシーンでヒットしていたテディー・ペンダグラスの「DoMe」を引用していたことが発覚。志村は「知らず知らずのうちに似てしまった」と説明しているが、「DoMe」の権利を持っていたレコード会社は問題にするどころか、この曲を「ヒゲのテーマ」の原曲として日本盤化。だが、残念ながらこちらはヒットしなかった。

 書籍『虹色の音詞』(シンコーミュージック)でインタビューを受けた志村は、「ミュージシャンになりたいという願望はなかったんですか?」という質問に対し、以下のように答えている。

「それはあまりなかったですね。でも、音楽はやってたんですけどね。高校の頃、コント55号へ行こうか、ドリフターズへ行こうか迷ったんです。で。コント55号は動きは好きなんだけど、音がない……それが決め手になって、ドリフターズに付いたんですよ」

 今回の『ファミリーヒストリー』エンディングで、志村はしみじみと「1人じゃ何もできないってすごくわかりますね」とコメントしている。

 家族、そして加藤といかりやらの理解の下に、確固たる地位を築き上げていった志村。そうした環境もありつつ、彼の内にあった音楽の素養がブレークのきっかけになった辺りが面白い。

(文=寺西ジャジューカ)