韓国映画『金子文子と朴烈』、“反日作品”が日本でロングランヒットとなった魅力とは?

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。このコラムでは、『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)の共著者であり映画研究者の崔盛旭の解説のもと、映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

映画『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク監督、2017)

 2019年は、1919年に日本統治下の朝鮮で起こった「三・一独立運動」から100年目にあたる。今年はまた、韓国への輸出規制に端を発する反日的雰囲気の高まりがあり、さらにここ数年、歴史問題をめぐる日韓の対立が浮き彫りになる中で、韓国では植民地時代の抗日闘争や慰安婦、徴用工をテーマにした映画が次々と作られるようになった。

 韓国には、もともと「反日映画」と呼ぶべきジャンルがある。古くは戦争(韓国では、日本の植民地支配からの独立)直後の『自由万歳』(チェ・インギュ監督、1946)をはじめ、平均すれば年に1〜2本は必ずと言っていいほど作られてきた。中には正義=韓国 vs.悪=日本という単純な二項対立的構図の国策映画も少なくないが、植民地支配の歴史を考えると致し方ない部分もあるだろう。

 私も中高生時代は、学校で反日映画を団体鑑賞したものだ。教科書で学んだ植民地時代の歴史が、スクリーンの中で再現されることで、歴史に対する理解が深まると同時に、悪としての日本人イメージが自然に刷り込まれていく。反日映画は韓国における歴史教育の教材としても活用されてきたのだ。

 反日映画には大きく3パターンある。1)実在の歴史的事件を題材にしたもの、2)安重根に代表される抗日運動家の活躍を描いたもの、3)そして両者をうまく混ぜ合わせたものだ。だが同じような素材ばかりでネタ切れ感が否めず、観客にも飽きられる中で、フィクションを加えることで史実をよりドラマチックに再構成したり、日本人キャラクターに内面的な深みや人間的葛藤を持たせたり、反日映画自体も変化を遂げてきた。このような、立体的な人物像とエンターテインメントとしての完成度の高さに、反日的なムードが追い風になって成功を収めたのが、1000万人を超える観客動員を記録した『暗殺』(チェ・ドンフン監督、2015)と言えるだろう。

 その流れの中で公開されたのが、関東大震災前後の日本で抗日運動家、アナーキスト(無政府主義者)として活動した朴烈(パク・ヨル)とその妻で同志のアナーキストであった金子文子を描いた『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク監督、17)である。朴烈はこれまで韓国でもあまり知られていなかった人物で、韓国にしてみれば抗日をテーマにした新たな題材の発掘であり、実際に朴はこの映画のおかげで一気に注目を集めて広く知られるようになった。映画は235万人動員の大ヒットとなり、評論家からも好評、青少年に推奨すべき映画にも選ばれて「良い歴史教材」としてのお墨付きを得た。

 だが、それ以上に興味深いのは、本作が日本でもロングランヒットとなったことである。天皇制を否定した歴史上の人物を描く韓国の「反日映画」ともなれば、右翼の格好の標的にもなりかねないので、劇場公開を危ぶむ声もあったという。実際に劇場の周辺では上映を妨害しようとする人たちも少なからずおり、警察が配備されるなど物々しい雰囲気の中での公開となった。しかしふたを開けてみれば連日満員御礼でSNS上でも話題沸騰、上映館が次々と拡大する事態が待っていた。では、なぜこの映画が韓国のみならず、日本でも受け入れられたのだろうか?

【物語】
 1923年、関東大震災前後の東京。朝鮮人アナーキストたちの集会で出会った朴烈(イ・ジェフン)と金子文子(チェ・ヒソ)は互いに惹かれ合い、同棲を始める。朴らは「不逞社」という組織を作り反日活動をもくろむが、そんな中で起こった大震災では混乱の中、朝鮮人虐殺が相次ぎ、政府もそれを傍観しつつ、朝鮮人や社会主義者を無差別に検挙していった。刑務所に収監された朴は、皇太子爆弾暗殺計画の主犯とされ、共犯を名乗り出た金子とともに大逆事件を裁く法廷に立つことになる。

 映画は、日本では「朴烈事件」として知られる、朴と金子文子による皇太子爆弾暗殺計画という大逆事件の裁判を題材にしている。日本に植民地支配された朝鮮人はともかく、日本人女性が天皇制を否定し皇太子の暗殺を計画するとはなんたることかと、世間に衝撃を与えた事件だ。そんな二人が逮捕された後、天皇や皇太子について語る映画の中のワンシーンを取り上げてみよう。

朴:天皇が神だと思っているのか。天皇はただの人間だ。くそもするし、しょんべんもする。まめみたいに小さい人間。

金子:人間はみんな平等だ。この平等な人間世界を踏みにじる悪魔の権力が天皇であり皇太子だ。したがって彼らは消えるべき存在だ。

 死刑を覚悟した上での発言だが、天皇は神であり国体であると信じられた時代にここまで堂々と否定する大胆さには驚かずにはいられない。この後もはばかることなく言葉を放つ朴と文子の姿は、なかなか見応えがある。

 一方で「朴烈事件」は、政府が企んだ事件だとする説もある。震災当時、社会の混乱と不安のなかから生み出された「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などというデマが広がり、自警団による朝鮮人の虐殺が生じたが、このことから国民の目をそらすために政府が朴と文子を利用したというのだ。映画では、この説を物語の一つの軸にしている。

 朝鮮人虐殺に関しては、多くの著作を通してよく知られている「15円50銭の虐殺」を描いている。見た目からは朝鮮人かどうかを判断できないので、彼らが苦手な発音を利用して「15円50銭」と言わせ、うまく発音できなかった者を殺害した。中には訛りの強い東北出身者が朝鮮人に間違われ、殺されたケースもあったという。いずれにせよ、震災の渦中で起きた朴烈事件の真相は今でもわかっておらず、謎の多い事件として語られている。

 韓国映画ではあるものの、日本を舞台に多くの日本人が登場する本作では、日本に住んだ経験もある文子役のチェ・ヒソをはじめ韓国人俳優らが話す日本語の自然さもまた、日本で違和感なく受容された大きな要因と言えるだろう。だがそれ以上に日本の観客にとって新鮮だったのは、金子文子という日本人女性の強さ、聡明さであり、それ故の美しさだったのではないだろうか。

 映画ではあまり語られていないが、文子の生い立ちは悲惨極まりないものだ。1903年に生まれた文子は無戸籍者のまま両親に捨てられて、親戚の家を転々とし、朝鮮に住んでいた叔母の元に預けられてからも虐待を受けた。だが三・一独立運動で虐げられながらも必死で闘おうとする朝鮮人に深く共感、帰国後は働きながら学問に励んだという。家族や社会から見放され、文字すら独学で習得した文子にとって、権力を拒否し自由を熱望することは自らの存在証明だったのだろう。アナーキストとは、国家権力だけでなく、あらゆる社会的権力、個人間の権力をも否定し、絶対的な自由の実現を信念とする者である。文子は国家も民族も、帝国と植民地のヒエラルキーさえぶち壊し、あらゆる束縛から自由になった自分自身を生き抜いて見せたのだ。

 

 さて、死刑から無期懲役に減刑した天皇の恩赦さえも拒否し、26年に獄中死を遂げた文子(自殺説・他殺説がある)とは対照的に、その後の朴の生き方には首をかしげたくなるものがある。朴は35年、獄中で転向を表明し、自分は「天皇の赤子」であると宣言する。45年の敗戦で釈放されると、反共を推し進める韓国政府に協力、50年に朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮に連行された。後には、自ら北へ向かったとも言われるように、今度は北朝鮮の上層部で活躍し、74年に71歳で他界、平壌に眠っている。北朝鮮との関わりゆえ、韓国では長年朴烈の存在はタブーだったが、89年に抗日運動の功績が評価されて勲章が与えられ、故郷の土地には記念館も建てられている。時の権力に協力した余生によって本作の朴を批判するつもりはないが、自らを貫き通した文子と、転向を繰り返して生き延びた朴を比較した時に、どうしても文子の存在が際立ってくるのは否めないだろう。

 韓国で公開された際も文子は観客に大いに支持されたが、そこにはあくまで「朴烈を慕った日本人の文子」というフィルターが見え隠れしている。だが文子は決して朴の追従者などではない。韓国で製作された一本の反日映画が奇しくも、それまでほとんど無名だった一人の日本人女性の存在とその魅力を、多くの日本人観客に知らしめることとなった。そういう意味では原題は『朴烈』なのに対して、それを『金子文子と朴烈』と変えた邦題の方がしっくりくるのは私だけだろうか。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正  戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻  スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国映画『弁護人』、公開から6年後の今話題になる背景――「検察」という韓国社会の“怒り”の対象

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が閣僚へ指名した8月からおよそ2カ月の間、韓国社会を真っ二つにし、賛否両論の中心に立っていた曺国(チョ・グク)法相が辞任した。韓国では、大統領が指名した閣僚候補者は、国会の聴聞会で資質や政策へのヴィジョンを検証される仕組みがあり、実はこれまでも多くの候補者たちが“プライベートな疑惑”に対する野党の追及に耐え切れず、聴聞会直後に自ら辞退してきた。

 もちろん最終任命権は大統領にあるため、まれにではあるが、聴聞会での判定にかかわらず大統領が任命を強行することもあり、曺氏の場合がこれにあたる。曺氏は聴聞会後もさまざまな疑惑(ただしこれらはあくまでも疑惑で、いまだ立証されていない)にさらされたが、野党の猛攻やメディアの一方的な報道を、驚くほど淡々とした態度で受け流していた。そんな曺氏の姿に、国民の関心は次第に“プライベートな疑惑”から、彼が文大統領と共に提唱している“検察改革”へと移っていった。検察改革とは何を意味するのか、なぜこれほどまでの攻撃を受けながら、彼は粘り強く耐えてきたのだろうか。

 そんな中、1本の映画がネット上で再び話題を呼んだ。日本では任期終了後に検察の追及を受けて自殺した人物として知られる、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領をモデルにした『弁護人』(ヤン・ウソク監督、韓国では2013年公開)だ。6年前の映画がなぜ今さら?と思うかもしれない。それは彼こそが、曺氏や文大統領に先駆けて、検察改革を試みた史上初の大統領だったからだ。盧元大統領の改革は、検察側の組織的な反発を打ち破れず挫折したうえ、当時は国民からも、検察を政治から分離するという改革は理想的だが実現性が薄いと疑問視されてうやむやになってしまったのだが、16年たったこの時代に、検察改革を目指して奮闘する曺氏の姿に、忘れかけていた元大統領がオーバーラップしたのである。

 それでは映画『弁護人』を取り上げて、盧元大統領の目指した思いが、いかにして文大統領や曺国氏に受け継がれてきたかを考えてみよう。

<物語>

1980年の釜山、高卒の弁護士ソン・ウソク(ソン・ガンホ)は、金もうけのために税務関係の仕事ばかりを請け負い、周囲からは冷たい目で見られていた。ある日、かつて世話になった食堂の女将・スンエ(キム・ヨンエ)から、息子のジヌ(イム・シワン)がある事件に巻き込まれ、裁判を控えていると聞く。息子を助けてくれというスンエの頼みを断り切れず、一緒に拘置所へ面会に行ったウソクは、そこで拷問を受けて満身創痍になっているジヌの姿にショックを受け、事件の弁護を引き受けることにする。国家権力との壮絶な闘いを通して、俗物だったウソクは大きく変化を遂げていく。

 細かい部分では設定やエピソードにフィクションを交えているが、大筋は盧元大統領の実話である。映画は87年の民主化運動での逮捕で終わっているため、国家との闘いから政治界に身を投じ大統領に上り詰める経緯は描かれていないが、俗物弁護士から人権弁護士への変化を通して、その後の政治家としてのイメージが確立されていくさまがよくわかる作品になっている。

 ウソクが弁護を引き受ける事件とは「釜林(プリム)事件」(映画では釜読連<プドクリョン>事件と名を変えている)として知られる、韓国現代史上の重要な出来事を指している。81年、釜山で読書会に参加していた大学生や教師、会社員ら22名が、令状もないまま公安当局によって逮捕、拷問、起訴された。当時の軍事独裁政権は、国家保安法違反の名目で確たる理由もなく国民に次々と「アカ(=共産主義者)」のレッテルを貼り、不当な逮捕や暴力的な弾圧を繰り返しており、釜林事件でもその不当性は明らかだった。国家権力をかさに終始一方的に進められる裁判で、公安検事(国家保安法違反事件を担当する検事)を相手に次々と論破していくウソクの姿は、ソン・ガンホの熱演と相まって観客の涙を大いに誘い、この映画をきっかけに、2009年に自ら命を絶った盧元大統領の再評価が進んだ。だが、おそらく日本の観客にとって同作において印象的なのは、韓国社会に根深くはびこる「アカ」という存在ではないだろうか。

 同じ民族同士が殺し合った朝鮮戦争以降、北朝鮮と対峙してきた韓国にとって最大の統治理念となった「反共産主義」(反共)だが、実際は権力に抗う者を弾圧するための道具として度々利用されてきた。とりわけ1960年代から90年代初めまで続いた長い軍事独裁政権下では、共産主義者はもとより、反独裁や民主化を叫ぶ学生や活動家たちを「アカ」に仕立て上げることで、拷問をはじめ情け容赦のない仕打ちが正当化されていた。反共のスローガンの下、時の独裁者たちは権力維持のために、何のためらいもなく彼らにとって都合の悪い存在にアカのレッテルを貼り、人間としての尊厳も権利も奪ってきた。

 権力側によるこうした理不尽な仕打ちが、映画ではふんだんに描かれている。友人たちと読書会を開いただけで逮捕されたジヌは繰り返し拷問され、公安のチャ・ドンヨン警監(クァク・ドウォン)はなんとしてでもジヌを「アカ」に仕立てようと自白を強要する。拷問の恐怖と心身の疲労から、ジヌは反国家的行為を認め、自白してしまう。検察側はそれを証拠に裁判を進めようとするが、ウソクはやり口の強引さ、不当さを次々と暴いていく。

 ジヌが持っていた本のイギリス人の原作者が、ソ連に滞在したことがあるというだけで「不穏書籍」と決めつける検察に対し、ウソクはイギリス外務省から原作者が「共産主義者ではない」ことを証明する文書を手に入れる。そして、同書がソウル大学の推薦図書だった事実を指摘し、ならば国家のエリートたちは皆アカではないかと言い放つ彼の姿に、観客は高揚感をかき立てられるのだが、国家権力はそう簡単に負けを認めはしない。それでも、7年後、人権弁護士としてますます勢いづくウソクの姿と、彼の想いが確実に根を張っている様子がラストでは確認できる。

 盧元大統領は弁護士時代、このような経験を通じて強大な権力を振るう検察の弊害や理不尽さを身をもってかみ締めたのだろう。だからこそ彼は検察改革に取り組んだに違いないし、側近らにも「検察を権力から自由にさせたい」と漏らしていたそうだ。人権弁護士から大統領となった盧氏の、人間中心の哲学、脱権力の姿勢、庶民的な言動は多くの国民に愛され、韓国歴代大統領の中では唯一「ノ・サ・モ」(“盧武鉉を愛する人々の会”の略称)というファンクラブが存在したほどである。観客動員1,100万という大ヒットの背景には、このような「人間盧武鉉の魅力」へのノスタルジアとともに、80年代を一緒に闘い抜いた386世代(80年代に大学に入った、60年代生まれの、1990年代当時30代だった世代)からの支持や彼を死に追いやった横暴な検察への怒りなどがあるといえるだろう。

 そんな盧元大統領にとって、現在の文大統領は政治的同志であり親友でもあった。盧政権下で要職を務め、同じ志を持つ文氏が、盧元大統領が成し得なかった検察改革を目指すのは当然であり、研究者の立場から長年にわたって検察改革を主張してきた曺国氏を、多少の人間的瑕疵はあるにせよ、重用しようとしたのも十分に理解できる。

 かつての朴槿恵(パク・クネ)元大統領絡みのスキャンダルもあり、日本では曺国氏の家族をめぐる報道にばかり注目が集まるのも無理はないが、盧元大統領から曺国氏に至る流れを振り返ってみると、今回の曺氏の辞任には、正直もったいないという思いを禁じ得ない。ただし、曺氏は「人権保護捜査規則の制定」や「検察組織の縮小」など、最低限の手は打ってから辞任した。盧元大統領から受け継がれた検察改革は、まだスタートしたばかりである。

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近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が閣僚へ指名した8月からおよそ2カ月の間、韓国社会を真っ二つにし、賛否両論の中心に立っていた曺国(チョ・グク)法相が辞任した。韓国では、大統領が指名した閣僚候補者は、国会の聴聞会で資質や政策へのヴィジョンを検証される仕組みがあり、実はこれまでも多くの候補者たちが“プライベートな疑惑”に対する野党の追及に耐え切れず、聴聞会直後に自ら辞退してきた。

 もちろん最終任命権は大統領にあるため、まれにではあるが、聴聞会での判定にかかわらず大統領が任命を強行することもあり、曺氏の場合がこれにあたる。曺氏は聴聞会後もさまざまな疑惑(ただしこれらはあくまでも疑惑で、いまだ立証されていない)にさらされたが、野党の猛攻やメディアの一方的な報道を、驚くほど淡々とした態度で受け流していた。そんな曺氏の姿に、国民の関心は次第に“プライベートな疑惑”から、彼が文大統領と共に提唱している“検察改革”へと移っていった。検察改革とは何を意味するのか、なぜこれほどまでの攻撃を受けながら、彼は粘り強く耐えてきたのだろうか。

 そんな中、1本の映画がネット上で再び話題を呼んだ。日本では任期終了後に検察の追及を受けて自殺した人物として知られる、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領をモデルにした『弁護人』(ヤン・ウソク監督、韓国では2013年公開)だ。6年前の映画がなぜ今さら?と思うかもしれない。それは彼こそが、曺氏や文大統領に先駆けて、検察改革を試みた史上初の大統領だったからだ。盧元大統領の改革は、検察側の組織的な反発を打ち破れず挫折したうえ、当時は国民からも、検察を政治から分離するという改革は理想的だが実現性が薄いと疑問視されてうやむやになってしまったのだが、16年たったこの時代に、検察改革を目指して奮闘する曺氏の姿に、忘れかけていた元大統領がオーバーラップしたのである。

 それでは映画『弁護人』を取り上げて、盧元大統領の目指した思いが、いかにして文大統領や曺国氏に受け継がれてきたかを考えてみよう。

<物語>

1980年の釜山、高卒の弁護士ソン・ウソク(ソン・ガンホ)は、金もうけのために税務関係の仕事ばかりを請け負い、周囲からは冷たい目で見られていた。ある日、かつて世話になった食堂の女将・スンエ(キム・ヨンエ)から、息子のジヌ(イム・シワン)がある事件に巻き込まれ、裁判を控えていると聞く。息子を助けてくれというスンエの頼みを断り切れず、一緒に拘置所へ面会に行ったウソクは、そこで拷問を受けて満身創痍になっているジヌの姿にショックを受け、事件の弁護を引き受けることにする。国家権力との壮絶な闘いを通して、俗物だったウソクは大きく変化を遂げていく。

 細かい部分では設定やエピソードにフィクションを交えているが、大筋は盧元大統領の実話である。映画は87年の民主化運動での逮捕で終わっているため、国家との闘いから政治界に身を投じ大統領に上り詰める経緯は描かれていないが、俗物弁護士から人権弁護士への変化を通して、その後の政治家としてのイメージが確立されていくさまがよくわかる作品になっている。

 ウソクが弁護を引き受ける事件とは「釜林(プリム)事件」(映画では釜読連<プドクリョン>事件と名を変えている)として知られる、韓国現代史上の重要な出来事を指している。81年、釜山で読書会に参加していた大学生や教師、会社員ら22名が、令状もないまま公安当局によって逮捕、拷問、起訴された。当時の軍事独裁政権は、国家保安法違反の名目で確たる理由もなく国民に次々と「アカ(=共産主義者)」のレッテルを貼り、不当な逮捕や暴力的な弾圧を繰り返しており、釜林事件でもその不当性は明らかだった。国家権力をかさに終始一方的に進められる裁判で、公安検事(国家保安法違反事件を担当する検事)を相手に次々と論破していくウソクの姿は、ソン・ガンホの熱演と相まって観客の涙を大いに誘い、この映画をきっかけに、2009年に自ら命を絶った盧元大統領の再評価が進んだ。だが、おそらく日本の観客にとって同作において印象的なのは、韓国社会に根深くはびこる「アカ」という存在ではないだろうか。

 同じ民族同士が殺し合った朝鮮戦争以降、北朝鮮と対峙してきた韓国にとって最大の統治理念となった「反共産主義」(反共)だが、実際は権力に抗う者を弾圧するための道具として度々利用されてきた。とりわけ1960年代から90年代初めまで続いた長い軍事独裁政権下では、共産主義者はもとより、反独裁や民主化を叫ぶ学生や活動家たちを「アカ」に仕立て上げることで、拷問をはじめ情け容赦のない仕打ちが正当化されていた。反共のスローガンの下、時の独裁者たちは権力維持のために、何のためらいもなく彼らにとって都合の悪い存在にアカのレッテルを貼り、人間としての尊厳も権利も奪ってきた。

 権力側によるこうした理不尽な仕打ちが、映画ではふんだんに描かれている。友人たちと読書会を開いただけで逮捕されたジヌは繰り返し拷問され、公安のチャ・ドンヨン警監(クァク・ドウォン)はなんとしてでもジヌを「アカ」に仕立てようと自白を強要する。拷問の恐怖と心身の疲労から、ジヌは反国家的行為を認め、自白してしまう。検察側はそれを証拠に裁判を進めようとするが、ウソクはやり口の強引さ、不当さを次々と暴いていく。

 ジヌが持っていた本のイギリス人の原作者が、ソ連に滞在したことがあるというだけで「不穏書籍」と決めつける検察に対し、ウソクはイギリス外務省から原作者が「共産主義者ではない」ことを証明する文書を手に入れる。そして、同書がソウル大学の推薦図書だった事実を指摘し、ならば国家のエリートたちは皆アカではないかと言い放つ彼の姿に、観客は高揚感をかき立てられるのだが、国家権力はそう簡単に負けを認めはしない。それでも、7年後、人権弁護士としてますます勢いづくウソクの姿と、彼の想いが確実に根を張っている様子がラストでは確認できる。

 盧元大統領は弁護士時代、このような経験を通じて強大な権力を振るう検察の弊害や理不尽さを身をもってかみ締めたのだろう。だからこそ彼は検察改革に取り組んだに違いないし、側近らにも「検察を権力から自由にさせたい」と漏らしていたそうだ。人権弁護士から大統領となった盧氏の、人間中心の哲学、脱権力の姿勢、庶民的な言動は多くの国民に愛され、韓国歴代大統領の中では唯一「ノ・サ・モ」(“盧武鉉を愛する人々の会”の略称)というファンクラブが存在したほどである。観客動員1,100万という大ヒットの背景には、このような「人間盧武鉉の魅力」へのノスタルジアとともに、80年代を一緒に闘い抜いた386世代(80年代に大学に入った、60年代生まれの、1990年代当時30代だった世代)からの支持や彼を死に追いやった横暴な検察への怒りなどがあるといえるだろう。

 そんな盧元大統領にとって、現在の文大統領は政治的同志であり親友でもあった。盧政権下で要職を務め、同じ志を持つ文氏が、盧元大統領が成し得なかった検察改革を目指すのは当然であり、研究者の立場から長年にわたって検察改革を主張してきた曺国氏を、多少の人間的瑕疵はあるにせよ、重用しようとしたのも十分に理解できる。

 かつての朴槿恵(パク・クネ)元大統領絡みのスキャンダルもあり、日本では曺国氏の家族をめぐる報道にばかり注目が集まるのも無理はないが、盧元大統領から曺国氏に至る流れを振り返ってみると、今回の曺氏の辞任には、正直もったいないという思いを禁じ得ない。ただし、曺氏は「人権保護捜査規則の制定」や「検察組織の縮小」など、最低限の手は打ってから辞任した。盧元大統領から受け継がれた検察改革は、まだスタートしたばかりである。

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1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正  戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻  スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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