イ・ビョンホン主演『KCIA 南山の部長たち』の背景にある、2つの大きな事件――「暴露本」と「寵愛」をめぐる物語

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『KCIA 南山の部長たち』

 軍事クーデター後、18年という長きにわたって韓国の大統領に君臨した朴正煕(パク・チョンヒ)は、1979年10月26日、実質“政権ナンバー2”であったKCIA(「大韓民国中央情報部」の略)の部長・金載圭(キム・ジェギュ)によって暗殺された。パク・チョンヒの死は韓国国民に衝撃を与え、ヒステリックな悲しみをもたらしたが、暴圧的な長期独裁の終焉に、喜びの「万歳」を(密かに)叫んだ人も少なからずいたに違いない。だが多くの国民は、誰彼なしに街に飛び出して慟哭し、その様子はテレビを通して中継されたものだ。

 当時小学校4年生だった私には正直、パク・チョンヒの死そのものよりも、「閣下!」と目の前で泣き叫ぶ父の姿のほうが遥かにショックだった。そんな大人たちの異様さに違和感を覚えつつも、徹底した反共教育で育った私は、このどさくさに紛れて北朝鮮が攻めてくるのではないかと恐怖に慄いたのをよく覚えている。

 だが、国の混乱ぶりに乗じて登場したのは、北の人民軍ではなく、全斗煥(チョン・ドファン)率いる新軍部だった。彼は、パク・チョンヒ暗殺の犯人たちを素早く逮捕すると、「大統領になりたいという誇大妄想に囚われたジェギュが犯した内乱目的の殺人事件」と発表。裁判から死刑までをあっという間に終わらせると、早々と事件の終結を宣言し、パク・チョンヒに代わって権力を掌握していったのは、その後の歴史の通りである。

 以来韓国では、ドファンの発表がパク・チョンヒ暗殺事件の顛末として「定説」とされてきたが、この事件をジェギュの「誇大妄想」だけで片付けるには、あまりにも謎が多かった。肝心のジェギュが速戦即決で死刑にされ、「なぜ殺人に至ったのか」が明らかにされないままだったため、事件をめぐっては、時間がたつとともにさまざまな説や噂が飛び交うようになった。

 例えば、「政権内での権力争いに敗れた」という説や、「パク・チョンヒの悪政への反感から殺害を計画した」という説、中には当時の核開発計画に反発するアメリカが画策したという、米韓関係の悪化を踏まえた具体的な説もあった。暗殺直後、ジェギュが米軍基地に逃げ込んだという噂もあり、“アメリカ黒幕説”は長らく消えなかった。真相究明を目論んだ書籍がいくつも書かれたが、自らの手で終わらせたはずの事件に触れられるのを嫌ったからか、チョン・ドファン政権下では発売を禁止され、結果的に、民主化が進んだ90年代まで出版を待つことに。

 そんな中、「東亜(トンア)日報」で1990年に始まった連載が、世間の大きな関心を集めた。それまで実態がほとんど表に出ていなかった軍事政権下でのKCIAの部長たちに焦点を合わせ、権力の暗部に迫る内容で、2年にわたる連載後には『남산의 부장들(南山の部長たち)』という題名で出版されてベストセラーに(講談社から邦訳『実録KCIA―「南山と呼ばれた男たち」』が出ているので、ぜひ手に取ってみてほしい)。

 ちなみに、KCIAの本部がソウルの中心に立つ「南山(ナムサン)」という山にあったため、通称として使われている。今ではソウルの観光スポットになっているが、独裁政権下、数々の拷問が行われていたことから、当時は国家権力による“暴力の象徴”として悪名高い場所だったのだ。

 この本でとりわけ注目されたのは、膨大な資料と取材に基づき、パク・チョンヒ暗殺に至るまでのジェギュの心境の変化を具体的に描き出している点。今回のコラムでは、これを原作にしたウ・ミンホ監督の『KCIA 南山の部長たち』(2019)を取り上げ、日本の観客にとってはやや複雑な構成になっている事件の背景や、人物たちの関係に触れながら紹介したい。

<物語>

 1979年10月26日、大韓民国中央情報部(KCIA)部長のキム・ギュピョン(イ・ビョンホン)は、パク大統領(イ・ソンミン)を暗殺。この事件の40日前、大統領に切り捨てられ恨みを抱いていた元KCIA部長のパク・ヨンガク(クァク・ドウォン)が、亡命先のアメリカで国会の聴聞会に出席。世界に向けてパク大統領の悪政の実態を暴露し、波乱を巻き起こしていた。

 怒り狂ったパク大統領の命令でアメリカに渡ったギュピョンは、回顧録を執筆中だというヨンガクから原稿を奪い、出版を阻止しようとする。一方、ギュピョンを差し置いてパク大統領に取り入ろうとする警護部長のクァク・サンチョン(イ・ヒジュン)も、事態を収拾するために動き出す。しかし、2人はことあるごとに衝突し、パク大統領への忠誠争いは次第にエスカレートしていく……。

※以下、映画のネタバレを含みます。

 本作の特徴は、これまで「ただの殺人者」とレッテルを貼られてきたキム・ジェギュの人間性に重きを置き、「キム・ギュピョン」という架空の人物に彼の感情や内面の動きを丁寧に落とし込んでいる点だ。とはいえ、近年の韓国映画に多く見られるような「ファクション」(歴史的事実に映画的想像力でフィクションを混ぜたジャンル)としてではなく、原作者が「8割は忠実な再現」と映画に太鼓判を押すほど、ノンフィクションに寄り添う姿勢をとっている。

 また、最近は「パク大統領による独裁を終わらせた英断」とジェギュの暗殺を再評価しようとする動きも出てきているが、映画は彼を英雄視することなく淡々としており、演じたイ・ビョンホンもまた、「自分は政治的な要素にはまったく興味がないので、ひたすら人間としてのキムを演じることに集中した」と語っている。

 ただし、映画では実名を用いず、「パク大統領」さえも「パク・チョンヒ」と呼ぶことがないのは、ここで描かれていること自体も本当かどうか明らかではなく、真実は謎のままであるという事実を示すためではないかと思われる。

 それでは以下に、映画を構成している大きな2つの事件を中心に見ていこう。

 1つ目は、KCIA部長のキム・ジェギュ(映画内ではキム・ギュピョン/以下、括弧は映画内の役名)と、警護室長のチャ・ジチョル(クァク・サンチョン)が対立する発端として描かれる、元KCIA部長キム・ヒョンウク(パク・ヨンガク)事件である。

 ヒョンウクはもともと、パク・チョンヒが権力を掌握した際のクーデターにも参加していた部下であり、どんな手を使っても命令を実行する人物だった。拷問や捏造を繰り返して多くの犠牲者を出し、その手口があまりにも汚かったので、政権内部からも批判されたほど。それゆえ、パク政権の維持にとっては功労者であったにもかかわらず、あまりにも多くを知りすぎてしまったため、次第にパク・チョンヒからも疎まれることとなった。

 その後の冷遇によってヒョンウクが不満を抱き亡命し、パク政権の実態をアメリカで告発したのは、映画で描かれている通り。中でもパク・チョンヒを怒らせたのが、政権の暗部を詳細に記述した原稿(『キム・ヒョンウク回顧録』として、韓国では1985年に出版)だった。

 誰よりもパク・チョンヒに忠誠を誓った部下が暴露本を出すという背信行為は皮肉なものだが、ヒョンウクにとっては、金銭目的だけではなく、報復から自らを守る最後の手段でもあったのだろう。何人もの政府関係者が出版をやめさせようと説得を試みたものの、彼は応じなかった。焦ったパク政権は、説得を諦めてヒョンウクの暗殺を画策し、映画では緊迫感たっぷりの攻防が前半のクライマックスとなっている。

 この一連の流れは、映画では非常に具体的に描かれているが、実は長年にわたりヒョンウクは「パリで行方不明になった」としか伝えられていなかった。暗殺されたのだろうと臆測だけが広がる中、2005年に「元KCIAの要員」と名乗る人物が突如現れ、韓国社会を驚かせた。ある政治週刊誌の記者が半年にわたり説得し、ようやくインタビューにこぎつけたというその人物は、「私がパリでキム・ヒョンウクを拉致し、養鶏場で殺した」と告白。映画はその証言を元にしている。

 事件から26年もたって証言者が現れた背景には、韓国で05年に発足した「真実・和解のための過去史整理委員会(過去史委)」という組織の存在が挙げられるだろう。植民地時代から朝鮮戦争、軍事独裁と目まぐるしい歴史をたどった韓国では、権力による人権の蹂躙や暴力、虐殺、疑問死があとを絶たなかった。どれほど多くの人が理不尽な死を遂げ、その事実が時の権力者によって隠されてきたことだろう。「過去史委」はそんな歴史を検証し直し、権力の横暴を認め、犠牲者たちの名誉回復と補償という目的で設立され、今日までに一定の成果を残している。

 そして、検証すべき対象の一つとして、「キム・ヒョンウク行方不明事件」が含まれていたことから、このタイミングでの登場となったのだろう。

 この元KCIA要員は調査にも積極的に協力したのだが、「過去史委」とともに真相究明に取り組んだ国家情報院(KCIAの後身)が出した結論は、養鶏場ではなく「山に捨てて枯れ葉で隠した」という、最初の証言とはやや異なるものだった。フランスとの外交問題を避けるため、韓国側が配慮したともいわれており、新たな疑問が残る形にはなったものの、長年「行方不明」とされてきたヒョンウクが、「キム・ジェギュの命令で拉致され、殺された」という事実だけは明らかになったのである。パク政権時代のKCIAは、国家という名の下では殺人も簡単に正当化する、恐ろしい集団だったのだ。

 2つ目は、映画の中心でもあるキム・ジェギュによる「パク・チョンヒ大統領暗殺事件」だ。先述したように、ジェギュ自身が多くを語らないまま死刑となり、さまざまな説が飛び交う中で、現在最も真実に近いといわれているのが、「警護室長のチャ・ジチョルとの権力争い(パク・チョンヒへの忠誠争い)に負けつつあったことへの憤り」と、「パク・チョンヒの独裁に対する反発」の2つである。

 対立の背景には、パク政権成立時のクーデターに参加していたジチョルと、不参加だったジェギュという出発点の違いが大きく影響しているとされ、クーデターの一員として貢献し、パク・チョンヒに最も近いのは自分だと自負していたジチョルは、警護室長の権限を越える行為を平気で行っていた。パク・チョンヒもそれを見て見ぬふりしていたため、ジェギュが不満を持ったといわれている。

 また、軍人としての階級も年齢も上だったにもかかわらず、ジチョルは基本的なマナーを微塵も示さなかったため、ジェギュのプライドはズタズタだったとか。側近2人が大統領の寵愛をめぐって衝突するのは幼稚なようにも見えるが、当時、国民の間でも2人の仲の悪さは有名だったというから、よっぽどのことだったのだろう。パク・チョンヒはまた、国会議員の3分の1を大統領が任命できるという信じられない憲法の改悪も行っているのだが、ジェギュがその制度によって抜てきされて政界に入ったという経緯も、ジチョルとの関係に影響したと思われる。

 さらに、私たちにとってより身近なエピソードに、次のようなものがある。パク・チョンヒの娘であり韓国の前大統領・朴槿恵(パク・クネ)が、親友のチェ・スンシルを国政に介入させたとして大スキャンダルとなった事件は記憶に新しいが、パク・クネはかつて、スンシルの父で怪しい宗教団体の教祖であったチェ・テミンと親密な関係にあった。パク・チョンヒがテミンの調査をさせたところ、ジェギュが一刻も早く排除すべきだと進言したのに対し、ジチョルは擁護するような報告をした。結局、パク・チョンヒはジチョルの意見を採用したため、ジェギュは不信を募らせたといわれる。パク・クネが後に、スンシルによって意のままに操られることを思うと、どうやらジェギュが正しかったと考えてよいだろう。

 このようなことが積み重なって、ジェギュはパク・チョンヒに不満を募らせていったようだ。そんな彼の感情の変化や起伏を絶妙に表現しているイ・ビョンホンの演技は必見である。

 そして、もう一つの動機とされる「パク・チョンヒ独裁への反発」(より正確には“うんざりしていた”というニュアンス)は、裁判でのキム・ジェギュの陳述から推測されたものだ。短い裁判ではあったが、そこで彼は、民主主義を破壊する独裁を終わらせるために暗殺に及んだと主張し、自分の行いを「10.26革命」とまで称した。

 それに対し、自らの行為を正当化するための言い訳にすぎないという批判もあるものの、この時期のパク・チョンヒは、野党代表だった金泳三(キム・ヨンサム、後の大統領)を議員から除名しようとして国民の怒りを買ったり、不当な労働環境の改善を求める女性労働者たちを暴力的に鎮圧し、その結果、死亡事件に至ったりと国内外から批判に晒されていた。中でも、映画に登場する釜山と馬山(マサン)で起こった大規模な反政府デモと、それに対する武力的な鎮圧は、パク・チョンヒ暗殺を覚悟させる決定的な理由になったともいわれ、ジェギュの主張も十分に理解できる。

 また本作には描かれていないが、パク・チョンヒは女優やモデルなど、大勢の女性たちを自分の性欲解消のために犠牲にしていたことが、今では事実として知られており、その被害者は数百名にのぼるといわれている。こうなると、ジェギュによる暗殺は正当な行為のようにも思われ、実際に再評価する動きもあるが、映画は決して暗殺への正当性を与えず、またそれを批判することもしていない。

 ジェギュの感情や行動の変化を丁寧に見せることで、「なぜ殺したか」を観客に問いかけるばかりだ。私的な感情によるものなのか、国家のための正義心がさせたことなのか、その判断は観客に委ねられたまま、映画は終わる。だが人間というものは複雑な生き物であり、その行動の裏にはさまざまな要素が絡み合っているものだ。暗殺の要因を限定したり、単純化せずに描いたこの映画は、その意味で非常に誠実な姿勢を貫いていると思う。

 パク・チョンヒという人物は、経済発展への貢献よりもはるかに多くの悪行を成してきたにもかかわらず、保守派とその支持層はいまだに「パク大統領閣下時代は良かった」とはばからない。韓国現代史上、最大の存在ともいえる彼の影響力には正直驚きを禁じ得ないが、それだけ国民の関心も強いということだろう。

 なお、昨年「過去史委」の第2期がスタートした。今後、また新たな真相が究明されることを期待して待ちたい。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

『パラサイト 半地下の家族』を理解する“3つのキーワード”――「階段」「におい」「マナー」の意味を徹底解説

 1月8日午後9時から『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が地上波初放送されている。昨年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞した作品とあって、Twitterでは放送前から「パラサイト」がトレンド入りし、注目度の高さを証明した。

 日本では昨年1月10日に封切られ、興行収入45億円を突破する大ヒットを記録。映画レビューサイトなどでも好評だったものの、韓国ならではの文化や、社会的な背景を理解していないと難解な場面もあり、ネット上では「話が難しい」「1回見ただけじゃよくわからない」などと困惑する声も少なくなかった。

 サイゾーウーマンでは、映画研究者・崔盛旭氏の連載「崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』」にて、同作を3つのキーワードに分けて解説をしていた。作品をより楽しんでほしいという思いから、地上波初放送のタイミングで同記事を再掲する。
(編集部)


(初出:2020年1月17日)

『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督が尊敬する“怪物”――キム・ギヨンが『下女』で描いた「韓国社会の歪み」

 昨年のカンヌ国際映画祭でのパルム・ドール受賞をはじめ、今年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など6部門にノミネートされるなど、世界中で快進撃を続けるポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(以下『パラサイト』)が、いよいよ日本でも公開された。前回のコラムでは、監督の過去作『グエムル―漢江の怪物―』を取り上げ、彼の出自からつながる「反権力的なまなざし」について紹介したが、今回はいよいよ最新作である『パラサイト』を見ながら、この映画に描かれている「韓国」を考えていきたい。ただし本作は“ネタバレ厳禁”の箝口令が敷かれており、監督自身も観客へのメッセージで繰り返し注意を呼びかけているため、その点については本コラムでも“マナー”を守るよう努力したいと思う。

 ネタバレすることなく映画の鍵を伝えるには、何をどう語るべきだろうか悩んだ挙げ句に思いついたのが、ポン・ジュノ監督自らが提示した3つのキーワードを手がかりにする方法だ。韓国での公開を前に、監督はこの映画のキーワードは「階段」「におい」、そして「マナー」だと語っている。すでに映画を見た人なら納得しているであろう、これらのワードを掘り下げることで見えてくる「韓国社会」への理解を深めた上で、映画をより楽しんでもらいたい。

<物語>
 ソウルの半地下の部屋に暮らすキム一家は、全員が失業中。ある日、名門大学に通う友人の紹介で、長男のギウ(チェ・ウシク)が、IT企業のパク社長(イ・ソンギュン)の娘ダヘ(チョン・ジソ)の家庭教師になった。それを皮切りに、キム一家は次々とパク社長の家に「就職」することになる。ギウの妹ギジョン(パク・ソダム)は、社長の息子ダソン(チョン・ヒョンジュン)の美術教師に、母チュンスク(チャン・ヘジン)は家政婦に、父ギテク(ソン・ガンホ)は社長の運転手に。こうして、出会うはずのない社会の頂点と底辺に位置する家族が出会ったとき、事態は思わぬ方向へと転回していく。

 では、最初のキーワードから見てみよう。「階段」について、ポン・ジュノ監督は次のように説明する。

「この映画には階段がたくさん出てくるので、スタッフみんなで“階段映画”と呼んでいた。それぞれ自分はどの階段が一番好きかを語り合う、階段コンテストなるものも開いたりしたんだ。階段といえば、やはりキム・ギヨン監督の『下女』(1960)からは多大な影響を受けているよ」

 監督の言葉通り、この映画は階段だらけだ。大事な場面では必ずと言っていいほど、階段が登場する。ここで着目したいのは『下女』から影響を受けたということだろう。“韓国映画界の怪物”と呼ばれたキム・ギヨン監督の代表作『下女』は、下女(家政婦)によって脅かされ、破滅していく家族を描き、当時大きなセンセーションを巻き起こした。下女役の女優が「悪女」とバッシングされるほど観客たちにショックと恐怖を与えたこの映画において、大きな役割を果たすのがまさに「階段」である。

 昔から映画に登場する階段は、しばしば身分の「上昇」と「転落」を象徴するものとして使われてきた。『下女』で、家のど真ん中に置かれた階段も同様だ。主人を誘惑し妊娠することで、「奥様」の地位を奪う欲望を抱いた下女が階段を上がっていく場面や、その欲望が達成できずに階段から転がり落ちて死に至る場面において、舞台となる階段は映画の主役そのものであった。とりわけ、足の不自由な娘の部屋が階段の上にある不自然な設定ゆえ、足を引きずりながら階段を行き来する娘を観客に何度も見せることで、必然的に階段の存在を強く意識させる。その上でキム・ギヨン監督は、人間の欲望、社会的身分の上昇と転落の物語を、階段を舞台に展開していくのだ。

 『パラサイト』での階段は、同じソウルとは思えない格差のある二つの空間をつないでいる。ギテクたちは、階段のはるか上の世界で見た夢が泡のように消える瞬間、果てしなく長い階段を下りなければならず、ついには最悪な現実を目の当たりにすることになる。まさしく階段は、「上昇」したギテク一家を現実に突き落とす「転落」の装置であるといえるのだ。ポン監督の言葉通り、この映画には多くの階段が登場するので、それぞれがいかに物語と関わっているかに注目するのもおもしろいかもしれない。

 続いて2つ目のキーワードである「におい」について、監督はこう語る。

「においはこの映画の最も重要なモチーフなのだが、そもそもにおいのことは親密な間柄でも言いづらい、攻撃的で無礼なものといえるだろう。この映画では大きな画面を通して、私的で内密なところにまでカメラを向けているので、ためらうことなくにおいの話ができたんだ。実際のところ、生きる空間がそもそも違う金持ちと貧乏人は、互いににおいを嗅ぎ合う機会がない。飛行機でさえ、ファーストクラスとエコノミークラスに分かれている。家庭教師や家政婦、運転手といったこの映画に出てくる仕事での状況が、互いのにおいに触れる唯一の機会ではないだろうか」

 階段が視覚的に空間の上下を決定しているのに対して、においは目には見えないけれど、セリフや演技、演出によって、同じ空間にいるパク社長とギテクの関係を「軽蔑と屈辱」の中に追い込んでいく。だが、監督が「最も重要」と語るにおいとは、どんなものなのか。それは、映画にも度々登場する、「半地下」の独特なにおいだ。

 実は私自身、大学4年生のころに半年間、半地下の部屋で自炊生活をしたことがあるので、においをよく覚えている。文章で伝えるのは困難だが、湿気とカビ、これらを防ぐための「ナフタリン」が混ざって放つ奇怪なにおいだ。ナフタリンとは消臭・防虫効果があるとされる化学物質だが、そのまま商品名になって販売されている。近くで嗅ぐと鼻を刺すような強烈なにおいがして、ひと昔前までは公衆トイレなどでもよく見かけたが、最近は家庭用のみ出回っているらしい。これらの入り混じったにおいが服や布団についてしまうと、自分では気づかなくても周りから「臭い」と言われたりして、それがなんともいえない屈辱感となるのだ。

 そもそも「半地下の部屋」という日本にはあまりない、珍しい形態の部屋は、韓国ではソウルを中心とする首都圏でよく見られるものだ。日本でも人口の東京一極集中が社会問題となっているが、ソウルは面積が東京の3分の1ほどにもかかわらず、人口は東京とほぼ同じ1,000万近くに達しており、東京以上に住宅不足が深刻化している。そこで不動産業者や家主らが考え出したのが、「半地下」だった。ソウルの場合、エリアによって建物の階数制限があるのだが、半地下は法律上は地下として扱われるため、制限の対象にはならない。つまりその分、業者側は部屋数を増やして貸すことができるという点で、半地下は住宅不足を解決するための民間の知恵だったわけだ。半地下なので当然日当たりは悪く、排水など水回りの設備は劣悪な場合が多いが、家賃が安いのでニーズは高い。最近では一人暮らしの高齢者の孤独死や、地方から上京した苦学生の“青年貧困”が新たな問題として浮上している。

 「半地下」と「におい」は、ギテク一家がソウルの最貧困層であることを象徴する設定にほかならない。

 3つ目のキーワードである「マナー」について、監督は次のように述べている。

「社会の二極化や、経済・社会的な問題に結びつけなくても、金持ちのことを幅広く語りたいという思いがあったんだ。最近考えるのは、お互いのマナーの問題だ。金持ちにしろ貧乏人にしろ、人間の尊厳を傷つけるかどうかが重要なのではないだろうか。寄生か共生かの分かれ目は、そこにあるように思っている」

 「人間の尊厳」という言葉から私は、韓国経済を指して度々批判的に使われてきた「賎民資本主義」という用語を思い出した。多少理屈っぽくなってしまうが、これはドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが、労働と生産を通して利益を得るのではなく、高い利息で金を貸して利益を得ようとする高利貸し業者を批判して使った概念である。ここで問題視されているのは、労働によって生じた利益を福祉や投資などの形で労働者に還元するという経済的倫理観からかけ離れた、高利貸したちの拝金主義である。

 拝金主義がまん延すると、「金=権力」「金さえあれば何でもできる」といった考え方がまかり通り、人間の尊厳は踏みにじられる。とりわけ近代の韓国においては、金を必要とした軍事政権と、金稼ぎに有利な政策を望んだ一部の財閥との癒着が経済の土台になっており、そこには人間の尊厳などという概念はさらさらなく、権力を得るための金稼ぎ、権力を維持するための拝金主義しかない、というのが韓国を「賎民資本主義」と批判する人たちの見解だ。極端だがわかりやすい例としては、日本でも大きく報道された大韓航空のいわゆる「ナッツ・リターン事件」(※)がある。この時のオーナーの娘の行動に、他者への尊重は毛頭もなかったばかりか、後から発覚した母親による社員への暴行・暴言に至るまで、彼らの振る舞いは、「人間の尊厳」を踏みにじった賎民資本主義的金持ちの横暴だったのである。

※ナッツ・リターン事件 2014年12月、アメリカのジョン・F・ケネディ国際空港発、韓国・仁川国際空港行きの大韓航空機内において、乗客として席に座っていた同社副社長チョ・ヒョナ氏が、客室乗務員のマカデミア・ナッツの提供の仕方に激怒。離陸準備のために搭乗ゲートから離れていた機体を、搭乗ゲートに引き返させ、該当乗務員を機内から降ろさせた。韓国を代表する財閥「韓進グループ」の一員であるヒョナ氏の、その社会的立場を利用した横暴な振る舞いに、韓国国内外を問わずに問題視された。18年には、ヒョナ氏の実母、イ・ミョンヒ氏による、系列会社の社員や自宅のリフォームを担当した作業員、運転手などへの暴行・暴言が次々と明らかになった。

 こうした賤民資本主義の下での貧富の二極化は、貧乏人にとってはとうてい乗り越えられない「壁」のようなものでもある。パク社長の会社名が、イングランド出身のロックバンド「ピンクフロイド」の名曲「another brick in the wall」から取ったであろう「another brick」なのは、金持ちと貧乏人の間の「壁」をひそかに表しているのかもしれない。映画の中でパク社長は何度も「度を超す/超さない」といったセリフを口にする。その「度」こそ「壁」にほかならない。パク社長とギテクの間に、果たして「人間の尊厳」は存在するのだろうか。ここにも「におい」は大きく関わってくることになる。

 これらのキーワードをめぐって韓国では、映画評論家のみならず、経済学者から精神科医、寄生虫学者まで、さまざまな分野の専門家による分析がメディアの紙面を飾った。ネットでも観客同士の熱い論争が繰り広げられたのは言うまでもない。その議論は、朝鮮半島をめぐる東アジアの外交的力関係にまで広がりを見せていった。階段によって区切られた空間の構図や、「北朝鮮のニュースキャスターの真似ごっこ」の場面からは、確かに北朝鮮との関係を考えさせるものがあるだろう。これだけ多様な反応をもたらしていること自体が、この映画が評価される何よりの証拠である。いずれまた、映画全体について私自身の解釈についても細かくお伝えする機会があればありがたい。

 最後に、ささやかなウンチクをひとつ。ギテクの娘ギジョンが、不思議なリズムの歌に乗せて、偽りの身分を自分で確認するように復唱する場面があるのだが、それは韓国人なら誰もが知っている 「독도는 우리땅(独島<竹島>は我が領土)」という歌だ。日本人には少し複雑な気持ちを起こさせてしまうだろうか。だが、この替え歌を使ったことに、政治的な意図はまったく感じられない。ポップで親しみやすい、替え歌にまでなってしまうほど韓国人になじんでいる歌なので使ったのだろう。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正  戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻  スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

『パラサイト 半地下の家族』
出演: ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシク、パク・ソダム、イ・ジョンウン、チャン・ヘジン
監督ポン・ジュノ(『殺人の追憶』『グエムル -漢江の怪物-』)
撮影:ホン・ギョンピョ 音楽:チョン・ジェイル
提供:バップ、ビターズ・エンド、テレビ東京、巖本金属、クオラス、朝日新聞社、Filmarks
/配給:ビターズ・エンド
(C)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED /2019 年/韓国/132 分/PG-12/2.35:1/英題:PARASITE/原題:GISAENGCHUNG/ www.parasite-mv.jp

カン・ドンウォン主演『新感染半島』は“分断された韓国”を描いた? 「K-ゾンビ」ヒットの背景を探る

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『新感染半島 ファイナル・ステージ』

 最近韓国では、「ゾンビ」をテーマにした映画やドラマが相次いで作られ、人気を集めている。これまでもゾンビ映画がまったくなかったわけではないが、それらはマニアックなファンに向けた低予算オカルト映画の位置づけであり、また西洋(特にアメリカ)のホラーというイメージが強く、韓国的な情緒とは程遠いと思われてきた。そんな世間の認識を一気に覆したのが、『新感染 ファイナル・エクスプレス』(ヨン・サンホ監督、2016年)である。「猛スピードで走り続ける特急列車」という閉鎖空間の中でゾンビとの死闘を描き、韓国で観客動員1000万人を超える大ヒットを記録、日本を含め世界各国でも高い評価と興行的な成功を収めて、K-POPならぬ「K-ゾンビ」なる流行語まで生まれた。 
 
 以前このコラムでも取り上げた、新興宗教によって人間の弱さと暴力性があらわになる問題作『フェイク~我は神なり』のヨン・サンホ監督は、アニメーションと実写の両方で活躍する、韓国では珍しい“二刀流”の監督である。エンターテインメント性と作家性を兼ね備えたその才能は、アニメ映画『豚の王』(11年)、実写映画『新感染』、そして今回取り上げる『新感染半島 ファイナル・ステージ』と3作にわたってカンヌ国際映画祭に出品されたことからも明らかだが、『新感染』『新感染半島』の大ヒットにより、名実共に韓国映画界を背負う存在となった。次回作には、死神と人間社会を題材にしたNetflixのオリジナルドラマ『地獄』が控え、今後の更なる活躍が期待されている。 
 
 そんなヨン監督が『新感染』の成功を受けて発表した本作は、前作から4年後の廃墟と化した「半島=韓国」を舞台にしている。「理性が崩壊した世界、野蛮性が支配する世界で人間的であるとは何かについて語りたかった」との監督の言葉通り、一瞬でゾンビと化す恐怖の中での人間VSゾンビを描いた前作とは異なり、本作は終末を迎えた半島での生き残りと脱出をかけた人間VS人間の構図を中心に据えている。前作からはるかにスケールアップしたアクション・ブロックバスターに驚嘆させられる一方で、本作が新型コロナウイルス感染拡大以前に構想されたとはにわかに信じがたいほど、今まさに私たちが直面しているコロナ禍の時代を映し出してしまっているのは、社会性に敏感なヨン監督ならではの予知能力だったのだろうか。 
 
 映画を見るとつい新型コロナと絡めて考えてしまうが、今回のコラムでは、ゾンビたちが意味するものを韓国社会の中で考えてみたい。それはきっと、最近になってゾンビ物がもてはやされ、ゾンビに熱狂する韓国の観客たちと無関係ではないだろう。 

<物語> 
 
 人間をゾンビにしてしまうウイルスによって崩壊した韓国(半島)から脱出しようと、姉家族と船に乗り込んだジョンソク大尉(カン・ドンウォン)。だが客室に感染者が発生、姉と甥はゾンビに襲われてしまう。――それから4年後、亡命先の香港でひどい差別を受け、惨めな日々を送るジョンソクと義兄のチョルミン(キム・ドユン)に、大金を積んだまま半島に残されたトラックを持ち出すという闇組織からの計画が舞い込む。彼らは半島に潜入し、任務の遂行までもう少しというところで、襲いかかるゾンビの大群に加えて、半島に残る得体の知れない人間たちとも対峙することになる……。 
 
 巨大なセットで作られた韓国の荒廃した街並みや、容赦のないゾンビたちとのアクション、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年)を彷彿とさせる、女性たちが魅せる骨太なカーチェイス、そして家族愛と、エンターテインメントのあらゆる要素をてんこ盛りにした本作は、退屈する暇を与えずに観客を楽しませる文句なしの大作だ。だが私には、スクリーンに映し出される地獄絵図のような光景とその中を徘徊するゾンビの姿が、新型コロナの感染拡大に見舞われた今の世界とはまた別に、「韓国の現実」を提示しているように見えて仕方がなかった。そしてそれは、事あるごとに真っ二つに分断されて互いに排除し合おうとする韓国の姿なのだった。 
 
 韓国にはいつからか「좌좀(ザゾム=左翼ゾンビ)」と「우좀(ウゾム=右翼ゾンビ)」なる言葉が存在する。政治的・社会的な問題が起こるたびに、社会が真っ二つに分断されてぶつかり合う現象を皮肉った表現だ。このような「左・右」の「ゾンビ」の起源をたどるには、2008年に韓国社会を揺るがした李明博(イ・ミョンバク)政権による「アメリカ産牛肉の輸入」問題に遡らねばならない。 
 
 一連の経緯については、『共犯者たち』を取り上げた第1回目のコラムでも紹介したので参考にしてほしいが、要するに、政府が「BSE(牛海線状脳症=狂牛病)」の恐れがある牛肉を輸入しようとしているとして、多くの韓国人が広場に集いデモを起こした結果、輸入基準を「安全な牛肉」に限定することを政府が約束し、事態は収束したものの李政権は支持率が急落、大統領の弾劾危機にまで追い込まれることになったというものだ。

 そして、こうした反政府デモに強い不満を持つ李政権の支持者=保守派(とネトウヨ)が、デモの参加者たちを罵倒して「ザゾム」と呼んだのがこの名称の始まりとなった。彼らの目には、デモ隊が「ゾンビのように群がり、政権をかみちぎっている」ように見えたのだろう。 
 
 その背景には、朝鮮戦争によって南北に分断され、現在に至るまで北朝鮮と対峙してきた韓国ならではの「反共」の呪縛も大きいといえる。反共とその弊害についてはこのコラムでも幾度となく取り上げてきたが、「反共」はとりわけ軍事政権下においては天下無敵の「正義」であり、「政権に抗うすべての者」を「アカ」と決めつけ弾圧するための、これ以上ない武器として君臨してきた。民主化が進んだ90年代以降も、弾圧自体はほぼ姿を消したものの、人々の意識の底には「政権に抗う者=アカ」という図式が刷り込まれていたのかもしれない。だからこそ、保守派の人々はデモの参加者たちの行動の意味を問うことなしに、彼らを「アカ=ゾンビ」とさげすんだのだ。

 近年は日本でも、内閣への支持・不支持に始まる分断が顕著となり、互いへの攻撃が取り沙汰されているが、韓国では政治的意見を異にする者への弾圧を当然のように捉える視線が、「反共」によって歴史的に醸成されてしまったといえる。 

 さてその後、「ザゾム」はネットやメディアを通して広まっていき、進歩派(とその支持者)への批判や当てつけの表現として定着するのだが、その浸透ぶりを如実に語るのが、朴槿恵(パク・クネ)政権下で作成されたという、悪名高い「ブラックリスト」である。その報告書では、現在では国民的な監督として揺るぎない地位を築いているポン・ジュノ監督作品に対しても「国民をザゾム化させる映画」と記載していたのだ。なんと、保守政権の支持者のみならず、政権の中枢までもが自分たちに反対する国民を「ゾンビ」と捉えていたのである。 
 
 一方「ウゾム」はどうだろうか? もともと左翼は右翼を「수꼴(スコル、頭の悪い保守派の意)」とバカにしていたが、右翼からの「サゾム」呼ばわりに対して左翼側も「ウゾム」を使うようになった。とりわけ、セウォル号沈没事故後に起こった朴槿恵大統領の弾劾に反対し、暴動化した保守派を「スコルのウゾム」と皮肉ってからは、左翼の間でも保守派を見下す「ウゾム」が広まった。 
 
 国全体が左と右に分かれ、「サゾム」「ウゾム」と罵倒し合う状態はいまだに続いており、本作での半島にゾンビしか残っていないように、もはや韓国は右も左もゾンビだらけの国になってしまったようだ。ここで思い浮かぶのが、「헬조선(ヘル朝鮮)」という自虐的な用語だ。2010年代以降、悪化の一途をたどる失業率や若者の貧困、格差が社会問題となる中、ネットを中心に生まれたこの言葉は、文字通り「地獄のような韓国」を意味している。あえて「朝鮮」と呼ぶのは、今の韓国社会が、絶対的な身分格差があった朝鮮時代と変わらないという批判が込められているからだ。 
 
 このように考えてみると本作は、奇しくも新型コロナの世界的蔓延により普遍性を獲得してしまったものの、もともとは「ザゾムとウゾム」が右往左往する「ヘル朝鮮」からの脱出をもくろむ、韓国にとってきわめて現実的な映画であるといえるのではないだろうか。本作を含む一連の「K‐ゾンビもの」がこの時代の観客たちに受け入れられたのは、エンターテインメントとしての完成度もさることながら、文化評論家のキム・ヒョンシクが著書『ゾンビ学』(カルムリ)で述べているように、ゾンビたちの姿が韓国の現実に対する隠喩になっているからでもあるのだろう。 
 
 だが忘れてはいけないのは、善悪の方向性にかかわらず、ゾンビたちはただ「利用されている」だけであることだ。本作のゾンビは人間として考える能力を失い、光や音にのみ反応して人間を攻撃するが、現実世界でゾンビ化して利用されたくなければ、「サゾム」も「ウゾム」もイデオロギーからは一歩下がって、せめて「考えるゾンビ」に進化してもらいたいものだ。 

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督が尊敬する“怪物”――キム・ギヨンが『下女』で描いた「韓国社会の歪み」

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『下女』

 今年、映画『パラサイト 半地下の家族』で一躍世界から脚光を浴びたポン・ジュノ監督。同作を“階段映画”と呼ぶ彼が惜しみないリスペクトを捧げ、必ずその名前を引き合いに出す一人の映画監督がいる。「キム・ギヨン(金綺泳)」だ。韓国映画史上最も個性的かつ創造的なこの監督は、作品の多くが公開から半世紀以上たった今でも、その斬新さが類を見ない韓国映画の“怪物”として、世界で多くのファンを獲得し続けている存在だ。

 このコラムでも、以前からぜひ取り上げたい作家の一人だったが、これまで日本では作品がソフト化されておらず、映画館での特集上映や回顧上映でしか見ることができなかったため、なかなかその機会を得られずにいた。ところがついに、12月25日にキム・ギヨン監督の代表作を集めたDVD&ブルーレイボックス(発売元:株式会社アイ・シー・ビー)が日本でも発売されるという朗報を受けて、2020年の最後を飾るコラムでは、キム・ギヨンの代表作とともに、監督の不思議な魅力に迫っていきたい。

 初めに、彼の生い立ちを簡単に紹介しよう。1919年に京城(現・ソウル)に生まれたキム・ギヨンは、幼い頃に平壌に移り高校までを過ごした。その後、日本に渡った彼は京都大学医学部に進学。戦後、韓国が独立を果たすと帰国し、ソウル大学医学部で学んだ。50年、朝鮮戦争の勃発により避難した釜山で、人生の伴侶となる妻のキム・ユボンと出会って結婚。歯科医の妻からの経済的なサポートにより、後にキム・ギヨンは映画制作にのみ専念できるようになる。

 京大~ソウル大の医学部出身という、「超」がつくほどのエリートコースで医師となったキム・ギヨンだが、大学時代には演劇活動に熱を上げ、また戦争中に在韓米国公報院(USIS)で文化映画や宣伝映画を撮ったことが、映画監督を目指すきっかけになった。1955年に『死体の箱』で監督デビューを果たすと、60年に発表した『下女』がセンセーションを巻き起こし大ヒット。続く『玄海灘は知っている』(61)や『高麗葬』(63)も大成功し、この時期のキム・ギヨンは興行面での成功と作品的な評価を手中に収め、「時の人」としてメディアからも大きな注目を浴びていた。

 これらの作品では、独創的な世界観や予測不可能な展開、強烈すぎる演出など、キム・ギヨンをキム・ギヨンたらしめる要素が開花し、メディアにおいても「怪人」「奇人」「魔性」といった見出しが躍るようになっていた。

 キム・ギヨンの作品は、必ずしも傑作と呼べるものだけではなく、興行的に失敗した作品も数多くあるが、そこには韓国の政治や社会的背景も大きく影響している。1963年に大統領に就任し、79年に暗殺されるまでの16年間にわたって軍事独裁体制を布いた朴正煕(パク・チョンヒ)政権下では、「公序良俗」の名のもとに表現の自由が締め付けられ、厳しい検閲が行われた。“韓国映画の暗黒期”とされるこの時代、反共映画が量産され、芸術的表現が圧殺される中では、さすがのキム・ギヨンも活躍の機会を奪われ、77年の『異魚島(イオド)』では、性器が立ったままの死んだ男とセックスする女を描いた場面が丸ごとカットされるなど、検閲の憂き目にも遭っている。

 今でこそ韓国でもその名を知らぬ者はいないほどだが、実際に、キム・ギヨンは過去の映画人として長い間忘れ去られていた。一般的に、キム・ギヨンの再発見は1997年の釜山映画祭での回顧上映に始まるとされるが、実はそれ以前の96年に、日本の国際交流基金が行ったアジア映画監督の特集によって日本国内で再発見され、その後に釜山をはじめ世界各国で再評価の動きが広がっていった。私自身、日本に留学するまでキム・ギヨンの名はまったく知らなかった。

 フィルム自体が失われていたり、ボロボロの状態でしか残っていない作品も多い中、不完全なままだった『下女』を復元したのも、『タクシードライバー』などで知られる巨匠マーティン・スコセッシが率いる団体「World Cinema Foundation」であった。このように、現在、韓国の映画人たちが称賛してやまないキム・ギヨン監督は、日本と欧米の貢献によって見事に蘇った映画作家なのである。

 だが再び脚光を浴びたのもつかの間、1998年、招待を受けていたベルリン映画祭への出発前日に、キム・ギヨンは自宅の火事によって夫婦ともども不慮の死を遂げた。なお、遺作となった『死んでもいい経験』は、製作自体は90年だが、作品の出来に満足しなかった監督自身が公開を拒否したため、死後になって世に出た映画だった。

 キム・ギヨン監督の最も特徴的な点は、代表作である『下女』をあたかも強迫観念のように反復し続けたところである。60年代半ば以降、低迷していた彼は『下女』のセルフリメイクである『火女』(71)をヒットさせると、『虫女』(72)、『水女』(79)、そして『下女』の二度目のセルフリメイクである『火女’82』(82)を発表。「女シリーズ」とくくられる一連の作品を通して、繁殖を求める恐ろしいまでの女性への欲望と、対照的に、不能に陥る男性を描いてきた。そして「欲望と本能」「繁殖と不能」は、「女シリーズ」以外でもキム・ギヨン作品に一貫して見られる主題だ。

 ここからは、彼の代表作『下女』を取り上げ、キム・ギヨン的な主題がいかに表現され、それが当時の韓国社会とどのような関係にあったかを紹介しよう。

<物語>

 妻(チュ・ジュンニョ)や足の不自由な娘、息子(アン・ソンギ)と4人で暮らすピアノ教師のトンシク(キム・ジンギュ)は、新しい家を建てて引っ越しをする。だが、新築のために無理して内職を続けていた妻は体を崩してしまい、トンシクは若い下女(イ・ウンシム)を雇う。そんなある日、妻の留守中に下女はトンシクを誘惑して関係を結び妊娠。しかし、これを知った妻によって中絶させられてしまう。そのショックで徐々に乱暴になっていく下女は、ついに残酷で執拗な復讐に出る……。

 下女(家政婦)によって破壊されていく家族の様子を恐怖めいた映像で描いた本作は、公開直後から当時の観客に大変なショックを与えた。映画と現実を混同した一部の観客が、下女を演じた女優のイ・ウンシムへのバッシングを起こし、実際に彼女はその後、映画界から姿を消したほどである。だが本作は、その衝撃の強さや、それゆえに大ヒットしたという話題性以上に、当時の韓国の歪みを映し出している点において、恐ろしくも素晴らしい作品なのだ。

 この作品を見る上で、とりわけ2つの不思議な設定に注目してみたい。1つはトンシクの「経済力」。工場で女工たちにピアノを教える安月給のトンシクが、内職をする妻の助けがあったとはいえ、果たして2階建ての家など建てられただろうか、と疑問が残る。しかも彼は、下女まで雇うのだ。朝鮮戦争の爪痕が依然として残っていた当時の韓国経済は、アメリカの援助によって辛うじて保たれており、仕事を求めて田舎から都会へ出てくる女性たちが一気に増えたのもこの頃。映画に登場する女工たちはまさに、そのような女性労働者であった。さらに、李承晩(イ・スンマン)政権の憲法改正と不正選挙によって政治的混乱に陥り、これによって学生を中心とした「4.19革命」が勃発し李政権が倒れるなど、1960年前後は社会的にも劇的な変化が起こっていたことを考えると、トンシクの設定にはやはり解せないものがある。

 だが、これが現実を無視した設定ミスでないこともまた確かであり、そこにこそキム・ギヨンの作家性が発揮される。2階建ての一軒家が「近代化」の象徴だとすれば、トンシク夫婦の経済的不安定さは、当時の韓国の経済的不安定さそのものであり、「新築一戸建て」は不安定ながらも「韓国社会」が欲望していた近代化へのフェティッシュとして考えられるからだ。

 フェティッシュとは、簡単に言えば「自分が持っていないものを視線の対象に求めること」。作品の中に描かれるベッドやピアノ、絵画や壁時計など、家の中に緻密に配置された「物」たちは、まさに近代化へのフェティッシュが具現化したものにほかならない。こうして一見不思議で過剰に見えるこの設定は、新興独立国・韓国がアメリカから与えられた西欧的な近代への転換と、近代化には程遠い現実との間の不安定さと、その隔たりを埋めるためのフェティッシュを表現している点において、きわめて意図的なものとして読み取ることができるのである。

 もう一つの不思議な設定は「階段」だ。トンシクには足の不自由な娘がいるにもかかわらず、彼は2階建ての家を建て、娘は今にも転がり落ちそうな様子で階段を使わねばならない。この設定からは、どのような意味を読み解くことができるだろうか。

 「階段」は世界のさまざまな映画の中で、たびたび身分の「上昇と転落」の象徴として描かれてきた。キム・ギヨンも「足の不自由な娘」と「階段」という設定を意識的に用意することで、見る側に不安を抱かせ、スクリーンに投影される「近代」と、そこに映る過剰な映画的現実が近代化へのフェティッシュにすぎず、いつ「転落」するかもわからない不安定な欲望であることを際立たせる効果をもたらしていた。下女は、2階に用意された部屋へと上がり、そこでトンシクを誘惑して妊娠する。しかし、近代的な家庭の妻になるという下女の欲望は、階段からの「転落」を余儀なくされ、それは同時に、韓国が抱いていた近代化への欲望が歪んだイメージにすぎないことを暴き出していた。キム・ギヨンの「女」シリーズで、階段が中心に置かれた家がすべての出来事の舞台になるのには、不安をあおる装置として韓国社会を揺さぶり続ける、作家の強烈な意図があったのである。

 劇中で下女は名前を持っていない。身分の上昇を夢見てはそこから転がり落ちていった下女に、誰でもなり得るからだ。映画の公開からちょうど1年後の1961年、朴正煕(パク・チョンヒ)による「5.16軍事クーデター」とともに、韓国社会は「近代化」のための「開発独裁」という階段を上がり始めた。その渦中に無数の「下女」が存在したことは、言うまでもない。本作は、キム・ギヨンが開発独裁後の韓国社会へ送った「警告の手紙」だったのかもしれない。

※『キム・ギヨン傑作選 DVD&ブルーレイボックス』には筆者も作品解説(『下女』『玄海灘は知っている』『高麗葬』)の執筆に加わった。このコラムはブックレットに掲載した『下女』の原稿に大幅に加筆して書き直したものである。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

「セウォル号沈没事故」から6年――韓国映画『君の誕生日』が描く、遺族たちの“闘い”と“悲しみ”の現在地

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『君の誕生日』

 あれからもう6年もたったのか……。韓国人の私は、ついそんな想いを禁じ得ない。2014年4月16日の朝に起こった、「セウォル号沈没事故」。修学旅行中の高校生325名を含む乗客476名のうち、299名の死者(生存者172名、行方不明者5名)を出した大惨事は、日本でも大きく報道され、当時は毎日のように話題になっていた。

 この事故がこれほど大きな問題となったのは、いわゆる船の違法改造や過積載が原因ではなく、メディアによる誤報が海洋警察隊の救助の遅れをもたらし、われ先と真っ先に脱出した船長らのあまりに無責任な行動、政府の安易な初動対応に至るまで、本来なら被害の抑制のために作動するはずの「国家・社会的機能」がほぼ不全状態だったことに起因する、史上最悪の「人災」であった点にある。

 実際、当日私のスマートフォンにも「旅客船の沈没」の直後に「全員救助」の通知が届き、胸をなで下ろしたのをよく覚えている。だがこの知らせは致命的な誤報だった。そして、この事故が国全体に深い悲しみをもたらしたのは、犠牲者のほとんどがまだ若い高校生たちだったためである。

 守ってあげられなかった、助けてあげられなかったことへの罪悪感に駆られた国民は、国家が機能不全に陥ったことの責任を当時の朴槿恵(パク・クネ)政権に求めた。これが発端となり、朴大統領の「お友達の国政介入」のずさんな実態が赤裸々に暴露され、その結果、朴大統領は罷免。現在の文在寅政権への交代が行われたのは説明するまでもない。文大統領は公約として、セウォル号事故の真相究明と責任者の厳罰を約束し、多くの支持を得たのだが、その道のりは今でも決して順調とはいえない。

 政権交代後、「セウォル号船体調査委員会特別法」が成立し、特別調査委員会による本格的な真相究明が始まったものの、野党(朴前政権側)の非協力的な姿勢や、ネット上に出回った陰謀説(「潜水艦と衝突した」「わざと沈没させた」といったもの)に始まり、究明への努力に対する野党議員の「死体商売」という暴言、事故の責任追及を政治利用する与党側の姿勢、さらには、遺族に対する右翼団体からのバッシングと、一向に解決の糸口が見えないことへの疲労感から、国民は次第に忘却へと向かっていった。

 今回取り上げる『君の誕生日』(イ・ジョンオン監督、2018)でも描かれているように、補償金をめぐる誤解や絶えない誹謗中傷によって、遺族間でも分断が見られたり、つい最近も、チョンワデ(大統領官邸)前で1年間「一人デモ」を続けていた遺族に対して批判が巻き起こるなど、事故は徐々に“遺族だけの孤独な闘い”となり、遺族の悲しみだけが取り残されたまま、韓国では醜い争いが繰り広げられている。

 本作は、大事なことを忘れてしまった国民が、愛する家族を失った遺族の悲しみに再び寄り添い、事故そのものを風化させてはならないことを思い出すという意味で、国全体を原点に立ち返らせてくれた映画である。

<物語>

 セウォル号沈没事故で息子のスホ(ユン・チャニョン)を失い悲しみに暮れる母・スンナム(チョン・ドヨン)と、幼くして失った兄を懐かしむ妹のイェソル(キム・ボミン)のもとに、仕事の事情で長い間外国にいた父・ジョンイル(ソル・ギョング)が突然帰ってくる。家族にとって最もつらい時期に不在だったジョンイルに対し、スンナムは戸惑いと怒りを隠せない。罪悪感にさいなまれながらも、夫として、父として償おうとするジョンイルに、遺族団体からスホの誕生日パーティーが持ちかけられる。

 激しい拒否反応を示すスンナムに対し、スホとの新たな再会の機会になるからと説得するジョンイル。生前のスホを知る多くの人々が集った誕生日パーティーで、スホがみんなの記憶の中に生きていることを再確認したスンナムやジョンイルは、スホを近くに感じながら、新たな日々を歩き始めるのだった。

 セウォル号沈没事故で犠牲になった高校生と、その遺族の悲しみを軸にした本作では、コラムの冒頭で紹介したような政治的利害論争とは距離を置き、事故について直接言及はしていない。最愛の家族を失った遺族の心境のみに焦点を当てていることが、何よりも本作の明確なメッセージになっているといえるだろう。

 イ・ジョンオン監督は事故後、遺族に寄り添うボランティア活動に従事し、長年にわたる遺族との交流の中から本作のシナリオを書き上げたという。特定の人物を取り上げるのではなく、多くの遺族から聞き取ったさまざまな物語を映画のキャラクターに溶け込ませる手法には、人間の内面を突き詰めた作品作りで知られるイ・チャンドン(以前のコラムで紹介した『バーニング 劇場版』の監督)のもとで学んだ彼ならではの丁寧さが感じられる。イ・チャンドンも製作に参加している本作は、イ・ジョンオン監督のデビュー作であり、観客からも多くの共感を得た。

 本作を見ながら頭に浮かんだのは、「不在(absence)」と「現前(presence)」というキーワードだった。というのも本作は、「死=不在」をめぐる物語にもかかわらず、『君の誕生日』(原題は『생일』=誕生日)というタイトルにも暗示されているように、新しい命としてこの世に生まれた「誕生=現前」の日に焦点を合わせているからだ。そして、映画の中心を担う残された3人の家族は、スホの不在を「現前する(=そこに存在している)不在」に変えていくことで、深い悲しみを少しずつ乗り越えていこうとしている。

 最愛の息子を突然失った母・スンナムは、スホの「不在」を受け入れることができず、スホの死に正面から向き合おうとしない。スホの新しい服を買い込み、突然灯る玄関のライトにスホの帰還を感じてしまうスンナムは、息子が今にもドアを開けて帰ってくるように思えて仕方がないのだ。

 彼女はスホの不在を受け入れている人々に対して激しい拒否反応を示し、それは時に、夫のジョンイルだけでなく、娘のイェソルにも向けられる。こうしたスンナムの姿は、スホの不在による悲しみの中に、自分自身を閉じ込めているようにも見える。彼女は不在を受け入れられないのではなく、その不在を認めることを怖がっているのだ。不在を認め、悲しみを乗り越える準備ができていないスンナムの姿は、遺族らに共通する「根源的な悲しみ」を象徴しているといえよう。

 一方、妹のイェソルは、幼いながらもスホの不在が何を意味するのかをよく知っている。イェソルにとってスホの死は、湯船にも干潟にも入ることができないほどの大きなトラウマとなっているが、同時に、スホの誕生日パーティーを素直に楽しみにしている。母親以外の人間たちとの関わりを通して、スホを「現前する不在」としてすでに受け入れているのだ。その意味でイェソルは、周囲の人々と触れ合おうとせず心を閉じてしまっている母・スンナムとは異なる形で、悲しみに向き合っている存在である。

 そして父・ジョンイルは、大事なときに家族と共にいられなかったことへの罪悪感に囚われ、スホがどんな子だったかも話せないほどに、息子を知らない自分を責める。だが、事故以前のまま残されたスホの部屋に足を踏み入れたジョンイルは、涙を流しながらスホの痕跡を一つひとつ確かめ、「現前する不在」を見いだしていく。だからこそジョンイルは、果たせなかったスホのベトナム旅行をかなえるために、彼の身代わりとなるパスポートを握りしめて入管に出向き、2人の思い出である釣りにも出かけるのだ。

 「現前する不在」としてのスホを、確かにそこにいるスホを確信したジョンイルは、「スホが来るから」とスンナムを説得して誕生日パーティーに導く。ジョンイルは、スンナムともイェソルとも違い、悲しみに打ち勝つための道を父として模索した。映画の中でのジョンイルの設定は、遺族の中でも特殊な事情のように思えるかもしれないが、彼の立場は韓国国民全体の象徴とも考えられる。そんな彼の行動と努力は、事故に対して韓国社会がどうあるべきかという問題に対する、本作のメッセージとも受け取れるだろう。

 こうして3人の家族は、それぞれのやり方で「不在と現前」を行き来しながらスホの誕生日を迎えていくのだが、最後にもう一つ、「縫合」という概念を取り上げてみたい。「縫合」は、哲学や精神分析において「不在と現前」を考えるうえで重要とされているのだが、「映画」の領域においても語られることがある。

 例えば映画の中で2人の人間が会話をしている場面を思い浮かべてみてほしい。会話はしばしば、話している1人の姿を交互に映す形で描かれるが、そのとき観客は、聞いているもう1人の人物が画面上に映っていなくても、そこにいることを知っている。つまり、画面に映らないもう1人は「現前する不在」であり、観客は映画を見ながら「現前と不在」を絶えず結び付けながら(=縫合)、意味をつないで総体的なひとつの作品として作り上げているのだ。「映画を見る」とは、このような観客自身の無意識的な作業の連鎖だといえる。

 誕生日パーティーでスクリーンに投影された数多くのスホのイメージは、「現前する不在」としての彼が数々の思い出や幾多の写真と共に「縫合」され、家族や友人たちの心の中で依然として「生き続けている」ことを余すところなく見せてくれる。家族だけが知るスホ、友人だけが知るスホが縫合され、その場にいる人たちによって共有されることで、彼は新たな命を得て生まれる――「現前する不在」としてのスホは、まさに誕生日に再び誕生の日を迎えるのである。

 残された人々にとって必要なのは、そんなスホをいつまでも記憶し、忘れないでいることだ。3台のカメラを使い、30分にも及ぶシーンをロングテイクで撮ったという誕生日パーティーのシーン、観客もまた同じだけの時間を通してスホの不在と現前を共有し、悲しみを乗り越えようとする遺族の姿と本作のメッセージを縫合していく。

 悲しみを乗り越えるとは、スホ(によって表象されるすべての犠牲者)と一緒に生きていくことにほかならない。セウォル号沈没事故において私たちが大切にしなければならないのは、責任者への厳罰でも真相究明でも、政治的利害や補償金をめぐる根も葉もない噂でもなく、遺族の「心の痛み」であるというあまりにも当たり前の認識に、今こそ立ち返るべき時が来ているのではないだろうか。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国で英雄視される「義烈団」と、日本警察の攻防――映画『密偵』から読み解く、朝鮮戦争と抗日運動の歴史

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『密偵』

 韓国映画界では今、近現代の歴史的出来事にフィクションの要素を加え、歴史を振り返りつつエンターテインメントとして仕上げた作品が人気だ。以前コラムでも取り上げた『金子文子と朴烈』『マルモイ』『スウィング・キッズ』などはいずれも、「事実(fact)」と「虚構(fiction)」を融合した「ファクション(faction)」ジャンルであると紹介してきたが、今回取り上げる『密偵』(キム・ジウン監督、2016)もまたその系譜だといえる。

 だが一口に「ファクション」と言っても、作品の中での事実と虚構の割合はそれぞれだ。同作の監督を務めたキム・ジウンは、『クワイエット・ファミリー』(1998)といったブラック・コメディから『反則王』(00)、『グッド・バッド・ウィアード』(08)といった王道のアクションもの、ホラー作品の『箪笥』(03)まで、さまざまなジャンルを行き来しながら大成功を収めてきたヒットメーカーで、近年はハリウッドに招かれるほどの実力者でもある。

 そんな監督のファクション作品であれば、事実よりも虚構の要素が強くて当然と思いがちだが、意外にも本作は、史実にかなり忠実に描かれている。今回のコラムでは、韓国でもあまり知られていない部分も多い本作をめぐる史実を、映画と照合しながら丁寧に紹介してみたい。

 物語を紹介する前に、まずは本作を見る上で重要な固有名詞を確認しておこう。「義烈団」という存在をご存じだろうか? 日本史の教科書にも登場するはずなので、名前くらいは知っている人もいるかもしれない。

 1919年、朝鮮全土で起こった「三・一独立運動」は、非暴力を掲げていたにもかかわらず、日本軍の武力行使によって多数の犠牲者を出すデモとなった。この事件をきっかけに、平和的な活動に限界を覚えた指導者たちは、大韓民国臨時政府の誕生と時を同じくして拠点を満州へと移し、「日帝の破壊と暗殺」を前面に打ち出した義烈団が結成されたのだ。

 徹底抗戦を宣言した彼らは、「爆弾組」と「拳銃組」を組織して積極的に武器を持ち込み、総督府や警察署など日本の統治機関をターゲットに、破壊と暗殺をさまざまに試みた。それらの多くは失敗に終わったものの、彼らが命を顧みずに祖国の独立を目指したという点では、韓国近代史における英雄的存在だといえる。本作はそんな義烈団と日本警察の攻防を巡って展開する。

<物語>

 1920年代の植民地朝鮮。独立のための資金集めに奔走していた義烈団メンバー、キム・ジャンオク(パク・ヒスン)は日本警察に追われ、日本の手先となっていた朝鮮人警部イ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)の目の前で自殺。これを機に、義烈団メンバーの検挙に乗り出した日本警察は、ジョンチュルを使って古美術商の義烈団メンバー、キム・ウジン(コン・ユ)へと接近を試みる。団を率いるチョン・チェサン(イ・ビョンホン)との接触に成功したジョンチュルだが、日本警察という立場と朝鮮人のアイデンティティの間で揺らぎ、次第に義烈団に協力するようになる。

 日本警察部長のヒガシ(鶴見辰吾)が送り込んだ警部ハシモト(オム・テグ)の監視をかいくぐりながら、義烈団を追うジョンチュル。一方で、義烈団の中にも密偵が存在し、そのせいで彼らの作戦は見破られ、一網打尽にされてしまう。一度は捕まったジョンチュルだが、自分は警察側の密偵として義烈団に近づいたにすぎないと訴えて釈放。見せしめのため、義烈団の女性メンバー、ヨン・ゲスン(ハン・ジミン)への拷問に加担させられながらも、ジョンチュルはウジンとの“ある目的”を果たすべく、隠してあった爆弾を持ち出して最後の行動へと移る……。

 では、物語の展開に添いながら、それぞれのキャラクターを歴史と照らし合わせてみよう。

 映画の冒頭でまず描かれるのは、「鍾路(チョンノ)警察署爆弾事件」の顛末だ。義烈団メンバー、キム・サンオク(映画ではキム・ジャンオクとして登場)は1923年1月、鍾路警察署に爆弾を投げ込んだとして日本警察に追われ、抵抗したものの銃撃されて死亡したとされる人物。憲兵たちが彼を追って瓦屋根の上を走り回る映画の描写はあまりにも大げさに思われるが、真冬の京城(現ソウル)を裸足で何十キロにもわたって逃げ回り、撃たれた時は膝から下が凍傷でひどい状態だったという彼の実際の死のインパクトは、映画でもそのまま描かれている「最期は“大韓独立万歳”と叫び、一発だけ残っていた弾で自ら命を絶った」という英雄神話と比べても、あながち外れてはいないかもしれない。

 この事件(別名:キム・サンオク事件)をきっかけとして義烈団への捜査が本格化し、映画と同じく上層部(映画で鶴見が演じたヒガシのモデルとなった人物の名は、当時の新聞によると「馬野」)の命令で、ファン・オク(ソン・ガンホが演じたイ・ジョンチュル)という朝鮮人警部と、橋本(映画でもハシモト。ただし、彼が日本人か朝鮮人かは不明)が上海に送られる。そこでのファン・オクとキム・シヒョン(映画ではコン・ユが演じたキム・ウジン)のやりとりは定かではなく、2人は後に、「実際には会っていない」と証言もしている。

 しかし、一つ確かなことは、ファン・オクは上海で義烈団団長のキム・ウォンボン(イ・ビョンホンが演じたチョン・チェサン)と面会をしていたということだ。この事実があったために、ファン・オクは義烈団の爆弾持ち込みに協力したとして、後に10年の実刑を言い渡されることになる。

 『密偵』というタイトルからも明らかなように、本作は主人公のイ・ジョンチュルが「実際には日本側と義烈団側のどちらの密偵だったか?」という問題を、主要なテーマにしている。韓国映画界の大スターであるソン・ガンホが演じていることからも、映画は彼が「義烈団側の密偵」=「独立運動家」であるという前提で描いているわけだが、歴史上の真偽は、いまだ不明のままだ。ファン・オク自身は「義烈団メンバーを捕まえるため、日本の警察として本分を果たしたまでだ」と訴えており、歴史学者の間でも「義烈団の逮捕に成功すれば昇進を約束されたために義烈団側の密偵を装った」というのが定説になってはいる。

 だがその一方で、1945年に日本から解放された後も、彼は義烈団と交流を続けており、その後、親日派を処罰する運動に積極的に参加していた事実もあって、定説には疑問が残るのも否めない。朝鮮戦争の際に人民軍によって連れ去られ、生死を確かめるすべのなかった彼の立場を正確に位置づけるのは難しく、このファン・オクという人物の曖昧さが、映画では絶妙な緊張感をもたらしている。歴史的評価が定まっていないがために、彼がどう描かれるか、物語がどう展開するか、観る者になかなか予想ができないからだ。

 歴史的には英雄である義烈団の一面が、韓国ではいまだにあまり知られていない理由は、ファン・オクをめぐる曖昧さもさることながら、義烈団団長であるキム・ウォンボンの存在も大きい。出番は少ないながらも、イ・ビョンホンが圧倒的な存在感を醸しているこの人物は、1916年に中国に渡って軍事教育を受けた後、三・一独立運動をきっかけに仲間たちと義烈団を結成し、団長として活躍した。鍾路警察署爆弾事件以前にも、キム・ウォンボンは釜山・密陽警察署爆弾事件(1920)、総督府爆弾事件(1921)を指示し、爆弾の性能の問題から物理的には失敗に終わったものの、日本を少なからず慌てさせ、朝鮮人の同胞たちを心理的に勇気づけたという意味で、歴史的重要性は計り知れないものがあるといえる。

 だが彼は独立後の1948年、南だけの単独政府の樹立に反対して北に渡り、朝鮮戦争では北の人民軍の指導部として参戦。北朝鮮で要職にも就いたが、1958年に金日成(キム・イルソン)から「批判的」との理由で粛清されるという道をたどる。そして、これまでのコラムでも取り上げたように、韓国にとって北朝鮮に関わる事象は長年タブー視されてきたため、朝鮮独立の英雄にほかならないキム・ウォンボンでさえ、北に渡ったという理由で長い間その存在を隠蔽されてきたのだ。

 近年のファクション映画ブームの背景には、その後の歩みにかかわらず、抗日運動に貢献した人物を発掘し、再評価しようという韓国社会の変化も大きく反映されており、それによって彼らを映画でも取り上げやすくなったことが挙げられる。キム・ウォンボンは『暗殺』(チェ・ドンフン監督、15)にも登場する人物なので、機会があれば併せて鑑賞してほしい。

 そして、イ・ジョンチュルとともにもう一人、映画の主要人物であるキム・ウジンは、人気俳優のコン・ユが演じていることもあり、頭脳的な好人物として描かれている。前述のように、モデルとなった義烈団メンバー、キム・シヒョンとファン・オクとの事実関係については定かではないものの、裁判でキム・シヒョンがファン・オクをかばったという事実が、映画での2人の関係を想像させたと考えられる。

 明治大学法学部を卒業したキム・シヒョンは、朝鮮独立に身を投じる決意をして義烈団に入り、活動の中で逮捕と釈放を繰り返したが、とりわけ壮絶だったのは独立後の歩みだ。抗日活動の実績を評価されて国会議員になったものの、李承晩(イ・スンマン)大統領の悪政に憤った彼は、元義烈団メンバーを使って大統領の暗殺を試みたのだ。事実、1952年に演説会場にて、登壇している李承晩のすぐ背後で、彼に銃を向ける男を捉えた衝撃的な写真も残っている。

 だが、元メンバーが手にした銃は不発に終わり、捕らえられたキム・シヒョンは「私が銃を持てばよかった」と叫んだという。これによって死刑宣告を受けた彼は、1960年に起こった「4.19革命」で李政権が倒れたことにより赦免され、再び国会議員に返り咲くも、朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事クーデター後に政界から引退。1973年に他界した。

 ちなみに、キム・ウジンの恋人であった義烈団の女性メンバー、ヨン・ゲスンは、実際には妓生(キーセン、日本でいう芸者)出身のヒョン・ゲオクがモデルとなっており、英語とドイツ語が堪能だった彼女は、後に旧ソ連に亡命したとの記録が残っている。映画のような拷問死を迎えてはいないが、義烈団には少なからず女性も所属しており、中には悲惨な最期を遂げた者もあったのだろう。

 以上が本作をめぐる、史実と映画を比較した結果である。細部においては、必ずしも史実をなぞっているわけではないものの、物語の展開や登場人物の描写は概ね一致していることがわかるだろう。ただし、映画の終盤で描かれるイ・ジョンチュルによる爆弾事件が、完全なるフィクションである点は押さえておかねばならない。

 植民地時代を舞台にした映画では、しばしば京城を舞台に独立運動家による破壊・暗殺行為や、日本警察との銃撃戦がスリルたっぷりに描かれる。だがそのほとんど(99%といってもいいだろう)はフィクションが混ざっており、朝鮮人が実際にはできなかったことへの欲望を満たす「ファンタジー」の役割を、映画が果たしているといえよう。

 ナショナリズム理論の教科書ともいえる著作『想像の共同体』で、明確な形として存在しない<国家>の概念がどのように人々に共有され、<国民>を形成していくかを論じたベネディクト・アンダーソンによると、人々がナショナリズムを内面化していく段階では、誰もが知っている「偉人」より、誰もがなりえたかもしれない「無名勇士」のほうが効果的なのだそう。朝鮮の歴史で考えるならば、伊藤博文を暗殺した英雄・安重根(アン・ジュングン)を賛美していた時代は終わりを告げ、まだ十分には知られていない活動家たちを掘り起こす、ナショナリズムの新たな局面を迎えているのだろうか。

 歴史に対して多様な視点を持ち、再評価の余地を与えるという作業は非常に重要ではあるものの、史実とフィクションの混在がいつしか歴史と欲望の境界を曖昧にしてしまう危険性は、これからも常に警戒していなければならない。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国で英雄視される「義烈団」と、日本警察の攻防――映画『密偵』から読み解く、朝鮮戦争と抗日運動の歴史

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『密偵』

 韓国映画界では今、近現代の歴史的出来事にフィクションの要素を加え、歴史を振り返りつつエンターテインメントとして仕上げた作品が人気だ。以前コラムでも取り上げた『金子文子と朴烈』『マルモイ』『スウィング・キッズ』などはいずれも、「事実(fact)」と「虚構(fiction)」を融合した「ファクション(faction)」ジャンルであると紹介してきたが、今回取り上げる『密偵』(キム・ジウン監督、2016)もまたその系譜だといえる。

 だが一口に「ファクション」と言っても、作品の中での事実と虚構の割合はそれぞれだ。同作の監督を務めたキム・ジウンは、『クワイエット・ファミリー』(1998)といったブラック・コメディから『反則王』(00)、『グッド・バッド・ウィアード』(08)といった王道のアクションもの、ホラー作品の『箪笥』(03)まで、さまざまなジャンルを行き来しながら大成功を収めてきたヒットメーカーで、近年はハリウッドに招かれるほどの実力者でもある。

 そんな監督のファクション作品であれば、事実よりも虚構の要素が強くて当然と思いがちだが、意外にも本作は、史実にかなり忠実に描かれている。今回のコラムでは、韓国でもあまり知られていない部分も多い本作をめぐる史実を、映画と照合しながら丁寧に紹介してみたい。

 物語を紹介する前に、まずは本作を見る上で重要な固有名詞を確認しておこう。「義烈団」という存在をご存じだろうか? 日本史の教科書にも登場するはずなので、名前くらいは知っている人もいるかもしれない。

 1919年、朝鮮全土で起こった「三・一独立運動」は、非暴力を掲げていたにもかかわらず、日本軍の武力行使によって多数の犠牲者を出すデモとなった。この事件をきっかけに、平和的な活動に限界を覚えた指導者たちは、大韓民国臨時政府の誕生と時を同じくして拠点を満州へと移し、「日帝の破壊と暗殺」を前面に打ち出した義烈団が結成されたのだ。

 徹底抗戦を宣言した彼らは、「爆弾組」と「拳銃組」を組織して積極的に武器を持ち込み、総督府や警察署など日本の統治機関をターゲットに、破壊と暗殺をさまざまに試みた。それらの多くは失敗に終わったものの、彼らが命を顧みずに祖国の独立を目指したという点では、韓国近代史における英雄的存在だといえる。本作はそんな義烈団と日本警察の攻防を巡って展開する。

<物語>

 1920年代の植民地朝鮮。独立のための資金集めに奔走していた義烈団メンバー、キム・ジャンオク(パク・ヒスン)は日本警察に追われ、日本の手先となっていた朝鮮人警部イ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)の目の前で自殺。これを機に、義烈団メンバーの検挙に乗り出した日本警察は、ジョンチュルを使って古美術商の義烈団メンバー、キム・ウジン(コン・ユ)へと接近を試みる。団を率いるチョン・チェサン(イ・ビョンホン)との接触に成功したジョンチュルだが、日本警察という立場と朝鮮人のアイデンティティの間で揺らぎ、次第に義烈団に協力するようになる。

 日本警察部長のヒガシ(鶴見辰吾)が送り込んだ警部ハシモト(オム・テグ)の監視をかいくぐりながら、義烈団を追うジョンチュル。一方で、義烈団の中にも密偵が存在し、そのせいで彼らの作戦は見破られ、一網打尽にされてしまう。一度は捕まったジョンチュルだが、自分は警察側の密偵として義烈団に近づいたにすぎないと訴えて釈放。見せしめのため、義烈団の女性メンバー、ヨン・ゲスン(ハン・ジミン)への拷問に加担させられながらも、ジョンチュルはウジンとの“ある目的”を果たすべく、隠してあった爆弾を持ち出して最後の行動へと移る……。

 では、物語の展開に添いながら、それぞれのキャラクターを歴史と照らし合わせてみよう。

 映画の冒頭でまず描かれるのは、「鍾路(チョンノ)警察署爆弾事件」の顛末だ。義烈団メンバー、キム・サンオク(映画ではキム・ジャンオクとして登場)は1923年1月、鍾路警察署に爆弾を投げ込んだとして日本警察に追われ、抵抗したものの銃撃されて死亡したとされる人物。憲兵たちが彼を追って瓦屋根の上を走り回る映画の描写はあまりにも大げさに思われるが、真冬の京城(現ソウル)を裸足で何十キロにもわたって逃げ回り、撃たれた時は膝から下が凍傷でひどい状態だったという彼の実際の死のインパクトは、映画でもそのまま描かれている「最期は“大韓独立万歳”と叫び、一発だけ残っていた弾で自ら命を絶った」という英雄神話と比べても、あながち外れてはいないかもしれない。

 この事件(別名:キム・サンオク事件)をきっかけとして義烈団への捜査が本格化し、映画と同じく上層部(映画で鶴見が演じたヒガシのモデルとなった人物の名は、当時の新聞によると「馬野」)の命令で、ファン・オク(ソン・ガンホが演じたイ・ジョンチュル)という朝鮮人警部と、橋本(映画でもハシモト。ただし、彼が日本人か朝鮮人かは不明)が上海に送られる。そこでのファン・オクとキム・シヒョン(映画ではコン・ユが演じたキム・ウジン)のやりとりは定かではなく、2人は後に、「実際には会っていない」と証言もしている。

 しかし、一つ確かなことは、ファン・オクは上海で義烈団団長のキム・ウォンボン(イ・ビョンホンが演じたチョン・チェサン)と面会をしていたということだ。この事実があったために、ファン・オクは義烈団の爆弾持ち込みに協力したとして、後に10年の実刑を言い渡されることになる。

 『密偵』というタイトルからも明らかなように、本作は主人公のイ・ジョンチュルが「実際には日本側と義烈団側のどちらの密偵だったか?」という問題を、主要なテーマにしている。韓国映画界の大スターであるソン・ガンホが演じていることからも、映画は彼が「義烈団側の密偵」=「独立運動家」であるという前提で描いているわけだが、歴史上の真偽は、いまだ不明のままだ。ファン・オク自身は「義烈団メンバーを捕まえるため、日本の警察として本分を果たしたまでだ」と訴えており、歴史学者の間でも「義烈団の逮捕に成功すれば昇進を約束されたために義烈団側の密偵を装った」というのが定説になってはいる。

 だがその一方で、1945年に日本から解放された後も、彼は義烈団と交流を続けており、その後、親日派を処罰する運動に積極的に参加していた事実もあって、定説には疑問が残るのも否めない。朝鮮戦争の際に人民軍によって連れ去られ、生死を確かめるすべのなかった彼の立場を正確に位置づけるのは難しく、このファン・オクという人物の曖昧さが、映画では絶妙な緊張感をもたらしている。歴史的評価が定まっていないがために、彼がどう描かれるか、物語がどう展開するか、観る者になかなか予想ができないからだ。

 歴史的には英雄である義烈団の一面が、韓国ではいまだにあまり知られていない理由は、ファン・オクをめぐる曖昧さもさることながら、義烈団団長であるキム・ウォンボンの存在も大きい。出番は少ないながらも、イ・ビョンホンが圧倒的な存在感を醸しているこの人物は、1916年に中国に渡って軍事教育を受けた後、三・一独立運動をきっかけに仲間たちと義烈団を結成し、団長として活躍した。鍾路警察署爆弾事件以前にも、キム・ウォンボンは釜山・密陽警察署爆弾事件(1920)、総督府爆弾事件(1921)を指示し、爆弾の性能の問題から物理的には失敗に終わったものの、日本を少なからず慌てさせ、朝鮮人の同胞たちを心理的に勇気づけたという意味で、歴史的重要性は計り知れないものがあるといえる。

 だが彼は独立後の1948年、南だけの単独政府の樹立に反対して北に渡り、朝鮮戦争では北の人民軍の指導部として参戦。北朝鮮で要職にも就いたが、1958年に金日成(キム・イルソン)から「批判的」との理由で粛清されるという道をたどる。そして、これまでのコラムでも取り上げたように、韓国にとって北朝鮮に関わる事象は長年タブー視されてきたため、朝鮮独立の英雄にほかならないキム・ウォンボンでさえ、北に渡ったという理由で長い間その存在を隠蔽されてきたのだ。

 近年のファクション映画ブームの背景には、その後の歩みにかかわらず、抗日運動に貢献した人物を発掘し、再評価しようという韓国社会の変化も大きく反映されており、それによって彼らを映画でも取り上げやすくなったことが挙げられる。キム・ウォンボンは『暗殺』(チェ・ドンフン監督、15)にも登場する人物なので、機会があれば併せて鑑賞してほしい。

 そして、イ・ジョンチュルとともにもう一人、映画の主要人物であるキム・ウジンは、人気俳優のコン・ユが演じていることもあり、頭脳的な好人物として描かれている。前述のように、モデルとなった義烈団メンバー、キム・シヒョンとファン・オクとの事実関係については定かではないものの、裁判でキム・シヒョンがファン・オクをかばったという事実が、映画での2人の関係を想像させたと考えられる。

 明治大学法学部を卒業したキム・シヒョンは、朝鮮独立に身を投じる決意をして義烈団に入り、活動の中で逮捕と釈放を繰り返したが、とりわけ壮絶だったのは独立後の歩みだ。抗日活動の実績を評価されて国会議員になったものの、李承晩(イ・スンマン)大統領の悪政に憤った彼は、元義烈団メンバーを使って大統領の暗殺を試みたのだ。事実、1952年に演説会場にて、登壇している李承晩のすぐ背後で、彼に銃を向ける男を捉えた衝撃的な写真も残っている。

 だが、元メンバーが手にした銃は不発に終わり、捕らえられたキム・シヒョンは「私が銃を持てばよかった」と叫んだという。これによって死刑宣告を受けた彼は、1960年に起こった「4.19革命」で李政権が倒れたことにより赦免され、再び国会議員に返り咲くも、朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事クーデター後に政界から引退。1973年に他界した。

 ちなみに、キム・ウジンの恋人であった義烈団の女性メンバー、ヨン・ゲスンは、実際には妓生(キーセン、日本でいう芸者)出身のヒョン・ゲオクがモデルとなっており、英語とドイツ語が堪能だった彼女は、後に旧ソ連に亡命したとの記録が残っている。映画のような拷問死を迎えてはいないが、義烈団には少なからず女性も所属しており、中には悲惨な最期を遂げた者もあったのだろう。

 以上が本作をめぐる、史実と映画を比較した結果である。細部においては、必ずしも史実をなぞっているわけではないものの、物語の展開や登場人物の描写は概ね一致していることがわかるだろう。ただし、映画の終盤で描かれるイ・ジョンチュルによる爆弾事件が、完全なるフィクションである点は押さえておかねばならない。

 植民地時代を舞台にした映画では、しばしば京城を舞台に独立運動家による破壊・暗殺行為や、日本警察との銃撃戦がスリルたっぷりに描かれる。だがそのほとんど(99%といってもいいだろう)はフィクションが混ざっており、朝鮮人が実際にはできなかったことへの欲望を満たす「ファンタジー」の役割を、映画が果たしているといえよう。

 ナショナリズム理論の教科書ともいえる著作『想像の共同体』で、明確な形として存在しない<国家>の概念がどのように人々に共有され、<国民>を形成していくかを論じたベネディクト・アンダーソンによると、人々がナショナリズムを内面化していく段階では、誰もが知っている「偉人」より、誰もがなりえたかもしれない「無名勇士」のほうが効果的なのだそう。朝鮮の歴史で考えるならば、伊藤博文を暗殺した英雄・安重根(アン・ジュングン)を賛美していた時代は終わりを告げ、まだ十分には知られていない活動家たちを掘り起こす、ナショナリズムの新たな局面を迎えているのだろうか。

 歴史に対して多様な視点を持ち、再評価の余地を与えるという作業は非常に重要ではあるものの、史実とフィクションの混在がいつしか歴史と欲望の境界を曖昧にしてしまう危険性は、これからも常に警戒していなければならない。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』は“男性社会”を可視化する――制度だけでは足りない「見えない差別」の提示

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『82年生まれ、キム・ジヨン』

 2016年、韓国のインターネット上では2つの大きな出来事を背景に、前代未聞ともいえる激しい「男女の対立」が巻き起こった。ひとつは、ソウルの江南(カンナム)駅近くのトイレで、女子大生が面識のない男に殺害された「江南駅トイレ殺人事件」。女性のみを無差別に狙い、犯人が実際に「女なら誰でもよかった」と供述したこの事件は、ソウルに暮らす多くの女性を震え上がらせ、同時に激しい憤りを呼び起こした。犯人は極度の被害妄想に取りつかれ、精神病を患っていたとはいえ、事件によって韓国社会に依然はびこる女性への差別や蔑視、それを社会が無意識に実践するゆがんだ一面が改めて浮き彫りになった。

 駅周辺には若い女性たちが集まって被害者を追悼し、性差別や不平等、女性嫌悪を糾弾する集会を開き、その様子はSNSで拡散され大きな広がりを生んだが、周辺では男性たちによるバッシングが絶えず、集会自体を妨害して警察が出動する事態にまで発展した。男女間をめぐる問題に真摯に取り組もうとする人もいたものの、男女対決の様相は次第にエスカレートし、ネット上で不特定多数の男女が互いを罵倒し合う無意味な喧嘩が毎日のように繰り広げられていた。

 そこへ、まるで火に油を注ぐかのように登場したのが、小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著)である。30代の平凡な女性の日常を通して、女性たちが置かれている韓国社会の抑圧構造を、報告書を連想させる客観的な文体で書きつづったこの小説は、韓国で100万部を超えるベストセラーとなり、幅広い読者の共感を集めて社会現象にまでなった。何より、日本ではいまひとつ盛り上がりに欠けた「#MeToo運動」が、韓国ではこの小説の出現によって大いに触発され、それまで社会的地位の高いところにいた人物たちが次々と引きずり下ろされていったり、女性差別やフェミニズムを見直そうとする声が上がったりと、大きな収穫があった。だが一方で、女性より優位な立場を当たり前のように享受してきた韓国の男性たちは、危機感を募らせたのか、ますます感情的になり「差別だというなら女も軍隊に行け!」といった愚かなヒステリーを爆発させて、男女間の対立は再び高まることとなったのである。

 今回のコラムで取り上げるのは、韓国国内のみならず、日本をはじめ世界各国で翻訳され人気を集めた同名小説の映画化『82年生まれ、キム・ジヨン』(キム・ドヨン監督、2019)。原作の出版から3年を経ての製作となったが、相変わらず韓国では公開後に映画レビューサイトで男性観客が「1点」を、女性観客が「10点満点」をつける非難合戦が繰り返され、メディアは「男性観客による点数テロ」と報道する始末だった。主役を演じたチョン・ユミやコン・ユまでもがバッシングの対象になるなど、韓国における“フェミニズム”はどうしても「男性対女性の対立」に位置づけられてしまいがちだ。

 だが、そんな中で本作(小説も)は、男性中心に成り立っている社会の構造を可視化させ、男性だけでなく女性までもが無意識に受け入れてきた、この非対称性に気づかせるきっかけを与えてくれたという意味において、一過性のブームに終わらない真の「フェミニズム映画(文学)」といえるだろう。コラムでは、映画が提示している女性をめぐる問題を大きく2つの点から取り上げ、韓国社会のひずみを明らかにしていきたい。

<物語>

 1982年生まれのキム・ジヨン(チョン・ユミ)は、会社員の夫・デヒョン(コン・ユ)と幼い娘のアヨンの3人で暮らす平凡な専業主婦。大学卒業後、やっとの思いで入った会社は出産とともに退職、現在は家事や育児に追われる日々を送っている。そんなジヨンにある日、異変が現れる。時折、母(キム・ミギョン)や祖母など、身近な女性に憑依されたかのような言動をとるようになったのだ。驚いたデヒョンは精神科医に相談するが、ジヨンに自覚はなく、デヒョンの心配や優しさもいちいち気に障る始末だ。母・妻・嫁としての立場に疲れ、娘との孤独な時間の中で焦燥感にさいなまれる中、ジヨンは幼い頃からの思い出を振り返りながら、自分自身の行き方を見つめ直していく……。

【※作品が公開されてから間もないため極力ネタバレは避けますが、一部物語の展開や結末に言及していますのでご注意ください】

 本作において、おそらく最も象徴的な表現であり、注意深く見る必要があるのはジヨンの「憑依」だろう。ジヨンには度々「ジヨンではない人物」が憑依し、ジヨンの口を通してその者たちの言葉が発せられる。だがそれは裏を返せば、ジヨンが自分自身の声で本音を言えず、他者の声を借りなければ言いたいことが言えない状態に置かれているのを意味する。ジヨンから声を奪っているもの、それはまさに、娘だから、妻だから、嫁だから、母だから、そして女性だからという理由で加えられる、あらゆる抑圧である。一人の人間としてのジヨンの欲望はこうして抑圧され、ジヨンは声を奪われる。

 ヒステリーの治療を通して人間の精神構造を明らかにしたフロイトによれば、無意識に抑圧された欲望は、何らかの形で必ず返ってくる(=意識の上に現れる)という。つまり、憑依されたジヨンの姿はまさに、「女」であるが故に無意識のうちに抑圧された欲望が戻ってきた状態なのである。だが気をつけなければいけないのは、欲望はそのままの形ではなく「別のもの」となって現れる点だ。フロイトが「圧縮と置換」と呼んだその現象は、抑圧されたいくつもの欲望が一つにまとまる過程で、欲望はむき出しになるのを避け、類似する別のものに変えられて表面上に現れる働きを意味している。その最たる例が「夢」というわけだ。ではジヨンの欲望はどのように「置換」されて現れたのだろうか。

 ジヨンに最初に憑依するのは「母」である。日本のお盆にあたるチュソクを迎え夫の実家を訪れたジヨンは、料理の支度にいそしみ、絶えず姑に気を使い、もはや疲れ切っている。もう少しの辛抱で自分の実家に帰れると思った矢先、義理の姉夫婦の訪問を受けて、台所から離れられなくなったジヨンを姑は気にも留めず、娘と話に花を咲かせる。その瞬間、ジヨンの母が彼女に乗り移り、母の声を借りたジヨンは、姑に向かって「私も娘に会いたい、早くジヨンを帰らせて」と言い放つ。

 儒教的伝統の中で、嫁の姑への絶対的な服従が美徳として強いられる韓国では、チュソクや正月など大勢の親族が集まる場における嫁の「労働」を当たり前としてきた。嫁の居場所は台所であり、夫の親族をもてなすために延々と家事を続ける嫁こそあるべき姿なのだと。したがって、疲労や不満がいくら蓄積しても、労働を拒否したいという嫁の欲望は抑圧せざるを得ない。韓国には「며느리 우울증(嫁鬱病)」と呼ばれる精神病があるが、チュソクの前日には自殺者が出るほどのいわば社会問題であり、嫁への抑圧がどれほど厳しく重いものかを物語っている。憑依に驚き凍り付いた表情を浮かべる姑らを前に発せられるジヨンの言葉は、韓国の無数の「嫁」たちの声でもあるのだ。

 ジヨンの母は、その世代の女性たちの多くがそうであったように、兄弟の誰よりも優秀だったにもかかわらず、男兄弟の学費のために夢を諦めて工場で働いたという、男性中心社会の典型的な被害者である。母はそんな自らの人生を隠さずにジヨンに語り、就職より結婚を強いる夫(ジヨンの父)に向かって怒りをあらわにし、「やりたいことをやりなさい」とジヨンを諭す。家父長制の犠牲者である自らの立場を認識し、娘に対してはそれを繰り返させまいとする母の姿は本作におけるひとつの救いであり、姑を前に不満を口にできないジヨンがそんな母の声を借りる(=母に置換される)のは、ある意味当然かもしれない。

 だが、そんなジヨンの母のような女性が存在する一方で、女性が家父長制を自ら内面化し支え続けてきたのもまた事実である。「かつての」嫁は、自分が受けた数々の仕打ちを「次の世代の」嫁にぶつけ、女が女につらく当たる図式が一種の伝統のようになってしまっているのだ。ジヨンの姑がジヨンに向けるまなざしは、かつて自分が同じように姑から向けられたものを反復しているにすぎない。映画の中で、同居する「祖母」が誰よりもあからさまに「男の孫と女の孫」を差別する姿に、問題の根深さが表れているといえるだろう。

 女性が置かれた抑圧構造をわかりやすく提示した「憑依」の描写がある一方で、本作を構成するもうひとつのキーワードは、韓国社会のあらゆる場所、あらゆる瞬間に潜在する男女間の「壁」だ。男子学生から性的な視線を向けられ恐怖を味わったにもかかわらず、ジヨンに非があると決めつける父、同期入社にもかかわらず男性社員が重用される会社、隠しカメラで撮られた女子トイレの画像を罪悪感のかけらもなく回し見する同僚など、韓国の男と女の間には幾重もの壁があり、女性はその中に閉じ込められている状況である。壁の外では、男たちが生まれた瞬間から無条件に与えられる「男であることの特権」を謳歌し、女たちに向かって、「女であるが故の仕打ちは甘受しろ」と平然と言い放ってきた。とりわけ「男=上」「女=下」という強固な階級的認識によって、性の違いがそのまま性的不平等を正当化する社会が維持されてきたのである。

 もちろんこれまでにも、こうした不平等を改善しようとする動きがなかったわけではない。韓国における女性運動は植民地時代から始まっているが、1980年代に入ると、認識だけでなく制度的にも変えていこうとする本格的な運動が見られるようになり、女性に向けられるさまざまな暴力を積極的に告発して防ぐための「韓国女性の電話」が登場した。そして90年代、軍事独裁が終わり文民政府による民主化が進むと、兵役を終えた男性に与えられる就職時の「加算点制度」の廃止に始まり、「男女差別禁止法」の制定、「女性家族省(現・女性家族部)」の創設に至るまで、時に“国家フェミニズム”と揶揄されながらも、国際社会に追いつこうと制度的努力は不断に続けられていたのだ。だが、何百年と続いてきた人々の意識は、制度によってそう簡単に変えられるものではない。むしろ制度が整えられ表面的には改善したように見えることで、差別は「見えないところに身を隠しながら存在し続けた」といえる。

 82年に生まれたキム・ジヨンは、民主化が進んだ90年代に学生生活を送っている。おそらく彼女は学校で「男女平等」について習ったものの、日常生活においては何も変わっていないことを実感し、「男性を特権化する社会の理不尽さ」を前世代以上に切実に感じたはずだ。そうしたジヨンの現実に対する違和感が詰め込まれた本作だが、映画ではジヨンのために、最後に「明るい未来」への可能性が示唆される。

 この結末をめぐっては、賛否が激しく対立していると聞く。社会における女性差別が解消していない以上、安易なハッピーエンドは避けるべきだとの意見にもうなずける。だが本作において結末以上に重要なのは、映画の後半に描かれる「立ち向かうジヨン」の姿ではないだろうか。実はこの部分は、原作と映画で描かれ方がまったく異なっている。それは、原作が発表された2016年と映画が作られた19年の間に、韓国の女性がその手でつかみ取ってきた強さでもあり、「それでも希望はあると伝えたかった」という監督のメッセージでもあるだろう。いずれにせよ、韓国ではあまりにありふれた名前である「キム・ジヨン」は、無数の平凡な女性の代表であることをやめて勇気を出した結果、憑依される(誰かの声を借りる)ことなく、自分自身の声で差別や偏見に異を唱えることができたのである。映画のラストは、不当な扱いに対して自分を抑圧せずに戦うことを選んだキム・ジヨンが一人の人間としてつかみ取ったものであり、それはもちろんすべての女性観客に向けられた可能性でもある。

 本作の観客の中には、以前このコラムでも取り上げた『はちどり』(キム・ボラ監督、2019)をご覧になった方も多いかもしれない。94年のソウルに生きる14歳のウニは、82年生まれのキム・ジヨンとは同世代の主人公だった。『はちどり』でヨンジ先生に「殴られるな、立ち向かえ」と教えられたウニと、自らの声を取り戻して社会にささやかに立ち向かったキム・ジヨン。成長したウニの姿がキム・ジヨンだったと言ってもいいだろう。映画を通して変わりつつある韓国の希望を示してくれた彼女たちに、声援を送り続けたい。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

不朽の名作『息もできない』が描く、韓国的な「悪口」と「暴力」――“抵抗の物語”としての一面を繙く

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『息もできない』

 11月13日公開の韓国映画『詩人の恋』(キム・ヤンヒ監督、2017)に主演する俳優のヤン・イクチュン。在日朝鮮人の帰国事業をテーマにした『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ監督、12)や、菅田将暉と共演した寺山修司の代表作の映画化『あゝ荒野』(岸善幸監督、17)など、日本映画でも活躍している俳優だが、実は彼、映画監督でもある。

 今から11年前、彼の長編デビュー作『息もできない』(09)は、ちょうど昨今話題の『はちどり』(キム・ボラ監督、19)のように世界の映画祭を席巻した。ロッテルダム映画祭、ドーヴィル・アジア映画祭、シンガポール映画祭をはじめ各国の映画祭で受賞し、日本では「東京フィルメックス」で最優秀作品賞と観客賞をダブル受賞したばかりか、世界的に見ても歴史のある映画賞「キネマ旬報ベスト・テン」で外国映画の1位まで獲得してしまったのである。

 ヤン・イクチュンはシナリオ、監督、主演の3役をこなし、国内外で高い評価を得て、興行的にも成功を収めた。デビュー作でここまでの記録を打ち立てるのは驚異的ですらあったが、次作への大きすぎる期待がプレッシャーになったのか、いまだ監督作が作られていないのは残念なことだ。今回のコラムでは、今もって映画としての魅力は色褪せていないヤンの『息もできない』を取り上げてみたい。

<物語>

 親友(先輩でもある)マンシク(チョン・マンシク)のもとでヤクザ稼業にいそしむサンフン(ヤン・イクチュン)は、大学生たちのデモに乗り込んで暴力を振るったり、無許可営業の屋台を容赦なく破壊したり、債務者の家を回っては無慈悲な暴力で借金を取り立てたりと、ことごとく最低な乱暴者だ。異母姉の幼い息子の遊び相手になるなど根は優しいものの、幼い頃、父(パク・チョンスン)の家庭内暴力が原因で母と妹を失うというつらい過去を持つ彼は、15年の刑期を終えて出所してきた父を前にして、イライラを募らせるばかり。そんなある日、女子高生のヨニ(キム・コッピ)と知り合ったサンフンは、自分のようなヤクザを前にしても物おじしない彼女に少しずつ惹かれていく。

 実はヨニの家庭も、決して幸せではなかった。ベトナム戦争の後遺症でPTSDを抱える父(チェ・ヨンミン)、無許可営業の屋台を潰された挙げ句に病死した母(キル・ヘヨン)、暗鬱な環境の家庭でますます暴力的になっていく弟(イ・ファン)と、ヨニもまたサンフンのような絶望的な状況に置かれていたのだ。サンフンとの出会いはヨニにとっても小さな救いをもたらし、2人は徐々に心を通わせていく。暴力的な自分を見つめ直し、ついにヤクザから足を洗う決心をしたサンフンだが、その先に待っていたのはあまりにも悲しい結末だった。

 物語を読む限り、「暴力的なヤクザ映画」だと本作を敬遠する向きもあるかもしれないが、この映画は完璧なまでに「メロドラマ」である。誰もが涙せずにはいられない展開の中で、サンフンの暴力も次第に彼の純粋さ故の葛藤であることが明らかになる。メロドラマの基本は「すれ違い」。サンフンの家族想いの優しさは表面上の暴力によってすれ違いをもたらし、ヤクザから足を洗おうと暴力をためらった瞬間に、彼に認めてもらいたい子分の暴力が爆発する。

 また、メロドラマにおいてもう一つの重要な点は、「登場人物が知らないことを観客は知っている」ところにあり、例えばヨニがサンフンに向かって幸せな家族のふりをすればするほど、彼女の家庭が絶望的に不幸なことを知っている観客は胸が痛む。瀕死のサンフンと彼を待つ人々を交互に映す編集は、観客だけがその悲劇を理解しているため、より一層泣けてくるのだ。ヨニとサンフンの家族ぐるみの因縁も含めて、こうしたメロドラマの要素が「家族」の主題と結びついて普遍的な物語となり、世界中で受け入れられたのだろう。

 だが今回は、本作のもう一つの特徴でもある「暴力」と多用される「悪口」から、韓国社会の一断面を考えてみよう。

 英題の『Breathless』から訳された邦題は『息もできない』だが、原題は『똥파리(トンパリ)』という。「ウンコにたかるハエ=ウンコバエ」を意味するこの翻訳不可能な韓国語は、ハエの中でも一番汚らしいハエを指し、韓国社会で最も蔑まれる最下層の人間をたとえる際によく使われる言葉だ。サンフンの「トンパリ」ぶりは、映画を見れば明らかだが、その背景を知るにはもう少し説明が必要であろう。

 物語の紹介で、サンフンの仕事を「ヤクザ稼業」と曖昧な形で説明したが、韓国には「용역 깡패(ヨンヨク・カンペ=用役チンピラ)」と呼ばれる集団があり、サンフンもまさにこの存在である。日本語ではなじみの薄い「用役」とは、もともと生産性を伴わない、医療や教育といった社会的に提供されるサービス全般を示す概念だったが、実際には人手を必要とするさまざまな現場に派遣される労働者など、幅広く使われている。仕事の内容は、建物の清掃やイベントの警備、工事現場など多岐にわたるため、いわゆる「便利屋」のようなニュアンスだが、そこに「チンピラ」が加わると意味合いはだいぶ変わってくる。

 1980年の光州事件を踏み台にして大統領の座に就いた全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事独裁政権時代、オリンピックの誘致に成功したチョン政権が真っ先に着手したのが、ソウルに点在する無許可建物の撤去だった。60年代以降、急激な産業化とともに仕事を求めて地方からソウルに上京した人々によって、「산동네(サンドンネ=山の町)」と呼ばれる町が形成された。雨風をやっとしのげるほどのみすぼらしい家々の集合体であるサンドンネは、ソウル周辺の山の中に許可なく建てられた一種のスラム街で、治安や衛生面の問題も抱えていたが、チョン政権が問題視したのはその景観だった。

 オリンピックによってソウルの景観にも注目が集まると考えた政府は、「国の恥」にもなりかねないサンドンネを隠蔽すべく、一時は町全体を緑色の布で覆うという信じがたい計画まで立てていたらしい。さすがに実行には至らなかったものの、政府はソウル美化のための再開発に乗り出し、サンドンネの住人に対し立ち退き命令を出した。だが人間のすみかを奪うとなると、事はそうやすやすとは運ばない。一方的に立ち退きを命じられた住人たちは、生存権の保障を要求して猛然と立ち向かったのだ。対処に手こずった政府は、民間業者を募集して暴力的なやり口で強制排除に踏み切り、公権力を後ろ盾にした業者は暴力の限りを尽くして住人たちを徹底的に排除した。

 この時、「用役会社」を名乗った民間業者に雇われ、先頭に立って破壊活動を行ったのがチンピラのような連中だったことが、「用役チンピラ」という呼称の由来となっている。用役チンピラによる住人への暴力や、それを黙認した公権力の横暴はドキュメンタリー映画にもなっているが、彼らはその後も、警察など権力側と癒着しながら、野党の政治集会の妨害工作や、デモ隊の排除などにしばしば動員され、韓国社会の暗部となっている。日本でも、ヤクザ組織が公権力と結びついて同様の行為を行ってきた歴史があるが、要するにサンフンは、権力に守られながら社会的弱者を攻撃し、権力に反発する者の権利を暴力的に奪ってきたという点においても、文字通り「トンパリ」なのである。

 そんな本作を見ながら、恐らく韓国語のわからない日本人観客でさえも、何度も耳にするうちに勝手に覚えてしまったフレーズがあったのではないだろうか。そのひとつが、韓国語で最も使われている悪口「シバル」である。けんかの際や相手を罵倒する時の悪口だが、もともとは「시팔 좆같다(シパル チョッカッタ)」という。

 まず「シパル」は、女性の性器を表す俗語「십(シプ)」+「하다(ハダ)=~する」で「セックスする」の意味になる。韓国語は文字の組み合わせによって音が変化するので、「シパル」→「シバル」となり、さらに「놈아(ノマ)=奴」がついて、サンフンの口から頻出する「シバルノマ」になる(女性に対しては「년(ニョン)=アマ」をつけて「シバルニョン」)。英語の「ファック・ユー」と思えばわかりやすいだろうか。

 「좆 같다(チョッカッタ)」に関しては、男性の性器を表す俗語「좆(チョッ)」に、「~のようだ」を指す「같다(カッタ)」が付いて「男根のようだ」の意味になる。「シバル チョッカッタ」と続けると、「セックスする男根のようだ」となり、勃起した男根のように興奮(拡張されたあらゆる意味での興奮)した状態、日本語で言うならば「血が上った」状態を指し示す。ムカついたとき、失敗したときなど、さまざまなネガティブな場面で叫び、つぶやき、時には相手に向けて言い放つのはもちろん、男同士(まれに女同士でも)で言い合ったり、サンフンのように日常的に口にすることも少なくない。

 このように、韓国の悪口には性的な語源を持つものが多いのだが、その裏には、性にまつわるあらゆる物事を「非道徳的」であるとして抑圧してきた朝鮮時代の影響を読み取ることができる。500年以上にわたって続いた朝鮮時代、儒教をこの上なく崇拝した貴族(ヤンバン)は、百姓たちに対しては「性」を抑圧していたのに対して、自分たちは性的な遊戯に明け暮れていた。そんな貴族に対する百姓たちの密かな抵抗が、性の言語化という形で表れているのではないだろうか。

 国語学者のソ・ジョンボムの言葉を借りるならば、最も抑圧される性的なものをあえて用いることで、百姓たちは儒教的抑圧と貴族の矛盾に全面対抗したのである。このコラムの中でこれまでもしばしば登場してきた、韓国における「悪しき」儒教的伝統は、「悪口」という被支配者の言語にも垣間見えるのだと言える。

 こうした悪口からひもとく儒教的抑圧と対抗という関係は、本作におけるサンフンと父の関係性を理解するヒントにもなるかもしれない。

 映画は幼い頃に父の暴力によって母と妹を失い、孤独に生きてきたサンフンが、刑期を終えて家に戻ってきた父を前にして憤りを募らせるあたりから始まる。自分の人生を不幸にした元凶である父に対して、恨みしか抱けずに暴力を振るってしまうのはよくわかるが、サンフンは父が異母姉とその息子と一緒に過ごすことさえ我慢ならない。その一方で、かつての面影が見えないほど弱々しくなった父が絶望のあまり自殺しようとすると、必死の形相で病院に担ぎ込み、「死なれては困る」と叫ぶ。

 そんなサンフンの分裂的な態度からは、儒教国家・韓国における父と息子のあまりにも強固な、それ故に不健全とも言える関係性が見え隠れしている。

 儒教には、「父子有親」という父と息子の強力な連帯を訴える概念がある。韓国にはどの家庭にも「族譜」と呼ばれる家系図が存在するのだが、つい最近までそこに女性の名前は記載されず、男系の成員の名のみが連綿とつづられてきた。「家」を重んじる日本とは異なり、韓国では何よりも「血」が大事なため、血が継承される父・息子の関係性しか重要視されない(女性の場合は「出嫁外人」と言って、父系の血の継承ができないものとされ、結婚すれば「嫁ぎ先の人間」として扱われる)。こうして、父と息子の間に特権的な絆を作ることで家父長制を維持してきた韓国だが、その両者の関係が正常に機能しない場合には、サンフン親子のような暴力に依存した服従関係が生まれてしまう。

 サンフンが「シバル チョッカッタ」と罵倒しながら父に暴力を振るい、同時に父を必死で救おうとする様子からは、自らを苦しめる父=家父長制に対する抵抗と、それでも儒教を絶対視する韓国的伝統から逃れられない宿命のようなものを感じずにはいられない。

 そして、そんなサンフンが唯一心を許す相手である友人のマンシクとヨニ、そして甥のヒョンインを思い出してみよう。サンフンは先輩であるマンシクに決して敬語を使わず、マンシクはそんなサンフンに文句を言いながらも温かいなまざしを送る。ヨニは常識で言えばサンフンに敬語を使ってしかるべきであるにもかかわらず、タメ口で話すばかりかサンフンに負けない量の悪口を繰り出し、サンフンはヨニに悪態をつきつつ心を許していく。そしてヒョンインとサンフンの間には、父子の服従的関係性の代わりに純粋な庇護の思いやりのみが介在している。サンフンにとってあらゆる上下(服従)関係は憎むべきものであり、そこから解放された関係性にのみ安らぎを見いだしていることがわかる。

 本作は、社会の底辺に生きる「トンパリ」の物語であると同時に、そんなトンパリたちが、韓国的な家父長制や儒教の伝統に抗う、抵抗の物語として読みうる映画でもあるのだ。サンフンが不在の中で私たちが目にする最後の光景は、彼が愛し、彼を愛する者たちが、血ではないつながりによって「家族」となっていくさまであり、それこそがサンフンが心から望んだ家族の形であったのだろう。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

63人の被害者を出した「奴隷事件」――映画『ブリング・ミー・ホーム』が描く“弱者の労働搾取”はなぜ起こったか

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』

 「イ・ヨンエ」という女優を覚えているだろうか? 韓流ドラマがまだ今のようには日本に浸透していない頃、それでも一部のファンから絶大なる支持を得た、現在でも根強い人気を誇る『宮廷女官チャングムの誓い』(2003)というドラマの主演女優である。さらに遡れば、韓国映画の国際進出を決定づけた作品『JSA』(パク・チャヌク監督、00)で、事件の調査にあたるスイス国籍の軍人を紅一点で演じた女優でもある。

 色白で丸顔の愛らしい容姿は、“韓国のオリビア・ハッセー”と呼ばれて親しまれたが、05年、『JSA』に続いてパク・チャヌク監督とタッグを組んだ“復讐3部作”の第3作『親切なクムジャさん』で、自らを陥れた誘拐殺人犯への壮絶な復讐劇を企てる美女を演じた後、在米韓国人との結婚や双子の出産によって長らく芸能活動を休止していた。そんな彼女が14年ぶりに映画へ復帰したのが、今回取り上げるキム・スンウ監督 の『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』(19)である。

 芸能活動休止前の最後の出演映画『親切なクムジャさん』で演じた、幼い娘を盾に濡れ衣を着せられ、13年間の刑務所生活を通して恐ろしい計画を準備する“クムジャさん”は、作家性の強いパク・チャヌク作品だけあって、映画的な魅力に満ちていた。リアリズムからは程遠い語り、復讐のためにあらゆる「親切」を行使し、聖女と悪女を使い分けるキャラクターの振れ幅、チェ・ミンシクの悪役とのやりとりなど、「復讐」というアイディアを見事に映画へと昇華し、残酷でスリリングな展開で楽しませてくれた名作だった。そして偶然かもしれないが、この作品から14年後、イ・ヨンエが映画復帰に選んだ本作は、またしても息子を失い、その存在を取り戻すために孤独な戦いを強いられる母親役だった。

 共通した主題を有していながらも、『親切なクムジャさん』と『ブリング・ミー・ホーム』では映画的な性格がまったく異なっている。本作では、自らも結婚して母となったイ・ヨンエの母としての実在感が増していると同時に、その根底には韓国で長く社会問題となってきた「弱者(子どもや障害者)の誘拐と搾取」というテーマが横たわっているのだ。韓国社会がいまだ解決できていない問題を取り上げた本作には、したがってカタルシスも癒やしも存在しない。どちらかといえば、以前のコラムでも取り上げた『トガニ』に類する作品といえる。

 もちろん、弱者の誘拐や搾取といった問題は、なにも韓国だけのものではない。だが確実に言えるのは、この映画はそうした社会問題をあぶり出す役割を持っているということだ。その点において、映画的な快楽とはまた別に、本作は今の韓国に必要な作品である。今回のコラムでは、映画によって浮き彫りになった問題を通して、韓国に根付く伝統的な思想の裏の一断面を可視化させてみたいと思う。

<物語>

 看護師のジョンヨン(イ・ヨンエ)と夫のミョングク(パク・ヘジュン)は、6年前に行方不明になった息子ユンスを捜して全国を駆け回っている。2人の生活は苦しみの連続だが、それでも希望は捨てていない。だがある日、ミョングクは情報提供者を名乗る人物との待ち合わせ場所に向かう途中、交通事故に遭って命を落としてしまう。息子だけでなく最愛の夫をも失い、絶望に突き落とされるジョンヨン。そんな彼女のところに今度は、ユンスとよく似た「ミンス(イ・シウ)」という子どもが、ある島の釣り場で虐待を受けつつ働かされているとの電話がかかってくる。ユンスであることを祈りつつ、ジョンヨンが釣り場に駆けつけると、そこで彼女を待っていたのは何やら訳ありげなホン警長(ユ・ジェミョン)や釣り場の主人らだった。かたくなにジョンヨンを「ミンス」に会わせようとしない彼らを怪しみながら、ジョンヨンは自らの力で徐々に真実に近づいていく。そして息子を助け出すため、彼女の孤独な死闘が始まる……。

 自らシナリオも手掛け、本作がデビュー作となったキム・スンウ監督は、公開後、たびたび「実話を元にしたのではないか」という質問を受けたという。それもそのはず、本作の設定や構成は14年に韓国社会を驚愕させた、いわゆる「新安(シナン)郡塩田奴隷労働事件」とそっくりだったからだ。この事件は、職業斡旋業者が知的障害者と重度の視覚障害者をだまして、塩田の多い韓国西南部にある新安郡の島に売り渡し、長年にわたって監禁された彼らは、賃金はおろか食事すらろくに与えられないまま、奴隷のように働かされたというものだった。

 毎日のように暴力を振るわれ、雇い主から「殺す」と脅された彼らは、障害を持っていることもあって脱出できず、文字通り「奴隷」のような生活を余儀なくされていた。この事件が解決する糸口になったのは、一通の手紙だった。視覚障害を持つ被害者の一人が、肌身離さず隠し持っていた助けを求める手紙を、ある時ソウルの母親に送ることに成功。母親が警察に通報し、知的障害を持つ男性も一緒に保護されて無事に助かり、事件の全貌も明らかになったのだ。

 島では彼らのほかに63人もの被害者が発見されたが、置かれていた状況は皆同じだった。当時のメディアは「21世紀の韓国であり得ないことが起こった」「現代版奴隷」と大々的に報道し、そのあまりにもひどい状況に国民の怒りが高まり、塩田の経営者はもちろん、関係者全員に対する厳罰と被害者への補償を求める声が続出。しかし裁判の結果は、懲役2年あまりという軽い判決だった。さらに信じがたいことに、判決を下した裁判官はこうした労働の形態が「地域の慣行」とまで言い切ったのだった。

 この発言が意味しているのは、地域の慢性的問題だった塩田での人手不足を補う手段として「監禁・強制労働」が黙認されてきたということであり、職業斡旋業者による詐欺的な手口、塩田への人身売買、監禁・搾取、村人の協力や無関心、そして地域の警察など公権力の黙認といった構図こそが「地域の慣行」として許されてきたということにほかならない。その中で、弱き者たちの人間としての尊厳はずたずたに踏みにじられてきたのだ。地域全体がグルになって加担してきた、巨大な闇のカルテルが形成されていたといえる。

 本作の物語もまさに「地域の慣行」を背景にしており、だから誰もが実話ではないかという印象を抱いたのだろう。事件の後、児童・障害者保護の強化や加害者への厳罰化など法律の整備が進められたが、今年の7月にもまた、19年間にわたって労働搾取されてきた知的障害者が発見され、依然として状況は改善されていないことが浮き彫りになった。

 警察の記録を見ると、こうした事件は1948年の韓国建国以来、後を絶たなかったようだ。そして被害者はいつも子どもや障害者、そして女性だった。社会的弱者を意味する「子ども、障害者、女性」に思いを巡らすためには、韓国社会に根付く「服従」の儒教的無意識を再び取り上げなければならないだろう。

 子どもや障害者への暴力については、以前のコラムで取り上げた『トガニ』で、女性に対する差別における儒教の影響については『はちどり』で数百年間韓国社会に根付いてきた儒教思想と「服従」の概念、そしてそれが「家族」という社会の中でどのように立ち現れるかについて、主に「男女」の関係性から述べたが、今回は「年長者と年少者」の面から掘り下げてみたい。

 年齢の差だけで人間の上下関係を決めつけ、服従を正当化する儒教の概念が「長幼有序(長幼序あり)」だ。韓国では初対面の人間同士が互いの生まれた年をまず確認し合う習慣があり、これこそ国民全体が「長幼有序」に囚われている最も明白な証拠だ。どちらのほうが立場が上かをはっきりさせないと話が始まらない。つまり、基本的にどちらかがどちらかに「服従」する関係性を決めておかないと、会話すらろくに進まないのだ。日本人には不思議に聞こえるかもしれないが、韓国では家族かどうかに関係なく、赤の他人でも年上ならみんな「형・오빠(お兄さん)」「누나・언니(お姉さん)」であり、そう呼ばないとすぐにケンカになったりする。

 たとえば、日本では電車の優先席に若者が座るのは普通の光景だが、韓国では電車の「敬老席」には若者は絶対に座らない。座ろうものなら年配者から怒鳴られることも日常茶飯事だからだ。敬老席に座る女性を自分より年下だと思い込んだ中年の男が、「席を譲れ」と口論になり暴力まで振るったが、あとから女性のほうが年上だったとわかり、土下座したという呆れる出来事があったほどだ。

 個々の人間性にかかわらず、「年長者は偉いのだから服従しろ」というのが「長幼有序」のゆがんだ無意識の表れなのだ。そして、服従させるための最も手っ取り早い手段が、暴力だ。とりわけ、相手が子どもなら「上下関係」は明らかであり、肉体的にも弱者である彼らであれば抵抗される心配もなく、好き勝手に暴力を振るうこともできる。

 「たとえ自分の子でも殴ってはいけない」という、子どもの人権に関する認識が韓国で本格的に広まったのは、21世紀に入ってからだ。世界的に見ると恥ずかしいほど遅れているが、「長幼有序」の下、何百年も昔から親が子どもを殴る(年長者が年少者を殴る)のは当然とされてきた韓国社会において、その認識の変化ですら大きな一歩である。子どもを暴力で服従させ、人権を蹂躙(じゅうりん)するという本作の事件の背景には、そんな社会を許してきた儒教的無意識があるのではないだろうか。

 話題は変わるが、「地域の慣行」のカルテルからどうしても見えてしまう歴史がある。「慰安婦」の歴史だ。日韓関係の中に長らく巣くうこの問題において、政治レベルでは両国の主張は相いれないが、研究者レベルではさまざまな議論が存在する。

 例えば、韓国国内でヒステリックな反応を巻き起こした歴史学者パク・ユハの著書『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)では、韓国の若い女性たちが「慰安婦」になった経緯のひとつとして、職業斡旋業者にだまされ、戦地に送られて売春を余儀なくされたというものがある。それはつまり、「慰安婦」を募集してだました朝鮮の斡旋業者と、いわゆる抱え主、そして日本軍というカルテルが結託して彼女たちを「慰安婦」にしたという図式である。この主張には、カルテルに朝鮮人業者が加担していたという、韓国が決して認めない事実が含まれているため、大きな問題となったわけだが、「弱者の人権蹂躙」という今回の問題とも密接につながっていることは言うまでもない。その点で、私はパク・ユハの議論には十分説得力があると考えている。

 最後に、また『トガニ』の話を。本作は、実在した特別支援学校で、障害を持つ幼い生徒たちに対する、校長らによる性暴力を告発した事件を映画化したもので、この映画がきっかけとなって人々の関心が高まり、公開後に社会が大きく変わる事態となった。だが映画が作られた時点では、被害者の子どもたちは法的にはまったく救われないままだったため、映画は決して安易なカタルシスを観客に与えることなく、ある意味では非常に後味の悪い結末を迎えた。

 その意味では本作も同様で、ラストのジョンヨンは大きな希望に包まれているが、根本的な問題が解決することはない。なぜなら映画の結末にかかわらず、この社会にはいまだ無数の「ミンス」が存在し、社会そのものが良い方向に向かっていない以上、映画が安易なハッピーエンドを迎えることは許されないからだ。

 しかも、『トガニ』における性暴力が、特別支援学校というある種特別な場所において起こったのとは異なり、本作のような場合、いつどこで自分の身近に起こるかもしれず、周囲への無関心によっていつの間にか自らも加担している状況が生まれてしまうかもわからない。

 本作は、カルテルの構造がもたらすものへの警鐘であると同時に、その無自覚な無関心によって誰もが同じような立場になり得ることへの警告でもある。もちろんこれが韓国のすべてではないが、そうしたこの国の一断面を決して無視することはできないのである。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。