韓国現代史最大のタブー「済州島四・三事件」を描いた映画『チスル』、その複雑な背景と「チェサ」というキーワードを読み解く

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『チスル』

 悲しいことに、韓国の現代史にはいくつもの「虐殺」が刻み込まれている。これまで本コラムでも何度となく取り上げたように、そのほとんどは、日本の植民地時代が終わって新たにアメリカが介入してくる中で生まれた、南北のイデオロギー対立を発端としたものであり、権力者の欲望と暴走によって、罪なき人々が多大な犠牲を払うものであった。それらの多くは事件から長い時間を経てようやく、政府主導での真相究明が約束され、少しずつではあるが真実が明るみになっている。近年では映画の題材となることも多く、本コラムでも「光州事件」を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』『26年』、「巨済島捕虜収容所の虐殺」をテーマにした『スウィング・キッズ』などを取り上げてきた。だが、それらの虐殺の中でも政府が公式に認めるまで最も時間のかかった事件が「済州島四・三事件」である。

 本コラムで『焼肉ドラゴン』を紹介した際、主人公である在日コリアンの家族の出自としてこの事件にも言及したが、「済州島四・三事件」とは日本の植民地支配から解放された朝鮮半島が、新たに米ソの覇権争いに巻き込まれ、南と北、右派と左派に分断される中で、済州島の島民たちが反共を掲げる当時の米軍政や李承晩(イ・スンマン)大統領によって“アカ”と見なされ、虐殺を受けたものである。『焼肉ドラゴン』でも物語の背景として暗示される程度だったこの虐殺は、韓国現代史上最も残酷で凄惨な虐殺といわれ、光州事件と同様、長きにわたって“北朝鮮にそそのかされて起きた暴動”とされてきた。

 軍事独裁政権下で中高時代を送った私も、そのように教育を受けた。民主化が進んだ90年代後半になってようやく、政府はこの事件を“暴動”ではなく“虐殺”と認めたが、それでも事件の背景の複雑さや明らかになっていない部分の多さゆえ、映画化すらいまだ困難な題材なのである。だが、それでも済州島でのこの虐殺を正面から本格的に描いた映画が存在する。それが今回取り上げる『チスル』(オ・ミョル監督、2012)だ。

 済州島出身のオ監督は、これまでも主に済州島にまつわる物語を映画にしてきた。そんな彼の代表作である『チスル』は、2012年の釜山国際映画祭での4部門受賞をはじめ、サンダンス映画祭では韓国映画初となるワールドシネマ・グランプリを受賞するなど、国内外で高く評価された。作品としての完成度はもちろん、韓国現代史の深い闇をテーマに据えた勇気ある試みが注目を集め、低予算自主映画にもかかわらず14万人を超える観客を動員し、興行的にも成功を収めた。済州島での一般公開初日には、大物俳優のアン・ソンギやカン・スヨン、釜山映画祭のキム・ドンホ名誉委員長ら、そうそうたる韓国の映画人たちが一堂に会したことも大きな話題を呼んだ。

 今回のコラムでは、『焼肉ドラゴン』の時にも簡単に述べた「済州島四・三事件」についてより詳細に、なぜ起こったのか、どのような事件だったのかを紹介し、映画がこの事件をどう描いたかについて見ていくことにしよう。

物語

 1948年11月、米軍と韓国軍は済州島に戒厳令を敷き「海岸から5キロ以上離れた中山間地域の島民は暴徒と見なし、無条件に射殺せよ」と命令を下した。村人たちは訳もわからないまま山奥へと逃げ、洞窟に身を隠しながら時間をやり過ごしていた。持ち寄ったジャガイモを分け合ったり、飼っている豚の心配をしたりと、たわいのない会話に興じる彼らだったが、本を取りに戻った少女スンドク(カン・ヒ)や、こっそり豚の様子を確認しに向かったおじさん(ムン・ソクボム)が殺されるなど、死の影は徐々に忍び寄ってくる。やがて捕らえられた村人の一人が、命を助けてくれれば洞窟の場所を教えると裏切ったため、ついに洞窟は軍人たちに包囲されてしまう……。

 実話に基づいた『チスル』だが、映画では事件の原因や推移など、客観的な歴史的事実が語られることはほとんどない。監督自身が「犠牲者に焦点を合わせたかった」と語っている通り、あくまで村人たちの目線で捉えているため、彼らが事情をのみ込めないままでいる以上、映画もまた必要以上の情報は伝えていない。だからこそ映画は、島民のほとんどが“アカ”ではないにもかかわらず、当時のゆがんだイデオロギー対立の犠牲になり、訳もわからず殺されていったという歴史の残酷さ、理不尽さを浮き彫りにしているといえよう。

 ただその中でも「四・三事件」を知る韓国人であれば、己の知識と照らし合わせながら観ることができるが、日本人観客にとってはかなり難易度が高く映るに違いない。そこで以下では、「済州島四・三事件」の全体像を、大事なポイントとともにたどってみよう。

 1945年8月15日以降、日本による植民地支配から解放され、自由を得た喜びもつかの間、朝鮮半島は瞬く間に北緯38度線を境に南北に分けられ、「南=米軍」「北=ソ連軍」による「軍政」が開始された。同時に、南は李承晩、北は金日成がそれぞれ米ソと結びついて基盤を固め、早くも「南/北」「右/左」の対立構造が形成されていったのである。南北問わず統一国家の建設を夢見ていた多くの朝鮮人たちはもちろん猛反発したが、実際にどのような国家を造るのかという問題においては、右派による資本主義国家、左派による共産主義国家、両者ともに一歩も譲らず膠着状態に陥ってしまう。親米反共主義者の李承晩はついに“アカとは話が通じない”と南だけの単独政府樹立を主張したため、全国各地で反対運動が巻き起こり、左右は至る所で衝突、朝鮮半島はますます混乱を極めていった。

 こうした状況の中、47年3月1日に済州島で予期せぬ事故が発生する。「三・一独立運動」(この歴史的重要性については『密偵』を取り上げたコラムで紹介したので参照されたい)の記念式典終了後、群衆たちの警備・監視にあたっていた騎馬警察の馬に蹴られた子どもが大けがを負ったのだ。応急処置も取らなければ謝罪のひとつもない警察の態度に対し、激怒した群衆が投石によって抗議すると、警察は暴動が起きたと勘違いして発砲、女性や子どもを含む6人もの死者が出てしまった。この事件をきっかけに済州島民たちの米軍政に対する印象は極度に悪化していったが、米軍政もまた、警察側の対応は正当防衛だったとして責任追及はせず、逆に“暴動”の参加者の割り出しに躍起になっていた。同年3月10日、島民たちが各地でストライキに突入すると、米軍政は強硬鎮圧に乗り出した。この事件が発端となり、「済州島四・三事件」につながっていく。

 強硬鎮圧の際に米軍政から派遣された警察の中に、悪名高い「西北青年会」(以下、西北)という極右団体が入り込んでいた。北出身の彼らは、解放後、共産主義思想に異を唱えたことで「反動分子」と見なされ、家族を殺されるなどして南に逃げてきたのだ。“アカ”に対する憎悪に燃える彼らは李承晩にとって格好の手先となり、先頭を切って済州島に乗り込んでストライキ主導者たちの検挙と弾圧を行った。情け容赦のない彼らの暴力は民間人たちをも巻き込み、事態は悪化の一途をたどっていった。映画に登場する兵士たちの中にも北訛りの暴力的な人物が描かれているが、映画『1987 ある闘いの真実』でアカ狩りの先頭に立つ北出身のパク所長(キム・ユンソク)が、共産主義者に対する憎しみに動機づけられていたことを思い出していただくとわかりやすいだろう。こうして48年4月3日、済州島ではついに左派を中心とする武装蜂起が起こり、右派やその家族を殺害する事件が勃発した。これが「済州島四・三事件」の始まりである。

 米軍政は警察や軍、西北のメンバーを増派し、さらに強硬な弾圧を繰り広げたが、平和的な解決を求める動きがまったくなかったわけではない。同じ民族同士の殺し合いはやめようと、軍の指揮官と武装隊の隊長による平和協議が進められ、一時は血を流すことなく事態が収拾される期待が高まったのだが、結局、指揮官に反感を持っていた右派による左派への襲撃で交渉が決裂、軍の指揮官は転属させられてしまった。

 一方、国連に持ち込まれていた統一政府樹立のための「南北総選挙」は、人口比例による議席配分によって北側が不利になるという理由からソ連が受け入れず、実現には至らなかった。その結果、1948年5月10日、李承晩が当初から望んでいた通りに南だけの総選挙が実施された。だが済州島では武装隊が投票所を襲撃、3カ所の投票所のうち2カ所が破壊される選挙妨害事件が起こった。当然米軍政は激怒し、このときから済州島は、はっきりと“アカの島”の烙印を押されることになる。総選挙後、韓国初の国会が構成され、そこで李承晩が初代大統領に選出、米軍政の時代は終わりを告げて、同年8月15日に韓国政府が誕生したのである。

 「反共」を大々的に掲げた李承晩政権によって、済州島の武装隊討伐と島民をアカに仕立て上げての「アカ狩り」作戦は一層エスカレートしていった。海と山からなる済州島で、武装隊は山間部に隠れて活動していたことから、政府は海岸線から5キロ以上離れた中山間地域、山岳地帯を通行禁止区域に設定、区域内に入れば暴徒と見なして無条件に射殺してよいという命令を下す、「焦土作戦」を決行した。

 この作戦は朝鮮戦争を経て休戦後まで続き、1957年に最後の武装隊員が逮捕されて「済州島四・三事件」はようやく終結したが、島の人口の約10%にあたる3万人近くの人々が犠牲になった。そのほとんどが武装隊とは縁のない一般島民であったことは言うまでもない。軍事独裁政権時代にはタブーとされてきたこの事件への真相究明の動きが本格化したのは、98年に金大中(キム・デジュン)が大統領になってからである。選挙公約として犠牲者や遺族の名誉回復と真相究明を掲げた金大中は、2000年に「済州4・3特別法」を成立させ、これを引き継いで03年には盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、現役大統領として初めて国家暴力の事実を認め、犠牲者に対し正式に謝罪した。21年2月には特別法の全面改正案が国会で成立し、事件から73年を経てようやく被害者への補償の道も開かれ、事件は初めて遺族に寄り添う方向を向いたのである。

 以上が「済州島四・三事件」の全体像だ。実態はさらに複雑であり、単純に善悪の分類ができない部分も多い。だが多くの島民たちは、イデオロギーとは関係なく、夜に山から下りてきた隣人にご飯を分け与えたとか、仲良くしていた知人を一晩かくまったといった近所付き合いの延長にすぎないささやかな親切によってアカの濡れ衣を着せられ、有無を言わさずに殺されてしまった。その悲劇は紛れもない真実である。済州島出身のオ・ミョル監督もまた、身近にそうした悲劇を抱えていることだろう。だが監督は、済州島の悲劇を声高に主張するのではなく、一見して静かに、あえて私的な物語としてこの映画を作り上げた。その狙いは何だったのだろうか?

 映画は、漢字とハングルで記される4つの章から成り立っている。「神位(신위、シニ)」「神廟(신묘、シンミョ)」「飲福(음복、ウンボク)」「焼紙(소지、ソジ)」、日本人にはなじみのない言葉だろうが、これらはそれぞれ、先祖を祀り、死者を慰める韓国の伝統的法事「チェサ」の中の儀式を意味している。チェサで行われる儀式に沿って映画のテーマ、物語も構成されていることから読み取れるのは、この作品が“犠牲者たちの鎮魂・慰霊”を意図しているということだ。それでは最後に、監督がそれぞれの章で何を描いたのか、儀式の名称と物語の展開から見てみよう。

1.「神位」=「魂を召喚する」

チェサでは白い紙に死者の名前を書き、供え物を用意した壁に貼っておくと、魂がそこに降りてくるようになっている。映画の冒頭、冬を迎えた済州島に、まるで神位に降りてくる魂のように、村人や軍人たちが現れる。悲しい歴史が始まろうとしていることが暗示されると同時に、犠牲者の魂を召喚し、鎮魂しようとする儀式=映画の幕開けが告げられる。

2.「神廟」=「魂がとどまる場所」

神廟は先祖を祀る祠堂を示す。これは本を取りに行って軍人に捕まり、輪姦された末に殺されるスンドクによって象徴的に描かれる。殺害された彼女の裸体は、島の中山間地域に広がるなだらかな稜線とオーバーラップし、その瞬間、島全体が神廟となる。静かだが力強いそのメタファーは、映画全体の白黒の映像と相まって、水墨画のような美しさを放つ。

3.「飲福」=「魂が残した食べ物を分け合って食べる」

チェサが終わると、供え物を皆で分けて食べるのだが、映画でこれはムドンの母を通して描かれる。身重の妻を抱えるムドンは、足が悪いからといって一人家に残った母を心配し様子を見に戻ると、西北出身と思われる軍人に殺され、家ごと焼き払われていた。ムドンは母が最期に残したジャガイモを洞窟に持ち帰り、何も語らずに皆に配って食べていた。死んだ母が残したジャガイモは、飢えた村人を救う糧になる。

4.「焼紙」=「神位を焼きながら願いを訴える」

チェサの最後に行われる焼紙は、神位で名前を書いた紙を焼きながら、魂が天に向かって煙のように飛んでいくことを願う儀式である。ここに至ってやっと、監督が意図した「犠牲者の鎮魂」は無残に殺された島民だけではなく、激動の歴史の中で加害者にならざるを得なかった軍人たちの慰霊も含められていたのではないかと気づく。映画に描かれたように軍の内部には実際アカ狩りに反感を持つ者も多く、あまりにも容赦のない上官の命令に反発して逆に上官を殺すという事件も起きていた。ある意味では彼らもまた犠牲者であり、一人ひとりの死者に舞い降りる「神位」を「焼紙」していくラストシーンには、そうした監督の心の内が投影されているように思える。

 本作のタイトル「チスル」とは、「ジャガイモ」を意味する済州島の方言である。「命の糧」の隠喩とも捉えられる本作で、チスルは村人同士が大事に分け合うだけでなく、軍人たちにとってもまた大事な食糧として描かれる。村人にも軍人にも死者に対しても分け隔てなく与えられるチスル(=命)には左も右もなく、人間の命はイデオロギーによって失われるべきではない――済州島出身の彼だからこそ到達できる境地が、この映画を作らせたといえるだろう。

 済州島は、地理的な特徴や朝鮮とは異なる独自の文化や言語を持っている点、そして何より悲劇的な歴史の記憶を持ち、国内においても本土のスケープゴート役を押し付けられてきた点において、沖縄と似ているところがある。沖縄の言葉を用いて沖縄で映画を撮り続ける高嶺剛という映画作家がいるように、オ・ミョル監督もまた済州島を撮り続ける作家であってほしい。監督は「僕にとって済州島は物語の宝箱」だという。彼にとって唯一無二の存在である済州島を描く作品を心待ちにしたい。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

ホン・サンス新作『逃げた女』は、いつも以上に“わからない”!? 観客を困惑させる映画的話法を解説

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『逃げた女』

 前回のコラムではホン・サンス監督の『ハハハ』(2010)を取り上げ、韓国映画の理想的なヒーロー像からは完全に逸脱しながらも、人気俳優たちが演じる“あるべき”姿から解放されたキャラクターたちの魅力とその意義について紹介した。そのことはホン・サンス・ワールドの大きな特徴であるし、映画を通して韓国の社会や歴史を考えるという本コラムの目的にも合致していたと思うのだが、ホン・サンス映画の魅力をそこにだけ収斂させてしまうのは片手落ちではないか……。6月11日公開の新作『逃げた女』(20)を見て、そんなことを考えるに至った。

 もちろん、この新作にも“ダメ男”の影はチラついているし、タイトルがすでにネガティブなニュアンスを含んでいるように、キャラクターたちは決して格好よくは描かれない。だが本作は、どちらかというと“男”ではなく“女たち”の物語であり、さらには“何を描くか”ではなく“どう見せるか”、その手法・話法をより楽しむべき作品として仕上がっている。

 そこで2回連続とはなるが、今回はホン・サンスの新作『逃げた女』を中心に、彼の映画的話法の魅力について紹介したい。コラム本来の方向性とはだいぶ異なる内容にはなるが、明らかに観客を選ぶ監督であり、初めて出会う観客にはチンプンカンプンとも思われかねないホン・サンス映画の味わい方に関するひとつの提案として、ご一読いただければ幸いである。

 ホン・サンスのほとんどの作品が似たり寄ったりの物語で、キャラクターたちの設定もほとんど変わらない。にもかかわらず、どの作品も刺激的で癖になってしまうのはなぜだろうか。多くの評論家が指摘しているのは物語の簡潔さであり、徹底したミニマリズムを追求した結果、起承転結を軸にする既存の物語の概念を覆しながらも最終的には「物語」として成立させてしまう、不思議な「ホン・サンス話法」の力である。

 彼の映画には、クライマックスに向かって盛り上がっていく展開もなければ(いや、そもそもクライマックス自体が存在しない)、善悪のはっきりしたわかりやすいキャラクターも登場しない。世界中に流通している主流映画(たくさんの劇場で公開され、多くの観客を集める物語映画)が、因果関係が明確な展開、目的を持った主人公を中心に直線的に進んでいく物語を原則とするならば、ホン・サンスの映画はすべてにおいて対照的といえるだろう。ダラリとした男女の日常が断片的に提示され、観客は彼らの終わりそうもない会話をひたすら見続ける。

 そうして提示される一つひとつの光景はまるでパズルのピースのようであり、最後のピースがはめられるまで完成形はまるでわからない。観客は個々のピースから全体像を想像するしかないのだが、その想像はいつも見事に外れてしまう――それこそがホン・サンス作品の一番の魅力であり、観客にとってピースとピースの関係性がわかりづらいからこそ、その困難さが見ることの楽しみにつながっていくのだ。そうこうしているうちにいつのまにか映画は終わり、結末に至ってもその全体像は結局よくわからないままということもしばしばで、私たちは戸惑いつつ、映画館を去ってからも今見た映画を反芻し、頭の中で再びパズルに取り組むことになる。そして、組み合わせ方の多様さと完成形のあまりの自由度に驚かされることになる。

 特に近年のホン・サンス作品は、毎回何かしら国際映画祭で受賞しているが、見ている間は“一体この映画のどこに受賞の根拠が見いだせるのだろう”と更なる困惑に陥ることも少なくない。ピースとピースの間の因果性を見いだし難い映画的話法を持つ『逃げた女』もまた、20年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞している。それでは、ホン・サンス映画に共通して見られる特徴を通して、その映画的話法の魅力について考えてみよう。私が思う具体的な特徴とは、「反復、省略と、それゆえの曖昧さ」である。

 結婚以来一度も離れたことがないという夫が出張に出かけ、その間、ガミ(キム・ミニ)は3人の女友達を訪ね歩く。ひとりはバツイチの先輩ヨンスン(ソ・ヨンファ)、2人目は独身の先輩スヨン(ソン・ソンミ)、そして3人目は偶然入った映画館で再会した同級生のウジン(キム・セビョク)。ガミと女たちのやりとりを通して、それぞれの事情が少しずつ浮き彫りになっていくのだが……。

 本作も例に漏れず、構成は至ってシンプルだ。物語が直線的に進むことはなく、「ガミが女友達と会って話す」という行為が3回反復されるのみ。反復の間に私たちは断片的な情報を得るが、それ以上は語られないため状況を正確に理解することはかなわず、曖昧なまま宙ぶらりんの状態、言ってみればサスペンスを見ているような状態に置かれる。ただ、だからこそ観客は一瞬も見逃せない、一言一句聞き逃すわけにはいかないと、緊張感とともにスクリーンに向き合う羽目になる(“サスペンス”とは直訳すると“宙ぶらりん”の状態を意味する)。このような「反復・省略・曖昧さ」は、過去のホン・サンス作品からも見て取ることができる。

時系列がバラバラなった『自由が丘で』

 海外作品にも積極的に出演している加瀬亮が主演したことでも話題になった、『自由が丘で』(2014)。韓国人の恋人を追いかけて韓国にやってきた日本人男性のソウルでの数日間を描いたこの映画は、彼からの手紙を受け取った彼女がふとした弾みで手紙を落としてしまい、便箋の順番がバラバラになってしまうところから始まる。日付のないその手紙を、彼女は仕方なしに拾った順に読み始め、観客にもまた彼女が読む順番で物語が提示される。

 映画は普通、フラッシュバックやナレーションなどさまざまな手法を用いて複雑な時系列の物語を見せることができるが、最も大事なのは“観客にも理解できるようにそれを提示する”ことであり、観客が時間軸を見失うことのないよう、語り方には細心の注意を払う。観客が置き去りにされることは決してない。

 だがこの映画で観客は、バラバラになった手紙を読む恋人と同じ立場から、時系列が曖昧なまま提示される物語を必死で組み立てなければならない。家でDVDを再生するのとは違って、映画館では映画を途中で止めたり巻き戻したりすることはできない。後戻りできないのが映画である。映画が終わるまでの間ずっと、宙ぶらりんな状態のままで観客は、省略・反復と格闘しながら映画の完成形を描いていく。必然的に、完成した絵はひとつではなくなる。

 もうひとつ、キム・ミニが初めてホン・サンス作品に登場した『正しい日 間違えた日』(15)を例に見てみよう。自分の映画の上映会の日を勘違いして水原(スウォン)にやって来た映画監督の、持て余した一日におけるひとりの女性との出会いを描いた作品である。

 映画は2つのパートに分かれていて、前半と後半はほとんど同じ内容・構図の反復なのだが、会話の内容や登場人物の行動に微妙な違いがあるため、観客は映画を見ながら自然と「間違い探し」をしている感覚になる。だが前述したように、映画はいちいち巻き戻して確認したりはできない。見ながらすでに曖昧になっていく記憶を手繰り寄せつつ、前半と後半ではどこがどう違うのか、そしてタイトルが示すように何が正しく、何が間違っているのかの答えを探そうとする。

 だがそもそも、「正しい」「間違い」とは何に対してのものなのだろうか。肝心の部分が省略されているため、観客にとっては映画のタイトルすら意味を失ってしまう。残ったのはただ、「同じ状況が持ち得る2つの展開の可能性」のみである。

 それでは、『逃げた女』の場合はどうだろう。本作もまた「反復・省略・曖昧さ」といった話法から成り立っている。というのも、3人の友達に会うという反復の中で、「逃げた女」が誰なのかが、どんどん曖昧になっていくのだ。観客は当然、主役であるキム・ミニが何かから逃げる物語を想定しているが、タイトルに主語が明示されていないことから、次第に自ら曖昧さに飛び込まざるを得なくなる。ここでは、タイトルが意味を失うという以上に、タイトルが観客を混乱に陥れていく。こうして一見シンプルな構成の本作は「逃げた女」が誰なのかをめぐって、2つの推論を可能にする複雑さを獲得するのだ。

 ひとつ目は逃げた女がガミである可能性。前述したようにこれは、タイトルが主人公を指しているという私たち観客の固定観念を出発点とし、さらに映画の宣伝ポスターにも逃げるようなガミの後ろ姿が使われているため、映画を見る前には疑いようもない事実となっている。だが映画は、ガミが逃げた理由を終始明らかにしないため、ガミが逃げた女であるかどうかすら次第に曖昧になっていく。ガミは何から逃げたのか、どうして逃げたのか、推測は観客に委ねられる。

 たとえば、3人の女性たちをガミに対する「鏡」と捉えることは可能かもしれない。バツイチの先輩、独身の先輩、そしてかつて自分の恋人を奪った友人と再会の相手を順番に見ていくと、ガミは何らかの理由で今の現実から逃げ出したいと思っているのかもしれないと考えられなくもない。ガミが女性たちに向かって夫との一途な愛を繰り返し強調するのは、実際にはそうではない現実の裏返しのようにも見える。

 ガミは離婚してひとりになろうとしているのではないか。夫との関係がギクシャクしている友人の姿は、そのままガミの現実といえるのではないか。単純な解釈ではあるが、物語上あまりに多くの事柄が省略されているだけに、そこには観客の勝手な想像が入り込む余地も十分に残されているといえる。

 もうひとつは、ガミではなく、3人の女性たちこそが「逃げた女」であるという可能性だ。実際、逃げた女がガミである保証など、どこにもない。むしろ3人それぞれが逃げているような状況に置かれていることは、彼女たちの会話からも明らかだ。夫と離婚したヨンスンはソウル近郊で隠遁者のような生活を送る。彼女はガミに、煩わしい人間社会から離れた閑静な田舎生活の良さをちらつかせる。独身貴族を謳歌しているように見えるスヨンもまた、一夜を共にした若い詩人との関係が、自分が好感を抱いている別の男性にバレてしまうことを恐れて、彼のいるバーにも行けず、付きまとってくる詩人から明らかに逃げている。

 そして、夫と一緒に運営している映画館で偶然ガミと再会するウジンは、かつてガミから恋人を奪って結婚までしたという罪意識を持ち、これまでガミに連絡できずにいたと告白する。つまりウジンもガミから逃げていたことになる。こう考えると、逃げた女とはガミではなく3人の女性たちであると考えたほうが、より説得力を持つように思える。映画の最後、かつての恋人だったウジンの夫とも再会し、逃げるように映画館を後にしたガミが途中でふと立ち止まり、映画館に戻って再び席に座ってスクリーンを見つめるというラストシーンは、ガミだけが「逃げなかった」という力強いメッセージとも受け取れるのではないだろうか。

 だがいずれにしても、重要なのは「誰が逃げたのか」という問題ではない。ホン・サンスの映画が、見方によって異なる複数の「シニフィエ」を持ち得るということにある。ホン・サンスが「反復・省略・曖昧さ」の話法を用いて描くのは、最終的に「ずれ」である。キャラクター同士のずれが、作品と観客のずれをもたらし、映画は必ずしも固定的ではないことを暴き出す。それは、映画というものがひとつの物語=真実を語ると信じられている中で、そんな真実は果たして存在するのかという問いを、ホン・サンスが自身の作品を通して投げかけているようにも感じられる。

 本作では、それぞれのエピソードで女性たちは、介入してくる男性との対峙を余儀なくされる。カメラに顔を向けた女性と、カメラに背を向けた男性。彼らの会話はまったくかみ合わず、互いの相いれなさに絶望的な気持ちになるが、ホン・サンスが描こうとしているのは、まさにその「ずれ」にほかならない。

 作品にこうした傾向が色濃く表れるようになったのが、『正しい日 間違えた日』からであることは興味深いといえるだろう。なぜなら、この作品をきっかけに彼はキム・ミニとの「不倫」が世に知られ、社会から想像を絶するバッシングを受けたからだ。主にインターネットの書き込みを通して拡散した2人に対する攻撃は、彼にとって「不倫」の2文字によって人格を踏みにじり、存在を否定しようとする、大いなる暴力として映ったに違いない。

 何かひとつの状況でも、ホン・サンスにとっての見え方と社会の見方はまったく異なっているのだろう。何が正しく、何が間違いか? 答えはひとつに固定されておらず、私たちは常に「ずれ」とともに生きている。映画の中にも堂々と自らを投影し、妻子ある映画監督の不倫を描き続けるホン・サンスは、自身の経験を糧に、ますます自由な映画作りに邁進しているのである。

ホン・サンス作品の神髄『ハハハ』――儒教思想の強い韓国で、酒と女に弱い“ダメ男”を撮り続ける意味とは?

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ハハハ』

 ホン・サンスという映画作家をご存じだろうか。多額の予算が組まれて多くの人間が携わるメインストリームの映画とは異なり、インディペンデントな製作スタイルで次々と作品を発表しては、海外の映画祭で受賞を重ねている人物だ。フランスの映画作家エリック・ロメールと比較して語られがちで、実際フランスでは特に人気が高いらしい。

 確かにホン・サンスの映画は、ヌーヴェル・ヴァーグの登場に寄与したフランスの批評家アレクサンドル・アストリュックが唱えた、「カメラ=万年筆論」(万年筆で紡がれる書き言葉のように、映画はカメラを使って柔軟で繊細に書かれるべきものである、という理論)を地で行っているようなものだ。とにかく、ほかのどの映画監督とも異なる作風と立ち位置で、韓国映画界という海を一人飄々と泳いでいる。

 彼のほとんどの映画は、彼自身が投影されているであろう映画監督が主人公だ。主人公の監督は大学で教え、それなりに知られてはいるものの、いつもスランプに陥っていて、物事がうまくいかずに悶々とする。さらには教え子と不倫関係にあったり、家族のある身でほかの女を追いかけ回したりと、ろくでもない。もちろんどの作品もまったく異なる映画なのだが、あらすじを書くとすべて同じような物語となり、その反復的な語り口は、日本が生んだ世界の巨匠・小津安二郎ともつい比べたくなってしまう。そんな作家性の強さゆえ、観客の好き嫌いがはっきり分かれ、さらには近年、彼のミューズに君臨する女優のキム・ミニとの不倫関係が明らかになったことで、韓国では一時バッシングの大合唱が吹き荒れた。それでも2人は気にすることなく関係を続け、コンビを組んだ作品は世界各地で相変わらず受賞を続けている。

 とりわけ、ホン・サンスの映画は新作発表の頻度が早すぎるがゆえに、日本で配給されないケースも多いが、この6月には新作『逃げた女』が日本公開を迎える。それに合わせて過去作品の特集上映も行われており、彼の作品をスクリーンでまとめて見る、またとないチャンスとなっている。そこで今回のコラムでは、ホン・サンスの過去作品の中から『ハハハ』(2010)を取り上げてみたい。

 “韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学ぶ”ことを目的とした本コラムで、一体ホン・サンス作品にどんな社会的要素を見いだせるか――それは「韓国人の男らしさ」の問題である。

 上述したように、ホン・サンス映画に登場する男たちは総じてだらしがなく、酒ばかり飲んでいて、人としてとても尊敬に値しない。だが、儒教思想に基づいた男尊女卑がまかり通った韓国社会において、ダメな男性主人公を描き続けることはともすると、社会に対する強烈なアンチテーゼといえるのではないだろうか? ホン・サンス映画の男たちは、韓国の歴史と社会が男性に対して押し付けてきた、そしてほかの多くの映画が提示してきた「あるべき男性像」を反転させ、本当の姿をさらけ出すことで韓国の男たちを強大なプレッシャーから解放してくれようとしているのではないか?

 そんな関心から、主人公2人のダメ人間ぶりが最も顕著である本作を選んだ。また、先月『ミナリ』でアカデミー助演女優賞を受賞したユン・ヨジョンは、ホン・サンス映画の常連俳優の一人であり、本作でも重要な役で登場することから、この映画を通して彼女の多彩な魅力にも触れてもらえれば幸いである。

<物語>

 映画監督のムンギョン(キム・サンギョン)は、作品製作もうまくいかず、教えていた大学もクビになったため、親戚のいるカナダに移住を計画している。出発前に母親(ユン・ヨジョン)に会おうと故郷の統営(トンヨン)を訪れる。その後、ソウルに戻ってから大学の先輩チュンシク(ユ・ジュンサン)と偶然に遭遇、なんと同じ時期にチュンシクも統営を訪れていたことがわかり、2人はマッコリを酌み交わしながら、統営での思い出話に花を咲かせる。

 ホン・サンス映画の驚くべきは、なんといっても出演俳優の豪華さである。本作のキム・サンギョンは、『殺人の追憶』でソン・ガンホ演じる刑事とコンビを組む若手刑事を演じていたし(役柄が違いすぎて、とても同一人物とは思えないが)、ユ・ジュンサンはテレビ、映画、ミュージカルとオールラウンドな活躍を見せる人気タレントだ。癖は強いが魅力的なヒロインを演じるムン・ソリは、韓国映画界きっての実力派女優。彼らはホン・サンス映画の常連俳優として複数の作品に登場する。ほかにも、本作以外ではチョン・ユミ(『新感染 ファイナル・エクスプレス』『82年生まれ、キム・ジヨン』)、イ・ソンギュン(『パラサイト 半地下の家族』)らトップ俳優も欠かせない。多忙な彼らがほぼノーギャラ(と私は推測している)で出演し、だらしなくも憎めないキャラクターを喜々として演じている点にこそ、ホン・サンスに対する信頼の厚さがうかがえる。

 では映画によって浮かび上がる、韓国の伝統的な“あるべき男性像”とは、どのようなものだろうか。もちろん理想の男性像など、時代や教育、育った環境など、さまざまな背景によって人それぞれ異なるだろうし、それを安易に決めつけて一般化するべきではない。だが少なくとも、男性中心の儒教的伝統の中で語られ、形成されてきた韓国社会の“あるべき男性像”を浮かび上がらせることはできるだろう。

 韓国が依然として儒教の強い影響下にあることは、本コラムを通して何度も言及してきた。その核心は「王への忠誠、師匠への順応、親への孝行」といった、支配と服従の上下関係を固定化させることにある。それが家族や社会、国家の土台となったのはもちろん、そのヒエラルキーを維持するためのイデオロギーが形成される中で、韓国における“あるべき男性像”もまた構築されていった。

 父と息子から師匠と弟子、王と臣下へと拡張していく関係の中で、その倫理に従い実践することこそが正しく、立派だとされる。こうして男たちには、家長(社会や国家レベルにおいても)に服従しつつ、自らも家長の役割(家族や社会、国家のための犠牲とか献身といった)を果たすことが求められるようになったのだ。

 こうした根深い儒教的伝統のもと、韓国の“あるべき男性像”は、日常生活の中でより具体的な形をとって、幼い頃から叩き込まれていく。私は小さい頃、大人たちからよく「男が台所に入るとコチュ(おちんちんのこと)が落ちるよ」とか「人形なんかで遊ぶとケジベ(女の子を見下す表現)になるぞ」といった言葉を耳にタコができるほど聞かされてきた。これは「男(男性像)」を作り上げていく最初の段階ともいえるのだが、同時に「女(女性像)」を排除されるべきものとして対象化している点も見逃せない。つまり韓国では、男女の間に境界線を引き、「コチュが落ちる」といった去勢脅威に近いタブーを設け、もはや無意識的に「女」をその周辺に追い出すことで「男」を聖域化し、特権化してきたのだ。

 韓国人男性なら避けて通れない「軍隊」は、その集大成といえるだろう。韓国では「軍隊に行かないと、一人前の“人間”になれない」とよく言われる(だとすれば、女性は一人前の人間にさえなれないというのかと、反問したくなるフレーズであるが)。そして軍隊といえば、上下関係による命令と服従がすべての世界。その上下関係の中で「国家への忠誠」と「親への孝行」を繰り返し強調することで、それを遂行できる家長(=人間)を育てる場として軍隊は機能している。

 最近のフェミニズム運動に対して男たちが「女も軍隊に行け」と声を荒らげる様子は、韓国人男性にとって、「男」の聖域化と特権化の意識が「軍隊」という国家的制度によっていかに強化されているかを端的に物語っているわけだ。こうして韓国での男性像は、女性の対象化とともに作られてきたと言っても過言ではない。

 では、韓国人男性の“あるべき男性像”がいかなるものか、これまでコラムで取り上げた作品の中から具体例を見てみよう。『国際市場で逢いましょう』でファン・ジョンミンが演じたドクスは、家族のために自分を犠牲にしてひたすら働き、お金を稼いでいた。『ミナリ』では夫婦に意見の対立が生じつつも、スティーヴン・ユァン演じるジェイコブは家長としての責任と特権を担って家族の生き方を決定していた。あるいはウォン・ビンのカッコ良さが際立つ『アジョシ』で、彼が演じたテシクは、隣の家の少女を助けるために命を懸けて悪と戦った。日本でもドラマ化された『ミッドナイト・ランナーは、警察幹部候補生であるギジュンとヒヨルが、社会のために巨大犯罪組織に立ち向かう映画だった。彼らはそれぞれ、家族(ドクス、ジェイコブ)、社会(テシク)、国家(ギジュンとヒヨル)において「家長」の役割を果たす典型的な“あるべき男性像”といえるだろう。もちろん、彼らによって救われ守られる側の多くが女性であることは言うまでもない。

 こうして見てみると、『ハハハ』に登場する男たちが韓国映画に描かれるほかの男たちと比べていかに特異であるか、“あるべき男性像”からどれほどかけ離れているのかがよくわかる。映画の主人公ならば、最初はどんなに愚かであっても、ヒロインに恋することで、あるいは生きがいや守るべきものを見つけることで、ヒーローとしてのポジションを獲得することができる。だがホン・サンスは、そんなのは真っ赤なうそだと舌を出さんばかりに、男たちの「素顔」を余すところなくさらけ出すのだ。

 本作で、世間から見ればそれなりに立派な映画監督であるムンギョンは、人前で母に(おしりではなく)足のすねを叩かれて臆面もなく泣きだし、情けないくらいのマザコンぶりを発揮したかと思えば、ソンオク(ムン・ソリ)を追いかけ回して1日を過ごす。先輩のチュンシクもまた、鬱病を抱えているうえに不倫中で、愛人のヨンジュ(イェ・ジウォン)を休暇先に誘ったはいいものの、結婚を迫られてケンカになり、その直後には互いの愛を確認して甘えたりと、理性のかけらもない。挙げ句の果てには2人の関係を親族に暴露し、酔って大醜態をさらす。もう一人の男性キャラクターであるジョンホ(キム・ガンウ)は、詩人というロマンチックな肩書を利用して2人の女性キャラクターの間を巧みに行き来するが、そこに罪悪感は一切ない。

 そんな彼らには「家長」の役割など到底果たせそうにないし、彼ら自身にもそんな自覚などさらさらない。最も理想的な男として、韓国人の誰もが尊敬してやまない歴史上の人物イ・スンシン将軍が不自然な形で劇中に登場するのは、映画の男たちのだらしなさを際立たせるために計算された演出といえるだろう。

 本作に限らず、ホン・サンス映画におけるほとんどの男たちが「泣く・甘える・すねる」という行為で形作られている点は注目に値する。なぜなら、これらの行為こそが、聖域化・特権化された「男」にあってはならない非家父長的な特徴だからだ。韓国には「男が泣くのは一生に3回だけ。生まれたとき、親が亡くなったとき、国が滅びたときだ」という言い回しがある。男はたやすく涙を見せてはいけないということを、極めて儒教的に表したこの言葉を揶揄するかのように、ホン・サンスの男たちは事あるごとに泣く。それも、実にどうしようもないような理由で涙を流すのだ。

 では、そんなダメ男たちに対峙する女たちはどうだろうか。つい男たちのだらしなさに目がいきがちだが、そんな彼らを愛し、共にお酒を飲んでそのまま肉体関係に至る女たちもまた、やっぱり“あるべき女性像”からはかけ離れているといえるだろう。

 ムンギョンに追い回されるソンオクは、詩人ジョンホのイケメンぶりと海兵隊(精鋭たちの集う最も厳しく優秀な部隊)出身というたくましさにゾッコンだが、ムンギョンが空挺部隊(海兵隊と同じレベルの特殊部隊)出身と聞くや、ムンギョンともいい関係になる。チュンシクの不倫相手ヨンジュは、同棲や結婚を迫って彼を鬱々とさせることもあれば、「私を愛してるか」「私はかわいいか」と甘えては2人でバカップルぶりを見せつける。だが彼女は最終的にチュンシクのすべてをまるで母親のように優しく包み込む(このカップルのその後は『へウォンの恋愛日記』(13)にも描かれている)。

 そしてムンギョンの母親を演じるユン・ヨジョン。評判のふぐスープ屋を営む彼女は、息子からのプレゼントが気に入らずに客にあげ、常連客と毎日のように酒席を囲む。息子が偉そうに母の服装を注意すると、逆上して人目もはばからず息子を叩いて泣かせてしまう。かつては女好きの夫に困らされ、情けない息子の姿にため息をつきつつも、人情味のある母親を、ユン・ヨジョンは飄々と演じる。男たちと一緒にダメっぷりを披露し、彼らに辟易したり振り回されたりするが、最終的にそのままの彼らを受け入れる女たちの存在は、ホン・サンス映画において、実は何よりも重要で欠かせない存在なのだ。

 ホン・サンスのキャラクターたちは、「家父長制に反対」とか「男女は平等であるべきだ」といったリベラルな思想など、誰もまったく持ち合わせていない。彼らはごく普通に儒教的伝統に基づいた韓国の価値観を持ち、女に偉そうに振る舞ったり、たくましい男に憧れたりしている。ただ決して自分自身は理想的なイメージを実践できずに、くだらないおしゃべりを交わしながら毎日をそれなりに生き続ける。ダメだからこそ魅力的な人間たちの姿が、そこには確かに刻み込まれている。

 男にも女にもあるべき姿を押し付けがちな社会と、そこにどうしても追随してしまう映画界の中で、ホン・サンスの映画はそんなしがらみを軽々とはねのけて、キャラクターたちを解放する。今回のコラムでは、韓国における“あるべき男性像”をテーマに据えたが、社会が理想とする姿になりたくてもなれないのは、男も女も変わらないだろう。ホン・サンスは、理想と現実の間でじたばたする人間たちの本音を映画の中で代弁し、世間の押しつけがましい目など「ハハハ」と笑い飛ばせ、と私たち観客にも言ってくれているように思える。「家長」の役割など存在しないホン・サンス・ワールドは、大いなる人間賛歌であり、本当の意味での理想郷なのかもしれない。

大泉洋ら出演『焼肉ドラゴン』から学ぶ「在日コリアン」の歴史――“残酷な物語”に横たわる2つの事件とは

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『焼肉ドラゴン』

 つい先日行われた、アカデミー賞授賞式。前回のコラムで取り上げた『ミナリ』(リー・アイザック・チョン監督、2020年)で、韓国からアメリカにやってくるおばあさんを演じたユン・ヨジョンの助演女優賞受賞は、『ノマドランド』(21年)でクロエ・ジャオの監督賞受賞とともに、“アジア人女性の躍進”として日本でも大きく報道された。

 韓国でのお祭り騒ぎは言うまでもないが、ちょうど1年前を思い返してみると、『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督、19年)の受賞が大きな話題になった。この時は、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞と主要4部門で受賞したものの、出演者の受賞は『ミナリ』が初めて。その意味でも、ユン・ヨジョンの受賞は韓国に大きな喜びをもたらしたのである。

 『パラサイト』の出演者も受賞後にそれぞれ大躍進を果たし、新旧の出演作が注目を集めている。特に、物語に決定的な転換点をもたらす家政婦を演じたイ・ジョンウンが、かつて日本映画に出演したことは、もっと注目されていいだろう。ポン・ジュノ作品の常連俳優であり、本コラムで紹介した『明日へ』『哭声/コクソン』『タクシー運転手 約束は海を越えて』、そして『マルモイ ことばあつめ』にも出演している彼女は、韓国でも味のあるバイプレイヤーとして評価されている。彼女はまた、1960年代を舞台に在日コリアンの家族を描いた日本映画『焼肉ドラゴン』(鄭義信監督、18年)で一家のお母さんを演じていた。

 前回のコラム『ミナリ』で韓国という“祖国”を捨て、アメリカという“新天地”で生きようとする「移民」をテーマにしたことで、日本人にとってより身近に存在する朝鮮半島からの移民、いわゆる「在日」と呼ばれる人々についても目を向けたく、今回はこの『焼肉ドラゴン』を取り上げる。

 この作品は日本映画だが、日本人読者に向けて韓国の社会や歴史を紹介することを目的とした本コラムにおいて、「在日」というテーマは必要不可欠だろう。常に差別や偏見の対象となり、現在でもヘイトスピーチと闘いながらこの国で生きている彼らの背景を知ることで、在日に対する理解が少しでも進むことを願っている。

 『ミナリ』で取り上げたアメリカ移民「在米韓国人」に対して、日本にも大勢の「在日コリアン」が暮らしている。その呼び名は、それぞれの立場や信念、国籍などによって「在日朝鮮人」「在日韓国人」「在日コリアン」とさまざまだが、当コラムでは、韓国や朝鮮といった切り分けを乗り越えようと使われ始めた「在日コリアン」と表記する。だが一般的には「在日」と略して呼ばれることが多く、日本に住まう(=在日)外国人はほかにもたくさんいるにもかかわらず、「在日=在日コリアン」という等式が成り立っているのも確かだ。それはやはり、「帝国/植民地」という特殊な歴史的事情が絡んでいるからであろう。

 1910年の韓国併合から45年の日本の敗戦までの植民地時代、大勢の朝鮮人がさまざまな理由から海を渡って日本にやってきた。朝鮮総督府の土地調査により、住む場所を失った農民が日本に出稼ぎにやってきたり、労働者徴用の政策によって炭鉱や工場に送られたり、戦争末期には日本軍として徴兵されるなど、敗戦直後の時点でその数は約200万人にも上っていたという。そのうち約140万人は朝鮮に帰っていったのだが、日本に生活の根を下ろしていた人、帰る場所をなくした人、帰国船が出る場所までの交通費すら用意できずに帰る機会を逃した人まで、これまたあらゆる理由から、約60万人は日本にとどまることになった。さらに一度は帰国しても、その後の南北分断や朝鮮戦争といった混乱に巻き込まれて舞い戻った人々も含めて、戦後の「在日コリアン」が形成されていったのである。

 だが、日本に支配されていた時代から解放され、朝鮮の言葉や歴史など、民族教育を訴えつつ日本人と対等な立場に立とうとする朝鮮人たちを、日本政府は文字通り「厄介者」扱いした。47年に実施された「外国人登録令」は、対象となる約64万人の在日外国人のうち朝鮮人が60万人ほどを占めており、実質的には朝鮮人を日本社会から排除・管理するための法であった。

 その後、65年の日韓基本条約によって在日コリアンの日本居住が認められたものの、納税などの義務は日本人と同じく課される一方で、戦争被害に対する請求権の対象から外されたり、就職や教育における理不尽な差別に対する闘いを余儀なくされるなど、マイノリティーとして共存を模索しながら現在に至っている。

 今の日本人にとっては大差ないように見えるかもしれないが、一般的に、65年の日韓基本条約を境に、それ以前から日本に暮らしている朝鮮人はオールド・カマーの「在日コリアン」、それ以後に日本にやってきた朝鮮人はニュー・カマーの「移民」と分かれており、在日コリアンは私のような留学生から「一般永住者」になった移民とは明らかに異なる歴史的文脈を持っている。

 その意味では、『ミナリ』からの流れで『焼肉ドラゴン』を取り上げたとはいえ、在日コリアンは正確には「移民」ではない。では、在日コリアンの歴史的文脈とはどのようなものだろうか? 『焼肉ドラゴン』を手掛かりに見ていこう。

<物語>

 1969年、高度経済成長を達成し、大阪万博を控えた日本。大阪の空港近くの集落に小さな焼肉店「焼肉ドラゴン」があった。店を営むのは、太平洋戦争に動員され左腕を失った金龍吉(キム・サンホ)と、大混乱の満洲島から日本に逃げてきた高英順(イ・ジョンウン)。龍吉は静花(真木よう子)と梨花(井上真央)、英順は美花(桜庭ななみ)をそれぞれ連れて再婚し、2人の間には長男・時生(大江晋平)が生まれ、6人で暮らしている。

 幼い頃の事故で片足に障害を負った長女・静花は結婚を諦めているが、次女・梨花は李哲夫(大泉洋)との結婚を控えている。しかし、静花と哲夫は元恋人で、いまだに気持ちが残っていることを知る梨花は、哲夫とのケンカが絶えない。一方、クラブで働く三女・美花は妻帯者の長谷川(大谷良平)と不倫関係にあり、日本人の私立学校に通う末っ子・時生は、いじめが原因で失語症になってしまった。

 決して平穏とは言えないものの、仲間や常連客たちと一緒に、明るく生きてきた一家。そんなある日、大きな悲しみが彼らを襲う。いじめや不登校が重なって留年した時生に、龍吉が負けずに学校に通うよう言い聞かせたところ、絶望した時生は橋の上から飛び降り自殺を遂げたのだ。さらに、“日本人から買った家”に住んでいるという龍吉の主張が役所に受け入れられず、立ち退きを余儀なくされ、店まで取り壊されることに。そして大阪万博から1年、それぞれが人生の選択をした家族は散り散りになりながらも、希望を胸に長年暮らした場所を後にするのだった。

 本作を手がけた鄭義信(チョン・ウィシン)監督は、劇団「新宿梁山泊」の主宰者として演劇界では名高い存在だが、映画では主に脚本家として活躍してきた。もともと戯曲として書かれた『焼肉ドラゴン』は、2008年に日韓共同で舞台上演されて高く評価されると、その後も再演を重ねた鄭監督の代表作。その映画化に際し、初めて映画監督を務める流れとなったのだ。

 人気俳優らが集い、在日コリアンの一家のしたたかな生きざまを時にコミカルに、時にシリアスに描いた本作は、一見普遍的なホームドラマのようにも見えるが、一歩踏み込んでみれば、そこには激動の歴史が横たわっていることがわかる。とりわけ、穏やかで優しい父親・龍吉が淡々と語る、家族の背景にある2つの事件「帰国船の沈没」と「済州島の虐殺」から、在日コリアンの過酷な物語をひもといてみよう。

 作中の言葉を借りるならば、日本に来てひたすら「働いて働いて」生きてきた龍吉は、戦争が終わり朝鮮半島に引き揚げようとしたものの、梨花が風邪をひいて船を一便遅らせたところ、前の便が沈没したため帰れなくなり、財産もすべて失ったと語る。当時、機雷や強風、高波による帰国船の沈没事故は度々発生しており、特に不思議ではないのだが、中でも最も悲劇的だったのが、45年8月24日に起こった「浮島丸事件」だった。大勢の朝鮮人労働者を乗せて青森を出港し釜山に向かっていた浮島丸は、米軍が海底に敷設した機雷と接触して爆発、沈没して朝鮮人524人と日本人船員25人が犠牲になったとされるものだ。

 だが韓国側は、日本政府がこの事件を隠蔽、矮小化したとして、実際は「自爆による沈没」とか、「犠牲者は5,000人以上に上る」と主張しており、事件から75年以上がたった今でも、日韓で大きな食い違いを見せている。船体は54年に引き揚げられ、沈没した舞鶴の港などには慰霊碑が建てられて、毎年追悼式も行われている一方で、日本に安置されている遺骨の返還問題も未解決のまま残り、生存者の高齢化や死亡が進むなか、真相究明は今後ますます難しくなるに違いない。

 最近では、市民団体が「浮島丸の沈没は朝鮮人虐殺だ」と世界に向けて発信する計画が浮上するなど、事件の見直しを求める動きも活発化。龍吉が乗ろうとした船が「浮島丸」だったかどうかは語られていないが、少なくとも、在日コリアンが生まれた要因のひとつに「度重なる帰国船の沈没」があったことは確かである。

 もうひとつの「済州島の虐殺」とは、韓国人なら誰でも知っている韓国現代史最大の悲劇「済州島四・三事件」を指している。植民地から解放された後、朝鮮戦争に至るまでの間の朝鮮半島がどのような状況下にあったのか、日本ではあまり知られていないかもしれない。

 日本という支配者が退場した後、今度はアメリカと旧ソ連の軍政が敷かれ、南の李承晩(イ・スンマン)と北の金日成(キム・イルソン)が米ソの力を背景に基盤を固め、激しく対立する日々が続いていた。朝鮮民族による新生独立国家を作るという夢は次第に遠のいたのだが、その夢がまだ残っていた済州島では、島民たちが反共を掲げる李承晩によって「アカ」と見なされ弾圧の対象にされていった。

 48年にアメリカ主導で新政府が樹立されると、済州島では島内で対立を深めていた左派と右派のうち、左派による武装蜂起が起こり、57年に最後の武装隊員が逮捕されて事件が終結するまで、その鎮圧の過程で実に多くの民間人が「アカ」とされ殺されたのである。全貌はいまだわかっていないが、韓国政府の記録によれば少なくとも2万5,000~3万人が犠牲になり、実際にはその倍以上が虐殺されたともいわれる。

 済州島で親や兄弟、親戚がみな殺され、村が丸ごと焼かれたと龍吉が語るように、想像を絶する残酷な虐殺が行われた結果、彼は帰る故郷まで失ってしまったのだ。もともと朝鮮半島内での差別や貧困に苦しんできた済州島民たちは、植民地時代から日本に渡ってくる人の数が多く、とりわけ22年に定期連絡船「君代丸」が就航して以降、済州島〜大阪間の渡航が急増したこともあって、大阪には済州島出身の在日コリアンが多いといわれてきた。それが「四・三事件」によって虐殺の恐怖と混乱に陥ったことで、美花を連れて逃げてきた英順のように、島民たちは安全な場所を求めて再び日本にやって来たのである。

 ちなみに、この事件の犠牲者や遺族の名誉回復と真相究明のための「済州4・3特別法」が2000年に韓国で成立し、03年には当時の廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が初めて国家暴力を認め、犠牲者に対して正式に謝罪をしている。

 龍吉家族のしたたかさは、こうした悲しく残酷な歴史に屈せず生き延びてきた生命力そのものであったかもしれない。そして、「韓国には帰れない、帰らない」という強い意志ゆえに、龍吉は息子の時生にも、いじめに屈しない強さを求めてしまったのだろう。「焼肉ドラゴン」閉店後、家族は帰国船に乗って北朝鮮を目指したり、韓国に渡ったり、日本に残ったりと、それぞれの道を歩み始める。それはもちろん、自らの居場所を求めた選択の結果であるが、朝鮮半島から生まれたコリアン・ディアスポラが、さらに在日ディアスポラへと展開していくさまを見ていると、歴史に翻弄されること、その計り知れない運命の重みを感じずにはいられない。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

アカデミー賞6部門ノミネート『ミナリ』から学ぶ、韓国と移民の歴史――主人公が「韓国では暮らせなかった」事情とは何か?

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ミナリ』

 『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督、2019年)がアカデミー賞を受賞し、スタッフとキャストがチョンワデ(大統領官邸)に招待され、みんなでチャパグリ(劇中に登場する食べ物)を食してからちょうど1年。歴史上、いまだにノーベル賞の受賞者が金大中のみ(2000年、平和賞)である韓国で、メディアが「ノーベル賞を一度に4つもらったのと同様」と騒ぎ立てたように、『パラサイト』をめぐる顛末はそれほど非現実的なことであり、もう二度と見られないであろう光景のはずだった。

 ところが今年度のアカデミー賞ノミネート作品が発表されると、韓国は再び「興奮のるつぼ」と化した。各地の映画祭で高い評価を得てきた『ミナリ』(リー・アイザック・チョン監督、20)が、作品賞や監督賞をはじめ、6部門にノミネートされたのだ。とりわけ、おばあさん役のユン・ヨジョンは本作ですでに、全米映画俳優組合賞を含む30以上の助演女優賞を受賞しており、アカデミー賞受賞の可能性が最も高いとされている。

 正確に言うと『ミナリ』は「韓国映画」ではない。ブラッド・ピットが代表を務める製作会社・プランBエンターテインメントなどによって作られた「アメリカ映画」である。だが、監督やメインキャストは韓国系であり、タイトル『ミナリ(미나리=セリ)』も含め、セリフの8割以上が韓国語であることから、「韓国映画ともいえる」と韓国では認識されており、「2年連続の韓国映画の快挙」だと喜んでいるのだ。そこには、名誉なことであればすべて「ウリ(우리=我々)」を主語に語りたがる韓国人の特性も垣間見られるのだが、いずれにしても、韓国人にとって本作が「どこか別の国の物語」ではなく、「自身の物語」として感情移入できる作品ということは確かである。

 今回のコラムでは、アカデミー賞の結果に期待しつつ『ミナリ』を取り上げ、韓国人のアメリカ移民の歴史や、移民を通して見えてくる韓国について考えてみたい。というのも、本作が描いている「アメリカに移民した韓国人家族」は、決して珍しい存在ではなく、韓国では朝鮮戦争後から現在に至るまで、アメリカに移民する者、移民したいと願う者が後を絶たないからだ。劇中で家族が移民した背景は詳しく語られないものの、単に「他国に移住する」だけでなく「祖国を捨てる」意味合いを持つ「移民」は、韓国社会の暗部を浮かび上がらせる存在であるともいえる。

<物語>

 舞台は1980年代のアメリカ。韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユアン)は、家族を連れてアーカンソー州の田舎に引っ越してくる。妻のモニカ(ハン・イェリ)とヒヨコ鑑定の仕事に従事しつつ、長年の夢である農場作りを実現するためだ。妻は、心臓に病気を抱える息子デビッド(アラン・キム)や長女のアン(ノエル・ケイト・チョー)ら、家族を顧みずに夢ばかり追う夫に不満を爆発させ、新しいすみかとなったトレーラーの中では夫婦げんかが絶えない。

 そこで彼らは、韓国からモニカの母親・スンジャ(ユン・ヨジョン)をアメリカに呼び寄せ、一緒に暮らすことにする。唐辛子の粉や漢方薬、ミナリの種をカバンいっぱいに詰め込んでやって来たスンジャは、「ザ・韓国のおばあちゃん」。花札に興じて奇声を上げる祖母・スンジャの姿に、デビッドは自身が思い描いてきた「グランマ」とのギャップを感じつつも、徐々に心を開いていく。一方、ジェイコブはなんとか農場を成功させようと必死で仕事に励むのだが……。

 監督自らの経験を元に、多大な苦労を重ねながら、アメリカの片田舎に定着を試みる韓国系移民の家族を描いた本作は、その過程で浮かび上がる普遍的な家族愛や、家族の絆が広く共感を呼んだといえる。チョン監督も「これは移民ではなく家族の物語」と語っており、映画の主題が「移民」ではなく「家族」に重きを置いていることも確かだ。だがやはり、本作が世界最大の移民大国であるアメリカで特に評価されたのは、偶然ではないだろう。多くのアメリカ人は、自分や自分の家族がかつて移民として経験した苦楽をこの韓国系家族に重ね合わせ、同じ移民としての自分たちのルーツに思いをはせたはずだ。

 アメリカにやって来た理由について、劇中でジェイコブは「韓国では暮らせなかった」とつぶやくのみだったが、そこにはどのような過去が見え隠れしているだろうか? それを探るために、韓国におけるアメリカ移民の歴史と、その変遷をたどってみよう。

韓国移民の始まりと、“冷ややかな目”で見られた歴史

 韓国政府の記録によれば、朝鮮の植民地化を狙って日本の侵略が高まっていた1903年に、ハワイのサトウキビ農場に労働者として移住したのが最初の移民とされている。当時の朝鮮人たちが、日本からの弾圧や経済的な貧困を理由に満州や日本に移住した歴史は、以前のコラム『ミッドナイト・ランナー』で「コリアン・ディアスポラ」として紹介したが、中にはアメリカに渡った人々もいたのだ。

 こうして始まったアメリカへの移民は、途絶えることなく第二次世界大戦後まで続き、とりわけ朝鮮戦争後から60年代にかけては、米兵と結婚してアメリカに渡る女性たちが後を絶たなかった。当時、米兵となんらかの「接点」を持ち得たのは、米兵相手の「ヤンゴンジュ(韓国人売春婦)」だけだという認識がまん延しており、周囲からは常に冷ややかな目で見られ、後ろ指をさされていたので、どのような立場であれ、米兵と結婚した女性はアメリカに渡るのが最善だったのである。米兵との結婚が今でもあまりよく思われないのは、そういった偏見や差別意識がまだ残っているからかもしれない。

 70年代に入ると、アメリカに渡るのは、人材養成のために国が選抜した国費留学生や、会社から派遣される駐在員が中心になっていく。彼らは正確には「移民」とは言えないものの、その多くがアメリカでの定着を選んだために、政府の記録上は移民として分類される。韓国からすれば人材の流出にあたるが、当時の韓国が朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事独裁の頂点であったことを考えると、韓国にはありえない「自由」をアメリカに求めた彼らの気持ちは十分に理解できる。

 そして、この時代にアメリカに渡ったのが優秀な「選ばれし者」だったことから、「アメリカに行くこと」に対する羨望のまなざしが生じ、その後も長きにわたって続いていく。海外旅行が自由ではなかった時代、国外に出ることはある意味「特権」でもあったのだ。

 そして80年代、「アメリカン・ドリーム」が本格化し、アメリカへの移民が絶頂期を迎えたのがこの時代。本作の時代的背景もまさにこの時期にあたるが、それを象徴するのがジェイコブ夫婦の仕事「ヒヨコ鑑定」であった。韓国では80年代、「ヒヨコ鑑定士」という資格が人気を博し、ヒヨコがオスかメスかを鑑定するスピードと正確さを競い合う大会も開かれ、優勝者は新聞等で大きく取り上げられた(ちなみに、鑑定されたヒヨコは、卵を産むメスのみが選別され、役に立たないオスはそのまま廃棄される)。いささか滑稽にも見えるこの資格がこれほどまでに人気だったのは、「アメリカ移民の近道」として大々的に宣伝されたからにほかならない。小さな手と器用さ、正確さ、真面目さが必要とされるヒヨコの性別鑑定には、大柄なアメリカ人よりもアジア系のほうが適格だったようで、韓国人はそこに目を付けたのだ。

 当時、私の知り合いにもヒヨコ鑑定士になってアメリカに渡った人がいた。彼女は高校卒業後、大学に進学せず鑑定士の資格を取り、アメリカの養鶏場に就職するため海を渡ったのだが、軽度の知的障害を抱えた彼女は恐るべき集中力の持ち主で、現地でとても成功したらしい。後から彼女の「稼ぎがいい」という噂を聞いた私の母が、姉に向かって「あなたも資格を取っておけばよかった」と悔しそうに言ったのをよく覚えている。

 私の両親もまさにそうだったのだが、当時の韓国には、「アメリカという国は、このまま韓国にいたら決してありえないような成功を実現してくれる美しい国」というイメージがあったのだ。実際、韓国語ではアメリカを「美国(미국)」と書き表す。ちなみに、1987年の民主化宣言によって海外旅行が自由化されると、就職移民のみならず不法滞在が急増する事態を生んだ。不法滞在移民は、偽装結婚して永住権を得たのちに離婚し、韓国にいる家族をアメリカに呼び寄せるというパターンが最も多いが、このあたりの事情は、アン・ソンギが主演した『ディープ・ブルー・ナイト』(ペ・チャンホ監督、85)に詳しいので、機会があればぜひご覧いただきたい。

 だが80年代のアメリカ移民は、単にアメリカン・ドリームに浮かれていただけではない。80年代はまた、79年の朴正煕暗殺後に台頭してきた全斗煥(チョン・ドファン)率いる新軍部による、軍事独裁継続の時代であったことも忘れてはならない。80年に起こった光州事件は、実際に多くの韓国人が「韓国を捨てる」要因ともなったし、今現在、光州事件で犠牲を被った証言者の中には、アメリカやカナダへの移民が少なくないのだ。もちろん、ジェイコブのセリフから彼の事情を特定することはできないが、彼らが軍事独裁から逃れてアメリカにやって来たという可能性は十分に考えられる。

 90年代以降は現在に至るまで、アメリカに移民してすぐに事業を始められるくらいの財産を持った「投資移民」が中心を占めるようになった。だがここで一つ疑問が生じる。軍事独裁が終わって民主化が実現し、これまでのように激動の歴史に振り回されることはなくなった今、韓国に住み続けてもなんら心配はないはずなのに、なぜ移民はやまないのだろうか? 

 数年前に韓国のテレビショッピングで「カナダへの投資移民」を紹介したところ、問い合わせが殺到して大きな話題となったが、チャンスがあれば韓国を離れたいという意識が根強いのはなぜか? なぜ住み慣れた韓国を捨て、未知の場所を目指すのか? この単純な疑問は、移民という現象が身近ではない日本人観客にも共有できるものではないかと思う。

 この疑問を考える一つの例として、「遠征出産」なるものを紹介しよう。これは、本作での「ヒヨコ鑑定士」のような就職移民とは異なる。出生地主義を掲げるアメリカの特性をうまく利用し、臨月ギリギリの妊婦たちが団体でアメリカに赴き、そこで出産をすることで、アメリカで生まれた子どもに市民権が与えられるという戦略だ。そこまでして子どもにアメリカ国籍を持たせようとする韓国人の頭にあったのは、「兵役」という義務である。

 よく知られているように、韓国人男子には「兵役」の義務があり、私の時代は3年間、今でも1年6カ月という兵役が課せられる。だが韓国とアメリカの二重国籍を持っていれば、兵役前にアメリカ国籍を選択することで、この義務から逃れることができるというからくりだ。どうにかして我が子を軍隊に行かせず、もっと楽な人生を送らせてあげたいという親心が生み出した技だともいえるが、よその息子の兵役逃れは「許せない」と憤る人も多い。こうした点は、ゆがんだ韓国ナショナリズムの興味深い部分でもある。

 2002年、当時韓国で人気を誇っていたユ・スンジュンというミュージシャンが、散々兵役を遅らせた挙句、「アメリカでかなえたい夢がある」という理由で韓国国籍を捨て、アメリカ国籍を選んだというニュースが韓国を駆け巡った。彼が遠征出産の申し子であるかは別として、二重国籍を有していた彼が兵役逃れのためにアメリカ国籍を選んだことは明らかであり、国中の大バッシングに発展し、政府は彼に入国禁止を言い渡すまでに至った。あれほど人気者だったミュージシャンが、二度と韓国で活躍する姿は見られなかったばかりか、その後に法律まで変わり、今では二重国籍による兵役逃れができない仕組みになっている。

 兵役をめぐる問題は、移民が絶えない例として具体的でわかりやすいものだが、儒教的な縦社会である韓国においては、少しでも人より上に立つことが「より良い人生を保証する」と示しており、その最も明確な方法が「アメリカ移民」という選択だったのは間違いない。現地で実際に成功を収めるかどうかにかかわらず、アメリカに行くこと自体が一種の「身分の上昇」を意味していたからである。

 韓国ドラマや映画の中で、在米韓国人が常に“憧れの対象”として描かれてきたのも、そうした韓国社会を反映したものである(なお、ジェイコブを演じたスティーヴン・ユアンの出演作『バーニング 劇場版』<イ・チャンドン監督、18>を取り上げたコラムでも解説している)。うまく言い表せないが、韓国人のアメリカ移民の背景には、歴史や軍隊の制度だけでは片づけられない、根深い「韓国的な事情」が潜んでいるのである。

 最後に、私の大好きな詩人ファン・ジウが1983年に発表した「鳥たちもこの地を去って飛んでいく」という作品を紹介して終わりにしよう。

 軍事政権下での韓国では、映画館で本編が始まる前に必ず国歌が流れ、観客は起立してスクリーンに映る韓国国内の観光名所の映像を見なければならなかった。その映像は、鳥たちが空に向かって飛び立つ場面で終わり、それと同時に観客たちは席に着いて映画の始まりを待ったのだが、飛び立つ鳥と反対に席に座る観客の様子を、この詩人は「独裁から逃れてこの地を去りたいのに、とどまり続けることしかできない現実」の風刺として表現したのである。韓国で現在まで続くアメリカ移民の現象は、長く続いたつらい歴史が無意識に抑圧され、韓国を離れたい欲望として表れているといえるかもしれない。

 「ミナリはどこにでもよく育つ」というおばあさんの言葉通り、一度移民をしてしまえば、どうにかこうにか、韓国での暮らしよりはマシな人生が待っている――韓国人は、今でもそう信じているのではないだろうか。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

ウォン・ビン主演『アジョシ』から見る、新たな「韓国」の側面とは? 「テコンドー」と“作られた伝統”の歴史

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『アジョシ』

 ブルース・リーとジャッキー・チェンが闘ったら、どちらが勝つだろうか――。

 韓国では、こんな愚問に子どもたちが必死に答えを出そうとした時代があった。1970~80年代、私も含め、特に男の子たちがこの議論で熱くなり、その当時、中高生だった彼らは、現在アラフィフの「アジョシ(おじさん)」になった。当時の子どもたちにとってアクション映画といえば、なんといっても香港のカンフー映画が一番。日本映画はそもそも輸入禁止で、“闇”で見られるとはいえ本数が少なかったし、ヨーロッパ映画は芸術性の高い「アート映画」ばかりでアクションとはほど遠く、肝心の韓国映画は「つまらない」が常識だった、そんな時代――エンターテインメントとして映画の「面白さ」を教えてくれたのは、香港やハリウッドからのジャンル映画。なかでも、鍛えられた体で強く格好良く、ときにはコミカルに敵を懲らしめるカンフー映画が、断然人気だったのだ。その中心にはもちろん、ブルース・リーとジャッキー・チェンという、世界的な大スターがいた。

 2人のカンフー映画は、学校が休みの日にテレビでもよく放送されたので、映画館に行かなくても十分に楽しめた。翌日になると学校や公園には、ヌンチャクを振り回しながら「アチョー!」と叫ぶ子や、息を一瞬止めて酒に酔ったかのように顔を赤くし、酔拳のマネをする子がたくさんいた。しかし、こうした“カンフーごっこ”は事故につながることもあったので、学校では朝礼の時間に校長先生が「ヌンチャク禁止」や「カンフーのマネ禁止」と、たびたび声を荒らげた。それでも私たちは、「ブルース派」と「ジャッキー派」に分かれてどちらが強いかを言い争ったり、彼らの得意技や必殺技を練習して、派閥同士で決着をつけるようなこともあった。

 ブルース・リーが夭折し、その後を継ぐような形でジャッキー・チェンが現れたのだから、「どちらが強いか」を言い争ってもまったく意味がないにもかかわらず、私たちは熱くなり、憧れのヒーローとして2人を支持していた。一方、このカンフー人気に便乗して、当時、韓国には偽者のブルース・リーやジャッキー・チェンが次々と出現。具体的に思い出すことはできないが、彼らはそろって名前に「龍」を付けていたのは覚えている。日本と違って韓国では、香港の俳優を漢字で表記し、韓国語読みするのが一般的だったため、ブルース・リーは「イ・ソリョン(李小龍)」、ジャッキー・チェンは「ソン・リョン(成龍)」と呼ばれ、偽者たちもこれにちなんで名前に「リョン(龍)」を入れたのである。偽者たちが出演した韓国製「カンフー映画」も多く作られた。

 さて、前置きが長くなってしまったが、今回はウォン・ビン主演の大ヒットアクション映画『アジョシ』(イ・ジョンボム監督、2010)を取り上げる。韓国アクションの新しい可能性を切り開き、長年、香港映画に「武術」アクションを託してきた韓国映画のターニング・ポイントとも評される本作を通して、韓国における武術や、武術鍛錬の場としての軍隊について考えてみたい。映画の内容と直接関係ない話題になるが、これまでとは違った側面から、また新たな「韓国」が見えてくるだろう。

<物語>

 質屋を営みながら孤独に暮らすテシク(ウォン・ビン)。そこにやってくるのは、客と隣の家の幼い少女・ソミ(キム・セロン)だけだ。家でも学校でも1人で過ごす時間が多いソミは、テシクを「アジョシ(おじさん)」と呼んで慕い、テシクもソミに心を開いていく。そんなある日、ソミは麻薬事件に関与した母親と共に拉致され、どこかへ連れ去られてしまう。テシクはソミ親子を助けるため、拉致犯たちに言われるがままに麻薬を運ぶ。

 だが、ソミの母親はすでに残酷な方法で殺されており、犯人たちが凶暴な臓器密売の組織であることを知ったテシクは、必死にソミの行方を探して走り回る。一方、一連の事件との関係を疑ってテシクを追っていた警察は、ヴェールに包まれていた彼の過去にたどり着く。テシクはある極秘任務の報復で家族を失い、そのショックで退役した特殊工作部隊の最精鋭要員だったのだ。作戦で敵を制圧するがごとく、ソミの母親を殺した犯人たちを次々と排除し、ついに臓器密売組織のアジトに乗り込むテシク。ソミを救うため、命を懸けた彼の最後の戦いが始まる。

 冒頭で述べたように、「アジョシ」とは「おじさん」のことである。「おじさんが少女を助ける」物語といえば、『レオン』(リュック・ベッソン監督、1994)や『マイ・ボディガード』(トニー・スコット監督、04)などですでに使い古されたテーマになっているためか、イ・ジョンボム監督は「新しいアクション、簡潔かつ実戦的であり、効果的な武術を見せたかった」と、アクションに重きを置いたというような発言をしていた。実際、本作のテシクは、「特殊工作部隊」出身らしく全身を武器のように使いながら、これまで目にしたことのないシンプルで素早い技を駆使して犯人たちを殺めていく。

 ここで、“これまで目にしたことのない”テシクの武術を考えるために、韓国における武術の歴史をたどってみよう。

 韓国の武術といえば、オリンピック競技にもなっているテコンドーがよく知られている。日本人のメダリストたちも皆、韓国で鍛錬を積んでおり、“テコンドー=韓国”というイメージは、日本でも浸透しているのではないだろうか。確かに軍隊でもテコンドーを訓練の一つとして取り入れてはいるが、れっきとした「スポーツ」であるテコンドーは、常に生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている特殊工作部隊にとって、実際はたいして役に立たないものだ。

 例えば、テコンドーには足を使う技が多く、「足をどれだけ高く上げられるか」といった技も重要だったりするが、軍隊において足をムダに高く上げると相手に隙を見せることになり、足を上げている間にやられてしまいかねない。したがって軍隊では、敵の股間を狙うように訓練するのだ。そして軍隊でのテコンドーは、あくまでも敵とばったり遭遇し、銃などの武器を使う余裕がない状況を想定しているため、実戦でどれだけ役に立つかは疑わしい。本作で、あっという間に相手の息の根を止めるテシクの技術とテコンドーは、根本的に異なるものだと考えられる。

 もう一つ付け加えるならば、あたかも韓国の「伝統的な」武術であるようにいわれるテコンドーだが、実は伝統でもなんでもなく、1950年代になって伝統武術として「作り上げられた」ものだ。日本の植民地からの独立を果たし、民族意識の回復が叫ばれるなかで、古くから朝鮮半島に存在し、受け継がれてきた伝統武術として堂々と宣伝できるものが必要になったときに、テコンドーは誕生した。

 今では、「テコンドーは中国の武術や日本の空手から大きな影響を受けて創始された現代のスポーツ」というのが定説にはなっているが(しかし、公には認められていない)、「テコンドーという伝統を共有する民族」というナショナリズム形成のために、新しく作られた伝統だったといえるのだ。もちろん、その誕生にまつわる歴史が後から付け加えられ、作られたものだとしても、テコンドーがその後急速に普及し、韓国発の競技として、今ではオリンピック種目になっていること自体が素晴らしいというのは言うまでもない。

 ただし、韓国に伝統武術がまったくなかったわけではない。ユネスコの文化遺産に登録されている「テッキョン(택견)」という、踊りのような武術も存在する。だが、その歴史的記録は断続的かつ曖昧で、百姓たちが楽しむ様子を描いた風俗画が残っている程度。何よりも殺傷には向かない動きで、テシクの技術として取り込むにはふさわしくないだろう。

 こう考えると『アジョシ』は、軍隊を持つ韓国ならではの実戦的なアクションで、「アクション映画」というジャンルに新境地をもたらしたことは確かでも、その基盤となる動きは、必ずしも韓国武術から考えられたものではない、ということになる。実際監督は「フィリピンなど、東南アジアの武術を参考に、コンパクトでスピーディーなものを作り上げた」と語っており、本作では、かつて韓国で一世を風靡したカンフーでも、韓国で普及しているテコンドーや空手でもない、ほとんど知られていない武術を集めることで、これまでにない新鮮なアクションを新たに作り上げたといえる。テシクが繰り出す「特殊技術」というものは、実際には誰も知る由のないものだからこそ、見る者の想像力を膨らませながら「特殊工作部隊」の鍛錬として、リアリティを持ち得たのだろう。

 伝統的な武術を持たない韓国ではあるが、こうして香港のカンフーや日本のチャンバラに匹敵するような、韓国独自の武術アクションを、「特殊工作部隊」という軍隊を背景にして生み出すことに成功した。韓国ドラマ『熱血司祭』(19)では、元特殊部隊出身の神父が、テシクのような技を駆使していると話題になったことも。韓国発となったこの新しいアクションが、今後どのように展開していくか、今から楽しみでならない。

 最後に、再び話題はカンフーに戻る。香港カンフーの薫陶を受けた私には、どうしても気になる映画がある。ポン・ジュノ監督の『母なる証明』(09)だ。この映画のラストで、母親は太腿にある「忘却のツボ」に鍼を打つ。なぜ忘却する必要があるかはネタバレになるので控えるが、私はかつて、あるカンフー映画のラストシーンで、これとそっくりな場面を見た記憶があるのだ。

 敵に恋人を殺された主人公がその悲しみを忘れるために、カンフーの技で忘却のツボを押す……という場面を、私と同じ世代であるポン・ジュノ監督も、また見ていたのだろうか。だとすると、彼は「ブルース派」と「ジャッキー」派どちらだったのか――いつか確かめてみたい、というのが私の秘かな願望である。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国映画が描かないタブー「孤児輸出」の実態――『冬の小鳥』 では言及されなかった「養子縁組」をめぐる問題

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『冬の小鳥』 

 画面に顔が映らない父親に向かって、微笑みかける幼い少女。やがて少女は孤児院に預けられ、父親が迎えに来ると信じながらも、少しずつ現実を受け入れていく。少女の目線から描かれる孤児たちの世界、大人たちの偽善、変わっていく日常……。

 映画『誰も知らない』(是枝裕和監督、2004年)が、大人の犯罪を告発するのではなく、誰の目にも留まらない“子どもたちだけの世界”として描いたように、今回取り上げる『冬の小鳥』(09年)もまた、余分な説明を一切排除し、主人公の少女の視点から、彼女の知識の範囲内で物事が見つめられていく。 
 
 それは恐らく、韓国とフランス名を併せ持つウニー・ルコント監督が、自らの幼少時代を振り返って映画化した作品であることも影響しているだろう。映画の細部に注意を払ってみると、笑みを絶やさず施設を訪れる欧米人の夫婦や、なんとか彼らに気に入られようと英語を覚える少女、韓国人家庭のもとに家政婦同然で引き取られていく足の不自由な少女といったように、養子縁組をめぐる韓国特有の事情が確かに描かれている。 
 
 朝鮮戦争後から現在に至るまで、韓国に付きまとって離れない汚名がある。それは、20世紀最大の「孤児輸出国」という、極めて不名誉なものだ。国の貧しさゆえに保護する余裕のなかった戦争孤児を、養子としてアメリカに送ることから始まったこの汚名は、経済的にはだいぶ豊かになった今でも払拭できないままだ。韓国がいまだに孤児を海外に送らなければならない背景には、一体何があるのだろうか?
 
 今回のコラムでは、映画ではあえて言及されなかった、「韓国における養子縁組」というテーマに踏み込んで本作を考えてみたい。そこには、日本とは異なる「家族」の価値観が浮かび上がってくるはずだ。

<物語> 

 1975年、9歳のジニ(キム・セロン)は父親(ソル・ギョング)に連れられ、ソウル郊外にあるカトリックの児童養護施設にやってくる。孤児たちが集まるその場所に、父親はジニを預け、無言のまま帰ってしまう。去っていく父親の後ろ姿を不安そうに見つめていたジニは、何日たっても“捨てられた”という現実が受け入れられず、周りの人に反発を繰り返す。そんなジニを年上のスッキ(パク・ドヨン)は気にかけ、ジニも少しずつスッキに心を開いていく。 
 
 一方、子どもたちを養子として引き取るため、施設には時々アメリカ人夫婦が訪れる。だが、養子になるには大勢の子どもたちの中から選ばれなければならない。気が乗らないジニに対して、スッキは1日でも早く引き取られようと必死に英語を勉強し、アメリカ人の前では余計に明るく振る舞ったりする。その努力は功を奏し、ついにスッキはアメリカ人夫婦の養子として迎えられる。頼もしかったスッキに去られ、残されたジニは再び周囲に反抗的になっていくが、ある日、ジニにも養子の話が舞い込んでくる。行き先は、幼い少女にとってはあまりにも遠いフランスだった。
 
 ジニを演じるキム・セロンの類いまれな演技に驚かされる本作は、『バーニング 劇場版』(18)や『ペパーミント・キャンディー』(1999)の監督であるイ・チャンドン氏がプロデューサーを務めている。フランスの映画祭に赴いた際に、フランスの国立映画学校を卒業したウニー監督と出会い、9歳でフランス人に養子として引き取られた経験に基づく彼女の脚本を読んだイ氏は、すぐに「映画化すべきだ」と製作者に名を連ねたという。日本では是枝監督が若手の育成に力を注いでいるが、韓国ではイ氏が同じような志を持った作り手といえよう。 
 
 彼のもとからは、本作のウニー監督をはじめ、『私の少女』(14)のチョン・ジュリ、本コラムでも取り上げた『君の誕生日』(18)のイ・ジョンオンら、特に女性監督が次々と育っているのも素晴らしい。男尊女卑の甚だしい韓国社会を、女性のまなざしから掘り下げ、問題を提示する彼女たちの作品が、韓国映画の多様性を担っていることはいうまでもない。本作は日本でも、良質な作品選定に定評があり、女性監督を積極的に紹介してきた、東京千代田区にある「岩波ホール」で公開され、注目を浴びていた。 
 
 ただ、韓国では作品自体は高く評価されたものの、興行的には成功とはいえない結果だった。莫大な製作費をかけた商業的な大作がスクリーンを占領する韓国映画界の配給システムの中で、イ氏が製作に関わっているとはいえ、本作のような低予算のインディーズ映画が観客の目に触れる機会は絶対的に少ない。

 だがそれ以上に気になったのは、評論家や観客のレビュー。「悲しみを乗り越えていく少女の涙の感動作」とか、「新しい人生へ旅立つ少女の物語」といった感傷的な内容ばかりで、なぜ幼い子どもたちが捨てられ、しかも海外にばかり養子に行くのかという、作品の根底を成す問題に目を向ける人はほとんどいなかったのだ。 

 近年では、あらゆる社会問題を映画化している韓国でも、「養子縁組」「孤児輸出」といったテーマは、映画においてはいまだタブーである感は否めない。私の知る限りでは、スウェーデンに養子として引き取られ、虐待や人種差別に苦しんだ挙げ句、韓国に帰国した女性の人生を描いた『スーザン・ブリンクのアリラン』(チャン・ギルス監督、91)くらいのものだ。

 養子に行った当事者が作り手となって、ドキュメンタリーや自主製作映画を発表することはあっても、メジャーな商業映画のテーマとして取り上げられることはない。 映画にも取り上げられないほどの無関心、「孤児は海外に引き取られるべき」という認識がまかり通っている現実。

 その理由を探すためには「孤児輸出」の歴史をたどらなければならない。

 
 先述したように、孤児たちを養子として海外に送り始めたのは、朝鮮戦争の直後からである。中でも、韓国で海外養子縁組を斡旋する団体として現在も活動している「ホルト児童福祉会」の設立者、ハリー・ホルトが、1955年に8人の戦争孤児を引き取ったのが始まりだとされている。彼は戦後、街にあふれる孤児たちを韓国政府の代わりに救済したわけだが、次第にそれは一つの「産業」に変わっていった。

 その産業化を決定づけたのは、朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権である。61年、クーデターに成功した朴政権が初めて成立させた法律が「孤児の養子縁組法」。この法律によって、海外に養子を送る際の手続きが格段に簡素化され、活発化する土台になったのだ。 
 
 朴政権の狙いは明白だ。当時、海外に養子を出すと、養子1人当たり5,000~1万ドル以上が斡旋料として韓国政府に支払われたのである。朴政権にとって、街にあふれる孤児の問題が解決できるだけでなく、ドルまで稼げるとは、これ以上ありがたいことはない。開発独裁を前面に出していた朴大統領に児童福祉の意識などあるわけもなく、多い時は1年で8,000人以上の子どもたちが海外に「輸出」された。60~70年代に韓国経済を潤わせた最大の輸出品は、カツラでもスニーカーでも車でもなく「子ども」であると、経済学者に皮肉られているように、この時代が礎となって「孤児の輸出大国」という汚名が誕生したのだ。 
 
 政府の統計を見ると、2016年までに海外に引き取られた養子の人数は延べ20万人にも上り、その半数以上がアメリカに渡っている。アメリカが圧倒的に多いのは、朴政権の政策はもちろんのこと、60年代以降のアメリカでの出生率の低下が問題となり、同時に人道的な孤児救済の運動が活発化した事情もあるようだが、建国以前からアメリカの支配下に置かれている(のと同然の)韓国の状況を考えれば、ドルを得られるアメリカが「輸出先」としてベストだと考えたのだろう。 
 
 さて、朴政権下で作られた養子縁組の法律は、子どもの人権を踏みにじる悪法だとして、養子に行った当事者たちの抗議と陳情によって12年、成立から50年ぶりに改正された。だが、いつでも本人のルーツを調べられるように産みの親の連絡先を明らかにするといった内容が中心で、諸外国に比べると、依然として海外縁組の審査や手続きが甘いといわれている。

 要するに、海外へ養子に行かせることそのものに対する問題意識が欠けているのだ。韓国国内での養子縁組は二の次で、なぜ海外養子縁組にばかり力を入れるのか? この問題について、多くの専門家が口をそろえるのが、韓国社会に根強く残っている儒教的「純血主義」である。  

 父系による「血のつながり」を何より重んじる韓国では、血のつながりのない子ども(=赤の他人)を養子に引き取ること自体、タブー視されてきた。純血ではないため「家門の血を汚す」というわけだ。この点について、血よりも「家」を重んじる日本では、養子縁組や里親制度を通して、養子を受け入れて家を継がせることに、韓国よりは柔軟だったといえよう。日本の「どこの馬の骨とも知れない」という言い回しは、韓国では「どこの種かも知らない」という表現に当たるが、この「種」という言葉に、韓国の父系中心の純血主義が端的かつ克明に表れている。 

 もう一つは、「未婚の母親」に対する差別(生まれた子どもへの差別も含めて)だ。これもやはり、女性に対する性的抑圧やタブーの多い儒教からの影響だが、戦争という特殊な状況下における孤児を除いて、捨てられる子の大半を「未婚の母親」の子が占めているのは、経済的な理由はもちろんのこと、周囲の目や差別を恐れての苦渋の選択といえる。こうして捨てられた「どこの種かも知らない」子を引き取ることを韓国人は拒んできたのであり、結果的に子どもたちは海外に送らざるを得なかったのである。

 近年は国際的な批判も高まり、さすがに韓国社会も意識の転換を図って、著名人が率先して養子を引き取るなど国内の養子縁組が少しずつ増えているとはいうものの、海外での養子縁組に比べると、まだまだわずかな数だ。そもそも先祖代々、いろいろな血が混ざって子どもは生まれるはずなのに、父系(男性)のみの「純血」という無意味なファンタジーに囚われている限り、「孤児輸出」の汚名から抜け出す道は当分なさそうだ。 
 
 そして忘れてはならないのが、誰よりも苦しむのは子どもたち自身だということ。当事者たちには親から捨てられた記憶や人種差別、アイデンティティーをめぐる問題まで、養子に行って大人になってからも苦しみを抱えて生きる人が多いという。現に韓国では、そういった養子を支援するための団体も発足している。

 本作でスッキと離れ離れになったジニは、穴を掘ってその中に入り自らを葬ろうとする。アッバス・キアロスタミ監督の『桜桃の味』(97)のラストシーンを連想させるようなこの場面、9歳の子どもが無意識に「死」を選ぼうとする姿に、ジニの苦しみの大きさを思わずにはいられない。しばらくして穴から出てきたジニは、一度自分を葬ったことで何かが吹っ切れたように、フランスへの養子縁組を受け入れ遠くの地に旅立っていくのだ。 
 
 ジニの現在がウニー監督であるとすれば、ジニは養親の下で「幸福に成長した」といえるかもしれない。だが養子をめぐっては、さらに信じられない「噂」も存在する。

 アメリカに養子に行く子どもたちを現地まで引率するアルバイトは、ひそかに人気があった。子どもを連れていって引き渡してしまえば、あとは悠々とアメリカ見物ができたからだ。実際、その仕事でアメリカに行ってきた後輩がいたのだが、帰ってきた学生たちの間で恐ろしい噂が流れていた。それは「臓器目的で養子にとられる子どもがいる」というもの。

 つまり、アメリカ人の中には、臓器移植が必要な自身の子どものために養子をとり、孤児の健康な臓器だけを取り出すと、後はわからないように“処分”されるのだそうだ。学生運動家がこの噂の真相究明を求めて活動したりしたが、社会問題にはならずじまいだった。信じ難い、信じたくない話だが、真相を知るのはそう簡単ではないだろう。
 
 9歳の子どもの目線から、韓国での最後の記憶が淡々と描かれている本作で、ここまでに挙げた海外養子縁組のさまざまな問題に言及されることはない。だからこそ逆に、語られていない韓国の現実が「余白」となって見えてくる。その余白には、依然として子どもたちを海外に送り続ける韓国に向けられた、静かで力強い「なぜ?」という疑問も刻まれているように思う。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

EXO・D.O映画デビュー作『明日へ』から学ぶ、“闘うこと”の苦しみと喜び――「働き方」から見える社会問題

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『明日へ』

 日本に暮らして、まもなく20年。すっかり日本になじんでいる私は、たまに韓国に帰ると、異国にいるかのようにソワソワした感覚に陥ってしまう。このまま日本に骨をうずめる覚悟でいるので、これからもずっと日本にお世話になりながら、この地で生きていきたいというのが正直な気持ちだ。 
 
 だが、そんな私にも理解しがたい日本人の態度がある。それは、権力の不正や理不尽な仕打ちに対する怒りを“行動”として表明しないことだ。例を挙げればキリがないだろう。安倍政権下で起こった森友・加計問題や公文書偽造、河井克行・案里夫妻の公職選挙法違反、検察庁の不正に菅政権誕生の経緯、東京オリンピックをめぐる諸問題……。近年、後を絶たない権力側の疑惑に対して、多くの国民は納得できないものを感じているにもかかわらず、それが明確な行動として示されることはほとんどない。ごく一部の人がデモに集う一方で、「そんなことをしてもムダだ」という諦めのようなムードが国全体を覆っているように思えるのだ。 
 
 そんな様子を目にするたびに、韓国ではこれでは済まされないだろう、という思いが頭をよぎる。これまでのコラムでも言及してきたように、韓国では国民の怒りが現実を変えてきた歴史がある。光州事件に端を発する民主化運動、「トガニ法」の成立、#MeToo、セウォル号沈没事故と朴槿恵大統領の弾劾などなど。だがそれ以上に、韓国人は生活の中で権力に対して理不尽さを感じると、1人でも、たとえ勝ち目がなくても、「デモ」という形で怒りを表明する「文化」を持っている。 
 
 私自身、そんな韓国の文化から距離を置き、デモに明け暮れる大学生活に嫌気が差して軍隊に行ったクチなので、日本人にとやかく言う資格もないのだが、それでも自国で起こっている看過できない事態に対して、まるで他人事のように振る舞う日本人の姿に、納得できないものを感じてきたのは事実である。 
 
 今回は、そんな韓国の「異議申し立て」文化を如実に示した映画を取り上げたいと思う。スーパーマーケットの女性パート従業員たちが、不当解雇に立ち上がった実話を元にした『明日へ』(プ・ジヨン監督、2014年)だ。わかりづらい邦題だが、原題は『카트(カート)』といい、スーパーでのストライキを象徴的に示している。

 07年に起こった実際の出来事を映画化した本作は、社会の中で置き去りにされている非正規雇用の女性たちの姿を女性監督が描き、今の時代に大きな意味を持つ作品といえる。韓国で作られた商業映画として、初めて非正規雇用問題をテーマにしたことや、EXOのD.O(ド・ギョンス)が映画デビューを果たしたことでも、公開前から大きく注目されていた。

<物語> 

 大手スーパー「ザ・マート」のレジ系として働くソニ(ヨム・ジョンア)は、真面目に業務をこなし、サービス残業も積極的に引き受けてきたおかげで、正社員への登用が約束され幸せいっぱいだった。ところがある日、彼女を含む非正規の女性労働者たちは、会社から一方的に解雇を通報される。ろくに説明もない会社の理不尽な態度に、シングルマザーのヘミ(ムン・ジョンヒ)、清掃員のスルレ(キム・ヨンエ)らは憤り、団結して闘おうと労組を結成。ソニもリーダーの1人に抜てきされ、交渉を試みるも、会社側は彼女たちに向き合おうともしない。

 このままではらちが明かないと判断した彼女たちは、ストライキを敢行しスーパーの占拠に踏み切るが、「不法占拠」として警察から排除され、逆に会社から訴えられてしまう。仲間同士を分裂させようとする会社側のさまざまな妨害に遭いながら、人間としての尊厳を必死で守ろうとする女性たちだが、ギリギリの生活の中で、家族との関係にもひびが入ってしまう。果たしてソニらは「良き明日」を勝ち取ることができるだろうか? 

 先述したように、本作は2007年に大手スーパーチェーンのレジ系を担当する労働者たちが、会社の不当解雇に立ち向かい実際に起こしたストライキを再構成した映画作品。当初は1日で終わる予定だったそのストライキは結果、彼女たちが再びレジに戻るまで2年という歳月がかかる長い闘いになってしまった。だがそもそも、なぜ不当解雇がなされ、ストライキに至ったのだろうか? その背景を知るためには、1997年のIMF時代にまで遡らなければならない。 
 
 国家的な財政の立て直しに追われたIMF時代(詳しくは、当コラムの『国家が破産する日』を参照)、企業による大量のリストラが余儀なくされる中で、爆発的に増え始めたのが非正規労働者だった。そして同時に大きな問題となったのが、契約期間や賃金など、正社員に比べると圧倒的に不安定な非正規の雇用条件であり、そこから社会に深刻な格差が生まれていったことだ。

 当然、改善を求めるデモやストライキが韓国各地で盛んに行われ、その結果、IMFから10年がたった07年にようやく、非正規労働者への差別改善と社会の安定化を図った「非正規職保護法」が成立。その内容は、有期契約で2年以上働いた非正規労働者の正社員への転換、同一労働・同一賃金を実現し、正規と非正規の待遇差をなくそう、というものだ。 
 
 ただし、ここには盲点もあった。正社員への転換はあくまでも企業の努力義務であり、「経営上の理由」から転換が難しいと会社側が主張し、妥当であると判断されれば、そのまま非正規として雇い続けることもできるようにしたのだ。もう一つは、近年日本の「働き方改革」においても、無期契約への転換を前に雇い止めになる弊害が問題となっているが、韓国でも同様に、2年後の正社員への登用を盛り込んではいるものの、これを悪用して雇い止めにする事例が数多く発生した。

 本作の元になったストライキは、まさに法制定を前にして、直前に手を打とうとした会社側の横暴が原因となっている。法の成立とストライキが07年という同じ年に起こったのは、決して偶然ではないだろう。

 こうした背景があってストライキが起こったわけだが、当時は大きな問題として社会の注目を集めても、次第に人々の関心は遠のいていった。だが、当時の闘いを細部にわたって丁寧に再現した本作が公開されたことで、14年においてもいまだ問題が解決していない状況――ストライキの2年後、労働組合の執行部の復職放棄を条件に、労働者たちの職場復帰は果たしたが、全員の正社員転換が完了したのは18年である――を、再び韓国社会に喚起させたのである。

 映画によって、あらためて労働問題をめぐる現実を突きつけられた韓国では、公開後も、自動車工場の解雇労働者たちの復職運動や、高速道路料金所従業員たちの正社員登用をめぐるデモなどが盛んに行われてきた。とりわけ本作でも描かれたように、非正規労働者は男性に比べて女性が圧倒的に多い。ただでさえ男性を優先する社会構造が根深く、女性の声が社会に届きにくい韓国において、正規/非正規の問題のみならず、男女間の差別を明確にメッセージとして描いた本作の意義は大きいだろう。

 本作ではまた、現実においてほぼ不可視化されている、さらに深刻な問題をもう一つ取り上げている。映画が作られた2014年前後に浮かび上がってきた「若者の貧困」だ。映画で中心に描かれるのはスーパーでのストライキだが、女性たちが立ち上がる背景には必ず「家族」の存在があり、映画ではそれぞれの家庭事情についてもきちんと踏み込んでいる。

 例えば、夫が出稼ぎに出ているらしいソニの家では、息子のテヨン(EXO・D.O/ド・ギョンス)が給食費を払えずに昼ご飯を食べられなかったり、修学旅行の費用を稼ぐためにコンビニでアルバイトをすれば、店主からひどいパワハラを受けて悔しい思いをしたりする。テヨンの友人・スギョン(チウ)はさらに劣悪な貧困下にあるが、彼らは似たような境遇から次第に心を通わせていく。

 アルバイトに励む高校生は、社会の中で最も弱い立場にある労働者であり、彼らを保護するような法整備はいまだなされていない。また、スーパーの仲間の中にも、大学を卒業したものの就職ができず、非正規のレジ係として働くミジン(チョン・ウヒ)という人物がおり、彼女はまさに「若者の貧困」問題の象徴的な存在として描かれる。 
 
 韓国には「88万ウォン世代(88만원 세대)」と呼ばれる、雇用不安にさいなまれる20代を指し示す言葉がある。正社員として就職できず、非正規労働者になった若者で、その平均月収は最低限の生活を維持することもままならない「88万ウォン(約8万円)」であることから生まれた造語だ。そこには、民主化が進んだ90年代に私立大学の設立基準が緩和され、その結果、大学生の数が急増したという背景がある。

 学歴社会である韓国において大学の卒業証書は就職の必須条件であり、高校生は少しでも安定した未来を手に入れようと、必死で勉強に励む。設立基準を緩和して大学を増やし、入りやすい環境を作ることは本来、熾烈な受験戦争を解決するための政策だったはずだが、今となってみればそれが逆効果となり、実績の低い大学を政府が「リストラ」する動きにつながる。大学生の急増は就職難に直結し、さらなる非正規労働者を量産する結果となったのだ。

 入社試験に落ち、非正規労働者として闘うことを選ぶミジンは、まさに「88万ウォン世代」といえるが、この世代の現実を表す造語にもう一つ「サンポ世代(삼포세대、3つを放棄した世代)」というものがある。これは、就職難や不安定な労働環境、高騰する住宅価格、生活費の逼迫などによって「恋愛・結婚・出産」の3つを諦めざるを得ない若者たちを示すもので、韓国社会が抱える最大の課題を端的に表す用語として使われている。 
 
 こうして考えると、非正規労働者の問題は、ソニやヘミといった子どもを持つ親だけでなく、その子どもや若者、そして高齢者のスルレまで、ほぼ全世代に関わっていることがわかる。このままでは、高校生であるテヨンやスギョンの未来はミジンであり、ミジンの未来は子どもを育てながら必死で働くソニやヘミであり、ソニやヘミの未来は孤独な一人暮らしのスルレである可能性が非常に高い。

 これほどまでにつらく厳しい現実を、どうすれば次の世代に受け継がせずに断ち切れるのか。その答えこそが、デモでありストライキではないだろうか。社会から守られていない彼らは、理不尽な仕打ちに立ち向かい、不当な解雇と闘い、自らの権利を自らの手で勝ち取るしかないのだ。

 『明日へ』は、韓国で「11月13日」に公開された。この日は、韓国における労働運動の歴史を象徴する運動家「チョン・テイル(全泰壹)」の命日である。彼は1970年、劣悪な労働環境の改善を訴える運動の中で軍事政権から弾圧を受け、抗議の焼身自殺を果たした人物だ。「労働者は機械ではない」と叫びながら散っていったチョン・テイルの精神は、その後の労働運動に大きな影響を与えたといわれている。

 命を落としたソウルの清渓川(チョンゲチョン)には、彼の銅像が立っており、その意志は今もなお多くの人に受け継がれているのだ。映画の最後で「私たちを透明人間扱いしないで」と叫ぶソニの姿には、チョン・テイルの精神がはっきりと見える。 
 
 強制排除に出た警察が無差別に放つ放水に向かって、「カート」を武器に突進するところで画面は静止し、闘いが現在進行形であることを暗示して映画は終わる。彼女たちがその闘いに勝利することは、もちろん簡単ではない。だが、諦めずに立ち向かい、その果てに己の権利や正しさを勝ち取って初めて、そのカートの中は幸せで埋め尽くされるのだろう。

 独裁政権を打破し、自分たちの手で民主化を勝ち取ることに成功した韓国人は、闘いの苦しみとその果ての喜びを知っている。私は日本人にも、闘うことの苦しみと喜びを味わってほしい、そう思うのだ。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

EXO・D.O映画デビュー作『明日へ』から学ぶ、“闘うこと”の苦しみと喜び――「働き方」から見える社会問題

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『明日へ』

 日本に暮らして、まもなく20年。すっかり日本になじんでいる私は、たまに韓国に帰ると、異国にいるかのようにソワソワした感覚に陥ってしまう。このまま日本に骨をうずめる覚悟でいるので、これからもずっと日本にお世話になりながら、この地で生きていきたいというのが正直な気持ちだ。 
 
 だが、そんな私にも理解しがたい日本人の態度がある。それは、権力の不正や理不尽な仕打ちに対する怒りを“行動”として表明しないことだ。例を挙げればキリがないだろう。安倍政権下で起こった森友・加計問題や公文書偽造、河井克行・案里夫妻の公職選挙法違反、検察庁の不正に菅政権誕生の経緯、東京オリンピックをめぐる諸問題……。近年、後を絶たない権力側の疑惑に対して、多くの国民は納得できないものを感じているにもかかわらず、それが明確な行動として示されることはほとんどない。ごく一部の人がデモに集う一方で、「そんなことをしてもムダだ」という諦めのようなムードが国全体を覆っているように思えるのだ。 
 
 そんな様子を目にするたびに、韓国ではこれでは済まされないだろう、という思いが頭をよぎる。これまでのコラムでも言及してきたように、韓国では国民の怒りが現実を変えてきた歴史がある。光州事件に端を発する民主化運動、「トガニ法」の成立、#MeToo、セウォル号沈没事故と朴槿恵大統領の弾劾などなど。だがそれ以上に、韓国人は生活の中で権力に対して理不尽さを感じると、1人でも、たとえ勝ち目がなくても、「デモ」という形で怒りを表明する「文化」を持っている。 
 
 私自身、そんな韓国の文化から距離を置き、デモに明け暮れる大学生活に嫌気が差して軍隊に行ったクチなので、日本人にとやかく言う資格もないのだが、それでも自国で起こっている看過できない事態に対して、まるで他人事のように振る舞う日本人の姿に、納得できないものを感じてきたのは事実である。 
 
 今回は、そんな韓国の「異議申し立て」文化を如実に示した映画を取り上げたいと思う。スーパーマーケットの女性パート従業員たちが、不当解雇に立ち上がった実話を元にした『明日へ』(プ・ジヨン監督、2014年)だ。わかりづらい邦題だが、原題は『카트(カート)』といい、スーパーでのストライキを象徴的に示している。

 07年に起こった実際の出来事を映画化した本作は、社会の中で置き去りにされている非正規雇用の女性たちの姿を女性監督が描き、今の時代に大きな意味を持つ作品といえる。韓国で作られた商業映画として、初めて非正規雇用問題をテーマにしたことや、EXOのD.O(ド・ギョンス)が映画デビューを果たしたことでも、公開前から大きく注目されていた。

<物語> 

 大手スーパー「ザ・マート」のレジ系として働くソニ(ヨム・ジョンア)は、真面目に業務をこなし、サービス残業も積極的に引き受けてきたおかげで、正社員への登用が約束され幸せいっぱいだった。ところがある日、彼女を含む非正規の女性労働者たちは、会社から一方的に解雇を通報される。ろくに説明もない会社の理不尽な態度に、シングルマザーのヘミ(ムン・ジョンヒ)、清掃員のスルレ(キム・ヨンエ)らは憤り、団結して闘おうと労組を結成。ソニもリーダーの1人に抜てきされ、交渉を試みるも、会社側は彼女たちに向き合おうともしない。

 このままではらちが明かないと判断した彼女たちは、ストライキを敢行しスーパーの占拠に踏み切るが、「不法占拠」として警察から排除され、逆に会社から訴えられてしまう。仲間同士を分裂させようとする会社側のさまざまな妨害に遭いながら、人間としての尊厳を必死で守ろうとする女性たちだが、ギリギリの生活の中で、家族との関係にもひびが入ってしまう。果たしてソニらは「良き明日」を勝ち取ることができるだろうか? 

 先述したように、本作は2007年に大手スーパーチェーンのレジ系を担当する労働者たちが、会社の不当解雇に立ち向かい実際に起こしたストライキを再構成した映画作品。当初は1日で終わる予定だったそのストライキは結果、彼女たちが再びレジに戻るまで2年という歳月がかかる長い闘いになってしまった。だがそもそも、なぜ不当解雇がなされ、ストライキに至ったのだろうか? その背景を知るためには、1997年のIMF時代にまで遡らなければならない。 
 
 国家的な財政の立て直しに追われたIMF時代(詳しくは、当コラムの『国家が破産する日』を参照)、企業による大量のリストラが余儀なくされる中で、爆発的に増え始めたのが非正規労働者だった。そして同時に大きな問題となったのが、契約期間や賃金など、正社員に比べると圧倒的に不安定な非正規の雇用条件であり、そこから社会に深刻な格差が生まれていったことだ。

 当然、改善を求めるデモやストライキが韓国各地で盛んに行われ、その結果、IMFから10年がたった07年にようやく、非正規労働者への差別改善と社会の安定化を図った「非正規職保護法」が成立。その内容は、有期契約で2年以上働いた非正規労働者の正社員への転換、同一労働・同一賃金を実現し、正規と非正規の待遇差をなくそう、というものだ。 
 
 ただし、ここには盲点もあった。正社員への転換はあくまでも企業の努力義務であり、「経営上の理由」から転換が難しいと会社側が主張し、妥当であると判断されれば、そのまま非正規として雇い続けることもできるようにしたのだ。もう一つは、近年日本の「働き方改革」においても、無期契約への転換を前に雇い止めになる弊害が問題となっているが、韓国でも同様に、2年後の正社員への登用を盛り込んではいるものの、これを悪用して雇い止めにする事例が数多く発生した。

 本作の元になったストライキは、まさに法制定を前にして、直前に手を打とうとした会社側の横暴が原因となっている。法の成立とストライキが07年という同じ年に起こったのは、決して偶然ではないだろう。

 こうした背景があってストライキが起こったわけだが、当時は大きな問題として社会の注目を集めても、次第に人々の関心は遠のいていった。だが、当時の闘いを細部にわたって丁寧に再現した本作が公開されたことで、14年においてもいまだ問題が解決していない状況――ストライキの2年後、労働組合の執行部の復職放棄を条件に、労働者たちの職場復帰は果たしたが、全員の正社員転換が完了したのは18年である――を、再び韓国社会に喚起させたのである。

 映画によって、あらためて労働問題をめぐる現実を突きつけられた韓国では、公開後も、自動車工場の解雇労働者たちの復職運動や、高速道路料金所従業員たちの正社員登用をめぐるデモなどが盛んに行われてきた。とりわけ本作でも描かれたように、非正規労働者は男性に比べて女性が圧倒的に多い。ただでさえ男性を優先する社会構造が根深く、女性の声が社会に届きにくい韓国において、正規/非正規の問題のみならず、男女間の差別を明確にメッセージとして描いた本作の意義は大きいだろう。

 本作ではまた、現実においてほぼ不可視化されている、さらに深刻な問題をもう一つ取り上げている。映画が作られた2014年前後に浮かび上がってきた「若者の貧困」だ。映画で中心に描かれるのはスーパーでのストライキだが、女性たちが立ち上がる背景には必ず「家族」の存在があり、映画ではそれぞれの家庭事情についてもきちんと踏み込んでいる。

 例えば、夫が出稼ぎに出ているらしいソニの家では、息子のテヨン(EXO・D.O/ド・ギョンス)が給食費を払えずに昼ご飯を食べられなかったり、修学旅行の費用を稼ぐためにコンビニでアルバイトをすれば、店主からひどいパワハラを受けて悔しい思いをしたりする。テヨンの友人・スギョン(チウ)はさらに劣悪な貧困下にあるが、彼らは似たような境遇から次第に心を通わせていく。

 アルバイトに励む高校生は、社会の中で最も弱い立場にある労働者であり、彼らを保護するような法整備はいまだなされていない。また、スーパーの仲間の中にも、大学を卒業したものの就職ができず、非正規のレジ係として働くミジン(チョン・ウヒ)という人物がおり、彼女はまさに「若者の貧困」問題の象徴的な存在として描かれる。 
 
 韓国には「88万ウォン世代(88만원 세대)」と呼ばれる、雇用不安にさいなまれる20代を指し示す言葉がある。正社員として就職できず、非正規労働者になった若者で、その平均月収は最低限の生活を維持することもままならない「88万ウォン(約8万円)」であることから生まれた造語だ。そこには、民主化が進んだ90年代に私立大学の設立基準が緩和され、その結果、大学生の数が急増したという背景がある。

 学歴社会である韓国において大学の卒業証書は就職の必須条件であり、高校生は少しでも安定した未来を手に入れようと、必死で勉強に励む。設立基準を緩和して大学を増やし、入りやすい環境を作ることは本来、熾烈な受験戦争を解決するための政策だったはずだが、今となってみればそれが逆効果となり、実績の低い大学を政府が「リストラ」する動きにつながる。大学生の急増は就職難に直結し、さらなる非正規労働者を量産する結果となったのだ。

 入社試験に落ち、非正規労働者として闘うことを選ぶミジンは、まさに「88万ウォン世代」といえるが、この世代の現実を表す造語にもう一つ「サンポ世代(삼포세대、3つを放棄した世代)」というものがある。これは、就職難や不安定な労働環境、高騰する住宅価格、生活費の逼迫などによって「恋愛・結婚・出産」の3つを諦めざるを得ない若者たちを示すもので、韓国社会が抱える最大の課題を端的に表す用語として使われている。 
 
 こうして考えると、非正規労働者の問題は、ソニやヘミといった子どもを持つ親だけでなく、その子どもや若者、そして高齢者のスルレまで、ほぼ全世代に関わっていることがわかる。このままでは、高校生であるテヨンやスギョンの未来はミジンであり、ミジンの未来は子どもを育てながら必死で働くソニやヘミであり、ソニやヘミの未来は孤独な一人暮らしのスルレである可能性が非常に高い。

 これほどまでにつらく厳しい現実を、どうすれば次の世代に受け継がせずに断ち切れるのか。その答えこそが、デモでありストライキではないだろうか。社会から守られていない彼らは、理不尽な仕打ちに立ち向かい、不当な解雇と闘い、自らの権利を自らの手で勝ち取るしかないのだ。

 『明日へ』は、韓国で「11月13日」に公開された。この日は、韓国における労働運動の歴史を象徴する運動家「チョン・テイル(全泰壹)」の命日である。彼は1970年、劣悪な労働環境の改善を訴える運動の中で軍事政権から弾圧を受け、抗議の焼身自殺を果たした人物だ。「労働者は機械ではない」と叫びながら散っていったチョン・テイルの精神は、その後の労働運動に大きな影響を与えたといわれている。

 命を落としたソウルの清渓川(チョンゲチョン)には、彼の銅像が立っており、その意志は今もなお多くの人に受け継がれているのだ。映画の最後で「私たちを透明人間扱いしないで」と叫ぶソニの姿には、チョン・テイルの精神がはっきりと見える。 
 
 強制排除に出た警察が無差別に放つ放水に向かって、「カート」を武器に突進するところで画面は静止し、闘いが現在進行形であることを暗示して映画は終わる。彼女たちがその闘いに勝利することは、もちろん簡単ではない。だが、諦めずに立ち向かい、その果てに己の権利や正しさを勝ち取って初めて、そのカートの中は幸せで埋め尽くされるのだろう。

 独裁政権を打破し、自分たちの手で民主化を勝ち取ることに成功した韓国人は、闘いの苦しみとその果ての喜びを知っている。私は日本人にも、闘うことの苦しみと喜びを味わってほしい、そう思うのだ。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

R-18韓国映画『お嬢さん』が“画期的”とされる理由――女性同士のラブシーンが描いた「連帯」と「男性支配」からの脱出

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『お嬢さん』

 1950年代末に、映画における作家主義を前面に出してフランスで起こった映画運動「ヌーヴェルヴァーグ」。ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーといった映画作家たちを輩出し、彼らはシネフィル(「映画マニア」とでも言い換えられようか)が高じて映画評論家となり、その自然な帰結として自ら映画を作るようになっていった。韓国にもまた、同じような出自を持つ「巨匠」がいる。パク・チャヌクだ。『JSA』(2000)や『オールド・ボーイ』(03)『親切なクムジャさん』(05)『渇き』(09)など、韓国映画が国際的な評価を得るようになった立役者の一人であり、近年ではハリウッドやイギリスでも活躍。韓国映画を世界に知らしめる「21世紀の韓国映画ルネサンス」を、『パラサイト 半地下の家族』(19)のポン・ジュノと共に先導する役割を果たしている。 
 
 ポン・ジュノがエンターテインメントの中に大いなる社会性を潜ませる作風であるとするならば、パク・チャヌクは、リアリズムとはかけ離れた画面作りの中に、タブーや罪意識に基づく贖罪と救済(ただし、勧善懲悪とは全く無縁の)の過程を、過激に、時に過剰に、そして転覆的に描き出し、高い評価を得ている作家だ。近親相姦や宗教的な堕落を、視覚的に強烈な、美術的な表現で提示するその芸術性は、「カンヌ・パク」とも呼ばれるほど、カンヌ国際映画祭で高く評価されていることからも明らかだ。

 『オールド・ボーイ』がカンヌで審査員長を務めたタランティーノを熱狂させ、韓国映画初の審査員特別グランプリを受賞。さらに『渇き』も審査員賞を受賞している。ポン・ジュノがどちらかというとアメリカで熱狂を生んだのに対し、パク・チャヌクはヨーロッパでより好まれる傾向にあり、そこに両者の作家性の違いが見え隠れする。だが2人はライバルというよりも、実際は非常に仲が良く、パク・チャヌクはポン・ジュノがハリウッドで手がけた『スノーピアサー』(13)の製作者に名を連ねたほか、ポン・ジュノが『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞を受賞した際には、パク・チャヌクが真っ先に祝辞を送っていた。 

 今回のコラムでは、そんなパク・チャヌクがハリウッドに招かれて監督した『イノセント・ガーデン』(13)以来、3年ぶりに発表した『お嬢さん』(16)を取り上げたいと思う。本作もまた、観客の想像を超える「過激で転覆的」な物語と女性同士のベッドシーンが話題を呼び、日本ではR-18作品に指定されたにもかかわらず、世界中で多くの観客を動員したヒット作となった。パク自身はカンヌでの受賞には至らなかったが、「ミザンセン(画面演出)」を高く評価され、パクと長きにわたってコンビを組んできた美術監督のリュ・ソンヒが、技術賞にあたる「バルカン賞」を受賞。また本作は、世界176カ国へ輸出されるなど、海外でもそのエンターテインメント性と作家性が認められる結果となった。 
 
<物語> 

 1930年代の植民地朝鮮。幼い頃に両親を失い、叔父・上月(チョ・ジヌン)の厳しい保護の下で暮らしている秀子(キム・ミニ)。ある日、藤原伯爵(ハ・ジョンウ)の紹介で朝鮮人の少女・スッキ(キム・テリ)が、「珠子」の名で侍女として秀子に仕えることになる。毎日のように叔父の書斎で本を朗読するのが日常の全てだった秀子は、いつしか純真なスッキを頼るように。だがスッキの正体は、有名な女泥棒の娘で、詐欺集団によって育てられたスリだった。そして藤原伯爵もまた、秀子を誘惑して結婚し、彼女が相続する莫大な財産を横取りしようとする詐欺師。スッキはそんな伯爵の企みに乗り、秀子と伯爵が結ばれるよう仕向けるために送り込まれたのだ。秀子の心を揺さぶるため、藤原伯爵とスッキの陰謀が始まるが、3人の関係は予想だにしない方向へと進んでいく。 

 本作は3部構成になっており、1部はスッキの視点から、2部では1部と同じ出来事を秀子の視点から描き、3部ではその結果が映し出される。これは、サラ・ウォーターズの原作小説『荊の城』(創元推理文庫)に沿った構成であるものの、映画を見たサラが「あくまで小説からインスピレーションを受けたにすぎない」と明かすほど、物語そのものはだいぶ異なっている。パク・チャヌク自身、「原作を読みながら僕なりに想像したものを軸にした」と述べているが、それでも主要人物の設定や物語の大きな流れは原作をもとにしている。とりわけ「女性同士の同性愛的関係」という主題が、原作同様、映画においても核となっている点は重要であり、韓国での公開時に本作が大きな注目を浴びて話題をさらったのも、まさに「秀子とスッキの過激なラブシーン」であった。 
 
 ここ数年で、ジェンダーの主題やLGBTQの描き方など、映画における性の多様性の表現は世界的に大きく進んだ感があるが、韓国では儒教的伝統により、いまだ「同性愛」に対して保守的な側面が強い。LGBTQの集会に猛反対する教育界・宗教界関係者のホモフォビア的批判の声が、新聞の社会面をにぎわせているほどだ。だがそんな韓国において、低予算のインディーズ映画ならまだしも、莫大な製作費をかけた商業映画としてこのような映画が作られたこと自体が画期的であり、本作はその意味でも先駆的であったといえる。

 そして本作に対して、もちろん拒否反応や否定的な意見はあり、女性同士のラブシーンに対する興味本位なまなざしも目立ったが、それ以上に興味深いのが、本作で描かれる同性愛は、セックス以上にさまざまなレベルで象徴的な解釈ができるのではないかという、フェミニズム的観点からの議論である。こうした議論の背景には、巨匠パク・チャヌクが同性愛を単純には描かないだろうという、監督への期待が込められているのと同時に、映画の主な観客が若者世代であり、性的な議論に対して柔軟な観客に見られた作品であることが大きかったと考えられる。彼らにとって秀子とスッキのラブシーンは、ただのセックスではなく女性同士の「連帯」と捉えられた。

 以下に、映画から読み取れる「連帯」の要素を挙げてみよう。 

 第1部でまず強調されるのは、秀子とスッキの「母性愛」的な関係性だ。映画の冒頭、捨てられた赤ん坊を拾って面倒を見、その後売りさばく生活を送っているスッキはすでに母親的な役割を果たしており、社会から隔絶された世界で1人では何もできない秀子には、まるで赤ん坊のように接する。スッキに頼りっぱなしの秀子も、実は彼女の演技であったことが後から明らかになるのだが、母親を早くに亡くしたという共通点を持つ2人が、「あなたの母はきっとあなたを産んでよかったと思っているはず」というスッキの言葉を通して真の感情を芽生えさせることからも、彼女たちがまず「母性」によって連帯していくことがわかる。そして、時間をかけて反復的に描かれるセックスシーンが、素晴らしいエロティシズムにあふれているのは作り手たちの力量だが、手を握り合うといった行為を見せることで、2人の連帯感がより伝わってくる場面になっている。 
 
 また、最初は女同士がだまし合っているように見せるからこそ、それが次第に「女性対男性」の構図に変化し、最終的には女が男に気持ちよく勝利する結末に痛快さを感じるという、映画自体の構成の魅力も大きいだろう。それまで完全に男性の支配下に置かれていた秀子とスッキは、連帯することで、上月や藤原との関係をぶち壊して転覆させ、2人だけの自由を手に入れる。そしてその過程で、上月の春画コレクションや「蛇の像」を叩き潰し、藤原の「指」は切断され、それぞれ「男根」のメタファーともいえるものが具体的に破壊されていく。

 こうしたさまや、だまし合いのゲームにおいて次第に女たちが主体的な地位を確立し、男たちをバカにしながら勝利を収めるという展開を考えると、2人の同性愛的連帯は、もはや必然とさえいえる気がする。上月の家から脱出する際の「私の人生を壊しに来た救世主、私の珠子」という秀子のセリフは、そうした2人の関係性を決定的に示すものである。

 パク・チャヌクは、男性による一方的な性的視線を見事に転覆させる女性たちの反撃を描くための装置として、同性愛を必要としたのだろう。だからこそ本作は、スキャンダルなベッドシーンの話題を超えて、フェミニズムに根差した議論が活性化したのである。 

 その一方で、多くの日本人観客が「なぜ本作は日本統治下の朝鮮を舞台にし、登場人物たちにたどたどしい日本語を言わせたのか」という疑問を感じるのではないだろうか。日本人ではない私さえも、それがずっと気になったくらいである。もちろん、原作の雰囲気に合わせて「伯爵」という朝鮮にはなかった身分を取り入れるためといった要因もあるかもしれないし、パク・チャヌク自身「こんなにいやらしい話を韓国語で聞かされるのは……」とためらったように、劇中で発せられる数々の卑猥な言葉を外国語にすることで、衝撃が和らぐといった戦略もあっただろう。だがそれ以上に、そこには長年韓国が抱いてきた、日本のポルノへのフェティシズムがあるのではないかと思う。

 実は、いまだに法律でポルノ映画が禁止されている韓国では、国産ポルノを見ることのかなわない男たちが、長年欲望のはけ口を日本産ポルノに求めてきたという実態があった。そして、今でこそなくなっているが、韓国には、違法にもかかわらず日本のポルノ映画をこっそり上映する“闇のビデオ室”なるものまであったのだ。 
 
 恥ずかしい告白になるが、私自身、高校時代に何度もビデオ室に通ったし、軍隊から除隊した帰り道にソウル駅近くのビデオ室に入ったのが最後だったこともよく覚えている。表向きは漫画喫茶として営業している店に入り、「見に来た」と暗号のように一言伝えると、奥の密室に案内される。そして、本作で秀子が朗読する淫乱小説にかたずをのみながら聞き入る男たちのように、狭い部屋に集まった男たちは、日本のポルノに見入ったのだった。

 西洋ポルノは見た目も異なって現実感がないし、まるでスポーツのようなセックスで色気を感じられなかったが、日本ポルノはその点親近感もあり、またジャンルも多様で断然好まれたのだ。だいぶ前、韓国で公開されたある映画の物語にどうしても既視感があると思ったら、それはビデオ室で見た日本ポルノのパクリだったこともあり、韓国のパクリ文化を恥ずかしく思いながらも、ビデオ室の浸透ぶりに苦笑してしまう自分がいたことも告白しておこう。パク・チャヌクをおとしめるつもりはさらさらないが、韓国男性が共有する経験と認識を、彼も多かれ少なかれ持っていたと考えるのは自然だし、良くも悪くも日本と朝鮮が共存していた時代設定をもってくることで、本作の物語は見事に成立したといえるだろう。 

 
 また、日本と韓国という構図が持ち込まれている点から考えるならば、本作を「ポスト・コロニアリズム」分野における「視線と凝視」の概念から捉えられるかもしれない。ホミ・K・バーバという文化理論家が著書『文化の場所』(法政大学出版局)の中で提唱したこの用語は、帝国の植民地へのステレオタイプ化(視線)と、それに対する植民地の現実(凝視)を分析するために用いられ、支配者の視線が作り出した「良き植民地」のイメージは、必ずしも植民地の現実と一致しないという、ステレオタイプの無意味な虚妄性を暴いた概念である。

 だが帝国/植民地の対立を、同じような支配関係を持ちやすい男女のそれに置き換えることは、十分に可能だろう。支配者である男たちの性的な「視線」によってステレオタイプ化された秀子が、実際の彼女と異なるのは明白であり、スッキと連帯して復讐を遂げるその後の展開は、まさに男たちの身勝手な視線に対する女たちの「凝視」といえるからだ。いずれにせよ本作は、あらゆる抑圧――男性による女性への抑圧と、国家レベルでの性的抑圧――に対して転覆的な問いを投げかけた、儒教的な「性」意識へのカウンターパンチとなった快作だと評価できるものである。 
 
 新型コロナウイルスにより映画界も暗い話題ばかりだが、最近、パク・チャヌクが新作の製作を開始したといううれしいニュースが飛び込んできた。ここのところポン・ジュノの名前ばかりが目立っていたので、早くパク・チャヌクの新作を拝見したいものだ。次は一体、どんなタブーに切り込んでくれるだろうか。 

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。