小籔千豊、吉本新喜劇座長“勇退”の裏に何があった?

 お笑い芸人の小籔千豊が8月22日、大阪・なんばグランド花月(NGK)の公演をもって吉本新喜劇の座長を勇退した。1993年にお笑いコンビ・ビリジアンとしてデビューした小藪は、コンビが解散した2001年に吉本新喜劇に入団、2006年からおよそ16年にわたって座長を務めてきた。

“恐怖”と“不安”の炎上に意味はある? 小籔千豊の「人生会議」ポスター問題

 厚生労働省が制作した『人生会議』のPRポスターがなかなかの勢いで炎上した。患者団体や遺族から大きな批判を呼び、予定されていた自治体へのポスター発送は中止。ホームページへのPR動画の掲載も見合わせることになった。ポスターに起用された芸人の小籔千豊氏は、出演したテレビ番組で「責任を感じる」などとコメントしているようで、気の毒といえば気の毒な話ではある。確かにポスターで見せた小籔氏の“死人っぷり”はなかなかのインパクトがあったが、何か悪いことをしたわけではないし、そkに責任を感じる必要もないだろう。ただ、この人生会議の普及啓発事業を吉本興業が4,070万円で委託契約していたなんて話を聞くと「ほう、またまた行政にがっちり食い込んでうまいことやってますな」という気分にさせられることもまた事実。なんだかんだで厚生労働省、吉本興業に対する風当たりは強いものとなった。

そもそも物議を醸した「人生会議」とは何なのか?

 そもそも人生会議とは何なのか。厚労省によると「もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組」のこと。要するに、自分が死ぬときにどのような対応を望むのか、ちゃんと事前に話し合っておきましょうね、という啓発活動だ。こうした取り組みは国際的に「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と呼ばれている。この認知度をより高め、普及させていくために厚労省はAPCの“愛称”の公募を行い、去年11月30日に“人生会議”という名称を使うことを選定・決定したそうだ。ちなみに、この11月30日は「いい看取り・看取られ」の意味で“人生会議の日”になったそうだ。その感覚もちょっとどうかと思う。小籔氏はこの愛称“人生会議”の選定委員にもなっていた。

 問題のポスターは、病院着を着た小籔氏が鼻に酸素吸入チューブをつけた姿でベッドに横たわり、家族に自分の思いを伝えられなかった後悔を明かして「人生会議しとこ」と呼びかけている。コピーは以下の通り。

“まてまてまて
俺の人生ここで終わり?
大事なこと何にも伝えてなかったわ
それとおとん、俺が意識ないと思って
隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど
全然笑ってないやん
声は聞こえてるねん。
はっず!
病院でおとんの
すべった話
聞くなら
家で嫁と子どもと
ゆっくりしときたかったわ
ほんまええ加減にしいや
あーあ、もっと早く
言うといたら良かった!
こうなる前に、みんな
「人生会議」しとこ

命の危機が迫った時、
想いは正しく伝わらない”

 ポスターは全体的に青白い色調で、小籔氏の顔色も悪い。表情も奇妙に歪んでいる。体に重ねられた心電図のような波形は徐々に小さくなって平坦になり、小籔氏の手には家族らしき人の手が添えられている。もろに“死”のイメージを全面に打ち出していて、冒頭でも触れたように非常にインパクトの強いビジュアルだ。ただ、このネガティブで強烈な印象と比して、その“心の声”は妙に軽い。「死の床で父親のすべった話を聞かされて恥ずかしい」と言われたところで笑えるはずもなく、このバランスのいびつさが、ポスターを見た人になんとなく居心地の悪さを感じさせるのだろう。見た人にインパクトを与える意図があったのだとすれば、それは成功しているが、そのインパクトの強さゆえに多くの人から批判を浴びる結果になってしまった。

 報道やTwitterなどをざっと見てみるだけで、「患者、家族、当事者への配慮を欠いている」「遺族を傷つける可能性がある」「APCを誤解させる」「脅しとも取れる内容」「不安を煽る」「死を連想」「お笑いは不必要」「ふざけすぎ」など、さんざんな言われようである。まあ、確かに現在進行系で闘病中の患者やその家族、あるいは病気やケガで家族を亡くしたばかりの遺族が見たら、いい気持ちはしないだろう。その強烈な死のイメージにショックを受け、不安や恐怖、憤りを感じる人もいるかもしれない。その一方で、「考えるきっかけになる」「メッセージが伝わる」「ポスター批判は表現の抑圧」「ギリギリを攻めている」「当たり障りのないポスターなら見向きもされない」など、ポスターについて肯定的な意見やポスター批判に対する批判も数多く見られる。

 人生会議に対する批判には、終末期医療や延命治療を放棄させることで医療費削減の画策しているなんてものもあるが、それはさすがに穿ち過ぎだろう。結果として医療費の削減につながることを想定していたとしても、APC自体はその意義が周知され、普及されていくべきだと思う。自分の死について考えることはあっても、その死に方について人と話し合う機会はあまりない。人生の最終局面で心残りがないようにするために自分がどのような死を迎えたいか、家族や恋人、友人といった人々と思いを共有するために話し合いをしておくことは大切なことだし、いざというときにも役立つはずだ。

 問題はこのポスターがそうした重要性を訴え、啓発につながるものになっているかどうかだ。

 ポスターを批判するコメントのなかにはストレートに「小籔が嫌いだからイヤ」などと感情的な嫌悪をポスター批判に一緒にしているものもあって、「そりゃあんまりだ」と思ったのだが、これは意外と今回の炎上の本質を突いているかもしれない。念のため先に言っておくが、小籔氏のルックスや属性、芸人としてのスタンスにはまったく関係ない。ここで言及したいのは、ポスターを見た人に沸き起こる感情と、ポスターの内容紹介でも少し触れた小籔氏の“表情”だ。
眉間にしわが寄り、睨むような視線はまっすぐにこちらを見つめ、口角は鋭く上がっているが、そこに“笑み”はまったくうかがえない。なんとも絶妙な表情だ。

 怒りや悲しみ、喜びといった“情動”はたやすく人に伝染する。人間の脳にはミラーニューロンと呼ばれる神経細胞があり、無意識のうちに目の前の相手の感情を読み取って影響を受ける。つまり、楽しそうな笑顔を浮かべている人が目の前にいたら、自然と自分のなかにも「楽しい」という感情が湧いてくるということだ。もちろん、悲しみや怒りなども同様に影響を受ける。

 では、ポスターの小籔氏の表情にはどのような感情を読む取ることができるだろう。笑っているのでもなければ、怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。要は「何を感じているのかわからない」のである。正体がわからないものに直面したとき、多くの人は不安や恐怖を感じる。このポスターを見たときの「なんかいやな感じがする」という“感じ”は、小籔氏の絶妙な“死”の表現が呼び起こしているのではないだろうか。もちろん、これは直観的な反応なので「とくに何も感じない」という人もいる。だから、この感覚的なレベルでは議論は当然噛み合わない。

 ネガティブな感覚を呼び起こす表現が悪いわけではない。しかし、啓発ポスターとしてメッセージを広く伝え、何かしらの行動を促すような役割を期待されているケースでは話は別だ。今回のポスターの目的は「自分の死に向き合って、それを家族や大切な人と話し合っておこう」という呼びかけであり、そうした習慣の認知の向上、普及の拡大だ。しかし、今回のポスターを見たときに強く訴えかけてくるのは、人生会議の大切さ、有益さではなく、全体を覆う圧倒的な“死”のネガティブイメージだろう。

 これは誰がどう見ても思いがけない突然の死を嘆く臨終の場面だ。そこに「こういう後悔のある死に方をしないために人生会議をしましょうね」という意図が込められているのだろうが、果たしてその意図は有効に働くのか。認知神経科学者ターリ・シャーロットの著書『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』を読むと、どうやら今回のポスターはあまりうまい手法とはいえないようだ。

 本書に紹介されている認知神経科学の実験によると、将来的に何かを失ったり、後悔したりするなど、「報いを受けるかもしれない」という警告は、人を行動に駆り立てるよりも、逆に「何もしない状態」にしてしまうことが多い。これは脳が何か悪いことを予測したとき、直感的に凍りついたり、退かせたり、放棄したりする“ノー・ゴー反応”を引き起こすからだという。逆に人を行動に導こうとするのであれば、“ご褒美”となる何かしらの喜びやポジティブなものを予期させるほうがうまくいくそうだ。つまり、人生会議の啓発ポスターは死の恐怖や不安を煽り、いざという後悔を警告するのではなく、人生会議をしておくことで受けられる恩恵をアピールするべきだったのだ。もちろん、“死”が前提の題材である以上、それが難しいものであることは承知しているが、そこはクリエイターとしては腕の見せどころだったというものだろう。こうして他人が後からゴチャゴチャいうのは簡単だということも承知しているけれど。
 こうして炎上したことによって、人生会議の存在を知ったという人は多いだろう。それは認知の向上という点では意味があったのかもしれない。しかし、人の頭に残るのは「“炎上案件”としての人生会議」だろう。そうしたネガティブな印象は簡単に拭えない。このポスターの影響で制作側の意図通りに「よし、人生会議やってみようか」と思う人はほとんどいないのではないだろうか。結果、誰も得をしていない。

 今回のポスター問題に限らず、今の社会は恐怖と不安のキャンペーンで満ちている。ポジティブな未来を期待させるものはなく、どこもかしこも暗い未来の暗示と「そうなるのが嫌なら……」という脅しと警告ばかりだ。そんな薄ら寒い空気のなかで多くの人は凍りついている。日本人の幸福度なんて、そりゃ低くなるだろうという話だ。

(文=堀田功)

小籔千豊&有吉弘行も閉口……『ハードボイルドグルメリポート』が覆す、グルメ番組の概念

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(7月14~20日)見たテレビの気になる発言をピックアップします。

石塚英彦「『食』って、結局は好みじゃない?」

 人間がやっていた仕事の多くを、これからはAIが代行してくれる。テレビに関しても、たとえば食レポのリポーターがいらなくなる。なぜなら、AIが過去の膨大な食レポのデータを解析して、最適なコメントを言ってくれるようになるから。そんな話をよく聞く。

 AIに詳しくない僕は、それが本当に訪れる近未来なのかどうかよくわからない。だからひとまず、食レポのスペシャリストたちの話を聞いてみる。石塚英彦、彦摩呂、内山信二の3人が14日の『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演し、食レポのテクニックや心がけなどを語っていた。

 石塚らが告発するところによると、内山は食レポをするとき、たまに食べているように見せかけて食べていない。ガーッと食べているように見せながら、丼と箸をカチャカチャさせているだけだったりする。なぜか? 内山の弁解によると、それは口の中が食べ物でいっぱいだとコメントが言えなくなってしまうからだ。

「生放送だと、すぐにコメント言わないとってあるじゃないですか。でもキャラ的にガーッといかないといけないじゃないですか。だからガーッといきながら、(口の中に)ほとんど入ってないんですよ」(内山)

 つまり食レポは、身体的なパフォーマンスでもある。

 彦摩呂は最初、アイドルグループの一員としてデビューした。そんな彼が情報番組のリポーターを始めた当時、「食レポ」や「グルメリポート」という言葉はまだなく、テクニックを教えてくれる人もいなかった。だから開拓者の1人として、さまざまなノウハウを独自に編み出していった。

「パスタもぐるぐる巻いたら最後にシメジで止めるとか。そういう細かいことを全部自分で考えて。どうやったらおいしく見えるかなってことを、ずーっとやってた」(彦摩呂)

 食レポには、テクニックを生み出したプロセスが刻み込まれている。

 石塚は、食べ物をランクづけする番組についても持論を語る。たとえばハンバーグに順位をつけるとしても、それぞれお店の人たちが命を懸けて創作したものだ。にもかかわらず、自分のような通りすがりの人間が「これが2位です、これが1位です」と順位をつけていくのは、本当はものすごく失礼だ。

「もっと言っちゃえば、『食』って、結局は好みじゃない? それぞれの1位、2位、3位があっていいんだから」(石塚)

 食レポには、タレントたちの店への配慮や、食へのこだわりが含まれている。

 AIは、過去の食レポのデータの中から、目の前の料理を表現するのに最適な言葉を選び出すという。しかし、その膨大なデータのプールの中で、食レポをするタレントの身体的なパフォーマンスや、テクニックを生み出してきたプロセス、店への配慮や、食へのこだわりなどは、かき消されてしまうのだろう。もちろん、それら諸々を消去しても、食レポは成立するのだと思う。けれど、それは果たして石塚らがやっている食レポと同じものなのだろうか?

 いや、もしかすると、目の前の料理にためらうことなくランクをつけたりするグルメ番組は、すでに多いのかもしれない。だとしたら、AIの導入をまたずして、AI的な方法論はすでに広く普及しているということかもしれないけれど。

 グルメ番組といえば、15日にこんな特別番組が放送されていた。番組名は『ウルトラハイパーハードボイルドグルメリポート』(テレビ東京系)。タイトルの長さ、ゴテゴテさとは反対に、パイプ椅子が2脚だけ置かれた簡素なスタジオには、小籔千豊と有吉弘行の2人のみ。オープニングのトークもそこそこに、番組はVTRに移り、これから放送されるロケ映像のダイジェストが流れる。その最後には、こんなテロップが入った。

「これはグルメ番組です」

 そう、これは「グルメ番組」である。しかし、カメラを向けるのはミシュランガイドに掲載された名店の料理ではないし、下町の商店街のコロッケでもない。過去に同番組で放送されたのは、リベリアの元少女兵の食事、ロシアのカルト教団の食事、アメリカのギャングの食事など。「食うこと、すなわち生きること」というコンセプトのもと、日本で退屈しのぎにテレビを見ている(かもしれない)多くの人たちからすると、あまりにも隔たった世界に生きている人たちのリアルに、食を通して迫る。そんな「グルメ番組」である。

 今回放送されたのは、ケニアの首都ナイロビにある巨大なゴミ山で生きる青年の食事、これまで800万人以上が落命したといわれるボリビアの鉱山で働く鉱夫の食事、ブルガリアでチョウザメを密漁しキャビアを売りさばく漁師の食事だ。この記事では、1つ目のVTRの食事のシーンのみを主に取り上げる。

 ナイロビ中のゴミが集まるダンドラ地区。そのゴミ山の中を歩くスタッフは、ジョセフという名前の18歳の若者に出会う。ここで暮らし始めて4年。ゴミ山を回ったり、住宅街に向かうゴミ収集車に乗り込んだりしながら、プラスチックや金属を集めて生計を立てているという。両親は貧しく、彼を養うことができないため、14歳で食べ物を探しにここに来たらしい。

 住宅街でのゴミ収集を終えたジョセフは、ゴミ山に戻り、食事の準備を始める。火をつけるために枯れ枝を集め、直射日光などで自然発火しているゴミ山から火種を調達する。着火剤として仕込んでいたのは、クッションの中綿だ。通訳がスタッフに「アスベストです」と説明する。そういえば青年は、住宅街での仕事中もしきりにせき込んでいた。ついさっきまで、あたりには 通り雨が降っていた。ゴミ山の上で火をたく青年の背中に虹がかかる。

 調理が始まる。拾ってきたのであろう缶をネットで洗い、水を入れて火にかける。水が沸騰したら店で買ってきた米を入れて炊き、赤い煮豆を入れる。作っているのは、どうやら赤飯のようなものだ。

 出来上がった赤飯を、ジョセフは大きなペットボトルの下を切って作った器に入れ、プラスチックのスプーンで食べる。湯気が立ったできたてを、フーフーしながら食べる。少し熱くなってきたのか、服で顔を拭う。下唇に米粒がつく。虫が飛ぶ。そして、周囲にはゴミが堆積している。ゴミに紛れたスイカやトマトの種が、ゴミの中から芽を出している。カメラは、無表情に手と口を動かすジョセフの顔を捉える。

 赤飯を頬張っていたジョセフは、カメラを持つスタッフに「食べたい?」と問いかける。スタッフは「いいの?」と言って、代わりに自分が食べる様子を「このカメラで撮ってくれない?」と頼む。青年とスタッフは、赤飯とカメラを交換する。ジョセフはカメラを構える。撮る側と撮られる側が入れ替わり、視線の向きが反転する。食うこと、すなわち生きること。同じ生きる者として、食を介して反転が起こる。テレビ画面には、さっきまで青年を撮影していたスタッフが映る。スタッフは赤飯を食べ、カメラに向けて親指を立てる。「でしょ?」とカメラの手前で青年が少し弾んだ声で言う。

 食事を終えたジョセフに「ここでの暮らしはどう?」とスタッフが問う。「できればここを出ていきたい」と青年は答える。お金があれば、両親を探して会いに行ける。将来は家庭を築きたい。“プレイステーション屋” を開いて、そのゲーム代で稼ぎたい(番組によると、アフリカの多くの国々では、家庭用ゲーム機が1台手に入れば、客をとってプレイ代で稼ぐことができるらしい)。

 スタッフは最後に「いま幸せ?」と尋ねる。ジョセフは答える。

「あなたに会えたから幸せだよ」

 VTRの最後に、取材の後日談が挿入される。取材から1週間後、ダンドラ地区で連続強盗事件が発生した。ジョセフも巻き込まれ、腹と背をナイフで刺された。しかし、運良く病院に運ばれ、翌日にはゴミ山に帰ったという。映像は、病院のようなところでベッドの上 に座るジョセフの写真で終わる。

 カメラは再びスタジオの2人を映す。顔をしかめたままの小籔と有吉。数秒の沈黙が続いた後、小籔が口を開く。

「いや、こっち戻られても別に……特に……」

 現地の生活の厳しさ、そこで生きる青年の知恵と優しさ、どんな環境でも幸せを見いだそうとする人間のたくましさ、危険地帯に少人数で踏み込むスタッフの覚悟、それを安全圏でテレビ画面を通して見ている自分たち。そして、そんなAI的な出来合いの感想を言葉にすることのつまらなさ。画面の向こうとこちらの現実は、あまりにも隔たっている。赤飯とカメラを入れ替えるようには、僕たちは現実を入れ替えることができない。

 ロケのVTRを見て、スタジオの芸能人が何かコメントをする。そんなフォーマットの番組はとても多いけれど、コメントを求められても「別に……特に……」と絞り出すほかない、スタジオの芸能人が機能不全になってしまう映像の強度を持った「グルメ番組」だった。

(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)

 

小籔千豊&有吉弘行も閉口……『ハードボイルドグルメリポート』が覆す、グルメ番組の概念

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(7月14~20日)見たテレビの気になる発言をピックアップします。

石塚英彦「『食』って、結局は好みじゃない?」

 人間がやっていた仕事の多くを、これからはAIが代行してくれる。テレビに関しても、たとえば食レポのリポーターがいらなくなる。なぜなら、AIが過去の膨大な食レポのデータを解析して、最適なコメントを言ってくれるようになるから。そんな話をよく聞く。

 AIに詳しくない僕は、それが本当に訪れる近未来なのかどうかよくわからない。だからひとまず、食レポのスペシャリストたちの話を聞いてみる。石塚英彦、彦摩呂、内山信二の3人が14日の『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演し、食レポのテクニックや心がけなどを語っていた。

 石塚らが告発するところによると、内山は食レポをするとき、たまに食べているように見せかけて食べていない。ガーッと食べているように見せながら、丼と箸をカチャカチャさせているだけだったりする。なぜか? 内山の弁解によると、それは口の中が食べ物でいっぱいだとコメントが言えなくなってしまうからだ。

「生放送だと、すぐにコメント言わないとってあるじゃないですか。でもキャラ的にガーッといかないといけないじゃないですか。だからガーッといきながら、(口の中に)ほとんど入ってないんですよ」(内山)

 つまり食レポは、身体的なパフォーマンスでもある。

 彦摩呂は最初、アイドルグループの一員としてデビューした。そんな彼が情報番組のリポーターを始めた当時、「食レポ」や「グルメリポート」という言葉はまだなく、テクニックを教えてくれる人もいなかった。だから開拓者の1人として、さまざまなノウハウを独自に編み出していった。

「パスタもぐるぐる巻いたら最後にシメジで止めるとか。そういう細かいことを全部自分で考えて。どうやったらおいしく見えるかなってことを、ずーっとやってた」(彦摩呂)

 食レポには、テクニックを生み出したプロセスが刻み込まれている。

 石塚は、食べ物をランクづけする番組についても持論を語る。たとえばハンバーグに順位をつけるとしても、それぞれお店の人たちが命を懸けて創作したものだ。にもかかわらず、自分のような通りすがりの人間が「これが2位です、これが1位です」と順位をつけていくのは、本当はものすごく失礼だ。

「もっと言っちゃえば、『食』って、結局は好みじゃない? それぞれの1位、2位、3位があっていいんだから」(石塚)

 食レポには、タレントたちの店への配慮や、食へのこだわりが含まれている。

 AIは、過去の食レポのデータの中から、目の前の料理を表現するのに最適な言葉を選び出すという。しかし、その膨大なデータのプールの中で、食レポをするタレントの身体的なパフォーマンスや、テクニックを生み出してきたプロセス、店への配慮や、食へのこだわりなどは、かき消されてしまうのだろう。もちろん、それら諸々を消去しても、食レポは成立するのだと思う。けれど、それは果たして石塚らがやっている食レポと同じものなのだろうか?

 いや、もしかすると、目の前の料理にためらうことなくランクをつけたりするグルメ番組は、すでに多いのかもしれない。だとしたら、AIの導入をまたずして、AI的な方法論はすでに広く普及しているということかもしれないけれど。

 グルメ番組といえば、15日にこんな特別番組が放送されていた。番組名は『ウルトラハイパーハードボイルドグルメリポート』(テレビ東京系)。タイトルの長さ、ゴテゴテさとは反対に、パイプ椅子が2脚だけ置かれた簡素なスタジオには、小籔千豊と有吉弘行の2人のみ。オープニングのトークもそこそこに、番組はVTRに移り、これから放送されるロケ映像のダイジェストが流れる。その最後には、こんなテロップが入った。

「これはグルメ番組です」

 そう、これは「グルメ番組」である。しかし、カメラを向けるのはミシュランガイドに掲載された名店の料理ではないし、下町の商店街のコロッケでもない。過去に同番組で放送されたのは、リベリアの元少女兵の食事、ロシアのカルト教団の食事、アメリカのギャングの食事など。「食うこと、すなわち生きること」というコンセプトのもと、日本で退屈しのぎにテレビを見ている(かもしれない)多くの人たちからすると、あまりにも隔たった世界に生きている人たちのリアルに、食を通して迫る。そんな「グルメ番組」である。

 今回放送されたのは、ケニアの首都ナイロビにある巨大なゴミ山で生きる青年の食事、これまで800万人以上が落命したといわれるボリビアの鉱山で働く鉱夫の食事、ブルガリアでチョウザメを密漁しキャビアを売りさばく漁師の食事だ。この記事では、1つ目のVTRの食事のシーンのみを主に取り上げる。

 ナイロビ中のゴミが集まるダンドラ地区。そのゴミ山の中を歩くスタッフは、ジョセフという名前の18歳の若者に出会う。ここで暮らし始めて4年。ゴミ山を回ったり、住宅街に向かうゴミ収集車に乗り込んだりしながら、プラスチックや金属を集めて生計を立てているという。両親は貧しく、彼を養うことができないため、14歳で食べ物を探しにここに来たらしい。

 住宅街でのゴミ収集を終えたジョセフは、ゴミ山に戻り、食事の準備を始める。火をつけるために枯れ枝を集め、直射日光などで自然発火しているゴミ山から火種を調達する。着火剤として仕込んでいたのは、クッションの中綿だ。通訳がスタッフに「アスベストです」と説明する。そういえば青年は、住宅街での仕事中もしきりにせき込んでいた。ついさっきまで、あたりには 通り雨が降っていた。ゴミ山の上で火をたく青年の背中に虹がかかる。

 調理が始まる。拾ってきたのであろう缶をネットで洗い、水を入れて火にかける。水が沸騰したら店で買ってきた米を入れて炊き、赤い煮豆を入れる。作っているのは、どうやら赤飯のようなものだ。

 出来上がった赤飯を、ジョセフは大きなペットボトルの下を切って作った器に入れ、プラスチックのスプーンで食べる。湯気が立ったできたてを、フーフーしながら食べる。少し熱くなってきたのか、服で顔を拭う。下唇に米粒がつく。虫が飛ぶ。そして、周囲にはゴミが堆積している。ゴミに紛れたスイカやトマトの種が、ゴミの中から芽を出している。カメラは、無表情に手と口を動かすジョセフの顔を捉える。

 赤飯を頬張っていたジョセフは、カメラを持つスタッフに「食べたい?」と問いかける。スタッフは「いいの?」と言って、代わりに自分が食べる様子を「このカメラで撮ってくれない?」と頼む。青年とスタッフは、赤飯とカメラを交換する。ジョセフはカメラを構える。撮る側と撮られる側が入れ替わり、視線の向きが反転する。食うこと、すなわち生きること。同じ生きる者として、食を介して反転が起こる。テレビ画面には、さっきまで青年を撮影していたスタッフが映る。スタッフは赤飯を食べ、カメラに向けて親指を立てる。「でしょ?」とカメラの手前で青年が少し弾んだ声で言う。

 食事を終えたジョセフに「ここでの暮らしはどう?」とスタッフが問う。「できればここを出ていきたい」と青年は答える。お金があれば、両親を探して会いに行ける。将来は家庭を築きたい。“プレイステーション屋” を開いて、そのゲーム代で稼ぎたい(番組によると、アフリカの多くの国々では、家庭用ゲーム機が1台手に入れば、客をとってプレイ代で稼ぐことができるらしい)。

 スタッフは最後に「いま幸せ?」と尋ねる。ジョセフは答える。

「あなたに会えたから幸せだよ」

 VTRの最後に、取材の後日談が挿入される。取材から1週間後、ダンドラ地区で連続強盗事件が発生した。ジョセフも巻き込まれ、腹と背をナイフで刺された。しかし、運良く病院に運ばれ、翌日にはゴミ山に帰ったという。映像は、病院のようなところでベッドの上 に座るジョセフの写真で終わる。

 カメラは再びスタジオの2人を映す。顔をしかめたままの小籔と有吉。数秒の沈黙が続いた後、小籔が口を開く。

「いや、こっち戻られても別に……特に……」

 現地の生活の厳しさ、そこで生きる青年の知恵と優しさ、どんな環境でも幸せを見いだそうとする人間のたくましさ、危険地帯に少人数で踏み込むスタッフの覚悟、それを安全圏でテレビ画面を通して見ている自分たち。そして、そんなAI的な出来合いの感想を言葉にすることのつまらなさ。画面の向こうとこちらの現実は、あまりにも隔たっている。赤飯とカメラを入れ替えるようには、僕たちは現実を入れ替えることができない。

 ロケのVTRを見て、スタジオの芸能人が何かコメントをする。そんなフォーマットの番組はとても多いけれど、コメントを求められても「別に……特に……」と絞り出すほかない、スタジオの芸能人が機能不全になってしまう映像の強度を持った「グルメ番組」だった。

(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)

 

おぼん・こぼん”解散ドッキリ”の困惑を解きほぐす、小籔千豊の”長尺語り”というスパイス

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(2月24~3月2日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。

■平野レミ「シチューもカレーもそうだけど、一晩寝かせるとさ……」

 平野レミの料理は雑である、ということになっている。まな板に叩きつけられる食材、調理台に飛び散る調味料――。そんな様子を見ていると、確かに「雑」という言葉が頭に浮かぶ。生放送で平野がとにかくたくさん料理を作る、というような番組をNHKで定期的にやっているけれど、そんな時間制限のもとでは雑さにさらに拍車がかかる。食材が立ったりもする。

 だが、平野の魅力はそこだけではない。父はフランス文学者、夫はイラストレーターでエッセイストである。身の回りには文化的なあれやこれやがあり、平野もそれを吸収してきたはずだ。だからだろうか、平野の言葉はときに文学的になる。

 2月26日放送の『ごごナマ』(NHK総合)では、大根を使った料理を披露していた。いつものように平野のテンションは高く、ついついそこに目を奪われてしまいがちになる。けれど、彼女の口から出る言葉は、やはりしばしば詩的な響きを帯びる。たとえば、「いつも元気なレミさん。気分が上がらないときはあるのですか?」といった視聴者からの質問に答えたときのこと。平野は「たいていワイン飲んじゃうね」と、次のように続けた。

「シチューもカレーもそうだけど、一晩寝かせるとさ、気持ちがマイルドになって、でっかい気持ちになっちゃって。だから嫌なことがあったら一晩寝るの、ワイン飲んで。そうすると次の日は、『なーんでもない、昨日のことは』ってなっちゃうねー」

 嫌なことがあったら、お酒を飲んで一晩寝れば忘れる。それだけのことといえばそれだけだが、シチューやカレーに例えるところが詩的であり、かつ、料理愛好家っぽい。同様の話を別のところでは「時間も調味料」というような表現もしていた。なるほど、時間制限を課された平野がいつもより数割増しで面白くなるのも、時間という調味料が効いているのかもしれない。

 さて、この日はトークを交えながら50分の番組で大根料理を5品仕上げた平野。調理器具と調理器具がぶつかって派手な音を立てていた。調理台の上にはしょう油なのかソースなのか、茶色い液体が飛び散っていた。汁物を作ると、いつの間にか鍋の周りにこぼれていた。これだけ見ると、確かに平野は雑である。

 だがしかし、一度レミパンを手にするとどうだろう。どこまで知られているのかわからないけれど、レミパンにはさまざまな機能がある。たとえば、フタは自立する。持ち手の部分は、レミパンとセットで購入できる専用のおたまとかがピタッとくっついて置ける仕様になっている。フタの取っ手には菜箸などを一時的に入れておく穴もある。つまり、調理中にいったん使わないフタや菜箸などを調理台にじかに置かなくてよい、清潔で機能的な調理を可能にするグッズがレミパンなのだ。

 で、平野はそんなレミパンの機能を存分に使う。おたまや菜箸は調理台の上に乱雑に置かれることなく、レミパンの然るべき場所に収められていた。この日はどの食材も立てられてはいなかったけれど、鍋から外されたフタはキレイに立てられていた。

 平野の料理は雑である。しかし、自身が販売するレミパンの使用は丁寧だ。各局を渡り歩き、料理番組をあたかもレミパンの通販番組にしてしまう平野。そんな実業家としての側面もまた、彼女の魅力である。

■こぼん「テレビのエンタテインメントとしては面白くもなんともないでしょう」

 芸人に仕掛けられるドッキリの定番のひとつに、解散ドッキリがある。辛苦を長年ともにしてきた相方から唐突に解散を告げられたら、どう振る舞ってしまうのか? 宣告された側の困惑。浮かび上がる相方との関係性。にじみ出る芸人観。隠しカメラを通して伝えられる、そんなこんなを味わうドッキリである。悪趣味といえば悪趣味だが、ドッキリは総じて悪趣味だ。

 そんな解散ドッキリを、若手や中堅ではなく、長年連れ添ってきた師匠クラスの芸人に仕掛けるとどうなるか? 2月27日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で、「芸人解散ドッキリ 師匠クラスの方が切ない説」が検証された。シチューやカレーのように一晩どころではない。一緒に芸の道を歩み始めて数十年という時間の長さが、このドッキリの最大の調味料である。

 説検証にあたり、用意されたサンプルは2組。問題だったのは、2組目のおぼん・こぼんである。今回のドッキリの見届け人であるナイツいわく、結成して53年になる2人は仲が良い時期と悪い時期を繰り返しており、現在は最悪。8年間私語を交わしていない状態らしい。そんななか、解散ドッキリが行われた。前置きからしてしびれる。

 仕掛け人であるおぼん(70)が会話を切りだす。が、「オレがなんで怒ってるか、オマエわかるか?」と、いきなりのケンカ腰である。もはや初めからドッキリを仕掛ける姿勢ではないわけだが、それに対しターゲットであるこぼん(70)も、「アンタのことはわからん」「もうええ」というように、おぼんの言葉にまったく聞く耳を持たない。つまり、こちらもケンカを受けて立つ構え。50数年前の結成時の話が蒸し返される。漫才協会の業務の話題にもなる。この場の空気にいたたまれなくなったマネジャーも席を立つ。そして、とうとうこぼんが口にする。

「すっきりしましょう」

 おぼんがドッキリで解散を告げるはずだったのに、こぼんがリアルに解散を提案してしまったのだ。

「テッテレー」と効果音が鳴り、「ドッキリ大成功!」のプレートを持って登場するナイツ。しかし、「シャレになるドッキリとならんドッキリあるで、これ」と言い、ナイツにおしぼりを投げつけるこぼん。そして、ドッキリのバラシがあったにもかかわらず、「一言謝れや」と、なぜかケンカを続けるおぼんであった(カメラがいったん引いた後の話し合いで、おぼん・こぼんの解散は回避されたそうだ)。

 今回のドッキリ、仕掛けたのは誰で、仕掛けられたのは誰だったのだろう? 予告ドッキリ(ターゲットになる芸能人に、ドッキリであることを事前に予告しておくドッキリ)など少しひねったドッキリも少なくない中で、『水曜日のダウンタウン』はこれまでも他に例のないいちだんとひねったドッキリを企画してきたが、ここにきて、そもそもドッキリを仕掛けた側も仕掛けられた側も、最終的にどこにもいないドッキリを放送してしまった。

 さて、ネタバラシ(と言えるのかどうか)が終わり、おぼんは部屋を後にした。正座したナイツがこぼんをフォローする。わざわざこのためにご足労いただき申し訳ありませんでした。でも、放送後の反響は大きいはずです。話題にもなるはずです。編集もうまいことゴニョゴニョしてくれるはずです。そう言ってなだめるナイツに、こぼんが言い放つ。

「でも、テレビのエンタテインメントとしては面白くもなんともないでしょう」

 時間は調味料である。しかし、おぼん・こぼんの53年にわたる時間は、塩とか砂糖とかそういった調味料というよりも、ハバネロとかジョロキアみたいな類いの香辛料。もはや味覚ではなく痛覚である。しかし、そんな痛覚を楽しむ好事家もいるのです、師匠。

■小籔千豊「この番組を見た人は、お暇なとき、浅草の方の東洋館に行って……」

 引き続き、『水曜日のダウンタウン』の解散ドッキリの話。VTRが終わって画面はスタジオに戻る。しかし、ダウンタウンとゲストの面々に浮かぶ困惑の表情。「いや~」という声も漏れる。VTRをどう受け止めてよいのか、わからない雰囲気だ。ここで、今回の説のプレゼンターである小籔千豊が語り始めた。小籔によると、この解散ドッキリのオファーは、マネジャーが一度断ったそうだ。しかし、おぼんが「漫才協会の役に立つのだったら、引き受けよう」ということで、了承したのだとか。

「で、こぼん師匠。大変怒ってはりました。途中、おぼん師匠が『サービス精神ないねん』って言うてはりましたけど、あんな怒ってるとこ普通やったらオンエアされたくないです。師匠が『もう流すな』言うたら終わりのところを、こぼん師匠は『かまへん。テレビ流していいよ』という、こぼん師匠のOKいただきましたので、このVTRが流れることになっております。ですので、サービス精神バリバリあるこぼん師匠。ありがとうございますっ! そして、なんと次の日も、いつもの劇場に出られて、おぼん・こぼん師匠、いつものように大爆笑をとってらっしゃったというふうに聞いております。あれだけケンカして仲悪かったのに、次の日ネタ、バッチリやって、ドーン。ですのでこの番組を見た人は、お暇なとき、浅草の方の東洋館に行って、おぼん・こぼん師匠の漫才、生で見ていただきたいなというふうに思いますね」

 このように、小籔は長尺でしゃべる。今さら言うことではないかもしれないが、短いネタが歓迎されるといわれて久しいテレビのバラエティ番組の中で、演説調の語りを聞かせるのが小籔の真骨頂である。

 小籔は以前、こんなことを話していた(『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合、2月18日放送)。座長として吉本新喜劇の台本も手がける小籔だが、その台本は、マンネリと評されることも少なくない新喜劇の笑いの中で、異彩を放っているという。定番の型をしばしば排しているからだ。演者が台本の意図を読み取れないこともあり、観客がついてこられない恐れもある。しかし、小籔は言う。

「過去の人がやってきたことでいま定番になってることって、最初は逆風吹いてたと思うんですよ。みんな頑張って新しいことやったから今があるとしたら、逆風怖がるってセコいですよね。ボクが死んで100年後に新喜劇学を研究する大学の教授が出てきて、そのときにボクが『小籔の乱、間違いだ』って言われるのか。小籔は正しいことを言ってたのか」

 小籔は自身の行為を長い歴史の中に置く。先人たちの挑戦の積み重ねの上に自分を位置付け、さらに自分の挑戦の最終的な評価は将来の人の判断に委ねる。その言動から、時に「保守的」と言われることもあり、発言の内容には個人的にムムムと思うこともある。けれど、個々の発言の内容というよりも、長い歴史軸の上に自身の言動を置いて省察する姿勢にこそ、小籔が保守的と呼ばれて然るべきところがあるのかもしれない。

 小籔の話は長い。そして、その話が置かれる時間軸も長い。おぼん・こぼんショックが残るスタジオの空気を慰撫し、テレビの視聴者の困惑を少しずつ解きほぐすのは、このような幾重にも長い時間のしゃべりだったのだろう。カレーやシチューの尖った味も、時間を置くとマイルドになるように。

(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)

小籔千豊の業界内好感度が高すぎ! 笑いには厳しくても「とにかく謙虚でいい人」

 2月18日にNHKで放送されたドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で密着された吉本新喜劇座長・小籔千豊。笑いに対するあまりにもストイックな姿は、各方面に衝撃を与えた。

「吉本新喜劇の脚本作りの様子は驚きでしたね。会議中もまったく笑わないし、ただただ真剣に悩むばかり。あのストイックすぎる姿を意外に思った視聴者も多かったと思います」(テレビ誌記者)

 小籔というと、必ずしも明るいイメージではなく、むしろネチッとした雰囲気を持っている芸人だ。自らの怒りを“すべらない話”に変えることも多く、どちらかというと気難しい性格にも見えるだろう。そのうえ、笑いに対してあまりにもストイックとなれば、怖くてとっつきにくいタイプに思われることも多いはず。しかし、小籔と仕事をしたことがある関係者からは、まったく異なる声が聞こえてくる。

「とある番組の現場で一緒になったんですが、とにかく謙虚で優しい。ちょっとした打ち合わせでも、こちらに気を使って、制作サイドの意図に合うようなエピソードをしっかりと披露してくれるんです。こだわりが強いのかと思って、あまりむちゃな要求はできないだろうなと思っていたんですが、そんな心配はまったく必要ありませんでした。むしろ、小籔さんの方から進んでいろんなことをやってくれ、サービス精神も旺盛です」(制作会社関係者)

 別のマスコミ関係者も、小籔のサービス精神を絶賛する。

「ちょっとした短いインタビューでも、ちゃんと面白いコメントを考えてくれます。挨拶もすごく丁寧で、好印象しかないですよ」

 とにかく評判がいい小籔だが、“身内”に対しては、また少し異なるようだ。

「吉本興業の仲が良い社員や後輩芸人なんかには多少厳しい部分があるようで、サービス精神旺盛でも笑いに対しては譲れない部分があるみたいです。それこそ笑いの“プロフェッショナル”として厳しい部分もあるらしく、“小籔さんと仕事をするのはちょっとプレッシャーだ……”と漏らす後輩芸人がいるみたいです。まあ、芸人としては当然の“厳しさ”だとは思いますけどね」(お笑い業界関係者)

 だからといって、嫌われるようなことは一切ないという。

「変な先輩風を吹かせたりすることもあまりないし、むしろその“厳しさ”に対して尊敬の念を抱く後輩芸人も多いです。ただ、ちょっと“ちゃんとしすぎている”ので、チャランポランな芸人にしてみれば、面倒な存在かもしれませんけどね」(同)

 いずれにしろ“相当な人格者”といった雰囲気の小籔千豊。業界内好感度の高さゆえに、今後もまだまだ活躍し続けることとなりそうだ。

坂上忍の小籔千豊に対する「2度目のパワハラ」に批判殺到! “共演NG”待ったなし!?

 

 2度目のバトルとあって、もはや「共演NG」は避けられない!?

 5月8日に放送された『バイキング』(フジテレビ系)で、MCの坂上忍と出演者の小籔千豊との間に不穏な空気が流れたという。

「福田淳一前財務事務次官のセクハラ問題を取り上げた際、小藪は発端となった音声テープが編集されていたことや、本人が行為を認めていない段階で罪を背負わせることに関して疑問を呈した。すると、坂上は表情を硬直させ、『罪もクソも財務省認めてんだよ?』『また振る相手間違えたかな俺』とブチギレモードに。スタジオは重い空気に包まれました」(テレビ誌ライター)

 ネット上では「坂上は反対意見を言わせないつもりか」「望む返答をしなかったら恫喝ってパワハラだろ!」との批判が連打されたが、実は坂上と小藪の“冷戦”には伏線があった。

「4月10日の放送でレスリングのパワハラ問題を取り上げた際にも、『僕はどっちに肩入れしたいというよりも、平等に聞きたい』『一方的な意見だけを多めに聞くと、ちょっと怖くなってくるのは正直あります』と語る小藪に対して、坂上は『報道のあり方に疑問を呈する前に、ご自分はどうお考えなんですかって聞いてんだよ!』と口撃。この時も坂上の“パワハラ問題”がネット上で話題となっていただけに、今回も多くの視聴者が坂上の態度に憤りを覚えたようです」(同)

 売れっ子とはいえ、高圧的で独善的な坂上の態度に辟易しているタレントは、芸能界には数多いという。

「坂上は、とにかく自身の番組ではやたらと強権的で、放送後の打ち上げも参加を強要したり、飲みの席で『次、使わね~ぞ』と言い放つこともあるといいます。実際、そんな態度に嫌気を刺したホラン千秋やマギー、番組で批判された益若つばさが坂上との共演を拒否。有吉弘行も過去に放送された番組で、『だから坂上忍さんを見ていると、まだカリカリしてんの? って思うもん』『あ~、また(共演)NGになっちゃう~』と坂上への苦言を漏らしています」(芸能ライター)

 坂上の「パワハラ」によって小藪は番組から姿を消すことになるのだろうか。

乃木坂46、千原ジュニア、森昌子……“モデルデビュー”で物議を醸したタレントたち

<p>B美 小籔千豊がファッション誌「NYLON JAPAN」(カエルム)、「ViVi」「VOCE」(ともに講談社)の専属モデルに就任したっていうニュース、見た? 女性誌で3誌同時に専属を務めるのは芸人史上、女性ファッション誌史上初めてなんだって。</p>

小籔千豊は、なぜ美魔女に怒るのか? 「白髪染めを我慢する母」賛美の単純すぎる本心

<p> 誰にも迷惑かけてないし、心の中で満足しているんだから、いいと思うんです――美魔女問題は、初代グランプリ美魔女、草間淑江氏の一言で全て解決できると思うのだが、お笑い芸人・小籔千豊はどうしても彼女たちを捨て置けないようである。インスタグラムに「今日のネイルだょ」と題して、自らの素爪をアップするなど、女性を痛烈に皮肉っている。『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)においては、美魔女に対して以下のように主張した。</p>