フィギュア少女の「孤独」に私たちは救われる……『スピン』の描く苦しみ・喜びの福音

 張り詰める冷気。ほのかに漂う汗の香り。誰よりも早くリンクへと降り立った彼女は、確かに孤独ではあったのだが、ブレードが氷を削る音を聞きながら、不思議と心が満たされていくのを感じていたことだろう。何者にも邪魔をされることがない、私だけの清潔な王国。その感覚を、アイススケートになどついぞ縁がない私も、なぜか知っているような気がした。

 『スピン』(河出書房新社)は著者、ティリー・ウォルデンの自伝的作品であり、将来有望なフィギュアスケーターであった少女の視点から、練習に明け暮れる日々、得恋の喜び、悲しい恋の終わり、息苦しい母との関係を描いたグラフィックノベルだ。

 彼女には秘密があった。同性愛者だったのだ。

「5つのときから自分がゲイ※だとわかっていた。わたしはもうすぐ12歳になる」
「スケートは奇妙な敗北感をわたしにつきつけてくる。女らしい要素のすべてに嫌悪を抱きながらなおも惹かれた」
「とっくに気づいていたからといって、楽になるわけじゃない」
「いけないことだとわかっていたから誰にも胸の内を明かさなかった」
「だから密かに恋をした。何度も何度も。報われるなんてただの一度も考えなかった」

 心を削り出すかのような痛切なモノローグが読む者の胸を締め付ける。あきらめることで自らを守ろうとしていた彼女は、しかし恋に落ちた。

「初恋は誰にとっても特別だ。だが年の浅い秘密のゲイ同士となると、話はまったく違ってくる」
「覚えているのはスリルでも自由な感覚でもなく―」
「恐怖だった」

 保守的なテキサスの地で、彼女たちの孤独感はいかばかりのものだったろう。同性愛者に対してヘイトを叫ぶ映像に一抹の不安を覚えながらも、気持ちだけは止められなかった。やがてその関係は親たちの知るところとなり、突然の終局が訪れる。悲しい恋の終わり。だが後に、彼女はこう振り返るのだった。

「誰かがわたしに好意を返してくれるなんて思いもしなかった。でもレイの気持ちは本物だった」

 彼女は懸命に世界と和解しようとしていた。思い出すのは大島弓子の『バナナブレッドのプディング』(白泉社)のこのセリフだ。

「わたし 薔薇の木は大好きだった でも 薔薇の木から 好きだよなんて いってもらえるなんて 夢にも思わなかった 夢にも 思わなかったわ……」

 国や人種を超えてマンガの魂が共鳴する。主人公の在りよう、世界と対峙するスタンスは、どこか大島や岡崎京子の作品に似ている。

 思えばフィギュアスケートは本邦の少女マンガにおいても格好のテーマであった。槇村さとる『愛のアランフェス』『白のファルーカ』、おおやちき『雪割草』(いずれも集英社)、川原泉『銀のロマンティック…わはは』(白泉社)、小川彌生『キス&ネバークライ』(講談社)……。その多くにあってフィギュアスケートは、人生そのもののように描かれていた。

 本作も紙幅の大半はフィギュアスケートの描写に割かれているが、心に響くのは主人公の葛藤や悲しみを綴るモノローグだ。それはフィギュアスケートというスポーツの特異性に因るところが大きい。「このスポーツは生き方とセットだ。そこに選択の余地はない」のだ。滑ること、踊ることは運命のようなものだと、ある種のスケーターは見る者に思い知らしめる。そして華やかさとは裏腹なその残酷さが、人々をまた惹きつけるのだった。

 脆弱な繊細さを抱えた私たちは、あるときは孤独でありたいと思いながら、またあるときはそれを寂しいとも思う、わがままな存在だ。人は1人では生きていけないこともわかっているのだが、他者の無神経や悪意に傷つけられたくはない。消去法として選んだ孤独にとって、恋は福音なのか、猛毒なのか。

 本作は明確な答えを提示する類のものではなく、ただ1人の女性の青春時代を描く。私たちはそこにかつての自分自身を見るだろう。たとえ30歳、40歳になっても消化しきれない、あの頃の苦しみや喜びが、ただそこに表現されているというだけで、今の私も、あの頃の私も救われるのだ。確かに私は孤独だった、でも私は孤独ではなかったのだと。

 12年間続けてきたフィギュアスケートに別れを告げ、二度とスケートはしないと誓った2年後のある日、主人公はふらりとアイスリンクを訪れる。スケートをするためではない。「立ち去れることを自分に証明する必要があった」のだ。鮮やかなアクセルジャンプを着氷した彼女は、そそくさとリンクを出る。フィギュアスケートのジャンプの中で、アクセルは唯一前を向いて踏み切るジャンプだ。跳ぶたびに彼女はこう願ったという。「ターンして踏み切る一瞬、今度こそうまく行きますようにと全身全霊で祈った」。私たちは今日も祈りながら跳んでいる。

※原文ママ。同性愛者全般を意味する。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14架を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「FRaU」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」などで主に女子マンガに関して執筆。2017年12月12日OA『マツコの知らない世界』(TBS系)出演。

フィギュア少女の「孤独」に私たちは救われる……『スピン』の描く苦しみ・喜びの福音

 張り詰める冷気。ほのかに漂う汗の香り。誰よりも早くリンクへと降り立った彼女は、確かに孤独ではあったのだが、ブレードが氷を削る音を聞きながら、不思議と心が満たされていくのを感じていたことだろう。何者にも邪魔をされることがない、私だけの清潔な王国。その感覚を、アイススケートになどついぞ縁がない私も、なぜか知っているような気がした。

 『スピン』(河出書房新社)は著者、ティリー・ウォルデンの自伝的作品であり、将来有望なフィギュアスケーターであった少女の視点から、練習に明け暮れる日々、得恋の喜び、悲しい恋の終わり、息苦しい母との関係を描いたグラフィックノベルだ。

 彼女には秘密があった。同性愛者だったのだ。

「5つのときから自分がゲイ※だとわかっていた。わたしはもうすぐ12歳になる」
「スケートは奇妙な敗北感をわたしにつきつけてくる。女らしい要素のすべてに嫌悪を抱きながらなおも惹かれた」
「とっくに気づいていたからといって、楽になるわけじゃない」
「いけないことだとわかっていたから誰にも胸の内を明かさなかった」
「だから密かに恋をした。何度も何度も。報われるなんてただの一度も考えなかった」

 心を削り出すかのような痛切なモノローグが読む者の胸を締め付ける。あきらめることで自らを守ろうとしていた彼女は、しかし恋に落ちた。

「初恋は誰にとっても特別だ。だが年の浅い秘密のゲイ同士となると、話はまったく違ってくる」
「覚えているのはスリルでも自由な感覚でもなく―」
「恐怖だった」

 保守的なテキサスの地で、彼女たちの孤独感はいかばかりのものだったろう。同性愛者に対してヘイトを叫ぶ映像に一抹の不安を覚えながらも、気持ちだけは止められなかった。やがてその関係は親たちの知るところとなり、突然の終局が訪れる。悲しい恋の終わり。だが後に、彼女はこう振り返るのだった。

「誰かがわたしに好意を返してくれるなんて思いもしなかった。でもレイの気持ちは本物だった」

 彼女は懸命に世界と和解しようとしていた。思い出すのは大島弓子の『バナナブレッドのプディング』(白泉社)のこのセリフだ。

「わたし 薔薇の木は大好きだった でも 薔薇の木から 好きだよなんて いってもらえるなんて 夢にも思わなかった 夢にも 思わなかったわ……」

 国や人種を超えてマンガの魂が共鳴する。主人公の在りよう、世界と対峙するスタンスは、どこか大島や岡崎京子の作品に似ている。

 思えばフィギュアスケートは本邦の少女マンガにおいても格好のテーマであった。槇村さとる『愛のアランフェス』『白のファルーカ』、おおやちき『雪割草』(いずれも集英社)、川原泉『銀のロマンティック…わはは』(白泉社)、小川彌生『キス&ネバークライ』(講談社)……。その多くにあってフィギュアスケートは、人生そのもののように描かれていた。

 本作も紙幅の大半はフィギュアスケートの描写に割かれているが、心に響くのは主人公の葛藤や悲しみを綴るモノローグだ。それはフィギュアスケートというスポーツの特異性に因るところが大きい。「このスポーツは生き方とセットだ。そこに選択の余地はない」のだ。滑ること、踊ることは運命のようなものだと、ある種のスケーターは見る者に思い知らしめる。そして華やかさとは裏腹なその残酷さが、人々をまた惹きつけるのだった。

 脆弱な繊細さを抱えた私たちは、あるときは孤独でありたいと思いながら、またあるときはそれを寂しいとも思う、わがままな存在だ。人は1人では生きていけないこともわかっているのだが、他者の無神経や悪意に傷つけられたくはない。消去法として選んだ孤独にとって、恋は福音なのか、猛毒なのか。

 本作は明確な答えを提示する類のものではなく、ただ1人の女性の青春時代を描く。私たちはそこにかつての自分自身を見るだろう。たとえ30歳、40歳になっても消化しきれない、あの頃の苦しみや喜びが、ただそこに表現されているというだけで、今の私も、あの頃の私も救われるのだ。確かに私は孤独だった、でも私は孤独ではなかったのだと。

 12年間続けてきたフィギュアスケートに別れを告げ、二度とスケートはしないと誓った2年後のある日、主人公はふらりとアイスリンクを訪れる。スケートをするためではない。「立ち去れることを自分に証明する必要があった」のだ。鮮やかなアクセルジャンプを着氷した彼女は、そそくさとリンクを出る。フィギュアスケートのジャンプの中で、アクセルは唯一前を向いて踏み切るジャンプだ。跳ぶたびに彼女はこう願ったという。「ターンして踏み切る一瞬、今度こそうまく行きますようにと全身全霊で祈った」。私たちは今日も祈りながら跳んでいる。

※原文ママ。同性愛者全般を意味する。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14架を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「FRaU」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」などで主に女子マンガに関して執筆。2017年12月12日OA『マツコの知らない世界』(TBS系)出演。

シンデレラ願望を打ち砕く傑作『やんごとなき一族』、“王子様”との「その後」を描く

 「どて焼き」「桜の柄の着物」「人数分に足りない和菓子」……なんの三題噺かと思うでしょうが、これらのアイテムを鮮やかに配置して、極上のエンタテインメントを紡ぎ出すのが、こやまゆかりという作家の豪腕。待望の新作『やんごとなき一族』(講談社)は日本屈指の高級住宅街・芦屋を舞台に、身分違いの結婚をしてしまったある女性の奮闘記です。

 主人公は大衆食堂「まんぷく屋」の一人娘・佐都。3日間かけて仕込むという看板メニューのどて焼きには多くのファンが存在し、のちに佐都の夫となる健太もその1人でした。いつしか恋仲となった2人ですが、なにを隠そう健太は名門旧家の次男。ゆくゆくは長男を差し置いて一族の跡取りとなる身です。そんな彼との結婚が一筋縄でいくわけはなく……。

 どて焼きを手みやげに健太の実家へ結婚の挨拶へと向かった佐都でしたが、屋敷に足を踏み入れようとした瞬間、無情にも門扉を閉められます。インターホン越しに響く健太の父親の声。「佐都さんとやら、自分の身の程を知っているのなら、二度とこの場所に足を踏み入れるような恥ずかしいマネはできないはずだ」。大きなショックを受けた佐都はその場から離れようとするのですが、転倒してどて焼きを芦屋の路上にぶちまけてしまいます。「ごめん、ごめん−−どて焼きが…!!」。どて焼きを愛する健太の切ない声が閑静な高級住宅街に虚しく響き渡ります。どて焼きに込められた佐都と家族の想い。上流階級の人間でありながら庶民的な生活を愛する健太。そして、その父の横暴。どて焼きというアイテム1つで、こやま先生はこんなにも起伏のある物語を描き出すことができるのです。

 「桜の柄の着物」は佐都の母親が唯一持っていた着物。ちょうど桜の季節だからと佐都はそれを着て健太の実家へと赴くのですが……。「人数分に足りない和菓子」は、健太の祖母から「みなさんにお出しして」と手渡された上生菓子。ところがそれは今ここにいる人間の数にはまったく足りていないのです。そこで佐都がとった行動とは……。一つひとつのエピソードが実に巧みで厚みがあり、期待を裏切りません。こうしたアイテムはこれ見よがしに登場し、読者はすぐに「フラグ」だとわかるのですが、いかんせん続きが気になって仕方ないのです。圧倒的な物語の力。作者の掌の上で転がされる快感。これぞまさにザ・浪花節。

 王子様と結ばれ“めでたしめでたし”の先は?

 それだけではありません。こやま先生の作品は、いつだって女性が何かを手に入れる物語で、女性をエンパワメントするマンガです。そして冒頭の「シンデレラは王子様に見初められ、玉の輿に乗り、豪華なお城で一生幸せに−−果たして暮らせたのでしょうか?」というネームは、渡辺ペコ先生の『1122』(講談社)の問題意識にも通じます。1巻の最後で『1122』の主人公はこう言いいます。「『王子様はお姫様をお城に連れて帰り、そうして二人は結婚して、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし』ていうのよくあるじゃないですか? 昔っから。でもさ、彼らあのあとぜったい大変じゃない? 私が見たいのは、生きたいのは、“めでたしめでたし”のその先、そのずっと先なのです」。まったく作風の異なるこの2作ですが、パラレルで読まれるべき女子マンガの傑作だと私は考えています。

 現在、こやま先生が原作を手がけた『ホリデイラブ ~夫婦間恋愛~』(講談社)がテレビ朝日系列の「金曜ナイトドラマ」枠でドラマ化され、好評のを得ながらオンエアされています。同局の深夜枠では以前にもこやま先生の『バラ色の聖戦』(同)をドラマ化していました。これはもう来年あたりやるしかないでしょう。ドラマ化待ったなしの『やんごとなき一族』、ぜひご注目を。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14架を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「FRaU」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」などで主に女子マンガに関して執筆。2017年12月12日OA『マツコの知らない世界』(TBS系)出演。

仕事&男を捨てリスタート、『凪のお暇』が現代女性の“リセット後”の困難を描く

 

 東京の片隅、立川に『聖☆おにいさん』(講談社)以来のマンガ的ビッグウェーブがやって来ようとしています。1巻が口コミでじわじわと話題になり、2巻は発売直後に完売&重版、「an・an」(マガジンハウス)マンガ大賞も獲得して、3巻は大部数で展開、遂には2018年のマンガ大賞にもノミネートされた、飛ぶ鳥を落とす勢いのそのマンガ作品の名は、コナリミサト先生の『凪のお暇』(秋田書店)です。舞台は立川のボロアパート。仕事でもプライベートでも空気を読みすぎていた自分が嫌になり、人生をリセットしたいと願った主人公・凪(28)は、会社もSNSも辞めて人間関係を断ち切り、この街で裸一貫やり直そうと決意したのでした。

 節約が唯一の趣味だという凪の節約テクニックがふんだんに盛り込まれた本作は、それだけでも十二分に役に立つ実用エンタテインメント作品に仕上がっているのですが、なによりも秀逸なのはクズ男の描写であります。本作には2人のクズ男が登場し、いずれも完全な極悪人というわけでもなく、いかにもそこらへんにいそうな普通の男どもであり、だからこそ生々しくてドキドキしてしまうのです。

 まず1人目は凪の元彼。勤め先では人当たりの良い営業部のエースとして全方位から人気を集める彼ですが、「抑圧支配型」とでも言いましょうか、凪に対して「ブス」だの「おまえは絶対変われない」だの、言葉によって呪いをかけて、逃げようとする凪をその場に押し止めようとするモラハラ糞野郎です。ところが実は心の底から凪のことが好きで、なんとかして関係を修復したいと願っているのですが、肝心なところで不器用なものだから、モラハラ的な物言いしかできないのでした。

 2人目は新天地、立川のアパートで隣室に住むイベントオーガナイザー(怪しい……)の男。人との距離感が異常に近く、自由に楽しく生きていて、誰とでもすぐに親密な関係に持ち込める彼は、目の前にいる人にはそれなりに誠実なのですが、目の前からいなくなると途端にどうでもよくなるという、ややこしいやつ。一緒にいるととても楽しく、言ってほしい言葉も言ってくれる彼に、凪もうっかり接近してしまうのですが、自分の目が届かないところではどうしているのかさっぱりわからないものですから、途端に不安感に襲われてなにも手につかなくなってしまうのです。「メンヘラ製造機」という二つ名が言い得て妙で、近くにいるときの心地よさと、離れているときの不安感の落差がクセになって、凪も案の定、メンタルがヘラりつつあるのでした。

 まさに前門の虎、後門の狼というやつです。このマンガの世界にはクズ男しかいないのでしょうか。コナリ先生、まさかこの2択なんですか!?

 1つ確実に言えることは、いずれか一方にのみ過大な負担を要求する人間関係は、とても健全なものとは言えないということです。元彼はもちろんのこと、自由すぎる隣人も、意図的ではないものの、人の心を弄び、支配しています(ちなみに双方に過大な負担を要求する関係性は「共依存」と言って、精神科の領域になります)。

 それは恋愛関係のみならず、たとえば凪が疲れ果ててしまった「空気を読む」という行為も、マジョリティがマイノリティに対してある振る舞いを強要する暴力であります。

 消耗戦に持ち込まれた人間関係は長続きしません。本作を読む限り、凪が求めているのは、たとえ1人でも感じることのできる、ささやかだけど豊かな幸せと、安定的でサスティナブルな人間関係であるように思います。これって現代人の多くが共感し得る理想ですよね。

 コナリミサト先生のことはずっと応援し続けてきましたが、ここにきて、ついにブレークの予感です。ユーモアのセンス、キャラクターの作り込み、かわいらしい絵。どれを取っても売れる要素しかないので、この作品を機にぜひご注目ください。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14架を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「FRaU」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」などで主に女子マンガに関して執筆。2017年12月12日OA『マツコの知らない世界』(TBS系)出演。

仕事&男を捨てリスタート、『凪のお暇』が現代女性の“リセット後”の困難を描く

 

 東京の片隅、立川に『聖☆おにいさん』(講談社)以来のマンガ的ビッグウェーブがやって来ようとしています。1巻が口コミでじわじわと話題になり、2巻は発売直後に完売&重版、「an・an」(マガジンハウス)マンガ大賞も獲得して、3巻は大部数で展開、遂には2018年のマンガ大賞にもノミネートされた、飛ぶ鳥を落とす勢いのそのマンガ作品の名は、コナリミサト先生の『凪のお暇』(秋田書店)です。舞台は立川のボロアパート。仕事でもプライベートでも空気を読みすぎていた自分が嫌になり、人生をリセットしたいと願った主人公・凪(28)は、会社もSNSも辞めて人間関係を断ち切り、この街で裸一貫やり直そうと決意したのでした。

 節約が唯一の趣味だという凪の節約テクニックがふんだんに盛り込まれた本作は、それだけでも十二分に役に立つ実用エンタテインメント作品に仕上がっているのですが、なによりも秀逸なのはクズ男の描写であります。本作には2人のクズ男が登場し、いずれも完全な極悪人というわけでもなく、いかにもそこらへんにいそうな普通の男どもであり、だからこそ生々しくてドキドキしてしまうのです。

 まず1人目は凪の元彼。勤め先では人当たりの良い営業部のエースとして全方位から人気を集める彼ですが、「抑圧支配型」とでも言いましょうか、凪に対して「ブス」だの「おまえは絶対変われない」だの、言葉によって呪いをかけて、逃げようとする凪をその場に押し止めようとするモラハラ糞野郎です。ところが実は心の底から凪のことが好きで、なんとかして関係を修復したいと願っているのですが、肝心なところで不器用なものだから、モラハラ的な物言いしかできないのでした。

 2人目は新天地、立川のアパートで隣室に住むイベントオーガナイザー(怪しい……)の男。人との距離感が異常に近く、自由に楽しく生きていて、誰とでもすぐに親密な関係に持ち込める彼は、目の前にいる人にはそれなりに誠実なのですが、目の前からいなくなると途端にどうでもよくなるという、ややこしいやつ。一緒にいるととても楽しく、言ってほしい言葉も言ってくれる彼に、凪もうっかり接近してしまうのですが、自分の目が届かないところではどうしているのかさっぱりわからないものですから、途端に不安感に襲われてなにも手につかなくなってしまうのです。「メンヘラ製造機」という二つ名が言い得て妙で、近くにいるときの心地よさと、離れているときの不安感の落差がクセになって、凪も案の定、メンタルがヘラりつつあるのでした。

 まさに前門の虎、後門の狼というやつです。このマンガの世界にはクズ男しかいないのでしょうか。コナリ先生、まさかこの2択なんですか!?

 1つ確実に言えることは、いずれか一方にのみ過大な負担を要求する人間関係は、とても健全なものとは言えないということです。元彼はもちろんのこと、自由すぎる隣人も、意図的ではないものの、人の心を弄び、支配しています(ちなみに双方に過大な負担を要求する関係性は「共依存」と言って、精神科の領域になります)。

 それは恋愛関係のみならず、たとえば凪が疲れ果ててしまった「空気を読む」という行為も、マジョリティがマイノリティに対してある振る舞いを強要する暴力であります。

 消耗戦に持ち込まれた人間関係は長続きしません。本作を読む限り、凪が求めているのは、たとえ1人でも感じることのできる、ささやかだけど豊かな幸せと、安定的でサスティナブルな人間関係であるように思います。これって現代人の多くが共感し得る理想ですよね。

 コナリミサト先生のことはずっと応援し続けてきましたが、ここにきて、ついにブレークの予感です。ユーモアのセンス、キャラクターの作り込み、かわいらしい絵。どれを取っても売れる要素しかないので、この作品を機にぜひご注目ください。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14架を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「FRaU」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」などで主に女子マンガに関して執筆。2017年12月12日OA『マツコの知らない世界』(TBS系)出演。

2017年女子マンガに現れた「クソ男キャラ」4選! “絶望”を読者に見せる時代に?

 2017年、芸能界では宮迫博之を筆頭にした芸人勢から大御所俳優の渡辺謙まで多くの著名人の不倫が続々と発覚し、世間を騒がせました。また、不倫スキャンダル以外にも、人気俳優・小出恵介の未成年淫行による無期限活動休止や、女優・高畑淳子の長男で俳優の高畑裕太が強姦致傷の容疑で逮捕されるなど、衝撃的かつ許しがたい事件もありました。

 そんな、世の女性に憤りを感じさせるような、多くの“クソ男”が誕生した芸能界ですが、マンガの世界にもそうした男キャラクターは多数登場する……。そこで、17年にマンガ界で登場した問題男たちをご紹介。

 サイゾーウーマンにて「女子マンガ月報」を連載中、最近では12月に放送された『マツコの知らない世界』(TBS系)に出演し、女子マンガの世界をマツコに熱く説いた、話題の女子マンガ研究家・小田真琴氏が厳しくツッコミます!

 

◎『透明なゆりかご』妻の妊娠を期に豹変……変化に弱いマザコン男

「少女マンガには登場しなかったようなクソ男が、大人向けの少女マンガ≒女子マンガにはゴロゴロ登場します。希望とともに、絶望も思い知らせてくれるのが女子マンガですからね。白馬の王子さまだけを描いていればよいという時代は終わったのです」

 たとえば、生と死が交錯する産婦人科の現場を見習い看護師の目線から描いて話題となり、累計300万部のベストセラーとなった『透明なゆりかご』(講談社、沖田×華)。最新刊の6巻にはこんな男が登場する。

「ある若い夫婦のエピソードです。妻の妊娠が判明して、当初は喜んでいた夫が、妻のつわりが始まった途端にへそを曲げて、『だからそんなに太るんだよ』とか『妊娠したらこんなに変わるなんて思わなかった。別人みたいだよ…』などと言い始めやがるんですよ」

 言動は次第にエスカレートし、軽くではあるが遂に妻はおなかを殴られる。身の危険を感じた妻は友人宅へ避難するのだが、そこに乗り込んできた夫と義母は、反省の弁を述べるどころか、「…お前 浮気してるだろ……」。義母も義母で「私も悪阻は酷かったけどアンタみたいになったことないよ! 愛情が無くなったから 怠けて太って息子を突き放すようになったんだろ?」と妻を責め立てる。

「変わっていく妻の体に戸惑うばかりで、父親になる心の準備がまったくできていなかったクソ男ですね。しかもマザコン。最低です」

 しかしそんな男も最初は優しかったのでは? 男の本性を見分ける術はないのだろうか。

「こういう手合いは相手が自分の望むとおりであるうちはおとなしくしているのですが、そうでなくなった瞬間に牙を剥きます。言うなれば変化に弱いクソ男。人の関係性や環境は常に変化するものなのですから、常に自分にとって理想の状態があるなどと考えているのは甘えでしかありませんよね」

◎『凪のお暇』コンサバ女装を強要する圧倒的なモラハラ男

 口コミで人気が広がり、11月に発売された2巻は即完売、すぐに重版がかかったという『凪のお暇』(秋田書店、コナリミサト)。

 人畜無害のコンサバOLに擬態し、場の空気を読みまくって生きてきた大島凪(28歳)が、過呼吸で倒れたことをきっかけに会社を辞めて裸一貫出直すというリセット断捨離ラブコメだが、ここでもクソ男が登場。

「凪の元同僚にして元彼である我聞慎二です。こいつはせっかく人生をやり直そうとしている凪に呪いの言葉を投げかけるのですね。クセ毛を隠すために無理矢理かけていたストレートパーマをはずした凪の頭を見て『おまえブスになったなあ』とか、『28年間生きてきて骨の髄まで染みこんだもんを 物捨てたくらいでリセットできてたまるか いいか凪 おまえは絶対変われない』とか。これは圧倒的にモラハラです」

 一方で、慎二が心底凪に惚れていたからこその言動だったと作品中では描かれているが……。

「小学生男子じゃあるまいし。だいたい彼が愛しているのは、ストレートパーマをかけ、コンサバOLに擬態し、彼に従順だったかつての凪です。本人はそれが嫌で逃げ出したのだから、すでに2人は一緒にいるべきではありません。自分を規定するのは自分であるべきで、他人ではありません」

◎女を支配しようとする男たち


 ほかにもクソ男が登場する女子マンガは多数あるが、その究極とも言うべきが、11月に完結したばかりで、男と女の性の不平等をえぐるように描き話題となった、『先生の白い嘘』(講談社、鳥飼茜)の早藤と、1月16日よりドラマ版が始まる『きみが心に棲みついた』(講談社、天堂きりん)『きみが心に棲みついたS』(祥伝社)の星名だ。

「早藤は相手をレイプして心身ともに支配しようとするクソ男です。星名は言葉で心身ともに支配しようとするクソ男。共にキーワードは“支配”です。早藤ですら目的は性欲の充足ではなく、支配なんですよね」

 DVだったりモラハラだったり、実はこうした話は私たちの身近にもざらにある。

「当事者に限って、『そんなな大げさなものじゃないかも…』って思い込みがちなのですが、それは絶対違います。冷静に客観視するためにも、マンガでクソ男を知っておくことは、必ず役に立つことでしょう」と小田氏はいう。

 「白馬の王子様だと思った人が実は……」と泣かないためにも、女子マンガから“絶望”を垣間見て、現実を見据えられるよう18年を過ごしたい。

オンナを描く漫画家・鳥飼茜に聞いた、女社会の“本質”と母親という女について

 漫画家・鳥飼茜が止まらない。10月には最高傑作との呼び声も高い『先生の白い嘘』(講談社)の完結巻となる8巻、新作『ロマンス暴風域』(扶桑社)1巻、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)のスピンオフ本『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』(祥伝社)と、一挙に3冊をリリース。さらには「クイック・ジャパン」vol.134(太田出版)で大々的に特集されるなど、まさに大車輪の活躍だ。さまざまな角度から女を描き、そして女をエンパワメントしてきた鳥飼茜の、作家としての現在地を女子マンガ研究家・小田真琴が2回にわたって聞く。まずは前編、テーマは「嘘と女」について。

鳥飼茜(とりかい・あかね)
大阪府出身。2004年、「別冊少女フレンド DX ジュリエット」(講談社)でデビュー。2010年に「モーニング・ツー」(講談社)で連載を開始した『おはようおかえり』(講談社)が評判となって一躍人気作家となる。代表作に『先生の白い嘘』(講談社)、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)など。女性の心の機微を描き出す力はマンガ界でも随一。現在は「SPA!」(扶桑社)、「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)、「Maybe!」(小学館)でマンガ作品を連載中。

――新作『ロマンス暴風域』は男性週刊誌「SPA!」での連載ということもあって、これまでとはまた違った毛色の作品です。ページの余白が黒く塗り潰されていて驚きでした。

鳥飼茜氏(以下、鳥飼) 初めてコピック(高品質のカラーマーカー。マンガのカラーページを描くのによく用いられる)でマンガを描いたんですけど、グレーの階調が多いんで、見た目が散らからないかなって不安があったんです。背景を締めればなんとかなるんじゃないかと考えて。あとは映画見てるみたいな感じになってくれたらいいな、って思ったんですね。なんか、夢みたいな話なんで。

――本のサイズも珍しく大きめのA5判ですね。

鳥飼 階調が多い絵なんで、大きい方がいいと思います。小さくすると鬱陶しいかもね。でも、私の経験上絶版になるというマイジンクスがありまして……やばいね(笑)。大丈夫ですか(笑)?

『ロマンス暴風域』は男の一人称で描く現代の「男のロマンス」だ。風俗店で出会ったせりかに運命の出会いを感じた高校の臨時教員サトミン。ところが次第にせりかは平気で嘘がつける人間だとわかっていく。なにが嘘で、なにが真実なのか。それでもサトミンの心に吹き荒れるロマンスの暴風はやむことがない。

――「夢みたいな話」とのことですが、『ロマンス暴風域』のせりかがつく嘘は、もはや幻想的ですらあります。

鳥飼 せりかは超嘘つきですけど、私自身からはかけ離れているから、ドラマチックだなあと思って、おもしろく思ったんです。絶対に自分がしないことだから。嘘をつく人のメカニズムが全然わからないんですよね。

――嘘かほんとかみたいなことに、あまり興味がない?

鳥飼 そうかもしれませんね。嘘でもいいんで。せりかは嘘をつくけど、どれも本当じゃなかったとしても、その瞬間、それを信用して、自分が気持ちよかったらそれでいいんじゃないかって。それが現実と違うからといって、じゃあ意味がないのかっていうと、そうとは限らなくて、その意味をいいものとして持ち替えるかどうかであって、それは対面した本人にしかわからないというか。

――マンガもある種の嘘です。

鳥飼 私のマンガはよく説教臭いと言われるんですが(笑)、その説教も嘘ですからね。なんにもないところから適当に説教を始めてるんです。真っ白な紙の上に説教を描いてるわけだから、見て来たようなことを。真実味があればいい、本気でつける嘘しかつかない、的な。かっこよく言うとね。

――鳥飼作品は嘘から立ち上がる物語が多いですよね。『おんなのいえ』の川谷の嘘とか、『先生の白い嘘』というタイトルとか……。

鳥飼 言われてみればそうですね(笑)。ずっと私の作品を読んでる人って、そういう謎の分析をしますよね! でも現実では、たぶん嘘つかれても気づかないくらい、嘘って意識したことないんですよ。前に飲み会の席で「鳥飼さんって浮気されたことないの?」って話になって、「ないですね」って答えたら、「それは騙されているか、世の中に存在するという浮気をしない2%の男とだけ付き合ってきてるかどっちかだな!」って言われたことがあります。

昨年全8巻で完結した『おんなのいえ』は、有香とすみ香、2人姉妹の恋模様を描いた女子マンガの傑作。あこがれの職業を諦め、結婚するつもりだった彼氏にもふられた有香は、バイト先のキャバクラで出会った川谷といい感じになるのだが、実は川谷は既婚者で……というのが1巻のあらすじ。

――信頼のようなもの、特に女性の共同体に対する無条件の信頼が、鳥飼作品のベースにはあるように感じます。『おんなのいえ』はまさにそうですし、現在「ダ・ヴィンチ」で連載中の『マンダリン・ジプシーキャットの籠城』もそうですね。

鳥飼 親戚も家族も女ばっかりだから、それしか知らないんですよね。結婚生活とか同棲中とかは確かに男がいましたけど、その男って単体だからあまり参考にはなりません。単体の男ってとにかく甘え倒すっていうことしか、私は知らないから(笑)。

――その中で女という性に対する信頼感が生まれていった?

鳥飼 女の人だけの共同体が好きなわけじゃないんです。どちらかと言うと苦手ですね。女友達もあまりいないし、飲みにも行かない。でも信頼はしてるんです。

――例えば女同士が足を引っ張り合うような話を描かないのはなぜですか?

鳥飼 嫌なんです。見たくない。見たくないから描かない。だから私のマンガはそれこそファンタジーなのかもしれない。そういうのを取り沙汰しすぎちゃうと、本当にあるってことになっちゃうような気がするから。

――『先生の白い嘘』の美奈子は比較的、足を引っ張るような女にも見えます。

鳥飼 美奈子はマウンティングしてるんじゃないかって言われましたけど、あれは意図的に描いていて、でも実は……って気持ちもあったから、あのラストなんですよ。ママ友の会みたいなところではマウンティング的なものも見ますし、実際にあると思うんだけれど、私がその場で急病になったりするじゃないですか。そうしたら絶対みんな優しくしてくれる。もうマウントとか横において、実際的に助けてくれるんですよ、女は。だから、そういうところだけ見ていたいんです。

美奈子は主人公・原美鈴の親友。であると同時に、美鈴を強姦した早藤の婚約者でもある。早藤の行いに美奈子は薄々感づきながらも、それには見て見ぬふりをして、幸せな女であるよう周囲へ盛んにアピールする。そんな鬱陶しいキャラクターではあるが、最終巻では大化け。実は作品の大テーマを背負う存在だったことが判明するので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。

――そっちこそが女の本質であると。

鳥飼 マウントする部分は飾りだな、と思う。その人の本来じゃないなって思うし、その人の本来っていうのは、変な言い方すると、母性に似ているのかもしれない。私の考えはとても甘いかもしれないけど、女の人には、どっか期待してるんですよね。困っていたら助け合えると思ってるし、困っていなかったら助けないし、必要があれば介入するし、必要がなければ介入しない、というのが本来的だと思っている。だけどそれをどっかそれ以上にしたりしなかったりするのは飾りかなって思っていて、その飾りがどこでできたのかっていうと、親との関係とか、きょうだいとの関係とかなんだろうなって思う。

――それはこの男社会を一緒に乗り越えて行こうという同胞意識ですか?

鳥飼 そういう感じとはまた別で、個として、女の人というものに、絶対的な信頼がありますね。理屈じゃないんですよね、うまく言えないけど。男社会を通してのマウンティングみたいなものは、逆に私はうまく描けないかもしれない。

――鳥飼先生自身は親子関係の影響を感じることはありますか?

鳥飼 めちゃくちゃありますね。うちはお母さんもめちゃくちゃ働いていたから、あまり家にいなかったんですよね。でも1日2回とか掃除機かけるんですよ。ごはんも全部手作りして。完璧主義……というか、逆ギレでやってましたね。PTAとかには来たこともないし、授業参観にも来たことない。でも家帰ったらきれいに掃除して、晩ごはん作って。きっとお父さんが頼りなかったんでしょうね。お母さんはどこかでお父さんと手を切ったんだな、って感じてました、甘えるのやめたんだなーって。すっごい自立した人なんですよ、お母さん。

――作品にも影響が?

鳥飼 あると思います。うちの母親はドライで、子育ても手塩にかけて精一杯やりましたという感じでもないんですよ。やれることはやりました、みたいな。小学校低学年くらいのときかな。手をつなごうとして手を差し出したら、小指をつままれたんですよ。べたべたするのが嫌いな人でした。愛情がないわけではないんです。だけど褒められたこともないし、すごく愛されてきたという感じもないし、かといって無視された気もないし、ものすごく適切な距離感というか。だから女の人に対する信頼って、お母さんに対する信頼と似ていると思う。私にとっては唯一神みたいな人です。

――子どもだった鳥飼先生を1人の人間として扱っていたのかもしれませんね。

鳥飼 そう思いますね。うちの家族、全員そんな感じなんですよ。みんな思ってることが違うし、血液型も全部違うし、バラバラなんですよ。統一感がない。だから家族=他人みたいなところがちょっとあって。他人だけど嘘つかないし、気も使わないし、否定することも別にないし。

――寂しくはなかったですか?

鳥飼 親に認められていなかったなあとは、ちょっと思いますよ。つい3年前くらいまで「マンガはいいけど、資格かなんか取っておけば?」って言われてましたし(笑)。最近やっと言われなくなったけど、もう娘が自慢で「こんなん描いてるから読んであげて!」みたいな感じはなくて、めちゃくちゃ照れ屋さんだから、こっそり買って読んでるみたいです。実家に行っても私の本は見えないところに置いてあるんですよ。たまに「あんたの漫画ちょっと冷たすぎるんちゃう。だから売れへんのじ ゃない?」とかって言われるんですけど、どの作品のこと言ってるんですかね(笑)。

――今はご自身が子どもを育てる立場でもあります。

鳥飼 まったく母親みたいには育てられていないです。私はすっごい介入しますね。最近やっと手を離すってことを少しずつ勉強しています。でも根本的には他人だなって感じはすごくありますね。性別も違うし。

――男だな! って思いますか?

鳥飼 男の子だなーって思いますね。先に子育てをやっておけば、もっと恋愛がうまくいっていたかもしれない(笑)。男の人を追い詰めちゃいけないとか、子育ても恋愛もいっしょだなって思います。

――どんな男性に育ってほしいですか?

鳥飼 どうなってほしいとかは特にないんですけど、もう手を離していかないとダメだなーって思いますね。マザコンではまったくなくて、あの人はたぶんちょっと女性恐怖症だと思う(笑)。どんな女と付き合うんだろうって思うし、もういっそ女じゃないかもと思うし、それはもしかしたら私のせいかもしれないけど、でもそれはそれでそういう人生もいいんじゃないですかと、どっかで思っていて。私なんかのもとで育っちゃったら、女の人にファンタジーなんて持ちようがないでしょうね。

――好きな子とかいたりするんですかね。

鳥飼 おもしろいですよ。息子のことを好きな女の子がいるらしいんですが、感慨深いですよね。自分が育てているこの子のことを思って、ちょっと胸を痛めてる女の子がいるのかと思うと、なんかとんでもないことをしてしまったような(笑)。とんでもないものをリリースしてしまったなと(笑)。小学生男子って「お前のこと好きって言ってるぜ」って聞いたら「俺は嫌いだぜ!」って、言うじゃないですか。「それ絶対傷つくから、嫌いだと思っても絶対に言うなよ!」って、そういう感じの演出を親が加えています(笑)。まあ勝手に楽しくなってって思いますけど。
****

 鳥飼作品に独特の女同士のバディ感は、物語全体に安定感と心地よさ、そして時にはスリルをもたらしている。『おはようおかえり』も『おんなのいえ』も、姉妹のやりとり、ケンカのシーンは大きな見どころの1つだった。後編では男について、そしてマンガについて聞いた。
(小田真琴)

オンナを描く漫画家・鳥飼茜に聞いた、女社会の“本質”と母親という女について

 漫画家・鳥飼茜が止まらない。10月には最高傑作との呼び声も高い『先生の白い嘘』(講談社)の完結巻となる8巻、新作『ロマンス暴風域』(扶桑社)1巻、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)のスピンオフ本『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』(祥伝社)と、一挙に3冊をリリース。さらには「クイック・ジャパン」vol.134(太田出版)で大々的に特集されるなど、まさに大車輪の活躍だ。さまざまな角度から女を描き、そして女をエンパワメントしてきた鳥飼茜の、作家としての現在地を女子マンガ研究家・小田真琴が2回にわたって聞く。まずは前編、テーマは「嘘と女」について。

鳥飼茜(とりかい・あかね)
大阪府出身。2004年、「別冊少女フレンド DX ジュリエット」(講談社)でデビュー。2010年に「モーニング・ツー」(講談社)で連載を開始した『おはようおかえり』(講談社)が評判となって一躍人気作家となる。代表作に『先生の白い嘘』(講談社)、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)など。女性の心の機微を描き出す力はマンガ界でも随一。現在は「SPA!」(扶桑社)、「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)、「Maybe!」(小学館)でマンガ作品を連載中。

――新作『ロマンス暴風域』は男性週刊誌「SPA!」での連載ということもあって、これまでとはまた違った毛色の作品です。ページの余白が黒く塗り潰されていて驚きでした。

鳥飼茜氏(以下、鳥飼) 初めてコピック(高品質のカラーマーカー。マンガのカラーページを描くのによく用いられる)でマンガを描いたんですけど、グレーの階調が多いんで、見た目が散らからないかなって不安があったんです。背景を締めればなんとかなるんじゃないかと考えて。あとは映画見てるみたいな感じになってくれたらいいな、って思ったんですね。なんか、夢みたいな話なんで。

――本のサイズも珍しく大きめのA5判ですね。

鳥飼 階調が多い絵なんで、大きい方がいいと思います。小さくすると鬱陶しいかもね。でも、私の経験上絶版になるというマイジンクスがありまして……やばいね(笑)。大丈夫ですか(笑)?

『ロマンス暴風域』は男の一人称で描く現代の「男のロマンス」だ。風俗店で出会ったせりかに運命の出会いを感じた高校の臨時教員サトミン。ところが次第にせりかは平気で嘘がつける人間だとわかっていく。なにが嘘で、なにが真実なのか。それでもサトミンの心に吹き荒れるロマンスの暴風はやむことがない。

――「夢みたいな話」とのことですが、『ロマンス暴風域』のせりかがつく嘘は、もはや幻想的ですらあります。

鳥飼 せりかは超嘘つきですけど、私自身からはかけ離れているから、ドラマチックだなあと思って、おもしろく思ったんです。絶対に自分がしないことだから。嘘をつく人のメカニズムが全然わからないんですよね。

――嘘かほんとかみたいなことに、あまり興味がない?

鳥飼 そうかもしれませんね。嘘でもいいんで。せりかは嘘をつくけど、どれも本当じゃなかったとしても、その瞬間、それを信用して、自分が気持ちよかったらそれでいいんじゃないかって。それが現実と違うからといって、じゃあ意味がないのかっていうと、そうとは限らなくて、その意味をいいものとして持ち替えるかどうかであって、それは対面した本人にしかわからないというか。

――マンガもある種の嘘です。

鳥飼 私のマンガはよく説教臭いと言われるんですが(笑)、その説教も嘘ですからね。なんにもないところから適当に説教を始めてるんです。真っ白な紙の上に説教を描いてるわけだから、見て来たようなことを。真実味があればいい、本気でつける嘘しかつかない、的な。かっこよく言うとね。

――鳥飼作品は嘘から立ち上がる物語が多いですよね。『おんなのいえ』の川谷の嘘とか、『先生の白い嘘』というタイトルとか……。

鳥飼 言われてみればそうですね(笑)。ずっと私の作品を読んでる人って、そういう謎の分析をしますよね! でも現実では、たぶん嘘つかれても気づかないくらい、嘘って意識したことないんですよ。前に飲み会の席で「鳥飼さんって浮気されたことないの?」って話になって、「ないですね」って答えたら、「それは騙されているか、世の中に存在するという浮気をしない2%の男とだけ付き合ってきてるかどっちかだな!」って言われたことがあります。

昨年全8巻で完結した『おんなのいえ』は、有香とすみ香、2人姉妹の恋模様を描いた女子マンガの傑作。あこがれの職業を諦め、結婚するつもりだった彼氏にもふられた有香は、バイト先のキャバクラで出会った川谷といい感じになるのだが、実は川谷は既婚者で……というのが1巻のあらすじ。

――信頼のようなもの、特に女性の共同体に対する無条件の信頼が、鳥飼作品のベースにはあるように感じます。『おんなのいえ』はまさにそうですし、現在「ダ・ヴィンチ」で連載中の『マンダリン・ジプシーキャットの籠城』もそうですね。

鳥飼 親戚も家族も女ばっかりだから、それしか知らないんですよね。結婚生活とか同棲中とかは確かに男がいましたけど、その男って単体だからあまり参考にはなりません。単体の男ってとにかく甘え倒すっていうことしか、私は知らないから(笑)。

――その中で女という性に対する信頼感が生まれていった?

鳥飼 女の人だけの共同体が好きなわけじゃないんです。どちらかと言うと苦手ですね。女友達もあまりいないし、飲みにも行かない。でも信頼はしてるんです。

――例えば女同士が足を引っ張り合うような話を描かないのはなぜですか?

鳥飼 嫌なんです。見たくない。見たくないから描かない。だから私のマンガはそれこそファンタジーなのかもしれない。そういうのを取り沙汰しすぎちゃうと、本当にあるってことになっちゃうような気がするから。

――『先生の白い嘘』の美奈子は比較的、足を引っ張るような女にも見えます。

鳥飼 美奈子はマウンティングしてるんじゃないかって言われましたけど、あれは意図的に描いていて、でも実は……って気持ちもあったから、あのラストなんですよ。ママ友の会みたいなところではマウンティング的なものも見ますし、実際にあると思うんだけれど、私がその場で急病になったりするじゃないですか。そうしたら絶対みんな優しくしてくれる。もうマウントとか横において、実際的に助けてくれるんですよ、女は。だから、そういうところだけ見ていたいんです。

美奈子は主人公・原美鈴の親友。であると同時に、美鈴を強姦した早藤の婚約者でもある。早藤の行いに美奈子は薄々感づきながらも、それには見て見ぬふりをして、幸せな女であるよう周囲へ盛んにアピールする。そんな鬱陶しいキャラクターではあるが、最終巻では大化け。実は作品の大テーマを背負う存在だったことが判明するので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。

――そっちこそが女の本質であると。

鳥飼 マウントする部分は飾りだな、と思う。その人の本来じゃないなって思うし、その人の本来っていうのは、変な言い方すると、母性に似ているのかもしれない。私の考えはとても甘いかもしれないけど、女の人には、どっか期待してるんですよね。困っていたら助け合えると思ってるし、困っていなかったら助けないし、必要があれば介入するし、必要がなければ介入しない、というのが本来的だと思っている。だけどそれをどっかそれ以上にしたりしなかったりするのは飾りかなって思っていて、その飾りがどこでできたのかっていうと、親との関係とか、きょうだいとの関係とかなんだろうなって思う。

――それはこの男社会を一緒に乗り越えて行こうという同胞意識ですか?

鳥飼 そういう感じとはまた別で、個として、女の人というものに、絶対的な信頼がありますね。理屈じゃないんですよね、うまく言えないけど。男社会を通してのマウンティングみたいなものは、逆に私はうまく描けないかもしれない。

――鳥飼先生自身は親子関係の影響を感じることはありますか?

鳥飼 めちゃくちゃありますね。うちはお母さんもめちゃくちゃ働いていたから、あまり家にいなかったんですよね。でも1日2回とか掃除機かけるんですよ。ごはんも全部手作りして。完璧主義……というか、逆ギレでやってましたね。PTAとかには来たこともないし、授業参観にも来たことない。でも家帰ったらきれいに掃除して、晩ごはん作って。きっとお父さんが頼りなかったんでしょうね。お母さんはどこかでお父さんと手を切ったんだな、って感じてました、甘えるのやめたんだなーって。すっごい自立した人なんですよ、お母さん。

――作品にも影響が?

鳥飼 あると思います。うちの母親はドライで、子育ても手塩にかけて精一杯やりましたという感じでもないんですよ。やれることはやりました、みたいな。小学校低学年くらいのときかな。手をつなごうとして手を差し出したら、小指をつままれたんですよ。べたべたするのが嫌いな人でした。愛情がないわけではないんです。だけど褒められたこともないし、すごく愛されてきたという感じもないし、かといって無視された気もないし、ものすごく適切な距離感というか。だから女の人に対する信頼って、お母さんに対する信頼と似ていると思う。私にとっては唯一神みたいな人です。

――子どもだった鳥飼先生を1人の人間として扱っていたのかもしれませんね。

鳥飼 そう思いますね。うちの家族、全員そんな感じなんですよ。みんな思ってることが違うし、血液型も全部違うし、バラバラなんですよ。統一感がない。だから家族=他人みたいなところがちょっとあって。他人だけど嘘つかないし、気も使わないし、否定することも別にないし。

――寂しくはなかったですか?

鳥飼 親に認められていなかったなあとは、ちょっと思いますよ。つい3年前くらいまで「マンガはいいけど、資格かなんか取っておけば?」って言われてましたし(笑)。最近やっと言われなくなったけど、もう娘が自慢で「こんなん描いてるから読んであげて!」みたいな感じはなくて、めちゃくちゃ照れ屋さんだから、こっそり買って読んでるみたいです。実家に行っても私の本は見えないところに置いてあるんですよ。たまに「あんたの漫画ちょっと冷たすぎるんちゃう。だから売れへんのじ ゃない?」とかって言われるんですけど、どの作品のこと言ってるんですかね(笑)。

――今はご自身が子どもを育てる立場でもあります。

鳥飼 まったく母親みたいには育てられていないです。私はすっごい介入しますね。最近やっと手を離すってことを少しずつ勉強しています。でも根本的には他人だなって感じはすごくありますね。性別も違うし。

――男だな! って思いますか?

鳥飼 男の子だなーって思いますね。先に子育てをやっておけば、もっと恋愛がうまくいっていたかもしれない(笑)。男の人を追い詰めちゃいけないとか、子育ても恋愛もいっしょだなって思います。

――どんな男性に育ってほしいですか?

鳥飼 どうなってほしいとかは特にないんですけど、もう手を離していかないとダメだなーって思いますね。マザコンではまったくなくて、あの人はたぶんちょっと女性恐怖症だと思う(笑)。どんな女と付き合うんだろうって思うし、もういっそ女じゃないかもと思うし、それはもしかしたら私のせいかもしれないけど、でもそれはそれでそういう人生もいいんじゃないですかと、どっかで思っていて。私なんかのもとで育っちゃったら、女の人にファンタジーなんて持ちようがないでしょうね。

――好きな子とかいたりするんですかね。

鳥飼 おもしろいですよ。息子のことを好きな女の子がいるらしいんですが、感慨深いですよね。自分が育てているこの子のことを思って、ちょっと胸を痛めてる女の子がいるのかと思うと、なんかとんでもないことをしてしまったような(笑)。とんでもないものをリリースしてしまったなと(笑)。小学生男子って「お前のこと好きって言ってるぜ」って聞いたら「俺は嫌いだぜ!」って、言うじゃないですか。「それ絶対傷つくから、嫌いだと思っても絶対に言うなよ!」って、そういう感じの演出を親が加えています(笑)。まあ勝手に楽しくなってって思いますけど。
****

 鳥飼作品に独特の女同士のバディ感は、物語全体に安定感と心地よさ、そして時にはスリルをもたらしている。『おはようおかえり』も『おんなのいえ』も、姉妹のやりとり、ケンカのシーンは大きな見どころの1つだった。後編では男について、そしてマンガについて聞いた。
(小田真琴)

どん底・絶望・依存の果ての「希望」とは? 高浜寛『SAD GiRL』の残酷で美しい世界

女子マンガ研究家の小田真琴です。マンガ大国・日本においては、毎月1000冊前後ものマンガが刊行されています。その中から一般読者が「なんかおもしろいマンガ」を探し当てるのは至難のワザ。この記事があなたの「なんかおもしろいマンガ」探しの一助になれば幸いであります。前編では昨今の話題にからめたマンガをご紹介します。

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『SAD GiRL』(リイド社)

◎高浜寛『SAD GiRL』の美しさ

 今さらあらためて語るまでもなく、薬物依存は恐ろしいものであります。元プロ野球選手の一件はもちろん衝撃的ではありましたが、しかしおそらく彼が薬物に手を出す以前に彼の人生は変調を来していたはずであり、そして依存症は狂い始めた人生をますます狂わせていきます。

 人生がうまく回っていないとき、人はたいてい何かに依存しているものです。それはアルコールかもしれないし、睡眠導入剤かもしれないし、違法な薬物かもしれない。あるいはセックスかもしれないし、宗教かもしれないし、人間関係かもしれない。隙あらば人はあらゆるもの/ことに依存します。高浜寛先生の『SAD GiRL』(リイド社)はそんな依存症の見本市のような作品。閉塞感に満ちたこの物語は読んでいて決して心地の良いものではありませんが、しかし読後のこのカタルシスときたらどうでしょう。

 主婦・村上詩織は睡眠導入剤の過剰摂取により病院に救急搬送され、そして翌日家を出ました。友人やかつての恋人の部屋に転がり込んでは、そのたびにより深い泥沼にはまり込み、やがて逃げ道を失います。ついには忌み嫌っていた実家へと帰るのですが、そこには相も変わらずカルト宗教に熱中する過干渉な母親がいるだけでした。

 この世界では誰もがすることなすことうまく行かずに、何かに依存することでやっとのこと生きています。読むうちに私は自分の人生がうまく回っていなかった頃のことを思い出して、とてもつらい気持ちになりました。なぜに高浜先生はこうまで苛烈な物語を描かねばならなかったのでしょうか?

 それは何よりも「希望」を描きたかったからに他なりません。真に強度のある希望は消去法によってしか得られないからです。真っ白な紙を、ああでもない、こうでもないと塗り潰した果てに、かすかに残った白い点。それこそが希望です。そして絶望をくぐり抜けてきた希望は、薄っぺらで根拠のないポジティブなだけのベッキー的な何かとはまったく性質を異にするものです。

 物語の後半、母親から逃れて思い出の地、阿蘇山へと向かった詩織は、そこで亡き父の幻影と語り合います。「ほらごらん詩織、雄大だねぇ。すごいねぇ。こんな景色があるなんて」「怖い…」「さぁ詩織、一人で立つ練習をしよう」「いや! やだ、怖いよ!!」「パパもできる事ならずぅっと詩織を抱っこしててあげたいんだ。でももうすぐできなくなる」「何で…?」「見て」と父が視線を遣る先には、父の葬式で泣き崩れる母の姿。「ママ…」「一人で立つんだ、自分の足で、人との関係や物に依存せずに。本当は詩織にも分かっているはずだよ。いつかは卒業しなきゃいけないんだ」「いやだパパ、行かないで!! やろうとしてもいつもダメなの。一人でなんて立てないよ!」。依存の泥沼から抜ける道はただ1つしかありません。それは1人で立って歩くことです。

 詩織の冒険は直後に悲劇的かつ喜劇的な結末を迎えるのですが、物語はさらに二転三転します。そこは実際に読んでいただくとして、一度はほっとさせておきながら、最後の最後にもっとも厄介な人の心の闇を垣間見せるストーリーテリングは、残酷ですが巧みです。何も終わってはいませんし、何も解決しません。しかしこの先にあるのは間違いなく希望。「生きていこう。まるで一度も挫折したことがないかのように」――『SAD GiRL』は、絶望のどん底からかすかに仰ぎ見える一筋の光を描いた、世にも美しい作品であるのです。

 表題作ほか4編を収録。国内外で高い評価を受ける短編作家、高浜先生の面目躍如であります。新境地を開拓しつつある同時発売の長編『ニュクスの角灯』|(リイド社)も併せてぜひ。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題が欲しかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14竿を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「SPUR」(集英社)にて「マンガの中の私たち」、「婦人画報」(ハースト婦人画報社)にて「小田真琴の現代コミック考」連載中

『あれよ星屑』『あとかたの街』、本ではなくマンガだから伝わる戦争と愛と人間

<p> 書店では相も変わらず愛国バカの三文小説や愚にもつかないヘイト本ばかりが幅を利かせておりますが、ことマンガにおいては多様な言論・表現の世界が繰り広げられています。特に昨今「戦争」を描くマンガに際立ったクオリティを見せる作品が増えつつあります。この10月だけでも3作品の素晴らしい最新巻が刊行されました。<br /> </p>