ハロプロや48グループだけじゃない! 極私的平成アイドル史【ライブアイドル編】

 昭和が平成に変わった時、私はもうヲタクだった。ネットの環境こそなかったものの、アイドルやサブカルについての雑誌は数多く出版され、そこで得た情報を元にアイドルの現場に向かっていたものだ。

 平成も間もなく幕を閉じる。それに合わせ、さまざまな観点で、この時代を総括したり、振り返ったりという記事が公開されている。アイドルの分野についてもしかりだ。

 ただし、ただ“平成に流行ったアイドル”を列挙しても、それは多くの人が承知していることであり、単に記憶をなぞる程度にとどまってしまう。そこで今回は、平成のアイドル史をたどるとともに、私が個人的に経験したアイドル状況を紹介し、流行したアイドルとはどのような関係性が生まれたのかをまとめてみたい。

 まず、今回は「ライブアイドル編」である。

 

“アイドル冬の時代”を越えて

 最初に、平成初期のアイドル界が、どのような状況だったかを確認しておこう。

 多くの人が語っているように、その頃は「アイドル冬の時代」だった。誰もが名前を知るようなアイドルはほとんどおらず、皆「アイドルファンだけが知っている」という程度の存在だった。

 そんな中、私が夢中になっていたのは、酒井法子だった。ヒット曲こそ飛ばしていないものの、テレビの歌番組には頻繁に出演し、地方に住んでいた私なども、十分に“ファン”としての楽しみを享受できたのだ。

 その頃、アイドルライブの定番の場所が「デパートの屋上」であった。多くのデパートの屋上にイベント用のステージがあり、そこで歌を歌い、握手会をしていた。私が酒井法子を初めて生で見て、握手をしたのも、ショッピングセンターの屋上だった。

 そして、平成2年、後のライブアイドル文化に大きな影響を与える2組がデビューする。「東京パフォーマンスドール」(初代・以下、TPD)と「宍戸留美」である。

 TPDは、それまでニューミュージックやロック系のアーティストが出演していたライブハウス、「原宿RUIDO」を拠点に、ライブを見せることをメインとした活動を開始。3年後には、武道館2Days公演を成功させるまでになった。後に、モーニング娘。のプロデュースで大ブレイクするつんく♂も、TPDのファンであったことを公言しているし、ハロー!プロジェクトのステージを見ても、TPDの影響は随所に感じられる。

 一方の宍戸留美は、ソニーレコードからメジャーデビューするも、2年後に事務所との契約を解消。フリーで活動する道を選ぶ。まだ個人で発信することが難しい時代、わずか18歳の少女が始めた活動が、後のフリーで活動する地下アイドルの礎となっていくのである。

 それと同じ頃、テレビなどの活動の場が減っていったアイドルに、歌う場を提供しようという試みが始まる。『歌姫伝説』と名付けられたこのイベントは、原宿RUIDOや川崎クラブチッタなどで、コアなアイドルファンを集めて、人気を集めていった。

 実は、これらのアイドルライブが広まっていった背景には、ライブハウス側の事情もあった。平成が始まった頃に起こっていた「バンドブーム」が一段落し、多くの会場で出演者が減ってきたのである。そこに、ある程度客の呼べるアイドルの公演を入れることによって、空いている時間をなくすという方針をとったのだ。つまり、ライブアイドルが始まった背景には、出演者と会場の利害が一致したという理由があるのである。

 諸説あるが、いわゆるアイドル冬の時代が終わるのは、平成5年頃だ。きっかけは安室奈美恵のブレイクである。彼女をアイドルと見ることに違和感を覚える人もいるかもしれないが、男女ともに彼女に憧れを持ち、その歌に酔いしれていたことを考えれば、まさに平成を代表するアイドルの一人といっていいだろう。

 彼女に続いて人気を博したのが、同じ沖縄アクターズスクール出身の「SPEED」である。平成8年のデビュー時、最年少の島袋寛子はまだ小学生ということで、その後のアイドルの低年齢化にも影響を与えた。

 もう一つ、その頃からアイドルの楽しみ方に変化を与えたものがある。「パソコン通信」の登場だ。現在のように画像や動画が扱えるものではなく、文字だけのやり取りであったが、テレビやライブの感想をリアルタイムで書き込める手段として、アイドルファンの間では大いに活用された。私も、当時のニフティサーブにあった「SPEED会議室」で、彼女たちへの思いをたくさん書き込んでいた記憶がある。

 もちろん、その後普及するインターネットも含め、アイドルたちは、その活動を告知する手段として大いに利用した。先に挙げた宍戸留美なども、いち早くネットに取り組んだ一人といっていいだろう。

 このようにして、地上と地下、両方で育まれていった平成のアイドル文化だが、そのどちらにも大きな影響を及ぼす存在が誕生する。それが平成10年の「モーニング娘。」である。

 彼女たちは、テレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)から誕生し、人気となっていった。もちろんメジャーなアイドルである。ここで注目すべきは、『ASAYAN』という番組が、メンバーが決まっていく過程をつぶさに放送していたということだ。

 これまでの“生まれたときから運命づけられていたような特別な存在”から、“自分の今いるところからの延長線上”にあることを認識させた。つまり、「アイドルになるための方法」を、全国の女性たちに知らしめたのだ。後の、地上・地下にかかわらず、モーニング娘。に憧れてアイドルになる人が増えたのは、そのような理由もあったからだろう。

 そして、今でも地下アイドルの現場では、モーニング娘。をはじめとした、ハロプロの楽曲がよく歌われる。それは、このような経緯を考えれば、ごく自然な流れなのである。

 その頃、私は何をしていたかというと、メジャーなアイドルが出てきたことを横目で見つつ、ライブハウスなどでのアイドルライブに通っていた。まだ今のようなフォーマット(地下アイドルが複数出演→物販→特典会)ができておらず、その内容はさまざまであったが、新しい文化が生まれてくる胎動のようなものを感じていたものだった。

 モーニング娘。、そしてハロプロが破竹の勢いで人気を博し、アイドル界が盛り上がっていた平成17年、AKB48グループが劇場公演を開始する。48グループと、その後、ライバルグループとして結成された坂道シリーズの躍進については、改めて語るまでもないだろう。

 この時期のもう一つ大きな出来事として、「アイドリング!!!」の存在を挙げておきたい。平成18年にフジテレビのCSで番組がスタートして以来、9年間に渡りバラエティ豊かな放送を続けてきた。一方、音楽に関しても、クオリティの高い楽曲が多く、ライブなども積極的に行っていた。彼女たち、そしてスタッフの一番の功績は、平成22年から開催されている、日本最大級のアイドルフェス『TOKYO IDOL FESTIVAL』(TIF)の開催であろう。

 私も、第1回から参戦しているが、いわゆる“地下”を中心に活動しているグループや、ローカルアイドルなども出演しており、現在のアイドルブームを作り上げた立役者ともいえる。

 平成も後期に入ると、ライブアイドルはますます多様化をしていく。TIFに加え、『アイドル横丁夏まつり!!』『@JAM EXPO』といったフェスが開催され、アイドルが出演するライブ会場も増えていく。また、ネット環境の普及により、アイドルたちがSNSなどでファンと直接交流することもできるようになる。地方に住んでいても、情報を得て、アイドルの魅力を感じたりすることもしやすい時代になったのだ。

 ただ、その反動として、アイドルのグループのサイクル(結成から解散、メンバーチェンジまでの期間)が早くなっているようにも感じる。ファンが常に新しいものを求めるために、それに対応する基軸などを打ち出さなくてはいけなくなったのだ。これは、どこが悪いということではない。新しさを感じつつも、変わらない魅力を維持する、それは、時代が変わろうともアイドルが人気を保っていくための秘訣であるだろう。

 そして現在、ハロプロ、48グループ、坂道シリーズは引き続き人気を集め、地下のアイドル現場も健在だ。

 平成の30年間で、アイドルを取り巻く環境は、驚くほど変化した。つらい冬の時代を乗り越え、今のアイドル文化が花開いたことを思うと、いちアイドルヲタクとして、感慨深い思いだ。

 この10連休には、「平成最後の」「令和最初の」と銘打ったライブが数多く開催される。今のアイドル文化の礎となった、平成アイドルの足跡を感じながら、新しい時代を迎えてみてはいかがだろうか。

(文=プレヤード)

ハロプロや48グループだけじゃない! 極私的平成アイドル史【ライブアイドル編】

 昭和が平成に変わった時、私はもうヲタクだった。ネットの環境こそなかったものの、アイドルやサブカルについての雑誌は数多く出版され、そこで得た情報を元にアイドルの現場に向かっていたものだ。

 平成も間もなく幕を閉じる。それに合わせ、さまざまな観点で、この時代を総括したり、振り返ったりという記事が公開されている。アイドルの分野についてもしかりだ。

 ただし、ただ“平成に流行ったアイドル”を列挙しても、それは多くの人が承知していることであり、単に記憶をなぞる程度にとどまってしまう。そこで今回は、平成のアイドル史をたどるとともに、私が個人的に経験したアイドル状況を紹介し、流行したアイドルとはどのような関係性が生まれたのかをまとめてみたい。

 まず、今回は「ライブアイドル編」である。

 

“アイドル冬の時代”を越えて

 最初に、平成初期のアイドル界が、どのような状況だったかを確認しておこう。

 多くの人が語っているように、その頃は「アイドル冬の時代」だった。誰もが名前を知るようなアイドルはほとんどおらず、皆「アイドルファンだけが知っている」という程度の存在だった。

 そんな中、私が夢中になっていたのは、酒井法子だった。ヒット曲こそ飛ばしていないものの、テレビの歌番組には頻繁に出演し、地方に住んでいた私なども、十分に“ファン”としての楽しみを享受できたのだ。

 その頃、アイドルライブの定番の場所が「デパートの屋上」であった。多くのデパートの屋上にイベント用のステージがあり、そこで歌を歌い、握手会をしていた。私が酒井法子を初めて生で見て、握手をしたのも、ショッピングセンターの屋上だった。

 そして、平成2年、後のライブアイドル文化に大きな影響を与える2組がデビューする。「東京パフォーマンスドール」(初代・以下、TPD)と「宍戸留美」である。

 TPDは、それまでニューミュージックやロック系のアーティストが出演していたライブハウス、「原宿RUIDO」を拠点に、ライブを見せることをメインとした活動を開始。3年後には、武道館2Days公演を成功させるまでになった。後に、モーニング娘。のプロデュースで大ブレイクするつんく♂も、TPDのファンであったことを公言しているし、ハロー!プロジェクトのステージを見ても、TPDの影響は随所に感じられる。

 一方の宍戸留美は、ソニーレコードからメジャーデビューするも、2年後に事務所との契約を解消。フリーで活動する道を選ぶ。まだ個人で発信することが難しい時代、わずか18歳の少女が始めた活動が、後のフリーで活動する地下アイドルの礎となっていくのである。

 それと同じ頃、テレビなどの活動の場が減っていったアイドルに、歌う場を提供しようという試みが始まる。『歌姫伝説』と名付けられたこのイベントは、原宿RUIDOや川崎クラブチッタなどで、コアなアイドルファンを集めて、人気を集めていった。

 実は、これらのアイドルライブが広まっていった背景には、ライブハウス側の事情もあった。平成が始まった頃に起こっていた「バンドブーム」が一段落し、多くの会場で出演者が減ってきたのである。そこに、ある程度客の呼べるアイドルの公演を入れることによって、空いている時間をなくすという方針をとったのだ。つまり、ライブアイドルが始まった背景には、出演者と会場の利害が一致したという理由があるのである。

 諸説あるが、いわゆるアイドル冬の時代が終わるのは、平成5年頃だ。きっかけは安室奈美恵のブレイクである。彼女をアイドルと見ることに違和感を覚える人もいるかもしれないが、男女ともに彼女に憧れを持ち、その歌に酔いしれていたことを考えれば、まさに平成を代表するアイドルの一人といっていいだろう。

 彼女に続いて人気を博したのが、同じ沖縄アクターズスクール出身の「SPEED」である。平成8年のデビュー時、最年少の島袋寛子はまだ小学生ということで、その後のアイドルの低年齢化にも影響を与えた。

 もう一つ、その頃からアイドルの楽しみ方に変化を与えたものがある。「パソコン通信」の登場だ。現在のように画像や動画が扱えるものではなく、文字だけのやり取りであったが、テレビやライブの感想をリアルタイムで書き込める手段として、アイドルファンの間では大いに活用された。私も、当時のニフティサーブにあった「SPEED会議室」で、彼女たちへの思いをたくさん書き込んでいた記憶がある。

 もちろん、その後普及するインターネットも含め、アイドルたちは、その活動を告知する手段として大いに利用した。先に挙げた宍戸留美なども、いち早くネットに取り組んだ一人といっていいだろう。

 このようにして、地上と地下、両方で育まれていった平成のアイドル文化だが、そのどちらにも大きな影響を及ぼす存在が誕生する。それが平成10年の「モーニング娘。」である。

 彼女たちは、テレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)から誕生し、人気となっていった。もちろんメジャーなアイドルである。ここで注目すべきは、『ASAYAN』という番組が、メンバーが決まっていく過程をつぶさに放送していたということだ。

 これまでの“生まれたときから運命づけられていたような特別な存在”から、“自分の今いるところからの延長線上”にあることを認識させた。つまり、「アイドルになるための方法」を、全国の女性たちに知らしめたのだ。後の、地上・地下にかかわらず、モーニング娘。に憧れてアイドルになる人が増えたのは、そのような理由もあったからだろう。

 そして、今でも地下アイドルの現場では、モーニング娘。をはじめとした、ハロプロの楽曲がよく歌われる。それは、このような経緯を考えれば、ごく自然な流れなのである。

 その頃、私は何をしていたかというと、メジャーなアイドルが出てきたことを横目で見つつ、ライブハウスなどでのアイドルライブに通っていた。まだ今のようなフォーマット(地下アイドルが複数出演→物販→特典会)ができておらず、その内容はさまざまであったが、新しい文化が生まれてくる胎動のようなものを感じていたものだった。

 モーニング娘。、そしてハロプロが破竹の勢いで人気を博し、アイドル界が盛り上がっていた平成17年、AKB48グループが劇場公演を開始する。48グループと、その後、ライバルグループとして結成された坂道シリーズの躍進については、改めて語るまでもないだろう。

 この時期のもう一つ大きな出来事として、「アイドリング!!!」の存在を挙げておきたい。平成18年にフジテレビのCSで番組がスタートして以来、9年間に渡りバラエティ豊かな放送を続けてきた。一方、音楽に関しても、クオリティの高い楽曲が多く、ライブなども積極的に行っていた。彼女たち、そしてスタッフの一番の功績は、平成22年から開催されている、日本最大級のアイドルフェス『TOKYO IDOL FESTIVAL』(TIF)の開催であろう。

 私も、第1回から参戦しているが、いわゆる“地下”を中心に活動しているグループや、ローカルアイドルなども出演しており、現在のアイドルブームを作り上げた立役者ともいえる。

 平成も後期に入ると、ライブアイドルはますます多様化をしていく。TIFに加え、『アイドル横丁夏まつり!!』『@JAM EXPO』といったフェスが開催され、アイドルが出演するライブ会場も増えていく。また、ネット環境の普及により、アイドルたちがSNSなどでファンと直接交流することもできるようになる。地方に住んでいても、情報を得て、アイドルの魅力を感じたりすることもしやすい時代になったのだ。

 ただ、その反動として、アイドルのグループのサイクル(結成から解散、メンバーチェンジまでの期間)が早くなっているようにも感じる。ファンが常に新しいものを求めるために、それに対応する基軸などを打ち出さなくてはいけなくなったのだ。これは、どこが悪いということではない。新しさを感じつつも、変わらない魅力を維持する、それは、時代が変わろうともアイドルが人気を保っていくための秘訣であるだろう。

 そして現在、ハロプロ、48グループ、坂道シリーズは引き続き人気を集め、地下のアイドル現場も健在だ。

 平成の30年間で、アイドルを取り巻く環境は、驚くほど変化した。つらい冬の時代を乗り越え、今のアイドル文化が花開いたことを思うと、いちアイドルヲタクとして、感慨深い思いだ。

 この10連休には、「平成最後の」「令和最初の」と銘打ったライブが数多く開催される。今のアイドル文化の礎となった、平成アイドルの足跡を感じながら、新しい時代を迎えてみてはいかがだろうか。

(文=プレヤード)

「セクハラ、ぜんっぜんされましたよ!」【高崎美佳】藤軍団からロック座、そして歌手へ……その数奇な運命

 元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の55回目! 今回も声優からちょっと外れ、宍戸留美の『地球の危機』歌唱オーデションで目に止まり、先日デビューシングル「MIKA」を発売した、元グラビアアイドルで現ストリッパーの高崎美佳さんが来てくれました!

――初めまして! 高崎さんはグラドル時代は“藤軍団”だったんですよね(※“藤軍団”=着エロ系事務所ピンキーネットの社長の藤田にちなみ、所属アイドルの芸名に必ず“藤”を入れたことからそう呼ばれた。2009年に児童買春・ポルノ処罰法違反容疑で藤田社長は逮捕され、軍団も解散した)。

高崎 よくご存じですね、そんなの(笑)!

――あの当時の軍団の勢いはすごかったんですよ。有名なのは藤子まいさんですかね(※森三中の大島美幸さんに激似のビジュアルから“ブスドル”と呼ばれ話題になった)。

高崎 まいまいは今も仲良いですよ。一番有名なのは藤浦めぐちゃんかな(※2017年まで人気AV女優として活躍)? 私はもともとは別のジュニアアイドルの事務所に入ってたんですけど、AVにいかされそうになっちゃって……。そこで藤田社長に「その子、AVにやるんだったらウチに欲しい」って。でも社長のところの女の子の仕事を見たら「これもほぼAVじゃん!」って(笑)。

――(爆笑)! AVデビューがちょっと伸びただけ!

高崎 だから半年くらい連絡を無視してたんですけど、あまりにもしつこいから根負けして「話だけでも聞くか」って。

――危ない危ない!

高崎 で、結局は何に釣られて所属したんだっけ、お金かなぁ? 当時、未成年にしてはすごいギャラが良かったんですよ。

――けっこう過激な軍団だったから、ギャラが良いのはちょっと救いがありますね。

高崎 いや、人によると思います。人気の子とかはすごい高いですけど、ピンキリかな……。

――単体で出せる子と企画の子で格差が……AVみたいですね!

高崎 そうなんですよね(笑)。

――社長は逮捕されましたけど、高崎さんも危ない目には遭いましたか?

高崎 セクハラはされましたね。ぜんっぜんされてましたね。

――セクハラ込みの高めのギャラだったんでしょうか……。ヌードの作品もありましたし、高崎さんもいろいろギリギリでしたね。

高崎 なんか、もう完全にAVコースでしたよね。私は一切出る気がなかったし、これ以上やってもAVしかないので、「もうこれで辞めよう!」って決めてヌードになったのが引退作なんですよ。そのころにはもう、あの社長も逮捕された後でしたし……。

――納得の逮捕でしたね。ちなみに、「辞めよう!」っていうのは、着エロを引退? 芸能界から引退?

高崎 着エロは芸能人じゃないよ!

――(爆笑)!

高崎 だから私も芸能界にいたつもりはなくて、ただグラビアを辞めようと思ったんです。

――ちなみに、MUTEKIから誘われたりしなかったんですか?

高崎 めっちゃ誘われましたよ、お断りしましたけど。

――すごーい! ギャラはいくらだったんですか?

高崎 そんな大した額じゃなかったんですよ。●●万くらいだったかな。

――ヒィ~ッ! 田舎なら戸建てが買える額ですよ!! 藤軍団にはギャラに釣られて入ったのに、この額でMUTEKIに釣られないなんて……。

高崎 私、本当に全然セックスが好きじゃないんですよ。自分の好きじゃないことが残るなんて地獄じゃないですか……。

――着エロ時代のDVDは自分で普通に見返せますか?

高崎 うーん、見ろって言われたら見ますけど、見たくはない(笑)。ネットにアップされてると「消してくれよ!」と思いますね、もう捜しもしないですけど(笑)。

――お気持ちわかります……! ではでは、グラビア引退後はどうされてたんですか?

高崎 お芝居がやりたかったので、一瞬ですけど声優事務所に入ってたんですよ。知人に専門学校の先生をやっている人がいて、「お芝居したいなら声優に興味ない?」って誘ってもらって、養成所に入って、そこで勉強して事務所に所属して……三ツ矢雄二さんのところだったんですけど。

――超良いところじゃないですか!

高崎 そこでアニメ『はなかっぱ』のオーディションを受けて、もちろん落ちて(笑)。で、私が受けたももかっぱちゃんの役は留美さんになりました。

――おお、そんなところですれ違ってたんですね。声優の仕事はされましたか?

高崎 結局、全然できなかったですね。そもそもコネで入ったようなもんだから、真面目に訓練してきた子たちを見て「私のような素人が、なぜここに……」って落ち込み続けて……。お芝居も、ワークショップに参加したり公演に出たりしたんですけど、「こんなに辛いことがこの世にあるんだ!」って思いました。稽古中も人間性をボロクソに否定されることしか言われなかった。1年くらい頑張って「本当に向いていない」って実家に帰って、会社員になりましたよ。お芝居はもうやりたくないです(きっぱり)。

――清々しく懲りてますね! 就職中はどんなお仕事をされてたんですか?

高崎 コールセンターでハードウェアの説明してました。めちゃめちゃ仕事できたんですよ、私。でも、やっぱりつまらなくなっちゃって。少し田舎の方だったんですけど、地元の人と本当に話が合わないんですよ。みんな保守的で、少し変わったことをすると変に騒がれちゃうし。

――もしや、そんな環境で溜まった鬱憤が爆発してロック座のストリップデビューに至ったのでしょうか?

高崎 あはは! それは昔の事務所の社長からずっと「お芝居が好きならロック座に出てみなよ」って言われてたんです。その時は「どうせAVの人がやってるんでしょ~? 出たらAVやらされるんでしょ~?」って疑心暗鬼で断ってたんですけど、久しぶりに会った友達が「今ストリップにハマッてて、ロック座のお姐さんの追っかけをしている」って、すごい熱心なファンになっていて。それで私も「女の子が憧れる仕事なんだな」って興味を持って、観に行ってみたらすごく素敵で、「やります!」って(笑)。

――おお~。やってみてどうでしたか? 確か、一日でも早く入った人が「姐さん」になるんですよね。芸人さんみたいで人間関係が大変そうです。

高崎 めっちゃ大変です! でも、男性中心だった会社員時代より、ずっとやりやすいんですよ。姐さんたちはみんな同じ仕事をしていて隠し事もないし、10日でメンバーも変わるし、すごく楽しんでます。

――辞めたいと思うことはありますか?

高崎 最初の頃はもう何回も思いましたよ、辛すぎて! 浅草のロック座は一日に5回もステージがあって、他は4回、それからまた先生に振り付けを教わって、レッスンして、その連続で体力的に限界が……筋肉はつきましたけどね。あと、浅草の衣装は踊り子を引退した姐さんが作ってくれるんですけど、他の劇場では自分で買ったりするんですよ。それがまた高いので、踊り子はみんな貧乏です(笑)。

――あはは、好きじゃなきゃできないですね! ちなみに、そこから宍戸留美さんの歌唱オーディションに参加したきっかけはなんだったんですか?

高崎 もともとオタクで、小さい時から留美さんの仕事を見て育ってるんですよ。それでたまたま『KING OF PRISM by PrettyRhythm(キンプリ)』を見て「うん、いつ見ても良い」ってジーンとして、出演されている留美さんのTwitterを眺めていたら、オーディション情報が出てきて……「あ、留美さんに会えるかも」って応募しました。完全に邪な気持ちで(笑)。

――なるほど~。宍戸さんはなぜ合格させたか覚えてますか?

宍戸 Twitterが「高崎美佳と宍戸留美が?」ってザワついていて、「何事!? この人は誰なの??」って(笑)。それでフリートークを聞いたらすごく面白くて、「絶対会いたい」と思って。歌ってもらったら声質も素晴らしいし、踊り子さんだからか表現力も豊かで……。

――べた褒めじゃん! そのご縁で、オーディション対象曲『地球の危機』に留まらずに新たなCDを発売されたりと、人生があらぬ方向に進んできましたね。宍戸さんプロデュースのデビューシングル「MIKA」、すごく良かったです(https://youtu.be/_O_H3lpH_pU)! 歌はこれからも続けますか?

高崎 せっかく留美さんのプロデュースで何曲かレコーディングさせていただいたので、これからも歌っていきたいと思います。

――レコーディングはどうでした?

高崎 めちゃめちゃ緊張してたので、もう覚えてないです。出来上がりを聴いても何も言えない、「ハッ、現実なんだな!?」みたいな……。

――それにしても、着エロ→声優事務所→就職→ストリップ→歌手とは、かなり密度の濃い人生ですね。

高崎 自分では「今まで何にもしてこなかったな」って思うんですけどね。何も残ってないですよ。

――残ってますよ、DMM.R18にいっぱい!

高崎 消したい過去が(笑)。

――これからもっと残していきましょう! 本日はどうもありがとうございました~!
(取材・文=小明/撮影=宍戸留美)

●たかさき・みか
グラビアアイドルを経て2018年8月1日川崎ロック座ストリップデビュー。

【高崎美佳最新情報】
デビューシングル『MIKA』と2ndシングル『3番ホーム』は現在、劇場で販売中!!

今後の踊り子スケジュール
■5/11~5/20 新宿ニューアート(東京)
■5/21~5/31 東洋ショー劇場(大阪)
■6/1~6/10 ライブシアター栗橋(埼玉)
■6/21~6/30 川崎ロック座(神奈川)
and more…!

●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。

【宍戸留美最新情報】

■絵恋ちゃん、里咲りさ、姫乃たま、小明、他がカバーしたものと、セルフカバーした宍戸留美アイドル時代の音源アルバム『8=∞』(エイト)絶賛制作中!(通信販売のみ)

ご希望の方は
sundaliru@gmail.com

■6/9(土)13時~下北沢風知空知
『宍戸留美ひとりひとりにサリューvol.15~ハッブル編~』
予約受付中!
https://tiget.net/events/27507

●あかり
1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいたところ、突如フランス人男性と結婚。二児の母となる。『卑屈の国の格言録』(サイゾー)、『アイドル墜落日記 増量版』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。
ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/

「セクハラ、ぜんっぜんされましたよ!」【高崎美佳】藤軍団からロック座、そして歌手へ……その数奇な運命

 元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の55回目! 今回も声優からちょっと外れ、宍戸留美の『地球の危機』歌唱オーデションで目に止まり、先日デビューシングル「MIKA」を発売した、元グラビアアイドルで現ストリッパーの高崎美佳さんが来てくれました!

――初めまして! 高崎さんはグラドル時代は“藤軍団”だったんですよね(※“藤軍団”=着エロ系事務所ピンキーネットの社長の藤田にちなみ、所属アイドルの芸名に必ず“藤”を入れたことからそう呼ばれた。2009年に児童買春・ポルノ処罰法違反容疑で藤田社長は逮捕され、軍団も解散した)。

高崎 よくご存じですね、そんなの(笑)!

――あの当時の軍団の勢いはすごかったんですよ。有名なのは藤子まいさんですかね(※森三中の大島美幸さんに激似のビジュアルから“ブスドル”と呼ばれ話題になった)。

高崎 まいまいは今も仲良いですよ。一番有名なのは藤浦めぐちゃんかな(※2017年まで人気AV女優として活躍)? 私はもともとは別のジュニアアイドルの事務所に入ってたんですけど、AVにいかされそうになっちゃって……。そこで藤田社長に「その子、AVにやるんだったらウチに欲しい」って。でも社長のところの女の子の仕事を見たら「これもほぼAVじゃん!」って(笑)。

――(爆笑)! AVデビューがちょっと伸びただけ!

高崎 だから半年くらい連絡を無視してたんですけど、あまりにもしつこいから根負けして「話だけでも聞くか」って。

――危ない危ない!

高崎 で、結局は何に釣られて所属したんだっけ、お金かなぁ? 当時、未成年にしてはすごいギャラが良かったんですよ。

――けっこう過激な軍団だったから、ギャラが良いのはちょっと救いがありますね。

高崎 いや、人によると思います。人気の子とかはすごい高いですけど、ピンキリかな……。

――単体で出せる子と企画の子で格差が……AVみたいですね!

高崎 そうなんですよね(笑)。

――社長は逮捕されましたけど、高崎さんも危ない目には遭いましたか?

高崎 セクハラはされましたね。ぜんっぜんされてましたね。

――セクハラ込みの高めのギャラだったんでしょうか……。ヌードの作品もありましたし、高崎さんもいろいろギリギリでしたね。

高崎 なんか、もう完全にAVコースでしたよね。私は一切出る気がなかったし、これ以上やってもAVしかないので、「もうこれで辞めよう!」って決めてヌードになったのが引退作なんですよ。そのころにはもう、あの社長も逮捕された後でしたし……。

――納得の逮捕でしたね。ちなみに、「辞めよう!」っていうのは、着エロを引退? 芸能界から引退?

高崎 着エロは芸能人じゃないよ!

――(爆笑)!

高崎 だから私も芸能界にいたつもりはなくて、ただグラビアを辞めようと思ったんです。

――ちなみに、MUTEKIから誘われたりしなかったんですか?

高崎 めっちゃ誘われましたよ、お断りしましたけど。

――すごーい! ギャラはいくらだったんですか?

高崎 そんな大した額じゃなかったんですよ。●●万くらいだったかな。

――ヒィ~ッ! 田舎なら戸建てが買える額ですよ!! 藤軍団にはギャラに釣られて入ったのに、この額でMUTEKIに釣られないなんて……。

高崎 私、本当に全然セックスが好きじゃないんですよ。自分の好きじゃないことが残るなんて地獄じゃないですか……。

――着エロ時代のDVDは自分で普通に見返せますか?

高崎 うーん、見ろって言われたら見ますけど、見たくはない(笑)。ネットにアップされてると「消してくれよ!」と思いますね、もう捜しもしないですけど(笑)。

――お気持ちわかります……! ではでは、グラビア引退後はどうされてたんですか?

高崎 お芝居がやりたかったので、一瞬ですけど声優事務所に入ってたんですよ。知人に専門学校の先生をやっている人がいて、「お芝居したいなら声優に興味ない?」って誘ってもらって、養成所に入って、そこで勉強して事務所に所属して……三ツ矢雄二さんのところだったんですけど。

――超良いところじゃないですか!

高崎 そこでアニメ『はなかっぱ』のオーディションを受けて、もちろん落ちて(笑)。で、私が受けたももかっぱちゃんの役は留美さんになりました。

――おお、そんなところですれ違ってたんですね。声優の仕事はされましたか?

高崎 結局、全然できなかったですね。そもそもコネで入ったようなもんだから、真面目に訓練してきた子たちを見て「私のような素人が、なぜここに……」って落ち込み続けて……。お芝居も、ワークショップに参加したり公演に出たりしたんですけど、「こんなに辛いことがこの世にあるんだ!」って思いました。稽古中も人間性をボロクソに否定されることしか言われなかった。1年くらい頑張って「本当に向いていない」って実家に帰って、会社員になりましたよ。お芝居はもうやりたくないです(きっぱり)。

――清々しく懲りてますね! 就職中はどんなお仕事をされてたんですか?

高崎 コールセンターでハードウェアの説明してました。めちゃめちゃ仕事できたんですよ、私。でも、やっぱりつまらなくなっちゃって。少し田舎の方だったんですけど、地元の人と本当に話が合わないんですよ。みんな保守的で、少し変わったことをすると変に騒がれちゃうし。

――もしや、そんな環境で溜まった鬱憤が爆発してロック座のストリップデビューに至ったのでしょうか?

高崎 あはは! それは昔の事務所の社長からずっと「お芝居が好きならロック座に出てみなよ」って言われてたんです。その時は「どうせAVの人がやってるんでしょ~? 出たらAVやらされるんでしょ~?」って疑心暗鬼で断ってたんですけど、久しぶりに会った友達が「今ストリップにハマッてて、ロック座のお姐さんの追っかけをしている」って、すごい熱心なファンになっていて。それで私も「女の子が憧れる仕事なんだな」って興味を持って、観に行ってみたらすごく素敵で、「やります!」って(笑)。

――おお~。やってみてどうでしたか? 確か、一日でも早く入った人が「姐さん」になるんですよね。芸人さんみたいで人間関係が大変そうです。

高崎 めっちゃ大変です! でも、男性中心だった会社員時代より、ずっとやりやすいんですよ。姐さんたちはみんな同じ仕事をしていて隠し事もないし、10日でメンバーも変わるし、すごく楽しんでます。

――辞めたいと思うことはありますか?

高崎 最初の頃はもう何回も思いましたよ、辛すぎて! 浅草のロック座は一日に5回もステージがあって、他は4回、それからまた先生に振り付けを教わって、レッスンして、その連続で体力的に限界が……筋肉はつきましたけどね。あと、浅草の衣装は踊り子を引退した姐さんが作ってくれるんですけど、他の劇場では自分で買ったりするんですよ。それがまた高いので、踊り子はみんな貧乏です(笑)。

――あはは、好きじゃなきゃできないですね! ちなみに、そこから宍戸留美さんの歌唱オーディションに参加したきっかけはなんだったんですか?

高崎 もともとオタクで、小さい時から留美さんの仕事を見て育ってるんですよ。それでたまたま『KING OF PRISM by PrettyRhythm(キンプリ)』を見て「うん、いつ見ても良い」ってジーンとして、出演されている留美さんのTwitterを眺めていたら、オーディション情報が出てきて……「あ、留美さんに会えるかも」って応募しました。完全に邪な気持ちで(笑)。

――なるほど~。宍戸さんはなぜ合格させたか覚えてますか?

宍戸 Twitterが「高崎美佳と宍戸留美が?」ってザワついていて、「何事!? この人は誰なの??」って(笑)。それでフリートークを聞いたらすごく面白くて、「絶対会いたい」と思って。歌ってもらったら声質も素晴らしいし、踊り子さんだからか表現力も豊かで……。

――べた褒めじゃん! そのご縁で、オーディション対象曲『地球の危機』に留まらずに新たなCDを発売されたりと、人生があらぬ方向に進んできましたね。宍戸さんプロデュースのデビューシングル「MIKA」、すごく良かったです(https://youtu.be/_O_H3lpH_pU)! 歌はこれからも続けますか?

高崎 せっかく留美さんのプロデュースで何曲かレコーディングさせていただいたので、これからも歌っていきたいと思います。

――レコーディングはどうでした?

高崎 めちゃめちゃ緊張してたので、もう覚えてないです。出来上がりを聴いても何も言えない、「ハッ、現実なんだな!?」みたいな……。

――それにしても、着エロ→声優事務所→就職→ストリップ→歌手とは、かなり密度の濃い人生ですね。

高崎 自分では「今まで何にもしてこなかったな」って思うんですけどね。何も残ってないですよ。

――残ってますよ、DMM.R18にいっぱい!

高崎 消したい過去が(笑)。

――これからもっと残していきましょう! 本日はどうもありがとうございました~!
(取材・文=小明/撮影=宍戸留美)

●たかさき・みか
グラビアアイドルを経て2018年8月1日川崎ロック座ストリップデビュー。

【高崎美佳最新情報】
デビューシングル『MIKA』と2ndシングル『3番ホーム』は現在、劇場で販売中!!

今後の踊り子スケジュール
■5/11~5/20 新宿ニューアート(東京)
■5/21~5/31 東洋ショー劇場(大阪)
■6/1~6/10 ライブシアター栗橋(埼玉)
■6/21~6/30 川崎ロック座(神奈川)
and more…!

●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。

【宍戸留美最新情報】

■絵恋ちゃん、里咲りさ、姫乃たま、小明、他がカバーしたものと、セルフカバーした宍戸留美アイドル時代の音源アルバム『8=∞』(エイト)絶賛制作中!(通信販売のみ)

ご希望の方は
sundaliru@gmail.com

■6/9(土)13時~下北沢風知空知
『宍戸留美ひとりひとりにサリューvol.15~ハッブル編~』
予約受付中!
https://tiget.net/events/27507

●あかり
1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいたところ、突如フランス人男性と結婚。二児の母となる。『卑屈の国の格言録』(サイゾー)、『アイドル墜落日記 増量版』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。
ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/