NHK・桑子真帆アナ、スピード離婚&“不倫デート”報道からの結婚発表――「ほんわかした性格」というイメージに“ズレ”が生じた瞬間

 9月1日、俳優・小澤征悦とNHKの桑子真帆アナウンサーが結婚を発表。翌2日には小澤が情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)に生出演し、「これから2人で頑張っていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」などと報告した。

 ネット上には祝福の声も多いが、「悪い意味でお似合いって感じ」「いつまで続くか気になる」「なんともクセの強そうな夫婦」といった批判的な声も。というのもこの2人、これまで異性関係でのスキャンダルが絶えなかった者同士なのだ。

 小澤は2009年5月に「女性セブン」(小学館)で女優・杏との熱愛が報じられるも、同年12月に「フライデー」(講談社)がフリーアナウンサー・滝川クリステルとの“8時間デート”をスクープ。その後、あらゆるメディアで「小澤と杏の交際再開」「滝川が小澤を奪還」といった報道が飛び交ったものの、杏は15年に俳優・東出昌大と結婚(現在は離婚)、滝川は19年に小泉進次郎環境大臣と結婚し、結果的に小澤とは破局した。

 一方の桑子アナは、17年5月にフジテレビアナウンサー・谷岡慎一と結婚し、翌18年6月にスピード離婚。さらに、今年1月発売の「フラッシュ」(光文社)では、桑子アナと大学時代から9年にわたり肉体関係を持っていたという30代男性・Aさんが、彼女の素性を暴露している。

 Aさんによると、桑子アナは複数の男性と関係を持ち、「交際相手がいる男性と遊ぶことを“不倫デート”」と呼んでいたそう。ネット上には「昔の話だし、問題にするほどじゃない」などと桑子アナをフォローする声もあったが、「清楚なフリして本性はすごい」「NHKのアナウンサーなのに、これはない」などと、衝撃を受ける人も多かった。

 「NHKの女性アナウンサー」ということで「清楚」な印象につながり、こうしたバッシングを受けたのだろう。しかし、ライターの仁科友里氏は、かつて連載「女のための有名人深読み週報」の中で、「性格もほんわかしていて、家庭を大事にしそう」という桑子アナの世間的なイメージに、異を唱えていた。結婚報道が出たいま、あらためて同記事を掲載する。
(編集部)

(初出:2018年6月14日)

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「桑子さんはキャスターには珍しく、番組の打ち上げや反省会にマメに顔を出してくれるんです」
(「デイリー新潮社」6月18日)

 昨年30歳でバースデー婚を果たしたNHKの桑子真帆アナが、1年たらずで離婚した。人気アナの宿命として、週刊誌は離婚の原因を書き立てる。オジサン系タブロイド紙「日刊ゲンダイ」は、桑子アナは実は男勝りで勝気な性格だから結婚に向かない、遠くから眺めている方がいいと上から目線な分析をしていたが、フツウのオジサンと桑子アナがお近づきになることはないので、安心していただきたい。

 男性視聴者を中心に、桑子アナの離婚が不思議がられているのは、「見た目と同じように、性格もほんわかしていて、家庭を大事にしそう。とても離婚するはずがない」と思われていたからかもしれない。しかし私は、彼女の性格がほんわかしているとは思えない。前から、テレビに出ている桑子アナに、自分にうっとりしているというか、“私は私が大好きです”オーラをひしひし感じていたのだ。“仕事が好き”ともまたちょっと違うオーラで、言葉では説明しづらいが、それは人気者の証しであり、大物になることを予想させるものだった。

 しかし、ちょっとズレてきたなと思ったのは、今年2月の平昌オリンピックである。桑子アナは同大会のキャスターを務めていたものの、開会式以来、なぜか番組に出ることがなかったため、ネットで桑子アナの不在が騒がれたが、それに答えるように、俳優の和田正人が「ここにいますよ」と桑子アナの画像を添えてツイート。ファンは安心しただろうが、私には脇が甘いというか、自意識が“いま風”なんだなと思えて仕方がなかった。

 桑子アナが芸能人と親しいのは、個人の問題なので外野が口を挟む余地はないものの、桑子アナが中立を旨とする公共放送を提供する会社の社員であることを考えた場合、適切な行為とは言えないのではないだろうか。繰り返していうが、芸能人と親しくするなということではなくて、芸能人と親しいことを全世界に知らしめる必要があるのか、ということだ。

 しかし、そんな“騒がれたい”“かまわれたい”という願望が見え隠れする、桑子アナのおとなしくしていられない自意識は、最近のNHKを考えた場合、プラスに働きそうである。なぜなら、NHKきっての人気者、有働由美子アナが退社し、彼女に変わる看板が必要だからだ。

 人気を得るために、めぐり合わせやタイミングをつかむことは、非常に重要なことである。千載一遇ともいえるこのチャンスが回ってくるのは、持っている人の証拠。そう考えると、今回の離婚に関しても、“仕事に没頭していたら、家庭どころではなくなったのではないか”“それもおかしくはない”と思えてくるのだ。

 離婚よりも、私が不思議だと思うのは、女子アナの人となりを語るときに、持ち上げるときもけなすときも、“飲み会”をその根拠とする週刊誌の記事である。6月18日、新潮社のウェブサイト「デイリー新潮」が、桑子アナについて「桑子さんはキャスターにしては珍しく、番組の反省会や打ち上げにマメに顔を出してくれるんです」と報じ、ナンパしてきた男性に持ち帰られそうになったが、未遂に終わったと、やんわり“貞操観念がゆるいのではないか”ということをほのめかした。また「週刊女性」(主婦と生活社)は、「桑子アナ、子作りよりも朝まで飲み会で、夫の合コン率UP!?」といった具合に、「飲み会の参加率」に着眼し、それを離婚原因だとしている。飲み会をその人の判断材料にしたり、離婚の遠因であるかのように報じたり、飲み会が重要視されすぎているように感じるのだ。

 しかし、これは桑子アナに限った話ではなく、オリコン主催の「好きな女性アナウンサーランキング」で5年連続首位となり、殿堂入りを果たした日本テレビ・水卜麻美アナも「飲み会に来て、よく食べている」といった記事を目にする。また有働アナは、自ら『ウドウロク』(新潮社)で、仕事の飲み会は断ったことがないと明かしている。これらの例から考えると、やはり“飲み会に来てくれる女子アナはいい人”といった具合に、飲み会の参加率が人格の評価につながっているような印象を受けるのだ。

 私が会社員だった頃、オフィスでちまちま仕事をするよりも、飲み会に行ってオジサンに顔と恩を売って、“お気に入り”になった方がトクだと先輩に言われたことがある。「誰にでもできる仕事なら、自分のお気に入りを引き上げたい」というオジサンの気持ちを見越しての判断だが、女子アナという高度な専門職につく女性でも、オジサンと飲むことは、いまだに意味を持つのだろうか。だとしたら、世の中の変わらなさに驚くばかりである。

 この離婚により、桑子アナバッシングが巻き起こり、離婚がマイナスに捉えられる向きもある。しかし、別にマイナスではないのではないか。かつて有働アナが独身ウリをしていたように、桑子アナもバツイチをキャラとして使えばいいのだ。というか、仕事が落ち着くまで再婚しない方が、本人にとってもファンのためにもいいのではないか。近いうちに熱愛報道が出そうな気もするが、ほどほどに頑張っていただきたいものである。

小倉優子、「旦那さんとデートしなきゃ」発言に思う“反省”と“努力”の限界――「頑張ってもうまくいかない」こともある

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人> 
「子ども預けてデートとかしなきゃ」小倉優子 
『今田耕司のネタバレMTG』(読売テレビ、8月21日) 
 
 芸能人が破局や離婚をすると、世間では“原因”が取り沙汰される。そうなると芸能人側は、何らかの原因を提示しないと「本当は浮気していたのでは?」といったマイナスイメージの臆測を呼びかねないので、イメージの低下を恐れる場合は、とりあえずオチをつけようとする人もいるだろう。 
 
 「うまくいかなかった原因」を明かすことはビジネス上の判断としては理解できるが、個人的には「なぜうまくいかなくなったのか?」と内省的になることに意味はあるのか疑問に思う。 
 
 世の中に完璧な人間がいないのだとしたら、破局や離婚の際、“落ち度”は男女問わずどちらにもある。ということは、うまくいかない理由を考え出せば無数に見つかってしまうだろうし、その分析が正しいのかジャッジできる人もいないだろう。なので、「うまくいかなかった理由」を探すことは、単なる「自責」や「他責」に終わるのではないだろうか。“ゆうこりん”ことタレント・小倉優子を見て、そんなことを思った。 
 
 ゆうこりんといえば、初婚時の夫の不倫が「週刊文春」(文藝春秋)に報じられて、2017年に離婚。その時ゆうこりんが妊娠中だったこと、不倫相手が彼女の事務所の後輩(当時)だったこともあって、世論はおおむねゆうこりんに同情的だったように思う。彼女のようなママタレにとって、離婚はビジネス上のダメージに当たると思われるが、2人の幼い子を抱えて仕事をしながら、家事育児に手を抜かないシングルマザーぶりが評価されたのだろう。同年にオリコン社が主催・発表した「第2回 好きなママタレント」で1位を獲得している。 
 
 そのゆうこりん、18年に歯科医師と子連れ再婚を果たし、妊娠する。めでたしめでたし、かと思いきや、20年、再婚2年目にして離婚危機だと報じられる。同年3月11日付の「サンケイスポーツ」によると、夫は結婚1周年を前に、身重の妻を置いて家を出て行ってしまったそうだ。夫の弁護士を通じて、2人の息子との養子縁組解消と、離婚を求められたという。 

  ゆうこりんは夫との復縁を望んでいるが、いまだに動きはなさそうだ。8月21日放送の『今田耕司のネタバレMTG』(読売テレビ)に出演した彼女は、「私の悪いところはあれ(改善)するし、落としどころが見つかればいいなと思ってます」と、離婚の意志はないことを主張した。

 さらに「急に2人のパパにもなってくれたじゃないですか。芸能人の旦那さんにもなってくれた。それってすごいプレッシャーがあると思うんですよ。で、今度子どももできる。いろんなものが大きくなるじゃないですか。そのときに私がもっとサポートというか、できてればよかったのに、『私もつらい』みたいな。だから『私が、私が』って思っちゃったし、そういうのが原因だなと思って」「子どもたちが小さいからといって、全然旦那さんとデートも行かずに……。そうなんです、デートも全然行ってなかった。子ども預けてデートとかしなきゃ。旦那さんにとっては、新婚なわけじゃないですか」と、長々と“反省の弁”を述べた。 
 
 「どちらが悪い」と白黒つけたがる外野には、「どんな理由があろうと、身重の妻を置いて家を出て行く夫はひどい」と言う人もいるだろうし、ゆうこりんの言い分通り「夫への気遣いを忘れたゆうこりんが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、私に言わせるのなら、「うまくいかなかった理由」を探っても、ゆうこりんはすでに「自責」で終わっているので、意味を持たないのではないか。それにこの2人の場合、どちらが悪いというより、すごく「人生の相性が悪い」気がするのだ。 
 
 恋愛結婚を「好きな人と結婚する」というイメージで捉えている人は多いだろうが、「好き」という気持ちは「嫌い」に転じることもある。そういう意味で「好き」という感情は、結婚生活においてはリスクでもあるだろう。「嫌い」になったから別れるという選択もありだが、もしもある程度の期間、安定した関係を育みたいと思うのなら、好き嫌いを超えてお互いに「結婚してよかった」と思えるものを共有する必要があるのではないか。私はそれが「人生の相性」だと思う。

 そう考えると「人生の相性がいい」というのは、「自分のためにしたことが、結果的に相手のためになること」だろう。「旦那さんとデート」のようなタスクを増やすのではなく、お互いがフツウに生活することで、自然と相手のためになっていればベストなわけだ。そのためには、お互いの人生にとってメリットのある相手を伴侶とするのがよいのではないか。

 歯科医夫はゆうこりんを愛しており、だから交際期間が短くても、なさぬ仲の子どもがいても結婚を決意したのだろう。しかし、いきなりなさぬ仲の子どもの父親になるというのは、そう簡単なことではない。とはいえ、ゆうこりんとて、仕事もして2人の小さいお子さんの育児もして妊娠までしていたら、いつまでも夫の前でかわいい顔ばかりしていられないのではないか。 
 
 「子ども預けてデートとかしなきゃ」発言は、ゆうこりんが自分を責めている、もしくは自分にタスクを強いているかのようにとれるが、仕事と育児とデートをしたら、忙しさのあまり心身ともに追い詰められることは目に見えているし、これでは「旦那さんとデート」したことによって、ゆうこりんに不利益が生じることになってしまう。お互い頑張っているのになぜかうまくいかない、まさに「人生の相性が悪い」状態だと思う。 
 
 ゆうこりんは「親の受験」とも言われる小学校受験で、お子さんを有名小学校に「合格させた」母としても知られている。おそらく合格を勝ち取るために「あそこが悪かった、ここが悪かった」と反省し、二の轍を踏まないように努力したのだろう。しかし結婚においては、悪かったことを反省するよりも、最初から「頑張らないでも、お互いに一定量のいいことがある人」を探したほうが、自分も相手もラクだし、結果として長続きするのではないだろうか。
 
 努力して何かを手に入れてきた女性に「努力をするな」と言うのは、一番難しいことだと思う。しかし、あえて「頑張らないように頑張って」とエールを送る次第だ。 

華原朋美は「幸せそうなメンヘラ」? 精神的に不安定でも、「ギリギリの線はちゃんと守る」強さとスゴさ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人> 
「これからはいい記事を書いていただけるように……」華原朋美
YouTubeチャンネル「華原朋美」結婚会見生配信、8月17日 
 
 どういうわけか精神的に不安定な人というのはいて、そんな人はネットの世界で「メンヘラ」と呼ばれている。仕事や家庭の問題を気に病む場合もあるだろうが、メンヘラの“本領”がいかんなく発揮されるのは恋愛だろう。 
 
 付き合い始めた当初は「人生最高のパートナー」「運命の出会い」とのろけているが、その関係は長く続かず、相手にしつこくつきまとって嫌われるが、そんなことはお構いなしに、ストーカーのように待ち伏せしたりもする。しかし、それも忘れてまたすぐ別の人に恋をして、また揉めて……の繰り返し。私の友人にそういうタイプのメンヘラがいて、オトコを待ち伏せして車で軽くひかれたり、ミートソースを投げつけられたりしていた。

 そんな友人をなんとか助けたいと思って、「オトコに依存してはいけない」とか「メンヘラを治そう」と提案したこともある。なぜそんなことを言ったのかというと、私の根底に「メンヘラはよくない」という考えがあったからだ。 
 
 しかし、今はそうは思わない。周囲を見回して考えてみると、いつもメンタルの調子が絶好調という人のほうが少数派だろうし、メンヘラのようにわかりやすい行動に出なくても、恋愛やその他のことでメンタルを削られてバランスを崩している「隠れメンヘラ」はいくらでもいる。となると、問題はメンヘラかどうかではなく、「いいメンヘラ」「悪いメンヘラ」のどちらに属するかではないだろうか。「いいメンヘラ」なら、それはある種の才能だから、伸ばしたほうがいいというのが私の考えだ。 

 私の考える「いいメンヘラ」の条件は、体力があること、仕事を続けられる(辞めない)ことの2つである。たとえば、私の友人はオトコと揉めると「眠れない」「食べられない」と騒いでいて、実際に激やせしたりもしていたが、会社に行けないわけではない。

 これで本当に倒れてしまったり、仕事ができなくなって辞めざるを得ないなら、周囲は直ちに介入する必要があると思う。これが私の考える悪いメンヘラだ。しかし、仕事をこなして体調を崩さずにやっているのなら、それは一種の“趣味”ととらえていいのではないか。 
 
 「穏やかな恋愛をしたい」というのが口癖の彼女だったが、その一方で「平凡はつまらない。オトコと揉めている時に生きていると感じる」と漏らしたことがある。ということは、彼女はオトコと揉めたくて揉めているわけだから、「かわいそうな人」ではなく、案外幸福なのではないかと思うのだ(もちろん、相手には同情する)。 
 
 芸能人にも、友人と似た「幸せそうなメンヘラ」がいる。歌手の華原朋美だ。天才プロデューサー・小室哲哉に見いだされたシンデレラガールにして、90年代を代表するトップアーティストだが、人気絶頂時から精神的に不安定なイメージもあったと記憶している。

 小室との交際が順調な時も歌番組で奇声を発したり、質問に答えずにずっと笑っているなど、カメラの前で“奇行”を繰り広げたこともあったが、時代の寵児に愛されていることもあって、それすらも「かわいい」と言われていた。しかし、小室と破局したことで、彼女はながーい暗黒時代を経験することになる。 
 

 若い女性が恋人に突然別れを告げられたら、メンタルの調子を崩してもおかしくないが、華原の場合、小室と別れることで仕事や収入、アーティストとしてのポジションを一気に失ってしまう。薬物の大量摂取や精神科病棟への入院などが報じられたこともあったが、彼女を待ってくれるファンもいて、時間はかかったが芸能界にも復帰した。これこそが彼女の強さ、スゴさだろう。 
 
 結婚をせずに40代後半で出産したことが話題になったが、産後の肥立ちが悪いという話も、初めての子育てに煮詰まって、子どもを虐待してしまったという話も聞かない。不安定であることは間違いないが、ギリギリの線はちゃんと守って芸能活動を続けている。これは彼女が「いいメンヘラ」だからではないだろうか。 
 
 その華原が、先日結婚を発表した。相手は所属事務所の社長だという。精神的に不安定になりがちな人なので、常に彼女のそばに誰かいてくれることは、華原はもちろん、小さなお子さんにとってもいいことだろう。結婚がいつまで続くかはわからないが、それは誰でも同じだから、その時はその時だ。 
 
 そう思いながら、華原の結婚会見を見終わってあることに気づいた。会見での服装が、引退した歌手・安室奈美恵さんがTRFのSAMと結婚した際に着ていたものとよく似ているのだ。 
 

 これは単なる偶然かもしれないが、もし意図的に安室さんと同じ衣装をチョイスしたのなら、その理由は何なのか。

 安室さんと華原は、かつて小室がプロデュースする“小室ファミリー”の一員だった。しかし、2017年6月にバラエティ番組『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告』(テレビ東京系)で華原は、「誰が“ファミリー”って言ったんだろうと思って。誰一人、ファミリーなんて思ってないです」と話していた。「やっぱり、1位取りたいって気持ちがすごい」「TKのプロデュースだと、みんなそう思ってるんで。だから、みんな敵なんです」とも語っていて、ファミリーよりも“ライバル”のような関係性だと言いたいようだった。 
 
 華原本人は結婚会見で「これからはいい記事を書いていただけるように」と話しているが、仮に安室さんの真似をしていたとして、結婚会見というおめでたい場で、彼女に固執しているかのような行動を取ったら、「粘着行動が怖い」などと言われかねないだろう。

 夫は誤解を招くような行動をどうして放っておくのか、それとも注目を集めるための作戦なのか、はたまた全く気づいていないのか。私の友人が「穏やかな恋がしたい」と言いつつ、「オトコと揉めていると生きていると感じる」と話していたように、華原自身にも穏便にコトが進むことに対する抵抗があって、問題を起こしてしまうのか……。 
 
 このように、気づいたら、華原について考えさせられてしまう。この人はやっぱり「いいメンヘラ」で、生き様で大衆を魅了するザ・芸能人といえるのではないか。結婚しても離婚しても、彼女は芸能界で生き続けられる気がしてならない。

『ゴゴスマ』を成功に導いた石井亮次アナ、「天狗になっていない」アピールの危険度とは? 視聴者の共感を得る“今どきの謙遜”

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人> 
「喫茶店のお姉ちゃん」石井亮次アナウンサー
『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系、8月11日) 
 
 研ナオコの公式YouTubeチャンネルに投稿されている、メイク動画をご存じだろうか。すっぴんの状態から研が愛用しているコスメを使って、テレビでおなじみのあの顔に仕上げるまでを映したものが特に人気で、再生回数480万回を超えている動画もある。人気動画だけに視聴者からのコメントも多く、その中に、研の使用しているコスメがすべて高級品ではないことについて触れたものがあり、「人気芸能人が庶民的なコスメを使っていて、ますます好きになった」「ドラッグストアで買える化粧品を使っていて親近感」といった趣旨のものがいくつかあった。 
 
 人気芸能人が使っているから、その商品を私も使いたいと憧れるのではなく、自分と同じようなものを使っている芸能人に好感を抱く。ある意味、視聴者が「自分中心」になっているといえ、大御所芸能人の研ですら「視聴者に『私と一緒』と思ってもらえないと生き残れない」時代なのだろう。 
 
 こうした時代の流れをいち早く察知したのは、アナウンサーではないだろうか。元NHK・有働由美子アナは、90年代に女子アナで初めて“自虐”をした人だと私は認識しているが、モテるであろう女子アナが「モテない」と言うことは、当時、かなり画期的なことだったと記憶している。私のように骨の髄までひねくれている人間は「そんなわけねーだろ」と鼻白むが、世の善良な人々は「女子アナなのに気さく」だと、彼女の自虐を歓迎したようだ。

 ちなみにモテないはずの有働アナ、巻髪のカツラとサングラスで変装して、ある野球選手の家に通う姿を写真週刊誌に撮られているほか、デートやお泊まり報道が出たこともある。やはり、おモテになっていたのだろう。 
 
 この「恵まれているように思われると損」という考えから出る自虐は、徐々に男性アナウンサーにも浸透したように感じている。たとえば、日本テレビの桝太一アナウンサーは東大出身で見た目も良く、オリコン調査の「好きな男性アナウンサー」ランキングで5年連続1位に輝いて殿堂入りを果たすなど、“ザ・人気アナウンサー”だといえる。そんな彼のすごいところは、人気が出だしてからも、“非リア充アピール”を欠かさなかったことだと私は思っている。 

 2015年10月21日放送の『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)に出演した桝アナは、中高時代、彼女はおろか女友達もいなかったこと、大学時代は「シャツはイン、ポシェットつけちゃって」というファッションセンスだったことを、自虐的に明かしている。また、モデルや芸能人と結婚する男性アナウンサーもいるなか、桝アナの妻は一般人で恐妻家のため、しょっちゅう怒られているとも話していた。これらのエピソードはスタジオ内でウケていたと記憶するが、なぜウケたのかというと、「見た目と経歴がよい桝アナにもダメなところがある」という親近感を得て、経歴も見た目も恵まれているが「笑ってもいい存在」と思われたからだろう。 
 
 日本テレビには、桝アナの1年先輩に上重聡アナウンサーがいるが、この人は桝アナと反対の“リア充アピール”をしてきたと言ってさしつかえないだろう。PL学園高校出身で、甲子園では“平成の怪物”と言われた松坂大輔と対戦、立教大学時代は東大相手に完全試合を達成している。『おしゃれイズム』(日本テレビ系)に出演した際、プライベートでは「とんねるず・木梨憲武、俳優・佐藤浩一、中井貴一ら有名人とゴルフに行く」「女性にモテるため、ワイシャツ姿で料理をする」と語るなど、キラキラ志向であることを隠さなかった。 
 
 しかし、15年4月に「週刊文春」(文藝春秋)が、スポンサー企業の元会長から2000万円のベントレーを借りて、局で禁じられている車通勤をしたり、同氏から1億7000万円を無利子で借りてタワーマンションの最上階を購入したことを報じると、当時、サブ司会を務めていた『スッキリ!!』(日本テレビ系)内で謝罪し、16年3月に番組を降板している。報道から1年後の降板なので、騒動と直接的には関係ないかもしれないが、局側が禁止している行為の制裁と考えるのが自然だろう。もしくは、「タニマチに貢いでもらってウハウハ」という芸能人ぶった行動は、「私と一緒」であることを重んじる今の視聴者に受け入れられない、と上層部が判断した可能性もないとは言い切れないと思う。
 
 それでは、桝アナのように“非リア充”を装えばいいのかというと、それもまた違うと思う。いいバランスを保たないと、違うリスクを背負うことになるのではないだろうか。

 8月11日放送の『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)に出演した石井亮次アナウンサーがいい例だ。彼は元CBCのアナウンサーで、『ゴゴスマ~GOGO!Smile!~』(TBS系)の司会者である。同番組は13年の開始時こそローカル放送だったが、今や高視聴率番組となり、全国進出を果たした。番組を成功させたからか、20年にフリーに転身している。 
 
 そんな石井アナは、今年7月4日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演した際、人気者になり天狗になったと思われないように、低姿勢を心掛けていると話していた。フリップを指すときに腕が映るが、高級時計をつけていると視聴者の気が散るため、あえて980円の安物の時計をつけ続けるという。 
 
 私には、こういう行動のほうが嘘くさく感じるし、プライドが高くて面倒くさい人だと思うが、おそらく善良なる視聴者のみなさんにはウケる、効果的なアピールなのだろう。しかし、なんでもかんでも自分や身内を下げておけばいいというわけではないはずだ。 

 『ホンマでっか!?TV』で、出演者のフリーアナウンサーの配偶者について話が及んだ時のこと。司会を務める加藤綾子アナの夫は、年商2000億円といわれる実業家で、元テレビ朝日・竹内由恵アナの夫は医師、元NHKの神田愛花アナの夫は売れっ子お笑い芸人のバナナマン・日村勇紀である。経歴や聞こえが華やかな職業の配偶者を持っている人が多い中、石井アナは、自分の妻を「喫茶店のお姉ちゃん」と言って笑いを取っていた。 
 
 その昔、ビートたけしや明石家さんまがテレビでよく「飲み屋のお姉ちゃん」という言い方をしていたが、血縁関係のない若い女性を男性が「お姉ちゃん」呼ぶことはある。しかし、あまり相手に敬意を払っていないというか、相手を「ちょっと下に見ている」ニュアンスが含まれていることは否めないだろう。 
 
 前述の通り、石井アナは「天狗になっていない」アピールに過剰なまでに心をくだいている人だから、あえて「お姉ちゃん」という言い方をして、視聴者から共感を得ようとしたのかもしれない。しかし、今の「自分中心」で「私と一緒」を重視する視聴者は、「私だったら、そういう言い方をされたらいやだ」と、石井アナの妻でもないのにそっぽを向く可能性があるのだ。 
 
 一昔前、夫が妻や子どもを「愚妻」や「豚児」とへり下った言い換えをすることがあったが、自分のことは下げても、家族のことは決して下げないのが今どきの謙遜ではないかと思う。特に全国ネットの番組で、いろいろな属性の人が見ているテレビでは、「自分の妻を下げることは、女性視聴者全体を下げること」くらいに捉えたほうがいいのかもしれない。 
 
 「女性の気持ちをつかめ」というのは人気商売でよく言われることだが、これは簡単なことではない。仕事のできる人の謙遜を「デキた人」と取る人もいれば、嫌みだと思う人もいるし、誰を下げるかによって印象も変わる。そのあたりの塩梅が視聴率のキモになる難しい時代だと思うが、『ゴゴスマ』を成功に導いた石井アナはフリー転身後も活躍できるかどうか、気になるところだ。

大ブレーク芸人・ヒコロヒーは“やさぐれキャラ”だけど……「売れても変わらない」を求める、真面目な“人間性”に思うコト

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「スターになっていくにつれて、ちょっとだけ、こう、アレだなと思う人も多い中……」ヒコロヒー
『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系、8月3日)

 売れた芸能人が「たまたま売れた」と自己分析することがある。「運やタイミングが味方してくれた」という意味を含んでいるのだろうが、同業者から見れば、やはり「売れる人は売れるべくして売れた」と思うのではないだろうか。

 8月3日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で「もしも新しくコンビを結成するのならあの女芸人と組みたい!」として、6人の女芸人が新しい相方を、ドラフト形式で1~3位まで指名する企画が行われた。多くの女芸人が「組みたい」と名前を挙げたのは、阿佐ヶ谷姉妹・渡辺江里子とヒコロヒー。2人とも、今をときめく売れっ子であることは説明するまでもないが、女芸人たちがお笑いの能力や性格的な相性、今後の展望まで冷静に考えて指名していたのは興味深かった。

 渡辺はお笑いの能力はもちろん、妊婦だった横澤夏子の体調を気遣ったり、先に現場を出る時に手紙を残していったりと、普段の優しさや心遣いを高く評価する声が多かった。対するヒコロヒーは、借金や遅刻癖がほかの番組でもよく話題になる。しかし、こういう“悪癖”があるにもかかわらず、多くの女芸人が「一緒に組みたい」と名前を挙げるということは、そこを差し引いても芸人として、人として魅力的なのだろう。

 確かに、同番組での発言を見ていると、“やさぐれキャラ”で売っているわりには気遣いというか、相手を立てるタイプだと感じる。たとえば、ゆりやんレトリィバァはヒコロヒーと組みたい理由として、「何言っても怒らない感じがいい」「自分をどう扱うのか」などと自分中心で話すのに対し、ヒコロヒーは組みたい相手のいいところを紹介して、自分の話はほとんどしなかった。

 もちろん、“いい人”なだけではない。番組内で、ヒコロヒーは3位に選ばれることが多かったため、「3番目の女って、誕生日プレゼントで写真入れもらいがち」と自虐をした。さらに、3時のヒロイン・福田真紀に関しては「つぼみという吉本の安いアイドル、大阪の面白いアイドルを目指していた点がやや信用できない」と毒も吐いてみせた。

 その一方で、わりと繊細というか、「売れて変わる」人に対して“潔癖”なのかなと思う部分もある。ヒコロヒーは平野ノラを2位に選んでいたが、彼女がバブルネタで大ブレークしている最中、仕事で一緒になることが多かったそう。その際、「私みたいな人間って、そういう時期に人がどういう対応をするのかって、ちょっと見させていただいてる部分がある」「平野ノラさんはどれだけ忙しくても、すごく丁寧」と話していた。要は、売れているからといって、横柄な態度を取る人が気に入らないということだろう。

 ヒコロヒーはメイプル超合金・安藤なつを1位に選び、その理由も「スターになっていくにつれて、ちょっとだけ、こう、アレだなと思う人も多い中、なつさんは今でも変わらない」と話していたから、「売れても変わらない」はヒコロヒーにとって、大事なポイントなのかもしれない。

 ここで思い出すのは、元おニャン子クラブで女優の国生さゆりが『HEY!HEY!HEY!』(フジテレビ系)で「売れていた時代」を振り返ったときのエピソードだ。

 「バレンタイン・キッス」(1986年)のレコードが30万枚売れたことで、周囲の扱いが変わり、天狗になっていったという国生。遅刻しても謝らない、ドラマ撮影なのにセリフは覚えていかない、ウエスタンブーツを履くための椅子を用意しなかったスタッフに向かってブーツを投げるなど、あの愛らしい笑顔からは想像もつかない天狗ぶりだったそうだ。こういう人とコンビを組むと仕事がスムーズに進まないし、ストレスが溜まることは想像に難くないが、一方で「売れても変わるな」というのも、なかなか難しい注文だと思う。なぜなら、人は変化する生き物だと思うからだ。

 人は環境によって作られる部分があるので、周囲が変われば物の見方や感じ方も変わってくるし、求めるものも違ってくるのではないか。学生時代の女友達が結婚や出産をすると、独身者とは話が合わなくなるという経験をした人は多いと思うが、まさにこれが典型。どちらが悪いというわけでもなく、環境が変われば興味も変わり、共通の話題が減るということだろう。

 ヒコロヒーも自分では気づかないだけで、ブレーク前と比べたら、変わっている部分はあるはずだ。彼女は『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ系)にて、4年連続で準決勝進出を果たしている。今ほどテレビに出ていない時代であれば「準決勝まで進んですごい!」と思えただろうが、今は売れているからこそ、なんらかの大会のタイトルを獲得して、さらに活躍したいと思うのが、芸人というものではないか。

 ヒコロヒーがさらなる高みを目指すなら、歴代の受賞者や先輩からアドバイスを受けて、精進する必要があるだろう。そうすると、おのずと興味の対象や、付き合う人も変わっていくと思う。昔の仲間からは「変わった」「売れたら付き合いが悪くなった」と言われるかもしれないが、そもそも、変わり続けなくては生き残れないのが芸能界、もしくはお笑いの世界なのではないだろうか。

 「売れて天狗になる」というのはみっともいいものではないが、「周囲の扱いが変わる」のは、人気がある時だけだ。国生はある日突然人気がなくなり、スタッフに対する態度が良くなかったこともあって、10年間、仕事が低迷して苦しんだと言っていた。結局、そういう態度は本人に返ってくると考えるなら、「売れても変わらない」ことより、「さらに売れるために変わる」ことが大事だと思うのだ。

 ひと昔前、女芸人は見た目やモテないネタで笑いを取っていたが、これは視聴者が女芸人を一段下に見ていた証拠といえるだろう。しかし、今や女芸人はバラエティー番組だけでなく、ドラマや文筆の世界にも活動の場を広げ、「国民の女友達」的な存在にシフトしてきたと感じる。

 こうなると、女芸人に求められるのは“人間性”ではないだろうか。「売れても変わらない」ことを良しとするヒコロヒーの真面目さ、潔癖さは女性ウケすると思うが、一歩間違うと「義理人情に縛られて小さくまとまってしまう」「他人からストレスをもらって、自分が疲れてしまう」可能性もあるだろう。生真面目や潔癖もほどほどに、さらに突き進んでいただきたいものだ。

瀬戸大也の不調&不倫は「馬淵優佳のせい」? 「オンナが料理をすべき」の思い込みが、“アスリートの妻”に背負わせるモノ

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羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人> 
「完全に白米不足でした」馬淵優佳
「AERA」2021年8月2日号(朝日新聞出版)
 
 私たちは、「自分は人の行動を見て掛け値なしに他人を判断している」と思っている。しかし、実はかなりの確率でバイアスをかけて物を見ているのではないか。

 たとえば「世の中は、お金じゃない」という若者がいたとする。その若者が年収1億円であれば「お金を稼ぐ能力がある上に、お金に振り回されない。若いのに人間ができている」と世間に受け止められるだろうが、心身ともに健康なのに働かない若者が同じことを言ったら「屁理屈はいいから働け!」と批判されるはずだ。また、女性が「女性差別を許さない」と言ったら「当たり前」と思われるが、男性が同じ発言をしたのなら「フラットな考えの持ち主だ」と高く評価されるだろう。社会的条件や性別や置かれた状況による思い込みや先入観から、他人の人となりを勝手に判断してしまう。これがバイアスだといえる。

 世の中には無数にバイアスがあり、その中でも宗教のレベルに達しているのが「オンナが料理をするべき」という思い込みではないだろうか。料理研究家・土井善晴氏は以前から「一汁一菜でよい」と提言しており、7月17日配信の「朝日新聞REライフ.net」では、「共働きで女性も男性と同じように仕事をしているのに、一汁三菜なんてできっこないわけです」「基本は一汁一菜」と発言している。男性の料理研究家という立場の発言だけに、ネット上で大きな共感を呼んでおり、私はこれに時代の「進歩」を感じた。しかし、そういう進歩が一気に引き戻される気がしてならないが、オリンピックだ。

 アスリートは体が資本のため、食事に気を配る必要がある。そこに異論はないが、ここに「オンナが料理をすべき」という思い込みと、「夫(と子ども)を成功させるのは、妻の役目」という日本的な男尊女卑の考えが加わると、「妻の料理次第で夫は成功する」といった盲信が強くなるのではないか。そんな“アスリートの妻”という役割を、今、日本中から一身に背負わされているのは、競泳男子・瀬戸大也選手の妻でタレント・馬淵優佳だと思われる。

 瀬戸選手はオリンピック前、「金メダルに最も近い男」として期待されていたが、2020年に「週刊新潮」(新潮社)に不倫を報じられたことで、ANAにスポンサー契約を解除され、味の素のCMも降板、JOCのシンボルアスリートや日本短水路選手権の出場も辞退した。さらに、日本水連が年内活動停止の処分を下すなど、数々のペナルティーを受けた。活動停止処分が明けて、今年2月の「ジャパン・オープン」に挑んだ瀬戸選手は1着でフィニィッシュしたものの、その後、不調に悩まされる。 
 
 馬淵は「AERA」2021年8月2日号(朝日新聞出版)の取材に対し、瀬戸選手の不調は「完全に白米不足でした」と振り返った。瀬戸選手は活動停止中に増えた体重を減らそうと、負荷の強い練習を重ねたところ、疲れすぎて食事が摂れず、体力も落ちるという悪循環に陥ってしまったそうだ。馬淵は同誌で、食欲がない瀬戸選手が食べやすいようにおにぎりを作るなど、食べ方を工夫したエピソードを披露している。 
 
 この記事には「不調は白米で乗り越えた」というタイトルがついているが、馬淵は不調の原因こそ分析しているものの「乗り越えた」とまでは言っていない。事実、瀬戸選手は東京オリンピックの400メートル個人メドレーと200メートルバタフライで、まさかの予選落ちをしている。「不調を乗り越えた」としたのは、200メートル個人メドレーの試合が残っているため、これから戦おうとする選手の戦意を削がないための編集部の温情かもしれないが、それ以外にも、「問題を起こしても見捨てずに、陰日向となって支えて夫を大成させるのが妻の役目」という思い込みによって、「白米不足」に気づいて工夫を凝らした馬淵は、“アスリートのよき妻”というバイアスがかかっているように感じてしまうのだ。 
 
 馬淵は「AERA」だけでなく、『突然ですが占ってもいいですか?』(フジテレビ系)『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)など、テレビにも多数出演している。世間には「夫が競技で成功するかどうかは、妻の頑張り次第」という思い込みがあるから、これで瀬戸選手の成績がよければ「いろいろあったけど、奥さんがしっかり支えた」「奥さんはきれいなだけでなく、明るく気丈」などと称賛されただろうが、今のところ瀬戸選手は予選敗退に終わっている。その結果、ネット上には「こんな時に妻がテレビに出ているから、ダメなんだ」「妻がダメだから、夫の成績が伸びない」とか、「瀬戸の不調は妻のせい」「夫人の気が強いから、瀬戸は逃げ場を求めた」などと、瀬戸選手の不調も不倫も馬淵のせいといったコメントが見られた。 
 
 メディアに頻繁に出演したアスリート妻といえば、元プロ野球選手・野村克也氏の妻、沙知代夫人が思い出される。歯に衣着せぬ毒舌で知られた沙知代夫人だが、視聴者がおおむね好意的だったのは、彼女がアメリカの名門・コロンビア大学出身であるということと(後に学歴詐称疑惑が勃発するのだが)、夫が野球界のスーパースターで名将だったからではないだろうか。野村氏が絶好調の状態で沙知代夫人がテレビに出て、強気なことを言うと「さすが賢夫人、本質をついている」と称賛されたが、成績が悪いのにテレビに出ていると「こんなときにテレビに出ている場合か」と言われていた。このころからずっと、妻の言動自体は二の次で、夫の成績次第ですべての評価が変わっていたわけだ。

 ちなみに、沙知代夫人は「オンナが料理をすべき」という考えの強い人で、自身がオーナーを務める少年野球チーム「港東ムース」では、選手のお弁当をチェックし、冷凍食品が入っていると親を呼び出して叱っていたそうだ。「母親がごはんを作っていれば、夫と子どもは間違いを起こさない」とワイドショーでよく話していた。

 しかし、20年2月11日に配信された「文藝春秋digital」の野村氏インタビューによると、沙知代夫人は料理が得意中の得意だったけれども、「奥さんらしいことをやってくれたのは最初の1年くらい」と話している。私は、沙知代夫人がウソをついていたとか、怠惰だったと言いたいわけではない。「妻の料理次第で夫は成功する」というのは単なる思い込みで、「妻が食事を作ろうが作るまいが、夫は結果を出す時は出す」ということだ。 
 
 馬淵だけではなく、瀬戸選手も「不倫をした男」というバイアスに悩まされているかもしれない。オリンピックで結果が振るわないことに対し、ネット上には「女にかまけていたから」と瀬戸選手を責めるような声も上がっている。 
 
 しかし、オリンピックは原則4年に一度。選手たちはここで勝つために人生を捧げてきたはずだし、瀬戸選手が不倫しようと、その妻が出たがりだろうと、結果を出す時は出すし、出さない時は出さない。だったらバイアスを取り去って、素直に応援したいと思う。 

日本社会に根付いた「弱者を笑う文化」をあぶり出す五輪――とんねるずの“事件”&太田光の“小山田擁護”に見る「間違った男らしさ」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人> 
「子どもって残酷じゃないですか」爆笑問題・太田光
『サンデージャポン』(TBS系、7月18日)

 オリンピック、本当にやるんですね。

 新型コロナウイルスのワクチン接種はスムーズに進んでいるとは言い難く、東京の新規感染者数は2,000人に迫っている。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、テレビの取材に対し、8月の第1週には過去最多の3,000人まで感染者が増え、医療体制が逼迫すると予測した。オリンピック関係者の感染拡大防止策として採用される「バブル方式」の不備も指摘されていて、個人的にはオリンピックを開催している場合ではないと思うが、まぁ、いろいろオトナの事情があるのだと推察する。

 問題になっているのは、新型コロナウイルス対策だけではない。オリンピック・パラリンピックの開会式の楽曲担当に任命されたミュージシャン・小山田圭吾が、学生時代に同級生の障害者いじめを雑誌に告白していたことから、オリパラに関わるのはふさわしくないとの声がネットから上がった。

 小山田は過去に、いじめを武勇伝のように語っていた。1994年1月号「ROCKIN’ ON JAPAN」(ロッキング・オン)では、「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。喰わした上にバックドロップしたりさ」「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイデアを提供するだけ(笑)」、95年8月号の「Quick Japan」(太田出版)では、「マットの上からジャンピング・ニーパッドやったりとかさー」「掃除ロッカーの中にいれて、(中略)みんなでロッカーを蹴とばすんですよ」。ここまで来るといじめの範疇を越えて、犯罪にあたるのではないか。オリンピック憲章はあらゆる差別を否定しているだけに、小山田のような過去を持つ人物が適任なのかという意見がSNS上で湧き上がり、7月19日に辞任した。 
 
 その前日18日、太田は『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、小山田の所業を言語道断としつつも、「子どもって残酷だから」と擁護するようなことを述べた。出演者全員が小山田を責める側に回ったら、番組として成立しない。小山田本人ならまだしも、血縁者にまでバッシングが及んでいることから考えても、太田が擁護するようなポジションを取ったことは、番組的には正解だろう。しかし、子どもであっても、ここまでのいじめはする人はごくわずかだろうし(いるならば、適切なケアを受けたほうがいいと思う)、ましてや良識を持った大人なら、いじめを武勇伝的に語ることのおろさかを知っているはずだ。そう考えると、「子どもだから」という太田のフォローには疑問が残る。

 なお、太田は20日深夜放送のラジオ『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)にて、「俺の言葉が大勢の人を傷つけた」と『サンジャポ』での発言について反省の弁を述べ、「小山田圭吾の存在を許した環境も含めて考えないと、ちゃんとした判断はできないんじゃないか、ということを俺は言いたい」と主張していた。

 それにしても今回のオリンピック、要職にある人物の辞任が特に目立つ。

 2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)で、森喜朗五輪組織委員会前会長が「女性っていうのは競争意識が強い」「私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。(中略)我々は非常に役立っております」と発言。これが女性蔑視に当たると批判され、辞任した。 
 
 翌3月には、電通出身のクリエイターで開閉会式の演出総括を担当していた佐々木宏氏が、開会式にタレント・渡辺直美をブタに見立てた演出プランを提案していたことがわかり、辞任。そして、開会式前日の7月22日、橋本聖子組織委員会会長は、開会式演出担当の元お笑い芸人・小林賢健太郎氏が、過去にユダヤ人の大量虐殺をコントの一部でネタにしていたことを理由に解任した。 
 
 小林の解任が妥当かどうか、個人的には議論の余地があると思うが、それ以外の3人がその職にふさわしかったとは、私は思わない。彼ら3人は仕事の実績があるからこそ、オリンピックの名誉職にノミネートされたのだろうが、一方で著しく人権意識に欠けている。それでは、この3人だけが極悪非道な“悪人”かと聞かれたら、それも違うように思う。なぜならば、一個人の問題以前に、日本社会に女性や障害者など「弱者を笑う文化」が根付いていると感じるからだ。

 3人ともその世界では権威ある立場で、社会的強者のポジションにあるから「笑われる側」ではない。社会的強者なので、誰に気遣うこともなく「いつものように」思ったことを言ったのだろうが、今回はなんだかものすごく怒られてしまった。「なんでみんな、そんなに怒ってるの?」というのが、彼らの本音ではないかと推察する。

 小山田のいじめ発言はTwitterなどで個人としてなされたのではなく、出版社が発行した雑誌を通してされている。これはまさに、「悪気のなさ」が社会全体に広がっていたことの表れだろう。本来なら「これはヤバい」とストップをかけるべき編集者がそれをせず、小山田のいじめを武勇伝的に掲載する判断をしてしまっている。つまり、一部の企業で働く人たちの間にも「弱いものを笑う」意識が広がっていたということだ。

 そして彼ら3人は男性で、共通して「間違った男らしさ」があるように思う。そもそも、「その性らしさ」とは何か。答えは人によって無数にあるだろうが、私の考えは「慣例、もしくは自分に与えられたと感じる役割を自発的に演じるサービス精神」のことだと思う。男性の場合、女性と比べて体が大きく、腕力でも勝ることが多いため、「男性は強いもの、もしくは強くあるべき」という固定観念が生まれるとする。これを手っ取り早く成し遂げる方法の一つに挙げられるのは、「自分より弱い人を見つける」ことではないだろうか。しかし、これは「間違った男らしさ」につながると思うのだ。

 小山田発言がなされた90年代、私は大学生だった。サブカル方面に詳しいほうではなかったので断言はできないが、その時代には総じて「強者が弱者にひどいことをして笑う」風潮があったように思う。 

  爆笑問題と同世代のとんねるずが、1985年に起こした“カメラ転倒事件”をご存じだろうか。『オールナイトフジ』(フジテレビ系)に出演していた石橋貴明が移動式カメラに抱き着くと、そのまま横倒。1500万円するカメラはダメになったというエピソードだ。今だったらネット上に苦情が続出するだろうが、石橋はこの一件をのちに『石橋貴明のたいむとんねる』(2018〜20年、同フジテレビ系)で、悪びれることなく武勇伝的に語っていた。「無茶なことをやるのが男らしさ」という意識があったのではないだろうか。

 また、石橋の相方・木梨憲武は『大竹まことゴールデンラジオ!』(文化放送)に出演した際、「そういうことをどんどん望んでくれる時代だった」と、自分たちの意志というよりも、ある程度ビジネス的な感覚で意図的に「ひどいこと」をしていたと思わせる発言をしている。とんねるずだけでなく、テレビ業界に「ひどいことをされた側を笑う」構図があったのだろう。
 
 とんねるずは冠番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコント内で、高島彩ら女子アナウンサーや女性タレントに頻繁にセクハラをしていた。もちろん、テレビ内でやっていることだから、事前の打ち合わせはあるだろう。なので「不意打ちで逃れられない」といった意味での悪質さはなかったと思われる。しかしポイントは、男性が「強者」とされる世界で、「弱者」の女性を対象にセクハラをして、世間を笑わせようとしていたことだ。これもまた、「男らしさの証明」でもあったのではないだろうか。
 
 クリエイターの場合、加えて「ひどいことや悪いことをするのは、才能の証し」とみなす風潮もあったように感じている。まじめに創作活動にいそしむよりも、おかしな武勇伝を作るほうが「凡人とは違う」「才能があってすごい」という印象を手っ取り早く与えることができ、社会的な評価や地位を得やすかった記憶がある。

 今回は「間違った男らしさ」を持つ社会的強者の男性ばかり問題になったが、女性が社会的強者になり「弱者にひどいことをして笑う」場合もないとはいえない。90年代から弱者は「才能があるからしょうがない」「あの人はやんちゃだから」とひたすら許容を求められ、こうした価値観のまま国際的イベントに参加した結果が、相次ぐ辞任につながったといえるのではないか。

 オリンピックは、日本にはびこる「間違った男らしさ」や「弱者を笑う文化」をあぶり出しているように見える。唯一希望があるとすれば、SNSを通して「それはおかしい」と声を上げる人が増えていること。多くの人が生命の危険にさらされながらオリンピックをやること自体、社会的強者の考えのような気がするが、とりあえず、無事に終わることを祈るしかない。 

「自己肯定感」は褒められても高まらない? 峯岸みなみ&田中みな実の「結婚して自信を持ちたい」発言は“ちょっと違う”と思うワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「私、自己肯定感低いっていうか」元AKB48・峯岸みなみ
『グータンヌーボ2』(関西テレビ)7月13日

 Twitterをやっていると、よく目にする「自己肯定感」という言葉。「自己肯定感を高める」ための書籍は書店にも多く置かれているので、今は自己肯定感ブームなのだろうが、果たしてこの言葉の正しい意味を知っている人は、どれだけいるだろうか?

 7月13日放送の『グータンヌーボ2』(関西テレビ)に出演したタレント・峯岸みなみは、結婚したい理由の一つとして「自己肯定感が低い」ことを挙げていた。「自分で自分をほめるとか、自分を認めてあげるという作業がめちゃ苦手なんですよ」「だから、常に近くにいて『素敵だよ』『カワイイよ』『一番だよ』って言ってくれる人と生涯共にできたらなって願望はあって」と発言していた。文脈から考えると、峯岸の言う「自己肯定感が低い」とは、「自分に自信が持てない」ことであり、だからこそ、ほめてくれる人と結婚して、「自信を持ちたい」と思っているのだろう。

 しかし、「自己肯定感」というのは、心理学的に言えば「自分は優れた存在だと思う、自分に自信を持つ」ことではないそうだ。むしろその反対で、「社会的に優れていない自分、ダメな自分も受け入れる」ことを指すという。峯岸のように「自分のダメな部分を他人にほめてもらうことで自信がつき、自己肯定感が高まる」と信じている人は多いだろうが、これは本来の意味とは少し違う。誰かにほめてもらわずとも、「欠点を含めて自分自身を肯定的に受け止める」ことができれば、自己肯定感があるということだ。

 具体的に、どういう状態を「自己肯定感が高い」と言うのだろうか。精神科医・水島広子氏は『小さなことに左右されない「本当の自信」を手に入れる9つのステップ』(大和出版)において、「一人でいても、誰かから評価してもらなくても、安定した温かい気持ちになれること」「自分はこれでよいのだ」「自分は存在する価値があるのだ」と感じることと定義している。

 例えば、オリンピックの陸上競技で、金メダルを獲得した選手がいたとしよう。ある時、その人がケガをして、二度と走ることができなくなってしまった。もうオリンピックにも出られないし、メダルを取ることもできない。所属していた実業団はやめないといけないかもしれないし、収入も下がるだろう。そうすると、他人からはほめられず、社会的に優れた存在でもなくなるが、それでも「私はこれでよいのだ」と思える状態を、「自己肯定感が高い」と言うのではないか。

 だとすると、峯岸のような方法で自己肯定感を高めようとする時の盲点が見えてくる。「ダメな自分をほめてくれる人がいなくなったら、また自信がなくなる」可能性をはらんでいることだ。「〇〇がいれば、自信が持てる」という“条件付き”の自信や自己肯定感は、ホンモノではないといえるだろう。

 また、同番組MCの田中みな実は、「子どもにとって母親は自分だけだから、めちゃくちゃ子どもがいることで、自己肯定感が高まるかもよ」と発言していたが、彼女も自己肯定感の意味を誤解しているような気がする。小さい子どもは親がいないと生きていけないので、子どもから無条件に必要とされることで、自己肯定感が高まると考えているようだが、上述した通り、「○○だったら」という条件つきで成立する自信はニセモノであり、自己肯定感も高まらないだろう。なので、母親になれば自己肯定感が高まるという田中の理論は、ちょっと違うのではないか。

 その一方で、一般的に「自己肯定感は親から子に与えられるもの」だと言われている。子どもは成長するにつれて活動範囲が広くなり、当然、失敗したり、周囲と軋轢を起こしたりすることもある。そういうときに、家庭が“安全基地”の役割を果たし、「外で何があっても、家に帰れば安心だ」という気持ちになれば、子どもは「失敗しても大丈夫」と思えるようになるはずだ。しかし、親が「失敗は許さない」「これくらいできないようでは、うちの子とは認めない」と言わんばかりの接し方をすると、子どもは「○○ができないと、親から愛してもらえないんだ」と解釈し、自己肯定感が低くなるとされる。

 とはいえ、世の中に完璧な人間がいないとするのなら、完璧な親もいない。そんな親が与える自己肯定感も完璧ではないと考えると、「自己肯定感が低い」というのは、誰にでもあてはまることではないか。「自己肯定感が低いから、生きづらい」「自己肯定感が低いから、恋愛がうまくいかない」という人は多いし、それはあながち間違ってはいないと思うが、これが自己分析だとしたら、少々雑といえるだろう。峯岸や、彼女と同じような悩みを持つ人にとって大切なのは、自己肯定感が高いか低いかではなく、自己肯定感が低いことで、具体的にどんな問題が起きるのか、客観的に考えられることではないか。

 例えば「仕事でミスをした。私は自己肯定感が低いから、すぐに“自分はダメだ”と思ってしまう」と悩む人もいるだろう。その時に、自分について考えるのではなく、「○○先輩はできる人だけど、本当にミスをしていないのか?」「ミスをしないとしたら、なぜなのか?」と視点を外に向けることは、客観的な考えの一つのあり方だ。先輩から学んでミスを減らすことができたら、「自己肯定感が低いから、“自分はダメだ”と思ってしまう」率は下がるだろう。「人の振り見て我が振り直せ」ということわざは、客観の基本である。

 最近は「自己肯定感は高ければ高いほどいい」というブームを感じるが、自己肯定感が仮に低いとしても、客観性さえあれば補えると思うのだ。

 自己肯定感が低い人にこそ、向いている職業というものもあり、その代表が芸能界などの人気商売ではないかと思う。

 芸能人は一部の大御所を除いて、常に数字を出すことがを求められる。峯岸は、自己肯定感が低いエピソードとして、「人に評価をゆだねるっていう人生を歩んできちゃって」と発言していたが、これが人気商売の基本原則だろう。「私は数字を持っていないけれど、そんな自分も受け入れています」と言う人は、カネを生み出さないので、人気商売には確実に向かない。

 「AKB選抜総選挙」という、少女を極限に追いこんでCDを売るやり方は好きではないが、ファンの評価に身をゆだねるしかない場所で戦い抜いてきた峯岸は、自己肯定感は低いのかもしれないが、同時に非常に芸能人に向いている気がする。その点を客観視できれば、自分を認められ、自己肯定感も上がるのではないか。田中に「暗い」と言われていた峯岸だが、そこも大いなる個性。がんばって活躍していただきたいものだ。

視聴者は「こじるり型エンタメ」を求めている? 小島瑠璃子の熱愛&破局報道から考える「タレントの好感度」と「テレビ業界」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」小島瑠璃子
『グータンヌーボ2』(関西テレビ)7月6日

 SNSが構築されて、テレビ番組の制作は却ってやりにくくなったのではないかと思うことがある。

 自分たちの作った番組が視聴者にどう受け止められているのかとか、タレントに関するイメージや好感度など、SNSを使えばすぐに調べることができるから、便利であることは間違いない。しかし、その意見を書いた人のほとんどは匿名である。顔や名前のようなパーソナルデータが明らかになっている場合、辛口の意見を言うにしても、おのずと自制が利く。しかし、自分が誰なのか知られることはなく、ある意味、完全にプライバシーが守られた状態での意見は、必要以上に物言いがきつくなる可能性はあるだろう。

 それを制作側が“視聴者の声”と真に受けてしまうと、自分たちの作りたいものが作れなくなってしまうのではないだろうか。これはテレビに出演する芸能人も一緒で、SNSでの声を恐れるあまり、テレビに出ることすら怖くなることもあるかもしれない。

 今はテレビだけがタレントの活動場所ではなく、YouTubeやネット配信の番組もある。これらは「見たくて見る」視聴者が多いため、好意的な意見も出やすい。対するテレビは、一家だんらんの時間にたまたまついていたとかで、「見たくなくても見てしまう」場合もあり、その結果、不満も出やすいと思う。こう考えると、今の時代にテレビに出るというのは、「わざわざSNSで攻撃されるリスクを引き受ける」こととかなり近いといえるのではないか。だとすると、これからの時代にテレビに出る芸能人は「メンタルが強いこと」が必須となるだろう。

 しかし、「何を言われても気にしない」というように、SNSの存在を一切スルーする意味での「メンタルが強い」だけでは、テレビタレントとして不十分だ。視聴者の興味をひきつけてSNSを盛り上げるサービス精神を持ちつつ、SNSでの意見には耳を傾けないという強さが求められるのではないか。

 その際のポイントは、いかに視聴者をイライラさせられるかにあると思う。なぜなら、マジメな話やイイ話よりも、人をイラつかせる話のほうがSNSではコメントが集まりやすいからだ。コメント数が増えれば、その番組や芸能人に注目が集まるだろう。中には明らかに見当違いなコメントもつくかもしれないが、そこで怒ったり、傷ついたりしてはいけないと考える。傷つくことが増えると、テレビでのふるまいに制限がかかってしまうからだ。たとえて言うのなら、たき火に至近距離から油を注いで火を大きくしつつ、自分は決してやけどはしないという、高度で繊細、かつ危険な技を求められているように思う。それをやすやすとやってのけるのが、タレント・小島瑠璃子(以下、こじるり)だろう。

 先月、こじるりは交際していた漫画家・原泰久氏との破局を発表した。小学館が運営するニュースサイト「NEWSポストセブン」が2人の交際を報じたのは、2020年7月。こじるりは原氏の大ヒット漫画『キングダム』(集英社)の大ファンであり、共演したことから交際が始まったというが、基本的には好意的に受け止められるはずの熱愛報道に、イライラ要素を持ち込んでしまうのが、こじるりのスゴさではないだろうか。

 こじるりが振りまくイライラ要素は、主に3つある。

◎イライラ要素その1:「不倫略奪」疑惑

 原氏といえば、彼のツイートなどから愛妻家かつ子煩悩というイメージがあったが、知らぬ間に離婚していた。しかし、「ポスト」の報道が出た時点では、原氏の離婚時期や、こじるりとの交際がいつ始まったのか明らかでなかったために、「こじるりは不倫していた?」「略奪なのでは?」といった臆測が広がってしまった。

◎イライラ要素その2:「略奪の略奪」疑惑

 同年8月に「週刊文春」(文藝春秋)が報じたところによると、実は原氏、前妻と婚姻関係にあった2018年頃から元アイドルAさんと不倫をしており、Aさんは原氏と本気で再婚するつもりで婚約者とも別れ、芸能界も引退したそうだ。原氏は19年に離婚したものの、Aさんと再婚はせず。この後、こじるりと出会って交際がスタートしたとされている。

 原氏は独身になったわけだから、誰と交際しようと自由だが、「鳶に油揚げをさらわれる」ということわざのとおり、こじるりが横入りして、一番おいしい部分を持って行ったというイメージを持つ人もいるだろう。

◎イライラ要素その3:交際順調アピール

 「週刊ポスト」(小学館)に、原氏の体に密着する姿をたびたび撮られているこじるり。何度も言うが、独身者同士の恋愛に問題はない。しかし、不倫や略奪疑惑が完全に払しょくできたわけではないし、原氏にはお子さんもいるのだから、「静かに交際しておけ」と思う人もいるだろう。それでも、今年3月に『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)に出演した際には、「霊感のある人に見てもらったら、寝室に中国の兵士が奥まで並んでいると言われた」と自ら発言し、司会の明石家さんまに「キングダムだな~!」とツッコませるなど、交際順調アピールともとれる言動をとり、イライラした人も少なくないだろう。

 しかし、ここでまさかの破局。不倫や略奪の疑惑を持たれるような恋愛でついたイメージを拭い去りたいのか、今回の『グータンヌーボ2』(関西テレビ)に出演した際、こじるりは「今はスッキリ」と前向きな姿勢をアピールし、結婚願望があることも明かしたのだが、やはり、ここでもイライラ要素を投下してしまう。

 トーク中、「交際する前にセックスをするか?」という話題になり、こじるりは「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」と発言する。こじるりは現在27歳で十分大人だから、そういう判断もあるだろうし、こういう思い切ったことを言えばネットニュースが飛びつくだろう、というサービス精神を発揮したのかもしれない。

 しかし、「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」と明言してしまうことは、原氏とも「交際する前から体の関係があった」と言っているようなもので、結果的に、不倫の疑いを自ら濃くしていないだろうか。

 原氏は20年9月に自身のTwitterで、離婚の時期を同年3月だったとしている。一方、「ポスト」が2人の交際を報じたのは、同年7月。つまり、20年4月以降にこじるりが原氏と交際を始めたのなら、不倫ではないということになる。だが、「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」という発言を真に受けるのなら、こじるりは20年4月より前に「いたした」疑惑も浮上し、不倫の可能性がゼロとは言えなくなる。

 そもそも2人は、原氏の離婚前から接点がある。19年1月放送の『世界ふしぎ発見!』(TBS系)で、『キングダム』の大ファンであるこじるりは原氏と対談を果たし、彼の仕事場も訪問。この収録のときから、原氏が離婚する20年3月の間に「いたした」可能性もあるだろう。それで付き合うと判断したのなら、こじるりは不倫をしていたことになる。真偽はともかくとして、視聴者にその可能性を感じさせれば、「ほら、やっぱり不倫じゃないか!」とイライラ要素をふりまいてしまうだろう。でも、これがこじるり流の“おもてなし”、もしくは“存在意義”というものだと、私は思うのだ。

 これからのテレビは「ねぇ、あなた、なんで叩かれてるかわかってる?」と問い詰めたくなるくらい、面の皮が厚い、もしくは打たれ強い人でないと出られなくなる気もする。正直なところ、こじるりは視聴者からの好感度は高くないだろうし、今後、劇的にイメージアップする可能性も低い。けれど、「良いイメージを持ち、好感度は高いほうがいい」という発想そのものが、「テレビはメディアの王様で、タレントは好感度を上げてCMに出て稼ぐべき」という旧時代的な考え方ではないかと思うのだ。

 商品の宣伝なら、SNS上のインフルエンサーに頼んだほうが費用も安く、効果も出る時代、イライラするけどつい見ちゃう、そしてまたイライラするという“こじるり型のエンタメ”こそ、今のテレビ業界に求められているような気がしてならない。

メイプル超合金・安藤なつは、“モラハラ妻”と決めつけられない? 山田花子、虻川美穂子「オンナ芸人の夫」の“共通点”を読み解く

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「家族にはギャラは支払えないってさ」メイプル超合金・安藤なつ
「デイリー新潮」6月29日

 お笑いコンビのメイプル超合金・安藤なつが離婚調停中であることを、ニュースサイト「デイリー新潮」が報じている。安藤といえば、2019年に6歳年下の一般人男性と交際3カ月でスピード結婚したことが話題になったが、どうやらうまくいかなかった模様。今時、離婚したくらいで世間はたいして驚かないが、夫の知人なる男性の証言によると、離婚の原因は安藤の超束縛と金銭面での厳しさだという。

 「新潮」の記事に沿って、夫の知人が挙げた具体例をまとめると、以下の7つになる。
(1)夫が知人と食事に行くときは、相手の連絡先を安藤に申告しなければならない。
(2)家賃の支払い負担は、安藤と夫で6:4。生活費は折半だが、たまに安藤が食事を作ったときは、夫に食費が請求される。安藤は断固として夫に収入を教えない。
(3)アメリカの歌手・リゾの日本語版PVに夫婦で出演。2人にギャラが支払われると聞いていたが、安藤は「家族にはギャラは支払えないってさ」と言い、いつまでたっても渡してくれない。
(4)夫が安藤の仕事を“手伝う”と、安藤自作の「お食事券」が渡される。これは外食したときに、安藤が支払いをしてくれる“金券”のようなもの。
(5)夫は安藤から車検の費用2万円を預かったが、実際は1万円で済んだ。浮いた1万円を安藤に返すのを忘れていたら、「犯罪者」呼ばわりされた。
(6)一緒に食事をしたことがある芸能人について、夫が「あの人、元気かな? また一緒にごはんに行きたいね」と言うと、安藤は「私を利用して近づきたいのか」と怒る。そのため、芸能人の友達が作れなかった。
(7)安藤にドライブレコーダーをチェックされるから、車に乗りにくくなった。

 売れっ子芸能人である安藤と、介護職の男性では、収入差があることは想像に難くない。これらのエピソード「だけ」で判断するなら、安藤はモラハラ妻にも感じられるが、エピソードの「前」に何があったのかは書かれていない。たとえば(5)の例は、夫が「たまたま」返金を忘れたのか、それとも返金を忘れることが「前にもあった」かどうかで、受ける印象は違ってくる。そのあたりが不明瞭だから、安藤をモラハラ妻と決めつけるのはいかがなものかと思う。

 オンナ芸人と夫婦のカネ問題といえば、山田花子が思い出される。10年5月にトランペット奏者の福島正紀氏と結婚した花子は、13年1月放送の『お笑いワイドショー マルコポロリ!』(関西テレビ)に出演した際、「夫からキス1回1,000円、エッチ1回10万円を要求される」と明かした。また、15年10月放送の『快傑!えみちゃねる』(関西テレビ)で、花子は福島氏の仕事を「儲からない」と断言しながら、トランペット教室を開くために100万円以上かけてホームページを整備した上、高級なハンドクリームやリップクリームを使っているなどと、私生活を暴露。「私は安いのを使ってるのに」と、愚痴をこぼしていた。

 関西はお金についてあけすけに語る文化があるため、花子は「あえて」そういう話をしたのだろう。しかし、対等な立場でするはずの行為に金銭を要求したり、高級志向だったりと、夫がカネに固執しているようなエピソードは、視聴者にとって屈託なく笑える話だと私は思えなかった。

 オンナ芸人の夫婦で問題になるのは、カネだけとは限らない。北陽・虻川美穂子の夫はイタリア料理店のオーナーシェフ・桝谷周一朗氏だが、バラエティー番組『はねるのトびら』(フジテレビ系)で虻川から公開プロポーズをするなど、よくテレビで見かける夫婦でもある。2人が仲良しならば共演もアリだろうが、バラエティー番組で明かされるエピソードから考えると、そうとも思えない。

 たとえば、虻川が枡谷氏と手をつなごうとしても拒否されるとか、勝負下着を着けていても無視といったエピソードのほか、虻川の料理やファッションセンスにダメ出ししている枡谷氏の姿を見て、「この人は、本当に虻川を愛しているのか?」と思った視聴者は少なくないだろう。桝谷氏は虻川との結婚後、昔から大ファンだったという明石家さんまと何度か共演を果たしているが、大興奮するその姿からは、「芸能人と結婚して、芸能人とお近づきになりたい」といった思いがあるように感じた。

 幸い、花子も虻川もお子さんに恵まれ、夫婦円満にやっているようだが、2人の夫の「カネや芸能界の人脈に固執する姿」は、安藤の夫に共通する部分があるのではないだろうか。(3)のエピソードで考えると、ギャラがもらえないことから、夫は「安藤はカネに汚い」と思っているようだが、私に言わせると、ちょっと考えが甘い。

 日本のファッション雑誌でたまたま安藤を見かけて気に入り、オファーしたというリゾだが、彼女はグラミー賞にノミネートされるほどの実力者なので、PVに出演するならば、本来はオーディションが必要だったかもしれない。例えば、ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(09年)では、マイケル・ジャクソンの後ろで踊るために、世界中からダンサーが集まり、オーディションを受ける姿が収録されている。しかし、介護職に就く一般人の夫は、そうしたオーディションを受けていないはずだ。それなのになぜ、夫にもPV出演のオファーが来たかというと、「安藤なつの夫」だからだ。安藤のおかげで出演できたことをわかっていないから、夫は「家族にギャラを支払えない」と言われたことを「不当」だと感じるのだろう。

 (6)のエピソードも同様で、食事会で芸能人と出会い、楽しい時間を過ごせたことで「友達になりたい」と舞い上がったのかもしれないが、それは「安藤なつの夫だから、良くしてもらった」可能性は否めない。「安藤なつの夫」というポジションにいるから受けられる恩恵や、相手の気遣いを考えず、「またご飯に行きたい」と友達のように言ってしまう夫は、ちょっと世間知らずで強欲な部分があるのではないか。

 オンナ芸人の活躍の幅は広がり、女優業や執筆業への進出も目覚ましい。有名になれば収入も社会的地位も得られるが、こうなると、有名人の夫になって「自分も有名になりたい」という野心を持ったり、「いい生活ができそう」と企んだりして、オンナ芸人を狙う一般人男性はどんどん増えることだろう。女性の経済力をあてにした結婚が悪いものだと私は思わない。

 しかし、その場合は、ある“義務”を背負う覚悟が必要になるだろう。世の社長夫人の多くが控えめにふるまうのは、本人の性格もあるだろうが、「夫あっての自分」ということをわきまえているからではないか。「女性有名人の配偶者」となり、なんらかの恩恵に浴したいと思うなら、男性も「妻あっての自分」であることを理解して、「妻を立てて、控えめにふるまう」ことはマストだろう。

 安藤だけでなく、オンナ芸人の皆様におかれましては、気を付けて相手を選んでいただきたいものだ。