『ロンドンハーツ』モグライダー・ともしげに見る「笑える性格の悪さ」の条件

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「ゴシップが好き」モグライダー・ともしげ
『ロンドンハーツ』(6月7日、テレビ朝日系)

 6月7日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)の企画は、「性格悪いけどおもしろい芸人GP」だった。モグライダー・ともしげ、インディアンス・きむ、ZAZYという3人の芸人が、「性格悪いけどおもしろい」エピソードを競い合い、グランプリを決めるというものだ。

 「性格が悪い」という言葉は日常的に使用され、一般的に言えば、行いや発言がよろしくないことを指す。しかし、エンタメの世界で「性格が悪い」というのは一種の武器と言えるのではないだろうか。ドラマ『半沢直樹』(TBS系)の主人公のように、清廉潔白なヒーローというのはいつの時代も求められるが、そういう主人公をぐっと引き立てるのは、悪役をはじめとした「性格が悪い人」だからである。バラエテイの世界でもそれは同じだろう。

 今回の『ロンドンハーツ』では、ともしげが「性格悪いけどおもしろい芸人GP」に輝いたが、彼の話から、エンタメとして成立する「笑える性格の悪さ」の条件について考えてみたい。

 エンタメとして成立する「笑える性格の悪さ」に必要なのは、誰に対しても一様に性格が悪いという、ある種の“公平性”があることではないだろうか。ともしげについて、三四郎・小宮浩信は「誰かが解散すると嬉しそうにわざわざ連絡をしてくる。あいつは他人の不幸が大好き」と証言している。

 ともしげの相方・芝大輔も「(ともしげは)誰かがひどい目を見ると、テンションが上がる」と同意し、司会のロンドンブーツ1号2号・田村淳がともしげに「じゃ、亮さんの闇営業の時も……」と尋ねると、本人も「まぁ、そうですね」と認めていた。

 この際、後輩など自分より立場が弱い人の不幸だけ願うと、弱い者いじめの感が強くなって陰湿さが際立ってしまう。ともしげのように、誰に対してもオープンに不幸を願うからこそ、「笑える性格の悪さ」として成立していると言えるのだろう。

 また、人から共感を得られるレベルの「性格の悪さ」であることも、「笑える」には必須だ。そもそも、人の不幸を願うのは褒められたことではないが、人生で一度もそういう願望を抱いたことがないという人のほうがマレなはず。そういう意味で言うと、「他人の不幸を願ってしまう」と公称する人はほとんどいないものの、多くの人が理解できるのではないだろうか。

 ともしげは、自分自身について「ゴシップが好き」と自己分析している。ゴシップニュースを下世話と言い、軽蔑する人もいるが、週刊誌やネットニュースがビジネスとして成立しているのは、ゴシップを好む人がたくさんいるからだろう。ともしげの「他人の不幸を願う」気持ち、ゴシップを好む気持ちは、「誰にでもある気持ち」の範囲で収まっているので、これまた「笑える性格の悪さ」に落ち着いているのではないか。

 さらに、「笑える性格の悪さ」には「実際に報いを受けていること」も必要なことだろう。ともしげは、芝から「あばれる君とライブが一緒になったときに、あばれる君が自分のネタの中で使う音源を会場に忘れて帰っちゃった。そうしたら、えらい喜んで『ええ、これないとネタできないよ。あばれる君、ネタ中、音流れなかったらウケないんだから』ってえらい喜んで」と「他人の不幸」を喜んでいたことを暴露されている。しかし、「結局、最後(ともしげは)、自分が衣装全部忘れて帰った。すごい早さでバチが当たった」とオチがついたため、見ている側は安心して笑うことができるだろう。

 一方で、笑える/笑えない以前に、「単に性格が悪い人」と見られないことも大事で、そのためには、性格の悪さに「理由がつく」ことも重要だ。ともしげの「性格の悪さ」に“理由”があったとしたら、彼のエピソードもまた、印象がよくなると思う。

 その“理由”の手掛かりになるのが、吉本興業との契約を解消された元雨上がり決死隊・宮迫博之についての話題をめぐる、『上沼高田のクギヅケ!』(読売テレビ、2019年7月21日放送)出演者たちのやりとりだ。この時、月亭方正は「応援したい」、FUJIWARAの藤本敏史は「雨上がり決死隊がなくなるのはつらい。ずっと一緒にやってきた」と語り、宮迫との交際を絶たないかのようなスタンスを取っていた。

 お世話になった先輩だろうし、個人的な付き合いもあってのコメントだろうが、MCの上沼恵美子は、そんな彼らに「そうなん? 芸人ってそんな熱いの。あの人がいなくなったら、僕ら上がれるのにと。今回(吉本には)6,000人も芸人さんがいるとわかった。そら、1人でもおらんようになったらええかと」と疑問を投げかけたのだ。

 これは、たとえお世話になった先輩であろうと、ポジションが空いたらそれをチャンスと考えるべきという“プロ根性”がないのかと問うているのだろう。売れたい、前に行きたいというモチベーションは、人気商売においては重要だと言える。この観点から見れば、ともしげがほかのコンビの解散を喜ぶ“理由”は、「ライバルが減ったから」「その分、自分にチャンスが回ってくるから」……つまりプロに徹していると見ることもできるため、「性格が悪い」という印象自体が薄れるだろう。

 反対に、「笑える性格の悪さ」を体現するために、やってはいけないこととして、他人を陥れないこと、他人に迷惑をかけないことが挙げられると思う。インディアンス・田淵章裕は、相方のきむについて「ライブ・収録などで、頑張って前に出るけど、スベッてる人が大好き」「特に、新人アナウンサーなどまだ現場に慣れていなくてあたふたしているところが大好物」と証言している。

 同じ芸人がスベることを喜ぶのは「それだけ売れたいと思っている」「それだけの気迫で仕事をしている」と、好意的に解釈することができなくもないが、違う職種の、しかも新人を笑うのは「いじめ」、もしくは田淵自身が「単なる性格の悪い人」とみなされるだろう。

 また、男性ブランコ・平井まさあきは、ZAZYについて「ZAZYの単独ライブはすごいんですよ、大がかりなんですけど」「締め切りを守らないといけないんですけど……一切守らない」とスタッフに迷惑をかけていることを明かし、「だから、スタッフさんから嫌われている」と証言している。他人に迷惑をかけるのは典型的な「笑えない性格の悪さ」であり、共感されにくいのではないか。

 話をともしげに戻そう。彼が披露した「性格の悪さ」は、ことわざにすると「他人の不幸は蜜の味」だろう。実はこれ、個人の性格の問題ではなく、誰にでもある“反応”であるそうだ。ただし、他人の不幸に、強く反応する人もいれば、そうでもない人がいるという。

 精神科医・福井裕輝氏は『ストーカー病―歪んだ妄想の暴走は止まらない―』(光文社)において、「他人の不幸は蜜の味」的な案件が起きると、脳の線条体と呼ばれる報酬に関連する部位が活発に活動すること、心の痛みの強い人ほど、他人の不幸が起きると痛みが緩和され、蜜の味と感じやすいことを指摘している。「他人の不幸は蜜の味」という時は、自分のコンディションが悪い証しということだろう。

 モグライダーといえば、去年『M-1グランプリ2021』(テレビ朝日系)の決勝にも進出し、伸び盛り。仕事も増え、それだけにストレスが溜まっているのかもしれないが、どうか相方に愛想を尽かされない範囲の「おもしろい性格の悪さ」で、お茶の間を楽しませてほしいものだ。

『上田と女が吠える夜』馬場ももこの女子アナ妬みトークが「ヘタクソ」だと思ったワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「身の丈に合わない」馬場ももこ
『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系、5月25日)

 先月、BPO(放送倫理・番組向上機構)が「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティ」に関しての見解を発表した。一部を抜粋すると、以下の通りだ。

「『他人の心身の痛みを嘲笑する』演出が、それを視聴する青少年の共感性の発達や人間観に望ましくない影響を与える可能性があることが、最新の脳科学的及び心理学的見地から指摘されていることも事実であり、公共性を有するテレビの制作者は、かかる観点にも配慮しながら番組を作り上げていくことが求められている」

 BPOは検閲機関ではないが、影響力があることも事実である。その昔、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)に「全落・水落オープン」なるコーナーがあった。番組側が落とし穴を掘り、何も知らないゲストをそこまで誘導し、落とし穴に落ちる様子を笑うという内容だったが、今後はああいう企画を見ることはなくなるのではないか。

 テレビはコンプライアンスを強化しているし、視聴者のハラスメントに対する視線も厳しくなっている。こうなると、タレント自身も、「人を笑う」方向から、「自分を笑う」方向にシフトするのではないだろうか。

 すでにその傾向は始まっていて、その先駆けは、バイオリニスト・高嶋ちさ子だと思う。彼女がバラエティに進出した際のウリは、主に「キレやすい」「肉が大好きで野菜を食べない」「異常なせっかち」というキャラクターだった。「キレやすい」というキャラは、キレた相手のリアクションも含め、「人を笑う」タイプのエピソードが生まれがちであり、またパワハラに該当する可能性もあるからか、近頃は引っ込めたように見える。一方「肉が大好きで野菜を食べない」「異常なせっかち」というのは、「自分を笑う」に適したキャラだろう。これにより高嶋は、人を傷つけずに笑いを生みだすことができている。

 「異常なせっかち」を例に挙げよう。高嶋は、焼肉屋に向かっている際、道を歩きながら注文をし、店に着いたと同時に食事ができるようにしておくとか、箸を口から抜くのを待てずに咀嚼して、箸を折ってしまったとか、自分の体が完全に車内に入っていないのに車のドアを閉めるため、青あざが絶えないなどのエピソードを持っているが、これらはすべて「自分を笑う」ものであり、誰も傷つけない笑いになっている。

 さらに、彼女が全国各地でコンサートを開催するバイオリニストで、2人のお子さんがいるお母さんであることから、「そんなにせっかちなのは、バイオリンの練習と子育てのため」という、これまた誰も傷つけない“いい話”に変えることもできる。

 しかし、長年、主に女性タレントや新人の芸人などを対象に、「人を笑う」ことをしてきた芸能人が、人を傷つけないで「自分を笑う」方向にシフトするのは、そう簡単なことではない。加えて芸能人として、制作側や視聴者からオリジナルなネタを求められることを考えると、さらに難易度は上がりそうだ。

 これはこれで難しいだろうと思ってみていたら、いいネタを持っている人を発見した。フリーアナウンサーの馬場ももこである。テレビ金沢に勤務していた馬場だが、『金曜ロードSHOW!・特別エンターテインメント 全国好きな嫌いなアナウンサー大賞2017』(日本テレビ系)に出演した際、ぶっちゃけキャラで注目を集める。そこから『行列のできる法律相談所』や『踊る!さんま御殿!!』(いずれも同)に出演するなど“出世”。現在はフリーとなり、活動の場を東京に移したそうだ。

 5月25日放送の『上田と女が吠える夜』(同)に出演した馬場。彼女には「テレビ局50社受けて落ちた」という、人を傷つけないで「自分を笑う」、しかも人とかぶることはまずないオリジナルなネタがある。同番組は、彼女にとって大チャンス……のはずだったが、思ったほど笑いが取れていなかったように私には感じられた。

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 というのも馬場はこのエピソードに合わせて、「いや、本当たまたま、本当たまたま(女子アナ試験に)受かった」と口にする女子アナが「妬ましい」といった発言をしていたのだ。おそらく実話なのだろうが、このネタをチョイスする時点で、ちょっと勉強不足ではなかろうか。

 そもそも、このネタは元TBSアナウンサー・小島慶子が『踊る!さんま御殿!!』などでよく話していて、新鮮味がない。小島はキー局に採用されたが、馬場は50社受けて落ちている。そんな馬場ならではのオリジナルな哀感をもとに「自分を笑う」エピソードがあればいいが、それもなく、単に一方的な妬みだけでなので、印象に残らないのだ。

 また馬場は視聴者だけでなく、番組を制作する側にも「面白い」と思われなくては、次の出演につながらないだろう。「妬み」を武器にするなら、人を傷つけず「自分を笑う」方法を熟考すべきだし、過去に別の誰かが話したネタを二度と口にしてはいけないというルールはないが、もし同じ話をするなら、「自分ならでは」のエピソードで話さないと自分の存在感を示せないのではないか。

 ちなみに同番組に出演していた、元TBSアナウンサーの吉田明世も、「アナウンサーになると妬まざるを得ない」とし、共演者の大久保佳代子から、まだ仕事がそれほどない頃の吉田は、他人を妬みすぎて「肌荒れがひどかった」というエピソードを振られると、「妬んだ数だけ(吹き出物が)出てきた」とオチをつけていた。

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 一般に人を妬むのはよくないこととされている。「人を呪わば穴二つ」ということわざがあるが、人を妬んだ結果、こんなバチが当たりましたと「自分を笑う」ことで、吉田が単なる妬みっぽい人でなく、正直で賢くてユーモアのある人物であることを視聴者に印象づけていると言えるのではないだろうか。

 元キー局の有名アナウンサーがこれだけやっているのだから、地方局出身の馬場は「自分を笑う」方向性で、この上を行くオリジナルエピソードを披露しなくては、視聴者、制作側、双方の記憶に残らないだろう。

 「妬み」ネタは、そもそも「人を笑う」に行きがちなのかもしれない。馬場アナは、「妬み」を今のバラエティ向けにうまく調理できるのか――。しかし同番組を通して見た後、この疑問自体が実は間違っていて、私が馬場という人物を勘違いしているのかもしれないと思うようになった。

 なぜなら、馬場はテレビ局を50社受けたものの、東京と大阪のテレビ局は受けていないといい、その理由を「身の丈に合わない(から)」と明かしていた。推測するに、馬場は「大きなテレビ局は自分には無理そうだから、地方でいいや」と最初から思っていたのだろう。とはいえ、地方のテレビ局も激戦だけに、馬場は50社から不採用となり、しかし、あるテレビ局で内定を得て仕事を始めたところ、そこから全国ネットの番組に出て注目を集め、東京進出も果たしたわけだ。

 そう考えると、馬場は「キー局を全落ち、地方局にも落ち続け、恨みつらみを抱える女子アナ」ではなくて、本当は「地方でいいやと思っていたのに、いつのまにか東京のテレビ局で仕事をするようになった超ラッキーガール」なのではないだろうか。だとすると、妬ましいトークがヘタクソでも不思議はない。なぜなら、妬んでいないからだ。

 テレビの中の馬場を見ている限り、あまり恨みつらみのようなものは感じられない。案外おっとりしているのかもしれないが、彼女に今、ブレークの大きなチャンスが来ていることは確かである。別に「妬み」でなくても、人を傷つけない「自分を笑う」方向の新鮮で面白い話ができればいいわけだから、準備を入念にして、チャンスを生かしてほしいものである。

陣内智則、妻・松村アナとの私生活に見えた「藤原紀香と離婚したワケ」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「言い方でこっちがカチンとくることがない」陣内智則
『ドーナツトーク』(TBS系、5月22日)

 2007年に結婚し、09年に離婚した女優・藤原紀香とお笑い芸人・陣内智則。2人の結婚~離婚に至る経緯は、私から見て“謎だらけ”だった。

 当時の週刊誌報道などから、その経緯をまとめてみよう。2人はドラマの共演をきっかけに親しくなり、陣内が紀香にアプローチ。当初、紀香は陣内を友達以上には思えなかったが、当時親しかった占い師の勧めもあり、結婚を決める。陣内は、大阪のテレビ局で情報番組『なるトモ!』(読売テレビ)の司会を務めていたが、紀香に合わせて東京に引っ越す。同番組収録のため、新幹線で大阪に通勤するようになったが、念願かなって紀香と「結婚できた」わけで、長距離通勤も厭わなかったという。

 それほど相手を思う気持ちがあれば、2人の結婚生活はうまくいきそうに思える。しかし、結婚当初から2人は仮面夫婦のうわさが絶えず、実際に陣内は浮気もしていたようだ。一般人女性が撮影した陣内の寝顔が、「フライデー」(講談社)に掲載され、女性によると、2人の関係は陣内が結婚してまもなく始まったという。紀香は陣内の不貞行為を許すことができず、離婚へ。陣内は記者会見を開き、「(離婚は)すべては僕の未熟さ、心の弱さが原因です。すべて僕の原因です」と語った。

 美人女優の代名詞だった紀香と念願かなって結婚できたにもかかわらず、なぜ陣内は一般人と浮気をしたのか。この“謎”については、当時の週刊誌でもさんざん話題になった。もちろん他人にその理由などわかるわけはないが、5月22日放送『ドーナツトーク』(TBS系)に出演した陣内智則のトークを聞いて、「この人は難しい人だな。なかなか合う女性はおらず、紀香とも合わなかったのだろうな」という印象を受けた。

 陣内は紀香との離婚後、フジテレビ・松村未央アナウンサーと再婚したわけだが、同番組で「(松村アナと)夫婦喧嘩をしたことがない」と言っていた。その理由は、陣内いわく、妻である松村アナが、「怒る感情を持っていないから」だそうだ。陣内は「(妻から)『何とかしてよ!』『何でそんなんするのよ!』と言われたら、こっちも『あ?』ってなるけど、そういう言い方じゃない(から、夫婦喧嘩にならない)」と説明していた。

 私には、「何とかしてよ!」「何でそんなことするのよ!」という言い方でカチンとくるほうが、怒りの沸点が低すぎるというか、プライドが高すぎて面倒くさいように思えるが、松村アナは「〇〇してほしいな~」というような柔らかい言い方をするため、陣内をイラつかせないらしい。

 また陣内は、仕事の予定や食事を自宅で食べるかどうかは、松村アナに教えるものの、「何時に帰ってくるか」などのスケジュールは教えないという。2人は現在、3歳の娘を育児中。小さな子どもがいて、何かと慌ただしい生活を送る中、夫が帰宅時間を教えないのは、妻から文句の一つも出てきそうなものだが、松村アナからは「何時に帰る?」と聞かれることもないため、陣内は「居心地がいい」そうだ。

 このほかにも、陣内は「誰と飲みに行くの?」と聞かれるのも「しんどい」と話していた。しかし、もし妻が「友達と飲みに行くので、子どもを見ていて」と言ったら、「え、何時になるの?」「娘見るの大変やもん」と言うそうだ。こうした陣内の話を聞くに、おそらく、松村アナは仕事をしながら、ほぼワンオペで育児をしているのではないだろうか。

 そんな陣内は、紀香との結婚中、『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』(テレビ朝日系)に出演した際、実はかなり亭主関白なタイプであることを美輪明宏に指摘され、本人も認めていた。紀香も婚約会見で「芸人さんの嫁になるので、三歩下がってついてきたい」と話していたことから考えると、亭主関白タイプの男性が嫌いではない、もしくは控えめと言われる女性でありたいと願っていたということだろうから、2人の相性は一見、悪くなさそうだ。

 しかし、一口に亭主関白と言っても、どういう人を「亭主関白」とするかはさまざまだ。例えば、「妻を引っ張って行っていくタイプ」「妻から口を出されることを嫌うタイプ」「妻の行動にあれこれ指示を出すタイプ」など、亭主関白にもいろいろな流派があるのではないだろうか。

 では、陣内はどうだろう。同番組に出演した陣内は、紀香の勧めで神社に行ったり、紀香がチョイスしてくれたパワーストーンを身に着けていると話していた。これらは、今日の仕事がうまくいきますように、ひいては芸人として大成しますようにという芸人の妻・紀香としての献身的な提案だろう。陣内もそれを受け入れていることから、一見「妻から口を出されることを嫌うタイプ」ではないように見える。

 しかし実のところ、陣内は紀香からの提案にストレスを感じていたのではないか。というのも、彼は「何とかしてよ!」「何でそんなことするのよ!」程度の言い方でカチンと来たり、子どもが生まれても生活スタイルを変えずに、スケジュールを教えないなど、「オンナは黙っていろ」と言わんばかりの言動を取っている。やはり陣内は、「妻から口を出されることを嫌うタイプ」の亭主関白なのではないか。

 もし、陣内が本当にそのタイプで、かつ紀香が「夫のためになることをするのが芸人の妻。私は夫のプラスになることをいろいろ提案すべき」と思っていたとしたら、陣内にとって、紀香の善意は“命令”に感じられて、次第に2人の仲は冷えていく気がする。これはどちらがいい悪いということではなく、単なる相性の問題と言えるだろう。

 ご存じのとおり、2人は離婚したが、紀香は歌舞伎俳優・片岡愛之助と再婚し、「芸人の妻」から「梨園妻」となった。歌舞伎俳優・中村獅童の母、小川陽子さんは『言わぬが花―萬屋に嫁ぎ、獅童を育てて』(主婦と生活社)において、梨園妻の仕事を「先ぶれに走りまわって切符をさばくこと」「おつきあいは女性の仕事」とし、ごひいき筋に対する気配りを常に心がけ、よく手紙を書いたり、贈り物をしていると書いていた。

 巷間、梨園妻は控えめであれと言われるが、切符の営業やそのための交際を一手に引き受けなくてはならないということは、オトコに逆らわないといった意味での控えめな女性には務まらない。紀香のように「夫に三歩下がってついてきたい」けれども「提案もしたい」というタイプの女性のほうが向いていて、つまり紀香は、自分に合った世界の人と結婚したと言えるのではないだろうか。

 一方で陣内も、2回目の結婚で、自分に合う人と結婚したと思う。『オーラの泉』で、日本のスピリチュアル界のドン・江原啓之氏に「羨望の的というか、みんなに憧れられる女性でないと受け入れられない」といった主旨の指摘をされていた陣内だが、“女の花形職業”というイメージが強い女子アナなら、その条件を満たすだろう。自分も仕事をしていて、かつ子育てをしながら、夫に対する言葉遣いにも気を付けて、帰宅時間すら聞かないという「口答えをしない」タイプの控えめな女性はそうそういないだろうから、松村アナとはやはり相性が合っていると思う。

 結局、人は「落ち着くところに落ち着く」のだと思うが、奥さんの体力と忍耐力には限界がある。せめてお子さんが小さいときは、陣内には気遣いを見せてほしいと思わずにいられない。

華原朋美と夫は“共依存”なのか? 練炭自殺ほのめかす夫に「私が看取ってあげる」……“修羅場”告白に見るいびつな夫婦関係

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

「私が看取ってあげるから」華原朋美
(華原朋美YouTubeチャンネル、5月14日)

 華原朋美の最大の才能とは、「メンタルがかなり不安定だけれど、その何十倍もタフなこと」だと私は思っている。

 華原といえば、時代の寵児的と呼ばれた天才音楽プロデューサー・小室哲哉氏との離別がよく知られるが、それは恋人を失うだけでなく、彼からの楽曲提供を受けることができなくなる、つまり仕事をなくすことを意味した。おそらく、フツウの芸能人だったら、失意のうちに芸能界、もしくは“この世”からも消えてしまったかもしれない。

 しかし、彼女は一時期、表舞台から姿を消したものの、メンタルの病と闘いながら復帰を果たし、今も芸能界にいる。不安定なことは間違いないが、そこでダメになったりしないのは、稀有な才能と言えるのではないだろうか。そんなわけで、華原に関しては「何があっても大丈夫」だと私は思っているが、彼女の夫との関係に関しては、「厄介かもしれない」と感じだしている。

 華原の所属事務所の社長でもある夫について、5月11日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、過去に結婚歴があり3人の子どもいること、また、前妻に暴力を振るっていた疑惑があるなどの“過去”を報じた。

 同誌によると、華原は「文春」の記者に自ら電話をかけて、「(夫に)子ども1人もいません。今まで結婚したこともありません。ど~ぞ調べてください」と記事の内容を否定して見せたというが、その数日後に、自身のYouTubeチャンネルで、それらが事実であったことを認めたのだ。

 「彼のことを好きになって去年の8月17日にプロポーズされて結婚しました。その時、彼からは結婚歴、離婚歴、隠し子について『そういうことはまったくない』と聞いていました。もし3つあったのならば、私は結婚しませんでした。なぜならば、私にはかわいい子供がいるからです」と述べた。夫はプロポーズの際に、戸籍謄本を見せて、華原を信用させたそうだが、私の知人の弁護士によると、本籍地を“転籍”をすれば、“表面上”離婚歴は消えてしまうそうだ。

 多くの人にとって、戸籍謄本は、結婚や遺産相続などのときに使う書類という程度の認識だろう。しかし、有吉佐和子の著作『悪女について』(新潮社)を読むと、その印象は変わるかもしれない。八百屋の娘として生まれた鈴木君子は、男を次々に変えて子どもを産み、金を手に入れ、華族のご落胤を自称し、名前までも変え、女実業家として大成功を収める。ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、主人公の成功のカギは、戸籍制度だったのだ。一部の不届き者にとって、戸籍は悪用する価値のあるものなのだろう。

 戸籍謄本を自分から見せるあたり、華原の夫に「騙そうという意思」があったように私には感じられる。華原はYouTubeで「弁護士を立てて、今後のことについて話し合っている」と明かしており、冷静に判断できているようで何よりだが、その一方で離婚できても、実際に夫から離れることは難しいのではないかとも思うのだ。

 華原がYouTubeで明かしたところによると、夫は自分の“過去”が「文春」に出ることでパニックを起こし、「もう死にたい。車に練炭を積んで、いま茨城の山奥にいる」と華原に電話してきたという。華原が子どもをつれて茨城にいる夫に会いに行くと、そこで「俺はもうダメだ。生きていけない」と泣きごとを漏らされ、「死ねるなら、目の前で死んでくれ」「私が看取ってあげるから。あなたにそんな力ないでしょ」と返したそうだ。

 夫は「(死ぬ気は)ある」と言ったそうだが、華原が「見てるから、やってみて」と促すと、「できない」と自殺を断念。「どうせ芝居」と思った華原は、練炭をゴミ箱に捨て、コンビニで塩を買ってきて、夫の車とカラダに振りかけ、「そんなこと考えるんじゃない!」と言い放ったそうだ。

 映画やドラマばりの修羅場だが、この話から、私が連想したのは「共依存」という言葉だった。SNSでは共依存は「お互いに愛し合っていること」というような好意的な意味で認識されていることもあるようだが、精神科医・斉藤学氏の『家族依存症』(新潮社)によると、「共依存とは他人に対するコントロールの欲求で、他人に頼られていないと不安になる人と、人に頼ることで、その人をコントロールしようとする人との間に成立するような依存、被依存の関係」といった定義している。

 また同書は、このような人間関係を放置すると「『憎みながら離れられない』とか『軽蔑しながら、いないとさみしい』といった凄惨な愛憎劇」が起きることを指摘。第三者は、共依存の関係に対し、「そんなに嫌なら、離れればいいのに」と思うかもしれないが、当人同士は「離れたいのに、離れられない」から苦しんでいるとも言える。

 そもそも「共依存」は、アルコールなどの依存症の現場から生まれた言葉だ。夫がアルコール依存症になったとする。妻はかいがいしく世話を焼き、夫が酒を飲まないように、また会社など世間にバレないように心を砕くだろう。フィクションの世界では、このような妻の献身に心を打たれた夫が改心し、依存症からの脱却を決心するというパターンが多いが、現実世界では、妻があれこれ世話を焼いているうちは、夫は安心してアルコールに溺れることができるため、回復しようという意志がそがれてしまうケースが目立つようだ。

 また、こんな話もある。臨床心理士・信田さよ子氏の著作『共依存 苦しいけれど離れられない』(朝日新聞出版)によると、依存症をめぐる共依存の関係では、たびたび「ふりまわし」と言われる現象が起きるという。その名の通り、アルコール依存症の当事者が「もう死んでやる」などといって、妻など周囲を“ふりまわす”ことを指す。

 死ぬことで、依存症当事者が苦しみから逃れたい、もしくは妻を自身のケアから解放してやりたいという優しさにも思えるが、信田氏はむしろ反対だと書いている。「このまま放っておけないと(妻に)思わせることで、傍らにいる妻からなんらかのケアを引き出そうとしている」「『妻に見捨てられたら自分は生きていけない』という究極の依存」「死ぬかもしれないこんな自分を放置しておくのか、という脅しをたくみに利用して、結果的には依存を実現する」などと指摘しているのだ。

 一方、共依存においては、妻側も夫に依存している。「夫のために」と苦心しながら、実はケアを通して、夫を支配できたり、夫から必要とされることに、喜びを感じている側面も否定できない。そのため、実は夫が回復しないほうが好都合であるなど、妻側にいびつな欲望が隠れていることも少なくないそうだ。

 華原の夫が何かの依存症かどうかは不明だが、私はこの2人が、こうした共依存関係にあるように思えてならない。

 華原の夫もまさに、死を理由に華原を茨城まで呼び出したわけで、「究極の依存」を体現したと言えるのではないか。またそんな夫に対し、華原は「そんなこと考えるんじゃない!」と叱った。これは「自殺なんかするな」という意味だと思われるが、夫が自身に迷惑をかけたことで、華原が夫より一段上の支配的な立場に立てたと見ることもできるだろう。

 華原に依存している夫が、華原をふりまわして依存を深め、華原もふりまわされるが、その分、華原が支配者になり、夫を思い通りにする。こういう行動が続くなら、「憎んでいるのに、離れられない」「相手を罵りながらも、一緒にいる」という共依存が常態化してしまうように思うのだ。

 夫は華原の所属事務所の社長であり、一世を風靡した華原は事務所の看板タレントだろうから、経営者としても手放したくはないだろう。こうなると、いろいろな利害がからまって、夫婦関係の問題を解決するのは難しいのではないか。

 幸い、時代は華原に味方している。今の芸能界では、夫と子どもがいて円満な家庭を築いているという良妻タレントよりも、多少波乱に満ちていた方が、テレビから声がかかる率が高いように思う。なので、華原の芸能人としての今後には何の心配もないだろう。ただ、自分自身のメンタルと体の健康、それに小さいお子さんのことだけは、しっかり守ってあげてほしいと思わずにいられない。

「みちょぱの彼氏」以外の肩書がほしい大倉士門……加藤浩次の「ヒモキャラ」アドバイスに感じた世代間のズレ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「ヒモになれないというか」大倉士門
『迷えるとんぼちゃん』(5月5日、ABEMA)

 若手芸能人が、大物芸能人に番組内で仕事の相談をするという企画を、時折見かけることがある。一時期、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で、女性芸能人が有吉弘行に相談するという企画をやっていたが、やっぱり有吉のような売れた人、苦労をした人は着眼点が違うと思わされることが多々あり、面白かった。

 相談者である若手芸能人にとっても、テレビに出られて、かつ仕事のヒントをもらえるわけだから、おいしい企画と言えるのではないだろうか。しかし、先輩のアドバイスを、若手が実際に実行できるかというと別問題で、なかなか難しいように思う。

 5月5日放送の『迷えるとんぼちゃん』(ABEMA)。同番組は、極楽とんぼ・加藤浩次と山本圭壱が、ゲストの悩み相談に乗るという内容だが、今回はタレント・大倉士門がゲストだった。大倉のお悩みは、「肩書が交際中の彼女である『みちょぱ(池田美優)の彼氏』になっていること」。「みちょぱの彼氏」と呼ばれることが嫌なわけではないものの、ほかの肩書がほしいそうだ。

 大倉の将来の目標は、バラエティ番組でMCをやること。目指すは、フットボールアワー・後藤輝基や関ジャニ∞・村上信五。そこで、極楽とんぼの2人は、大倉が番組からMCを任せてもらえるようになるには、どうすればいいかを考えていく。

 『スッキリ』(日本テレビ系)など、数多くの番組でMCを務めている加藤は、そのポジションを獲得した経緯を、こう明かしている。

 まずバラエティ番組でゲストとして出演し、存在感を示す。そこから、ゲストではなく、レギュラーの座を獲得し、番組内のワンコーナーを任せてもらう。すると、深夜帯の違う番組でMCをやってみないかという声がかかったそうだ。芸人流MC獲得術とは、少しずつ、信頼と実績を積み上げていくということだろう。

 そのためには、まず大倉は「バラエティ番組に出る」ことから始めなくてはならない。加藤いわく、「どんなバラエティでも、腹をくくって出ていくしかない」「モデルとして売れたプライドを捨てることが大事」で、「『みちょぱの彼氏』としてバラエティ番組に出ていこう」と提案する。品川庄司・庄司智春の持ちネタ「ミキティー!」を真似て、「みちょぱの彼氏」と名乗れば、周囲がツッコミやすく、「MCはラク」というだけに、確かにバラエティで重宝されるタレントになれそうだ。

 また、番組が調査したところ、街行く人は大倉に対して「みちょぱのヒモ」というイメージを持っていることが明らかになる。現在、みちょぱと大倉は同棲中だが、生活費は折半にしていると大倉は言う。しかし、加藤は「そこは(みちょぱ)9:(大倉)1でしょ」、山本は「バイクのガソリン(代)だけ私が出してますみたいな」と、世間のイメージに沿って、話を替えるべきだと主張する。

 確かに「キャラが立って注目を集められる」という意味では、2人のアドバイスは有効だろう。大倉も「めっちゃ勉強になる」と素直に従おうとしていたが、実際に彼がそれを行動に移すのは、無理ではないだろうか。なぜなら、大倉は芸人ではないからだ。

 大御所芸人の明石家さんまが、「ウケれば何でもいい」とバラエティ番組で言っていたことがあるが、芸人のネタやエピソードトークは、ウケることのほうが大事で、必ずしも真実である必要はない。しかし、芸人ではない大倉は、自分自身を「めっちゃ真面目」「ヒモになれないというか」と自己分析していることもあり、そういう人がウケるために、ウソを演じきれるかというと疑問に思う。

 また、キャラを演じきるためには、芸人並みのトークスキルも必要になる。しかし、今の大倉にそれがあるとは思えない。これは大倉本人の資質というより、大倉はモデルとして芸能界に入ってきたのだから、できなくて当たり前と言えるだろう。

 「大倉は芸人ではない」という点以外に、世代による意識のズレも、見逃せない。極楽とんぼが若手の頃は「売れるためなら、意に染まぬことを受け入れて、何でもする」がスタンダードだったかもしれない。しかし、これは私の主観だが、番組を見ていて、大倉が「何がなんでも売れてやる」というガッツを持っているようには思えなかった。「やりたくないこと、できないことでも、努力してできるようにする」というのは、極楽世代が求められてきたことであって、大倉のような若い世代にはなじまないことなのではないか。むしろ、「無理をしない」「できることをどんどん伸ばす」ほうが向いているように思うのだ。

 それでは、大倉はどうしたらいいのか。2017年6月4日放送の『テレビじゃ教えてくれない!業界裏教科書』(ABEMA)で、オアシズ・大久保佳代子は、キャラの作り方について、極楽とんぼの2人とはまた別の切り口から、「0からキャラを作ると、ウソだとバレる」「自分の中にあるものを、膨らませていく」といった話をしていたことがある。

 大倉の場合、SNSのフォロワーの85%が女性だそうだ。同番組にVTR出演した芸人・マテンロウのアントニーによると、大倉はモデルの女の子とも友達のように自然に仲良くできるそうだし、みちょぱとのLINEのやりとりは1日200往復していると言う。つまり、大倉は「女性ウケ」する何かを持っていて、女性と仲良くすることが得意と言えるだろう。そんな自身の特性を“キャラ”として生かしていくのをおすすめしたい。

 ちょうどいいというべきか、『トークィーンズ』(フジテレビ系)や『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)など、女性向けのトーク番組が増えている今、「女性の会話に違和感なく入っていけるキャラ」というのは需要があるように思う。ほかにも、女性をターゲットにした、女性向けの企画をYouTubeなどで行ってみたらどうか。

 ただし、女性向けキャラで売るのなら、浮気はご法度である。暴露系YouTuber・東谷義和氏に、「ガーシーch」で過去の浮気をバラされた大倉だが、そのあたりのことも注意ながら、MCへの道を歩んでほしいものだ。

有吉弘行、ざわちんの目標を“否定”する姿に思う「忘れる」ことの大切さ――気を使えるはずが「やっちゃった」一言

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「俺、忘れないから」有吉弘行
『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(5月1日放送、JFN系)

 4月17日、研ナオコのYouTubeチャンネルで、研と演歌歌手・小林幸子の対談動画が配信された。今の飲食店にはだいたい個室があるという話から、2人は最近の芸能界についてトークを展開した。

 2人が話したところによると、「今の子たちは上座とか下座を知らない」「マネジャーもわかっていない」ため、「大部屋があっても、新人が上座に座っている」のだそうだ。小林は「それをちょっとでも注意したりすると、『またいじわるされた』とか言われるんだよね。だから何も言えない」、研も「この年になると(注意するのが)面倒くさいんだよね」と同意していた。

 傷つきやすい若者が増えたといわれる今、正当な注意をしたとしても、「いじめられた、パワハラだ」と受け止められる可能性がないとは言い切れない。それをネットに書かれたり、テレビやラジオで話されたりすると面倒くさいから、つい黙ってしまうということだろう。

 研や小林だけでなく、テレビを見ていると、バラエティ界の大御所も、案外若手に気を使っていると感じることがある。

 2019年10月29日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)内で、「後輩にちゃんと慕われている? 相思相愛ウラ取りグランプリ」という企画があった。ここで「お世話になっている先輩第1位」として多くの若手芸人が名前を挙げたのが、有吉弘行だった。

 毒舌がウリの有吉だが、プライベートの席では若手に一切お説教をせず、その代わり、後輩が出た番組について「面白かった」とほめてくれるのだという。照れ隠しだろうか、その場で結果を聞いていた有吉は、「(お説教をして)嫌われるのが怖い」とも言っていたが、このやり方は今の時代に合っているのだろう。

 しかし、「上手の手から水が漏る」ということわざがあるように、テレビやラジオの言動を聞いていると、有吉にもときどき「やっちゃったなぁ」と思うものがある。たとえば、5月1日放送のラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、“ものまねメイク”でブレークしたタレント・ざわちんに言及した時のことだ。

 リスナーからざわちんに関する投稿があったことで、有吉は「ざわちん、引退したんだっけ? してないか」と触れた。そして、「ざわちんに俺、『歌手目指してます』って言われて、『無理じゃない?』って言ったら、『じゃあ、オリコン1位取ったときは有吉さん謝ってください』って」と、ざわちんが強気な態度で応酬したことを明かした。

 有吉は「こう思いました。(オリコン1位は)絶対無理だよ。俺、忘れないから。ざわちんが60歳くらいになってもまだ言うから。玄関コンコン叩いて、『まだですか?』って」と結んだが、放送後、この発言はネットニュースになっていた。

 今の有吉は、レギュラー番組を多数抱える売れっ子で、芸人の中では大御所といってもおかしくないだろう。そういう人が、仮に冗談であっても、若い芸能人に対して「いつまでも売れない」といった趣旨の発言をしたら、今回のようにネットニュースは放っておかない。

 ラジオを聞いていれば、「ざわちんが60歳になっても言う」というのは冗談だとわかるが、ネットニュースしか見ない人には、「有吉がざわちんを嫌っている」「有吉は若手をいつまでもいじる」などと、悪い方向に解釈されてしまうのではないか。これでは、いじられたざわちんも、いじった有吉も得をしないだろう。

 有吉といえば、かつて『ロンドンハーツ』内の「有吉先生の進路相談」というコーナーが好評を博した。同番組に出演したタレント・野呂佳代が「パチンコ番組しか仕事がない」とボヤいたところ、有吉は「パチンコ番組、全力でやれ」と一喝。のちに野呂は、これが自身の再ブレークのきっかけだったと『あちこちオードリー』(テレビ東京系)で明かしていた。

 このほかにも、タレント・磯山さやかが「女性ファン獲得のためにダイエットをしたい」と言うと、有吉は「磯山の支持層は男性なのだから、あえてダイエットするな」とアドバイスした。これを受け入れたのかどうかは不明だが、磯山は特にダイエットをした様子はなく、けれど、今もグラビアの仕事を続けている。

 『あちこちオードリー』に磯山が出演した際には、司会のオードリー・若林正恭に「マジの話、磯山さんの体、磯山さんが思っている以上に男たち好きだからね」と体形を絶賛されていたから、「あえて痩せない」という有吉のアドバイスは、正しかったといえるのではないか。

 さらに、20年の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)と『R-1グランプリ』(フジテレビ系)の優勝者を当てるなど、有吉は眼識に優れているといえる。だからこそ、有吉が「(オリコン1位は)絶対無理」とざわちんを強く否定すると、余計に説得力が出て、たった一言が大きな話題になってしまったのだろう。 
 

 毒舌を交えた「有吉先生の進路相談」には特徴があり、「芸能界は無理だ、やめろ」とは言わない。「自分の望む形ではないかもしれないが、とりあえず芸能界で生き残るにはどうしたらいいのか」というスタンスで、相談に乗っているように私には感じられた。『M-1』や『R-1』の予想も同じで、「あいつは優勝できない」というふうに、否定する形での予言はしない。

 物事をはっきり言うけれども、全否定はしないのが有吉の毒舌の特徴であり、芸人として達者なところだと私は思っているが、ざわちんの件は違った。いつものように、「オリコン1位より、別の形で活躍を目指すのはどうか?」などとフォローしておけば、世間から「大御所が若手の目標を否定した」と思われる危険を回避できたのではないか。

 ざわちんの発言について、「若気の至りじゃ許さないですから」とも話していた有吉。よほど腹に据えかねる出来事だったのかもしれないが、「忘れない」のはざわちんに対してだけではないようだ。

 さすがに今は結婚したので違うと思うが、有吉は再ブレークを果たした後も、「生活レベルを上げるつもりはない」との理由で、家賃の高いマンションや、高級グルメに興味がないことを明かしていた。猿岩石として大ブレークしたものの、すぐに仕事がなくなって、貯金を切り崩して暮らしていたそうだから、お金の大切さや、「人気」というものの不確かさが身に染みているのかもしれない。

 この時の気持ちを「忘れない」からこそ、今の有吉があるのだろう。しかし、「許さない」ことはあえて「忘れる」ほうが、世間に悪印象を与えないし、自身のためになるような気がする。 

小倉優子、「早稲田」目標宣言で応援集まるも……「努力する」姿に思うこと

 タレントの小倉優子が、3月8日放送のバラエティ番組『100%!アピールちゃん』(TBS系)で、早稲田大学教育学部への進学を目標に宣言した。当時、ネット上では「どうせテレビの“企画”でしょ」いった冷ややかな声も多く、あまり本気に受け止める人はいなかったようだ。

 しかし、4月26日配信のウェブサイト「スマートフラッシュ」は、小倉が都内のコーヒーショップで勉強に取り組んでいる場面を激写。世間の風向きも次第に変わっていき、「ゆうこりん、マジだったんだ」「とんでもない努力家。見習いたいし、応援してる!」などと、小倉を後押しする声が増えている。

 そんな小倉の“努力家”ぶりは、2018年に再婚し、20年に離婚危機が報じられた、夫で歯科医師・A氏に対する発言にも表れていたようだ。サイゾーウーマンで「女のための有名人深読み週報」を連載中の仁科友里氏は、A氏との関係を修復しようと「努力する」小倉に、あえて「頑張らないように頑張って」とエールを送っていた。

 小倉とA氏の不和から感じた、反省と努力の限界とは――小倉の早稲田進学の行方に注目が集まる今、あらためて同記事を再掲する。
(編集部)


小倉優子、「旦那さんとデートしなきゃ」発言に思う“反省”と“努力”の限界――「頑張ってもうまくいかない」こともある

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人> 
「子ども預けてデートとかしなきゃ」小倉優子 
『今田耕司のネタバレMTG』(読売テレビ、8月21日) 
 
 芸能人が破局や離婚をすると、世間では“原因”が取り沙汰される。そうなると芸能人側は、何らかの原因を提示しないと「本当は浮気していたのでは?」といったマイナスイメージの臆測を呼びかねないので、イメージの低下を恐れる場合は、とりあえずオチをつけようとする人もいるだろう。 
 
 「うまくいかなかった原因」を明かすことはビジネス上の判断としては理解できるが、個人的には「なぜうまくいかなくなったのか?」と内省的になることに意味はあるのか疑問に思う。 
 
 世の中に完璧な人間がいないのだとしたら、破局や離婚の際、“落ち度”は男女問わずどちらにもある。ということは、うまくいかない理由を考え出せば無数に見つかってしまうだろうし、その分析が正しいのかジャッジできる人もいないだろう。なので、「うまくいかなかった理由」を探すことは、単なる「自責」や「他責」に終わるのではないだろうか。“ゆうこりん”ことタレント・小倉優子を見て、そんなことを思った。 
 
 ゆうこりんといえば、初婚時の夫の不倫が「週刊文春」(文藝春秋)に報じられて、2017年に離婚。その時ゆうこりんが妊娠中だったこと、不倫相手が彼女の事務所の後輩(当時)だったこともあって、世論はおおむねゆうこりんに同情的だったように思う。彼女のようなママタレにとって、離婚はビジネス上のダメージに当たると思われるが、2人の幼い子を抱えて仕事をしながら、家事育児に手を抜かないシングルマザーぶりが評価されたのだろう。同年にオリコン社が主催・発表した「第2回 好きなママタレント」で1位を獲得している。 
 
 そのゆうこりん、18年に歯科医師と子連れ再婚を果たし、妊娠する。めでたしめでたし、かと思いきや、20年、再婚2年目にして離婚危機だと報じられる。同年3月11日付の「サンケイスポーツ」によると、夫は結婚1周年を前に、身重の妻を置いて家を出て行ってしまったそうだ。夫の弁護士を通じて、2人の息子との養子縁組解消と、離婚を求められたという。 

  ゆうこりんは夫との復縁を望んでいるが、いまだに動きはなさそうだ。8月21日放送の『今田耕司のネタバレMTG』(読売テレビ)に出演した彼女は、「私の悪いところはあれ(改善)するし、落としどころが見つかればいいなと思ってます」と、離婚の意志はないことを主張した。

 さらに「急に2人のパパにもなってくれたじゃないですか。芸能人の旦那さんにもなってくれた。それってすごいプレッシャーがあると思うんですよ。で、今度子どももできる。いろんなものが大きくなるじゃないですか。そのときに私がもっとサポートというか、できてればよかったのに、『私もつらい』みたいな。だから『私が、私が』って思っちゃったし、そういうのが原因だなと思って」「子どもたちが小さいからといって、全然旦那さんとデートも行かずに……。そうなんです、デートも全然行ってなかった。子ども預けてデートとかしなきゃ。旦那さんにとっては、新婚なわけじゃないですか」と、長々と“反省の弁”を述べた。 
 
 「どちらが悪い」と白黒つけたがる外野には、「どんな理由があろうと、身重の妻を置いて家を出て行く夫はひどい」と言う人もいるだろうし、ゆうこりんの言い分通り「夫への気遣いを忘れたゆうこりんが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、私に言わせるのなら、「うまくいかなかった理由」を探っても、ゆうこりんはすでに「自責」で終わっているので、意味を持たないのではないか。それにこの2人の場合、どちらが悪いというより、すごく「人生の相性が悪い」気がするのだ。 
 
 恋愛結婚を「好きな人と結婚する」というイメージで捉えている人は多いだろうが、「好き」という気持ちは「嫌い」に転じることもある。そういう意味で「好き」という感情は、結婚生活においてはリスクでもあるだろう。「嫌い」になったから別れるという選択もありだが、もしもある程度の期間、安定した関係を育みたいと思うのなら、好き嫌いを超えてお互いに「結婚してよかった」と思えるものを共有する必要があるのではないか。私はそれが「人生の相性」だと思う。

 そう考えると「人生の相性がいい」というのは、「自分のためにしたことが、結果的に相手のためになること」だろう。「旦那さんとデート」のようなタスクを増やすのではなく、お互いがフツウに生活することで、自然と相手のためになっていればベストなわけだ。そのためには、お互いの人生にとってメリットのある相手を伴侶とするのがよいのではないか。

 歯科医夫はゆうこりんを愛しており、だから交際期間が短くても、なさぬ仲の子どもがいても結婚を決意したのだろう。しかし、いきなりなさぬ仲の子どもの父親になるというのは、そう簡単なことではない。とはいえ、ゆうこりんとて、仕事もして2人の小さいお子さんの育児もして妊娠までしていたら、いつまでも夫の前でかわいい顔ばかりしていられないのではないか。 
 
 「子ども預けてデートとかしなきゃ」発言は、ゆうこりんが自分を責めている、もしくは自分にタスクを強いているかのようにとれるが、仕事と育児とデートをしたら、忙しさのあまり心身ともに追い詰められることは目に見えているし、これでは「旦那さんとデート」したことによって、ゆうこりんに不利益が生じることになってしまう。お互い頑張っているのになぜかうまくいかない、まさに「人生の相性が悪い」状態だと思う。 
 
 ゆうこりんは「親の受験」とも言われる小学校受験で、お子さんを有名小学校に「合格させた」母としても知られている。おそらく合格を勝ち取るために「あそこが悪かった、ここが悪かった」と反省し、二の轍を踏まないように努力したのだろう。しかし結婚においては、悪かったことを反省するよりも、最初から「頑張らないでも、お互いに一定量のいいことがある人」を探したほうが、自分も相手もラクだし、結果として長続きするのではないだろうか。
 
 努力して何かを手に入れてきた女性に「努力をするな」と言うのは、一番難しいことだと思う。しかし、あえて「頑張らないように頑張って」とエールを送る次第だ。 

※2021年8月26日初出の記事に追記、編集を加えています。

寺島しのぶ、伊藤沙莉と脚本家の熱愛は「うらやましい」? 『ワイドナショー』発言から日本映画界の性加害問題を考える

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<今週の有名人>
「女優さんだったら、その人のために書いてくれたりするわけじゃないですか」寺島しのぶ
『ワイドナショー』(4月17日放送、フジテレビ系)

 女優たちの告発が続く、日本映画界の性加害問題。4月17日放送『ワイドナショー』(フジテレビ系)ではこの話題を扱っていた。

 ゲストとして出演した女優・寺島しのぶは、歌舞伎役者の七代目尾上菊五郎を父に、女優・富司純子を母に持つ。国内のみならず、ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞するなど、世界的に評価の高い女優だ。寺島は女優たちの告発について、「こういうことを言うことって、とても勇気がいること」「今まで黙っていた人たちが、どんどん風通しをよくするために、いろいろとこれを機会に言っていくのは、私はいいと思うんですけどね」とコメントしていた。

 日本を代表するトップ女優の一人も、映画界の体質を変える必要性があると思っているのだろう。その一方、この問題を解決するのは、そう簡単ではないとも感じる。

 同番組は、女優・伊藤沙莉と18歳年上の脚本家・蓬莱隆太氏との熱愛も取り上げていた。寺島いわく、蓬莱氏は舞台の脚本家として引っ張りだこな存在だそうで、「うらやましい。だって、女優さんだったら、その人のために(脚本を)書いてくれたりするわけじゃないですか」と感想を述べていた。

 すぐれた原作もしくは脚本と、役者の演技力がマッチすると、その役者の代表作、言い換えると“当たり役”が生まれるだろう。直木賞作家・宮尾登美子氏の評伝、林真理子氏の『綴る女』(中央公論新社)には、女優がいかに真剣に自分の当たり役を求めるかが描かれている。

 同作の内容を少し紹介しよう。任侠映画の観客の入りが少なくなってきた頃、同ジャンルの作品を量産していた東映は路線を転換し、ベストセラーを記録していた宮尾作品の映画化を思いつく。宮尾作品の女性主人公は、時代や男の横暴に巻き込まれても、ひたすら耐える。しかし、過酷な運命に負けない芯の強さと一抹の激しさを秘めており、多面的で魅力的な存在であった。

 女優・三田佳子は、そんな宮尾作品を映画化した『序の舞』(1984年)への出演を熱望するも、ほかの仕事との兼ね合いでタイミングが合わなかった。しかし、どうしてもあきらめられなかった三田は、無理を言ってそれほど出番の多くない役で出演。主役ではないからといって、三田は手を抜かず、丁寧に役作りをし、結果的に脇役でも存在感を発揮した。

 三田といえば、東映が手掛けた映画『殺られてたまるか』(60年)にて、いきなり主役級のポジションで女優デビュー。以降も、73年までにNHK大河ドラマ3本に出演しており、当時から日本を代表するトップ女優だったといえる。“格”で考えるのなら、脇役を引き受けなくてもいいと思う人もいるだろう。しかし、大女優であっても、心からいいと思える当たり役に出会えることは稀で、だからこそ、主役にこだわらなかったのではないか。

 その点、今をときめく人気脚本家が恋人なら、自分を生かすような脚本を、最初から自分のために書いてくれて、回り道をしないでも“当たり役”に出会えそうだ。寺島も、三田と同じようにトップ女優となっても甘んじず、さらなる当たり役を求める気持ちから「うらやましい」「女優さんだったら、その人のために書いてくれたりするわけじゃないですか」と発言したのかもしれない。

 しかし、映画界の性加害について騒がれている今、寺島の言葉は誤解を招くのではないかと思う。すでに地位を確立した女優であっても、貪欲に役を求めるような世界だと知らない人が寺島の発言を聞いたら、若い女優が仕事目当てに人気脚本家に近づいた、もしくは仕事が欲しいなら人気脚本家と付き合うのが近道だと、大女優自ら勧めているように聞こえてしまうのではないか。

 恋愛というのはプライベートなことだが、その時ですら、周囲からの「相手は売れているかどうか」「役者としてメリットはあるか」という仕事上の評価がついて回る。それだけ、芸能界というのは熾烈な競争社会なのだと考えると、特に実績のない女優や、さらなる活躍を目指す女優が“当たり役”に出会いたいと願う気持ちを利用して、性加害を働く状況は続いてしまいそうだ。

 また、「怖い経験」の有無が、女優たちを分断してしまうようにも思えた。寺島は番組内で、性加害の恐怖を感じるような経験がなかった理由として、「家柄もそうですけど、周りの人たちがちゃんと守ってくれたのかなと思う。誰も身を守ってくれない人が、こういう目に遭ってしまうわけだから」と自己分析していた。確かに、人間国宝を父に、東映映画の大スターだった女優を母に持った寺島が性加害のターゲットになるとは考えにくい。

 私には寺島がこの問題に興味があるようには見えなったが、実際にそうだとしても、寺島を責めたいのではない。怖い経験をしたことがないと、問題を自分ごととして捉えることが難しかったり、ピントのズレたことを言っても致し方ないと思う。

 だからこそ、これを「被害に遭った女優の話」ではなく、「日本映画界の構造の問題」として考え、広く論じる必要があるのではないだろうか。寺島は海外での評価も高く、外国映画界の事情にも通じているはずだ。トップ女優として、寺島が日本映画界のためにできることはいくらでもあると信じたい。 

榊英雄と妻・和、被害者よりも「身内」に触れた公式コメントに読み取る“芸能界の体質”

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「家族がありながらの夫の行為に対して許せないものがありました」和(いずみ)
和オフィシャルサイト、4月11日

 3月10日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、俳優で映画監督・榊英雄の女優に対する性加害を報じた。同誌によると、榊の作品に出演したり、ワークショップに参加した4人の女優が、性的関係を強要されたという。ある女優は、「短編映画の主演に起用したい。フィッティングをしよう」と業務上の打ち合わせであることを理由に2人で居酒屋へ行くも、榊が次に向かった場所はラブホテルだったそうだ。

 同誌の取材に対し、榊は4人のうち3人と関係を持ったことは認めたが、「性行為を強要した事実はありません」とし、あくまで合意の上だったと主張した。しかし、監督が主演という条件をちらつかせながら性的関係を要求してきたら、女優側が断りにくいことは明白だろう。

 「文春」の報道を受けて、榊は当時業務提携していた芸能事務所「Ruby・sue」を通じてコメントを発表。最初のパラグラフを抜粋してみよう。

「この度は、映画『蜜月』の公開が控えているこのタイミングで、私の過去の個人的なことが記事になり、映画を創るために東奔西走してくださったプロデューサー陣やスタッフ、キャストの皆さまおよび関係者の皆さま、そして何よりこの映画の公開を楽しみに待っていてくださる観客の皆様に、多大なるご迷惑とご心配、不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます。そしてかけがえのない大切な家族を傷つけ悲しませてしまったことを、本当に申し訳なく思っております」

 ここでは、自身の監督作で公開中止になった映画『蜜月』のプロデューサーやスタッフ、出演俳優など仕事関係者、観客、そして家族に謝罪しているが、最大の被害者である4人の女優については触れていない。次のパラグラフで、ようやく「今回の記事上で、事実の是非に関わらず渦中の人とされてしまった相手の方々にも、大変申し訳なく思っております」とつづられていた。

 しかし、この「事実の是非関わらず」という表現からは、榊が「不本意ではあるが、騒ぎになったので形だけ、とりあえず謝っておこう」と思っているかのような印象を私は受けた。

 そんな榊の妻で、シンガーソングライターの和(いずみ)は、「文春」の記事が出た直後の3月17日に、シンガーソングライター・川島ケイジの配信番組『川島ケイジのジグザクNIGHT』にゲスト出演。「榊英雄が心や体を、あの……そのことで傷つけてしまった女性のみなさんに謝らせてください。本当にすみませんでした」と謝罪し、「私自身はね、やっぱり夫婦関係っていうのにけじめをつけようかなと思ってはいるんですが……」と、離婚を示唆するような発言をしていた。4月11日には、和のオフィシャルサイトで、榊氏と離婚や別居について「協議を進めております」と発表している。

 夫や父親が性加害者だと日本中に報道された妻や子どもの苦悩は計り知れないし、和の場合、自分も芸能活動をしているだけに、今後の仕事に差し障りがないとは言い切れない。踏んだり蹴ったりで気の毒だが、オフィシャルサイトで発表した文章には、ちょっと気になる部分もあった。

 自身の娘たちの気持ちを尊重し、今後について話し合うのは時間がかかったと明かしたあと、「家族がありながらの夫の行為に対して許せないものがありました」と書かれている。さらに、「妻として、母親として、今家族を世の中にさらさなければならないような状況を作った夫を容認して生きていくつもりはありません。今わたしがすべき事は、 娘たちを全力で守る事と、わたし自身の心を守る事です」と、離婚は娘たちを守るための決断だと明かしていた。

 率直な気持ちをつづったのだろうが、被害者がいる問題に関わる公式コメントとしては、不適切なのではないだろうか。というのは、言うまでもなく、家族がいる人もいない人も、性加害をしてはいけないからだ。

 繰り返しになるが、榊は謝罪文で、被害者である女性たちをすっ飛ばして、プロデューサーや観客など、自分の仕事に関係がある人、もっと言うと、自分に直接的なメリットをもたらす「身内」から順番に謝罪した。妻の和も、榊を許せなかった理由は「家族がありながら」性加害を行ったことで、やはり「身内」を傷つけたことを挙げている。2人が文書でわざわざ「身内」に触れたのは、偶然なのだろうか。

 榊のスキャンダルを受けて、「勝てば官軍負ければ賊軍」ということわざが頭に浮かんだ。戦では、戦いに至る理由よりも勝敗のほうが大事で、勝ったほうが正義となり、負けたほうは反逆者とみなされることをいう。ジャニーズ事務所の生みの親で、日本を代表するプロモーターの故ジャニー喜多川氏は、豊川誕ら所属タレントによく「勝てば官軍」と言い聞かせていたそうだ。確かにこのことわざは、芸能界のような人気商売の体質を現した言葉だといえるだろう。

 映画監督なら観客動員数、ミュージシャンならCDなどの売り上げ枚数が数字として現れるので、それが多ければ高く評価され、彼らが所属する事務所や配給会社、レコード会社、さらに家族などの「身内」も潤うはずだ。こうなると、その業界は「売れっ子さまさま」の状態になっていき、極端な成果主義がまかり通るようになるだろう。売れれば売れるほど「身内」からはチヤホヤされるが、不祥事を起こせば「身内」に大きな損害を与え、そっぽを向かれてしまう。

 反対に、かけだしの役者のように知名度や数字を持っていない人は、業界内でどうしても立場が弱くなる。売れている・売れていないは単なる数字上の評価であって、売れていない人を軽んじていい理由はない。しかし、芸能界のように極端な成果主義の場所では、「勝てば官軍」とばかりに、「売れっ子」に権力が集中する一方、それ以外の人は軽んじられがちだ。

 こうした状況と、スタッフや家族などの「身内」だけを大事にするような榊と和の文章は、無関係ではないと思う。「身内」でも「売れっ子」でもない人を軽んじていることが、パワハラや性加害がなくならない一因となっているのではないだろうか。

 ところで、日本では「夫がやらかしたら、妻が謝る」ことが定着しているといっていいだろう。

 歌舞伎俳優・中村芝翫の不倫疑惑が持ち上がる度に謝る女優・三田寛子や、元プロ野球選手・清原和博氏が覚醒剤取締法違反で逮捕された際には、離婚しているにもかかわらず、モデル・亜希が謝罪のコメントを出した。そして和も、報道直後に榊の不祥事を謝罪していた。

 一方で、和はオフィシャルサイトの文章を「取材に来てくださる記者の皆様、どうかこのことに関しては、榊自身の問題であると思いますので、今後、家族に向けての取材、ご近所方への突然の訪問、取材などはご遠慮くださいますよう、心からお願い申し上げます」と結んでいる。

 和の言う通り、これは榊自身の問題で、すべての責任を引き受けるべきは、榊本人だろう。和やお子さんに静かな日々が早く訪れることを、願わずにいられない。 

小泉孝太郎に提案したい、アンガーマネジメントの方法――『上田と女が吠える夜』で見えたイライラの理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「この人にもご両親がいるんだな」小泉孝太郎 
『上田と女が吠える夜 2時間SP』(4月6日放送、日本テレビ系)

 4月6日放送の『上田と女が吠える夜 2時間SP』(日本テレビ系)に、小泉孝太郎が出演した。同番組は、オアシズ・大久保佳代子ら女性出演者が「デリカシーのないヤツ」「トレンド疲れ」などのテーマに沿って、“吠える”トークを展開する。こういう番組のゲストは“吠える”タイプの正反対、「まあまあ、それくらい、いいじゃない」といった温和なタイプのゲストがいると、バランスが取りやすいだろう。高祖父、祖父も政治家で、総理大臣を父親に持ち、物腰がやわらかい孝太郎は、ステレオタイプな見方をすれば「温厚なおぼっちゃん」なわけで、番組のゲストには適任だったと思う。

 「最近ちょっとイライラしたこと」というテーマで、孝太郎は、ゴルフをやっている時に遭遇するカラスにイラつくと明かした。「(カラスから)うまく距離が離れた時にやってきて、まだ食べていないカレーパンとコンソメスープ、それ持っていかれたときはイライラしましたね」と話し、司会のくりぃむしちゅー・上田晋也に「意外と小せぇことでイライラしていた」とツッコまれていた。

 また、若槻千夏が「エスカレーター降りてすぐに止まる人」にイライラすると話すと、孝太郎は「わかります」とした上で「すごい大きな交差点で、タクシー止める方(と一緒)ですよね」と共感していたから、比較的イライラしやすい側の人間なのかもしれない。

 しかし孝太郎は、イライラしても文字通り「水に流す」ことを心がけており、スポーツクラブに行き大浴場の水風呂に入るなどして、気持ちを切り替えるそうだ。

 また、仕事の現場でイライラした話でスタジオが盛り上がっていた際、上田は「こういう時ってどうしますか?」と質問。孝太郎は「彼にもご両親がいるんだな」と思うことで、イライラをもたらした相手を許すことにしていると話していた。「僕と同じように、みんな両親に育てられたんだなと思うと(イライラが)スっとさめていく」という。

 イライラをもたらした相手を怒ったり憎んだりすると、その人を慈しみ育ててきた両親が悲しむ。そう思うと、イライラしていられない……という意味なのか。私にはちょっと意味がわからなかったが、自分なりのアンガーマネジメント法を持つのは、メンタルヘルスを損ねないために有効だろう。

 一方で、孝太郎に提案したいことがある。もとからイライラしなくなるために、自分を振り返ってみてはどうだろう、ということだ。

 孝太郎は2013年、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)にゲスト出演したことがある。明石家さんまが司会で、マツコ・デラックスやIKKO、KABA.ちゃんら、番組内で“おネエ軍団”として登場したメンバーが、テーマに沿ってトークを展開していた。そんな中、孝太郎が脈絡もなく、自身の出身地である横須賀名物「ポテチパン」の話を始めたのだ。「なんであの人、勝手に話変えてるの?」「うちらなら怒られるけど、あの人はいいんだ」というふうに、おネエ軍団がまぜっ返し、さんまも苦笑いしていた。

 さんまはいろいろな番組で、バラエティは戦場、お笑いは団体競技、芸人にアイコンタクトを取って、緻密に笑いを作り上げていくと言っている。孝太郎のように勝手な話をされては、さんまの描く方向からずれてしまうわけで、イラッとしたかもしれない。共演者にしても、とっておきのエピソードを用意してきたかもしれないのに、突然話を変えられては披露のしようがなく、同じくイラッとしていそうだ。

 このように、本人に悪気はなくても、相手をイライラとさせてしまうことはある。悪意を持ってわざとイライラさせているなら話は別だが、ある程度は「お互いさま」と思うことで、イラッとすることが減り、自分のメンタルヘルスも損ねず、人間関係も円滑になるのではないだろうか。

 しかし同時に、「お互いさま」は一種の「あきらめ」ともいえるので、社会的地位がある人や、理想が高い人ほど受け入れにくい考えかもしれない。

 16年発売の「女性自身」(光文社)で、孝太郎は一緒に暮らす女性への要望を明かしていた。「柔軟剤は季節で替えてほしい」「女性が台所に立っているときは、リビングで待っていたい。そのときにお酒のつまみになるものを一品先に出してもらえたら最高」「『こうしてほしい』と言ったときに、拒否せずに食らいついてきてほしい」そうで、なかなか要求が多く、求める女性の理想が高いことがわかる。

 相手に「こうしてほしい」と思うほど、かなえられなかったときにイライラするだろう。こうやって考えると、イライラは相手の粗相によってもたらされることもあるが、自分の要求過多ではないか考えてみる余地も必要だと思うのだ。

 そうはいっても、有力政治家の家庭に育ち、人気俳優となった孝太郎に、そういう内省ができるかはわからない。「この人にもご両親がいるんだな」と考えて「水に流す」のがアンガーマネジメントのコツなら、孝太郎の恋人や、彼を支える仕事関係者は、何かあったときに「この人の親は、総理大臣だしな」と考えて、「あきらめる」しかないという話にもなる。

 特殊な家庭環境を持つ孝太郎がやるべきアンガーマネジメントは、相手の「あきらめ」で自分のイライラが収まった可能性を想像しながら、「お互いさま」と思うことではないだろうか。

 孝太郎が活躍するために周囲のサポートは不可欠。どうか周囲をイライラさせずに、仲良くしていただきたいものである。