おばたのお兄さん、妻・山崎夕貴アナの年収超えた! 格差解消のいま“嫁姑関係”が気になるワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「そんなことない」フジテレビアナウンサー・山崎夕貴

『ポップUP!』(フジテレビ系、8月12日)

 お盆に夫の実家に帰ることは、長い間、日本人にとって“当たり前”のこととされてきた。家父長制の名残もあってか、家族のルーツにあたる夫側の祖先の霊を、家族とともに迎え、送り出すことは恒例行事と化している。

 ところが、脱家父長制、多様性の時代だからだろうか、ここ何年かは「夫の実家に帰りたくない」という妻の主張をネット上で見かけるようになった。「女性自身」(光文社)のニュースサイトは2019年に、「夫の実家帰りたくない。妻の帰省ブルー問題がネットで白熱」と報じている。

 確かに、夫は実家ということでくつろげるが、それに比べて多くの妻は、義母の手伝いなど、おさんどんに明け暮れる。揚げ句、義母に子どもの育て方などに文句を言われたら、たまったものではないだろう。加えて、交通費がかさむとなると、さらに憂鬱になるのも頷ける。

 また、仕事を持つ女性が増えた今、休みはとても貴重な時間だ。それなら、そもそも夫の実家に帰省しない、もしくは夫と子どもだけで行ってもらえばよいと考える人が出てきてもおかしくはない。

 義母側の立場から考えてみても、かわいい息子と孫のためとはいえ、息子家族が来るのであれば、家中をきれいにしておかなくてはいけないし、いろいろな出費を強いられるだろう。自分が先頭に立って食事の準備もすることになるから、体力的にも消耗するはずだ。

 とはいえ、今後は「夫の実家に帰らない」ことが日本全体に定着する……ことはないのではないか。なぜなら、家族というのは、女性にとって最大の“ブランド”だと思うからだ。

 自分のほうが相手より優位であると、言葉でもって示す行為を「マウンティング」と呼ぶが、既婚女性の場合、夫の勤務先や年収、子どもの出来で、相手に対して「どちらが上か」を示すことは珍しくない。なぜ自分のことではなく、「夫や子ども」など、家族によって自らの価値をはかるのかというと、「子どもを産んだ女性は稼ぎにくい」日本社会の在り方と無関係とはいえないだろう。

 国立社会保障・人口問題研究所の「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」(2015年実施)によると、「子育てをしながら、仕事を続けるのは大変だから」という理由で、女性の46.9%が第1子出産後に離職している。

 一方、出産の有無にかかわらずキャリアアップを目指し、仕事を続けても“壁”はある。内閣府「令和3年版男女共同参画白書」によると、日本企業の女性管理職の比率は、20年時点で、部長担当職が8.5%、課長担当職が11.5%と、世界的に見ても低いことがわかっている。

 女性が子育てをしながら仕事をする仕組みがいまだに整っておらず、かつ、働き続けても昇進できない。OECD(経済協力開発機構)によると、男女の賃金格差は、主要国のワースト2位。こうなると「自分で稼げないならば、稼ぐオトコと結婚すればよい」「自分の能力を認めてもらえないのならば、優秀な子どもを育てればよい」という考え方が生まれ、ひいては「夫の年収/子どもの出来で自分の価値をはかる」ことが定着するのではないだろうか。

 「子どもの出来で自分の価値をはかる」という点について、もう一歩踏み込んで考えてみよう。子どもをオリンピックのゴールドメダリストに「育てた」母、子どもを医学部に「入れた」母が脚光を浴び、教育ビジネスを始めることがよくある。ノウハウを知りたい人/教えたい人という需要と供給がマッチしたからこそ、ビジネスとして成立するわけだが、小意地の悪い見方をすれば、こうした母は、子どもの業績を我が物にしているともいえる。

 けれど、子どもを産んだ女性が、仕事を続けて昇進することが難しい日本で、それでも世に出ようと思ったら、優秀な子どもに育て上げるのが、一番手堅い「起業」なのかもしれないのだ。

 仮に、夫や子どもが社会的なブランドを持っていなかったとしても、それでも、やはり家族は女性を「よく見せる」――例えば、「家族から頼りにされている自分」「家族から愛されている自分」をアピールする道具になり得る。

 前述した夫の実家への帰省も、「家族から頼りにされている自分」をアピールすることにつながるだろう(特に「人からどう見られるかを気にしてしまう」タイプの人は、「帰省は面倒くさいといっても、顔を出さないのはまずい」と“いい嫁”の振る舞いをやめられないと思う)。一方、義母にとっても、帰省する人が減ったといわれる中、息子家族が顔を見せてくれたら、近所や友人に「家族から大事にされている自分」をアピールすることができるわけだ。

 このように、微妙な力学が働いて「夫の実家への帰省」が完全になくなることはないと私は思っていたのだが、既成概念をぶち壊す大物が現れて、笑ってしまった。

 8月12日放送の情報番組『ポップUP!』(フジテレビ系)では、配偶者の実家への帰省が話題となった。金曜パーソナリティの相席スタート・山崎ケイは、夫である落語家・立川談洲の実家に帰省するのは「楽しみ」としながらも、義父しかいないことを明かし、「お義母さんがいたら、ちょっと気を使うかもしれないですね」と、義母のいる家への帰省は躊躇するかのような発言をしていた。

 しかし、同番組に出演したフジテレビの山崎夕貴アナウンサーは、「私は全然気を使わなくて、夫(芸人・おばたのお兄さん)がいない状態で、私だけで帰省したりもするんで」「居心地いいです。あんまりお手伝いしないでも怒られないんで」と、帰省するだけでなく、本気で滞在をエンジョイしていることを告白。

 山崎ケイが「実際は(義母が)どう思っているか、わかんないですよ! 本当は『うちの嫁、息子が来ないのに勝手に来て、何もしないのよ』って思ってるかも」とツッコむと、「そんなことない」と笑って否定したのだ。

 山崎アナのお姑さんの本心がどのようなものかわからないが、仮に「手伝ってほしい」と思っていたとしても、なかなかそうは言えないのではないだろうか。だって、山崎アナはフジテレビのエースアナウンサーというブランドを持つ人なのだから。

 そもそも2017年の交際発覚当時、売れていないおばたが人気女子アナと交際しているというだけで驚きだったが、彼は「フライデー」(講談社)に浮気を報じられた過去がある。それでも山崎アナは別れずに結婚した。おばたは、この交際および結婚で名前をあげた部分もあるわけで、いわば山崎アナは“恩人”だ。そんな嫁に対して、お姑さんは強く物を言えないのではないだろうか。

 山崎アナもニブいというか素直というか、お姑さんの気持ちをまるで疑わないところはすごいものの、いつまでこのニブさが許されるかは、ちょっと疑問である。というのも、かつて格差婚と言われたおばたが今年5月、YouTubeチャンネル「おばたのお兄さんといっしょ」で、「付き合ったのが2017年だったんですけど、この時はもちろん奥さんのほうが年収が上で、2018年に並んで、ここ3年間は僕のほうが稼いでいます」と年収アップを明かしたからだ。

 売れていない、しかも浮気を暴かれた息子への負い目から、これまでお姑さんも山崎アナに何も言えなかったかもしれないが、おばたのほうが稼いでいるとなると話は少々変わってくるのではないだろうか。

 姑とは、常に「息子のため」をモットーに、息子の味方に回る生き物であり、また「子どもの出来」は自分の価値、プライドになり得ることを忘れてはならない。

 山崎アナの「悪いほうに想像しない」というニブさは、自意識過剰な人が多い今の時代を生きるうえで、大きな武器になるといえるだろう。けれど、家族間のことというのは、少し悪いほうに捉えて備えたほうがうまくいくこともある。“姑のプライド”を考えて行動することも、円満な家族関係のためには必要なのかもしれない。

『上田と女が吠える夜』たんぽぽ・川村エミコの自虐ネタに考える、「運のいい/悪い」を決めるもの

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「不幸にチャンネルが合っちゃってるよ~」たんぽぽ・川村エミコ
『上田と女が吠える夜』(8月3日、日本テレビ系)

 『M-1グランプリ2019』(テレビ朝日系)で、ぺこぱがボケを全肯定する漫才で話題を呼んで以来、「人を傷つけない笑い」が尊ばれるようになり、テレビにおける自虐ネタの需要はどんどん高くなっている。ただし、その自虐が「モテない」とか「もうオバチャン」というようなものだと、聞き手が「そんなことないよ」と言わなくてはいけないので厄介だし、同調すると、それはそれでセクハラめいてくるので、そうした自虐はネタとして好ましくないだろう。やはり他人を巻き込まない、自己完結した自虐ネタがベストだと思う。

 8月3日放送の『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)のテーマは、「どうして私がこんな目に? とことんツイていない女たち」で、ゲストそれぞれが、自分の経験した“アンラッキー”を明かしていた。

 例えば、プロフィギュアスケーターの村上佳菜子は現役時代、大会の最中に顔にハエが止まったとか、『南国少年パプワくん』(エニックス)の漫画家・柴田亜美は、ざくろを食べたところ毒が回って動けなくなったとか、他人を巻き込まず、人を傷つけない、ちょっとしたアンラッキーエピソードを次々と披露した。

 たんぽぽ・川村エミコもゲストの1人だが、司会のくりぃむしちゅー・上田晋也いわく「スタッフが川村サンと打ち合わせしていたら、まぁ、不幸の宝庫」だったという。具体例を挙げると、小学生の頃、クラスで飼っていたメダカ殺しの罪を着せられたことに始まり、大人になり、芸人の下積み時代に前説をしていたところ、高級すしをスタッフに「食べていい」と言われたから食べたのに、別のスタッフに「なに食ってんだ」と怒られたそうだ。

 このほかにも、オーディションを受けようと思った3日前にコンビを解散するなど、アンラッキーは続く。売れっ子となった今も、勝手に美容クリニックの広告で「ブルドッグ顔の代表」として顔写真を使われる、スーパーの入り口につながれた犬が通りがかったおじさんに吠えた際、川村サンの飼い犬と勘違いされたらしく「静かにさせろ」と怒られた、新宿アルタ前で変なおじさんに「お前に選択肢はないんだ」と怒鳴られるなど、ネタが尽きない。

 また今年、スパムメールに引っかかった川村サンは、クレジットカード被害に遭ってしまい、それを友達に話したところ「不幸にチャンネル合っちゃってるよ~、チャンネル変えてこ~」と言われて腹が立ったそうだ。

 これらのエピソードを聞くと、川村サンはアンラッキーに思えなくもない。しかし、川村サンは2010年、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)のオーディションを勝ち抜いて、人気番組のレギュラーの座を勝ち取っている。オーディションは、実力はもちろん、運が左右する部分も大きいだろう。本当に運が悪かったら、オーディションに合格しないと見ることもできる。さて、川村サンは運がいいのか悪いのか。

 運の良さを科学的に解明しようという実験はいろいろ行われている。そのうちの1つが「自分は運がいい」と思う人と、「自分は運が悪い」と思う人のグループに分けて、くじを引かせるものがある。「自分は運がいい」と思う人も、「自分は運が悪い」という人も、くじ運自体にはっきりとした差はないという。つまり、自分は運がいい/悪いというのは、“思い込み”なわけだ。実際に、「自分は運が悪い」と思い込んでしまうと、ラッキーな出来事は排除して、アンラッキーばかり記憶してしまうことが心理学で証明されている。

 例えば、動画配信サービス「TVer」で公開された同番組の未公開VTRによると、川村サンが、オアシズ・大久保佳代子の番組に出演した時、こんなアンラッキーに見舞われたことがあったそうだ。大久保サンと2人で酒を飲む番組で、撮影が終わり、その店のトイレを借りようと並んでいたら、ダッチオーブンがいきなり足に落下。大ケガをしてもおかしくないが、川村サンは診察してくれたお医者さんに「運がいいね。何ともないよ」と言われたという。

 鉄の塊が足に落ちてきて何ともないとは相当ラッキーだと思うが、「自分は運が悪い」と思い込んでしまうと、そこはスルーして「突然、足の上にダッチオーブンが落ちてきた、アンラッキーだ」と感じてしまう。「運が悪い」という思い込みに基づいて、都合のいい事実だけを集めて、「運が悪い自分」を作り上げてしまうのだ。この理論でいうのなら、川村サンが友人に言われた「不幸にチャンネルが合っちゃってるよ」という指摘は、正解なのだろう。

 『上田と女が吠える夜』にゲスト出演していたいとうあさこも、川村サンについて「一緒にロケに行っても、みんな(衣装)が長袖のTシャツなのに、エミコだけ半袖」「みんながはく、ももひきみたいなのがあるんだけど、エミコのだけ入ってない」など、彼女の「ちょっとした運の悪さ」を指摘していた。

 しかし、これは本当に運の問題なのだろうか。みなさんがテレビの制作者となり、出演するタレントに衣装を用意すると想像してみてほしい。その際に、絶対にミスをしないように心がけるのは、キレやすい人とキレない人のどちらだろうか。おそらく、ほとんどの人がキレやすい人に対して万全の体制で臨むはずだ。

 仕事とはいえ、川村サンのように「運の悪さ」を面白おかしく喧伝すると、周囲に「運が悪い自分を受け入れている」と受け止められ、「運が悪い人として扱ってよい」と間違ったメッセージとなることがある。川村サンがそこでキレるタイプでないため、「ミスしてもあいつなら大丈夫」と結果的に軽んじられていく可能性はあるだろう。このようにして、運が悪いネタが増えると、ますます「自分は運が悪い」という思い込みは強くなっていくわけだ。

 「自分は運が悪い」と思い込んでしまうと、「きっとうまくいかない」と不安になってミスを誘発し、さらには周りからも軽んじられ、その結果、どんどん自分に自信がなくなるので、注意が必要といえるだろう。川村サンは「運が悪い話」を仕事に生かしているからいいと思うが、一般の方は過度の思い込みに注意していただきたいものだ。

おぎやはぎ・矢作兼、小倉優子の元夫に苦言――「人を見抜く目がある」と自信満々な人に思うこと

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<今週の有名人>
「俺が見てやるって言ってんのよ」おぎやはぎ・矢作兼
『おぎやはぎのメガネびいき』(7月28日、TBSラジオ)

 タレントの“ゆうこりん”こと小倉優子が、離婚を発表した。2019年の年末に身重のゆうこりんを置いて、夫が家を出て行ったという別居報道がなされたが、2年半の別居を経て、離婚となったようだ。

 ゆうこりんは、料理上手なママタレとして人気を得たものの、これでバツ2の身に。普通ならイメージが悪化して、仕事を失うこともありそうだが、2番目の夫とは別居期間が長かったため、離婚しても世間に与える衝撃はそれほどないだろうし、今の芸能界は、少しイジられる要素を持っているほうが重宝されるものだ。

 それに、小倉は今『100%!アピールちゃん』(TBS系)の企画で、早稲田大学教育学部の受験を明らかにするなど、新たなキャラを獲得しつつある。なので、ゆうこりんは今回の離婚で、“タレントとしては”損をしていないといえるのではないか。

 離婚は夫婦2人の問題だからいいとして、私が気になるのは、ゆうこりんは今後も親友・ギャル曽根と変わらぬ付き合いを続けるのだろうか、という点だ。

 過去の話を蒸し返してなんだが、19年11月放送の『人生最高レストラン』(同)に出演したゆうこりんは、歯科医である2番目の夫と出会ったのは、「ママ友の紹介だった」と明かしていた。ゆうこりんは好印象を持ち、2回目のデートにはマネジャーとギャル曽根を伴って出かけたという。

 ギャル曽根は、「今日は、彼がゆうこりんのことをどれだけ真剣に考えているか、私が確かめるから。任せて」と、相手の男性を面接することを申し出、実際、元夫に対して「芸能界って良い時もあれば悪い時もある。稼ぎがゼロになる可能性だってある。その時にあなたは養えますか? それぐらいの覚悟でお付き合いを考えていますか?」など質問。そこで、誠実な人であることがわかったといい、「ゆうこりんをよろしくお願いします」と、交際を認めるあいさつをしたそうだ。

 親友に代わって、結婚相手の候補にあれこれ聞きにくいことを聞いてくれるなんて、美しい友情だと思う人もいるだろうが、私はギャル曽根に「『自分は人を見抜く目がある』というその自信は、どこから来るのだ」と聞きたい気持ちになった。

 社会人が日常会話で人格の欠陥を感じさせるとは考えづらいし、お金の話なんてクチだけなら何とでも言える。結婚の場合、男女としての相性もあるし、ある程度の年月を一緒に過ごそうと思うなら、人間的な相性も見逃せない。

 特にゆうこりんの場合、最初の夫との間に男児が2人いるわけだから、その再婚相手には彼らと関係を築く必要もある。また、イメージ商売の芸能人、かつ主にママタレとして売っていたゆうこりんは「ダメだったら離婚すればいい」という軽いノリで結婚することは難しいだろう。そんな「考えることが多い人」に向かって、よく知りもしない人を「この人はいい」と認めるのは危険すぎやしないか。

 11年に結婚したテレビディレクターと円満な結婚生活を送っているというギャル曽根だけに、「自分は人を見る目がある」と思って、ゆうこりんのために一肌脱いだのかもしれない。でも、ゆうこりんとギャル曽根は違う人間だから、“いい人”の基準は違うはずだ。ギャル曽根が思う“いい人”が、ゆうこりんにとって“いい人”である保証はない。今回の離婚を経て、ゆうこりんもそのことに気づいたと思うが、ギャル曽根に不信感を抱かないものかと、気になってしまった。

 しかしながら、「人を見抜く目があれば、円満な結婚生活が送れる」と思っている人は芸能人、一般人含めて多いことだろう。7月28日深夜放送のTBSラジオ『おぎやはぎのメガネびいき』では、矢作兼がゆうこりんの離婚について言及。ギャル曽根が歯科医の元夫にOKを出したことについて、「ギャル曽根もそん時、すげえ食ってただろ。あんなに食ってんのに、(相手がどんな人物か)判断できないだろ」と茶化した後で、「結局またダメかよ。俺が(相手のことを)見てやるって言ってんのよ。すぐわかるよ」と「見る目のある人」に名乗りを上げた。

 「人を見抜く目がある」と言いたがる人は、「離婚に至るのは、どちらかが悪い」と犯人捜しをしたがる傾向があるのではないだろうか。実際、矢作は離婚の原因を、歯科医の元夫側の覚悟のなさだと思ったようで、「ゆうこりんと結婚してるんだから、ガマンしろよな。忍耐が足らないよな」と苦言を呈していた。

 どちらか一方に、不倫や暴力など、明らかな有責行為があるなら話は別だが、欠点のない人間はこの世にいないので、犯人捜しをすると、どちらも悪いことになってしまう。

 しかも「人を見抜く目がある」と自負する人の犯人捜しは、助言する相手の将来にも有害といえる。例えば、「元のパートナーはこういうところがダメだった」と指摘を受けたことで、当人は次のパートナーを探すとき、相手の欠点を見抜こうと疑い深くなり、相手に要求するものがより多くなってしまうだろう。

 夫婦の間で何か起こったか他人は知る由もないが、ゆうこりんの場合、再婚を急ぎすぎたのではないだろうか。40代の初婚男性が交際半年でいきなり2児の父となるのは、ちょっと無理があったように思うし、交際期間が短かったので、2人ともお互いに対する理解を深めるまでいかなかった可能性もある。どちらが悪いという話ではなく、単に2人は「合わなかった」とも考えられそうだ。

 そういえば、矢作が歯科医の元夫にダメ出しをした際、相方の小木博明も「そう、そうなのよ。タレントと結婚するって、そういうことだからね」と同意していた。

 小木は森山良子の娘で、元タレントだった女性と結婚し、森山直太朗と親戚関係になっているから、芸能人と結婚し、芸能一家の一員になる不自由さを、身をもって知っているのかもしれない。一方、矢作の妻は一般人女性だったはず。いよいよ、なぜ矢作は自信満々に、ゆうこりんのパートナーを「見てやる」と名乗り出たのかと不思議に思うが、やはり他人様の結婚相手に口を出すのは、ほどほどにしたほうがいいのではないだろうか。

漫画家・東村アキコ、お笑いプロ社長のいま――売れない芸人を養分にする“スター”の特性

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<今週の有名人>
「結果が出なくても、ハハハッ」東村アキコ
『マツコ会議』(7月23日、日本テレビ系)

 昨年亡くなった作家・瀬戸内寂聴さん。ある文芸評論家が講演会で、「女性の私小説は瀬戸内センセイ1人でやりつくした感があるので、あの人を凌ぐ作家は出てこないだろう」といった話をしていたが、確かに寂聴さんは常人とは明らかに違うところがあると思う。

 寂聴さんの人生に大きな影響を与えた男性は2人いる。1人は寂聴さんが離婚して、子どもを置いて家を出るきっかけになった年下の男性。もう1人は寂聴さんの小説家デビューを支えた、才能はあるのにどうも売れない小説家の既婚男性である。

 小説家の男性のサポートで、見事に小説家としてデビューを果たした寂聴さん。男性を師として仰いでいたが、いつの間にか、男性よりも売れっ子となっていく。そんな中、よせばいいのに離婚のきっかけとなった男性に連絡をしたところ、彼はすっかり落ちぶれていた。

 同情した寂聴さんは、小説家の男性と若い男性をふらふらする。結局、小説家の男性と別れ、年下の男性と暮らし始め、事業に乗り出した彼のためにせっせと貢ぐが、男性は若い女と結婚。こうして2人は別れたものの、男性は会社の経営に失敗し、自殺してしまったそうだ。寂聴さんは、この三角関係を描いた小説『夏の終り』(新潮社)が評価され、作家としての地位を不動のものにしたことでも知られている。

 本人にその意図があるのかどうかはわからないが、寂聴さんのようなスターというのは、結果的に周囲の人の運や生命を吸い上げて、すべてを肥やしにしてしまう人をいうのではないだろうか。ここまで強い人はそうそういないが、漫画家・東村アキコもそのタイプの人なのかもしれない。

 7月23日放送の『マツコ会議』(日本テレビ系)に出演した東村センセイ。代表作『東京タラレバ娘』(講談社)は、アメリカの権威ある漫画賞「アイズナー賞」を受賞、世界30カ国で読まれているそうだ。同番組は「ちょっと変わった一般人や各界のルーキー」が出演する機会が多く、東村センセイのようなすでに地位を確立した漫画家が出ることは珍しい気がするが、なんと彼女は、2016年にお笑い事業を始め、19年には新宿・歌舞伎町にお笑い劇場まで作ったという、駆け出しのお笑いプロダクション社長でもあったのだ。

 東村センセイがお笑い事業に進出したのは、特にビジョンがあったわけではなく、“周囲の売れない芸人に頼まれたから”という軽い気持ちからだったそう。芸人が奮起して売れてくれれば、社長である東村センセイにもメリットがあるのだろうが、芸人たちは劇場があることで安心してしまって、“何がなんでも売れてやる!”というようなガッツはないとのこと。

 売れない芸人を抱え、地価の高い場所に劇場を持てば、東村センセイの経済的負担は大きくなる。「これ(原稿)1枚いくらだなって思いながら描いてるんですけど、それがこの劇場にスーッて吸い取られていく」とお金が流れていく様子を表現していた。

 売れていない芸人が、テレビに出て芸を披露するというのは大きなチャンスといえるだろうが、東村センセイと一緒に出演していた東村プロ所属の芸人はなんだか影が薄く、芸をしていない東村センセイのほうが、はるかに存在感があるように見えた。

 番組司会のマツコ・デラックスは、「東村さんが頑張れば頑張るほど、東村さんの面白さしか見えなくなる」「芸人さん、殺していますよ」と話しており、確かに東村センセイが主役で、芸人たちがバックコーラスのようだった。

 出演していた芸人は、なぞかけのルールがわかっていないなど、正直「やる気ある?」と疑いたくなるレベルだったが、東村センセイがフォローして笑いを取るので、なんとなく「それでいい」という雰囲気になってしまう。東村センセイは本職の芸人に「(芸人を)甘やかしすぎ」「先生は潰していますよ、若手を」と言われるそうで、東村センセイの優しさは、仇になっているといえるだろう。

 東村センセイは「夢を追うのは自由だし、夢を追うことが人生そのものの人って、いっぱいいるじゃないですか。結果が出なくても。ハハハッ」と笑った後で、「1人だけでも、1%だけでも、もしかして売れる可能性がね、あるんだったら、この劇場を作った甲斐がある」と芸人に奮起を促し、その後で「私の本音だけど、この劇場で赤字を作っているからこそ、漫画で頑張ろうと思って、漫画を頑張って描き続ける良さもある」とお笑い事業が自分のモチベーションアップにつながっていることを明かした。

 頂点を極めてしまうと、どうしてもハングリー精神というか、ガッツがなくなる。だからこそ、あえて採算が取れないことがわかっているお笑い事業に金をつぎ込むというのは、恐れ入る。そして、東村センセイのような人は売れない芸人を見て、そこからインスピレーションを得て、新たな代表作を描き上げるのではないだろうか。

 寂聴さんが、自身の恋愛を小説にして、いつの間にか小説家の男性を凌ぐ大作家になってしまったのと同じように、東村センセイも売れない人をネタもしくは養分にして、大輪の花を咲かせるような気がする。それがスターになる人の特性なのかもしれない。

 マツコとの掛け合いも面白かったし、東村センセイはかなりテレビ向きな気がする。最近のテレビはどうも毒気が足りなくてつまらないと思っている人も多いはず。手始めに『上田と女が吠える夜』(同)への出演なんていかがでしょう。テレビ業界のみなさま、この逸材を見逃す手はないと叫びたい気持ちでいっぱいだ。

叶姉妹の人生相談が「人を傷つけない」ワケ――ポスト瀬戸内寂聴としての腕前

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「責任と覚悟をちゃんと持って、人様には迷惑をかけない」叶姉妹
『マツコ会議』(7月16日、日本テレビ系)

 新聞や雑誌には、よく人生相談のコーナーがある。読者のお悩みに、作家やコラムニストなどの有識者が答えるというものだが、答える側の個性や性格が明らかになって面白い読み物だなと思う。しかし、今の時代、「人生相談されること」を仕事にするのは、大変なことではないだろうか。

 『M-1グランプリ2019』(テレビ朝日系)で、ぺこぱのポジティブな漫才が話題を呼んだあたりから、「人を傷つけない笑い」という言葉が聞かれるようになり、エンタメ界はそちらの方向に舵を切っているように見える。それは歓迎すべきことだが、その一方で、完全に「人を傷つけない」ことはとても難しいのではないかとも思う。なぜなら、いくら「人を傷つけないように」とこちらが心を砕いたとしても、傷つくかどうかを最終的に決めるのは、受け取る側だからである。

 人生相談においても、相談者には、傷つきやすい人もいれば、そうでない人もいる。ただ話を聞いてもらい、優しい言葉をかけてもらいたい人もいれば、実質的なアドバイスがほしい人もいるだろう。そのあたりの相談者のニーズを読みつつ、読者にも「なるほど、その通りだ」と思ってもらえるような客観的な意見を言わなくてはいけない。やはり、悩み相談を受けるのは、相当難しい仕事といえるのではないだろうか。

 そんな中、オーディオストリーミングサービス「Spotify」で、昨年8月から配信が始まったトーク番組『叶姉妹のファビュラスワールド』の人生相談が、今、大人気だそうだ。開始早々、ポッドキャストのランキングでたびたび1位を取り、視聴者からは「聞くだけで自己肯定感が上がる」「癒やされる」などの声が上がっているという。

 その評判を受けて、7月16日放送の『マツコ会議』(日本テレビ系)には、叶姉妹がリモート出演した。番組では、どんなお悩みが寄せられているかの実例と、叶姉妹の姉・恭子サンの回答を紹介していた。

 例えば、「常に周りの人、特に職場(の人)の顔色を伺いながら生きています。自己肯定感高く、周りに気を使いすぎず、ポジティブに生きるコツを知りたいです」というお悩みに対し、恭子サンは「今は自分の周りにどんな方たちがいるのか表面的にしか知らない方が多すぎる」とし、「だから、その方たちに自分がどういうふうな目で見られているのかなんて、全く気にする必要がない」「『風が吹いているわ』というふうに思っておけばいい」と回答。

 また「正しい人との距離感の取り方を教えてほしい」というお悩みに対しては、「距離感なんてないの」「なぜかというと、その方のパーソナリティーや環境や、取り巻くこともいっぱいあるでしょうから、距離感を取るなんてそんな難しいことできない」「自分と空気、自分と物質という考えでいい」と話していた。

 正直、私にはあんまりピンとこないが、“人の目を気にする必要はない”“他人を空気や物質と思え”という教えは、人間関係について考えすぎてしまい、がんじがらめになっている人には、待ちに待った言葉なのかもしれない。あるリスナーは「自分本位で考える、自分がどうしたいのかを、明確にお姉さまのほうが話してくれて、そこですごい共感ができる」と話していた。

 叶姉妹は「私たちは絶対に決めつけとか、押しつけとかしない」「いろんな方がいろんな感じで捉えてくださっている」「正解(の回答)をしなくていい」と言っている。なので、叶姉妹のアドバイスの“真意”というものが、完璧にはつかみきれないのだが、リスナーの女性の「自分本位で考える」という解釈には違和感があった。

 自分本位というのは、他人の気持ちではなく、自分の気持ちを中心とした物事の考え方を指し、どちらかというと“自分勝手”寄りの言葉である。確かに恭子サンは「もっとみなさん自由に」と言っていたし、叶姉妹としても、人目を気にするな、他人なんて空気と思えというような発言をしているので、自分中心の考え方をしているように感じる人もいるだろう。

 しかし、その一方で、こうも言っている。「もっと自由に、もっと心を解き放していいのですよって話しているのですが、その中には責任と覚悟をちゃんと持って、人様には迷惑をかけない」「これが基本の叶姉妹のポリシーの一つです」。

 つまり、より多くの自由を謳歌するために、背負わなければならないものもあると言っているわけだ。

 繰り返しになるが、叶姉妹は言葉をかみ砕いて説明しないので、責任や覚悟が具体的に何を指しているのかはわからない。なので、単なる私の推測になってしまうが、先ほど例に出した「自己肯定感高く、ポジティブに生きるコツは?」というお悩みに対する、恭子サンの回答の意味について考えてみよう。

 「人からどんなふうに見られているかを気にしない」ことは、仮に他人が自分を高く評価していなかったとしても、その評価に縛られない自由の行使と言えるだろう。しかし、そういう生き方をして、人との距離を縮めないようにしていると、職場でなんとなく浮いてしまう可能性がないとは言えないし、上司によってはウケが悪いこともあるので、そのあたりを受け入れる覚悟はいる。

 また、職場で浮いていると、なんとなく疎外感を覚えて、ネガティブになってしまうかもしれない。会社というのは本来、給料に見合った働きをする場所なので、メンタル面で仕事に悪影響を及ぼすのはNGだろう。しかし、仕事の責任を全うする働きをするのなら、誰にも迷惑はかけないわけだから、その態度を貫けばよい。叶姉妹の意図するところはこんなことではないだろうか。

 こうやって考えていくと、叶姉妹の言う“自由”とは、自分本位のものではなく、自分のやるべきこと(仕事)をやった上で堂々と行使するものであり、自分と周囲(職場)、どちらにも恩恵をもたらすものと言える。繰り返すが、これは私の単なる推測にすぎないが、少なくとも叶姉妹は「自分本位でいい」とは言っていないように感じるのだ。

 自分に本気でない男性に時間を費やしている女性のお悩みに対して、恭子サンは「女性の人生をパールのネックレスにたとてみて。一粒一粒、川に捨てていってるようなもの。だんだんと捨てすぎてることを、ご自身が気づかない時に、最後に残るものはそれをつないでいた紐だけなんですよね。だから、ご自身の人生が真珠の玉をいくつ無駄にしないかを、よくよく考えてみたらいかがでしょうか?」と、たとえを使いながら、アドバイスしている。

 たとえというのは話をわかりやすくする効果もあるが、実は話の焦点をぼんやりさせる働きもある。なので、感覚が鋭敏な人は、叶姉妹の話から、より多くの教えをキャッチするだろうし、そうでない人はざっくり理解するだろう。

 先ほどの「自己肯定感高く、ポジティブに生きるコツは?」という悩みの回答の捉え方が、あるリスナーと私で違ったように、叶姉妹の人生相談は「人によって気づく点が異なる」ため、結果として「人を傷つけない」回答になっているのではないか。

 人生相談といえば、昨年亡くなった瀬戸内寂聴さんの独壇場だった。寂聴さんの人生相談の特徴は、夫を亡くして悲しみに暮れる女性が寂庵を訪れた際に「あなた、きれいだから恋愛でもしなさい」と勧めるなど、笑いを交えながら、「欲望を解放せよ」とする回答に特徴があったように思う。

 それに対し、叶姉妹が勧めるのは自由と責任。恋愛や結婚を重要視しなくなってきた現代に、ちょうどフィットしているのではないだろうか。ポスト寂聴さんは叶姉妹で決まりな気がする。

清原和博の元妻・亜希がバラエティ出演! 「過去」をイジられる彼女が、テレビ界で活躍しそうなワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「ね、意地悪でしょ」亜希

『一撃解明バラエティ ひと目でわかる!!』(7月12日、日本テレビ系)

 7月10日に行われた参院選は、予想通り、自民党の圧勝だった。岸田内閣はしばらく安泰ということだが、岸田文雄氏が総理大臣就任当時、「東大を3度落ちた」エピソードを繰り返し語っていたことをご記憶だろうか。

 岸田氏が2浪して東大を目指したものの合格せず、結局、早稲田大学に入学したことは事実である。しかし、就任早々このエピソードを披露したことには、「さすが政治家だ」と思った。

 選挙で「選ばれる」ことを生業とする政治家は、究極の人気商売といってもいいだろう。ということは、国民に愛される必要があるが、今ウケる人は、どこか“抜け感”のある人、もしくは“抜け感”を躊躇なく見せられる人だと思う。そのことで、大衆に「私と似ている」「私にもその気持ちがわかる」と親近感を抱かせられたら、勝ちといえるのではないか。

 岸田総理の家は、祖父の代から政治家一家だが、こういう「名門家庭に育った」ような人は、今の時代にはあまりウケないように思う。しかし、岸田総理は自分から「東大に3度落ちた」と“抜け感”をアピールすることで、親しみを獲得しようとしたのだと感じた。

 岸田氏の妻・裕子夫人も、親しみを獲得するためにひと肌脱いだといえるのではないか。岸田氏が自民党総裁に就任した夜、夫人は夫の好物の広島焼を作り、岸田氏はTwitterにその画像をアップしていた。そこにはお好み焼きのソースが映り込んでいて、よく見ると賞味期限が切れているのだ。自民党総裁ともあろう人が、祝いの夜にお好み焼きという庶民的な食べ物でお祝いをし、しかも賞味期限の切れたソースを使っている。これは人々に親しみを感じさせる、典型的な“抜け感”といえるだろう。

 人気者の条件が「抜け感によって、人に親しみを与えること」だとするのなら、チャンスが来ているのではないかと思う人がいる。モデルの亜希だ。彼女はモデルなので、テレビを主戦場としてこなかったが、6月14日放送の『一撃解明バラエティ ひと目でわかる』(日本テレビ系)で5年ぶりにテレビ出演し、7月12日放送回にも登場。レギュラー陣とともに「観葉植物の見分け方」を学んでいた。

 同番組レギュラーのバイオリニスト・高嶋ちさ子とは、「5年連続、一緒にお正月を過ごした仲」だそう。2人はかつて『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演した際、マンションのお隣さんだったと話していたことがあるから、長い付き合いなのだろう。

 高嶋の家は観葉植物だらけだが、亜希の家はフィカスウンベラータが「一鉢ある」「ずっと20年(ある)」とのこと。それを聞いた高嶋が「あんな時も、こんな時も?」とイジられ、亜希は「ね、意地悪でしょ」と言っていた。

 「あんな時、こんな時」が具体的にいつを指すのかについては、番組内で掘り下げられなかったが、亜希の20年間を振り返るのなら、どうしても思い出されるのが、元プロ野球選手・清原和博氏との離婚だろう。

 離婚後に清原氏は覚醒剤取締法違犯で逮捕された。自分でしたこととはいえ、清原氏は球界のスーパースターから犯罪者に“転落”したわけだ。亜希としては、「もう別れたのだから、関係ない」と言いたいところだろうが、彼女の場合、「球界のスーパースターの妻」であることは、ほかのタレントとの差別化につながるブランドだったろうから、仕事にも少なからず影響が出たのではないか。

 当時、Yahoo!ニュースのコメントでは「亜希は夫の薬物をなぜやめさせられなかったのか」といった書き込みがあった。薬物依存症は病気で、シロウトがどうにかできるほど甘い問題ではない。そのことを知らないがゆえのコメントといえるが、確かにひと昔前なら、このように「夫を正せなかったのは、妻が悪い」と非難され、テレビも亜希をあまり使いたがらなかったかもしれない。

 しかし、時代は確実に変わってきている。先ほど、“抜け感”によって人に親しみを抱かれることが人気者の条件になったと指摘したが、テレビもそういった人物を積極的に起用する方向にシフトしているように見える。もしそうなら、「大選手の妻」よりも、「何かあった人」という“抜け感”のある現在の亜希のほうが、視聴者の心をつかむだろう。今回のように、共演者から「意地悪を言われる」ことも、タレント活動にはプラスといえるのではないか。

 おしゃべりなタイプではなさそうだが、ファッションや料理、子育てなど話の引き出しを多く持つ亜希。「偉大な野球選手の元妻」から、「あの人の元夫は、昔は偉大な野球選手だったんでしょ?」と言われる逆転現象が起きるのは、そう遠くなさそうだ。ぜひ頑張っていただきたい。

『週刊さんまとマツコ』めるるを当てこする菊地亜美に見る“悪い思い込み”

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「私、こんなしゃべらなくても売れるわ」菊地亜美
『週刊さんまとマツコ』(TBS系、7月3日)

 この世で怖いものは何か。考えるといろいろあるけれど、「一つだけ」と言われたら、私は「思い込み」を挙げる。

 思い込みは、私たちを不幸にする。例えば、新卒大学生向けの就活情報サイト「就活の教科書」に公開された記事は、まさに思い込みによる不幸について考えさせるものだった。

 同記事内には“底辺職”として具体的な職業が挙げられており、ネット上で「職業差別だ」と炎上した。ライターや編集部が、こうした極端な言葉をあえて使ったのは、匿名掲示板「2ちゃんねる」開設者・ひろゆき氏らインフルエンサーの真似なのではないだろうか。

 彼らの発言には「人の評価」にまつわる言葉が、よく使われているという印象を受ける。「Fラン」「低収入」「無能」「無価値」……なぜ、彼らがそういう言葉を使うかといえば、人は誰しも「あなたは価値がある」と言われたいもので、特に人に褒められたい気持ちが強い人ほど、けなされることを恐れ、けなし言葉に敏感になってしまうからだ。インフルエンサーはそのあたりの機微を熟知しており、わざと「おまえは無価値だ」と端的に表す言葉を使用して、人の興味を引き、数字を稼ぎ、現在の地位を築いたのではないか。

 先に挙げた“底辺職”の記事も、ニュースサイト「週刊女性PRIME」によると、これが“底辺職”だと脅して耳目を集めた後、その職を回避するために利用すべきサイトを紹介し、クリックを誘導する仕掛けをしていたそうだ。

 問題は、判断力のない若い人が、こういうけなし言葉を含んだPV目当ての情報を信じてしまうことだ。世の中に“底辺職”などというものは存在しないことは言うまでもないが、「お前の仕事は底辺だ」と人から言われたくない思いが強い人ほど、“底辺職”とはどんな職種か知りたくなるだろう。さらにライターや編集部の主観でしかない“底辺職”を、本当に“底辺”だと思い込んでしまい、その職業に就く人をも低く見るようになるのではないか。

 「あの職業は、底辺だ」と思い込むのは個人の自由だ。しかし、そういう人が、何らかの理由でその“底辺職”に就くことになったら、どうなるのだろう。この世に“底辺職”なんて存在しないと思う人は、普通に仕事をして、職場の人間関係を構築していくだろうが、自分は“底辺職”をしていると思う人は、自分を恥じ、自己評価を下げ、そのため人とも関われず、孤立してしまうのではないだろうか。このように、「あの仕事は底辺だ」という思い込みは、人生をまったく別のものにしてしまうかもしれないのだ。

 そうは言っても、思い込みを持たない人はいない。特にテレビでは、思い込みが笑いを誘うこともあるので、一概に悪いものとは言い切れないが、7月3日放送『週刊さんまとマツコ』(テレビ朝日系)を見ていたところ、芸能界での“悪い思い込み”の例を目の当たりにした。

 同番組のゲストは、タレント・菊地亜美と朝日奈央。2人はアイドルグループ・アイドリング!!!出身で、現在はバラエティを中心に活動しているという共通点がある。しかし、現在バラエティでは、モデル、ママタレなどさまざまなジャンルの女性タレントがしのぎを削っていて、菊地、朝日は“ポジション迷子”になっているという。

 朝日はいろいろな番組で見かけるが、本人いわく「特番は呼んでいただける」「でも、レギュラーまでは行かない」そうだが、菊地は「あんたもなの?」「私……前からそうだよ」と、迷子状態が長いことを自ら明かした。ちなみに菊地は、仕事にNGがないため、かつて『うわっ!ダマされた大賞』(日本テレビ系)でエレベーターから落とされたそうだ。当時は「何でこんなに何回も落とすの?」と考えていたが、「今考えたら、早く落ちたい」と現状を自虐的に語った。

 そんな“ポジション迷子”という立場を利用して、菊地は売れっ子にかみついていく。最近は、みちょぱ(池田美優)、藤田ニコル、めるる(生見愛瑠)など、モデルが積極的にバラエティ進出しているが、菊地はめるるについて「うまいんですよ、めるるとかは最初バラエティで始めの頃とかは、毒づいたりしていたんですよ」「たぶん気づいたと思うんですよ、途中で。『私、こんなしゃべらなくても売れるわ』って」「絶対気づいたと思う」「バラエティでもニコニコしていいポジション」と指摘。めるるは、周囲の様子を見ながらキャラを変えた“小ズルい”人物であるというニュアンスをにじませていたように思う。

 しかし、さんまによると、めるるが毒舌をやめたのは、事務所からの業務命令だそうだ。なんでも、めるるが最初にかみついたのが、女優・泉ピン子だったという。同番組の共演者である麒麟・川島明は、ピン子を「狂犬」と表現したが、芸能界の大先輩にしてコワモテとうわさされる人物にかみつくのは、どう考えても得策ではない。事務所がめるるにかみつき禁止令を出すのは当たり前のことと言えるだろう。

 朝日はめるるのルックスが優れていることは認めつつ、芸人と朝日、めるるで大喜利企画に挑戦したところ、「ハナコの菊田(竜大)さんよりウケてて」と笑いのセンスが高いことを証言している。つまり、力があるから売れたということで、めるるが計算高いというのは、菊地の思い込みだろう。

 売れている人を軽く当てこすって笑いを取るのもバラエティの技の一つだから、これはこれでアリなのだが、菊地に「めるるはズルい」という気持ちがまったくなかったとは言い切れない。このように、自分から見てうまく行っている人が「ズルをしている」「トクをしている」と思いが強くなったとき、それは悪い思い込みである可能性が高いように思う。

 「あの人は実力があるから認められている」と思ったら、見習うとか、逆に「あの人には勝てない」と白旗を上げるのが一般的な反応だろう。しかし、「あの人はズルをして認められた」と思っていると、納得できない思いがあるために、自分の仕事に集中できなくなって、パフォーマンスが落ちてしまう可能性がある。

 芸能界のようにオファーがあって初めて成立する仕事も、会社員も、評価のされ方というのは実は不透明な部分が多い。だからこそ、「あの人はズルをして認められた」というようなマイナスな思い込みをしないように注意をする必要があるだろう。

 幸いにも、菊地の場合、番組内でバラエティ界の大物、島崎和歌子のモノマネがうまいことが判明した。さんまも「これで菊地、1年いける」とお墨付きを与えている。悪い思い込みを捨てて、モノマネを磨き、バラエティの世界で活躍してほしいものだ。

『上田と女が吠える夜』今もなお「結婚で女の友情が崩れる」エピソードが出てくるワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「うちら最強だよね」吉住
『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系、6月15日)

 私と同世代の40代後半の友人が、会社の後輩から「マッチングアプリで知り合った人と結婚する」と報告されて、とても驚いたと言っていた。まぁ、確かに我々が若かった頃、マッチングアプリはなかったので驚くのも無理はないが、今後、ますますアプリ婚は増えていくのではないかと思っている。

 時代が変われば、テクノロジーが変わり、人の行動や考え方も変わるのは当たり前のことだろう。しかし、6月15日放送の『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)を見ていたら、結婚をめぐっては、「今も昔も変わらないこと」もあるのではないかと思わされた。

 同放送は、「1人が好きな女SP」として、ゲスト陣が「常に群れたがるヤツ」の事例を挙げていた。芸人・吉住は、「『うちら』っていう団体意識の強い人」を苦手とし、その理由を「学生時代とかはまだいいと思うんですよ。でも25歳とか超えて『うちら』って言い続けている人って、各々の人生のことをどう思っているんだろう」「『うちら最強だよね』って言っている人を見ると、『いつまで最強でいられるんだろう?』って」と語り、さらに、こうした人たちの特徴について、「でもそういう人に限って、誰かが結婚すると一気に(友情が)崩れる。こんな脆いものはないだろうと思って」と指摘。スタジオからは「あー」と賛同する声が上がっていた。

 かつて結婚によって、女友達との関係性に分断が起きるという経験をしたことがある人は、確かに多いのではないだろうか。なぜそのようなことが起きるかというと、結婚がテレビの世界で「女性の価値を測るもの」として扱われてきたからだ。

 2004年頃の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)では、「格付けし合う女たち」という企画が頻繁に行われていた。街行く男性に、ゲストの女性タレントたちを選択肢にした「付き合うにはいいけど、結婚したくないオンナ」といったアンケートを取り、そのランキングを当人たちに当てさせるという内容だった。

 詳しいアンケートの内容は忘れてしまったが、同企画で「結婚したくない」とみなされた女性タレントはがっかりし、一方で、「結婚したい」ほうに“選ばれた”女性タレントは大喜びしていた。テレビはショーなので、彼女たちもわざと大きいリアクションを取っていた可能性も否めないが、こういう番組を見ていると、特に若い視聴者は「オトコに選ばれたほうが勝ち」「結婚できないオンナは負け」と刷り込まれてしまうだろう。

 そうなると、友人の結婚が、単なるカップルの決断とは思えず、「自分が負けた」ように思えてくるはず。それが、友情にヒビが入るきっかけとなってしまうのではないだろうか。

 しかし、今年6月に発表された2022年版「男女共同参画白書」によると、婚姻歴のない30代の独身者は、男女とも4人に1人が「結婚願望がなし」と回答するなど、結婚離れが進んでいることがわかった。

 結婚が、女性の価値や勝ち負けを決めるものでなくなったと言える今、それでも、吉住の話すように「誰かが結婚すると一気に(友情が)崩れる」ことがあるのかと、驚いたのだ。ただ、以前とは原因が異なり、例えば、自分の人生がうまくいっていないタイミングで、友達が結婚したため、その落差にショックを受けて疎遠になる……といった話だろうとも思う。

 それでも、仲が良かった女友達と、結婚ぐらいで関係性が壊れるというのは、本当に悲しいことだ。こういう時、「女の友情はハムより薄い」とか「女の友情なんてない」とか言われることに、モヤモヤする人も少なからずいると思うが、結婚を機に女友達と疎遠になるのは、「女の友情」がどうという話ではなく、人それぞれの持つ「気質」の違いによって起こる現象ではないか。

 世の女性を大きく2つに分けると、「気分で生きる人」と「気持ちで生きる人」がいると思う。「気分で生きる人」は「今の気分」を何よりも重んじる。なので、友達といて盛り上がると「うちら最強だよね」などと率直に口にする。気分に基づいての発言だから、その先のことは考えていないし、自分の言ったことや相手の話も忘れがちで、将来に対するはっきりしたビジョンも持っていないことが多いように感じる。

 それに対し、「気持ちで生きる人」というのは、「自分の気持ち」また「相手の気持ち」を重んじる。「気分で生きる人」より、発言にはある程度の責任を持ち、相手の話もよく覚えている。約束をしたら、それを守ろうと努力する印象がある。

 なので、「気持ちで生きる人」から見れば、「気分で生きる人」は、言うことがコロコロ変わるように感じられるし、「気分で生きる人」から見れば、「気持ちで生きる人」は、細かいことをよく覚えている、もしくは気にしすぎと思えるだろう。

 前述のように、自分の人生がうまくいっていないタイミングで、友達が結婚して落差を感じた場合、「気分で生きる人」は「今の気分」を重んじるので、ショックを隠せない。一方の「気持ちで生きる人」は、「その友達と仲良くしたい」という自分の気持ち、また相手の気持ちも重んじるので、そこはぐっとがまんして祝福する。

 要するに、「気分で生きる人」が友達の結婚にショックを隠せないこと、また「気持ちで生きる人」がその態度を理解できないことで、結果的に、友人関係が壊れてしまうのではないだろうか。

 加えて、「気分で生きる人」は「今の気分」を優先するので、友達を失ったこともそれほど気にしない一方、「気持ちで生きる人」は「あんなに仲が良かったのに、なぜ」「自分が悪かったのではないか」「友情とはなんだろう」と考え込み、自分を責める傾向があると思う。そうすると、一度壊れた友人関係の修復は困難になってしまうだろう。

 吉住は『上田と女が吠える夜』で、「『うちら』っていう団体意識の強い人」に関して、「25歳とか超えて~」と年齢に言及していた。「気分で生きる人」も「気持ちで生きる人」も、学生時代は概ね、同じような進学ルートを辿る。しかし、社会に出ると、生き方は千差万別である。新卒として入社した会社にずっといる人もいれば、転職する人もいる。結婚する人もいれば、しない人もいる。結婚したいのになかなかうまくいかない人もいれば、結婚願望がそれほどあったわけでもないのに結婚した人もいるだろう。

 社会に出た25歳以降は、「どんな人生を歩むか」を自分で決めなくてはいけない時期に差し掛かり、思い通りにいかないことが増えてくると、本来の気質の違いが際立ってくるのではないか。

 同番組で、「1人が好き」「極度の人見知り」と明かした吉住だが、学生時代は美容院に友達がついて来てくれたり(人見知りの吉住に代わって、友人が美容師さんとやりとりしてくれるそうだ)、仕事で大御所タレント・明石家さんまに会う時は、友人が励ましてくれるなど、心を許した人とはかなり親密な関係性を築いていることがわかる。「気分で生きる人」「気持ちで生きる人」のどちらかに当てはまるとしたら、「気持ちで生きる人」と言えるだろう。

 彼女が独特の世界観を確立することができたのは、自分だけでなく、相手の気持ちを重視するという気質が、優れた観察眼を養い、それが芸に生かされたからなのではないか。

 しかし、こういう人は、先述のように友人関係が壊れた際に自分を責めるなどして、精神的に疲れやすい傾向もある。たとえそんな事態に直面しても「気質が違っただけ」と捉え、しかし一方で、人間関係を大事にしながら、ますますご活躍いただきたいものだ。

花田優一のビッグマウスに見る「焦り」と「さみしさ」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「そこは未定ですね」花田優一
ニュースサイト「NEWSポストセブン」6月21日配信記事より

 あなたの周りに「大言壮語な人」はいないだろうか? 具体的に言うと、自分に都合のいい方向に話を盛ってしまったり、できそうもないことを「絶対できる、やってみせるよ」と断言してしまう人のことを指す。友人同士の関係では、さほど問題にはならない(ただし、あまりやると信用をなくすので注意が必要だ)が、ビジネスの世界でこれをやってしまうと、「できると言ったのに、できないじゃないか」と仕事相手の信頼を損ね、自分の評価を落としてしまうことになりかねない。

 そのため、「大言壮語な人」は、なぜ、わざわざ自分の立場を悪くするようなことを言うのか疑問に感じていたが、そういう人は、一種の“さみしさ”を持っているのかもしれない。花田優一を見て、そう思った。

 平成の大横綱・貴乃花(現・花田光司氏)の長男・優一が6月21日、公式インスタグラムで、靴職人としての活動を一時休止すると発表した。それでは、次に何をするのか。同日に配信されたニュースサイト「NEWSポストセブン」のインタビュー記事で、優一は、

「僕にとって靴作りは自分を表現する最大にして唯一の表現手段でしたが、最近はありがたいことに様々な仕事をいただいて挑戦することができています。9月で27歳になるのですが、30歳になるまでのあと何年かを準備期間として色々なことにチャレンジして自分の可能性をためしてみたいという気持ちが強くなったのも事実です」

と、今後について明言を避けている。しかし、続けて「なので来年以降の肩書きは『靴職人』でもあるし、ほかの何かになっているかもしれない。そこは未定ですね」と、肩書に囚われない「新しい自分」を見せる意気込みを明らかにしたのだ。

 具体的な肩書こそ不明だが、優一は同日、自身のブログで、今後の目標について「靴職人としての技術向上、精神的向上、より一層の邁進のため、靴作りの修行環境の変化」「本来自分が目指してきた理想郷を作り出すための、新ビジネスへの挑戦」「自分自身の表現の幅と深みへの、追求と研究」の3つを掲げている。優一は絵画や歌手、俳優としての活動も始めているだけに、つまりは、靴作りと新ビジネスと芸能活動を頑張りたいと言っているのだろう。

 「虻蜂取らず」とか「二兎追うものは、一兎も得ず」ということわざがある通り、日本では2つのものを一度に手に入れようとすると、失敗するとされている。優一の場合、3つを掲げているわけだから、大言壮語で荒唐無稽なまでに欲張っているように感じる人もいるだろうが、私には優一が「どうにかして、世間サマに認められたい」と焦っているように感じられ、切なくなってしまった。

 何者かになりたいと必死になっているように見える優一。若者が、自分の生きる道を模索し、時に苦しむことは、一種の通過儀礼だが、彼の場合、父親である平成の大横綱・貴乃花の存在が大きいのだろう。

 2021年2月4日配信のYouTubeチャンネル「街録チャンネル」に出演した優一は、「僕はまだ圧倒的に父の方が知名度も立場も上ですし」と、父親と自分を比較する発言をしていた。また、優一は、貴乃花に勘当されているというが、「勘当上等!」という感じではなく、ショックを受けているというか、さみしそうに見えた。私の主観でしかないが、挑戦的な物言いが目立つのは、優一のさみしさの裏返しのように思える。

 優一は靴職人を名乗りながら、テレビに出たり、音楽活動を行っている。「女性自身」(光文社)が19年1月に、依頼された靴の納期を守っていないことを報じたこともあり、靴作りに集中しない優一を批判する声もあるが、「街録」では、靴作りに専念しない理由について、「お客様に靴一足作ったら、お客様一人に対してしか、その靴の良さとかを伝え(られ)ないじゃないですか」「でも絵とか音楽とかって色んなところに、絵だったら飾ってある所をみんなが見たりとか、音楽だったらいろんな所でかかってる音楽を聞いたりとかあるけど」と明かしている。つまり、靴作りだけでは世間に注目されないから、「専念しない」と言っているのだ。

 20年に歌手デビューした優一は、『グッとラック』(TBS系)に出演した際に、「『NHK紅白歌合戦』に出場したいと言ったことは本気か?」という質問に対し、「歌手で一流の方でも出るのが難しいのであれば、ぼくはそこに出たいなと。もともと、歌が好きでこの職業をやらせてもらっている。(歌手に対し)最大級のリスペクトで、同じ舞台に立てるのであれば、立って見せよう」と大きく出た。しかし、優一もわかっている通り、『紅白』というのは簡単に出られる番組ではなく、今のところ、出場できていない。

 優一が靴を作ることや歌うことが好きなのは間違いないだろう。しかし、彼が本当に求めているのは、平成の大横綱であるお父さん以上に、世間から称賛されることなのではないか。そしてその根底には、父から認められていないというさみしさがあるように思うのだ。

 だからこそ、靴以外のジャンルに手を出し、トップを取ると大見得を切ってしまう。けれど、プロの世界は甘くないので、優一の願うような結果は、すぐには出ない。そうすると、次のジャンルに手を出す。その結果、世間からは「ビッグマウス」とか「何をやっても中途半端」「お父さんはすごかったのにね」と嫌なことを言われ、焦ってしまうという悪循環に陥っているように見える。

 父親と比べられてしまう、頑張っているのになかなか認めてもらえないというのは、有名人の子弟でなければわからない苦しみかもしれない。何かすごい人にならなければと“肩書”を求めて、花田は焦っているようだが、その根底にある“さみしさ”につけこんだ悪い人に、どうかだまされませんように。人生は長いんだから、ゆっくりやってくれと思わずにいられない。

『しゃべくり007』北斗晶は、“やりすぎ”な姑!? 長男プロポーズへの介入に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「母ちゃん優しいから、シャツとスカートだけは買っておいた」北斗晶
『しゃべくり007』(6月13日、日本テレビ系)

 プロレスラー・佐々木健介と北斗晶夫妻の長男・健之介さんが、プロレスラー・門倉凛と結婚した。6月13日放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)では、「結婚披露宴スペシャル」として、佐々木ファミリーが出演。結婚までの経緯を語った。

 健之助さんの結婚を明らかにしてから、北斗は自身のオフィシャルブログで、門倉を娘と呼び、ちょくちょく会って食事していることをつづっている。「是非うちの嫁を応援してやって下さい」とプロレスの試合日程やインスタのリンクを掲載するなど、門倉の“宣伝”にも熱心だ。

 プロレスは人気商売なので、門倉の知名度が上がれば、本人にとってプラスだろう。一方、北斗にとっても、門倉の名前が売れれば、嫁姑共演としてバラエテイ番組からお声がかかることもあるかもしれないので、彼女の芸能活動にもメリットがあるわけだ。門倉の宣伝に精を出す北斗からは、「ファミリーを盛り立てたい」という方針が見えるような気がするが、『しゃべくり』で披露されたエピソードからは、どうも“やりすぎ”な印象――健之介さんと門倉夫婦に介入しすぎな印象を受けてしまう。

 同番組では、映画監督志望の健之助さんがプロポーズのプランを練り、家族全員でそれに協力したことが明かされた。「自然の中みたいにした部屋の中でプロポーズしたい」という健之助さんの希望をかなえるために、北斗はその道具を「IKEAまで買いに行った」そうだ。『しゃべくり』レギュラー陣からは、健之助さんに対し「自分でやれよ」「なんで家族巻き込むの?」という声が上がっていた。

 家族で準備をし、いよいよ自宅でのプロポーズ決行の日が決まる。健之助さんはプロポーズの一部始終を、隠しておいたカメラで撮影することにしたそうだが、北斗は映像に残すにあたり、門倉が服装にこだわりがなく、いつもジャージを着ていることを思い出し、「そんな汚い格好でプロポーズされたらかわいそう」と、事前に「その後食事に行くから、少しマシな服を着ておいでよ」と、門倉に伝えたという。

 門倉は、プロレスラーの大先輩にあたる北斗の言うことを素直に聞いて、いつもよりちゃんとした格好をしてきたが、それは北斗いわく「カネのない大学生みたいな格好」。しかし北斗は元から「この子はおしゃれな服を持っていないだろうな」と予想しており、そんなこともあろうかと「母ちゃん優しいから、(門倉の)シャツとスカートだけは買っておいた」そうだ。

 こういう気配りを「優しい」と感じる人もいるのだろうが、ちょっと北斗が“やりすぎ”ではないだろうか。「そんな汚い格好でプロポーズされたらかわいそう」と北斗は言うが、門倉はファッションにこだわりがないのだから、「こんな格好でプロポーズされたら嫌だ」という気持ちにならないかもしれない。それに、どんな素敵な服でも「お姑さんの買ってきた服を着てプロポーズされたこと」を喜ばない女性だっているだろう。門倉にもっといい服を着てきてほしいと思うなら、健之助さんが直接、門倉に言えばいい話。健之助さんが北斗の気配りに甘えすぎというか、北斗が“やりすぎ”という印象を受けた。

 北斗が健之助さんと門倉に介入しやすいのは、やはり門倉が“後輩”だからではないだろうか。健之助さんは門倉と交際を始めるにあたり、門倉が所属する団体「Marvelous」のトップ・長与千種の許可を得ている。それだけ、プロレスの世界は縦社会で、先輩の言うことは“絶対”なのだろう。

 北斗のブログを見ると、門倉と頻繁に会っている様子がうかがい知れる。自分と同じ職業ということもあって、話しやすいだろうし、礼儀もしっかりしているから、北斗は楽しいかもしれないが、門倉にとっては、誘いを断りづらい、粗相の許されない大先輩であることも忘れてはならない。

 6月6日のブログでは、門倉と会ったものの、彼女の仕事が立て込んでいるということで30分しか時間がなく、すごい勢いで小籠包と数々の中華料理を食べていたと書かれている。そんなに時間がないのなら、また別の機会にゆっくり落ち着いて会えばいいのではないか。門倉のほうから「今度にしてください」とは言いにくいのだから、北斗に気遣いが求められるように思う。佐々木ファミリーを盛り上げたい、門倉と良好な関係を築きたいと思うのであれば、より一層気をつけるべきだろう。

 かつて北斗は、夫を罵倒する“鬼嫁”キャラで売っていたが、言葉こそ荒いものの、実は夫を思いやっている愛情深い姿がウケていたと思う。今後は、若夫婦に対して言いたいことを言うが、決して過干渉にならず、仲も良い――そんな新しい姑像を見せてほしいものだ。