AKB48・峯岸みなみ、「呼べば来る女」「当日の女」の貶めに違和感――彼女が本当に注意すべきこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「人が集まる場所に行っちゃったりするのは、脇が甘い」AKB48・峯岸みなみ
『有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議』(TBS系、1月13日)

 2019年11月11日、ニュースサイト「デイリー週刊」が「KAZMAXが合成麻薬の使用容疑で逮捕、『峯岸みなみ』との親密写真流失で波紋」と報じた。

 記事には、タイトルの通り、合成麻薬の使用容疑で逮捕された投資家のKAZMAXとAKB48の峯岸みなみが顔を密着させている写真が掲載されている。もともと峯岸は別の投資家と親しくしていて、その人を通じてKAZMAXと知り合ったそうだ。KAZMAXの知人いわく、「我々の間では、峯岸は“呼べば来る女”として有名」とのこと。続けて「仮想通貨トレーダーや若手起業家などの飲み会にしょっちゅう来ていて、若くて羽振りがいいメンツだとすぐに顔を出す。同席者の金の出所は気にならないようですね。元々合コン好き、飲み会好きですから、その場のノリで密着して写真を撮ることにも抵抗がないのでしょう」と語っている。

 警察のお世話になるような人と密着して写真を撮り、それが週刊誌の手に渡ってしまうという意味では、マズい出来事だったのかもしれない。しかし、峯岸は法律違反をしたわけではない。にもかかわらず、この記事を読むと、麻薬を使用した容疑がかけられている男性よりも、峯岸の方がはるかに悪く書かれていないだろうか。KAZMAXの知人の証言をまとめると、峯岸は飲み会とカネのある男が好き、ノリで密着写真を撮ることに抵抗のない軽い女だとされており、彼女を貶めているように思えてならない。峯岸は独身なわけだし、カネのある男や飲み会が好きだとしても、それは個人の趣味の問題だから責められる必要はない。峯岸、とんだもらい事故だと言えるのではないだろうか。

 “呼べば来る女”というのも、理屈の通らない表現のように感じる。飲み会には呼ばれなければ参加できないし、呼ぶ方も来てほしいから誘うわけだ。“呼べば来る女”という言い方は、「あいつは来るに決まっている」というように、峯岸を物欲しげな女として下に見ているように、私には感じられる。

 軽い女呼ばわりされて、峯岸は気の毒としか言いようがないが、その峯岸が昨年12月、20年4月でのAKB48卒業を発表した。今年は勝負の年になるだけに、峯岸は1月13日放送の『有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議』(TBS系)に出演し、スキャンダルが続き、世間のイメージが悪いことをどう挽回したらいいのか、相談にやって来た。

 同番組出演者の杉村太蔵氏は「本当にイメージが悪い」「(峯岸に誘われて飲みに行ったら)絶対、反社(会的勢力)がいるイメージ」とし、「誘われるとき、絶対当日でしょ?」と逆に峯岸に質問した。「そうですね」と認めた峯岸に対し、「当日の女なんだよ」「当日の女からの脱却を提案したい」と畳みかけた。

 当日に誘われて飲みに行く“当日の女”が、なぜ脱却すべきネガティブな存在なのか。若い読者の方にはピンと来ない可能性があるので説明しよう。現在では、SNSがあれば、仕事中であっても連絡が取り合えるので、2人のタイミングが合いさえすれば、すぐに待ち合わせることはできるだろう。しかし、太蔵氏や私のようにSNSのない時代に20代を過ごした人間は「会いたければ、きちんとあらかじめ約束をする」しか方法がなく、翻って「あらかじめ約束することが、本気の証拠」と考える人もいるのだ。この理論で考えると、“当日の女”というのは、遊びの存在であることを意味するので、「当日の女なんだよ」発言は、「遊びの女なんだよ」という意味である。だからこそ「当日の女からの脱却を提案したい」と太蔵氏は言ったのではないだろうか。少なくとも「新潮」の“呼べば来る女”という記述や“当日の女”という表現が、峯岸を褒めていないことだけは確かである。

 峯岸は、反社とのつながりがまったくないことを主張した上で、「人が集まる場所に行っちゃったりするのは、脇が甘い」と自らの行為を反省し、禁酒を宣言した。しかし、私に言わせるのなら、飲酒や人の集まる場所に行くことが罪なのではない。自分を下に見る人のところに、のこのこ出かけて行くと、トラブルに巻き込まれる率が高くなるということではないだろうか。

 AKB48を卒業すると、誰もがそれなりに苦労を経験するだろう。しなくていい苦労を背負い込まないように、峯岸もオトコには気を付けて頑張ってほしい。

博多大吉、赤江アナと「食事に行けない」発言が「肉体関係なし」でもイメージダウンになるワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「あれ以来、(赤江アナと)一回も食事に行けないし」博多大吉
『おかべろ』(関西テレビ、1月4日)

 芸能人は、不倫がバレるとイメージダウン必至だが、それでは「不倫」とは何だろうか。

 法的に考えるのなら、不倫とは配偶者以外との肉体関係を指す。夫(もしくは妻)が配偶者以外とセックスをした場合、民法の定める貞操権が侵害されたとして、妻(もしくは夫)は不倫相手に慰謝料を請求することもできる。ということは、カラダの関係がなければ不倫とは言えないことになる。

 1月4日放送の『おかべろ』(関西テレビ)に出演した博多大吉が、2019年4月に「フライデー」(講談社)に報じられた赤江珠緒アナウンサーとの不倫疑惑を振り返ったのも、肉体関係がなく、うしろめたいことがないからだろう。大吉は「あれ以来、(赤江アナと)一回も食事に行けないし」とボヤいてみせたが、たとえ不倫でなくても、大吉のイメージダウンになるのではないだろうか。

 同誌が報じた2人の“不倫デート”を振り返ってみよう。大吉と赤江アナはTBSラジオ『たまむすび』で共演中だが、『あさイチ』(NHK)の出演を終えた大吉と、週に一度のオフ日である赤江アナが、高級イタリアンで2時間かけてランチをし、近所の公園に移動して、なぜか芝生の上に寝っ転がったというもの。2人はこの日だけでなく、夜の西麻布に食事に出かけているところも、目撃されているそうだ。

 記事から2人が頻繁に会っていることがわかるが、肉体関係を感じさせるような記述はない。あの記事を見て、2人が不倫関係だと思う人はほとんどいないのではないだろうか。

 しかし、不倫とは違う“イヤらしさ”を感じた女性もいると思われる。

 赤江アナは『たまむすび』で、大吉と会っていた理由を、「仕事上の相談」だと説明していた。共演していたピエール瀧が、麻薬取締法違反で逮捕されたことで、「もう番組をやる気力がない。こんな大事件が起こったから、終わらす方向でやる」「(私は)出産終わって戻って育児をしながら、ちゃんと仕事をこなしているのか」などの悩みを抱えており、それを大吉に打ち明けていたのだという。

 降板を考えているのなら制作側に、育児に不安を抱えているのなら夫や実母など近しい人に相談した方が、問題は解決しやすいと思われるが、それはさておき、大吉に相談に乗ってもらうために、赤江アナは17年に出産した幼子を当時育児休暇中の夫に任せ、外出している。一方の大吉も売れっ子であるのに、忙しい時間を割いて赤江アナに会っている。それで真面目に「仕事の相談」をしていると思いきや、なぜか2人は芝生で添い寝しているわけだ。

 自分の恋人や夫がほかの女性と会うことを内心面白くないと思っても、「仕事の相談だ」と言われれば、「会うな」と言いにくいものだろう。特に専業主婦の場合、男性は仕事、女性は家事育児という役割分担をしていることが多いだろうから、仕事に口を出したり、仕事の邪魔になるようなことはしてはいけないと自制する人も多いと思われる。そういう我慢をしたことがある女性にとって、今回の大吉の行為……仕事にかこつけてほかの女性と頻繁に会い、芝生で寝っ転がっていたことは、肉体関係がないとしても、一種の裏切りのように感じられるのではないだろうか?

 大吉は現在『あさイチ』(NHK)のMCを務めているが、放送時間帯から考えて、専業主婦も多く視聴していると考えていいだろう。となると、専業主婦層の気持ちをつかむことは、大事なお仕事だと言える。大吉は「あれ以来、(赤江アナと)一回も食事に行けないし」とボヤいていたが、「お仕事として」口にすべきは、妻の気持ち、もしくは妻への謝罪ではないだろうか。「妻につらい思いをさせて申し訳ない」もしくは「妻に叱られた」など、妻について言及しなければ、大吉は「妻を傷つけて、平気な顔をしている人」とみなされてイメージダウンする可能性がある。また、妻へのエクスキューズなく、今回のように「赤江アナと食事に行けなくなった」と大吉が言えば、なぜそんなに赤江アナと食事に行きたいのかと、不倫疑惑が再燃するかもしれない。

 個人的には、大吉が赤江アナと食事に行くこと自体は問題がないと思う。既婚者であっても、仕事仲間と食事に行くことはおかしいことではない。マスコミが怖いというのなら、潔白の証明として、食事の模様をSNSにアップしたらどうか。『たまむすび』公式インスタグラムを見ると、19年12月31日、「ミニミニ忘年会」と称して、赤江アナが玉袋筋太郎と酒を酌み交わしたり、地面にあおむけで寝そべった瀧の上に、同じくあおむけの体勢で乗っかる画像がアップされている。ここに大吉との食事画像が加わっても、何ら違和感はないだろう。

 誰かと食事をしたくらいで、不倫を疑われる芸能人のみなさんはお気の毒と言うしかないが、その一方で、不倫は「謝罪力」が試される場でもあると言えるのではないだろうか。夫の不倫疑惑が写真週刊誌に掲載されて、うれしい妻はいないはず。実際に不倫をしていないから、妻には謝らなくていいという問題ではない。土下座して謝るという本気の謝罪ではなく、相手に嫌な思いをさせたことを即座に謝れるかは、司会者としても必要な能力ではないか。腰の低さや物腰の柔らかさに定評のある大吉だが、「妻に謝った話」をできるがどうかは、司会者としての大吉の今後の“課題”なのかもしれない。

田中みな実と弘中綾香……「女子アナという肩書」を踏み台にする、新時代のオンナたち

オンナの花形職業として羨望を集める存在ゆえか、何かと穿った見方をされがちな女子アナ。そんな彼女たちをウォッチし続けるライター・仁科友里が、2019年の女子アナトピックに考察を繰り広げます。

 オリコンが主催する年末恒例行事「好きな女性アナウンサーランキング」。2019年度版にランクインした女子アナは、前年と多少顔ぶれが変わっていたが、これを見て思い出したのが、とある元ミス日本の言葉である。

 数年前、『マジか!その後の人生~あの栄光を掴んだ21人!今を大追跡SP~』(テレビ東京系)を見ていた際、ミス日本受賞後にミュージカル女優になった女性が登場し、ミス日本という肩書について「便利」というような意味の発言をしていた。履歴書に「ミス日本」と書くと、オーディションの際に審査員が必ず興味を持ってくれるから、助かるのだという。

 ということは、ミス日本になるのは最終目標ではなく、一種のアピールポイントを獲得することなのだろう。「好きな女性アナウンサーランキング」を見ていると、女子アナの世界でも「女子アナという肩書を足掛かりに」好きなことに近づくというパターンが増えてきているのではないかと感じる。

 例えば、同ランキングで2位に輝いた田中みな実アナ。元TBSアナウンサーだが、現在はアナウンサーというより、美のカリスマとして女性誌に欠かせない存在となり、女優業にも進出している。セクシーショットも含まれている初の写真集『Sincerely yours...』(宝島社)は、発売前から10万部の重版が決定するなど絶好調。もはやアナウンサーというより、人気女優といった風格だ。

 もともと彼女はアナウンサーより、こういう芸能人の方が向いているように私には感じられる。TBSで顔と名前を売り、フリーとなった後は、バラエティーで“病みキャラ”“あざといキャラ”として自身の存在を世間に浸透させ、そして、満を持しての写真集や女優デビュー。ホップ・ステップ・ジャンプという三段跳びがあるが、キー局の女子アナ・フリーアナ・女優といった具合に、まず「キー局の女子アナ」という肩書をバネに、「本当に好きな分野」に進出するのは、今後当たり前のことになるのかもしれない。

 テレビ朝日の女子アナとして初のランキング1位を獲得するという快挙を成し遂げた、弘中綾香アナウンサー。「かわいい顔をして毒舌」が好評で、2019年4月には、『激レアさんを連れてきた。』で共演中のオードリー・若林正恭が出演する他局のラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に出演するなど、異例の待遇をテレビ朝日から受けており、どれだけ期待されているかがわかろうというもの。同8月には、とうとう『オールナイトニッポン0(ZERO)』(同)で一人パーソナリティーにも挑戦した弘中アナだが、田中アナ同様、「キー局の女子アナ」という肩書を踏み台にしているように見える。しかし彼女は、この放送で、その毒舌は芸人がいてこそ光ること、さらにステップアップにはまだまだ早いことを露呈させてしまったのではないか。

 同番組の水曜日パーソナリティーを務めているのは、『ゴッドタン』(テレビ東京系)などの人気番組を手がけたテレビ東京・プロデューサーの佐久間宣行氏。その佐久間氏に対し、弘中アナは「テレビ東京のすごいプロデューサーなのか知らないですけど、はっきり言ってただのオジサンですよね」と発言したのだ。ラジオで、ほかのパーソナリティーを公然と貶める“サービス毒舌”はつきものだが、今のご時世、こういうセクハラと疑われるような、紛らわしい毒舌は避けた方が賢明ではないだろうか(余談だが、「子どもができたら、(ママとかお母さんではなく)綾ちゃんと呼ばれたい」という発言もしており、「そうですか」としか言いようがなかった)。以前から「夢は革命家」と公言している弘中アナ。快進撃は当分続きそうだが、弘中アナが革命を起こすには、もう少し修行が必要なのかもしれない。

 なお、ランキングには入っていなかったが、今後注目度が上がりそうなのが、フジテレビ・久代萌美アナ。彼女もまた、「キー局の女子アナ」をバネにできるような素質を持っていると感じた。『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、社会学者の古市憲寿に「パーティーが好きらしい」と指摘されていたが(別にパーティーに行くのは本人の自由だと思うが)、「週刊文春」(文藝春秋)にキャッチされた彼女の交際相手は6歳年下の人気ユーチューバー。YouTubeの歴史が浅いゆえに、将来性は未知数だが、大化けして富豪になる可能性もないとは言えない。交際がダメになったら、「ダメ恋愛」としてバラエティーで話せばいいし、交際相手が成功したり、結婚すれば美談になる。どっちに転んでも、従来の女子アナらしからぬ仕事を得られそうと言えるだろう。

一方で、技術を磨く女子アナも高支持

 弘中アナや田中アナなど、「スタジオで原稿を読む」という従来の女子アナの定義でくくれない人がランキング上位にあらわれる一方で、フリーの有働由美子アナ、テレビ朝日・大下容子アナ、テレビ東京・大江麻里子アナなど、しっかりしたアナウンス技術を持って、ニュースを伝えるベテラン勢も高い評価を得ている。

 その昔、女子アナ30歳定年説という言葉を聞いたことがあったが(文字通り、女子アナは30歳になると仕事がなくなるという意味である)、アナウンサーという職に徹して技術を磨きベテランになっても信頼を得るか、アナウンサーという肩書を武器として若くして別の世界に飛び立つかすれば、その説は打破できるのではないか。今後の女子アナ界は二極化していくのかもしれない。

小島慶子、夫への言動は“モラハラっぽい”!? 「私のお金」発言に感じた“彼女の本音”

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<今回の有名人>
「今のように私のお金はあてにできなくなるから」小島慶子
ウェブサイト「OTEKOMACHI」インタビュー(12月24日)

 人の本音は言葉に表れると信じている人は多いのではないだろうか。もちろん、それに異論はないが「言葉なら、いくらでも繕える」という部分もある。偽らないその人の本音が表れるもの、それはカネに対する態度もしくは行動ではないだろうか。

 例えば、眞子さまとの婚約を延期中の小室圭氏。2017年12月26日号の「週刊女性」(主婦と生活社)が、小室氏の母親と元婚約者X氏との間に400万円の金銭トラブルが起きていることをすっぱ抜いた。これがきっかけで、国民の間に「眞子さまは小室家に嫁いで大丈夫か」という議論が起こり、因果関係は不明だが、宮内庁が18年にご婚約・ご結婚の延期を発表した。「女性自身」(光文社)の取材に答えた国際弁護士・清原博氏によると「X氏には借用書もないそうですし、裁判で勝てるなんの保証もありません。話し合いでの解決を模索するほかないでしょう。小室さん側が400万円はあくまで贈与だと主張し続けるならば学費や生活費を支援してもらったことへの謝礼という意味合いで誠意を示してもらうしかありません。返済ではなく、和解金や解決金という名目であれば、400万円の一部を小室さん側に支払うのが現実的な解決法だと思います」という。

 となると、小室氏側はX氏と話し合って、ある程度のお金を“お支払い”すればいいわけだが、そのような動きの気配はない。19年12月5日号の「女性自身」では、小室氏の代理人を務める弁護士が、眞子さまと小室氏について「普通にお付き合いされている男女と同じぐらいの頻度では、連絡を取り合っているようです」とコメントしている。小室氏の行動から推測するに、彼は「眞子さまと結婚する意志は変わらないが、金銭トラブルを解決する(カネを払う)気はない」と見ることができるだろう。そこからは、小室氏のなんとも自分本位な本音を窺い知ることができる。

◎小島慶子の言う「エア離婚」は、男女平等に反する?

 言葉だけでなく、カネに対する態度で、その人の本音を分析できるのではないか――元TBSアナウンサー・小島慶子が、読売新聞の運営するウェブサイト「OTEKOMACHI」で明かした「エア離婚」を知った際も、私はそう思った。「エア離婚」とは、子育てが終わったら離婚することを前提とした夫婦が、同居生活を送ることを指すのだという。

 インタビューによると、小島が長男を出産し、産後クライシスに陥ったとき、夫は「人道的にありえないこと」をした(ありえないことが何を指すのかは、明かしていない)という。しかし、小さな子どもを育てなければなかったので、小島は必死でそのことを忘れようとした。6年前、夫が仕事を辞めたことを機に、小島家はオーストラリアのパースに移住。夫は専業主夫となり、小島は東京にやってきて仕事をするというスタイルを取ることにしたそうだ。

 そんな小島だが、次第にお子さんの子育てにも手がかからなくなり、一家の大黒柱として働くようになったことで「お前、だいたい、あんなことしやがって」と夫への怒りが噴出し、関係をあらためて考えるようになったという。そこで、「子育てが終わった時点で離婚したいと思っていることを理解してほしい」と夫に訴え続け、夫も納得してくれたそうだ。なお、現在のところ、法的な手続きはしていないので、家族の形に変わりはないとのこと。

 出産後の夫の仕打ちで、離婚を考えるという話はよく聞くし、「許せない」という感情は理屈ではないから、許す必要もない。エア離婚も法的な離婚もありだろう。しかし、ちょっと疑問に思うのだが、このエア離婚、そこに発生するカネの話を踏まえると、小島が常日頃掲げる「男女平等」には反しないのだろうか?

◎小島慶子のモラハラっぽさとは?

 『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)が、小島のオーストラリア生活に密着したことがあった。その際、小島の長男が「『行ってみたらどうかな』という提案の時点で、ママがものすごく気合が入っているのがわかったから、多分行くんだろうなと思った」と、移住が小島主導であると明かしていた。お子さんたちは、オーストラリアの生活に適応できて学生生活を楽しんでいるようだが、小島の夫は、そうでもないらしい。オーストラリアにやって来た当初、英語が苦手なので、学校の先生からのメールの意味がわからず、面談をしても先生の言っていることがわからない。毎日不安で「今でもずっと落ち込んでいる」とも話していた。それに対し、小島は自分一人で家族を養わなくてはいけないプレッシャーと孤独を感じていたとし、「『何で仕事辞めたの!?』とか、『本当にあなたが仕事を辞めたから、怖くてしょうがないんだけど』とか言っちゃったんだよね」と語っていたのだ。

 公務員や国家資格保持者のように食いっぱぐれのない職業ならともかく、女性一人で家族を養っていくのは、ものすごいプレッシャーだろうと想像がつく。しかし、その一方で素朴な疑問がわく。夫に働いてほしいのなら、オーストラリアに行かない方がよかったのではないか? 確率で考えるのなら、日本にいた方が仕事は見つけやすいと思うのだ。

 さらに言うと、小島家のオーストラリア生活の要は、夫が専業主夫で子どもの面倒を見ることではないだろうか。海外だと学校の仕組みも違うし、言葉も生活習慣も異なる国にやって来た子どもの精神的なケアも欠かせない。信頼している人が子どもを見てくれているという安心感があればこそ、小島も日本で仕事ができるのではないだろうか。夫が日本で再就職する可能性を摘んで、オーストラリアにやって来たわけだから、夫を責めるのはお門違いではないかと感じる。

 「OTEKOMACHI」のインタビューで、小島は夫に「数年後、実際に離婚することになったら、今のように私のお金はあてにできなくなるから、自立の手段を考えておいてください」と言ったと話していたが、民法的にはアリでも、「私のお金」という言い方もどうだろうと思ってしまう。男女を逆にして考えてみると顕著になるが、男性が専業主婦の女性に対して、給料を「オレのカネ」と言ったら、モラハラっぽくないだろうか。小島はウェブサイト「日経DUAL」のエッセイで「地位や収入に関係なく『平等』があるって知らないなら、それって暴力じゃないか?」と書いているそばから、収入はない(ただし、家事や育児を担っている)夫を下に見て、平等に扱っていないように感じられる発言をしているのである。

 離婚に備えて、夫に自活の道を探せと言うのは、「準備期間は長いに越したことがないのだから、親切心によるものだ」と思う人もいるかもしれない。しかし、異国の地で英語が得意でもない、そう若いとも言えない人が仕事を探すのは相当な苦労が予想される。かといって、子どもがいるから日本に帰って、職探しもできない。そうなると夫は、「離婚されないため」に、小島の顔色を窺って過ごすしかなくなるのではないか。考えれば考えるほど、小島の行為はモラハラっぽく感じられる。男女平等実現のために、女性の人権が軽視されている現状を訴えてきた小島だが、夫へのこの仕打ちから考えると、女性の人権を考えているというより、自分が被害者意識を持ちやすく、自分を傷つけた人には復讐しなければ気が済まない人に見えて仕方ない。

◎小島慶子は永遠の乙女ではないか

 昨年、小島は『幸せな結婚』(新潮社)を上梓し、ニュースサイト「ハフポスト」の取材を受けている。その中で、小島は夫が仕事を辞め、収入が少なくなった時に「自分の中にあったすごく保守的な男性観が、正体を現したんです」と話している。具体的に言うと、「夫がちょっと高い髭剃りとか買おうものなら『買ってあげる』と言ったり」「結局、(自分の中に)働かない男性を見下す気持ちがあったんですね。思っていたような、進歩的な女じゃなかったんだなと、ショックでした」と語っているのだ。

 そうか、今頃気づいちゃったのかというのが、私の感想だ。進歩的な女は、女子アナにはなろうとしないし、なれないというのが私の意見だ。幅広い層が視聴するテレビでは、多くの人に好かれる必要がある。よってテレビ局が、育ちと見た目と頭がよく、口ではどうこう言っても、根がすれていない保守的なお嬢さんであることを女子アナに求めるのは当然のことだし、恵まれている自覚と実績がなければ、女子学生も女子アナ試験を受けないだろう。経済力のある男に媚びるのが嫌だから、高収入である女子アナになったと、小島は各インタビューで話している。高収入オトコに威張られるもの嫌だけど、無職のオトコを養うのも嫌。本当の自分はこんなんじゃない。いつも理想を探してさまよう小島は、私には永遠の乙女のように見えてならない。
(仁科友里)

安住紳一郎も苦言……「好きなアナウンサーランキング」は、なぜ女子アナの首を絞めるのか?

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「アナウンサーは人気じゃないってことをね、何度も言ってるんで」安住紳一郎
『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ、12月15日)

 以前に比べ、アナウンサーたちは、テレビの“数字至上主義”によって、窮地に追い詰められているのではないか。最近、私はそんなことを感じているのだが、その理由を掘り下げるため、より危機に瀕しているように見える “女子アナ”に焦点を絞って考えてみたい。

「シロウトが女子アナに」がウケる時代は終わった

 1990年前後、女性は前に出ない方がいいという時代の影響か、女子アナたちが「自分はごくフツウの人間だ」「たまたま受かってしまった」とアピールしていた。例えば、元フジテレビアナウンサー・中村江里子。『女四世代、ひとつ屋根の下』(講談社文庫)で、フジテレビ受験の顛末を語ったことがある。どんな仕事に就いたらいいのかわからなかった中村は、就活をまったくしていなかったが、知人の勧めでテレビ局を受験することに。履歴書に貼る写真も用意していなかったので、スナップ写真。しかも、ノーメイクで受験をしたのに内定を得る。中村の先輩にあたる河野景子も、フジテレビは記念受験であり、ほかのテレビ局は一切受験していないと『バイキング・ザ・ゴールデン』(フジテレビ系)で明かしている。

 超難関試験である女子アナ試験に「フツウの女子大生」がこんな簡単に受かってしまうなんて、「夢がある」話ではないだろうか。しかし、事情をよく聞くと話は変わってくる。フジテレビの女子アナはお嬢さまが多いことで知られているが、中村の実家も銀座の老舗楽器店であり、お嬢さま育ちである。一方の河野は、お嬢さまだったという話は聞いたことがないものの、上智大学のミスコン「ミス・ソフィア」の覇者であり、「週刊朝日」(朝日新聞出版)、「CanCam」(小学館)の表紙モデルにも選ばれている。就活こそ精力的に行わなかったかもしれないし、テレビ局をたくさん受けたわけではないが、2人とも「フツウの女子大生」ではないのだ。

 元フジテレビアナウンサーで言うと、このほかにも、有賀さつきさんは、高校時代から芸能事務所に所属していたそうだし、佐藤里佳アナは運輸省「海の記念日」のキャンペーンガールをやっていたなど、学生時代から芸能活動をかじっていた人もいる。しかし、それは名前と人気が定着した頃に明かされる事実。なぜ隠すのか……その理由については不明だが、恐らく、当時の女子アナはシロウトっぽさが人気であったことから、「私たちは会社員である」というスタンスを押し出したかったのではないだろうか。

 しかし、シロウトが女子アナになって有名人になる、という図式はだんだんと崩れ始める。『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)で最前列の中央に座っていた小林麻耶が、2003年にTBS入社。このほかにも、元アイドルの平井理央が05年フジテレビに、最近だと元乃木坂46・市來玲奈が昨年、日本テレビに入社している。

 すでにテレビに出ていたり、芸能活動をして、ある程度の知名度を持つタレントたちが女子アナの内定を得た理由は、放送局側の都合だろう。放送局は看板になる人気女子アナがほしい。しかし、そういう人材を一から育てるのは手間がかかる。アナウンサーを育てるより、タレントをアナウンサーにする方がラクだと考えるようになったのかもしれない。この手っ取り早く人気女子アナがほしいというテレビ界の風潮は、当事者である女子アナに、大きなプレッシャーを与えかねないのではないか。

 さらに、テレビをはじめとする数字至上主義の世界の人たちは、「この人を使えば、数字が見込める」という“裏付け”を欲するものである。その資料として一番使いやすいのが、ランキングではないだろうか。アナウンサーに関しては、オリコンや「週刊文春」(文藝春秋)が「好きなアナウンサーランキング」を毎年開催しており、これがまた女子アナたちを苦しめているように感じる。

 アナウンサーの立場からすれば、ランキングに名前が出ると、仕事に起用される率が高くなる。となると、名前を憶えてもらうためにも、テレビに出たときは、とにかくインパクトを得たいと思うようになるのではないだろうか。そのせいか、ある時期を境に、特に女子アナたちがタレントと同じようにキャラを立てる傾向が出てきた。そういう時代だから仕方ない部分もあるだろうが、これで名前が売れることはあっても、アナウンサーという技能の面でプラスになるのかは疑問である。

 テレビだと気づかないが、女子アナの原稿読みや発言を、ラジオや音声だけで(テレビ画面を見ずに)聞いていると、その技術力がわかる。はっきり言うと、ランキング上位の女子アナでも聞いていられない人はいる。ランキングに投票する人たちは、容姿やキャラを重要視するので、原稿読みのうまさを求めているわけではないと言われればそれまでだが、若いうちにアナウンサーとしての能力を高めないで、目立つキャラ作りばかりやっていると、いざアナウンサーとして大きな仕事を任された時に困るのは、本人ではないか。また、しっかり原稿が読めない女子アナが増えることで、タレントでも十分ではないかという“アナウンサー不要論”が出てこないとも限らない。これも彼女たちの首を絞めることになるだろう。

 と思っていたところ、TBS・安住紳一郎アナウンサーが、ラジオ『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ)で、「アナウンサーは人気じゃないってことを何度も言っているので、そろそろ、こういう(好きなアナウンサー)ランキングは、やめにしていただきたい」と話し、その理由を「人気を気にすると、言えない一言が出てくる」「嫌われると思っても、言わなくてはいけない一言がある」と説明した。人気ランキングがあるがために、アナウンサーとしての本分を全うできなくなっていると現役アナが直々に異を唱えるというのは、異例のことだろう。

 人気の局アナはフリーになるという定説がある中、安住アナは「好きな男性アナウンサー」5連覇を果たし、殿堂入りしてもなお、局アナを貫いている。その姿勢を評価されたのか、「週刊新潮」(新潮社)によると、今年の夏に局次長とかなりの出世を遂げたそうだ。ランキングの悪影響に関しては、力のある人が言ってくれなければ、誰も聞く耳を持たない。安住アナでなければできない発言と言えるだろう。

 でも、残念ながら来年も再来年もランキングはなくならないと思う。放送局にスポンサーがいて、視聴率を取ることが仕事としている以上、こういう“証拠”に似たものがないと企画が通せないという考え方にも一理あるからだ。せめて、女子アナのみなさんが、ランキングのためにキャラを作りすぎて、自身の女子アナ生命を短くしないことを祈るばかりだ。

前澤友作氏と剛力彩芽の破局に見る、交際時の「あいさつ」を重要視しすぎてはいけないワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「オスカーに仁義切ったんでしょ?」坂上忍
『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系、12月5日)

 子どもの頃、「あいさつを大事にしましょう」と親にしつけられた経験のある人は多いのではないだろうか。家族間同士はもちろん、ご近所の大人に会ったときに「こんにちは」と言うと、「あら、いい子ね」と褒められたということも珍しくないのではないか。

 大人になっても、あいさつは人格を判断する基準の一つになる。何か事件を起こした被疑者について、近所の人にインタビューすると「よくあいさつしてくれる感じのいい人」とか、反対に「何のあいさつもなかった」というように、あいさつの有無が語られることがある。

 芸能界においても、あいさつは大切なようだ。今では聞かなくなったが、その昔、和田アキ子がいろいろなバラエティー番組で「誰それはあいさつがない」などと文句を言っていた。

反対に大御所が礼儀正しくあいさつすることも、話題になる。『高倉健、その愛。』(文藝春秋)によると、昭和の名優・高倉健さんは大スターとなってからも、駆け出しの新人や子役に対して「初めまして、高倉です」ときっちりあいさつすることで有名だったそうだ。

 このように「きっちりすべき」という概念が浸透しているあいさつだが、私は「重要視する必要のないあいさつ」「特に意味のないあいさつ」もあるのではないかと思っている。それは男女が交際を始めるとき、もしくは交際の最中に、親や周囲の関係者に行うあいさつである。

 例えば、上戸彩が現在の夫であるHIROと熱愛が発覚した際、「夕刊フジ」公式サイト「ZAKZAK」の記事には、このように書かれていた。

「交際は今年の夏ごろにスタート。『失恋で傷心の上戸を、上戸が芸能界に入る前から面倒を見てきたHIROが支えるうち、自然と交際に発展していったようだ』と関係者は明かす。上戸はHIROを母親に紹介し、HIROも周囲に交際を説明しているという」

 これはつまり、HIRO側から見れば、「上戸の親にあいさつした」ということになる。交際は2人の問題だが、親にあいさつをするというのは、その家族も意識しているからこその行為だけに、一般的に結婚をイメージする持つ人も多いはず。確かにこのカップルは実際に結婚したが、それでは相手の親や関係者へのあいさつが、意味のあることかというと、そうとは言い切れないのではないだろうか。

 あいさつが意味を持たない例として、今、一番わかりやすいのが、破局した実業家・前澤友作氏と女優・剛力彩芽のカップルだろう。2人の交際が発覚したとき、ケタ違いの富豪と年齢差のある若い女優であることに加え、前澤氏が高級ワインを持って、剛力の育ての親とも言える事務所に出向き、社長にあいさつしたことが話題になった。元カノ・紗栄子との交際中には、こうしたあいさつを行った形跡がないことから、剛力とは「それだけ真剣な交際」、つまり結婚を前提としているのではないかと捉える人もいたのだ。しかし2人は、破局に至った。

 その破局の理由を、前澤氏は12月5日に出演した『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)でこう明かした。宇宙に行きたい、新事業を立ち上げたい前澤氏は、剛力に“ついてきてくれること”を望んだが、一方の剛力は仕事に力を注ぎたいという考えだったようで、2人の方向性にズレが生じたのだという。

 別に宇宙に一緒に行かなくても交際は続けられると思うが、それはさておき、同番組の司会・坂上忍は、「オスカー(事務所)に仁義切ったんでしょ?」と尋ね、前澤氏は「ごあいさつ、行きましたよ、何度も」「若い頃から育ててくださった恩のある事務所だから」と答えている。

 「仁義を切る」という言葉は、今はあまり使われないが、これは主に任侠や渡世人の世界で用いられる言葉で、「あいさつという行為」そのもの、また「あいさつの形式」を指すものである。古い任侠映画を見ていると、中腰になり、左手を上に向け、「お控えなすって」という口上を述べるシーンを目にする。なぜこのようなスタイルを取るかというと、「敵意がないこと」を示すためだという説がある。江戸時代は、仁義を切る際、右手で刀を背後に隠し、左手を前に出していたといい、左手が前にあれば、鞘に手をかけられない、つまり刀が抜けないので、いきなり切りつけるようなことはしないと、相手に示すことができるのだ。坂上にとって、交際している女優の事務所にあいさつに行く、つまり仁義を切るというのは、それだけの緊張感もしくは責任感があることだと感じたのではないだろうか。あいさつを責任の行使と感じるタイプの男性であれば、交際中のあいさつには「意味がある」可能性は高い。

 しかし、前澤氏はどうも違うタイプのようだ。事務所に何度もあいさつに行った割に、あっさり別れている。「若い頃から育ててくださった恩のある事務所だから」と言うが、その割に事務所が悲しむようなこと、つまり、剛力のイメージダウンとなる行動(インスタグラムに豪遊する写真を投稿するといった金満アピールなど)にストップをかけることをしない。言行不一致というか、責任よりも感覚で動いているようにも見える。その感覚がうまく時代にフィットすれば大富豪になれるが、一歩間違うと「言ってることとやっていることが違う」「何をしたいのかわからない人」だと周囲は感じるのではないだろうか。

 2人の破局は、「交際時のあいさつは重要視しすぎてはいけないこと」以外に、前澤氏のウィークポイントをも浮き彫りにしたように思った。

 いずれにせよ、こういう時代の寵児と長期間交際し、安定した関係を築いていくのは難しそうである。剛力もさぞ大変だったであろうが、前澤氏がまた別の芸能人との熱愛で世間を騒がせるのは、そう遠くない気がしてならない。

藤森慎吾、「男は引く」発言の問題点――女性が「避妊具を買いに行こう」と提案するのは当然

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「男からしたら引いてしまいます」オリエンタルラジオ・藤森慎吾
『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(12月1日、テレビ朝日系)

 男性芸能人がわいせつ事件や暴行事件を起こしたとき、必ず「女性側に非がある」という意見が持ち上がる。

 例えば、2018年に当時TOKIOの山口達也が、女子高生に強制わいせつを働いた事件。番組で共演していた被害者の女子高生が、友人と共に山口のマンションを訪れたところ、無理やりキスされたという。この事件に対し、デヴィ夫人は自らのオフィシャルブログ内で、「厳しすぎ、騒ぎすぎでしょう! 山口達也氏のTOKIOの仲間の方達は、許されない行為と言っているけれど、本当にそうでしょうか。泥酔男性のKiss位で? この女の子達は山口達也氏の所だから行ったんでしょう」とつづっていた。

 デヴィ夫人のように、「女性側に非がある」と唱える人は、よく「男の部屋に自らの意志で行った」ということを主張する。つまり、男の部屋に自らの意志で行くというのは、性的合意がなされている、そういう女とのセックスは強姦ではない……そんなふうに考える人がいるということだろう。

 目をパチクリさせる若い人が多いと思われるが、今から20~30年前の性的合意とは、「密室空間に2人きりでいること」だったように思う。青年向け雑誌には、「女の子と密室で2人きりになれば、セックスオッケーの印」といったことが、平然と書かれていた。この理論で言うと、仕事中に会議室で打ち合わせをしたり、車に乗るなどして、2人きりになったら「強姦されても文句は言えない」ということになってしまう。しかし、当時は誰もそのあたりをつっこまなかった。

 性犯罪において「合意があったかどうか」は、裁判の大きなポイントになるが、その合意がどのようになされるかについて教わった経験がある人は少ないだろう。映画やドラマでは性的同意がなされなくても「どちらからともなく、自然と安全なセックス」が始まることは多い。性的同意を知らずに育った世代は、これらを見て、「セックスにおいて合意を交わし合う必要はない」もしくは「女性自ら、逃げられない場所に行った場合、それは性的合意」と認知をねじ曲げていくのではないだろうか。

 性的同意同様、避妊に対する意識の低い人は、少なくないのではないだろうか。12月1日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)で、オリエンタルラジオ・藤森慎吾が元AKB48・西野未姫の「恋愛」はなぜしくじったのか、独自の目線で解説していた。

 もともとは年上の男性に恋心を抱いていたものの、相手にされなかったという西野。そんなとき、LINEで同い年の彼に猛アプローチされる。しかし、結局、年上の人からはフラれ、同い年の彼からもLINEが来なくなっていき、不安になった西野は「(同い年の)彼のことが好きかも」と気になり始めたという。

 こうして彼と初めてのデートをすることになったが、会って10分で、部屋に誘われた西野は「行く」と即答、さらに「お風呂入る?」と聞かれ「入る」と返したそうだ。そして「俺と付き合って欲しい」と告白された後にキスをし、2人は布団に倒れこんだものの、彼は「軽い男と思われたくないから 今日はやめておこう」と行為を中止、そのまま何もせずに寝ることになった。しかし、眠れない西野は、彼に「ゴム買いに行く?」と声をかけ、避妊具を求めて共にコンビニに向かった。この後、西野は彼に22時以降しか会ってもらえなくなり、早朝5時に帰される、LINEも3日未読スルーというように、都合のいいオンナ扱いされ、交際は4カ月半で終わったという。

 藤森は、この恋愛がうまくいかなかった原因を、西野が「初日にがっつき過ぎたから」だと言っていた。交際スタートという記念すべき日に、西野は“しくじり”を連発していたといい、そのポイントは、

1.出会って10分で彼の家に行った
2.初日に彼の家の風呂に入った
3.初日に「ゴム買いに行く?」と言った

の3点とのこと。特に「ゴム買いに行く?」は「言ってはいけない言葉」とし、その理由を「非常に男が引いてしまいます」と解説していた。つまり藤森は、西野が自分から避妊具を買いに行こうと誘ったことにより、男性の気持ちが離れていったと考えているのだろう。

 しかし、本当にそうだろうか。西野の元カレが最初から体だけの関係を望んでいる可能性もあるわけだから、避妊具を買いに行こうと言っても言わなくても、セックスの時しか会わず、ぞんざいに扱われる可能性はあるだろう。

 それに、避妊のことを口にすると男が引くと言うのなら、女性は男性に“されるがまま”になっておけということなのだろうか。近年、性感染症である梅毒が爆発的に流行しており、中でも20代女性の罹患率が突出しているそうだ。避妊具を使うことと、不特定多数と性交渉をしないことが予防法だという。また避妊具を使わずにセックスをすれば、望まぬ妊娠をする確率も上がる。病気や望まぬ妊娠となれば、女性は自分の体を痛めることになるわけだから、避妊を求めるのは当然のことではないだろうか。

 ましてや、藤森はあまたいる芸能人の中でも、特に避妊に気をつけなければならない“前科”がある。2012年、藤森はTBSアナウンサー(当時)・田中みな実との熱愛を「フライデー」(講談社)に報じられたが、これは藤森がクラブで知り合ったモデルを妊娠・堕胎させ、350万円を支払った事実を隠すためのバーターだと「週刊文春」(文藝春秋)が報じている。「文春」によると、女性はべろべろに酔っていた藤森を部屋まで送っていったところ、押し倒されて、関係を持った。藤森は避妊具を持っておらず、「絶対中には出さないでね」と女性は訴えたそうだが、すでに射精した後だったという。この女性の言うことが真実ならば、藤森には性的合意も、避妊する意識もなかったということだろう。

 今の時代だったら、問答無用で引退に追い込まれるスキャンダルだろうが、そういった脛に傷を持つ藤森も、避妊への意識に特に変化はないようだ。藤森はチャラ男、もしくはモテているポジションから恋愛の解説者にノミネートされたのかもしれないが、私は年長者として、避妊の話をしたくらいで引く男なんてやめておけと声を大にして言いたい気分だ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

武井壮「若ければ若い方がいい」発言に考える、エイジズムやルッキズムがなくならない理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「若ければ若い方いい」武井壮
『有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議』(TBS系、11月25日)

 タレント・小島慶子の新著『仕事と子育てが大変すぎて泣いているママたちへ!』(日経BP)の発売記念として、同書にも収録されているエッセイスト・犬山紙子との対談がネットで公開された。

 「容姿や年齢にとらわれる『呪い』はもう要らない」というタイトルで、子どもを持つ母親である小島、犬山両氏が、子育てや社会の問題を正面から語っている。

 その中で小島は、「残念ながら日本の社会にはセクシズム(性別を理由に差別すること。女性、男性はこうあるべきという考え方)とエイジズム(年齢を理由にした差別をしたり偏見を持ったりすること)とルッキズム(外見至上主義。見た目による差別をすること)の3点セットが深く根を下ろしていて、そういう言葉や態度のモデルがそこら中にある」と、日本社会における差別問題に言及。

 犬山も、特に「今の社会はルッキズムとエイジズムに偏りすぎていますね」と同調する。こうした呪いを解いていくのは自分たち世代という方向に議論は展開していくのだが、そう簡単にはいかないだろうと私は感じている。

 小島は大学卒業後、TBSの女子アナとなり、写真集では水着姿も披露している。犬山は20代のとき、美人なのにオトコに振り回されるオンナたちの生態を描いた『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス)でデビューし、情報番組のコメンテーターも務めている。両氏の仕事もしくは経済活動に、若さや美貌が貢献してきた部分は大きいだろう(犬山自身は「負け美女」を自称していないと言っていたが)。

 エイジズムやルッキズムの恩恵を受けてきた彼女たちが、子育てをするようになって、エイジズムやルッキズムのおかしさに気づき、「そういう社会は間違っている」と言い出すのは、理屈としては通る。しかし、若さや美をもとにのしあがってきた人が、山の頂きに立ってから「若さや美で人を判断するのはナシにしましょう」と言っても、世間に「ずいぶんと都合がいいな」と受け取られてしまいかねないのだ。

 それでは、若さや美をもとにのしあがってきていない人が「若さや美で人を判断するのはナシにしましょう」と言ったら説得力があるのかと言えば、それもまた違うだろう。「ババア、ブスのひがみだ」というふうに決めつけられて話を聞いてもらえなかったり、発言者への個人攻撃に終始する恐れもある。

 エイジズムやルッキズムをやめようと提言する人は、エイジズムやルッキズム競争の覇者であっても、敗者であってもいけない。これこそ、我々の住む世界に、いかにエイジズムやルッキズムが浸透しているかの証明と言えるだろう。

■個人的な好みとして女性に若さを求めるのはアリ

 もう一つ、エイジズムやルッキズムがなくらないであろうと私が思う理由は、「エイジズムやルッキズムが正当化される領域が存在する」からである。11月25日放送の『有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議』(TBS系)では、独身の男性芸能人を集めて「結婚できない理由」を探るという企画を放送していた。タレント・武井壮は、結婚相手に求めることとして、“若さ”を挙げ、「若ければ若い方いい」と発言していた。武井いわく「生物学的な年齢だけではない」「大人の社会的な常識があって、仕事もよくできる人に叱られるのがダメ」「高嶋(ちさ子)さんみたいな人が一番ダメ」ととどめを刺した。

 もし自分の個人的な好みを語る場ではなく、一般的なオフィスで、武井が一緒に働く女性を「若ければ若い方いい」と言ったり、「高嶋さんみたいな人が一番ダメ」と発言したら、これは完全なるセクハラだろう。また同番組の冒頭では、同じく独身男性芸能人である俳優・武田真治が、結婚相手の条件を語る中で「ぽっちゃりが苦手」とし、森三中・大島美幸に「実際にお太りになられている」と発言していたが、これも職場での発言なら、アウトだ。

 しかし、プライベートの世界、つまり恋愛や婚活で好みを追求するのはアリだ(男女とも年齢、外見が受け付けない人と恋愛や結婚をしたいと思う人は、ごく稀だろう)。セクハラ撲滅を目指すことに異論はないが、「年齢や外見で人を評価する」ことが完全悪かというと、そうとは言い切れない部分もあるのではないか。

 エイジズムやルッキズムというと、男性が自分は攻撃されない安全圏に身を置き、女性にとやかく言うイメージを持つ人もいるだろうが、同性間でも、特にルッキズムは発生しやすいのではないか。女性が「自分の個人的な好み」により、外見で女性を評価することは存在すると私は思っている。

 例えば、東日本大震災の際、被災した女性に化粧水や乳液、リップクリームなどの基礎化粧品を差し入れたら喜ばれたという話をニュースで見たが、スキンケアという美容は手洗いや歯磨きと同じような生活習慣の一つと言えるだろう。しかし、美容系の女性誌を見ると、愛用のコスメについて聞かれるのは、女優やモデル、女子アナなどの“キレイ職”の女性ばかりである。これは読み手の女性が、個人的な好みとして、「キレイな人」に憧れを抱いているからではないか。それを汲んだ作り手との間に、「キレイじゃない人が美容を語っても意味がない」という、「キレイな人>そうでもない人」との暗黙の了解も存在しているように感じる。

 差別をなくしたい人たちは、よく「自分がされて嫌だったから、後世に伝えない」と被害者として語るが、それだけでは不十分で、同時に「自分もなんとなく下に見てしまう人がいる」「その人を下に見たのはなぜか」という差別の実践者としての自分の意識も明らかにする必要があるだろう。しかし、これはなかなか難しい。またエイジズムやルッキズムと資本主義が組み合わさって賃金が発生していることもあるので、差別をなくすというのは、そう簡単なことではない。

■武井の問題点は、女性を感情のある人間として見ていないこと

 話を武井に戻そう。武井が若い女性が好んでも、それは個人の嗜好なので責められるものではない。経済力もあるし、武井と結婚すれば「有名人の妻」というポジションが得られるので、そのあたりに魅かれる若い女性もいるだろう。41歳のオードリー・若林正恭が、25歳の看護師と11月22日に結婚したことが発表されたが、女性の方が若い「年の差婚」をする人気芸能人も多い。

 しかし、武井の話を聞く限り、もし若い女性と結婚できたとしても、長くは続かないのではないか。武井は「女性の怒りの声や表情、しぐさがダメ。恋心がなくなる」と発言していたが、他人と一緒に暮らす中で、「怒らない」ことが一度もないなんて、お互いにあり得ないからである。武井の問題点は、若い女性を追い求めていることというより、女性を感情のある人間として見ていないことなのではないか。番組を見ながら、結婚できない理由は、案外そんなところにあるように思った。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

木下優樹菜は、「ヤンキー道の原点」に帰るべき―― “タピオカ騒動”で活動自粛に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「『お互いに、第三者に話をしない』ということで解決させていただけないでしょうか?」木下優樹菜
『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ系、11月18日)

 若い方はご存じないと思いますが、昭和や平成中期、つまりネットが生まれる前の時代、週刊誌には「あの清純派アイドルのウラの顔」的な企画があり、「デビュー前はこんなヤンキーだったんですよ」という暴露が写真付きでなされていた。当時の芸能事務所は、新人をデビューさせるにあたり、その子に「変な写真を持っている相手がいないか」をチェックしていたと聞いたことがある(これは現在でもそうかもしれないが)。

 しかし、芸能界には、元ヤンキーであることを隠さない人もいる。例えば、女優・飯島直子がその一人だ。その昔、『ウチくる!?』(フジテレビ系)に出演した際、中学時代に髪の毛を染めていたことを明かし、また「番長と付き合っていた」と、さらっと発言していた。11月13日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)でも、MCの明石家さんまに「番組から『昔の写真を貸してくれ』と言われても、(飯島の)昔の写真は全部特攻服を着ている」というエピソードを暴露されたが、否定していなかった。

 もう一人、ヤンキーであったことを隠さないのが、タレント・木下優樹菜。番長を決めるため、同じ学校の生徒とタイマンを張ったが、負けて番長になれなかったことを、いろいろなバラエティーで明かしている。

 飯島や木下は、清純派アイドルとしてデビューしたわけでないので、隠す必要がないということもあるだろうが、この2人は「いいヤンキー」のイメージを「売り」にしていると見ることができるのではないか。「ヤンキーなので、違法薬物をやっていました」といった法律違反は、「悪いヤンキー」の例であり、それをテレビで告白したとしたら、番組にとっても本人にとってもマイナスでしかない。しかし、「精神性」についてアピールするなら、必ずしもマイナスイメージにはならず、「いいヤンキー」の例として、むしろイメージアップにもつながるだろう。

 例えば、木下は「ヤンキーはさみしがりだから、家族や仲間を大事にする」、飯島は「ヤンキーは上下関係を大事にする、好きな男に尽くす」とバラエティーでよく語っていたが、これはヤンキーのプラスの面だろう。目上を敬い、家族や仲間を大切にするのは、中世日本の「御恩と奉公」を連想させる。また、「女は好きな男に尽くすべき」という考え方も、いまだに滅びていない。ファッションや行動は別として、ヤンキーの精神性というのは一種の保守であり、根強く日本に浸透しているだろう。うまく使えば「いい人」と思わせることができるのではないだろうか。

 飯島は結果的に、「元ヤンキー」というより「癒やし系女優」として地位を固めたが、一方の木下は、「ヤンキー」をうまく使ってステップアップしていったと私は見ている。家族を重んじる元ヤンキーとしての生きざまによるものなのかは不明だが、木下は、夫と子どもとの仲睦まじい姿をオープンにしている。インスタグラムのプロフィール欄には「娘にとって最高のMAMAだよ!!と思ってもらえたら、他に何を言われても聞こえないユキナ育」と、我が道を突っ走る育児を実践していると書かれており、これもまた、ヤンキーの精神性によるものと言えるだろう。情報過多で、人の目ばかりを気にする人が増えている中、こういう木下の態度は新鮮だったのか、彼女のインスタグラムは、フォロワー数530万人を誇っている。

 また木下は、「木下組」と呼ばれるファンクラブの会員と、定期的に交流会を開いているそうだが、「夫が家事育児をしない」という悩みを抱えるファンに対し、「うちが旦那に電話しよっか?」と声をかけるなど、例によって「仲間を大事にする」スタンスでファンと交流していると、『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)で明かしていた。木下のこうした対応が、ファンの心をつかんでいるのではないだろうか。

 しかし、彼女の人気の要因でもあるヤンキー的なおせっかい、もしくは義侠心が仇になったようだ。木下と、木下の姉が勤務していたタピオカドリンク店店長のトラブルが明るみになり、大炎上が起こった。

 事の発端は、今年7月、木下がインスタグラムで「姉がタピオカ店を開いた」と宣伝したこと。しかし、実は姉の店ではなく、単なる従業員だったらしい。同店のオーナーと店長は夫婦であり、店長にしてみれば、自分たちの店なのに「優樹菜の姉の店」と言われることは面白くないだろう。給料の支払いについても、姉と店長の間で意見の食い違いがあったようだ。

 姉の言い分だけを聞き、木下は怒り心頭になったのだろう。10月6日、インスタグラムでファンに向かって「店に行かなくていい」と投稿。しかし翌7日、木下が店長に対し、「弁護士立てて、法的処理、いくらでもできるから」「こっちも事務所総出でやりますね」「週刊誌に姉がこういう目にあったと言えるから」といった脅しめいた内容のダイレクトメッセージを送っていたことが発覚した。フォロワー530万人の芸能人に「店には行くな」と言われたら、客が減る可能性はあるだろうし、店側にいやらがせをする人がいないとも限らない。木下の営業妨害と恫喝疑惑はネットでバッシングされた。

 義侠心が強いキャラでやっているのなら、この時にすぐにテレビで謝ってしまうか、店長にきちんと謝罪して「和解」をもぎとればよかったのだろうが、同9日、木下はインスタグラムで謝罪するに留めた。「週刊文春」(文藝春秋)によると、木下はその後、夫であるフジモンこと藤本敏史と母親とともに、店長宅に出向いたそうだが、店長には会えず、謝罪できていないという。この中途半端な姿勢がよくなかったのか、木下バッシングはやまず、とうとう11月18日に芸能活動を自粛することを発表した。

 まぁ、妥当な判断だと思われるが、ここでまた木下にとって不利な情報が出てくる。木下はインスタグラムで謝罪した日に、店長に「今回の件については、お店のことも含め『お互いに誹謗中傷をしない』、『お互いに、第三者に話をしない』ということで解決させていただけないでしょうか?」と依頼するダイレクトメッセージを送っていたという。

 しかし、店長からすれば、一方的に文句をつけてきた人の和解案を受け入れる筋合いはないだろう。このダイレクトメッセージは関係者を経て、『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ系)に渡り、木下がこの炎上を必死に鎮火させようとしていることがバレてしまった。

 今回のトラブルの原因は、木下の早合点と一般人を下に見ていたことにあるのではないだろうか。人気芸能人と一般人では社会的影響力が違いすぎるので、一般人を軽んじても仕方ないが、現代にはSNSがあるということを忘れてはならない。SNSがあれば、週刊誌が相手にしないような人でも、自分の言い分を世間に訴えられるし、SNSは往々にして、立場の弱い人の告発の方が支持される傾向がある。SNSの時代に「ナイショ」は通用しないと思った方がいい。

 「いいヤンキー」を貫く気持ちがあったなら、お金を使うべきだったのではないだろうか。大事な姉のために、自分が出資して店を出してやるとか、今回のトラブルに関しても、早々に弁護士を立てて、先方に“お気持ち”を渡せば、事態は変わっていたかもしれない。少なくとも、弁護士が入れば、情報が洩れることはなかっただろう。

 「週刊女性」(主婦と生活社)によると、ヤンキーの先輩・飯島はホストと交際し、彼のために億ションやベンツなど3億円もの金額を貢いだそうだ。結局別れてしまったが、好きなもののためにカネを惜しまないのが、ヤンキー女の心意気なのかもしれない。謹慎中の木下は、もう一度ヤンキー道の原点に帰ることを考えてはどうだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

木下優樹菜は、「ヤンキー道の原点」に帰るべき―― “タピオカ騒動”で活動自粛に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「『お互いに、第三者に話をしない』ということで解決させていただけないでしょうか?」木下優樹菜
『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ系、11月18日)

 若い方はご存じないと思いますが、昭和や平成中期、つまりネットが生まれる前の時代、週刊誌には「あの清純派アイドルのウラの顔」的な企画があり、「デビュー前はこんなヤンキーだったんですよ」という暴露が写真付きでなされていた。当時の芸能事務所は、新人をデビューさせるにあたり、その子に「変な写真を持っている相手がいないか」をチェックしていたと聞いたことがある(これは現在でもそうかもしれないが)。

 しかし、芸能界には、元ヤンキーであることを隠さない人もいる。例えば、女優・飯島直子がその一人だ。その昔、『ウチくる!?』(フジテレビ系)に出演した際、中学時代に髪の毛を染めていたことを明かし、また「番長と付き合っていた」と、さらっと発言していた。11月13日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)でも、MCの明石家さんまに「番組から『昔の写真を貸してくれ』と言われても、(飯島の)昔の写真は全部特攻服を着ている」というエピソードを暴露されたが、否定していなかった。

 もう一人、ヤンキーであったことを隠さないのが、タレント・木下優樹菜。番長を決めるため、同じ学校の生徒とタイマンを張ったが、負けて番長になれなかったことを、いろいろなバラエティーで明かしている。

 飯島や木下は、清純派アイドルとしてデビューしたわけでないので、隠す必要がないということもあるだろうが、この2人は「いいヤンキー」のイメージを「売り」にしていると見ることができるのではないか。「ヤンキーなので、違法薬物をやっていました」といった法律違反は、「悪いヤンキー」の例であり、それをテレビで告白したとしたら、番組にとっても本人にとってもマイナスでしかない。しかし、「精神性」についてアピールするなら、必ずしもマイナスイメージにはならず、「いいヤンキー」の例として、むしろイメージアップにもつながるだろう。

 例えば、木下は「ヤンキーはさみしがりだから、家族や仲間を大事にする」、飯島は「ヤンキーは上下関係を大事にする、好きな男に尽くす」とバラエティーでよく語っていたが、これはヤンキーのプラスの面だろう。目上を敬い、家族や仲間を大切にするのは、中世日本の「御恩と奉公」を連想させる。また、「女は好きな男に尽くすべき」という考え方も、いまだに滅びていない。ファッションや行動は別として、ヤンキーの精神性というのは一種の保守であり、根強く日本に浸透しているだろう。うまく使えば「いい人」と思わせることができるのではないだろうか。

 飯島は結果的に、「元ヤンキー」というより「癒やし系女優」として地位を固めたが、一方の木下は、「ヤンキー」をうまく使ってステップアップしていったと私は見ている。家族を重んじる元ヤンキーとしての生きざまによるものなのかは不明だが、木下は、夫と子どもとの仲睦まじい姿をオープンにしている。インスタグラムのプロフィール欄には「娘にとって最高のMAMAだよ!!と思ってもらえたら、他に何を言われても聞こえないユキナ育」と、我が道を突っ走る育児を実践していると書かれており、これもまた、ヤンキーの精神性によるものと言えるだろう。情報過多で、人の目ばかりを気にする人が増えている中、こういう木下の態度は新鮮だったのか、彼女のインスタグラムは、フォロワー数530万人を誇っている。

 また木下は、「木下組」と呼ばれるファンクラブの会員と、定期的に交流会を開いているそうだが、「夫が家事育児をしない」という悩みを抱えるファンに対し、「うちが旦那に電話しよっか?」と声をかけるなど、例によって「仲間を大事にする」スタンスでファンと交流していると、『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)で明かしていた。木下のこうした対応が、ファンの心をつかんでいるのではないだろうか。

 しかし、彼女の人気の要因でもあるヤンキー的なおせっかい、もしくは義侠心が仇になったようだ。木下と、木下の姉が勤務していたタピオカドリンク店店長のトラブルが明るみになり、大炎上が起こった。

 事の発端は、今年7月、木下がインスタグラムで「姉がタピオカ店を開いた」と宣伝したこと。しかし、実は姉の店ではなく、単なる従業員だったらしい。同店のオーナーと店長は夫婦であり、店長にしてみれば、自分たちの店なのに「優樹菜の姉の店」と言われることは面白くないだろう。給料の支払いについても、姉と店長の間で意見の食い違いがあったようだ。

 姉の言い分だけを聞き、木下は怒り心頭になったのだろう。10月6日、インスタグラムでファンに向かって「店に行かなくていい」と投稿。しかし翌7日、木下が店長に対し、「弁護士立てて、法的処理、いくらでもできるから」「こっちも事務所総出でやりますね」「週刊誌に姉がこういう目にあったと言えるから」といった脅しめいた内容のダイレクトメッセージを送っていたことが発覚した。フォロワー530万人の芸能人に「店には行くな」と言われたら、客が減る可能性はあるだろうし、店側にいやらがせをする人がいないとも限らない。木下の営業妨害と恫喝疑惑はネットでバッシングされた。

 義侠心が強いキャラでやっているのなら、この時にすぐにテレビで謝ってしまうか、店長にきちんと謝罪して「和解」をもぎとればよかったのだろうが、同9日、木下はインスタグラムで謝罪するに留めた。「週刊文春」(文藝春秋)によると、木下はその後、夫であるフジモンこと藤本敏史と母親とともに、店長宅に出向いたそうだが、店長には会えず、謝罪できていないという。この中途半端な姿勢がよくなかったのか、木下バッシングはやまず、とうとう11月18日に芸能活動を自粛することを発表した。

 まぁ、妥当な判断だと思われるが、ここでまた木下にとって不利な情報が出てくる。木下はインスタグラムで謝罪した日に、店長に「今回の件については、お店のことも含め『お互いに誹謗中傷をしない』、『お互いに、第三者に話をしない』ということで解決させていただけないでしょうか?」と依頼するダイレクトメッセージを送っていたという。

 しかし、店長からすれば、一方的に文句をつけてきた人の和解案を受け入れる筋合いはないだろう。このダイレクトメッセージは関係者を経て、『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ系)に渡り、木下がこの炎上を必死に鎮火させようとしていることがバレてしまった。

 今回のトラブルの原因は、木下の早合点と一般人を下に見ていたことにあるのではないだろうか。人気芸能人と一般人では社会的影響力が違いすぎるので、一般人を軽んじても仕方ないが、現代にはSNSがあるということを忘れてはならない。SNSがあれば、週刊誌が相手にしないような人でも、自分の言い分を世間に訴えられるし、SNSは往々にして、立場の弱い人の告発の方が支持される傾向がある。SNSの時代に「ナイショ」は通用しないと思った方がいい。

 「いいヤンキー」を貫く気持ちがあったなら、お金を使うべきだったのではないだろうか。大事な姉のために、自分が出資して店を出してやるとか、今回のトラブルに関しても、早々に弁護士を立てて、先方に“お気持ち”を渡せば、事態は変わっていたかもしれない。少なくとも、弁護士が入れば、情報が洩れることはなかっただろう。

 「週刊女性」(主婦と生活社)によると、ヤンキーの先輩・飯島はホストと交際し、彼のために億ションやベンツなど3億円もの金額を貢いだそうだ。結局別れてしまったが、好きなもののためにカネを惜しまないのが、ヤンキー女の心意気なのかもしれない。謹慎中の木下は、もう一度ヤンキー道の原点に帰ることを考えてはどうだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。