ryuchellはまるで「昭和のお父さん」――pecoとの離婚後、失望する人が多い理由

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「愛をちゃんとくれた」ryuchell(りゅうちぇる)
『サンデー・ジャポン』(1月22日、TBS系)

 芸能人が夫婦仲、家族仲をウリにして、それをビジネスにつなげるというのは案外リスクがあることなのかもしれない。

 夫婦仲、家族仲というのは、日々変化するもので、いい時もあれば悪い時もある。しかし、良き妻・夫、良き母・父として、ママタレ・パパタレ活動をしてしまうと、夫婦仲も家族仲も、“常に完璧な状態”を保つ義務が発生する。

 例えば、夫愛や家族愛をアピールしていたママタレが、夫の不倫報道をきっかけに離婚したとする。世間はなんとなく「この人が今まで言ってきたことはウソだったのでは?」と感じ、彼女の発言や行動そのものの信ぴょう性も低下してしまう可能性は否めないだろう。夫婦ウリ、家族ウリをしていた芸能人の“離婚後のキャラ設定”というのは、実は非常に難しいと思う。

 今、その難しさに直面しているのは、タレント・ryuchellかもしれない。2022年8月、妻のpecoと離婚したものの、「新しい家族の形」と称して、同居しながら子育てを行い、家族を続けていくと発表した。

 そんなryuchellは1月10日、自身のYouTubeチャンネルで、高校時代、お母さんに「男の人が好き」と打ち明けたことを告白。お母さんが「育て方を間違えた」と自分を責めるような反応を見せたため、ryuchellはショックを受け、お母さんを傷つけまいと「嘘だよ」とお茶をにごしてしまったそうだ。

 この「男の人が好き」発言の経緯について、ryuchellは同22日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、「本当の自分を出して、応援していただきたいと思った」と説明しているが、残念ながら、すべての人が応援してくれるとは言い難いようだ。

 それは、世間の性に対する理解が追い付いていないこともあるが、「結婚していた時のryuchell」と「現在のryuchell」では、その言動に隔たりがありすぎることも原因ではないだろうか。

 結婚時代のryuchellといえば、家族を大事にするキャラクターで売ってきた。例えばpecoは、19年10月16日付のツイートで、

「寝る前に洗濯物たたむの嫌になったわたし『これ、もう明日―!』

りゅうちぇる『そうしよっ。がんばりすぎないところもだいすきだよ』

たった今のはなし!あらためてやさしいなぁと感動してしまった」

と、ryuchellのいい夫ぶりを明かしており、多くの「いいね!」がついた。

 また、新型コロナウイルスの影響で外出自粛が求められていた20年4月、記者から「自宅での過ごし方」を問われた際には、「やっぱり子どもを第一に考えることが大事なので、子どもがストレスのないように、子どもの個性に合わせて遊びを用意してあげることを大切にしています」と、やはり良きパパぶりが伝わるコメントをしていた。

 さらに昨年4月、ウェブサイト「VERY Web」で連載していた「RYUCHELL のパパの子育て悩み相談室」でも、良き夫・良きパパぶりを発揮。“子育てを妻まかせにしてきたため、娘との接し方がわからない。異性ということもあって、より難しい”というお悩みに対して、「娘の心を摑まなきゃとあれこれ頑張るよりも まず夫婦の雰囲気を作って」「夫婦でちゃんと時間を作って仲良くする意識も持って、家族の雰囲気を作る」とアドバイスしていた。

 ryuchellのこうした発言は、家族をチームと考えていることの表れといえるのではないか。家族間で役割を固定せず、上下関係もなく、同じチームと考え、メンバー同士でいたわり合い、助け合うことでチームをよりよくする――この考え方は、ジェンダーフリーの時代にぴったりで、ryuchellは夫婦や子育てを語れるタレントとしての地位を確立していったのだ。

 しかし、インスタグラムの画像だけで判断するに、離婚後のryuchellは変わってしまったように見える。女性らしいメイクやファッションの画像が頻繁にアップされるのと反比例するかのように、今のryuchellは自分のことばかりで、離婚してもパートナーであるはずのpecoと、お子さんへの関心が薄れていると感じるのだ。

 pecoは昨年のクリスマス、インスタグラムで「もちろん家族みんなでクリスマス過ごすはずが、どうしても急遽ダダが過ごせなくなってしまって残念やったけど、ダダへの『来年はいっしょに過ごそうね!』というポジティブでやさしい声かけにまたほっこり。そんなクリスマスでした」とryuchellの不在を明かした(現在、この記述は削除されている)。

 いろいろ事情はあったと思うが、お子さんが楽しみにしていたであろうクリスマスにパパが不在とは、“芸能人として”のイメージを下げる結果となったのではないか。

 婚姻を解消しても、見た目が変わっても、元妻をいたわり、子どもを第一に考えている姿が垣間見られれば、ryuchellは「新しい家族の形」を実践していると称賛されただろう。しかし、数少ない情報で判断するなら、今のryuchellから受ける印象は、お子さんと一緒に暮らしながらも、子育てを元妻にまかせ、ファッションや外出の自由は謳歌するという“いいとこどり”。もっというと、パートナーに育児を押し付けて、自分は遊び歩く“昭和のお父さん”のように感じてしまうのだ。これは結婚していた時のryuchellと真逆の姿だけに、失望する人も多いと思われる。

 「男性が好き」と打ち明けたとき、ryuchellのお母さんは混乱したが、理解してくれたそうだ。そんなお母さんについて、ryuuchellは「愛をちゃんとくれた」と『サンデー・ジャポン』内で話していた。自分が抱いた印象にバイアスがかかっていることは否めないが、元妻や子どもについての愛は口にしないけれど、母親のすごさについて能弁なのも、なんだか昭和のマザコン男のように思えなくもない。

 今のryuchellが愛を注がなくてはいけないのは、お子さんである。加えて、一緒に子育てをするpecoのことをねぎらわらなくてはいけないはず。なので、今は自分について発信することは少し控え、大切な2人への思いを語るほうが、世間に「新しい家族の形」と認められる確率が高くなるのではないか。そんな余計なことを考えたりした。

 

西山茉希、皇治との再婚は慎重に――「子どもよりオトコを選んだ」イメージが今の時代に致命的なワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「OKするのが西山茉希」西山茉希
『ダウンタウンDX』(1月5日、日本テレビ系)

 一昔前、女性芸能人は「愛される」ことに意味があった。なので、 結婚した女性芸能人が“勝ち組”で、離婚経験者や独身女性は“負け組”というように自動的にくくられていたといっていいだろう。勝ち組の中でも、特に社会的地位が高いとか裕福な男性と結婚した女性タレントは、“上”に見られた。 そう考えると、かつて女性芸能人は、「誰に愛されるか」で評価されていたのだと思う。

 しかし、今の時代の女性芸能人はそれよりも「どう愛すか」が重視されているように感じる。

 例えば、モデルの亜希。2000年に、当時現役のプロ野球選手だった清原和博氏と結婚。その後、「STORY」(光文社)の表紙モデルに抜てきされ、お子さん2人を「お受験界のトウダイ」と呼ばれる名門校に合格させた。11年には「ベストマザー賞文化部門」も受賞し、まさにこの世の春だったろうが、一方で清原氏の不倫や素行不良が週刊誌にたびたび報道されていた。

 14年、「週刊文春」(文藝春秋)が清原氏の違法薬物使用疑惑を報じると、2人は離婚。清原氏は16年、実際に覚醒剤取締法違反で逮捕されている。「社会的地位の高いオトコに愛されることが勝ち組」の考え方でいうのなら、国民的スーパースターの妻から、犯罪者の元妻になってしまった彼女は“転落”したのかもしれない。

 しかし、彼女のモデルとしての人気は落ちることなく、アパレルブランド「AK+1」のディレクターとして活躍するほか、YouTubeチャンネル「亜希の母ちゃん食堂」やインスタグラムで公開しているお子さんへのお弁当も人気だ。大衆は、彼女を「元・国民的スーパースターの妻」ではなく、「2人のお子さんを愛情深くしっかり育てるシングルマザー」と見ているため、人気が落ちないのではないだろうか。

 なお、亜希のお子さんが清原氏に野球のコーチを頼んだことで、親子の、そして元夫婦の交流が自然な形で復活したそう。昨年大みそか、亜希はインスタグラムのストーリーズで、清原氏を含めた4人の画像を公開。離婚した元夫も、家族の一員として愛するという亜希のスタンスが垣間見えた。

 梨園の名門・成駒屋に嫁いだ三田寛子もまた、「誰に愛されるか」ではなく、「どう愛すか」を評価されている女性の一人だろう。 16年、夫が「中村芝翫」を、3人の子どもたちがそれぞれ「橋之助」「福之助」「歌之助」を、4人同時に襲名するという歌舞伎史上初の偉業を成し遂げたが、襲名直前に芝翫の不倫が発覚した。

 この一回で済めばよかったものの、その後も、芝翫の不倫報道は続き、「週刊ポスト」22年9月9日号(小学館)によると、三田は芝翫と別居中だと認めている。これまた従来の価値観でいえば、「梨園のプリンスに見初められ結婚し、梨園一の賢夫人となったが、今はオンナとして愛されない」 とネガティブに見られそうなものだが、辛口で有名な「Yahoo!ニュース」のコメント欄も、彼女を擁護する声であふれている。

 それはやはり、三田がまず何より子どもたちを愛していることが伝わってくるからだろう。 彼女はインスタグラムを開設し、毎日のように子どもたちの舞台の告知と彼らへの愛をつづっている。一方、芝翫のことにはほとんど触れていないが、三田は梨園の妻としての仕事もおろそかにしていないそうだし、お子さんの誕生日を芝翫とともに祝うなど、距離を保ちつつも、家族を続けている。これもまた彼女なりの家族の愛し方なのだろう。

 まもなく早稲田大学受験を控えた小倉優子も、同様ではないか。再婚相手の歯科医と別居した際は、ネットに「可愛くて、料理もうまいのに、夫が家を出るなんて 、どれだけ性格に難ありなのか」という書き込みが見られた。しかし、離婚が成立し、やはり3人のお子さんを愛情たっぷりに 育てながら、大学受験に挑む彼女について、そういうことを言う人はほとんどいなくなったように思う。

 結婚しようが、離婚しようが、そこは問題ではなく、夫がどうあろうとも関係ない。 妻として母として、どれだけ家族に対し、一生懸命やれることをやっているかが評価される今の時代。女性芸能人たちの「愛し方」に世間の注目が集まり、そこが共感のポイントになるとするのなら、逆に「愛し方が適当、だらしない」ことこそ、人気を落とすきっかけになるのではないか。

 その場合、1月5日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演したモデル・西山茉希は、残念ながら、共感されないポジションに落ち着いてしまうのかもしれない。

 西山といえば、13年に俳優・早乙女太一と結婚し、2人のお子さんを授かったが、19年に離婚している。結婚前、「女性自身」(光文社)に、2人が路上で大げんかする姿を報じられたこともあって、意外性のある離婚ではなかったように思う。

 シングルマザーとなった西山は、その後、格闘家・皇治と交際に発展。2人がお子さんや友人らと共に食事をした後、深夜に路チューしていたと、「フライデー」22年9月30日・10月7日号(講談社)に報じられた。

 深夜までお子さんを連れ出す西山を非難する人もいたため、彼女はYouTubeチャンネル「西山茉希の#俺流チャンネル」で謝罪。しかし、西山は独身なわけだし、毎日深夜まで外出しているわけではないのだから、そのような外野の声は 放っておけと言いたいところだ。

 それよりも問題なのは、相手選びではないだろうか。路チューの相手・皇治は「モテてしゃ~ない♪」が売り文句だそうで、同誌によると、ほかの有名人とも浮名を流し、別の日には一般人女性ともキスをしていたそうだ。

 交際イコール結婚ではないが、『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した西山は「再婚はしたい」といい、同番組司会のダウンタウン・浜田雅功に「再婚しようやと言われたらOKなの?」と聞かれ、「OKするのが西山茉希みたいなところありません?」と発言した。

 共演者のダレノガレ明美は「やめたほうがいい」、ヒコロヒーは「事務所の先輩にクロちゃんっていうのがいるんですけど、ギリギリ、黒川(クロちゃん)のほうが(皇治より結婚相手としては)上」と西山を応援しない。「誰も(2人の結婚を)大丈夫と言ってくれないまま、帰る」とボヤいていたところを見ると、西山は本気で皇治と結婚したいの ではないだろうか。

 「シングルマザーは恋愛するな」というつもりは毛頭ないが、もし結婚を見据えての恋愛なら、それなりに慎重さが必要だと思う。皇治はまだ若く、「モテてしゃ~ない♪」というキャッチフレーズを掲げている以上、モテることは“お仕事”だから、女性の影は常にちらつくことだろう。

 こういう人が西山と再婚して、2人のお子さんとうまくやっていけるか疑問に思う。それに、再婚して夫婦間でトラブルが発生した場合、 「子どもよりオトコを選んだ末に失敗した」という致命的な イメージがついてしまうのではないか。離婚したからといって、イメージダウンする時代ではないが、「愛し方」が問われる今、恋にトチ狂ってお子さんをないがしろにしている人という印象を与えるのは、彼女にとってマイナスだ。

 おそらく、西山は「結婚に向かない男性」が好きなのだと思う。しかし、母親として子どもを守るために 、また芸能人としてのイメージを保つためにも、どうかゆっくりゆっくり時間をかけて結論を出していただきたいものだ。

ジャガー横田の夫と息子は、SNSの魔力に取り憑かれている――ファミリーチャンネル閉鎖で彼らが身を持って知るべきこと

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「今日で終わりにしたいと思います」ジャガー横田
「ジャガー横田ファミリーチャンネル」1月1日

 有名人になりたい。誰もが、人生で一度くらいは、こんな願望を持つことがあるのではないだろうか。しかし、有名人になるには、世間サマをうならせるような業績を上げなければならないし、大衆に幅広く愛されるキャラクターも必要となる。言うまでもなく、これらを成し遂げることは並大抵のことではなく、有名人になりたいと思いつつ、実際は平凡な一般人として生きていく人がほとんどだろう。

 しかし、SNSの出現で「有名人になる方法」は多様化した。最近では、芸能事務所に所属しないズブのシロウトでも、SNSの投稿がバズり、閲覧・視聴回数が伸びれば、有名人に仲間入りできる。この新たな「有名人になる方法」は、旧来の「本業でコツコツ実績を積み上げて結果を出す」――例えば、プロテストに合格して歌手になり、CDの売り上げ100万枚を達成して有名人になる方法よりかは、はるかに易しいはずだ。

 しかし、そうは言っても、多くの人が「見たい」と思うものをSNSでコンスタントに提供するのは、簡単なことではない。そこで、多くの人が手を出してしまうのが炎上商法ではないだろうか。世間サマに叩かれるような投稿で、閲覧数や視聴回数を稼ぐ。ネットニュースになれば、さらに数字は伸びるだろう。「自分の目論見が当たって、投稿が世間にウケた」という達成感と万能感はクセになり、数字を取ることに夢中になってしまったとしてもおかしくはない。しかし、実績のない者の炎上商法は、あっという間に飽きられてしまうという危険性もある。

 私から見て、ジャガー横田の夫で医師の木下博勝氏と一人息子の大維志くんは、SNSの魔力に取り憑かれ、炎上商法に手を染めているように思えてならない。

 ジャガーファミリーといえば、大維志くんの高校受験の結果を、SNSを通じてオンタイムで報告したことにより話題となった。合格の報告ならともかく、不合格が続いて進学先がなくなるのではと危ぶまれたこともある。

 当然、ネット上では、「こんな時にSNSをやっている場合ではない」という声が上がったが、木下氏は「これからはすべてをさらけだす時代」と説明し、受験の間だけでも、息子をSNSから引き離すことをしなかった。お子さんの身辺を静かにして受験に集中させることよりも、日本中に注目されている状態が気持ちよかったのではないだろうか。

 無事に高校生となっても、「寮母のメシがマズイ」など、炎上発言を繰り返す大維志くん。ジャガーはSNSで世間サマに謝罪するも、息子に対してきちんと言い含めた形跡はなく、一方の木下氏は息子の発言に対し、「(寮母さんが)見てるかもわからんだろ」とどこかズレた諫め方をしている。

 常識に基づき、世間に謝罪するけれど、息子に対して影響力がない「母親」と、屁理屈をこねて絶対に謝らない「父親」、母親を無視して父親に従う「息子」――SNSはこの家族のいびつな一面をさらけだしたようにも思える。

 昨年末、大維志くんは足の手術のために入院したものの、なぜか病名を「肝硬変」とSNSで報告。おそらく注目を集めたいがゆえの冗談だったのだろうが、健康体に見えた彼が大病を患っていると信じてしまった人もいて、大炎上した。

 例によってジャガーは、SNSで「紛らわしく『肝硬変』だなんて!ジョークにもならない笑えないジョークは止めなさい!と注意しているんですが…本当に失礼いたしました」と謝罪。

 一方の木下氏はSNSの生配信で「肝硬変と言っていい気分はしないですよ。だけど、どうしても言いたくない事情があったんですよ。記者の人にお願いしたいんですけど、記事にするときはいろいろ考えて記事にしていただけないでしょうか」と、これまた恒例の「謝らない」かつ、記事化したほうに問題があるような責任転嫁的な言い方をしている。

 ある意味、この家族の日常風景といえるが、ジャガーは今年の元日にYouTube「ジャガー横田ファミリーチャンネル」を終了すると発表した。

 「お子さんをSNSから遠ざけるために、YouTubeチャンネルの閉鎖は望ましい」といった書き込みを見つけたけれど、私は違う意味で閉鎖は「いいこと」だと思う。おそらく、木下氏や大維志くんは今後もSNSで活動し続けるだろう。注目される喜びを知ってしまった彼らが、SNSのない世界で生活していけるとは思えないからだ。そう考えると、今回の閉鎖は、「ジャガー横田」という“有名人ブランド”がない状態で、どこまで自分たちが通用するかを試すチャンスになるのではないだろうか。

 「ジャガー横田ファミリーチャンネル」という名前が示す通り、このチャンネルのキーパーソンはジャガーだった。女子プロレス界のレジェンドとして知名度があり、ファンも多いジャガーに集客してもらって、木下氏や大維志くんはYouTube活動ができたわけだ。

 木下氏もしくは大維志くんが世間を悪い意味でザワつかせ、「非常識だ」という声が上がると、ジャガーに頭を下げさせることで何とか体裁を保ってきた。しかし、ジャガーがいなくなったとき、世間サマはどれだけ自分たちに注目してくれるのか、自分たちを信頼に足る人物とみなしてくれる人はいるのか――彼らは身をもって知るべきだと思う。一過性の炎上に頼ることなく、数字を稼ぎ続けることができたら、彼らは真の有名人といっていいのではないだろうか。

『あちこちオードリー』若林正恭、「人を傷つけない」ための過剰な気遣いが生んだ“嫌なシニカル”

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「テレビ局が教育してくれよ」オードリー・若林正恭
『あちこちオードリー』(12月21日放送、テレビ東京系)

 「キャラ」という武器を引っ提げてテレビの世界に挑み、人気を得た芸人は少なくない。しかし、だからといって、安心はできないだろう。なぜなら、自分も時代も変わるからだ。

 例えば、ダメ男とばかり付き合い、痛い目に遭ってきた経験をウリにする恋愛ベタキャラのオンナ芸人が結婚したら、もうこのキャラは使えない。また、「ブス」「ババア」というように女性をイジる芸風で人気を博した毒舌キャラのオトコ芸人も、コンプライアンスを重んじる今の時代には合っていないので、このやり方はもう通用しない。

 現在の自分に即した個性を発揮しつつ、時代と乖離しない芸風を貫くというのは、口で言うほど簡単なことではないが、特にシニカルな芸風が評価され、売れっ子になった人にとっては、かなりの難所だろう。「人を傷つけない笑い」がよいとされる時代、シニカルな物言いが「人を傷つける」として、世間に受け入れられない可能性は十分にあるし、加えて売れっ子という立場でそれをやると、さらに嫌みな印象を与えかねない。かといって、シニカルさを捨ててしまうと、個性が死んでしまう。

 現在の立場と時代、そして芸風のはざまで、オードリー・若林正恭は時々こんがらがっているように見えることがある。彼はまさに、シニカルな芸風が受けて、人気を博すようになった売れっ子芸人だが、「人を傷つけない」ようにと過剰に気を使うことで、逆に嫌な意味でのシニカルさが前に出てしまっていないだろうか。

 例えば、12月14日放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)。ゲストは相席スタート・山添寛、岡野陽一、ザ・マミィ・酒井貴士で、彼らはギャンブルで散財していることから「クズ芸人」と呼ばれることもある。

 しかし、若林は「人の目を気にせず、自由に生きているように見える」ことから、彼らに憧れているという。若林のような売れっ子芸人に評価されて、「クズ芸人」たちもうれしいだろうが、その理由がちょっと“微妙”なのだ。

 若林は、彼らを好きな理由について「たまに『あちこちオードリー』で、『うまいこと自己プロデュースして、もう1ランク上へ』って目をしている人がいるけど、3人はそういう目をしていない」と説明し、芸人が「賢くなってきて、戦略練って先々まで(考えて)生きてる」中、3人は「今を生きてる」とも指摘。自分より売れていない、「クズ芸人」と呼ばれる彼らを傷つけないよう、ほかのタレントをシニカルに腐したわけだ。

 しかし、それって結局、若林は「どんなことをしてでも、上に行こうと思っている芸人が嫌い」ということではないだろうか。芸人がどうにかして売れたいと願うことは、まったくおかしなことではなく、そこを勝ち抜いて今の地位を得た若林なら、なりふり構わず頑張る芸人の姿に、ある程度の理解を示してもよいと思う。

 若林の物言いは、彼の「社会的な上下に厳しく、自分が上でいることに固執するあまり、積極的に売れようとしない下をかわいがるという冷酷な一面」を露呈させてしまったように感じられ、これは行きすぎたシニカルで、見ていてあまり気持ちいいものではなかった。

 しかし、12月21日放送の同番組では、若林のシニカルさがいい意味で光っていた。若林は、「怒りにくい時代だと思う、年上が年下のことを」「俺らと同年代とか、30代後半、40代の人って下を怒れないと思うのよ」と切り出し、こんなエピソードを披露したのだ。

 20代のフロアディレクターが、若林の相方・春日俊彰に対してタメ口を使っていたところを見た若林は、「なんかよくないな」と感じたそう。そこで、「キミって帰国子女?」と聞いたところ、相手から「違いますよ。なんでですか?」と逆に質問され、「いや、春日にタメ口きいていたから、帰国子女かなと思った」と返答。相手は、若林の意図するところを察知し、「あ……すいません」と謝ってきたという。

 売れっ子の芸人とテレビ局スタッフ、どちらの立場が“上”かは私にはわからないが、今の地位をもってしても、若林が20代のフロアディレクターに、「言いにくいことを言った」のは伝わってきた。若林は「それはテレビ局で教育してくれや」「俺が言うこと?」と愚痴っていたものの、視聴者の中にも、若者の教育不足からくる非礼にイライラしている人はいるだろうから、「キミって帰国子女?」という “正論”に基づいたシニカルは、嫌な感じがしないし、ウケるのではないか。

 ただ、これだけだと、若林に「うるさいオジサン」という印象を抱く人もいるかもしれない。しかし、同番組出演者の平成ノブシコブシ・徳井健太が「これがMCということ」と援護射撃をしていたため、そういったネガティブな印象は受けなかった。

 徳井は、「MCとなると、(スタッフの)1つの乱れが自分の番組に響いてくる」「若林くん、本当は言いたくないよ」「でも、このままフロアの子が春日にタメ口きいていたら、全体が変になるから一応言うっていう仕事も、MCってやっていかなきゃいけない」と、若林はあくまでも「仕事のため」、20代のフロアディレクターを注意したのだと強調していた。こういうサポートする人がいることで、シニカルな人が悪者にならないで済むわけだ。

 笑いにもトレンドがあり、毒舌やシニカルな笑いが、敬遠されがちになる時期もあるだろう。売れっ子になったことで、そうした物言いがしづらくことも否定できない。けれど、だからといって、それらの笑いが「いらない」わけではないと思うし、特にシニカルな笑いは、若林の独壇場だと思う。番組MCにまで上り詰めた自身の立場をある程度踏まえつつ、他人を巻き込まない、正論の上に立った「オレはこう思う」というシニカルな笑いで、私たちをうならせてほしいものだ。

アンミカの“ポジティブ思考”に見る暗さ――「人生はブーメラン」発言が危険なワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「因果応報ですね」アンミカ
『EXITV』(12月8日、フジテレビ系)

 物事を肯定的、積極的に捉えることを意味する言葉「ポジティブ」。自己啓発業界を中心に、ポジティブであることは、まるで一点の曇りもない 青空のようにさわやかで、 「いいこと」とされ、ポジティブな思考回路を手に入れるためのハウツーが世の中にはあふれている。

 確かにやりたいことがあるのに、「自分には無理だ」と決めつけて挑戦しないより、「失敗してもいいから、思い切ってやってみよう」とトライするほうがいいとは思う。しかし、そもそもポジティブとは何なのか、前向きに挑戦する姿勢 さえ持っていれば、ポジティブといえるのか。

 私自身、どこか釈然としない思いを長年抱えてきたが、12月8日放送『EXITV』(フジテレビ系)に出演したアンミカを見て、一つの答えが出た気がした。結論からいうと、ポジティブとは「不安もしくは恐れの回避行動」のように思えるのだ。

 極貧家庭でたくさんのきょうだいに囲まれて育ったアンミカ。ケガをしても病院にかかるお金がなかったので、お母さんが1人で医師に 治療法を聞きに行った(お母さんは、直接診察してもらわなければ、お金はかからないと考えたそうだ)とか、夜明け前に起きて、親子で市場まで歩き、傷んだ果物をもらっていたなどの“極貧”エピソードを、いろいろなバラエテイ番組で明かしている。

 高校卒業後、モデルを目指して単身パリに移住した彼女は、20歳の時に『パリ・コレクション』に出演を果たすなど成功を収め、 タレントへと転身。現在はアメリカ人の制作会社社長と結婚している。極貧生活から抜け出し、セレブへと転身したといってもいいだろう。

 そんな彼女を支えてきたのが、ポジティブ思考。アンミカがプロデュースした『ポジティブ手帳2023』(小学館)には、「365日、アンミカ思考で幸運体質!」「浄化言葉で強運を引き寄せ幸せ脳に」という帯がついている。

 手帳の中にはアンミカが厳選したポジティブワードが毎週掲載されており、アンミカは『EXITV』で、「音読していただくと、目から口からそれを聞いて、五感でポジティブ脳を育むことができます」「(手帳の)左下のほうには、2週間に1回新月満月のお祈りとテーマが書かれているので。『空を見上げて、牡羊座の満月だったら、自分が短気にならず、すごい行動力を持って前向きに生きよう』とか」と手帳をPR。その日、良かった出来事を書く「Today’s Good & Happy」欄が設けられているなど、ポジティブ脳になるためのいろいろなアプローチが書かれているそうだ。

 アンミカいわく、「人生はブーメラン いいことを人にシェアしよう」。彼女は数々の商品のプロデュースを手掛けているが、それも「お金儲けと思ったら、いいものはできません。誰かが喜んでくれると思うから、喜ぶ人が増えて、結果それが売れているということにつながっていく」と解説する。同番組・MCの兼近大樹が「悪いこともそうですもんね。悪いことも投げたら戻ってくる」と同意すると、アンミカは「そういうこと。因果応報ですね」と返していた。

 私たちは誰もが、「自分は物事を論理的に解釈して判断している」つもりだが、実際には認知にはバイアス(偏り)があると、心理学で証明されている。そのうちの一つが、「公正世界仮説」 と呼ばれるもので、良いことをした場合には良い結果が、悪いことをした場合には悪いことが起きると信じることをいう。

 一見正しいように感じられるが、この考え方、なかなか危険ではないだろうか。上述した通り、アンミカの家は貧しかったそうだが、「良いことをした場合には良い結果、悪いことをした場合には悪いことが起きる」という「公正世界仮説」理論にあてはめて考えると、アンミカの両親は「悪いことをしたから、極度の貧乏になってしまった」となるが、本人はどう考えているのだろう 。「公正世界仮説」を信じすぎると、社会的弱者や事件の被害者など弱い立場の人を、あるいはアンミカなら両親を「お前が悪い」「お前の努力が足りない」と追い詰めてしまう可能性があるのだ。

 また、「公正世界仮説」を信じる人は、実は不安が強いことが証明されている。「あいつには悪いところがあった、だからあんな目に遭うのだ」と考えることで、自分の優位性を認識し、 自分は大丈夫だと思い、自分の心を安定させているわけだ。

 「公正世界仮説」を四文字熟語で言い換えると、「因果応報」になる。ということは、ポジティブの極意を「因果応報」だと説くアンミカは、実は不安感が強いタイプといえるのではないだろうか。アンミカのポジティブに見える行動は、過去のつらかった時代に戻りたくない、あの悲しみを忘れたいがために、頑張っているように見えて仕方ないのだ。

 アンミカは毎日ポジティブになるための呪文として「ハッピー、ラッキー、ラブ、スマイル、ピース、ドリーム」と唱えているという。アンミカ には申し訳ないが、こうやって「いいこと」だけを並べることで、かえって彼女の暗さが露呈される気がするのは、私だけではないように思う。

 「楽あれば苦あり」ということわざがある。楽しいことの後には苦しいことがある、またその逆、苦しいと思っている時間はいつまでも続くものではないという意味であり、 つまり苦楽は相伴うということだが、この考えは、幸福とか幸運といった「いいこと」 にも当てはまるのではないか。

 例えば、健康を損ねて長期間入院する必要があり、仕事を辞めざるを得なかったというアンラッキーを経験した人が、病を克服してまた働けるようになったとき、働ける喜びを感じ、病気をする前よりも強い幸福感を得られるだろう。不幸や不運といった「悪いこと」 は、幸福や幸運を生み出す素となり得るものだから、それらをやみくもに遮断・排除するのはポジティブな行為とはならないように思う。

 とはいえ、コロナ禍の暗い時代には、明るい笑顔と元気な 関西弁で、周りを盛り上げる アンミカのようなキャラは必要なのだろう。お体に気をつけて頑張っていただきたいものだ。

杉田水脈氏は“オジサン”の操り人形である――「ともかく目立つ」「弱い者を叩く」政治家としての処世術が限界のワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「重く受け止めております」総務大臣政務官・杉田水脈氏
参院予算委員会、12月6日

 月刊誌「新潮45」2018年8月号(新潮社)に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論考で、同性カップルについて「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と述べた総務大臣政務官・杉田水脈氏。

 いくら言論の自由があるとはいえ、人権意識が著しく欠如した発言といえるだろう。このほかにも「チマ・チョゴリやアイヌ民族衣装のコスプレおばさん」など、杉田氏の問題発言は枚挙に暇がない。政治家にふさわしい教養や見識を持っているとは到底言えないが、ひとたび見方を変えると、ある意味、とても政治家向きなのではないだろうか。

 タレントなど、人気商売の人が公の場でする発言が本心であるとは個人的に思わない。テレビはショーであり、タレントはその出演者として、番組の制作側が想定する以上のパフォーマンスを披露し、視聴者を楽しませるのが“お仕事”である。

 番組の出演者全員が同じ意見では番組が盛り上がらないから、タレントは、本心は別にして、わざと真っ当な意見に反対してみたり、あえて嫌われ役を買って出ることもあるだろう。嫌われ役をやるのは不本意かもしれないが、視聴者からの注目を浴びることができるし、その役回りが定着した後に、「一周回って、いい人に見えてきた」と好感度が上がることもよくある話だ。

 原則的に、多くの票を得た人が政治家になれると考えると、政治家も一種の人気商売だろう。杉田氏の「生産性」発言は、決して容認されるべきものではないが、彼女は政治家として生き残るために、あえて嫌われ役を買って出て、あんな発言をしたように思えてならないのだ。なぜそう思ったのかというと、彼女自身とて、完璧な「生産性」を持っているとはいえないからである。

 最初に申し述べておくが、そもそも、人間を「生産性」で計ることは間違っている。が、なぜ杉田氏が政治家として生き残り、総務大臣政務官にまでなれたかを考えるのに、まずこの観点は必要だと感じるので、本稿ではあえてそれをキーワードに進めてみたい。

 同性愛者は子どもを作らないから、生産性がないという杉田氏の発言の裏には、「少子化はよろしくない」という発想があるのだろう。確かに子どもを生まなければ、労働人口が減り、社会は立ち行かなくなるかもしれないし、今の年金制度が破綻することは目に見えている(しかし、これもおかしな話だ。少子化の原因には、賃金が上がらないことや、いまだに保育園が足りないことなどが挙げられ、その背景には、日本が超長時間労働を基本としていることも関係しているだろう。そう考えると、少子化は個人の問題というより、政治家が率先して解決すべき重要な課題といえ、国民を責めるのは、お門違いというものである)。

 しかし、人口を増やすという観点でいうと、杉田氏自身も「生産性」に欠けているのではないだろうか。公式ウェブサイトによると、彼女にはお嬢さんが1人いるそうだが、彼女の主張を踏まえた場合、推計上3人以上生まなければ人口を増やすことにはならないので、「生産性がない」ことになる。

 3人産んだからといって、終わりではない。「生産性」を追及するならば、生まれてきた子どもたちには、立派な就労・納税者になってもらわねばならないだろう。その考えに立つと、生まれつき障害のある人、不慮の病気や事故にあって働けなくなった人、人間関係のトラブルなどからひきこもった人などは「生産性」がないとされる存在になる。

 子どもを3人以上持ち、その子たちに立派な教育をつけさせ、世に送り出す。さらに子どもたち自身も、ずっと健康体で働き、納税を行う――これで初めて「生産性がある」とするのなら、杉田氏だけではなく、ほとんどの日本人は「生産性」がないのではないだろうか。彼女を自民党にスカウトした大恩人の故・安倍晋三元首相も子どもがいないわけだから、「生産性」がないことになってしまう。

 大恩人を侮辱し、自分自身とて「生産性がない」と言われかねないのに、なぜ彼女は文章という残る形で、「生産性」について言及してしまったのか。それは「生産性」発言が彼女の処世術だからだと思う。

 政治家には、地盤(組織)、看板(知名度)、カバン(資金)の“三バン”が必要といわれている。その結果、これらを生まれながらに持っている二世、三世議員は、政治の世界で有利な立場といえ、実際、岸田文雄総理大臣も三世議員、安倍元首相も岸信介元首相ら多くの政治家を輩出した政治家一家の一員だ。自民党の女性政治家でいうと、総理大臣を目指すことを公言している衆議院議員・野田聖子氏、小渕優子氏も世襲である。

 そのほかの女性政治家では、自民党参議院議員の丸川珠代氏は元テレビ朝日の女子アナ、立憲民主党参議院議員の蓮舫氏も、音響機器メーカーのキャンペーンガール「クラリオンガール」を経てタレント活動を行っていた過去があり、また自民党衆議院議員の稲田朋美氏はかつて弁護士として働いていた。

 いくつかのケースから結論付けてしまうのは危険な行為だが、政治家の家に生まれなかった女性が政治家になるためには、女子アナ、タレント、弁護士といった“すごいプロフィール”が必要なのではないだろうか。

 一方、杉田氏は地方公務員を経て、政治の道を志した。現場を知る人が政治家になるのはいいことだと思うが、世襲でもなく、また女子アナ、タレント、弁護士といった目立つ経歴もない杉田氏は、選挙戦においてかなり不利な立場だったといえる。

 世襲やプロフィールで戦えないのであれば、発言で目立つ必要がある。政治家にとって、自分に投票してくれる支持団体は絶対に確保しておきたいところだろうから、特定のターゲットに刺さる内容であることも重要だが、そこで彼女が狙いを定めたのは、日本社会において最も優位な立場である“オジサン”という組織だったのではないか。

 杉田氏は過去に非公開の党の会議で、女性への性暴力をめぐる相談事業に関し、「女性はいくらでもウソをつける」と発言して、問題になったことがある。杉田氏にもお嬢さんがいて、性暴力に遭う可能性がまったくないわけではないのに、なぜこんなことが言えるかというと、“オジサン”の機嫌を取るために発言することが習い性になっているからのように思う。

 個人的な話をして恐縮だが、私は過去、ゴリゴリの男尊女卑企業に勤務しており、そこには「若い女性に、若くない女性の悪口を言わせたがる“オジサン”」が存在した。例えば、若い女性社員が、独身の先輩女性社員について「ああいうふうにはなりたくないです」などと言うと、手を叩いて喜ぶ“オジサン”がいたのである。彼らは、自身への糾弾を避けるため、自ら若くない女性の悪口を言うことはないが、若い女性に代弁させて「そうだそうだ!」と同調し、溜飲を下げていたわけだ。

 多様性の時代といわれる昨今。しかし、それはネット上、もしくは都市部の話であり、ちょっと都会を離れたら、「同性愛者を受け入れたくない」「未婚者や子どものいない者は、人として何かが欠けている」と思っている“オジサン”は確実に一定数いるだろう。これは、自身の優位性を脅かす女性や少数派台頭を疎ましく思うからだろうが、多くの“オジサン”は、自分の信用に関わるため、それを表立って口に出せない――そんな彼らの代弁者が、まさに杉田氏だったのではないか。

 支持団体がつけば、選挙に当選しやすくなる。当選回数が増えれば、要職に就くことができる。総務大臣政務官となった杉田氏の“オジサン”を味方につける作戦は、成功だったといえ、ある意味、彼女はとても政治家向きなのだろう。しかし、この“オジサン”ウケする「ともかく目立つ」「弱い立場の者を叩く」作戦には限界がある。責任あるポジションに就くと、「人権感覚に問題がある」とみなされ、このやり方が通用しなくなるのだ。

 12月6日の参院予算委員会で、杉田氏は「私の過去の発言などに対する厳しいご指摘、ご批判について重く受け止めております。傷つかれた方々に謝罪し、そうした表現を取り消します」と述べた。

 加えて、杉田氏に重く受け止めてほしいのは、“オジサン”にウケるための処世術として、女性や少数派の悪口を言っていたとしも、こういう大事な時に“オジサン”は彼女を守ってくれないことだ。綺麗ごとでは政治の世界を渡っていけないことくらいは承知しているが、彼女が“オジサン”の操り人形になった揚げ句、使い捨てられませんようにと思わずにいられない。

石橋貴明の「若い子とがんがんセックス」宣言に“老い”を指摘――「新しい大御所」研ナオコの秀逸さ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「できるんだったら、やってきな」研ナオコ
『石橋貴明プレミアム第18弾 タカさんと話題の人たちあっち向いてホイ!』(Abema TV、11月27日)

 かつて一世を風靡し、顔と名前は広く浸透しているけれども、今、テレビで見ることは減った――そういう芸能人たちが、「ベテラン」とか「大御所」と呼ばれ、時折バラエティ番組に出ることがある。制作側の狙いは、「あの大御所が登場」という演出により、番組の格を上げることに尽きるだろうから、大御所本人がそこで“結果”を出すことはそれほど求められていないと勝手に思っていた。

 しかし、11月27日放送『石橋貴明プレミアム第18弾 タカさんと話題の人たちあっち向いてホイ!』(Abema)に出演した2人の大御所を見て、今のバラエティで“結果”を残せない「古い大御所」と、“結果”を残せる「新しい大御所」がいるのだと思い知らされた。

 地上波でのレギュラーを失い、現在はYouTubeチャンネルでの活動が中心のとんねるず・石橋貴明。まだ60歳と老け込むには早いはずだが、なんだか“アップデート”できていないように思うのは、私だけだろうか。『石橋プレミアム』でも、今の時代に合っていない価値観をさらすばかりで、“結果”を残せない「古い大御所」ぶりが際立った。

◎EXIT・兼近大樹に「バカじゃねーの?」とダメ出しする石橋貴明の“古さ”

 石橋は、お笑いコンビ・EXITをゲストに迎え、今夏放送された『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)を振り返る。同番組で100キロマラソンに挑戦したEXIT・兼近大樹が、両国国技館のゴール直前で泣いたことに触れ、「最後に泣いてるんだよ!」「バカじゃねーの?」「なんで今まで作ってきたこのキャラを、ここでぶっ壊しちゃうんだよって」とダメ出しをしていた。

 「キャラをブレさせるな」という指摘はもっともだと思うが、EXITは「チャラさを装っているけれど、実はとても真面目」が持ち味なのだから、泣いたとしてもそれほどキャラに反していると私は思わない。マラソン前、「加山雄三さんに歌わせねぇでゴールしてやるよ」と息巻いていた兼近が、「最後は加山雄三さんと握手して涙」したというのも、彼らしいまとめ方だったと思う。

 石橋いわく、もし自分が兼近と同じくらいの年齢のときに、マラソンランナーのオファーを受けたら「1時間前に飛び込んで(ゴールして)、谷村(新司)さんの横で『チャンピオン』を歌う」そうだ。

 スタジオでは笑いが起きていたものの、無茶なことをするのが「面白い」とされる時代はとっくに過ぎた。その流れについていけなかったために、自身の番組の視聴率が低迷したことを、石橋は理解していないような気がする。兼近の相方・りんたろー。が「(そんなことをしたら)時代にハジかれますって!」と言っていたが、それが現代的な感覚といえるのではないだろうか。

 石橋のYouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」を見ていても、石橋の古さを感じることがある。女性ADの写真集制作のため、石橋は美のカリスマ・IKKOにメイクを頼む。IKKOのスキンケアによって、女性ADの肌は柔らかく、皮をむいたゆで卵のようにつるんとした状態になったのだが、石橋は彼女の肌を「ゆで卵」とたとえた後で、IKKOに対して「大涌谷のゆで(黒)たまご。クセェ」と言って笑っていた。

 石橋は、「YouTubeはテレビでないから、コンプライアンス的に問題がない」と言うかもしれないが、「女性が2人いたら、片方の外見を褒めて片方の外見を下げる」という、昔からやっていた笑いの技が、今の人に受け入れられるのか疑問に思う。

 反対に、『石橋プレミアム』で、「新しい大御所」としての存在感を示したのが、研ナオコではないか。

 YouTubeチャンネルで公開したメイク動画の再生回数が、最高585万回(11月30日時点)と大バズりした研。10代から圧倒的な支持を得ているというが、石橋は研がすっぴんをさらしたことについて「YouTubeすげーな。何でもアリになってんだな」と驚いたそうだ。しかし、素顔をさらしメイクをする過程を見せるメイク動画は、芸能人一般人問わず、それほど珍しいものではない。ただ、研のような「大御所」がやることがかなりマレであり、だからこそ面白いわけだ。

 石橋が研のすっぴんさらしに驚いてしまうのは、「大御所は、身を切ってまで笑いを取る必要はない」と大上段に構えて、若手のタレントや一般人を下に見ているからではないだろうか。逆にいうと、研が臆することなくメイク動画を公開するのは、石橋のような見下しをしていないからともいえる。

 また、研はトーク力も衰えていない。かつて野口五郎と組んでコンサートをしていたものの、今は辞めているそうで、その理由を「あの人、面倒くさいじゃん」とあっけらかんと語り、スタジオを盛り上げた。悪口で笑いを取れるのは、研のキャラクターあってこそだが、自身と同じ「大御所」を腐しているからというのも大きいだろう。

 また、女優・鈴木保奈美と離婚した石橋が「すごい寂しいんですけど、一人は」と訴えた際、研が「そんなこと言ったって、しょうがないじゃん。自分で決めたんだもん」とバッサリ斬ってみせたのも見事だった。「芸能界広し」といえども、石橋相手にこれを言えるのは、研が「大御所」だから。

 つまり研は、「大御所」という立場だからこそできるほかの「大御所」イジりで、笑いを取ったわけだ。これは見ている人を嫌な気持ちにさせない、今のバラエティで“結果”を残せる「新しい大御所」の姿なのではないか。

 ちなみに研は、相談だってお手の物だ。独身の石橋がEXITの兼近に合コンに誘われた話をすると、研は「行ってきたほうがいいよ。若い子と触れ合うのはとってもいい」と参加を勧めた。しかし、石橋が「がんがんやってきます、セックス」と宣言すると、研は「できるんだったら、やってきな」と言い放ち、このリターンは秀逸としかいいようがなかった。

 石橋は全盛期に、番組で女性とのセックスの話をあけすけにしていたから、今もそのノリを引きずっているのだろう。しかし、一般論でいうのなら、加齢で男性ホルモンが減少すると、男性は若い頃と同じようにセックスをすることは難しくなる。研の「できるなら、やってきな」の「できるなら」は、「いつまでも、あの時と同じと思うな」という意味であり、石橋に“老い”を指摘したように私には思えたのだ。

 年齢で比べるなら、研は69歳なので、石橋よりも年上だが、人を老けさせるものは必ずしも実年齢ではないのかもしれない。石橋のように自分の地位やイメージ、かつての技、やり方に固執すると、人は実年齢や見た目以上に“古く”なる恐れがある。石橋と研のトークには、そんな教訓が隠されているように思う。

『ワイドナショー』武田鉄矢を「老害」から「いじってもいい人」に味変させた野沢直子のスゴ技

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「重要だって、あたしは」野沢直子
『ワイドナショー』(11月13日、フジテレビ系)

 テレビを見て、こんなに笑ったのは久しぶりだ。11月13日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)にリモート出演した芸人・野沢直子。彼女が米サンフランシスコ在住ということもあり、アメリカの中間選挙についてコメントしていた。

 同番組コメンテーターのダウンタウン・松本人志は「いらんいらん、野沢、いらんて」と、野沢が出演する必要はないと言っていたが、野沢は「いるって。いるって。あたし、いるって」「重要だって、あたしは」と、最近のテレビではとんと見なくなった、いい意味での“あつかましさ”を見せてくれる。

 松本がそれほど親しくないゲストに「いらん」と言ってしまったら、このご時世、「松本がパワハラしている」と批判されかねないが、野沢とは『夢で逢えたら』(同、1988~91年)で共演した仲のため、松本も軽口を叩けたのだろう。

 しかし、この日の野沢は「重要だって、あたしは」という発言通り、ものすごい“ワザ”を見せてくれた。

 同番組ゲストの西川貴教は、アメリカの中間選挙に関して、同国の若者は「政治参加の意識がすごい高い」「18歳~29歳までの方の『選挙行きますか?』という(質問の)答えに、40%の方が『選挙行きます』っておっしゃっていて……」と指摘。それに対し、日本の若者は「SNSとかで、ああだこうだって政治のこと批判する割に、誰も全然(選挙に)行かない」「『何でなの?』って(聞いたら)、『わからないから』とか。そんな無責任な形で、結局、白票を投じたりとか、意味のないことに結局、時間を使ってしまっている」と、苦言を呈していた。

 しかし、西川が話し終えていないのに、同じくゲストの俳優・武田鉄矢が突然「すいません、海の向こう、ひとつ聞いていいですか?」と割り込んできた。

 西川が話している最中なので驚いたが、人の話をさえぎってまでする質問なので、おそらく西川の発言に関係することを野沢に聞きたいのだろう……そう思っていたら、武田は「やっぱり、物価っていうのは高いの?」と、まったく無関係な質問をしたのだ。

 この事態に、ほかの出演者が固まる中、野沢がどう切り返したかというと、「高いんですよ」と即答した後、「この間、ほら、出た時に武田鉄矢さんと一緒だったじゃないですか」と、武田に確認。確かに2人は、10月9日放送の同番組でも共演しており、武田が「はいはい」と答えると、野沢は「この(物価高の)話、すごいしましたよね」と、ほんの1カ月前にも、同じような話をしたことをさらっと指摘したのである。

 司会の東野幸治は「それ、言わんでええのよ」とツッコみ、武田本人も「そうだよな。そんなこと言わなくていいよな」と乗っかってみせたが、面目を潰されたと思ったのか、再度野沢に「最近、ラーメン食べた?」と、これまでの話に関係のないことを質問。すると野沢は「ラーメン食べましたよ」と答え、「だから、ラーメン(の話)も前に言ったじゃないですか」と指摘したのだった。

 見ている側はヒヤヒヤしたものの、武田に発言権を奪われた西川が「全然覚えてないんですね」と笑ってツッコみ、私にはその場が丸く収まったように感じた。

 自分より若い芸能人が話しているのに、それをさえぎって会話に入ってくる武田を、「老害」と見る人もいるだろう。しかし、野沢が「この話、すごいしましたよね」とはっきり言ったことで、武田は「老害」から「いじってもいい人」「しょうもない人」へと見事に“味変”を遂げたように感じる。

 発言をさえぎられた西川は気の毒ではあるものの、スタジオ全体に笑いが起きたので、これはこれでアリではないだろうか。野沢も自身の面白さをアピールできたし、出演者の誰も損をしていない。

 ひと昔前のテレビでは、武田のような大御所に若い女性タレントがツッコみ、大御所がやに下がって喜ぶ……という場面がよく見られた。しかし、今のテレビでそれをやると、「セクハラ的」と見る人もいるだろう。何より、今の武田はキャリアの浅い若い女性タレントでは制御できないように思われる。そこにきて、キャリアのある野沢の立ち居振る舞いは、視聴者を嫌な気持ちにさせないし、見事と言わざるを得ない。

 そういえば武田は、同番組にゲスト出演していた、アメリカ大統領選挙に詳しい明治大学の海野素央教授に対し、「映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくる悪役のビフはトランプをモデルにしたというのは、本当か?」といった質問もしていた。

 海野教授の専門ではないことは明らかなだけに、西川は「どこに行こうとしているんですか?」とツッコんでいたが、どうしても皮肉めいて聞こえ、また困った顔をしていたため、笑えなかった。やはり、武田を必要以上に追い込まず、かつ明るい笑いに変える腕を持つ人は野沢くらいに思えてならない。

 コロナ禍の影響で、リモート出演が当たり前になったことにより、これまで1年に1~2回、日本に“出稼ぎ”に来る時しか見ることができなかった野沢を頻繁に見られるようになったのは、いち視聴者としてラッキーとしか言いようがない。

 テレビの世界には、ちょっと扱いに困る大御所がたくさんいる。洒脱なトークで、ほどよく彼らをイジる野沢が見たいと思うのは、私だけではないはずだ。

『笑点』を自主降板――二代目・林家三平は、「面白くないまま」大喜利を続ければよかったと思うワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「未熟な自分は、もっと人生経験を積んで勉強する必要があると感じたから」二代目・林家三平
『徹子の部屋』(テレビ朝日系、11月9日)

 二代目・林家三平(以下、三平)が、演芸番組『笑点』(日本テレビ系)の大喜利レギュラーになったのは、2016年のこと。当初から「面白くない」「父親である初代・林家三平の七光り」というふうに、彼の実力のなさを指摘する声もあった。昨年12月に、三平は『笑点』を自主降板するが、結局5年余り出演が続いたわけで、よくもったと言えるのではないだろうか。

 しかし私はかねてから、三平の『笑点』レギュラーは、かなりいい人選だと勝手に思っていた。

 「長所は短所」ということわざがある。もともとの意味は「長所もあまり当てにしすぎると、かえって失敗することもある」だが、「見方を変えれば評価も変わる」という言葉とも解釈され、転じて「短所は長所」などと言われることもある。

 三平は『笑点』の大喜利メンバーだった頃、座布団10枚を達成することができなかった。これは「面白くない」と公衆の面前で証明されたも同然で、落語家としては短所である。しかし、番組全体で考えてみたら、どうだろうか。

 三平は、初代・三平の息子というブランドと知名度がある。そのどちらもないど新人が座布団を取れない場合、視聴者から「替わりはいくらでもいるんだから、もっと面白い落語家を出せ」という声が出てくるかもしれないが、三平のようなお坊ちゃんが全然面白くないというのは、また話は別だ。

 「親が昭和の爆笑王であったとしても、才能は遺伝しない」という教訓となり、溜飲が下がる視聴者もいるのではないだろうか。つまり、三平が面白くないことが、三平もしくは番組の持ち味や長所になるかもしれないのだ。

 今の時代、三平が面白くなければ、SNSでも話題になる。それは番組の宣伝に貢献することと同義なわけだから、面白くないのは必ずしも悪いこととは言い切れないだろう。そう考えると、私は三平に対して、堂々と「親が偉大なのに、面白くない」まま、『笑点』の大喜利を続ければよかったのにと思わざるを得ないのだ。

 それに「デキる人」というのは、実は損な部分がある。

 小室眞子さんの夫・圭さんが、3回目にしてニューヨーク州の司法試験に合格したことは記憶に新しいが、もし彼が「デキる人」で一発合格していたら、世論はどうなっていただろうか。

 もちろん祝福の声は上がるものの、「米フォーダム大学で奨学金を得て学んだのだから、当然だろう」「所帯を持ったのだから、落ちるわけにいかない」というふうに、小室さんの努力を認めず、当然視する意見のほうが優勢だったように思う。

 しかし、圭さんは、2回の失敗を経験。ニューヨーク州の司法試験は、回を重ねるごとに合格率が下がるとされるデータがあり、ここから判断するならば、彼は、かなり不利な状況に立たされたといえる。しかし、大方の予想を裏切って、3回目にして合格したからこそ、圭さんは「頑張った」「運を持っている、すごい人だ」と、多くの人たちに褒められたわけだ。

 これは『笑点』の大喜利においても、同じではないだろうか。毎回爆笑をさらい、座布団をどんどん取っていた「デキる人」が、たまたま数回取れないと「最近面白くない」とか「失速し始めた」と言われる可能性がある。

 しかし、「面白くない」と思われてきた三平が少し面白いことを言えば、「よくやった」「やればできるじゃないか」「やっぱり、父親の血だ」というふうに、ほめそやす人も出てくると思われる。

 最初から、いい点数を取れるというのは素晴らしいことだが、その後は、それ以上の活躍をしないと世間サマは認めてくれないと考えると、「デキる人」はリスクでもあるのだ。ゆえに「面白くないお坊ちゃん」というのは、伸びしろしかないし、三平にしかできないおいしいキャラだったと思う。自分から『笑点』を辞めるなんてもったいない。

 11月9日放送『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にゲスト出演した三平は、『笑点』を自主降板したことについて、「未熟な自分は、もっと人生経験を積んで勉強する必要があると感じたから」と振り返っていた。どうにも真面目すぎるというか、ちょっとカッコつけているところがあるのではないだろうか。

 面白くしたいなら、人生経験を積むよりも、共演している先輩に頭を下げ、アシストしてもらって“見せ場”を作ってもらうほうが効果的なはず。もしそれができないなら、「できないくせにできないと言えない」ムダなプライドが邪魔しているように感じる。それはお坊ちゃま育ちだからかもしれない。

 番組名は失念したが、初代・三平は、テレビ進出に熱心だったと見たことがある。世間一般に「落語は演芸場で見るもの」と思われていた時代、落語界にはテレビを一段下に見る人が多かったという。しかし、テレビの台頭により演芸ブームが起きると、初代・三平はいち早くその流れに乗った。テレビは、芸人に与えられる時間が演芸場より短い中、「もう大変なんすから」など、テレビ用に“短時間でウケるためのネタ”を編み出したそうだ。

 人がやりたがらないことをやれば、ライバルが少なくなるから自分に有利になる。けれど、いくらライバルが少ないといったからといって、ウケなければ何の意味もない――初代・三平はそんなふうに思っていたのではないだろうか。

 テレビの時代を予見し、テレビに合わせたネタを作れる初代・三平の頭の良さは、いい意味での計算高さといえる。二代目・三平に足りないのは、人生経験ではなく、初代の持ついい意味のズルさともいえるのかもしれない。

西野亮廣がエンタメ界で売れるワケ――後輩芸人に小バカにされる隙と「現実的すぎない」トーク

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「周りを勝たす人」キングコング・西野亮廣
『トークィーンズ』(10月27日、フジテレビ系)

 2019年に亡くなった作家・田辺聖子さんの短編集『孤独な夜のココア』(新潮文庫)に、『石のアイツ』という作品が所収されている。売れっ子となったテレビドラマの女性シナリオライターが、売れない時代に同棲していたシナリオ学校で知り合った男性を回顧するという内容だが、その中で「売れる人」の条件として、隙があること、あまり性格が現実的でないといったことが挙げられていた。

 人がドラマなどのエンタメ作品を求めるのは、現実の世界から離れたいからという理由が少なからずあるだろう。いくら事実であったとしても、エンタメ作品で“身も蓋もない、つらく堅苦しい現実”を見せられたらゲンナリしてしまう。程度問題ではあるが、多少夢見がちで隙のある作り手のほうが、物語全体に救いが生じ、多くの人に愛される――『石のアイツ』で述べられていたのは、そういった意味だと思う。

 隙があり、現実的でなく、エンタメの世界で成功している。この条件を考えたとき、私の頭の中に最初に浮かぶのが、キングコング・西野亮廣だ。

 お笑い芸人としての活動のみならず、西野が描いた絵本『えんとつ町のプペル』(幻冬舎)は大ヒットを記録し、映画化、舞台化も実現させている。また、オンラインサロンの会員数は日本一、クラウドファンディングをいち早く導入させ、さまざまなプロジェクトを成功させてきた。

 そんな西野が10月27日放送の『トークィーンズ』(フジテレビ系)に出演。芸能界やエンタメを主軸とするビジネスで成功した経験をもとに、多数の女性出演者を相手に「信用できる人」「信用しちゃダメな人」の見極め方をレクチャーしていた。

 西野にはいい意味で、隙がある。芸歴からいえば、西野は同番組の女性出演者に上から物を言っても許される立場だったが、西野は満遍なくツッコまれている。

 若槻千夏に、「(信用できない人の条件は)全身黒ずくめの人」と言われ、西野は「俺だよ」と返していたほか、指原莉乃には「(オンラインサロンの会員数が)4万人いる人のほうが怖い」と日本一の業績を茶化される始末。また、かなり後輩の芸人である3時のヒロイン・福田麻貴にも「芸人の仲間に『(西野を)リスペクトしている』と言えない」と小バカにされており、しかし西野は「うるせーわ」というものの、特に怒った様子はない。

 これこそが「売れる人」の持つ「ちょうどいい隙」なのではないだろうか。「ちょうどいい隙」のある人の周りには人が集まり、その会話や関係性から新たなエンタメが生まれることもあるから売れるのだ。

 西野は「信用できる人」として、「周りを勝たす人」を挙げた。西野いわく「自分の取り分しか考えない人って、誰かのライバル、競合、敵になってしまうので、こういう人はすぐにいなくなっちゃうんですよ。でも、周りを勝たしている人って、みんなその恩恵を受けていて、こいつはいなきゃいけない存在なんで、こいつを潰そうとは絶対しない」となるそうだ。同番組の司会・高橋真麻は「人の幸せを自分の幸せと思える人かしら?」とまとめ、西野は「強いっすよね、そういう人って」と同意してみせた。

 私に言わせると、これは現実的すぎないという意味で、ちょうどいい。というのも、現実的に考えると、「周りを勝たす人」になるのはそう簡単ではないからだ。「周りを勝たせる人は信用できる」という、西野の意見に納得する人は多いのではないだろうか。確かにムダに戦うよりも、あえて自分が引くことで共存共栄することは、正しい作戦といえる。

 極端な成果主義に疲れている視聴者にとっては、成功者・西野が温和な作戦を掲げることで、「案外いい人かも」と好感を持つこともあるだろう。

 しかし、「周りを勝たせる」ことができるのは、ある程度の実力と実績があると認められた人でないと無理なのはは、見逃せない事実だ。

 例えば、テレビに出るようになって日が浅い新人がいたとする。彼らは、少しでも前に出て、顔と名前を売っておかなければ、次があるかわからない。周りを勝たせようと控えめに振る舞っていたら、視聴者の印象には残らないだろうし、新人をキャスティングした側には「本番に弱いのか」と見られてしまう可能性もある。

 となると、名前と実力(芸歴、実績)が世間に十分浸透していて、無理に前に出る必要がない人――もっと言うと、周りに「あの人はあえて自分が前に出ず、周りを勝たせるためにやっている」と思ってもらえる人しか、「周りを勝たせる人」になれないのではないだろうか。

 こうやって考えていくと、「周りを勝たせる人が、信用できる」のではなく、「信用のある人は、その気になれば周りを勝たせる側に回ることができる」というほうが正確な気がする。

 それでは、「信用のある人」とはどんな人かというと、繰り返しになるが、知名度と実績なわけで、たいていの人はそれがないから苦しんでいるわけだ。

 このあたりの身も蓋もないことは匂わせず、「信用できる人は、周りを勝たせる人」と語り、視聴者に「周りを勝たせる人になれば、自分も信用される」と夢を見させてしまうあたりが、西野のすごさだと思う。

 このように西野は、エンタメビジネスで成功する条件を満たしているように思うのだが、これらを安易にマネしようとするのは危険だろう。

 自己啓発本ではよく、自分の考えや行動を変えることで、「成功、お金、人脈、情報をドカンと得よう!」と説いているものの、実際これらは「持っている人のところにはどんどん集まり、持っていない人のところにはまったく回ってこない」という特徴があるのではないか。

 例えば、ある人がお金のない生活から抜け出したいと、ビジネスを始める決心をしたとする。しかし、お金儲け(ビジネス)をしようにも、お金(資金)がなければ、どうにもならないわけだ。そこで、資金を集めようと動いても、なかなか思うようにお金も人脈も手に入らない。なぜなら、成功の実績がないため信用されないからだ。

 西野がエンタメビジネスで成功した理由は、先にも述べたように、隙があること、あまり現実的でないことのほか、いろいろあるのだろうが、そもそも彼がお笑いの世界で結果を出し、知名度があったことは、確実にプラスに働いたと思う。よく知らない相手よりも、芸能人などよく見る機会のある人のほうに好感を抱くことを、心理学では「単純接触効果」と呼ぶ。一緒に仕事をするにしても、すでに何度も“接触”している人のほうが、安心や信頼がある部分は否めない。

 西野の来し方を、お笑いの世界で結果を出してお金を得て、そこから人脈を広げ、エンタメビジネスでも成功したと見るのなら、そのポイントはまず「お笑いの世界で名を上げたこと」といえるだろう。

 西野のオンラインサロンに集う人が、何を期待しているのかは私にはわからない。西野のそばに行きたいのかもしれないし、仲間がほしいのかもしれない。いろいろな楽しみ方はあっていいと思うが、一般人はそう簡単に西野にはなれないということだけ、頭の片隅に置いておいてほしいものである。