小原正子の夫婦エピソードはなぜ笑えない? “モラハラ夫”と“認められたい妻”の構図

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「好きな女やから、こんだけ直してあげよう思うんちゃうか?」クワバタオハラ・小原正子
『踊る! さんま御殿!!』(日本テレビ系、6月6日)

 夫への不満をテレビで語るというのは、案外難しい仕事ではないだろうか。

 深刻な不満では笑えないし、夫のイメージが下がることもある。こういう時、笑いに落とし込めるお笑い芸人は番組制作者にとって頼れる存在だろうが、夫婦ネタをクワバタオハラ・小原正子が語る時、なんだか笑えないのである。

 元プロ野球選手・マック鈴木と結婚し、今や二児の母となった小原だが、独身時代はダメ恋愛を繰り返すキャラクターで売っていた。番組名は失念したが、番組の年下制作スタッフと付き合っている時は、身の回りの世話はもちろん金も貢ぎ、最終的には「お母さん」と呼ばれてしまったことや、青年実業家だと思って交際していた男性が、詐欺師だったなど、インパクトのあるネタを披露していたのだ。

 マックとの恋愛も、最初は順調とは言い難かったようだ。「週刊朝日」(朝日新聞出版)によると、小原が経営していたバーにマックがやって来たことがきっかけで交際が始まったものの、1年以上交際しても、「彼氏」と公言されることを嫌がられたり(マックには、ほかにもガールフレンドがいた)、タバコを吸う女性が嫌いなマックのために禁煙しようとすると、「タバコまでやめられたら、真剣に付き合わなきゃいけなくなるから、やめなくていい」と言われたりなど、小原のひとり相撲は続く。

 「女性自身」(光文社)によると、タワーマンションに住む売れっ子芸人の小原に対し、マックの収入は「普通のサラリーマン」程度。小原はマックに合わせ、高層マンションを引き払う。酒を飲むのをやめ、化粧も薄くするなど、マックの好みに合わせていく。収入差のあるカップルの場合、高収入の方にライフスタイルを合わせることが多いが、マックが小原に歩み寄る気配はない。私には、なぜここまでペコペコしなくてはいけないのか疑問だが、小原は『ぶっちゃけ告白TV!カミングアウト!』(フジテレビ系)で公開プロポーズし、外堀を埋めて結婚にこぎ着けた。

 6月6日放送の『踊る!踊る!さんま御殿!!最強2世軍団が大暴露 有名人の妻が大モメ祭』(日本テレビ系)に出演した小原は、夫に対する不満として、「夫がキレた」エピソードを披露する。ハワイのベトナム料理屋で食事をしていた時のこと。マックが次男に食事を与えていたが、子どもが水を飲みたそうだと思った小原が飲み物を飲ませたところ、マックがキレて「10か0やろ」と言ったそうだ。“子どもの面倒を見させるなら、全て自分に任せるべき”つまり“お前は口を挟むな”という意味で怒ったといい、マックは小原と幼子2人を置いて、店を出て行ってしまう。戻ってきたマックに、小原が「(文句があるなら)もっと優しく言って」というと、マックは「わかった。優しくしよう。その代わり、お前のこと好きな女とは見られん」と言い放つ。「好きな女だから、こんだけ直してあげよう思うんちゃうか?」というのが理由で、小原も「私、愛されてる」と結んでいた。

 夫婦のことに他人が口を出す筋合いはないのは百も承知だが、これ、モラハラというやつではないだろうか。小原は「不満に思うことは、キレないで話してほしい」と頼んでいるのに、マックは「おまえに悪いところがあるから、俺が直してやっている」「直してやるのは、愛情があるから」と理論のすり替えを行っているのだ。

 そもそも、マックは「直してあげる」と上から物を言っているが、子どもに飲み物をあげた小原の何が問題なのか、私にはわからない。単に自分が気に入らないだけなのではないだろうか。このように書くと、マックが悪人のようだが、小原もそれを受け入れる土壌を持っている。過去の遍歴でわかるように、小原は「相手のいいなりになれば、自分は認めてもらえる」と思っているフシがある。相手が怒っているのは、自分が悪いのではなく、単に相手の機嫌が悪いこともある……そのことに気付かない女性と、マックのように自分が気に入らなければ怒るという男性は、共依存的な意味で相性ばっちりなのだろう。

 男に気を使う小原だが、同性には無神経である。小原は先月、脇に小さなしこりを感じて乳腺外科を受診したが、異常はなかったとブログで報告していた。問題がないのに、書く必要があったのか、私には疑問である。芸人というより、最近はママタレとしての活動にシフトしているようにも見える小原だが、これからは同性に気を使えないと、ママタレとしての成功は難しいと思うのだが。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

GENKINGの“ズレてる”自意識を浮き彫りにした「セレブ偽造で借金苦」の過去

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「バレてなかったの」GENKING
『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系、5月28日)

 人間の直感は、履歴書や30分の面接よりも、よっぽど当てになると私は信じている。

 例えば、GENKINGが、一般人ながらインスタグラムで多数のフォロワーを持ち、謎の美男子セレブとして脚光を浴びだした頃から、私はずっと群を抜いた“うさん臭さ”を感じていた。あの若さでブランド物をたくさん持っているということは相当収入がないと無理だろうが、「専業主婦をしていた」「OLをしていた」「クリエイターをしていた」と前歴がころころ変わる、かつ、そんなに高収入とも思えない職種なのが、うさん臭さをより強くする。美容好きなことは一目瞭然だし、顔のパーツが整っていることは確かであるものの、なぜか清潔感もない。風呂に入るなどの衛生観念という意味での清潔感ではなく、裏の世界特有の臭みが漂っているとでも言ったらいいだろうか。

 2015年はバラエティ番組にひっぱりだこだったGENKINGだが、最近はあまり見ないと思っていた。ここにきて、5月28日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな』(テレビ朝日系)に出演し、実はセレブではなくインスタグラムに載せるブランド物のために1000万円もの借金をしていたと告白したのだ。

 愛知県出身のGENKINGは、上京当時月収が20万円程度であったのに、日本有数の高級住宅地である渋谷区神山町に住むことを決意する(家賃7万のボロボロのアパートに住んでいたそうだ)。ブランド品を買って着飾るようになると、遊ぶ場所も六本木にシフトし、出費がかさむ。特に痛い出費だったのが、タクシー代だそうだ。周囲には、電車に乗って遊びに来る人がいなかったので、GENKINGもタクシーに乗るものの、友達の姿が見えなくなるところで降り、あらかじめ隠しておいた自転車で家に帰っていたという。

 その頃、たまたま始めたインスタグラムのセレブ風画像で多くの「いいね!」を得たことで、GENKINGの見栄に拍車がかかる。最新の流行ファッションを身にまとうことに自分の存在意義を見出し、クレジットカードを使ってブランド品を買い、インスタにアップしたらすぐに売り、違うブランド品を買うという自転車操業を始める。旅行の際も、セレブアピールのため、片道だけビジネスクラス、1泊だけ超高級ホテルに泊まるなど、“偽装”に明け暮れた結果、テレビからもセレブ的側面にクローズアップする企画(1日でどれだけ多くの金を使えるか)をオファーされ、そのために引っ越しをしたり、家電を買い替えたりしていたとのこと。収入も上がっていくが、それを上回る出費を余儀なくされる……普通の人ならとっくに身の破滅を迎えていただろうが、GENKINGの場合、収入が上がり続けたことと、SNSにいい意味で飽き、「いいね!」をもらうことが快感でなくなったことで、破産を免れたと語っていた。

 「偽装セレブであることが友達にバレていなかったのか?」という質問に、GENKINGは「バレていなかったの。うまかったんだと思う」と答えていた。本人が「バレていない」と言ってるのに、私がこんな言い方をするのは何だが、友達にはバレていたけれど、GENKING本人に指摘しなかっただけじゃないかと思うのだ。

 友達であれ同僚であれ、経済状況というのは、特に探る意志はなくても、一緒にいるとなんとなくわかってしまうものだと私は思っている。私が会社員だった頃、定年間近の女子社員による横領騒動に遭遇したことがある。男性上司たちは慌てふためいたが、同じ部の女子社員たちは、怪しい動きとメンパブ通いなど経済状況が明らかに変わったことに気づいていた。ただオトナだから気づかないふりをするし、口に出さないだけ。横領となると話が大きすぎるが、友達との関係でも「最近、買い物したって聞かないな」とか「よく旅行に行っているな」という具合に、ちょっとした変化を感じることはあるはずだ。

 「GENKING本人だけが気づいていない」と思えた番組がもう1つある。17年1月16日放送の『バイキング』(フジテレビ系)に出演したGENKINGは、SNSで「おかま死ね」などの誹謗中傷に悩まされていることを明かしていた。美容家・IKKOは「(SNSでの誹謗中傷は)今までの積み重ねなんじゃないか」と、自分を振り返る必要性を説き、GENKINGも「その通りです」と認めはしたものの、「ハイブランドをがんがん載せると良くないと思う方もいる」と、誹謗中傷されるのは、ハイブランドを持てない人に嫉妬されたからだというズレた解釈を披露していたのだ。ブラックマヨネーズ・吉田敬は、「ネットの意見を真剣に見すぎ」と述べていたが、GENKINGにとってSNSとは“全世界”に等しいので、気にせずにはいられないのではないだろうか。

 SNSには、「フォロワーは多いが、自分にしか興味がないので、トーク力がないことや目上の人を怒らせていることにすら気づかない」けれど「拡散力はあるので、時々テレビの仕事が入る」有名人がいる。狩野英孝の彼女として世に出た加藤紗里が代表例で、彼女を芸能人ではなく“SNS有名人”と書いたことがあるが、GENKINGも同じ分類の人に思えるのだ。近いうちに、GENKINGが紗里のSNSに「ずっと大好き」というハッシュタグと共に現れそうな気がしてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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エド・はるみ、「私は正義感の強い人間なので」発言に考えるテレビから消えた本当の理由

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<今回の芸能人>
「私は正義感の強い人間なので」エド・はるみ
『エゴサーチTV』(Abema TV、5月20日)

 芸能人という仕事は、売れないとつらいが、売れた後にジリ貧になっていくのはもっとつらいんじゃないかと思うことがある。

 例えば、2008年に親指を突き立てた「ぐぅ~」のギャグでブレークしたエド・はるみ。最近では、スポーツクラブのRIZAPで18キロのダイエットに成功し、「ぐぅ~」のポーズを取りながら痩せた肢体を披露しているが、全盛期と比べると確実にテレビで見かける回数は減っている。エドはその原因を、ネットに書き込まれた“間違った情報”により、好感度が下がったからと考えているようだ。

 14年に出演した『ナイナイアンサー』(日本テレビ系)で、エドは“風評被害”の1つである「ANAのキャビン・アテンダントとのトラブル」について釈明した。極度の寒がりにもかかわらず、予約してあった席が空調の真下であることに気付いたエドは、キャビン・アテンダントに「ほかの席に替えてもらえないか?」と頼むが、「ありませんけど」と断られてしまう。納得できないエドが違うキャビン・アテンダントに、もう一度座席の交換を頼むと、実際は空席が多く、すぐに違う席を用意してくれたという。エドは最初に声をかけたキャビン・アテンダントに「席、空いてましたよ」と話しかけたところ、「はぁ?」と返されたそうだ。

 それからしばらくして、エドは「エド・はるみ許すまじ」というネットの記事を見つけてしまう。キャビン・アテンダントの座談会方式の記事には、エドが「空調を止めろ」「なんでできないのよ!」と怒鳴る迷惑な客であったと書かれており、この記事をきっかけに身に覚えのないデマが多発、ついにはネットで死亡説まで出たことから、エドは弁護士を通じて、誹謗中傷行為には法的措置で対抗していくことを発表したのだ。

 ちょっと、方向性がズレてるのでは、というのが私の意見である。

 エドは、“好感度が下がると、テレビに出られない”“だから、きちんと真実を釈明しなくては”と思っているようだ。しかし、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で「好感度低い芸人」という回があったように、好感度が低いとテレビに出られないということはない(そして、この回の出演者は、キングコング・西野亮廣、品川庄司・品川祐、陣内智則、ピース・綾部佑二、スピードワゴン・井戸田潤、ジャルジャル・福徳秀介など、テレビでおなじみの人気芸人である)。

 視聴者が番組に望むことは「面白いこと」であり、番組制作者が求めているのは「視聴率を稼げるような面白いことができる芸人」である。となると、法に触れなければ、芸人は品行方正である必要はないということだ。上述した芸人たちは、好感度は低いかもしれないが、好感度が低いことから、新たな“面白さ”を生みだす力がある。エドがテレビに出られないのは、「ぐう~」に変わる新しいネタを見つけられない、つまり単に「面白くない」からなのではないだろうか。

 エドの方向性は違うのでは、と思う点が、もう1つ。法的措置の宣言である。有名人だから何を書かれても我慢しろという意味では毛頭ない。悪質なケースの場合、法に基づいて訴えるのは、当然の権利だろう(ネットの書き込みは無法地帯と思われがちだが、最近ではTwitter社が、悪質な書き込みをした人のIPアドレスの開示に応じるようになっているので、“犯人”を特定し、法的措置に出ることは可能である)。

 が、ズレてるなぁと思うのは、それを世間に公表することである。名誉棄損だと判断したら、弁護士を通じて、エドと当事者だけで話し合いを持てばいいのではないだろうか。エドは5月20日に出演した『エゴサーチTV』(Abema TV)において、キャビン・アテンダント事件や死亡説などについて釈明し、その理由を「私は正義感が強い人間なので」と分析していたが、私には“復讐心が強い人”のように見える。例えば、上述したキャビン・アテンダントとの事件で、エドは無事に席を移動した後、「席はありません」と言ったキャビン・アテンダントに「席ありましたよ」と話しかけているが、そこまでする必要はあるのだろうか。“間違いを正す”ための行動だったのかもしれないが、私には“やられたら、やり返す”人に感じられるのだ。

 アメリカ人の女性作家、マーガレット・ミッチェルが書いた『風と共に去りぬ』。出版当時、爆発的な大ヒットを記録し、出版社や読者も続編を期待していたが、ミッチェルは書くことなく、この世を去る。その代わり、彼女がしたことは、裁判と膨大な手紙に返事を書くことだったという。手紙はファンレターばかりではなく、中傷や言いがかりのようなものもあり、ミッチェルは全てに返事を書いていた。ファンサービスだったのかもしれないが、創作から逃げていたとも言える。なぜなら、本当にファンが望んでいたのは、彼女の新作なはずだからである。

 エドも同じことをしているように、私には見える。法的措置はプロに任せて、新しい“何か”を模索する時が来ているのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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松田聖子と神田沙也加の不仲報道から考える、“仲良し母娘”の定義

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「私も必ず守ります」
(神田沙也加オフィシャルブログ、5月13日)

 松田聖子の娘、女優・神田沙也加が、俳優・村田充と結婚した。本来なら「良かったね」で終わる話だが、そうは問屋が卸さないのが、聖子らしい。結婚を発表した沙也加のインスタグラム画像は、村田と父親である俳優・神田正輝とのスリーショットで、聖子の姿はない。聖子はハワイでの挙式、日本での披露宴、両方に姿を見せず、コメントも出さない。このことから、母娘の不仲説が持ち上がっている。

 2人の関係は部外者にはわかるわけもなく、単なる推測の域を出ないが、私には、聖子がこの結婚に大賛成とまではいかないが、「絶対に許さない」と思っているようにも感じない。聖子がそこまで娘に執着しているとは思えないのだ。

 聖子は母親でもあるが、大スターであり、プロダクションやレコード会社にとって、ドル箱である。聖子1人で親族、事務所、レコード会社の人間を食べさせているといっても過言ではなく、責任やプレッシャーははかりしれないし、それを楽しめる豪胆さも持ち合わせている。“聖子は沙也加の学校行事に来ない”という週刊誌の記事を読んだことがあるが、沙也加はそういう母親に慣れているだろうし、そもそも聖子を一般人と比べること自体、無理があるのではないだろうか。

 それに加えて、聖子はオトコが必要なタイプである。聖子が2回目の離婚をした後、「婦人公論」(中央公論社)のインタビューで、「将来、病院に行ったりする時に、一緒に行く人がほしい」「主人と呼べる人がほしい」と答えていた。聖子ほどの人であれば、沙也加はもちろん、事務所のスタッフなど、病院に一緒にいってくれる人はいくらでもいるだろう。それでも、聖子は“主人”と病院に行きたいのだ。口に出さないだけで、こういうオトコ至上主義の女性は、一般人の中にも多数いる。大スターとしての性分やもともとの性格として、聖子が興味を持つのは仕事とオトコであり、それ以外にはさほど興味がないように私には見える。

 聖子の反応より、女性週刊誌の記事の方が、よっぽど私には興味深かった。「女性セブン」(小学館)は、「松田聖子と神田沙也加が2人きりの内祝い」と報じた。聖子と沙也加が不仲でない根拠として、高級フレンチ店にて2人で食事をしていたことを挙げている。また、沙也加が聖子との距離を縮めたことで、「ママ」と呼び、毎日のように電話していたという女優・大地真央との間に距離ができてしまい、大地が結婚に関してノーコメントであるとも伝えている(しかし、大地は披露宴後にコメントを出した)。

 ここから見えてくるのは、「一緒に食事をしていれば、母娘は仲良し」「毎日電話をする母娘は仲良し」という“仲良し母娘像”である。しかし、“行動を共にしていれば、母娘は円満”とも言い切れないのではないだろうか。

 5月16日に『日本人が愛したカーペンターズ 天才兄妹秘められた物語』(NHK BSプレミアム)が放送されていた。カーペンターズのボーカルであるカレン・カーペンターは、拒食症のため32歳の若さでこの世を去った。拒食症患者の多くが、自尊心の低さや、母親との葛藤を抱えているといわれるが、カレンも例外ではなかった。

 『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』(ベネッセ)によると、カレンの母親は支配的で、大スターとなった兄妹が実家を出ることを許さなかった。母は、兄のリチャードが仕方なくガールフレンドを家に連れてきて、自室でセックスしていた時、のぞいていたそうだし、カレンが一人暮らしをしたいと申し出ると(カレンは自分では怖くて言い出せなかったので、アシスタントにその役を頼んだ)、「私を裏切る気なのか」と激昂したそうだ。説得に2年の歳月をかけて、カレンは念願の一人暮らしをしたものの、毎日母親にその日あったことを報告するために電話し、週に何度も実家に帰っていた。女性週刊誌的な見地から言えば、“仲良し母娘”だが、違う角度から見ると、母親が怖くて離れられない、母に支配され、依存している関係とも言えるのではないだろうか。一緒にいるから仲良しなのではなく、離れていることに、母娘双方、異存や抵抗がないことが、“仲良し母娘”なのではないかと私は思う。

 2014年の映画『アナと雪の女王』で、沙也加は声優として大きくブレークした。聖子の娘と言われていた沙也加だが、声優、女優として確固たる地位を得たのである。オフィシャルブログによると、そんな沙也加に、村田は白いユリをプレゼントし、「一生貞操を守る」と約束してくれたそうである。それに対し、沙也加も「私も必ず守ります」と答えたそうだ。結婚する段階で「守りません」「どうかな」という人はいないので、真に受けるのもアレだが、私にはこれが、沙也加の母・聖子に対する独立宣言に感じられた。

 何があろうと沙也加は聖子の娘だが、聖子とは違う人間で、才能も生き方も違う。好きな部分も嫌いな部分もある。会いたければ会うし、会いたくなければ会わないでいい。沙也加は30年かけて、今の地位と聖子に関する距離の取り方を学んだのではないだろうか。

 大スターの娘として、人に言えない苦労をしつつも、自分の力で人生を切り開いた沙也加は、きっと幸せになると私は信じる。充、本当に浮気すんじゃねーぞ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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松田聖子と神田沙也加の不仲報道から考える、“仲良し母娘”の定義

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「私も必ず守ります」
(神田沙也加オフィシャルブログ、5月13日)

 松田聖子の娘、女優・神田沙也加が、俳優・村田充と結婚した。本来なら「良かったね」で終わる話だが、そうは問屋が卸さないのが、聖子らしい。結婚を発表した沙也加のインスタグラム画像は、村田と父親である俳優・神田正輝とのスリーショットで、聖子の姿はない。聖子はハワイでの挙式、日本での披露宴、両方に姿を見せず、コメントも出さない。このことから、母娘の不仲説が持ち上がっている。

 2人の関係は部外者にはわかるわけもなく、単なる推測の域を出ないが、私には、聖子がこの結婚に大賛成とまではいかないが、「絶対に許さない」と思っているようにも感じない。聖子がそこまで娘に執着しているとは思えないのだ。

 聖子は母親でもあるが、大スターであり、プロダクションやレコード会社にとって、ドル箱である。聖子1人で親族、事務所、レコード会社の人間を食べさせているといっても過言ではなく、責任やプレッシャーははかりしれないし、それを楽しめる豪胆さも持ち合わせている。“聖子は沙也加の学校行事に来ない”という週刊誌の記事を読んだことがあるが、沙也加はそういう母親に慣れているだろうし、そもそも聖子を一般人と比べること自体、無理があるのではないだろうか。

 それに加えて、聖子はオトコが必要なタイプである。聖子が2回目の離婚をした後、「婦人公論」(中央公論社)のインタビューで、「将来、病院に行ったりする時に、一緒に行く人がほしい」「主人と呼べる人がほしい」と答えていた。聖子ほどの人であれば、沙也加はもちろん、事務所のスタッフなど、病院に一緒にいってくれる人はいくらでもいるだろう。それでも、聖子は“主人”と病院に行きたいのだ。口に出さないだけで、こういうオトコ至上主義の女性は、一般人の中にも多数いる。大スターとしての性分やもともとの性格として、聖子が興味を持つのは仕事とオトコであり、それ以外にはさほど興味がないように私には見える。

 聖子の反応より、女性週刊誌の記事の方が、よっぽど私には興味深かった。「女性セブン」(小学館)は、「松田聖子と神田沙也加が2人きりの内祝い」と報じた。聖子と沙也加が不仲でない根拠として、高級フレンチ店にて2人で食事をしていたことを挙げている。また、沙也加が聖子との距離を縮めたことで、「ママ」と呼び、毎日のように電話していたという女優・大地真央との間に距離ができてしまい、大地が結婚に関してノーコメントであるとも伝えている(しかし、大地は披露宴後にコメントを出した)。

 ここから見えてくるのは、「一緒に食事をしていれば、母娘は仲良し」「毎日電話をする母娘は仲良し」という“仲良し母娘像”である。しかし、“行動を共にしていれば、母娘は円満”とも言い切れないのではないだろうか。

 5月16日に『日本人が愛したカーペンターズ 天才兄妹秘められた物語』(NHK BSプレミアム)が放送されていた。カーペンターズのボーカルであるカレン・カーペンターは、拒食症のため32歳の若さでこの世を去った。拒食症患者の多くが、自尊心の低さや、母親との葛藤を抱えているといわれるが、カレンも例外ではなかった。

 『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』(ベネッセ)によると、カレンの母親は支配的で、大スターとなった兄妹が実家を出ることを許さなかった。母は、兄のリチャードが仕方なくガールフレンドを家に連れてきて、自室でセックスしていた時、のぞいていたそうだし、カレンが一人暮らしをしたいと申し出ると(カレンは自分では怖くて言い出せなかったので、アシスタントにその役を頼んだ)、「私を裏切る気なのか」と激昂したそうだ。説得に2年の歳月をかけて、カレンは念願の一人暮らしをしたものの、毎日母親にその日あったことを報告するために電話し、週に何度も実家に帰っていた。女性週刊誌的な見地から言えば、“仲良し母娘”だが、違う角度から見ると、母親が怖くて離れられない、母に支配され、依存している関係とも言えるのではないだろうか。一緒にいるから仲良しなのではなく、離れていることに、母娘双方、異存や抵抗がないことが、“仲良し母娘”なのではないかと私は思う。

 2014年の映画『アナと雪の女王』で、沙也加は声優として大きくブレークした。聖子の娘と言われていた沙也加だが、声優、女優として確固たる地位を得たのである。オフィシャルブログによると、そんな沙也加に、村田は白いユリをプレゼントし、「一生貞操を守る」と約束してくれたそうである。それに対し、沙也加も「私も必ず守ります」と答えたそうだ。結婚する段階で「守りません」「どうかな」という人はいないので、真に受けるのもアレだが、私にはこれが、沙也加の母・聖子に対する独立宣言に感じられた。

 何があろうと沙也加は聖子の娘だが、聖子とは違う人間で、才能も生き方も違う。好きな部分も嫌いな部分もある。会いたければ会うし、会いたくなければ会わないでいい。沙也加は30年かけて、今の地位と聖子に関する距離の取り方を学んだのではないだろうか。

 大スターの娘として、人に言えない苦労をしつつも、自分の力で人生を切り開いた沙也加は、きっと幸せになると私は信じる。充、本当に浮気すんじゃねーぞ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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ゲス乙女・川谷絵音、「元妻と連絡取ってる」発言に見る“衝動に弱すぎる男”の顔

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「今でも連絡取っています」ゲスの極み乙女。川谷絵音
『ワイドナショー』(フジテレビ系、5月7日)

 5月7日放送の『ワイドショー』(フジテレビ系)に、ゲスの極み乙女のボーカル・川谷絵音が出演した。ベッキーとの不倫騒動を川谷が自らの言葉で語る初の機会となったが、特に面白い発言はなかった。ナマ川谷を見ての私の感想は、「この人は衝動で生きているんだろうなぁ」である。

 今回の不倫騒動で際立っていたエピソードは、川谷が新婚の身でありながら、正月にベッキーを実家に連れ帰ったことだろう。同番組にゲスト出演していたフリーアナウンサー・岡副麻希が、「実家に連れて行かれると、愛されてると思う」とコメントしていたが、多くの独身女性が同じことを思うだろう。実家行きを拒んだベッキーが結局はついていったのも、川谷の本気を感じて、うれしかったからではないだろうか。

 なぜベッキーを実家に連れていったのかと聞かれた川谷だが、「僕がクズすぎた」「一点の曇りもなく、僕が悪い」と理由は述べなかった。何か言えない理由があるのかもしれないが、私には“その時そう思ったから、衝動に従っただけ。だから説明はできない”ではないかと思えた。というのは、川谷は騒動の真っ最中、喉を壊して通院していた際、病院で「週刊文春」(文藝春秋社)の記者から電話を受ける。「文春」といえば、ベッキーとの不倫をすっぱ抜き、LINEのやりとりまで載せた、いわば川谷の敵。それなのに、川谷は「心の拠り所がなくて」という理由で、あろうことか「文春」の記者に、「自分は今後どうすればいいのか?」と相談を持ちかけるのだ。

 “売れた芸能人が糟糠の妻を捨てる”というケースは掃いて捨てるほどあり、多くの大御所がしてきたことを川谷もしたまでである。人の心は理屈ではないから、もし心が離れてしまったのなら、時間と金をかけて誠意を見せるしかない。マスコミに一時叩かれるかもしれないが、少し辛抱すれば忘れてくれるのは、大御所たちの再婚を見れば明らかだ。しかし、川谷にはそこを乗り切る忍耐力はない。気分が落ち込んだら、たとえ“敵”であっても、落ち込んだ自分の話をすぐ聞いてほしい。それによって、自分はもちろんベッキーにも不具合が発生する可能性があることすら、考えられないのだろう。

 川谷が衝動に弱いと最も思わされたのは、同番組での「元妻と連絡を取っている」発言である。かつて川谷のバンドの裏方をしていた元妻は、今は芸能界とはまったく違う仕事をしているそうだ。元妻は「仕事の相談のメールを送ってくる」と川谷は説明していた。ここで、「元妻は、本当に仕事の相談をしたくて川谷に連絡をしている」と思えるのは、善良な人だろう。昔から、“相談”を、相手に連絡を取る口実にする人がいるが、元妻もこのタイプなのではないだろうか。なぜなら、芸能界の仕事しかしたことがない川谷に、芸能界以外の仕事の相談をして、いいアドバイスがもらえるとは思えないからである。

 それに平然と応じる川谷もすごい。「文春」に掲載されたLINE画面から考えて、川谷サイドから流出したと考えるのが自然だろう。川谷の携帯を触れる人物はごく限られており、元妻が犯人とはいわないが、それができうる、もしくは加担できる1人ではあるだろう。また、元妻は、ベッキーとの不倫がまだ世間にバレる前、離婚を望む川谷を受け入れなかったわけだから、一時期、川谷の“敵”だった。にもかかわらず、なぜかあっさり友達のような関係に戻っているということは、元妻が川谷と相談を持ちかけてつながっていたいのと同様に、川谷も元妻を必要としているように見えて仕方がない。ほのかりんという新しい彼女がいるのに、いまさら元妻が必要なわけはないという見方もあるだろうが、「ほのかりんだから、元妻が必要なのだ」と、仮定すると、違う構図が浮かび上がってくる。

 「文春」に未成年飲酒疑惑を報じられたほのかりんは、事務所を解雇、現在の芸能活動は開店休業状態だ。そのせいで精神状態がよろしくないのか、それとも素の性格か、Twitterにコンドームの箱を握った画像をアップしたり、画像に「しね」と書き込んだり、挑発的な行動を繰り返している。川谷は、そんなほのかりんとの交際は認めつつも、同番組で、「(交際が)楽しいかどうかわからないですけど」とコメントしていた。手がかかって困るという一種のノロケだろうが、ほのかりんに手を焼いた時、人一倍こらえ性のない川谷には、甘える人が必要なのではないか。その時こそ、“仕事の相談に乗ってくれたお礼に”などという口実を用いて、元妻が近づいてくる可能性はある。

 元妻がどんなつもりで川谷と連絡を取っているか、他人にはわかるはずもなく、全ては推測にしかすぎない。けれど、ひとつ言えるのが、衝動的で、何も考えていないオトコに、誠意を尽くしても時間のムダでしかないということだ。なぜなら、衝動的に生きているとは、自分しか好きではないと、ほぼ同義なのだから。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

泰葉は、なぜ坂口杏里を救済しようとしたのか? “誰かを助けること”に依存する人

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「(麻央さんに)心から感謝します」泰葉
(泰葉オフィシャルブログ、4月27日)

 海老名家ってちょっと自意識過剰すぎないか。そう、かねがね思ってきた。ご存じない方のために説明すると、海老名家とは落語家の初代・林屋三平とその妻子を指す。三平は“爆笑王”と呼ばれた名人だが、こういう褒め言葉は、他人にいわせるのが常である。しかし、海老名家では「お父さんが爆笑王だから」と自分たちで臆面もなく言うところがある。

 中でも、父親の傾倒が激しいのは、三平の次女で、歌手の泰葉である。AV女優・ANRIこと坂口杏里が、ホストへの恐喝未遂で逮捕された際、当初はブログで「最低、最悪です」と罵ったものの、突如として、元夫である春風亭小朝の虐待と共に“坂口杏里救済計画”をぶち上げる。なぜ罵っていた坂口を助ける気になったかというと、坂口の母、女優・坂口良子が春風亭小朝出演の新宿コマ劇場公演でヒロインを演じていたため、面識があったかららしい。泰葉は「私はもっとひどい女を救済し、幸せにした実績があります」と自信満々である。

 支離滅裂とも言える発言が注目され、泰葉のブログのPVは急上昇。4月26日の時点で、アメブロランキング2位になる。1位が小林麻央であることから、泰葉は麻央について言及。伝統文化の家に嫁いだ麻央について、「麻央さんのご努力は並大抵のものではありません。心から感謝します」とつづった。サラリーマン家庭から梨園きっての名門・成田屋に嫁いだ麻央が、苦労したことは一般人でも想像に難くないが、問題はその後である。苦労を乗り越え、今、病と闘う麻央を、「尊敬する」でも「応援する」でもなく、「感謝する」ことに私は違和感があるのだ。

 というのは、大人同士の関係に限っていうと、“感謝”とは“上の者から下の者に”するものだと思うからだ。例えば、オレオレ詐欺を寸前で食い止めた銀行員に、警察が“感謝状”を贈ることがある。部外者の協力で、犯罪を未然に防いだことを称えて贈呈するわけだが、なぜ称えるかというと、警察は捜査において、一般人より立場が“上”だからである。つまり「感謝している」ということは、“一人前とはみなしていない人を労う、一種の上から目線”と捉えることもできるので、慎重に使うべき言葉と言えるだろう。梨園関係者でも肉親でもない泰葉が、麻央に「感謝する」必要はないのである。

 感謝といえば、女優・藤原紀香も“感謝”という言葉が大好きである。紀香は「婦人公論」(中央公論社)で、歌舞伎のしきたりや日本の歳時を学ぶきっかけを得たことに「感謝する」一方で、夫である歌舞伎俳優・片岡愛之助について「彼は人間的に素晴らしい」「弱者にとても優しい」と語っている。“弱者”という言葉を平気で使ってしまうあたり、やはり感謝感謝言う人は、「他人を下に見ている」傾向があると言えるのではないだろうか。

 泰葉に話を戻そう。泰葉は坂口救済計画をぶち上げたものの、坂口が事務所に所属していないからという理由で、計画を中止する。事務所に所属していなくても、救済に差し障りはないと思うが、批判を恐れたのだろうか。泰葉は中止を宣言するブログで、実は坂口と養子縁組をする気でいたとも明かし、悔しさを滲ませていた。

 そもそも、養子縁組をしなくても救済はできるはずだが、養子縁組をする場合、気になるのは、泰葉の経済状況である。3万円を恐喝するくらいだから、坂口が金銭的にひっ迫していたことは疑う余地がない。また、撮影済みとされるAVが、今回の恐喝事件でお蔵入りとなれば、違約金が発生する可能性もある。それらの費用や生活費、貯まっているかもしれないホストのつけを、泰葉は“親として”全額負担できるならいいが、そうでないのに養子縁組をするとしたら、坂口は泰葉の将来の介護要員になるだけで、メリットがなさすぎる。

 養子といえば、泰葉はネパール人男性を“息子”と呼び、「息子といる時間がとても大切」とも綴っている。若い男性と仲良くすることに問題はないが、友達や恋人ではなく、“息子”と呼ぶあたり、泰葉の孤独を感じずにいられない。いろいろ理由をつけているものの、泰葉はヒマで寂しいのではないだろうか。だとしたら、泰葉が坂口救済に手を上げた理由も納得がいく。「人を下に見る」クセがあり、寂しさを抱える人間にとって、手のかかる人間のお世話ほど、優越感をくすぐられる行為はないからである。手のかかる人間が再起を果たして、旅立たれると、また自分が寂しくなる。逃げられないようにするには、その人と“家族”になるのが一番なのである。“助ける”という名の依存。泰葉の抱える闇は深い。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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泰葉は、なぜ坂口杏里を救済しようとしたのか? “誰かを助けること”に依存する人

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「(麻央さんに)心から感謝します」泰葉
(泰葉オフィシャルブログ、4月27日)

 海老名家ってちょっと自意識過剰すぎないか。そう、かねがね思ってきた。ご存じない方のために説明すると、海老名家とは落語家の初代・林屋三平とその妻子を指す。三平は“爆笑王”と呼ばれた名人だが、こういう褒め言葉は、他人にいわせるのが常である。しかし、海老名家では「お父さんが爆笑王だから」と自分たちで臆面もなく言うところがある。

 中でも、父親の傾倒が激しいのは、三平の次女で、歌手の泰葉である。AV女優・ANRIこと坂口杏里が、ホストへの恐喝未遂で逮捕された際、当初はブログで「最低、最悪です」と罵ったものの、突如として、元夫である春風亭小朝の虐待と共に“坂口杏里救済計画”をぶち上げる。なぜ罵っていた坂口を助ける気になったかというと、坂口の母、女優・坂口良子が春風亭小朝出演の新宿コマ劇場公演でヒロインを演じていたため、面識があったかららしい。泰葉は「私はもっとひどい女を救済し、幸せにした実績があります」と自信満々である。

 支離滅裂とも言える発言が注目され、泰葉のブログのPVは急上昇。4月26日の時点で、アメブロランキング2位になる。1位が小林麻央であることから、泰葉は麻央について言及。伝統文化の家に嫁いだ麻央について、「麻央さんのご努力は並大抵のものではありません。心から感謝します」とつづった。サラリーマン家庭から梨園きっての名門・成田屋に嫁いだ麻央が、苦労したことは一般人でも想像に難くないが、問題はその後である。苦労を乗り越え、今、病と闘う麻央を、「尊敬する」でも「応援する」でもなく、「感謝する」ことに私は違和感があるのだ。

 というのは、大人同士の関係に限っていうと、“感謝”とは“上の者から下の者に”するものだと思うからだ。例えば、オレオレ詐欺を寸前で食い止めた銀行員に、警察が“感謝状”を贈ることがある。部外者の協力で、犯罪を未然に防いだことを称えて贈呈するわけだが、なぜ称えるかというと、警察は捜査において、一般人より立場が“上”だからである。つまり「感謝している」ということは、“一人前とはみなしていない人を労う、一種の上から目線”と捉えることもできるので、慎重に使うべき言葉と言えるだろう。梨園関係者でも肉親でもない泰葉が、麻央に「感謝する」必要はないのである。

 感謝といえば、女優・藤原紀香も“感謝”という言葉が大好きである。紀香は「婦人公論」(中央公論社)で、歌舞伎のしきたりや日本の歳時を学ぶきっかけを得たことに「感謝する」一方で、夫である歌舞伎俳優・片岡愛之助について「彼は人間的に素晴らしい」「弱者にとても優しい」と語っている。“弱者”という言葉を平気で使ってしまうあたり、やはり感謝感謝言う人は、「他人を下に見ている」傾向があると言えるのではないだろうか。

 泰葉に話を戻そう。泰葉は坂口救済計画をぶち上げたものの、坂口が事務所に所属していないからという理由で、計画を中止する。事務所に所属していなくても、救済に差し障りはないと思うが、批判を恐れたのだろうか。泰葉は中止を宣言するブログで、実は坂口と養子縁組をする気でいたとも明かし、悔しさを滲ませていた。

 そもそも、養子縁組をしなくても救済はできるはずだが、養子縁組をする場合、気になるのは、泰葉の経済状況である。3万円を恐喝するくらいだから、坂口が金銭的にひっ迫していたことは疑う余地がない。また、撮影済みとされるAVが、今回の恐喝事件でお蔵入りとなれば、違約金が発生する可能性もある。それらの費用や生活費、貯まっているかもしれないホストのつけを、泰葉は“親として”全額負担できるならいいが、そうでないのに養子縁組をするとしたら、坂口は泰葉の将来の介護要員になるだけで、メリットがなさすぎる。

 養子といえば、泰葉はネパール人男性を“息子”と呼び、「息子といる時間がとても大切」とも綴っている。若い男性と仲良くすることに問題はないが、友達や恋人ではなく、“息子”と呼ぶあたり、泰葉の孤独を感じずにいられない。いろいろ理由をつけているものの、泰葉はヒマで寂しいのではないだろうか。だとしたら、泰葉が坂口救済に手を上げた理由も納得がいく。「人を下に見る」クセがあり、寂しさを抱える人間にとって、手のかかる人間のお世話ほど、優越感をくすぐられる行為はないからである。手のかかる人間が再起を果たして、旅立たれると、また自分が寂しくなる。逃げられないようにするには、その人と“家族”になるのが一番なのである。“助ける”という名の依存。泰葉の抱える闇は深い。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

斉藤由貴は、なぜ“魔性のオンナ”なのか? 結婚・仕事・父との関係に見る“条件”

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「父の一言がきっかけでした」斉藤由貴
「週刊SPA!」(扶桑社)5月2・9日合併号 

 そういえば、最近“魔性のオンナ”といわれる有名人がいない。“魔性のオンナ”とは、ただ単に、恋多き人のことではない。女性側は、世間を騒がせても、仕事を前向きに、旺盛にこなすが、男性側は没落したり、場合によっては命を落とす。それでも寄って来る男性が後を絶たない女性を指す。

 婚活で知り合った男性から金銭の援助を受けた後、彼らの殺害に及んだとされる木嶋佳苗死刑囚。彼女は、美人でもスリムでもないのに、たくさんの男性から金を集めたことから、“魔性”呼ばわりされたが、私に言わせると少し違う。木嶋がしていたことは、婚活ではなく、出資者を探すという“ビジネス”である。その証拠に木嶋は、相手を選ばない。被害者の中には70~80代の男性もいたが、木嶋は援助が約束されれば受け入れていた。

 ついでに言うと、70~80代の男性から見れば、当時30代の木嶋は十分若い。芸能人になるというなら話は別だが、一般人の場合、若さや美しさは隣にいる人との比較なので、競争率の低い場所に行きさえすればいい。それを木嶋はよく知っていただけの話だ。このからくりに気付かない女性論客たちをあざ笑うかのように、木嶋は「週刊新潮」(新潮社)に手記を寄せ、「今の夫(筆者注:木嶋は獄中で二回結婚している)は、私の体型を殊の外愛している」と「太っていても愛されるワタシ」アピールをかかさない。

 話を“魔性のオンナ”に戻そう。斉藤由貴は、今の若い人にとっては「50代なのに、きれい」な女優の1人だろうが、実は90年代、“魔性のオンナ”として鳴らしていた。斉藤は、「少年マガジン」(講談社)主催「第3回ミス・マガジンでグランプリ」を獲得し、正統派アイドルとしてデビュー。NHK連続テレビ小説のヒロインを演じ、『NHK紅白歌合戦』ではキャプテンも務めた。敬虔なモルモン教徒といわれており、酒もタバコも禁止されているため、映画の撮影で苦労したなどと語るなど、典型的な清純売りをしていた。

 しかし、「月刊KADOKAWA」(角川書店)で対談した歌手・尾崎豊との小樽不倫旅行を写真週刊誌に撮られ、尾崎に妻子があったことから、斉藤は窮地に立たされる。斉藤は尾崎との関係を“同志”と左翼的な言葉で説明、尾崎が家庭に戻ったことからうやむやになったが、今度は川崎麻世との不倫がリークされた。この頃には完全に“魔性”枠に入れられるようになっていたように思う。

 斉藤はその2カ月後に、信仰を同じくする一般人男性と知り合い、10日後にはその男性を実家に招いて、結婚の挨拶をしていたという。不倫が続いてイメージダウンを恐れた教団と斉藤の父が、彼女にふさわしい男性を教団の中から探したという報道もされていた。前の恋愛から時間がたっておらず、教団が介した出会いというと、“強引にくっつけられた”とイメージしてしまうが、記者会見で「彼は(私より)父と仲が良い」「彼が私を好きな気持ちよりも、私が彼を好きな気持ちの方が大きい」と発言していたところから察するに、本当に恋したのだろう。過去をぐだぐだ引きずらないのも、前向きな“魔性のオンナ”らしいと感じる。

 斉藤の面白い点は、彼女が「母親を語らないアイドル」なことである。例えば、松田聖子の母親は「最初は芸能界入りに大反対だったけれど、最終的にはお父さんを説得してくれた」、中森明菜の場合は「歌手志望の母親がかなえられなかった夢を、子どもたちに託した」というように、母親がどんな人物であったかをエピソードとして語るが、斉藤は母親を語らない。その代わり、頻出するのが“父親”なのである。斉藤は3人の子どもを出産後、一時太ったことがあるものの、一念発起してダイエットをし、現在の第二次ブレークを迎える。斉藤はダイエットについて「父の一言がきっかけでした」と説明していたが、家庭を持っている女性で、一緒に住んでいる夫や子どもではなく、父親の意見を尊ぶのは非常に珍しいと言えるのではないだろうか。斉藤にとって、父親はそれだけ大きな存在なのだろう。

 近年、家族関係が子どもの人間関係に影響があることを書いた本が多数出版されている。たいていは母親からの影響であり、父親は蚊帳の外においやられているのだ。学術的な裏付けはなく、私見でしかないが、娘の恋愛に影響を与えるのは、実は父親との関係ではないかと私は考えている。父親に心の底から愛されてきたと疑いなく言える娘は、外見や年齢にかかわらず、オンナとしての自分に価値や、男性という生き物を肯定して見つめることができるように思えるのだ。だからこそ、男が寄って来るのである。

 “魔性のオンナ”と言えば、女優・大竹しのぶもそう呼ばれていた時期があったが、大竹も「お父さんが大好き」と、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で話していた。大竹は斉藤にとって、NHKの朝ドラ主演を務めた先輩女優で、父親好き以外にも、もう1つ共通点がある。NHKのディレクターによると、朝ドラは撮影スケジュールが過酷で、たいていの主演女優は過労で入院するらしい。しかし、たった2人だけ入院しなかった女優がいて、それが大竹と斉藤だったそうだ。

 体力があり、父親好きなことが“魔性のオンナ”の条件だとしたら、“魔性のオンナ”が必ずしも美人とは限らないことにも納得がいくのではないだろうか。女性が気づかないだけで、“魔性のオンナ”はそこかしこに潜み、静かに人生を楽しんでいる気がしてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

はあちゅうの“セクハラおじさん告発”に見る、「結局は自分にしか興味がない」人物像

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「無自覚な人は根が深い」はあちゅう
『おしゃべりオジサンと怒れる女』(テレビ東京、4月16日)

 その昔、高畑裕太がまだテレビに出まくりだった頃、『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に俳優・渡辺裕太と共に“二世枠”で出演したことがある。その時、司会の坂上忍が、2人に「芸能界で生きていくにあたり、一番厳しいことは何か?」と尋ねると、高畑は「何かを見つけていかないといけないところ」、渡辺は「やりたいと思った以外の仕事でもやらないといけない」と答え、坂上に「それは二世ならではの答え」と不興を買っていた。

 坂上いわく、芸能界で大変なのは「(簡単に)テレビに出られないところ」とだそうだ。これは、芸能人にとって最初の仕事をつかむことが、どれだけ大変かと言い換えられるだろう。実績がなければオファーがなく、オファーがないから、実力を披露することもできずに仕事が来ないという悪循環にはまってしまう。そういった世界で、二世などコネのない女性が売れたいと思った時の最終手段は“枕営業”だろう。

 しかし、女性側に“カラダを張ってでものし上がってやろう”という野心がない場合、枕営業を持ちかけることは、ハラスメントでしかない。女性の生き方や恋愛などに関する著書を出版し、女性ファンから支持を得る作家・ブロガーのはあちゅうは、4月15日放送の新番組『おしゃべりオジサンと怒れる女』(テレビ東京)に出演し、司会の古館伊知郎、坂上、千原ジュニア相手に、テレビや広告業界の「俺と寝ておくといいことがあるよと匂わせるオジサン」について発言。その具体例として、「番組の偉い人から、“打ち合せ”と言われて出かけてみたら、バーだった」を挙げて、怒っていた。

 このほかに、進歩的とされるIT業界などで働く男性にも、「オンナがタバコを吸うなんて」「(自分はできなくていいけど)オンナには料理ができてほしい」「(自分は適当な格好でいいけど)デートの際、オンナにはメイクばっちりで来てほしい」といった昭和的な男尊女卑の人が多く、「無自覚な人は根が深い」と語った。

 男性のあり方を問うネタは、女性の共感を呼びそうなので、そこがはあちゅう人気の一因だと思うが、論理の甘さにも気づかされる。例えば、「“打ち合せ”と言われて出かけてみたら、バーだった」発言に、古館は「バーはダメなの?」と驚いて見せるが、はあちゅうは「人によると思うんですけど」と途端にトーンダウンしてしまう。「人による」発言の解釈は、「仕事の打ち合わせといって呼び出してきた男性が、タイプであればいい」もしくは「女性によっては、仕事の打ち合わせがバーであることを不快に思わない」の2通りあるが、はあちゅうがゲストとして招かれた番組で、他人の話をするとは考えにくいだけに、はあちゅうが前者を意図して発言をした可能性は高い。

 「無自覚な人は根が深い」は、はあちゅう自身

 はあちゅう発言の真意を前者と仮定すると、「仕事の打ち合わせ場所としてバーを指定してくる男性はイヤだけど、男性によってはアリ」となるわけで、「セクハラに怒っている」という話なのではなく「嫌いな人と飲みたくない」という“自分話”にすり替わってしまっている。セクハラが根絶しない理由の1つは、「Aさんがやるとセクハラに感じるが、BさんがやるのはOK」というように、セクハラの基準が受け手の判断に任されているからだが、はあちゅうは自分がそれに加担していることに気付いていない。「無自覚な人は根が深い」というはあちゅうの発言は、彼女自身にあてはまっているのである。

 はあちゅうは、視野が広いとも言えない。彼女は、「突然仕事の電話をしてくる人たち」に怒りを感じるそうで、連絡手段はほか(メールやLINE)にもあるのに、電話をかけてこられると、「何この人、私の時間を邪魔してきている」と思うらしい。電話が個人の時間を奪うということに納得できる人は多いだろうが、相手の立場に立てば「それだけ急いでいる」「確かな返事がほしかった」とは考えられないだろうか。坂上は、そんなはあちゅうを「自分が主導権を握りたがる」と分析し、彼女はその意味をまるで理解していないようだったが、坂上には彼女が、「私の望むように、私を扱って」と訴える“お姫さま”に見えたのではないだろうか。

 既存の価値観に風穴を開け、多くの信奉者を集めているように見える人物でも、話をよく聞いてみると、自分にしか興味がない。ネットの特徴は、すなわち、はあちゅうの特性でもある。女子大生時代からカリスマブロガーとして活躍してきた、つまり仕事に困ったことがないことも、はあちゅうの視野の狭さを後押ししていると言えるだろう。

 「炎上」は、はあちゅうの代名詞だが、ネットというものは、誰かの反応がなければ成り立たないことを考えると、炎上は“才能”である。はあちゅうが火をつけ、その火を消すまいとネット民が薪をくべ、私のような者が、そこからこまごまと字を連ねる……そんな食物連鎖的なつながりができあがっているのだ。はあちゅうがネットからいなくなる日は、ネットがなくなる日。私は本気でそう信じている。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの