ディズニー『モアナと伝説の海』~ポスターは日米でなぜ異なる?

◎フェミニンな日本のポスター

日本で公開される洋画の邦題やポスターのデザインが「なんか、違うよね?」と話題になることは多々ある。今、絶賛公開中のディズニー『モアナと伝説の海』もご多分にもれず、ポスターの図柄が物議を醸している。

記事冒頭にあるのがアメリカ版ポスターと、日本版ポスターだ。

アメリカ版は主人公モアナと、相棒の半神半人マウイが描かれている。モアナは物語の重要な小道具であるカヌーを漕ぐためのパドルを持ち、両足を踏ん張っている。表情も自信に満ちている。

かたや日本版はモアナのみで、マウイは消されている。モアナは物語のキーである緑色の石を、ハートを象った手の中に収めている。表情も穏やかだ。しかし、映画本編にこのポーズのモアナは登場しない。

背景の海は日米よく似ているが、日本版はブルーのトーンが薄目に抑えられ、波頭の白が増えている。

つまり、日本版はオリジナルであるアメリカ版の「強さ」を何重にも抑え、控え目でフェミニン、ガーリーに改変しているのである。

理由は「“優しい”イメージのほうが日本では受け入れられる」→「観客動員数が増える」という思惑だろう。ただし、優しいイメージが実際に観客を増やしているのかは証明のしようがない。

◎ゆるふわの輪廻

子どもの観る映画はほとんどの場合、親、特に母親によって決定される。したがって“優しく”かつ“女の子らしい”ポスターは母親がターゲットだ。“ゆるふわ”文化で育った母親は日本版のポスターを見て好感を持ち、幼い娘に『モアナ』を観せる(と憶測されている)。

すると何が起こるか。

『モアナ』はアクション・ムービーである。モアナとマッチョなマウイが大暴れする。作中、あの超過激アクション映画『マッドマックス~怒りのデスロード』へのオマージュさえ含まれているのだ。同作の主人公は、シャーリーズ・セロン演じるフュリオサであった。

幼い少女たちは『モアナ』をみて、モアナの可愛らしさと優しさ、冒険&アクション、自分の道を自分で決める独立心、恐れをはね除ける勇気、そしてリーダーシップに憧れるだろう。最初は教えを乞わなければならなかったマウイにさえ、成長したモアナが一喝するシーンもある。この映画を観た少女たちは「女の子が持つ強さ」の存在を認識する。

実はそうした強さを学んだ世代がすでに成長し、観る映画を自分で決める年齢となっている。彼女たちは、強さを何重にも抑えた日本版のポスターよりアメリカ版のポスターに惹かれている。中にはすでに母親となっている女性もいる。

そう考えると、日本のゆるふわポスターは果たして目論見どおり機能しているのだろうか。

◎相棒マウイの入れ墨

先に書いたように、その存在無くしては物語が成立しないもう一人の主役、マウイが日本版ポスターからはスッパリ消されている。

ポスターのフェミニン化の一環だと思われるが、もしマウイが長身、スレンダー、イケメンで、かつ入れ墨が無ければ消されただろうかという疑問が湧く。

特に2020年の東京オリンピックを控え、日本を訪れる外国人のタトゥ対応が懸念されている今、そこが気になる。2013年に文化イベントのために北海道を訪れていたニュージーランドの先住民マオリの女性が顔の入れ墨を理由に温泉での入浴を断られた件は当時、広く報じられた。入れ墨はマオリの伝統であり、日本の暴力団と繋げることの是非が問われた。

マウイの全身を覆う入れ墨もポリネシアの文化に基づいており、映画の中で何度もフィーチャーされる重要な “キャラクター” なのである。日本版ポスターに於けるマウイ不在が映画鑑賞後はことさらに奇異に思える所以だ。

ちなみにマウイの声の吹き替えを担当した元レスラーで現俳優のザ・ロックことドウェイン・ジョンソンは、マウイの入れ墨とよく似たデザインのタトゥを彫っている。ジョンソンはサモアとアメリカ黒人のミックスであり、自身の背景の象徴としてポリネシアの伝統的なデザインを彫ったとのことだ。

◎マイノリティのお姫様

米国ディズニーは過去75年間に制作した50本以上の長編アニメから11人の「プリンセス」を選び、「ディズニー・プリンセス Disney Princess」と称して仮装のためのドレス、アクセサリー、玩具、11人全員が揃って登場する絵本などを発売している。少女たちに美人で可憐で王子さまの出現を待つ受け身の “お姫様文化” を植え付けるという議論はあるが、本稿ではそこには触れない。以下が11人のリストだ。

1937「白雪姫」白雪姫
1950「シンデレラ」シンデレラ
1959「眠れる森の美女」オーロラ
1989「リトル・マーメイド」アリエル
1991「美女と野獣」ベル
1992「アラジン」ジャスミン(中東)
1995「ポカホンタス」ポカホンタス(ネイティブ・アメリカン)
1998「ムーラン」ムーラン(中国)
2009「プリンセスと魔法のキス」ティアナ(黒人)
2010「塔の上のラプンツェル」ラプンツェル
2012「メリダとおそろしの森」メリダ

実のところ、ディズニーはキャラクターの人種設定や人種差別的な描写について長らく批判されてきた。プリンセスも当初は白人ばかりで、非白人のプリンセスは1992年『アラジン』のジャスミンが初となる。次はネイティブ・アメリカンの『ポカホンタス』、その次は中国人の『ムーラン』とマイノリティ・プリンセスが続く。

しかし『アラジン』と『ムーラン』は外国が舞台。作品の質とは別次元の問題として、「アメリカのマイノリティの中の多数派であるアフリカン・アメリカンのプリンセスをなぜ作らない?」という声が上がった。「白人が “エキゾチック” な物語を観たくなっただけだろう」と揶揄する声もあった。

そうこうして2009年にようやくアメリカ黒人のプリンセス、ティアナが主人公の『プリンセスと魔法のキス』が公開されるや、全米のアフリカン・アメリカンの母娘が大喜びしたことは言うまでもない。子どもたちにとってプリンセスやヒーロー/ヒロインは自分自身の投影であり、人種と外観が多彩なアメリカではそれぞれの子どもにそれぞれのヒーロー/ヒロインが必要なのである。

◎ポリネシアのプリンセス

黒人のティアナに続いて登場したのが、ご存知、世界中で爆発的ヒットとなった2013年『アナと雪の女王』のエルサである。以後、全米のハロウィーンの仮装はエルサだらけとなった。白人も黒人もラティーノもアジア系も、女の子たちはとにもかくにもエルサに憧れた。

そして今回の『モアナ』はディズニー史上初のポリネシアのプリンセスである。ポリネシアとは太平洋上でハワイ、イースター島、ニュージーランドを3つの頂点とする三角形の海域だ。

(注:2002年の『リロ・アンド・スティッチ』はハワイを舞台としているが、リロは「ディズニー・プリンセス」に含まれていない)

制作者は太平洋の島々に長期滞在し、ポリネシアの歴史と文化をリサーチしたと言う。主役モナアの吹き替えにはハワイ出身のアウリィ・クラヴァーリョを抜擢。マイノリティの役を白人に演じさせる“ホワイト・ウォッシュ”を避けた結果、クラヴァーリョと、やはりポリネシアの血を引くドウェインの吹き替えによる魅力溢れる仕上がりとなっている。

また、モアナは “ぽっちゃり” でもある。特に手足がアップになると明確に分かる。これまでのディズニー・プリンセスとの大きな違いだ。近年の「女性が皆、モデル体型なわけではない」という方向性に則しているのだろうか。

このように『モアナと伝説の海』は少女の強さを軸に、非常に優れた映像によってポリネシアの大自然と文化歴史を紹介し、アクションとコメディも存分に堪能できる作品だ。百聞は一見にしかず。日米ポスターの描写にかかわらず、ぜひとも劇場に足を運ぶことをお勧めしたい一作だ。

(堂本かおる)

 

【告発】女優は映画監督に抱かれる。当たり前のように行われる乱交飲み会

2月に衝撃の芸能界引退を果たした若手女優・清水富美加。その理由は新興宗教・幸福の科学への出家で、同時に彼女および幸福の科学側は所属事務所の待遇が「奴隷契約のよう」だった、同世代のアイドルや女優たちも「死にたい」と漏らしていた等、芸能界の有り様を積極的に批判する声明を出した。

この騒動とともに、漫画家・西原理恵子が昨年1月にリリースした『ダーリンは70歳』(小学館)のある描写がネット上で話題となった。西原の“ダーリン”は高須クリニックの高須克弥氏だが、高須氏が<とある業界No,1のとりあえず絶対名前出せない×××はん>なる人物から、会合のたびに必ず愛人候補の女性をたくさん紹介されることが描かれたくだりがある。×××さんは高須氏にとって仕事上会わないといけない人だそうだが、会合時には必ず「たくさんの手土産」としてグラビアアイドルやモデルやデビュー前のアイドルを連れてくる。高須氏が「そういうのは不要」と断ると「インテリ女子大生」「今夜18歳になる処女」「美少年」「ガチムチ男性」など高須氏の好みを推測して毎度「手土産」をよこすのだが、いずれも高須氏はNO。そしてある日、美容外科医もびっくりの、“西原理恵子そっくり、生き写し”な19歳の女の子を×××氏が連れて来た……という話だ。

清水富美加と西原の「顔」は生き写しと言ってさしつかえないほど似ているため、このページを読んだ人々は『清水富美加は枕営業もやらされていて病んだのでは?』と邪推。しかし幸福の科学側は「枕営業」については一切言及しておらず、また、×××氏と付き合いのある高須氏および西原もこの件について詳しいことを暴露したりはしないだろう。真相は藪の中だ。

芸能界での枕営業は、しばしば深夜帯のトークバラエティ番組などでグラビアアイドルが「私はしてないけど~」と言いつつ「周りはみんなやってる」「愛人関係を持ちかけられたことがある(でも断った)」等と語る。ただ、そういう話が出ているときの収録スタジオの空気は、「枕営業をするゲスい女たち」への好奇に満ちていて、「女を金や権力で抱こうとする側」には誰も言及しない。そこで今回、実際に「枕営業をした」という元若手女優が、その「女を金や権力で抱こうとする男」のあさましさを告発する。現在25歳のAさんは、昨年まで芸能プロダクションに所属し、舞台や映画に数本出演していたが、売れる見込みがないと自覚して引退。今は派遣社員として働いている。

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私だけじゃなく、枕営業で映画や舞台に出演してきた女優ってたくさんいると思うんですね。事務所の力で守ってもらえる人もいるけれど、それってわずかで。

私が強烈に印象に残っているのは、俳優でアクション監督でもあるTが頻繁に主催するパーティー、というか飲み会でした。

渋谷区にあるTの部屋がその舞台。Tは仲の良い映画監督にセックス用の女をあてがう、いわば女衒ですよね。舞台女優や駆け出しの女優を3~4人呼んで飲み会を開くんです。毎週、というか週に何度もってくらいのハイペースでやっていました。

Tは、ギャグマンガの実写とか人気アイドル軍団の映画を撮影したYという男性映画監督と仲良しで、女優はYに捧げる供物です。それをわかっていて飲み会に参加するコもいるし、そんなつもりじゃなくてただ誘われたから付き合いで来ただけ、飲みたかっただけなのにヤらざるを得なくなるコもいました。私も一度だけ、Yの演出する映画に出させてくれるという口説き文句に唆されて、Yとしました。

そのTが、Y同様に親密な関係なのが、カルト系監督のSなのですが、Sの飲み会はもっとひどいんです。
参加男性はTとTの地元の友人だという男、そしてSの三人。でも、実質「女の子とヤっていい男はSだけ」状態の力関係なので、なにもかもが王様ゲームのような感じでS(=王様)の言うがまま。

S発案のクソゲームを参加女性陣がやらされたことがあったのですが、、そこに呼ばれている女の中で誰が一番前戯がうまいか、Sへの指フェラとか首筋にキスとかの行為をさせて決めるというものでした。どんどんエスカレートとして、その場で手コキからフェラまでいき、みんなの見ている前でSとセックス。「映画に出たいなら今ここでヤろうよ」って超ストレートに言われて。でも正直、映画に出たいからっていうよりも、断れる雰囲気じゃないんですよ。

その飲み会に参加していた女性は、私と、木村多江似の若いコと松井珠理奈似のコの3人。全員がその場でSとセックスしました。巨乳好きで、胸の大きい松井珠理奈似のコから順番に責めてました。Sは既婚者だし奥さんは女優なんだけど、セックスさせてくれないとボヤいてました。だとしても一晩に連続で三回もするなんてスゴイ色情狂だと思いましたね。

Sとは他の飲み会でもちょくちょく遭遇していたのですが、とにかく女好きで、口説き方がえげつないんです。T宅での乱交とは別に、大人数での飲み会をするのも大好きで男5女20くらいの人数比の飲み会をよく居酒屋やSの汚い事務所でやってるんですけど。一番気に入った女子を詰めて泣かしてヤろうとするんですよ。敢えてダメ出ししまくって追い詰めて……っていう。

ただ、Sはヤッた女優は一応ちゃんと、映画にちょい役で出してました。タダマンしたぶんの約束は破らないっていう(苦笑)。でもエキストラみたいな役で台詞もらえなかったり、ああ、この枕営業って特にステップアップになるものじゃないんだなって痛感して。ハリウッドまでいける枕ならまだしも、カルト監督の小さい映画でチョイ役なんて。こんなふうにしてYやSの映画にチョイ役で出ても意味ないし病むだけだって思って、すっぱり業界を辞めました。

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2016年の『シン・ゴジラ』『君の名は。』両作大ヒットにより盛り上がる邦画界。YやSもこのような飲み会を連夜繰り広げている暇があるのならば、作品づくりに精を出して欲しいものだ。

(水品佳乃)

ソウルを訪れる日本人女子のあいだで流行中!「イケメン逆ナン法」実践談

 中国の韓国旅行禁止令で、ソウルの観光地から中国人が消え、それと同時に再び目立ち始めたのが日本人旅行者の姿。ポカポカ陽気に誘われて、「韓国人男子と恋したーい♡」日本人女子が増殖中! ソウルのあちこちで韓国人男子にあの手この手でアタックする日本人女子たちに遭遇する。みなさん、ほんと積極的だわ。

 ソウルの定番観光スポット・ミョンドン(明洞)で見かけたのは、キャップ、アウター、トレーナー、ジーンズ、スニーカー、リュックまで、全身“双子コーデ”できめた推定22、3歳の日本人女子ふたり。ひとりは旅行ガイドを広げ、もうひとりはスマホを持ちながら、ふたりそろってキョロキョロ、キョロキョロし続けている。コスメショップでも探しているのかな? と思いきや、どうやら少し違うようだ。

 しばらくキョロキョロすると、ひとりが突然その場からダッシュ。韓国人に近づき顔を確認したあと、「違う、違う」と手を振りながら戻ってきた。そのあともひたすら同じことを繰り返していた。

 んん? 人探し中? 誰かと待ち合わせでもしているの?

 ダッシュしては「違う、違う」、ダッシュしては「違う、違う」、これを何度も何度も繰り返したあと、ダッシュした女子が初めて「違う、違う」ではなく、「いい! いい!」と叫んだ。するとその瞬間、通りの端で待機していた相棒もそちらへ猛ダッシュした。

 何、何? いったい何なのよ? 探してた人が見つかったの? 何が「いい! いい!」なの?

 日本人女子に「いい! いい!」といわれたのは20代の韓国人男性。どうやら彼は自分が「いい! いい!」といわれたことは知らないようで、まっすぐ前を向いたまま歩いていってしまった。双子コーデのふたりは小走りでその韓国人男性に追いつき、彼に観光ガイドを見せながら、カタコトの韓国語で「ヨギ オディエ イッソヨ?(ここはどこにありますか?)」と話しかけた。

◎道を尋ねるのは、ただの口実

 韓国人男性は渡された地図を見ながら、日本人女子を近くのコスメショップまで案内。ふたりは店まで行く途中、男性に向かって何度も「カムサハムニダ(ありがとうございます)」といい、お目当てのショップに着いてからも、「カムサハムニダ」を大声で連呼。そして「テレフォン! テレフォン! プリーズ!」と叫びながらスマホを差し出した。

 はは~ん、これだったのね! 久しぶりに“これ”がまた流行ってるって聞いてたけど、そのウワサは本当だったのね!

 そうそう、“これ”とは、道を尋ねるフリをして韓国人男性に近づき、最後に連絡先をゲットするというもの。いまから5年ぐらい前、ソウルに遊びにきた日本人女子のあいだで、「手っ取り早く韓国人男性と知り合う方法」として密かに流行ったのだ。しばらく見かけないと思っていたが、どうやら最近また増えているらしい。

K-POPグループ「防弾少年団」ファンのミサキさんは、栃木在住の32歳。彼氏いない歴32年だが、去年1年でエッチした人数は5人! 「相手は全員逆ナンした韓国人」なのだとか。

「カンナム(江南)やイテウォン(梨泰院)にいるモデル風のイケメンを狙って声をかけてます。友だちと一緒のときもあれば、ひとりで声をかけるときもあります。地図を広げながら声をかけると怪しまれないし、100%返事をしてもらえますよ。韓国男子って日本人にやさしいから」

ミサキさんが尋ねるのは、クラブかカフェの場所。時間は夕方以降と決めているそう。

「それだと『僕たちも、いまから行くところなんで』といわれることもあるし、私からも『ひとりだと不安なので、よかったら一緒にどうですか?』と誘いやすいんです。先週声をかけた男の子とは一緒に飲みにいって、そのままホテルでエッチしました。その彼がいうには、今年に入って日本人女子に道を聞かれるのは4人目で、なかには40代ぐらいのオバサンもいたそうです。さすがにその女性とはエッチしなかったらしいけど(笑)」

「日本では逆ナンなんてしたことありませんよ! あり得ません!!」とミサキさん。「韓国だからできる」のだそう。

◎失敗してもダメージが小さい

「最初は韓国通の先輩がこのやり方を教えてくれました。たとえ電話番号をゲットできなかったとしても、『道案内をしてもらっただけだと思えば、それほどダメージもない』といわれて、たしかにな、って思ったんです(笑)。この先二度と会うこともないだろうし、恥ずかしくありません」

 ミサキさんの影響で、ミサキさんの友だちのあいだでもこの「道を尋ねるフリ」が流行っているらしい。

「みんなから『ブログで紹介しなよ』っていわれてます。韓国人男子と仲よくなりたい子って多いでしょ。このやり方なら簡単だから、ぜひおすすめしたいです」

 この日ミサキさんと会った帰り道、カンナム駅の前でガイド本を広げ、長身イケメンふたり組に場所を尋ねている40代の日本人女性を目撃した。遠目でも女性のテンションが高いのがわかったが、これって道を尋ねるフリ? それとも本気で道がわからなくて困ってるの? どっち??

 しばらくして、長身イケメンのあとをついて歩き始めた40代女性。スマホを取り出し、イケメンふたりのうしろ姿をうれしそうに撮影していたが……。これってどっち???

■ 韓 美姫/先日スーパーで買い物中のペ・ヨンジュンに遭遇。顔がまん丸、体も少しぽっちゃりしてたから二度見しちゃいましたけどww

ポルノ・ナショナリズム “二枚舌の国”日本でいま児童ポルノについて考えるべきこと

 児童ポルノのない国(ポルノ・フリー)を目指すと語りながらポルノ的商品としての子どもであふれた国(フリー・ポルノ)を推し進めていく、二枚舌の国に私たちは生きています。

 日本はようやく重い腰を上げ、児童ポルノを子どもの性的搾取・人権侵害だと認識してその抑止に取り掛かり始めようとしています。2014年の児童買春・児童ポルノ処罰法の改正による単純所持の罰則規制、最近では未成年者の自画撮りによる被害の防止を目的にした都条例改正の検討などの、主に法にかかわる変化は、児童ポルノのない国へのゆっくりとした舵取りを見せています(ちなみに昨年1年間に摘発された児童ポルノ事件の被害者は1313人と過去最高を更新しました)。

 しかしその一方ではいわゆるクールジャパン戦略の一環として、国や自治体はエロティックなイメージを帯びた子どもを日本ブランドの目玉商品として売り出し続けています。分かりやすい例は企業・省庁や地方自治体のアニメ風萌えキャラクターによるマーケティングでしょう。けれどこれが二次元に限ったものでないことは、昨年問題になった鹿児島県志布志市のうなぎを少女に擬人化したふるさと納税PR動画などを思い浮かべてもらえば明らかです。

 子どもの性と表現に対する国や政府・地方自治体の態度はポルノ・フリーとフリー・ポルノのはっきりしたダブルスタンダードになっています。現代の日本において、今後ますます重要な問題になる児童ポルノを考えるためにはまずこのあまりにも明らかな事実を真剣に受け止めるところから始めなければいけません。二枚舌の語りを支えているのがナショナリズムであることは言うまでもありませんが、このことは児童ポルノをよくある紋切り型の「表現の自由vs性暴力反対」という枠組みで語るときに見えなくなってしまっています。児童ポルノをめぐる語りがどういう立場をとるにせよナショナリズムに回収されてしまう危険性は、後に見るように改正児童ポルノ法についてのメディアの報道や日本の児童ポルノについての最近のBBC3の報道“Young Sex for Sale in Japan”に対するウェブ上の反応などにはっきり見て取れます。

 この問題を考えるために、以下ではポルノを巡ってのフェミニズムにおける論争を振り返って、それを手がかりにナショナリズムとポルノについて私たちが考えなければならないことを確認していきましょう。

◎フェミニズムにおけるポルノ論争

「『性の表現』を考えるとき、性差別や女性の抑圧を容認しても『表現の自由』を擁護するのか、それとも差別や抑圧に反対して性表現を含む性の規制を容認するのか、という選択は、少なくともフェミニズムやクィアの立場から見れば、偽の対立でしかない」

 これは、昨年出版された『社会の芸術/芸術という社会――社会とアートの関係、その再創造に向けて』(フィルムアート社、2016年)に収録されている、フェミニズム・クィア理論家の清水晶子による「ポルノ表現について考えるときに覚えておくべきただ一つのシンプルなこと(あるいはいくつものそれほどシンプルではない議論)」という論文からの引用です。以下では清水の議論に寄り添いながらフェミニズムにおけるポルノ論争について簡単に振り返ってみましょう。

 ポルノグラフィは1970年代から90年くらいまでにかけて主に英米圏のフェミニストたちを内分した大きな論争の的になりました。注意したいのは、議論の軸になったのは「表現の自由vs性差別的表現の規制」という対立ではないということです。ポルノを性暴力の象徴として批判する場合でも、そうした反ポルノ論を批判する場合でも、フェミニスト達が問題にしたのはポルノ表現を支える「見る男vs見られる女」という非対称なジェンダー関係、つまり視覚的な「性の政治」でした。

 論争の起点になったのは、ポルノや売買春は家父長制に由来する性的・社会的な搾取と暴力の象徴であるというラディカル・フェミニストらによる強い批判です。清水も述べるように、彼女らが問題にしたのはポルノ表現が「見る主体である男vs見られるモノでしかない女」という視覚表現における男性支配制度に基づいていて、女を欲望する主体ではなく欲望されるモノにする性暴力に他ならないということです。象徴的なのは法哲学者アンドレア・ドウォーキンと弁護士キャサリン・マッキノンが制定にかかわった80年代半ばのインディアナポリス市におけるポルノ禁止条例でしょう(性差別を扇動するポルノを禁止するこの条例は、議会を通過し成立したもののその後違憲性が認められて棄却されました)。けれど条例の制定にあたってマッキノンらが皮肉にも中絶禁止など伝統的性道徳をうたう宗教的保守派と手を結んだこともあって、性表現の規制は結局のところ女性たちのさまざまな性のあり方に対する抑圧に加担するのではないか、との批判がフェミニストたちの間で相次ぎました。

 批判の中心になったのは、「見る男vs見られる女」という一方的な関係を強調するドウォーキンらの議論が、これとは異なった「見る―見られる」という関係のあり方の可能性を封じ込めてしまい、結局は視線の一方通行な関係を押し広めることになってしまわないかという点です。例えばジュディス・バトラーは、女性が男性に支配されるポルノ的ファンタジーにおいて女性観客が必ずしも支配される女性に同一化するのでなければ、男性観客が必ず支配する男性だけに同一化するわけでもないと強調します。ポルノ的表現が必然的に男性中心的なファンタジーを引き起こし、そして男性による暴力的な性関係を引き起こすという見方は、ポルノを含むファンタジーの多様な受け取り方を封じ込め、逆説的に女性のセクシュアリティのあり方を限定してしまう。こうしたフェミニストの考えは、現在の日本でも例えばBLと女性読者の関係についての議論などに引き継がれています(溝口彰子『BL進化論』(太田出版、2015年)など)。

 ただしこうしたバトラーらの考えにも批判が寄せられなかったわけではありません。例えばクィア理論の提唱者として知られるテレサ・デ・ラウレティスは、ポルノが多様な受け取り方に開かれているにしても、支配的な「見る男vs見られる女」という視線関係を内面化させられてしまう多くの女性にとって「支配される女性」ではなく「支配する男性」に同一化することは難しいと指摘します。

 こと児童ポルノになると問題はさらに複雑になります。10年ほど前にバトラーが来日講演を行ったとき、児童ポルノについて質問を向けられると「ファンタジーと実践は違うと思う」と簡単に答えるにとどまりました。「見る―見られる」の支配関係や性的ファンタジーの多様なあり方、という語り口では、常に支配される立場に置かれざるをえない子どもについて考えることが極めて難しくなるのです。

 ポルノ論争から30年近くを経た現在の私たちがこの論争から学べるのは、ポルノ表現は抽象的な一般論としての「表現の自由」という問題ではなく、見ること・見られることにかかわる複雑な「性の政治」の問題として考えられなければならないということだ、という清水の主張に私は心から賛同します。なかでも2010年代後半の日本に生きる私たちにとって重要なのは、ポルノを含む性のファンタジーはそれ単独で存在するのではなく、国や民族などの他のファンタジーと密接に絡み合っているということです。例えばドウォーキンらの反ポルノ論が宗教的保守派の反動的な性道徳と皮肉にも手を結ぶことになってしまったように。

◎ナショナリズムと児童ポルノ

 ここまできてようやく、私たちは現在の日本における児童ポルノをめぐる二枚舌について考えることができます。私が言いたいことは本当にシンプルです。それは、児童ポルノのない国をめざすと語りながら児童ポルノによるマーケティングを行うこの国の二枚舌を支えているのは、美しい国ニッポンというファンタジーに向けられたナショナリズムだということです。そして児童ポルノをめぐる多くの語りは、子どもへの性暴力自体について取り組むのではなく、児童ポルノをダシにしたナショナルなファンタジーへと回収される危険と常に隣り合わせにあります。

 例えば2015年に改正児童ポルノ法が施行された直後、産経新聞は「日本が世界から与えられた『児童ポルノ天国』という不名誉な称号を返上すべく、児童ポルノの“需要”を絶ち、子供たちの被害を食い止めるのが狙い」だと報じました。この報道が伝えるメッセージは、児童ポルノの防止は子どもたちの被害を食い止めるよりもまず「『児童ポルノ天国』という不名誉な称号を返上」して日本を世界からリスペクトされる国にすることが目的なのだということです。

 これと全く同じことはつい最近BBC3が報じた “Young Sex for Sale in Japan” という番組に対する反応でも起こっています。番組では疑似風俗的なJKカフェやイメージビデオと呼ばれる疑似AVを取り上げ、日本において若い性が商品化され続けていることを問題にしたようです。ようです、というのはこの番組がイギリス国内からしか観られないからで、筆者も番組を視聴することはできませんでした。そのためここで内容自体についてコメントすることを差し控えます。

 番組についての記事や実際に観た人の反応を見たうえでできる限り中立に言えば、日本社会についての番組制作者の誤解や偏見があったことは事実なようだし(例えば2014年の改正ポルノ法までは日本で児童ポルノは合法だったという伝え方など)、その一方で番組全体としては恣意的な偏向報道とは言い難いものだという意見も見られました(番組のトーンとしては一方的な批判というよりは日本の性商品文化へのとまどいが主だったことなど)。

 しかし、この番組を伝えるTogetterなどの日本語ウェブページには「反日的ねつ造」「国辱的フェイクニュース」といった見出しが踊りました。実際にどれだけ多くの人が番組を見たうえでこうした書き込みを行ったのかは定かではありませんが、先ほど書いたように番組自体は基本的にイギリス国内からしか見られないこと、Youtube等に転載された動画もすぐに削除され、また元番組の一部分だけを切り取る編集がなされたものであったことを考えると「国辱的なフェイクニュース」というまとめそれ自体が悪意を煽るフェイクニュースである可能性は高いように思われる、という意見もあります。いずれにせよ問題なのはBBC3の番組がフェイクニュースだったか否かということではなく、こうした書き込みを行う人たちにとって児童ポルノは単にナショナリズムを煽るためのダシにすぎなかったということです。

 児童ポルノに対してどんな立場をとるにせよ、現代の日本において児童ポルノが論じられるときその議論はナショナリズムの語りに落とし込まれる危険性と常に隣り合わせにあります。児童ポルノについて語られるとき、私たちはその裏に潜むナショナルなファンタジーへの誘惑に常に注意しなければいけません。児童ポルノが明らかな性暴力であって、そうした暴力から子ども達が守られるべきなのは当たり前のことです。けれどそれは子どもらが大人より弱い立場にある一個の人間だからで、決して「国の宝」だからなんかではないのです。

(Lisbon22)

エロメン・北野翔太の底知れぬ可愛さ! AVでは見れない“大人びた素顔”も披露♡

女性の夜の救世主・エロメン。AV男優とはいえ、ガチムチ黒光りボディを兼ね備えたギラギラとしたルックスではなく、清潔感があって良い匂いがしそうな言わずと知れたイケメン集団です。

 その中から今回は、2015年に「角度と勢いは負けません♡ さわやかエロプリンス」なんて素晴らしいキャッチコピーを引っさげてSILK LABOよりデビューした北野翔太くんの登場です! 撮影陣に「もう25歳なんで、可愛いとかじゃないですよ」と抗いながらも、北野くんの顔は、仔犬のようなつぶらな瞳に、愛くるしい笑顔は健在なわけで。そもそも、当日は激甘もこもこルームウェアでお馴染み『ジェ○ピケ』の巨大袋を持って登場されたんです。中身を聞くと「ファンの方からいただいて、いっつも着てるんです。気持ち良いんですよ~!」と案の定、もっこもこのルームウェア。その姿を可愛いと言わずに何というのでしょうか。めちゃんこキャワイイじゃないですか!!!

 とはいえ、やっぱり中身は25歳の男性です。時にハッとするほどクールで大人びていたり、アンニュイな表情も見せてくれました。AV作品では見れない“素顔に近い北野翔太”をお楽しみください!

■しQちゃんインタビュー~北野くん編~はこちら☆
『癒しの新人エロメン北野翔太が「1日3回必須」貪欲なオナリズムを発表しちゃうキュウ~!』
『本気サブカル系エロメン北野翔太「セックスが足りてない」キュウ~

・名前(読み仮名): 北野翔太(キタノショウタ)

・年齢: 25歳

・生年月日:1991年6月9日

・出身:東京都

・身長:168㎝

・血液型: O型

・よく遊ぶ場所:

・休日の過ごし方:

・エロメンになって一番嬉しかったこと/辛かったこと/驚いたこと

(嬉しかったこと)

ファンの方が応援してくれること。

(辛かったこと)

スタジオがめっちゃ遠くて朝5時とかに起きるとき辛い…。笑
(驚いたこと)

サインを書いて、そしてそれを喜んでもらえる事。
・自分がイケメンだと気づいた時期/出来事

※「イケメンとは思ってない」はNGです

「垢抜けたね」とよく言われるようになったのは嬉しかった。笑

半年くらい前からかも。

・”俺のモテ伝説”があったら教えてください

高校演劇で主役をやったときは目立ったからか月に何人かから告白されましたが、大学ではさっぱり。。

・最後にプライベートでオナニーした日/頻度

今日!だいたい3〜4回/日。

今日は3回です。(16時現在)

・今一番したいセックスシチュ

※いつ、どこで、誰と、どんなプレイを…

夜景が綺麗なホテルの窓際で後ろから…とかいいですね( `・ω・´)燃えますね。

・最近のお気に入りAVタイトル

E-BODYシリーズ。ずっと好きです。

・最近、一番印象に残った自身の作品

※理由もご記入ください

「黒王子と白王子」

初のド鬼畜レベルのS役だったので緊張しましたが、ドキドキしました。笑

・今後、どんなタイトル/内容の作品に出たい?

外デートとか、軽いいちゃいちゃものとか、直接的な性表現が苦手な方でも楽しめるに出て、より多くの方に女性向けコンテンツを楽しんで貰えたらと思います。

性機能障害、男性側の誤解。産後の性交痛の様々な原因、解決法を泌尿器科専門医師に訊く

産後のセックスに痛みを感じた筆者は、前回の記事で周囲の経産婦に聞き取りをしたところ、ひっそりと産後の性交痛に悩んでいる(いた)者が他にもいることを知った。どうすれば解消できるのか? 病気の兆候としての性交痛、という可能性もあるのか? 今回は、女性医療クリニックLUNAグループ理事長兼『LUNA骨盤底トータルサポートクリニック』院長の関口由紀先生(泌尿器科専門)に、性交痛の種類やその治療法を伺った。

 まず出産後、何割ぐらいの女性が、性交痛に悩まされるのだろうか?

「欧米では性交痛発生頻度は、セックスする人の2〜3割といわれています。日本では潜在化していますね。来院される方に問診票を書いていただいていますが、それより若干少ないんです。

 原因は、閉経前と閉経後で大きく分かれます。さらに閉経前の性交痛は、分娩直後かそうでないかでまた大きく分かれる。分娩直後といっても、それは分娩から3年くらいまでを言うんです」(関口先生)

 閉経前、かつ出産はしたが分娩直後ではない時期の性交痛には『性機能障害』が大きく関係しているという。性機能に障害があり性交がうまくいかない症状を指す。この『性機能障害』には分類がある。

「性的意欲興奮障害、オーガズム障害、性交疼痛症、膣痙攣、この4つです。アメリカで大きな問題となっているのは、性的意欲興奮障害なんです。セックスする気がないとか、セックスする気はあるけれども興奮しない、などの症状です。それに対する治療法も欧米諸国では発達していますが、日本ではそれを主訴として病院に来る人はまだあまりいないんです。性交痛を主訴として来院される方が主ですね。ですがこの症状には、性機能障害が密接に関連しています」(同)

 性交痛があることでセックスする気持ちが萎え、性的意欲興奮障害やオーガズム障害へと至る場合がある。日本の女性の場合、性交痛で来院したのち、性交痛が改善すると、性的意欲興奮障害も回復し、オーガズムも得られるという人が多いのだという。

 ではこのように性的意欲興奮障害と結びついた性交痛を改善するには、どうしたらよいのだろうか?

「夫婦関係を継続したいとふたりが思っているけれども、セックスには意欲がなく、痛みもある、という場合は、精神的な問題も大きいのですが、まずセックス法を2人で勉強した方が良いです。そのためのグッズもあります。それが『教育ビデオ』。AVでもいいんですけどね、日本のAVを観すぎると男性が偏った性行動を取ることもあるので、私は『ベターセックス』をお勧めしています。これを観る。アメリカの教育ビデオですから、ちゃんとすごくまじめにセックスの方法をレクチャーしてくれます。実は無修正として有名なんですけどね、字幕も入っていますよ。ラブグッズを使うのも悪くないですね。

 あとは夫婦関係にちゃんとお金をかけること。これは男性に言いたいんですが、妻との関係を修復したいんだったらやっぱりちゃんと美味しいものを食べて、豪華なところに泊まったりすることも必要。新しい女の人にするようにちゃんと古い妻にも接すれば、妻もそれなりにやる気になるんです。でも女の人の方もね、その男の人の愛を勝ち得ていたいと思うんだったらやっぱりちょっと見た目に気を配る。結婚すると油断するからね」

 結婚すればパートナーとのセックスはいつも生活感溢れる自宅……となりがちだが、確かにそれは飽きるし萎える。性的興奮に結びつきづらくなるため、ホテルなど場所を変えてセックスすることも良いようだ。

 一方、性交痛のなかには、これまで紹介したような性的意欲興奮障害と関連するものとは異なるものもある。なんらかの疾患のサインとしての性交痛だ。子宮内膜症や子宮筋腫、子宮ガン、高プロラクチン血症などの場合も、セックスの時に痛みを感じるのだという。とくに、セックスした時に痛む場所が奥の方である場合は「子宮筋腫、内膜症などの頻度が上がる」(関口先生)という。念のために受診をしておいて損はない。

「定期的な婦人科系のガンのチェックは必須です。ほかにも若年性の性腺機能不全といって…45歳から55歳の間に閉経するのは正常なんですが、それより若いうちに卵巣の機能が低下して女性ホルモンの分泌が減ってしまうというものも考えられます。この場合セックス時の痛みだけでなく、月経不順があることがほとんどです」

 さらに性交痛には、男性側に問題がある場合も。

「女性は大体、膣の出口の辺り、クリトリスとGスポットでオーガズムを感じる人が8割なんです。そのあたりの刺激だけで本来快感を得るには十分なんですが、男性の中には『子宮の奥で感じる〜』といった、ああいうAVを見続けてしまっている人もいて、そこで感じさせないとダメだみたいな、そこを強く刺激しないとダメだという誤った知識を持っていることがあるんですね。

 本来はそんなに深く挿入しなくてもよいんです。感覚的にも妊娠にもね。先だけ入れば妊娠なんて十分。外で出したって妊娠することあるんだから。だからセックス法をちゃんと見直すことと、女性が気持ちがいいっていうことをちゃんとやんなきゃいけない。痛いっていうことはなるべくしない。

 でも2割の人は、奥で感じられるんですよね。時々奥までのセックスをやってみるのはいいんだけど、基本的には痛いことはしないほうがよいです。痛い、って言った方がいいですし、こうすると痛くない、と伝えることが一番」

 ちなみに冒頭に挙げていただいた4つの性機能障害のうち、膣痙攣についても伺った。

「入れるところがキュッと閉まっちゃうんです。抜けなくなっちゃうこともあります。最新の治療としてはボトックスという神経障害を取る薬を注射してからダイレーターで拡張していく方法が主流です。まだ生まれてからセックスがうまくいったことがないという『未完成婚』の人たちは、まず指とかが嫌なんです。指で触られるとか。ですので、まずは人工的なもので拡張してある程度の太さが入るようになったところで指にして、そのあとペニスにするっていう流れです。

 よくよく考えれば、男性のペニスが女性の体に入るって怖いこと。性行為自体が女性にとっては怖いんです。それが生物学的に怖くなくなっている、したいとか思うようになっても、挿入というのはよく考えればセックスという行為がなければ怖いことだから、そういう病気が残っちゃうんだよね。怖い人たちが。だから異常ではなく、あってしかるべき病気ね。いろんなパターンで生物って成長していくから」

 引き続き、分娩直後の性交痛について、話を伺っていく。

(山尻コマ子)

国際女性デイと「女性がいない日」〜仕事を休み、赤を着て、女性の権利を主張!

3月8日は国際女性デイ(A International Women’s Day)だった。ニューヨークでは多くの女性が「赤」をまとってデモを行った。他にもあらゆる団体、セレブ、個人による様々な活動が展開された。

◎国際女性デイの歴史

国際女性デイはニューヨーク・マンハッタンでの出来事に由来する。1908年、衣服の縫製工場に勤める女性たちがあまりの低賃金や劣悪な労働環境に耐えかね、改善を求めてストライキを起こした。女性の多くはユダヤ系、イタリア系などの移民だったと言われている。

1910年、女性の参政権問題を提起するためにコペンハーゲンにて国際女性デイが設けられた。1913~14年のヨーロッパでは第一次世界大戦に反対し、平和を訴えるためのデモが国際女性デイに行われた。1917年には国際女性デイにロシアで食料と平和のためのデモが起り、やがて二月革命へと繋がった。

こうした歴史が蓄積し、1975年に国連が国際女性デイを認め、今では世界各国で女性を祝福すると同時に女性の人権を支えるための活動が行われている。

今年もニューヨークではセレブや多くの一般女性が様々なアクティビティに参加した。女性の文化/歴史を讃えるもの、女性の現状改善を訴えるもの、そしてトランプ政権への抗議を込めた政治的なものもあった。

◎赤い本の妖精ニンジャ、エマ・ワトソン

先日、乳首が微妙に透けて見える写真を公開したことによってフェミニスト失格と批判されたエマ・ワトソンが、国際女性デイにニューヨーク市内に出没した。

ワトソンは赤いベレー帽を被り、市内の女性偉人の銅像を巡り歩いた。奴隷解放運動家で、女性として初めて米国の紙幣に印刷される予定のハリエット・タブマン(1822 – 1913)、F.D.ルーズベルト大統領の妻であり、女性や子どもの権利/擁護運動を続けたエレノア・ルーズベルト(1884 – 1962)などだ。道中、ワトソンは「今日、私は賢明な女性の言葉を拡散する真っ赤な本の妖精ニンジャよ」とツイートした。

ワトソンは女優業を1年間休業し、フェミニズムに関する本を読むブッククラブ ”Our Shared Shelf”を立ち上げている。 アリス・ウォーカーの『カラー・パープル』など、主にそのクラブで取り上げた女性著者による本を持参し、数冊ずつ銅像に残した。本の中にはラッキーにも本を見つけた女性への、ワトソンからの手書きのメッセージが綴られていた。「この本を楽しんだら、他の誰かのためにどこかに置き残してね」

◎母となった国連大使アン・ハサウェイ

ニューヨークの国連本部では、エマ・ワトソンと同様に国連親善大使でもある女優アン・ハサウェイが深紅のドレスを纏ってスピーチを行った。昨年、第一子を生んだばかりのハサウェイは、アメリカが「世界の高所得国の中で唯一、有給の産休制度が無い」ことを語った。

無給なら12週間の産休が取得できるが、3カ月も収入が無くなると生活が苦しくなるため2週間程度しか休めない女性も少なくない。ハサウェイは有給の産休システムが家庭への経済支援になるだけでなく、親子の触れ合いを増やすとも語った。また、男性の育児参加にも触れた。

このスピーチに関するインタビューで、ハサウェイは女性ばかり8人が主役を務める大作映画『Ocean’s Eight』(2018)の撮影について述べている。8人のうちハサウェイを含む4人が母親であるため、リーダー役を演じるサンドラ・ブロックの提案により、撮影現場に子どもを連れてきてもよいことにしたとのこと。

ハリウッドのトップ女優たちゆえ、もちろんナニー(専門職のベビーシッター)を雇い、撮影現場では保育部屋なり、トレイラーなりを映画会社に要求することも可能だっただろう。一般人とはかけ離れた境遇だ。しかし、セレブのこうした行動が一般社会にも徐々に影響を与えていくことをハサウェイは願っているのだ。

◎恐れ知らずの少女像

マンハッタンのウォールストリートに「突進する雄牛」”Charging Bull”と呼ばれる銅像がある。ニューヨークが世界の金融の中心であることを表すもので観光名所となっている。今年の国際女性デイの数日前、この雄牛の正面に突如として少女の像が表れた。両手を腰に当て、脚を踏ん張り、スカートとポニーテールが風に揺れている。少女の顔に、今にも襲いかからんとする体勢の巨大な牛への恐怖はみじんも無い。像は「恐れ知らずの少女」”Fearless Girl”と名付けられている。

少女像は国際女性デイのためにある投資会社が設置したもので、作者は女性彫刻家のクリステン・ビスバル。製作過程がYouTubeで公開されている。当初、1週間のみの期間限定設置のはずだったが多くのニューヨーカーが永久設置を願い、オンライン署名が続いている。状況を鑑み、市長はとりあえず4月2日までの設置延長許可を出したが、さて、その後はどうなるのだろうか。願わくば、永久設置となりますように。

◎政治家も赤いスーツ

首都ワシントンD.C.では民主党のナンシー・ペロシ下院院内総務を筆頭に女性議員たちがあでやかな赤いスーツを着て登院した。女性の声を国政に届けるべく議会を欠席することは避け、代わりに議事堂の前に集合して写真を撮影した。

その際、ヒラリー・クリントンが使って有名になった「女性の権利は人権だ」Women’s rights are human rightsというフレーズや「男女同一賃金」と書かれたカードを手にした。黒人女性議員は赤いスーツの襟元に黒人女性の連帯を表す黒いバラのコサージュを付け、女性議員の主張に賛同する男性議員は赤いネクタイをしめて共に並んだ。

◎女性がいない日

アメリカでは国際女性デイに合わせ、同日に「女性がいない日」A Day Without Women運動も展開された。

主宰者は1月の大統領就任式翌日に世界規模で展開された「ウィメンズ・マーチ」リーダーの女性たちだ。

主宰者は「女性のいない日」に女性が行う3つの行動を提案した。

1.有給の仕事、無給の仕事(家事や育児など)を休もう
2.買い物を控えよう(女性やマイノリティが経営する小規模店舗は除く)
3.連帯を示すために赤を身に付けよう

3つの提案の主旨は、女性を巡る経済システムにスポットを当て、引いては女性の経済パワー向上を目指すこと。介護や育児/託児はアメリカでも職業としてであれ、家庭内のことであれ、女性の役割という概念がまだある。加えて介護職、託児職は賃金が安く、さらに言えばマイノリティ女性が多く就いている。この現状を改善することを主宰者は訴えたのだ。エマ・ワトソンン、アン・ハサウェイ、女性政治家たちが赤を着たのはこの主張に賛同したからだ。

この提案に対し、「仕事を休めるのは恵まれた人」という声もあった。そのとおりだ。休んでも収入が減らない職種、もしくは減給されても1日分なら生活に影響しない人だけが仕事を休める。また、先に挙げた介護職や託児職は休める可能性が低い。主宰者は男性が女性の仕事を肩代わりすることを奨励したが、休めない女性にまで休むことを強要したわけでは決して無い。だからこそ、休めない小規模店舗での買物→経済支援は善しとしたのだ。

◎デモと逮捕

ニューヨークでは「女性のいない日」デモが行われた。主宰者も一般女性たちも赤い服、帽子、ヒジャブ、マフラーなどを身に着け、デモに参加した。デモの最終地点、マンハッタンのトランプ・インターナショナル・ホテルに到着したデモ参加者は手をつなぎ、人の輪でホテルを囲もうとした。トランプの言動と政策が女性には百害あって一利無しと考えてのことだ。

しかし人の輪は警察に制され、従わなかった人々が逮捕された。逮捕された4人の女性リーダー、リンダ・サーサワー(パレスチナ系アメリカ人)、タミカ・マロリー(アフリカン・アメリカン)、カーメン・ペレズ(ラティーナ)、ボブ・ブランド(白人)は笑顔で警察の護送車に乗り込んだ。逮捕は既成勢力への抵抗の証しであり、リーダーたちの強さは一般女性を勇気付ける材料にもなる。4人はすでに、次の女性の権利拡張運動のプランを練っている。

■堂本かおる
ニューヨーク在住のフリーランスライター。米国およびNYのブラックカルチャー、マイノリティ文化、移民、教育、犯罪など社会事情専門。

ストリップに着想を得た『ボレロ』。現代バレエの名作を観て考える「芸術とわいせつの境はどこにあるのか」

 劇場へ足を運んだ観客と出演者だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

 高尚で夢々しい、ととらえられがちなバレエも、そのひとつ。情熱的なパフォーマンスの中には、過激な性描写や社会風刺があふれています。2月25日、日本のトップバレエダンサーである上野水香主演で上演された『東京バレエ団ウィンター・ガラ』の『ボレロ』のモチーフはストリップショー。世間でたびたび話題になる「芸術かわいせつか」のボーダーを考えるには、格好の題材かもしれません。

『ボレロ』は、モーリス・ラベル作曲の「ボレロ」に、20世紀最高の振付家モーリス・ベジャールが振り付けた現代バレエ作品の最高傑作です。モーリス・ベジャール・バレエ団が許可したダンサー以外は踊ることはできず、上野は『ボレロ』を踊ることを認められた唯一の日本人女性です。

 1961年にベルギーで初演された『ボレロ』は、酒場を思わせる赤い円卓の上で踊るひとりの女性ダンサー“メロディー”と、そのテーブルの周囲を取り囲む男性たちの群舞“リズム”が、ラベルの力強い旋律に合わせ官能的なダンスを展開。1980年代には男性ダンサーが“メロディー”、“リズム”を女性ダンサーたちが演じ、性別を超越したエロティックさを世間に披露しました。

 ローザンヌ国際バレエの入賞からモナコ留学を経て東京バレエ団に入団した上野は、2004年の入団直後からベジャールに『ボレロ』を踊ることを許され、2007年に亡くなった彼から直接の指導も受けた経験の持ち主です。

「ボレロ」が小さく流れるなか、一筋の照明が、まず“メロディー”の右腕のみを照らします。左腕、両腕と少しずつスポットが変化し、遠めには上半身裸のようにも見える“メロディー”が登場。繰り返される旋律に合わせ正確さが要求される振り付けは肉体的にとても厳しいもので、“メロディー”は髪を振り乱し、跳躍するたびに汗が飛び散ります。

◎バレエは芸術で、ストリップはわいせつ?

 計算された照明と円卓の赤色だけが鮮烈なシンプルなセットは、踊り手によって作品全体の印象が変わるといわれており、美の女神とその媚態に惑わされる男たちの欲望の物語とも、娼婦と群がる客とも、見知らぬ異教の儀式とも受け取れます。

 手足の長さが際立つ抜群の柔軟性と女性らしい優美さに定評のある上野が演じた“メロディー”から感じたものは、無邪気さと神々しさでした。酒場で踊り始めた少女に周囲の男たちが惹きつけられるけれど、その視線をはねつけて自分の道を生きていく強さにひれ伏していくような。彼女を目の前にして恋をしないひとがいるのだろうかーーそう感じたときに頭をよぎったのが、“メロディー”はダンサー自身の本質を反映しているのだろうということです。踊っている最中の神々しさとはあまりにもギャップのある、カーテンコールでの笑顔のチャーミングさに、そう確信できました。

 上野は出演したテレビ番組で「もともとの『ボレロ』のイメージはストリップだった」と明かしています。三方を異性――演出によっては同性――に囲まれ、一段高い場所でその視線を受けながら踊るという構図は、確かにストリップショーに近いといえそうですが、作品の中の“メロディー”は常に崇高な存在です。

 以前に一度、ストリップショーを観たことがあります。すぐ目の前で一糸まとわぬ姿になっているのに、感じたのはエロさよりも、アスリートのような鍛えられた肉体性と高い物語性への驚きでした。

 特に印象に残っているのは、小指の赤い糸を信じる恋に憧れる少女のショー。踊り手自身が自分の魅力や特性を深く理解していて、脱ぎ捨てる前の衣装でなく全裸になって初めて完成するように計算された“ヘアメイク”と作り込まれた世界観に、淡い色合いの絵本でも眺めたような気持ちになったものでした。そして、跳躍とともに、飛び散る汗。

 ひとつのパフォーマンスで、セリフに頼らずとも雄弁な世界へ呼び込んでくれて、ひとの情熱と本能をかきたてて、同じように汗を飛び散らせて。そう羅列すれば、芸術の代名詞であるバレエと、わいせつとみなされるであろうストリップとの違いは何なのでしょうか。もしあるとすれば、チケット代と観客席との距離くらいしか思いつきません。

 『東京バレエ団ウィンター・ガラ』では、同じベジャール振り付けの『中国の不思議な役人』も併演されました。ベラ・バルトークの曲に、同名のパントマイムを下敷きにして1992年に初演された作品です。

 無頼漢の一行が、“娘”を使って道行く男を美人局にかけ金品を強奪。獲物にしようとした“中国の不思議な役人”は、無頼漢が何度殺しても生き返って“娘”に迫るというストーリーで、パントマイムはあまりに煽情的だと何度も上演禁止になっています。

◎バレエにおける「射精」の表現

 黒いレースの下着姿に黒ヒールと娼婦のような恰好の“娘”を演じるのは男性ダンサーで、鍛えられた筋肉とあいまって倒錯的なエロティックさ。美人局の犠牲者たちとの踊りも、騎乗位でのセックスを彷彿とさせるものや相手の男性が下からしがみついたまま“娘”が四つん這いに移動するなど、男性同士だからこそ露悪的になりすぎず身体的にも可能な振り付けです。

 役人は娘が脱ぎ捨てた金髪のウィッグへ腰を押しつけ、欲望を果たします。腰を震わせて頭を思い切り振りあげ、後ろへ向かって一気に汗が飛び散るさまが“正常位”以外のなにものでもない――というところまで、ベジャールは確信犯に振り付けているのでしょう。現代バレエにおいては、100年以上前に初演された『牧神の午後』でもあからさまに射精を示唆する振り付けを盛り込んでおり、情熱と生きる本能は、どんな表現の分野でも不可分であるといえます。

 日本ではバレエは、エンターテインメントのひとつとしての鑑賞よりも、女の子向けの習い事、という認識が強いのが現実です。ふわふわのレースのチュチュは確かに愛らしいし、華麗な古典バレエは文句なく魅力的。でも、暗くて退廃的、かつ官能的な美しさも、またバレエの大きな側面なのです。

■フィナンシェ西沢
新聞記者、雑誌編集者を経て、現在はお気楽な腰掛け派遣OL兼フリーライター。映画と舞台のパンフレット収集が唯一の趣味。

髪に宇宙の力を取り込む!? 「開運サロン」でヘアカットしたらこうなった!

修道士や僧侶が髪を剃る〈剃髪=ていはつ〉や、髪そのものを使う願掛け、呪術がよく知られるように、〈髪とスピリチュアル〉は密な関係にあります。ですから、当然なのかもしれません。〈開運美容室〉なるものが存在するのは。

「開運効果があるって知り合いに勧められて行ってみたら、〈尼〉みたいなヘアスタイルにされたそうですよ」

 編集Mから、ある日そんなタレコミが届きました。編集Mの知り合いだという女性は、仕事の成功を願掛けしようと〈開運カット〉とウワサされるヘアサロンの扉を叩いたのだとか。するとヘアスタイルの希望はほぼスルーされ、ベリーショートになってしまったそう。

 それは一体どこのサロン? 店の名前を聞いてみると……あー、知ってるわ。某スピ雑誌に、オリジナルのスピシャンプー(なんだそりゃ)が掲載されていたので、なんとなく名前を憶えていたのです。商品だけでサロンはチェックしていなかったのでHPを検索!  はい、謎物件決定です。こんなカット解説が掲載されているのです。

●カットの目的は「神経、心、そして体のバランスを整えること」。
●短い少ない強い弱い太い硬いなどの尺度で髪全体を比較し、そのアンバランスをなくすようにカットしていく。そして立体的な髪のバランスが調うにつれ、まるで血液、気、神経などの滞った流れを取り戻させるかのように顔のかたちが整う。
●各種実験により、ヘアセットの後は「両ほほが引き締まり」、容姿の変化を確認。ずれていた噛み合わせも理想的な状態になった。

 うーん、髪を切ると顔がリフトアップするって一体どういうことでしょう。さらにこのサロンへ行ったという個人のブログ報告などを読むと、

「2か所ほど前髪をカット。それだけで右の顔が動いてます。なんか皮膚の中でゴニョゴニョと。ぐぐーーと頬の位置が上がって目がくっきりして大きくなってる」
「先生曰くこの前髪カットで宇宙とつながるゲートを開くんだそう」

 など、ますます不可思議……。ノーマルな女性誌等に度々登場する〈開運セラピスト〉もここへ通っているようで、彼女のブログでも「若返りだけじゃなくお祓い効果があるのを感じました」なんて紹介されている!

 しかし編集Mの知人は「何が何だか」といった状態だったと言います。これは、ほぼ1年伸ばしっぱなしで放置していた私の髪を切れという、啓示なのかもしれません。何が行われているのか、謎のヘアサロンへ予約を入れてみたのです。

髪を切るだけで、顔がリフトアップ!?

 サロンの場所は都内の、高級住宅地と呼ばれるエリア。この地に店を構えることができているのだから、最低限のクオリティを持っていると信じたい……。店内はごく普通の、清潔感あふれるシンプルな美容室といった印象でした。店内のBGMはヒーリング音楽でもかかっているかと期待したものの、ノーマルなフレンチポップス。予約時間になり席に通されると、うやうやしくカリスマ美容師S氏のご登場です。

「髪は、宇宙からの情報をキャッチするアンテナでもあるんですよ」
「なのに髪に不要なエネルギーや穢れがたまっていると、うまくキャッチできない」
「禊払いの技法をアレンジしたカットとシャンプーで、宇宙のエネルギーを取り込めるようになる!」
「髪は脳と直結しているので、髪を整えると自律神経や脳波も整い、その場でたるんでいる顔もグッと引き締まりますよ」

 そんな電波的トークを聞かされたあと、別フロアの日当たりのよい部屋へ移動します(わざわざ移動するのが儀式っぽい?)。そしてごく少量の髪を一束指ですくい、エレガントなしぐさで高い位置からハサミで毛先をシャシャシャッとカット。

S氏「ほらこれだけで、右側の頬がギュッと持ち上がってきたのがわかるでしょう?」

 ええっと、そもそもこの移動した部屋の採光で、片側が思いっきり陰になり、左右均等には見えないのですがね。しかし「うーん、そんな気がするかも?」とお話を合わせて続けてもらいましょう。

S氏「僕はこの些細な変化を感じとりながら、顔のバランスが取れるようにカットしていくんです。だから、ヘアスタイル重視ではないんですよ」

 ふ、ふうん。どうでもいいですが先生、私の前のお客をカットしたときの短い髪が、セーターにびっしりついていらっしゃいます。人の禊をする前に、ご自身の御召し物をクリーンにしたほうがよさそうですが。

 カット後は、〈禊祓いとアセンションをコンセプトに開発された〉というオリジナルのシャンプーで洗髪タイム。一般的なサロンでのシャンプーよりもシャカシャカと動かす手の動きが細かいのが特徴で、時間も倍以上です。これだけ頭皮をしっかりこすれば、シャンプーの直後、むくみくらいは引くでしょう(この効果をリフトアップ!と謳っているのか?)。

 カット&シャンプーが終わり、ドライヤーで乾かしてもらったその仕上がりは……見事な〈ぱっつんヘア〉! そういえば入店時、入れ違いに帰っていった女性が、あまり街では見かけない雰囲気のショートカットだったのですが、あれはショートヘアにも関わらず、フロントもサイドもやたら〈直線〉だったからなのか。〈ヘルメット〉っぽいとでも言えば伝わりますでしょうか。私はロングヘアがセミロングになったくらいのカットでしたが、何か違和感。

S氏「若返ったでしょう?」

 若返ったというか、どこか懐かしさを感じるような。店を出てから、編集Mたちと喫茶店で合流すると、「中学生のお母さんカットみたい!(お母さんに切ってもらった髪という意味)」と爆笑。ああ、まさしく、それ。

THE 禊ヘアコレクション

『婦人画報』に掲載されていたS氏プロフィールには〈往年の大女優たちにも支持された、この道50年の“初代カリスマ美容師”〉とありましたが、まったく信じられない~。てか、女優って誰だ。しかしこの〈浮世離れ〉した感じは、占い師などスピ商売の方々なら、いい演出になるのかもしれません。

 自宅へ戻り、さて化粧でも落そうかと髪を後ろでひとつにくくると、またひとつ何か違和感。鏡の前で頭を横に向け、毛先に目をやると〈コス好き歴女ならアリかもネ☆〉という、ズドーンとした毛先が存在感を放っています。今どきこんな髪の女、珍しいのではというレベル。

 私はど直毛なのですが、今時はどんなサロンでカットしても、それなりに毛先にニュアンスが生まれ、ひとつ縛りにしてもそれなりにさまになるものでした。

  普通はボサボサ&ひっつめヘアでも、それなりにオシャレっぽくまとまるもの。

 さて多くの女子がご存じでしょうが、髪型がキマらないとどんなにメイクをしようがこぎれいな服装をしようが、ひどく残念な印象になるものです。20代女子ならあか抜けなさも〈清楚〉〈素朴〉といい方向に転がる可能性が高いものの、40代の中年にはツラい! というわけで、その週のうちにホットペッパービューティで検索した適当な店を予約し、お直ししてもらうはめに。

ヤバい人だと思われた…

 初対面の美容師さんにカットしてもらいつつ、実はこんなサロンに行って~と詳細はぼやかしつつだいたいの経緯を伝えてみると、

「な、なるほど。毛先は切ったばっかりっぽいのに左右の長さがばらばらだったから、衝動的に自分で切っちゃったのかと思ってました……」

 と苦笑い。キエー!と自宅でザクザク切った、ヤバい人だと思われていました。短時間とはいえ怖がらせてしまったかもしれず、申し訳ない。そしてやっと俗世ヘアに戻ることができ、こちらのほうがよっぽど〈負のエネルギーが祓われた〉的な爽快感を得ることができました。

 しかし巷の美容師に、「自力カットかと思った」と言われるレベルのカットが、2万6,000円(シャンプー込)! 一応国家資格である美容師免許をお持ちとは言え、〈トーク代〉という印象です。いくらキャラ立ちしていようが、スタイリストの〈技術〉や〈センス〉で勝負していくのは、まず難しいのでは。

 そこで〈スピリチュアル〉という付加価値をつけ、技術以外で生き残る道を探った、営業戦略なのかもというのが私の想像です。このS氏はそれなりの土地に何店舗も美容室を展開していますから、おそらくその狙いは当たったのでしょう(単にご実家が超資産家だという線もありますが)。

 ちなみにこのサロンへ行ったあと、それなりに〈大ラッキー〉と言える出来事はそこそこありましたが、もちろん因果関係はよくわかりません。

マウント凝縮フルコース「先輩ママ」の友人宅訪問は地獄でしかなかった

息子が生後3カ月ごろ、初めて息子を連れて幼稚園・高校時代の友人Tの家へ遊びに行った。
Tには二人の子供がおり、当時長女が4歳・長男が5カ月。長男と私の息子は同学年でわずか2カ月違いだ。
家族ぐるみでの長い付き合いだったし、産後初めて子供同士を合わせるという、普通の友人同士ならやるであろうイベントなわけだが、その日、私はやけに気乗りがしなかった。
久々にTに会えることも、Tの赤ちゃんと息子を対面させられることも、それ自体は嬉しいことであるはずなのだが、心のどこかで、これは一方的な“マウント会”になるに違いないと、確信していたのだ。

◎一方的な価値観の押し付けがウザいT

Tは決して悪い人間ではない。良いところがいっぱいあるから付き合ってきたのだ。
ただ、Tが先に結婚してから、ちょっと違和感を覚え始めた。まだ独身だった私に「愛ちゃんはまだなのぉ~?」としきりに言うようになったのである。
Tは長女を出産後、子供が好きではなくそもそも自分が母親になるイメージなど全くできていない私に「産んじゃえば絶対可愛いよ。早くしないと産めなくなるよ」と勧めてきたりもした。

人それぞれ価値観は異なる、という前提条件をTとは共有できないと思った。
Tは特に結婚や出産において「自分が到達した」ことを現在していない相手に対して「未熟」扱いするような節があった。だから徐々に、私はTと距離を置くようになり、自分が妊娠したことも直接Tに報告しなかった。

しかし別の友人を通じて私の妊娠を知ったTは、急にたくさん連絡をよこしてくるようになった。そして「つわりがその程度ならまだマシ」とか、「家で靴下履かないなんてありえない!」とか、いきなり「先生」になったかのような調子で物申してくるのである。

妊娠後期や入院間際まで「運動が足りてない。難産になるよ」とか「そんなのはおしるしじゃない、もっとこうなハズ」とか、いちいち自分の経験が“正しい産婦”の経験そのものだとでも言いたげに主張するTに、私はすっかり疲れていた。でも、子供が産まれたらきっとTに一度は会うことになるんだろう。なにしろ幼稚園時代から、実家の家族ぐるみの友達なのだ。そう思って、近い将来が憂鬱だった。

私は産後、退院してからろくに寝られない生活が続き、生後間もない命を預かっているという不安との戦いや、母乳がスムーズにいかないことのストレスや、貧血がひどく、食事も喉を通らないし、本当に余裕のない毎日だった。
その時期にTと私の母が連絡を取り合い、彼女が我が家に遊びに来るという話になったようなのだが、こんな状況で、ああだこうだと「レクチャー」されるのはさすがに耐えがたい。その時はやんわりと断り、そのうち落ち着いたら……ということになった。

息子は生後2カ月で寝返りを覚えたのだが、オムツ替えの際に身体をひねらせて寝返りを打とうとするので替えづらくて困った。それを近くで見ていた母は、Tに近況報告がてらLINEで気軽にそのことも話したりしていた。
その時のYからの返信は「あるよね~笑」ではなく「もーー! Aちゃんったら……そんなやり方じゃダメ!!もう、教えるから連れてきて!!!」というものだった。
家族ぐるみのざっくばらんな付き合いをしていた関係だから、この物言い自体に母は特に何も思わず、むしろ「先輩ママ」のTが、私を案じてくれていると喜ばしく思っていたようだ。

この段階で「ああ……きたきた……」と、私はTとの心の距離を早速取り始めてしまっていた。
まだ2カ月なのだから慣れないのは当然だったし、数をこなしていけばどうってことない、私にとっては「“今”の小さな課題」であり、別に悩んでいたわけではない。
だというのに、「もう! そんなんじゃダメ!! 喝!!」とばかりに早速首を突っ込んでこようとしたTだったから(自分だって最初からできたわけじゃなかろうに)、T宅に遊びに行くとなれば、いよいよ「慣れたお母さん」を最大限に演出できる日が来たとばかりに大御所審査員気分で待ち構えているに違いないと思った。なんとかして避けたかったが、そうもいかず、ついに対面の日と相成ったのだ。
上手くぶつからずマウントを回避できる術はないものか……私は緊張していた。

◎「息子ちゃんがかわいそう!!!!」

約束当日。T宅には、Tのお母さんが来ており、私も母と息子と3人でお邪魔した。Tの夫は不在で、30年来のつきあいである母子と孫同士が一同に会する日となった。

「〇〇(息子)ちゃん~!! いらっしゃい~!」と、笑顔で迎えてくれたTとTのお母さん。
しかし約30分後、私はTのマウント行為に耐えかねて、早くも帰りたくなっていた。

「先輩ママのマウント行為」については以前にも書いてきたが、今回は、その凝縮体験をフルコースで紹介しようと思う。

●「そんな小さいうちから預けて、心配じゃないの!?」(保育園)

私の息子は、生後1カ月半の時に奇跡的に保育園に入ることができた。もちろん、月齢が低いこともありフルで預けるのは無理だったが、家計を維持するためにも少しでも早い段階で働きに出ることを希望していた私には有り難いことだったし、このご時世こういう母親はそこらじゅうに存在するとは思う。
でも、保育園に預けること自体を良く思わない人々もいるし、まして「そんなに小さい月齢で!?」と眉をひそめる人は少なくないだろうと、自分でも思っていた。
そしてTはそちら側の人間だ。Tの感想はもちろん、「ええー! かわいそう!!」。

私だってまだ身体が回復しきってない中での仕事復帰はきつかった。でも、それぞれの家庭ごとに事情なんかまったく違う。“今”奇跡的に保育園入園できたが、一年後だったらアウトかもしれない。一年みっちり母子密着育児をした結果、保育園落ちたの私だ状態になり、仕事復帰できず、減ってゆく預金残高に不安が募っていたかもしれない。
「そんな小さいうちから預けて、心配じゃないの!?」とTは言うが、それは私の息子を案じてくれているのではなく、私を責めているだけである。育児放棄とまではいかないにしても「子供を無下にしてる」とTは捉えているのだ。

●「そんなの全然いいほう!!」(夜の睡眠)

新生児期こそかなりの細切れ睡眠だったが、息子はこの時期、5時間ぐらいまとめて寝るようになっていた(ただし一時的なものだったらしく、その後また細切れ睡眠期に入って体力が削られたのだが……)。

母子2組での会話の中で、私が「まとまった睡眠が取れない」状況だったことに話が及ぶや、Tは「えーーー!! そんなの全然いいほう!!」と、目をつりあげてまるで噛みつきそうな勢い(“目の色を変える”とはまさにこのことだ)でブーイングの声を上げた。いわく、「もっと寝ない子はいくらでもいる」そうだが、余所の子と比較することに意味なんてないだろう。
赤子なんて100人いたら100人違う。それに良い時期もあれば難しい時期もある。
「先輩ママ」ならそれぐらい、わかっているでしょうに。

●「抱っこが足りないんじゃないのぉ~?」(抱っこ問題)

3カ月になった息子はかなり活発になってきていて、普段「抱っこで落ち着かされる」という行為を嫌がっていた。
だから私は息子を好きに遊ばせていたし、無闇に「抱っこ」はしない、出来ない。母子のコミュニケーションは「抱っこ」がすべてではないし。
この日も元気に動き回っている息子を横目に、そのことを話すとTは、やはり納得いかない様子で、その流れで私の息子が一人遊びが好きだというと、「抱っこが足りないんじゃないのぉ~?」。え、どうしてそーなる???
Tが「できるだけ子供を抱っこしたい」と考えて実行するのは自由だが、育児方針や子供の性質なんて人それぞれであって、「抱っこが足りないから子供がさみしがっている」と短絡的に決め付けられても困惑するしかない。というか正直、そんなことを言われても嫌な気持ちになるだけだ。

この後、寝ぼけ眼になった私の息子をTが抱き上げ、息子はそのままウトウトし始めた。私の母が「寝そう! やっぱ抱っこが好きなんだね~♪」と言い、Tは「違う違う。抱っこが上手いんじゃない? やっぱ寂しいんだよ」と言った。ああ、帰りたい!
これでもかというくらいに「自信」を見せつけてくるTの姿に、もしかしたらTにとっての子育てとは「闘い」なのかもしれない、Tは何かと「闘って」いるのだ、と感じた。

●「完全ミルクなんてかわいそう!!!」(母乳について)

T宅で用意してくれた昼食をいただき、大人たちがお腹いっぱいになってきたところで、最大の難所が訪れた。
私は初期の母乳トラブル(「乳首を吸われたくない」私が完全粉ミルクを選択した理由と、母乳信仰)によりミルク育児を進めてきたのだが、一番デリケートな問題だっただけに、この話題でTからマウントされて平穏を装える自信がなかった。
だから話題に及ばないよう必死に避けてきたが、2~3時間滞在していれば自然と“バレ”る。

「ほぼ最初から完全ミルク」という事実を話した時のTの反応は、保育園ネタの時よりも大きかった。
「ええええーーー!!!!」と大ブーイングをしたのち、「なにそれー! かわいそう!!!」と断言……。さすがに<嫌な気持ち>を通り越して<怒り>もわいてきた。

Tは私が完全ミルク育児をするに至る事情は知らないし、この一言に私がどれだけ傷つくかなど考えもしないわけで、私がスルーすれば良い話なのだろう。身体の芯からムズムズと湧き出てくる怒りを抑え込み「色んなやり方があっていいんじゃない?」と口にしたが、多分私の怒りは届いていない。
そもそも私の事情(母乳のつもりだったけどダメだったからミルクに移行した)がどうであれ、「ミルク育児を頭から批判」するTの態度は非常に残念だった。

「かわいそう」とはなんだ? 誰目線? お前は私の息子か?
母乳は美味しくてミルクは不味いかというと、そんなわけはない。母乳は安心を与えられるけど、ミルクは不安定にさせる? そんなわけない。何の裏付けもないのに、ミルク育児で育っている私の息子を「かわいそうな子」呼ばわりされる筋合いはない。
っていうか、「自分じゃなきゃダメ」ではない「完全ミルク」を手抜きのように言うが、夜中何度も湯を沸かしてミルクを氷で冷まし、哺乳瓶を毎回洗って消毒して……ってむしろ手間なのだが。これ、手間ヒマかけて育ててます~、と言っていいくらいだと思う。

この後にまたタイミングよくTの息子の授乳時間になり、来客がいるのだからてっきり別室へ行くかケープか何かを出すのかと思ったら、その場でボロンと惜しげもなく乳房を出し、手慣れた様子で授乳を始めた。幼馴染みとその母だから抵抗がないのか。
いや、どうやらTは、この一言を言いたかったらしい。
子供に乳首を咥えさせながら「ほら、安心してるでしょ?」。

うわあ、消化できない。

◎先輩ママをお手本にするのは無意味

私がTを「先輩ママ」として持ち上げ、自分は未熟者なので教えてください……というスタンスで応じていれば満足なのだろうか。いや、Tと話していると、私の息子がまるでTの監視下にある子かのようだ。

Tが「かわいそうだ」と決めつけ、「抱っこが足りない」と奪うようにして抱いているその赤子は、紛れもなく私が妊娠や出産に耐え抜いて産んだ子供だ。保育園に行こうが一人遊びしようが完全ミルクだろうが、それらは母である私が、自分と息子にはこのやり方がベストだと信じ、選んだ方法であり、Tが介入する余地はない。
何より今、この子はこんなに元気でこうして遊びにも来ているのだから、何がかわいそうでどこが間違ってると言うのだろう。

世の中には「苦労すればするほどえらい」というわけのわからない育児文化があるが、この日もそれを痛烈に感じたエピソードがあった。
私の息子は初対面だろうが何だろうが誰に抱かれても嫌がらない。要は「ママにベッタリ」なタイプではないのだが、これもT曰く「やっぱ、スキンシップが足りてないんじゃない? おっぱいもあげないし。愛情の欠如だよ」だそうだ。

捉え方次第だな、と思った。むしろ私は息子が誰に会っても喜んで抱っこしてもらえて、幼いうちからたくさんのコミュニケーションが取れることを「良いこと」だと思っていたし、「ママ」である私じゃなくても笑顔を振りまき、可愛がってもらえたり世話をしてもらえるのは、私自身もとてもやりやすかった。
逆にTの息子は「ママにベッタリ」タイプで「パパでもダメ」、何かにつけ「ママ」を探して泣き、大変だそうだが、Tはそのことをとても誇らしげに話す。でもこれも捉え方次第で、同じ状況で「本当に大変で、身動きとれなくて、つらくて……」と病んでしまう親もいるだろう。

Tが自信満々にマウントを取ろうとするのは、自信のなさの裏返しのように思える。自分の育児を、ひいては彼女自身を肯定するために、Tとは違う育児方針の私を責めて私の息子を「かわいそう!」と言うのではないか。
自分は片時も我が子から離れず大事に育ててきたが、愛は「ママ」としての責任を全うせず息子と一定の距離を取っている。自分のほうが正しいはずだ、と。
でも、どちらかしか正しくない、なんてことは、あるんだろうか。

母子密着育児が推奨される風潮は未だにあるし、こうしてTのような「ママ友」などもいる中で、惑わされず自分と息子に合ったやり方を模索しここに至るまで、私は結構、苦労した。
でも実際に行政サービスを活用し、自分以外の大人にも息子の育児にかかわってもらい、ミルクで育てている今、すごく快適だ。最初から「産んだらそうしよう」と計画していたわけではなく大体なりゆきで選択したことだが、いざやってみると、私と息子にはこの方法が合っていたのだと思えている。

結局は以前にも書いたように、「先輩ママ」のTは「とにかく褒められたい」自己顕示欲のかたまりだったのだろうが、それをたった1日(数時間)のうちにここまでフルコースで堪能させられた経験はなかったので、記しておきたかった。

何度も強調するが、どのような育児を遂行するかは、育児する当人が決めることだ。
それを傍から正解・不正解と審査する人間がおかしい。その“正解”の概念は当事者の母親ごとに異なるだろうし、第一、「この育児生活は正解だった」とわかるとしたら、ずっと先の未来のことなのではないだろうか?

「先輩ママ」は、お手本でも先生でもない。育児に向き合う責任を持った同志の他人でしかないのだ。もちろん情報共有すれば得なことだってたくさんあるが、所詮その程度だ。

“そんなこと言っても他のママの情報がなかったら、子のトラブルのときどうしたら?”とか、“自分じゃ判断できない事態が起きたなら?”と思うのなら、医師や地域の保健師など、専門家に聞けば良い。自分に合ったやり方を見つけ、本当に困ったときは親でも先輩ママでもなく、専門家を頼る。それが当たり前になってほしい。
そして、Tのような「先輩ママ」のターゲットになった時に、「ああ、これがこの人の習性か」と華麗にスルーできればと願う。

■ 小出 愛
1981年生まれ、学生時代から10年以上スポーツ一本、卒業後はスポーツトレーナーとして第一線を志すも、いろいろあってパチ屋店員に。そこで旦那と出会い、結婚、2016年に第一子出産。プロレスは知らないけど猪木が好き。ママ友ヒエラルキーには入りません。