地元でも「見つからんで~」の声……向島の脱獄犯逃走事件、なぜ犯人は島で逃げ切れる?

 地元でも「見つからんで~」というのが、もっぱらのウワサ。この日本で、脱獄犯が逃亡を続けられるとは……いったいどんな島なのか。

 愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者が脱獄した事件は、1週間を迎えても、なお逃走が続く一大事件になっている。

 その舞台となっているのが、広島県尾道市の向島である。この島には、すでに警察当局が述べ5,000人の捜査員を投入しているが、脱獄した平尾龍磨受刑者(27)の足取りは一向につかめていないという。

 島内に潜伏するたった一人の脱獄犯を捕らえることができないとは……平尾受刑者がサバイバル能力に長けているのか、あるいは、警察当局の間が抜けているのか。脱獄から1週間、さまざまな臆測が飛び交っている。

 だが、実のところは、そのどちらでもない。

 まず、島がメチャメチャに広いのである。その面積はほぼ品川区と同じ。それも品川区みたいに整備された道路が張り巡らされた都会とは違う。田舎道のほかは、山と森なのだ。

 まったく偶然だが、先日、筆者はこの島を数時間歩いたばかりである。というのは、しまなみ海道を旅していたからだ。この時、因島大橋の手前で橋から降りた筆者は、ふと橋の歩道を歩いて対岸の向島に行ってみようと思った。筆者のイメージでは、やたらと「歩道はこちら」をアピールしているから、橋を渡った先にバス停があると思っていたのだ。

 ……まったくそんなことはなかった。バス停があるのは、島を半周ほど歩いた先。しかも、サイクリングをしている人以外には、ほとんど人には出会わない。瀬戸内海の島と聞いて小島を思い浮かべるのはやめたほうがいい。島というのは、どれもメチャクチャ広いのだ……と、この時に思った。

 この向島。尾道水道を挟んで尾道市街に面したところは、都会である。でっかいスーパーはあるし、渡し船に乗ると1分ほどで尾道市街(むしろ、尾道大橋のほうが遠回り)。

「報道では空き家が1,000軒にも上り、潜伏先の捜査が困難を極めているとされています。かつて造船業が盛んだった頃には、向島はベッドタウンだったんです。地元では“見つからんで”というのが、もっぱらのウワサです」

 そう話すのは、向島出身のフリーライターのKさん。Kさんの話によれば、過疎の進む向島は、隠れるところも豊富にあるという。

「山ほど空き家があると報道されていますが、島のあちこちに、手入れされていないみかん畑があったりするんですが、小屋は残っているのに、その小屋に入る山道が閉ざされていたりするんです」

 隠れるところは豊富な向島。一方で、島からの脱出は困難ではないかという。

「泳いで島の外に逃げるのは難しいでしょう。流れが速いし、昼も夜も出入りする船が多いですから。うちの父親たちの世代は尾道水道を泳いでいたらしいですが、溺れて亡くなった同級生もいるそうです。それに、本土の側はずっと市街地が広がっているし、国道2号線もあるので、濡れた体で歩いていたら、ものすごく目立ちますよ」(同)

 逃げる手段があるとすれば、小舟を盗んでこぎ出すことくらい。また、地元では「フェリーの検問をすり抜けて、すでに島外に逃亡しているのではないか」という話も。いずれにしても、逃走劇はまだまだ続きそうだ。

「地元では、検問で車が渋滞することに怒っている人が多いんですけど……もっとも、イラっとさせられているのは、マスコミで連呼されている島の名前ですね。『むかいじま』じゃなくて『むかいしま』です」

 こんなニュースで話題になってしまった向島だが、これからの季節、しまなみ海道は楽しい。今年のゴールデンウィークは、ここでどうかな?
(文=昼間たかし)

いつまでも食べられると思うな! 地方の「知る人ぞ知る名物」が、どんどん食べられなくなっている……

 最近、地方の名物が消えまくっててヤバい。

 JR松山駅の名物駅弁だった「醤油めし」がなくなることになり、惜しむ声が広がっている。製造していた鈴木弁当店が、売上の低迷から店を閉じたためだ。

 松山駅の「醤油めし」は、醤油味の炊き込みご飯をメインに据えた、素朴な逸品。鉄道旅を愛好する人の間では、一度は食べてみたいといわれる駅弁であった。

 新聞などの報道によれば、同店は大手コンビニチェーンとの取引解消後、同業者やコンビニとの競争が激しく、売り上げを低下させていたという。鉄道利用者が買い求める駅弁だけでは、事業が成り立たなくなっていたということだ。

 近年、市場構造の変化による事業の低迷や事業者の高齢化など、さまざまな理由で地方の「名物」が、どんどんと姿を消している。

 昨年9月には、広島県呉市にあるアイスもなかの「巴屋」が市内に3店舗あった店舗を閉鎖。直営店は消滅し、市内2店舗の委託先を除きスーパーなどでの販売だけになった。

「巴屋のアイスもなか」は、呉の人々にとっては夏ならずとも食べたくなる、定番のおやつ。店頭で注文すると、その場でもなかの中にアイスを詰めるスタイルのため「シャリシャリの出来たてが美味しい」と評判。とりわけ、呉駅構内の店舗は、常に繁盛していたが、実際には店舗の営業は年々厳しくなっていたという。

 完全消滅ではないものの、店舗の消滅にその味を知る人のショックは、癒えることはない。

「これまでも、一部のスーパーやネット通販で買うことができました。でも……でも、店でおばちゃんに詰めてもらうのとは、全然味が違うんですよ」(呉市出身者の声)

 流行っているというのに、先行きが不安な店もある。昨年末、和歌山県を訪れた時に地元の人から聞いたのは「てつめん餅」の存続への不安だ。

「てつめん餅」というのは和歌山県の太地町にある亀八屋がつくっている。白とよもぎの二種類の皮で餡を包んだ餅である。この餅は、その味を愛する人たちには「幻の餅」として名高い。というのも、その独特の食感が維持されるのは、作ったその日限り。翌日になると、まったく美味しくなくなってしまう。

 その日持ちの短さ。かつ、売っているのが大阪からは3時間以上、東京からだと、空路を駆使してどんなに急いでも5時間近くかかってしまう、ご当地だけという幻のもの。だが、地元の人によると店主の高齢化で、いつまで店があるのか心配する人もいるという(と、いう話を聞いたのは新宮でだったので、店に寄ってみようと思ったがスケジュールの都合で断念。それくらい遠い……)。

 2017年暮れには、昭和の駄菓子として知られた「梅ジャム」を製造する梅の花本舗が廃業。少しさかのぼれば高知県香南市にあったエチオピア饅頭も、製造していた近森大正堂が閉店しており、もう食べられない。

 現在、社会構造の変化や高齢化によって、多くの地場企業が事業を継承できずに、休廃業に追い込まれているという。今後も消えていく味は、多い。それらを、せめて「どうやったら、つくることができるのか」記録だけでも、残してほしいものだ。
(文=昼間たかし)

いよいよゴーストタウン化が加速化──阿波踊りが地獄絵図を見せる徳島市の断末魔

 運営側が、踊り歌みたいなことをやっていたら、地獄絵図になるのも当然だ。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」の歌でも知られる徳島県の名物・阿波踊りが、開催の危機に瀕していることが明らかになり、にわかに注目を集めている。

 騒動の発端は、阿波踊りを主催する徳島市の観光協会が先月初め、4億円を超える累積赤字を理由に破産の申し立てをしたこと。たいていの地方には当たり前にある観光協会。それが、赤字で破産というのも驚きだが、問題はその理由だ。

 さまざま報じられている内容では、観光協会と共に阿波踊りを主催する徳島新聞社が毎年チケットを買い占め、雨天時のチケット払い戻しなどのリスク部分だけを押しつけるなど、不透明な運営が行われていたという。

 つまり、メディアをはじめさまざまな産業を牛耳る地域の権力者たちが、甘い汁だけを吸う構造が長年続いていたという、闇の深い事実が暴露されたわけだ。

 今回の破産申し立てを受けて、徳島市では新たな形での、阿波踊りの開催が模索されているが、徳島市は市が事務局を担う実行委員会方式を提案。対して、地元の連(踊り手の組織)でつくる阿波おどり振興協会は観光協会の存続を訴えており、開催されるかも危うい状況だ。

 こうした事態に、不安な気持ちを募らせる徳島市民は多い。

「そもそも、徳島市に人が集まるのは、阿波踊りとマチ☆アソビくらいしかないんですから……」(ある徳島市民)

 徳島市の経済規模の小ささを示す例として、よく引き合いに出されるのは、高層ビル。徳島県でもっとも高いビルはJR徳島駅に直結した「JRホテルクレメント徳島」の18階建て。もちろん四国四県のうちで、最下位である。

 信じられないことだが、1889年に市制が施行された時に、徳島市は全国でも第10位の人口を持つ巨大都市だった。しかし、その後は衰退の一途。1960年代には四国の県庁所在地中最下位になり、明石海峡大橋の開通後は、関西圏への便の良さから、加速度的にゴーストタウン化が進んでいる。

「マチ☆アソビのようなオタクイベントも定着し、その開催期間中はにぎわいますけど……。商店街の<アニメの街>とうたっている一角なんて、アニメイトと劇場はあるけど人はいない。オタクには便利ですけど、それだけじゃお金は回りませんよ……」(同)

 唯一、カネが入る手段として、永久に続くと思われていた阿波踊りの崩壊。徳島市は、いよいよゴーストタウン化してしまうのか。むしろ、ここで膿を出し切って観光都市として再生してもらいたいものだが……。

『たまゆら』の聖地に見た“向上心を忘れた観光地”竹原市の行く末──観光協会と地元民の不協和音も

 もはや、どこにでも当たり前のように存在するようになったアニメの「聖地」。

 今回、たまたま訪れた広島県竹原市で見たのは、「聖地巡礼」ブームが去った後に、どうやってその“観光資源”を生かしていくかという問題であった。

 写真好きの女子高校生である沢渡楓を中心に女子高生たちの青春を描く『たまゆら』がOVAとしてリリースされたのは、2010年。翌11年からはテレビアニメが2期にわたって放送。その後、OVAで16年に完結した。

 それから2年あまり。竹原市は「訪れてみたい日本のアニメ聖地」にもセレクトされている。でも、普段の竹原の市街地には、賑わいは見られない。駅を一歩出ると広がるのは、営業している店のほうが少ない商店街。そんな駅前のロータリーにある観光協会の建物に掲げられた『たまゆら』のイラストも、すでに輝きを失っている……。

 正直「大丈夫か?」と感じながら、観光協会で街の観光スポットを尋ねてみた。

 中にいた観光協会の職員が勧めたのは、駅から少し歩いたところにある「町並み保存地区」。古くから製塩などで栄えた竹原は「安芸の小京都」と呼ばれる土地だったという。そんな歴史を聞いた後に『たまゆら』の話題をふると、職員は『たまゆら』の舞台をガイドマップでまとめたパンフレットを渡してくれた。

 すでに作品の完結から、少し時間がたってしまったが、まだアニメファンは訪れるのだろうか。そのことを尋ねると……。

「イベントの時なんかは、まだたくさん来てくれますよ」

 この竹原はNHKの連続テレビ小説『マッサン』の舞台にもなった土地。でも、観光協会でしきりに推されたのは『マッサン』よりも『たまゆら』のほうだった。

 実際、アニメの聖地となったことのインパクトは大きかったのだろう。シャッターばかりが続く商店街には、あらゆるところに『たまゆら』のポスターやPOPなどが掲げられているのだ。その商店街を抜けた先にある道の駅には『たまゆら』の特設コーナーまで設けられている。

 でも、作品の舞台となったロケーションが数多くある町並み保存地区に入ると、風景はガラリと変わる。そこまでは、あちこちにあった『たまゆら』の絵も文字も、まったく目にすることがなくなるのだ。

 そのあたりで地元の人に話を聞くと、さまざまな問題が見えてきた。それは、メインの観光地である町並み保存地区の人々の、『たまゆら』なり『マッサン』を推す観光協会への不信感。

「土日は、そこそこ観光客が来るけど……ぜんぜん、お金を落とさない」

 ある商店の人は、吐き捨てるようにいう。

 しかし、どうだろう。この、町並み保存地区というところ、確かに町並みは保存されている。でも、観光客がお金を落としそうなところが極端に少ない。数件の飲食店を除けば、資料館くらいだろうか。

 正直、街の経済が沈滞しているからこそなのか、町並みの保存状態はよい。でも、このような町並みは、全国のあちこちに存在する。ほかに観光客が押し寄せる要素はどこにもない。『たまゆら』は、そうした沈滞ムードを打破する要素と成り得たのに、それは果たせなかった。

 歩けば寂しさばかりがつのる観光地の行く末が、気になった。
(文=昼間たかし)

『たまゆら』の聖地に見た“向上心を忘れた観光地”竹原市の行く末──観光協会と地元民の不協和音も

 もはや、どこにでも当たり前のように存在するようになったアニメの「聖地」。

 今回、たまたま訪れた広島県竹原市で見たのは、「聖地巡礼」ブームが去った後に、どうやってその“観光資源”を生かしていくかという問題であった。

 写真好きの女子高校生である沢渡楓を中心に女子高生たちの青春を描く『たまゆら』がOVAとしてリリースされたのは、2010年。翌11年からはテレビアニメが2期にわたって放送。その後、OVAで16年に完結した。

 それから2年あまり。竹原市は「訪れてみたい日本のアニメ聖地」にもセレクトされている。でも、普段の竹原の市街地には、賑わいは見られない。駅を一歩出ると広がるのは、営業している店のほうが少ない商店街。そんな駅前のロータリーにある観光協会の建物に掲げられた『たまゆら』のイラストも、すでに輝きを失っている……。

 正直「大丈夫か?」と感じながら、観光協会で街の観光スポットを尋ねてみた。

 中にいた観光協会の職員が勧めたのは、駅から少し歩いたところにある「町並み保存地区」。古くから製塩などで栄えた竹原は「安芸の小京都」と呼ばれる土地だったという。そんな歴史を聞いた後に『たまゆら』の話題をふると、職員は『たまゆら』の舞台をガイドマップでまとめたパンフレットを渡してくれた。

 すでに作品の完結から、少し時間がたってしまったが、まだアニメファンは訪れるのだろうか。そのことを尋ねると……。

「イベントの時なんかは、まだたくさん来てくれますよ」

 この竹原はNHKの連続テレビ小説『マッサン』の舞台にもなった土地。でも、観光協会でしきりに推されたのは『マッサン』よりも『たまゆら』のほうだった。

 実際、アニメの聖地となったことのインパクトは大きかったのだろう。シャッターばかりが続く商店街には、あらゆるところに『たまゆら』のポスターやPOPなどが掲げられているのだ。その商店街を抜けた先にある道の駅には『たまゆら』の特設コーナーまで設けられている。

 でも、作品の舞台となったロケーションが数多くある町並み保存地区に入ると、風景はガラリと変わる。そこまでは、あちこちにあった『たまゆら』の絵も文字も、まったく目にすることがなくなるのだ。

 そのあたりで地元の人に話を聞くと、さまざまな問題が見えてきた。それは、メインの観光地である町並み保存地区の人々の、『たまゆら』なり『マッサン』を推す観光協会への不信感。

「土日は、そこそこ観光客が来るけど……ぜんぜん、お金を落とさない」

 ある商店の人は、吐き捨てるようにいう。

 しかし、どうだろう。この、町並み保存地区というところ、確かに町並みは保存されている。でも、観光客がお金を落としそうなところが極端に少ない。数件の飲食店を除けば、資料館くらいだろうか。

 正直、街の経済が沈滞しているからこそなのか、町並みの保存状態はよい。でも、このような町並みは、全国のあちこちに存在する。ほかに観光客が押し寄せる要素はどこにもない。『たまゆら』は、そうした沈滞ムードを打破する要素と成り得たのに、それは果たせなかった。

 歩けば寂しさばかりがつのる観光地の行く末が、気になった。
(文=昼間たかし)

ショボイ? いや、見どころは多いぞ? 一点豪華主義で攻める鉄道のまち「津山」を歩く

 一点豪華主義の観光ポイントを目当てにやってくる人は、数限りない。

 それが、いま「鉄道のまち」として大いに売り出している岡山県は津山市の姿である。

 正直、この津山という街にたどり着くのは、けっこう面倒くさい。かつては、山陽と山陰をつなぐメインルートだったJR津山線。今では、その役割は智頭急行線に変わった。よって、急行列車もなくなり、わずかな快速のほかは、各駅停車だけ。それも、1時間に1本程度。

 何しろ、津山の人々も、岡山に出かけるくらいなら高速バスで大阪へ行ったほうがよいと思っているくらい。同じ県内なのに、つながりは希薄になっている。

 そんな津山が、これまで売りにしてきたのは、B’zの稲葉浩志の出身地であること。B’zファンによる聖地巡礼は、長らく続いている。

 そんな津山の街が、今、B’z以上に力を入れているのが鉄道なのである。目玉となっているのは2016年に開館した「津山まなびの鉄道館」だ。これは、津山駅構内にある旧津山扇形機関車庫をメインにした施設。この扇形機関車庫は、1936年に建設されたもので、京都鉄道博物館(梅小路運転区)に次いで全国第2位の大きさを持つ近代化産業遺産である。

 そんなに、訪れる人はいないのではないか? そう思って訪問したら、驚いた。まだ午前9時の開館直後だというのに、老若男女を問わず、続々と人がやってくるではないか。訪問した日は、ちょうど転車台の実演も実施される日で既に、車両もセットされている。それらの周りで、誰もが興味深そうに写真を撮っているのだ。

 実際に展示されている車両に乗ったり、車庫の中に入ることはできない。それでも、転車台と扇形車庫の組み合わせだけで、とてつもない迫力を放っているのだ。

 その迫力が呼び水になっているのか、開館から1年あまりが過ぎた17年6月には、早くも来場者が10万人を突破している。津山市は自ら「鉄道のまち」をキャッチフレーズとして掲げているが、確かな手応えはあるようだ。

 

■車庫はスゴいが展示はショボい

 

 ただ、この施設。博物館としては、まだ発展途上。というのも、展示施設が、まだ整備されていないからだ。車庫の近くにある展示施設はプレハブづくり。

 その中で展示されているのは、かつて使われていた駅名標や、タブレットくらい。確かに、触って体験できる要素もあるのだけれど、これだけでは、心許ない気も……。

 それに、周辺の整備も追いついていない。これから工事が行われる予定とはなっているが、現在、駅から鉄道館までのルートが駅外周を遠回りしなくてはいけないルートになっている。そのルートに店なんてものは、皆無。つまり、観光客がお金を落とすためのシステムが、まったく準備されていないのだ。

 これが、これからの津山の観光施策でネックになるところだろう。

 もともと、津山の繁華街というのは、駅を降りてから川を渡って、徒歩10分のところに広がっている。そちらのほうにも観光ポイントはたくさんあるのだが、鉄道を目当てに来た客が、そちらまで出向くかといえば疑問。

 大和ミュージアムあたりは芋洗いなのに、商店街は閑散としている呉の街と同じような現象を危惧するところだ。

 とはいえ、この街は歩くだけの価値がある。

 かつての繁栄をしのばせつつも、時が止まったような商店街。そして、無数の剥製が並び「珍スポット」として知られる「つやま自然のふしぎ館」など見どころは満載だ。

 1台しか製造されなかったDE50形ディーゼル機関車を目当てに、遠くは北海道からも観光客がやってくる「鉄道のまち」として知名度を上げつつある津山。一周終わった感じの面白さをウリにすれば、もっと観光客がやってきそうな雰囲気である。
(文=昼間たかし)

ショボイ? いや、見どころは多いぞ? 一点豪華主義で攻める鉄道のまち「津山」を歩く

 一点豪華主義の観光ポイントを目当てにやってくる人は、数限りない。

 それが、いま「鉄道のまち」として大いに売り出している岡山県は津山市の姿である。

 正直、この津山という街にたどり着くのは、けっこう面倒くさい。かつては、山陽と山陰をつなぐメインルートだったJR津山線。今では、その役割は智頭急行線に変わった。よって、急行列車もなくなり、わずかな快速のほかは、各駅停車だけ。それも、1時間に1本程度。

 何しろ、津山の人々も、岡山に出かけるくらいなら高速バスで大阪へ行ったほうがよいと思っているくらい。同じ県内なのに、つながりは希薄になっている。

 そんな津山が、これまで売りにしてきたのは、B’zの稲葉浩志の出身地であること。B’zファンによる聖地巡礼は、長らく続いている。

 そんな津山の街が、今、B’z以上に力を入れているのが鉄道なのである。目玉となっているのは2016年に開館した「津山まなびの鉄道館」だ。これは、津山駅構内にある旧津山扇形機関車庫をメインにした施設。この扇形機関車庫は、1936年に建設されたもので、京都鉄道博物館(梅小路運転区)に次いで全国第2位の大きさを持つ近代化産業遺産である。

 そんなに、訪れる人はいないのではないか? そう思って訪問したら、驚いた。まだ午前9時の開館直後だというのに、老若男女を問わず、続々と人がやってくるではないか。訪問した日は、ちょうど転車台の実演も実施される日で既に、車両もセットされている。それらの周りで、誰もが興味深そうに写真を撮っているのだ。

 実際に展示されている車両に乗ったり、車庫の中に入ることはできない。それでも、転車台と扇形車庫の組み合わせだけで、とてつもない迫力を放っているのだ。

 その迫力が呼び水になっているのか、開館から1年あまりが過ぎた17年6月には、早くも来場者が10万人を突破している。津山市は自ら「鉄道のまち」をキャッチフレーズとして掲げているが、確かな手応えはあるようだ。

 

■車庫はスゴいが展示はショボい

 

 ただ、この施設。博物館としては、まだ発展途上。というのも、展示施設が、まだ整備されていないからだ。車庫の近くにある展示施設はプレハブづくり。

 その中で展示されているのは、かつて使われていた駅名標や、タブレットくらい。確かに、触って体験できる要素もあるのだけれど、これだけでは、心許ない気も……。

 それに、周辺の整備も追いついていない。これから工事が行われる予定とはなっているが、現在、駅から鉄道館までのルートが駅外周を遠回りしなくてはいけないルートになっている。そのルートに店なんてものは、皆無。つまり、観光客がお金を落とすためのシステムが、まったく準備されていないのだ。

 これが、これからの津山の観光施策でネックになるところだろう。

 もともと、津山の繁華街というのは、駅を降りてから川を渡って、徒歩10分のところに広がっている。そちらのほうにも観光ポイントはたくさんあるのだが、鉄道を目当てに来た客が、そちらまで出向くかといえば疑問。

 大和ミュージアムあたりは芋洗いなのに、商店街は閑散としている呉の街と同じような現象を危惧するところだ。

 とはいえ、この街は歩くだけの価値がある。

 かつての繁栄をしのばせつつも、時が止まったような商店街。そして、無数の剥製が並び「珍スポット」として知られる「つやま自然のふしぎ館」など見どころは満載だ。

 1台しか製造されなかったDE50形ディーゼル機関車を目当てに、遠くは北海道からも観光客がやってくる「鉄道のまち」として知名度を上げつつある津山。一周終わった感じの面白さをウリにすれば、もっと観光客がやってきそうな雰囲気である。
(文=昼間たかし)

「地元といえば、崖」福井県の観光施策「がけっぷちリゾート」ネーミングの意図を聞いた!

 あまりにもインパクトが大きすぎるネーミングじゃあるまいか。

 福井県の坂井・あらわ両市が始めた新たな地域観光促進事業が、その強烈なネーミングで注目を集めている。

 地域観光ブランド「がけっぷちリゾート」が、それである。

 このネーミングセンスにインパクトを感じた後に、誰もが脳裏に浮かぶのはひとつの疑問。「で、坂井市とあらわ市というのは福井県のどのあたりにあるの?」ということ。

 この、ふたつの市があるのは福井県の北部。そんな地域の名所として知られるのが、日本海に面した東尋坊である。

 東尋坊といえば、巨大な垂直に切り立った崖が続く有名な岩壁。風光明媚ではあるが、同時に自殺の名所として、全国的に知られる場所。

 確かに「がけっぷちリゾート」と聞いた後に、東尋坊と続けば二度と忘れられないインパクトがありそうだ。

 そんなインパクト絶大、不謹慎ギリギリのネーミングは、地元の人々も交えた会議の中で提案されたものだという。

「叱られるようなネーミングではないか? という意見もあったんですが、インパクトの強さが支持されました。それに、漢字だと尖った印象ですけど、ひらがなにすることで、柔らかさが出るということでまとまったんです」(坂井市観光産業課の村中美帆さん)

 この施策の目的は、2023年に予定されている北陸新幹線の金沢――敦賀(福井県)延伸開業だ。現在、首都圏からはとてつもなく遠い福井県だが、この延伸によって数時間で行ける観光地へと変貌する。それを前に、観光客を呼び込むべく始まったのが「がけっぷちリゾート」というわけだ。

「地元といえば、崖。だから、そこを中心に一帯をリゾートゾーンに見立てて魅力を発信しようというのが、がけっぷちリゾートというわけです」(同)

「地元といえば、崖」というのは、なかなかのパワーワード。4月7日から利用できる「がけっぷちリゾート周遊チケット2018春」も販売中。何かヒリヒリするようなキーワードゆえに、単なる観光ではないものを期待してしまう。

 ちなみに最寄りの新幹線駅名は「JR芦原温泉駅」に決まっているが、そちらの知名度向上にもインパクトのある展開を期待してしまう。
(文=昼間たかし)

一帯再開発の可能性は? 「かんだ食堂」に続いて老舗喫茶店「タニマ」も閉店した秋葉原の行方

 3月、秋葉原では老舗が相次いで閉店する悲劇が起こった。

 かつての青果市場の面影を残し、秋葉原を訪れる人たちの胃袋を満たしていた、かんだ食堂がビル所有者の変更が原因で閉店。それに続いて、隣接するビルに入居する老舗喫茶店・タニマも閉店してしまったのだ。

 やはり、一体開発が行われることになるのかと、思って調べてみると……。

「大きなビルでも建って、風景がガラリと変わるのではないかと心配していたんですが、タニマ閉店は、店主が高齢になったのが理由ということです」(事情通)

 喫煙者に優しい店ゆえ、筆者も時々利用していたタニマだが、確かに店主は高齢の様子であった。現在、日本では多くの中小企業や店舗が後継者難で商売を閉じる危機にさらされているというが、タニマも、それを逃れることはできなかったのか。

 とはいえ、やはり地上げでもあるのじゃないかと念のため登記簿も確認してみた。

 現在、このビルを所有しているのは東京都中央区に本社を置く不動産会社。この会社、昨年までは、かんだ食堂の入居しているビルも所有していたのだが、そちらは売却。その上で保有を続けているということは、周囲のビルも含めた一体開発の可能性は低いといえうだろう。

 しかし、今回のタニマの閉店で「難民化」している人は多いはず。なにせ、落ち着いて打ち合わせができるような純喫茶が、またなくなってしまったのだ。気がつけば、便利な打ち合わせスポットだった古炉奈が閉店したのは9年も前の話になった。そして、タニマの閉店。煙草を吸いながら、落ち着いて打ち合わせをしたい人々は、どこにいけばいいのだろうか。
(文=昼間たかし)

一帯再開発の可能性は? 「かんだ食堂」に続いて老舗喫茶店「タニマ」も閉店した秋葉原の行方

 3月、秋葉原では老舗が相次いで閉店する悲劇が起こった。

 かつての青果市場の面影を残し、秋葉原を訪れる人たちの胃袋を満たしていた、かんだ食堂がビル所有者の変更が原因で閉店。それに続いて、隣接するビルに入居する老舗喫茶店・タニマも閉店してしまったのだ。

 やはり、一体開発が行われることになるのかと、思って調べてみると……。

「大きなビルでも建って、風景がガラリと変わるのではないかと心配していたんですが、タニマ閉店は、店主が高齢になったのが理由ということです」(事情通)

 喫煙者に優しい店ゆえ、筆者も時々利用していたタニマだが、確かに店主は高齢の様子であった。現在、日本では多くの中小企業や店舗が後継者難で商売を閉じる危機にさらされているというが、タニマも、それを逃れることはできなかったのか。

 とはいえ、やはり地上げでもあるのじゃないかと念のため登記簿も確認してみた。

 現在、このビルを所有しているのは東京都中央区に本社を置く不動産会社。この会社、昨年までは、かんだ食堂の入居しているビルも所有していたのだが、そちらは売却。その上で保有を続けているということは、周囲のビルも含めた一体開発の可能性は低いといえうだろう。

 しかし、今回のタニマの閉店で「難民化」している人は多いはず。なにせ、落ち着いて打ち合わせができるような純喫茶が、またなくなってしまったのだ。気がつけば、便利な打ち合わせスポットだった古炉奈が閉店したのは9年も前の話になった。そして、タニマの閉店。煙草を吸いながら、落ち着いて打ち合わせをしたい人々は、どこにいけばいいのだろうか。
(文=昼間たかし)