JAFの調査で判明! 長野県は異常に交通マナーがいいってホント?

「うちの県は運転が荒いから、気をつけなさい」地方を取材で回っていると、こんな話をよくされる。実際、そうである。

 筆者、普段はペーパードライバーなので、なるべく運転は避けているが、それでも車に同乗しているだけで「なんて野蛮な地域だろうか」と思う地域はある。どうして手間を避けるのかウィンカーを出さずにカーブを曲がる車の多いのが三重県。なにを焦っているのか、ちょっとでも隙間があると割り込もうとする岡山県。いや、ほかにも「うちの地域は~」という話は尽きないはずだ。

 そんな全国の交通マナーの実態が、JAF(一般社団法人・日本自動車連盟)の調査で明らかになった。2018年にJAFが実施したのは、信号機が設置されていない横断歩道を通過する車両が、歩行者が渡ろうとしている場面で一時停止したかどうかを調べるというもの。

 この調査では全国1万1,019台のデータが集まったが、そのうち停車したのは8.6%の948台という惨憺たる結果に。教習所ではルールとして一時停止を習っているはずなのに、それを遵守している人なんてまずいない。ようは「うちの地域は~」といっても、だいたい全国どこでも交通マナーが悪いというわけだ。

 だが、この中にとてつもなく交通マナーのよい地域があった。それが長野県である。全国平均が8.6%だというのに、長野県では58.6%もの車がきちんと一時停止をしているというのだ。これ、筆者も体験したことがあるが、長野県では信号機がなく道路に横断歩道があるだけという地域がけっこう多い。だが、さて渡ろうかと佇んでいると自然に車が停止するのである。ほかの地域では、歩行者を見ると邪魔だとばかりにスピードを上げるもの。だが、長野県ではなぜか車は、それが当たり前とばかりに止まるのである。

 もちろん、長野県の人々が絶対的にマナーを遵守しているとは思わない。交通量の少ない道路だとけっこうなスピードで飛ばしている車にも出くわす。それでも、歩行者が横断歩道にいたら止まるというのは、何かがきっかけに生まれた伝統なのか。

 ワーストクラスの栃木県(0.9%)や広島県(1.0%)との差の背景には、何があるのか……。
(文=昼間たかし)

外国人が増えすぎて日本人観光客数がマイナスに!? 京都の“観光公害”が末期的すぎる!

 もう京都になんて行く気分にならないよな。

 外国人観光客が押し寄せ、「観光公害」が社会問題になっている京都。そのことが広く知らたためか、日本人観光客が4年連続で減少する事態になっている。

 京都市観光協会などが実施している市内主要ホテルを対象にした調査によれば、2018年の日本人の宿泊客数は206万2,716人で、前年度比10万4,129人減少。4年連続のマイナスが続いており、増え続ける外国人観光客と対照的になっている。

 日本人観光客が減る理由は、京都のホテル事情である。外国人観光客の増加によって、京都ではホテルの予約が取りにくいという先入観が強い。昨年くらいからはホテルが増加したことにより、予約自体は取ることができるようになった。しかし、依然として相場は高騰しており、客足が遠のく理由のひとつとなっている。

 数カ月前から前もってホテルを予約しておけば、それなりの値段で泊まることができるのだが、間際になるとビジネスホテルのような設備で数万円、あるいはカプセルホテル程度の設備の部屋しかなくなってしまう。

 筆者も昨年、新たに市街地にできたビジネスホテルに宿泊したのだが、1万円ほどの値段にもかかわらず、部屋が四畳半程度の広さであった。寝るだけと考えれば、まったく問題はないが、こういった状況も観光客の足が遠のく理由だろう。

 いまだ訪日外国人観光客は増加しているものの、大混雑の京都は、敬遠されていく懸念もある。

「関西圏でも大阪は観光だけでなく買い物も便利で、今後も人気は落ちないでしょう。でも、神社仏閣がメインの京都は、風情が失われたらおしまいです。最近は、風情を求めて高野山へ向かう外国人観光客も増えていますよ」(経済紙記者)

 その高野山も、外国人観光客が増えすぎて、風情は失われつつあるという。

(文=大居候)

1文字1円ライターを大量育成!? 奄美大島が“ワーキングプア量産”の指摘に反論「働いてくださいといっているわけではない」

 鹿児島県の奄美大島・奄美市の育成支援事業でフリーライターが急増し、約100人が活躍しているとする報道が物議を醸している。活躍しているとされるフリーライターの記事報酬が2,000円から4,000円と激安なのだ。これは、新手の官製ワーキングプアなのか。実態を探った。

 発端となったのは、2月21日に日本テレビのニュースサイト「日テレNEWS24」に掲載された「奄美大島でフリーライター急増中 魅力発信」という記事。ここでは、「奄美市は、観光情報の発信源としてフリーライターの育成に力を入れている」とし、約100人のライターが活動。「ほとんどが未経験の主婦や移住者」だという。

 さらに記事では「一つの記事の報酬は2,000円から4,000円で、取材内容や文字数で価格はかわる」としている。これは、クラウドソーシングのサイトで募集されている、まとめサイトやアフィ系ブログなどの1文字1円仕事の値段だ。

 奄美市では「フリーランスが最も働きやすい島化計画」として、フリーランスを「企業に属さず働く人。個人事業主。従業員4人未満の新規事業者も含む」と定義して、フリーランスによる新しい働き方改革を支援し、移住も呼びかけているという。

 この事業を説明する平成28年7月の資料によれば、子育てワーカー支援として「子育てしながら年収150万のフリーランス育成」、仕事支援では「年収300万円のフリーランスの育成」という目標が掲げられている。

https://www.city.amami.lg.jp/shosui/documents/shimakakeikaku2016.pdf

 仮に1記事4,000円で300万円を稼ごうとすれば、年に750本もの記事が採用される必要がある。取材経費を考えると、それ以上の本数が必要だ。

 これは、フリーランスという言葉で飾りながら、市役所が低所得者を量産する、完全に破綻している事業なのではなかろうか。

「その当初の目標は、ライターのみならず、エンジニアであるとか、さまざまな職業を想定したものですから……」

 電話で話を聞いた、奄美市役所商工観光部商水情報課フリーランス支援窓口の主査・稲田一史氏は、言葉を濁した。

 稲田氏によれば、現在、奄美大島には、市の事業によるライター講座を受講した人と、それ以外で活動する人と二通りのフリーライターがいるという。うち、前者は平成27年から平成30年までで160人ほどだという。では、その中に、フリーライターを専業としている人はどれくらいいるのか?

「残念ながら、皆さん副業を……」(同)

 さらに2,000円から4,000円は、あまりにも安い金額。奄美市が職業として育成を図るなら、改善をする必要があるのではないか。

「この事業を始める時の、クラウドソーシングの相場がそれくらいでした。市役所から単価を指示することはできませんが、市がこうした事業を始めたことで、地元の企業にお願いして、高単価の文章を書く仕事を発注してもらったりしています」(同)

 その高単価とはいくらか?

「4,000円から5,000円です」(同)

 まったくもって破綻しているようにしか見えないのだが、官製ワーキングプアを生み出しているのではないかと聞くと、稲田氏は反論する。

「うまくいってないかはわかりません。それに、必ずフリーライターで働いてくださいといっているわけではないから、官製ワーキングプアじゃないですよ。自分が、この仕事をしろといわれたら? そうですね、ちょっとそれは……」(同)

 自分がやりたくないことを、素晴らしい仕事だと喧伝する奄美市。南海の“野麦峠”か何かなのか。
(文=昼間たかし)

【画像アリ】美味すぎるからか? 需要はどんどん増えている昆虫食の本場・伊那で開かれた「美味しい昆虫シンポジウム」

 やっぱり昆虫は美味いのだ。

 一昨年には、本気の昆虫食を展示する「大昆蟲食博」を開催し全国から人が集まる盛況となった長野県伊那市。今でも昆虫が盛んに食される本場で、今度は「美味しい昆虫シンポジウム」が上伊那地域振興局の主催で2月17日に開催された。

 伊那谷の内外から、昆虫食を語り倒す熱い人々が集まるという、この催し。会場では、各種の昆虫食が試食・販売されると聞き、さっそく会場の伊那市創造館を訪れた。

 実は、近年昆虫食は世界的に熱い。国連食糧農業機関(FAO)が、人口増加による食糧危機に備えて、昆虫食を提唱しているからだ。

 講演者のひとり、株式会社昆虫食のentomo代表の松井崇さんは語る。

「コオロギと牛を比較した時に、必要な土地は1:100、水は1:2000。それでいて、栄養価はタンパク質も栄養価もコオロギが圧倒的。昆虫は、いわばスーパーフードなんです。日本でもここ数十年食べていないだけで、今でも世界人口のうち20億人あまりは昆虫食に親しんでいるんですよ」

 大正時代の調査では日本でも全国の広い地域で昆虫が食べられていることがわかっている。食されている種類も現在よりずっと多かった。別に昆虫食は伊那谷で続いてきた特異な文化ではなく、たまたま伊那谷では現在まで続いたという見方が正しい。

 そんな昆虫の美味さを存分に語ってくれたのは、昆虫料理研究家の内山昭一さん。最初ら「来る時に、車窓を眺めていたら美味しい昆虫がいそうだなあと思いました」と語る内山さん。とにかく料理研究家だけあって、これまで手がけた料理を、美味しそうに語るのがうまい。

「佃煮のイメージが強いざざ虫だが、茹でて酢醤油で食べると美味い」「蚕は油分が酸化しやすいので繭から取り出して食べると美味い」「ゴトウムシ(カミキリムシの幼虫)は、(マグロの)トロみたいで美味い」

 ……などなど話は止まらない。

 この後、登壇した、伊那市を代表するざざ虫研究家の牧田豊さん、地蜂愛好会会長の有賀幸雄さん、駒ヶ根シルクミュージアム館長の中垣雅雄さんも、それぞれに昆虫食の美味さを語り続けたのである。

 そんな魅力たっぷりの昆虫食。単にゲテモノ食いではないし、食糧危機のことを考えて、嫌々食べようというわけでは決してない。既にビジネスとしても魅力的な商材になっているのだ。

 そんなことを語ってくれたのは、伊那谷の土産物屋に行くと売っている、ざざ虫の佃煮など各種の昆虫食を製造販売している、つかはら信州珍味の塚原保治さんだ。

 近年、イナゴの佃煮などは爆発的に売れている。塚原さんは国産のイナゴにこだわっているが(なんと全国シェアの9割近くを取り扱い)、中国からの輸入も行われるようになっている。

 名物である、ざざ虫の値段も高騰中。

「台風などで川が荒れた後の年は、収穫量が減るんです。前は一日で5~6キロは獲れていたのですが、今は1キロ程度。ざざ虫漁は、株と鑑札が必要なんですが高齢化で漁師は減っています。技術的には難しくないので、興味がある方はやってみてはどうでしょうか」

 そんなざざ虫だが、買い取り価格は1キロあたり6,000~6,500円程度。なるほど、イナゴの瓶詰めは300円なのに、同じ大きさのざざ虫の瓶詰めが1,200円な理由に納得。漁期は冬場だけど、天竜川でざざ虫を獲って暮らすのも悪くないな。

 さて、そんな伊那谷の昆虫食だが、なんと3月1日からは、銀座NAGANOで各種イベントと販売が実施される。銀座NAGANOといえば、今や全国で知られる伊那名物のローメンもろくに置いてない「信州」ではなく「長野」が支配するアンテナショップ。これを契機に信州の魅力を多くの人にアピールしてもらいたい。
(文=昼間たかし)

あまりの人気にアクセス不能! 規制強化を前に泉佐野市がふるさと納税で「Amazonギフト券あげます」の顛末

 これが最後の節税のチャンスになりそうだ。

 ふるさと納税をめぐり総務省が、さらなる規制の強化を検討する中で、近年注目を集めてきた大阪府泉佐野市が、最後の大盤振る舞いを始めている。

 ふるさと納税をめぐっては、数年前から換金性の高い商品や金券類を返礼品とする自治体が急増。そのため、一部の自治体が膨大な収益を上げる一方で、都市部を中心に予定していた税収が得られないという問題が起こっていた。そのため、総務省は全国自治体に対して、指導を行っていたが、さまざまな手段で高額な返礼品を準備する自治体は、後を絶たなかった。

 しかし、昨年12月に公表された2019年度の税制改正大綱では、返礼品の返礼割合を3割以下とすること、返礼品は地場産品に限ることなどが記され、基準に適合しないと認められた場合には総務大臣が指定を取り消すことができるようになる。この制度が実施される6月を前に各地の自治体では駆け込みで、ふるさと納税の確保に動いているのである。

 そうした中で、泉佐野市では2・3月限定で「100億円還元閉店キャンペーン」を打ち出し、ふるさと納税をアピール。これまで、市内にある関西国際空港に本社を置いているという理屈で格安航空会社・Peachのポイントを返礼品に加えていたが、今回はさらに大盤振る舞い。返礼品と共に、Amazonギフト券を最大で20%配布するというのである。

 このために開設された特設サイトの説明によれば、例えば寄付額1万円でビール1ケースを選ぶと、それに加えてAmazonギフト券1,000円分がプレゼント(順次配送の場合)されるという。

 このキャンペーン、Amazonギフト券の還元額予算の100億円に達し次第終了するということもあってか、平日日中でもサイトにアクセスが集中して、つながりにくいこともあるほど。あまりにつながらないので、どうなっているのかプレスリリースにあった「報道関係者お問合せ先」に電話してみたのだが、こちらもつながらない状態なので相当な人がアクセスしているのだろう。

 まず、サイトにアクセスできるかどうかがハードルとなってしまっているが、この閉店セールには参加するだけの価値はありそうだ。
(文=大居候)

どんどんダメな街になっていく……ソースの匂いがする「月島」の自滅

 本当に、来年東京オリンピックが開催されるのか? 都内のあちこちをウロウロしていても、なかなか実感が湧かない。前の東京オリンピックの時は、こうじゃなかっただろうに。

 首都高はできるし、どんどん鉄筋コンクリートのビルはできるし。その建て替えくらいしか行われていない今回は、いまいち世の中の変化が感じられない。

 でも、湾岸エリアは別だ。移転によって豊洲市場が開場してから、徐々に人の流れが変わっているように思える。晴海どころか有明あたりにもマンションは増えた。ただ、このマンション周辺、なんとか徒歩圏のゆりかもめやりんかい線を除けば、交通機関はバスだけ。離れ小島に無駄に大きなマンションだけが増えているというのが正直な印象だ。

 そんな湾岸部のマンション建設ラッシュは、さらに拡大している。もともと倉庫街だった勝どきはマンションだらけになっている。そして、月島も、である。

 月島といえば、商店街にソースの香りが漂う、もんじゃ焼きの聖地。いまだ、もんじゃ焼きが美味いかと聞かれれば「?」マークが点灯する筆者。でも、需要は多いようで有名店の前には平日でも行列が当たり前だ。

 下町風情の残る、もんじゃ焼きの街として長らく観光地となってきた月島。だが、そこにも変化が起こっている。それも、考えられない形で。

 なんと商店街の一角が取り壊されて、マンションの建設が始まっているのである。寂れた地方の商店街で、アーケードの中にあった店舗が取り壊されて、マンションになっている風景は珍しいものではない。だが、月島はちょっと違う。下町の情緒を売り物にしている街で、店舗がゴソっと消滅し、マンションへと変わろうとしているのだ。

 それも、商店街の端のほうとかではなく、ちょうどド真ん中で。これまで下町風な古さと、もんじゃ焼きでムードを保ってきた月島。それも、いよいよ終わり始めているのか。

 自ら望んで、街の終焉へとひた走る月島。久しぶりに訪れて、もうこの街には用はないと思ったのであった……。
(文=昼間たかし)

ふるさと納税でAmazonギフト券に総務省が激怒……それでも、今年も日本のどこかで実施される?

 ふるさと納税は、常にチェックしておいたほうがよさそうだ。

 昨年、静岡県小山町のふるさと納税の返礼品に総務省が激怒。石田真敏総務大臣が「非常に良識ある行動とは思えないと、はっきり申し上げたいと思います」と、非難の言葉を述べるまでになっている。

 そんな小山町のふるさと納税返礼品とは、QUOカード。そして、Amazonギフト券だったのだ。これによって小山町は、昨年4月から12月までに、全国から249億円もの寄付を集めるに至ったのである。

 すでに広く知られているように、ふるさと納税とは、納税者が任意の自治体に寄付(納税)をすることで税金が軽減する仕組み。寄付額に応じて住民税などが控除されるので、返礼品が高額であるほど、実際に支払う税金が節約できるというわけだ。

 財政難にあえぐ自治体にとっては、寄付が多く集まれば返礼品が高額でも収支はプラス。
そのため、換金率の高い商品や金券など、その地域に関係のない返礼品を扱う自治体が増えたことから、総務省は「地場産のみ」「返礼品は寄付額の3割以下」とするように通達を出している。

 それでも自治体によっては、総務省の指示を無視するかのような、さまざまな高率の返礼品を繰り出している。この小山町の場合も、Amazonギフト券などの取り扱いは土日祝に限定。告知するサイトも限っていたというから巧妙だ。

 それでも、寄付額の4割相当のAmazonギフト券がもらえるとして申込みが殺到したのだから、目ざとい人は多いものだ。

 総務省としては、返礼品が高額な自治体に寄付が殺到し、そうではない自治体の住民税が減ることには、頭を悩まし続けている。とはいえ、納税者としては少しでもオトクになる方法があるのはうれしいこと。

 今後も全国の自治体の中に、こうした金券……ほぼ、現金を配っているのと同じようなゲリラ的な方法を実施するところは、必ず出てくると思われる。少しでも、税金を節約するために、チェックは欠かせない。

 以前、石川県加賀市の実施した返礼品がDMMポイント(2015年3月終了)なんてのは、本当に国民の役に立つと思うんだけど……。
(文=大居候)

日本人のほうが少数派な国境の港町・対馬比田勝港からの“限界出国”

「日本人? 東京から? 何しにきたの?」

 まだ、日本国内なのに、そんな質問をされてしまった。それが、対馬の港町・比田勝の現在である。

 過疎ですっかり沈んでいた比田勝は、今では対馬の中でもっとも栄える地域である。そこを訪れた人はだいたい「日本人が珍しがられる」という。

 それは、比田勝が韓国人がもっとも気軽に訪れることのできる日本になっているからである。

 今や、比田勝にはJR九州の運営する高速船のほか、韓国企業4社の高速船が、毎日入港する。

 この比田勝というのは、対馬の中でも本当の最果て。博多からの航路のメインである厳原に比べ、日本本土からの航路は少ない。そして、対馬の中心市街である厳原からはバスで2時間以上かかる。天気のよい日は、海を挟んで50キロ程度の釜山の街が見える国境の港町。

 そのあまりの近さゆえに、韓国人にとっては「もっとも手軽に訪れることのできる日本」になっているのである。

 そんな街へ行くために、筆者は厳原から午前7時過ぎに出発する朝一番のバスに乗車。

 韓国船は午前中に入港、夕方に出発便が大半。日帰りでも買い物ができるように、こんな設定になっているようだ。

 さて、午前9時半近くに到着した比田勝国際ターミナル。韓国航路の需要増を受けて新築されたターミナル周辺は、すでに韓国であった。ターミナル前や、その周辺にある商店にはハングルばかり。駐車場には、観光バスが10台近く停車しているし、ターミナルの中も外も、韓国人しか歩いていない。

 やがて、釜山から船が到着すると、早足でやってきたガイドらしき男性が、流暢な日本語で、待っていたバスの運転手に「今日も、よろしく!」と挨拶をしている。なるほど、この人は、毎日、釜山から客を運んで来るのが商売なのか。毎日、パスポートに出入国のスタンプが押されていくのは、いったいどんな気分なのか……?

 ともあれ、筆者が予約していた高速船の出港までは数時間。まずは、時間を潰そうと近くの商店に入ったら、言われたのが冒頭の言葉。

 韓国人の買い物客で店は賑わっているが、ここまで来る日本人は、ほとんどいないという。ちなみに、最近、韓国人に人気の商品は何かと聞くと「蒟蒻畑」だそうだ。そして、入ってくる韓国人にも流暢な韓国語で話をしているのだ。

 とにかく、韓国人相手の商売で儲かっているほうの人は、この状況を歓迎している様子。でも、そうでないほうの人々の認識は、まったく違う。

 タバコを買おうとして入った古めかしい商店で話をすると「うちは、まったく関係ないね」というのだ。そして、近所に出来たパン屋を指さして「あそこも、韓国人が始めて、日本人を雇って使ってる……」と、複雑な表情。まったく自分の商売に結びつかない以上は、単によそ者が増えて煩わしいということか。

 国境の港町と発展しながらも、さまざまな対立軸が存在していることを感じさせられた。

 ……さて、比田勝から出国した筆者は、釜山で一泊した後、関釜フェリーで折り返した。

 ちょうど休日ということもあってか、こちらは日本人も多かった。多くが山口県や福岡県から来たという人だったが、日常的に釜山に買い出しに出向いている人も多いようで「半年分の韓国海苔を買った」などと、段ボール箱をキャリーで運んでいる人も多かった。

 なお、比較的スムーズに進んでいた下関港の税関だが、筆者の番になると「東京から、比田勝経由で出国? これからどこに行くんです?」と執拗に聞かれ「金とか、運んではいけないものを持っていませんよね?」と。

 いったい、何がそんなに怪しかったのだろうか。
(文=昼間たかし)

過去と未来──古さと新しさが交わる街の新たな人情・山谷酒場のあたたかさ

 山谷酒場は、いろは会商店街の西寄り、日本堤1丁目10番6号の、もとはパン屋だった建物の一階を占めている。開くことなく朽ち果てていくシャッターが目立つ街に、久しぶりにオープンした、地元の人も期待する酒場である。

 かつては、日雇い労働者の街だった山谷。東京でも独特な地域の繁華街だったいろは会商店街は、時代の流れによる街の変化と共に、様変わりした。

 多くの労働者がドヤに住み、日々の労働に励んでいた時代。街には、たくさんの大衆食堂や酒場があった。商店街は、街の中心。夕方を過ぎれば、その日の稼ぎを得た労働者で、店は真っすぐ歩くのも大変なほどに混み合っていた。

 けれども、そんな賑わいは、もう過去のことである。産業構造の変化と共に、街も変わった。今では、ドヤに住まう大半は行政の保護を受けているかつての労働者。そして、安宿を求めてたどり着いた国内外の旅行者たち。最寄りの南千住駅も、今は再開発された街特有の、小洒落た駅。何層にも重なりコンクリートの柱に貼られていた新左翼系のビラもなく、改札をくぐると、自然にごくんと唾を飲み込んでしまう緊張感も、すでにない。威圧的で禍々しい雰囲気すらあった山谷交番も、今では単なる大きな交番である。

 街の変化と共に、商店街は衰退した。全国の終わりゆく商店街がそうであるように、客の減った、未来の展望のない店が、次の世代に受け継がれることはない。年齢を感じたり、何がしかの病気を得て、潮時と感じてシャッターを下ろすだけ。運のいい商店主は、デイケアだとか福祉系の事業所を店子にして、いくばくかを稼ぐ。でも、大半はシャッターを下ろしたまま、買い手も借り手もつかずに朽ち果てていくだけ。

 シャッター通りとなった商店街のアーケードは、昼間でも薄暗いだけの道になった。このままではいけないと、山谷が描かれる『あしたのジョー』のふるさとであることを掲げて、オブジェが並んだりもしたけれど、それでも街は変わらなかった。いつしかシャッターの前に、さび付いた自転車が並ぶのが、街の当たり前の風景になっていた。

 街を変えたいという地域の心情と、経年劣化も合致して、アーケードは2017年度に撤去された。通りの薄暗さはなくなったけれども、それだけで賑わいが戻ってくるはずもない。昼は、歩く人もわずか。日が暮れれば、ねぐらのない人がシャッターの前に布団を敷いて、しばしの安らぎを得る。街の古株が語る、かつての賑わいも、思い出が美化されたおとぎ話のようにしか思えない。

 沈んだ街にも、少しばかりは変化がある。酒場がそうだ。かつて、大勢の労働者で賑わった長いカウンターの大衆酒場。角打ちさせる酒屋。前世紀が終わる頃までは、都市に暮らす豊かさを求める人々は、そんなものは視界にも入れなかった。それらは「低俗」で、品性に欠けた人が集う場所。そんなところだと思われていた。それがどうだろう、今では女性までもが、それらに新たな価値を見いだし、ライフスタイルの中に取り入れている。そうした店が、点在する山谷には、わざわざ電車を乗り継いでくる人もいる。中には、予約しないと入ることもできないような酒場まである。

 山谷酒場を開いた酒井秀之がやってきたのは、そんな街である。

 丁寧で控えめな言葉遣いや立ち振る舞いに反して、酒井の人生はいささか無頼である。誰もが人生の早い時期に、何がしかの月給取りになって安定と安心を得たいと思う現代、酒井は青春期の大半をフリーターとして生きてきた。

「デパ地下でシェフをやったりしていたけど、ずっとフリーターで……28歳の時に初めて、福祉施設に正社員で入社したんですが、やっぱり喫茶店でも働きたいと思って、福祉のほうは非常勤にして……週3回は、喫茶店で働いてました」

 生まれ育ったのは岐阜。名古屋文化圏の地域性ゆえに、喫茶店は日常に当たり前に存在するものだった。「喫茶店は、好きとかじゃなくても、行くものと思ってました」それも、カウンターで注文して、自分で席を探すチェーン系ではない。昔ながらの、ソファ席があって、新聞が何紙も置いてあるような、純喫茶へ。今では純喫茶は、すでに時代から遅れたスタイルになりつつある。そうした店に入るのは限られた客層。もしも、さまざまな人に入ってもらい、利益を求めるならば、街でよく見かけるカフェのほうがいい。でも、酒井は昔ながらの喫茶店のほうがしっくりきた。

 生活に根ざしていて特段意識していなかった喫茶店を自分が好きだと気づいたのは、大阪を訪れた時だった。大阪の街が持つ独特の雰囲気は、心地よかった。その街を何度か訪れるうちに、喫茶店に魅力を感じている自分にも気づいた。

 特に気に入ったのは、西成区にある珈琲屋ナカノ。往時の純喫茶のスタイルのまま、時が止まったかのような店に引き込まれた酒井が東京で見つけた、喫茶店の働き口。それは、神保町のミロンガ・ヌオーバだった。さぼうるや、ラドリオなどの古い喫茶店が並ぶ裏路地にあるタンゴの流れる店。時の流れが染みこんだような調度品に囲まれて働くうちに、自分も店を始める決意が固まった。

 西調布に喫茶楓をオープンしたのは15年10月。覚悟はしていたけれど、なかなか客足は伸びなかった。長く続いている喫茶店というのは、大抵は店が店主の持ち家だったり、昔の契約とか、何がしかの理由で家賃が低く抑えられているもの。近所の人々が常連にはなってくれたものの、営業中の札を出していても悠然と流れている時間のほうが長かった。厳しさを感じつつ、何かをやらなければと思った。ふと、思いついたのはTwitterだった。でも、アカウントを作ってみてから、酒井は考えこんでしまった。

「店には日替わりメニューもなくて……ツイートすることが特になかったんです」

 放っておいてもしようがないと思って、半ば人力BOTのように、それまで歩いたことのある街の風景をアップするようになった。街歩きは、喫茶店以前からの趣味だった。坂に惹かれて、あちこちの坂を歩いて回ったこともある。井戸の手動ポンプに惹かれた時には、1,000くらいの井戸を見つけて歩いた。そんな写真を、毎日4枚ずつアップしていた。

 不思議なことに、徐々にフォロワーが増えていった。喫茶店のアカウントのはずなのに、まったく自分の店のことに触れずに、ずっと街の写真を上げている。それが、面白い……そんな見方をされていたことは、後から知った。それまでになかったつながりが増え、店を訪れてくれる人も出てくるようになった。

 とはいえ、少しばかり客足が伸びても、喫茶店で利益をあげることは難しい。見切りをつけようと思った時に考えたのが、酒場だった。

「何か、もう一段自分をステップアップするには、酒場しかないな……自分が好きなのは喫茶店と酒場だから」

 そんなことを考えたり、出会ったりしていると「うちの街に、おいでよ」と、声をかけてくれる人が現れた。Twitterを通じて知り合った親しい友人の一人に、カストリ書房の店主・渡辺豪がいた。16年に遊郭専門の書店をオープンした渡辺は、次いでカストリ出版を立ち上げて、遊郭や赤線、歓楽街などの書籍を世に送り出していた。そんな店があるのは、山谷から目と鼻の先の吉原である。吉原の表通りは、ソープランドが並ぶ風俗街。男なら歩けば、日の高いうちから呼び込みに声をかけられるような街。ところが、そんな街にあるカストリ書房には、女性客も多く訪れる。そんな街に新たな風を吹き込んでいた渡辺が紹介してくれたのは、カストリ書房からは道路を挟んだ目と鼻の先の物件。

「ここは、商店街の中でも一等地。物件探しはすごく大変なんだけど、一番よい場所が取れたんです」

 商店街の人々や行政も協力的だった。それまで、店を借りて閉じたままのシャッターを開けたいという業種は、大抵はデイケア。商店街にかつての賑わいを取り戻したいと、誰もが考えている中で、山谷酒場は大歓迎されたのである。

 こうしてオープンに至った山谷酒場は、朝から忙しい。朝8時から2時間は、モーニング喫茶・楓として営業する。それから、仕込みの時間があって、山谷酒場は夕方4時から夜の11時まで。居酒屋の基本メニューから、酒井が考えたオリジナルメニューまで、料理は多彩。ピリ辛の麻婆豆腐は、どんな酒にも合うようで、評判だ。

 酒で目立つのは、オリジナルの山谷酒と名付けた漬け込みのリキュール。そして、世界のビールも揃う。ビールを多彩に揃えたのは、どうしても値が張ってしまう生ビールは置けないから。店を訪れる人の財布に優しくしたいという、酒井の優しさである。自分の店だけが繁盛しようと思っているのではない。地域に点在する店を回って、はしご酒をする。そんな楽しい時間に山谷酒場も入ればいいと思っている。

 調度品も独特。店の看板やテーブル、椅子の色遣いは、日本の大衆酒場のイメージを裏切る。どこか、東南アジアあたりのバックパッカー街にある店のイメージである。

 ここは、単に地元に根ざしただけの店ではない。地元の人。味のある酒場を目指して、電車やバスでやってくる人。そして、国内外から集まる旅行者。そうした人々が、楽しい酒の刹那に交わるのが、山谷酒場という場。かつて、大勢の労働者で賑わっていた時代。山谷は、さまざまな問題を抱えつつも、流れ着いた者たちが、お互いに励まし合いながら生きていく人情の街だった。そんな街の伝統を思い出しつつ、新たな形で進化していく店。それが、山谷酒場の本当の魅力なのである。

「人生は一回しかないし……さすがに、もう年齢も40歳を過ぎて、お店は作れないと思うし、いい意味で最後の店にしたいですね」

(取材・文=昼間たかし)

もはや外国人しかいない!「観光公害」も問題になる関西地方は、もはや日本じゃないみたい!?

 もはや、右も左も外国人しかいない。

 日本を訪れる外国人観光客の数は、2017年には2,869万人。11年の622万人から比べると4倍以上の数となったが、国は東京オリンピックの開かれる20年には4,000万人を目標としていているので、まだまだ増える見込みだ。

 こうした観光客の増加に伴って、外国人が数多く訪れる地域の住民の生活が不自由になる「観光公害」は、かねてより話題になっている。例えば京都では、観光スポット周辺を走るバスが観光客で混雑しすぎて地元生活者が乗ることができないだとか、さまざまな弊害が語られる。

 とりわけ、外国人観光客が多すぎることが話題になるのは、東京よりも京都・大阪。やはり、東京に比べると人が集中するエリアが限られているからか「右も左も外国人」という話は、当たり前のように聞かれる。

 でも、本当にそんなに視界を埋め尽くすように外国人しかいないという光景など実在するのか。ところが今回、筆者が足を運んだ大阪で見たのは、本当に右も左も外国人ばかりという光景だった……。

 

■アジア圏の観光客で栄える、りんくうタウン

 関西で、右も左も外国人だらけといえば、まず関西空港。国際空港なのだから、それも当然。ただ、関西空港は成田空港に比べると外国人の数の多さが際立つ。とりわけ、本当に、ここは日本かと疑わしくなるのは関西空港駅。JRと南海電鉄の2本の路線が走る鉄道駅で、目に飛び込んでくる表示のほとんどは、英語、中国語にハングル。

 そして、歩いている人のほとんどはアジア圏からの来訪者。電車に乗れば、巨大なトランクを抱えた旅行者が座席を占拠しているのだ。

 そんな観光客は、関西空港から橋を渡った向かいの、りんくうタウン駅でぞろぞろと降りていく。

 りんくうタウンは、関西空港の開発と共につくられた大阪の新たな副都心。だが、その開発はうまくいっているとは言い難い。ランドマークともいえる「りんくうゲートタワービル」は、運営していた第三セクターが赤字を抱えて破綻。駅に隣接するこのビルは、うらぶれた雰囲気を放っているが、同様に駅改札を出ると、これまた似たような雰囲気が広がっている。

 だが、そんな街にも栄えているところがある。駅から、高架のペデストリアンデッキで直結する商業施設「りんくうプレジャータウンSEACLE」と「りんくうプレミアム・アウトレット」である。この施設が栄えている理由は、やはり観光客である。右も左も、見えるのは中国語やハングル。歩いているのも、アジア系の外国人だけ。もはや、失敗に終わるかに思われた街が、外国人観光客によって息を吹き返している。それが、この街の偽らざる真実である。

■外国人観光客は、やたら狭い地域に固まる?

 さて、りんくうタウンを経由して、筆者が向かったのは、大阪市の中心部。

 大阪にやってくる外国人。とりわけ、アジア系の人々は、とにかくミナミへ集まる。実際、一目瞭然だったが、心斎橋筋商店街から戎橋、道頓堀の周辺は「歩いている人の半分くらいが外国人観光客」が、いまや当たり前の光景だ。

 だが、この外国人の集中には特徴がある。

 外国人があふれているのが、特定の通りとか店に集中しているのである。そこから、少しでも外れると途端に外国人の姿は少なくなる。

 この現象は京都でも同様だ。京都も、やはり外国人は多い。多いのだけれども、外国人が集まるところは寺社仏閣と、その周辺。京都鉄道博物館なんて、客はほとんどが日本人なのである。

 やはり来日する外国人観光客が急増して、まだ5年程度。ようやく東京への一極集中から地方への観光客の分散が始まってはいるものの、いまだ「まずは、ガイドブックに載ってそうな場所に行く」というのが、外国人観光客の行動パターンの基本ということだろう。

 これから、外国人観光客はさらに増加する。増加はしても、そのぶん外国人観光客としての日本人がそうであるように「なるべく観光客のいない穴場へ」と変化していくだろう。

 いま語られる「観光公害」は、その過渡期の現象なのかと思った。
(文=昼間たかし)