今世の中の空気は「好きなものがある人が勝ち組」ムードがあり、日陰の身だったはずのオタクに追い風が吹いている。しかしそんな時代に乗ってイキれるはずのオタク趣味とて案外盤石ではない。推しが結婚、交際発覚、解散、活動休止、ヘビーなものではAV出演疑惑すらあったのも記憶に新しい。そして二次元だと「推しが死ぬ」すらジャンルによってはわりと頻繁だ。では、そのような事態で心に傷を負ったオタクは心をどう慰めればいいのだろうか。著者もラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』(以下、ヒプマイ)のコミカライズの内容にひどく落ち込んでいるので、心理学権威の歴史的名著に救いを求めてみることにした。
イケてない脚本を書くのはバイトテロの5000億倍重罪だ
ヒプマイで何があったか知らないという人は、前回の記事(コミカライズが物議の『ヒプノシスマイク』、同人イベントはお通夜か、はたまた大盛況だったのか?)に概要を書いているのでそちらを参考にしていただきたい。一言でいえば「一年以上絞った供給でファンを悶えさせてきた中で、いざ出てきた百瀬祐一郎氏によるコミカライズがかなりヤバい(ダメな方で)」だ。ちなみにこちらは、初稿提出時に担当編集氏より「殺意が強い」という理由で修正の要請があり一部をマイルドにリライトした経緯がある。サイゾーらしからぬ、ちょっといい話だ。
前回原稿から1カ月強、今はTwitterで「ヒプマイ」と検索すると「降りる」と検索候補に出てくる始末だ。そこでは降りる人の断末魔、そして降りるやつはガタガタ言わず黙って降りろ、そしてさらに黙って降りろっていうやつは何様のつもりだ、と飛び交う世紀末世界の様相を示している。悲しいのは、これらの人たちも少なくとも半年くらい前までは皆、ヒプマイをただ楽しんでいただけだったのだ。
降りる人のつぶやきを見ると、コミカライズだけでなく運営の体制など複合要因で心が折れた人もいるようだが、私の場合は揺るぎなく原因は100%コミカライズにあり、コミカライズ以外は今も好きだ。キャラクターデザインも声優も曲もいい。だからこそやるせなく、腹をえぐられ丹田に力の入らない日々が続いている。
脚本がアレなとき、悲しみにくれたオタクはその脚本家がベテランであれば「老害」、女性であれば「寝て取った仕事だ」と傷ついた心を慰める。単なる誹謗中傷でありひどい話なのだが、クソ脚本で視聴者を傷つけた罪は重い。
しかしおそらく百瀬氏は、ググるかぎり「そんな年でもない(おそらく若い)男性」と思われる。Amazonを見るとヒプマイ以前に百瀬氏は1シリーズの小説を2冊出しているのみで、キャリアが長いわけでもないように見える。よって「老害」ではないし「枕」も考えにくい。しかし傷つけられたオタクは決してあきらめない。今「コネなんじゃないか」という百瀬プリンス疑惑もネット上でささやかれているのだ。
言うまでもないが確たる証拠もない臆測であり、ひどい話だ。しかし「期待された仕事をしないどころか、本人が一番ウケているのであろう笑えない冗談をかます」という点において、百瀬氏はバイトテロキッズ達を束にしても成し遂げられないインパクトをコミカライズの一発目ですでに成し遂げたのであり、このあたりの力量はさすがそのへんの民草には出せないプリンスの貫禄と言える。問題のコミカライズがCDとなぜかバーター販売されるのも「コミックスを単体で販売すると、売り上げが低迷してしまい若様が意気消沈なされるのではないか」という運営のじいやたちの忖度なのだろうかとゲスパーは尽きない(※臆測です)。
悲しみから立ち直るための名著『対象喪失 悲しむということ』
以上、百瀬氏の悪口を述べてきたが、なにも百瀬氏に限らず、他人や他人が作ったものを愛し崇めるオタク活動は失望と隣り合わせという宿命を背負っている。それでは愛した対象に失望し、傷ついてしまったときにオタクは一体どうすればいいのか。ここで手に取ったのが、小此木(おこのぎ)啓吾氏による書籍『対象喪失 悲しむということ』(中公新書)だ。
小此木氏は精神科医であり、また椎名林檎によって広く浸透した「モラトリアム」という言葉の産みの親でもある。1979年の本だが指摘される心の問題にまったく古さはない。本書ではさまざまな喪失の臨床例が出てくるが、何も死別だけでなく、離婚や失恋、仕事上の失敗、志望校に入学できなかったり、一方で進学校に入学できたが目標を失ったり、年老いて若さと活動力と健康を失ったり、などさまざまな人々の喪失が紹介されている。最後には自分自身をも失う一生は喪失の連続なのだ。
本書では、喪失体験の対処として、そこから目をそらすことでもなく、日常生活で紛らわすのでもなく、効いてないぜ? と茶化すのでもなく、怒りに任せ誰かに八つ当たりするのでもなく、過去を必要以上に良くも悪くも脚色することでもなく、喪失に無自覚なまま無気力に日々を過ごすのでもなく、喪失体験をした自分と向き合い続け、消化し、落とし込むことが喪失体験を乗り越えるために必要だとある。その「悲しむ」という行為を怖い、重い、辛い、面倒くさいとないがしろにし続けた人たちが数年後、数十年後、心身に不調をきたすケースがいくつも紹介されている。
よって、ヒプマイの百瀬氏の脚本にガックリした私がするべきことは、この喪失をちゃんと弔うことなのだ。
以下が私のした弔いの試行錯誤と、あとから考えてみての考察になる。
【方法(1)】「昔の男」に慰めてもらう
【考察】問題の本丸からは逃げているわけで『対象喪失』の推奨ルートから外れているのだが、今回のヒプマイのように「(百瀬氏の脚本に)嫌になって」ではなく「嫌になったわけじゃなく、流行っている他ジャンルに目移りしただけ」という状態で別れた「昔の(ジャンルの)男たち」には今回大きく慰められた。また、過去にどっぷりはまった萌えを見ることで、今ヒプマイで消沈している気持ちもいつかは平気になるんだろうと、と冷静になれる点もある。
なお、現在のジャンルに失望し「あのジャンルはやっぱりクソだった、あ~、やっぱりここは落ち着く、ファンの民度も高いしww」と現ジャンルに砂をかけて旧ジャンルに出戻る人は嫌われるし、何よりこれでは過去の脚色になる。今はクソなのかもしれないが、過去に愛したのも事実なのだ。過去をありのままに的確にとらえる姿勢が弔いにおいて重要なポイントになる。
【方法(2)】ネットで愚痴サイトを見て心を慰める
【考察】「ヒプマイ 降りる」と検索すれば、心から血を流し苦しむ同胞を簡単に見つけられる。ただ、「降りるって言ってるやつデベソ」的荒ぶった発言も多く、ただでさえすさんで傷ついた捨て猫のような心がさらに傷つくこともあるため、むやみには推奨できないルートだ。
しかし、匿名掲示板で「好きになったことを後悔している」という発言を見たときは心を打たれた。同じ気持ちで苦しむ人の端的な表現を見ると目が覚めるような気持ちになれる。
【方法(3)】オタ友に愚痴り心を慰める
【考察】愚痴ろうと思っても自分の中でこんがらがったものが強大すぎて、結局「とても つらい」と横山光輝による漫画『三国志』の霊帝みたいなことしか言えなかったのだが、それを黙って聞いてくれた友人には感謝している。方法(2)と比べるとやはり方法(3)は強い。仮想世界に半日いるより、目の前の生身の人間に一言話す方が、成仏されていくものの質量を大きく感じる。このあたりはネット民大敗北であり、ネットが不得手なところだろう。
ただし当然、人選は重要だ。目の前の人間に鼻で笑われようものなら、ネットで同じことをされるよりも五億倍のダメージを食ってしまうだろう。
【方法(4)】Twitterで「同担」は極力カットする
【考察】思えばヒプマイにはまったきっかけもTwitterだった。前のジャンルにはまっていたころ、前のジャンルの神絵師たちがヒプマイの二次創作を投稿しだして、当初は「推してるジャンル以外の、特に新興ジャンルの絵を見ると、なんだかそっちに神絵師が行っちゃうみたいでイヤ」と否定的だったのだが、私の意志などクリムゾン氏の漫画に出てくる女剣士以上に弱く、2週間後にはあっさり私も釣られていた。
新しいジャンルにはまりたての時期に、この人は絵がかわいい、この人は漫画が最高、この人は考察が冴えてる、とあれこれフォローして自分のデッキを作っていくときは、脳内からシャブと同じ成分の汁が出ているといわれても納得するくらい「ガンギマリ」状態だ。そうやってフォローした人の中には今回のコミカライズについて「これもこれでアリだよねww」みたいな強がり発言をしている人もいて胸が痛んだ。
なまじヒプマイ同人において成功した人ほど「弔い」は余計きついのではないだろうか。これは99%「金が惜しいんだろ?」という意味ではない。同人で金儲けができる人など1%もいない。金ではなく、ヒプマイが供給を絞った長い間、あれこれ考えた考察や漫画などが評価された二次創作作家の場合、コンテンツから降りようとすれば「愛したコンテンツを失う」に加え「そのコンテンツで得た自分の名誉やつながりまでも失う」ことになるのだ。「●●さんの漫画で号泣しました……」「**(キャラクター名など)といったら●●さんですよね!」みたいなことを言ってくれるフォロワーを失うのだ。これはさらにハードな喪失体験だろう。
ただ、しかしこれは百瀬氏にしてみたら「知らんがな」というのもよくわかる。二次創作がどうなろうが公式になんら責はない。「ヒプマイといったら百瀬さん」なのであり「ズレ」は二次創作の宿命だ。しかし供給を絞り続けオタクの集団をほったらかしにしておけば、つぶやきが次のつぶやきを呼んでアメーバ的に増殖し、AI並みの働きを見せてしまうのは公式とて想像できたはずだ。
なぜそこまで発酵させた末に、満を持してあのコミカライズを供給してしまったのだろう。「極力何もしない」で長年成功をキープしている『刀剣乱舞』という事例もすでにあったというのに、なぜ死に急いだのかが不思議でならない。やはりヒプマイはファンに向けてではなくプリンスに向けたやたら金のかかった接待なのかもしれない(※臆測です)。
話を戻すと、Twitterを見ている限り私は未練をひきずりそうなので「あまりつぶやかず、フォローを外すには漫画が神過ぎる」二次創作作家を3人残し、あとはフォローを外した。「あまりつぶやかず」がポイントであり、そういう人しかフォローしていなければおのずとTwitterに常駐しなくなっていく。なのでツイ廃気味な人をフォローしている場合、いくらオキニの絵師であっても、弔いを最優先する場合は切った方がいいだろう。
【方法(5)今後のオタクとしての在り方を考える】
【考察】方法(4)と絡むが、Twitterの依存が進むと、どうしても今流行っているジャンルにはまってしまう傾向が私にはある。新しいものは未知ゆえに魅力が底上げされるし、流行っているジャンルにはまっているときの、厳選フォローが日々ほっといても織りなす自分のタイムラインを眺めるときの多幸感といったら合法ドラッグといってよく、コカインいらずで全然飛べる。
しかしこの楽しさにうつつを抜かしていたら公式がとんでもない爆弾を持ってきたのが今回の「ヒプマイ事変」だ。「百瀬祐一郎氏って過去にどんな話を書いていたの? 信用して大丈夫なの?」という視点が抜けていたのだ。
現在進行形で続くライブ感は楽しいが、ライブである以上、裏切られる可能性もある。そしてそれはとてもつらく、また似たようなことを繰り返したら学習しない自分自身にもうんざりしてしまうだろう。がっかりするのはもう今回で十分だ。
ライブ感がなく寂しくはあるのだが「もう作品は終わっていて、一定数以上評価も得ているものにはまるようにする」安全策も今後は取り入れていきたい。ヒプマイはそもそも、始まってすらいない段階ではまりすぎてしまったのだ。今後は何かにはまるときは必ずシナリオ担当者を確認し、前作の評判などを確認、ルーキーや経験の浅い人の場合はいきなりどっぷりはまらないよう、慎重にいこうと思う。また、Twitterはどうしても流行っているものが物量で押してきてよく見えてしまうので、Twitterはオタク活動には極力使わないようにしていきたい。
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以上、(1)~(5)までいろいろ試してみたが、どの方法もいい点はあった。弔いの際に少しでも役に立てば、コミカライズが出て年末年始と2年がかりで落ち込んでしまった私も浮かばれる。最後に百瀬氏はぜひ改名などせず活動を続けてほしい。「この人がかかわっていたら絶対手を出さないリスト」に加えられないからだ。
(文/石徹白未亜 [http://itoshiromia.com/])
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