『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第7回 山崎庸子さん(仮名・36歳)後編
大学の同級生とロースクール在学中に結婚した山崎庸子さん。司法試験を受けるため別居生活だったが、受験勉強中に妊娠出産。公務員の夫は2カ月の育児休暇を取り、子育てに尽力してくれた。しかし、その育休をきっかけに義父母との関係が悪化。さらに夫との仲もこじれていった。出産後半年で離婚が頭をよぎったものの、受験生だったため、封印して円満な別居生活を続けていた。ところが、初の司法試験は不合格。子連れで浪人生活を送ることになる。
■息子の3歳の誕生日を祝うことなく協議離婚
転機となったのは息子がちょうど3歳になった2011年の3月初旬だった。
「北陸から引き上げて東京で夫と同居しようと話が進んでいました。幼稚園と延長保育を駆使すれば、東京でも子育てと勉強を両立できるだろうと。ところが、2月ごろ彼が『同居に実は不安があるんだ』と言い始めたんです。新居の賃貸契約や退去の手続、退園の連絡が進んでいるのに、です。不安があるという感情だけ言って、じゃあ具体的に、どうするのかという話にはならない。だんまり。それが、北陸で一緒に過ごした最後の時になりました。
本当は、3月初旬の息子の誕生日のころにも来る予定はあったんです。一緒にお祝いしようかと。でも、連絡が乏しい。結局、本当に来なくて、息子の誕生日を一緒に祝うこともしなかった」
息子の誕生日から一週間あまり。東北に津波が押し寄せた。いわゆる東日本大震災である。
――震災が発生したときは大丈夫でしたか?
「東北の被災地ほどではないにしても、少し揺れたし、ちょうど手伝いに来てくれる予定だった母が乗っている電車は一晩動かず、大変でした。連日被災地のニュースも見て、日本の異常事態だと感じながら、東京に転居するまでの準備をし、一日一日過ごしていました。
そんな折に、彼が珍しく、嬉々とした様子で電話をかけてきたんです。『被災地応援辞令を受けて、被災地に行ってくるね。だからあとはよろしく』って。これにはあっけにとられました。さも、同居できなくなることが心底うれしいといわんばかりの雰囲気があふれていました。
よくよく確認すると、いきなり、被災地に行ってしまうわけではなかったみたいで、彼は渋々と同居を受け入れることになったのですが、同居生活の準備の話は一切できないままでしたね。震災という局面に接して感じたのは、『後悔のない人生を生きなきゃ』という強い思いでした。つまり、離婚する決意を固めたんです」
3.11発生から約1カ月後の4月に、晴れて離婚が成立した。
「ただ届けを出しただけの協議離婚です。東北行きの正式な辞令がなかなか下りなかったため、最低限の協議はできました。養育費という名目では素直に払いたくなかったようで、幼稚園代(教育料、教材費、延長保育料など)の平均、毎月5万円弱を彼の口座から引き落とす形で、実質的に養育費5万円を負担してくれることになりました。
離婚はしたけども、初めての同居生活は、試験が終わる5月半ばまで続けていました。彼も、受験に配慮してくれたようです。解決先延ばし癖があっても、心底嫌なことには行動が早い。いつのまにか転居先を見つけていて、早々に同居を解消しました。そのあと、辞令通り、東北で滞在したこともあったようだけど、数週間で戻ってきたようです」
3.11と離婚という大きな節目を経て挑んだ、2度目の試験は、また不合格だった。実家のサポートを受けながら幼稚園児の息子を育て、離婚した元夫と息子の面会交流をさせつつ、自身は、司法試験予備校の教材作成のバイトで生計を立て、最後の試験に挑戦する。翌年合格、11月末からは司法修習生となった。
「司法修習に行く先輩たちを見ていたら、全国のどこに配置されるかわからないと知っていました。でも、私は息子がいたからか、第一希望の関東での修習がかないました。自宅から修習を受ける各施設までは1時間の距離。これなら子どもを幼稚園に通わせることが可能でした。修習の内容ですが、民事裁判、刑事裁判、検察、弁護士の実務修習と起案の指導を中心とした集合研修があり、その後、最後の国家試験を合格して、なんとか法曹資格を得ました。2013年には晴れて弁護士となることができました」
――弁護士になって最初に手がけた案件はどんな案件でしたか?
「自分の養育費調停が、弁護士になってからの事実上の初仕事だと思います。息子が小学校に入った途端、一切支払わなくなってしまったんです。正論を説いたところで、解決を先延ばしにする癖は、離婚前と同じだとわかっていたので、協議の場に元夫を引っ張り出さなければならないって思い、すぐに調停の申し立てをしました。申立手続きは全て自分1人で用意し、途中の主張書面も力のこもった大作を提出したんです」
実際の調停の場で、元夫はいくつかの主張をした。それは、すでに毎月5万円を3年間、トータルで180万円の幼稚園代として払ってきたということや、平均年収は3,000万円という弁護士の平均所得の高さについてだった。
「彼はできる限り少額しか払いたくない様子でした。一方、私は彼のいう180万円を逆手にとって次のように言いました。『これまで毎月5万円が実質的な養育費として、合意に基づいて支払われた実績がある。この合意を変更する事情はほかにはなく、合意どおり毎月5万円が支払われるべき』と。
弁護士の所得に関する指摘については無視です。調停委員も相手にしていなかったと思います。業界全体が、変動していて、年収3,000万円を超える人も中にはいるかもしれないけど、弁護士一般の年収ではないのはもちろん、現に、そのとき弁護士になりたての私に関しては、そもそも所得が少ないことを、給与証明書を提出して示していましたから」
息子同伴の第一回調停の後、久々の父子再会が実現する。
「とにかく私としては、唐突に払わなくなったことに怒り心頭ではありました。それとは別に、たまたま学校が振替休日だったために同伴していた息子と、調停終了後、父子が再会することになりました。調停委員の目の前で、お互いに笑顔がはじけて再会するのですから、その後の進行上、印象に残る場面になったと思います。
再会の場で彼は、養育費を払っていないのに平然とした調子で『面会交流は続けていこう』とか言って、私の気持ちなんて何もくみ取りません。それどころか『今月泊まりに来ないか』とまで言い始めた」
――2回目の調停の場は?
「彼は、遅刻して出頭したので、待ち時間が長くなり、協議が進みません。私のイライラも募ります。『5万円払ってくれないと、もう面会交流させない』って強く断言してやりました。すると、子どもを夫と会わせようと奮闘してくださった調停委員が私を説得しようとしてきました。
『面会交流はお子さんのためのものですからね。わかっているでしょ、先生』って。私はすっかり悪母です。カッとして『養育費だって子どものためだろうがっ!』って喧嘩ごしの荒々しい口調で、悪態をつきました。裁判所を離れたあとも怒りは収まらず、その勢いのまま、自宅で息子に手紙を書かせました。『養育費を払ってください。5万円約束通り払ってください。嘘つかないでください』って(苦笑)。本当はこんなことしちゃいけないと重々、仕事柄知っているんですけどね。そのぐらい彼の態度にも裁判所の正論にも怒ってたんです」
――3回目の調停は?
「裁判官が出てきて、彼に直々に説得をしてくれました。調停の場合、最後の挨拶に来るぐらいの役目なんですが。弁護士が代理人を立てずに本人調停、しかもその弁護士が暴れてるというのが珍しかったんでしょうし、子どもがしばらく父親に会えなくなるかもと危惧したんでしょう。修復不可能にならないようにってことで、裁判官が彼を説得してくれました。
その結果、養育費は5万円だけでなく、月イチの面会交流を妨げないという条項を盛り込むことで落ち着きました。養育費は20歳までではなく、22歳までもらえることになりました。大学時代、お互い親に面倒をみてもらっていたから、我が子が大学を卒業するまではちゃんと面倒を見ることについて、争いはなかったです。
でも元夫婦は今後、よほどじゃない限り連絡は取らないという約束もしました。彼の希望ですが、私も大歓迎です。だから面会交流の日程調整の協議も、息子の携帯で息子自身が連絡調整するから、私は楽なんです。もちろん、いつ会うかは把握していますし、息子も私に予定を教えてくれます。こんな感じでストレスない形で、今後も面会が続いていくんだと思います」
――面会交流はどんなふうに行っていますか?
「月イチで会う日は最寄駅で朝9時に会って、16時半か17時半まで。聞くところによれば、月1回2時間という相場からすれば、十分充実しているかもしれません。どこに行ったか聞けば、近くにある漫画図書館でずっと過ごしたり、映画を見に行ったり、遊園地に行ったりと息子が教えてくれます。
一方、泊まりの面会については、もっと丁寧に交渉してくれたら、私は全然、宿泊旅行とかもOKなんです。だけど息子がNGです。元夫は再婚していて、その再婚相手を必要以上に毛嫌いしてて『会うのが嫌だから。泊まりは絶対嫌だ』って言ってるんです。
向こうが提案してくるのなら、彼側の祖父母の家に行くとかもやってもいいと思います。息子も小学校の高学年になるし、ずいぶん成長しましたからね、冒険させてもいいと思っているんです。これだけいい子に育ってますよというのを見せつけてやりたいです」
西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。