『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第4回 岡田奈緒さん(仮名、40代)前編
「役者、イベント司会、ライター、そして会社経営といろいろとやってる、毎日お祭り人生なんです、私。ゴールデンウィークは稼ぎどき。人が休めるときに働きます。芝居は、妊娠中、産後と、ずっとやってます」
快活に話すのは、岡田奈緒さんである。バイタリティーあふれる彼女の話しぶりに、いくつの顔を持っているのだろう? どんな子育てをしているのだろう? そうした興味を抱いた。現在、小学生の女の子を一人育てている岡田さん、なぜ夫と別れたのか? どうやって子どもを会わせているのか?
■10歳年上の舞台俳優と結婚したものの、もくろみは外れ……
――どんな生い立ちか教えてください。
「ビルが林立する、東京のど真ん中で生まれ育ちました。何事にもきちんとしてないと嫌な潔癖性で、とにかく人と話さないという、そんな内向的な子どもでした。16歳のとき、芝居を始めて人との話し方を知りました。大学には行かず、芝居の傍らデジタルデザインの学校に通ったり、バイトしたりしました。バイトは、役者だからってことで、しゃべる仕事。最初はイベントコンパニオン、そしてナレーター。20代前半は舞台に立ったり、テレビに出たり、精力的に活動していましたが、20代後半で結婚して翌年出産してからは、家族を養うためにイベント業が主になりました。芝居にしろ、イベントにしろ、どっちにしろ祭りなので、やってる本質は変わらないですけどね」
――旦那さんとのなれそめは?
「相手は10歳ほど年上の舞台俳優。知り合ったのは同じ舞台、彼が主役でした。私、せっかちというか貧乏性というか……過労で入院するくらいむちゃくちゃに働いていた20代だったので、のんびりした人と結婚したら、ちょっとは落ち着くかな? と思ったんです」
――結婚しようと思った理由は、なんですか?
「お互いに、子どもが欲しかったから。私もその頃、役者としてそろそろ母親の役を任される時期だった。子どもがいると役に深みが出るし、仕事のためにも『作ってみるか』という、人として、あまりよろしくない発想です。だけど『できちゃった!? じゃあ結婚しなきゃ』と言ったのは彼のほうです。それで彼の実家のある埼玉某所に引っ越して、同居を始めました」
――旦那さんは実際どんな人なんですか?
「結婚してわかったのは、夫は癒やし系ではなくて、悟っちゃってる人だということ。とにかく動かない。2時間たっても同じ場所にいる。すごく質素でもあって、毎日細々とご飯が食べられたらそれでいい、毎日生きているだけで楽しい。そんなタイプだったんです。
“悟り系”だということを知って、共働きなのは当然だと考えていた私のもくろみが崩れていきました。働き手が2倍になれば一人暮らしで役者をしていた頃よりお金に余裕ができて、少し気楽に、主婦役者ができると思っていたんです。また、同じ役者ということで一緒に仕事したり、夫婦で何か一緒に作ったりすることに憧れていましたが、夫には自分から何かをするという気力が、残念ながらなかった」
この後、岡田さんの出産を経て、2人の関係は変わっていく。
――お子さんが生まれるまでは順調でしたか?
「生まれる3カ月ぐらい前に、切迫早産で入院しました。『運動しなさい』って産婦人科の先生に言われて、運動しすぎたんです。それで強制入院。生まれるまで、ベッドにはりつけ状態でした。その間、夫は地方公演に行ってて、いなかった」
――出産のとき、旦那さんは立ち会いましたか?
「もちろん立ち会いました。めっちゃビデオ撮ってましたね。本当なら子どもが出てくるところを撮ってほしかったんですけど、病院に『だめ』って言われて。そういうのを、ネットに流して売る人がいるんですって。それでしょうがないから、夫は私の顔を撮ってた。青筋立ってる私の顔を撮りながら、『どういう感じ? どういう感じ?』『うーん、スイカは出ないな』みたいな会話をするだけで、残った映像としては全然つまらない。それで産む瞬間になると、さすがに的確なコメントを考えるのもきつくて。思考が吹っ飛びました。夫は夫で、『子ども生まれた、やったー』って感じで喜んでたみたいです」
――新生児の頃は、どのような生活でしたか?
「産んですぐの4カ月は東京の実家にいて、ひたすら子どもの世話をしていました。その間は恐怖ですよ。新生児の命の責任って重いです。2時間ほっといたら死ぬわけですから。産後の肥立ちも悪く、私自身も病気の連続で死にそうでした(苦笑)。だから私、生後6カ月になるぐらいまでは、子どもを育てることしか考えてなかったし、子どものことしか見えてなかった。育児ノイローゼだったんですね。
一方、夫はですね、出産に立ち会った後、地方公演に出てまして、その時期、家にいなかった。だから夫は、私が一番大変で一番やばいところは見てなかったんです。とはいえ新生児の頃は、私が育児に対してとても神経質になっていたので、夫がいてくれても、何も任せられなかったし、何を言われても、何をされても怒っただけでしょうからね、夫が地方巡業で出ていたのは、むしろ幸いでしたね」
――旦那さんが巡業から帰ってきてからは、どうでしたか?
「生後4カ月で、夫が地方巡業から帰ってきて埼玉某所で同居を始めてからは、徹底的に育児をやらせましたよ。『夜、本当に限界だから、私は寝るから。母乳搾ったのが凍っているから、それを赤ちゃんにあげて』って言って、寝たら絶対に起きない(笑)。それで夫はやってくれたかって? もちろん。だって、やらなかったら死んじゃうもん。まあ、でも率先してやってくれてました」
――旦那さんの育児は、どんな感じでしたか?
「基本、育児は、かなり積極的にやってくれていました。ただ、夫は基本おおらかなので、泣いててもあやしたりせず、『うわぁ泣いてる! 鼻水出てる! あっははは』って観察して喜んでるだけ。2人目の子どもなら私も一緒に笑えたのでしょうが、とにかく私がうつだったので、そんな夫を見て私、イラッとしてました。怒りをエスカレートさせる私を、夫は嫌がっていました。歩けるようになると、公園でボール遊びの相手をしてくれて、それはそれで助かったんですけど、0歳児のときは、とにかくハラハラしていました」
――産後うつで、一日中育児って大変ですよね。何か気晴らしはしたんですか?
「近郊のショッピングモールへ娘と2人で出かけたり、夫や、それプラス友人などと一緒に、気軽な感じで出かけたりしていました。夫があまり働いてなかったので、いつでもどこでも、夫と娘と3人一緒でした。だから、子どもの友達を呼んで泊まってもらったり、ママさんサークルに入ったり、幼児体操とか子どものプールとか、暇だし、その1年間は働かなかったので、いろいろやりまくって、ありとあらゆるところに顔を出しまくりました。娘と2人きりだと行き詰まっちゃいますよ。それだけ夫と一緒に歩いたので、普通の夫婦の一生分、すでに一緒に過ごしてしまったかもですね」
――旦那さんとのすれ違いは、いつからですか?
「夫との気持ちのずれを感じ始めたのは、『やばい! 私が働かなきゃ!』ってなった頃からでしょうか? もともと共働きの覚悟はしていましたが、育児に関して私は人に任せるには神経質すぎたので、1歳の子育てをしつつ、大黒柱も私が担うのは無理がありました。健康な夫があまり仕事もしないで毎日家にいたら、ちょっと人生不安にはなります」
――娘さんに手がかからなくなってからは、どうなったんですか?
「娘が1歳になってからは、『もう私、役者復帰します』って宣言しました。だけど夫は基本、自分のスケジュールを曲げてくれない。それで私、『あんたが出たら、私が芝居できないじゃない』って文句を言いました。今考えると、スケジュール調整で、けっこうケンカしましたね。
その頃から、娘を保育園に預けて、また働きにも出るようになったんですけど、送り迎えには苦労しましたね。私が東京で仕事があるとき、保育園に迎えに行くのが遅くなる。だけど夫は自分の都合を優先して、お迎えに行ってくれない。かといって、夫の親も頼りにはならない。『行く』と言いながら行ってくれなかったりして、すごく適当なんです。
あともうひとつ困ったというか不安に思ったのは、夫の収入です。出産前もそうだったんですが、財布は夫婦別です。娘の育児費用は私が出してました。あと、家賃とかの生活費を、夫に月10万円ぐらい払ってもらってたのかな。その頃住んでいた3DKの公団は家賃が安かったのはいいんですけど、将来的なことを考えると、不安が尽きなかった。これから娘の学費のこととかで、お金がたくさんいるというのに、夫の年収が伸びていく兆しがないんです。そこで『今後はどうすんの? 40代で、役者で食べていけるの? 家族を支えられるの?』って聞きました。すると、『このままでいい』って言うんですよ。私、その発言にカチンときて。夫に言ったんです。『一度、別居して、お互いの人生をちゃんと組み立てていきましょうよ。私もう無理だから。東京行くから』って。ところが夫、娘と離れたくなかったのか、私たちについてきちゃいました。娘が年長さん、5歳のときでした」
岡田さんは夫と別居するために、娘とともに東京に引っ越そうとしたのだが、結果的に家族3人で移り住むことになったのだった。
(後編へつづく)