取材の時にレコーダーなんか回すんじゃない!! ゲイ・タリーズ『有名と無名』

 連載回数も区切りを迎えたので、次はどのような本を紹介すべきかと考えて、ふと浮かんだのが、この1冊。

 すでに絶版になっている、この『有名と無名』(青木書店)は、ゲイ・タリーズの短編集として3分冊で刊行されたうちの1冊である。

 ほかの2冊、『名もなき人々の街』と『ザ・ブリッジ』も、物書きを志すなら読んでおくべき本。だが『有名と無名』は別格である。

 というのも、この本にはタリーズの出世作である「シナトラ風邪をひく」と、その後日談「シナトラが風邪をひいたころ」が収録されているからである。

 1965年の冬のこと。「エクスワイア」から依頼を受けたタリーズは、フランク・シナトラにインタビューするため、ニューヨークからロサンゼルスへと飛び立った。

 ところが、直前になりシナトラのオフィスから取材のキャンセルを告げる電話がかかってきた。理由は、シナトラが風邪気味であるからということ。

 取材は空振りに終わった……と、帰るわけにはいかない。そこでタリーズは、ちょっとでもシナトラを知る人に会い、話を聞くことにした。シナトラが関係する映画会社に音楽会社のスタッフや重役連中。かつて交際のあった女性たち。出入りしている店の人々……。

 会うとはいうが、テープレコーダーとメモ帳を手に「シナトラさんについて、知っていることを教えてくださいよ」と押しかけるわけではない。昼飯や夕食に連れ出して、ただ話をするのである。そうして出会った100人あまりの人々の話を元に、シナトラにインタビューせずして人物を浮かび上がらせるという「シナトラ風邪をひく」は出来上がった。

 その後日談でタリーズは、こう語る。

 私はポケットに、ほとんどいつもペンとメモ帳を忍ばせていた。そしてテープレコーダーを使おうとは夢にも思わなかった。そんなものを使ったら、人々は率直にしゃべってくれなかっただろうし、あのリラックスした、あの裏表なしの関係も築けなかっただろう。

「シナトラが風邪をひいたころ」で、タリーズは繰り返し、テープレコーダーを使う取材を戒めている。これを使えば「自分の頭と手間と時間にこだわる書き手を使うよりもずっと安い料金で、それなりの記事を仕立てられるのだ」と。

 現在、我々が行っている取材して書く工程で、テープ起こしは、ほぼ必須の作業である。ともすれば、テープ起こしが終われば作業の半分以上が終わった気になりがちだ。

 あとは、重要そうなところを抜き出してカギカッコでくくれば、記事は出来上がる。

 けれども、それは人の心を震わせる「作品」になりえるだろうか。取材相手の、上手いことを言っている部分を抜き出せば、読者の興味を引くことはできる。それに、何か問題になった時もカギカッコでくくっておけば、録音と合わせて、確かに本人が話していることだと抗弁することも容易である。

 でも、そうして出来上がった記事は、読み飛ばされて消えていく。なぜなら、書き手の意識の一切ない、中身のない記事に過ぎないからである。

「シナトラ風邪をひく」においても、カギカッコで会話した文章は出てくる。でも、それはタリーズがインタビューをして得たものではない。さまざまな人に出会い、こっそりとメモを取り、あるいは記憶したものを記録して、執筆の際に再構築されたものである。

 それを実際に話していないことかもしれない。では、そうして出来上がったものは、創作であり捏造になるだろうか。

 決してそうはならない。なぜなら、そうして構築された一言一句が、膨大な取材に裏付けされているからである。

 実際、タリーズのような方法論を実践しようと思うと、膨大な時間と、途方もない経費がのしかかってくるのはいうまでもない。けれども、いかにして、そこに一歩でも近づくか。それを、書き手は今一度考える時が来ているのだと思っている。
(文=昼間たかし)

服を取り上げて内定辞退を阻止! バブル時代の就職活動は、非道だけれど羨ましい……

 ここまで、複数回にわたって、さまざまな雑誌記事をもとにバブルネタを取り上げてきた。

 結局、バブルも今も世の中はいつでも残酷な現実しかないものだというのが、筆者の想いである。

 けれど、バブル時代の現象として、ちょっと羨ましいことがある。それは、当時の大学生の就職活動である。

 当時は、まだ大企業間で「就職協定」が存在し、会社訪問の解禁日や内定の日付けが明確に決められていた。そうした中で、好景気を背景に優秀な人材を確保した企業は、さまざまな方法で「青田買い」に精を出していた。その恩恵を受ける学生も多かった。

 当時の、協定破りの青田買いの方法は、現代視点では実に面白い。どこも企業の看板があるため「セミナー」などと称して、学生を集めて就職説明会を行うわけである。その方法も手が込んでいた。土日の会社が休みの時や早朝に学生を集め、裏口から社内へと導くのである。それでもまだマズかろうと考える会社では、学生に私服で来訪させ、会社の面接担当者も私服で待ち受けて「プライベートな関係」を装う。あるいは、ホテルの喫茶室などで面接する、なんてこともザラに行われていた。中には、こんな方法もあった。

 * * *

 スパイもどきだったのはD銀行。同行は協定破りが発覚しないように慎重に慎重を期した。なんと7月2日の集合場所は「日比谷図書館前」で、こう指示された学生もいた。
「スーツを着て雑誌を持っている男が立っているから、『若杉さんですか?』と声をかけろ」
“若杉さん”に帝国ホテルに連れて行かれて、部屋で面接が行われた。(「週刊現代」1989年7月29日号)

 * * *

 いや、スパイごっこも楽しいけれど、たかだか就職の説明会レベルで帝国ホテルって、羨ましいじゃありませんか。

 この、バブル時代の就職活動。目を見張るのは、企業間の空気の読み方である。とりわけ大企業は表向きは就職協定を遵守しているというスタイルを取らなくてはいけない。もちろん、どこの企業も協定を守る気なんてない。だからといって、無視して学生に内定を告げてしまえば、ほかの企業からは非難されるし、新聞ネタになりかねない。だから、お互いに「押すな、絶対押すなよ」としながら頃合いを見計らって「赤信号みんなで渡れば怖くない」と動き出すのである。

 1989年の例を見ると、協定での会社訪問の解禁日は8月20日。でも、どこの企業もそれを守る気などさらさらない。6月末にはすでに「7月1日頃だな……」と、目星はつけていたようだ。

 1989年の7月1日は土曜日。社会の動きが鈍くなるこの時期のこの曜日が勝負時と、各企業は狙っていたのである。そうしているうちに、前日の6月30日の金曜日、日経連が就職協定の遵守を再確認する通達を加盟企業へ送付した。意図があったかないかはわからないが、これが逆にスタートの合図となった。

 まず7月1日に商社や損保が動き出すと、それを見て、その日の夜から翌日にかけて銀行が動き出し、翌週7日の金曜日から週末にかけて多くの企業が採用活動を実施したのである。

 採用活動とはいうけれど、実質「セミナー」などで選考は完了。会社に呼び出して内密に「内定」を告げるのである。

 好景気を反映して、一流大学であれば人気企業の上位にランクインしていた、住友銀行と日本生命と日本航空のすべてに内定をもらっているのも当たり前。中堅、いうなれば三流大学であっても、銀行や証券会社など上場企業からも内定がもらえるほどに売り手市場だった。

 羨ましいのは、その後の内定者の拘束だ。ホテルに呼び出して、芸者をあげてステーキに寿司も食べ放題のどんちゃん騒ぎ。締めはソープに行き、スーツ代にと10万円を渡されてホテルに宿泊……。

 なにせ、この時代は就職活動するだけで、学生はオトクな時代である。「セミナー」に参加するだけでも、会社の扱っている商品がもらえるのは当たり前。製薬会社ならドリンク剤をもらえるし、外食産業ならお食事券のプレゼント。セミナーのはずが、屋形船で宴会なんてのもあった。

 一流企業だけでなく、人気のない企業でも「入社すれば300万円までのクルマをプレゼント」なんてエサで人材を確保しようとしていたわけだから、羨ましくないハズがない!!

 もちろん、そうなると、どんちゃん騒ぎをした挙げ句に内定を辞退する学生とかが出てくるのも当たり前。企業の側も心得たもので、軽井沢など遠方へ連れて行く。服を取り上げて、ダサいジャージに着替えさせて逃げられなくする。内定を告げた場で「ほかの会社に断りの電話を入れろ」なんてのも、当たり前だった。

 こうなると採用される側もする側も、無茶苦茶である。家族を危篤にして脱走する内定者もあれば、内定を乱発しすぎて採用人数が過剰になって困る会社も。後者の場合、内定取り消し代として50万円を叩きつける企業や、ディズニーランドに案内しておいて採用担当者が逃亡するという謎の解決策も用いられたとか。

 今や学生の就職活動といえば、何かと頭を使うテクニカルな時代。バブル期のそれは、空気を読む苦労はあるけど、どんちゃん騒ぎは、羨ましいよね。
(文=昼間たかし)

いつまで同じことをいってるんだ? 労働時間短縮「目標」だけはバブル時代と同水準の残酷

 昨年2月から始まったプレミアムフライデーって、どうなったんだろう?

 ちょうど最初のプレミアムフライデーの日は、某役所に取材にいっていた。話の合間に、今日は3時で上がりではないかと尋ねたところ「そんなわけないじゃないですか……」と苦笑。正直、プレミアムフライデーだと言って楽しんでいる人を、テレビの画面の中以外では見たことがない。世の中に実在しているか疑わしいものである。

 日々出会うのは、サービス残業で家にいるのは1日に数時間、もしくは寝ている時だけという人が当たり前だ。

 そうした人々と話をすると、バブル時代は給料も高いし、残業代は出るし、遊びの時間も目いっぱい取ることができるバラ色の過去に見えるようだ。

 でも、実態はまったく違っていた。給料・残業・労働時間と、それぞれ語るだけでトピックスが作れるが、今回は労働時間から。

 現在、日本の労働時間は実質年間2,000時間で推移している(「毎日新聞」2016年9月11日付)。厚生労働省の「毎月勤労統計調査」によると現在、パートタイム労働者や短時間労働者以外の一般労働者の年間総労働時間は2,026時間(2015年)。これは1995年(2,038時間)と、ほぼ同水準。日本では、「長時間労働が当たり前」という風潮が、心と身体の隅々にまで行き渡っているのは、当然である。

 こうした風潮の中で、労働組合などが一つの目標として掲げる短縮目標は、年間1,800時間。けれども、プレミアムフライデーが画に描いた餅となっているように、いまだ現実的な施策は講じられていない。

 今となっては忘れ去られているが、この年間1,800時間という目標は、実はバブル時代に提案されたものなのである。

 当時の政府の諮問機関・経済審議会が1988年1月に掲げた目標では「豊かな国民生活の実現に当たっては、年間労働時間を計画期間中に欧米水準に近い1,800時間程度に短縮し、法定労働時間は週40時間制の実現を図るべき」とされていたのである(「中日新聞」1988年1月23日付)。

 実は、この提言によって確かに労働時間はちょっと短くなった。当時、すでに始まっていた週休2日制の導入は、バブル時代に著しく進んだ。花金という言葉が流行し、半ドンという言葉は消えていった。最近、サラリーマンでも土曜日にちょっとだけ仕事を進めるために出勤することを「土曜出勤」とはいうけど「半ドン」とはいわない。いや、そもそも「半ドン」って言葉は、東京メトロを指して「営団線」というくらいに通じない。

 さて、バブル時代の流行は、週休2日制に続いてフレックスタイム制の導入を根付かせること。フリーターブームに見られたように「自分らしい働き方」が話題のバブル時代。でも、自分で時間を管理して働き、余暇も増えるはずのフレックスタイム制は、浸透しなかった。好景気による圧倒的な人手不足は容易に労働時間の短縮を許さなかった。当時、労働時間が短縮されれば「より徹底した仕事の見直しが進められ、生産性の上昇に結びつく」こと。「生産水準は維持あるいは拡大されざるを得ないから、時間当たりの生産性は上昇する」と見込まれていた(「エコノミスト」1989年10月31日号)。

 こうした状況で、労働基準法も改正し法規制で年間労働時間を1,800時間まで短縮する案。さらには、欧米のような長期のバカンスを文化として社会に定着させ労働時間を短縮させようという意見だってあったのだ。(「朝日新聞」1988年4月18日付)。

「プレミアムフライデー」も「働き方改革」も、まったく実現性のない言葉に聞こえるのは、まさにこれが理由。記憶からは消えても、DNAのどこかで「いつか、どこかで聞いた話」と誰もが覚えているのである。

 もしも、もう少しだけバブル景気が継続したとすれば、リゾート開発の進展とも相まって寝る間も惜しんでバカンスを楽しむ風潮が日本社会に定着したかも知れない。

 でも、日本人はむしろ、そうではない道のほうを好んでいた。バブル真っ只中の1989年5月。オンエアが始まった、あのCMは一大ムーブメントとなった。

♪黄色と黒は勇気のしるし 二十四時間戦えますか
 ビジネスマン ビジネスマン ジャパニーズビジネスマン

 三共の栄養ドリンク・リゲイン。「テープを貸してください」「レコードはどこで売っていますか」。連日の問い合わせを受けて11月にはCDシングルもリリースされた。経営側は、もちろんのこと、労働組合までもが「サラリーマンの応援歌」だとして、さまざまな行事に利用した。

 CMを製作した黒田秀樹は「週刊朝日」1989年10月13日号で、取材にこう答えている。

「働きすぎのビジネスマンをちゃかしてやろうと、シニカルにつくったつもりです。ときにはロボットのように働く彼らの姿をデフォルメして描きたくて、時任さんの表情も、あえて冷たく無表情にしました。でも、スポンサーさんも、こちらの皮肉がいま一つ見えていないようです」
(文=昼間たかし)

舘ひろしもガックリ……身売り騒動の老舗出版社「KKベストセラーズ」は大丈夫か

 出版社のが“身売り”されたとして、廃業の危機がささやかれているが、これに大物俳優の舘ひろしがガッカリしているという。

「昨年10月にベストセラーズから出た『生き残る芸能人のすごい処世術』という本の帯に、舘さんは推薦コメントを贈っているんですよ。でも、発行元が危ないという話を聞き、本がお蔵入りになってしまうのかと心配していたそうです」(芸能関係者)

 同書は情報番組の『ミヤネ屋』(日本テレビ系)や『バイキング』(フジテレビ系)にレギュラー出演する芸能記者・リポーター歴35年の城下尊之氏によるもので、人気の芸能人たちが舞台裏で見せた人心掌握や危機管理の術を紹介している、あまり例のない実用書。

 舘のほか、石原裕次郎、ビートたけし、明石家さんま、志村けん、松田聖子、福山雅治、坂上忍、綾瀬はるか、竹内結子、SMAPら、約80名の有名人たちが何気なくみせた処世術が書かれており、たとえば綾瀬は初対面の相手に必ず好印象を持たれるそうで、その極意をエピソードを交えて明かしている。その一部は『バイキング』内でもかなりの時間を割いて特集されたほどだ。

 舘は同書で、人目を避けて若い女子アナに伝えた“あるアドバイス”がピックアップされ、同書に「よく見てるよなぁ。記者の観察力ってすごいね」という推薦コメントを寄せていた。そんな本がお蔵入りの危機とあっては、舘が残念に思うのも当然だ。

 ベストセラーズは細木数子の六星占術シリーズなどのヒット書籍や、グラビアが売りの男性誌「CIRCUS MAX」、ファッション誌「Men’s JOKER」、競馬誌「競馬最強の法則」などで知られるが、近年は業績の落ち込みが伝えられて、先代オーナーによる従業員へのパワハラ問題が騒がれたこともあったほど揺れていた。さらに、先ごろオーナーの息子ら現トップ役員が株式を外部に売却したと伝えられたのである。

 新社長はM&Aに強い会計士だというが、業界内では「出版の人間ではなく産廃業とかにも関わってきた人らしく、事業を引き継ぐのではなく、本社不動産などの売却を見据えた会社の清算に入っているのでは」とささやかれる。

 現在、取引先への未払いなどの話はなく、事業の継続が困難な様子はないのだが、社内からも「新社長は出版業務にほとんど関心がなく、廃業を視野に資産の切り売りを進めていくのでは?」との不安めいた臆測も聞かれた。もし、そんな話が現実になれば出版事業が畳まれ、発行していた書籍が絶版となる可能性も出てくる。

 ある出版関係者によると「昔ならある程度の部数を刷っていたから、絶版になっても古本屋で手に入ったんですが、いまは初版の発行部数が極端に少ないので絶版となると本当に入手困難になる可能性が高い」という。

 ほとんど知られていなかった芸能界のイイ話がこの騒動の中で消えるとなれば、舘でなくとも残念な話だが、前出の芸能関係者は「舘さんはとにかく気配りのできる方なので、もしかすると本の心配をすることもまた彼なりの礼儀作法なのかもしれないですよ」と話している。

“処世術”に長けていないと成り上がれない独特の世界で成功したタレントの人心掌握術。それを集めた本書の性格上、芸能人の悪い話はほとんど書かれてないが、ごく一部の2枚目の有名俳優には失敗例が「反面教師に」として実名で書かれている。それをここで明かすわけにはいかないが、唯一、その人物だけは同書の絶版を願っているかもしれない。
(文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)

舘ひろしもガックリ……身売り騒動の老舗出版社「KKベストセラーズ」は大丈夫か

 出版社のが“身売り”されたとして、廃業の危機がささやかれているが、これに大物俳優の舘ひろしがガッカリしているという。

「昨年10月にベストセラーズから出た『生き残る芸能人のすごい処世術』という本の帯に、舘さんは推薦コメントを贈っているんですよ。でも、発行元が危ないという話を聞き、本がお蔵入りになってしまうのかと心配していたそうです」(芸能関係者)

 同書は情報番組の『ミヤネ屋』(日本テレビ系)や『バイキング』(フジテレビ系)にレギュラー出演する芸能記者・リポーター歴35年の城下尊之氏によるもので、人気の芸能人たちが舞台裏で見せた人心掌握や危機管理の術を紹介している、あまり例のない実用書。

 舘のほか、石原裕次郎、ビートたけし、明石家さんま、志村けん、松田聖子、福山雅治、坂上忍、綾瀬はるか、竹内結子、SMAPら、約80名の有名人たちが何気なくみせた処世術が書かれており、たとえば綾瀬は初対面の相手に必ず好印象を持たれるそうで、その極意をエピソードを交えて明かしている。その一部は『バイキング』内でもかなりの時間を割いて特集されたほどだ。

 舘は同書で、人目を避けて若い女子アナに伝えた“あるアドバイス”がピックアップされ、同書に「よく見てるよなぁ。記者の観察力ってすごいね」という推薦コメントを寄せていた。そんな本がお蔵入りの危機とあっては、舘が残念に思うのも当然だ。

 ベストセラーズは細木数子の六星占術シリーズなどのヒット書籍や、グラビアが売りの男性誌「CIRCUS MAX」、ファッション誌「Men’s JOKER」、競馬誌「競馬最強の法則」などで知られるが、近年は業績の落ち込みが伝えられて、先代オーナーによる従業員へのパワハラ問題が騒がれたこともあったほど揺れていた。さらに、先ごろオーナーの息子ら現トップ役員が株式を外部に売却したと伝えられたのである。

 新社長はM&Aに強い会計士だというが、業界内では「出版の人間ではなく産廃業とかにも関わってきた人らしく、事業を引き継ぐのではなく、本社不動産などの売却を見据えた会社の清算に入っているのでは」とささやかれる。

 現在、取引先への未払いなどの話はなく、事業の継続が困難な様子はないのだが、社内からも「新社長は出版業務にほとんど関心がなく、廃業を視野に資産の切り売りを進めていくのでは?」との不安めいた臆測も聞かれた。もし、そんな話が現実になれば出版事業が畳まれ、発行していた書籍が絶版となる可能性も出てくる。

 ある出版関係者によると「昔ならある程度の部数を刷っていたから、絶版になっても古本屋で手に入ったんですが、いまは初版の発行部数が極端に少ないので絶版となると本当に入手困難になる可能性が高い」という。

 ほとんど知られていなかった芸能界のイイ話がこの騒動の中で消えるとなれば、舘でなくとも残念な話だが、前出の芸能関係者は「舘さんはとにかく気配りのできる方なので、もしかすると本の心配をすることもまた彼なりの礼儀作法なのかもしれないですよ」と話している。

“処世術”に長けていないと成り上がれない独特の世界で成功したタレントの人心掌握術。それを集めた本書の性格上、芸能人の悪い話はほとんど書かれてないが、ごく一部の2枚目の有名俳優には失敗例が「反面教師に」として実名で書かれている。それをここで明かすわけにはいかないが、唯一、その人物だけは同書の絶版を願っているかもしれない。
(文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)

芳文社「まんがタイムファミリー」「ジャンボ」の休刊は、売れてないからじゃない! その真相とは……

「さすがに“まんがタイム”レーベルの雑誌は飽和状態になっていましたし、昨年から再編は予定されていたようです」

 そう話すのは、マンガ業界に詳しい編集者だ。四コママンガ雑誌の雄である芳文社が、突如「まんがタイムファミリー」と「まんがタイムジャンボ」の休刊を発表し、話題になっている。「まんがタイムファミリー」は1983年に、「ジャンボ」は95年に創刊された雑誌。どちらも、芳文社が刊行する「まんがタイム」の名を冠した四コマ誌の中でも、歴史のある雑誌である。

 芳文社は「まんがタイム」とは別に萌え系四コマが主体の「まんがタイムきらら」レーベルの雑誌も多数刊行。以前は「まんがタイム」が従来のいわゆる大人向け四コマ、「まんがタイムきらら」は萌え系四コマと住み分けがあった。しかし、近年ではアニメ化もされた『レーカン!』が「まんがタイムジャンボ」の連載作だったりと、住み分けは曖昧になっていた。

 そうした中で2誌が休刊に至った背景には、昨年来の人手不足に伴う再編があるのではないかと、ウワサされている。

 昨年10月には「まんがタイムきらら」レーベルで多数のアニメ化作品も掲載されていた「まんがタイムきららミラク」が、突然休刊を発表。この理由とされたのが人手不足と、増えすぎた雑誌の統廃合である。

「四コママンガに限っていえば、芳文社はいまだに同業他社の追随を許してはいません。ただ、マンガ雑誌そのものを“なんとなく買う”という人々が減少している中で、『刊行点数を増やして儲ける』とはいかなくなっています。雑誌の統廃合は、結果的に掲載作品のレベルアップにもつながると考えているのではないでしょうか」(冒頭の編集者)

 萌え系四コマが目立つ芳文社だが、植田まさしの『おとぼけ部長代理』が掲載される「まんがタイム」や、実験作も多数掲載される青年誌「週刊漫画TIMES」なども、いまだ手堅く部数を維持している。

 今回の2誌の休刊は「雑誌が売れない」といわれる風潮とは、まったく無縁のようだ。
(文=四コマ取材班)

芳文社「まんがタイムファミリー」「ジャンボ」の休刊は、売れてないからじゃない! その真相とは……

「さすがに“まんがタイム”レーベルの雑誌は飽和状態になっていましたし、昨年から再編は予定されていたようです」

 そう話すのは、マンガ業界に詳しい編集者だ。四コママンガ雑誌の雄である芳文社が、突如「まんがタイムファミリー」と「まんがタイムジャンボ」の休刊を発表し、話題になっている。「まんがタイムファミリー」は1983年に、「ジャンボ」は95年に創刊された雑誌。どちらも、芳文社が刊行する「まんがタイム」の名を冠した四コマ誌の中でも、歴史のある雑誌である。

 芳文社は「まんがタイム」とは別に萌え系四コマが主体の「まんがタイムきらら」レーベルの雑誌も多数刊行。以前は「まんがタイム」が従来のいわゆる大人向け四コマ、「まんがタイムきらら」は萌え系四コマと住み分けがあった。しかし、近年ではアニメ化もされた『レーカン!』が「まんがタイムジャンボ」の連載作だったりと、住み分けは曖昧になっていた。

 そうした中で2誌が休刊に至った背景には、昨年来の人手不足に伴う再編があるのではないかと、ウワサされている。

 昨年10月には「まんがタイムきらら」レーベルで多数のアニメ化作品も掲載されていた「まんがタイムきららミラク」が、突然休刊を発表。この理由とされたのが人手不足と、増えすぎた雑誌の統廃合である。

「四コママンガに限っていえば、芳文社はいまだに同業他社の追随を許してはいません。ただ、マンガ雑誌そのものを“なんとなく買う”という人々が減少している中で、『刊行点数を増やして儲ける』とはいかなくなっています。雑誌の統廃合は、結果的に掲載作品のレベルアップにもつながると考えているのではないでしょうか」(冒頭の編集者)

 萌え系四コマが目立つ芳文社だが、植田まさしの『おとぼけ部長代理』が掲載される「まんがタイム」や、実験作も多数掲載される青年誌「週刊漫画TIMES」なども、いまだ手堅く部数を維持している。

 今回の2誌の休刊は「雑誌が売れない」といわれる風潮とは、まったく無縁のようだ。
(文=四コマ取材班)

ライター稼業のカッコイイとはこういうことだ! 岩本太郎『炎上!一〇〇円ライター始末記 マスコミ業界誌裏道渡世』

「若い人が、こんなのは前世紀の遺物だとバカにして、頑張ってくれればいいなと思うんだ」

 朗らかに、そんなことをしゃべる岩本太郎は、本当に強い人なのだと思った。

 その岩本の著書『炎上!一〇〇円ライター始末記 マスコミ業界誌裏道渡世』(出版人ライブラリ)が、いま話題になっている。

 この本に刻まれるのは、自らを評論家でもなくルポライターでもなく「使い捨て100円ライター」と喝破する、岩本自身の人生の記録。世に、フリーランスの物書きの自称はさまざまある。フリーライターを名乗る者もいれば、○○(自身の得意分野が入る)ライターと名乗る者もいる。最近は、ウェブライターやブロガーを自称する者も。共通しているのは、ちょっと名が知られると、何かカッコイイ肩書に変えてみたくなる誘惑に取り憑かれる。自分のことを「作家」だとか「ジャーナリスト」と呼んでもらいたくなる。かくいう私も、一時期、名刺に「ジャーナリスト」と刷ってみたが、人に指摘されて恥ずかしさに気づいて止めた。

 そんな誘惑の多い売文稼業の中で、自身を「使い捨て100円ライター」とまで言い切れる岩本は、ハードボイルドを地で行く男だ。

 ハードボイルドといえば、この本の出版元である出版人の社長・今井照容も、そう。私が、今井と出会ったのは一昨年。ある雑誌から書評依頼を受けたのだが、まだ本が店頭になかったので神保町にある出版人のオフィスまで買いにいった時である。

「まあ、どうぞ」と椅子を勧められ、机に置かれたのは350mlの角ハイボール缶が2本。そのひとつを、グビッとやりながら、今井は言った。

「うちの会社は、お茶はないけど酒だけはあるんだ……」

 なんてハードボイルドな会社なのだろうか、と思った。四方山話をしながら、共通の知り合いを探っていると、岩本の名前が出た。

「今、うちの仕事も手伝ってもらっているんだ」

 今井が、岩本がマスコミに足を踏み入れる第一歩となった、東京アドエージに入社した時の上司だったことは、後から知った。

 岩手大学を卒業した岩本は、卒業式の2日後に上京した。なんのあてもなく、漠然と「マスコミで就職したい」と思って。新聞広告で見つけた「編集見習募集」を、社員募集だとは思わず、アポなしの挙げ句にジーンズ姿で、その会社を訪ねた。

 そして、採用された東京アドエージ。そこは、月刊誌「広告人連邦・日本の編集長」と、月3回刊の「東京アドエージ」を発行している出版社。その雑誌から香るのは、21世紀の今では考えられない怪しげな匂い。徳間書店の初代社長・徳間康快に請われて、徳間が経営していた「東京タイムズ」営業本部長だったこともあるワンマン社長が率いる会社。

 そこは、社長の多彩な人脈をもとにマスコミ業界の表と裏とが交錯する世界。この、横入りどころか、裏口の窓から入るような方法で、岩本の長い売文稼業はスタートした。岩本が東京アドエージで禄を食んでいた5年間。その間、時には社長と怒鳴り合い、時には連絡もなく消えていった同僚は40人あまり……。本全体の3分の1あまりのページを割いて刻まれる東京アドエージ時代の記述。それは、何の因果かマスコミ稼業を志してしまった若者を、容赦なくシゴキ倒す「虎の穴」のようなもの。何しろ、登場する人物ひとりひとりが、スターかのようにキャラ立ちしているのだから。

 そして、5年勤めた会社を辞めて、ユーラシアを放浪した岩本は、再び因果なマスコミ稼業へと舞い戻る。オビも書いている映画監督・森達也とも、映画『A』(1998)を観たことで偶然出会う。ともかくたどり着いたのは「使い捨て100円ライター」の売文渡世。傍から観てればカッコイイ。でも、自分はそうはなりたくない。そんな「善良な一般市民」の薄ら笑いが見えてきそうな、ハードボイルドな人生。

 そうはいっても、岩本は1964年生まれ。幸運なのか不幸なのか。まだまだ、残された人生には、余裕がある。だから、この本は総決算ではない過程の記録。では、これからのことは……?

「これからのことは、白紙ですよ」

 そういって、岩本はまた快活に笑う。

 売文稼業というものは、先のことはわからない。仕事が途切れることがあるのも当たり前。さまざまな出会いと別れと、意図せぬ運命に翻弄されながら、岩本は「その中で、なんとか生きている」。

「予測もつかない人生になってしまいました。人生というのは、予定を立てても狂うものです。その中で、こういう男もいたと、思ってくれればいいんじゃないかな」

 笑顔でそんな言葉を吐ける心を得るのは、容易なことではない。

 売文稼業の生き様は、苦悩、苦悩、また苦悩。

 自身の人生の選択に悩み、財布に残された全財産の少なさに悩み、原稿依頼の電話もなければ、メールの一つもやってこない日々に落ち込み。表面だけを取り繕ったような書き手が持てはやされていることに嫉妬する。

 岩本の笑顔には、そうしたものを通過して、取り憑くような言葉ではなく「人は人。俺は俺なのだ」という強さが見える。だから、この男はカッコイイ。

 先日、本の出版を記念して催された宴に、私も参加した。取材相手にのめりこみ、時には何時間でも何日も行動を共にする。そんな岩本の熱を感じたかったのか、会場には、多彩な顔ぶれが集まった。

 ともすれば、マスコミ業界裏面史のごとき立ち位置になりそうな、岩本の新著。でも、何者かになりたいと思って止まない若者。そして、青雲の志を諦めきれない中年も、読むべき本だと思うのだ。本当にカッコイイのは、こういうことなんだ……。
(文=昼間たかし)

児ポ販売で「湘南堂書店」摘発の神保町古書店街は“治外法権状態”だった? 警察官や政治家関係者も……

 古本愛好家や古書マニアに知られた東京・神田神保町の老舗古書店「湘南堂書店」が、児童ポルノの写真集や書籍の販売で摘発された。ただ、同書店での児童ポルノ販売はこのエリアで営業する同業者や常連客の間では知られていた様子で「摘発は時間の問題だった」という声もある。

「この界隈の古書店は、150店ぐらいのほとんどが神田古書店連盟に入ってるんです。違法な書籍なんかを扱っている店は入ってこれないんで、すぐわかるんですが、湘南堂がまさにそれ」と神保町で古書店を営む男性。

 地下鉄・神保町駅を中心とした古本屋街となっている同地域は、文豪・夏目漱石も縁の深い街だが、たくさんある古書店も、よく見れば特色があるという。

「古い文学書が得意な店や、歴史資料に精通した店、美術系やサブカルチャーなど、それぞれ強みがあるものです。ただ湘南堂は、パッと見は古書店でも、品揃えは半数ぐらいがエロ本で、他は量があるだけで一般書の特色があまり感じられなかったんです。お客さんから『あそこは違法なロリコン本を欲しがる人しか行かない』なんて話を耳にしたこともあります」(同)

 湘南堂は昭和46年に開店した老舗で、名物ストリートの神田すずらん通りにあるが、少し前に栗山千明が11歳のときに撮影したヌードが掲載されているプレミア写真集『神話少女』(新潮社)も陳列し、10万円で販売していた。同書が児童ポルノ法違反に該当したという話は聞かないが、そのあたり解釈に論争があることから、多くの古書店では店頭に並べてはいない。

「でも、そういうのを置いておけば、ロリコン客が察して『その手のあります?』って聞いてくるそうです。そこでさらに違法性が強い別の商品を紹介する流れがあるとか」(同)

 警視庁によると今回、湘南堂は5歳ぐらいの幼女を含む18歳未満の少女のヌード写真などが掲載された書籍を200冊以上も販売目的で所持していた疑いで、経営者の山田忠容疑者と長男の健雄容疑者は「経営が苦しかったから」と容疑を認め、従業員の織田健太郎容疑者は「知らなかった」と否認しているという。

 ただ、古書店のこうした摘発はこれが初めてで、「ここだけは保護区というか、特区のようなものだと思っていた」と話す古書マニアもいる。

「この界隈には、いわゆるビニ本と呼ばれる昭和のエロ本で栄えた書店があって、古本文化の一端を支えてきたんですよ。それが年々規制が厳しくなって、店主が仕入れた貴重本を常連客だけにこっそり売るということも多くありました。実際のところ、区域の担当警察官にも愛好家がいて、エロ本を買いながら『あまり目立たないようにね』と助言したりすることもあったんです」(同)

 一説には、湘南堂の客には以前、有名政治家の秘書がいたことが一部でウワサになり、その政治家の使い走りではないかという疑いも浮上した。児童ポルノは、それ自体に児童の被害者が存在するものであるが、他の先進国と比較すれば、違反者の罪悪感が低いといわれる。同店の摘発にも、その罪の重さを感じるより、肩を落とす愛好家の方が多いのだろうか……?
(文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

大量の「アリス・クラブ」が販売されていたことも……湘南堂だけじゃない!? 古書店で売られる“児童ポルノ”

 神保町・すずらん通りにある古書店「湘南堂書店」が児童ポルノを販売していたとして、店主ら3名が逮捕された事件が話題になっている。

 新聞各紙の報道によれば、同書店では写真集などを“プレミア価格”で販売。これが、タレコミによって当局の知るところとなったという。

 実写の少女ヌードなどを扱う、いわゆる“児童ポルノ”を販売することが法律で禁じられてから、来年でいよいよ20年を迎えようとしている。それでも古書店の店頭やネット販売で、現在では“児童ポルノ”として販売を禁じられている写真集や雑誌を見つけるケースは多い。

 ただ、今回の事件のように、それがロリコンにとっては大金を払ってでも欲しいということがわかった上で、プレミア価格をつけて販売している古書店というものは、少ないように見受けられる。

 以前、サブカルチャーに強い馴染みの古書店で「『ヘイ!バディー』は、まだ在庫にあるんじゃないの?』と聞いてみたことがある。「ヘイ!バディー」とは、白夜書房が発行していた、グラビアは少女ヌード、モノクロページはサブカル文化人の原稿だらけという伝説的雑誌。そのほとんどの号のグラビアは、ワレメ無修正である。すると店主はあきれた顔で、こう言った。

「あっても売れないよ……『ビリー』ならあるけど……」

 古書店でも「児童ポルノが含まれるものは、売ってはいけない」というのは常識。それでも、古書店の店頭や市場に出回ることは、けっこうある。

「だいたいは無意識で陳列したり、ネットに登録したりするものだけど……まあ、これくらいならいいか……と、売ってしまう古書店も、ままあるものです」(ある古書店主)

 最近は、古書の販売もネットが主流になりつつある。大量に扱う中で、チェックしきれないのだろう。特定のキーワードで検索していると、ときどき“児童ポルノ”に該当する写真集や雑誌が浮上してくる機会は多いものだ。

 それとは別に、店頭で大量に「児童ポルノ」が並んでいるところを、過去何度も見たことはある。一度、店員に聞いて見たことがあったが「大量に持ち込まれたので……」と言う。どうも、マニアが死んだか何かで遺品を整理していた家族が処分に困って持ち込んだようだった。その時並んでいたのは、大量の「アリス・クラブ」と「小説アリス」だったが。引き取ったから売るのも、どうかと思う。でも、死後、これを見つけた家族の心中を察するに痛い。

 結局のところ、警察当局による取り締まりの主眼は、現在もリアルタイムで被写体となる児童が虐待されている可能性がある部分に当てられている。それらは、主にネットを通じて取引されており、大量の犯罪者の摘発も容易だからだ。

 今回のように、あまりに堂々と販売している事例は、むしろレアケースだと思いたい。
(文=昼間たかし)