コウカズヤ、週刊誌報道に見る「上原多香子というオンナ」を見誤っている点

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「ダメな男が好きな女に愛されるとつらい」コウカズヤ
「週刊女性」(主婦と生活社、1/16・23合併号)

 若くして夫を亡くした悲劇の妻。

 3年前にミュージシャンである夫・TENN氏が自死した際、残された女優・上原多香子に同情が集まった。自殺の原因は上原との収入格差とも言われたが、実際は舞台で共演した俳優・阿部力との不倫だった。TENN氏の願いで公表を控えていたものの、慰謝料を払おうとしない、勝手に籍を抜くなどの上原の誠意のなさに怒った遺族が、上原と阿部のLINEのやりとりといった不倫の証拠と共に「女性セブン」(小学館)で公表した。上原は「夫を死においやったオンナ」としてバッシングされ、休業に追い込まれる。

 現在の上原は阿部とも別れ、演出家のコウカズヤ氏と交際中。コウは人気の高い演出家ではあるが、小劇場を中心とした活動をしているので、収入の安定は見込めない。上原も現在は仕事をしてないので、収入はゼロ。上原はタワーマンションを引き払って、オートロックのないマンションでコウと同棲中であると、「週刊女性」(主婦と生活社)が報じた。同誌によると、コウは上原の不倫の過去を知らなかったそうで、「自分に彼女を支えられるか不安だ」「こういう仕事なので、正直結婚は難しい」と周囲に漏らしていたという。

 上記の発言をまとめると、コウは以下のように考えている可能性がある。

1.自分の不倫が原因で夫が自殺し、ショックを受けたはずだ。いろいろなストレスやトラウマを抱えている彼女を、自分は支えなくてはいけない。
2.同棲中で経済力もない彼女は、自分と結婚したいと思っているはずだ。

 コウが実際にこう考えているとしたら、理に適っているが、見落としていることが1つある。それは、上原を“フツウの女性”と一緒にしていることである。“フツウの女性”が何かを定義すると「原因と目的がはっきりしている女性」である。

 「ツラいことがあったら、男性に支えてほしい」「同棲するのは、結婚のため」「金銭的に余裕のある生活をしたいので、金持ちと付き合う」という思考は、典型的な“フツウの女性”のものである。

 それに対し、上原のような女性を、私は“フツウでない女性”だと思う。それは、忘却力が高く、原因も目的も必要とせず、何となくカンで生きていける人のことを指す。コウは上原の不倫を知らなかったそうだが、それは上原がメンタル面で不安定さを感じさせなかった証拠と捉えることもできるのではないか。もしそうなら、上原は恋愛をしても“男に支えてもらう必要がないタイプ”ともいえるのである。さらに言うと、自分の不倫で人の命が失われたことに、上原が本当に凝りていたら、不倫相手とも違う男性と簡単にくっつくことはしないだろう。やはり上原は“フツウの女性”ではないのである。

 結婚についても、「同棲しているのは、結婚願望があるから」と考えていいのは“フツウの女性”の場合で、上原にはあてはまらないように思う。一世を風靡したアイドルである上原のファンで、救いの手を差し伸べたい男性はいくらでもいるはずだ。今は上原に仕事がないので同棲生活を送っているが、もし上原に不自由をさせない男性と知り合うことがあれば、超忘却力を発揮して、突然いなくなってしまうことも十分あると私は思う。

 念のため申し添えると、私は上原の行動をとがめたいわけではなく、そういう習性に生まれついている女性が一定数いると言いたいのである。

 「週女」の記事によれば、コウは「(自分のことも含めて)ダメな男が好きな女に愛されるとつらいよ」と言ったそうである。ここで思い出したのが、元日に放送された『今夜くらべてみました 元旦から生放送三時間スペシャル』(日本テレビ系)に出演した作家・瀬戸内寂聴である。

 好きな男性のタイプを聞かれた寂聴は、「才能があって開花しないダメ男が好き」と発言した。実際、寂聴の交際相手は、不倫であったが作家の小田仁二郎(天才の呼び声高く、芥川賞や直木賞の候補になるが受賞せず)、一般人男性(駆け落ちの約束までした男性。事業に必要な金を寂聴が出資するが、失敗。男性は自殺)と運がないことは確かである。そして、一方の寂聴は文化勲章を受章するまでに登り詰めた。

 ここまでくると、男がダメというより、女が尋常でなく生命力にあふれているために、潰されてしまったとも言えるのではないだろうか。

 上原に関する週刊誌の記事は、うっすら上原をとがめる論調のものが多いが、そんなことしても上原がダメージをうけるとは思えないし、上原を愛する男も後をたたないだろう。それよりも心配なのは、上原と交際する男性(たち)の今後である。どうぞ、くれぐれもメンタルに気を付けてお過ごしくださいと言うしかない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

ブルゾンちえみ、「女のイヤはイヤじゃない」ネタに見る“芸人として致命的すぎる”欠点

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「エンタメが好きです」ブルゾンちえみ
『ボクらの時代』(フジテレビ系、12月24日)

 2017年、ブルゾンちえみが、キャリアウーマンの「35億」ネタで大ブレークを果たした際、ある週刊誌に「ブルゾンを含んだぽっちゃりオンナ芸人がブレークしているのは、なぜか」についてコメントを求められたことがある(その企画はとん挫したので、コメントを出さずに終わった)。

 ブレークの原因は、体形というより、あのメイクとファッションではないかと私は思う。ブルゾンのネタは、“仕事もプライベートも充実しているキャリアウーマン”が、友人のクミちゃんに、海外ドラマ調にアレンジした“恋愛のアドバイス”を語るスタイルを取っている。ブルゾンは、髪をかき上げ、腰をくねらせ、脚を組みかえ、ささやく……といった、いいオンナ感満載でネタに臨むが、当のブルゾンのファッション(黒と白の太いボーダーのシャツ)やメイク(ダークレッドの口紅、下まぶた全体へのアイライン、上まぶたはリキッドで外ハネのライン)はかなり個性的で、日本人男性に受け入れられるとは思えない。日本ではモテなさそうな女がセクシーを装って上から恋愛を語ったり、「オンナに生まれてよかった」と勘違いふうに振る舞うのがおかしさを誘い、また、それを“自由”で良いと感じた女性が多かったのではないだろうか。

 ブルゾンと言えば『人は見た目が100パーセント』(フジテレビ系)で女優業に挑戦し、高い評価を受けた。その際の共演者である女優・水川あさみ、桐谷美玲と『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演したブルゾンは、自分の肩書について「エンタメが好き」なのであり、「世がタレントと呼ぶならタレントだし、芸人と呼ぶなら芸人でいい」と発言した。友近のように、お笑い芸人も女優業に進出したり、歌を出す時代なので、最初から1つに決めてしまいたくないという意味かもしれないが、見方を変えると、この人、実は何でもいいという意味で不誠実なのではないかとも思えるのである。

 ブルゾンは以前、占い師のネタを無断でパクった疑惑を「週刊文春」(文藝春秋社)に報じられ、「パクリというか、インスピレーションというのか、感じ方は人それぞれです」と開き直ったコメントを出していた。事務所が大きいので強気を通したのかもしれないものの、自分がネタを作っているプロの芸人なら、一言一句違わないようなネタで活動される不快感がわかるはずである。

 ブルゾンの節操のなさは、『ぐるナイ!新春おもしろ荘』(日本テレビ系、1月1日放送)にも表れていた。

 白いノースリーブのワンピースを着たブルゾンが、“素直になれない系女子”として、「男子、これだけは覚えておいてほしい。女のイヤはイヤじゃない」という新ネタを発表。好きな男性に、自分が口をつけたペットボトルの水を飲まれることや、足をくじいた際に優しくされることを、拒否してしまう女性のネタだが、それを「女のイヤはイヤじゃない」と結んでしまうのは、乱暴すぎる。人は自分の都合のいいように情報を解釈するので、例えば、男性が交際を申し込んできた、またはセックスに誘ってきた際、女性側が「イヤ」と言ったとしても、「女のイヤはイヤじゃない」というブルゾン理論を信じた男性が、引き下がらず犯罪沙汰になる可能性も出てくるからだ。

 2016年に女優・高畑淳子の息子・祐太が、強姦致傷で逮捕され(不起訴となった)、17年にはジャーナリストの伊藤詩織氏がレイプ事件の逮捕状を握りつぶされたことを訴えた。ハリウッドの大物プロデューサーがセクハラを告発されたことで、世界中の女性がTwitterでセクハラを告発するなど、セクハラや合意のないセックスについて断固拒否をつきつける気運が高まっている今、「女に生まれてよかった」ネタでブレークしたブルゾンが、昭和丸出しの白ワンピで「女のイヤはイヤじゃない」と言い出すのは、理解しがたい。

 ブルゾンは『ボクらの時代』で、自分が相手に好意を持っていることを悟られたくない、相手から告白してほしい、またシャイな男性が好みのため、恋愛が成就する確率が非常に低いと語っていた。もしかしたら、自分のその性質を「女のイヤはイヤじゃない」というネタにしたのかもしれない。ブルゾンがセクハラやレイプを認めているとはもちろん思わないが、「悪意を持って眺めたら、このネタはどう解釈されるか」「自分のファン以外の人も見ているテレビで、このネタをやったらどう受け止められるか」を自分で考えることができないのは、芸人としてまずいと言わざるを得ない。

 ブルゾンはフリートークがヘタで、会話をふくらませたり、盛り上げることができない。『今夜くらべてみました 元旦から生放送3時間スペシャル』(日本テレビ系)で、渡辺直美邸(港区の家賃130万円のマンション)を訪れた際、「インテリアが完璧だと心の距離ができてしまう」と表現して、微妙に渡辺の機嫌を損ねていたが、恐らく、自分にしか興味がないので、盛り上げ方がわからないのだろう。しかし、テレビで活動していくのなら、売れた今だからこそ、「自分がこう思う」では、芸人として成立しないことに、気づいた方がいいのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

マツコ・デラックス、毒舌の方向性に変化――最近の「ブス攻撃」に隠された標的とは?

<今回の有名人>
「たいがいブス」マツコ・デラックス
『5時に夢中!』(TOKYO MX、12月18日)

 毒舌が人気とされる芸能人は、年月の経過とともに、毒舌の方向性を変えていく。2005年『5時に夢中!』(TOKYO MX)で本格的なテレビデビューを果たし、瞬く間に国民的人気を博したマツコ・デラックスも例外ではない。

 テレビに現れて10年余、マツコは3回、微妙に毒舌の方向性を変えていると私は思っている。まずはI期。テレビに出始めた頃のマツコは「口は悪いがユーモアと観察眼があり、情に厚い」というドラマや映画によくいるおネエと一致したキャラで登場する。

 中村獅童が飲酒運転と信号無視をして警察に捕まった時、同乗していたのが女優の岡本綾だった。獅童は竹内結子と結婚していたので不倫の疑いがあったものの、コメントを求められたマツコは、

「本当は一緒にいたのは、(元プロゴルファーの)岡本綾子さんだったんじゃないの?」

と茶化して笑いを誘った。民放のワイドショー的な切り口に飽き飽きしていた視聴者は、だんだんマツコの笑いに魅了されていく。この頃は、頻繁に「ブスが調子に乗ってんじゃないよ!」といった、いかにもおネエがいいそうな発言をよくしていたし、酒井法子が覚せい剤取締法違反で逮捕された時、「週刊朝日」(朝日新聞出版)に「そもそも酒井法子は全然清純じゃない」「あんな気の強いオンナいないよ」といった悪口とも取れる内容のコメントを出していた。

 続いてII期。政治や経済に対するマツコのコメントにも支持が集まり、視聴者の評価も「おネエだから面白い」から「面白いコメンテータがおネエ」に変わっていく。JALのキャビンアテンダント、附属校からエスカレート式での大学卒業組、美魔女、田園都市線沿線エリアなど、一般的に、世間があこがれているもの、もてはやされているものについて、マツコはばっさり「価値がない」と斬っていく。

 マツコの人気はうなぎのぼりで、ご意見番を通り越して「マツコの発言は、全部正しいに決まっている」という空気も漂い出す。冠番組を持ち、CMに出るようになった影響もあって、マツコは発言に慎重になり、ブスのように“生まれつきのもの”“変えられないもの”に対して厳しいコメントはしなくなっていく。毒舌で名を成したマツコが、毒を吐けなくなると、自分のタレント生命にも関わってくる。マツコ自身も危機感を持っていたのではないだろうか。

 そして、17年の11月6日をもって、マツコはIII期に入ったと私は信じている。『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演したマツコは、「(太っていておなかが出ているので)自分の足元が見えない」と、自分で自分の体形をいじってみせた。これは私が知る限り、初めてのことだ。マツコは共演する芸能人に体形をいじらせることは許しても、自分から発言することはなかったのだ。

 自らの体形いじりとともに解禁したのが、ブス攻撃である。

 12月18日放送の『5時に夢中!』で、マツコは「健康にいいだのなんだの言って、コンビニで常温の水を選ぶのは、たいがいブス」と発言していた。ブスという差別語を使うことは、イメージダウンになりかねないが、マツコは毒舌の活路をブスに見いだしたのではないだろうか。人のことをブスと言う代わりに、自分の体形のことも攻撃することで「上から目線」という批判を封じて、バランスを図っているように私には思えるのだ。

 ブスという言葉に嫌悪感を抱く視聴者もいるだろうが、ここで考えてみたいのはブスとは何かということだ。

 美人の証明はしやすい。女優やモデルなど外見でお金を稼げる職業の女性は、あきらかに美人といえる。しかし、ブスは定義することも証明することもできない。「他人にブスと言われたらブスと判断すべき」という人もいるだろうが、「オタサーの姫」という言葉もある通り、環境が変われば評価は変わる。女優やモデル、女子アナといった美人職の場合でも、人が集えば上下が発生して、その中でブス呼ばわりされる人が出てくる。つまり、美人職の上位集団を除けば、ブスは誰にでもなる可能性があり、特定不可能ということになる。

 ブスについて、こんな話を聞いたことがある。適性がなくてすぐにクビになったものの、私がかつて漫画の原作をしていた時、編集者に「ブスを主人公にしてはいけない」と言われた。表面的なふるまいはさておき、自分のことを心からブスだと思っている人はほとんどおらず、自分を高く見積もっていることの方が多い。なので、ブスを主人公にしてしまうと、私には関係ない話だと感情移入してもらえなくなるからというのが、その理由だった。

 ブスが特定不可能であることと、編集者の話をまとめると、「ブスは確かに存在するが、私ではない」と捉えている人が多いということになる。となると、ブスは本人の自意識の問題ということになるのではないだろうか。

 また、マツコはブス発言の際、表現に気を使っている。

 「コンビニで常温の水を買う〇〇(個人名)はブスだ」と名指しする発言は誰かを傷つけるが、「コンビニで常温の水を買うのは、たいがいブス」という、相手を特定しない表現にして、うまく逃げているのだ(コンビニで常温の水を買ったとしても、私はブスではないと本人が思えば差別は成立しない)。

 おそらくマツコ本人も、自分がここまで人気が出て、一種の権力になるとは思ってもいなかっただろう。今、マツコがかつてのように毒舌を吐くと、単なる“見下し”になってしまう。だから、マツコはブスという名の自意識に照準を定めたのではないだろうか。

 マツコといえば、「インスタグラムが嫌い」と各番組で公言しているが、インスタグラムが伝えたいのが、「おいしいもの」ではなく「おいしいものを食べた私」という自意識であることから考えると、マツコがターゲットにしているのは、ブスやインスタそのものではなく、やはり自意識に思えてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

マツコ・デラックス、毒舌の方向性に変化――最近の「ブス攻撃」に隠された標的とは?

<今回の有名人>
「たいがいブス」マツコ・デラックス
『5時に夢中!』(TOKYO MX、12月18日)

 毒舌が人気とされる芸能人は、年月の経過とともに、毒舌の方向性を変えていく。2005年『5時に夢中!』(TOKYO MX)で本格的なテレビデビューを果たし、瞬く間に国民的人気を博したマツコ・デラックスも例外ではない。

 テレビに現れて10年余、マツコは3回、微妙に毒舌の方向性を変えていると私は思っている。まずはI期。テレビに出始めた頃のマツコは「口は悪いがユーモアと観察眼があり、情に厚い」というドラマや映画によくいるおネエと一致したキャラで登場する。

 中村獅童が飲酒運転と信号無視をして警察に捕まった時、同乗していたのが女優の岡本綾だった。獅童は竹内結子と結婚していたので不倫の疑いがあったものの、コメントを求められたマツコは、

「本当は一緒にいたのは、(元プロゴルファーの)岡本綾子さんだったんじゃないの?」

と茶化して笑いを誘った。民放のワイドショー的な切り口に飽き飽きしていた視聴者は、だんだんマツコの笑いに魅了されていく。この頃は、頻繁に「ブスが調子に乗ってんじゃないよ!」といった、いかにもおネエがいいそうな発言をよくしていたし、酒井法子が覚せい剤取締法違反で逮捕された時、「週刊朝日」(朝日新聞出版)に「そもそも酒井法子は全然清純じゃない」「あんな気の強いオンナいないよ」といった悪口とも取れる内容のコメントを出していた。

 続いてII期。政治や経済に対するマツコのコメントにも支持が集まり、視聴者の評価も「おネエだから面白い」から「面白いコメンテータがおネエ」に変わっていく。JALのキャビンアテンダント、附属校からエスカレート式での大学卒業組、美魔女、田園都市線沿線エリアなど、一般的に、世間があこがれているもの、もてはやされているものについて、マツコはばっさり「価値がない」と斬っていく。

 マツコの人気はうなぎのぼりで、ご意見番を通り越して「マツコの発言は、全部正しいに決まっている」という空気も漂い出す。冠番組を持ち、CMに出るようになった影響もあって、マツコは発言に慎重になり、ブスのように“生まれつきのもの”“変えられないもの”に対して厳しいコメントはしなくなっていく。毒舌で名を成したマツコが、毒を吐けなくなると、自分のタレント生命にも関わってくる。マツコ自身も危機感を持っていたのではないだろうか。

 そして、17年の11月6日をもって、マツコはIII期に入ったと私は信じている。『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演したマツコは、「(太っていておなかが出ているので)自分の足元が見えない」と、自分で自分の体形をいじってみせた。これは私が知る限り、初めてのことだ。マツコは共演する芸能人に体形をいじらせることは許しても、自分から発言することはなかったのだ。

 自らの体形いじりとともに解禁したのが、ブス攻撃である。

 12月18日放送の『5時に夢中!』で、マツコは「健康にいいだのなんだの言って、コンビニで常温の水を選ぶのは、たいがいブス」と発言していた。ブスという差別語を使うことは、イメージダウンになりかねないが、マツコは毒舌の活路をブスに見いだしたのではないだろうか。人のことをブスと言う代わりに、自分の体形のことも攻撃することで「上から目線」という批判を封じて、バランスを図っているように私には思えるのだ。

 ブスという言葉に嫌悪感を抱く視聴者もいるだろうが、ここで考えてみたいのはブスとは何かということだ。

 美人の証明はしやすい。女優やモデルなど外見でお金を稼げる職業の女性は、あきらかに美人といえる。しかし、ブスは定義することも証明することもできない。「他人にブスと言われたらブスと判断すべき」という人もいるだろうが、「オタサーの姫」という言葉もある通り、環境が変われば評価は変わる。女優やモデル、女子アナといった美人職の場合でも、人が集えば上下が発生して、その中でブス呼ばわりされる人が出てくる。つまり、美人職の上位集団を除けば、ブスは誰にでもなる可能性があり、特定不可能ということになる。

 ブスについて、こんな話を聞いたことがある。適性がなくてすぐにクビになったものの、私がかつて漫画の原作をしていた時、編集者に「ブスを主人公にしてはいけない」と言われた。表面的なふるまいはさておき、自分のことを心からブスだと思っている人はほとんどおらず、自分を高く見積もっていることの方が多い。なので、ブスを主人公にしてしまうと、私には関係ない話だと感情移入してもらえなくなるからというのが、その理由だった。

 ブスが特定不可能であることと、編集者の話をまとめると、「ブスは確かに存在するが、私ではない」と捉えている人が多いということになる。となると、ブスは本人の自意識の問題ということになるのではないだろうか。

 また、マツコはブス発言の際、表現に気を使っている。

 「コンビニで常温の水を買う〇〇(個人名)はブスだ」と名指しする発言は誰かを傷つけるが、「コンビニで常温の水を買うのは、たいがいブス」という、相手を特定しない表現にして、うまく逃げているのだ(コンビニで常温の水を買ったとしても、私はブスではないと本人が思えば差別は成立しない)。

 おそらくマツコ本人も、自分がここまで人気が出て、一種の権力になるとは思ってもいなかっただろう。今、マツコがかつてのように毒舌を吐くと、単なる“見下し”になってしまう。だから、マツコはブスという名の自意識に照準を定めたのではないだろうか。

 マツコといえば、「インスタグラムが嫌い」と各番組で公言しているが、インスタグラムが伝えたいのが、「おいしいもの」ではなく「おいしいものを食べた私」という自意識であることから考えると、マツコがターゲットにしているのは、ブスやインスタそのものではなく、やはり自意識に思えてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

にゃんこスター・アンゴラ村長、大先輩・モモコへの発言に見る「自己中」「今どき」な思考回路

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「今日、ごはんに連れて行ってくださいって言おうと思いました」にゃんこスター・アンゴラ村長
『ナカイの窓』(日本テレビ系、12月6日)

 「感覚が違う」「新しい」という意味で、“今どき”だなと思う女性有名人が2人いる。

 1人目はフジテレビ・山崎夕貴アナウンサー。元横綱・日馬富士が幕内力士の貴ノ岩を暴行した原因は、「横綱・白鵬が貴ノ岩を説教中に、携帯をいじるという“非礼”がきっかけとなった」といわれているが、数年前に山崎アナも同じようなことをしている。

 オリコン主催の「好きな女性アナウンサー」にランクインするなど、フジテレビのエースとなりつつあった山崎を、石橋が鮨屋に連れて行った時のこと。山崎は、石橋と話している最中に携帯をいじった上に、かかってきた電話に断りも入れずに出たことを『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)で暴露されていた。「まいっちゃった」と石橋が自嘲気味に笑い、スタジオからも追従笑いが起きる。が、当の山崎アナは、笑うでも謝罪するわけでもなく、表情にも変化は見られなかった。

 石橋のような大物芸能人を前に、女子アナが非礼を働くというのは、フジテレビの一種のお家芸で、かつて木佐彩子アナがよくやっていた。帰国子女である木佐アナは、漢字や敬語が苦手だったがゆえの非礼なのだが、あくまでもカメラが回っている時なので、双方遺恨はない。

 しかし、プライベートは違う。食通で知られる石橋が、山崎のような人気アナウンサーを庶民的な店に連れて行くとは考えづらい。さらに言うと、大物の自覚がある石橋が、山崎アナと割り勘にすることはあり得ないだろう。業界の大物にご馳走してもらうのに、しかも、怒らせたら面倒くさそうな石橋相手にそりゃないだろうと思うが、こういう思考回路こそ“古い”のだと思う。

 「誘われたから、もしくは断りきれなかったから、鮨屋に行った」「だから、高い店だろうと安かろうと、私には関係ない」「電話に出たのは、仕事中ではないから」――山崎の“言い分”を勝手に想像すると、こんな感じなのではないか。

 石橋をはじめとした古い人は、「自分クラスのポジションの人間に誘われたら、うれしくてたまらないはず」と思っているものの、“今どきの人”にとって、上司や取引先は仕事中の人間関係であって、まるで会社の中の自販機のように、定時が過ぎたら用はないのではないだろうか。偉い人であろうと、そうでなかろうと、基本的に自分にしか興味ないのが“今どき”なのである。

 山崎アナの“今どき”感が最大限に発揮されたのが、『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に、俳優・小泉孝太郎が出演した時のことである。孝太郎は言わずとしれた小泉純一郎元首相の子息だが、「家事は全部女性にやってほしい」と発言すると、山崎アナは「器の大きさがほしい」「私のカレは全部やってくれる」と反論していた。山崎アナの彼氏は、お笑い芸人・おばたのお兄さんで、売れている芸人とは言いがたい。総理大臣の息子の前で、売れない芸人を褒めることができるのも、“今どき”だと私は感じる。

 2人目の“今どき”の人。それが『キングオブコント2017』で、一躍、時の人となった、にゃんこスターのアンゴラ村長である。顔のパーツこそ違えど、大きく見開いた目と、口をとがらす仕草が、往年の広末涼子を思わせて女性の敵が多そうな印象を受ける。アンゴラ村長は23歳と若い分、“今どき”感が山崎アナより強いのだ。

 『ナカイの窓』(日本テレビ系)は、芸能人のトーク内容をもとに、専門家が「心理学的に〇〇な人」という診断をつける番組だが、12月6日放送の回は、いつもと趣向が異なり、ドッキリを敢行。心理学者が、ゲストのハイヒール・モモコを「威圧的なので、これからの時代、危ない人」と断言、ゲストMCの次長課長・河本準一、モモコがそれに反発するというヤラセのケンカを繰り広げ、平成生まれの女芸人(アンゴラ村長、ガンバレルーヤ、たまかつなな)が、どう対応するかで深層心理を見るという内容だった。

 たかまつは「先輩風を吹かしていると思ったことはない」、ガンバレルーヤは「番組前に、どんどん言いたいことを言っていいと言ってくださった」と、モモコが“してくれたこと”を披露し、モモコを擁護する。しかし、アンゴラ村長は「今日、ごはんに連れて行ってくださいって言おうと思いました」と、1人だけ“自分の気持ち”を話しているのである。

 おそらく「『ごはんに連れて行ってください』と言いたくなるほど、優しい先輩」と言いたかったのだと思うのだが、お笑いの世界でよく言われる「先輩が払う」システムからすると、食事に連れて行くメンバーを決めるのは、先輩(この場合、モモコ)であって、アンゴラ村長ではない。「先輩に食事に連れて行ってもらって、うれしい」という思考回路が旧式、「誘われたから、行っただけ」という思考回路が山崎式だとすると、アンゴラ村長はもっと進んで「優しい先輩だから、食事に行ってやってもいい」という、さらに進んだ“今どき”の思考回路といえるのではないだろうか。

 自分から食事をねだるのは、オトコ芸人には喜ばれるだろうが、共演回数の少ない同性の先輩だと図々しいと思われる可能性もある。しかし、後輩の頼みを断ると先輩の了見に関わるので、表向きは「いいよ、連れて行くよ」となるのが同性の怖いところである……が、書いているうちに気づいた。こういう人は、自分中心なので、怖さなんてまるで感じない。一発屋の気配濃厚だが、アンゴラ村長は案外生命力のある芸能人になりそうだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

高橋真麻、テレビに出るために「不幸でいたい」戦略の落とし穴

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「不幸でいたい」高橋真麻
『ダウンタウンDX』(日本テレビ系、11月30日)

 10代の頃の高橋真麻を、私は見たことがある。

 といっても、もちろん私は知人でもなんでもなく、真麻はお嬢さま女性誌「25ans」(ハースト婦人画報社)に、“俳優・高橋英樹のご令嬢”として頻繁に登場していたのだ。高橋夫妻は何度も流産を経験している。真麻を妊娠中にも、何度も流産の兆候があったそうで、英樹は子どもが無事に生まれてきますようにと、道端のお地蔵さんや、来日していたローマ法王のテレビ画像にも手を合わせるほど、信心深くなったという。そんな真麻誕生秘話が、雑誌に書いてあったように記憶している。都内の名門女子高校に通う真麻が、英樹ゆずりの鼻をカメラに向け、誌面で毎回違う振り袖姿を披露し、屈託なく微笑んでいた姿を今も覚えている。

 そんな真麻が、フジテレビの女子アナとして登場し、父親が有名俳優・高橋英樹だと知れると、「あのルックスでフジに入社できるのは、父親のコネを使ったからではないか?」と、ネットでバッシングが始まる。女子アナの入社試験の倍率は数千倍ともいわれるが、たまたま有名人の娘に生まれたというだけで、そのポジションを得られることに納得がいかない人もいるだろう。

 が、世の中はそんなに甘くない。授業料を払って学歴を得る学生と違って、社会人は成果をあげなければ、仕事は来ないし、給料も上がらない。各局にはそれぞれ、見ない日はないというくらい出ずっぱりの人気アナウンサーもいるが、それは逆に言うと、仕事がない女子アナも存在するということである。英樹が直々に「うちの娘を頼む」と言ったのか、テレビ局が忖度して真麻を採用したのかは不明だが、ラクをして入社すると、ツケを払わされて苦労するのは本人である。

 実際、入社後の真麻は苦労したように私には見える。『おしゃれイズム』(日本テレビ系)で真麻は、「ネットで叩かれて激痩せして、可愛くないなら、細いと言われたくなった」「ラーメンの麺1~2本しか食べられず、38キロまでいった」と、精神的に相当追い込まれていたことを明かしていた。

 局が特別扱いしていないと示すためか、真麻は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)で、とんねるずに一斗缶で殴られ、熱湯をかけられていた(スタジオに英樹がいて、娘の姿を見て笑っていたが、これは「親公認のイジリであってイジメではない」というエクスキューズだと思われる)。また、お正月特番で、着付けのために女子アナが早朝に集合をかけられる中、真麻だけは顔の出ない着ぐるみを着させられ、その番組を見た真麻の母ががっかりしていたと『ウチくる!?』(フジテレビ系)で話していたこともある。

 資本主義社会では、払ったカネに応じた扱いを受けるものだ。お嬢さまである真麻は、数々の特権を味わい、それが彼女自身の自己評価に影響を与えているように思う。だからこそ、女子アナを目指したのだろうが、念願の女子アナになってテレビには出られても、自尊心を破壊されるような扱いを、真麻が本当に受け入れていたかは疑問である。

 真麻は表面上、テレビの二元論的価値観を受け入れる。テレビでは、「既婚者は独身より幸せ」「子持ちは子ナシより幸せ」で、「オンナ芸人はモテない」といった決めつけのもとに作られているが、真麻はこのルールに沿って、自分は「視聴者より下」であると印象付けることを、自らに課したようだ。ブログにぼっち飯を載せたり、交際中の彼氏とのノロケを書かないかわりに“うまくいっていないこと”をたびたびアピールするのは、一種の“サービス”なのだろう。

 11月30日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した真麻は、彼氏と結婚しない理由について聞かれると、「仕事が第一」「人は人の幸せに興味がない」「家族も仲良し、仕事も順調、新婚さんでラブラブになんて怖い」「だから、不幸でいたい」と話していた。幸せになってしまうと、視聴者にそっぽを向かれて、仕事が減ると考えているのだろう。

 お嬢さまなりに、一生懸命、世の悪意について考えたのだろうが、いかんせん、お嬢さまなので詰めが甘いというか、底が浅い。もし真麻が本当に「仕事が第一」なら、結婚して子どもを産む方がいいのだ。

 テレビが独身女性を不幸、結婚できないとイジるということは、テレビで働く真麻にとっては、仕事が増えることになるのでおいしい。しかし、この独身イジりには条件があり、「結婚できないはずがないから、笑える、イジれる」のである。具体的に言うのなら、「モテそうなルックス、職業である」「まあまあ若いこと」が条件であり、40歳以上の芸能人がイジられることは滅多にない(あるとしたら、井森美幸のように、とてもその年齢には見えない美しさを保っている場合である)。真麻は現在36歳。あと数年もすると、番組側がイジる対象でなくなる。今の営業方針では、頭打ちになる時が来るのだ。

 もう1つ、真麻の言う「人は人の幸せに興味がない」のは事実だろうが、不幸であればウケると言い切れるほど、視聴者心理は単純なものではないと私は思っている。

 バラエティの常連タレントたちは、年齢ごとに微妙にスタンスを変えている。例えば、HKT48・指原莉乃、フリーアナウンサー・田中みな実ら、20代半ばからアラサー世代に属する若いチームは、“自虐”で売っているが、真麻と同年代の女優・遠野なぎこや佐藤仁美は、自分の不幸経験をさらすことはあっても、“自虐”はしない。これは単なる偶然ではなく、意図的なものだろう。幸せを貯金と置き換えてみよう。若い時に、貯金がない(不幸である)の仕方ないことだが、ある程度の年齢になって貯金がない(不幸である)と、「何やっていたんだ」と言われるのと一緒である。

 真麻が本当に「仕事が第一」なら、テレビの世界が認定する幸せ、つまり“結婚して子どもを持ち”、悩みはあるけれど「まあまあ幸せ」を演出した方が、視聴者の気持ちはつかめると思うのだが。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

高橋真麻、テレビに出るために「不幸でいたい」戦略の落とし穴

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「不幸でいたい」高橋真麻
『ダウンタウンDX』(日本テレビ系、11月30日)

 10代の頃の高橋真麻を、私は見たことがある。

 といっても、もちろん私は知人でもなんでもなく、真麻はお嬢さま女性誌「25ans」(ハースト婦人画報社)に、“俳優・高橋英樹のご令嬢”として頻繁に登場していたのだ。高橋夫妻は何度も流産を経験している。真麻を妊娠中にも、何度も流産の兆候があったそうで、英樹は子どもが無事に生まれてきますようにと、道端のお地蔵さんや、来日していたローマ法王のテレビ画像にも手を合わせるほど、信心深くなったという。そんな真麻誕生秘話が、雑誌に書いてあったように記憶している。都内の名門女子高校に通う真麻が、英樹ゆずりの鼻をカメラに向け、誌面で毎回違う振り袖姿を披露し、屈託なく微笑んでいた姿を今も覚えている。

 そんな真麻が、フジテレビの女子アナとして登場し、父親が有名俳優・高橋英樹だと知れると、「あのルックスでフジに入社できるのは、父親のコネを使ったからではないか?」と、ネットでバッシングが始まる。女子アナの入社試験の倍率は数千倍ともいわれるが、たまたま有名人の娘に生まれたというだけで、そのポジションを得られることに納得がいかない人もいるだろう。

 が、世の中はそんなに甘くない。授業料を払って学歴を得る学生と違って、社会人は成果をあげなければ、仕事は来ないし、給料も上がらない。各局にはそれぞれ、見ない日はないというくらい出ずっぱりの人気アナウンサーもいるが、それは逆に言うと、仕事がない女子アナも存在するということである。英樹が直々に「うちの娘を頼む」と言ったのか、テレビ局が忖度して真麻を採用したのかは不明だが、ラクをして入社すると、ツケを払わされて苦労するのは本人である。

 実際、入社後の真麻は苦労したように私には見える。『おしゃれイズム』(日本テレビ系)で真麻は、「ネットで叩かれて激痩せして、可愛くないなら、細いと言われたくなった」「ラーメンの麺1~2本しか食べられず、38キロまでいった」と、精神的に相当追い込まれていたことを明かしていた。

 局が特別扱いしていないと示すためか、真麻は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)で、とんねるずに一斗缶で殴られ、熱湯をかけられていた(スタジオに英樹がいて、娘の姿を見て笑っていたが、これは「親公認のイジリであってイジメではない」というエクスキューズだと思われる)。また、お正月特番で、着付けのために女子アナが早朝に集合をかけられる中、真麻だけは顔の出ない着ぐるみを着させられ、その番組を見た真麻の母ががっかりしていたと『ウチくる!?』(フジテレビ系)で話していたこともある。

 資本主義社会では、払ったカネに応じた扱いを受けるものだ。お嬢さまである真麻は、数々の特権を味わい、それが彼女自身の自己評価に影響を与えているように思う。だからこそ、女子アナを目指したのだろうが、念願の女子アナになってテレビには出られても、自尊心を破壊されるような扱いを、真麻が本当に受け入れていたかは疑問である。

 真麻は表面上、テレビの二元論的価値観を受け入れる。テレビでは、「既婚者は独身より幸せ」「子持ちは子ナシより幸せ」で、「オンナ芸人はモテない」といった決めつけのもとに作られているが、真麻はこのルールに沿って、自分は「視聴者より下」であると印象付けることを、自らに課したようだ。ブログにぼっち飯を載せたり、交際中の彼氏とのノロケを書かないかわりに“うまくいっていないこと”をたびたびアピールするのは、一種の“サービス”なのだろう。

 11月30日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した真麻は、彼氏と結婚しない理由について聞かれると、「仕事が第一」「人は人の幸せに興味がない」「家族も仲良し、仕事も順調、新婚さんでラブラブになんて怖い」「だから、不幸でいたい」と話していた。幸せになってしまうと、視聴者にそっぽを向かれて、仕事が減ると考えているのだろう。

 お嬢さまなりに、一生懸命、世の悪意について考えたのだろうが、いかんせん、お嬢さまなので詰めが甘いというか、底が浅い。もし真麻が本当に「仕事が第一」なら、結婚して子どもを産む方がいいのだ。

 テレビが独身女性を不幸、結婚できないとイジるということは、テレビで働く真麻にとっては、仕事が増えることになるのでおいしい。しかし、この独身イジりには条件があり、「結婚できないはずがないから、笑える、イジれる」のである。具体的に言うのなら、「モテそうなルックス、職業である」「まあまあ若いこと」が条件であり、40歳以上の芸能人がイジられることは滅多にない(あるとしたら、井森美幸のように、とてもその年齢には見えない美しさを保っている場合である)。真麻は現在36歳。あと数年もすると、番組側がイジる対象でなくなる。今の営業方針では、頭打ちになる時が来るのだ。

 もう1つ、真麻の言う「人は人の幸せに興味がない」のは事実だろうが、不幸であればウケると言い切れるほど、視聴者心理は単純なものではないと私は思っている。

 バラエティの常連タレントたちは、年齢ごとに微妙にスタンスを変えている。例えば、HKT48・指原莉乃、フリーアナウンサー・田中みな実ら、20代半ばからアラサー世代に属する若いチームは、“自虐”で売っているが、真麻と同年代の女優・遠野なぎこや佐藤仁美は、自分の不幸経験をさらすことはあっても、“自虐”はしない。これは単なる偶然ではなく、意図的なものだろう。幸せを貯金と置き換えてみよう。若い時に、貯金がない(不幸である)の仕方ないことだが、ある程度の年齢になって貯金がない(不幸である)と、「何やっていたんだ」と言われるのと一緒である。

 真麻が本当に「仕事が第一」なら、テレビの世界が認定する幸せ、つまり“結婚して子どもを持ち”、悩みはあるけれど「まあまあ幸せ」を演出した方が、視聴者の気持ちはつかめると思うのだが。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

田中みな実、「ぼっちアピール」や「闇エピソード」に見る“わがままな女王様”の顔

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「みんな、いなくなっちゃえ」田中みな実
『もしかしてズレてる?』(フジテレビ系、11月27日)

 「独身VS既婚」「女子アナVSオンナ芸人」――テレビはこういった具合に、二元論的に人を分けるのが好きである。テレビの価値観でいうと、独身より既婚者の方が幸せで、オンナ芸人はモテずに寂しい毎日を送っているはずであって、結婚しても満たされない女性もいるとか、恋愛を謳歌しているオンナ芸人がいるという解釈はされないものだ。

 こういったテレビの価値観に慣らされ、「条件が揃えば幸せになれる」という考えを刷り込まれた純粋な女性にとって、最難関職種といっても過言ではない女子アナになった田中みな実の“幸福でないアピール”は、親近感を抱かせるものなのかもしれない。しかし私から見ると、この人の強欲さはすさまじいなと思うばかりである。

 11月27日放送の『もしかしてズレてる?』(フジテレビ系)に出演した田中は、“闇”をアピールする。田中は仕事を終えて、部屋に帰った時に「胸をぎゅーっとしめつけられるような寂しさに襲われるが、電話をする人がいない、こんなに電話帳にいるのに」と、ぼっちアピールをしていた。電話を数人にかけたけれどつながらないというのなら、“ぼっち”感があるが、電話をしていないなら、誰ともつながらないのは当たり前である。電話する人がいないことに腹を立てた田中は、「みんな、いなくなっちゃえ」と電話帳を削除しようとするものの、「消したら本当に1人になっちゃう」と何度も思い留まっていると言っていたが、自分の役に立たない人を切ろうとするのは、思い通りにならないことがあると癇癪を起こして、「首を切っておしまい」と命じる「不思議な国のアリス」のハートの女王のようである。田中は闇を抱えたさみしんぼうではなく、すぐにヘソを曲げるわがままな女王様なのではないだろうか。

 田中がぼっちアピールをし始めたのはフリーになってから。そもそも彼女がフリーになったのは28歳で、ほかの女子アナと比べると大分早い(たいていの女子アナは、30代になってから、もしくは結婚してフリーになる)。田中はぶりっ子キャラ、オリエンタルラジオの藤森慎吾と付き合っていたというエピソードで知名度は高いものの、それ以外の“代表作”を持たないまま、フリーに転身してしまった。

 昨年『ボクらの時代』(同)に出演した田中は、「自分の芸能界におけるポジションや、求められているものはこの辺だなとわかって、身の程を知った」と発言している。つまり、自分の商品価値は高いと思って早くにフリーになってみたが、芸能界での価値は思ったより“下”だったと気付いたということだろう。

 田中はほかにも“闇”エピソードの中で、「私って使い道がない」とか「喜んだりすると、悲しいことが起きるから、喜びたくない」とネガティブに聞こえる発言を連発していた。「田中=わがままな女王様」と仮定して、これらを解釈すると、「自分はデキるはず」「自分の人生には予期しないような素晴らしいことが起きるはず」という思い込みが強すぎるから、反動でいちいち落ち込むといえる。

 田中は7月22日放送の『もしかしてズレてる?』で、ぎっちぎちに美容やワークアウトの予定を入れ、1人で過ごしていると明かしていた。「1人の時間を充実させるのはオトナの証拠」といった説が女性誌を中心に流布しているが、田中のような極度の自分好きが1人でいると、エンドレスに「自分はデキるはず、それなのに……」と思って自分について考え、ますますイライラするので、悪循環なのではないだろうか。

 それにしても、田中は芸能人以上に芸能人気質を持っていると思わせられることが多々ある。バラエティ番組で、自分にまつわるVTRを見る時の田中はうっとりしている。一方、『ダウンタウンなう』(同)で、中高年女性に人気のスーパー銭湯アイドル・純烈と共演した際、彼らと目を合わせることすらしなかった(いまどきのタレントは、心の中は別として、形だけでも興味を示すものである)。自分が大好きで、自分にメリットのない人には1ミリも興味をひかれない性質に生まれついているのではないだろうか。

 田中といえば、「GINGER」(幻冬舎)にたびたび登場するが、幻冬舎の社長は見城徹である。見城はサイバーエージェント代表取締役社長の藤田普と共著で『人は自分が期待するほど、自分を見てくれていないが、がっかりするほど見ていなくはない』(講談社)という本を出している。悩んでいる(つもりの)田中に、このタイトルを捧げたい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

田中みな実、「ぼっちアピール」や「闇エピソード」に見る“わがままな女王様”の顔

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「みんな、いなくなっちゃえ」田中みな実
『もしかしてズレてる?』(フジテレビ系、11月27日)

 「独身VS既婚」「女子アナVSオンナ芸人」――テレビはこういった具合に、二元論的に人を分けるのが好きである。テレビの価値観でいうと、独身より既婚者の方が幸せで、オンナ芸人はモテずに寂しい毎日を送っているはずであって、結婚しても満たされない女性もいるとか、恋愛を謳歌しているオンナ芸人がいるという解釈はされないものだ。

 こういったテレビの価値観に慣らされ、「条件が揃えば幸せになれる」という考えを刷り込まれた純粋な女性にとって、最難関職種といっても過言ではない女子アナになった田中みな実の“幸福でないアピール”は、親近感を抱かせるものなのかもしれない。しかし私から見ると、この人の強欲さはすさまじいなと思うばかりである。

 11月27日放送の『もしかしてズレてる?』(フジテレビ系)に出演した田中は、“闇”をアピールする。田中は仕事を終えて、部屋に帰った時に「胸をぎゅーっとしめつけられるような寂しさに襲われるが、電話をする人がいない、こんなに電話帳にいるのに」と、ぼっちアピールをしていた。電話を数人にかけたけれどつながらないというのなら、“ぼっち”感があるが、電話をしていないなら、誰ともつながらないのは当たり前である。電話する人がいないことに腹を立てた田中は、「みんな、いなくなっちゃえ」と電話帳を削除しようとするものの、「消したら本当に1人になっちゃう」と何度も思い留まっていると言っていたが、自分の役に立たない人を切ろうとするのは、思い通りにならないことがあると癇癪を起こして、「首を切っておしまい」と命じる「不思議な国のアリス」のハートの女王のようである。田中は闇を抱えたさみしんぼうではなく、すぐにヘソを曲げるわがままな女王様なのではないだろうか。

 田中がぼっちアピールをし始めたのはフリーになってから。そもそも彼女がフリーになったのは28歳で、ほかの女子アナと比べると大分早い(たいていの女子アナは、30代になってから、もしくは結婚してフリーになる)。田中はぶりっ子キャラ、オリエンタルラジオの藤森慎吾と付き合っていたというエピソードで知名度は高いものの、それ以外の“代表作”を持たないまま、フリーに転身してしまった。

 昨年『ボクらの時代』(同)に出演した田中は、「自分の芸能界におけるポジションや、求められているものはこの辺だなとわかって、身の程を知った」と発言している。つまり、自分の商品価値は高いと思って早くにフリーになってみたが、芸能界での価値は思ったより“下”だったと気付いたということだろう。

 田中はほかにも“闇”エピソードの中で、「私って使い道がない」とか「喜んだりすると、悲しいことが起きるから、喜びたくない」とネガティブに聞こえる発言を連発していた。「田中=わがままな女王様」と仮定して、これらを解釈すると、「自分はデキるはず」「自分の人生には予期しないような素晴らしいことが起きるはず」という思い込みが強すぎるから、反動でいちいち落ち込むといえる。

 田中は7月22日放送の『もしかしてズレてる?』で、ぎっちぎちに美容やワークアウトの予定を入れ、1人で過ごしていると明かしていた。「1人の時間を充実させるのはオトナの証拠」といった説が女性誌を中心に流布しているが、田中のような極度の自分好きが1人でいると、エンドレスに「自分はデキるはず、それなのに……」と思って自分について考え、ますますイライラするので、悪循環なのではないだろうか。

 それにしても、田中は芸能人以上に芸能人気質を持っていると思わせられることが多々ある。バラエティ番組で、自分にまつわるVTRを見る時の田中はうっとりしている。一方、『ダウンタウンなう』(同)で、中高年女性に人気のスーパー銭湯アイドル・純烈と共演した際、彼らと目を合わせることすらしなかった(いまどきのタレントは、心の中は別として、形だけでも興味を示すものである)。自分が大好きで、自分にメリットのない人には1ミリも興味をひかれない性質に生まれついているのではないだろうか。

 田中といえば、「GINGER」(幻冬舎)にたびたび登場するが、幻冬舎の社長は見城徹である。見城はサイバーエージェント代表取締役社長の藤田普と共著で『人は自分が期待するほど、自分を見てくれていないが、がっかりするほど見ていなくはない』(講談社)という本を出している。悩んでいる(つもりの)田中に、このタイトルを捧げたい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

いしだ壱成、19歳新恋人に尽くす姿に見る「モラハラの始まり」と「捨てられることへの不安感」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「絶対別れないです」いしだ壱成
『バイキング』(フジテレビ系、11月20日)

 モラハラ男は、腕力や経済力の優位性で相手を支配する、いわば女性を下に見る人だと漠然と思っていた。もちろん、モラハラ男にもいろいろな“種類”が存在するので、一言で言い表せないが、高橋ジョージを押しのけて、“ミスターモラハラ”の座についた、いしだ壱成を見ていて思ったのは、いしだはモラハラというより、精神的に不安定という意味でのメンヘラで、不安感が強いのではないかということだ。

 8月中旬に二度目の離婚をした、いしだ。ルーティーンを課したことで、愛想を尽かした妻が家を出て行ったと明かし、確実に女性からの好感度は下がったと思われる。が、そのいしだに新恋人の出現である。

 相手は舞台で共演した24歳年下、19歳の女優・飯村貴子である。11月20日放送の『バイキング』(フジテレビ系)に出演したいしだの説明によると、5月に知り合い、ひとめぼれ。前妻との離婚が成立した8月に交際をスタートさせたという。MCの坂上忍をはじめとした出演者は、前妻と結婚している時から交際していた、つまり不倫ではないかと指摘するが、いしだは否定する。

 まぁ、結婚時から付き合っていましたと正直に話すバカはいないので、こう答えるしかないものの、いしだタイプは、婚姻期間と交際がかぶることに抵抗がないだろう。かつて『良かれと思って』(同)に出演したいしだは、前妻が家を出て行った時に、「謝罪したけれど、手遅れでした」と発言していた。つまり、いしだは自分が謝れば済むと思っていたようで、相手が自分から逃げていくとはまったく思っていなかったことがわかる。世間一般の基準でいえば、前妻がモラハラの被害者であるが、いしだの視点で考えると、「急に奥さんに逃げられた」わけだ。自分はハラスメントをしている意識がないだけに、妻が急に去っていった意味がわからず、被害者意識すら持っているのではないか。だとすると、たとえ婚姻が継続中でも、次の女性を探すのは、いしだの中では“当然の権利”と認識されているのかもしれない。

 『バイキング』で、いしだは新恋人と「絶対別れない」と発言し、その根拠を「(彼女と)魂がつながっている」からと説明した。昭和の少女漫画のような発言で、このテの言葉に若い女性は弱いだろう。しかし、視点を変えると「魂がつながっていると思えるほど、特別な女性に出会えたから、別れない」という発言は、前妻を含めた過去の女性は「特別でないから、別れた」ことになり、つまり「別れた原因は、女性側にある」とうっすら思っているということではないだろうか。己を顧みる心はゼロなのである。

 今のいしだは、彼女に前妻のようなルーティーンを課していないという。彼女がお風呂に入っていると、バスタオルを広げて待っているほど尽くしているそうだ。前妻とのあまりの違いを疑問に思う人もいるだろうが、これこそがモラハラの始まりといえるのではないだろうか。自分が愛情を前払いし、払った分と同等、もしくはそれ以上を、彼女からルーティーンとして回収するのである。いしだは彼女に頼んで、スマホに「いっくん、愛してる」と書いてもらったそうだが、これは一種の借用書になりうる。いしだの思い通りにならないことが起きた時、借用書を突きつけて、「愛していたら、オレの言うことを聞けるはず」と話のすり替えができるからである。

 愛情を取り立てるための囲い込みは、すでに始まっている。いしだと新恋人は郊外のワンルームのアパートで同棲しているそうだが、交通の便が悪く、狭い場所に、わざわざ一緒に住む意味はあるのだろうか。一緒に住めば2人分の家事が発生するものの、彼女は“自らの意志” で料理などを始めたという。『良かれと思って』で、いしだは前妻に「(言葉ではなく)目で教えた」、つまり、やるように追い込んでいったと語っており、また同じパターンが繰り返されているのである。

 11月17日の『エゴサーチTV』(Abema TV)に出演したいしだは再婚願望があることと、「ルーティーンはやってほしい」と発言していた。ルーティーンがもとで離婚したのに、いまだに凝りていないことに驚くが、おそらくそれは、いしだにとって特別な意味を持っているのではないか。傍からみれば、いしだのルーティーンは面倒くさい“家事”である。しかし、いしだにとって、「こんな面倒くさいことをやってくれるのは、愛されているから」という確認のために必要なのではないか(ゆえに家政婦にやってもらっても、意味がない)。人を毎日試さずにいられないのは、いしだが絶えることなく「自分は捨てられるかもしれない」と不安を抱えているからのように思えて仕方がないのである。

 ブラックマヨネーズの吉田敬は、いしだに「40代に希望と与えた」としながらも「2年後にボロボロになってる予感しかしない」と述べたが、私もそう思う。願うのは、ただ1つ。いしだの新恋人である飯村が、メンタルを壊すことなく、このチャンスを生かし、芸能人として前に進むことである。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの