綾菜は、加藤茶との結婚でトクをしたのか? 『モシモノふたり』に見た“45歳年下妻”の孤独

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「ちーたんいなくなったら、生きていけん」加藤綾菜
『モシモノふたり』(フジテレビ系、11月23日)

 資産家もしくは社会的地位のある男性が、孫ほど年の離れた女性と結婚することは、古今東西よくある話だが、その際、必ずといっていいほど女性は「金目当ての結婚」と邪推される。元ドリフターズの加藤茶が、45歳年下の一般人女性である綾菜夫人と結婚した際も、夫人は激しいバッシングにさらされた。仮に結婚の理由が「金目当て」であったとしても、相手を幸せにしようと努力するのなら何の問題もないし、そもそも綾菜夫人は世間が思うほどトクをしていないのではないかと思うのだ。

 「心臓病を患った茶には、綾菜の作る料理は高カロリーすぎる」「茶の健康を損ねて、遺産を自分のものにしようとしている」「友達と偽って、茶の出張中にホストを連れ込んでいる」――ネットでこんなうわさが出回ったことを受けてだろう、茶夫妻は1年に一度は、バラエティ番組に出て仲の良さをアピールしている。11月23日放送の『モシモノふたり』(フジテレビ系)も一種の“恒例行事”だが、これまで出演した番組と比べて、茶の老いとそこから来る綾菜夫人の“孤独”が強く浮き彫りになっていたように、私には見えた。

 夫妻は熱海の貸別荘に行く。料理の食材を買い込むが、茶は普段買い物をしないので役に立たない。荷物を持つのも夫人の仕事。料理も夫人の役目で、茶はテレビを見ながら出来上がりを待っているが、居眠りをしてしまう。夫人の料理(刺身、あさりとエビの塩こうじ蒸し、おでん風卵巾着、カマンベールのじゃがいも包み、春菊のごまあえ、雑煮)を食べる際、「おいしい」とは言うものの、会話が盛り上がることはない。食後、リビングでソファに横たわってテレビを見た後、夫人に勧められて風呂に入るが、茶は風呂嫌いで、髪もカラダも洗わず、お尻だけ洗って出てきてしまう。

 何もしない茶はあまりに横着だ――もしそう思う人がいたら、それは若い証拠である。私の父が茶とほぼ同じ年だが、年齢と共に口数も減るし、出歩く回数も減る。茶がそうだとは言わないものの、気難しくなって怒りっぽくなったり、判断力が鈍ったりすることもある。年寄りと生活を共にするのは、結構難しいのだ。

 別荘に宿泊した翌朝、夫人は起きてこない茶の寝息を聞いて生存確認をし、朝食のアジのヒモノはほぐしてご飯の上にのせてやる。完全に介護である。茶は割とわがままで、朝食を用意しても「パンが食べたい」と言い出して、急きょ夫人をパン屋に行かせたり、夫人の外見レベルを「下の中くらい」と言うそうだ。

 一般論でいえば、孫ほど年の離れた若妻は、やりたい放題しても許されるイメージを持ちがちだが、実際の夫人は芸能人の妻という肩書や時々テレビに出ることと引き換えに、年寄りのわがままと介護を引き受けている。これがトクになっているのか、私には甚だ疑問だ。

 結婚当時、23歳だった夫人も、28歳となった。茶は、自分がいなくなった後の夫人を心配しているようで、「やりたいことはないのか」と聞くが、夫人は短大を卒業して、就職活動を数カ月しただけで結婚してしまったので「ない」と答える。やりたいことは、実務の荒波にもまれることで生まれることも多いし、やりたいことを見つけたとして、それを維持するにも実務能力が必要なので、家庭に入っていた夫人に「将来の展望を持て」と迫るのも酷だろう。茶にもしものことがあったら、就職市場的な観点からすると、夫人はウリ(職歴、資格、若さ)のない求職者となってしまう。夫人は「ちーたん(茶のこと)いなくなったら、生きていけん」と言っているが、これは愛情表現というより、現実問題、生活が回らないという意味にも解釈できる。

 そんな夫人を見ていて、今から男性芸能人専門の介護施設を立ち上げることを勧めたいと思った。茶の周辺にいる芸能人から、少し多めに金をもらって、プライバシーを重視した施設を作る。そこで働く女性たちの面接も、もちろん夫人が担当する。老人と接するのがイヤでないというのは、実は特殊能力である。介護施設でぜひドカンと当てていただきたい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

なぜミッツ・マングローブの毒舌は炎上するのか? マツコとは異なる“自意識のあり方”

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>

「結核菌みたいな顔してよく言うわ」ミッツ・マングローブ

『5時に夢中!』(TOKYO MX、11月11日放送)

 今年の夏に開催されたリオデジャネイロオリンピックで、レスリングの吉田沙保里が決勝で敗れ、号泣した。この話題を『5時に夢中』(TOKYO MX)で取り上げた際、ミッツ・マングローブが「涙がひと粒も出なかった。かえってしらけちゃって」と発言したことで、炎上。ミッツが自らのブログで謝罪をしたことをご記憶の方もいるだろう。

 懸命に戦ったアスリートに、そんな言い方ないだろうと思うが、その一方で、国民のおネエタレントに対する“思い込み”にも気づかされる。視聴者は、「おネエタレントとは、思いもよらない斬新な切り口で、面白い毒舌を吐く存在」と思い込んでいないだろうか。

 人と違った経験が、面白い毒舌を生むと思っている人は多いかもしれないが、私に言わせるのなら、面白い毒舌の決め手は経験ではなく、“引き算のうまさ”であり、そのベースになるのは“常識”だと思っている。ミッツは一般的には、マツコ・デラックスと同じ系統の毒舌オネエタレントと思われているだろうが、私にはミッツが“甘えん坊タレント”に見えるのだ。

 そのことは、マツコとミッツを比較することでよくわかる。

 バラエティ番組を見ていると、「俳優>お笑い芸人」という上下関係に気付かされる。明石家さんまクラスの大物でも、出演者の俳優には気を使っており、マツコはその辺のフォーメーションをよく読んでいる。マツコがバラエティ番組に出だした頃、まるでお約束のようにやっていたネタがある。それは、まず巨体をいじられ、その次に男性の芸人に抱きついて「好きなの」と迫り、抱きつかれた芸人が「やめて」「気持ち悪い」と拒絶する……というものだ。テレビ的な演出だろうが、マツコは貶められることによって、視聴者に自らのポジションを「お笑い芸人より下」であると印象付ける。つまり、自分を“引き算”して見せているのだ。芸能界のキャリアが長い方を立てるのは、常識的な観点から言って正しいし、何より結果としてマツコを輝かせることになる。末席に座っている人が面白いからこそ、その存在が光るのである。

 人気を得ると共に、マツコは“下”の席に座ることを許されず、“上”に押し上げられるようになるが、それでも“引き算”をやめない。毒舌を吐きながらも、自身が「結婚して子どもを持って一人前」という“常識”にハマらないが故の、老後の孤独をのぞかせる。今が恵まれているからこそ、先のことが不安になってしまうという見方もできるが、老後に何の心配もないという人はごく少数。マツコはこの“引き算”によって、「マツコほどの売れっ子であっても不安を感じるのだ」と、視聴者に親近感、もしくは優越感を抱かせることに成功している。

 それに対し、ミッツは末席に座ること、自身を“引き算”して見せることができない。『5時に夢中!』に作詞家・及川眠子氏が出演した時のこと。及川氏といえば、日本レコード大賞に輝いたWINKの「淋しい熱帯魚」、JASRAC賞金賞の高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」を手掛けた超売れっ子作詞家だが、ミッツは及川氏を「大先生ですよ」と称えた後に、「私も相当影響を受けましたからね」と結んでいる。

 褒め言葉のつもりで使っているのだろうが、一般的に「影響を受けた」というのは、頭角を現した新人が、同じ分野の偉大な先輩を称えて使う言葉ではないだろうか。「ファンです」と言うのならともかく、その道で実績もないミッツが、日本を代表する作詞家と同じ次元と高さで物を言うのは、私には不遜に思える。

 さらに、ミッツは“下”に見られることを嫌う。11月11日放送の同番組で、「オンナ芸人って、おネエもそうなんですけど、『不幸を背負ってないと商品価値がない』みたいな扱われ方するじゃないですか」と分析したが、視聴者がリア充を嫌う昨今、幸せに見せないようにするのは、女優やモデルも一緒であり、何もおネエに限った話ではない。

 また「オンナ芸人にセクハラまがいのことをするのに、裸になると引く」ことを、ミッツは「男社会の縮図」と批判するが、その一方でゲストのハリセンボン・箕輪はるかに対して、「結核菌みたいな顔をしてよく言うわ」と発言していた。女性の外見を他人がとやかく言うのは、典型的な「男社会の縮図」だと私は思うが、自分がする分にはいいらしい。要は自分に甘いのだ。

 ミッツの初エッセイ『うらやましい人生』(新潮社)や『プレミアムカフェ』(NHK)などを見ると、ことあるごとにミッツが「自分は少数派である」という意味の発言をしていることに気付く。一見“少数派”を自称することは、自身を“引き算”して見せているようにも感じられるが、下に見られたくないというミッツの言動を踏まえると、それは“選民意識”に近いものなのではないだろうか。対してマツコは、『山里亮太の不毛な議論』(TBSラジオ)で、自らを「(私は)男チームにも入っていないし、女チームにも入ってないし、サラリーマンチーム、OLチームにも入ってないし、お母さんチーム、お父さんチームにも入ってないわけじゃん。そうなってくると、(私は世間にとって)“関係ない話してる人”なわけじゃん」と、自分の存在を“はぐれ者”のように捉えている。

 選民思想を持つミッツ型の自意識が強いことは言うまでもないが、自分をここまで突き放せるマツコの自意識も、相当強い。たとえていうのなら、マツコが修道女で、ミッツは女王様。どちらが正しくて、どちらが間違っているということはもちろんない。たどりつく結論は、おネエも人それぞれという当たり前のことなのである。

 

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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吉田沙保里ら女性アスリートを「恋愛ベタ」と見下すテレビが“浅はかすぎる”理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「あんた、わからへんやんか」明石家さんま
『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系、11月8日)

 インターネットの普及で、テレビを見る人の割合が減っているといわれて久しい。視聴者離れを食い止めようとテレビ局も腐心しているだろうが、その一方で、テレビ局は依然として古い女性観を持ち続けているように見える。それが顕著になるのは、女性アスリートがバラエティ番組に出るときではないだろうか。

 司会や女性出演者が、女性アスリートを“見下す”ように感じられることがある。例えば、北京オリンピックで銅メダルに輝いた、レスリングの浜口京子。彼女が『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出演した時に、片思い中であり、相手との距離が埋まらない話を明かすと、司会の明石家さんまや、共演の熊切あさ美などの女性共演者が「かわいい」と反応した。恋をしている彼女への応援と取れるかもしれないが、女優やモデルなどのきれいどころや、フィギュアスケート、シンクロナイズドスイミングのように芸術性を問う競技の女性アスリートが片思いをしていると言っても、さんまや女性出演者は「かわいい」と合いの手を入れることはない。ちなみに男性アスリートがバラエティ番組に出ても、恋愛の話を振られることはあまりない。これらから考えられるのは、さんまや女性出演者は、格闘技系の女性アスリートは“恋愛がヘタ”と決めつけているということだ。

 女性アスリートに対する“見下し”は、格闘技系だけ向けられるものではない。元サッカー女子日本代表の澤穂希が結婚した際、報道陣は「彼の胃袋を離さない得意な料理は?」と質問していた。結婚会見の際、マスコミから得意料理の質問が出ることはよくあり、例えば、歌舞伎俳優・片岡愛之助は、「紀香さんの好きな手料理は?」と質問されていた。しかし、結婚会見での質問はこのような聞き方が一般的で、「胃袋を離さない」というような極端な表現は非常に稀である。ほかにも「恋愛は自分からぐいぐい行くタイプ?」という質問があったが、私はインタビュアーの「ものすごい秘策がなければ結婚にたどりつけない」「相手からアプローチされるわけがない」という意識を感じずにいられない。

 “霊長類最強女子”と名付けられたリオデジャネイロオリンピック銀メダリスト・吉田沙保里も、レスリングという競技ゆえ、見下されカテゴリに属している。11月7日放送の『踊る!さんま御殿!!』に出演した際、吉田は「今、特定の人はいない」と話していたのに、なぜかさんまは「吉田は恋愛をしたことがない」ことにしたようだ。

 今月の頭に結婚した柔道の松本薫が、夫との連絡の頻度が週に一度だったと明かすと、さんまは「毎日電話したいやんか」と松本に返し、「うんうん」と吉田がうなずくと、「あんた、わからへんやんか」「経験ないやんか」とツッコんでいた。「(恋愛の話に)参加したいよう」と叫ぶ吉田は、アスリートというより、モテないことを売りにするオンナ芸人のようだった。オンナ芸人であれば、モテないネタを披露することによって、テレビにたくさん映ることができるし、次の仕事にもつながるというメリットがあるが、メダリストの吉田に同じことをさせるのは失礼ではないだろうか。

 アスリートとして出演オファーを出しておきながら、業績よりも「モテるモテない」を重要視するのが、さんまをはじめとする「オトコの女性アスリート観」なら、「オンナの女性アスリート観」にも違和感を覚える。

 『一周回って知らない話』(日本テレビ系)で、10~20代の若者に、吉田のイメ―ジを調査したところ、「強い」「国民栄誉賞」というものに加えて「意外と乙女」「意外に女性らしい」という意見が女性から上がった。Twitterに、パジャマ姿やネイルアートをする写真をアップしたり、コキンちゃんとのツーショット写真を上げていたからだと思われるが、それのどこが“女性らしい”のか、私には理解できない。一般人のTwitterでもよく見かけるツイートが“女性らしい”と表現されるのは、「格闘技をやる女性は、女性らしくない」と思っているからではないだろうか。

 同番組によると、吉田は、実家がレスリングのジムを経営していたことから、自然とレスリングを始め、才能を開花させたという。音楽家の子どもが音楽の道へ進んだり、開業医の家の子どもが医者になるのと同じであり、“女性らしさ”は関係ない。さらに、吉田の親友である澤は、吉田の恋愛がうまくいかないことを「好きになったら、相手の立場や状況を考えず、自分の思いをどんどん言っちゃう」と分析していた。つまり、コミュニケーションの方法に問題があるわけで、格闘技をやっているかどうかではないのだ。

 さらに澤は、吉田の意外なエピソードを披露した。吉田は、彼女に好意を持つ男性とデートしたものの、吉田は途中で嫌になってしまい、友達を呼んで3人で行動したそうだ。好きな人には猪突猛進だが、そうでない相手とは我慢してまで一緒にいないというのは、わがままな印象を与える行為だが、なぜ吉田がそう振る舞ってしまうかは、少し考えればわかることである。

 女子レスリング界の“宝”である吉田は、ずっと自分中心の“姫”だったのではないだろうか。人は“何をやるか”ではなく、“どう扱われるか”で決まる。強くなければ、姫にはなれないのだ。格闘技の女性アスリートだからといって、勝手に見下す人は、浅慮といわざるを得ない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

『しくじり先生』で泣いた高橋ジョージから考える、三船美佳が“離婚を言い渡した”ワケ

<p> “夫婦関係”をテーマに扱うバラエティ番組が数多くあるということは、離婚を経験した芸能人にとっては、一種のビジネスチャンスだろう。ただし、離婚ネタでメシが食えるのは、世論を味方にできる(例:相手に不倫をされた)人か、自分に非があると認め、反省している人である。モラルハラスメントが原因で三船美佳に離婚を言い渡されたとされる高橋ジョージは、後者のパターンを選択したようだ。10月31日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出演し、モラハラの有無については触れなかったものの、「自分が全部悪い」と反省する姿を見せた。高橋は離婚の原因を「強烈にしつこい性格」と自己分析したが、番組を通して見た私の印象は、「しつこい」というより、「上下関係にこだわる」「上から目線がきつい」だった。</p>

『しくじり先生』で泣いた高橋ジョージから考える、三船美佳が“離婚を言い渡した”ワケ

<p> “夫婦関係”をテーマに扱うバラエティ番組が数多くあるということは、離婚を経験した芸能人にとっては、一種のビジネスチャンスだろう。ただし、離婚ネタでメシが食えるのは、世論を味方にできる(例:相手に不倫をされた)人か、自分に非があると認め、反省している人である。モラルハラスメントが原因で三船美佳に離婚を言い渡されたとされる高橋ジョージは、後者のパターンを選択したようだ。10月31日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出演し、モラハラの有無については触れなかったものの、「自分が全部悪い」と反省する姿を見せた。高橋は離婚の原因を「強烈にしつこい性格」と自己分析したが、番組を通して見た私の印象は、「しつこい」というより、「上下関係にこだわる」「上から目線がきつい」だった。</p>

高嶋ちさ子、豪快な乱暴者キャラの奥に見え隠れする「真面目な女の子」の姿

<p> バイオリニスト・高嶋ちさ子がバラエティ番組に出る時、披露するエピソードの三本柱は「肉が大好き(野菜は大嫌い、肉にはあまり火を通さずに食べる)」「せっかち」「キレやすい」である。「クラシックの音楽家はお上品」という固定観念があればこそ、生きてくるキャラではないだろうか。バラエティ番組の男性司会者は、よく高嶋を「豪快」と表現するが、私が彼女から受ける印象は「おびえてる人」「甘えてる人」である。</p>

ANRIこと坂口杏里、Twitterでの振る舞いに見る“彼女が生きにくい理由”

<p> 過去、本連載の川本真琴の回で書いた通り、精神的に不安定な人にTwitterは向かないと私は思っている。不安定な人は、その心情をツイートし、他人からのリプライでもって自分を落ち着かせようとするが、自分の思うタイミングや内容のリプライが来るとは限らない。予想外のことが起きると、ますます不安定になるという悪循環に落ち込む可能性があるからだ。</p>

高樹沙耶、石垣島での自然生活に見る“バブルを忘れられない女”の顔

<p> 外見、仕事、ライフスタイルなど、目に見える部分を以前とは別のものにすると、たいてい「あの人は変わった」と表現される。しかし、だからといって、人間の根本は変わったとは言えないと、私は思っている。</p>