堀北真希があこがれる、「山口百恵」的専業主婦に必要不可欠なモノ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「本人(堀北真希)が望んできたことなので」山本耕史
(「スポニチアネックス」3月1日)

 女優・堀北真希が、2月28日をもって芸能界を引退したことを発表した。「スポニチアネックス」によると、堀北は山口百恵にあこがれを持っていて、周囲に「潔く辞めた姿が素敵」と話していたそうだ。

 女性芸能人が結婚を機に引退を発表する時、必ず引き合いに出されるのが、アイドルとしての人気絶頂時に俳優・三浦友和と結婚、引退した山口百恵だ。引退宣言をしても、離婚や子育てがラクになってきたといって復帰する元芸能人は多いが、百恵は一度たりとも芸能活動をしたことはない。夫婦仲は良いようで、2人の子どもを育て上げ、三浦は紫綬褒章も受章した。完璧な妻で母といえるだろう。

 百恵の生い立ちは、複雑である。引退直前に百恵が書いた『蒼い時』(集英社文庫)によると、百恵の父親は、母親と出会った時にすでに妻子がいたという。父親は百恵の祖父に「ちゃんとします」とあいさつしたものの、妻子と別れることはなかった。父親が生活費を渡さなかったため、生活は困窮。ところが、百恵がスターとなると、父親は事務所に借金をし、親権を要求してくる。最終的に百恵が“手切れ金”を払うことで、父親と縁を切ったそうだ。

 陰のある少女がスターとなり、愛する人とめぐりあって幸福な家庭を築く。百恵のストーリーにシンパシーを寄せるのは、同じように複雑な家庭に育った女性芸能人である。中森明菜は、デビュー当時から百恵のファンであることを公言し、「結婚したら引退」とことあるごとに語っていた。明菜の家庭も裕福とはいえず、母親は昼夜働いて明菜にバレエを習わせ、その才能に賭けた。スターになってからは、兄弟が勝手に事務所から借金をし、明菜のお金で事業を興しては潰していたことが、女性週刊誌で報道されたこともある。近藤真彦とは結婚間近といわれていたが、近藤の家で自殺未遂をしてからはトラブル続きで、今も独身だ。

 両親が離婚し、10代の頃から家族の大黒柱だった上戸彩も、「女性セブン」(小学館)のインタビューで「山口百恵さんになりたい」「料理や掃除、洗濯など女としての仕事をちゃんとこなせるようになりたい」と率直に百恵へのあこがれを語ったが、夫であるLDH WORLDのクリエイティブ・ディレクター・HIROとの離婚説や激ヤセが話題になるなど、百恵とはほど遠い。

 愛に餓えた少女が、愛にあふれた家庭を専業主婦として作ろうと、相手に愛情を注ぐものの、なぜかうまくいかない――これは、“愛にあふれた家庭”が、愛で作られていないからではないだろうか。それでは百恵的専業主婦に必要なものは何かというと、カネなのではないかと思う。

 良い夫の代名詞ともいわれる三浦だが、自身の自伝的人生論『相性』(小学館)の中で、見込み違いの投資をして、長い間ローンを払っていたと明かしており、それについて百恵は一言も文句を言わなかったそうだ。また、三浦は結婚してから30代まであまり仕事がなく、収入は激減。マスコミには“山口百恵のヒモ”と揶揄されたものの、百恵が三浦を責めることはなかったという。“夫を責めない妻”というのは、マスコミ受けする美談だが、専業主婦にとって夫が稼いでこないことは死活問題だ。

 が、ここで思い出すのが、かつての「週刊文春」(文藝春秋)の記事である。ホリプロの功労者である百恵と事務所の関係は良好で、引退後も一種の“年金”として、定期的にヒットコレクションが発売されるなどして、百恵は引退後も年間1000万円以上の印税収入を得ているという内容だった。この記事が正しいとすると、それだけの収入があれば、最低限の生活はできるわけだから、確かに夫を責める必要はなくなるだろう。実家が資産家だったり、不動産収入がある人は、生活が派手でなくてもなんとなく余裕が感じられるが、この余裕こそ、家庭円満に必要不可欠なものなのだ。ちなみに、堀北は女優だが、“年金”は歌手ほどおいしくはなく、出演したドラマがDVD化され、どれだけ売れようとも、追加でギャラが支払われることは基本的にないそうである。

 もう1つ、百恵的専業主婦に欠かせないのは「浮気をしない夫」だ。今まで三浦夫妻が理想の夫婦としてもてはやされてきたのは、三浦の浮気が露見していないからだろう(もし浮気が明らかになったら、しっかり家庭を守る妻と、それに感謝して愛し続ける夫と言う図式が崩れてしまう)。

 堀北の夫、俳優・山本耕史は、独身時代プレイボーイとして知られ、脈のない堀北も果敢にアプローチして強引に結婚に持ち込んだ猛者である。難易度が高ければ高いほど燃える人が、1人の女性で満足できるかどうか。堀北の引退を「本人が望んできたことなので」と他人事のように語っていた山本。堀北が百恵になれるかどうかは、実は今後の山本次第である。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

堀北真希があこがれる、「山口百恵」的専業主婦に必要不可欠なモノ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「本人(堀北真希)が望んできたことなので」山本耕史
(「スポニチアネックス」3月1日)

 女優・堀北真希が、2月28日をもって芸能界を引退したことを発表した。「スポニチアネックス」によると、堀北は山口百恵にあこがれを持っていて、周囲に「潔く辞めた姿が素敵」と話していたそうだ。

 女性芸能人が結婚を機に引退を発表する時、必ず引き合いに出されるのが、アイドルとしての人気絶頂時に俳優・三浦友和と結婚、引退した山口百恵だ。引退宣言をしても、離婚や子育てがラクになってきたといって復帰する元芸能人は多いが、百恵は一度たりとも芸能活動をしたことはない。夫婦仲は良いようで、2人の子どもを育て上げ、三浦は紫綬褒章も受章した。完璧な妻で母といえるだろう。

 百恵の生い立ちは、複雑である。引退直前に百恵が書いた『蒼い時』(集英社文庫)によると、百恵の父親は、母親と出会った時にすでに妻子がいたという。父親は百恵の祖父に「ちゃんとします」とあいさつしたものの、妻子と別れることはなかった。父親が生活費を渡さなかったため、生活は困窮。ところが、百恵がスターとなると、父親は事務所に借金をし、親権を要求してくる。最終的に百恵が“手切れ金”を払うことで、父親と縁を切ったそうだ。

 陰のある少女がスターとなり、愛する人とめぐりあって幸福な家庭を築く。百恵のストーリーにシンパシーを寄せるのは、同じように複雑な家庭に育った女性芸能人である。中森明菜は、デビュー当時から百恵のファンであることを公言し、「結婚したら引退」とことあるごとに語っていた。明菜の家庭も裕福とはいえず、母親は昼夜働いて明菜にバレエを習わせ、その才能に賭けた。スターになってからは、兄弟が勝手に事務所から借金をし、明菜のお金で事業を興しては潰していたことが、女性週刊誌で報道されたこともある。近藤真彦とは結婚間近といわれていたが、近藤の家で自殺未遂をしてからはトラブル続きで、今も独身だ。

 両親が離婚し、10代の頃から家族の大黒柱だった上戸彩も、「女性セブン」(小学館)のインタビューで「山口百恵さんになりたい」「料理や掃除、洗濯など女としての仕事をちゃんとこなせるようになりたい」と率直に百恵へのあこがれを語ったが、夫であるLDH WORLDのクリエイティブ・ディレクター・HIROとの離婚説や激ヤセが話題になるなど、百恵とはほど遠い。

 愛に餓えた少女が、愛にあふれた家庭を専業主婦として作ろうと、相手に愛情を注ぐものの、なぜかうまくいかない――これは、“愛にあふれた家庭”が、愛で作られていないからではないだろうか。それでは百恵的専業主婦に必要なものは何かというと、カネなのではないかと思う。

 良い夫の代名詞ともいわれる三浦だが、自身の自伝的人生論『相性』(小学館)の中で、見込み違いの投資をして、長い間ローンを払っていたと明かしており、それについて百恵は一言も文句を言わなかったそうだ。また、三浦は結婚してから30代まであまり仕事がなく、収入は激減。マスコミには“山口百恵のヒモ”と揶揄されたものの、百恵が三浦を責めることはなかったという。“夫を責めない妻”というのは、マスコミ受けする美談だが、専業主婦にとって夫が稼いでこないことは死活問題だ。

 が、ここで思い出すのが、かつての「週刊文春」(文藝春秋)の記事である。ホリプロの功労者である百恵と事務所の関係は良好で、引退後も一種の“年金”として、定期的にヒットコレクションが発売されるなどして、百恵は引退後も年間1000万円以上の印税収入を得ているという内容だった。この記事が正しいとすると、それだけの収入があれば、最低限の生活はできるわけだから、確かに夫を責める必要はなくなるだろう。実家が資産家だったり、不動産収入がある人は、生活が派手でなくてもなんとなく余裕が感じられるが、この余裕こそ、家庭円満に必要不可欠なものなのだ。ちなみに、堀北は女優だが、“年金”は歌手ほどおいしくはなく、出演したドラマがDVD化され、どれだけ売れようとも、追加でギャラが支払われることは基本的にないそうである。

 もう1つ、百恵的専業主婦に欠かせないのは「浮気をしない夫」だ。今まで三浦夫妻が理想の夫婦としてもてはやされてきたのは、三浦の浮気が露見していないからだろう(もし浮気が明らかになったら、しっかり家庭を守る妻と、それに感謝して愛し続ける夫と言う図式が崩れてしまう)。

 堀北の夫、俳優・山本耕史は、独身時代プレイボーイとして知られ、脈のない堀北も果敢にアプローチして強引に結婚に持ち込んだ猛者である。難易度が高ければ高いほど燃える人が、1人の女性で満足できるかどうか。堀北の引退を「本人が望んできたことなので」と他人事のように語っていた山本。堀北が百恵になれるかどうかは、実は今後の山本次第である。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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「パン屋に詳しい女」を嫌うSHELLY……テレビで「オンナによるオンナ叩き」が蔓延するワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「パン屋さんにやたら詳しい」SHELLY
『徳井と後藤と麗しのSHELLYと芳しの指原が今夜くらべてみました』(日本テレビ系、2月14日放送)

 『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)は、テーマに沿ったゲストを招いてトークを展開するバラエティ番組だが、最近「テーマが違っても、同じような話をしている」と思えることが増えてきている。具体的に言うと「オンナによるオンナ叩き」で、既視感がすごいのだ。

 2月14日放送の回のテーマは、「大都会東京のここが嫌い」だった。ゲストは、ひがみソングの歌姫・関取花、長崎県五島列島出身の女優・川口春奈、最近、東京進出を果たしたお笑い芸人・尼神インターの渚。3人は「東京のここが嫌い」トークを展開するが、よく聞いてみると、「それは東京と関係ないのでは?」というツッコミたくなるようなエピソードが多い。

 例えば、関取が「都会に染まった女」として明かしたエピソードは次の通りだ。学生時代の友達が、オシャレな出版社に勤務し、吉祥寺に引っ越したので遊びに行った時のこと。それまではショートカットにTシャツとジーンズ姿で、赤ちょうちんの飲み屋で飲んでいた彼女が、今はふわふわボブとロングスカート。ビールはやめ、今はパクチーモヒートがお気に入りだそうだ。関取が芸能ニュースを話題にすると、友達は「人のいいところを探すのではなく、悪いところばかり探していると、心は豊かにならないと思う」とたしなめられたことを芝居がかった口調で話していた。その後、ボサノバジブリの流れる友人の部屋で、北欧製の鍋で作ったチャイティーをふるまわれる。「味がぼやけているから、わからない」のが本音だったが、無難に「家で入れるとおいしいね」と答えておいたそうだ。

 話しながら、こみ上げる笑いを抑えられない関取に、MCのフットボールアワー・後藤輝基が「バカにしてるやろ!」とツッコんだが、私も同意見である。このエピソードは「都会に染まった女」というより「就職してライフスタイルや価値観が変わった女」であり、もっと言うと「昔は仲が良かったが、今は嫌いな女」という方が適当ではなかろうか(ちなみに、関取はこの友人のことを「さらばコットンガール」という曲にしたそうである)。

 そんな関取の話に、“非リア充”芝居が日本一うまいMCのHKT48・指原莉乃が、「都会に染まった女」の例として、「田舎から出てきた女はフラペチーノを頼むが、都会に染まった女は豆乳ベースの飲み物を頼む。豆乳のシールと、ハイブランドの財布が映るように写真を撮り、インスタに上げる」と乗っかってみせる。日本のトップアイドルが、「同性の悪口を言う」というタブーを犯すことで、一般人から親しみを獲得する“指原方式”だとは百も承知だが、この話、エピソードとして無理があるのではないだろうか。指原の挙げた例は、スターバックスのことを指しているのだろうが、同店は全国展開しているので、「東京に来て初めて経験するもの」とは限らないし、私は現在まあまあイナカに住んでいるものの、そのイナカでもハイブランドの財布を持つ若い女性は珍しくない。

 MCであるSHELLYのエピソードも、切れ味がイマイチである。どんな女が嫌かと聞かれたSHELLYは、「『おいしいパンが食べたいよね』と言ったのに対して、『クロワッサンだったら、メゾン・ランドゥメンヌ・トーキョー、カレーパンだったら、ピエール・ガニョールパン・エ・ガトーだよね』というように、パン屋さんにやたら詳しい女」と述べた。このエピソードも、私には意味がわからない。自分からおいしいパンが食べたいと言いだして、相手が答えたら嫌な気分になるとは、どういう了見なのだろう。

 SHELLYの真意はさておき、MCとゲストがそれぞれ“嫌なオンナ”について語ることは、タレント、制作側にとって好都合なのではないだろうか。まず、タレント側の立場で考えてみよう。視聴者がリア充を嫌う今、タレントが私生活を開示すると、ささいなことで視聴者の機嫌を損ねる可能性がある。しかし、“嫌なオンナ”トークであれば、積極的に参加することで「意外にさばけてる」と印象付けることができるのだ。次に、制作側から考えると“嫌なオンナ”の氏名を明かさないので、トラブルになることはない(例えば、嫌いなオンナとして芸能人の名前を挙げると、番組観覧者がネット上に書き込んだりして、面倒なことが起きかねない)。長寿番組にマンネリ化はつきものだが、各ゲストに“嫌なオンナ”エピソードを持ってきてもらえば、持ちよりのホームパーティーのように、労せずして場が華やかになるのだ。

 世の中に“嫌なオンナ”が存在するわけではなく、時と場合と相手によって、嫌な部分が露わになる。故に“嫌なオンナ”と“そうでないオンナ”に分けることはできない。こんな私見を制作側はまったく必要としないだろう。

 若者が恋愛をしなくなり、経済的格差は広がる一方、晩婚化、少子化は進み、離婚率も上昇するなど、多数派としての“フツウの人”の定義が激しく揺らいでいる今、“嫌なオンナ”は一番扱いやすくクレームのつかないコンテンツなのかもしれない。なぜなら自分を“嫌なオンナ”と思うオンナはほぼいないのだから。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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“ポジティブ売り”マギーと“ネガティブ売り”塚地――『モシモノふたり』に見る正反対の本質

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「絶対僕を見て、場違いやなと思っている」ドランクドラゴン・塚地武雅
『モシモノふたり』(フジテレビ系、2月15日)

 テレビは、タレントを“ポジティブ”と“ネガティブ”に分けることがお好きである。視聴者が蛇蝎のごとくリア充を嫌いう現代、今や芸能人は視聴者より“下”を演じなければならない。そんなわけで、今やどんな芸能人も“ネガティブ”の椅子に座りたがるが、「どこがネガティブなんだ」と感じることは多い。

 2月15日放送の『モシモノふたり』(フジテレビ系)は、「自分磨き大好き&ポジティブ」なマギーと、「容姿恋愛すべてにネガティブ」なお笑い芸人・ドランクドラゴン塚地武雅の同居生活を追った。塚地は「シャレてる場所って、抵抗ある」「申し訳ない、劣等感(を持ってしまう)」などと語っていたが、番組はマギーの行きつけである代官山のカフェでの待ち合わせから始まった。

 TwitterやインスタグラムなどのSNSをやらない理由を、「俺の写真載せて、行った場所の人にも申し訳ない」と明かし、ネガティブさを発揮する塚地。「美しくなりたい」とジムに週に2~3回通っているが、効果はあまりなく、「(周囲は)絶対僕を見て、場違いやなと思っている」そうで、マギーはそんなネガティブ塚地のために、自分が通う麻布十番のスタジオでトレーニングをしようと誘う。その後、パンケーキを食べたことのない塚地のリクエストで、パンケーキを食べる。塚地に別番組の収録があったため、2人は一時別行動となり、マギーは撮影場所であるマンションで料理を作り、塚地を待つ。基本的に自炊生活のマギーは、料理もお手の物なのだ。

 そんな同居生活の中で、塚地はマギーに「なぜ自分が結婚できないのか?」と聞き、自信のなさを指摘されていた。塚地が自信を失くしたきっかけは、女性がダイエットなどをして変身を遂げる番組をたまたま見ていたところ、変身前の女性が「ドランクドラゴン塚地似」と紹介されていたからだそうだ。自分はそこまで人に嫌がられるような存在なのかと落ち込んだという。

 “醜い側”の代名詞として自分の名前を使われて、うれしい人はいないだろう。女性に対して苦手意識を持っても仕方がないし、話としての辻褄は合っている。が、塚地の番組での行動を見ていると、自分への甘さに気付くのだ。

 パンケーキを食べに行った際、塚地はマギーのために店のドアを開けず、それを「俺みたいな者がレディーファーストをやっているって思われたくなかった」と説明した。芸能人である塚地が気にすべきは、カフェにいる数人の視線よりも、マギーやテレビの向こうの多くの女性視聴者に、「顔はアレだけど、気が利いて優しい」と思わせることなのではないだろうか。

 さらに2人は、パンケーキをシェアしていたのだが、お会計の際、塚地はバッグから財布を取り出すのにモタモタし、マギーにきっちり自分の分を出されてしまう。20歳も年下の美女にその仕打ちはないと、スタジオにいるりゅうちぇるや坂下千里子から非難されており、私も同感である。

 ちなみになぜ財布を取り出すのに手間取ったかというと、睡眠時無呼吸症候群を患っている塚地が、就寝時につける機械付きのマスクを大きなバッグに入れて持ち歩いているからである。あまり見た目がいいとは言えないマスクを見たマギーに、「治す方法はないの?」と聞かれた塚地は「しょうがないよね」と答えている。睡眠時無呼吸症候群の患者には、肥満型の男性が多いことがわかっていて、その場合、医師にダイエットを勧められる。塚地の体型から考えて、ダイエットが有効である可能性は捨てきれないが、塚地はダイエットをはじめ、“根本から治す”という発想はないようだ。顔は変えられないが、レディーファーストや、睡眠時無呼吸法症候群の治療など、塚地は“自分で変えられること”を案外やろうとしない。「どうせ俺がやっても無駄だ」という言葉だけならネガティブだが、何かに挑戦することすらしない姿は、実は自分に満足しているポジティブな人のように私には見えるのだ。

 ついでに言うと、ポジティブ売りをしているマギーの方が、私にはよっぽどネガティブに見える。腹筋に筋が走るほどワークアウトをし、自炊してスタイルの維持に務め、バラエティでは相手が先輩であろうと、前に出るため切り込んでいくマギー。その理由を「モデルスイッチでやっちゃうと、バラエティで生き残れない」と塚地に説明していた。かつて『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)で、RIKACOが「有酸素運動をしてダイエットをしている」と話した際、「私は代謝が高いから大丈夫」と若さをアピールして、RIKACOを不機嫌にさせていたが、そんなガッツにあふれた仕事ぶりは、両親の離婚や、極貧生活、いじめられた経験と無関係ではないだろう。

 しかし、マギーは今年「フライデー」(講談社)にHi‐STANDARD・横山健との不倫を報じられている。横山は妻子持ちなので、不倫である。2人はマギーがMCを務める『バズリズム』(日本テレビ系)で共演し、横山の猛アプローチで交際が開始したそうだ。

 売れっ子モデルが、自分より20歳近く年上の子持ちのオジサンに熱心に言い寄られたくらいで、損な恋愛をする。事務所の力で今のところお咎めなしだが、よりによってそんな恋愛を選ぶマギーは、悲しいほどネガティブと言えるのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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ウーマンラッシュアワー・村本大輔、“女好き”なのに、なぜか「童貞」っぽいワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「一途な女、男が損をする」ウーマンラッシュアワー・村本大輔
『土曜The NIGHT』(Abema TV、2月4日)

 童貞とは、なんだろうと考えることがある。

 国語辞典によると、童貞とは「セックスの経験がない男性」と書いてある。しかし、素人童貞という言葉もある通り、風俗店で経験したとしても、まだ半分童貞扱いなのだ。ということは、「自分は童貞ではない」と主張するためには、2つの条件をクリアする必要になる。

 1つめは、実際のセックスの経験。2つめは、金銭の授受なく、女性からセックスの合意を取り付ける魅力もしくはコミュニケーション能力を持っているか。金銭でセックスの経験が買えることから考えると、童貞にとって難しいのは、2つめの条件、とりわけコミュニケーション能力を手に入れることと言えるだろう。

 童貞ではない条件を、上記の2つと仮定した場合、人気ドラマの主人公が本当に童貞なのかと疑問がわいてくる。2016年の大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)、04年の『電車男』(フジテレビ系)は、どちらも恋愛に積極的でない童貞と美女のラブストーリーだが、彼らはセックスの経験がない代わりに、コミュニケーション能力は非常に高い。

 『逃げ恥』で星野源が演じた津崎平匡は、雇用主でありながら新垣結衣演じる森山みくりを気遣うことを常に忘れないし(金を払っているのだから、相手に気遣いをする必要はないと考える人はいる)、『電車男』で伊藤淳史が演じた山田剛司は、危険も顧みず、よっぱらいにからまれていた見ず知らずの女性を助けようとする。ドラマだからと言ってしまえばそれまでだが、これだけのコミュニケーション能力があれば、女性はついてくるだろうし、彼らはあえて童貞でいるのではないかと思えてくる。

 逆にセックスの経験があって、わかりやすい魅力があっても、コミュニケーション能力に難がある人のことを、童貞っぽいと私は感じる。お笑い芸人ウーマンラッシュアワー・村本大輔はその代表格である。人気芸人らしく、番組中グラビアアイドルに「口説かれました」と暴露されたり、「ファンを食う」と公言してはばからない。女性に貪欲な芸人は村本だけではないが、村本の特異な点は、嫉妬心や女性不信が異常に強いことである。

 今はなき『ざっくりハイタッチ』(テレビ東京)の企画で、収録の空き時間中のトークを隠し撮りする企画があり、そこで村本が、女性不信を告白したことがあった。一般人女性を好きになった村本は、「2年かけて、一途に好きと言って」「女の電話番号を全部消して」交際に持ち込んだが、彼女が携帯を手放さないことで浮気を疑う。携帯を盗み見たところ、浮気していることが発覚。村本は“お仕置き”として、女性にとって酷なプレイを強要するが、混乱した彼女が警察を呼ぶ騒ぎに発展する。浮気をしただろうと問い詰めると、彼女に「これだけ束縛されたら、爆発する」と返されたそうだ。ちなみに村本の束縛とは、「男性としゃべること禁止」「携帯の男性のメモリは削除」とのこと。女性の浮気を疑うのは、これまで彼氏や夫のいるファンの女性と関係を持ったことから、「女は浮気をするのが普通」と思うに至ったからだという。

 女性不信が強いわりに、村本はそれでも女体を追い求めることをやめない。外見のレベルが高い女性にはそれなりのホテル、そうでもない女性とはトイレ、ブサイクとは外で性交すると同番組で語っていた。心理学的に、「『アイツは〇〇しているに違いない』と思う時は、自分が〇〇している時である」と言われているが、村本は、自分が行きずりのようなセックスばかりしているから、相手も同じに違いないと思ってしまうことに、気付いていない。つまり、村本の女性不信は、実は自分自身の問題なのではないだろうか。

 村本を見ていると、“一途”という言葉が好きなことに気付く。上述の浮気された彼女にもその言葉を使っているし、また2月4日放送の『土曜The NIGHT』(Abema TV)でも、「一途な女、男が損をする」と発言していた。村本は自分が一途な場合、相手からも一途を回収しようとする。「自分が〇〇だから、相手にも〇〇でいてほしい」と願うのは、自分がかけた労力と同じリターンがほしいというケチな人の発想ではないだろうか。先輩が後輩におごることが当然とされるお笑いの世界で、村本のケチぶりはよく話題になるが、メンタル面もまたケチなようである。そんな“ケチメンタル”は、相手からの見返りが多くないと失望したり、自信を失くしたりするので、対女性であった場合、ますます女性不信が強くなってしまう。

 童貞でなくなるということは、女性が自分とは違う構造の肉体と精神を持つ、同じ人間であると知ることではないだろうか。女性を卑しんだり、過剰に神聖視することではない。『ざっくりハイタッチ』で村本は、過去に嫉妬しないで済むので「処女がいい」と発言していたが、相手の女性が本当に処女か見極める能力が彼にあるのだろうか(処女だと演技する女性がいないとは言いきれない)。

 蛇がいることは証明できても、蛇がいないことは証明できないように、浮気しない人を探しだすことは不可能である。それに気づかずに、“証拠”を求めてさまよう村本は、やっぱり童貞に思えてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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松本人志との“確執”を突然暴露――角田信朗に見る、「ネット社会における自意識過剰」の恐怖

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「8年たって、名指しで、ブログでってルール違反じゃない?」ダウンタウン・松本人志
『ワイドナショー』(フジテレビ系、1月22日)

 空手家でK‐1プロデューサーでもある角田信朗が、突然「ダウンタウン松ちゃんに伝えたいこと」というタイトルで、8年前からダウンタウン・松本人志に、“共演NG”を突きつけられていることをブログで明かし、瞬間的に話題を呼んだ。芸能ニュースとしては小粒だが、私にとっては、ここ数年のうちで、一番面白くて怖いと感じた芸能ニュースだった。

 角田のブログでの説明をまとめると、以下の通り。角田は松本から、ある番組の企画でレフェリーをやってくれないかとオファーを受けた。しかし、当時K‐1では、判定方法などをめぐって問題が起きているということもあり、そのオファーを辞退。1年後に、『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)のオファーを受けた角田は喜ぶが、当日になって収録がなくなり、松本に出演を拒否されたことを知る。角田は、松本がレフェリーを断ったことを根に持っていることを確信し、それが現在まで尾を引くのは、何者かが恣意的に自分を悪者にしているからではないか……と推測していた。

 もう何が面白いって角田の自意識過剰ぶりである。収録日に出演拒否されたことで、角田は自分が“共演NG”扱いになっていると思ったようだが、そもそも“共演NG”の意味をよく考えてみた方が良さそうである。

 “共演NG”を、タレントの“好き嫌い”と解釈する人もいるだろうが、私は、当人同士の関係というより、テレビ局のリスク回避の手段であると思っている。出演者同士が揉めて、片方が降板したいとまで言い出した場合、テレビ局は2人のタレントの間で板挟みとなる。どちらを選んでも遺恨となるだろう。それに、浮き沈みの激しい芸能界で、降板したタレントが大ブレークする可能性もあるし、残った側がいつのまにか消えることもある。そのためテレビ局は、視聴率を稼ぐ可能性のあるコマ(芸能人)をより多く確保しようと、あらかじめ揉めそうな組み合わせで“共演NG”を設けて、トラブルを極力発生させないようにしているのではないだろうか。だとすると、“共演NG”を指定する方も、される方も、ある程度の実力者でなければならない。テレビの世界での角田と大御所・松本のレベルの差は、歴然としている。“共演NG”というより、角田は「仕事が来ない」といった方が適切ではないかと思えるのだ。

 松本は、さっそく1月22日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、事の顛末を説明。角田がレフェリーを断ってきた番組は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』(同)で、収録の2日前に、ほぼドタキャン同然だったそうだ。多くの芸人のスケジュールを押さえ、衣装も決めていただけに、現場は大混乱。結局、予定していた日の収録は不可能となってしまったという。

 その後、同局の『ダウンタウンDX』が、何かの手違いで角田にオファーを出したものの、角田をテレビに出演させることは、先だってのドタキャンを容認することにつながると判断し、当日に出演をキャンセルしたという。つまり、全ては角田のドタキャンに端を発したことであり、松本は「番組、吉本興業、日本テレビとの問題」とビジネス上の判断であると説明した。

 「8年たって、名指しで、ブログでってルール違反じゃない?」と松本は呆れ顔だった。芸能人相手にイメージダウンを伴った暴露話をすると“売名”と言われるのが常で、角田にも容疑がかけられている。本当のことは当人にしかわからないが、ブログを読んでいて私が感じるのは、角田が「自分は何も悪いことをしていない」「松本は自分を好きだったはずだ」という自分側のストーリーを強く信じていることである。

 榎本博明の『記憶はウソをつく』(祥伝社)には、記憶は後からの刷り込みや現在の心理状態で変化することがあると書かれている。人間関係の行き違いは、双方の改ざんされた記憶のすれ違いと言える可能性もあるわけだが、たいていの場合、二度と会わなくなるので、全てがうやむやとなる。が、現代はネット社会。SNSを使えば、もう会えなくなった人を探して連絡を取ったり、ブログに自分の信じる暴露話的な昔話を書くことが可能なのだ。

 例えば、妻子ある知人から、若い時に付き合いのあった女性を突然思い出したという話を聞いたことがある。私から見ると、2人はカラダの付き合いだったが、なぜか彼の中では「彼女と結婚したかった」に変換され、彼女を探しだし、20年ぶりにメッセージを送ってしまう。知人は、女性側から返事が来ないことで目が覚めたようだが、今まで一度も思い出すこともなかったような人から、いきなり意味不明な連絡が来たという経験をしている人は、実は多いのではないだろうか。

 角田も知人も、自分が相手にした非礼はきれいさっぱり忘れるかわりに、「相手は自分のことを覚えているはず」という自意識過剰さを発揮している。人の自意識過剰さが一線を越すのは、記憶を美化するに十分な歳月の経過と、ヒマな時間がありすぎる時ではないだろうか。ネット社会の現在、我々は誰でも角田的な自意識過剰を起こして、他人に“記憶テロ”をしかける可能性がある。

 「会えなくなった人は、もう会わないでいい人、もしくは思い出す必要のない人」――もう会っていない誰かを妙に思い出したら、自分の中の角田に、こんな呼びかけをしてみたらどうだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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江角マキコ“不倫疑惑スキャンダル”を通して露見した、女性が羨む“自然体”の落とし穴

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「相手の男のことは知っています」江角マキコの夫・平野眞氏
「女性自身」(光文社、2月7日号)

 90年代、今井美樹が“自然体ブーム”を連れてきた。太い眉、顔の半分はあろうかという大きな口に真っ赤な口紅を塗り、洗いざらしの白いシャツとデニムをはいた今井の“自然体”に、多くの女性が心を奪われた。江角マキコも、その流れで世に出た1人である。

 江角といえば、『ショムニ』(フジテレビ系)を思い出す人は多いだろうが、逆の言い方をすると、代表作は『ショムニ』しかないともいえる。権力に屈せず、弱い者いじめをせず、仲間と自分の自由を大事にする……そんなドラマの主人公・坪井千夏のキャラクターを、江角本人と重ね合わせた視聴者は多かったことだろう。

 よくも悪くも『ショムニ』のイメージから脱却できなかった江角は、バラエティ番組に活路を見いだし、ご意見番にポジション替えをする。この転身の裏には、江角の自己主張の強さに加え、フジテレビのディレクターとの再婚や、2人の子どもが名門小学校に合格したことも加味されているのではないだろうか。収入が安定している、仕事のパイプともなるべき存在の夫を得て、優秀な子どもを育て、美貌も衰えを見せない。『私の何がイケないの?』(TBS系)で、江角が年長者にも説教をかますことができたのは、そんな“完璧な母”としての実績が十分だったからといえるだろう。

 しかし2014年、「週刊文春」(文藝春秋)の報道で、風向きが変わる。長嶋一茂夫人とママ友トラブルを起こした江角が、マネジャーに命じて、長嶋宅に「バカ息子」と落書きさせたという疑惑が報じられ、江角は窮地に陥る。マネジャーが勝手にやったことと釈明したが、イメージダウンは避けられず、バラエティ番組やCMを降板。子どもも転校を余儀なくされた。

 追い打ちをかけるように、16年、「週刊新潮」(新潮社)に、江角が億単位の金額の投資詐欺にあっていたことを報じられる。そして、とどめとなったのが、「女性自身」の不倫疑惑報道だ。江角が夫と2年前から別居していること、投資詐欺で有罪判決を受けた既婚男性、つまり“自分をだました相手”と江角がW不倫をしているという疑惑をスクープされたのである。江角はFAXで不倫を否定し、同時に引退を発表した――。

 こうして、江角の芸能人人生は幕を下ろしたわけだが、女性の好む“自然体”の難しさについて考えさせられる。女性の好む“自然体”は、「忙しい(が、金はある)」「誰もができることに、ひと手間かける」「業績を上げている」の三本柱で成り立っている。

 例えば、江角は『中居正広のミになる図書館』(テレビ朝日系)で「三食全て手作り」であることを明かしていたが、仕事を持つ“忙しい”江角が、料理という“誰もができることに、ひと手間かける”を実践し、さらには、子どもを名門小学校に合格させたという“業績”があるからこそ、“自然体”として祭り上げられるのである。

 時間に余裕のある、もしくは、経済的な余裕がない主婦が三食手作りしたとしても、「当たり前」として受け止められる。多忙で経済的余裕のある主婦が仮にそうしたとしても、子どもが名門校に入るなどの実績がなければ、それは単なる“料理好きのお母さん”でしかない。実績を残しても、「忙しいので、食事は全部、実母(もしくは外注)頼みです」では、女性はあこがれてくれない。自虐や節約ネタを持ち込まず、かといって裕福さを見せびらかすこともなく、どこに出しても恥ずかしくない結果を出しながら、女性から「芸能人なのに三食手作りなんて、堅実で信頼できる。私と一緒」と共感されるのが、好まれる“自然体”なのである。

 江角は、女性の好む“自然体”の座からは滑り落ちてしまったが、私には今の江角が、今までで一番“自然体”に見える。マネジャーが自発的に落書きをしたという江角の言い訳は、苦しいものがあると私は思っている。犯罪は許されないが、子育てやママ友つきあいに行き詰るあまり、相手をギャフンといわせたいと頭の中で思うことは、“自然体”ではないだろうか。

 「女性自身」によると、夫の平野眞氏は、江角が落書きをしたのかどうか問い詰めたそうだが、江角がどれくらい追い詰められていたかを把握していないことに、夫婦間のコミュニケーション不足を感じる。さらに平野氏は、同誌の取材に対し、「相手の男のことは知っていますよ」と回答していたが、妻がどんな気持ちで子育てしていたかは知っていたのだろうか。

 ちなみに、不倫相手は江角を問いただすことはなく、「江角を守る」と言ったそうだが、孤独に陥り、追い込まれた時に甘い言葉をささやかれたら、善悪は別として、不倫関係に陥ったり、金を出すのも“自然体”であると思う。

 江角が引退することで空いた“自然体”のママ枠に座ったタレントが、江角と同じく“多忙”と“手作り”と“実績”をウリにするならば、そのタレントも江角と同じく不倫などのスキャンダルに巻き込まれる可能性がある。なぜなら“多忙”にもかかわらず、“手作り”を重んじて、“実績”を生む“自然体”と呼ばれる妻は、「自分1人で全て背負い、孤独になる妻」と紙一重なのだから。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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セカオワ・Saori、Fukaseへの“依存”に見る「幼馴染を強調する女」の面倒くささ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「幼稚園からずっと一緒に生きてきた我がボーカリスト」SEKAI NO OWARI・Saori
(1月12日 公式Twitter)

 数年前、ある女性週刊誌から当時プチブレークを果たしたSEKAI NO OWARIの人気の秘密について、コメントを依頼されたことがある。ちょうどその頃、『情熱大陸』(TBS系)が彼らの特集を組んだのでチェックしたわけだが、はっきり言って気持ち悪かった。

 同番組では、中学の頃、Fukaseは集団リンチに遭ったことで学校に行かなくなり、アメリカに留学するも、パニック障害を発症して精神科の閉鎖病棟に入院していたという過去が明かされた。そんなFukaseを支えたのが、幼稚園からの幼馴染であるSaoriと、小・中学校が一緒のNakajinだった。Nakajinは、不登校だったFukaseの家まで毎朝迎えに行くなど、彼を見捨てなかったそうだ。バンドを結成した彼らは、都内の一軒家(通称・セカオワハウス)で共同生活を始める。グラム29円の肉を食べながら音楽活動に勤しみ、ブレークを果たした後も、変わらず仲良く一緒に暮らし続けているという。

 「1年のうち、300日は体調が悪い」というFukaseを、メンバーであるSaoriとNakajinが支えている。特にSaoriは「私の夢は、Fukaseの夢をかなえること」と妻でもないのに、藤原紀香もびっくりの梨園妻並みの熱さでFukaseを支える気マンマンだ。

 善良な人なら、彼らの“メンバー愛”“絆”に感動するだろうが、私にはSaoriとNakajinが、Fukaseに勝手に“依存”している関係にしか見えなかった。SaoriはFukaseの誕生日のブログに「もっともっと頑張らなくては、彼を孤独にしてしまう」と綴っているが、番組ではFukase本人が「生きていて楽しい」とも語っているので、それほど心配する必要はないのではないだろうか。Fukaseが孤独を感じてないとはいわないが、セールスも順調で、芸能人の彼女だっている。Saoriの考えすぎじゃないかという気がしてくるのである。

 それはさておき、Saoriは頑張っている。例えば同番組では、初めてセカオワが、低音の曲に挑戦したレコーディングの様子が流れたのだが、思うように声が出ないFukaseは、「全然歌ってる感じがしない」「何この人、歌手なのに全然声が出てないけど、歌ってる? とか言われたらいやだもん」とゴネる。ディレクターを務めるSaoriは、怒るどころか、むしろうれしくてたまらないといった感じでFukaseをなだめすかし、最後には納得いくものを作り上げた。SaoriはFukaseを褒め、FukaseはSaoriに逆らったことを謝罪する。そんなFukaseを見るSaoriは、またも笑顔である。

 Fukaseを語る時、Saoriはいつも笑っている。2人が過去に交際していた説が持ち上がるのも、SaoriがFukaseへ送る視線が妙にねっとりしていたり、Fukaseを語る口調に、単なる仲間を超えた熱っぽさがあるからだろう。もしFukaseが元カレだとしたら、Saoriの言動は“未練”と呼ばれる感情になるだろうが、過去に交際していようといまいと、私にはSaoriの行動は単なる“自己愛”に見える。

 Saoriは同番組で、「必要とされたい。『Saoriちゃんがいないと、SEKAI NO OWARIじゃない』と思われたい」と語っている。それでは、どうすれば一番てっとり早く“必要とされる”ことを感じられるかというと、“面倒を起こす人”のそばにいて、なだめすかしたり、尻拭いをすることなのである。

 Saoriは、体調の悪い日が多いというFukaseを理解し、気遣うことで、彼に必要とされる。上述したレコーディングの場合も、FukaseがSaoriの指示に素直に従って歌ってしまったら、ラクすぎて“必要とされる感”は少ない。かといって、FukaseがSaoriの指示を完全無視して、レコーディングを拒否したら、曲が出来上がらないので話にならない。ゴネるけれども、最後は言うことを聞くFukaseは、Saoriに、最上級の“必要とされる感”を与えられる存在なのである。

 “必要とされる”存在といえば、恋人を連想する人もいるだろう。確かに恋人は親密な関係といえるが、恋愛関係とは、かなり不安定な人間関係で、いつ破たんするかわからない。血縁関係も、互いに遠慮がないだけに、こじれると厄介だ。仲のいい友達でも、芸能人でなければ、Fukaseの悩みは理解できないだろう。SaoriはTwitterで「幼稚園からずっと一緒に生きてきた我がボーカリスト」といった具合に、Fukaseとはつきあいが長いことをことあるごとに強調するが、同業の幼馴染というのは、実は一番長く“必要とされる”ポジションだということを知っているのではないか。

 1月12日、Saori、そしてNakajinがそれぞれ結婚を発表し、Fukaseへの“依存”にピリオドが打たれるかと思ったものの、2人は今後もセカオワハウスでメンバーと同居を続けるそうである。Fukaseのそばにいたい、でも、結婚というものもしてみたい。そんなSaoriを見ていて思い出すのは、あだち充の名作『タッチ』(小学館)の浅倉南である。甲子園を目指す成績優秀な双子の弟・上杉和也が、自分に気のあることをわかっていて仲良くしているが、ちゃっかり兄の達也とキスする女、南。あれもこれも欲しがり、どっちにもいい顔をする女。そういえば、南も上杉兄弟の幼馴染である。幼馴染を強調する異性は、一番生臭く野心的な感情を隠しているように思えてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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セカオワ・Saori、Fukaseへの“依存”に見る「幼馴染を強調する女」の面倒くささ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「幼稚園からずっと一緒に生きてきた我がボーカリスト」SEKAI NO OWARI・Saori
(1月12日 公式Twitter)

 数年前、ある女性週刊誌から当時プチブレークを果たしたSEKAI NO OWARIの人気の秘密について、コメントを依頼されたことがある。ちょうどその頃、『情熱大陸』(TBS系)が彼らの特集を組んだのでチェックしたわけだが、はっきり言って気持ち悪かった。

 同番組では、中学の頃、Fukaseは集団リンチに遭ったことで学校に行かなくなり、アメリカに留学するも、パニック障害を発症して精神科の閉鎖病棟に入院していたという過去が明かされた。そんなFukaseを支えたのが、幼稚園からの幼馴染であるSaoriと、小・中学校が一緒のNakajinだった。Nakajinは、不登校だったFukaseの家まで毎朝迎えに行くなど、彼を見捨てなかったそうだ。バンドを結成した彼らは、都内の一軒家(通称・セカオワハウス)で共同生活を始める。グラム29円の肉を食べながら音楽活動に勤しみ、ブレークを果たした後も、変わらず仲良く一緒に暮らし続けているという。

 「1年のうち、300日は体調が悪い」というFukaseを、メンバーであるSaoriとNakajinが支えている。特にSaoriは「私の夢は、Fukaseの夢をかなえること」と妻でもないのに、藤原紀香もびっくりの梨園妻並みの熱さでFukaseを支える気マンマンだ。

 善良な人なら、彼らの“メンバー愛”“絆”に感動するだろうが、私にはSaoriとNakajinが、Fukaseに勝手に“依存”している関係にしか見えなかった。SaoriはFukaseの誕生日のブログに「もっともっと頑張らなくては、彼を孤独にしてしまう」と綴っているが、番組ではFukase本人が「生きていて楽しい」とも語っているので、それほど心配する必要はないのではないだろうか。Fukaseが孤独を感じてないとはいわないが、セールスも順調で、芸能人の彼女だっている。Saoriの考えすぎじゃないかという気がしてくるのである。

 それはさておき、Saoriは頑張っている。例えば同番組では、初めてセカオワが、低音の曲に挑戦したレコーディングの様子が流れたのだが、思うように声が出ないFukaseは、「全然歌ってる感じがしない」「何この人、歌手なのに全然声が出てないけど、歌ってる? とか言われたらいやだもん」とゴネる。ディレクターを務めるSaoriは、怒るどころか、むしろうれしくてたまらないといった感じでFukaseをなだめすかし、最後には納得いくものを作り上げた。SaoriはFukaseを褒め、FukaseはSaoriに逆らったことを謝罪する。そんなFukaseを見るSaoriは、またも笑顔である。

 Fukaseを語る時、Saoriはいつも笑っている。2人が過去に交際していた説が持ち上がるのも、SaoriがFukaseへ送る視線が妙にねっとりしていたり、Fukaseを語る口調に、単なる仲間を超えた熱っぽさがあるからだろう。もしFukaseが元カレだとしたら、Saoriの言動は“未練”と呼ばれる感情になるだろうが、過去に交際していようといまいと、私にはSaoriの行動は単なる“自己愛”に見える。

 Saoriは同番組で、「必要とされたい。『Saoriちゃんがいないと、SEKAI NO OWARIじゃない』と思われたい」と語っている。それでは、どうすれば一番てっとり早く“必要とされる”ことを感じられるかというと、“面倒を起こす人”のそばにいて、なだめすかしたり、尻拭いをすることなのである。

 Saoriは、体調の悪い日が多いというFukaseを理解し、気遣うことで、彼に必要とされる。上述したレコーディングの場合も、FukaseがSaoriの指示に素直に従って歌ってしまったら、ラクすぎて“必要とされる感”は少ない。かといって、FukaseがSaoriの指示を完全無視して、レコーディングを拒否したら、曲が出来上がらないので話にならない。ゴネるけれども、最後は言うことを聞くFukaseは、Saoriに、最上級の“必要とされる感”を与えられる存在なのである。

 “必要とされる”存在といえば、恋人を連想する人もいるだろう。確かに恋人は親密な関係といえるが、恋愛関係とは、かなり不安定な人間関係で、いつ破たんするかわからない。血縁関係も、互いに遠慮がないだけに、こじれると厄介だ。仲のいい友達でも、芸能人でなければ、Fukaseの悩みは理解できないだろう。SaoriはTwitterで「幼稚園からずっと一緒に生きてきた我がボーカリスト」といった具合に、Fukaseとはつきあいが長いことをことあるごとに強調するが、同業の幼馴染というのは、実は一番長く“必要とされる”ポジションだということを知っているのではないか。

 1月12日、Saori、そしてNakajinがそれぞれ結婚を発表し、Fukaseへの“依存”にピリオドが打たれるかと思ったものの、2人は今後もセカオワハウスでメンバーと同居を続けるそうである。Fukaseのそばにいたい、でも、結婚というものもしてみたい。そんなSaoriを見ていて思い出すのは、あだち充の名作『タッチ』(小学館)の浅倉南である。甲子園を目指す成績優秀な双子の弟・上杉和也が、自分に気のあることをわかっていて仲良くしているが、ちゃっかり兄の達也とキスする女、南。あれもこれも欲しがり、どっちにもいい顔をする女。そういえば、南も上杉兄弟の幼馴染である。幼馴染を強調する異性は、一番生臭く野心的な感情を隠しているように思えてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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オードリー・若林正恭、オリラジ・藤森への不快感に見る「意固地な上下関係」意識

 

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「面倒くさいよな、あいつって」若林正恭
『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送、1月7日)

 テレビを見ていると、「この人、気難しいんだろうな」と思わされる芸能人が時々いるが、私から見て、ずば抜けて気難しそうなのが、お笑い芸人・オードリーの若林正恭である。

 2008年の「M‐1グランプリ」2位受賞を皮切りに、オードリーは快進撃を続けている。ツッコミの若林は、16年の『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)で初優勝したほか、映画『ひまわりと子犬の七日間』で第37回日本アカデミー賞話題賞を受賞、また『社会人大学 人見知り学部卒業見込み』(KADOKAWA)を上梓するなど、お笑いにとどまらず幅広い分野で活躍している。そんな若林は、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で、「人見知り芸人」「女の子苦手芸人」「マイナス思考芸人」の回に出演するなど、テレビでは、非リア充のキャラで通している。

 しかし、『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)を聞いていると、気弱な非リア充どころか、独特の扱いづらさに気付く。1月7日放送回で、若林は後輩芸人・オリエンタルラジオの藤森慎吾が疎ましくなった出来事について語っていた。

 藤森の「グイグイ来てくれる感じが好き」と思って親しくしていた若林だが、収録の本番前に、若林が高級車・ランドクルーザーに乗っていることについて、「若林さんが、ああやってデカい車に乗ってるのダサいっす」といじってきたという。藤森は「若林さんはプリウスとか、そういうのでいいんすよ」と言っていたそうで、若林は「俺はいいのよ、ランドクルーザーに乗って笑われるのは。ちんまいし(小さいし)、俺みたいな地味なキャラがデカい車乗って」とその指摘に理解を示しつつも、「本番前に、藤森みたいなもんに受け身取るフリしたくない」と不快感をあらわにしていた。相方の春日俊彰が、「本番前のタイミングだから、面倒に感じたのでは?」と尋ねたが、若林は「本番後に同じことを言われても面倒くさい」と答えていたので、よっぽどカチンと来たのだろう。

 この愛車についてのエピソードは、15年5月放送『アメトーーク!』の「マイナス思考芸人」でも披露している。

 車が好きで念願のランドクルーザーを手に入れた若林だが、「売れない頃からつきあいのあるスタッフに、『昔はオーディションに原付で来ていたのに、偉くなったもんだ』と思われたくないから、バレないように駐車場の柱から柱へ、そそくさと移動している」と話して笑いを誘っていた。

 トーク番組のエピソードは誇張があって当然。その真偽を探るのは無粋だが、芸能界のような数字が全ての世界では、スタッフが売れない人に注意を払う可能性は非常に低い。芸人に限らず、売れなかった時代、テレビ局に行く交通費にも困っていた芸能人が、売れたら高級車を買うケースもよく聞く。つまり、若林の変化は“大変よくあること”であり、スタッフの誰も気にも留めていないと私は思う。自意識の空回りと見ることもできるのだろうが、若林の場合、独特の“意固地さ”を感じるのだ。

 その“意固地さ”は『アメトーーク!』の同じく「マイナス思考芸人」の回によく表れていた。「理解できないこと」というお題に、若林は「現場に犬を連れてくる人」と回答。加藤浩次も、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)で、仕事場に犬を連れてくる芸能人を批判したが、加藤と若林では、その理由がまったく異なる。加藤が「スタッフに余計な仕事をさせることになるから」と、周囲の負担を増やすことを批判の理由に挙げた一方、若林は「犬を仕事場に連れていって結果が出せなかったら、仕事に集中しろと批判されることは目に見えている。よっぽど自分に“自信”があるんだなと思い、自分には理解できない」と述べていた。つまり、若林が気にしているのは、自分と相手の力量の差、突き詰めると自分と相手の力はどちらが上か下かという“上下関係”といえるのではないだろうか。

 そう考えると、若林がランドクルーザーを乗っていることを知られたくない気持ちと、藤森に対してヘソを曲げた件が、つながってくる。若林が高級車に乗って「偉くなったと思われたくない」と感じてしまうのは、自分より“下”だと思っていた相手が、何らかのきっかけで高級車に乗っているのを、若林自身が苦々しく見つめた経験があるからではないだろうか。他人を批判的に見るから、自分もそう見られているに違いないと思い込み、その考えから逃れられなくなるということは、よくあることだ。「高級車に乗る自分は笑われているかもしれない」という思い込みがあるところに、自分より“下”だと思っている藤森がそこを突いてきたので、必要以上に不快に感じたように私には見える。

 「面倒くさいよな、あいつって」と藤森に対する不快感を露わにした若林だが、温和に見せて、上下にうるさいあなたも、かなりの面倒くささですよと申し上げたい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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