IMALUはなぜ男にモテないのか? 「体が臭いから」という自己分析がズレている理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「自分の体が臭いんじゃないかと思った」IMARU
『おぎやはぎのブステレビ』(AbemaTV、8月14日)

 資産家、もしくは由緒正しい家柄に育った女性は、“お嬢様”と呼ばれる。

 例えば、タレントのソンミが一時、お嬢様売りをしていた。「父親がマカオでカジノを経営している大富豪」「ダイヤモンドがちりばめられたロレックスでも、止まったら時計は捨てる」という触れ込みで、“お嬢様売り”を始めたが、これに異議を唱えたのがインドネシア建国の父、スカルノ大統領の第三夫人、デヴィ・スカルノだった。『ドラゴン・レィディ』(フジテレビ系)で、ソンミについて「セレブぶっているけど、嘘ばっかり」と語り、激昂していた。

 タレントのプロフィールは、商品のキャッチコピーと一緒で、必ずしも真実である必要はないと私は思っているが、私もデヴィ夫人と同じく、ソンミは“お嬢様”ではないと感じた。なぜなら、ソンミにはお嬢様特有の“あるもの”が欠けているからだ。

 お嬢様というものが何たるかを私に教えてくれたのは、フリーアナウンサー・高橋真麻である。真麻がフジテレビに入社した際、父親が有名俳優・高橋英樹であったことから、コネ入社と叩かれた。ネットで叩かれる日々は相当ストレスだったようで、真麻は体重が30キロ台まで落ち込んでしまったと、いろいろなバラエティ番組で語っている。

 その一方で、ズレているところにも気づかされる。フジテレビには、有望と思われる女子アナを“パン”付けで呼ぶ風習がある。番組名は失念したが、真麻は「パンラインは2年目であきらめました」と発言したことがあり、これは逆に言うと「入社して1年目までは、自分はフジの女子アナの中で中心を張れると思っていた」ということだ。激ヤセするほど精神的に追い込まれても、自己評価は案外高い……この一種のニブさが、お嬢様の最大の特徴ではないか。

 真麻と同じ類いのニブさを持っているのが、タレントのIMARUである。言わずと知れた、明石家さんまと大竹しのぶの娘であり、芸能界入りしたものの、芸能人として成功しているとは言い難い。プライベートもあまり好調ではないようで、8月14日放送の『おぎやはぎのブステレビ』(AbemaTV)に出演した際、「本当にモテなくて、連絡先を聞かれることもない」と述べ、その理由を「体が臭いんじゃないか」と述べた。ボケてるんだか、本気で思ってるんだか不明だが、これまたぬるーくて、自分を追い込まないところが、お嬢様チックである(本当に匂いが原因なら、デオドラント対策をすれば、すぐ解決するはずだ)。

 頼まれもしないのに、100%推論で言わせてもらえば、IMARUがモテないのは、仕事の実績がいまいちなことも関係していると思う。モテと仕事は正反対のベクトルと思われがちだが、同一線上にあると私は思っている。

 例えば、「週刊文春」(文藝春秋)にモデルとのホテル宿泊を撮られた雨上がり決死隊・宮迫博之だが、不倫相手とされた女性は20代のモデル、30代の美容系ライターだそうだ。失礼ながら、どちらも有名とは言い難い。「業界にいるが、めぼしい実績はなく、けれど若い」女性と50歳近い既婚オジサンの不倫というのは“よくあるパターン”で、覚せい剤取締法違反で逮捕されたASKAも、20代のモデルや、30代の一般人女性と交際していた。

 逆に言うと、人気女性誌のカバーガールクラスのモデルが、既婚オジサンと不倫をしているという話を私は聞いたことがない。これは決して偶然ではないと思う。既婚オジサンの立場で考えると、有名アスリートや実業家にモテまくっているであろう、人気モデルに声をかけても、断られる確率が高い。その点、売れていないモデルなら、自分のネームバリューになびきやすいし、仕事も少ないから自分のスケジュール優先に動いてくれる。つまり、女性側の仕事の出来で、アプローチしてくる男性のだいたいの属性は決まってしまうのだ。

 そもそも今のIMARUでは、お笑い芸人は父・さんまが怖くて手出しができないし、女優やモデルを見慣れた業界関係者が、IMARUで満足できるとは思えない。かといって、芸能一家で育ち、芸能界でしか仕事をしたことのないIMARUと一般人では、何かと感覚が違いすぎるだろう。そんな身の上もあり、モテないのではないかと推測できるが、今後仕事の実績を上げることは可能だ。幸い、IMARUには抜群の知名度があるので、それを利用して仕事で成果を上げ、自分の居場所を固めるのが、一番のモテ対策ではないだろうか。裏方として大竹しのぶを支えたり、新人女優を発掘するのもアリだ。

 一般人の世界でも、キャリアアップすると、付き合うオトコのレベルが上がるということはよくあるが、IMARUもそんな時期を迎えているのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

IMALUはなぜ男にモテないのか? 「体が臭いから」という自己分析がズレている理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「自分の体が臭いんじゃないかと思った」IMARU
『おぎやはぎのブステレビ』(AbemaTV、8月14日)

 資産家、もしくは由緒正しい家柄に育った女性は、“お嬢様”と呼ばれる。

 例えば、タレントのソンミが一時、お嬢様売りをしていた。「父親がマカオでカジノを経営している大富豪」「ダイヤモンドがちりばめられたロレックスでも、止まったら時計は捨てる」という触れ込みで、“お嬢様売り”を始めたが、これに異議を唱えたのがインドネシア建国の父、スカルノ大統領の第三夫人、デヴィ・スカルノだった。『ドラゴン・レィディ』(フジテレビ系)で、ソンミについて「セレブぶっているけど、嘘ばっかり」と語り、激昂していた。

 タレントのプロフィールは、商品のキャッチコピーと一緒で、必ずしも真実である必要はないと私は思っているが、私もデヴィ夫人と同じく、ソンミは“お嬢様”ではないと感じた。なぜなら、ソンミにはお嬢様特有の“あるもの”が欠けているからだ。

 お嬢様というものが何たるかを私に教えてくれたのは、フリーアナウンサー・高橋真麻である。真麻がフジテレビに入社した際、父親が有名俳優・高橋英樹であったことから、コネ入社と叩かれた。ネットで叩かれる日々は相当ストレスだったようで、真麻は体重が30キロ台まで落ち込んでしまったと、いろいろなバラエティ番組で語っている。

 その一方で、ズレているところにも気づかされる。フジテレビには、有望と思われる女子アナを“パン”付けで呼ぶ風習がある。番組名は失念したが、真麻は「パンラインは2年目であきらめました」と発言したことがあり、これは逆に言うと「入社して1年目までは、自分はフジの女子アナの中で中心を張れると思っていた」ということだ。激ヤセするほど精神的に追い込まれても、自己評価は案外高い……この一種のニブさが、お嬢様の最大の特徴ではないか。

 真麻と同じ類いのニブさを持っているのが、タレントのIMARUである。言わずと知れた、明石家さんまと大竹しのぶの娘であり、芸能界入りしたものの、芸能人として成功しているとは言い難い。プライベートもあまり好調ではないようで、8月14日放送の『おぎやはぎのブステレビ』(AbemaTV)に出演した際、「本当にモテなくて、連絡先を聞かれることもない」と述べ、その理由を「体が臭いんじゃないか」と述べた。ボケてるんだか、本気で思ってるんだか不明だが、これまたぬるーくて、自分を追い込まないところが、お嬢様チックである(本当に匂いが原因なら、デオドラント対策をすれば、すぐ解決するはずだ)。

 頼まれもしないのに、100%推論で言わせてもらえば、IMARUがモテないのは、仕事の実績がいまいちなことも関係していると思う。モテと仕事は正反対のベクトルと思われがちだが、同一線上にあると私は思っている。

 例えば、「週刊文春」(文藝春秋)にモデルとのホテル宿泊を撮られた雨上がり決死隊・宮迫博之だが、不倫相手とされた女性は20代のモデル、30代の美容系ライターだそうだ。失礼ながら、どちらも有名とは言い難い。「業界にいるが、めぼしい実績はなく、けれど若い」女性と50歳近い既婚オジサンの不倫というのは“よくあるパターン”で、覚せい剤取締法違反で逮捕されたASKAも、20代のモデルや、30代の一般人女性と交際していた。

 逆に言うと、人気女性誌のカバーガールクラスのモデルが、既婚オジサンと不倫をしているという話を私は聞いたことがない。これは決して偶然ではないと思う。既婚オジサンの立場で考えると、有名アスリートや実業家にモテまくっているであろう、人気モデルに声をかけても、断られる確率が高い。その点、売れていないモデルなら、自分のネームバリューになびきやすいし、仕事も少ないから自分のスケジュール優先に動いてくれる。つまり、女性側の仕事の出来で、アプローチしてくる男性のだいたいの属性は決まってしまうのだ。

 そもそも今のIMARUでは、お笑い芸人は父・さんまが怖くて手出しができないし、女優やモデルを見慣れた業界関係者が、IMARUで満足できるとは思えない。かといって、芸能一家で育ち、芸能界でしか仕事をしたことのないIMARUと一般人では、何かと感覚が違いすぎるだろう。そんな身の上もあり、モテないのではないかと推測できるが、今後仕事の実績を上げることは可能だ。幸い、IMARUには抜群の知名度があるので、それを利用して仕事で成果を上げ、自分の居場所を固めるのが、一番のモテ対策ではないだろうか。裏方として大竹しのぶを支えたり、新人女優を発掘するのもアリだ。

 一般人の世界でも、キャリアアップすると、付き合うオトコのレベルが上がるということはよくあるが、IMARUもそんな時期を迎えているのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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東村アキコ、「結婚したい30代への助言」に見る矛盾――『東京タラレバ娘』に欠けていたモノ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「(結婚したければ)ツッコミ気質をやめること」東村アキコ
「CLASSY.」2017年9月号(光文社)

 AVと少女漫画は似ていると思うことがある。

 前者は青年向け、後者は少女向けだが、自分からアクションを起こさなくても、自分に都合のいいことばかりが起きるという意味でよく似ている。男を萎えさせるようなムダ毛が1本もない女優たちが、男優の技に歓喜し、必ずオーガズムに達するAVに嘘くささを感じる女性がいるように、“学園のスターが、平凡な私に恋をして両想い”という少女漫画の王道は、男性にとってはちゃんちゃらおかしいことだろう。AVや少女漫画はファンタジーの一種といえるが、婚活においては、ファンタジーに足を引っ張られることになる。なぜなら、婚活とは一種の条件闘争で超現実だからである。

 水と油と同じくらい交わることのない、少女漫画と婚活。そこに切り込んだのが、人気漫画家・東村アキコの『東京タラレバ娘』(講談社)である。少女漫画と婚活といえば、『きょうは会社休みます。』(集英社)のように、ファンタジック路線を追求する(平凡な33歳OLが、酔っ払って12歳年下のイケメン高学歴大学生相手に処女喪失し、交際することになる。一方で「若い子に飽きた」年上のイケメン起業家にもアプローチされる)ものもあるが、『東京タラレバ娘』は、「夢を追いかけているうちに30歳を過ぎた」女子3人が、「結婚したいけれど、適当な相手がいない」という超現実的なテーマを掲げていただけに、個人的に期待していた。

 婚姻率は、年齢が上がると下がる。国勢調査から計算すると、30歳の女性が35歳までに結婚する確率は30%程度、35歳をすぎると2%程度まで落ち込む(もっとも、結婚願望がない女性もいるので、この数字が正確とは言いきれない部分もあるが)。

 『東京タラレバ娘』の33歳の主人公たちも、相席居酒屋で外見がタイプでない男性に「(年齢が)結構イッてるなと思って」と、「自分たちは、自分たちが思っているより若くない」ことを思い知らされる。このほかにも、本作には少女漫画とは思えないほど「もう若くない」ことを繰り返すエピソードはいくつかあり、不快に思う人もいたと思うが、私は逆に「若くなければどうしたらいいのか」を提示する伏線だと思っていた。

 しかし、それは私の見当違いだった。まだ読んでいない方のために詳細は書かないでおくが、「若くなければどうしたらいいのか」についての答えはなかった。「結婚したからといって幸せではない」「幸せは自分の心が決める」と言われてしまえばそれまでだが、執拗に年齢や独身であることをディスられた主人公(と読者)たちは、“やられ損”ではないだろうか。はしごを外されたと感じたのは、私だけではなかったはずだ。

 連載を終えた東村は、「CLASSY.」(光文社)のインタビュー企画「30代がくれたもの」に登場した。結婚したい「CLASSY.」読者に向けて一言という質問に対し、東村は「ツッコミ気質をやめること」と答えている。東村いわく、30代の女性は、合コン相手の「ネクタイの柄が変」とか「なんで飲み放題にしなかったの?」といった細かいことに目がいきがち。「たおやか」に振る舞い、ツッコミは裏でオンナ同士とすべきと答えていた。

 ここで思い出すのが、東村の“女子会批判”である。東村は『東京タラレバ娘』の1巻から最終巻まで、一貫して「結婚したいなら、女子会は減らすべき」と書いている。が、「ネクタイの柄が変」な男に会ったことを、オンナ同士で話して発散するのが“女子会”なのではないだろうか。悪口は女子会で言え、でも、女子会をしていると結婚ができなくなるという東村理論は、矛盾しているのだ。

 私に言わせるのなら、タラレバ娘たちは、ツッコミが足りないのだ。例えば、「ネクタイの柄が変」な男に会ったら、なぜそのネクタイを選んだのか(相手にも理由があるはず)、なぜネクタイの柄が変だと自分はイヤなのか(自分が相手に望む譲れない条件の1つに、“自分好みのファッションセンスの人”が入っていることがわかるはずである)などというツッコミだ。

 ツッコミは自分にも入れなければ、フェアではない。「ネクタイの柄が変」と思う自分のセンスは、絶対に正しいのか。男性から見て、自分のファッションも「変だ」と思われている可能性はないか。もっというと「結婚願望がありながら、ずっと彼氏がいなかったのはなぜなのか」など、ツッコミどころはたくさんあるはずだ。もっと、相手や自分に向き合っていいのではないか。

 最終巻まで読んだが、少女漫画の醍醐味の1つである男性キャラクターの魅力が、私には伝わってこなかった。倫子はKEYのどこがよかったのだろうか。若いイケメン芸能人だから? だとしたら、女性を年齢で選ぶ男性とたいして変わらない気がする。

 倫子はKEYに「あなたの幸せが私の幸せ」と言っていたが、イケメンになら何をされても好きで、昭和ど演歌のようにすがり、早坂のような“いい人”はナメてかかる。こういった男性観は、少女漫画としても、実際のパートナーシップという意味でも、ズレていると感じずにいられない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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“仕事が結婚か”に悩む平野ノラ、江原啓之の「倍、頑張る」というアドバイスに抱いた違和感

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「家事とかあまり得意じゃない」平野ノラ
『火曜サプライズ』(日本テレビ系、8月1日)

 8月1日放送の『火曜サプライズ』(日本テレビ系)に平野ノラが出演し、日本のスピリチュアル界の首領・江原啓之に人生相談をしていた。平野は今年の2月『ダウンダウンなう』(フジテレビ系)で、交際中の一般人男性からの公開プロポーズを受け入れたものの、具体的な時期については明言を避けるなど、どことなく結婚に腰が引けている感も否めない。平野はその理由を「仕事と家庭の両立ができない」「家事とかあまり得意じゃない」と説明した。「仕事を失っても、彼と一緒になりたいか?」と江原に問われると、平野は「仕事を取る」と明言。これらの発言から、どう考えても「結婚したくない」というのが本音に思えるが、「結婚を待ってもらっている」「トシもトシだし」と語るなど、決めかねているようだ。

 多くの女性ファンの心をとらえた結果、熱海に1,000坪以上の大豪邸を築いた江原だけに、平野や平野と同じ悩みを抱える視聴者の女性に霊験あらたかなアドバイスをしてくれると期待を持って見ていた。しかし、江原の「倍、頑張る」というアドバイスは期待はずれを通り越して、あんぐりと口を開けてしまった。いやいや、あなた、話聞いてました? と思ったのは、私だけではないはずだ。

 平野は数年前にバブルネタでブレークしたものの、売れたからこそ、これからが正念場とも言える。仕事に全力投球している今、結婚して家庭を持ったら、仕事にマイナスになるのではと悩んでいる女性に向かって、ドヤ顔で「倍、頑張れ」とは、一体どういう了見をしているのだろう。

 「倍、頑張れ」は、アドバイスとして実践的とは言えない(そもそも、江原は何を頑張るのかについて明言していない)。しかし、日本人の心情に訴えるという意味では、このアドバイスは最高だ。というのは、「オンナの苦労は美徳」「幸福はオンナの努力次第」という考え方は、オジサン世代だけではなく、女性の間にも深く浸透し、量産され続けているからだ。

 例えば、先日「女性自身」(光文社)が「錦織圭同伴の観月あこ 会計はブラックカードの超セレブ生活」と報じた。ファッションモデルをしていた観月あこだが、錦織との熱愛発覚後はほとんど仕事をしていない。そんな観月が、ジュネーブで高級バッグを買い、友人には寿司をおごり(支払いはブラックカード)、移動はファーストクラス、宿泊も高級ホテルのスイートルームとまさにセレブ生活を送っているという。記事は、そのカネの出どころが錦織であるとしていた。

 番組名は失念したが、かつて松岡修造が現役時代を振り返って、“ツアー中の精神的な孤独がいかにきついものか”を話していたことがある。それは、世界の頂点が見えてきた錦織も同じだろう。そんな時に恋人にそばにいてほしいと思うことは、自然なことである。錦織のそばにいたら、観月は、芸能活動ができなくなるわけだから、錦織がカネを出すのは、当然ではないだろうか。記事を読むと、観月が錦織のカネで豪遊する性悪であるかのような印象を私は受けるが、私には観月が悪いようにはまったく思えない。それでは、どうして観月が悪者にされているかというと、「オンナの苦労は美徳」であるのに、「苦労をしていないから」ではないだろうか。

 記事の中にこんな記述がある。慶應義塾大学日吉キャンパスを訪れた錦織は、炎天下、先輩であるテニスプレーヤーの伊達公子とラリーをしていたそうだ。その最中、観月は「1100万もする高級車ジャガーの後部座席で涼んでいた」とのこと。記事からは、世界の錦織の彼女たるもの、練習中に自分だけ涼しい場所にいてラクをするのは言語道断、自分も一緒に戦うつもりで練習を見届けるべきという彼女像が透けて見えた。

 「フラッシュ」(同)によれば、観月がこんなに悪く言われるのは、元彼女の評判がとてもよかったかららしい。元彼女は、早稲田大学スポーツ科学部出身の元アスリート。栄養学や運動生理学に詳しく、錦織を常に立て(タオルやドリンクを持って数メートル後ろを歩いていた、錦織のために徹夜でマッサージをしていたなど)ており、錦織の両親にも可愛がられていたという。自分のことは二の次にする典型的なアスリートの彼女と言えるだろう。

 けれど、錦織はそんな彼女と別れ、「苦労しない」観月を選んだ。観月の売名説や、錦織の周囲が交際に反対しているとも言われているが、交際が続いているところを見ると、相性がいいのだろう。何が言いたいかというと、オンナが苦労せず、ラクをしても仲の良いカップルはいるとうことだ。

 平野に話を戻そう。そもそも平野は「結婚できないキャラ」でもアイドルでもないから、結婚したから仕事が減るとは考えにくい(もし減るとしたら、それはバブルネタが飽きられた時だろう)。また本当に「家事が得意でないから」結婚に躊躇しているのだとしたら、外注すれば即解決である。つまり、今の平野に必要なのは、仕事(とそこから得る経済力)なのである。他人のために2倍の努力をするよりも、自分が売れることを第一に考えて稼ぐ方が、結婚に対するハードルを下げることになるわけだ。

 私が会社員だった頃、周囲はバブル世代だらけだったが、ロスジェネ世代の私から見たバブル世代は「苦労しなかった人たち」である。バブルをネタにする平野も、無駄な苦労を背負わず、突き進んでほしいものだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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“仕事が結婚か”に悩む平野ノラ、江原啓之の「倍、頑張る」というアドバイスに抱いた違和感

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「家事とかあまり得意じゃない」平野ノラ
『火曜サプライズ』(日本テレビ系、8月1日)

 8月1日放送の『火曜サプライズ』(日本テレビ系)に平野ノラが出演し、日本のスピリチュアル界の首領・江原啓之に人生相談をしていた。平野は今年の2月『ダウンダウンなう』(フジテレビ系)で、交際中の一般人男性からの公開プロポーズを受け入れたものの、具体的な時期については明言を避けるなど、どことなく結婚に腰が引けている感も否めない。平野はその理由を「仕事と家庭の両立ができない」「家事とかあまり得意じゃない」と説明した。「仕事を失っても、彼と一緒になりたいか?」と江原に問われると、平野は「仕事を取る」と明言。これらの発言から、どう考えても「結婚したくない」というのが本音に思えるが、「結婚を待ってもらっている」「トシもトシだし」と語るなど、決めかねているようだ。

 多くの女性ファンの心をとらえた結果、熱海に1,000坪以上の大豪邸を築いた江原だけに、平野や平野と同じ悩みを抱える視聴者の女性に霊験あらたかなアドバイスをしてくれると期待を持って見ていた。しかし、江原の「倍、頑張る」というアドバイスは期待はずれを通り越して、あんぐりと口を開けてしまった。いやいや、あなた、話聞いてました? と思ったのは、私だけではないはずだ。

 平野は数年前にバブルネタでブレークしたものの、売れたからこそ、これからが正念場とも言える。仕事に全力投球している今、結婚して家庭を持ったら、仕事にマイナスになるのではと悩んでいる女性に向かって、ドヤ顔で「倍、頑張れ」とは、一体どういう了見をしているのだろう。

 「倍、頑張れ」は、アドバイスとして実践的とは言えない(そもそも、江原は何を頑張るのかについて明言していない)。しかし、日本人の心情に訴えるという意味では、このアドバイスは最高だ。というのは、「オンナの苦労は美徳」「幸福はオンナの努力次第」という考え方は、オジサン世代だけではなく、女性の間にも深く浸透し、量産され続けているからだ。

 例えば、先日「女性自身」(光文社)が「錦織圭同伴の観月あこ 会計はブラックカードの超セレブ生活」と報じた。ファッションモデルをしていた観月あこだが、錦織との熱愛発覚後はほとんど仕事をしていない。そんな観月が、ジュネーブで高級バッグを買い、友人には寿司をおごり(支払いはブラックカード)、移動はファーストクラス、宿泊も高級ホテルのスイートルームとまさにセレブ生活を送っているという。記事は、そのカネの出どころが錦織であるとしていた。

 番組名は失念したが、かつて松岡修造が現役時代を振り返って、“ツアー中の精神的な孤独がいかにきついものか”を話していたことがある。それは、世界の頂点が見えてきた錦織も同じだろう。そんな時に恋人にそばにいてほしいと思うことは、自然なことである。錦織のそばにいたら、観月は、芸能活動ができなくなるわけだから、錦織がカネを出すのは、当然ではないだろうか。記事を読むと、観月が錦織のカネで豪遊する性悪であるかのような印象を私は受けるが、私には観月が悪いようにはまったく思えない。それでは、どうして観月が悪者にされているかというと、「オンナの苦労は美徳」であるのに、「苦労をしていないから」ではないだろうか。

 記事の中にこんな記述がある。慶應義塾大学日吉キャンパスを訪れた錦織は、炎天下、先輩であるテニスプレーヤーの伊達公子とラリーをしていたそうだ。その最中、観月は「1100万もする高級車ジャガーの後部座席で涼んでいた」とのこと。記事からは、世界の錦織の彼女たるもの、練習中に自分だけ涼しい場所にいてラクをするのは言語道断、自分も一緒に戦うつもりで練習を見届けるべきという彼女像が透けて見えた。

 「フラッシュ」(同)によれば、観月がこんなに悪く言われるのは、元彼女の評判がとてもよかったかららしい。元彼女は、早稲田大学スポーツ科学部出身の元アスリート。栄養学や運動生理学に詳しく、錦織を常に立て(タオルやドリンクを持って数メートル後ろを歩いていた、錦織のために徹夜でマッサージをしていたなど)ており、錦織の両親にも可愛がられていたという。自分のことは二の次にする典型的なアスリートの彼女と言えるだろう。

 けれど、錦織はそんな彼女と別れ、「苦労しない」観月を選んだ。観月の売名説や、錦織の周囲が交際に反対しているとも言われているが、交際が続いているところを見ると、相性がいいのだろう。何が言いたいかというと、オンナが苦労せず、ラクをしても仲の良いカップルはいるとうことだ。

 平野に話を戻そう。そもそも平野は「結婚できないキャラ」でもアイドルでもないから、結婚したから仕事が減るとは考えにくい(もし減るとしたら、それはバブルネタが飽きられた時だろう)。また本当に「家事が得意でないから」結婚に躊躇しているのだとしたら、外注すれば即解決である。つまり、今の平野に必要なのは、仕事(とそこから得る経済力)なのである。他人のために2倍の努力をするよりも、自分が売れることを第一に考えて稼ぐ方が、結婚に対するハードルを下げることになるわけだ。

 私が会社員だった頃、周囲はバブル世代だらけだったが、ロスジェネ世代の私から見たバブル世代は「苦労しなかった人たち」である。バブルをネタにする平野も、無駄な苦労を背負わず、突き進んでほしいものだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

三遊亭円楽、不倫謝罪会見から1年――開き直り発言に見る“売れてる芸能人”のズレてるところ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里enrakuhurinが、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「1年以上たったら、ヤメろ」三游亭円楽
『ウチくる!?』(フジテレビ系、7月23日)

 ネットやSNSの普及で、我々一般人は、簡単に“芸能人ごっこ”ができるようになった。かつて、ファッションのコーディネートやライフスタイルを語ることは、ゴールデンタイムの主役を張るクラスの女優や有名モデルにしか許されなかったことだが、今やSNSはそんな一般人女性であふれている。ネットがあれば、コメンテーターごっこもできる。芸能人がコメンテーターを務める時は、要求されるキャラと共演者とのバランス、スポンサーに配慮して発言しなければならないが、ネットなら好きなだけ罵倒し放題。その率直さがウケて、注目を集めたりもする。自分の顔や実名を出していない分、反撃されることがないのも魅力だろう。

 こういう芸能人もどきは、今後もどんどん増えていくだろうが、芸能人ならではの感覚も存在する。それは「数字が全て」という価値観である。

 例えば、会社員であれば、多少仕事の能力が劣っても、勤務態度が真面目であったり、努力する姿が見えれば、周囲は存在意義を否定することはあまりないだろう。けれど、芸能界はそれでは全然ダメなのだ。仕事を適当にやっているように見えたり、わがままを言って周囲に迷惑をかけたとしても、数字(視聴率やセールス)を持っていれば、それでOK。人気者が増長していくのは当然で、名の知れた男性芸能人の浮気や不倫は、「数字が全て」主義に乗っかって調子づいているように私には思える。

 しかし、芸能人と一般人の垣根が低くなった今、「芸能人は別の世界の人だから」という言い訳は通用しない。なので、芸能人たちは、不倫がバレれば厳粛に謝罪会見を行うわけだが、反省していないというか、“わかってなさ”を感じさせられることがある。

 例えば、三遊亭円楽。円楽は昨年、40代後半の家事手伝いの女性とのデート(銀座で食事、錦糸町の3時間4,500円の激安ラブホに滞在)を写真週刊誌「フライデー」(講談社)に撮られ、謝罪会見を開いた。「妻は『とにかく仕事を頑張りなさい』と言ってくれた」「(写真週刊誌に撮られたのは、身から出た錆だと言う円楽に対し、)『錆も味になるわよ』と言ってくれた」と、「うちのカミサンは度量が広い」というふうに、論理をすり替えた会見を行った。

 あれから1年。7月23日放送の『ウチくる!?』(フジテレビ系)に出演した円楽は、「芸に携わる人間は、人間の機微がわかり、男女がわからないといけない」と発言。司会の中山秀征に「師匠、自分に置き換えて発言されてる?」とイジられると、「1年以上たったら、ヤメろ」と不倫話を蒸し返すなと主張した。もし“女遊び”が本当に芸に必要で、度量の広い妻がいるなら、かつての不倫を隠すことなく、面白いことの一つや二つ言えばよかったのではないか。円楽から感じるのは、「世間に悪く言われたくない」という小心と「でも、金は使いたくない」という吝嗇(不倫がバレて困るなら、申し開きができないラブホテルではなく、それ相当のお金をかけた施設を取るべきだった)である。

 陣内智則も全然わかっていない。フジテレビアナウンサー・松村未央と再婚を果たした陣内は、7月20日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した。先月、フジアナウンサー・山崎夕貴とお笑い芸人・おばたのお兄さんの熱愛が発覚。フジのエースアナウンサーと、売れているとは言いがたい芸人の格差恋愛は世間を驚かせたが、1カ月もたたないうちに「フライデー」に、一般人女性が“おばたとの一夜”を独占告白したのだ。

 山崎アナから、おばたとの交際を相談されていた松村アナは、浮気の件も知っていたそうだ。おばたの浮気を知った松村アナについて、陣内は「すごく低いトーンで『許せない。大好きな夕貴ちゃんを悲しませるなんて』と、彼女も泣いていた」と話していた。自分の妻は、後輩のために涙を流す優しい女性であることをアピールしたかったのかもしれないが、これ、完全に陣内に対する牽制だろう。かつて松村アナが、クリスマスイブに陣内のマンションに通う姿を「フライデー」に撮られたことで、2人の交際は明るみになったが、1月中旬には、陣内が読者モデルと手をつないで自宅に入っていく姿を同誌に撮られている。交際発覚直後の浮気という意味で、陣内もおばたもまったく一緒であり、松村アナは「あの時の屈辱を忘れていない」「また浮気したら、どうなるかわかってるだろうな」と陣内に訴えているのではないだろうか。

 円楽は妻を「たいしたカミさん」、陣内は松村アナを「本当にいい子」と言うが、それは円楽、陣内が「売れている芸能人である限り」という条件が付く。浮気はやめられないだろうから、売れ続けてねと言うしかない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

横澤夏子、結婚報告に見る“学生時代のカースト”に縛られ続ける女の悲哀

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。 

<今回の芸能人>
「今後は、私の凝り固まっている結婚という理想にとらわれず」横澤夏子

(結婚報告ファックス、7月20日)

 最近のバラエティ番組は、“人気者の闇”を取り上げる傾向があると思う。

 例えば、「CanCam」(小学館)専属モデル・堀田茜は、『友達+プラス』(TBS系)で、休日は“ぼっち”で焼肉に行く姿を披露していたし、フリーアナウンサーの田中みな実は『もしかしてズレてる?』(フジテレビ系)で、「友達とかは、ドタキャンするかもしれないけれど、予約は裏切らない」と仕事の空き時間に、ぎっちぎちに美容やワークアウトの予定を入れていることを明かしていた。正直、1人で焼肉を食べたり、1人で美容めぐりをすることのどこが“闇”なのか、いまいちよくわからないが、視聴者がリア充を嫌う今、“闇”を積極的に見せる姿勢は、タレントとして必要だろう。

 ビジネスとしての“闇”の披露が多い中、私は、横澤夏子の“闇”は作り物でないように思えて仕方がない。いろいろなバラエティ番組で、 せっせと婚活パーティーに通っていることを公言し、彼氏ができると『バイキング』(フジテレビ系)で「デートで行きたい場所は区役所、欲しいものは判子」とプレッシャーをかけまくる発言をするなど、結婚に関する思い入れが尋常ではないからだ。

 番組名は忘れてしまったが、安室奈美恵が第一次ブレークを果たした90年代、当時の所属事務所社長が「女性タレントは、売れたら付き人を2倍に増やす」と言っていたのを覚えている。社長いわく、女性タレントは急に人気者になると、人気者でいるプレッシャーに耐えかねて、結婚や引退を言い出すことがあるそうだ(ちなみに、男性は売れても精神的に不安定にならず、ただただ調子に乗るそうである)。なので、付き人を増やし、「大丈夫」「応援している」と、態度で示す必要があるという。

 横澤も、売れたプレッシャーから逃れるために今回結婚したのかと思ったが、売れない時から婚活パーティーに通っていたそうなので、結婚と売れっ子になったことは関係ないのだろう。また、横澤の結婚への執着は、“結婚式へのあこがれ”とか“相手のことが好きすぎて、頭がお花畑”といった類いの、若い女性にありがちな思考ともちょっと違う。まるで、大学の推薦入学や、予防接種のように「早いとこ済ませておいた方がラク」「しておけば安心」とでも言いたげな印象を受けるのである。

 『文藝芸人』(文藝春秋)に掲載された横澤の「私が同窓会の帰りに泣く理由」は、私の疑問を解き明かしてくれた。横澤は自らを「コンプレックスの塊」「自分と友達をいちいち比べてしまう」と分析している。売れっ子となり、きっとみんなが自分をうらやましがってくれると思ったら、周囲の反応はそうでもなく、傷ついたとも書いている。

 横澤はバラエティで、SNSに関する“幸せ自慢”を糾弾することが多いが、同窓会に執着していることと、SNSを見てしまうことは地続きだろう。かつての同級生の消息をSNSで探せるからである。

 同窓会でチヤホヤされたい、輝きたいという横澤の願望はわからないでもないが、恐らくどんなに売れても無理だと私は思う。「芸能人になって売れる」というのは、確かな成功の形だが、それは最近の価値観であり、日本のあちこちには、“安定”こそ貴いという考えが浸透しているからである。学歴でも年収でもなく、親と二世帯、もしくは近所に住み(海外赴任は親不孝と言われる)、市役所や地元金融機関など安定したところに勤めて、孫の顔を見せるのが最高の人生という考えは、本当に根強くて死滅することはない。芸能人として売れることは、宝くじに当たったくらいラッキーなことと言えるが、“安定”を美徳とする人にとって、「売れても、来年の今頃はわからない」「不安定な職業だから、ローンが組めない」と一蹴されてしまうのだ。

 学生時代のカーストや立ち位置に納得がいかない人で、ごく一部の運と才能に恵まれた人が思いもよらぬ大出世を遂げることがある。しかし、学生時代のカーストというものは固定されたままで、逆転は絶対に不可能なのだ。学生時代、美少女として名高かった女性が見る影なく激太りしても、自意識は美少女のままだし、反対にカーストの低かった人間がNHKの朝ドラや『紅白歌合戦』に出ようが、周囲は「うらやましい!」とか「すごい!」とは思わず、せいぜい「昔はあんなだったのにねぇ」程度しか思わないものである。

 結婚を報告するファックスで、横澤は「今後は、私の凝り固まっている結婚という理想にとらわれず」と書いている。が、横澤が凝り固まっているのは結婚に関してではなく、自分の過去やカーストなのではないだろうか。

 横澤の生きる場所は、故郷の新潟県糸魚川ではなく、芸能界であり、一緒に生きていく人は、夫である。SNSに文句をつけるネタだけでは飽きられるのは目に見えている。夫のためにも、芸人としての奮起を期待したいものだ。

横澤夏子、結婚報告に見る“学生時代のカースト”に縛られ続ける女の悲哀

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。 

<今回の芸能人>
「今後は、私の凝り固まっている結婚という理想にとらわれず」横澤夏子

(結婚報告ファックス、7月20日)

 最近のバラエティ番組は、“人気者の闇”を取り上げる傾向があると思う。

 例えば、「CanCam」(小学館)専属モデル・堀田茜は、『友達+プラス』(TBS系)で、休日は“ぼっち”で焼肉に行く姿を披露していたし、フリーアナウンサーの田中みな実は『もしかしてズレてる?』(フジテレビ系)で、「友達とかは、ドタキャンするかもしれないけれど、予約は裏切らない」と仕事の空き時間に、ぎっちぎちに美容やワークアウトの予定を入れていることを明かしていた。正直、1人で焼肉を食べたり、1人で美容めぐりをすることのどこが“闇”なのか、いまいちよくわからないが、視聴者がリア充を嫌う今、“闇”を積極的に見せる姿勢は、タレントとして必要だろう。

 ビジネスとしての“闇”の披露が多い中、私は、横澤夏子の“闇”は作り物でないように思えて仕方がない。いろいろなバラエティ番組で、 せっせと婚活パーティーに通っていることを公言し、彼氏ができると『バイキング』(フジテレビ系)で「デートで行きたい場所は区役所、欲しいものは判子」とプレッシャーをかけまくる発言をするなど、結婚に関する思い入れが尋常ではないからだ。

 番組名は忘れてしまったが、安室奈美恵が第一次ブレークを果たした90年代、当時の所属事務所社長が「女性タレントは、売れたら付き人を2倍に増やす」と言っていたのを覚えている。社長いわく、女性タレントは急に人気者になると、人気者でいるプレッシャーに耐えかねて、結婚や引退を言い出すことがあるそうだ(ちなみに、男性は売れても精神的に不安定にならず、ただただ調子に乗るそうである)。なので、付き人を増やし、「大丈夫」「応援している」と、態度で示す必要があるという。

 横澤も、売れたプレッシャーから逃れるために今回結婚したのかと思ったが、売れない時から婚活パーティーに通っていたそうなので、結婚と売れっ子になったことは関係ないのだろう。また、横澤の結婚への執着は、“結婚式へのあこがれ”とか“相手のことが好きすぎて、頭がお花畑”といった類いの、若い女性にありがちな思考ともちょっと違う。まるで、大学の推薦入学や、予防接種のように「早いとこ済ませておいた方がラク」「しておけば安心」とでも言いたげな印象を受けるのである。

 『文藝芸人』(文藝春秋)に掲載された横澤の「私が同窓会の帰りに泣く理由」は、私の疑問を解き明かしてくれた。横澤は自らを「コンプレックスの塊」「自分と友達をいちいち比べてしまう」と分析している。売れっ子となり、きっとみんなが自分をうらやましがってくれると思ったら、周囲の反応はそうでもなく、傷ついたとも書いている。

 横澤はバラエティで、SNSに関する“幸せ自慢”を糾弾することが多いが、同窓会に執着していることと、SNSを見てしまうことは地続きだろう。かつての同級生の消息をSNSで探せるからである。

 同窓会でチヤホヤされたい、輝きたいという横澤の願望はわからないでもないが、恐らくどんなに売れても無理だと私は思う。「芸能人になって売れる」というのは、確かな成功の形だが、それは最近の価値観であり、日本のあちこちには、“安定”こそ貴いという考えが浸透しているからである。学歴でも年収でもなく、親と二世帯、もしくは近所に住み(海外赴任は親不孝と言われる)、市役所や地元金融機関など安定したところに勤めて、孫の顔を見せるのが最高の人生という考えは、本当に根強くて死滅することはない。芸能人として売れることは、宝くじに当たったくらいラッキーなことと言えるが、“安定”を美徳とする人にとって、「売れても、来年の今頃はわからない」「不安定な職業だから、ローンが組めない」と一蹴されてしまうのだ。

 学生時代のカーストや立ち位置に納得がいかない人で、ごく一部の運と才能に恵まれた人が思いもよらぬ大出世を遂げることがある。しかし、学生時代のカーストというものは固定されたままで、逆転は絶対に不可能なのだ。学生時代、美少女として名高かった女性が見る影なく激太りしても、自意識は美少女のままだし、反対にカーストの低かった人間がNHKの朝ドラや『紅白歌合戦』に出ようが、周囲は「うらやましい!」とか「すごい!」とは思わず、せいぜい「昔はあんなだったのにねぇ」程度しか思わないものである。

 結婚を報告するファックスで、横澤は「今後は、私の凝り固まっている結婚という理想にとらわれず」と書いている。が、横澤が凝り固まっているのは結婚に関してではなく、自分の過去やカーストなのではないだろうか。

 横澤の生きる場所は、故郷の新潟県糸魚川ではなく、芸能界であり、一緒に生きていく人は、夫である。SNSに文句をつけるネタだけでは飽きられるのは目に見えている。夫のためにも、芸人としての奮起を期待したいものだ。

松居一代、“前世からの縁”船越英一郎と夫婦破綻……それでもスピリチュアルを捨てない理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「私は(松居と船越の)結婚式にも出てますし」江原啓之
『5時に夢中!』(TOKYO MX,、7月12日)

 日本人は「金を払って、相談に乗ってもらう」という意識が希薄な気がする。悩みがあったとしても、たいていは友達に聞いてもらって、その友達が聞きたくなさそうなときは我慢する。消化不良のまま、なんとなくやりすごすのが、多くの日本人の“悩み”に対するスタンスではないだろうか。どうしても自分の話を聞いてほしいと思った時の最終手段として選ばれるのが、カウンセリングや占い、霊視だろう。客が少ないので単価を上げざるを得ないのか、それとも技術に対する自信からか、「悩みを聞く」職業の人に払うお金は、安いとは言えない。

 もし安くないお金を「相談に乗ってもらう人」に払う場合、私なら費用効果を求める。統計学を基にした占いであれば当たるかどうかを重視するし、カウンセラーであれば、どこで研鑽を積んだとか、前歴も判断基準になるし、自分を苦しめている思考回路について指摘してほしい。このようにリターンを求めた場合、費用効果がいまいちわからないのがスピリチュアルである。守護霊や前世と言われても、「そうですか」としか言いようがない。よくわからないものに、安くはない金をつぎこむ心理が、私にはどうも理解できないでいた。

 今、世間を騒がせている松居一代も、スピリチュアル大好き芸能人である。日本のスピリチュアルの首領・江原啓之と美輪明宏の番組『オーラの泉』(テレビ朝日系)には、夫婦がそれぞれ出演。夫である俳優・船越英一郎が出演した際、船越と松居の息子は、前世で親子であり、船越が松居と結婚することになったのは必然だと鑑定されていた。また松居は、船越と交際中、江原に個人的にカウンセリングを受けていたそうだ。江原は、7月12日に出演した『5時に夢中!』(TOKYO MX)で、「私は(松居と船越の)結婚式にも出てますし」と発言していたが、江原が招待されたのは、松居がクライエントであったからかもしれない。

 が、“前世からの縁”は、現在、大変なことになっている。松居はYouTubeで、船越が自分の親友とバイアグラを飲んで不倫をしていると罵り、船越は松居に離婚調停を申し立てていると「週刊文春」(文藝春秋社)が報じた。当初は、船越憎しの松居だったが、最近ではオフィシャルブログで「芸能界の黒い権利との戦い」と書いている。何と戦っているのかいまいちわからない状態になってきているが、悲壮感はなく、どこか楽しげなのは、気のせいだろうか。

 日本のスピリチュアルの首領に、「前世からの縁」「縁は切ろうと思っても、切れない」とある種のおすみつきを得て再婚したにもかかわらず、夫婦仲は破たんしてしまった。スピリチュアルを深く信奉していれば落胆も大きいと思うが、それでも松居が告発ブログに「日本で2人しかしらないパワースポット」の写真を掲載し、ここで「覚悟のエネルギー充電している」とつづっていることから考えると、どうもスピリチュアルへの信仰は揺らがないようである。

 なぜスピリチュアルへの信仰が揺らがないかというと、それは金を払って相談しているからではないか。

 金を払って話を聞いてもらうというと、深刻な悩みを抱えていると思われがちだが、相談者が本当に悩んでいるのは、悩みがもたらす“孤独感”だと私は思う。しかし金を払えば、悩みを誰かと共有することになり、孤独ではなくなる。そこに心地よさを感じると、相手の話は二の次になるのではないか。相談しておきながら、話を聞いていない、解決もしないけれど、あまり寂しくなくてハッピーという状態が生じるのだ。

 また、相談を受ける側にしても、自分の考えを理解してもらうには、まず相談者の信頼を得る必要がある。そのためには、正論で詰めるより、相談者が最も知りたいことを早いタイミングで提供することが効果的なのだ。つまり、金を払っての悩み相談は、相談する方もされる方も、“悩みを解決しようとしない”ことが、極意なのである。

 悩みを解決しない状態を“なあなあ”と呼ぶことにする。この“なあなあ精神”とスピリチュアルは、相性が良い。松居は、無農薬野菜が本当に無農薬か畑まで見に行くと、いろいろなバラエティ番組で語っていたが、白黒つけるのが大好きな松居でも、さすがに前世には行けないから、ウソか本当か確かめることもできない。こういう世界がある気がする、あったらいいなという希望を、“なあなあ”がもたらしてくれるから、松居はスピリチュアルを見限ることなく、信じ続けることができるのではないだろうか。

 推測するに、松居は生まれつき、戦うのが好きな気質といえる気がする。前夫との6年にわたる離婚、欠陥住宅への保証など、松居は人生で定期的に裁判という闘いを経験している。船越のことはきっかけに過ぎず、最近ご無沙汰だった闘争心に火がついたように私には見える。

 船越にとっても今回の騒動は悪いことばかりではない。松居効果でMCを務める『ごごナマ』(NHK)の視聴率はアップしたそうだ。視聴率の低下でサスペンスドラマが少なくなる中、MCとして数字を稼ぐことは、今後の船越にとってプラスになるだろう。それに、不倫が事実であろうとなかろうと、ああいう形での暴露に嫌悪を抱く人は多いだろうから、「船越かわいそう」「あんなキツい奥さんじゃ、しょうがない」と船越の好感度は上がるはずだ。船越がもてはやされれば、松居の意欲はますます高まって、大好きな戦いができる。2人とも損をしていない。

 まるでスピリチュアルの素養のない私のような人間にも、松居と船越の結婚が“必然”という説は、大きく頷ける。酷暑の候、2人には体に気を付けて、仲良くケンカしてほしいものだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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東野幸治の「手料理する人は優しい」発言に抱く、料理と“人格”を結びつけることへの違和感

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「(疲れていても料理を手作りしてくれるのは)優しい」東野幸治
『ワイドナショー』(フジテレビ系、7月2日)

 料理の腕と“人格”は絡められて語られがちである。

 例えば、「歌舞伎が好き」という人がいたとする。話の聞き手が、同じく歌舞伎が好きであれば、好きな役者のことで盛り上がるだろうし、興味がない人であれば、歌舞伎の魅力を聞いたり、もしくは「そうなんだ」で話は終わる。しかし、そうはいかないのが、料理である。

 「料理が好き」というと、どんな料理が得意なのかを聞かれることもあるが、若い女性であれば、「女子力が高い」とか「婚活対策」というふうに、変な方向に話がズレていくことは多々ある。また、褒め言葉を相手から引き出そうとするために「料理が好き」と言う人もいるだろう。

 考えてみると、料理と“人格”を絡めるのは、ある意味、“日本の風土”なのかもしれない。1976年に大ベストセラーを記録した、桐島洋子の『聡明な女は料理がうまい』(主婦と生活社)や、2000年に発売された名横綱・貴乃花光司の妻、花田景子の『ピンチも料理で救われます』(世界文化社)といったふうに、料理下手は“暗愚である”“人生が開けない”というような“ダメ女”のレッテルを張る空気が日本にはある。夫である木村拓哉が芸能人として最大のピンチを迎えているのに、工藤静香がインスタグラムに手料理をアップし続けるのも、日常のひとコマを披露するというより、「自分は女性として格が高い」ことのアピールなのかもしれない。

 料理の話は、どうも論点がずれる。そう思わされたのは、7月2日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)。女性向け掲示板「発言小町」に投稿されたトピックについて取り上げていた。結婚6年目の妻が残業帰り、夫に「今日何食べたい?」と聞いたところ、「もう遅いから簡単なものでいいよ、食べて帰ってもいいし」という返事が来る。「簡単なもの、何がいいかなぁ」と妻が再び質問すると、「とんかつがいい」と夫が言う。油の処理や掃除を考えると、揚げ物は簡単な料理ではない。妻は「簡単ちゃうわ」とツッコみ、「揚げ物が簡単なものだと思われていたことがショックな夜でした」と結んでいる。

 佐々木恭子アナは「ふざけるなですよね」と発言し、国際政治学者・三浦瑠璃は「日本の食事は基準が高い。アメリカではパンとハムだけということがある」と日本の食事に手がかかりすぎなことを示唆しつつ、「(私なら疲れていても)作ってあげるけど」と結んでいた。MCの東野幸治は、そんな三浦を「優しい」と言い、一方の佐々木アナは「『ふざけるな』と言った私が、本当に格好悪いですよね」と笑いに落とした。「とんかつが簡単なものと思われていたことがショック」という話題なのに、「夜遅くにとんかつを揚げてくれる人は、優しい」に話がすり替わっていたのである。

 料理の話が女性の人格にすり替えられることに加え、こういうトピックを見ると、女性側の料理に対する思い込みにも気づく。このトピックの場合、夫が外食を提案しているのに、妻はそれを無視している。また「とんかつが食べたい」と夫は言っているが、デパ地下などで既製品のとんかつを買うという方法もある。何も最初から全部自分で作る必要はないのに、なぜかこのトピ主は、「自分で全部作る」ことにこだわっているのだ。

 それに、なぜ相手にいちいち食べたいものを聞くのかも不思議である。記念日のディナーと違って、この日の夕飯は「早く食べて早く寝る」ためのものだろう。この夫婦の場合、料理は妻が担当しているようだから、冷蔵庫にある食材を把握しているのも妻のはず。夫は簡単なものでいいと言っているわけだから、手作りするにしても、手持ちの食材で簡単なものを作ればいいだけのことではないだろうか。それをしないのは、「既製品を買ったりせず、男性が食べたいものをイチから手作りすれば、喜ぶに違いない」と思い込んでいるからだと思えるのだ。

 この日の『ワイドナショー』に、ヒロミが出演していたが、奇しくも彼は、「手作りを喜ばない人」である。ヒロミが、『笑っていいとも!』(同)に出演していた若手の頃。料理好きで名高いタモリの自宅に招かれたことがあるそうだ。高級食材をふんだんに使った料理がふるまわれたが、好き嫌いの多いヒロミは、ほとんど手をつけない。唯一「これおいしいね」と喜んだのは鯛茶漬けで、タモリに「作り甲斐のない男」と言われていた。ヒロミの妻は料理が苦手として知られる松本伊代だが、そもそも食に興味がなく、おいしいものは外食するかセブンイレブンに行けばいいと思っている男性も存在するのだ。

 男性は料理上手が好き、手作りは手間がかかっていてエラいと、女性は刷り込まれて育つ。「発言小町」には、料理に関する夫婦間の行き違いが定期的にアップされるが、私に言わせれば、これは、「料理の腕イコール人格」と信じ込まされた女性側の「きちんとやらなくちゃ」「きちんとやっているのに」という意気込みが強すぎるからこそ、起きる諍いに思えてならない。

 私の周囲に限っていえば、最初の奥さんがまったく料理をしてくれなかったことがトラウマになり、2度目の結婚では、妻に全部手作りを求める知人がいるが、こういう人はごく少数派で、既製品を食卓に並べても気づかない人もたくさんいる。食は心身に影響を与えるので、粗末にしない方がいいとは思うものの、女性が向き合うべきは、「忙しいのに、髪振り乱して全部手作り」することではなく、「相手は本当に手作りが好きなのか」「相手の“おいしい”の基準とは何か」、つまり、もっと自分のパートナーを知ることではないのだろうか。料理をめぐる男女の溝を『ワイドナショー』は浮かび上がらせたように私には見えた。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの