有働由美子アナ、平野歩夢選手へのセクハラ発言に思う「自虐キャラ」から「老害キャラ」にならないための方法

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「いち日本に住むオバチャンの、ホルモン……って言うといやらしいですけど」有働由美子 
『うどうのらじお』(2月11日、ニッポン放送) 
 
 先日、デパートの商品券売り場に行った時のこと。そこには1人のおばあさんがいて、理由はわからないものの激高しており、女性店員に「あなたじゃ話にならないから、男の人を出してよ!」と言っていた。売り場の店員は全員女性で、裏から出てきた先輩と思われるスタッフも女性だったため、おばあさんの怒りは治らず「男を出せ!」と繰り返した――。

 文脈から考えると、おばあさんの言う“男の人”とは、性別ではなく責任者などの“エラい人”を指していると思われる。権限のある人が男性とは限らないわけだが、特にお年寄り世代では、女性の社会進出がなされたなかったことから「偉い人は男性」と刷り込まれている可能性は否定できない。知り合いの40代女性医師は若手の頃、たくさんの患者に「女医が担当だなんて、ハズレだ」と、オンナというだけで罵倒された経験があると言っていた。

 責任ある地位につくのは男性、男性は優秀というふうに、「女性は男性に劣る」と決めつけることは、男尊女卑にあたる。また、女性の結婚や妊娠・出産などを理由に「劣る」とするならば、セクハラにもなるだろう。このあたりの発言に気をつけないといけないのは、やはり中高年ではないか。それはテレビによく出ている人も、例外ではないように思う。

 北京オリンピック真っ只中、2月11日放送のラジオ番組『うどうのらじお』(ニッポン放送)では、有働由美子アナウンサーが、スノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得した平野歩夢選手について話していた。「淡々として表情も変わらずに、1回目、2回目、3回目と、どんどんどんどん上げてくる感じを見て、『なんか本当に好きになりそう、この人』と思って」と、平野選手のファンになったことを明かした。

 日ごろ見ることのない競技をオリンピックで見て、その競技に興味を持ったり、特定の選手のファンになるというのは、よくあることだろう。しかし、この発言の前後がちょっといただけないのだ。

 有働アナは「久しぶりに女心がキュンキュンとしましたね。残り少ないホルモンが出てきたみたいな気持ちになりましたけども」「素晴らしい演技、素晴らしい滑り以上に、いち日本に住むオバチャンの、ホルモン……って言うといやらしいですけど、気持ちまで若返らせていただきました」と結んでいた。

 有働アナは「ホルモン」としか言っておらず、どのホルモンについて言及しているかは不明だが、「残り少ない」「オバチャン」などの表現から考えると、加齢と共に減っていく「女性ホルモン」と考えるのが妥当だろう。

 その前提で話を進める前に、女性ホルモンに関するウソについてツッコミを入れたい。有働アナの言う「キュンキュンすると、女性ホルモンが出る」という話に、医学的根拠はないそうだ。ウェブサイト「ダイヤモンドオンライン」で2020年8月30日に配信された「『恋愛やセックスで女性ホルモンが活性化する』という、大ウソ」との記事にて、産婦人科医で医学博士の宋美玄氏は、恋愛やセックスで感じる多幸感と「女性ホルモンはまったくの無関係」と断言。「女性ホルモンはその人の意志で増減できません」とも説明している。

 そもそも、メダリストのファンになった話に女性ホルモンを持ち込む必要はないと思う。「女心がキュンキュンした」まではアリだと思うが、女性ホルモンについて触れると、有働アナが平野選手にセクハラしているような印象になることを、ご本人は自覚しているのだろうか?

 もし有働アナと同じ52歳の男性アナウンサーが、金メダルを取った女性選手について「彼女の活躍を見ていたら、残り少なくなったオジサンのホルモンがよみがえって、気持ちまで若返りました」などと言ったら、世間から完全にセクハラだと認定されて炎上するだろう。

 セクハラは「男性が女性にしてはいけないこと」ではなく、男女問わず、誰に対してもやってはいけないことである。平野選手を見て、どんな気持ちを抱こうとそれは個人の自由だが、ラジオで発言するべきことではなかったように思う。

 今回に限らず、有働アナはジェンダーに関して不用意な発言が多い。たとえば、NHKを辞めてフリーに転身した18年10月、日本テレビ系の報道番組『news zero』のメインキャスター就任が発表された際の、記者会見でのことだ。

 日替わり出演するアナウンサーが若いこともあって、有働アナは「若いアナ、キラキラした人と、“置屋の女将”みたいな感じですが、女将なりに頑張ります」と意気込みを語っていた。しかし、メインキャスターはキャリアや経験が必要なわけだから、若手がやるほうが不自然だ。わざわざ年齢に絡めて「女将なりに頑張ります」などと、自虐する必要はあるのだろうか。

 また、“置屋の女将”というのも誤解を招く発言だと思う。置屋とは、芸者や遊女を抱える家のことを指し、その女将は、置屋で引き受けた少女の衣食住の面倒を見て、踊りなどの芸を仕込み、一人前の芸者に育て上げる役目を持っている。

 しかし、宮尾登美子の小説『陽暉揮楼』(文春文庫)には、借金返済を理由に、嫌がる芸者に無理やり客を取らせるシーンが描かれており、置屋の女将がただ「面倒を見る」役割ではないことがわかる。気の置けない仲間内での会話ならともかく、公的な場で性接待のオーガナイザーの意味もある言葉を使うのは、ちょっと配慮が足りないと思う。

 このほかにも、21年1月8日放送の『うどうのらじお』で、自身が若い頃のクリスマスの過ごし方に触れたトークの中で、彼氏と過ごす予定のない自分と女友達のことを「余った女子」と言っていた。クリスマスを恋人と過ごさなければいけない決まりはないし、1人または友人や家族と過ごそうが、その人の自由だろう。にもかかわらず、彼氏とクリスマスを過ごさない女性は「余っている」という印象を与える発言を、公共の電波に乗せてしまうのはいかがなものか。

 こうした発言は全て自虐のつもりなのだろうが、有働アナ自身が「女性は若いほうがいい」というセクハラ的な考えや、「女性は男性に選ばれてナンボ」のような男尊女卑的な価値観を持っていることに無自覚ではないか。

 有働アナは女子アナで初めて自虐をした人だと、私は思っている。有働アナが20代の頃、返って目立つド派手な変装をして、プロ野球選手の家に通う姿を写真週刊誌に撮られたことがある。その野球選手は妻と別れたばかりということもあって、世間では「不倫だったのではないか」「略奪だったのか」といった声も上がったが、有働アナはこの時、「オトコを盗られることはあっても、盗ることはない」という自虐コメントで乗り切った。この経験から、自虐をすると周囲に喜んでもらえる、そういう自分が求められていると思い込んでしまったのかもしれない。

 成功者ほど過去の成功体験にすがる傾向があるそうだが、昔ならOKでも、今の時代にアウトということはいくらでもある。抜群に好感度が高いことも相まって、有働アナのセクハラや、男尊女卑的な発言をしつこくネチネチ指摘しているのは、私くらいだろう。しかし、若手の人気アイドルと共演することもある有働アナは、ジェンダーフリーの感覚を持った若者視聴者の視線にさらされていることを、忘れてはならないと思う。

 ネット社会は、何がきっかけで大事故になるかわからない。“自虐キャラ”から“老害キャラ”にならないためにも、有働アナには一度、専門家の指導を受けながら、ジェンダーについて学ぶことをお勧めしたい。

アンジャッシュ・渡部建、復帰前の今必要なことは何か? 「ゼロから頑張る」宣言の前に必要なもの

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<今週の有名人>
「ゼロからまた頑張りたい」アンジャッシュ・渡部建
人力舎公式サイト、2月5日

 アンジャッシュ・渡部建が所属事務所の公式サイトで、活動再開を発表した。2020年6月11日発売の「週刊文春」(文藝春秋)にて、六本木ヒルズ内の多目的トイレで一般女性と不倫に及んでいたことを報じられる数日前から、芸能活動を自粛していた渡部。復帰始めの仕事は千葉テレビの冠番組『白黒アンジャッシュ』で、相方である児嶋一哉は、自身のYouTubeチャンネルで「いろんなご意見があると思いますけれど、暖かく見守っていただければ」と視聴者に訴えていた。

 不倫は決して褒められたことではないが、警察のお世話になったわけでもないのに、いつまでも復帰できないのはおかしいと思う。しかし、復帰することと、芸能人として世間から支持を集められるかは全くの別問題で、渡部がイメージを回復させるのは相当難しいのではないだろうか。

 渡部復帰にあたり、2月6日放送の『ABEMA的ニュースショー』(ABEMA)に出演した千原兄弟・千原ジュニアは、「視聴者の方は『私は見ない』という方もたくさんおられるでしょうけど、我々芸人はいじってご覧になっている方に笑っていただけるようにするしかなくない?」とし、「『おいスケベ』『いや渡部だよ』みたいに」と渡部の復帰を促す意味で、積極的にいじっていく姿勢を明らかにした。しかし、同番組出演者のFUJIWARA・藤本敏史はジュニアとは違う意見で、「いじって笑いにするの難しいんじゃないか」と述べていた。私も藤本と同じ意見だ。

 21年6月6日放送の『週刊さんまとマツコ』(TBS系)で、明石家さんまが「女芸人から見た目をいじってほしいと言われることはあるけれど、いじったほうが損するやろっていう話」と言っていたことがあるが、渡部の問題も同じ話ではないだろうか。既婚者でありながら、多目的トイレで一般女性と不倫したことを芸人がいじると、いじった芸人がそれらを「笑える出来事」だと解釈しているように思われて、自分の好感度が下がりかねない。

 そんな危ない橋を渡りたくない芸人は多いだろうし、「おいスケベ」「いや渡部だよ」で笑える視聴者がいるのかどうかも疑問だ。そこまでして、渡部を積極的に「助けたい」と思う共演者はどれほどいるのだろうか。

 そもそも、渡部はどうして世間サマに怒られたのか? ジュニアのように「渡部をいじろう」と考えている芸人がいるとすれば、本当の理由をわかっているのだろうか? 私は、今回の騒動で渡部の「セコさ」と「モラハラ気質」が明らかになり、それが世間の拒否感につながっていると思う。

 一言で「不倫」と言っても、それぞれの事情は千差万別である。たとえば、ベッキーとゲスの極み乙女。のボーカル・川谷絵音の不倫を報じた「文春」によると、ベッキーは知り合ったとき、川谷が既婚者だったとは知らなかったとされている。

 相手が既婚者だと知りながら深い関係を持ったら不倫となり、ベッキーは川谷の妻に貞操権を侵害したとして訴えられても文句は言えない。だから、川谷が既婚者だと知った時点で身を引くべきだっただろう。しかし、相手が「妻と別れるつもりだ」と言ってきたら、判断が鈍ってもおかしくないとも思う。

 不倫はよろしくないが、優等生キャラで男性との熱愛もほとんど聞かれなかったベッキーが、既婚者というワケありの男・川谷との恋をやめなかったというのは、それだけ相手のことが好きだったのではないだろうか。「本気で好きになってしまった人が実は既婚者だった」というパターンは一般人の世界でもよくあることで、その部分だけ見て「そういうことはあるよね」と2人に感情移入した人もいるかもしれない。

 しかし渡部の不倫の場合、そういう感情移入をできる要素が全くないように私には感じられる。多目的トイレでの性行為というのは、女性を性処理の道具としか見ていないと思われても仕方がなく、そこに「好き」といった感情はないだろう。しかも、渡部は複数の女性と関係を持っており、行為に及んだあとは、その女性たちに“1回1万円”を渡していたという。渡部と一般女性の関係には、「やったことは悪いけれど、気持ちはわからないでもない」という世間的な共感ポイントが、まるでないと思うのだ。

 さらに「文春」によると、渡部は相手女性と自分とのLINEのやりとりが消去されているか、自分自身で確認していたそうだ。行為に及ぶ場所の金を惜しむだけでなく、相手が裏切るかもしれないと疑い、情報の流出を絶対に防ぎたいという、渡部のあらゆるセコさも伝わってくる。

 それでは、渡部は常にこすっからいオトコかというと、そうでもなさそうだ。渡部の妻は女優の佐々木希だが、佐々木は渡部の復帰発表後、自身の公式インスタグラムに「これからはゼロから頑張る主人の姿を見守ることに決め、今まで以上に感謝の気持ちを持ち、家族と共に前に進んでいこうと思っています」と投稿。離婚することなく、渡部と共にいる決意を明らかにしている。離婚しない理由は他人が知る由もないが、少なくとも渡部は、佐々木にとって失いたくない存在なのだろう。

 女優である妻・佐々木のことは大切に扱っているように見えるが、名もなき一般人の扱いは明らかにぞんざいだ。私はそんな渡部に、モラハラ気質を感じている。
 
 本来、対等な存在のはずなのに、社会的地位や収入の高いほうが低いほうをバカにしたり、精神的に追い詰めることを「モラルハラスメント(モラハラ)」と呼ぶ。モラハラを起こす人の特徴の一つとして、多くの精神科医が「社会的地位にこだわる人」を挙げている。モラハラをする人は、素の自分に自信がないために、社会的地位など目に見えるものしか信じられない。その結果、自分より上の立場の人に出会った場合は「負けた」と思って卑屈なまでにへつらうが、下の立場だと思うと威張り散らし、これがモラハラにつながっていくそうだ。

 多目的トイレという非衛生的な場所での不倫には、「一般人ならここでいい」といったモラハラ的な価値観がにじみ出ていると思わざるを得ない。こうなると、特に女性視聴者からの支持を取り戻すのはかなり難しいだろう。

 渡部は所属事務所の公式ホームページで「ゼロからまた頑張りたい」と書いていたが、実際の渡部の好感度はマイナスの域に達しており、ゼロ地点にたどり着くことすら大変なことだと私は思う。それを渡部本人、そして「渡部をいじろう」と思っている周辺の芸人たちは、わかっているのだろうか。

 渡部といえば、「文春」報道が出る前に突然活動休止を発表した。この行動は、やはりセコいというか、この期に及んでプライドが高いんだなという印象を私は受けた。「文春」が出た後に会見を開いて謝っても、どのみち世間からの反感は収まらず、活動休止に追い込まれただろうから、何をしても同じだという意見もあるだろう。

 しかし、たとえ許されないとしても、とりあえず自分の言葉で謝る人と、最初から雲隠れしてしまう人とでは、どちらが「誠実」という印象を与えるかは言うまでもない。

 渡部の復帰に賛成とか反対とか、赤の他人が議論してもあまり意味はなく、活動を再開するのも当然のことだと思う。しかし、上述した通り、渡部のやったことをほかの芸人がいじるのは、リスクが伴う。だからこそ、渡部は相方も巻き込まず、自分一人でYouTubeを始めるなどして、地道に活動を再開したほうがよかったのではないだろうか。

 最初は批判的な意見が寄せられるかもしれないが、それでも続けていけば、ファンもつきそうだ。次第に風向きが変わって、堂々とテレビに復帰できたかもしれない。しかし、その道を選ばず相方とテレビで復帰する渡部は、やはりセコいなと思う。

 今の渡部に必要なのは謝罪でも、妻や相方からのサポートでもなく、「恥をかく勇気」なようが気がしてならない。

桝太一アナウンサー、日テレ退社で「一人勝ち」か? 「的確に科学を伝える」転身が受け入れられるワケ

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<今週の有名人>
「わかりやすく的確に科学を伝える」桝太一アナウンサー
『真相報道バンキシャ!』(1月23日放送、日本テレビ系)

 新型コロナウイルス感染症の流行は、第6波が必ず来ると言われていたが、ここまでの感染者増加を予想していた人はいただろうか。共同通信社によると、2月2日、日本国内で新たに報告された新型コロナウイルス感染者は9万4,908人となり、過去最多を更新したそうだ。

 芸能人が感染したというニュースを聞くことも多くなった。タレントのベッキーや及川奈央、お笑い芸人のオードリー・春日俊彰と若林正恭、歌舞伎俳優・中村芝翫、女優・ともさかりえら、多くの芸能人が新型コロナ感染を報告している。お笑い芸人のダウンタウン・松本人志は濃厚接触者に該当するという理由で、1月30日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)を欠席した。

 同番組では、タレントのヒロミ、眞鍋かをり、お笑い芸人のEXIT・兼近大樹ら出演者が新型コロナへの意見を述べていたが、私には歌手・西川貴教の発言が興味深かった。「こういった形で(テレビに)出ている人間が言うことじゃないのかもしれないですけど、テレビというかメディアの罪っていうか。専門家でもない芸人さんとかタレントさんとか我々みたいなものが出て行って。(中略)ああでもないこうでもないとコメントを求められるから、言わなくてはいけない。日々情報はアップデートされるし、その度に意見が変わったりして、いろんな不安を煽っているんじゃないかと思って」と述べていた。

 番組MCでお笑い芸人の東野幸治が「専門家じゃない人のコメントは、できるだけ言わないほうじゃいいんじゃないか」と要約していたが、その通りではないだろうか。感染症の専門家でもわからないことを、芸能人に答えさせるのは無理がある。タレントたちもそれをわかっているからか、自分の対策や周辺の出来事を語る場合が多いように思う。一方で、厄介なのは「頭がいい枠」のコメンテーターではないか。

 人は誰しもバイアスをかけて物を見ている。たとえば、「偉人の名言」はその代表例といえるだろう。“経営の神さま”こと、パナソニックの創業者・松下幸之助氏の名言に「世にいう失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに原因があるように思われる」というものがある。「成功するまでやり続けろ」という意味だが、事業に失敗して会社をつぶしてばかりいる人が同じことを言ったら、世間サマは納得してくれるだろうか。おそらく「損切りが遅いから、事業に失敗するんだ」と批判されるのがオチだ。人は誰しも社会的地位で相手の発言を信頼するか決めているからこそ、この言葉を「名言」と捉えるのだろう。

 人によってバイアスの強弱は異なるが、私たちはまず、その人の見かけや社会的地位などで相手を信頼するかどうかを、うっすら決めてしまっている。『報道ステーション』(テレビ朝日系)などでコメンテーターを務めたタレント・ショーンKは、「テンプル大学でBA(学士)、ハーバード・ビジネス・スクールでMBA(経営学修士)を取得。パリ第1大学パンテオン・ソルボンヌに留学」という華麗な学歴をウリにしていた。しかし、2016年3月発売の「週刊文春」(文藝春秋)により、これらが経歴詐称であったことが発覚し、タレント活動を自粛することになる。

 経歴詐称はいけないことだが、ショーンが活動している最中、「学歴が高いわりに発言の内容が薄いな」というように詐称を疑う人は、ほとんどいなかっただろう。これは、私たちに強いバイアスがかかっていた証拠ともいえる。「何を言うか」ではなく「誰が言うか」で、その発言を支持するかしないかを決めてしまっていたのだ。

 ワイドショーなどに出演する学者や専門家たちは、言うまでもなく高学歴を誇る「頭がいい枠」である。芸能人の不倫のように「夫婦で解決してください」という問題であれば、どんな意見を言ってもたいした問題にはならないだろう。しかし、新型コロナウイルスのように多くの人の生命や生活に関係することを「頭のいい枠」の人が口にすると、「あの人が言っているから正しいに違いない」と本気にする視聴者は多いように思う。

 しかし、その情報が間違っている場合もある。「頭のいい枠」の人の発言はネットニュースになって拡散されていくので、番組を見ていない人にまで悪影響が及ぶかもしれない。

 そんな難しいポジションにいる「頭がいい枠」だが、高学歴だけではテレビのコメンテーターは務まらない。キャラの濃さやアクがなければ視聴者から人気が出ないので、どんなに正しいことを言っても話を聞いてもらえないだろう。みんなが同じ意見では番組は面白くないから、あえてヒール役を演じるようなサービス精神も必要とされそうだ。とはいえ、「頭がいい枠」はタレントではないので、これらの条件を完璧に満たす人は極めて稀だろう。

 それでは、テレビで新型コロナのことをうまく話題にしつつ、デマを拡散しないためにはどうすればいいのか。答えはごくシンプルで、番組の中に“調整役”がいればいいと思う。「頭のいい枠」のコメンテーターと同等か、それ以上の知性を持ち、かつコメンテーターの個性を殺さず、けれど、問題がありそうな発言は軌道修正を図る。

 口で言うほど簡単なことではないが、それができそうな人物がただ一人いる。日本テレビの桝太一アナウンサーだ。

 1月23日放送の『真相報道バンキシャ!』(日本テレビ系)で、今年3月末をもって日本テレビを退職し、同志社大学ハリス理化学研究所の専任研究員に転身することを発表した枡アナ。科学と社会をつなぐ「サイエンス・コミュニケーション」という学問分野を極めるための退社だそうで、「わかりやすく的確に科学を伝える方法を、番組を通して皆さんと一緒に考えて実践していくことを目指したいと思っています」とコメントしていた。

 枡アナの日テレ退社を「人気アナウンサーからアカデミック分野への転身」と見る人もいるだろう。しかし、私は事実上の「フリー転身宣言」だと解釈した。

 新型コロナウイルスだけではなく、近年、地震や台風など、命をおびやかすほどの自然災害が増えている中、科学にまつわる情報は今後さらに必要とされていくだろう。そんな中で、各種コメンテーターの“調整役”として、専門家の言うことを理解できる科学的知識を持ったアナウンサーは、今のところ桝アナ一人といっても過言ではないはずだ。

 桝アナはもともと東大大学院農学生命科学研究科出身で、すでに科学に関する素養は十分すぎるほどある。今後、同志社大学ハリス理化学研究所で実績を積み上げていけば、視聴者には「桝アナが言っているなら、本当だ」と受け入れてもらえるだろう。

 高年収の日本テレビを辞めてまで研究者になる桝アナを、「お金への欲がない人」とするいう書き込みをネット上で見たが、フリーのアナウンサーとして科学番組の司会を一手に引き受ければ一人勝ちなわけで、日テレ時代の年収など軽く超えるのではないか。

 これまで、人気局アナがフリーとなる場合、主戦場をバラエティ番組やワイドショーに移すことが多かった。しかし今、この分野は苦戦続きのレッドオーシャンであり、参入するのは得策ではないだろう。テレビを見ない人が増えているともいわれるが、災害のときはテレビでニュースを確認する人は多いはず。これから、ますます世の中に求められるだろう分野が、自分の得意分野であるという奇跡。やっぱり、桝アナのように人気のある人は、ツキもあるのだと恐れ入るばかりだ。

マツコ・デラックスの引退説に考える、テレビ視聴者に“毒舌”が通用しなくなった現況

 マツコ・デラックスと関ジャニ∞・村上信五がMCを務めるバラエティ番組『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)。1月24日の放送では、マツコのある発言がネット上で話題になった。

 番組の終盤、「人気占い師シウマさんに2022年の2人を占ってもらった件」と題したコーナーを放送。『夜ふかし』でおなじみの占い師・琉球風水志シウマ氏が、村上とマツコの仕事運などを占った結果、マツコは「仕事を増やすというよりは、今ある物を辞めずに持続することを心がけてください」と診断されていた。

 この結果に村上が「今までよく(仕事を)辞めずに持続してきたな」と言うと、マツコは「本当です。もう十分でございます」と反応。ネット上ではこの一言を受けて、「マツコはもう芸能界に未練なさそう」「仕事を減らすのか、引退なのか……」といった声が飛び交い、再びマツコの“芸能界引退説”が浮上しているようだ。

 これまで何度も引退をほのめかしてきたマツコだが、2020年9月16日に『ホンマでっか!?TV』を“卒業”した際は、一部週刊誌でも芸能界引退の可能性を報じられていた。「女性自身」10月27日号(光文社)によれば、マツコの所属事務所社長が「彼女もまもなく50歳になります。いまのキャラのままで、これからずっと将来も、というのはやっぱり難しいです」と語ったと伝えている。

 マツコは“毒舌キャラ”として今もテレビに出続けているが、昨年11月13日放送の『マツコ会議』(日本テレビ系)では、本音が漏れたことも。テレビにおける自身の身の振り方について、「いろいろ考えているのよ。どのタイミングで身を引こうかなってずーっと考えている」「自分も結構、追い詰められているから」などと吐露したのだ。

 なぜマツコが「追い詰められている」のかは、本人にしかわからない。一方で、ライターの仁科友里氏は、かつて連載「女のための有名人深読み週報」の中で、「今の時代はマツコのような毒舌タレントには、やりにくい部分はあるように思う」とつづっていた。一体、何がマツコを“やりにくく”しているのだろうか? マツコの進退を気にする声が上がる今、同記事を再掲する。
(編集部)


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<今回の有名人>
「今、わからん。女子アナをどう扱っていいか」マツコ・デラックス
『マツコ&有吉のかりそめ天国』(10月9日、テレビ朝日系)

 マツコ・デラックスが『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)を静かに“卒業”したことで、突如“引退説”が浮上してきている。

 10年間レギュラー出演をしていて、司会の明石家さんまとのやりとりを楽しみにしていた視聴者も多いことだろう。マツコクラスの大物が番組を“卒業”するとなると、セレモニー的な企画が組まれそうなものだが、実際は番組の最後に「マツコさんは今日の放送でホンマでっか!?を卒業します。およそ10年間本当にありがとうございました」というアナウンスがあったのみ。

 この顛末について、「女性自身」10月13日号(光文社)は、「マツコ、『ホンマでっか』卒業の真相 引退前倒しで保護猫支援か」と報じた。また10月27日号の同誌では「マツコ引退説に事務所社長答えた『今のままずっとは難しい』」という記事が掲載され、所属事務所の社長が「彼女もまもなく50歳になります。いまのキャラのままで、これからずっと将来も、というのはやっぱり難しいです。これからどうするのかを自分でも考えているところですよ」と、マツコが変革の時を迎えていることを認めるコメントしていた。

 さらに、「週刊女性」(主婦と生活社)の直撃を受けたマツコ・デラックス自身が、「みなさんにとっては突然なのかもしれないけれど。アタシも次の人生を考えるときに、このままだと身動きがとれないからね。だから降りられるものは降りようとしていますよ。なんかしがみつくのも嫌だし、もっと若い人に頑張ってもらわないといけないわけだから」と心境を吐露している。

 このタイミングでの仕事の縮小には驚くが、マツコはブレーク直後から、いろいろな番組でずっと芸能界に居続けるつもりはないと発言しており、今年1月の『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)でも、「あと10年くらい細々と頑張って国外に脱出しようと思っているの」と話していただけに、前から思っていたことを実行しつつあるというほうが正しいのではないか。

 気になるのが、所属事務所社長の「いまのキャラのままで、これからずっと将来も、というのはやっぱり難しいです。これからどうするのかを自分でも考えているところですよ」という言葉である。私には順風満帆に見えるマツコの芸能活動だが、マツコ本人とマツコの育ての親は、危機感のようなものを感じているということだろう。

 それが何かが語られることはないので推測するしかないが、確かに今の時代はマツコのような毒舌タレントには、やりにくい部分はあるように思うのだ。

 10月9日放送の『マツコ&有吉のかりそめ天国』(テレビ朝日系)で、マツコと有吉弘行が、フリーアナウンサー・田中みな実とテレビ朝日アナウンサー・弘中綾香について話していた。

 南海キャンディーズ・山里亮太、田中、弘中両アナがMCを務める新番組『あざとくて何が悪いの?』(同)が同10日から始まり、第1回のゲストが有吉だった。収録時、弘中アナが「1回目のゲストが有吉さん、怖い」と怯えていたので、有吉は「そんなこと言わないでよ」と言いつつ、「『かりそめ天国』のオフのとき、お前の悪口言ってるけどな」と付け加えた。有吉はそのときのことを振り返り、「自分の名前だけで言えばよかったんだけど、マツコさんの名前も出しちゃった」と、自分だけでなく、マツコも弘中アナの悪口を言っているかのように話してしまったと謝罪していた。

 私は、マツコや有吉と同世代だが、我々が若い頃のテレビでは、番組の企画で、タレントが大物や旬の芸能人のことを「嫌い」と言うことは結構あった。特に毒舌をウリにする芸人やタレントは、視聴者の興味を引く人物について、カメラの前で悪く言うのが「お仕事」なわけだし(無名のタレントの名前を挙げても、面白さがない)、そもそも、カメラの前でそういう話をしている時点で、本当に嫌いということはないだろう。

 しかし、それは世慣れた中年の論理で、今のテレビで同じことをすると、現代の若者は傷つきやすいのか、「有吉やマツコが女子アナをいじめている」「パワハラだ!」と解釈することもあるのではないだろうか。それがSNSで拡散されると、番組を見ていない人もノリで加担して、炎上しないとも限らない。

 マツコは「田中みな実の時ってプロレスができたじゃん、いい時代だったよ」と回想する。「私はプロレスしがいのある女が出てきたなくらいに思って、ちょっとやったわけよ。そしたら、ただの悪口になるっていう」と予期せぬ結果を生んだと明かし、有吉も「そうなんだよね、ひどい、ひどいと言われちゃうんだよね」「僕も、ほとんどそういうのには関わらないようにしている」と同調していた。

 田中アナとマツコのプロレスと言えば、『さんまのホントの恋のかま騒ぎ』(TBS系)という番組が思い出される。さんまが司会をし、テーマに沿っておネエタレントたちが恋愛にまつわるトークを展開する番組で、ゲストとして登場した田中アナは、「さんまさんのことが結婚したいくらい好き」とぶりっ子キャラを全開で挑んでいた。

 マツコが、隣に座るミッツ・マングローブに「(田中のことが)本当に嫌いなのよ」とつぶやいたことを聞いた双子のおネエタレント・広海が「本当に嫌いって言ってる」と暴露。田中が「マツコさんに嫌われるようなことをしてしまって、申し訳ありません」と泣き出した。が、実は手の甲で隠された田中の口元は笑っていて、つまり泣いたのは一瞬だったという壮大なオチが待っていた。しかし「仕事として」言い合いをしても、「泣かせた」となると、視聴者のイメージ的には、マツコが断然悪者で、結果的に損をしたと言えるのではないだろうか。

 マツコは「今、わからん。女子アナをどう扱っていいか」と、『かりそめ天国』で話していたが、扱いがわからなければ当たり障りなく接するしかなく、けれど、それではマツコの個性が生きない。そして、今後も傷つきやすい視聴者が増えることが予想されるとなると、マツコのやりにくい状態は続くと思われる。

 フェミニズムの台頭も、毒舌タレントには向かい風になるのかもしれない。世間に「性差別を許さない」という空気が生まれ、それ自体は望ましいことだが、「性差別とは何か」を誰もが明言できるほど、フェミニズムは根付いていないと私は感じている。そういう時代に、女子アナや女性タレントに毒舌を吐くと、発言内容を精査せず「女性を悪く言うことは、女性差別だ」と感じる人も出てくるだろう。

 時代の変化を止めることはできないが、マツコが見られなくなるのはつまらない。今のようなスタイルでなくても、マツコにとってベストな形で、コアなファン向けに活動してほしいと思うのは私だけではないはずだ。

※2020年10月15日初出の記事に追記、編集を加えています。

朝日奈央のおかげで野呂佳代は変わった!? 自分を立て直すために「人と正しく比べる」必要性

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<今週の有名人>
「奈央ちゃんのおかげで変わることができた」野呂佳代 
『あちこちオードリー』(1月12日放送、東京テレビ系)

 最近、女性誌やSNS上で、精神科医による「人と比べない」という論旨のコラムをよく見かけるように思う。確かに、いち会社員の女性がテレビで大活躍する女性タレントと自分を比べてもなんの意味もないし、一般人同士であっても、無駄に自分を傷つけることにつながりかねないから、「人と比べる」ことは得策とはいえないだろう。

 しかし、テレビもネットもない無人島に住んでいるのなら別だが、生きていれば人との接触は避けられない。一定の成果を常に周囲から求められる現代人が、まったく「人と比べない」というのも無理な話ではなかろうか。若い頃は特に、いろいろな意味で伸び盛りだから、「人と比べる」ことがモチベーションとなり、そこから自分の可能性に気づいたりすることもあるだろう。ということは、「人と比べる」のが悪いのではなく、「正しく比べる」ことが必要なのではないか。

 そんなことを考えていたところ、「人と比べる」ことで大きく飛躍できたのだろう有名人を見つけた。1月12日放送『あちこちオードリー』(テレビ東京系)に出演した野呂佳代だ。

 元AKB48で『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)や『ゴッドタン』(テレビ東京系)に出演するなど、これまでバラエティを中心に活動していたイメージがあるが、最近では月9ドラマ『ナイト・ドクター』(フジテレビ系)や『科捜研の女』(テレビ朝日系)に出演し、女優としてのポジションを築きつつある。

 しかし、ここに至るまでの道のりが決して平たんなものではなかったことが、『あちこちオードリー』で明かされていた。年齢を偽り、顔や全身写真を加工してAKBのオーディションに挑んだ野呂。最終選考であまりに書類と実際の容姿が違ったため、野呂いわく審査員の間に「『あいつ呼んだの、誰?』くらいの衝撃」が走ったそうだ。

 しかし、総合プロデューサーである秋元康氏の「この子がスタイルがよくなって、きれいになっていく過程があったら面白いよね」という一言でAKB入り。そこからダイエットをして痩せたこともあり、2006年発売のシングル「会いたかった」では選抜メンバーにも入った。

 このまま順調に活躍するかと思いきや、歌番組収録の際、気合を入れすぎて「会いたかった」のセンターである前田敦子に気を使うこともなく前に出てしまう。これでメンバーからひんしゅくを買い、さらには次のシングルの選抜メンバーからも外された。一方、秋元氏は野呂にお笑いのセンスを見出していたようで、「指原(莉乃)並みに」目をかけられていた時期もあったという。

 実際に適性はあったようだが、調子に乗って間違ったスタッフいじりをしたため、野呂いわく、スタッフには「案の定嫌われた」。その後、SDN48に移籍してキャプテンになったものの、「スタイルが悪い」という理由で一切選抜メンバーに選ばれなくなり、劇場しか出番がなくなる。12年にSDN48を卒業した後は、タレントとしての活動を始めた。

 しかし、自分の思い描いていたようなタレント活動ができず、うっぷんが溜まるばかりだったそう。そんな中、野呂は13年に『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)内の企画「有吉先生のタレント“マジ進路相談”」に出演。「パチンコ番組しか仕事がない」と不平不満を述べたところ、有吉弘行に「パチンコ番組全力でやれよ、バカ」とバッサリ斬られていた。

 字面だけで見れば「有吉の言葉はひどい」「野呂がかわいそう」と感じる人もいるかもしれないが、有吉自身も猿岩石として大ブレークした後に仕事がなくなるというどん底を何年も経験し、そこから再ブレークを果たした芸人だ。野呂はすでに知名度があって、パチンコ番組という仕事もあるわけだから、全力でやって話題を集めれば次のステップにつながるはず。そう考えると、有吉の言っていることはすべて正論だろう。

 有吉に怒られたことが転機となったのか、野呂はバラエティ番組から声がかかるようになる。『ゴッドタン』(テレビ東京系)のプロデューサー・佐久間宣之氏は「コントの際に演技力があったから」という理由で、野呂に番組出演をオファーしたと告白。これをきっかけに、野呂はタレント・朝日奈央と交代で同番組の代理MCを務めるようになる。

 しかし、今度はコロナ禍の影響で、芸能界の仕事そのものが少なくなり、野呂のオファーも減少。そんな状況にもかかわらず、朝日はテレビに出まくっていた。その姿を見た野呂は「変わらなきゃダメだな」と気づいたという。

 朝日が誰に対してもきちんと挨拶をしていることに気づいた野呂は、この時「挨拶しよう、コミュニケーション取ろう、演者さんと喋ろう」と心に決めたそうだ。現在、自身の活躍があるのは「奈央ちゃんのおかげで変わることができた」からだと結んでいた。こうしてオファーは徐々に増えていき、前述のように、ドラマ出演まで果たすようになったわけだ。

 冷静に考えるなら、「挨拶をしたこと」と「仕事が増えたこと」の因果関係は証明できない。しかし、野呂が売れっ子の朝日と自分を比べた結果、「挨拶をしよう」と思うようになったことは事実である。おそらく、売れっ子・朝日にあって自分にないものを比べた結果、自分に足りないのは「周囲への気配り」だと気づいたのだろう。

 「人と比べる」というのは、「自分にダメ出しをすること」だと思われがちだが、実はショッピングのようなものではないかと思う。相手にあって自分にないモノをカートに入れて購入し、自分のモノにするという、積極的な選択ではないだろうか。

 番組司会のオードリー・若林正恭は、野呂を「運が強い」と言っていたが、加えて「勘もいい」ように思う。たとえば、野呂が朝日と自分を比べて「痩せたほうがいい」と考えたら、野呂の個性がなくなってしまうので、返ってマイナスだろう。自分の強みや個性はそのままに、自分に足りないものが探せるというのは、頭、もしくは勘のよさの表れではないかと思うのだ。

 なかなか周囲に認めてもらえず、悔しい思いをしたという経験のある人は多いだろう。そういう時、自分を立て直す方法はいろいろあると思うが、野呂のように近くにいる「憧れの人」と自分を比べて、いいと思ったところを取り入れてみてはどうだろうか。効果のほどは、今後の野呂の活躍が証明してくれるだろう。 

日テレ『上田と女が吠える夜』に感じた、人を叩きすぎない配慮――若槻千夏の“塩梅”に感嘆したワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「それはできるよ、そのくらいはイケる」若槻千夏 
『上田と女が吠える夜』(1月6日放送、日本テレビ系)

 以前、『週刊さんまとマツコ』(TBS系)で、明石家さんまが「今の時代に『から騒ぎ』はできない」と話していたことがある。『から騒ぎ』とは、1994年から2011年まで放送されていた『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)のことで、さんまと多数の一般人女性がテーマに沿った恋愛トークを展開するというものだった。元TBSアナウンサー・小林麻耶や女医タレント・西川史子ら、この番組から巣立ったタレントは多い。

 確かにさんまの言う通り、今の時代にあの番組を放送するのは難しいだろう。若者が恋愛に興味を示さないといわれている時代に、恋愛をメインテーマに持ってくるのは得策と思えない。それに、『から騒ぎ』ではきれいな女性を前列に、個性の強い女性を一番後ろの列に座らせていたように私は感じた。フェミニズムの意識が高まる今の時代に同じようなことをしたら、「女性のルッキズムを推奨している!」とSNSで炎上する可能性もあるだろう。

 また、トークの内容自体も、今の時代には批判を浴びそうなものばかりだった。バラエティ番組なので出演者の発言がすべて真実とは限らないが、男性に買ってもらったプレゼントの金額で女性としての価値をはかったり、好きな男性のために料理を頑張る、ベッドで男性を奉仕するといった発言は、フェミニズムの視点からはもちろん、ジェンダーフリーの時代にもそぐわないと批判が来るのではないか。

 『恋のから騒ぎ』では、「私が忘れられないオトコ」とか「私が許せないオンナ」というように、トークテーマに性別が明記されることが多かった。これを今の時代に再現すると、たとえば女性出演者が自分の恋のライバルにあたる女性について悪く言った場合、「オンナによるオンナ叩き」と見なされたり、「“オンナは陰湿”という思い込みを持つように促している」という印象を持たれ、苦言が出る可能性は高い。こうした理由から、やはり「今の時代にはできない」番組といえるだろう。

 しかし、「作り方」「やり方」次第では、こういう人の愚痴を言う番組は、まだまだイケるのではないかと思えてきた。1月6日放送の『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)は、上記の難しさをうまくクリアしたように感じる。

 同番組の冒頭で、司会のくりぃむしちゅー・上田晋也は「この番組は、我慢できない不平不満を言いたい放題ぶちまける番組です」と説明していた。これは「この番組は、性別を問題にしていません」と婉曲にアナウンスしているのではないかと思う。トークテーマも「一言余計なヤツ」「ちょっとズレてる人」というふうに性別は明記されていない。

 また、“吠える”ターゲットを男性や番組スタッフに広げたことで、“女叩き”の印象がより薄れたのではないだろうか。これまでのパターンならば、こういう番組には、女性に好かれなさそうなキャラクターの女性タレントをあえて出演させ、その人が吊るし上げられるところも見どころの一つであったと思う。

 今回、番組に出演したグラビアアイドル・清水あいりは、セクシーなボディと甘えた声の持ち主で、外見だけで判断するなら“女の嫌いな女”に分類されてしまうだろう。なので、一昔前なら清水が男性に媚びた発言をして、ほかの出演者が一丸となって叩くという展開が繰り広げられたわけだが、『上田と女が吠える夜』ではそんな場面はなかった。清水は笑いのセンスが高く、いい意味のギャップで番組を盛り上げたのだ。

 こうした場面を見て、番組から「人を叩きすぎないようにする」という配慮を感じたが、出演するベテラン勢も光っていたように思う。特にタレント・若槻千夏の“塩梅”には感嘆するしかなかった。

 番組の後半では、ゲストに俳優・西島秀俊が出演。好きな女性のタイプを聞かれて「ごはんをおいしそうに食べる女性」と答えたところ、若槻は「食べます食べます食べます!」と挙手してみせた。これは本心というよりも、その場を盛り上げるためのサービスで、昭和的な古いノリといえるだろう。

 しかし、すべての言動が昭和なわけではない。「SNSにあふれる謎の自己主張」というテーマの際、若槻は「インスタのプロフィールのところにコメ印で『DMは事務所が管理しています』と書いてある、誰も知らねえ女っていません?」と聞いた。続けて「フォロワーがそんなにいないのに『DMは事務所が管理しています』。お前がしろよ!」と突っ込んだが、これはつまり、そんなに有名人でもないのに、事務所に守られていることをアピールするのは自意識過剰だと言いたいのだろう。

 若槻のような昭和生まれは、結果が伴わないのに自分を大きく見せることは「恥ずかしいこと」と教育された傾向があり、一昔前なら、この「誰も知らねえ女」は“勘違い女”と笑われたはずだ。しかし、SNSが出現し、我々は自分を好きなふうに見せるツールを得てしまった。「自分の価値は自分で決める」という言葉をよく聞くようになったが、その理論で言えば、たとえ人から見て売れていなくても、自分がタレントだと思えばそう名乗っていいし、「DMは事務所が管理している」と書いてもいいわけだ。

 今の時代、「自分の価値は自分で決める」人が増えているとしたら、若槻が昔のノリで「売れてもないのに、何言ってんだ」と突っ込んでしまうと、それをイジメやハラスメント、さらには女叩きだと取る人もいるだろう。しかし、さすが若槻、そんな轍は踏まない。「あなたは事務所が管理するほどの価値があるタレントではない」とは言わずに、「あなたにはDMを管理する能力があるから、自分でやりなさい」という意味で、「それはできるよ、そのくらいはイケるよ」と人を傷つけにくい突っ込みを被せたのだ。

 「傷つきやすい若者」が増えているともいわれるが、傷つきやすい人が増えるほど、世の中には愚痴や悪口がはびこるのではないだろうか。自分が不当に扱われたと思ったら、大きな声で文句を言いたくなるものだからだ。そう考えると、愚痴や悪口はエンタメとしてまだまだイケる。その際に気を付けるべきなのは、時代に合わせた人権感覚を持つことと、タレントが対象を「叩きすぎないこと」なのだろう。

 昨年5月5日放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)に出演した若槻は、毒舌は今の時代にそぐわないと分析していたが、本人は古い世代を取り込む昔取った杵柄を捨てず、若い世代にも対応できるようにアップデートされている。視聴率狙いなのか、テレビ局は最近、YouTuberなどの新星をスカウトして番組に出しているが、本当の救世主は、若槻のようなデキるベテラン勢なのだと思う。

松田聖子と神田沙也加さん、「原因探し」は必要か? 親子関係を掘り起こす意味のなさ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「聖子さんは非常に繊細な方ですので」 カメラマン・YAHIMONときはる氏
「女性自身」2022年1月18日・25日合併号(光文社)
 
 昨年12月、女優・神田沙也加さんが急逝した。火葬のあと、父親である俳優・神田正輝と母親である歌手・松田聖子は会見を行なったが、どんな気持ちでわが子の位牌を抱き、報道陣に挨拶をしたかと思うと、その心中は察するに余りある。

 こういう時、「原因探し」をするのはマスコミのお仕事なのだろう。1986年、聖子が当時所属していた事務所の後輩にあたるアイドル・岡田有希子さんが自ら命を絶った。「岡田さんは共演したある俳優にあこがれていたが、相手にされず失恋をはかなんだ」というのは、当時マスコミが見つけた「原因」だ。

 その後、週刊誌は岡田さんが妊娠している可能性について書き立てるなど、話はおかしな方向にどんどん膨らみ、根拠のない、臆測の域を出ない記事が出続けた。岡田さんのご家族は、さぞ精神的に追い詰められたことだろう。

 沙也加さんの場合、本人も多数のファンを抱える有名人であることに加え、母親は「あの松田聖子」である。一時、聖子と沙也加さんは関係がうまく行っていないという報道が出たこともあり、今も親子関係に触れながら「原因」を探す記事は多い。

 「女性セブン」2019年12月19日号(小学館)によると、聖子と沙也加さんはぶつかることも多かったようだ。沙也加さんは“松田聖子の娘”というプレッシャーに晒されただけでなく、聖子の度重なる結婚と離婚により転校を経験したり、いじめに遭ったりと「しなくてもいい経験」もたくさんしたという。 
 
 そんな沙也加さんは、14年に映画『アナと雪の女王』で日本語吹き替え版の声優を担当。主題歌を歌うなどして大ブレークを果たす。押しも押されぬスターとなった沙也加さんと、母でありスターである聖子の共演を見たいと思う人もいたことだろうが、その後も親子共演が実現することはなかった。

 いつも一緒にいて、なんでも話し合い、進んで共演をして「ママのすごさ」「娘のかわいらしさ」を語ることを「仲良し親子」と呼ぶのなら、聖子と沙也加さんは仲良しではなかっただろう。そして、その「原因」を頻繁に男性スキャンダルを起こした聖子のせいだと見る人もいるかもしれない。

 しかし、親子関係というものは「どこから見るか」で印象は大分変ってくる。断片的にしか情報を得られない他人には、到底理解できないものだと思うのだ。

 その昔、明石家さんまと女優・大竹しのぶの娘であるIMARUは『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出演し、親のネームバリューで仕事を得ても、それに見合った活躍ができないと「親のことばかり聞かれる」ようになると言っていた。つまり、番組が求めているのはIMARU本人ではなく「親の話」なのだろう。

 ということは、沙也加さんが親子共演をしない、親の話を出さないというのは、親の名前がなくても番組に出てほしいと思われる芸能人に立派に育った証しといえるのではないか。見方を変えれば、これが親子共演をしない理由とも捉えられるわけで、実際に「仲良し」なのかどうかは、本人たちにしかわからないはずだ。

 親と子は別人格だから、大人になれば、親と子で意見が違うことは珍しくないだろう。それを不仲という言葉でひとくくりにするのは、ちょっと乱暴ではないだろうか。また、週刊誌が聖子と沙也加さんの親子関係に頻繁に触れることで、さまざまな臆測を呼んでしまい、それが聖子を追い詰めないとは言い切れない。仮に親子関係が悪かったとしても、そういう人は世の中にいくらでもいる。であれば、親子関係を掘り起こして「原因」を探すこと自体が無意味といえるのではないだろうか。

 「女性自身」2022年1月18日・25日合併号(光文社)の記事で、デビュー当時の聖子と仕事をしたカメラマン・YAHIMONときはる氏は「聖子さんは非常に繊細な方ですので、しばらくお休みすると思います」と話していたが、どうかゆっくり心身を休めてほしい。また、報じる側も、こういうケースの時は特に、純然たる事実だけにとどめるなど、配慮が必要ではないかと思わずにいられない。 

宇垣美里、桑子真帆……女子アナには「ウラオモテ」が必要!? 2021年話題の女子アナを斬る

オンナの花形職業として羨望を集める存在ゆえか、何かと穿った見方をされがちな女子アナ。そんな彼女たちをウォッチし続けるライター・仁科友里が、2021年に話題を集めた女子アナについて考察を繰り広げます。

 毎年12月初旬に発表される、オリコン社主催の「好きな女性アナウンサー」ランキング。ここ数年、盛り上がりに欠けるように感じるのは、私だけだろうか。

 「若者のテレビ離れ」が叫ばれ、女性誌の休刊も相次ぐなど、女子アナをスター化させるメディアのシステムそのものにほころびが出ていることも、このランキングが年々盛り上がらなくなっている原因かもしれない。

 しかし、メディアにとって、女子アナの知名度というのは魅力的なはずで、特に彼女たちの持つ「知的なイメージ」というのは、ほかのタレントと一線を画す大きな武器といえるだろう。では、「知的なイメージ」を保ちつつ、女子アナがさらなる飛躍を遂げるにはどうしたらいいのか。2人の女子アナを例にして、頼まれもしないのに考えてみたい。

宇垣美里アナウンサー(元TBS):「傷つきやすいキャラ」を生か

 宇垣美里アナといえば「コーヒーぶちまけ事件」を覚えているだろうか。

 2018年3月発売の「週刊現代」(講談社)が報じたところによると、当時、レギュラー出演していたTBSの情報番組『あさチャン!』のプロデューサーから降板を告げられた宇垣アナが、激怒してコーヒーカップを壁に投げつけた……という“事件”のことだ。

 しかし、のちに『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で宇垣アナ本人がこの件に言及。このプロデューサーは降板を1~2週間前に告げたそうで、宇垣アナは「もっと先に言うべきだし、失礼」と憤慨。その際、プロデューサーはコーヒーを渡そうとしたが、宇垣アナは「あなたからもらったコーヒーは飲めません」と、その場で流しに捨てただけだと主張し、「コーヒーを“投げつけた”」という週刊誌報道を否定していた。

 さらに、「私とプロデューサーしか知らない話が、どうして外に出るの? TBSの民度が知れる」と古巣を批判。この話を聞いた同番組司会のダウンタウン・浜田雅功も「おまえ、すげーな」と驚いていたが、ここまではっきりと組織を批判する人は少ないと思う。

 おそらく、宇垣アナは自分に後ろめたいところがないからこの話をしたのだろうが、TBS側が聞いたらどう思うのか。決していい気分はしないだろうし、内部での話し合いをバラされるリスクがあるとして、今後、仕事を頼まないと判断される可能性もないとはいえない。

 一方、今年30歳を迎えた宇垣アナは、メンタル面の変化を明かしていた。

 12月26日に配信された「Yahoo!ニュース Voice」の記事では、評論家・荻上チキ氏のインタビューに答える形で、「今まで正論をぶつけることで『言ってやった!』と思っていました。しかし、30歳になって、相手を言い負かして恨みだけが残ってしまっては誰も幸せにならないということに気づきました」と語っている。

 会社員のように組織に属している場合、所属する組織の上司に評価されることは重要だが、フリーランスのように雇用と収入が不安定な立場で安定して仕事をしたいと思ったら、“取引先”と“味方”は多いに越したことはない。仕事だから時には“取引先”との間にトラブルが発生することもあるだろうが、遺恨を残すような言い方をすると、仕事が減ってしまう可能性もないとは言い切れず、自分が損である。

 なので、「自分が正しいからといって、相手をやりこめない」という決意は、フリーランサーとして基本的にはプラスの変化だろう。しかし、ひろゆき氏の“論破”がウケていることでもわかる通り、世間には「相手をやりこめる姿を見たい」人も多くいるわけだ。テレビで堂々と古巣を批判できる宇垣アナの“オンナひろゆき”的な個性は、ほかの誰にも持ち得ない、貴重なものといえるのではないだろうか。

 そんな宇垣アナが急に論破をやめてしまったら、明石家さんまがよく言う「個性死んじゃう」ことになってしまわないか。

 

 それでは今後の宇垣アナは、どんな個性を出していけばいいのだろうか。同インタビューでこんな発言もしていた。

「『あのとき聞き流しちゃったけど、あの言葉に対しては怒ってよかったんじゃない?』と、そのとき怒らずにニコッとしてやり過ごした自分がすごく不甲斐ないと思ってウジウジしたり、一方で(中略)『あの言い方はなかった。もっと丁寧で優しくて人を傷つけない言い方があった』と反省したりするんです」

 この発言から考えると、宇垣アナは「傷つけられること」と「傷つけること」を恐れているのではないだろうか。そしてこの「傷つく」ことに敏感なセンスというのは、ものすごい金脈だと思うのだ。一般の女性から見れば、宇垣アナのように恵まれた人でも傷つくんだ、傷ついていいんだと励まされたような気持ちになり、特に同性のファン層の拡大が期待できる。

 実際に仕事で接する人や組織に対しては「相手を言い負かさない、恨みを買うようなことをしない」ことを信条としながら、オモテでは「傷ついた自分」をどんどん出していく。

 12月9日配信のウェブ版「フラッシュ」(光文社)で「本当に性格のいい局アナ」ランキングを発表していたが、ウラオモテをうまく使い分け、周りのスタッフに「テレビではあんなことを言っているけど、すごくいい人だよ」と思われると、さらなる飛躍が期待できるのではないだろうか。

 テレビを見ない人が増え、女子アナの“アイドル化ブーム”が終焉に向かうとするのなら、より存在感を発揮するのは「NHKの女子アナ」ではないだろうか。

 NHKは公共放送であることから、災害時や選挙の際はNHKのニュースを見る人も多いだろうし、ドラマの低視聴率化が叫ばれても、NHKの連続テレビ小説、通称“朝ドラ”は高い視聴率を誇っている。一方、朝の情報番組『あさイチ』で“朝ドラ受け”をした同局の鈴木菜穂子アナウンサーが、衝撃の展開に涙を見せたことがネット上で話題となり、好意的な反応を得ていた。このように、NHKの女子アナが“軟化”する傾向は、今後も続くと思う。

 そんな中、「世界のオザワ」こと指揮者・小澤征爾の息子にして、俳優・小澤征悦と同局の人気者・桑子真帆アナウンサーが結婚を発表した。『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した征悦によると、もともとは両親が桑子アナのファンだったそう。『突然ですが、占ってもいいですか?』(フジテレビ系)に出演した際にも、「初めて目が合った時に、彼女の目の奥にすーっと吸い込まれていく感覚があったんですよ。話す前ですよ」と、家族総出でベタ惚れなことを明かしていた。

 桑子アナにとっても、小澤家の一員になることはプロフィール上の強みとなりそうだし、それこそ「知的なイメージ」が強固になるだろう。だからこそ、気を付けなくてはならないこともある。それは、オトコの影だ。

 写真週刊誌「フラッシュ」(光文社)は今年1月、「セフレ9年 男性が自嘲告白」として、過去に桑子アナと関係があった男性の告白を掲載した。実際に読んでみるとなんてことはない、学生時代の話であり、セフレだった確たる証拠があるわけでもないので、単なる寝言のようなものだと私は感じたが、桑子アナに限らず、こういう報道は出ないに越したことはないだろう。

 また、桑子アナといえば、「言い間違い」が多いことでも知られる。18年の平昌冬季五輪では、「開会式」と「閉会式」と言い間違い、その後、テレビでしばらく姿を見なくなったことから、ネット上では「言い間違いに対する、ペナルティではないか」という臆測が広がった。

 そんな中、プライベートで親交のある俳優・和田正人が「ここにいますよ」と、桑子アナの画像をツイート。桑子アナは遅めの冬休みを取り、休暇を満喫していたというのが真相のようだったが、2人の親密そうな姿から「どんな関係なのか」と疑う声も出た。

 人は誰しもバイアスをかけて物を見てしまう。「言い間違い」だけでもアナウンサーとしてはよろしくないが、ここに「異性の友人と親しくしている写真」が加わると、「仕事でミスをしても気にしないでオトコと遊んでいる」とか「2人は不倫関係なのではないか?」と疑う人も出てくるだろう。

 異性の友人と親しくするなという意味ではなく、ウラで親しくてもいいから、画像などの証拠をオモテに出さないほうがよい、ということだ。桑子アナは判断力が甘めかつ緩めで、そこが人気の秘訣かもしれない。しかし、既婚者となったわけだから、やはり守らなくてはいけない一線もあるはずだ。

 NHK出身、世界のオザワ家という知的ブランドを持つことは、フリー転身の際も大きな武器となりえるだろう。しかし、そういう人の異性問題というのは、必要以上に叩かれやすい可能性もあるので、リスクにもなりうる。気をつけすぎるくらい、気を付けるくらいでちょうどいいのかもしれない。

【まとめ】
 「あの人は裏表がある」という言い方をすることがある。表向きの態度と内面が違うことを非難する意味も含めた表現だが、人前に出る商売の人に「ウラオモテ」がなかったら、やっていけないのではないだろうか。SNSが身近にある現代、はっきりと「ウラオモテ」を作ることが、女子アナのメンタルを守ることにつながるような気もする。女子アナのみなさんにおかれましては、健康に気を付けて、ますますのご活躍をお祈りしたいものだ。

ベッキーが今、「周りを幸せにしたい」と言ってはいけない2つの理由――“いい子発言”が気になるワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の芸能人>
「周りの人を幸せにしたい」ベッキー
『BANKSY GENIUS OR VABDAL(バンクシー展 天才か反逆者か)』プレス限定イベント

 「週刊文春」(文藝春秋)が2016年に不倫スクープの1人目として取り上げたのは、タレント・ベッキーだった。それまで「好感度が高い」「いい子」というイメージで通っていたベッキーは、既婚者であるゲスの極み乙女。のボーカル・川谷絵音と不倫。川谷は妻がいながら、ベッキーと正月に長崎にある実家に“帰省”したという。クリーンなイメージで売っていた有名タレントが、既婚者の実家を訪問するという無神経な行動を取り、「裏切られた」と思った人もいたかもしれない。

 当時、ベッキーはCM契約を多数抱えていた。それが理由なのだろう、「文春」報道後に記者から質問を受け付けない会見を開き、川谷とは「いいお友達」だと釈明した。しかし会見後、その答えを待っていたかのように「文春」は2人のLINEのやりとりを掲載。これが不倫の確固たる証拠となり、川谷が妻と離婚するつもりであることもバレてしまった。

 不倫をして、ウソまでついて、夫を略奪しようとしている――。これまでの“いい子”イメージは消え去り、ベッキーは世間から大バッシングを浴びて、休業に追い込まれた。

 この影響はいまだに尾を引いているようだ。ベッキーがテレビに出演し、そこでの発言がネットニュースになると、「Yahoo!ニュース」のコメント欄には必ずといっていいほど「不倫したくせに」と、過去をほじくり返す声が上がる。個人の感覚の問題だから、そう思う人がいても仕方ないが、いまだにベッキーに文句をつける人は、16年より前に不倫をしていた芸能人にも文句をつけるのだろうか。

 芸能界には不倫を経て結婚したカップルはいて、おしどり夫婦として知られる中尾彬・池波志乃夫妻は、もともと不倫関係にあったことを本人たちが認めている。元テレビ朝日アナウンサー・徳永有美も、03年に夫のいる身でありながら、ウッチャンナンチャン・内村光良と温泉旅行をしていたことが発覚。徳永アナは担当していた番組で謝罪し、その後、夫と離婚して内村と再婚。なお、この騒動でテレビ朝日を退職した。

 しかし、中尾夫妻や内村・徳永アナがテレビに出ても、ネット上で「不倫のくせに」とベッキーのように責められることはほとんどない。結局、「不倫をしたから責められる」のではなく、「テレビに出ている人を責めるときに、『不倫をした』というのはいい口実になる」といったところではないだろうか。

 ネットによる誹謗中傷被害の訴訟に詳しい弁護士サンに話を聞いたことがあるが、悪質な書き込みをする人は、「みんながやっているから」「どうせバレないから」程度の「ごく軽い気持ち」で及んでいることが多いそうだ。「絶対に許せない」「物事はこうあるべきだ」というような強い主義主張を持っていることは、ほとんどないという。

 度が過ぎた悪口は書くほうが100%悪い。とはいえ、タレントがイメージ商売であることを考えると、軽い気持ちから書かれる憂さ晴らし的な悪口を含め、マイナスなことは言われないに越したことがないはずだ。 
 
 ベッキーも不倫のイメージを塗り替える活躍をするか、新しい“支持母体”を見つけられれば、批判よりも応援の声が増えるだろう。19年に結婚して母親になり、子育てについて語ることが増えた今、まずは世の母親たちを味方につけることができそうだと思った。

 12月18日放送の『すくすくナイト』(NHK Eテレ)に出演したベッキーは、母乳があまり出ず、「産後3日目からずっと泣いちゃっていた」「(子育てを)楽しめていない私は母親失格なんだとすごい思っちゃって、自分を責めたりもした」と、“理想の母親”になれなかった過去を振り返っていた。

 こういう“失敗”を積極的に明かすことで、追い詰められている多くの母親たちから共感され、“悩む母親”という新しい支持母体も得られるだろう。しかし、最近ちょっと気になる発言があった。

 ベッキーは12月10日、展覧会『BANKSY GENIUS OR VABDAL(バンクシー展 天才か反逆者か)』のプレス限定イベントに参加。自身も絵を描き、個展を開いた経験があるなどの実績が買われてのオファーかもしれない。イベント終了後、インタビューに応じたベッキーは、記者から「元気の原動力」について聞かれ、「周りの人を幸せにしたい」と答えていた。

 独身時代のベッキーは、ファンにサインをした後に、そのファンの幸せを祈って「念を込める」といろいろな番組で明かしているし、これは偽らざる本音だろう。でも、「今の」ベッキーは2つの理由で「周りを幸せにしたい」と言ってはいけないのではないかと思う。

 1つ目の理由は、アンチ・ベッキーでなくても、ベッキーの不倫を記憶している人が多いから。「周りを幸せにしたい」と“いい子発言”をすると、「自分は不倫をして、元妻を苦しめたのに?」と過去をもとにつっこみたくなる人は一定数いるだろう。

 不倫をしたからといって、いつまでも責められる社会はおかしいと思うが、不倫をしていたことは事実なわけで、そこを「なかったこと」にするのは難しい。なので、今は“いい子発言”は控えて、「みんなの喜ぶ顔が見たい」くらいにとどめておくほうが賢明ではないか。

 2つ目の理由は、数は少ないと思われるが、「人を幸せにする」という言い方に押しつけがましさを感じる人がいないとは限らないからである。「人を幸せにする」という一言からは、「自分は人を幸せにする力がある」と信じていることがうかがえてしまう。

 実際にベッキーから幸せをもらう人もいるだろうが、反対に、ベッキーを見ても幸せにならない人もいるはずだ。それはベッキーに「幸せにする力がない」からではなく、幸せかどうかは受け手の感性に委ねられているからではないか。そう考えると、幸せは「個人の問題」であり、「周りを幸せにする」という言い方自体が「大きなお世話」といえるだろう。

 また、ベッキーの「周りを幸せにしたい」という言い方は、サンタクロースが子どもにクリスマスプレゼントを配るようなハートウォーミングなイメージなのかもしれない。しかし、「幸せをあげる人」と「幸せを与えてもらう人」がいるという意味では、上下関係、もしくは支配関係に似た構造が生まれるので、「いい子のフリをして支配的」な印象を受けて、興ざめする人もいるかもしれない。

 以上、2つのことを意識して発言しないと、新しい支持母体を得られないどころか、ますますアンチが増えてしまいそうだ。

 その昔、有吉弘行に「元気の押し売り」とあだ名をつけられたベッキー。今、不倫のイメージダウンから回復途上にあるベッキーが気を付けるべきは、「周りの人を幸せにしたい」の一言からもにじみ出る、「善意の押し売り」ではないだろうか。長年のカンを生かしながら、注意深く頑張っていただきたいものだ。

ギャル曽根の小倉優子に対する「やりすぎ」行動に思う、まじめで真逆な友人との距離感

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の芸能人>
「パパも慣れてるからね」 ギャル曽根
『100%アピールちゃん』(12月13日放送、TBS系)

 女優・辺見マリが「拝み屋」を自称する女性に洗脳され、5億円をしぼりとられた過去を2015年9月放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)で明かしたことがある。マリは洗脳された原因の一つとして「まじめで責任感が強い」性格が仇になったと話していた。

 学生時代ならまじめであることは評価されるし、それが美徳だと教えられるだろう。しかし、オトナになると、まじめさは時に仇になることもある。そんな「まじめの壁」に今ぶちあたっているのは、“ゆうこりん”ことタレントの小倉優子ではないだろうか。

 歌手としてミリオンヒットを出したわけでもない、女優として当たり役があるわけでもないのに、今も消えずに芸能界を生き残るゆうこりん。独身時代は「こりん星のりんごももか姫」という設定で売り出すなど、不思議ちゃん寄りのキャラクターだったが、母となってからは料理の腕前を上げたほか、子どもの教育にも熱心だ。長男を有名小学校に合格させており、まさに「まじめな努力家」といえるのではないだろうか。

 その一方で、なぜか結婚生活は安定しない。初婚の夫はゆうこりんの妊娠中に、ゆうこりんが所属する事務所の後輩と不倫していたことを「週刊文春」(文藝春秋)に報じられ、17年に離婚。翌18年、歯科医の男性と再婚を果たしたものの、その夫は身重のゆうこりんを置いて家を出て行ってしまい、弁護士を通じて離婚の意志を告げられたという。

 夫は19年のクリスマス頃に家を出たとされているが、2年近く日々が流れた現在も離婚していない。お受験対策や芸能人としてのイメージなど、いろいろな事情があるとはいえ、ゆうこりんなら離婚してもやっていけるだろうし、あまり関係を長引かせても……というのは、凡人の発想なのかもしれない。ゆうこりんはまじめゆえに、夫婦仲がうまくいく方法を模索していたようだ。 
 
 今年9月17日に放送された『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ系)に出演したゆうこりんは、夫婦仲をうまくいかせる本を読んだと語っていた。その本には「男の人が帰ってきたときに女性が小走りで玄関に行って『おかえり』って言うのがマル」「家事なんか全然しなくてもいいから、女性が笑ってるほうが男性はうれしい」などと書かれていたらしく、ゆうこりんは「“疲れたぴょんぴょん”とかやれば、もっと違ったのかな〜」と反省。しかし、番組MCのダウンタウン・松本人志は「まだまだ失敗しそうだね」と、その反省が見当違いであることをやんわり指摘していた。

 「やればできる」を積み上げてきた人だけに、結果が出るまで愚直なまでにやり続けるのが、ゆうこりんの流儀なのかもしれない。他人からは、“頑固”とみなされることもあるだろう。そういう人と仲良くなれるのは、同じく頑固気質の人か、あまり物事を深く受け止めない、あっけらかんとした人ではないだろうか。

 ゆうこりんの親友は、大食いタレント・ギャル曽根である。ゆうこりんはギャル曽根のことを「年下だけど、電話で話して泣いちゃったりすると曽根ちゃんも泣いちゃったり。自転車で来てくれたりしました、夜何時でも」「友達以上だと思っています」と語っていたことがあり、全幅の信頼を寄せている様子。「曽根ちゃんは私にはないものを持っている」とも話していたが、確かにギャル曽根とゆうこりんは違うタイプといえるだろう。

 11年に結婚したギャル曽根は、夫の携帯にGPSを付けて居場所をチェックし、メールなどスマホの中身も見ているという。17年10月30日放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演した際、すでにこの話をしていたので、今に始まったことではない。一般的にいうならば、パートナーの居場所をGPSでチェックする行為は“束縛”とされ、相手に嫌がられて、場合によっては別れの遠因になることもあるだろう。女性誌などに「パートナーの携帯を見るな」と書かれていることもあるし、ゆうこりんのようにまじめなタイプは、まずしない行動だと思う。

 しかし、ギャル曽根はそういうセオリーを無視しているにもかかわらず、夫と円満のように見える。12月13日放送の『100%アピールちゃん』(TBS系)に出演したギャル曽根は、夫の居場所をGPSでチェックすることを「めっちゃ便利」「パパも慣れてるからね」と、あっけらかんと語っていた。少数派だとは思われるが、GPSで居場所をチェックされるのが嫌ではない人もいるだろうし、さらなる面倒ごとを起こさないために、妥協案として受け入れる人もいるかもしれない。結局、すべては「相手次第」なわけだ。

 ゆうこりんが世間の理屈に沿って努力するタイプだとしたら、ギャル曽根はあまり深いことは考えずに、自分流を貫くタイプにも見える。気質が違う友達というのは、相性がいいだろう。オトナになると、他人に悩みを話すことは難しくなる。特に芸能人のように競争社会で人気商売の人は、誰かに話したことがうっかり外に漏れないとは限らず、人を信用しにくいところもあるだろう。そんな中、ゆうこりんにギャル曽根という友達がいてくれてよかったと思うが、気になることもある。 
 
 19年11月30日放送の『人生最高レストラン』(同)に出演したゆうこりんは、現在の夫との交際経緯を説明していた。ママ友の紹介で知り合ったというが、それをギャル曽根に報告したところ「信用できない」と言われ、2回目の食事はゆうこりんのマネジャーと、ギャル曽根を同伴させたことを明かした。 
 
 番組では、その時の様子を本人出演の再現ドラマで紹介。ギャル曽根は、夫が歯科医で今まで結婚したことがなく、40歳を超えていると知ったときに「絶対遊んでる! 絶対ダメ!」と思い、交際を反対する気だったとか。食事をしていた部屋からゆうこりんを離席させ、夫を質問責めにしたという。「お金についても話しました。芸能界って良い時もあれば、悪い時もある。稼ぎがゼロになる可能性だってある。そのときに、『あなたは養えますか?』って。聞きたいこと全部聞いた」とのこと。その結果、相手が誠実な人であると感じ、「ゆうりこんをよろしくお願いします」と頼んだそうだ。 
 
 映画やドラマでは、女友達の彼氏に詰め寄って“査定”するシーンはあり、こういうことに友情を感じる人もいるだろう。しかし、現実問題として考えると、ギャル曽根の行動はやりすぎではないか。 

 
 テレビだから多少話を盛っている可能性もあるが、彼氏候補を質問責めにして、相手が友達を嫌になってしまったらどうするのか。また、「ゆうこりんをよろしくお願いします」と言ったということは、ギャル曽根も相手の男性をいいと思ったということだろうが、結果はご存じの通りである。ギャル曽根に見る目がないと言いたいのではなく、男女がうまくいくかどうかを100%の精度で見極められる人なんていないと思うのだ。

 ゆうこりんの場合、この時、お子さんが2人いたわけだから、結婚の決断はより慎重さが必要だっただろう。それだけに、ギャル曽根に限らず、いくら仲が良いとはいえ、外野が無責任に口を挟むのはいかがなものか。

 親友のギャル曽根を信頼しており、かつ、ギャル曽根の家庭が円満なこともあって、ゆうこりんに与える影響力は大きいといえるだろう。だって、ゆうこりんはまじめだから。信じちゃうから。ゆうこりんを思う気持ちはそのままに、ギャル曽根には、そっと支えてあげてほしいと願う次第だ。