小倉優子、「早稲田」目標宣言で応援集まるも……「努力する」姿に思うこと

 タレントの小倉優子が、3月8日放送のバラエティ番組『100%!アピールちゃん』(TBS系)で、早稲田大学教育学部への進学を目標に宣言した。当時、ネット上では「どうせテレビの“企画”でしょ」いった冷ややかな声も多く、あまり本気に受け止める人はいなかったようだ。

 しかし、4月26日配信のウェブサイト「スマートフラッシュ」は、小倉が都内のコーヒーショップで勉強に取り組んでいる場面を激写。世間の風向きも次第に変わっていき、「ゆうこりん、マジだったんだ」「とんでもない努力家。見習いたいし、応援してる!」などと、小倉を後押しする声が増えている。

 そんな小倉の“努力家”ぶりは、2018年に再婚し、20年に離婚危機が報じられた、夫で歯科医師・A氏に対する発言にも表れていたようだ。サイゾーウーマンで「女のための有名人深読み週報」を連載中の仁科友里氏は、A氏との関係を修復しようと「努力する」小倉に、あえて「頑張らないように頑張って」とエールを送っていた。

 小倉とA氏の不和から感じた、反省と努力の限界とは――小倉の早稲田進学の行方に注目が集まる今、あらためて同記事を再掲する。
(編集部)


小倉優子、「旦那さんとデートしなきゃ」発言に思う“反省”と“努力”の限界――「頑張ってもうまくいかない」こともある

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人> 
「子ども預けてデートとかしなきゃ」小倉優子 
『今田耕司のネタバレMTG』(読売テレビ、8月21日) 
 
 芸能人が破局や離婚をすると、世間では“原因”が取り沙汰される。そうなると芸能人側は、何らかの原因を提示しないと「本当は浮気していたのでは?」といったマイナスイメージの臆測を呼びかねないので、イメージの低下を恐れる場合は、とりあえずオチをつけようとする人もいるだろう。 
 
 「うまくいかなかった原因」を明かすことはビジネス上の判断としては理解できるが、個人的には「なぜうまくいかなくなったのか?」と内省的になることに意味はあるのか疑問に思う。 
 
 世の中に完璧な人間がいないのだとしたら、破局や離婚の際、“落ち度”は男女問わずどちらにもある。ということは、うまくいかない理由を考え出せば無数に見つかってしまうだろうし、その分析が正しいのかジャッジできる人もいないだろう。なので、「うまくいかなかった理由」を探すことは、単なる「自責」や「他責」に終わるのではないだろうか。“ゆうこりん”ことタレント・小倉優子を見て、そんなことを思った。 
 
 ゆうこりんといえば、初婚時の夫の不倫が「週刊文春」(文藝春秋)に報じられて、2017年に離婚。その時ゆうこりんが妊娠中だったこと、不倫相手が彼女の事務所の後輩(当時)だったこともあって、世論はおおむねゆうこりんに同情的だったように思う。彼女のようなママタレにとって、離婚はビジネス上のダメージに当たると思われるが、2人の幼い子を抱えて仕事をしながら、家事育児に手を抜かないシングルマザーぶりが評価されたのだろう。同年にオリコン社が主催・発表した「第2回 好きなママタレント」で1位を獲得している。 
 
 そのゆうこりん、18年に歯科医師と子連れ再婚を果たし、妊娠する。めでたしめでたし、かと思いきや、20年、再婚2年目にして離婚危機だと報じられる。同年3月11日付の「サンケイスポーツ」によると、夫は結婚1周年を前に、身重の妻を置いて家を出て行ってしまったそうだ。夫の弁護士を通じて、2人の息子との養子縁組解消と、離婚を求められたという。 

  ゆうこりんは夫との復縁を望んでいるが、いまだに動きはなさそうだ。8月21日放送の『今田耕司のネタバレMTG』(読売テレビ)に出演した彼女は、「私の悪いところはあれ(改善)するし、落としどころが見つかればいいなと思ってます」と、離婚の意志はないことを主張した。

 さらに「急に2人のパパにもなってくれたじゃないですか。芸能人の旦那さんにもなってくれた。それってすごいプレッシャーがあると思うんですよ。で、今度子どももできる。いろんなものが大きくなるじゃないですか。そのときに私がもっとサポートというか、できてればよかったのに、『私もつらい』みたいな。だから『私が、私が』って思っちゃったし、そういうのが原因だなと思って」「子どもたちが小さいからといって、全然旦那さんとデートも行かずに……。そうなんです、デートも全然行ってなかった。子ども預けてデートとかしなきゃ。旦那さんにとっては、新婚なわけじゃないですか」と、長々と“反省の弁”を述べた。 
 
 「どちらが悪い」と白黒つけたがる外野には、「どんな理由があろうと、身重の妻を置いて家を出て行く夫はひどい」と言う人もいるだろうし、ゆうこりんの言い分通り「夫への気遣いを忘れたゆうこりんが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、私に言わせるのなら、「うまくいかなかった理由」を探っても、ゆうこりんはすでに「自責」で終わっているので、意味を持たないのではないか。それにこの2人の場合、どちらが悪いというより、すごく「人生の相性が悪い」気がするのだ。 
 
 恋愛結婚を「好きな人と結婚する」というイメージで捉えている人は多いだろうが、「好き」という気持ちは「嫌い」に転じることもある。そういう意味で「好き」という感情は、結婚生活においてはリスクでもあるだろう。「嫌い」になったから別れるという選択もありだが、もしもある程度の期間、安定した関係を育みたいと思うのなら、好き嫌いを超えてお互いに「結婚してよかった」と思えるものを共有する必要があるのではないか。私はそれが「人生の相性」だと思う。

 そう考えると「人生の相性がいい」というのは、「自分のためにしたことが、結果的に相手のためになること」だろう。「旦那さんとデート」のようなタスクを増やすのではなく、お互いがフツウに生活することで、自然と相手のためになっていればベストなわけだ。そのためには、お互いの人生にとってメリットのある相手を伴侶とするのがよいのではないか。

 歯科医夫はゆうこりんを愛しており、だから交際期間が短くても、なさぬ仲の子どもがいても結婚を決意したのだろう。しかし、いきなりなさぬ仲の子どもの父親になるというのは、そう簡単なことではない。とはいえ、ゆうこりんとて、仕事もして2人の小さいお子さんの育児もして妊娠までしていたら、いつまでも夫の前でかわいい顔ばかりしていられないのではないか。 
 
 「子ども預けてデートとかしなきゃ」発言は、ゆうこりんが自分を責めている、もしくは自分にタスクを強いているかのようにとれるが、仕事と育児とデートをしたら、忙しさのあまり心身ともに追い詰められることは目に見えているし、これでは「旦那さんとデート」したことによって、ゆうこりんに不利益が生じることになってしまう。お互い頑張っているのになぜかうまくいかない、まさに「人生の相性が悪い」状態だと思う。 
 
 ゆうこりんは「親の受験」とも言われる小学校受験で、お子さんを有名小学校に「合格させた」母としても知られている。おそらく合格を勝ち取るために「あそこが悪かった、ここが悪かった」と反省し、二の轍を踏まないように努力したのだろう。しかし結婚においては、悪かったことを反省するよりも、最初から「頑張らないでも、お互いに一定量のいいことがある人」を探したほうが、自分も相手もラクだし、結果として長続きするのではないだろうか。
 
 努力して何かを手に入れてきた女性に「努力をするな」と言うのは、一番難しいことだと思う。しかし、あえて「頑張らないように頑張って」とエールを送る次第だ。 

※2021年8月26日初出の記事に追記、編集を加えています。

寺島しのぶ、伊藤沙莉と脚本家の熱愛は「うらやましい」? 『ワイドナショー』発言から日本映画界の性加害問題を考える

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「女優さんだったら、その人のために書いてくれたりするわけじゃないですか」寺島しのぶ
『ワイドナショー』(4月17日放送、フジテレビ系)

 女優たちの告発が続く、日本映画界の性加害問題。4月17日放送『ワイドナショー』(フジテレビ系)ではこの話題を扱っていた。

 ゲストとして出演した女優・寺島しのぶは、歌舞伎役者の七代目尾上菊五郎を父に、女優・富司純子を母に持つ。国内のみならず、ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞するなど、世界的に評価の高い女優だ。寺島は女優たちの告発について、「こういうことを言うことって、とても勇気がいること」「今まで黙っていた人たちが、どんどん風通しをよくするために、いろいろとこれを機会に言っていくのは、私はいいと思うんですけどね」とコメントしていた。

 日本を代表するトップ女優の一人も、映画界の体質を変える必要性があると思っているのだろう。その一方、この問題を解決するのは、そう簡単ではないとも感じる。

 同番組は、女優・伊藤沙莉と18歳年上の脚本家・蓬莱隆太氏との熱愛も取り上げていた。寺島いわく、蓬莱氏は舞台の脚本家として引っ張りだこな存在だそうで、「うらやましい。だって、女優さんだったら、その人のために(脚本を)書いてくれたりするわけじゃないですか」と感想を述べていた。

 すぐれた原作もしくは脚本と、役者の演技力がマッチすると、その役者の代表作、言い換えると“当たり役”が生まれるだろう。直木賞作家・宮尾登美子氏の評伝、林真理子氏の『綴る女』(中央公論新社)には、女優がいかに真剣に自分の当たり役を求めるかが描かれている。

 同作の内容を少し紹介しよう。任侠映画の観客の入りが少なくなってきた頃、同ジャンルの作品を量産していた東映は路線を転換し、ベストセラーを記録していた宮尾作品の映画化を思いつく。宮尾作品の女性主人公は、時代や男の横暴に巻き込まれても、ひたすら耐える。しかし、過酷な運命に負けない芯の強さと一抹の激しさを秘めており、多面的で魅力的な存在であった。

 女優・三田佳子は、そんな宮尾作品を映画化した『序の舞』(1984年)への出演を熱望するも、ほかの仕事との兼ね合いでタイミングが合わなかった。しかし、どうしてもあきらめられなかった三田は、無理を言ってそれほど出番の多くない役で出演。主役ではないからといって、三田は手を抜かず、丁寧に役作りをし、結果的に脇役でも存在感を発揮した。

 三田といえば、東映が手掛けた映画『殺られてたまるか』(60年)にて、いきなり主役級のポジションで女優デビュー。以降も、73年までにNHK大河ドラマ3本に出演しており、当時から日本を代表するトップ女優だったといえる。“格”で考えるのなら、脇役を引き受けなくてもいいと思う人もいるだろう。しかし、大女優であっても、心からいいと思える当たり役に出会えることは稀で、だからこそ、主役にこだわらなかったのではないか。

 その点、今をときめく人気脚本家が恋人なら、自分を生かすような脚本を、最初から自分のために書いてくれて、回り道をしないでも“当たり役”に出会えそうだ。寺島も、三田と同じようにトップ女優となっても甘んじず、さらなる当たり役を求める気持ちから「うらやましい」「女優さんだったら、その人のために書いてくれたりするわけじゃないですか」と発言したのかもしれない。

 しかし、映画界の性加害について騒がれている今、寺島の言葉は誤解を招くのではないかと思う。すでに地位を確立した女優であっても、貪欲に役を求めるような世界だと知らない人が寺島の発言を聞いたら、若い女優が仕事目当てに人気脚本家に近づいた、もしくは仕事が欲しいなら人気脚本家と付き合うのが近道だと、大女優自ら勧めているように聞こえてしまうのではないか。

 恋愛というのはプライベートなことだが、その時ですら、周囲からの「相手は売れているかどうか」「役者としてメリットはあるか」という仕事上の評価がついて回る。それだけ、芸能界というのは熾烈な競争社会なのだと考えると、特に実績のない女優や、さらなる活躍を目指す女優が“当たり役”に出会いたいと願う気持ちを利用して、性加害を働く状況は続いてしまいそうだ。

 また、「怖い経験」の有無が、女優たちを分断してしまうようにも思えた。寺島は番組内で、性加害の恐怖を感じるような経験がなかった理由として、「家柄もそうですけど、周りの人たちがちゃんと守ってくれたのかなと思う。誰も身を守ってくれない人が、こういう目に遭ってしまうわけだから」と自己分析していた。確かに、人間国宝を父に、東映映画の大スターだった女優を母に持った寺島が性加害のターゲットになるとは考えにくい。

 私には寺島がこの問題に興味があるようには見えなったが、実際にそうだとしても、寺島を責めたいのではない。怖い経験をしたことがないと、問題を自分ごととして捉えることが難しかったり、ピントのズレたことを言っても致し方ないと思う。

 だからこそ、これを「被害に遭った女優の話」ではなく、「日本映画界の構造の問題」として考え、広く論じる必要があるのではないだろうか。寺島は海外での評価も高く、外国映画界の事情にも通じているはずだ。トップ女優として、寺島が日本映画界のためにできることはいくらでもあると信じたい。 

榊英雄と妻・和、被害者よりも「身内」に触れた公式コメントに読み取る“芸能界の体質”

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<今週の有名人>
「家族がありながらの夫の行為に対して許せないものがありました」和(いずみ)
和オフィシャルサイト、4月11日

 3月10日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、俳優で映画監督・榊英雄の女優に対する性加害を報じた。同誌によると、榊の作品に出演したり、ワークショップに参加した4人の女優が、性的関係を強要されたという。ある女優は、「短編映画の主演に起用したい。フィッティングをしよう」と業務上の打ち合わせであることを理由に2人で居酒屋へ行くも、榊が次に向かった場所はラブホテルだったそうだ。

 同誌の取材に対し、榊は4人のうち3人と関係を持ったことは認めたが、「性行為を強要した事実はありません」とし、あくまで合意の上だったと主張した。しかし、監督が主演という条件をちらつかせながら性的関係を要求してきたら、女優側が断りにくいことは明白だろう。

 「文春」の報道を受けて、榊は当時業務提携していた芸能事務所「Ruby・sue」を通じてコメントを発表。最初のパラグラフを抜粋してみよう。

「この度は、映画『蜜月』の公開が控えているこのタイミングで、私の過去の個人的なことが記事になり、映画を創るために東奔西走してくださったプロデューサー陣やスタッフ、キャストの皆さまおよび関係者の皆さま、そして何よりこの映画の公開を楽しみに待っていてくださる観客の皆様に、多大なるご迷惑とご心配、不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます。そしてかけがえのない大切な家族を傷つけ悲しませてしまったことを、本当に申し訳なく思っております」

 ここでは、自身の監督作で公開中止になった映画『蜜月』のプロデューサーやスタッフ、出演俳優など仕事関係者、観客、そして家族に謝罪しているが、最大の被害者である4人の女優については触れていない。次のパラグラフで、ようやく「今回の記事上で、事実の是非に関わらず渦中の人とされてしまった相手の方々にも、大変申し訳なく思っております」とつづられていた。

 しかし、この「事実の是非関わらず」という表現からは、榊が「不本意ではあるが、騒ぎになったので形だけ、とりあえず謝っておこう」と思っているかのような印象を私は受けた。

 そんな榊の妻で、シンガーソングライターの和(いずみ)は、「文春」の記事が出た直後の3月17日に、シンガーソングライター・川島ケイジの配信番組『川島ケイジのジグザクNIGHT』にゲスト出演。「榊英雄が心や体を、あの……そのことで傷つけてしまった女性のみなさんに謝らせてください。本当にすみませんでした」と謝罪し、「私自身はね、やっぱり夫婦関係っていうのにけじめをつけようかなと思ってはいるんですが……」と、離婚を示唆するような発言をしていた。4月11日には、和のオフィシャルサイトで、榊氏と離婚や別居について「協議を進めております」と発表している。

 夫や父親が性加害者だと日本中に報道された妻や子どもの苦悩は計り知れないし、和の場合、自分も芸能活動をしているだけに、今後の仕事に差し障りがないとは言い切れない。踏んだり蹴ったりで気の毒だが、オフィシャルサイトで発表した文章には、ちょっと気になる部分もあった。

 自身の娘たちの気持ちを尊重し、今後について話し合うのは時間がかかったと明かしたあと、「家族がありながらの夫の行為に対して許せないものがありました」と書かれている。さらに、「妻として、母親として、今家族を世の中にさらさなければならないような状況を作った夫を容認して生きていくつもりはありません。今わたしがすべき事は、 娘たちを全力で守る事と、わたし自身の心を守る事です」と、離婚は娘たちを守るための決断だと明かしていた。

 率直な気持ちをつづったのだろうが、被害者がいる問題に関わる公式コメントとしては、不適切なのではないだろうか。というのは、言うまでもなく、家族がいる人もいない人も、性加害をしてはいけないからだ。

 繰り返しになるが、榊は謝罪文で、被害者である女性たちをすっ飛ばして、プロデューサーや観客など、自分の仕事に関係がある人、もっと言うと、自分に直接的なメリットをもたらす「身内」から順番に謝罪した。妻の和も、榊を許せなかった理由は「家族がありながら」性加害を行ったことで、やはり「身内」を傷つけたことを挙げている。2人が文書でわざわざ「身内」に触れたのは、偶然なのだろうか。

 榊のスキャンダルを受けて、「勝てば官軍負ければ賊軍」ということわざが頭に浮かんだ。戦では、戦いに至る理由よりも勝敗のほうが大事で、勝ったほうが正義となり、負けたほうは反逆者とみなされることをいう。ジャニーズ事務所の生みの親で、日本を代表するプロモーターの故ジャニー喜多川氏は、豊川誕ら所属タレントによく「勝てば官軍」と言い聞かせていたそうだ。確かにこのことわざは、芸能界のような人気商売の体質を現した言葉だといえるだろう。

 映画監督なら観客動員数、ミュージシャンならCDなどの売り上げ枚数が数字として現れるので、それが多ければ高く評価され、彼らが所属する事務所や配給会社、レコード会社、さらに家族などの「身内」も潤うはずだ。こうなると、その業界は「売れっ子さまさま」の状態になっていき、極端な成果主義がまかり通るようになるだろう。売れれば売れるほど「身内」からはチヤホヤされるが、不祥事を起こせば「身内」に大きな損害を与え、そっぽを向かれてしまう。

 反対に、かけだしの役者のように知名度や数字を持っていない人は、業界内でどうしても立場が弱くなる。売れている・売れていないは単なる数字上の評価であって、売れていない人を軽んじていい理由はない。しかし、芸能界のように極端な成果主義の場所では、「勝てば官軍」とばかりに、「売れっ子」に権力が集中する一方、それ以外の人は軽んじられがちだ。

 こうした状況と、スタッフや家族などの「身内」だけを大事にするような榊と和の文章は、無関係ではないと思う。「身内」でも「売れっ子」でもない人を軽んじていることが、パワハラや性加害がなくならない一因となっているのではないだろうか。

 ところで、日本では「夫がやらかしたら、妻が謝る」ことが定着しているといっていいだろう。

 歌舞伎俳優・中村芝翫の不倫疑惑が持ち上がる度に謝る女優・三田寛子や、元プロ野球選手・清原和博氏が覚醒剤取締法違反で逮捕された際には、離婚しているにもかかわらず、モデル・亜希が謝罪のコメントを出した。そして和も、報道直後に榊の不祥事を謝罪していた。

 一方で、和はオフィシャルサイトの文章を「取材に来てくださる記者の皆様、どうかこのことに関しては、榊自身の問題であると思いますので、今後、家族に向けての取材、ご近所方への突然の訪問、取材などはご遠慮くださいますよう、心からお願い申し上げます」と結んでいる。

 和の言う通り、これは榊自身の問題で、すべての責任を引き受けるべきは、榊本人だろう。和やお子さんに静かな日々が早く訪れることを、願わずにいられない。 

小泉孝太郎に提案したい、アンガーマネジメントの方法――『上田と女が吠える夜』で見えたイライラの理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「この人にもご両親がいるんだな」小泉孝太郎 
『上田と女が吠える夜 2時間SP』(4月6日放送、日本テレビ系)

 4月6日放送の『上田と女が吠える夜 2時間SP』(日本テレビ系)に、小泉孝太郎が出演した。同番組は、オアシズ・大久保佳代子ら女性出演者が「デリカシーのないヤツ」「トレンド疲れ」などのテーマに沿って、“吠える”トークを展開する。こういう番組のゲストは“吠える”タイプの正反対、「まあまあ、それくらい、いいじゃない」といった温和なタイプのゲストがいると、バランスが取りやすいだろう。高祖父、祖父も政治家で、総理大臣を父親に持ち、物腰がやわらかい孝太郎は、ステレオタイプな見方をすれば「温厚なおぼっちゃん」なわけで、番組のゲストには適任だったと思う。

 「最近ちょっとイライラしたこと」というテーマで、孝太郎は、ゴルフをやっている時に遭遇するカラスにイラつくと明かした。「(カラスから)うまく距離が離れた時にやってきて、まだ食べていないカレーパンとコンソメスープ、それ持っていかれたときはイライラしましたね」と話し、司会のくりぃむしちゅー・上田晋也に「意外と小せぇことでイライラしていた」とツッコまれていた。

 また、若槻千夏が「エスカレーター降りてすぐに止まる人」にイライラすると話すと、孝太郎は「わかります」とした上で「すごい大きな交差点で、タクシー止める方(と一緒)ですよね」と共感していたから、比較的イライラしやすい側の人間なのかもしれない。

 しかし孝太郎は、イライラしても文字通り「水に流す」ことを心がけており、スポーツクラブに行き大浴場の水風呂に入るなどして、気持ちを切り替えるそうだ。

 また、仕事の現場でイライラした話でスタジオが盛り上がっていた際、上田は「こういう時ってどうしますか?」と質問。孝太郎は「彼にもご両親がいるんだな」と思うことで、イライラをもたらした相手を許すことにしていると話していた。「僕と同じように、みんな両親に育てられたんだなと思うと(イライラが)スっとさめていく」という。

 イライラをもたらした相手を怒ったり憎んだりすると、その人を慈しみ育ててきた両親が悲しむ。そう思うと、イライラしていられない……という意味なのか。私にはちょっと意味がわからなかったが、自分なりのアンガーマネジメント法を持つのは、メンタルヘルスを損ねないために有効だろう。

 一方で、孝太郎に提案したいことがある。もとからイライラしなくなるために、自分を振り返ってみてはどうだろう、ということだ。

 孝太郎は2013年、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)にゲスト出演したことがある。明石家さんまが司会で、マツコ・デラックスやIKKO、KABA.ちゃんら、番組内で“おネエ軍団”として登場したメンバーが、テーマに沿ってトークを展開していた。そんな中、孝太郎が脈絡もなく、自身の出身地である横須賀名物「ポテチパン」の話を始めたのだ。「なんであの人、勝手に話変えてるの?」「うちらなら怒られるけど、あの人はいいんだ」というふうに、おネエ軍団がまぜっ返し、さんまも苦笑いしていた。

 さんまはいろいろな番組で、バラエティは戦場、お笑いは団体競技、芸人にアイコンタクトを取って、緻密に笑いを作り上げていくと言っている。孝太郎のように勝手な話をされては、さんまの描く方向からずれてしまうわけで、イラッとしたかもしれない。共演者にしても、とっておきのエピソードを用意してきたかもしれないのに、突然話を変えられては披露のしようがなく、同じくイラッとしていそうだ。

 このように、本人に悪気はなくても、相手をイライラとさせてしまうことはある。悪意を持ってわざとイライラさせているなら話は別だが、ある程度は「お互いさま」と思うことで、イラッとすることが減り、自分のメンタルヘルスも損ねず、人間関係も円滑になるのではないだろうか。

 しかし同時に、「お互いさま」は一種の「あきらめ」ともいえるので、社会的地位がある人や、理想が高い人ほど受け入れにくい考えかもしれない。

 16年発売の「女性自身」(光文社)で、孝太郎は一緒に暮らす女性への要望を明かしていた。「柔軟剤は季節で替えてほしい」「女性が台所に立っているときは、リビングで待っていたい。そのときにお酒のつまみになるものを一品先に出してもらえたら最高」「『こうしてほしい』と言ったときに、拒否せずに食らいついてきてほしい」そうで、なかなか要求が多く、求める女性の理想が高いことがわかる。

 相手に「こうしてほしい」と思うほど、かなえられなかったときにイライラするだろう。こうやって考えると、イライラは相手の粗相によってもたらされることもあるが、自分の要求過多ではないか考えてみる余地も必要だと思うのだ。

 そうはいっても、有力政治家の家庭に育ち、人気俳優となった孝太郎に、そういう内省ができるかはわからない。「この人にもご両親がいるんだな」と考えて「水に流す」のがアンガーマネジメントのコツなら、孝太郎の恋人や、彼を支える仕事関係者は、何かあったときに「この人の親は、総理大臣だしな」と考えて、「あきらめる」しかないという話にもなる。

 特殊な家庭環境を持つ孝太郎がやるべきアンガーマネジメントは、相手の「あきらめ」で自分のイライラが収まった可能性を想像しながら、「お互いさま」と思うことではないだろうか。

 孝太郎が活躍するために周囲のサポートは不可欠。どうか周囲をイライラさせずに、仲良くしていただきたいものである。

阿佐ヶ谷姉妹は、今のテレビが求める条件をすべて満たす……「キラキラ」「攻撃性」のない笑いが求められるワケ

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<今週の有名人>
「好きなご挨拶ベスト3」阿佐ヶ谷姉妹 
『久保みねヒャダ こじらせナイト』(3月18日放送、フジテレビ系)

 3月23日放送『あちこちオードリー』(テレビ東京)に出演した磯山さやかが、自身の芸能生活22年に浮き沈みがなったことの理由として、キラキラした芸能人がよく出没する西麻布や六本木には行かず、そもそも、芸能人同士で飲み歩かなかったことを挙げていた。「(一緒に)飲んでいた人が、のちに逮捕されちゃう」ことがなかったので、芸能活動が阻害されなかったという。

 確かに、コンプライアンスを遵守する今のテレビでは、本人ではなく、友人が警察のお世話になることも好ましくないだろう。2021年1月発売の「週刊文春」(文藝春秋)が“ゆきぽよ”こと木村有希の自宅で知人男性がコカインを使用し、ゆきぽよ宅は強制捜査を受けたと報じた。ゆきぽよ本人が薬物を使用したわけではないが、この報道の影響があったのか、テレビで見る回数はめっきり減ったように感じる。個人的には、タレント本人が法律違反をしていないのなら、そこまで目くじらを立てる必要はないと思うが、それではスポンサーは納得しないのかもしれない。

 テレビはずっと“キラキラした人”が注目を集めるもので、大衆はそれに憧れ、彼らを真似てきた。しかし、磯山の話を聞くと、今のテレビは西麻布や六本木に行かないような、「キラキラしない人」が向いている場となりつつあるのではないだろうか。

 また、テレビの見せ方も変わりつつあると感じる。3月11日放送『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)で、「病院で受付の前に立ってから診察券を探す人、改札のギリギリで残金不足で通過できない人、レジで金額が出てからお財布を出す人など、準備不足の人を許せますか?」という視聴者からの質問に、有吉弘行とマツコ・デラックスが答えていた。かつては、タレント側が「こういう人は許せない!」と怒り出し、お茶の間がそれに賛同したものだったが、同番組は「視聴者の許せない人」を紹介し、出演者に共感させていたのだ。

 こうした変化と、ネットでの書き込みが過激化していることは無関係ではないだろう。名前の売れたタレントが「こういう人は許せない!」と一般人のことを批判すると、視聴者の中には「上から物を言われた」と感じて、そのタレントに誹謗中傷めいた意見を書きこむ可能性がいないとは言えないし、番組自体が炎上する可能性もある。それを避けるために、制作者は視聴者の投稿に共感をさせるなど、番組を「攻撃性のない内容」にするしかないのではないだろうか。

 「キラキラしない人」であり、「攻撃性のない内容」に対応でき、かつタレントとしての知名度と、オリジナルな面白さを持っている。この条件をすべて満たす芸能人は今、阿佐ヶ谷姉妹しかいないのではないかと思う。

 3月18日深夜放送『久保みねヒャダ こじらせナイト』(フジテレビ系)に出演した阿佐ヶ谷姉妹は、「好きなご挨拶ベスト3」というテーマを持ち込み、トークを展開した。この「好きな○○ベスト3」は阿佐ヶ谷姉妹の定番ネタだが、どギツい笑いに慣れてしまった人には、インパクトが足りないかもしれない。 
 
 阿佐ヶ谷姉妹が挙げた1位は、渡辺が「ありがとうございます」、木村が「いってきます」で、これも刺激があるとは言い難い。だが、こういうネタは誰も傷つけないし、好きなものを語っていると、自然と平和な空気が漂う。大爆笑を取るタイプではないが、これくらいの攻撃性のなさが、今のテレビには合っているように思った。

 阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子と木村美穂は、血のつながった姉妹ではない。2018年開催の『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ系)で優勝し、売れっ子の仲間入りを果たした2人だが、『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』(幻冬舎)によると、2人はそれまで六畳一間で同居生活を送っており、プライバシーがないことで小競り合いを起こすこともあったという。

 晴れて売れっ子になり、別々に住むことにするが、2人はキラキラした港区を目指さない。もともと住んでいたアパートの隣の部屋が空いたことから、そこに引っ越し、お隣さんとなった。

 ひと昔前の価値感なら、40代の独身女性が2人で住んでいると、「さみしい女たち」と言われたかもしれない。しかし、芸能人の不倫報道が頻発していることでもわかる通り、結婚したからといって、愛のある生活を送れるとは限らない。それに、近年「毒親」「きょうだいリスク」という言葉が出てきたことからも、血のつながった家族でも適切な関係が築けないことがあると、我々は知ってしまった。

 それなら、夫婦でなくても、血がつながっていなくても、気の合う人と隣に住み、心の通った会話をし(夫婦や家族であっても、表面的な会話しかできないことはある)、自分の好きな仕事をして、経済的な独立を果たす阿佐ヶ谷姉妹のような暮らしというのは、現代の理想の形の一つではないか。阿佐ヶ谷姉妹はお笑い芸人として視聴者に求められるだけでなく、大衆の憧れになりつつあるのだろう。

 阿佐ヶ谷姉妹が日常的なフツウの話をして、ふふっと笑う。キラキラも大爆笑もない代わりに、人を傷つけることもなく、攻撃性もない。だから、飽きることもなく、延々と見ていられる。今の視聴者が求めているのは、そんなフツウの笑いなのかもしれない。

小林麻耶、松居一代の暴露スタイルと異なる「計画性のなさ」……「テレビに出たい」発言に見る覚悟の違い

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<今週の有名人>
「松居一代です」小林麻耶
國光吟氏YouTubeチャンネル「吟 Akira」(3月21日)

 最近はやっている暴露系YouTuberを真似たのだろうか。タレント・小林麻耶が元夫の國光吟氏のYouTubeチャンネル「吟 Akira」にて、「秘密の暴露」を始めた。

 2020年に『グッとラック!』(TBS系)のコメンテーターを降板、所属事務所にマネジメント契約を解除されてから、テレビでほぼ見かけなくなった麻耶。どうしても多くの人に訴えたいことがあるのかもしれないが、「暴露すること」で窮地に立たされるのは、麻耶自身ではないかと思う。

 3月21日に公開された動画「小林麻耶暴露」での発言によると、麻耶と國光氏は昨年の4月に離婚したそうだ。しかし、元夫である國光氏と、17年に亡くなった麻耶の妹・小林麻央さんの夫であり、歌舞伎俳優・市川海老蔵からの「公表しなくていい」という意見に従い、発表を控えていたという。

 しかし海老蔵は昨年10月29日、自身のオフィシャルブログに「おかえり」というタイトルで、麻耶の離婚を示唆したうえ、久しぶりに甥や姪と会ったかのような印象を与える文章をつづった(麻耶いわく、子どもたちと交流が途絶えていたことはなかったそうだ)。麻耶は歌舞伎関係者に聞いた話として、海老蔵がこのブログを書いた理由は、自分のオンナ遊びをカムフラージュするためだと暴露。許可なくプライベートを「売られた」と感じ、麻耶はショックを受けたと語った。

 離婚こそしたものの、麻耶は國光氏と親しくしていた。一方で、海老蔵のブログを見た週刊誌記者が麻耶を追いかけ、國光氏とのツーショット写真を紙面に掲載。それを見た海老蔵ファンから「海老蔵さんの気持ちをなぜこんなに踏みにじるんですか?」「恥ずかしくないんですか?」「あなたなんていなくなればいい」などと、バッシングされたらしい。

 自分は悪いことをしていないのに、悪者と決めつけられたことに納得がいかなかったのだろう。麻耶は海老蔵の「真の姿」を暴露し始める。

 海老蔵は亡くなった妻・麻央さんの病室にやってきたものの、その場に5秒もいなかったこと。さらに、「ものすごく苦しくて、本当に大変なときに競馬新聞を病室で開き、競馬を見ながら楽しんでいましたよね、私と母と父の前で」「とてもいい施術をしてくれる先生方を見つけては、ご自分が先にその時間を取り、長い間施術を受け、妹はいつも後回しでした」「妹が亡くなった日に、海老蔵さんは父に向ってこう言いました。『こんなに高いマンション、借りたばっかりなのに!』って。父は絶句していました」「妹からも相談を受けていました。『苦しいよ、苦しいよ、死にたいよ、離婚したいよ』って」。

 麻耶にとってはキツい仕打ちだったのだろうし、暴露したくなる気持ちはわからないでもない。しかし、これは「闘病・介護あるある」「結婚生活あるある」と言えるようにも思えた。

 私も経験があるが、家族だからといって、全員が病人の気持ちに寄り添えるとは限らず、むしろ「この人、何しに来たんだろう?」と言いたくなる身内はいる。このような例は私の周りに限ったことではないようで、ある外科医から聞いた話だと、妻の入院中に「おまえが入院しているから大変だ」と嫌味を言う夫や、70代の母親が入院した際、娘は仕事と子育てをしながらせっせとお見舞いに来るのに、独身の息子は全く顔を見せないこともあるそうだ。

 また、麻央さんが離婚したいと思っていたという話も、意外性はなかった。というのは、結婚していて離婚が一度も頭をよぎらない人のほうが稀だろうし、麻央さんの場合、嫁ぎ先は梨園だ。複雑なしきたりや人間関係の中で疲れ果て、離婚したいと思い、信頼する姉につい気持ちを漏らしたとて不思議ではない。

 歌舞伎界きっての名門・市川家の跡取りとして、子どもの頃から大人に囲まれ、お世話され続けて育っただろう海老蔵。妻を愛しているからといって、闘病中にいきなり違う性質の人間になると私は思わない。海老蔵が妻を支える夫として不向きであったとしても、「いい夫ではなかった」とは言い切れないし、麻央さんが「離婚したい」と言ったとしても、それは「愛のない結婚生活」「夫婦不仲だった」ということではないだろう。

 “真実”を伝えれば、世間の人は見る目を変えて、自分の味方をしてくれると麻耶は思ったのかもしれない。しかし、暴露というのは、インパクト次第で真実だと信じてもらえるか否かが決まる勝負でもあると、個人的に思っている。たとえば、海老蔵が麻央さんの闘病中に不倫していたなど、明らかに倫理に背くことを確たる証拠と共に白日の下に晒せば、世間は驚くだろうし、真実だと信じてもらえそうだ。

 そう考えると、麻耶が今回YouTube上で明かした話だけでは「よくあること」で済まされてしまい、かえって麻耶のほうが「海老蔵に固執している」と悪印象を持たれてしまうのではないか。

 暴露動画には年齢制限があったものの、その内容がネットニュースになれば、海老蔵のお子さんたちも簡単に目にすることができる。麻耶にそんなつもりはなくても、お子さんたちを傷つけることになってしまい、親族から疎まれてしまうかもしれない。今回の暴露で海老蔵に与えたダメージと、麻耶が背負うリスクを比べると、後者のほうが大きくはないだろうか。

 麻耶は動画の冒頭で「松居一代です」とボケて見せた。17年、俳優・船越英一郎と離婚をめぐって揉めていた女優・松居一代は、マスコミが船越の所属する大手事務所に忖度して、「真実(船越の不倫)」が報じられないと思い、YouTubeを立ち上げる。そこで、船越のセカンドバッグにバイアグラが入っていたことなどを「不倫の証拠」と語った。その暴露スタイルを真似るという意味で、麻耶は「松居一代です」という“ギャグ”を言ったのかもしれないが、一代を甘く見てはいけない。

 “松居劇場”が連日繰り広げられる中、一代は「日刊スポーツ」の取材に対し、「タレント生命なんて気にしていません。もうテレビに出ることはないでしょう。日本にいるつもりもありません」と答えている。これは、一代はもうテレビに出られなくなる、タレントとして活動できなくなることを覚悟の上で、船越が所属する大手事務所にケンカを売るような暴露をしたと見ることもできるだろう。

 実際、一代は船越の名誉を棄損したとして、民事で船越の所属事務所から、刑事で船越本人から訴えられた。しかし、所属事務所とは金銭支払いなしで和解が成立、刑事事件のほうでも不起訴となった。日本にいるつもりはないという言葉通り、現在、一代はアメリカに渡り、投資家として活躍している。不安定に見えて実はものすごく緻密で計画的というか、有言実行というか、自分のやりたいことは全部やるのが一代らしさだと思う。

 それに対し、麻耶はどうか。暴露動画を出す前、22年3月18日のブログで「これから私はまたテレビに出たいと思っています」と書いていたし、「何も悪いことをしていないので今までお世話になってきたテレビ局の方は私のことを信じていただけたら幸いです」と結んでいる。確かに法律違反をしたわけではないのだから、テレビに出る資格は十分ある。

 しかし、暴露というのは、法律違反とは違った意味で嫌がられるのではないだろうか。「暴露する人」という“実績”を自分で作ってしまったため、ちょっとした行き違いや誤解を「いじめられた」「だまされた」と一方的に暴露される可能性を考えたら、テレビ関係者に敬遠されることは想像に難くない。「テレビに出たい」と言いながら、その可能性が遠のく行動を取る麻耶に、一代のような計画性はあるのだろうか。

 一方で、麻耶は数秘術のオンライン講座を開設するなど、スピリチュアルカウンセラーとしての活動を発表している。しばらくはその活動に専念して、占い師としての実績を作ったらどうだろうか。占いというのは固定ファンのいるジャンルなので、「当たる」と評判になれば、テレビのほうから「お願いします、出てください」とオファーが来るはずだ。

 久しぶりに麻耶を見たが、少しやせたように感じる。まず体を大事にして、大きな決断はその後にしてほしいと思わずにいられない。 

野村周平、「やんちゃな母」がイメージ回復の手段に? 『ツマミになる話』で見えた「いい人」キャラへの可能性

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「お母さん、好きなドラマが『SEX AND THE CITY』」野村周平
『人志松本の酒のツマミになる話』(3月11日放送、フジテレビ系)

 コンプライアンス厳しき折、タレントが刑事事件を起こしたり、誰かを傷つけるような不祥事が発覚したりすると、テレビへの復帰は難しくなる。しかし、そこまでいかないのであれば、芸能人や有名人の“悪いイメージ”というのは、必ずしもマイナスではないと考えることがある。

 その昔、情報バラエティ番組『5時に夢中!』(TOKYO MX)に出演した元プロレスラーでタレントの北斗晶が、「悪役はトク」と話していた。プロレスラーだったこともあり、北斗には「怖い人」というイメージもあるが、あいさつをするなど常識的な範囲で礼儀正しくしているだけで、世間サマから「実はすごくいい人なんだ」と言われるそうだ。 
 
 つまり、もともとマイナスなイメージがあると、フツウのことをしただけで「ああ見えて、本当はいい人」と思ってもらえるからトク、ということだろう。とはいえ、コンプライアンスに厳しい今、礼儀正しいぐらいは当たり前で、世間サマに「いい人」と思ってもらえない可能性も高い。それでは今の時代、何をすれば「本当はいい人」と思ってもらえるのだろうか。 
 
 3月11日放送のバラエティ番組『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ系)に、俳優・野村周平が出演した。本人いわく、「やんちゃなイメージ」に悩んでいるらしい。 
 
 野村といえば、2021年12月28日放送のトークバラエティ番組『ボクらの時代』(同)に出演し、今の自分はモテていると明かしたうえで「やっと俺の良さを、女どもがわかってきた」と、その理由を分析。ネット上では、この“女ども”という言い方に反感を抱く書き込みが多く見られた。

 ほかにも、理想の結婚相手を「自立している人」とし、その理由を「『お前なんかに(お金を)払ってもらわなくても払えるから』みたいな人。そのほうがやっぱりいいし、俺の人生を邪魔しない」と言っていた。個人的にはこっちのほうがイヤな感じだと思ったが、どちらにしても、野村が“俺サマキャラ”であることは間違いないだろう。

 しかし、『酒のツマミになる話』で野村が「清純派という言葉に憧れがある」「さわやかなほうで行っていたら、もっと何かあったんちゃう? と思ってしまう」「後輩に『すぐ殴る人だと思っていました』と言われる」と語っていたことから考えると、自身のイメージやキャラクターが世間から反感を買っていることを、それなりに気にしているようだ。

 コンプライアンス厳しき折、やんちゃなイメージは時にマイナスになるかもしれない。しかし、同番組内で野村は、絶好の「イメージ回復の手段」を持っていることが明らかになった気がした。「お母さんの話」をすればいいのではないだろうか。

 共演のフットボールアワー・岩尾望は、近所の公園で愛犬を散歩させていたところ、ある女性から「野村周平の母です」と声をかけられたそうだ。岩尾いわく、お母さんの見た目は「結構やんちゃな感じ」。これを聞いた野村が「お母さん、好きなドラマが『SEX AND THE CITY』」と言うと、岩尾は「確かに海外ドラマ見ているような見た目」と返した。

 バラエティ番組なので話を盛っている可能性もあるが、野村によると友達に「お母さん、乳首が透けていた」と言われたこともあるらしく、露出度は高めらしい。野村はお母さんに「東京のええ男つかまえたい願望がある」と説明していたが、こんなに素晴らしい人材、使わない手はないだろう。

 息子とお母さんという取り合わせは、古今東西、老若男女ウケするネタである。同番組司会のダウンタウン・松本人志も若い頃はトガっていたが、お母さんとテレビによく出ていた。この共演が誰の希望だったかわからないが、日ごろはトガっている松本が、お母さんの前では形無しになる姿は、好感度を上げるのに貢献したといえるのではないか。

 野村もイケイケなお母さんをバラエティ番組に出して、「東京のええ男」を求めて暴走するお母さんをいさめたらどうだろう。お母さんは岩尾のことを「あのブサイクな芸人、誰や」とたずね、野村が「そんな言い方したら、アカンよ」と返したそうだが、このノリをテレビでやればいいと思う。

 タレント本人が暴走すると、タレント本人のイメージが悪くなるだけだが、一般人であるお母さんの暴走なら、タレント側に大きな影響はないはずだ。むしろ、お母さんとの会話で、いつものやんちゃなイメージとは違う優しい顔を見せられたら、野村のイメージは上がるかもしれない。

 テレビの視聴率低下が進み、比較的低予算で作れるとされるバラエティ番組が多くなると、芸人の仕事は増えるが、歌手や俳優は苦戦を強いられるだろう。そんな中で、世間サマからいいイメージを持たれていないタレントに勧めたいことは、「立っている者は親でも使え」ならぬ、「イメージアップのためなら親でも使え」である。野村はまさに、そのチャンスを「持ってる」人のような気がしてならない。 

ジャガー横田の息子・大維志くんと秋篠宮家・悠仁さまの“高校受験・進学”に思う、子どものプライバシーと大人の責任

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「話題作りというのもありますが、一番は自分への“みそぎ”です」木下大維志くん
『バイキングMORE』(3月7日放送、フジテレビ系)
「中学生の作文とはいえ、著作権法違反であることは明らかです」皇室担当記者
「女性自身」2022年3月15日号 (光文社)

 今、世間から注目されている15歳の少年が2人いる。

 1人目は、プロレスラー・ジャガー横田と医師・木下博勝氏の息子・大維志くんだ。自身のインスタグラムで高校受験の結果を公表し、ネット上で物議を醸した。合格したのであれば「よかったね」と思えるが、大維志くんは、これまで受けた学校は全部落ちており、インスタグラムに不合格通知の画像と、悪態をつくような文章を投稿していた。

 そんな中、大維志くんは3月7日放送の『バイキングMORE』(フジテレビ系)に出演し、SNSに合否通知を掲載する理由は「話題作りというのもありますが、一番は自分への“みそぎ”です」と答えた。大維志くんは芸能人ではないものの、“ジャガー横田の子ども”ということで、生まれたときからワイドショーに追いかけられていた。生まれたばかりの大維志くんを前に、父である木下氏が「東大法学部に行ってほしい」と話していたのを見たことがあるし、自身もバラエティ番組に出演。中学受験に挑む様子は『スッキリ』(日本テレビ系)に密着されるなど、“半芸能人”といえるだろう。

 生育環境から、大維志くんには「目立ってナンボ」という芸能人的な価値観が刷り込まれてしまったのかもしれない。「みそぎ」という言葉を選ぶのも、政治家や芸能人のようだ。しかし、今は「みそぎ」よりもSNSから離れて、試験対策に集中するほうが得策ではないか。

 こういうときは、大人にちゃんと諭してほしいものだが、この家族には期待できないかもしれない。YouTubeに「ジャガー横田ファミリーチャンネル」を開設し、大維志くんを含め家族3人で動画に出演している。その中には、受験事情を赤裸々に語る動画も多く、大維志くんの志望校こそ公表しないものの、三者面談での学校側とのやりとりなどを明かしていた。

 3月1日配信の「JJ(編注:大維志くん)の高校受験結果と詳細すべてお話しします」との動画で、木下氏は「今の時代は何でも表に出す時代ですよ」「(大維志くんが受験結果をSNSに投稿することは)誰かに迷惑かけてますか?」「親は応援する立場を貫く」と述べている。続けて「ヤフーニュースもすごいですよね。連日(記事が)出ていますから」と笑顔を見せていたことを考えると、このように注目される状況は木下氏にとって、まんざらでもないのだろう。

 確かに、今やSNSで自分のプライバシーを公開することは“当たり前”となりつつある。それでは、プライバシーという概念がなくなったかというと、もちろんそんなことはない。特に未成年のプライバシーは、今も昔も取り扱いには気を配るべきではないか。そして受験の合否というのは、未成年のプライバシーの中でも、特に守るべき繊細な情報だと思うのだ。 

 「ジャガー横田ファミリーチャンネル」を見ていると、大維志くんが悪態をつき、ジャガー横田とケンカになり、それを木下氏がいさめるというパターンが多いことに気づく。木下氏は生意気ざかりの大維志くんに対して、頭ごなしに否定することはしない。コメント欄を見ていると、そんな木下氏に好感を寄せる視聴者もいるようだ。

 このYouTubeチャンネルは、木下氏だけのイメージアップチャンネルなのでは? と思わなくもない。そして私が気になったのは、木下氏が大維志くんについて「メンタルが強い」と言い、ジャガー横田が「強くない、繊細」とフォローしていたことである。

 人の性格というものは、どこから見るかでも印象が変わるし、まるで接点のない私が言うのもなんだが、大維志くんのメンタルが強いとは思わない。大維志くんはインスタグラムのストーリーズに不合格通知の画像を載せ、「how many times do I have to see this shit」(何回見たら気が済むんだこの野郎)の一文を添えていたことがある。ここから考えてもわかる通り、彼はもう不合格通知は見たくない、つまり、受かりたくて苦しんでいるわけだ。

 今の時期、クラスメイトの多くは進学先も決まり、学校は解放感に包まれ、新生活への期待に胸を膨らませていることだろう。それなのに、大維志くんはまだ行き先が決まらない。そんな寂しさややるせなさを、SNSにぶつけているのではないだろうか。

 一方の木下氏は、自身のインスタグラムで「心が折れない息子を見て、親ですがJJを見習いたいと感じました」とコメントしている。これまた好感度の上がりそうなコメントだが、大維志くんはまだ15歳。大人のような判断力は持っていない。SNSに息子さんのことを書くよりも、息子さんと向き合ってほしいと思うのは、私だけではないはずだ。子どもを守るのは、大人の役目だろう。

 もう一人、受験の結果があれこれ取り沙汰されている15歳は、秋篠宮家のご長男・悠仁さまである。長女の眞子さんと結婚した小室圭さんをめぐっては、米・フォーダム大学に授業料全額免除という待遇で入学したことなどが、ネット上で「皇室利用ではないか」と物議を醸した。そんな小室さんと眞子さんが結婚したため、秋篠宮家を「皇室の私的利用を許した家」と見る人もいるようだ。

 そして今年、悠仁さまがお茶の水女子大附属中学から“提携校制度”を使って筑波大付属高校へ進学され、ネットでは再度、「皇室の私的利用ではないか」という声が高まっている。

 秋篠宮家の側近・皇嗣職大夫や、筑波大学の学長も「私的利用」を否定しているが、タイミングが悪いことに、2月16日配信のニュースサイト「NEWSポストセブン」が「悠仁さまの文学賞入賞作文の一部が他の人の文章と酷似 宮内庁は参考文献の記載漏れを認める」と報じたのだ。

 同記事によると、悠仁さまは福岡県北九州市が主催した「第12回子どもノンフィクション文学賞」の佳作に選ばれたが、不適切な引用と参考文献の記載漏れが指摘されたという。同誌が宮内庁報道室に確認したところ、「ご指摘に感謝します」とミスを認めたそうで、「この旅行記は、悠仁親王殿下が、自らいろいろな文献等をお調べになり書かれましたが、参考文献の記載が十分ではなかったと振り返っておられました」という悠仁さまのコメントも紹介している。

 普通の中学生なら“うっかりミス”で済む可能性もあるが、秋篠宮家に「皇室の私的利用を許した家」というイメージを持つ人々は、そう受け止めないだろう。ヤフーニュースのコメント欄には「またズルをしたのか」「賞を取り消すべきだ」といった批判的な書き込みが多く、“提携校制度”を使った高校進学に絡めて「不信感が募る」「優遇されているようにしか見えない」などの厳しい声もある。

 日本のテレビや新聞は、この件についてそれほど大きく取り上げなかった。しかし、「女性自身」22年3月15日号(光文社)によると、海外では大きく報じられたそうだ。それを踏まえ、同誌は「中学生の作文とはいえ、著作権侵害であることは明らかです。生物学に関心があるという悠仁さまですが、研究者を目指されるのではあればなおさら注意すべきことのはずです」という、皇室担当記者の見解を掲載した。 
 
 確かに、うっかりミスであっても、いけないことには間違いはない。けれど、責められるべきは悠仁さまなのだろうか。

 悠仁さまは良くも悪くも常に注目されるお立場で、今は明らかに秋篠宮家に逆風が吹いているから、ささいなミスも許されない。しかし、まだ文章を書き慣れていない15歳がミスをするのは当たり前だろう。

 「自身」では「研究者を目指されるのであればなおさら注意すべき」と強い言葉が使われているが、本当に注意すべきなのは、周りの大人ではないか。悠仁さまが仮にノーチェックで賞に応募してよいとおっしゃったとしても、周りの大人が念には念を入れて確認するべきだったと思う。

 庶民であろうと、半芸能人であろうと、皇室の方であろうと、自分からSNSに投稿しようとしまいと、15歳はまだまだ子どもだ。ミスをするのは当たり前だし、世の中のこともわかっていない。何より、見ず知らずの人にネット上で悪く言われたら、心が傷つかないわけはない。

 SNSの時代だからこそ、大人は子どものプライバシーに配慮し、行き過ぎた行為がないが、目を配る必要があるのではないかと思わずにいられない。

カズレーザー、最大の魅力は「自意識に振り回されないこと」? オープンカーを“笑う”芸人との違い

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<今週の有名人>
「いい服は着るのに、オープンカーはぐだぐだ言う」メイプル超合金・カズレーザー
『オードリーと選の夜』(2月28日放送、テレビ朝日系)

 2月28日放送のバラエティ番組『オードリーと選の夜』(テレビ朝日系)内で、オープンカーについて取り上げていた。

 「芸能人たちが“今気になってしょうがないコト”を発表し、みんなで語り合う」という番組内容で、サンドウィッチマン・富澤たけしは「オープンカーに乗る人の気が知れない」と話した。その理由として「恥ずかしいじゃないですか、ものすごく見られるし。夏はわかる気がする。冬になんでオープンにして走っているの?」と言い、特に冬の寒い時期にオープンカーに乗る意味がわからないようだ。

 ロバート・秋山竜二も「乗っている奴のテンションがね。もっとはっちゃければいいのに、屋根がある顔をしている」と、あえてプライバシーのない車に乗り、自分をさらしておきながら、見られていないかのように冷静に振る舞うハートの強さや不思議さを指摘。番組司会のオードリー・若林正恭は「だいたいブランドのめちゃデカいロゴが入ってる服着ている」と、オープンカーに乗る人に経済的余裕とアピール気質を感じると話していた。

 3人とも、オープンカーに乗る人をちょっとバカにしているように私には感じられたが、メイプル超合金・カズレーザーは「むっちゃ乗りたい、がぜん乗りたい」と発言し、スタジオでは驚きの声が上がった。続けて、富澤らに「人の目がどうとか、みなさんおっしゃいますけど、じゃあオシャレするなよって思うんですよ。オシャレってそもそも人に見られるためにやってるじゃないですか」と反論。「いい服は着るのに、オープンカーはぐだぐだ言うなよ」と、好きな服を着ることとオープンカーに乗ることは、同じ「人に見られること」を意識している行為だと主張した。

 これらの会話、私には微妙にかみ合っていないように感じられた。カズレーザーは単純に「オープンカーに乗りたいか、乗りたくないか」を話している。しかし、ほかの3人、特に若林は違うのだ。

 番組スタッフは実際に、東京・表参道でオープンカーに乗っている女性を見つけ、インタビューを行った。その際、女性が「オープンカーに乗っている人は、みんな目立ちたがり」と自己申告したため、このVTRを見ていた若林は「最後の最後、ようやく目立ちたがり屋っていうのが出てきた。自首してきた」とまとめていた。

 つまり、若林自身も「オープンカーに乗っている人は目立ちたがり屋」だと思っており、VTRを見ている間、「オープンカーに乗る人は目立ちたがり屋か、そうではないか」を気にしていたのだろう。富澤と秋山も「乗ったことで自分は人からどう見られるか」を考えたうえで、「オープンカーに乗る人の気が知れない(自分も乗らない)」と言っているように見える。

 番組では、そんな「目立ちたがり屋」な人々を笑っているように感じたが、オープンカーに乗る人が本当に目立ちたがり屋だったとして、それが笑われるのはなぜなのか。

 2017年1月7日放送のラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で若林は、オリエンタルラジオ・藤森慎吾に、体格が小柄なのに高級大型車・ランドクルーザーに乗っているのは「ダサい」と言われたことを明かした。藤森は「若林さんはプリウスとか、そういうのでいいんすよ」とも話したそうだ。

 高級車と芸人といえば、平成ノブシコブシ・吉村崇は15年放送の『ざっくりハイタッチ』(テレビ東京系)で、免許を持っていないのに、2000万円もするBMW i8を借金してまで購入したと告白。本当は芸能人の彼女を助手席に乗せたいけれど、それは無理なので、地上波に出られていないレベルのグラビアアイドルを乗せているとも語り、その場にいた千原兄弟・千原ジュニアや小藪千豊、フットボールアワーは笑っていた。

 自動車メーカーは車が売れればうれしいわけだから、大柄な人でなくてもランドクルーザーを売るし、超高級車の助手席に誰を乗せようと関係ないはずだ。

 しかし一方で、車というのは「いつもとは違う何か」もつきまとう買い物のようだ。車は「自分は人からこう見られている」という自意識を購入者に発動させてしまい、周囲も「あいつはあの車に似つかわしくない」「この車にはこういう女でないと乗せられない」「あの車に乗っている人は○○に違いない」といったジャッジをさせるのかもしれない。

 でも、そうした「似つかわしくない」「目立ちたがり屋に違いない」といった周囲の反応を気にするのは、“自意識の呪縛”でしかないだろう。似合ってないのは「ダサい」、目立ちたがり屋は「恥ずかしい」という呪縛だ。なので、オープンカーに乗る人たちの言動が理解できずに笑ったのではないか。

  一方で、カズレーザーにはそういう自意識の呪縛めいたものを感じない。

 カズレーザーは売れっ子でありながら、贅沢な生活には興味がないことを明らかにしている。ブレークを果たした後も、家賃3万7,000円の事故物件に住んでいることを、いろいろな番組で話していた。20年12月26日配信のウェブサイト「東洋経済オンライン」のインタビューによると、今はファミリー向けの賃貸マンションで、トレンディエンジェル・たかしと後輩2人の計4人で共同生活を送っているそうだ。

 また、今年2月8日配信のウェブサイト「週刊SPA!」によれば、カズレーザーは週に1回の休みは必ず確保しているというから、仕事や収入を必死で増やす気がそもそもないのだろう。

 自身のYouTubeチャンネルに寄せられた、視聴者からの「一度きりの人生ダラダラ過ごしてもいい?」という質問に対しては、「いやいや、一度きりの人生なんだから、ダラダラしたほうがいいと俺は思いますね。2回、3回あるんだったら、今回リスク取って頑張ってもいいですけど」と答えている。

 こうした受け答えから見ても、カズレーザーは「お金を稼いで高級車に乗り、人から良く見られたい」といった自意識を、ほとんど持っていないように思う。 
 
 だからといって、カズレーザーがなまけ者という意味ではなく、自分がどうしたら効率よく、心地よく仕事ができるのか、彼自身がよくわかっているのではないだろうか。ワイドショーのコメンテーターからバラエティ番組まで幅広く活動しているが、カズレーザーの最大の魅力は、自意識や煩悩に振り回されていないが故の軽さ、明るさがあることのように見える。

 Apple創業の中心人物であるスティーブ・ジョブズら世界のセレブは、禅をベースにしたマインドフルネス(評価にとらわれず、ただ事実をそのまま受け入れること)に夢中になっていたが、カズレーザーは現代日本でただ1人の「しゃべるマインドフルネス」なのかもしれない。

千原ジュニア、渡部建に「土下座させる」発言は時代にマッチしていない? 芸人としての「覚悟」に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「芸人やったら、覚悟決めて来いよ」千原兄弟・千原ジュニア 
『Abema的ニュースショー』(2月20日放送、ABEMA)

 2020年6月に複数女性との不倫が発覚し、芸能活動を自粛していたアンジャッシュ・渡部建が、今年2月15日放送の『白黒アンジャッシュ』(千葉テレビ)で復帰を果たした。その番組内容は、相方である児嶋一哉が渡部に対し、「お前の人間性だと思う。お前は調子に乗っていた。お前の、人を雑に扱うようなことが、女性をあんな扱いするようなことになった」と公開説教し、渡部が謝罪するという形だった。

 児嶋が渡部を叱り、謝らせることで、実際に視聴者がどう感じるかは別として、一応「謝罪した」という形になる。この先の2人がどうなるかはわからないが、とりあえず再スタートラインについたといえるだろう。

 渡部の復帰を受けて、いろいろな芸人がコメントを出しているが、私が引っかかったのは、千原兄弟・千原ジュニアの発言だ。

 芸人として、ひと肌脱ごうと思ったのだろう。2月20日放送『Abema的ニュースショー』(ABEMA)に出演したジュニアは、渡部の同期、もしくは先輩が渡部をボロクソにいじるほうが、渡部にとっていいのではないかと思い、自分がいじり役になると他番組で名乗り出たそうだ。すると、ジュニアと兄・せいじが毎月やっているトークイベント「千原トーク」という舞台に、自身のマネジャーが渡部の出演をオファーしたことを明かした。

 舞台ならスポンサーがいないので、渡部も出演しやすいと思ったのだろうし、復帰の見込みが立っていない渡部にとっては、天の助けかもしれない。しかし、渡部の所属事務所からは「お声がけは本当にうれしいんですけど、今は『白黒アンジャッシュ』だけでやっていきたいと思っていますんで」と、お断りされたらしい。

 これを受けてジュニアは、「俺はね、芸人やったら、覚悟を決めて来いよと(思う)」「せいじと2人、土下座させて、ボロクソやるけどな」と、渡部の意気地のなさを指摘していた。

 同じ芸人として渡部の窮地を救ってやろうという“善意”を無下にされて、腹が立ったのかもしれないが、ビジネスとして考えるなら、渡部の事務所の判断は正しいのではないかと思う。

 確かに舞台であれば、スポンサーがいるわけではないから、渡部を呼んで、それこそ土下座をさせても問題はないだろう。しかし、観客がその様子をネットに書き込む可能性を忘れてはいけない。正しく書いてくれるならまだしも、明らかに間違ったことが書き込まれた場合、テレビなら反論や検証ができる。しかし、舞台のようにクローズドな空間の場合、それは難しいだろう。

 たとえば、渡部が舞台の間にちょっと笑顔を見せたとする。それを悪意的に解釈して、「渡部は終始ヘラヘラしていた」とネット上に書き込まれたりしたら、渡部のイメージはますます下がって、やられ損だ。情報の統制という意味で考えるなら、ここはおとなしくしているほうが賢明ではないか。

 また、ジュニアの「芸人やったら、覚悟を決めて来いよ」発言で考えさせられたのは、現代における「芸人」とはなんだろう、ということだ。渡部へのコメントから解釈するならば、ジュニアの言う芸人とはおそらく、人に笑われたり、土下座させられることを恥と思わない人のことを指すのだろう。

 しかし、その考えは、今の時代とマッチしていないと思うのだ。

 今や芸人は、「人気商売」と呼ばれるほぼすべてのジャンルで活躍しており、芸能界のオールラウンドプレーヤーといえるだろう。ワイドショーのコメンテーターとして出演することは当たり前だし、現在放送中のNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』には、おいでやす小田が、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』には、わが家・坪倉由幸やティモンディ・高岸宏行が出演している。

 さらに、出版不況と言われて久しい中でも、ハライチ・岩井勇気のエッセイ集『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)はベストセラーを記録。ピース・又吉直樹は小説『火花』(文藝春秋)で第153回芥川龍之介賞を、オードリー・若林正恭の旅エッセイ『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(KADOKAWA)は第3回斎藤茂太賞を受賞。阿佐ヶ谷姉妹によるエッセイ『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』(幻冬舎)も好評で、昨年、NHKでドラマ化された。

 俳優業や文筆業は、厳しいプロテストをクリアしてその道に入ってきた“本職”がいるが、芸人たちはいつのまにか、彼らと肩を並べるケースも出てきたわけだ。芸人はネタを作り、それを演じるのが仕事だから、もともと文筆や演技と親和性が高いのだろう。一方で今、世間が求めているのはそうした「本職の技」ではない、と見ることもできるのではないか。

 トークバラエティ番組『アメトーーク!』(テレビ朝日系)に「家電芸人」という人気企画がある。その名の通り、芸人がおすすめ、もしくはお気に入りの家電についてプレゼンをするというものだ。本当に家電が欲しいのなら、量販店に行って直接店員に尋ねるほうが効率的だ。にもかかわらず、この企画が人気なのは、視聴者が「よく知っている人」に「マニアックすぎない知識」を「わかりやすく、親しみやすい態度」で授けてほしいと思っていることの表れのように感じる。

 本職の俳優や作家、そして量販店の店員はプロだから、知識も自負も相当あるだろう。けれど、それは聞き手とっては話が難しすぎたり、態度が「上から目線」に感じられるかもしれない。一方で、異業種に“お邪魔する”という意識のある芸人は、基本的に腰が低いように思うし、話芸もある。プロではないからこそ身近に感じられる芸人は、何をやるにも世間にとって「ちょうどいい存在」なのかもしれない。

 ジュニアは若い頃、お笑いに対してストイックな一方で、一般人とのケンカもいとわぬ気性の荒さから「ジャックナイフ」と呼ばれていたそうだ。そういう破天荒さが「芸人らしさ」といわれていた時代もあったが、これだけ芸人が多くのジャンルから求められるようになると、世間にとって「ちょうどいい存在」でいることに加えて、芸人こそ好感度が重要になってくるのではないだろうか。

 笑いさえ取れれば私生活はどうでもいい、というように、笑いと私生活がセパレートしていた時代が過ぎたことは、誰よりも渡部が証明している。もうすでに、好感度の高い芸人のほうが、笑いを取れる方向にシフトしているのではないか。ジュニアが渡部を土下座させたところで、世間がどちらかを身近な存在に感じたり、好感度が上がるとは思えない。

 この点について渡部やその事務所が理解しており、ジュニアのオファーを断ったのならば、たとえ同じ芸人仲間であっても、無理やり前時代的な「芸人らしさ」に巻き込むべきではないだろう。

 ジュニアといえば、落語家・桂三枝に「結婚して上のステージで、今まで見えへんかった笑いを作ったらどうや?」と言われたことが結婚を決めた理由の一つだと、2015年11月7日放送のラジオ番組『千原ジュニアのRPM GO!GO!』(ニッポン放送)で明かしている。

 ジュニアは18歳年下の一般人女性と結婚し、二児の父となった。三枝の言葉の真意はわからないが、私生活から笑いを生む「最初の大御所」となるのはどうだろうか。そういうネタを拝見するのを楽しみにしている。