『週刊さんまとマツコ』めるるを当てこする菊地亜美に見る“悪い思い込み”

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「私、こんなしゃべらなくても売れるわ」菊地亜美
『週刊さんまとマツコ』(TBS系、7月3日)

 この世で怖いものは何か。考えるといろいろあるけれど、「一つだけ」と言われたら、私は「思い込み」を挙げる。

 思い込みは、私たちを不幸にする。例えば、新卒大学生向けの就活情報サイト「就活の教科書」に公開された記事は、まさに思い込みによる不幸について考えさせるものだった。

 同記事内には“底辺職”として具体的な職業が挙げられており、ネット上で「職業差別だ」と炎上した。ライターや編集部が、こうした極端な言葉をあえて使ったのは、匿名掲示板「2ちゃんねる」開設者・ひろゆき氏らインフルエンサーの真似なのではないだろうか。

 彼らの発言には「人の評価」にまつわる言葉が、よく使われているという印象を受ける。「Fラン」「低収入」「無能」「無価値」……なぜ、彼らがそういう言葉を使うかといえば、人は誰しも「あなたは価値がある」と言われたいもので、特に人に褒められたい気持ちが強い人ほど、けなされることを恐れ、けなし言葉に敏感になってしまうからだ。インフルエンサーはそのあたりの機微を熟知しており、わざと「おまえは無価値だ」と端的に表す言葉を使用して、人の興味を引き、数字を稼ぎ、現在の地位を築いたのではないか。

 先に挙げた“底辺職”の記事も、ニュースサイト「週刊女性PRIME」によると、これが“底辺職”だと脅して耳目を集めた後、その職を回避するために利用すべきサイトを紹介し、クリックを誘導する仕掛けをしていたそうだ。

 問題は、判断力のない若い人が、こういうけなし言葉を含んだPV目当ての情報を信じてしまうことだ。世の中に“底辺職”などというものは存在しないことは言うまでもないが、「お前の仕事は底辺だ」と人から言われたくない思いが強い人ほど、“底辺職”とはどんな職種か知りたくなるだろう。さらにライターや編集部の主観でしかない“底辺職”を、本当に“底辺”だと思い込んでしまい、その職業に就く人をも低く見るようになるのではないか。

 「あの職業は、底辺だ」と思い込むのは個人の自由だ。しかし、そういう人が、何らかの理由でその“底辺職”に就くことになったら、どうなるのだろう。この世に“底辺職”なんて存在しないと思う人は、普通に仕事をして、職場の人間関係を構築していくだろうが、自分は“底辺職”をしていると思う人は、自分を恥じ、自己評価を下げ、そのため人とも関われず、孤立してしまうのではないだろうか。このように、「あの仕事は底辺だ」という思い込みは、人生をまったく別のものにしてしまうかもしれないのだ。

 そうは言っても、思い込みを持たない人はいない。特にテレビでは、思い込みが笑いを誘うこともあるので、一概に悪いものとは言い切れないが、7月3日放送『週刊さんまとマツコ』(テレビ朝日系)を見ていたところ、芸能界での“悪い思い込み”の例を目の当たりにした。

 同番組のゲストは、タレント・菊地亜美と朝日奈央。2人はアイドルグループ・アイドリング!!!出身で、現在はバラエティを中心に活動しているという共通点がある。しかし、現在バラエティでは、モデル、ママタレなどさまざまなジャンルの女性タレントがしのぎを削っていて、菊地、朝日は“ポジション迷子”になっているという。

 朝日はいろいろな番組で見かけるが、本人いわく「特番は呼んでいただける」「でも、レギュラーまでは行かない」そうだが、菊地は「あんたもなの?」「私……前からそうだよ」と、迷子状態が長いことを自ら明かした。ちなみに菊地は、仕事にNGがないため、かつて『うわっ!ダマされた大賞』(日本テレビ系)でエレベーターから落とされたそうだ。当時は「何でこんなに何回も落とすの?」と考えていたが、「今考えたら、早く落ちたい」と現状を自虐的に語った。

 そんな“ポジション迷子”という立場を利用して、菊地は売れっ子にかみついていく。最近は、みちょぱ(池田美優)、藤田ニコル、めるる(生見愛瑠)など、モデルが積極的にバラエティ進出しているが、菊地はめるるについて「うまいんですよ、めるるとかは最初バラエティで始めの頃とかは、毒づいたりしていたんですよ」「たぶん気づいたと思うんですよ、途中で。『私、こんなしゃべらなくても売れるわ』って」「絶対気づいたと思う」「バラエティでもニコニコしていいポジション」と指摘。めるるは、周囲の様子を見ながらキャラを変えた“小ズルい”人物であるというニュアンスをにじませていたように思う。

 しかし、さんまによると、めるるが毒舌をやめたのは、事務所からの業務命令だそうだ。なんでも、めるるが最初にかみついたのが、女優・泉ピン子だったという。同番組の共演者である麒麟・川島明は、ピン子を「狂犬」と表現したが、芸能界の大先輩にしてコワモテとうわさされる人物にかみつくのは、どう考えても得策ではない。事務所がめるるにかみつき禁止令を出すのは当たり前のことと言えるだろう。

 朝日はめるるのルックスが優れていることは認めつつ、芸人と朝日、めるるで大喜利企画に挑戦したところ、「ハナコの菊田(竜大)さんよりウケてて」と笑いのセンスが高いことを証言している。つまり、力があるから売れたということで、めるるが計算高いというのは、菊地の思い込みだろう。

 売れている人を軽く当てこすって笑いを取るのもバラエティの技の一つだから、これはこれでアリなのだが、菊地に「めるるはズルい」という気持ちがまったくなかったとは言い切れない。このように、自分から見てうまく行っている人が「ズルをしている」「トクをしている」と思いが強くなったとき、それは悪い思い込みである可能性が高いように思う。

 「あの人は実力があるから認められている」と思ったら、見習うとか、逆に「あの人には勝てない」と白旗を上げるのが一般的な反応だろう。しかし、「あの人はズルをして認められた」と思っていると、納得できない思いがあるために、自分の仕事に集中できなくなって、パフォーマンスが落ちてしまう可能性がある。

 芸能界のようにオファーがあって初めて成立する仕事も、会社員も、評価のされ方というのは実は不透明な部分が多い。だからこそ、「あの人はズルをして認められた」というようなマイナスな思い込みをしないように注意をする必要があるだろう。

 幸いにも、菊地の場合、番組内でバラエティ界の大物、島崎和歌子のモノマネがうまいことが判明した。さんまも「これで菊地、1年いける」とお墨付きを与えている。悪い思い込みを捨てて、モノマネを磨き、バラエティの世界で活躍してほしいものだ。

『上田と女が吠える夜』今もなお「結婚で女の友情が崩れる」エピソードが出てくるワケ

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<今週の有名人>
「うちら最強だよね」吉住
『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系、6月15日)

 私と同世代の40代後半の友人が、会社の後輩から「マッチングアプリで知り合った人と結婚する」と報告されて、とても驚いたと言っていた。まぁ、確かに我々が若かった頃、マッチングアプリはなかったので驚くのも無理はないが、今後、ますますアプリ婚は増えていくのではないかと思っている。

 時代が変われば、テクノロジーが変わり、人の行動や考え方も変わるのは当たり前のことだろう。しかし、6月15日放送の『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)を見ていたら、結婚をめぐっては、「今も昔も変わらないこと」もあるのではないかと思わされた。

 同放送は、「1人が好きな女SP」として、ゲスト陣が「常に群れたがるヤツ」の事例を挙げていた。芸人・吉住は、「『うちら』っていう団体意識の強い人」を苦手とし、その理由を「学生時代とかはまだいいと思うんですよ。でも25歳とか超えて『うちら』って言い続けている人って、各々の人生のことをどう思っているんだろう」「『うちら最強だよね』って言っている人を見ると、『いつまで最強でいられるんだろう?』って」と語り、さらに、こうした人たちの特徴について、「でもそういう人に限って、誰かが結婚すると一気に(友情が)崩れる。こんな脆いものはないだろうと思って」と指摘。スタジオからは「あー」と賛同する声が上がっていた。

 かつて結婚によって、女友達との関係性に分断が起きるという経験をしたことがある人は、確かに多いのではないだろうか。なぜそのようなことが起きるかというと、結婚がテレビの世界で「女性の価値を測るもの」として扱われてきたからだ。

 2004年頃の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)では、「格付けし合う女たち」という企画が頻繁に行われていた。街行く男性に、ゲストの女性タレントたちを選択肢にした「付き合うにはいいけど、結婚したくないオンナ」といったアンケートを取り、そのランキングを当人たちに当てさせるという内容だった。

 詳しいアンケートの内容は忘れてしまったが、同企画で「結婚したくない」とみなされた女性タレントはがっかりし、一方で、「結婚したい」ほうに“選ばれた”女性タレントは大喜びしていた。テレビはショーなので、彼女たちもわざと大きいリアクションを取っていた可能性も否めないが、こういう番組を見ていると、特に若い視聴者は「オトコに選ばれたほうが勝ち」「結婚できないオンナは負け」と刷り込まれてしまうだろう。

 そうなると、友人の結婚が、単なるカップルの決断とは思えず、「自分が負けた」ように思えてくるはず。それが、友情にヒビが入るきっかけとなってしまうのではないだろうか。

 しかし、今年6月に発表された2022年版「男女共同参画白書」によると、婚姻歴のない30代の独身者は、男女とも4人に1人が「結婚願望がなし」と回答するなど、結婚離れが進んでいることがわかった。

 結婚が、女性の価値や勝ち負けを決めるものでなくなったと言える今、それでも、吉住の話すように「誰かが結婚すると一気に(友情が)崩れる」ことがあるのかと、驚いたのだ。ただ、以前とは原因が異なり、例えば、自分の人生がうまくいっていないタイミングで、友達が結婚したため、その落差にショックを受けて疎遠になる……といった話だろうとも思う。

 それでも、仲が良かった女友達と、結婚ぐらいで関係性が壊れるというのは、本当に悲しいことだ。こういう時、「女の友情はハムより薄い」とか「女の友情なんてない」とか言われることに、モヤモヤする人も少なからずいると思うが、結婚を機に女友達と疎遠になるのは、「女の友情」がどうという話ではなく、人それぞれの持つ「気質」の違いによって起こる現象ではないか。

 世の女性を大きく2つに分けると、「気分で生きる人」と「気持ちで生きる人」がいると思う。「気分で生きる人」は「今の気分」を何よりも重んじる。なので、友達といて盛り上がると「うちら最強だよね」などと率直に口にする。気分に基づいての発言だから、その先のことは考えていないし、自分の言ったことや相手の話も忘れがちで、将来に対するはっきりしたビジョンも持っていないことが多いように感じる。

 それに対し、「気持ちで生きる人」というのは、「自分の気持ち」また「相手の気持ち」を重んじる。「気分で生きる人」より、発言にはある程度の責任を持ち、相手の話もよく覚えている。約束をしたら、それを守ろうと努力する印象がある。

 なので、「気持ちで生きる人」から見れば、「気分で生きる人」は、言うことがコロコロ変わるように感じられるし、「気分で生きる人」から見れば、「気持ちで生きる人」は、細かいことをよく覚えている、もしくは気にしすぎと思えるだろう。

 前述のように、自分の人生がうまくいっていないタイミングで、友達が結婚して落差を感じた場合、「気分で生きる人」は「今の気分」を重んじるので、ショックを隠せない。一方の「気持ちで生きる人」は、「その友達と仲良くしたい」という自分の気持ち、また相手の気持ちも重んじるので、そこはぐっとがまんして祝福する。

 要するに、「気分で生きる人」が友達の結婚にショックを隠せないこと、また「気持ちで生きる人」がその態度を理解できないことで、結果的に、友人関係が壊れてしまうのではないだろうか。

 加えて、「気分で生きる人」は「今の気分」を優先するので、友達を失ったこともそれほど気にしない一方、「気持ちで生きる人」は「あんなに仲が良かったのに、なぜ」「自分が悪かったのではないか」「友情とはなんだろう」と考え込み、自分を責める傾向があると思う。そうすると、一度壊れた友人関係の修復は困難になってしまうだろう。

 吉住は『上田と女が吠える夜』で、「『うちら』っていう団体意識の強い人」に関して、「25歳とか超えて~」と年齢に言及していた。「気分で生きる人」も「気持ちで生きる人」も、学生時代は概ね、同じような進学ルートを辿る。しかし、社会に出ると、生き方は千差万別である。新卒として入社した会社にずっといる人もいれば、転職する人もいる。結婚する人もいれば、しない人もいる。結婚したいのになかなかうまくいかない人もいれば、結婚願望がそれほどあったわけでもないのに結婚した人もいるだろう。

 社会に出た25歳以降は、「どんな人生を歩むか」を自分で決めなくてはいけない時期に差し掛かり、思い通りにいかないことが増えてくると、本来の気質の違いが際立ってくるのではないか。

 同番組で、「1人が好き」「極度の人見知り」と明かした吉住だが、学生時代は美容院に友達がついて来てくれたり(人見知りの吉住に代わって、友人が美容師さんとやりとりしてくれるそうだ)、仕事で大御所タレント・明石家さんまに会う時は、友人が励ましてくれるなど、心を許した人とはかなり親密な関係性を築いていることがわかる。「気分で生きる人」「気持ちで生きる人」のどちらかに当てはまるとしたら、「気持ちで生きる人」と言えるだろう。

 彼女が独特の世界観を確立することができたのは、自分だけでなく、相手の気持ちを重視するという気質が、優れた観察眼を養い、それが芸に生かされたからなのではないか。

 しかし、こういう人は、先述のように友人関係が壊れた際に自分を責めるなどして、精神的に疲れやすい傾向もある。たとえそんな事態に直面しても「気質が違っただけ」と捉え、しかし一方で、人間関係を大事にしながら、ますますご活躍いただきたいものだ。

花田優一のビッグマウスに見る「焦り」と「さみしさ」

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<今週の有名人>
「そこは未定ですね」花田優一
ニュースサイト「NEWSポストセブン」6月21日配信記事より

 あなたの周りに「大言壮語な人」はいないだろうか? 具体的に言うと、自分に都合のいい方向に話を盛ってしまったり、できそうもないことを「絶対できる、やってみせるよ」と断言してしまう人のことを指す。友人同士の関係では、さほど問題にはならない(ただし、あまりやると信用をなくすので注意が必要だ)が、ビジネスの世界でこれをやってしまうと、「できると言ったのに、できないじゃないか」と仕事相手の信頼を損ね、自分の評価を落としてしまうことになりかねない。

 そのため、「大言壮語な人」は、なぜ、わざわざ自分の立場を悪くするようなことを言うのか疑問に感じていたが、そういう人は、一種の“さみしさ”を持っているのかもしれない。花田優一を見て、そう思った。

 平成の大横綱・貴乃花(現・花田光司氏)の長男・優一が6月21日、公式インスタグラムで、靴職人としての活動を一時休止すると発表した。それでは、次に何をするのか。同日に配信されたニュースサイト「NEWSポストセブン」のインタビュー記事で、優一は、

「僕にとって靴作りは自分を表現する最大にして唯一の表現手段でしたが、最近はありがたいことに様々な仕事をいただいて挑戦することができています。9月で27歳になるのですが、30歳になるまでのあと何年かを準備期間として色々なことにチャレンジして自分の可能性をためしてみたいという気持ちが強くなったのも事実です」

と、今後について明言を避けている。しかし、続けて「なので来年以降の肩書きは『靴職人』でもあるし、ほかの何かになっているかもしれない。そこは未定ですね」と、肩書に囚われない「新しい自分」を見せる意気込みを明らかにしたのだ。

 具体的な肩書こそ不明だが、優一は同日、自身のブログで、今後の目標について「靴職人としての技術向上、精神的向上、より一層の邁進のため、靴作りの修行環境の変化」「本来自分が目指してきた理想郷を作り出すための、新ビジネスへの挑戦」「自分自身の表現の幅と深みへの、追求と研究」の3つを掲げている。優一は絵画や歌手、俳優としての活動も始めているだけに、つまりは、靴作りと新ビジネスと芸能活動を頑張りたいと言っているのだろう。

 「虻蜂取らず」とか「二兎追うものは、一兎も得ず」ということわざがある通り、日本では2つのものを一度に手に入れようとすると、失敗するとされている。優一の場合、3つを掲げているわけだから、大言壮語で荒唐無稽なまでに欲張っているように感じる人もいるだろうが、私には優一が「どうにかして、世間サマに認められたい」と焦っているように感じられ、切なくなってしまった。

 何者かになりたいと必死になっているように見える優一。若者が、自分の生きる道を模索し、時に苦しむことは、一種の通過儀礼だが、彼の場合、父親である平成の大横綱・貴乃花の存在が大きいのだろう。

 2021年2月4日配信のYouTubeチャンネル「街録チャンネル」に出演した優一は、「僕はまだ圧倒的に父の方が知名度も立場も上ですし」と、父親と自分を比較する発言をしていた。また、優一は、貴乃花に勘当されているというが、「勘当上等!」という感じではなく、ショックを受けているというか、さみしそうに見えた。私の主観でしかないが、挑戦的な物言いが目立つのは、優一のさみしさの裏返しのように思える。

 優一は靴職人を名乗りながら、テレビに出たり、音楽活動を行っている。「女性自身」(光文社)が19年1月に、依頼された靴の納期を守っていないことを報じたこともあり、靴作りに集中しない優一を批判する声もあるが、「街録」では、靴作りに専念しない理由について、「お客様に靴一足作ったら、お客様一人に対してしか、その靴の良さとかを伝え(られ)ないじゃないですか」「でも絵とか音楽とかって色んなところに、絵だったら飾ってある所をみんなが見たりとか、音楽だったらいろんな所でかかってる音楽を聞いたりとかあるけど」と明かしている。つまり、靴作りだけでは世間に注目されないから、「専念しない」と言っているのだ。

 20年に歌手デビューした優一は、『グッとラック』(TBS系)に出演した際に、「『NHK紅白歌合戦』に出場したいと言ったことは本気か?」という質問に対し、「歌手で一流の方でも出るのが難しいのであれば、ぼくはそこに出たいなと。もともと、歌が好きでこの職業をやらせてもらっている。(歌手に対し)最大級のリスペクトで、同じ舞台に立てるのであれば、立って見せよう」と大きく出た。しかし、優一もわかっている通り、『紅白』というのは簡単に出られる番組ではなく、今のところ、出場できていない。

 優一が靴を作ることや歌うことが好きなのは間違いないだろう。しかし、彼が本当に求めているのは、平成の大横綱であるお父さん以上に、世間から称賛されることなのではないか。そしてその根底には、父から認められていないというさみしさがあるように思うのだ。

 だからこそ、靴以外のジャンルに手を出し、トップを取ると大見得を切ってしまう。けれど、プロの世界は甘くないので、優一の願うような結果は、すぐには出ない。そうすると、次のジャンルに手を出す。その結果、世間からは「ビッグマウス」とか「何をやっても中途半端」「お父さんはすごかったのにね」と嫌なことを言われ、焦ってしまうという悪循環に陥っているように見える。

 父親と比べられてしまう、頑張っているのになかなか認めてもらえないというのは、有名人の子弟でなければわからない苦しみかもしれない。何かすごい人にならなければと“肩書”を求めて、花田は焦っているようだが、その根底にある“さみしさ”につけこんだ悪い人に、どうかだまされませんように。人生は長いんだから、ゆっくりやってくれと思わずにいられない。

『しゃべくり007』北斗晶は、“やりすぎ”な姑!? 長男プロポーズへの介入に思うこと

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<今週の有名人>
「母ちゃん優しいから、シャツとスカートだけは買っておいた」北斗晶
『しゃべくり007』(6月13日、日本テレビ系)

 プロレスラー・佐々木健介と北斗晶夫妻の長男・健之介さんが、プロレスラー・門倉凛と結婚した。6月13日放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)では、「結婚披露宴スペシャル」として、佐々木ファミリーが出演。結婚までの経緯を語った。

 健之助さんの結婚を明らかにしてから、北斗は自身のオフィシャルブログで、門倉を娘と呼び、ちょくちょく会って食事していることをつづっている。「是非うちの嫁を応援してやって下さい」とプロレスの試合日程やインスタのリンクを掲載するなど、門倉の“宣伝”にも熱心だ。

 プロレスは人気商売なので、門倉の知名度が上がれば、本人にとってプラスだろう。一方、北斗にとっても、門倉の名前が売れれば、嫁姑共演としてバラエテイ番組からお声がかかることもあるかもしれないので、彼女の芸能活動にもメリットがあるわけだ。門倉の宣伝に精を出す北斗からは、「ファミリーを盛り立てたい」という方針が見えるような気がするが、『しゃべくり』で披露されたエピソードからは、どうも“やりすぎ”な印象――健之介さんと門倉夫婦に介入しすぎな印象を受けてしまう。

 同番組では、映画監督志望の健之助さんがプロポーズのプランを練り、家族全員でそれに協力したことが明かされた。「自然の中みたいにした部屋の中でプロポーズしたい」という健之助さんの希望をかなえるために、北斗はその道具を「IKEAまで買いに行った」そうだ。『しゃべくり』レギュラー陣からは、健之助さんに対し「自分でやれよ」「なんで家族巻き込むの?」という声が上がっていた。

 家族で準備をし、いよいよ自宅でのプロポーズ決行の日が決まる。健之助さんはプロポーズの一部始終を、隠しておいたカメラで撮影することにしたそうだが、北斗は映像に残すにあたり、門倉が服装にこだわりがなく、いつもジャージを着ていることを思い出し、「そんな汚い格好でプロポーズされたらかわいそう」と、事前に「その後食事に行くから、少しマシな服を着ておいでよ」と、門倉に伝えたという。

 門倉は、プロレスラーの大先輩にあたる北斗の言うことを素直に聞いて、いつもよりちゃんとした格好をしてきたが、それは北斗いわく「カネのない大学生みたいな格好」。しかし北斗は元から「この子はおしゃれな服を持っていないだろうな」と予想しており、そんなこともあろうかと「母ちゃん優しいから、(門倉の)シャツとスカートだけは買っておいた」そうだ。

 こういう気配りを「優しい」と感じる人もいるのだろうが、ちょっと北斗が“やりすぎ”ではないだろうか。「そんな汚い格好でプロポーズされたらかわいそう」と北斗は言うが、門倉はファッションにこだわりがないのだから、「こんな格好でプロポーズされたら嫌だ」という気持ちにならないかもしれない。それに、どんな素敵な服でも「お姑さんの買ってきた服を着てプロポーズされたこと」を喜ばない女性だっているだろう。門倉にもっといい服を着てきてほしいと思うなら、健之助さんが直接、門倉に言えばいい話。健之助さんが北斗の気配りに甘えすぎというか、北斗が“やりすぎ”という印象を受けた。

 北斗が健之助さんと門倉に介入しやすいのは、やはり門倉が“後輩”だからではないだろうか。健之助さんは門倉と交際を始めるにあたり、門倉が所属する団体「Marvelous」のトップ・長与千種の許可を得ている。それだけ、プロレスの世界は縦社会で、先輩の言うことは“絶対”なのだろう。

 北斗のブログを見ると、門倉と頻繁に会っている様子がうかがい知れる。自分と同じ職業ということもあって、話しやすいだろうし、礼儀もしっかりしているから、北斗は楽しいかもしれないが、門倉にとっては、誘いを断りづらい、粗相の許されない大先輩であることも忘れてはならない。

 6月6日のブログでは、門倉と会ったものの、彼女の仕事が立て込んでいるということで30分しか時間がなく、すごい勢いで小籠包と数々の中華料理を食べていたと書かれている。そんなに時間がないのなら、また別の機会にゆっくり落ち着いて会えばいいのではないか。門倉のほうから「今度にしてください」とは言いにくいのだから、北斗に気遣いが求められるように思う。佐々木ファミリーを盛り上げたい、門倉と良好な関係を築きたいと思うのであれば、より一層気をつけるべきだろう。

 かつて北斗は、夫を罵倒する“鬼嫁”キャラで売っていたが、言葉こそ荒いものの、実は夫を思いやっている愛情深い姿がウケていたと思う。今後は、若夫婦に対して言いたいことを言うが、決して過干渉にならず、仲も良い――そんな新しい姑像を見せてほしいものだ。

『ロンドンハーツ』モグライダー・ともしげに見る「笑える性格の悪さ」の条件

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<今週の有名人>
「ゴシップが好き」モグライダー・ともしげ
『ロンドンハーツ』(6月7日、テレビ朝日系)

 6月7日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)の企画は、「性格悪いけどおもしろい芸人GP」だった。モグライダー・ともしげ、インディアンス・きむ、ZAZYという3人の芸人が、「性格悪いけどおもしろい」エピソードを競い合い、グランプリを決めるというものだ。

 「性格が悪い」という言葉は日常的に使用され、一般的に言えば、行いや発言がよろしくないことを指す。しかし、エンタメの世界で「性格が悪い」というのは一種の武器と言えるのではないだろうか。ドラマ『半沢直樹』(TBS系)の主人公のように、清廉潔白なヒーローというのはいつの時代も求められるが、そういう主人公をぐっと引き立てるのは、悪役をはじめとした「性格が悪い人」だからである。バラエテイの世界でもそれは同じだろう。

 今回の『ロンドンハーツ』では、ともしげが「性格悪いけどおもしろい芸人GP」に輝いたが、彼の話から、エンタメとして成立する「笑える性格の悪さ」の条件について考えてみたい。

 エンタメとして成立する「笑える性格の悪さ」に必要なのは、誰に対しても一様に性格が悪いという、ある種の“公平性”があることではないだろうか。ともしげについて、三四郎・小宮浩信は「誰かが解散すると嬉しそうにわざわざ連絡をしてくる。あいつは他人の不幸が大好き」と証言している。

 ともしげの相方・芝大輔も「(ともしげは)誰かがひどい目を見ると、テンションが上がる」と同意し、司会のロンドンブーツ1号2号・田村淳がともしげに「じゃ、亮さんの闇営業の時も……」と尋ねると、本人も「まぁ、そうですね」と認めていた。

 この際、後輩など自分より立場が弱い人の不幸だけ願うと、弱い者いじめの感が強くなって陰湿さが際立ってしまう。ともしげのように、誰に対してもオープンに不幸を願うからこそ、「笑える性格の悪さ」として成立していると言えるのだろう。

 また、人から共感を得られるレベルの「性格の悪さ」であることも、「笑える」には必須だ。そもそも、人の不幸を願うのは褒められたことではないが、人生で一度もそういう願望を抱いたことがないという人のほうがマレなはず。そういう意味で言うと、「他人の不幸を願ってしまう」と公称する人はほとんどいないものの、多くの人が理解できるのではないだろうか。

 ともしげは、自分自身について「ゴシップが好き」と自己分析している。ゴシップニュースを下世話と言い、軽蔑する人もいるが、週刊誌やネットニュースがビジネスとして成立しているのは、ゴシップを好む人がたくさんいるからだろう。ともしげの「他人の不幸を願う」気持ち、ゴシップを好む気持ちは、「誰にでもある気持ち」の範囲で収まっているので、これまた「笑える性格の悪さ」に落ち着いているのではないか。

 さらに、「笑える性格の悪さ」には「実際に報いを受けていること」も必要なことだろう。ともしげは、芝から「あばれる君とライブが一緒になったときに、あばれる君が自分のネタの中で使う音源を会場に忘れて帰っちゃった。そうしたら、えらい喜んで『ええ、これないとネタできないよ。あばれる君、ネタ中、音流れなかったらウケないんだから』ってえらい喜んで」と「他人の不幸」を喜んでいたことを暴露されている。しかし、「結局、最後(ともしげは)、自分が衣装全部忘れて帰った。すごい早さでバチが当たった」とオチがついたため、見ている側は安心して笑うことができるだろう。

 一方で、笑える/笑えない以前に、「単に性格が悪い人」と見られないことも大事で、そのためには、性格の悪さに「理由がつく」ことも重要だ。ともしげの「性格の悪さ」に“理由”があったとしたら、彼のエピソードもまた、印象がよくなると思う。

 その“理由”の手掛かりになるのが、吉本興業との契約を解消された元雨上がり決死隊・宮迫博之についての話題をめぐる、『上沼高田のクギヅケ!』(読売テレビ、2019年7月21日放送)出演者たちのやりとりだ。この時、月亭方正は「応援したい」、FUJIWARAの藤本敏史は「雨上がり決死隊がなくなるのはつらい。ずっと一緒にやってきた」と語り、宮迫との交際を絶たないかのようなスタンスを取っていた。

 お世話になった先輩だろうし、個人的な付き合いもあってのコメントだろうが、MCの上沼恵美子は、そんな彼らに「そうなん? 芸人ってそんな熱いの。あの人がいなくなったら、僕ら上がれるのにと。今回(吉本には)6,000人も芸人さんがいるとわかった。そら、1人でもおらんようになったらええかと」と疑問を投げかけたのだ。

 これは、たとえお世話になった先輩であろうと、ポジションが空いたらそれをチャンスと考えるべきという“プロ根性”がないのかと問うているのだろう。売れたい、前に行きたいというモチベーションは、人気商売においては重要だと言える。この観点から見れば、ともしげがほかのコンビの解散を喜ぶ“理由”は、「ライバルが減ったから」「その分、自分にチャンスが回ってくるから」……つまりプロに徹していると見ることもできるため、「性格が悪い」という印象自体が薄れるだろう。

 反対に、「笑える性格の悪さ」を体現するために、やってはいけないこととして、他人を陥れないこと、他人に迷惑をかけないことが挙げられると思う。インディアンス・田淵章裕は、相方のきむについて「ライブ・収録などで、頑張って前に出るけど、スベッてる人が大好き」「特に、新人アナウンサーなどまだ現場に慣れていなくてあたふたしているところが大好物」と証言している。

 同じ芸人がスベることを喜ぶのは「それだけ売れたいと思っている」「それだけの気迫で仕事をしている」と、好意的に解釈することができなくもないが、違う職種の、しかも新人を笑うのは「いじめ」、もしくは田淵自身が「単なる性格の悪い人」とみなされるだろう。

 また、男性ブランコ・平井まさあきは、ZAZYについて「ZAZYの単独ライブはすごいんですよ、大がかりなんですけど」「締め切りを守らないといけないんですけど……一切守らない」とスタッフに迷惑をかけていることを明かし、「だから、スタッフさんから嫌われている」と証言している。他人に迷惑をかけるのは典型的な「笑えない性格の悪さ」であり、共感されにくいのではないか。

 話をともしげに戻そう。彼が披露した「性格の悪さ」は、ことわざにすると「他人の不幸は蜜の味」だろう。実はこれ、個人の性格の問題ではなく、誰にでもある“反応”であるそうだ。ただし、他人の不幸に、強く反応する人もいれば、そうでもない人がいるという。

 精神科医・福井裕輝氏は『ストーカー病―歪んだ妄想の暴走は止まらない―』(光文社)において、「他人の不幸は蜜の味」的な案件が起きると、脳の線条体と呼ばれる報酬に関連する部位が活発に活動すること、心の痛みの強い人ほど、他人の不幸が起きると痛みが緩和され、蜜の味と感じやすいことを指摘している。「他人の不幸は蜜の味」という時は、自分のコンディションが悪い証しということだろう。

 モグライダーといえば、去年『M-1グランプリ2021』(テレビ朝日系)の決勝にも進出し、伸び盛り。仕事も増え、それだけにストレスが溜まっているのかもしれないが、どうか相方に愛想を尽かされない範囲の「おもしろい性格の悪さ」で、お茶の間を楽しませてほしいものだ。

『上田と女が吠える夜』馬場ももこの女子アナ妬みトークが「ヘタクソ」だと思ったワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「身の丈に合わない」馬場ももこ
『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系、5月25日)

 先月、BPO(放送倫理・番組向上機構)が「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティ」に関しての見解を発表した。一部を抜粋すると、以下の通りだ。

「『他人の心身の痛みを嘲笑する』演出が、それを視聴する青少年の共感性の発達や人間観に望ましくない影響を与える可能性があることが、最新の脳科学的及び心理学的見地から指摘されていることも事実であり、公共性を有するテレビの制作者は、かかる観点にも配慮しながら番組を作り上げていくことが求められている」

 BPOは検閲機関ではないが、影響力があることも事実である。その昔、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)に「全落・水落オープン」なるコーナーがあった。番組側が落とし穴を掘り、何も知らないゲストをそこまで誘導し、落とし穴に落ちる様子を笑うという内容だったが、今後はああいう企画を見ることはなくなるのではないか。

 テレビはコンプライアンスを強化しているし、視聴者のハラスメントに対する視線も厳しくなっている。こうなると、タレント自身も、「人を笑う」方向から、「自分を笑う」方向にシフトするのではないだろうか。

 すでにその傾向は始まっていて、その先駆けは、バイオリニスト・高嶋ちさ子だと思う。彼女がバラエティに進出した際のウリは、主に「キレやすい」「肉が大好きで野菜を食べない」「異常なせっかち」というキャラクターだった。「キレやすい」というキャラは、キレた相手のリアクションも含め、「人を笑う」タイプのエピソードが生まれがちであり、またパワハラに該当する可能性もあるからか、近頃は引っ込めたように見える。一方「肉が大好きで野菜を食べない」「異常なせっかち」というのは、「自分を笑う」に適したキャラだろう。これにより高嶋は、人を傷つけずに笑いを生みだすことができている。

 「異常なせっかち」を例に挙げよう。高嶋は、焼肉屋に向かっている際、道を歩きながら注文をし、店に着いたと同時に食事ができるようにしておくとか、箸を口から抜くのを待てずに咀嚼して、箸を折ってしまったとか、自分の体が完全に車内に入っていないのに車のドアを閉めるため、青あざが絶えないなどのエピソードを持っているが、これらはすべて「自分を笑う」ものであり、誰も傷つけない笑いになっている。

 さらに、彼女が全国各地でコンサートを開催するバイオリニストで、2人のお子さんがいるお母さんであることから、「そんなにせっかちなのは、バイオリンの練習と子育てのため」という、これまた誰も傷つけない“いい話”に変えることもできる。

 しかし、長年、主に女性タレントや新人の芸人などを対象に、「人を笑う」ことをしてきた芸能人が、人を傷つけないで「自分を笑う」方向にシフトするのは、そう簡単なことではない。加えて芸能人として、制作側や視聴者からオリジナルなネタを求められることを考えると、さらに難易度は上がりそうだ。

 これはこれで難しいだろうと思ってみていたら、いいネタを持っている人を発見した。フリーアナウンサーの馬場ももこである。テレビ金沢に勤務していた馬場だが、『金曜ロードSHOW!・特別エンターテインメント 全国好きな嫌いなアナウンサー大賞2017』(日本テレビ系)に出演した際、ぶっちゃけキャラで注目を集める。そこから『行列のできる法律相談所』や『踊る!さんま御殿!!』(いずれも同)に出演するなど“出世”。現在はフリーとなり、活動の場を東京に移したそうだ。

 5月25日放送の『上田と女が吠える夜』(同)に出演した馬場。彼女には「テレビ局50社受けて落ちた」という、人を傷つけないで「自分を笑う」、しかも人とかぶることはまずないオリジナルなネタがある。同番組は、彼女にとって大チャンス……のはずだったが、思ったほど笑いが取れていなかったように私には感じられた。

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 というのも馬場はこのエピソードに合わせて、「いや、本当たまたま、本当たまたま(女子アナ試験に)受かった」と口にする女子アナが「妬ましい」といった発言をしていたのだ。おそらく実話なのだろうが、このネタをチョイスする時点で、ちょっと勉強不足ではなかろうか。

 そもそも、このネタは元TBSアナウンサー・小島慶子が『踊る!さんま御殿!!』などでよく話していて、新鮮味がない。小島はキー局に採用されたが、馬場は50社受けて落ちている。そんな馬場ならではのオリジナルな哀感をもとに「自分を笑う」エピソードがあればいいが、それもなく、単に一方的な妬みだけでなので、印象に残らないのだ。

 また馬場は視聴者だけでなく、番組を制作する側にも「面白い」と思われなくては、次の出演につながらないだろう。「妬み」を武器にするなら、人を傷つけず「自分を笑う」方法を熟考すべきだし、過去に別の誰かが話したネタを二度と口にしてはいけないというルールはないが、もし同じ話をするなら、「自分ならでは」のエピソードで話さないと自分の存在感を示せないのではないか。

 ちなみに同番組に出演していた、元TBSアナウンサーの吉田明世も、「アナウンサーになると妬まざるを得ない」とし、共演者の大久保佳代子から、まだ仕事がそれほどない頃の吉田は、他人を妬みすぎて「肌荒れがひどかった」というエピソードを振られると、「妬んだ数だけ(吹き出物が)出てきた」とオチをつけていた。

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 一般に人を妬むのはよくないこととされている。「人を呪わば穴二つ」ということわざがあるが、人を妬んだ結果、こんなバチが当たりましたと「自分を笑う」ことで、吉田が単なる妬みっぽい人でなく、正直で賢くてユーモアのある人物であることを視聴者に印象づけていると言えるのではないだろうか。

 元キー局の有名アナウンサーがこれだけやっているのだから、地方局出身の馬場は「自分を笑う」方向性で、この上を行くオリジナルエピソードを披露しなくては、視聴者、制作側、双方の記憶に残らないだろう。

 「妬み」ネタは、そもそも「人を笑う」に行きがちなのかもしれない。馬場アナは、「妬み」を今のバラエティ向けにうまく調理できるのか――。しかし同番組を通して見た後、この疑問自体が実は間違っていて、私が馬場という人物を勘違いしているのかもしれないと思うようになった。

 なぜなら、馬場はテレビ局を50社受けたものの、東京と大阪のテレビ局は受けていないといい、その理由を「身の丈に合わない(から)」と明かしていた。推測するに、馬場は「大きなテレビ局は自分には無理そうだから、地方でいいや」と最初から思っていたのだろう。とはいえ、地方のテレビ局も激戦だけに、馬場は50社から不採用となり、しかし、あるテレビ局で内定を得て仕事を始めたところ、そこから全国ネットの番組に出て注目を集め、東京進出も果たしたわけだ。

 そう考えると、馬場は「キー局を全落ち、地方局にも落ち続け、恨みつらみを抱える女子アナ」ではなくて、本当は「地方でいいやと思っていたのに、いつのまにか東京のテレビ局で仕事をするようになった超ラッキーガール」なのではないだろうか。だとすると、妬ましいトークがヘタクソでも不思議はない。なぜなら、妬んでいないからだ。

 テレビの中の馬場を見ている限り、あまり恨みつらみのようなものは感じられない。案外おっとりしているのかもしれないが、彼女に今、ブレークの大きなチャンスが来ていることは確かである。別に「妬み」でなくても、人を傷つけない「自分を笑う」方向の新鮮で面白い話ができればいいわけだから、準備を入念にして、チャンスを生かしてほしいものである。

陣内智則、妻・松村アナとの私生活に見えた「藤原紀香と離婚したワケ」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「言い方でこっちがカチンとくることがない」陣内智則
『ドーナツトーク』(TBS系、5月22日)

 2007年に結婚し、09年に離婚した女優・藤原紀香とお笑い芸人・陣内智則。2人の結婚~離婚に至る経緯は、私から見て“謎だらけ”だった。

 当時の週刊誌報道などから、その経緯をまとめてみよう。2人はドラマの共演をきっかけに親しくなり、陣内が紀香にアプローチ。当初、紀香は陣内を友達以上には思えなかったが、当時親しかった占い師の勧めもあり、結婚を決める。陣内は、大阪のテレビ局で情報番組『なるトモ!』(読売テレビ)の司会を務めていたが、紀香に合わせて東京に引っ越す。同番組収録のため、新幹線で大阪に通勤するようになったが、念願かなって紀香と「結婚できた」わけで、長距離通勤も厭わなかったという。

 それほど相手を思う気持ちがあれば、2人の結婚生活はうまくいきそうに思える。しかし、結婚当初から2人は仮面夫婦のうわさが絶えず、実際に陣内は浮気もしていたようだ。一般人女性が撮影した陣内の寝顔が、「フライデー」(講談社)に掲載され、女性によると、2人の関係は陣内が結婚してまもなく始まったという。紀香は陣内の不貞行為を許すことができず、離婚へ。陣内は記者会見を開き、「(離婚は)すべては僕の未熟さ、心の弱さが原因です。すべて僕の原因です」と語った。

 美人女優の代名詞だった紀香と念願かなって結婚できたにもかかわらず、なぜ陣内は一般人と浮気をしたのか。この“謎”については、当時の週刊誌でもさんざん話題になった。もちろん他人にその理由などわかるわけはないが、5月22日放送『ドーナツトーク』(TBS系)に出演した陣内智則のトークを聞いて、「この人は難しい人だな。なかなか合う女性はおらず、紀香とも合わなかったのだろうな」という印象を受けた。

 陣内は紀香との離婚後、フジテレビ・松村未央アナウンサーと再婚したわけだが、同番組で「(松村アナと)夫婦喧嘩をしたことがない」と言っていた。その理由は、陣内いわく、妻である松村アナが、「怒る感情を持っていないから」だそうだ。陣内は「(妻から)『何とかしてよ!』『何でそんなんするのよ!』と言われたら、こっちも『あ?』ってなるけど、そういう言い方じゃない(から、夫婦喧嘩にならない)」と説明していた。

 私には、「何とかしてよ!」「何でそんなことするのよ!」という言い方でカチンとくるほうが、怒りの沸点が低すぎるというか、プライドが高すぎて面倒くさいように思えるが、松村アナは「〇〇してほしいな~」というような柔らかい言い方をするため、陣内をイラつかせないらしい。

 また陣内は、仕事の予定や食事を自宅で食べるかどうかは、松村アナに教えるものの、「何時に帰ってくるか」などのスケジュールは教えないという。2人は現在、3歳の娘を育児中。小さな子どもがいて、何かと慌ただしい生活を送る中、夫が帰宅時間を教えないのは、妻から文句の一つも出てきそうなものだが、松村アナからは「何時に帰る?」と聞かれることもないため、陣内は「居心地がいい」そうだ。

 このほかにも、陣内は「誰と飲みに行くの?」と聞かれるのも「しんどい」と話していた。しかし、もし妻が「友達と飲みに行くので、子どもを見ていて」と言ったら、「え、何時になるの?」「娘見るの大変やもん」と言うそうだ。こうした陣内の話を聞くに、おそらく、松村アナは仕事をしながら、ほぼワンオペで育児をしているのではないだろうか。

 そんな陣内は、紀香との結婚中、『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』(テレビ朝日系)に出演した際、実はかなり亭主関白なタイプであることを美輪明宏に指摘され、本人も認めていた。紀香も婚約会見で「芸人さんの嫁になるので、三歩下がってついてきたい」と話していたことから考えると、亭主関白タイプの男性が嫌いではない、もしくは控えめと言われる女性でありたいと願っていたということだろうから、2人の相性は一見、悪くなさそうだ。

 しかし、一口に亭主関白と言っても、どういう人を「亭主関白」とするかはさまざまだ。例えば、「妻を引っ張って行っていくタイプ」「妻から口を出されることを嫌うタイプ」「妻の行動にあれこれ指示を出すタイプ」など、亭主関白にもいろいろな流派があるのではないだろうか。

 では、陣内はどうだろう。同番組に出演した陣内は、紀香の勧めで神社に行ったり、紀香がチョイスしてくれたパワーストーンを身に着けていると話していた。これらは、今日の仕事がうまくいきますように、ひいては芸人として大成しますようにという芸人の妻・紀香としての献身的な提案だろう。陣内もそれを受け入れていることから、一見「妻から口を出されることを嫌うタイプ」ではないように見える。

 しかし実のところ、陣内は紀香からの提案にストレスを感じていたのではないか。というのも、彼は「何とかしてよ!」「何でそんなことするのよ!」程度の言い方でカチンと来たり、子どもが生まれても生活スタイルを変えずに、スケジュールを教えないなど、「オンナは黙っていろ」と言わんばかりの言動を取っている。やはり陣内は、「妻から口を出されることを嫌うタイプ」の亭主関白なのではないか。

 もし、陣内が本当にそのタイプで、かつ紀香が「夫のためになることをするのが芸人の妻。私は夫のプラスになることをいろいろ提案すべき」と思っていたとしたら、陣内にとって、紀香の善意は“命令”に感じられて、次第に2人の仲は冷えていく気がする。これはどちらがいい悪いということではなく、単なる相性の問題と言えるだろう。

 ご存じのとおり、2人は離婚したが、紀香は歌舞伎俳優・片岡愛之助と再婚し、「芸人の妻」から「梨園妻」となった。歌舞伎俳優・中村獅童の母、小川陽子さんは『言わぬが花―萬屋に嫁ぎ、獅童を育てて』(主婦と生活社)において、梨園妻の仕事を「先ぶれに走りまわって切符をさばくこと」「おつきあいは女性の仕事」とし、ごひいき筋に対する気配りを常に心がけ、よく手紙を書いたり、贈り物をしていると書いていた。

 巷間、梨園妻は控えめであれと言われるが、切符の営業やそのための交際を一手に引き受けなくてはならないということは、オトコに逆らわないといった意味での控えめな女性には務まらない。紀香のように「夫に三歩下がってついてきたい」けれども「提案もしたい」というタイプの女性のほうが向いていて、つまり紀香は、自分に合った世界の人と結婚したと言えるのではないだろうか。

 一方で陣内も、2回目の結婚で、自分に合う人と結婚したと思う。『オーラの泉』で、日本のスピリチュアル界のドン・江原啓之氏に「羨望の的というか、みんなに憧れられる女性でないと受け入れられない」といった主旨の指摘をされていた陣内だが、“女の花形職業”というイメージが強い女子アナなら、その条件を満たすだろう。自分も仕事をしていて、かつ子育てをしながら、夫に対する言葉遣いにも気を付けて、帰宅時間すら聞かないという「口答えをしない」タイプの控えめな女性はそうそういないだろうから、松村アナとはやはり相性が合っていると思う。

 結局、人は「落ち着くところに落ち着く」のだと思うが、奥さんの体力と忍耐力には限界がある。せめてお子さんが小さいときは、陣内には気遣いを見せてほしいと思わずにいられない。

華原朋美と夫は“共依存”なのか? 練炭自殺ほのめかす夫に「私が看取ってあげる」……“修羅場”告白に見るいびつな夫婦関係

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

「私が看取ってあげるから」華原朋美
(華原朋美YouTubeチャンネル、5月14日)

 華原朋美の最大の才能とは、「メンタルがかなり不安定だけれど、その何十倍もタフなこと」だと私は思っている。

 華原といえば、時代の寵児的と呼ばれた天才音楽プロデューサー・小室哲哉氏との離別がよく知られるが、それは恋人を失うだけでなく、彼からの楽曲提供を受けることができなくなる、つまり仕事をなくすことを意味した。おそらく、フツウの芸能人だったら、失意のうちに芸能界、もしくは“この世”からも消えてしまったかもしれない。

 しかし、彼女は一時期、表舞台から姿を消したものの、メンタルの病と闘いながら復帰を果たし、今も芸能界にいる。不安定なことは間違いないが、そこでダメになったりしないのは、稀有な才能と言えるのではないだろうか。そんなわけで、華原に関しては「何があっても大丈夫」だと私は思っているが、彼女の夫との関係に関しては、「厄介かもしれない」と感じだしている。

 華原の所属事務所の社長でもある夫について、5月11日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、過去に結婚歴があり3人の子どもいること、また、前妻に暴力を振るっていた疑惑があるなどの“過去”を報じた。

 同誌によると、華原は「文春」の記者に自ら電話をかけて、「(夫に)子ども1人もいません。今まで結婚したこともありません。ど~ぞ調べてください」と記事の内容を否定して見せたというが、その数日後に、自身のYouTubeチャンネルで、それらが事実であったことを認めたのだ。

 「彼のことを好きになって去年の8月17日にプロポーズされて結婚しました。その時、彼からは結婚歴、離婚歴、隠し子について『そういうことはまったくない』と聞いていました。もし3つあったのならば、私は結婚しませんでした。なぜならば、私にはかわいい子供がいるからです」と述べた。夫はプロポーズの際に、戸籍謄本を見せて、華原を信用させたそうだが、私の知人の弁護士によると、本籍地を“転籍”をすれば、“表面上”離婚歴は消えてしまうそうだ。

 多くの人にとって、戸籍謄本は、結婚や遺産相続などのときに使う書類という程度の認識だろう。しかし、有吉佐和子の著作『悪女について』(新潮社)を読むと、その印象は変わるかもしれない。八百屋の娘として生まれた鈴木君子は、男を次々に変えて子どもを産み、金を手に入れ、華族のご落胤を自称し、名前までも変え、女実業家として大成功を収める。ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、主人公の成功のカギは、戸籍制度だったのだ。一部の不届き者にとって、戸籍は悪用する価値のあるものなのだろう。

 戸籍謄本を自分から見せるあたり、華原の夫に「騙そうという意思」があったように私には感じられる。華原はYouTubeで「弁護士を立てて、今後のことについて話し合っている」と明かしており、冷静に判断できているようで何よりだが、その一方で離婚できても、実際に夫から離れることは難しいのではないかとも思うのだ。

 華原がYouTubeで明かしたところによると、夫は自分の“過去”が「文春」に出ることでパニックを起こし、「もう死にたい。車に練炭を積んで、いま茨城の山奥にいる」と華原に電話してきたという。華原が子どもをつれて茨城にいる夫に会いに行くと、そこで「俺はもうダメだ。生きていけない」と泣きごとを漏らされ、「死ねるなら、目の前で死んでくれ」「私が看取ってあげるから。あなたにそんな力ないでしょ」と返したそうだ。

 夫は「(死ぬ気は)ある」と言ったそうだが、華原が「見てるから、やってみて」と促すと、「できない」と自殺を断念。「どうせ芝居」と思った華原は、練炭をゴミ箱に捨て、コンビニで塩を買ってきて、夫の車とカラダに振りかけ、「そんなこと考えるんじゃない!」と言い放ったそうだ。

 映画やドラマばりの修羅場だが、この話から、私が連想したのは「共依存」という言葉だった。SNSでは共依存は「お互いに愛し合っていること」というような好意的な意味で認識されていることもあるようだが、精神科医・斉藤学氏の『家族依存症』(新潮社)によると、「共依存とは他人に対するコントロールの欲求で、他人に頼られていないと不安になる人と、人に頼ることで、その人をコントロールしようとする人との間に成立するような依存、被依存の関係」といった定義している。

 また同書は、このような人間関係を放置すると「『憎みながら離れられない』とか『軽蔑しながら、いないとさみしい』といった凄惨な愛憎劇」が起きることを指摘。第三者は、共依存の関係に対し、「そんなに嫌なら、離れればいいのに」と思うかもしれないが、当人同士は「離れたいのに、離れられない」から苦しんでいるとも言える。

 そもそも「共依存」は、アルコールなどの依存症の現場から生まれた言葉だ。夫がアルコール依存症になったとする。妻はかいがいしく世話を焼き、夫が酒を飲まないように、また会社など世間にバレないように心を砕くだろう。フィクションの世界では、このような妻の献身に心を打たれた夫が改心し、依存症からの脱却を決心するというパターンが多いが、現実世界では、妻があれこれ世話を焼いているうちは、夫は安心してアルコールに溺れることができるため、回復しようという意志がそがれてしまうケースが目立つようだ。

 また、こんな話もある。臨床心理士・信田さよ子氏の著作『共依存 苦しいけれど離れられない』(朝日新聞出版)によると、依存症をめぐる共依存の関係では、たびたび「ふりまわし」と言われる現象が起きるという。その名の通り、アルコール依存症の当事者が「もう死んでやる」などといって、妻など周囲を“ふりまわす”ことを指す。

 死ぬことで、依存症当事者が苦しみから逃れたい、もしくは妻を自身のケアから解放してやりたいという優しさにも思えるが、信田氏はむしろ反対だと書いている。「このまま放っておけないと(妻に)思わせることで、傍らにいる妻からなんらかのケアを引き出そうとしている」「『妻に見捨てられたら自分は生きていけない』という究極の依存」「死ぬかもしれないこんな自分を放置しておくのか、という脅しをたくみに利用して、結果的には依存を実現する」などと指摘しているのだ。

 一方、共依存においては、妻側も夫に依存している。「夫のために」と苦心しながら、実はケアを通して、夫を支配できたり、夫から必要とされることに、喜びを感じている側面も否定できない。そのため、実は夫が回復しないほうが好都合であるなど、妻側にいびつな欲望が隠れていることも少なくないそうだ。

 華原の夫が何かの依存症かどうかは不明だが、私はこの2人が、こうした共依存関係にあるように思えてならない。

 華原の夫もまさに、死を理由に華原を茨城まで呼び出したわけで、「究極の依存」を体現したと言えるのではないか。またそんな夫に対し、華原は「そんなこと考えるんじゃない!」と叱った。これは「自殺なんかするな」という意味だと思われるが、夫が自身に迷惑をかけたことで、華原が夫より一段上の支配的な立場に立てたと見ることもできるだろう。

 華原に依存している夫が、華原をふりまわして依存を深め、華原もふりまわされるが、その分、華原が支配者になり、夫を思い通りにする。こういう行動が続くなら、「憎んでいるのに、離れられない」「相手を罵りながらも、一緒にいる」という共依存が常態化してしまうように思うのだ。

 夫は華原の所属事務所の社長であり、一世を風靡した華原は事務所の看板タレントだろうから、経営者としても手放したくはないだろう。こうなると、いろいろな利害がからまって、夫婦関係の問題を解決するのは難しいのではないか。

 幸い、時代は華原に味方している。今の芸能界では、夫と子どもがいて円満な家庭を築いているという良妻タレントよりも、多少波乱に満ちていた方が、テレビから声がかかる率が高いように思う。なので、華原の芸能人としての今後には何の心配もないだろう。ただ、自分自身のメンタルと体の健康、それに小さいお子さんのことだけは、しっかり守ってあげてほしいと思わずにいられない。

「みちょぱの彼氏」以外の肩書がほしい大倉士門……加藤浩次の「ヒモキャラ」アドバイスに感じた世代間のズレ

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<今週の有名人>
「ヒモになれないというか」大倉士門
『迷えるとんぼちゃん』(5月5日、ABEMA)

 若手芸能人が、大物芸能人に番組内で仕事の相談をするという企画を、時折見かけることがある。一時期、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で、女性芸能人が有吉弘行に相談するという企画をやっていたが、やっぱり有吉のような売れた人、苦労をした人は着眼点が違うと思わされることが多々あり、面白かった。

 相談者である若手芸能人にとっても、テレビに出られて、かつ仕事のヒントをもらえるわけだから、おいしい企画と言えるのではないだろうか。しかし、先輩のアドバイスを、若手が実際に実行できるかというと別問題で、なかなか難しいように思う。

 5月5日放送の『迷えるとんぼちゃん』(ABEMA)。同番組は、極楽とんぼ・加藤浩次と山本圭壱が、ゲストの悩み相談に乗るという内容だが、今回はタレント・大倉士門がゲストだった。大倉のお悩みは、「肩書が交際中の彼女である『みちょぱ(池田美優)の彼氏』になっていること」。「みちょぱの彼氏」と呼ばれることが嫌なわけではないものの、ほかの肩書がほしいそうだ。

 大倉の将来の目標は、バラエティ番組でMCをやること。目指すは、フットボールアワー・後藤輝基や関ジャニ∞・村上信五。そこで、極楽とんぼの2人は、大倉が番組からMCを任せてもらえるようになるには、どうすればいいかを考えていく。

 『スッキリ』(日本テレビ系)など、数多くの番組でMCを務めている加藤は、そのポジションを獲得した経緯を、こう明かしている。

 まずバラエティ番組でゲストとして出演し、存在感を示す。そこから、ゲストではなく、レギュラーの座を獲得し、番組内のワンコーナーを任せてもらう。すると、深夜帯の違う番組でMCをやってみないかという声がかかったそうだ。芸人流MC獲得術とは、少しずつ、信頼と実績を積み上げていくということだろう。

 そのためには、まず大倉は「バラエティ番組に出る」ことから始めなくてはならない。加藤いわく、「どんなバラエティでも、腹をくくって出ていくしかない」「モデルとして売れたプライドを捨てることが大事」で、「『みちょぱの彼氏』としてバラエティ番組に出ていこう」と提案する。品川庄司・庄司智春の持ちネタ「ミキティー!」を真似て、「みちょぱの彼氏」と名乗れば、周囲がツッコミやすく、「MCはラク」というだけに、確かにバラエティで重宝されるタレントになれそうだ。

 また、番組が調査したところ、街行く人は大倉に対して「みちょぱのヒモ」というイメージを持っていることが明らかになる。現在、みちょぱと大倉は同棲中だが、生活費は折半にしていると大倉は言う。しかし、加藤は「そこは(みちょぱ)9:(大倉)1でしょ」、山本は「バイクのガソリン(代)だけ私が出してますみたいな」と、世間のイメージに沿って、話を替えるべきだと主張する。

 確かに「キャラが立って注目を集められる」という意味では、2人のアドバイスは有効だろう。大倉も「めっちゃ勉強になる」と素直に従おうとしていたが、実際に彼がそれを行動に移すのは、無理ではないだろうか。なぜなら、大倉は芸人ではないからだ。

 大御所芸人の明石家さんまが、「ウケれば何でもいい」とバラエティ番組で言っていたことがあるが、芸人のネタやエピソードトークは、ウケることのほうが大事で、必ずしも真実である必要はない。しかし、芸人ではない大倉は、自分自身を「めっちゃ真面目」「ヒモになれないというか」と自己分析していることもあり、そういう人がウケるために、ウソを演じきれるかというと疑問に思う。

 また、キャラを演じきるためには、芸人並みのトークスキルも必要になる。しかし、今の大倉にそれがあるとは思えない。これは大倉本人の資質というより、大倉はモデルとして芸能界に入ってきたのだから、できなくて当たり前と言えるだろう。

 「大倉は芸人ではない」という点以外に、世代による意識のズレも、見逃せない。極楽とんぼが若手の頃は「売れるためなら、意に染まぬことを受け入れて、何でもする」がスタンダードだったかもしれない。しかし、これは私の主観だが、番組を見ていて、大倉が「何がなんでも売れてやる」というガッツを持っているようには思えなかった。「やりたくないこと、できないことでも、努力してできるようにする」というのは、極楽世代が求められてきたことであって、大倉のような若い世代にはなじまないことなのではないか。むしろ、「無理をしない」「できることをどんどん伸ばす」ほうが向いているように思うのだ。

 それでは、大倉はどうしたらいいのか。2017年6月4日放送の『テレビじゃ教えてくれない!業界裏教科書』(ABEMA)で、オアシズ・大久保佳代子は、キャラの作り方について、極楽とんぼの2人とはまた別の切り口から、「0からキャラを作ると、ウソだとバレる」「自分の中にあるものを、膨らませていく」といった話をしていたことがある。

 大倉の場合、SNSのフォロワーの85%が女性だそうだ。同番組にVTR出演した芸人・マテンロウのアントニーによると、大倉はモデルの女の子とも友達のように自然に仲良くできるそうだし、みちょぱとのLINEのやりとりは1日200往復していると言う。つまり、大倉は「女性ウケ」する何かを持っていて、女性と仲良くすることが得意と言えるだろう。そんな自身の特性を“キャラ”として生かしていくのをおすすめしたい。

 ちょうどいいというべきか、『トークィーンズ』(フジテレビ系)や『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)など、女性向けのトーク番組が増えている今、「女性の会話に違和感なく入っていけるキャラ」というのは需要があるように思う。ほかにも、女性をターゲットにした、女性向けの企画をYouTubeなどで行ってみたらどうか。

 ただし、女性向けキャラで売るのなら、浮気はご法度である。暴露系YouTuber・東谷義和氏に、「ガーシーch」で過去の浮気をバラされた大倉だが、そのあたりのことも注意ながら、MCへの道を歩んでほしいものだ。

有吉弘行、ざわちんの目標を“否定”する姿に思う「忘れる」ことの大切さ――気を使えるはずが「やっちゃった」一言

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「俺、忘れないから」有吉弘行
『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(5月1日放送、JFN系)

 4月17日、研ナオコのYouTubeチャンネルで、研と演歌歌手・小林幸子の対談動画が配信された。今の飲食店にはだいたい個室があるという話から、2人は最近の芸能界についてトークを展開した。

 2人が話したところによると、「今の子たちは上座とか下座を知らない」「マネジャーもわかっていない」ため、「大部屋があっても、新人が上座に座っている」のだそうだ。小林は「それをちょっとでも注意したりすると、『またいじわるされた』とか言われるんだよね。だから何も言えない」、研も「この年になると(注意するのが)面倒くさいんだよね」と同意していた。

 傷つきやすい若者が増えたといわれる今、正当な注意をしたとしても、「いじめられた、パワハラだ」と受け止められる可能性がないとは言い切れない。それをネットに書かれたり、テレビやラジオで話されたりすると面倒くさいから、つい黙ってしまうということだろう。

 研や小林だけでなく、テレビを見ていると、バラエティ界の大御所も、案外若手に気を使っていると感じることがある。

 2019年10月29日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)内で、「後輩にちゃんと慕われている? 相思相愛ウラ取りグランプリ」という企画があった。ここで「お世話になっている先輩第1位」として多くの若手芸人が名前を挙げたのが、有吉弘行だった。

 毒舌がウリの有吉だが、プライベートの席では若手に一切お説教をせず、その代わり、後輩が出た番組について「面白かった」とほめてくれるのだという。照れ隠しだろうか、その場で結果を聞いていた有吉は、「(お説教をして)嫌われるのが怖い」とも言っていたが、このやり方は今の時代に合っているのだろう。

 しかし、「上手の手から水が漏る」ということわざがあるように、テレビやラジオの言動を聞いていると、有吉にもときどき「やっちゃったなぁ」と思うものがある。たとえば、5月1日放送のラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、“ものまねメイク”でブレークしたタレント・ざわちんに言及した時のことだ。

 リスナーからざわちんに関する投稿があったことで、有吉は「ざわちん、引退したんだっけ? してないか」と触れた。そして、「ざわちんに俺、『歌手目指してます』って言われて、『無理じゃない?』って言ったら、『じゃあ、オリコン1位取ったときは有吉さん謝ってください』って」と、ざわちんが強気な態度で応酬したことを明かした。

 有吉は「こう思いました。(オリコン1位は)絶対無理だよ。俺、忘れないから。ざわちんが60歳くらいになってもまだ言うから。玄関コンコン叩いて、『まだですか?』って」と結んだが、放送後、この発言はネットニュースになっていた。

 今の有吉は、レギュラー番組を多数抱える売れっ子で、芸人の中では大御所といってもおかしくないだろう。そういう人が、仮に冗談であっても、若い芸能人に対して「いつまでも売れない」といった趣旨の発言をしたら、今回のようにネットニュースは放っておかない。

 ラジオを聞いていれば、「ざわちんが60歳になっても言う」というのは冗談だとわかるが、ネットニュースしか見ない人には、「有吉がざわちんを嫌っている」「有吉は若手をいつまでもいじる」などと、悪い方向に解釈されてしまうのではないか。これでは、いじられたざわちんも、いじった有吉も得をしないだろう。

 有吉といえば、かつて『ロンドンハーツ』内の「有吉先生の進路相談」というコーナーが好評を博した。同番組に出演したタレント・野呂佳代が「パチンコ番組しか仕事がない」とボヤいたところ、有吉は「パチンコ番組、全力でやれ」と一喝。のちに野呂は、これが自身の再ブレークのきっかけだったと『あちこちオードリー』(テレビ東京系)で明かしていた。

 このほかにも、タレント・磯山さやかが「女性ファン獲得のためにダイエットをしたい」と言うと、有吉は「磯山の支持層は男性なのだから、あえてダイエットするな」とアドバイスした。これを受け入れたのかどうかは不明だが、磯山は特にダイエットをした様子はなく、けれど、今もグラビアの仕事を続けている。

 『あちこちオードリー』に磯山が出演した際には、司会のオードリー・若林正恭に「マジの話、磯山さんの体、磯山さんが思っている以上に男たち好きだからね」と体形を絶賛されていたから、「あえて痩せない」という有吉のアドバイスは、正しかったといえるのではないか。

 さらに、20年の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)と『R-1グランプリ』(フジテレビ系)の優勝者を当てるなど、有吉は眼識に優れているといえる。だからこそ、有吉が「(オリコン1位は)絶対無理」とざわちんを強く否定すると、余計に説得力が出て、たった一言が大きな話題になってしまったのだろう。 
 

 毒舌を交えた「有吉先生の進路相談」には特徴があり、「芸能界は無理だ、やめろ」とは言わない。「自分の望む形ではないかもしれないが、とりあえず芸能界で生き残るにはどうしたらいいのか」というスタンスで、相談に乗っているように私には感じられた。『M-1』や『R-1』の予想も同じで、「あいつは優勝できない」というふうに、否定する形での予言はしない。

 物事をはっきり言うけれども、全否定はしないのが有吉の毒舌の特徴であり、芸人として達者なところだと私は思っているが、ざわちんの件は違った。いつものように、「オリコン1位より、別の形で活躍を目指すのはどうか?」などとフォローしておけば、世間から「大御所が若手の目標を否定した」と思われる危険を回避できたのではないか。

 ざわちんの発言について、「若気の至りじゃ許さないですから」とも話していた有吉。よほど腹に据えかねる出来事だったのかもしれないが、「忘れない」のはざわちんに対してだけではないようだ。

 さすがに今は結婚したので違うと思うが、有吉は再ブレークを果たした後も、「生活レベルを上げるつもりはない」との理由で、家賃の高いマンションや、高級グルメに興味がないことを明かしていた。猿岩石として大ブレークしたものの、すぐに仕事がなくなって、貯金を切り崩して暮らしていたそうだから、お金の大切さや、「人気」というものの不確かさが身に染みているのかもしれない。

 この時の気持ちを「忘れない」からこそ、今の有吉があるのだろう。しかし、「許さない」ことはあえて「忘れる」ほうが、世間に悪印象を与えないし、自身のためになるような気がする。