石橋貴明の「若い子とがんがんセックス」宣言に“老い”を指摘――「新しい大御所」研ナオコの秀逸さ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「できるんだったら、やってきな」研ナオコ
『石橋貴明プレミアム第18弾 タカさんと話題の人たちあっち向いてホイ!』(Abema TV、11月27日)

 かつて一世を風靡し、顔と名前は広く浸透しているけれども、今、テレビで見ることは減った――そういう芸能人たちが、「ベテラン」とか「大御所」と呼ばれ、時折バラエティ番組に出ることがある。制作側の狙いは、「あの大御所が登場」という演出により、番組の格を上げることに尽きるだろうから、大御所本人がそこで“結果”を出すことはそれほど求められていないと勝手に思っていた。

 しかし、11月27日放送『石橋貴明プレミアム第18弾 タカさんと話題の人たちあっち向いてホイ!』(Abema)に出演した2人の大御所を見て、今のバラエティで“結果”を残せない「古い大御所」と、“結果”を残せる「新しい大御所」がいるのだと思い知らされた。

 地上波でのレギュラーを失い、現在はYouTubeチャンネルでの活動が中心のとんねるず・石橋貴明。まだ60歳と老け込むには早いはずだが、なんだか“アップデート”できていないように思うのは、私だけだろうか。『石橋プレミアム』でも、今の時代に合っていない価値観をさらすばかりで、“結果”を残せない「古い大御所」ぶりが際立った。

◎EXIT・兼近大樹に「バカじゃねーの?」とダメ出しする石橋貴明の“古さ”

 石橋は、お笑いコンビ・EXITをゲストに迎え、今夏放送された『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)を振り返る。同番組で100キロマラソンに挑戦したEXIT・兼近大樹が、両国国技館のゴール直前で泣いたことに触れ、「最後に泣いてるんだよ!」「バカじゃねーの?」「なんで今まで作ってきたこのキャラを、ここでぶっ壊しちゃうんだよって」とダメ出しをしていた。

 「キャラをブレさせるな」という指摘はもっともだと思うが、EXITは「チャラさを装っているけれど、実はとても真面目」が持ち味なのだから、泣いたとしてもそれほどキャラに反していると私は思わない。マラソン前、「加山雄三さんに歌わせねぇでゴールしてやるよ」と息巻いていた兼近が、「最後は加山雄三さんと握手して涙」したというのも、彼らしいまとめ方だったと思う。

 石橋いわく、もし自分が兼近と同じくらいの年齢のときに、マラソンランナーのオファーを受けたら「1時間前に飛び込んで(ゴールして)、谷村(新司)さんの横で『チャンピオン』を歌う」そうだ。

 スタジオでは笑いが起きていたものの、無茶なことをするのが「面白い」とされる時代はとっくに過ぎた。その流れについていけなかったために、自身の番組の視聴率が低迷したことを、石橋は理解していないような気がする。兼近の相方・りんたろー。が「(そんなことをしたら)時代にハジかれますって!」と言っていたが、それが現代的な感覚といえるのではないだろうか。

 石橋のYouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」を見ていても、石橋の古さを感じることがある。女性ADの写真集制作のため、石橋は美のカリスマ・IKKOにメイクを頼む。IKKOのスキンケアによって、女性ADの肌は柔らかく、皮をむいたゆで卵のようにつるんとした状態になったのだが、石橋は彼女の肌を「ゆで卵」とたとえた後で、IKKOに対して「大涌谷のゆで(黒)たまご。クセェ」と言って笑っていた。

 石橋は、「YouTubeはテレビでないから、コンプライアンス的に問題がない」と言うかもしれないが、「女性が2人いたら、片方の外見を褒めて片方の外見を下げる」という、昔からやっていた笑いの技が、今の人に受け入れられるのか疑問に思う。

 反対に、『石橋プレミアム』で、「新しい大御所」としての存在感を示したのが、研ナオコではないか。

 YouTubeチャンネルで公開したメイク動画の再生回数が、最高585万回(11月30日時点)と大バズりした研。10代から圧倒的な支持を得ているというが、石橋は研がすっぴんをさらしたことについて「YouTubeすげーな。何でもアリになってんだな」と驚いたそうだ。しかし、素顔をさらしメイクをする過程を見せるメイク動画は、芸能人一般人問わず、それほど珍しいものではない。ただ、研のような「大御所」がやることがかなりマレであり、だからこそ面白いわけだ。

 石橋が研のすっぴんさらしに驚いてしまうのは、「大御所は、身を切ってまで笑いを取る必要はない」と大上段に構えて、若手のタレントや一般人を下に見ているからではないだろうか。逆にいうと、研が臆することなくメイク動画を公開するのは、石橋のような見下しをしていないからともいえる。

 また、研はトーク力も衰えていない。かつて野口五郎と組んでコンサートをしていたものの、今は辞めているそうで、その理由を「あの人、面倒くさいじゃん」とあっけらかんと語り、スタジオを盛り上げた。悪口で笑いを取れるのは、研のキャラクターあってこそだが、自身と同じ「大御所」を腐しているからというのも大きいだろう。

 また、女優・鈴木保奈美と離婚した石橋が「すごい寂しいんですけど、一人は」と訴えた際、研が「そんなこと言ったって、しょうがないじゃん。自分で決めたんだもん」とバッサリ斬ってみせたのも見事だった。「芸能界広し」といえども、石橋相手にこれを言えるのは、研が「大御所」だから。

 つまり研は、「大御所」という立場だからこそできるほかの「大御所」イジりで、笑いを取ったわけだ。これは見ている人を嫌な気持ちにさせない、今のバラエティで“結果”を残せる「新しい大御所」の姿なのではないか。

 ちなみに研は、相談だってお手の物だ。独身の石橋がEXITの兼近に合コンに誘われた話をすると、研は「行ってきたほうがいいよ。若い子と触れ合うのはとってもいい」と参加を勧めた。しかし、石橋が「がんがんやってきます、セックス」と宣言すると、研は「できるんだったら、やってきな」と言い放ち、このリターンは秀逸としかいいようがなかった。

 石橋は全盛期に、番組で女性とのセックスの話をあけすけにしていたから、今もそのノリを引きずっているのだろう。しかし、一般論でいうのなら、加齢で男性ホルモンが減少すると、男性は若い頃と同じようにセックスをすることは難しくなる。研の「できるなら、やってきな」の「できるなら」は、「いつまでも、あの時と同じと思うな」という意味であり、石橋に“老い”を指摘したように私には思えたのだ。

 年齢で比べるなら、研は69歳なので、石橋よりも年上だが、人を老けさせるものは必ずしも実年齢ではないのかもしれない。石橋のように自分の地位やイメージ、かつての技、やり方に固執すると、人は実年齢や見た目以上に“古く”なる恐れがある。石橋と研のトークには、そんな教訓が隠されているように思う。

『ワイドナショー』武田鉄矢を「老害」から「いじってもいい人」に味変させた野沢直子のスゴ技

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<今回の有名人>
「重要だって、あたしは」野沢直子
『ワイドナショー』(11月13日、フジテレビ系)

 テレビを見て、こんなに笑ったのは久しぶりだ。11月13日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)にリモート出演した芸人・野沢直子。彼女が米サンフランシスコ在住ということもあり、アメリカの中間選挙についてコメントしていた。

 同番組コメンテーターのダウンタウン・松本人志は「いらんいらん、野沢、いらんて」と、野沢が出演する必要はないと言っていたが、野沢は「いるって。いるって。あたし、いるって」「重要だって、あたしは」と、最近のテレビではとんと見なくなった、いい意味での“あつかましさ”を見せてくれる。

 松本がそれほど親しくないゲストに「いらん」と言ってしまったら、このご時世、「松本がパワハラしている」と批判されかねないが、野沢とは『夢で逢えたら』(同、1988~91年)で共演した仲のため、松本も軽口を叩けたのだろう。

 しかし、この日の野沢は「重要だって、あたしは」という発言通り、ものすごい“ワザ”を見せてくれた。

 同番組ゲストの西川貴教は、アメリカの中間選挙に関して、同国の若者は「政治参加の意識がすごい高い」「18歳~29歳までの方の『選挙行きますか?』という(質問の)答えに、40%の方が『選挙行きます』っておっしゃっていて……」と指摘。それに対し、日本の若者は「SNSとかで、ああだこうだって政治のこと批判する割に、誰も全然(選挙に)行かない」「『何でなの?』って(聞いたら)、『わからないから』とか。そんな無責任な形で、結局、白票を投じたりとか、意味のないことに結局、時間を使ってしまっている」と、苦言を呈していた。

 しかし、西川が話し終えていないのに、同じくゲストの俳優・武田鉄矢が突然「すいません、海の向こう、ひとつ聞いていいですか?」と割り込んできた。

 西川が話している最中なので驚いたが、人の話をさえぎってまでする質問なので、おそらく西川の発言に関係することを野沢に聞きたいのだろう……そう思っていたら、武田は「やっぱり、物価っていうのは高いの?」と、まったく無関係な質問をしたのだ。

 この事態に、ほかの出演者が固まる中、野沢がどう切り返したかというと、「高いんですよ」と即答した後、「この間、ほら、出た時に武田鉄矢さんと一緒だったじゃないですか」と、武田に確認。確かに2人は、10月9日放送の同番組でも共演しており、武田が「はいはい」と答えると、野沢は「この(物価高の)話、すごいしましたよね」と、ほんの1カ月前にも、同じような話をしたことをさらっと指摘したのである。

 司会の東野幸治は「それ、言わんでええのよ」とツッコみ、武田本人も「そうだよな。そんなこと言わなくていいよな」と乗っかってみせたが、面目を潰されたと思ったのか、再度野沢に「最近、ラーメン食べた?」と、これまでの話に関係のないことを質問。すると野沢は「ラーメン食べましたよ」と答え、「だから、ラーメン(の話)も前に言ったじゃないですか」と指摘したのだった。

 見ている側はヒヤヒヤしたものの、武田に発言権を奪われた西川が「全然覚えてないんですね」と笑ってツッコみ、私にはその場が丸く収まったように感じた。

 自分より若い芸能人が話しているのに、それをさえぎって会話に入ってくる武田を、「老害」と見る人もいるだろう。しかし、野沢が「この話、すごいしましたよね」とはっきり言ったことで、武田は「老害」から「いじってもいい人」「しょうもない人」へと見事に“味変”を遂げたように感じる。

 発言をさえぎられた西川は気の毒ではあるものの、スタジオ全体に笑いが起きたので、これはこれでアリではないだろうか。野沢も自身の面白さをアピールできたし、出演者の誰も損をしていない。

 ひと昔前のテレビでは、武田のような大御所に若い女性タレントがツッコみ、大御所がやに下がって喜ぶ……という場面がよく見られた。しかし、今のテレビでそれをやると、「セクハラ的」と見る人もいるだろう。何より、今の武田はキャリアの浅い若い女性タレントでは制御できないように思われる。そこにきて、キャリアのある野沢の立ち居振る舞いは、視聴者を嫌な気持ちにさせないし、見事と言わざるを得ない。

 そういえば武田は、同番組にゲスト出演していた、アメリカ大統領選挙に詳しい明治大学の海野素央教授に対し、「映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくる悪役のビフはトランプをモデルにしたというのは、本当か?」といった質問もしていた。

 海野教授の専門ではないことは明らかなだけに、西川は「どこに行こうとしているんですか?」とツッコんでいたが、どうしても皮肉めいて聞こえ、また困った顔をしていたため、笑えなかった。やはり、武田を必要以上に追い込まず、かつ明るい笑いに変える腕を持つ人は野沢くらいに思えてならない。

 コロナ禍の影響で、リモート出演が当たり前になったことにより、これまで1年に1~2回、日本に“出稼ぎ”に来る時しか見ることができなかった野沢を頻繁に見られるようになったのは、いち視聴者としてラッキーとしか言いようがない。

 テレビの世界には、ちょっと扱いに困る大御所がたくさんいる。洒脱なトークで、ほどよく彼らをイジる野沢が見たいと思うのは、私だけではないはずだ。

『笑点』を自主降板――二代目・林家三平は、「面白くないまま」大喜利を続ければよかったと思うワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「未熟な自分は、もっと人生経験を積んで勉強する必要があると感じたから」二代目・林家三平
『徹子の部屋』(テレビ朝日系、11月9日)

 二代目・林家三平(以下、三平)が、演芸番組『笑点』(日本テレビ系)の大喜利レギュラーになったのは、2016年のこと。当初から「面白くない」「父親である初代・林家三平の七光り」というふうに、彼の実力のなさを指摘する声もあった。昨年12月に、三平は『笑点』を自主降板するが、結局5年余り出演が続いたわけで、よくもったと言えるのではないだろうか。

 しかし私はかねてから、三平の『笑点』レギュラーは、かなりいい人選だと勝手に思っていた。

 「長所は短所」ということわざがある。もともとの意味は「長所もあまり当てにしすぎると、かえって失敗することもある」だが、「見方を変えれば評価も変わる」という言葉とも解釈され、転じて「短所は長所」などと言われることもある。

 三平は『笑点』の大喜利メンバーだった頃、座布団10枚を達成することができなかった。これは「面白くない」と公衆の面前で証明されたも同然で、落語家としては短所である。しかし、番組全体で考えてみたら、どうだろうか。

 三平は、初代・三平の息子というブランドと知名度がある。そのどちらもないど新人が座布団を取れない場合、視聴者から「替わりはいくらでもいるんだから、もっと面白い落語家を出せ」という声が出てくるかもしれないが、三平のようなお坊ちゃんが全然面白くないというのは、また話は別だ。

 「親が昭和の爆笑王であったとしても、才能は遺伝しない」という教訓となり、溜飲が下がる視聴者もいるのではないだろうか。つまり、三平が面白くないことが、三平もしくは番組の持ち味や長所になるかもしれないのだ。

 今の時代、三平が面白くなければ、SNSでも話題になる。それは番組の宣伝に貢献することと同義なわけだから、面白くないのは必ずしも悪いこととは言い切れないだろう。そう考えると、私は三平に対して、堂々と「親が偉大なのに、面白くない」まま、『笑点』の大喜利を続ければよかったのにと思わざるを得ないのだ。

 それに「デキる人」というのは、実は損な部分がある。

 小室眞子さんの夫・圭さんが、3回目にしてニューヨーク州の司法試験に合格したことは記憶に新しいが、もし彼が「デキる人」で一発合格していたら、世論はどうなっていただろうか。

 もちろん祝福の声は上がるものの、「米フォーダム大学で奨学金を得て学んだのだから、当然だろう」「所帯を持ったのだから、落ちるわけにいかない」というふうに、小室さんの努力を認めず、当然視する意見のほうが優勢だったように思う。

 しかし、圭さんは、2回の失敗を経験。ニューヨーク州の司法試験は、回を重ねるごとに合格率が下がるとされるデータがあり、ここから判断するならば、彼は、かなり不利な状況に立たされたといえる。しかし、大方の予想を裏切って、3回目にして合格したからこそ、圭さんは「頑張った」「運を持っている、すごい人だ」と、多くの人たちに褒められたわけだ。

 これは『笑点』の大喜利においても、同じではないだろうか。毎回爆笑をさらい、座布団をどんどん取っていた「デキる人」が、たまたま数回取れないと「最近面白くない」とか「失速し始めた」と言われる可能性がある。

 しかし、「面白くない」と思われてきた三平が少し面白いことを言えば、「よくやった」「やればできるじゃないか」「やっぱり、父親の血だ」というふうに、ほめそやす人も出てくると思われる。

 最初から、いい点数を取れるというのは素晴らしいことだが、その後は、それ以上の活躍をしないと世間サマは認めてくれないと考えると、「デキる人」はリスクでもあるのだ。ゆえに「面白くないお坊ちゃん」というのは、伸びしろしかないし、三平にしかできないおいしいキャラだったと思う。自分から『笑点』を辞めるなんてもったいない。

 11月9日放送『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にゲスト出演した三平は、『笑点』を自主降板したことについて、「未熟な自分は、もっと人生経験を積んで勉強する必要があると感じたから」と振り返っていた。どうにも真面目すぎるというか、ちょっとカッコつけているところがあるのではないだろうか。

 面白くしたいなら、人生経験を積むよりも、共演している先輩に頭を下げ、アシストしてもらって“見せ場”を作ってもらうほうが効果的なはず。もしそれができないなら、「できないくせにできないと言えない」ムダなプライドが邪魔しているように感じる。それはお坊ちゃま育ちだからかもしれない。

 番組名は失念したが、初代・三平は、テレビ進出に熱心だったと見たことがある。世間一般に「落語は演芸場で見るもの」と思われていた時代、落語界にはテレビを一段下に見る人が多かったという。しかし、テレビの台頭により演芸ブームが起きると、初代・三平はいち早くその流れに乗った。テレビは、芸人に与えられる時間が演芸場より短い中、「もう大変なんすから」など、テレビ用に“短時間でウケるためのネタ”を編み出したそうだ。

 人がやりたがらないことをやれば、ライバルが少なくなるから自分に有利になる。けれど、いくらライバルが少ないといったからといって、ウケなければ何の意味もない――初代・三平はそんなふうに思っていたのではないだろうか。

 テレビの時代を予見し、テレビに合わせたネタを作れる初代・三平の頭の良さは、いい意味での計算高さといえる。二代目・三平に足りないのは、人生経験ではなく、初代の持ついい意味のズルさともいえるのかもしれない。

西野亮廣がエンタメ界で売れるワケ――後輩芸人に小バカにされる隙と「現実的すぎない」トーク

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「周りを勝たす人」キングコング・西野亮廣
『トークィーンズ』(10月27日、フジテレビ系)

 2019年に亡くなった作家・田辺聖子さんの短編集『孤独な夜のココア』(新潮文庫)に、『石のアイツ』という作品が所収されている。売れっ子となったテレビドラマの女性シナリオライターが、売れない時代に同棲していたシナリオ学校で知り合った男性を回顧するという内容だが、その中で「売れる人」の条件として、隙があること、あまり性格が現実的でないといったことが挙げられていた。

 人がドラマなどのエンタメ作品を求めるのは、現実の世界から離れたいからという理由が少なからずあるだろう。いくら事実であったとしても、エンタメ作品で“身も蓋もない、つらく堅苦しい現実”を見せられたらゲンナリしてしまう。程度問題ではあるが、多少夢見がちで隙のある作り手のほうが、物語全体に救いが生じ、多くの人に愛される――『石のアイツ』で述べられていたのは、そういった意味だと思う。

 隙があり、現実的でなく、エンタメの世界で成功している。この条件を考えたとき、私の頭の中に最初に浮かぶのが、キングコング・西野亮廣だ。

 お笑い芸人としての活動のみならず、西野が描いた絵本『えんとつ町のプペル』(幻冬舎)は大ヒットを記録し、映画化、舞台化も実現させている。また、オンラインサロンの会員数は日本一、クラウドファンディングをいち早く導入させ、さまざまなプロジェクトを成功させてきた。

 そんな西野が10月27日放送の『トークィーンズ』(フジテレビ系)に出演。芸能界やエンタメを主軸とするビジネスで成功した経験をもとに、多数の女性出演者を相手に「信用できる人」「信用しちゃダメな人」の見極め方をレクチャーしていた。

 西野にはいい意味で、隙がある。芸歴からいえば、西野は同番組の女性出演者に上から物を言っても許される立場だったが、西野は満遍なくツッコまれている。

 若槻千夏に、「(信用できない人の条件は)全身黒ずくめの人」と言われ、西野は「俺だよ」と返していたほか、指原莉乃には「(オンラインサロンの会員数が)4万人いる人のほうが怖い」と日本一の業績を茶化される始末。また、かなり後輩の芸人である3時のヒロイン・福田麻貴にも「芸人の仲間に『(西野を)リスペクトしている』と言えない」と小バカにされており、しかし西野は「うるせーわ」というものの、特に怒った様子はない。

 これこそが「売れる人」の持つ「ちょうどいい隙」なのではないだろうか。「ちょうどいい隙」のある人の周りには人が集まり、その会話や関係性から新たなエンタメが生まれることもあるから売れるのだ。

 西野は「信用できる人」として、「周りを勝たす人」を挙げた。西野いわく「自分の取り分しか考えない人って、誰かのライバル、競合、敵になってしまうので、こういう人はすぐにいなくなっちゃうんですよ。でも、周りを勝たしている人って、みんなその恩恵を受けていて、こいつはいなきゃいけない存在なんで、こいつを潰そうとは絶対しない」となるそうだ。同番組の司会・高橋真麻は「人の幸せを自分の幸せと思える人かしら?」とまとめ、西野は「強いっすよね、そういう人って」と同意してみせた。

 私に言わせると、これは現実的すぎないという意味で、ちょうどいい。というのも、現実的に考えると、「周りを勝たす人」になるのはそう簡単ではないからだ。「周りを勝たせる人は信用できる」という、西野の意見に納得する人は多いのではないだろうか。確かにムダに戦うよりも、あえて自分が引くことで共存共栄することは、正しい作戦といえる。

 極端な成果主義に疲れている視聴者にとっては、成功者・西野が温和な作戦を掲げることで、「案外いい人かも」と好感を持つこともあるだろう。

 しかし、「周りを勝たせる」ことができるのは、ある程度の実力と実績があると認められた人でないと無理なのはは、見逃せない事実だ。

 例えば、テレビに出るようになって日が浅い新人がいたとする。彼らは、少しでも前に出て、顔と名前を売っておかなければ、次があるかわからない。周りを勝たせようと控えめに振る舞っていたら、視聴者の印象には残らないだろうし、新人をキャスティングした側には「本番に弱いのか」と見られてしまう可能性もある。

 となると、名前と実力(芸歴、実績)が世間に十分浸透していて、無理に前に出る必要がない人――もっと言うと、周りに「あの人はあえて自分が前に出ず、周りを勝たせるためにやっている」と思ってもらえる人しか、「周りを勝たせる人」になれないのではないだろうか。

 こうやって考えていくと、「周りを勝たせる人が、信用できる」のではなく、「信用のある人は、その気になれば周りを勝たせる側に回ることができる」というほうが正確な気がする。

 それでは、「信用のある人」とはどんな人かというと、繰り返しになるが、知名度と実績なわけで、たいていの人はそれがないから苦しんでいるわけだ。

 このあたりの身も蓋もないことは匂わせず、「信用できる人は、周りを勝たせる人」と語り、視聴者に「周りを勝たせる人になれば、自分も信用される」と夢を見させてしまうあたりが、西野のすごさだと思う。

 このように西野は、エンタメビジネスで成功する条件を満たしているように思うのだが、これらを安易にマネしようとするのは危険だろう。

 自己啓発本ではよく、自分の考えや行動を変えることで、「成功、お金、人脈、情報をドカンと得よう!」と説いているものの、実際これらは「持っている人のところにはどんどん集まり、持っていない人のところにはまったく回ってこない」という特徴があるのではないか。

 例えば、ある人がお金のない生活から抜け出したいと、ビジネスを始める決心をしたとする。しかし、お金儲け(ビジネス)をしようにも、お金(資金)がなければ、どうにもならないわけだ。そこで、資金を集めようと動いても、なかなか思うようにお金も人脈も手に入らない。なぜなら、成功の実績がないため信用されないからだ。

 西野がエンタメビジネスで成功した理由は、先にも述べたように、隙があること、あまり現実的でないことのほか、いろいろあるのだろうが、そもそも彼がお笑いの世界で結果を出し、知名度があったことは、確実にプラスに働いたと思う。よく知らない相手よりも、芸能人などよく見る機会のある人のほうに好感を抱くことを、心理学では「単純接触効果」と呼ぶ。一緒に仕事をするにしても、すでに何度も“接触”している人のほうが、安心や信頼がある部分は否めない。

 西野の来し方を、お笑いの世界で結果を出してお金を得て、そこから人脈を広げ、エンタメビジネスでも成功したと見るのなら、そのポイントはまず「お笑いの世界で名を上げたこと」といえるだろう。

 西野のオンラインサロンに集う人が、何を期待しているのかは私にはわからない。西野のそばに行きたいのかもしれないし、仲間がほしいのかもしれない。いろいろな楽しみ方はあっていいと思うが、一般人はそう簡単に西野にはなれないということだけ、頭の片隅に置いておいてほしいものである。

小室圭さんの「内面」を持ち上げ、眞子さんは「見る目がある」と称賛――司法試験合格への著名人コメントに違和感を覚えるワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「結果どうこうのじゃなくて、チャレンジしていることが素晴らしい」加藤浩次
『スッキリ』(日本テレビ系、10月24日)

 小室眞子さんの夫・圭さんが3回目にして、アメリカ・ニューヨーク州の司法試験にめでたく合格した。それに伴う著名人のコメントを見ていると、なんだか話がズレている気がするのだ。そこで、私にとって違和感のあったポイントを2つ取り上げてみたい。

違和感その1:小室圭さんの“内面”を持ち上げる

 「結果が良ければ、そのプロセスまですべて正しい」「社会的成功を収めている人は内面も立派」と決めつけることを、心理学では「信念バイアス」と呼ぶが、10月24日放送の『スッキリ』(日本テレビ系)で、MC・加藤浩次が話していたことは、まさにそれに当てはまるのではないだろうか。

 加藤は「おめでとうございます。よかった」と祝福し、「結果どうのこうのじゃなくて、チャレンジしていることが素晴らしいと。何もしないで文句を言っているほうがよっぽどダメ」と、チャレンジ精神を持つ圭さんの“内面”を称えるかのような発言をしていた。

 しかし、圭さんと眞子さんは今、皇室から離れて、経済的に自活することが求められているように思う。彼らにとっては「結果」こそ重要で、圭さんの内面うんぬんの話はズレているのではないか。

 というのも、圭さんはこれまで、ニューヨーク州でロー・クラーク(法律事務員)として働いてきたが、弁護士とは年収が大分違うとされている。圭さんが同州の弁護士を志した理由の一つには、経済的基盤の強化があったのではないだろうか。もちろん眞子さんと共働きするという方法もあるが、ビザの種類によっては眞子さんは働けないし、日本を発つ前に複雑性PTSDであると公表しており、働くのに適した体調ではないことも考えられる。

 となると、小室さんは生活を支えるべく、一刻も早く司法試験に合格して生活費をしっかり稼ぐか、もっと家賃が安いマンションに引っ越して生活レベルを下げるなど、身の丈に応じた生活をする必要があったといえるだろう。そんな中、圭さんは前者を目指して結果を出した。

 やっぱり加藤の「結果どうのこうのじゃなくて、チャレンジしていることが素晴らしい」という発言は、見当違いだと思う。

 圭さんが合格したことで、AV監督・村西とおる氏は、自身のTwitterで「なんのかんのといっても眞子さまの目利きが優れていたことが証明された」、漫画家の倉田真由美氏は10月22日配信のウェブサイト「AERA dot.」の記事で「眞子さんの見る目は確かだったと言えるし、たたいてた人も目を覚まさせられたのではないでしょうか」と発言していた。

 おそらく、眞子さんは司法試験に受かるような能力のある男を見極めて選んだ、だから、見る目があると言いたいのだろうが、これもちょっと話がズレているように思う。

 そもそも国民が圭さんに不信感を抱いた主な理由は、2つあるといえる。1つ目は、圭さん本人のことではないとはいえ、お母さんの金銭問題を放置するかのように思える態度に、小室家の良識が問われた。2つめは、小室さんが米フォーダム大学に留学した際に、同大のホームページに「プリンセス・マコのフィアンセ」と書かれていたことから、小室さんが眞子さんの女性皇族という立場を自らの“箔付け”に利用し、特別な待遇を受けたのではないかと物議を醸した。つまり、司法試験に合格するかどうかは二の次三の次だったはずなのだ。

 また、村西氏、倉田氏ともに、小室夫妻を応援しているように見せかけて、実は真逆のことをしているのも気になる。

 主に結婚の際、女性に対して「オトコを見る目がある」ということは珍しくないが、男性に対して「オンナを見る目」という表現がなされることはほとんどない。これは「オトコは仕事、オンナは家庭」という性別分業が長いことなされていたため、夫婦で仕事をして、夫婦で家庭のことをするという意識のある人がまだまだ少なく、加えて、「女性の幸せは男性次第」という観念が村西氏&倉田氏をはじめ、世間にも根強く残っているからではないか。

 もしそうだとしたら、今後、内親王の結婚はかなり難しくなるだろう。ジェンダーフリーが叫ばれる中、自分だけが経済力その他もろもろの負担を引き受けて、内親王を「幸せにする」という考える男性は少ないと思うし、それでも結婚したいという男性が現れても、大きな負担に耐えかねて結婚生活に挫折する可能性がある。「オトコを見る目」を評価することは、内親王および相手の男性を苦しめる遠因になるように思えてならないのだ。

小室夫妻と秋篠宮家の溝はまだ埋まっていない?

 見事合格を果たした圭さんだが、まだまだこれで一件落着とはいかなそうだ。10月21日配信のニュースサイト「FRIDAY DIGITAL」は「3度目の正直も…小室圭さん『合格ですべてOK』とはならない訳」と伝えており、日本のマスコミや国民は今後も小室夫妻を放っておかないとみられる。

 一方、同24日放送の『ゴゴスマ~GO GO!Smile!~』(CBC)では、皇室ジャーナリストの近重幸哉氏が、小室夫妻は「宮中の催しにご夫妻そろって招かれるのは、まだまだ少しハードルが高いのではという感じがしますね」と語り、一連の結婚騒動によって生まれた小室夫妻と秋篠宮家の溝は埋まっていないことを示唆した。

 しかし、2人で経済的に自活してやっていけるのなら、世間の声も“実家”の声も関係ない。どうか、堂々と自分たちの幸せを追求していただきたい。

有吉弘行のイジリはOK、ノブコブ・吉村には激怒……フジモンの「失礼なことも、全然言ってこい」発言によぎる疑問

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「失礼なことも、全然言ってこい」FUJIWARA・藤本敏史
『あちこちオードリー』(10月12日放送、テレビ東京系)

 今から14年前の2008年。『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で、「たいこ持ち芸人」という回があった。「ネタを作るより、先輩にかわいがられるほうが早く売れる」ことから、サバンナ・高橋茂雄らが、いかにして先輩をいい気持ちにさせるかのテクニックを披露していた。

 しかし、「先輩にかわいがられる」ことも決して簡単なことではないだろう。芸人としては尊敬している先輩でも、人間としての相性が合わないことも考えられるし、さらに厄介なのは、先輩が自分の立場を利用して、無理難題を押しつけてこないとは言いきれない。

 しかし、人権やハラスメントに対する意識が高まった現在、先輩が後輩にそんなことをした場合、その一部始終を録音されてSNSや動画サイトで配信されてしまう可能性がある。かつて先輩とは、後輩に対して「何をしてもいい」存在だったかもしれないが、現代では売れている先輩ほど、そういったリスクも踏まえたうえで、周囲に気を使う必要があるのではないか。

 そんな流れを察知しているのだろうか、10月12日放送『あちこちオードリー』(テレビ東京系)に出演したフジモンことFUJIWARA・藤本敏史は「芸能界が生きやすくなる教訓」として、「芸歴を重ねれば重ねるほど隙を作れ」を挙げていた。

 昔のフジモンは、後輩にイジられることをよしとしなかった時期もあったが、今では「全然大丈夫になった」そうで、「失礼なことも、全然言ってこい」というスタンスを取っているそうだ。隙を作るために、フジモンは収録の際「後輩があいさつに来るやんか。絶対に一絡みする」と自分から若手に歩み寄り、積極的にコミュニケーションを取っていることを明かしていた。

 みちょぱは、そんなフジモンのスタンスを「女性タレントからしても、それはめっちゃありがたい」とし、その理由を「(フジモンをイジっても、一般人から)叩かれもしない」と述べていた。

 つまり、みちょぱが芸能界の先輩をイジると、視聴者に「礼儀知らず」と認識され、叩かれる可能性がある。しかし、フジモンの場合、自ら「イジっていいキャラ」として振る舞っているので、視聴者の間でも「あの人はイジっていい人なのだ」と周知されており、後輩も心置きなくイジることができるわけだ。フジモンとしては、後輩にイジられる機会が増えれば、それだけテレビに映る時間も増えるだろうから、結果的にトクをするのだろう。

 しかし、いくらフジモンに「失礼なことも、全然言ってこい」と言われたからといって、それを鵜呑みにするのは危険かもしれない。

 15年1月放送の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN)で、有吉弘行がこんな話をしていたことがある。

 年末の深夜に仕事を納め、フジモン、ロンドンブーツ1号2号・田村淳、おぎやはぎ・矢作兼、平成ノブシコブシ・吉村崇、プロデューサーと食事に行ったという有吉。店までの道すがら、「藤本さんは貧乏だから餅も買えないだろうから、1万円くらい、早めのお年玉でもやろうか」とフジモンをイジると、「俺の嫁、誰やと思ってんねん。木下優樹菜だぞ」と応酬したという。

 ここまでは、後輩・有吉によるフジモンイジりが成立していたのだろうが、同じく後輩である吉村が便乗し、「そうですよね。藤本さん、あんまりテレビで見ないですもんね」と言うと、事態は一変。フジモンはイジりと受け止めなかったようで「おい、なんや」と、詰め寄ろうとしたそうだ。

 有吉は、冗談だと思って止めたものの、フジモンは本気で、吉村を道の反対方向に連れていき、アゴをつかんで何やら怒っていたとのこと。フジモンは吉村を怒った理由を「ちょっと調子に乗りすぎだから、ちょっとだけ怒ったんや」と有吉に説明したという。

 有吉と吉村の発言だけ見れば、有吉のイジりのほうがキツい気がする。しかし、有吉のイジりはOKで、吉村の場合は「調子に乗っている」とみなされる。なぜ有吉だけ許されるのか、その理由はわからないが、我々一般人の世界でも「同じことをしているのに、あの子は許されて、自分は怒られる」ということは珍しくないだろう。

 フジモンは、後輩に失礼なことを言われても構わないと言うけれど、後輩なら誰でもいいわけではなく、実は「自分が好感を持っている後輩になら」など、何らかの前提条件が隠されているのではないか。そのあたりの機微をうまく読まないと、フジモンに言われた通りイジっただけなのに、なぜか怒られた……なんてことが起きてしまうかもしれない。

 本稿をお読みの方の中にも、先輩から「思ったこと、なんでも言っていいよ」と言われたという人はいるだろう。しかし、フジモンの例を見ると、いきなり「なんでも言う」ことはおすすめできない。よーく先輩と周囲の様子を見極めて、判断していただきたいものだ。

なぜ黒沢かずこは、明石家さんまの老後をやたらと心配するのか? 彼女が気づいていない本心

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「(さんまさんの老後が)本当に心配で!」森三中・黒沢かずこ
『週刊さんまとマツコ』(10月9日、TBS系)

 10月9日放送『週刊さんまとマツコ』(TBS系)では、森三中・黒沢かずこが「芸能人から業界人までが集う夢の老人ホーム」のプレゼンを行っていた。さんまは高収入だからか、多くの人に「(業界関係者用の)老人ホームを作ってくれ」と頼まれるそうだが、多忙なさんまがそれを実行に移すことは難しい。そこで黒沢サンがさんまの希望をヒアリングして、それに沿った老人ホームの建設を始めたいというのだ。

 黒沢サンのビジョンでは、さんまはスター棟と呼ばれる棟に住み、4フロアを自由に使う。黒沢サンやその他元テレビ関係者は8畳のワンルームがある寮に住み、スター棟と寮は渡り廊下でつながっている。その渡り廊下に、さんまがよく行く焼肉店・游玄亭などの飲食店を誘致し、ギャラ飲みしてくれる女性を呼んで簡易キャバクラを作る。さんまは「セカンドライフ漫談やないか」とツッコんでいたが、暗くなりがちな老後の話を、明るく、真面目に妄想している黒沢サンは面白かった。

 が、黒沢サンって相変わらずだなと思う。

 黒沢サンは、今回の企画を番組の構成作家に直談判したそうだ。そこまでの熱意を持つ理由を、黒沢サンは「(さんまさんの老後が)本当に心配で!」「幸せになってほしい」からだと言っていた。つまり、さんまへの愛、さんまのための行動としているが、黒沢サンはもともと“心配グセ”を持っているのではないだろうか。

 2015年2月放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)で、黒沢サンは、仲の良い芸人・椿鬼奴が交際中(当時、同5月結婚)のグランジ・佐藤大について、「経済力のなさが心配」と言っていた。

 佐藤はギャンブルが好きで、借金もあるとのこと。黒沢サンは鬼奴のパートナーにふさわしい人物か心配になったらしく、「本当に鬼奴と結婚するつもりがあるなら、この世界を辞めて普通の仕事をすればいい」「彼氏は雇われのバーテンくらい、いつでもできると言うけれど、商売なめんなよと思うんです。生活費を稼げるようになってから言え」となかなかの口調で佐藤を批判していた。

 金銭的な苦労があると、夫婦仲が悪化する原因となり得るので、夫婦そろって安定した職に就くのは、確かに望ましいことだ。しかし、誰と結婚するか、どんな結婚をするかは鬼奴の問題であり、友だちといえども、黒沢サンが口を挟む権利はない。

 テレビなのでわざとキツく言ったのだと信じたいが、自分の彼氏を悪く言われて、鬼奴もいい気持ちはしないだろうし、“心配”を理由にあれこれ友だちに口を出すことは、一歩間違えば友情の破綻につながる場合だってある。暴力を振るわれているとか、脅されて金品をむしり取られているというなら、友だちを助ける必要があるだろうが、そうでないのなら、心配してあげる必要はないだろう。

 『おかげでした』の別の回でも、黒沢サンは暴走していた。芸人として成功したという実感が持てないので、恋愛や結婚に興味が持てないと話していたのだが、だんだん方向がずれていく。感情がたかぶった黒沢サンは、番組のプロデューサーに対し、「飲む金あるなら制作に回せよ! 上に媚びるな! もっと若手スタッフにチャンスやれ」と訴えたのだ。なぜここまで熱くなるのかというと、黒沢サンいわく「テレビが好き」だから。テレビ離れが叫ばれる時代に、フジテレビの行く末を心配して暴走したのだろう。

 テレビはショーなので、番組の偉い人が黒沢サンに黙って怒られるというのは、いい見どころを提供したといえる。しかし、発言の内容はどうだろうか。

 元フジテレビ社員・長谷川豊氏がYouTubeチャンネル「街録Ch~あなたの人生、教えて下さい~」で、同局低迷の背景について、上層部はキャバクラで大金を使うのに、現場にはお金がないなどと話していたから、おそらく制作費が足りない、もしくは制作費を飲み代など不当に使う人がいるのは本当のことなのだと思う。しかし、それはフジテレビ内部の問題なので、社員ではない黒沢が口を挟むべきことではないだろう。

 「心配」という善意が起点になっているとはいえ、黒沢サンは鬼奴の件でもフジテレビの件でも、「超えてはいけない一線」を無視して、口を出してしまうところがあるように思う。なぜ黒沢サンがそんなことをしてしまうのかというと、黒沢サンが自分の本音に気づいていないからではないか。

 黒沢サンは「(さんまさんの老後が)本当に心配で!」と話していたが、私にはさんまの老後に不安な要素があるとは思えない。女優・大竹しのぶと離婚して独身ではあるものの、親しくしている人がいるようだし、今後、結婚する可能性もある。娘のIMALUもいるし、資金力もあるので介護施設に入ることもできるだろう。なぜ黒沢サンが、さんまを心配するのか意味がわからない。

 心理学の世界に「投影」という概念がある。自分の抑圧された感情を他人のものとすり替えてしまう防衛機制を指す。例えば、妻の浮気を疑って、あまり外出させない、携帯をチェックするなどの行動を取る夫がいるとする。「それだけ執着するのは、よっぽど妻のことを愛しているからだろう」と見る人もいると思うが、実は自分が強い浮気願望を持っていることに気づかず、「妻が浮気したがっている」と話をすり替えてしまうのだ。

 この投影理論に黒沢サンを当てはめて考えてみると、黒沢サンが誰かを「心配している」と言うのは、相手も不安を抱えているという前提からなのだろうが、これはつまり、自分自身が抱える不安を相手に投影しているのではないか。つまり黒沢サンは、さんまの老後を心配しているわけではなく、自分の老後を心配しているように思う。

 『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)で、黒沢サンは「一人が苦手だけど、結局一人になっちゃう。一人っ子だし、パートナーもできたことがない。だから、みなさんは究極の一人を知らない」と話していた。

 一人でいることはまったく問題ないし、テレビで自分の心にもない発言をするのもアリだと思うが、自分の本心に気づかないままでいると、メンタルヘルスを損ねる可能性がある。どうか自分の心に向き合う時間を作ってほしいと願わずにいられない。

東出昌大は、元妻・杏にとことんまで甘えている? 「清貧気取りの山籠もり」よりすべきこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「臆測で事実と違うことを書かれるのはイヤなので、きちんと自分からお話したい」東出昌大
「週刊女性」2022年10月11日号(主婦と生活社)

 2022年10月11日号「週刊女性」(主婦と生活社)に掲載された「≪直撃撮≫東出昌大、不倫・離婚後の“ひとり身生活”は山小屋!家賃ゼロ、携帯電話は圏外、汲み取り式トイレの『自給自足生活』を語った」という記事。

 タイトル通り、東出は女優・唐田えりかとの不倫が原因で、20年夏に女優・杏と離婚。現在、人里離れた関東近郊の山間の山小屋で暮らしており、自分で仕留めた獣をさばいたり、山菜を取ったり、近所の人にもらった野菜を食べるなどして生活しているという。小屋には風呂がないので、温泉につかる日々だそうだ。

 人気俳優として、都心に住まいを持っていた頃と比べると、あまりにも質素な暮らしぶりだけに、現在の東出を“転落”したと感じ、「彼は反省している」と受け取る人もいるかもしれない。けれど、この記事を読んで、私が感じたのは、東出の「人にとことんまで甘えてしまう」一面だった。

 同記事の中で、東出は取材を受けた理由を「臆測で事実と違うことを書かれるのはイヤなので、きちんと自分からお話したい」としている。芸能人の不倫が好意的に受け止められることはないが、中でも東出の不倫は群を抜いて感じが悪かった。

 不倫をスクープした「週刊文春」(文藝春秋)によると、東出は杏との間に3人の子どもがいるものの、家事・育児をすることはなく、杏はワンオペを強いられたそうだ。東出は、家に帰ってすぐに温かい食事ができていないと、怒って外に食べに行ってしまうなど、モラハラ的な態度もあったという。また、不倫相手の唐田が、東出との関係を頻繁にSNSで匂わせていたが、それをやめさせようとしなかった。このように、東出の不倫にはイヤな要素がてんこ盛りで、彼の好感度は地に落ちたといえるだろう。

 唐田との不倫の後も、東出の“やらかし”は続く。コロナ禍の影響で“密”を避けることが求められ、エンタメ界が打撃を受ける中、東出が映画のロケ先に女性を呼び寄せていたことが、昨年10月発売の「文春」報道によって明らかとなった。東出は独身だから恋愛自体は構わないが、イメージ回復に努めなければいけない時期、かつ新型コロナ感染のリスクを下げなくてはいけない時期の軽はずみな行動に、事務所はすっかりあきれ、東出を解雇したのだった。

 一連の騒動で、すっかり「悪者」となった東出を擁護するような報道はほとんどなく、中には「東出は悪いヤツ」という結論に基づく偏った記事や、明らかに事実と違う記事もあったのかもしれない。しかし、本来、彼の味方であるはずの事務所から切られたということは、東出がそうした“臆測”だけで追い込まれたのではないということを示唆しているのではないか。

 思うに、東出は「自分のせいで人に迷惑をかけている」という気持ちを持ちづらい人なのだろう。もしそういう気持ちがあれば、自分がピンチの時に手を差し伸べてくれる人には感謝するだろうし、「恩に報いたい」と思うはずだが、彼は前事務所からの恩を仇で返した。東出は「甘やかされたら、もっと甘えてもいい」と思ってしまうタイプなのかもしれない。

 「週刊女性」の記事によると、東出は今住んでいる山小屋を無料で借りているだけでなく、近所の人から野菜をもらっているとも書かれていた。しかし、生活するお金がまったくないわけではないだろうから、「ちゃんと払えばいいのに」と思ってしまう。

 彼の「甘やかされたら、もっと甘えていい」は今に始まったことではないようだ。先述したように、東出は結婚中、自分は仕事だけを行い、杏にワンオペでの家事・育児を強いてきた。これも、子どもを放り出せないという杏の真面目さに甘えていたのだろう。杏はこのような生活の中、ドラマ撮影にも臨んでいたため、睡眠不足と疲労から来るめまいに悩んでいたそうだが、それでも東出は杏に甘えるばかりで、ひそかに唐田と不倫の恋を楽しんでいたわけだ。

 また東出は離婚後、仕事が激減したこともあり、養育費は子ども1人に対して月に1万円と「女性セブン」(小学館)に報じられていた。幸か不幸か、杏は仕事が順調なので、お子さんたちに直接的な影響はないだろうが、杏との結婚は解消されても、父親として果たさなくてはいけない責任があるはずだ。杏の経済力に甘えて、清貧気取りで山に籠っていないで、ほかにやるべきことがあるのではないだろうか。

 人の性格というのは早々変わらないので、今後も東出は、次々に現れる“彼を甘やかしたい人”に対し、相手が限界を迎えるまで甘えていくのだと思う。それは個人の生き方だから、他人がとやかく言うことではないが、本稿をお読みの方には、「手を差し伸べた時に『もっと、もっと』と甘えてくる人には、性別問わず気をつけて」と申し上げたい。

Cocomiのアドバイスを聞き入れない工藤静香――「娘に折れない母」と「融通の利かない長女」の関係

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<今週の有名人>
「せっかく娘が『やめな』と言ってくれるんだけど」工藤静香
『SONGS』(9月22日、NHK)

 みなさんは、工藤静香のインスタグラムをご覧になったことがあるだろうか。プロフィールにある「ファンの方々への、30周年の感謝の気持ちを込めてはじめさせていただきました」という言葉から考えると、インスタは、「歌手・工藤静香」としての活動といえるだろう。しかし、よく見ていくと、そこにはファンへの感謝だけでなく母心がにじんでいるように思えてならない。

 長女Cocomiと次女Koki,が、それぞれクリスチャン・ディオールとブルガリのアンバサダーを務めているからだろうか、工藤サンは同ブランドのアクセサリーや服をよく身に着け、インスタに写真をアップしている。娘たち2人は芸能人としては駆け出しで、知名度の点ではまだ工藤サンに及ばない。工藤サンのインスタといえば、更新されるたびにネットニュースとなり、一気に拡散されるのが常だけに、彼女は投稿を通して、娘たちの援護射撃をしているといえるのではないか。

 母親が娘の活動を応援するというのは、一般には望ましい姿とされる。ただし、工藤サンに関しては、ちょっと難しい部分もあるのではないだろうか。なぜなら、工藤サンはスターだから。「私は自分自身の努力でスターになった」「私のやり方は正しい」という自負があるだろうし、フツウの人が到底持ちえない人脈など、有形無形の財産を持っているはず。そんなスターの母親と、駆け出しの娘たちとでは、権力差がありすぎる。

 娘たちが「ママの言うことは正しいんだ、絶対なんだ」と思えているうちはいいが、「確かにママはスターで尊敬しているが、だからといって、言っていることが全部正しいとは限らないのでは?」というような疑問を持ったときに、権力の差があるため娘たちの意見が通らず、亀裂が生じる気がするのである。

 亀裂といえば、工藤サンは10代の頃、『ザ・ベストテン』(TBS系)で、「好きな人には絶対口答えしない」と、男ファーストであることを明かし、好きな男の言うことを全肯定することで、亀裂が生じるのを防ぐかのような発言をしていた。

 工藤サン、今もその考えに変わりはないようで、坂本美雨がパーソナリティを務めるラジオ番組『ディアフレンズ』(TOKYO FM)の2021年3月21日放送回に出演した際、リスナーからの「ケンカした時の対処法は?」という質問に対し、おそらく夫・木村拓哉の存在を意識しながら、「簡単ですね。『コーヒー飲む?』とか声かけます。私、めちゃくちゃ折れまくりです。もう工藤折れ香ですよ、めっちゃ折れます」と答えている。

 自分が折れること強調しているということは、「本当は折れたくないけれど」という気持ちがあるからだろう。折れたくないけれど、惚れたオトコの前では折れる。それが工藤サンの流儀なのかもしれない。

 しかし、娘に対してはそうでもないようだ。

 9月22日放送の『SONGS』(NHK)で、Cocomiと共演した工藤サン。「娘に(歌い方について)『伸ばしているのが長いから、ほかの音と当たるから、あまり伸ばさないほうがいいんじゃない?』と言われたことがあって。『あー、そうなんだ。ありがとう』って言いながら、伸ばしましたけどね」とCocomiのアドバイスを聞き入れなかったエピソードを披露。

 「そこはちょっと、自分のやってきたことを貫きたい。せっかく娘が『やめな』といってくれるんだけど、伸ばしましたね」と、“御意見無用”の理由を説明してみせた。

 Cocomiは音大生であり、彼女の指摘が見当違いなものとは考えにくいだけに、こんなところにも、工藤サンと娘にいつか亀裂が生じるのではないかという不安を感じてしまうのである。

 また、Cocomiの言動を見るに、Koki,より彼女のほうが母親とぶつかりそうだとも思ってしまう。

 日常生活を共にしていれば、自分の母親が、娘の指摘を受け入れるタイプか否かは簡単に判断できるはずなのに、ちょっと険悪になりそうなことも真面目に言ってしまう。Cocomiは、そんな融通の利かない「長女体質」を持っているといえないだろうか。

 「長女」とは、親にとって初めて生まれた女の子を指す言葉だが、性格を表す時に使われることもある。人が「〇〇ちゃんって長女っぽい」と言うとき、多くの場合は、母親のお手伝いをして、わがままを言わないしっかり者、でも真面目すぎて甘えベタ、要領が悪いといった意味で、「損する存在」の代名詞としても使われる。

 Cocomiが工藤サンから愛情深く育てられたことは疑う余地はないものの、「ザ・長女だなぁ」と思わされることが多々ある。例えば、Cocomiは母の日のインスタグラムで、「母とはいつも喧嘩してばかり 思ってもいないことを言ってしまったりして いつも私のためにしてくれるすべてに感謝したいです」とつづっていた。

 どこの親子でもけんかくらいするが、工藤サンがインスタで娘への愛を語り、「優しいお母さん」を印象づけている以上、「喧嘩してばかり」はお母さんのイメージを下げかねない情報だろう。彼女の「嘘がつけない」というか、「バカ真面目」な部分は、「ザ・長女」といえ、そこが母娘の衝突の原因になる可能性があるのだ。

 ちなみに妹のKokiは、デビュー当時から、「母のような女性になりたい」「好きな食べ物は、母の手料理」と公的な場で工藤サンを褒め続けている。もちろん本心だろうが、CocomiとKoki,の発言を比べると、工藤サンがうれしいと感じるのはKoki,発言ではなかろうか。工藤サンはよくKoki,が作ってくれたという朝食の画像をインスタにアップしており、やはりCocomiよりKoki,のほうが、母親にかわいがられるのが上手なタイプのように思えてしまう。

 このように、私は工藤サンとCocomiの関係が気になるわけだが、幸いというべきか、Cocomiはフルート奏者であり、工藤サンとは活動のジャンルが違う。クラシックの世界でも、知名度があることは大事だろうから、工藤サンの娘として知名度を高めつつ、母以外の尊敬できる師を見つけて頑張ってほしい。全国の長女は、あなたを応援しています。

浜崎あゆみと松浦勝人氏の感覚は「90年代で止まっている」――2人のハグ写真に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「会いたかった人だらけで、なかなか自分の席まで辿り着けないぱてぃーん」浜崎あゆみ
(浜崎あゆみインスタグラム、9月20日)

 浜崎あゆみが9月20日にインスタグラムを更新した。お台場で開かれたダンスミュージックフェス『ウルトラジャパン2022』を訪れた浜崎は、「会いたかった人だらけで、なかなか自分の席まで辿り着けないぱてぃーん」とつづり、レコード会社「エイベックス」代表取締役会長・松浦勝人氏とハグする様子をアップしている。私はこの文面と2人の“ノリ”に気になるところがあった。

 松浦氏といえば、大学時代に貸しレコード店でアルバイトをしており、そこで知り合った仲間と一緒に、レコードとCDの輸入卸売業を始め、その後、一代でエイベックスという音楽帝国を作り上げた人物である。

 音楽プロデューサー・小室哲哉氏の絶頂期だった1990年代、彼が手掛けるアーティストばかりが売れていた中、松浦氏が「小室氏を介さず、自社でアーティストを育てたい」と見いだしたのが浜崎だった。

 浜崎はその期待に応えて、見事大ブレークを果たし、2人はプライベートでも交際を開始。しかし、その関係は3年あまりでピリオドが打たれ、松浦氏はモデル女性と結婚・離婚しており、一方の浜崎はオーストリア出身のモデル、アメリカ・UCLAの大学院生とそれぞれ結婚し、離婚。2019年、21年には、パートナーと結婚という形を取らずに、子どもを出産した。

 このように、別々の方向に進んだはずの2人だが、最近は松浦氏のYouTubeチャンネルや浜崎のインスタグラムでの“共演”が目立つ。あまり芸能界で元カップルが共演することはないからか、ネット上には「家族を超えた関係」というような好意的な書き込みも見られたが、私は違う解釈をした。2人が見ているのは相手ではなく、「若かった頃の自分」なのではないだろうか。

 松浦氏のYouTubeチャンネルや、浜崎のインスタを見ていると、2人とも服装が全盛時と似通っているために、かえって寄る年波が明らかになっているように見える。巷間、人は自分の全盛期のファッションを引きずってしまうというだけに、それも致し方ないし、好きな服を着ればいいのだが、2人は感覚そのものが、90年代で止まっていやしないかと感じるのだ。

 その理由は、松浦氏と浜崎にとって、90年代が特別すぎる時代だったからだろう。

 松浦氏と浜崎のように、仕事でも恋愛でもパートナーである場合、仕事の成功が恋愛を盛り上げるものだ。2人で取り組んだ仕事がうまくいけば、お金と地位が手に入り、「才能がある」というお墨付きを得られ、その結果、より大きな仕事や夢に挑戦できるようになる。こうした成功が、相手への思い入れを強め、恋愛の充足感を高めるのは想像に難くない。

 芸能の仕事は、売れればケタ違いの名声を得られる世界であることを踏まえると、それに付随する恋愛の盛り上がりも圧倒的だったはず。松浦氏と浜崎は、そんな稀有な経験をしたであろう若かりし90年代に、立ち止まったままな気がするのだ。

 2人は結局別れたが、別離で必要以上に痛手を負わなかったことが、90年代をよりいいものだったと思わせているのかもしれない。小室氏と華原朋美も、仕事とプライベートでパートナー関係を築いていたが、別離をきっかけに小室氏が曲の提供をやめてしまい、華原は大きな傷を負った。それが芸能界では当たり前のことなのか、私にはわからないが、松浦氏は小室氏のように薄情ではなかったようで、関係が終わっても浜崎を冷遇することはなかった。むしろ、別離はある意味、浜崎の魅力の一つである「歌詞」のネタとして、うまく昇華されたのかもしれない。

 誰しも「若い頃はよかった」と思うことはあって、変に魔が差して、若い頃の恋人に連絡を取ってしまった経験を持つ人もいるだろう。しかし、この2人の場合、なにせケタ違いの成功を収め、それに伴う恋愛の高揚を知っていそうなだけに、感覚が90年代で止まっていたとしても無理からぬことなのではないか。

 そんな2人は現在、松浦氏が57歳、浜崎が43歳。松浦氏は年齢的にこのままでいくのだろうが、浜崎は自分が若かった90年代の感覚を脱する機会はあるように思う。

 孔子の「論語」に「四十にして惑わず」という言葉があることから、40代は不惑と呼ばれる。「論語」の生まれた時代と今とでは、社会のあり方も平均寿命もまったく違うので、単純に比べることはできないが、私に言わせると、現代の40代は「惑う時期」というか、「魔の時」に当たる。

 40代というのは不思議な年齢で、若くはないが、本格的に老いているともいえない、中途半端な年代だと思う。浜崎といえば、自己プロデュース力に定評があるものの、さすがに40代を迎えて、若かった頃の90年代のノリを続けていくべきか、それとも新しさを出していくかは、迷いどころなのかもしれない。

 古くからのファンは、全盛期の感覚を保つ彼女を応援しているのだろうか。しかし、彼女の全盛期を知る身として一つ言わせてもらうなら、もし浜崎が「若い」と「新しい」をイコールと考えているのであれば、それは違うということ。40代のシックな浜崎もまた「新しい」わけで、そんな彼女を見たいのは、私だけではないように思う。