『あちこちオードリー』小籔千豊は丸くなった? 時代に即した“説教芸”のあり方

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「男前じゃないのにモテたくてしゃーないヤツ」小籔千豊

 仕事としてテレビをずっと見続けていると、売れた芸能人の底力のようなものを感じることがよくある。自分の持ち味が時代に合わなくなったとしても、見せ方を変えることができれば、生き延びていける。その成功例の筆頭は有吉弘行だと思うが、小籔千豊もうまく“モデルチェンジ”しているなと、2月8日放送『あちこちオードリー』(テレビ東京系)を見て思った。

 小籔といえば、番組で自分の爪痕を残すために必死で、周りが見えていないグラビアアイドルを厳しく叱る姿の印象が強い。よく使う表現は「しょーもない」「あいつ、イキってる」。ほかにも、「親孝行しろ」「子どもが結婚式のときにどんなあいさつをするかで子育ての成否が決まる」「ハロウィンをやるくらいなら花まつり(お釈迦さまの誕生日)を祝え」といった持論を展開するのも特徴的だ。

 こういった小籔の言動から判断するに、彼は保守的な価値観の持ち主と見ていいだろう。小籔が出演していた『ざっくりハイタッチ!』(同)で、共演者のフットボールアワー・後藤輝基には「思想が強い」とツッコまれていたが、この“偏り”、そこから生まれる説教こそが、小籔の魅力の一つといえる。

 ただ、これもれっきとした個性ではあるものの、あらゆるハラスメントに「NO」が突き付けられる今の時代において、小籔の芸風は少々分が悪い。なぜなら、小籔の説教が若者に対するパワハラと捉えられかねないからだ。ただ、それを捨て去ると、小籔の魅力は減ってしまう。さて、彼はどうするか――。

 しかし、そんな心配はまったく不要だった。小籔は「個性を生かしながらも、時代に即した見せ方」をとっくに確立していたようだ。端的にいうと、若い人の話をしっかり聞き、時に説教する場面でも相手を責めすぎず、「これは、自分の考えを押し付けているわけではなく、あなたのため、全体のために言っている」というスタンスを明らかにすることで、世間から反感を買わない芸風を成立させていた。

 この日の『あちこちオードリー』のゲストは、劇団ダウ90000主宰の蓮見翔と小籔の2人。小籔の立ち居振る舞いは、やはり過去のそれとは変化しているように感じた。

 例えば、小籔はかなり年下である売れっ子の蓮見に対し、先輩風を吹かせることもなく、むやみにツッコむこともなく、体をきちんと蓮見側に向けて、真剣に話を聞いていた。その昔、小籔は吉本の後輩や若い人の話を聞く時、下を向いたままのことが珍しくなかった(おそらく気心が知れているからだろうが)と記憶しているから、過去と今では雲泥の差といえるのではないか。

 また、下の世代にキツいことを言う際、その“理由”を明らかにした点も、ただ言いっぱなしにしていた過去に比べ、変わったなと思った。

 小籔は、吉本新喜劇の座長になってすぐに、大勢の前で「『私、俺、出番ないやん』と思ったり、『あの役はホンマやったら俺の役ちゃうか、あいつばかり何で使ってるんですか』と思う奴いたら、全然言うてこい。この役やったら、負けへんていうのがあったら、全然言うてこい。絶対1回か2回使う」と“売り込み”を歓迎したという。しかし、「その代わり、それでスベったら一生使わん」と達成すべき壁を明示したところ、小籔いわく「誰も(不平不満を)言うてこなくなった」そうだ。

 昭和のスポコン的な話だけに、時代錯誤と受け取られかねないが、小籔は続けて「野球選手かて、そういうことやん。二軍でずっと振ってて一軍に呼ばれて、打ったらスタメンになるけど、大事なところで三振したらそれは……。一緒やから」と、プロの世界ならではの構造を説明して、「(だから若い世代は)甘えてんねん」とお説教で締めた。

 いきなり「最近の若者は甘えてる、やる気がない」などと突き放さず、若手の将来を見据えながら、なぜそう感じるのかを丁寧に説明を重ねた上で、キツいことを言う――それが今の小籔スタイルなのではないか。

 一方で、小籔はキツいことを言うばかりではない。

 蓮見は今、仕事のオファーがたくさん来ているにもかかわらず、劇団員がイマイチ努力しないと嘆くが、小籔は「モチベーション、人間全員が揃うことなんてない」「全員が蓮見さんと同じモチベーションで能力あったら、めちゃくちゃケンカしてる」と、やる気がない人がいるからこそ、劇団の平和が保たれ、蓮見のやりたい仕事ができていると分析しつつ、下の立場である劇団員をかばった。これもまた小籔の新たな一面のようにも思った。

 そんな小籔はこの話に続けて、人にはいろいろなタイプがいて、モチベーションも異なると説明し、具体例として「能力ないのにモチベーションが高いヤツ」「努力しないのに売れたくてしゃーないヤツ」「男前じゃないのにモテたくてしゃーないヤツ、一番タチ悪い」と毒舌を披露した。

 3つ目の「男前じゃないのにモテたくてしゃーないヤツ」は、劇団とは直接関係ない気もするし、男前じゃなくてもモテたいと思うのは悪いことではないが、誰かをかばった上での毒舌なら、キツすぎないため、世間から好意的に受け入れられるのではないか。また、「うまい」と思ったのは、吉本新喜劇には女性の劇団員もいるが、「美人じゃないのに」と切り出さなかったことだ。

 小籔といえばかつて、今では女性蔑視と批判されかねないような発言をよくしていた。例えば、「いい年こいた美魔女をチヤホヤする国に未来はない」。その理由の一つとして「白髪染めも我慢して、自分磨きのお金を子どもの塾代にしているおばはんもおるわけです。そのおばはんも賛美する逆側の意見もないと」と挙げていたのだ。

 なんとなく正論のような気もするが、美魔女が美を保つための費用をどうねん出するかは、人それぞれ。自分で稼いだお金をつぎ込む人もいれば、夫からもらったお小遣いを使う人もいるだろう。本人もしくは家族が同意しているなら、人のカネの使い方を他人がとやかく言う権利はない。

 おそらく、かつて小籔の中には「貧しいけれど、文句も言わずに耐え忍ぶ女性が美しい」という「女性=忍従」的な価値観があったのだろう。しかし、今の時代にこの発言をしたら、小籔のイメージは下がる。それを見越してか、小藪は女性についての主張をあまりしなくなったように思う。今回の毒舌でも、女性を例に持ってこないあたり、小籔は「わかっている」のだと感じた。

 見え方、見せ方を少し変えると、全体の印象までも変わってくる。他人からの評価に納得していない人は、自分から見て「昔より丸くなった芸能人」を参考にしてみるといいのかもしれない。

貴乃花と河野景子の娘・白河れいに勧めたい「個性のなさ」が生きるあの仕事

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「お手紙を送りました」白河れい
『踊る!さんま御殿!!』(2月7日、日本テレビ系)

 親が一生涯困らないほどの財産を残してくれるとか、世襲制の仕事で身分が安定しているのならいいが、そこまでではないのなら、有名人の子どもというのは案外生きづらさを背負っているのではないかと思ってしまう。

 例えば、平成の大横綱で、元貴乃花親方の貴乃花光司氏と元フジテレビ女子アナでタレントの河野景子の長男・花田優一。彼は相撲の道を選ばず、靴職人としてメディアに登場したものの、いつしかタレントや歌手、画家としても活動を始め、現在、迷走気味。別の道であれ、偉大すぎる父を追い越そうともがき苦しんでいるように見える。

 では、相撲の道に進んでいればよかったかといえば、そうとも言えないだろう。各界でもまた、偉大な父の存在は、優一を苦しめたはずだ。

 彼は歌舞伎俳優・中村橋之助と幼稚園からの大親友だそう。『歌舞伎 家と血と藝』(中川右介著、講談社現代新書)に詳しいが、歌舞伎俳優にとって大事なのは家柄。市川家など名門の家に生まれた子どもにはいい役がつき、片岡愛之助のように一般家庭出身で歌舞伎界入りした人は、苦労は避けられない世界だという。そう考えると、橋之助は梨園の名門・成駒屋の長男であるため、いい役がつく可能性は高い。

 しかし、優一の父親や叔父、祖父が属した角界はそうはいかない。お父さんがどんなに強くても、子ども自身が土俵の上で結果を残せなければ、上には上がれない。貴乃花氏の残した成績から考えると、仮に優一が角界に入って横綱になれたとしても「だって、あのお父さんの子どもなんだから、当然だよ」「お父さん以上に活躍してほしかった」と言われ、正当な評価は得られないのではないか 。

 そんなわけで、私は優一 にやや同情的なのだが、今度は貴乃花氏と河野の次女で、優一の妹である白河れいが芸能界入りした。

 本人は親に内緒で芸能界入りしたと言っており、2月7日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)でも、「母にも言わない状態で、今の事務所に所属して」「父とも数年会ってなくて、連絡をあまり取っていなかったので(デビューしたことを言わなかった)」「あとでお手紙を送りました」と説明。

 しかし、新人ながら、母親の古巣であるフジテレビの新番組『ぽかぽか』でいきなりレギュラーの座を獲得したことを考えると、いろいろな“お口添え”があったのではないかと想像するほうが自然だろう。

 そんな白河だが、『さんま御殿』を見るに、私には“大物二世”以外の彼女の特徴が見えなかった。 例えば、「コンプレックスに負けるなSP 有名人の密かな弱点とは」というトークテーマのもと、白河は「私は肩幅がすごい広くて、それがコンプレックスです」と告白。「そのおかげで、顔が小さく見えると言われることもあり、コンプレックスは武器になる」とオチをつけたので、うまく自身のアピールにつなげられたとも言えるが、特にインパクトがある話ではないだけに、 視聴者の印象にあまり残らないのではないだろうか。

 デビューしたばかりの新人だから、すべてがぎこちないのは当たり前なのかもしれない。けれど、あまり個性がないというか、フリートークがうまくないように感じるのだ。こう書くと、白河を下げているようだが、私はそこに、彼女が輝ける道を見た。世の中には個性がありすぎては務まらない仕事がある。そう、女子アナだ。

 きらびやかな経歴や見た目で視聴者の興味を引く一方、個性がそれほど強くないので出演者の邪魔をしない存在――そんな白河は、女子アナに向くと思う 。それに、芸能人に二世は多いが、女子アナの世界ではほぼ聞いたことがないため、「日本初の親子女子アナ」として話題を呼ぶのではないか。

 女子アナが書いた本を読むと、彼女たちにはどういうわけか、節目の時に手紙を書く傾向があることに気づく。白河も通信手段が発達した今の時代に、父親にあえて手紙を送るあたり、その女子アナ遺伝子が引き継がれているといえそうだ。

 芸能人のような華やかさがありつつも、会社員としての安定も約束されている職業である点も、世襲ではない二世には魅力的だと思う。白河自身は女優の道に進むと話しているそうだが、まだ20歳と若いのだから 、将来の仕事を一つに決めずに、いろいろなことに挑戦していただきたいものだ。

山本圭壱と結婚した西野未姫が、「超年上婚は得なし」という決めつけを覆したワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「メンタルもすごい落ち着きました」西野未姫
『あちこちオードリー』(2月1日、テレビ東京系)

 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。この日本国憲法第24条第1項は有名だが、実際問題、わが子や親せきの子などが結婚するとなると、その相手について、一言口を挟みたくなるのが人情というものではないだろうか。

 元AKB48・西野未姫(23)が、31歳年上のお笑いコンビ・極楽とんぼの山本圭壱(54)と結婚した。もし私の親しい間柄の若い子が、西野と同じように超年上の男性と結婚したいといったら、「やめておけ」と言ったと思う。

 私には、周囲の反対を押し切って、年の差婚をした友人が何人かいるが、結婚して何年かたつと、彼女たちはたいてい「老いが我慢ならない」と言い出す。50代のうちはまだ若いものの、もっと年を取ると、夫側の見た目や性的な能力はどうしても衰える。

 性格も頑固になったり、怒りっぽくなったりと扱いづらくなることも珍しくない。年を取っているから、介護だって始まるのが早い。自然の摂理からいえば、亡くなるのは超年上夫のほうが早いはずで、莫大なお金を残してくれるのならともかく、そうでないのなら、超年上夫との結婚には得はないと思ってしまうからだ。

 しかし、2月1日放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)を見て、超年上婚でも、ネガティブな決めつけはよくないな、西野はいい結婚をしたんだなと感じた。

 同番組で、西野は山本との結婚までのいきさつを語っていた。極楽とんぼが売れている頃にまだ生まれていなかった西野は、山本のことをほとんど知らなかったそうだ。山本は西野に地道なアプローチを繰り返し、例えば、西野が使っているLINEスタンプを自分も買って返信するなどしていたそうだが、彼女は「何なんだろう、このオジサン」と思っていたという。しかし、山本に経済的余裕があることに加え、西野の仕事を気に掛けてもらっているうちに、彼に対して、居心地の良さを感じるようになったそうだ。

 それでも、西野の友達は「やめなよ!」と交際に猛反対。そんなとき、西野は「軍団山本の会」に招かれる。ロンドンブーツ1号2号・田村淳、品川庄司・庄司智春、ココリコ・遠藤章造、ペナルティ・ヒデがメンバーで、西野はまだ山本と交際を決めたわけでもないのに「姉さん」呼びされ、今すぐ結婚するかのような空気になったそう。しかし、西野は驚きつつも、「山本さんがこんな後輩に愛されている姿を見て、スゴイな」と思ったそう。こうして交際が始まるが、西野いわく、2人で過ごす毎日が楽しく、「この人と結婚するのは確かだ」と感じられたという。

 そんな西野の話を受け、番組司会のオードリー・若林正恭は「最近、すごいいい顔になったよね」と言っていたが、私も同じことを思った。たいぶ前のことになるが、バラエテイ番組で目立とうと思ったのだろう、西野が空回りしている姿を何度か見たことがある。しゃべる時に顔周りで手をひらひらさせ、クセのあるしゃべり方をしていた。それでウケていればいいのだが、誰かの二番煎じのようで笑いは取れず、本人が焦ってさらに空回りして、見ていられなかった記憶がある。

 同番組の共演者・今田耕司も、西野の頑張りにモロさを感じていたようで、「そんなに頑張らんでも……」「今日収録終わって、家に帰ったら落ち込むんちゃうかな」「体形も安定しない。あれ、だいたいタレントさんの病んでるときのバロメーター」と心配していたそうだ。

 一方の西野も、自身が病んでいたことを認め、「(山本と結婚して)顔が優しくなったねとか、柔らくなったねって言われるようになって、メンタルもすごい落ち着きました」と言っていた。

 芸能界のような人気商売は、「他人にウケたい」もしくは「他人にウケる自信がある」人の集まりといえる。その分、他人の評価や世論に敏感でないと務まらないのだろうが、かといって敏感すぎると自分のメンタルが壊れてしまう。お金なら働けばどうにかなるかもしれないが、いくら大金を積んでもメンタルの安定は手に入らないことから考えると、西野は結婚で、ものすごい宝を得たのではないか。

 ひと昔前なら、お金を持っている人と結婚した女性芸能人こそが「勝ち組」という空気があったが、今はそういう玉の輿に乗った女性がもてはやされる時代でもないだろう。メンタルが安定すると、生活のささいなことでも幸福を感じられるようになるので幸福感が増し、それが仕事にもいい影響を及ぼすような気がする。

 新婚時代の幸福がずっと続かないのが結婚生活の機微といえる。あまり長続きはしないように思うが、それで離婚したとしても、後ろ指を指される時代でもない。誰かを陥れるような、心がささくれるニュースばかりの昨今、西野には“幸せキャラ”として輝いてほしい。

ryuchellはまるで「昭和のお父さん」――pecoとの離婚後、失望する人が多い理由

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「愛をちゃんとくれた」ryuchell(りゅうちぇる)
『サンデー・ジャポン』(1月22日、TBS系)

 芸能人が夫婦仲、家族仲をウリにして、それをビジネスにつなげるというのは案外リスクがあることなのかもしれない。

 夫婦仲、家族仲というのは、日々変化するもので、いい時もあれば悪い時もある。しかし、良き妻・夫、良き母・父として、ママタレ・パパタレ活動をしてしまうと、夫婦仲も家族仲も、“常に完璧な状態”を保つ義務が発生する。

 例えば、夫愛や家族愛をアピールしていたママタレが、夫の不倫報道をきっかけに離婚したとする。世間はなんとなく「この人が今まで言ってきたことはウソだったのでは?」と感じ、彼女の発言や行動そのものの信ぴょう性も低下してしまう可能性は否めないだろう。夫婦ウリ、家族ウリをしていた芸能人の“離婚後のキャラ設定”というのは、実は非常に難しいと思う。

 今、その難しさに直面しているのは、タレント・ryuchellかもしれない。2022年8月、妻のpecoと離婚したものの、「新しい家族の形」と称して、同居しながら子育てを行い、家族を続けていくと発表した。

 そんなryuchellは1月10日、自身のYouTubeチャンネルで、高校時代、お母さんに「男の人が好き」と打ち明けたことを告白。お母さんが「育て方を間違えた」と自分を責めるような反応を見せたため、ryuchellはショックを受け、お母さんを傷つけまいと「嘘だよ」とお茶をにごしてしまったそうだ。

 この「男の人が好き」発言の経緯について、ryuchellは同22日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、「本当の自分を出して、応援していただきたいと思った」と説明しているが、残念ながら、すべての人が応援してくれるとは言い難いようだ。

 それは、世間の性に対する理解が追い付いていないこともあるが、「結婚していた時のryuchell」と「現在のryuchell」では、その言動に隔たりがありすぎることも原因ではないだろうか。

 結婚時代のryuchellといえば、家族を大事にするキャラクターで売ってきた。例えばpecoは、19年10月16日付のツイートで、

「寝る前に洗濯物たたむの嫌になったわたし『これ、もう明日―!』

りゅうちぇる『そうしよっ。がんばりすぎないところもだいすきだよ』

たった今のはなし!あらためてやさしいなぁと感動してしまった」

と、ryuchellのいい夫ぶりを明かしており、多くの「いいね!」がついた。

 また、新型コロナウイルスの影響で外出自粛が求められていた20年4月、記者から「自宅での過ごし方」を問われた際には、「やっぱり子どもを第一に考えることが大事なので、子どもがストレスのないように、子どもの個性に合わせて遊びを用意してあげることを大切にしています」と、やはり良きパパぶりが伝わるコメントをしていた。

 さらに昨年4月、ウェブサイト「VERY Web」で連載していた「RYUCHELL のパパの子育て悩み相談室」でも、良き夫・良きパパぶりを発揮。“子育てを妻まかせにしてきたため、娘との接し方がわからない。異性ということもあって、より難しい”というお悩みに対して、「娘の心を摑まなきゃとあれこれ頑張るよりも まず夫婦の雰囲気を作って」「夫婦でちゃんと時間を作って仲良くする意識も持って、家族の雰囲気を作る」とアドバイスしていた。

 ryuchellのこうした発言は、家族をチームと考えていることの表れといえるのではないか。家族間で役割を固定せず、上下関係もなく、同じチームと考え、メンバー同士でいたわり合い、助け合うことでチームをよりよくする――この考え方は、ジェンダーフリーの時代にぴったりで、ryuchellは夫婦や子育てを語れるタレントとしての地位を確立していったのだ。

 しかし、インスタグラムの画像だけで判断するに、離婚後のryuchellは変わってしまったように見える。女性らしいメイクやファッションの画像が頻繁にアップされるのと反比例するかのように、今のryuchellは自分のことばかりで、離婚してもパートナーであるはずのpecoと、お子さんへの関心が薄れていると感じるのだ。

 pecoは昨年のクリスマス、インスタグラムで「もちろん家族みんなでクリスマス過ごすはずが、どうしても急遽ダダが過ごせなくなってしまって残念やったけど、ダダへの『来年はいっしょに過ごそうね!』というポジティブでやさしい声かけにまたほっこり。そんなクリスマスでした」とryuchellの不在を明かした(現在、この記述は削除されている)。

 いろいろ事情はあったと思うが、お子さんが楽しみにしていたであろうクリスマスにパパが不在とは、“芸能人として”のイメージを下げる結果となったのではないか。

 婚姻を解消しても、見た目が変わっても、元妻をいたわり、子どもを第一に考えている姿が垣間見られれば、ryuchellは「新しい家族の形」を実践していると称賛されただろう。しかし、数少ない情報で判断するなら、今のryuchellから受ける印象は、お子さんと一緒に暮らしながらも、子育てを元妻にまかせ、ファッションや外出の自由は謳歌するという“いいとこどり”。もっというと、パートナーに育児を押し付けて、自分は遊び歩く“昭和のお父さん”のように感じてしまうのだ。これは結婚していた時のryuchellと真逆の姿だけに、失望する人も多いと思われる。

 「男性が好き」と打ち明けたとき、ryuchellのお母さんは混乱したが、理解してくれたそうだ。そんなお母さんについて、ryuuchellは「愛をちゃんとくれた」と『サンデー・ジャポン』内で話していた。自分が抱いた印象にバイアスがかかっていることは否めないが、元妻や子どもについての愛は口にしないけれど、母親のすごさについて能弁なのも、なんだか昭和のマザコン男のように思えなくもない。

 今のryuchellが愛を注がなくてはいけないのは、お子さんである。加えて、一緒に子育てをするpecoのことをねぎらわらなくてはいけないはず。なので、今は自分について発信することは少し控え、大切な2人への思いを語るほうが、世間に「新しい家族の形」と認められる確率が高くなるのではないか。そんな余計なことを考えたりした。

 

フワちゃん、KARAを3時間待たせた“遅刻癖”こそ、仕事が途切れない理由である

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「本当にすみませんでした」フワちゃん
『行列のできる相談所』(1月15日、日本テレビ系)

 フワちゃんが『行列のできる相談所』(日本テレビ系)のロケで渡韓する予定だったが、パスポートを忘れたために搭乗予定の飛行機に乗れず、アイドルユニット・KARAを3時間も待たせ、番組内で「本当にすみませんでした」と謝罪した――。こんなネットニュースを見て「また?」と思った人もいるだろう。

 フワちゃんといえば、遅刻癖がたびたび報じられてきた。ブレークを果たした2020年には、「週刊女性」(主婦と生活社)が「フワちゃん、多忙すぎて遅刻連発」と報じているし、21年放送の『有吉の夏休み2021』(フジテレビ系)でも集合時間に遅刻し、有吉弘行から「時間だけは守れって言ってるの。自由にやってもいいし、敬語使わなくてもいいから」と指摘されている。が、遅刻癖は直らず、22年の『有吉の夏休み2022』に出演した際も遅刻。理由はわからないが、どうしても遅刻してしまうのがフワちゃんなのだろう。

 日本では、時間に正確な人が多く、時間は守らなくていいという考えの人はかなりの少数派だと思う。フワちゃんの遅刻を報じるネットニュースには「遅刻する人は信用できない」とか「そういう人は仕事がなくなるだろう」とかいうコメントがつけられていたが、私はまったく逆のことを思った。

 フワちゃん、仕事途切れないわけだ。

 バラエティ番組に不可欠なのは、「問題を起こす人」なのではないか。その人が起こした問題をドタバタしながらみんなで解決するという流れを生むからだ。 その時に問題を起こす人と解決する人が激しく対立すると番組が盛り上がるし、最終的にわかり合えれば「みんないい人」と視聴者に思わせることができ、双方が得をする。

 ひと昔前、バラエティで「問題を起こす人」を演じるのは「オンナに嫌われるオンナ」だった。例えば、女医タレントのさきがけである西川史子は、芸能活動を始めて間もない頃、「ブスは生きている価値がない」と発言したことがあるが、こういうオンナ叩きをするオンナの問題発言をフックに 、周囲から反論させる形で番組を作ってきたわけだ。

 しかし、今はそもそも「ブスは生きている価値がない」という発言そのものが重大なセクハラ。 それが同性からであっても女性蔑視 とみなされて“一発退場”だろう。それに、テレビに出ている人は仕事として言い争っているわけだが、フェミニズムに関心が集まる昨今、「オンナによるオンナ叩き」が口火となって、女性同士が言い争うようなシーンを忌み嫌う人もいるかもしれない。

 加えて、テレビ業界全体が番組を作るにあたり、「人を傷つけない」「人に嫌な思いをさせない」 ことを意識していることもあって、オンナによるオンナ叩きはもちろん、広く「人を傷つけ、嫌な思いをさせる言動」で 問題を起こす人を周りが叩くという従来型のバラエティの“お約束”は、通用しなくなっているといえるだろう。

 けれど、「問題を起こす人」がいないと、番組が始まらないことも事実なのである。となると「問題は起こすが、人を傷つけず、嫌な思いをさせない人」が必要になってくる。そう考えた時、遅刻するフワちゃんは、この上なく適した人材ではないだろうか。

 テレビに出だした頃のフワちゃんは、大御所を前にしてもタメ口でいくキャラで売っていたが、これは他人に迷惑をかけたり、嫌な思いをさせかねない 。どういうことかというと、タメ口をきかれた大御所がちょっとでもムッとした顔をしたとする。大御所の反応は、「礼儀」をベースに考えるとおかしなことではないが、視聴者の中には「タメ口をきかれたくらいでムッとするなんて大人げない」「威張っている」と見る人もいるだろう。

 大御所がタメ口大歓迎のスタンスでないとフワちゃんの芸は成立しないわけで、これは相手にとって負担や迷惑をかけることにつながりかねず、長続きしない芸風なのだ。

 しかし、遅刻は違う。悪いのは明らかにフワちゃんだから、周囲も批判しやすいし、タメ口のように他人のイメージを下げる心配はない。もちろん、現場に迷惑をかけただろうが、「フワちゃんが遅刻した」こと自体がコンテンツとなり得るし、ネットニュースになる可能性も生じることを考えると、番組に貢献しているし、共演者にとってもプラスになる といえるのではないか。

 ネット民は叩く人を常に探しているから、このニュースに食いつき、その結果、フワちゃんは「注目を集める人」としての地位を固めることができるのだろう。私にとってフワちゃんは「ちょうどいい問題を起こす人」のように思えるのだ。

 常習的に遅刻する人はあまりいないので、 ほかのタレントと競合しないのもキャラとしていいのではないか。しかし、そうはいっても度が過ぎると、仕事にも悪影響を及ぼすことは想像に難くない。フワちゃんには、今後も「ちょうどよい遅刻」をしてほしいものだ。

西山茉希、皇治との再婚は慎重に――「子どもよりオトコを選んだ」イメージが今の時代に致命的なワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「OKするのが西山茉希」西山茉希
『ダウンタウンDX』(1月5日、日本テレビ系)

 一昔前、女性芸能人は「愛される」ことに意味があった。なので、 結婚した女性芸能人が“勝ち組”で、離婚経験者や独身女性は“負け組”というように自動的にくくられていたといっていいだろう。勝ち組の中でも、特に社会的地位が高いとか裕福な男性と結婚した女性タレントは、“上”に見られた。 そう考えると、かつて女性芸能人は、「誰に愛されるか」で評価されていたのだと思う。

 しかし、今の時代の女性芸能人はそれよりも「どう愛すか」が重視されているように感じる。

 例えば、モデルの亜希。2000年に、当時現役のプロ野球選手だった清原和博氏と結婚。その後、「STORY」(光文社)の表紙モデルに抜てきされ、お子さん2人を「お受験界のトウダイ」と呼ばれる名門校に合格させた。11年には「ベストマザー賞文化部門」も受賞し、まさにこの世の春だったろうが、一方で清原氏の不倫や素行不良が週刊誌にたびたび報道されていた。

 14年、「週刊文春」(文藝春秋)が清原氏の違法薬物使用疑惑を報じると、2人は離婚。清原氏は16年、実際に覚醒剤取締法違反で逮捕されている。「社会的地位の高いオトコに愛されることが勝ち組」の考え方でいうのなら、国民的スーパースターの妻から、犯罪者の元妻になってしまった彼女は“転落”したのかもしれない。

 しかし、彼女のモデルとしての人気は落ちることなく、アパレルブランド「AK+1」のディレクターとして活躍するほか、YouTubeチャンネル「亜希の母ちゃん食堂」やインスタグラムで公開しているお子さんへのお弁当も人気だ。大衆は、彼女を「元・国民的スーパースターの妻」ではなく、「2人のお子さんを愛情深くしっかり育てるシングルマザー」と見ているため、人気が落ちないのではないだろうか。

 なお、亜希のお子さんが清原氏に野球のコーチを頼んだことで、親子の、そして元夫婦の交流が自然な形で復活したそう。昨年大みそか、亜希はインスタグラムのストーリーズで、清原氏を含めた4人の画像を公開。離婚した元夫も、家族の一員として愛するという亜希のスタンスが垣間見えた。

 梨園の名門・成駒屋に嫁いだ三田寛子もまた、「誰に愛されるか」ではなく、「どう愛すか」を評価されている女性の一人だろう。 16年、夫が「中村芝翫」を、3人の子どもたちがそれぞれ「橋之助」「福之助」「歌之助」を、4人同時に襲名するという歌舞伎史上初の偉業を成し遂げたが、襲名直前に芝翫の不倫が発覚した。

 この一回で済めばよかったものの、その後も、芝翫の不倫報道は続き、「週刊ポスト」22年9月9日号(小学館)によると、三田は芝翫と別居中だと認めている。これまた従来の価値観でいえば、「梨園のプリンスに見初められ結婚し、梨園一の賢夫人となったが、今はオンナとして愛されない」 とネガティブに見られそうなものだが、辛口で有名な「Yahoo!ニュース」のコメント欄も、彼女を擁護する声であふれている。

 それはやはり、三田がまず何より子どもたちを愛していることが伝わってくるからだろう。 彼女はインスタグラムを開設し、毎日のように子どもたちの舞台の告知と彼らへの愛をつづっている。一方、芝翫のことにはほとんど触れていないが、三田は梨園の妻としての仕事もおろそかにしていないそうだし、お子さんの誕生日を芝翫とともに祝うなど、距離を保ちつつも、家族を続けている。これもまた彼女なりの家族の愛し方なのだろう。

 まもなく早稲田大学受験を控えた小倉優子も、同様ではないか。再婚相手の歯科医と別居した際は、ネットに「可愛くて、料理もうまいのに、夫が家を出るなんて 、どれだけ性格に難ありなのか」という書き込みが見られた。しかし、離婚が成立し、やはり3人のお子さんを愛情たっぷりに 育てながら、大学受験に挑む彼女について、そういうことを言う人はほとんどいなくなったように思う。

 結婚しようが、離婚しようが、そこは問題ではなく、夫がどうあろうとも関係ない。 妻として母として、どれだけ家族に対し、一生懸命やれることをやっているかが評価される今の時代。女性芸能人たちの「愛し方」に世間の注目が集まり、そこが共感のポイントになるとするのなら、逆に「愛し方が適当、だらしない」ことこそ、人気を落とすきっかけになるのではないか。

 その場合、1月5日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演したモデル・西山茉希は、残念ながら、共感されないポジションに落ち着いてしまうのかもしれない。

 西山といえば、13年に俳優・早乙女太一と結婚し、2人のお子さんを授かったが、19年に離婚している。結婚前、「女性自身」(光文社)に、2人が路上で大げんかする姿を報じられたこともあって、意外性のある離婚ではなかったように思う。

 シングルマザーとなった西山は、その後、格闘家・皇治と交際に発展。2人がお子さんや友人らと共に食事をした後、深夜に路チューしていたと、「フライデー」22年9月30日・10月7日号(講談社)に報じられた。

 深夜までお子さんを連れ出す西山を非難する人もいたため、彼女はYouTubeチャンネル「西山茉希の#俺流チャンネル」で謝罪。しかし、西山は独身なわけだし、毎日深夜まで外出しているわけではないのだから、そのような外野の声は 放っておけと言いたいところだ。

 それよりも問題なのは、相手選びではないだろうか。路チューの相手・皇治は「モテてしゃ~ない♪」が売り文句だそうで、同誌によると、ほかの有名人とも浮名を流し、別の日には一般人女性ともキスをしていたそうだ。

 交際イコール結婚ではないが、『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した西山は「再婚はしたい」といい、同番組司会のダウンタウン・浜田雅功に「再婚しようやと言われたらOKなの?」と聞かれ、「OKするのが西山茉希みたいなところありません?」と発言した。

 共演者のダレノガレ明美は「やめたほうがいい」、ヒコロヒーは「事務所の先輩にクロちゃんっていうのがいるんですけど、ギリギリ、黒川(クロちゃん)のほうが(皇治より結婚相手としては)上」と西山を応援しない。「誰も(2人の結婚を)大丈夫と言ってくれないまま、帰る」とボヤいていたところを見ると、西山は本気で皇治と結婚したいの ではないだろうか。

 「シングルマザーは恋愛するな」というつもりは毛頭ないが、もし結婚を見据えての恋愛なら、それなりに慎重さが必要だと思う。皇治はまだ若く、「モテてしゃ~ない♪」というキャッチフレーズを掲げている以上、モテることは“お仕事”だから、女性の影は常にちらつくことだろう。

 こういう人が西山と再婚して、2人のお子さんとうまくやっていけるか疑問に思う。それに、再婚して夫婦間でトラブルが発生した場合、 「子どもよりオトコを選んだ末に失敗した」という致命的な イメージがついてしまうのではないか。離婚したからといって、イメージダウンする時代ではないが、「愛し方」が問われる今、恋にトチ狂ってお子さんをないがしろにしている人という印象を与えるのは、彼女にとってマイナスだ。

 おそらく、西山は「結婚に向かない男性」が好きなのだと思う。しかし、母親として子どもを守るために 、また芸能人としてのイメージを保つためにも、どうかゆっくりゆっくり時間をかけて結論を出していただきたいものだ。

ジャガー横田の夫と息子は、SNSの魔力に取り憑かれている――ファミリーチャンネル閉鎖で彼らが身を持って知るべきこと

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「今日で終わりにしたいと思います」ジャガー横田
「ジャガー横田ファミリーチャンネル」1月1日

 有名人になりたい。誰もが、人生で一度くらいは、こんな願望を持つことがあるのではないだろうか。しかし、有名人になるには、世間サマをうならせるような業績を上げなければならないし、大衆に幅広く愛されるキャラクターも必要となる。言うまでもなく、これらを成し遂げることは並大抵のことではなく、有名人になりたいと思いつつ、実際は平凡な一般人として生きていく人がほとんどだろう。

 しかし、SNSの出現で「有名人になる方法」は多様化した。最近では、芸能事務所に所属しないズブのシロウトでも、SNSの投稿がバズり、閲覧・視聴回数が伸びれば、有名人に仲間入りできる。この新たな「有名人になる方法」は、旧来の「本業でコツコツ実績を積み上げて結果を出す」――例えば、プロテストに合格して歌手になり、CDの売り上げ100万枚を達成して有名人になる方法よりかは、はるかに易しいはずだ。

 しかし、そうは言っても、多くの人が「見たい」と思うものをSNSでコンスタントに提供するのは、簡単なことではない。そこで、多くの人が手を出してしまうのが炎上商法ではないだろうか。世間サマに叩かれるような投稿で、閲覧数や視聴回数を稼ぐ。ネットニュースになれば、さらに数字は伸びるだろう。「自分の目論見が当たって、投稿が世間にウケた」という達成感と万能感はクセになり、数字を取ることに夢中になってしまったとしてもおかしくはない。しかし、実績のない者の炎上商法は、あっという間に飽きられてしまうという危険性もある。

 私から見て、ジャガー横田の夫で医師の木下博勝氏と一人息子の大維志くんは、SNSの魔力に取り憑かれ、炎上商法に手を染めているように思えてならない。

 ジャガーファミリーといえば、大維志くんの高校受験の結果を、SNSを通じてオンタイムで報告したことにより話題となった。合格の報告ならともかく、不合格が続いて進学先がなくなるのではと危ぶまれたこともある。

 当然、ネット上では、「こんな時にSNSをやっている場合ではない」という声が上がったが、木下氏は「これからはすべてをさらけだす時代」と説明し、受験の間だけでも、息子をSNSから引き離すことをしなかった。お子さんの身辺を静かにして受験に集中させることよりも、日本中に注目されている状態が気持ちよかったのではないだろうか。

 無事に高校生となっても、「寮母のメシがマズイ」など、炎上発言を繰り返す大維志くん。ジャガーはSNSで世間サマに謝罪するも、息子に対してきちんと言い含めた形跡はなく、一方の木下氏は息子の発言に対し、「(寮母さんが)見てるかもわからんだろ」とどこかズレた諫め方をしている。

 常識に基づき、世間に謝罪するけれど、息子に対して影響力がない「母親」と、屁理屈をこねて絶対に謝らない「父親」、母親を無視して父親に従う「息子」――SNSはこの家族のいびつな一面をさらけだしたようにも思える。

 昨年末、大維志くんは足の手術のために入院したものの、なぜか病名を「肝硬変」とSNSで報告。おそらく注目を集めたいがゆえの冗談だったのだろうが、健康体に見えた彼が大病を患っていると信じてしまった人もいて、大炎上した。

 例によってジャガーは、SNSで「紛らわしく『肝硬変』だなんて!ジョークにもならない笑えないジョークは止めなさい!と注意しているんですが…本当に失礼いたしました」と謝罪。

 一方の木下氏はSNSの生配信で「肝硬変と言っていい気分はしないですよ。だけど、どうしても言いたくない事情があったんですよ。記者の人にお願いしたいんですけど、記事にするときはいろいろ考えて記事にしていただけないでしょうか」と、これまた恒例の「謝らない」かつ、記事化したほうに問題があるような責任転嫁的な言い方をしている。

 ある意味、この家族の日常風景といえるが、ジャガーは今年の元日にYouTube「ジャガー横田ファミリーチャンネル」を終了すると発表した。

 「お子さんをSNSから遠ざけるために、YouTubeチャンネルの閉鎖は望ましい」といった書き込みを見つけたけれど、私は違う意味で閉鎖は「いいこと」だと思う。おそらく、木下氏や大維志くんは今後もSNSで活動し続けるだろう。注目される喜びを知ってしまった彼らが、SNSのない世界で生活していけるとは思えないからだ。そう考えると、今回の閉鎖は、「ジャガー横田」という“有名人ブランド”がない状態で、どこまで自分たちが通用するかを試すチャンスになるのではないだろうか。

 「ジャガー横田ファミリーチャンネル」という名前が示す通り、このチャンネルのキーパーソンはジャガーだった。女子プロレス界のレジェンドとして知名度があり、ファンも多いジャガーに集客してもらって、木下氏や大維志くんはYouTube活動ができたわけだ。

 木下氏もしくは大維志くんが世間を悪い意味でザワつかせ、「非常識だ」という声が上がると、ジャガーに頭を下げさせることで何とか体裁を保ってきた。しかし、ジャガーがいなくなったとき、世間サマはどれだけ自分たちに注目してくれるのか、自分たちを信頼に足る人物とみなしてくれる人はいるのか――彼らは身をもって知るべきだと思う。一過性の炎上に頼ることなく、数字を稼ぎ続けることができたら、彼らは真の有名人といっていいのではないだろうか。

『あちこちオードリー』若林正恭、「人を傷つけない」ための過剰な気遣いが生んだ“嫌なシニカル”

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「テレビ局が教育してくれよ」オードリー・若林正恭
『あちこちオードリー』(12月21日放送、テレビ東京系)

 「キャラ」という武器を引っ提げてテレビの世界に挑み、人気を得た芸人は少なくない。しかし、だからといって、安心はできないだろう。なぜなら、自分も時代も変わるからだ。

 例えば、ダメ男とばかり付き合い、痛い目に遭ってきた経験をウリにする恋愛ベタキャラのオンナ芸人が結婚したら、もうこのキャラは使えない。また、「ブス」「ババア」というように女性をイジる芸風で人気を博した毒舌キャラのオトコ芸人も、コンプライアンスを重んじる今の時代には合っていないので、このやり方はもう通用しない。

 現在の自分に即した個性を発揮しつつ、時代と乖離しない芸風を貫くというのは、口で言うほど簡単なことではないが、特にシニカルな芸風が評価され、売れっ子になった人にとっては、かなりの難所だろう。「人を傷つけない笑い」がよいとされる時代、シニカルな物言いが「人を傷つける」として、世間に受け入れられない可能性は十分にあるし、加えて売れっ子という立場でそれをやると、さらに嫌みな印象を与えかねない。かといって、シニカルさを捨ててしまうと、個性が死んでしまう。

 現在の立場と時代、そして芸風のはざまで、オードリー・若林正恭は時々こんがらがっているように見えることがある。彼はまさに、シニカルな芸風が受けて、人気を博すようになった売れっ子芸人だが、「人を傷つけない」ようにと過剰に気を使うことで、逆に嫌な意味でのシニカルさが前に出てしまっていないだろうか。

 例えば、12月14日放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)。ゲストは相席スタート・山添寛、岡野陽一、ザ・マミィ・酒井貴士で、彼らはギャンブルで散財していることから「クズ芸人」と呼ばれることもある。

 しかし、若林は「人の目を気にせず、自由に生きているように見える」ことから、彼らに憧れているという。若林のような売れっ子芸人に評価されて、「クズ芸人」たちもうれしいだろうが、その理由がちょっと“微妙”なのだ。

 若林は、彼らを好きな理由について「たまに『あちこちオードリー』で、『うまいこと自己プロデュースして、もう1ランク上へ』って目をしている人がいるけど、3人はそういう目をしていない」と説明し、芸人が「賢くなってきて、戦略練って先々まで(考えて)生きてる」中、3人は「今を生きてる」とも指摘。自分より売れていない、「クズ芸人」と呼ばれる彼らを傷つけないよう、ほかのタレントをシニカルに腐したわけだ。

 しかし、それって結局、若林は「どんなことをしてでも、上に行こうと思っている芸人が嫌い」ということではないだろうか。芸人がどうにかして売れたいと願うことは、まったくおかしなことではなく、そこを勝ち抜いて今の地位を得た若林なら、なりふり構わず頑張る芸人の姿に、ある程度の理解を示してもよいと思う。

 若林の物言いは、彼の「社会的な上下に厳しく、自分が上でいることに固執するあまり、積極的に売れようとしない下をかわいがるという冷酷な一面」を露呈させてしまったように感じられ、これは行きすぎたシニカルで、見ていてあまり気持ちいいものではなかった。

 しかし、12月21日放送の同番組では、若林のシニカルさがいい意味で光っていた。若林は、「怒りにくい時代だと思う、年上が年下のことを」「俺らと同年代とか、30代後半、40代の人って下を怒れないと思うのよ」と切り出し、こんなエピソードを披露したのだ。

 20代のフロアディレクターが、若林の相方・春日俊彰に対してタメ口を使っていたところを見た若林は、「なんかよくないな」と感じたそう。そこで、「キミって帰国子女?」と聞いたところ、相手から「違いますよ。なんでですか?」と逆に質問され、「いや、春日にタメ口きいていたから、帰国子女かなと思った」と返答。相手は、若林の意図するところを察知し、「あ……すいません」と謝ってきたという。

 売れっ子の芸人とテレビ局スタッフ、どちらの立場が“上”かは私にはわからないが、今の地位をもってしても、若林が20代のフロアディレクターに、「言いにくいことを言った」のは伝わってきた。若林は「それはテレビ局で教育してくれや」「俺が言うこと?」と愚痴っていたものの、視聴者の中にも、若者の教育不足からくる非礼にイライラしている人はいるだろうから、「キミって帰国子女?」という “正論”に基づいたシニカルは、嫌な感じがしないし、ウケるのではないか。

 ただ、これだけだと、若林に「うるさいオジサン」という印象を抱く人もいるかもしれない。しかし、同番組出演者の平成ノブシコブシ・徳井健太が「これがMCということ」と援護射撃をしていたため、そういったネガティブな印象は受けなかった。

 徳井は、「MCとなると、(スタッフの)1つの乱れが自分の番組に響いてくる」「若林くん、本当は言いたくないよ」「でも、このままフロアの子が春日にタメ口きいていたら、全体が変になるから一応言うっていう仕事も、MCってやっていかなきゃいけない」と、若林はあくまでも「仕事のため」、20代のフロアディレクターを注意したのだと強調していた。こういうサポートする人がいることで、シニカルな人が悪者にならないで済むわけだ。

 笑いにもトレンドがあり、毒舌やシニカルな笑いが、敬遠されがちになる時期もあるだろう。売れっ子になったことで、そうした物言いがしづらくことも否定できない。けれど、だからといって、それらの笑いが「いらない」わけではないと思うし、特にシニカルな笑いは、若林の独壇場だと思う。番組MCにまで上り詰めた自身の立場をある程度踏まえつつ、他人を巻き込まない、正論の上に立った「オレはこう思う」というシニカルな笑いで、私たちをうならせてほしいものだ。

アンミカの“ポジティブ思考”に見る暗さ――「人生はブーメラン」発言が危険なワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「因果応報ですね」アンミカ
『EXITV』(12月8日、フジテレビ系)

 物事を肯定的、積極的に捉えることを意味する言葉「ポジティブ」。自己啓発業界を中心に、ポジティブであることは、まるで一点の曇りもない 青空のようにさわやかで、 「いいこと」とされ、ポジティブな思考回路を手に入れるためのハウツーが世の中にはあふれている。

 確かにやりたいことがあるのに、「自分には無理だ」と決めつけて挑戦しないより、「失敗してもいいから、思い切ってやってみよう」とトライするほうがいいとは思う。しかし、そもそもポジティブとは何なのか、前向きに挑戦する姿勢 さえ持っていれば、ポジティブといえるのか。

 私自身、どこか釈然としない思いを長年抱えてきたが、12月8日放送『EXITV』(フジテレビ系)に出演したアンミカを見て、一つの答えが出た気がした。結論からいうと、ポジティブとは「不安もしくは恐れの回避行動」のように思えるのだ。

 極貧家庭でたくさんのきょうだいに囲まれて育ったアンミカ。ケガをしても病院にかかるお金がなかったので、お母さんが1人で医師に 治療法を聞きに行った(お母さんは、直接診察してもらわなければ、お金はかからないと考えたそうだ)とか、夜明け前に起きて、親子で市場まで歩き、傷んだ果物をもらっていたなどの“極貧”エピソードを、いろいろなバラエテイ番組で明かしている。

 高校卒業後、モデルを目指して単身パリに移住した彼女は、20歳の時に『パリ・コレクション』に出演を果たすなど成功を収め、 タレントへと転身。現在はアメリカ人の制作会社社長と結婚している。極貧生活から抜け出し、セレブへと転身したといってもいいだろう。

 そんな彼女を支えてきたのが、ポジティブ思考。アンミカがプロデュースした『ポジティブ手帳2023』(小学館)には、「365日、アンミカ思考で幸運体質!」「浄化言葉で強運を引き寄せ幸せ脳に」という帯がついている。

 手帳の中にはアンミカが厳選したポジティブワードが毎週掲載されており、アンミカは『EXITV』で、「音読していただくと、目から口からそれを聞いて、五感でポジティブ脳を育むことができます」「(手帳の)左下のほうには、2週間に1回新月満月のお祈りとテーマが書かれているので。『空を見上げて、牡羊座の満月だったら、自分が短気にならず、すごい行動力を持って前向きに生きよう』とか」と手帳をPR。その日、良かった出来事を書く「Today’s Good & Happy」欄が設けられているなど、ポジティブ脳になるためのいろいろなアプローチが書かれているそうだ。

 アンミカいわく、「人生はブーメラン いいことを人にシェアしよう」。彼女は数々の商品のプロデュースを手掛けているが、それも「お金儲けと思ったら、いいものはできません。誰かが喜んでくれると思うから、喜ぶ人が増えて、結果それが売れているということにつながっていく」と解説する。同番組・MCの兼近大樹が「悪いこともそうですもんね。悪いことも投げたら戻ってくる」と同意すると、アンミカは「そういうこと。因果応報ですね」と返していた。

 私たちは誰もが、「自分は物事を論理的に解釈して判断している」つもりだが、実際には認知にはバイアス(偏り)があると、心理学で証明されている。そのうちの一つが、「公正世界仮説」 と呼ばれるもので、良いことをした場合には良い結果が、悪いことをした場合には悪いことが起きると信じることをいう。

 一見正しいように感じられるが、この考え方、なかなか危険ではないだろうか。上述した通り、アンミカの家は貧しかったそうだが、「良いことをした場合には良い結果、悪いことをした場合には悪いことが起きる」という「公正世界仮説」理論にあてはめて考えると、アンミカの両親は「悪いことをしたから、極度の貧乏になってしまった」となるが、本人はどう考えているのだろう 。「公正世界仮説」を信じすぎると、社会的弱者や事件の被害者など弱い立場の人を、あるいはアンミカなら両親を「お前が悪い」「お前の努力が足りない」と追い詰めてしまう可能性があるのだ。

 また、「公正世界仮説」を信じる人は、実は不安が強いことが証明されている。「あいつには悪いところがあった、だからあんな目に遭うのだ」と考えることで、自分の優位性を認識し、 自分は大丈夫だと思い、自分の心を安定させているわけだ。

 「公正世界仮説」を四文字熟語で言い換えると、「因果応報」になる。ということは、ポジティブの極意を「因果応報」だと説くアンミカは、実は不安感が強いタイプといえるのではないだろうか。アンミカのポジティブに見える行動は、過去のつらかった時代に戻りたくない、あの悲しみを忘れたいがために、頑張っているように見えて仕方ないのだ。

 アンミカは毎日ポジティブになるための呪文として「ハッピー、ラッキー、ラブ、スマイル、ピース、ドリーム」と唱えているという。アンミカ には申し訳ないが、こうやって「いいこと」だけを並べることで、かえって彼女の暗さが露呈される気がするのは、私だけではないように思う。

 「楽あれば苦あり」ということわざがある。楽しいことの後には苦しいことがある、またその逆、苦しいと思っている時間はいつまでも続くものではないという意味であり、 つまり苦楽は相伴うということだが、この考えは、幸福とか幸運といった「いいこと」 にも当てはまるのではないか。

 例えば、健康を損ねて長期間入院する必要があり、仕事を辞めざるを得なかったというアンラッキーを経験した人が、病を克服してまた働けるようになったとき、働ける喜びを感じ、病気をする前よりも強い幸福感を得られるだろう。不幸や不運といった「悪いこと」 は、幸福や幸運を生み出す素となり得るものだから、それらをやみくもに遮断・排除するのはポジティブな行為とはならないように思う。

 とはいえ、コロナ禍の暗い時代には、明るい笑顔と元気な 関西弁で、周りを盛り上げる アンミカのようなキャラは必要なのだろう。お体に気をつけて頑張っていただきたいものだ。

杉田水脈氏は“オジサン”の操り人形である――「ともかく目立つ」「弱い者を叩く」政治家としての処世術が限界のワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「重く受け止めております」総務大臣政務官・杉田水脈氏
参院予算委員会、12月6日

 月刊誌「新潮45」2018年8月号(新潮社)に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論考で、同性カップルについて「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と述べた総務大臣政務官・杉田水脈氏。

 いくら言論の自由があるとはいえ、人権意識が著しく欠如した発言といえるだろう。このほかにも「チマ・チョゴリやアイヌ民族衣装のコスプレおばさん」など、杉田氏の問題発言は枚挙に暇がない。政治家にふさわしい教養や見識を持っているとは到底言えないが、ひとたび見方を変えると、ある意味、とても政治家向きなのではないだろうか。

 タレントなど、人気商売の人が公の場でする発言が本心であるとは個人的に思わない。テレビはショーであり、タレントはその出演者として、番組の制作側が想定する以上のパフォーマンスを披露し、視聴者を楽しませるのが“お仕事”である。

 番組の出演者全員が同じ意見では番組が盛り上がらないから、タレントは、本心は別にして、わざと真っ当な意見に反対してみたり、あえて嫌われ役を買って出ることもあるだろう。嫌われ役をやるのは不本意かもしれないが、視聴者からの注目を浴びることができるし、その役回りが定着した後に、「一周回って、いい人に見えてきた」と好感度が上がることもよくある話だ。

 原則的に、多くの票を得た人が政治家になれると考えると、政治家も一種の人気商売だろう。杉田氏の「生産性」発言は、決して容認されるべきものではないが、彼女は政治家として生き残るために、あえて嫌われ役を買って出て、あんな発言をしたように思えてならないのだ。なぜそう思ったのかというと、彼女自身とて、完璧な「生産性」を持っているとはいえないからである。

 最初に申し述べておくが、そもそも、人間を「生産性」で計ることは間違っている。が、なぜ杉田氏が政治家として生き残り、総務大臣政務官にまでなれたかを考えるのに、まずこの観点は必要だと感じるので、本稿ではあえてそれをキーワードに進めてみたい。

 同性愛者は子どもを作らないから、生産性がないという杉田氏の発言の裏には、「少子化はよろしくない」という発想があるのだろう。確かに子どもを生まなければ、労働人口が減り、社会は立ち行かなくなるかもしれないし、今の年金制度が破綻することは目に見えている(しかし、これもおかしな話だ。少子化の原因には、賃金が上がらないことや、いまだに保育園が足りないことなどが挙げられ、その背景には、日本が超長時間労働を基本としていることも関係しているだろう。そう考えると、少子化は個人の問題というより、政治家が率先して解決すべき重要な課題といえ、国民を責めるのは、お門違いというものである)。

 しかし、人口を増やすという観点でいうと、杉田氏自身も「生産性」に欠けているのではないだろうか。公式ウェブサイトによると、彼女にはお嬢さんが1人いるそうだが、彼女の主張を踏まえた場合、推計上3人以上生まなければ人口を増やすことにはならないので、「生産性がない」ことになる。

 3人産んだからといって、終わりではない。「生産性」を追及するならば、生まれてきた子どもたちには、立派な就労・納税者になってもらわねばならないだろう。その考えに立つと、生まれつき障害のある人、不慮の病気や事故にあって働けなくなった人、人間関係のトラブルなどからひきこもった人などは「生産性」がないとされる存在になる。

 子どもを3人以上持ち、その子たちに立派な教育をつけさせ、世に送り出す。さらに子どもたち自身も、ずっと健康体で働き、納税を行う――これで初めて「生産性がある」とするのなら、杉田氏だけではなく、ほとんどの日本人は「生産性」がないのではないだろうか。彼女を自民党にスカウトした大恩人の故・安倍晋三元首相も子どもがいないわけだから、「生産性」がないことになってしまう。

 大恩人を侮辱し、自分自身とて「生産性がない」と言われかねないのに、なぜ彼女は文章という残る形で、「生産性」について言及してしまったのか。それは「生産性」発言が彼女の処世術だからだと思う。

 政治家には、地盤(組織)、看板(知名度)、カバン(資金)の“三バン”が必要といわれている。その結果、これらを生まれながらに持っている二世、三世議員は、政治の世界で有利な立場といえ、実際、岸田文雄総理大臣も三世議員、安倍元首相も岸信介元首相ら多くの政治家を輩出した政治家一家の一員だ。自民党の女性政治家でいうと、総理大臣を目指すことを公言している衆議院議員・野田聖子氏、小渕優子氏も世襲である。

 そのほかの女性政治家では、自民党参議院議員の丸川珠代氏は元テレビ朝日の女子アナ、立憲民主党参議院議員の蓮舫氏も、音響機器メーカーのキャンペーンガール「クラリオンガール」を経てタレント活動を行っていた過去があり、また自民党衆議院議員の稲田朋美氏はかつて弁護士として働いていた。

 いくつかのケースから結論付けてしまうのは危険な行為だが、政治家の家に生まれなかった女性が政治家になるためには、女子アナ、タレント、弁護士といった“すごいプロフィール”が必要なのではないだろうか。

 一方、杉田氏は地方公務員を経て、政治の道を志した。現場を知る人が政治家になるのはいいことだと思うが、世襲でもなく、また女子アナ、タレント、弁護士といった目立つ経歴もない杉田氏は、選挙戦においてかなり不利な立場だったといえる。

 世襲やプロフィールで戦えないのであれば、発言で目立つ必要がある。政治家にとって、自分に投票してくれる支持団体は絶対に確保しておきたいところだろうから、特定のターゲットに刺さる内容であることも重要だが、そこで彼女が狙いを定めたのは、日本社会において最も優位な立場である“オジサン”という組織だったのではないか。

 杉田氏は過去に非公開の党の会議で、女性への性暴力をめぐる相談事業に関し、「女性はいくらでもウソをつける」と発言して、問題になったことがある。杉田氏にもお嬢さんがいて、性暴力に遭う可能性がまったくないわけではないのに、なぜこんなことが言えるかというと、“オジサン”の機嫌を取るために発言することが習い性になっているからのように思う。

 個人的な話をして恐縮だが、私は過去、ゴリゴリの男尊女卑企業に勤務しており、そこには「若い女性に、若くない女性の悪口を言わせたがる“オジサン”」が存在した。例えば、若い女性社員が、独身の先輩女性社員について「ああいうふうにはなりたくないです」などと言うと、手を叩いて喜ぶ“オジサン”がいたのである。彼らは、自身への糾弾を避けるため、自ら若くない女性の悪口を言うことはないが、若い女性に代弁させて「そうだそうだ!」と同調し、溜飲を下げていたわけだ。

 多様性の時代といわれる昨今。しかし、それはネット上、もしくは都市部の話であり、ちょっと都会を離れたら、「同性愛者を受け入れたくない」「未婚者や子どものいない者は、人として何かが欠けている」と思っている“オジサン”は確実に一定数いるだろう。これは、自身の優位性を脅かす女性や少数派台頭を疎ましく思うからだろうが、多くの“オジサン”は、自分の信用に関わるため、それを表立って口に出せない――そんな彼らの代弁者が、まさに杉田氏だったのではないか。

 支持団体がつけば、選挙に当選しやすくなる。当選回数が増えれば、要職に就くことができる。総務大臣政務官となった杉田氏の“オジサン”を味方につける作戦は、成功だったといえ、ある意味、彼女はとても政治家向きなのだろう。しかし、この“オジサン”ウケする「ともかく目立つ」「弱い立場の者を叩く」作戦には限界がある。責任あるポジションに就くと、「人権感覚に問題がある」とみなされ、このやり方が通用しなくなるのだ。

 12月6日の参院予算委員会で、杉田氏は「私の過去の発言などに対する厳しいご指摘、ご批判について重く受け止めております。傷つかれた方々に謝罪し、そうした表現を取り消します」と述べた。

 加えて、杉田氏に重く受け止めてほしいのは、“オジサン”にウケるための処世術として、女性や少数派の悪口を言っていたとしも、こういう大事な時に“オジサン”は彼女を守ってくれないことだ。綺麗ごとでは政治の世界を渡っていけないことくらいは承知しているが、彼女が“オジサン”の操り人形になった揚げ句、使い捨てられませんようにと思わずにいられない。