渡辺直美にあって、ゆりやんレトリィバァに“ないもの”とは? きわどい星条旗柄の水着に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「日本の方にやられると、若干ショックです(笑)」ゆりやんレトリィバァ
『アポロアマチュアナイトジャパン2019』(10月11日)

 2018年12月に『土曜プレミアム さんま&女芸人お泊り会』(フジテレビ系)が放送された。その名の通り、明石家さんまと女芸人17人が箱根に一泊旅行に出かけるという企画だ。

 出演者の一人、ゆりやんレトリィバァは、この旅行の抱負として「ボケ倒す」と宣言する。それはお笑い芸人としてはまったく正しいことだろう。ゆりやんがいいボケをかませば、周囲がツッコむので番組は盛り上がる……そんな相乗効果が期待できる。しかし、実際はどうだったかと言うと、編集されている可能性も捨てきれないが、ゆりやんのボケは数こそ多いが、私には成功したようには感じられず、「しつこい」と感じることの方が多かった。

 例えば、ボケ倒したゆりやんが、「アカン、全然ボケられへんかった」とボケて、周囲から「どこがや」という声が上がったシーンがあった。即座にツッコみが返ってきて、盛り上がったという意味では、成功なのかもしれない。しかし、フォーリンラブ・バービーは「むしろ黙っていてほしいくらい」「やりすぎだよ、ちょっと」「おかげで私のファッションチェック、すごい短かったじゃないの」などと訴えていた。「自己アピールを邪魔される」という明らかな不利益をバービーに与えたことから考えると、ゆりやんのボケは共演者にも不評なのではないか。

 もちろん、こういうやりとりを「面白い」と思う人もいるだろうが、「ゆりやんは我が強い」と解釈する人もいるだろう。同番組で、さんまが犬にエサをあげるときに、メープル超合金の安藤なつが犬のふりをするボケをかましていたが、ゆりやんは安藤の隣に座りこむ。「ネタ、かぶってるから」とさんまがゆりやんに言ってたのも、他人サマのボケを邪魔するのはルール違反だからではないか。

 しかし、空気を読まずに前に行く姿勢は、芸人として大成功する資質とも言えるだろう。ゆりやんは、持ち前の英語力を生かして、アメリカのオーディション番組『America's Got Talent』に出演。通訳を介せずに、英語でボケて会場を沸かせた。

 オーディションには落ちたが、海外のオーディション番組に挑戦するパイオニアとなったゆりやん。日本のオンナ芸人が世界に飛び出すのはいいニュースなはずだが、この番組を見ても、私の感想はやっぱり「我が強い」でしかなかった。

■ゆりやんは、水着を着る必要性がない?

 なぜ、私はゆりやんを「我が強い」と感じたのか。

 ゆりやんは『America's Got Talent』に、角刈りのカツラをかぶり、星条旗柄の水着で出演していた。かなりきわどい角度の水着なので、少し動けば乳首がポロリする可能性は大だ。この水着がよほど気に入っているのだろうか、ゆりやんは日本で開かれたオーディション『アポロアマチュアナイトジャパン2019』にも、同じいでたちで出場。このオーディションは、上位3組に選ばれれば決勝進出、優勝すれば本場アポロシアターで開催される『アマチュアナイト・スーパー・ドッグトップ』に出場することができるというもので、審査は観客の声援とブーイングのみ。声援が多ければ合格であり、ブーイングが多ければ退場となる。

 ゆりやんは、そんなオーディションで、ダンスとポールダンスを披露したが、ブーイングを浴びて退場。日本では観客がブーイングするという習慣があまりないので「日本の方にやられると、若干ショックです(笑)」と話していたという。

 ネットでは「下品」とか「不快」という意見も見受けられたが、私がまず思うのは、そもそも、ゆりやんは、あのパフォーマンスにおいて、水着を着る必要があるのかということである。

 例えば、世界進出するオンナ芸人と言えば、渡辺直美を思い浮かべる人もいるだろう。直美も露出の高い衣装を着てビヨンセの口パクをしたり、扇情的な表情を浮かべることがある。これがバッシングされないのは、それらが“芸”に必要だからではないだろうか。きわどい衣装であっても、グラマラスなビヨンセというアメリカの大スターを連想させるための“道具”という意味で、正当性がある。しかし、ゆりやんの場合、まず何が彼女の芸なのかという骨格がはっきりしないため、あの水着が必要であるかどうかも不明瞭なのだ。

 もう一つ、直美にあって、ゆりやんにはないもの。それは主義もしくは個性である。『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演した直美の話によると、彼女のデビュー当時、オンナ芸人は「オンナを捨てろ」という考え方が主流で、直美のようにメイクやファッションを楽しんでいると、先輩に「おかしい」と指摘されることもあったそうだ。しかし、直美は「こういう格好が好きだから」という姿勢を貫いた。本業でブレークしたこともあるだろうが、周囲も次第に「それが直美だよね」と個性として認めてくれたという。一方、ゆりやんも、ファッション界に進出するなどしているが、直美のような主義が見えないからか、「渡辺直美の二番煎じ」といった見られ方をしている印象だ。

 それに、直美のビヨンセの口パクはよく考えてみると、「ビヨンセっぽい」けれど、「ビヨンセのコピー」ではない。直美が解釈したビヨンセを演じているのであり、これは完全なオリジナルである。対して、ゆりやんはどうだろうかと言うと、自身のインスタグラムで、見事なポールダンスを披露しているが、ポールダンスがうまい人なら本職のダンサーを含めて、ほかにもたくさんいる。これに何かをプラスしないと個性になると私は思わない。直美には外見を含めて「こうありたい」という主義・個性を感じるが、ゆりやんからそういうものを感じないのだ。だからこそ、ゆりやんは、ただの「我の強い人」に見えるのかもしれない。

 余談だが、2004年の『第38回スーパーボウル』のハーフタイムショーで、アメリカの超大御所歌手、ジャネット・ジャクソンがジャスティン・ティンバーレイクとのデュエット中に片方の胸をポロリさせる事件があった。アクシデントなのか意図的なものかは不明だが、生中継したテレビ局には視聴者から抗議が殺到し、多額の罰金を支払うことになったそうだ。ゆりやんが今後、個性や主義を手にして、オーディションに受かり、アメリカで仕事をするようになったとして、ポロリする可能性のある、訴訟リスクの高い人をテレビが使いたいかと言うと、首をかしげてしまう。

 日本とは段違いの訴訟社会アメリカ。そこで本気でやっていこうと思うなら「いろいろ気ぃつけてがんばりや~」とゆりやん風にエールを送らせていただく。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

道端アンジェリカ、夫の逮捕報道を通して見えてきた「実はカネに執着ナシ」の一面

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「今回の夫の発言は、私が知人の男性と身体を密着させ飲酒していたことを夫が疑い、そのことで夫がお相手の方を責めた結果、なされたものでした」道端アンジェリカ
(所属事務所公式サイトでの謝罪コメント、10月5日)

  カネのあるオトコほど、カネの話をするオンナが嫌い。先週この連載で、そんなことを書いたが、「カネの話をするオンナ」とはどんな人なのだろうか。

  芸能界で「カネの話をするオンナ」というと、女医でタレントの西川史子を思い浮かべる人もいるだろう。西川はタレントとして出立ての頃、「結婚相手に望む年収は4000万」と宣言し、また「ブスは生きる価値がない」とも語るなど、高飛車キャラで話題を集めた。

  もう一人、カネの話を臆することなくしていたのが、モデルの道端アンジェリカである。アンジェリカはかつて『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)で、「結婚相手は最低年収5000万円ないとダメ」と発言、さらに「週に一度は子どもを預けて、夫婦でディナーしたい」と述べて、ネットで叩かれたことがあった。

  年収300万円の人にとって、年収4000万、5000万というのは想像すらつかない金額だけに、彼女たちを「強欲」と捉え、非難した人もいただろう。しかし、自身も高収入であろう西川やアンジェリカにとっては、「ちょっと上」くらいの数字なのではないのではないだろうか。有名人や名の知れたモデルと親しくしたいと考える高収入男性もいるだろうし、富豪と女性芸能人という組み合わせは定番でもあるので、私は彼女たちの発言が「強欲」とは思わない。

  が、カネの話をはっきり口にする女性タレントほど、カネのある男性と縁がなくなるのではないだろうか。

■西川史子が「年収4000万」公言と引き換えにしたもの

  例えば、西川は結局、年収4000万でない男性と結婚したが、離婚。結婚していた頃から『サンデー・ジャポン』(TBS系)でけんかや夫の家出の話をするなど、不仲は周知の事実だった。離婚後は激やせが話題になるなど、「メンタルやや不安定」なキャラとして見られるようになった。

  なぜ西川が年収4000万の男性と「結婚できなかったか」と言えば、テレビ出演が仇になったのではないか。年収4000万の男性と言えば、代々お金持ちの名門家庭のお坊ちゃんが思い浮かぶ。名門家庭というのは、かなり保守的で、芸能界など人前に出る仕事をする女性を嫌がることもあると聞く(一発当てた時代の寵児的な男性も、年収4000万に当てはまるが、確かに彼らは常識や既成概念にこだわらないものの、保守的な家庭に育ち、人に頭を下げられ慣れたセンセイである西川とは、文化的に相入れない部分もあるだろう)。

  駆け出しのタレントが、テレビに出るためにはキャラが必要である。西川はテレビに求められるまま「年収4000万でないと結婚しない」キャラとなり、タレントとしてのポジションと引き換えに、年収4000万の男性を遠ざけたのではないだろうか。

 そんな西川は、離婚直後にも『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)で「年齢は80歳まで。年収3000万以上か資産家」と再婚相手の募集をかけていた。番組司会のとんねるず・石橋貴明が軽く引いていたように私は感じ、またネットでも「まだ年収にこだわっている」と叩かれていたものだ。ここでも西川は、求められるキャラを貫き通していたとも思えるが、好感度を意識しだしたのか、最近は男性の年収の話はほとんどしない。

 が、恋愛はしていたようだ。9月24日の自身のインスタグラムで「昨日失恋をしました」「私が良いと思ってた人、 みんながクソみそに罵ってくれました!」と発表。10月6日放送の『サンデー・ジャポン』で、その詳細について話していた。西川いわく、相手の男性とは「何年か交際していた」「指輪まで見に行った」「ハリー・ウィンストンに担当の人までいた」仲で、「会社にも報告していた」そうだから、ある程度結婚を見据えて交際していたのだろう。

 最終的にうまくいかないのは縁がなかったということだから、早くわかってよかったと思うべきだろうが、その一方で、ほかのタレントとは異なり、結婚、再婚を通して条件にカネをあげた西川の再婚が遠のいているのは、そうすることにより、カネのあるオトコ、もしくは結婚が逃げていくという“呪い”にかかっているのではないかと思わずにいられない。

■道端アンジェリカは実のところ「カネに興味がない」?

  もう一人のカネの話を臆することなくするオンナ、道端アンジェリカは今、渦中の人と言っていいだろう。

  アンジェリカの夫が、アンジェリカの知人男性から35万を脅し取ったとして逮捕された。夫は男性に「お前の家族をめちゃくちゃにする」「ウソをついたら、鉛筆で目を刺す」「人生やり直しだな」と迫ったそうだ。なぜこのような事件が起きたのか。アンジェリカの所属事務所のホームページに掲載されたコメントによると、「今回の夫の発言は、私が知人の男性と身体を密着させ飲酒していたことを夫が疑い、そのことで夫がお相手の方を責めた結果、なされたものでした」としている。「スポニチアネックス」によると、二人は夫の経営するバーの個室で密着していたとされ、個室に備え付けられた防犯カメラの映像を見た夫が、アンジェリカと共に、男性の職場に乗り込んだそうだ。

  アンジェリカがなぜ男性と密着していたのかはわからないが、夫の目の届く場所で、防犯ビデオが備え付けられているのに、わざわざ夫の嫌がることをするとは考えにくい。さらに、夫と一緒に男性の職場に乗り込んでいるのだ。なぜアンジェリカは、自分も恐喝行為に一枚噛んでいると思われることに気づかなかったのだろうか?

  夫の逮捕を受けて、アンジェリカは『東京ガールズコレクション北九州2019』の出演を取りやめており、事件の全容が明らかになるまで、今後も活動を自粛することが予想される。場合によっては、長期休業をやむなくされるかもしれない。35万のカネを脅し取る夫を止めなかったために、カネに換算できない損失をこうむってしまったと言えるだろう。

  そんなアンジェリカを「バカだ」と責めたいわけではない。案外アンジェリカは、実のところカネに興味がなく、ザル勘定なのではないかと思うのだ。「女性自身」(光文社)によると、結婚当時の夫はPR会社のサラリーマンで、年収5000万には届いていなかったそうだ。もし本当にアンジェリカがカネ第一主義なら、稼げる額に限界があるサラリーマンとは結婚しないだろうし、もっと緻密にカネのことを考えていたならば、自分の仕事に差しさわりがある行為(仕事ができなければ、自分の収入も減る)に加担するような行動は取らないのではないか。彼女は西川と違って、高収入の男性を遠ざけるだけでなく、タレントとしてのポジションまで失いかけてしまったように思う。

  ほかのアジア地域と違い、日本はカネを不浄と見ることがある。金銭の寄付を浄財と言うのも、カネを穢れたものとする意識があるからだろう。ゆえにカネの話をする人は下品だとされ、眉をひそめられるわけだが、アンジェリカの例から考えるに、カネの話をする女性は、案外ワキが甘いというか、お人よしではないだろうか。カネの話をしない人の方が、カネに対する執着が強いのかもしれない。

  カネがなくては生活できないのは、誰にとっても疑いのない事実であろう。それくらい重要なものだからこそ、カネの話をしてはいけないと解釈することもできるはず。現状の日本において、「高収入男性と結婚したい」という女性は、マナーの面でも、アンジェリカの轍を踏まないためにも、「結婚相手は年収〇万以上の人」と口に出すことはやめた方がいいのかもしれない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

松本人志、「嫁とカネ」の話に募る不安――「遺言状を書いておくべき」と進言したいワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「『あたしはお金は一切いらない』って嫁は言う」ダウンタウン・松本人志
『ワイドナショー』(フジテレビ系、9月29日)

 直木賞作家・黒川博行センセイの『後妻業』(文春文庫)をご存じだろうか? 

 妻に先立たれた資産家の91歳の男性が、結婚相談所で知り合った69歳の女性と結婚する。しかし、その女性の目当てはカネで、男性を病気に見せかけて殺害し、遺産相続するということを繰り返していた。遺産を横取りされることに気づいた娘は、弁護士と事件を解明する……そんなストーリーの小説である。同書の解説によると、これは完全な創作ではなく、センセイの周辺で起きた同様の事件を小説家としての視点で膨らませたものだという。

 その後、明るみになったのが、筧千佐子事件だ。結婚紹介所を通じて筧と知り合い、結婚した男性が次々と不審死を遂げる。筧はそのたびに遺産を相続するという、小説を地で行くやり方で私腹を肥やしていたのだ。

 筧のような後妻業の女性がターゲットにするのは、高齢の資産家男性。となると、有名人や大物芸能人も狙われる可能性は大である。タレント・やしきたかじんさんが、食道がんの闘病中、自分の娘より若い30歳以上年下の一般人女性と結婚したが、2014年に亡くなった。たかじんさんの死後、夫人は後妻業ではないかと騒がれたことがあった。

 『中居正広の金曜のスマたちへ』(TBS系)によると、二人の出会いはFacebook。夫人は当時イタリアに住んでいたが、所用のために日本に帰国した際、クリスマス合コンで初めて顔を合わせたという。かつて愛した女性とそっくりだったことから、たかじんさんは夫人に強く惹かれていくが、夫人はたかじんさんを知らなったそうだ。

 たかじんさんの死後、さまざまな事実が明らかになる。「女性自身」(光文社)によると、たかじんさんのお母さんは、息子の結婚を知らなかったそうだ。初婚だと言われていた夫人の結婚は3回目。遺言書には、10億円と言われる遺産のうち、「OSAKAあかるクラブ」、大阪市、桃山学院にそれぞれ2億ずつ寄付し、残りの4億を夫人が相続すると書かれており、一人娘の取り分はゼロだったという。実の娘に相続させないという遺言は、かなり珍しいものではないだろうか。

 芸能界はこの後も、後妻業かと疑われる相続が頻発する。たかじんさんと同じ14年、昭和の名優・高倉健さんが亡くなり、極秘裏に養子縁組した元女優が、高倉さんの遺言書に沿い、40億円もの遺産を相続したというのだが、養女は健さんの実妹にも高倉さんの死を知らせず、分骨も拒否したそうだ。なお、ノンフィクションライター・森功氏の『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(講談社)によると、高倉さんと養女の養子縁組の手続きには不審な点があるそうだ。高倉さんの本名は小田剛一(おだたけいち)だが、申請書のふりがなは、「おだごういち」になっていたというのだ。自分の名前を自分で間違えるとは、確かに考えにくい。

 どうして、後妻業が疑われるような遺産相続トラブルが起きるか。実務面で言うのなら、結婚や養子縁組をオープンにしないからだろう。相続の権利がある人に遺言の存在が周知されず、親類は不信感を持ちやすくなる。

 庶民の間でも、「遺言書がなければ、揉める」「遺言書があっても、内容次第で揉める」ということは浸透しているのに、なぜ資産家の男性たちは、そういった準備をしないのか。スターということで極端に世事に疎いからとも考えられるが、根っこの部分にあるのは、「資産家の男性ほど、おカネの話をする女性が嫌いだから」という点ではないだろうか。

 9月29日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)では、“紀州のドンファン”と呼ばれた資産家男性の遺産について放送された。70代の男性が、55歳年下のモデルの女性と結婚する。しかし、結婚からわずか3カ月後に男性は死亡。司法解剖の結果、男性の体内からは覚せい剤が検出される。事件の真相は謎のままだが、男性の遺言には、全財産を和歌山県田辺市に寄付すると書かれており、田辺市も寄付を受け入れることにしたと発表した。

 同番組のコメンテーターは、ダウンタウン・松本人志。大物芸能人ということで資産家だろうが、松本が自らの遺産相続について、こう話していた。

「『あたしはお金は一切いらない』って嫁は言う」

 その表情は、喜んでいるように私には見えた。恐らく、カネを欲しがらない妻を好ましいと思っているのだろう。しかし、「でも、お酒飲みだしたら、雰囲気変わってくる」「どっちが本当のお前なんや」とオチをつけていた。

 芸人としてのネタかもしれないが、私には夫の遺産を拒否する妻の気持ちがわからない。というのは、妻が専業主婦であったとしても、結婚後の財産は夫婦二人のものだから。当然夫人はもらう権利はあるし、松本が亡くなって夫人とお子さんが生きていくのにカネは必要不可欠だろう。「一切いらない」は現実的ではない発言と言えるのではないか。

 が、そういえばたかじんさんも同じような発言をしていたことを思い出す。『金スマ』によると、たかじんさんは夫人が献身的に看病してくれる姿を見て、「カネ目当てやない」とメモに書いて残していたそうだ。水を差すようで何だが、看病の真剣度とカネ目当てがどうかは、まったく別次元の問題ではなかろうか(たかじんさんの信頼を得るため、献身的を装うという作戦もないわけではない)。松本やたかじんさんの言動から考えるに、お金を持った男性というのは「カネは必要ないと言う、もしくはカネを欲しがるそぶりを見せない女性は、カネ目当てでない」と考えている部分があるのではないだろうか。

 だとすると、資産家の男性と交際する女性は、空気を読んでお金の話を避けるようになる。しかし、共に暮らし、場合によっては看病もするのなら、男性亡き後、それ相応の保証をしてほしいと思うのは人情だろう。そのためには、自動的にお金をもらえるようにする法的手続き(養子縁組や結婚)を秘密裏に行うのが一番の得策。しかし、それが親族にバレると、結婚という大きな契約を内緒にされた側は不信感を持つ、というように、後妻業でなくてもそう思えてしまうという悪循環にはまっていくのではないか。

「どうして揉めないような遺言状を書いておかなかったのか」

 芸能界で遺産相続トラブルが起こると、必ず誰かが口にする一言だが、「自分の死んだ後の話をされたくない」「カネの話をするオンナといたくない」という男性の繊細さ、もしくは小心さが、遺言状の作成にブレーキをかけているのではないか。芸能人としての栄光を傷つけないためにも、松本をはじめとした大物芸能人の皆さんは、健康なうちに遺言をしっかり書いておいていただきたいものだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

「萬田久子との関係」を暴露された西野亮廣、その狼狽ぶりに見る「性に関する固定概念」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「過去の常識にしがみつくな」キングコング・西野亮廣
『ダウンタウンなう』(フジテレビ系、9月20日)

 一般的に「モテる」というのは「いいこと」とされている。しかし、女性の場合、「モテる」ことが必ずしも自分の評判を上げることにつながるわけではないようだ。

 例えば、女優・萬田久子。『ボクらの時代』(フジテレビ系)に、キャスター・安藤優子、郷ひろみと共に出演したことがある。ミス・ユニバース日本代表として世界大会に出場した萬田は、芸能界に進出。そこで得た仕事の一つが、「ニュース番組のお天気お姉さん」だった。その番組には安藤も出演していたが、製作スタッフの男性陣は安藤がミスをすると厳しく叱責するが、萬田にはメロメロでミスをしても「仕方ないよ」と気遣うことすらあったそう。人によって態度を変える男性陣への批判こそあれ、それだけ萬田が魅力的な女性だと受け取る人も多いだろうから、これは彼女のイメージを上げる「モテ話」と言えるだろう。

 2018年3月の『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)でも、萬田のモテ話が話題になったことがある。萬田は20代の頃に有名アパレルメーカーの経営者と出会うが、相手には妻子がいた。彼女は独身のまま、子どもを産むことを決断。男性が妻と別れた後も事実婚を貫き、法的な結婚をすることはなかった。その男性とは、11年に死別しており、その後、公になっているパートナーはいない。

 そんな萬田は、その男性に出会う前、業種を問わず、いろいろな大物に口説かれたと同番組で告白したのだが、「ワンナイト的なことは、たくさんあった」と言うと、それまでとは打って変わって、MCのダウンタウン・浜田雅功、松本人志、プレゼンターの坂上忍が急に沈黙したのだ。独身なわけだから、何も問題はないと個人的には思うが、「ワンナイトをするオンナは引く」と彼らは内心思っていたのではないだろうか。モテる人は、「異性が寄ってくる人」であり、そこから、関係性はともかく二人が同意すればセックスしてもおかしくない。ということは、モテる人は男女ともセックスの経験が多くなっていくのは自然なことだ。しかし、会話が盛り上がらなかったことを踏まえると、このモテ話は萬田にとってマイナスである。

 9月20日放送の『ダウンタウンなう』で、またもや萬田久子の名前が出てきた。

 この日のゲストは、キングコングの西野亮廣。最近は芸人というより、絵本作家や作家としての活躍が目立つ。西野が書いたビジネス書は累計50万部を売りあげるヒットを記録。絵本の世界にも進出した西野は、『えんとつ町のプペル』(幻冬舎)をインターネットで無料公開し、業界からは「非常識だ」と非難され、大炎上した。しかし、西野は話題づくりを狙って無料公開したわけではなく、「母親ってお金にそんなに自由がないから、ネタバレしてるもの、面白いという結果が出てるものにしか反応しないんです。ここを突破しようと思ったら、お母さんに家の中で立ち読みをさせて結果を出させてしまった方が、手を伸ばしてくれる」といったセールス上の戦略があったと話す。西野の読みはあたり、絵本は40万部を売り上げ、映画化も決定する。西野の名言として、「過去の常識にしがみつくな」という言葉が紹介されたが、それは彼の重要な戦略の一つだそうだ。

 時代の寵児となり、独身でもある西野は、恋愛を謳歌しているようだ。20代の頃はタレント狙いだったが、今はもっぱら一般人女性狙いで、気に入った女性にインスタグラムを使ってアプローチをしているという。インスタをやっていないダウンタウンや坂上は「へ~」と驚くばかりだが、松本が「萬田久子さんとはどうなってるの?」と急に話を変える。

 これまで冷静だった西野は明らかに狼狽し、「この動揺からすると、何かやってる感じ」と自ら語り、それ以上の弁明はしなかった。松本に「ヘタか」と突っ込まれて、この回は終わりになったが、視聴者の中には、西野と萬田の間に男女の関係があったという印象を持つ人もいただろう。公表していない関係を、含みを持ってバラされたという意味では、萬田、西野双方にとってマイナスだろう。特に萬田はその場にいないので、「言われ損」である。

 萬田、西野は独身だから、二人の間に何があっても問題はないのだが、私が気になるのは、なぜ松本が、萬田と西野の交友を知っているかなのである。二人は週刊誌などで交際が報じられたわけではない。となると、西野もしくは萬田と近しい人が、松本に「二人は親しい」という情報を入れたと考えることはできるはずである。西野側と萬田側、どちらの人間が松本に話をしやすいかと言えば、確率論で考えればお笑いの後輩である西野側と考えるのが自然。“犯人”が誰かはわからないが、最初に西野が誰かにもらしたからこそ、松本の耳に届くことになったのではないだろうか。

 萬田のワンナイト発言に対するダウンタウンや坂上の反応でもわかる通り、女性の場合、モテてもいいが「あやふやな関係でセックスした」という意味の発言をすると評判を下げかねない。しかし、男性が女性とのあやふやな関係でのセックスを第三者に言うことは、自分の魅力を伝えるものだと考えられているのではないだろうか。西野と萬田の関係がどのようなものかは二人にしかわからないものの、松本も「男性側のセックス(を想像させる)話は、ネタになる、面白い」「イメージダウンにはならない」と思っているからこそ、このネタを振ってきたのだと私は感じた。

 昭和後期の女性週刊誌には、美容整形と共に処女膜再生手術の宣伝がなされていた。処女は嫁入り道具の一種なので、処女でなければまずいという考えがあったからこそ、需要があったのだろう。しかし、今、この手の広告を見かけることはない。性の自由化が進み、処女に価値を見出す人が減ったと解釈することもできるだろう。

 しかし、「女性にセックスの体験が豊富であってほしくない」という考え方はいまだ残っているのではないか。萬田の名前を出された時の西野の動揺ぶりを見るに、萬田のイメージダウンにつながることを危惧していたのかもしれないが、違う可能性もある。あやふやな関係でのセックス、しかも相手は有名女優だったため自慢したかった(だからこそ、周囲に漏らす)という面もありつつ、「ワンナイトをさらっと公言してしまう経験豊富な女性」との関係は、自分にプラスにならないと思っている節があったのではないだろうか。「過去の常識にしがみつくな」という革命児・西野でも、性に関する固定観念はしっかりと残っているようだ。

 セックスは相手がいないと成立しないことから考えると、オトコだけが遊んでいるとは考えにくい。現代を生きる女性は遊ぶ男性を選ぶ際、萬田との関係を周囲に漏らしていたのではないか疑われる西野の姿を思い出し、「口の軽さ」をチェック項目に加えたらどうかと提言したい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

「萬田久子との関係」を暴露された西野亮廣、その狼狽ぶりに見る「性に関する固定概念」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「過去の常識にしがみつくな」キングコング・西野亮廣
『ダウンタウンなう』(フジテレビ系、9月20日)

 一般的に「モテる」というのは「いいこと」とされている。しかし、女性の場合、「モテる」ことが必ずしも自分の評判を上げることにつながるわけではないようだ。

 例えば、女優・萬田久子。『ボクらの時代』(フジテレビ系)に、キャスター・安藤優子、郷ひろみと共に出演したことがある。ミス・ユニバース日本代表として世界大会に出場した萬田は、芸能界に進出。そこで得た仕事の一つが、「ニュース番組のお天気お姉さん」だった。その番組には安藤も出演していたが、製作スタッフの男性陣は安藤がミスをすると厳しく叱責するが、萬田にはメロメロでミスをしても「仕方ないよ」と気遣うことすらあったそう。人によって態度を変える男性陣への批判こそあれ、それだけ萬田が魅力的な女性だと受け取る人も多いだろうから、これは彼女のイメージを上げる「モテ話」と言えるだろう。

 2018年3月の『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)でも、萬田のモテ話が話題になったことがある。萬田は20代の頃に有名アパレルメーカーの経営者と出会うが、相手には妻子がいた。彼女は独身のまま、子どもを産むことを決断。男性が妻と別れた後も事実婚を貫き、法的な結婚をすることはなかった。その男性とは、11年に死別しており、その後、公になっているパートナーはいない。

 そんな萬田は、その男性に出会う前、業種を問わず、いろいろな大物に口説かれたと同番組で告白したのだが、「ワンナイト的なことは、たくさんあった」と言うと、それまでとは打って変わって、MCのダウンタウン・浜田雅功、松本人志、プレゼンターの坂上忍が急に沈黙したのだ。独身なわけだから、何も問題はないと個人的には思うが、「ワンナイトをするオンナは引く」と彼らは内心思っていたのではないだろうか。モテる人は、「異性が寄ってくる人」であり、そこから、関係性はともかく二人が同意すればセックスしてもおかしくない。ということは、モテる人は男女ともセックスの経験が多くなっていくのは自然なことだ。しかし、会話が盛り上がらなかったことを踏まえると、このモテ話は萬田にとってマイナスである。

 9月20日放送の『ダウンタウンなう』で、またもや萬田久子の名前が出てきた。

 この日のゲストは、キングコングの西野亮廣。最近は芸人というより、絵本作家や作家としての活躍が目立つ。西野が書いたビジネス書は累計50万部を売りあげるヒットを記録。絵本の世界にも進出した西野は、『えんとつ町のプペル』(幻冬舎)をインターネットで無料公開し、業界からは「非常識だ」と非難され、大炎上した。しかし、西野は話題づくりを狙って無料公開したわけではなく、「母親ってお金にそんなに自由がないから、ネタバレしてるもの、面白いという結果が出てるものにしか反応しないんです。ここを突破しようと思ったら、お母さんに家の中で立ち読みをさせて結果を出させてしまった方が、手を伸ばしてくれる」といったセールス上の戦略があったと話す。西野の読みはあたり、絵本は40万部を売り上げ、映画化も決定する。西野の名言として、「過去の常識にしがみつくな」という言葉が紹介されたが、それは彼の重要な戦略の一つだそうだ。

 時代の寵児となり、独身でもある西野は、恋愛を謳歌しているようだ。20代の頃はタレント狙いだったが、今はもっぱら一般人女性狙いで、気に入った女性にインスタグラムを使ってアプローチをしているという。インスタをやっていないダウンタウンや坂上は「へ~」と驚くばかりだが、松本が「萬田久子さんとはどうなってるの?」と急に話を変える。

 これまで冷静だった西野は明らかに狼狽し、「この動揺からすると、何かやってる感じ」と自ら語り、それ以上の弁明はしなかった。松本に「ヘタか」と突っ込まれて、この回は終わりになったが、視聴者の中には、西野と萬田の間に男女の関係があったという印象を持つ人もいただろう。公表していない関係を、含みを持ってバラされたという意味では、萬田、西野双方にとってマイナスだろう。特に萬田はその場にいないので、「言われ損」である。

 萬田、西野は独身だから、二人の間に何があっても問題はないのだが、私が気になるのは、なぜ松本が、萬田と西野の交友を知っているかなのである。二人は週刊誌などで交際が報じられたわけではない。となると、西野もしくは萬田と近しい人が、松本に「二人は親しい」という情報を入れたと考えることはできるはずである。西野側と萬田側、どちらの人間が松本に話をしやすいかと言えば、確率論で考えればお笑いの後輩である西野側と考えるのが自然。“犯人”が誰かはわからないが、最初に西野が誰かにもらしたからこそ、松本の耳に届くことになったのではないだろうか。

 萬田のワンナイト発言に対するダウンタウンや坂上の反応でもわかる通り、女性の場合、モテてもいいが「あやふやな関係でセックスした」という意味の発言をすると評判を下げかねない。しかし、男性が女性とのあやふやな関係でのセックスを第三者に言うことは、自分の魅力を伝えるものだと考えられているのではないだろうか。西野と萬田の関係がどのようなものかは二人にしかわからないものの、松本も「男性側のセックス(を想像させる)話は、ネタになる、面白い」「イメージダウンにはならない」と思っているからこそ、このネタを振ってきたのだと私は感じた。

 昭和後期の女性週刊誌には、美容整形と共に処女膜再生手術の宣伝がなされていた。処女は嫁入り道具の一種なので、処女でなければまずいという考えがあったからこそ、需要があったのだろう。しかし、今、この手の広告を見かけることはない。性の自由化が進み、処女に価値を見出す人が減ったと解釈することもできるだろう。

 しかし、「女性にセックスの体験が豊富であってほしくない」という考え方はいまだ残っているのではないか。萬田の名前を出された時の西野の動揺ぶりを見るに、萬田のイメージダウンにつながることを危惧していたのかもしれないが、違う可能性もある。あやふやな関係でのセックス、しかも相手は有名女優だったため自慢したかった(だからこそ、周囲に漏らす)という面もありつつ、「ワンナイトをさらっと公言してしまう経験豊富な女性」との関係は、自分にプラスにならないと思っている節があったのではないだろうか。「過去の常識にしがみつくな」という革命児・西野でも、性に関する固定観念はしっかりと残っているようだ。

 セックスは相手がいないと成立しないことから考えると、オトコだけが遊んでいるとは考えにくい。現代を生きる女性は遊ぶ男性を選ぶ際、萬田との関係を周囲に漏らしていたのではないか疑われる西野の姿を思い出し、「口の軽さ」をチェック項目に加えたらどうかと提言したい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

『おぎやはぎの「ブス」テレビ』に考える、「不美人」があざけられることのおかしさ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「ムカつくかもしれないけど、考え方としては正しいよ」おぎやはぎ
『おぎやはぎの「ブス」テレビ』(Abema TV、9月9日)

 テレビ朝日は、ブスネタが好きなのだろうか。

 『お願い!ランキング』(テレビ朝日系)には、「自称美人」のタレントを、メイプル超合金のカズレーザーと相席スタートの山崎ケイが「美人かブスか」をジャッジするコーナーがある。美貌でカネが稼げるレベルだと判断されたからこそ芸能人になれるわけで、常識で言えば、美人に決まっている。しかし、カズレーザーの判定は、たいてい「ブス」である。

 その理由は、「タレントとしてオリジナリティーがない」というように、内面について触れたものが多い。タレントとしての欠陥が、なぜ容姿を貶める「ブス」という言葉に変換されるのか私には理解できないが、「ブス」と言われて全力でがっかりする女性タレントと、スタジオから巻き起こる笑い声というのは、テレビ映えすると、テレビ朝日は考えているのか。

 サイバーエージェントとテレビ朝日が出資して設立されたインターネットテレビ局Abema TV。テレビ朝日と関係のあるここも、ブスがお好きなようである。『おぎやはぎの「ブス」テレビ』では、芸人おぎやはぎと、芸人や舞台女優など「自称ブス」が集ってトークをする。9日放送回では、「ブスはいくらで脱いじゃうのか?」というタイトルで、「出演者がヌード企画を持ちかけられたら、脱ぐのか脱がないのか、脱ぐならいくらになるのか」を隠し撮りしていた。おぎやはぎは、脱ぐことを躊躇したり、3万円という値段を掲げたブスを安価だと笑い、一方で「脱ぐことでいろいろなリスクを背負うかもしれないから、60歳くらいまでの生活費として1億欲しい」と言ったブスには、「ムカつくかもしれないけど、考え方としては正しいよ」とブスを笑う。安くても高くても、笑う。結局、ただ単にブスを笑いたいだけではないだろうか。

 美しさは生まれつきの部分が大きいことから考えると、才能の一つと見ていいだろう。天賦の才が与えられたという意味では、美人もオリンピック選手も一緒である。

 しかし、美人とオリンピック選手が決定的に違う部分もある。例えば、オリンピックに出られないが、マラソンを趣味として楽しんでいる人や、「マラソンなんてとんでもない、大の苦手だ」という人がいたとしても、その人が「おまえなんて、オリンピックに出られないくせに」と日常生活でそしられたり、笑われることは、まずないだろう。

 しかし、美については、それでお金を稼ぐレベルでない人や、不美人が、才能がないとして笑われてあざけられるという、「逆オリンピック」――才能がないことをジャッジされる大会が堂々と開催されるのである。『「ブス」テレビ』は、その代表例と言っていいだろう。

 なぜスポーツに関しては、優秀な人だけが称えられるのに、女性の美醜問題では、「逆オリンピック」が開催されるか。それは、ブスをあざける人が、自分のポジションをどう自覚しているのかの問題ではないだろうか。

 オリンピックに、「自分は出られる」もしくは「出る権利がある」と信じている人は稀だろう。オリンピックを見る際に、「自分にはできないことを、できるなんてすごい」という敬意を持ちながら見る人もいるはずだ。力関係を端的に表すと、「アスリート>自分」なのである。

 しかし、女性の美醜問題では「自分はいろいろ言っていい」「ジャッジする権利がある」と信じて疑わない人が多いのではないだろうか。

 世の中には、正当な理由から「女性の容姿をジャッジする権利がある」人というのは、存在する。例えば、女性アイドルオーディションの審査員はダメ出しする権利がある。また、Amazonプライムビデオで配信されている『バチェラー・ジャパン』のように、1人の男性を複数の女性が取り合っている場合も、バチェラーが「女性の容姿をジャッジする権利がある」状態に陥りやすい。

 「審査員>アイドル志望の女性」「バチェラー>女性参加者」という力関係に疑問を覚える人もいるだろうが、それでオーディションに合格したり、女性側がバチェラーに「選ばれる」ことにメリットがあると感じているのなら、win-winだろう。

 厄介なのは、「女性側にメリットもないのに、女性の容姿をジャッジする権利がある」と思い込んでいる人、つまり、「自分>女性」と信じて疑わない人ではないだろうか。自分が女性より立場が「上」と信じる人にとって、『「ブス」テレビ』のような「逆オリンピック」は、自分の気持ちを代弁してくれる気持ちよさ、弱い者いじめのような面白さがあるのだと思う。

 『「ブス」テレビ』は、「ブスはいくらで脱いじゃうのか?」で、さんざん「ブス」をコケにしたわけだが、バランスを取ろうと思ったのか、番組後半で「ブスだけどこの男はちょろかった!」いうテーマのコーナーを放送していた。「ブス」たちが簡単にヤれたオトコの特徴を話すという内容だ。アクティブにセックスを楽しむという「明るい面」を伝えているのだから、この番組は「ブス」を貶めていませんよ……そんなエクスキューズだったのかもしれないが、もしそうなら、それこそが「自分>女性」と信じる人たちの、典型的な発想ではないだろうか。というのも、この企画には、「ブスはモテないから、男にセックスしてもらえない」という制作側の思い込みを私は感じるのだ。しかし、セックスは「してもらう」ものではない。故にブスがセックスをすることは、不思議なことでも、すごいことでもないのである。

 『「ブス」テレビ』の公式HPには、「世の中『ブス』の方が多数派でしょ!」と書かれている。確かに、美貌でお金を稼げるレベルの女性以外を「ブス」とするなら、この言い分は正しい。しかし、決定的に欠けている視点がある。男性とてカオで商売できる人はほとんどいないわけだから、男女はイーブンなはずだ。にもかかわらず、女性だけをしつこく「ブス」と言うのは、「オトコは顔じゃないけれど、オンナは顔」という思い込みが存在するからで、美醜の問題ではなく、根っこにあるのは男女差別ではないだろうか。

 人が多数いれば、どうしても序列は生まれるので、ブスやブサイクと言われる男女が生まれてしまう。それ自体は「数学で赤点取った」「徒競走でビリだった」ことと同じで、特に深い意味はないだろう。しかし、ブサイクに比べ、ブスという特徴だけが、人格否定にも似た強さで、責められるのはどうしてなのだろう。表面的にブスの味方をするよりも、「なぜそんなにブスを責めるのか」を討論する番組を、Abema TVは作ってくれないだろうか。きっと「嫌いだから」の一言で終わってしまうと思うけど。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

眞子さまと小室圭氏の結婚問題に悩まれる紀子さまへ。「ネットを見ない方がいい」と進言したいワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「いっそ“結婚”を認めて発表してしまった方が、まだ良いのかもしれませんね」紀子さま
「週刊新潮」9月12日号(新潮社)

 本当にどうしたもんだか、というのが多くの人の感想ではないだろうか。

 秋篠宮家のご長女・眞子さまと小室圭氏のご婚約内定会見が行われたのが、2017年9月のこと。小室氏の仕事が安定していないことに一抹の不安を感じた国民もいただろうが(私もその一人である)、おおむね祝福ムードだったのではないか。

 しかし、同年12月、「週刊女性」(主婦と生活社)が「眞子さま、嫁ぎ先の“義母”が抱える400万超の“借金トラブル”」というタイトルで、小室氏の母親の金銭トラブルをすっぱ抜く。

 小室氏が幼い頃に父親は自死しており、母親はある男性と婚約していた。学費が高いとされるインターナショナルスクールや留学費用、アナウンサースクールの授業料は、この男性が“援助”していたが、あまりに金銭の要求が多くなってきたので、男性は婚約を解消。かわりに小室氏の母にこれまで「貸した」400万円の返済を求めたが、母親は「贈与だと認識している」と返済を拒否しているという内容だった。

 世間からは、「皇室に連なる家庭が、こんなことでいいのか」という意見が上がり、18年の2月に、結納にあたる“納采の儀”が延期されたことを宮内庁が発表。さらに、小室氏は3年間のアメリカ留学に出掛けてしまう。「週刊朝日」(朝日新聞出版)によると、授業料は奨学金で賄い、生活費はかつての勤務先である法律事務所が負担するという。法学部卒でない小室氏が奨学金をもらえるのはどうしてなのか、また法律事務所が、弁護士資格を持たない青年の生活費を丸抱えしてどんなメリットがあるのかを考えると、なんらかのチカラが働いているのではないかと疑問を持つ人は多いだろう。

 小室氏が留学して1年余りが経過したが、結婚問題に進展はない。仮に弁護士資格が得られたとしても、将来の見通しはそう甘くないようだ。ニューヨーク州の弁護士資格を持つ山口真由氏は「女性自身」(光文社)の取材に対し、「仮に合格しても、もとから日本の資格を持っていない人はニューヨークの州法しか扱えないので、日本での仕事はかなり限られます」「アメリカの法曹界はものすごい学歴社会なんです。スタンフォード、ハーバードといった『トップ14』と呼ばれる名門ロースクール出身者でなければ、都市部の大きな事務所では門前払いでしょう」とコメント。合格しても生活が安定するのは厳しいとの見方を示した。

 400万円問題も一向に解決しそうにない。元検察官で弁護士の清原博氏は同誌の取材に対し、借用書がないので返済義務はない、返済ではなく、和解金や謝礼という形にするのが一般的としたうえで、「『債務不存在確認訴訟』といって、借金がないことを裁判所に確認してもらうことができます」と打開策を提案している。しかし、訴訟となれば弁護士を依頼する必要があり、当然費用もかかるが、これまでの小室家の行動を見る限り、自腹を切って動くタイプではないと言えるだろう。これからもずっと「借金ではなく、贈与だ」と言い続けるのではないだろうか。

 小室氏に対してはもちろん、国民がプリンセスや秋篠宮家に向けるまなざしは厳しいものとなっている。9月12日号の「週刊新潮」(新潮社)によると、追い詰められた紀子さまは「このまま批判を浴び続けるくらいなら、いっそ“結婚”を認めて発表してしまった方が、まだ良いのかもしれませんね」などと、関係者に述べられたという。

 秋篠宮家が批判にさらされてイメージダウンすれば、悠仁さまという皇位継承者に対する国民の敬意をも薄れてしまうと紀子さまはお考えかもしれないが、もし本当にそうした思いで結婚を許可したら、紀子さまは、世間からの「眞子さまの今後を考えていない「眞子さまのことを切り捨てた」「冷たい母親」といった批判にさらされるのではないか。ご成婚以降、優等生妃殿下でいらした紀子さまには大きな屈辱だろうし、眞子さまが結婚した後、新たなトラブルが起きないとは言い切れない。

 冷静に「結婚か破談か」を見極めるため、紀子さまにできることは何なのだろうか。

 婚約会見で自分のことを「ニブい」と語った小室氏。であるなら、紀子さまは「ニブい」人にもわかるように、具体的な数字で、小室氏に結婚の条件を提示したらどうか。「〇年以内に小室家が400万円を全額返す」「小室氏が年収〇万円以上を達成する」ことを条件にすれば、話が早いはずだ。もしそれでも「返さない」「稼げない」というのなら、プリンセス云々の前に、一人のオトナとして誰とも結婚する資格はないと思う。しかし、これらの基準をクリアできるのなら、プリンセスとの結婚を認めてあげた方がよいのではないだろうか。はっきりとした基準があることは、プリンセスの気持ちを固める上でも有効だと思われる。

 そして、もう1つ。「週刊女性」が、「自分たちが国民からどう思われているかを知るために、紀子様はネットニュースをチェックしていることがある」という秋篠宮家関係者の証言を掲載していたが、紀子さまはネットをご覧になるのをやめた方がよいのではないかと思う。

 紀子さまご成婚の際、大きく報じられたのが、「家にテレビがない」ことだった。勉学の妨げになるとの方針で置かないというのが、いかにも学者家庭の川嶋家らしいが、私もある時期、テレビがない生活をしたことがある。意外なほど、不便はなかった。それどころか、勝ちとか負けとか、ブスとか美人というような二元論の世界から離れられて、精神衛生上よかった。

 ご成婚前こそ、紀子さまもお輿入れに必要なもの、例えば、手袋といったさして高額でないものも、天皇家に請求書を回して美智子さまにため息をつかせていると「週刊文春」(文藝春秋)に書かれたことがあるが、皇室に入られた紀子さまは、その環境にすんなりとなじまれた印象がある。その強靭なメンタルが作られた要因の1つは、テレビのない生活を送り、無駄な情報を入れなかったために、強い自己肯定感を保てたからではないだろうか。

 情報を得るものとして、テレビとネットは同じ役割と言えるが、そうは言っても、テレビにはスポンサーがついており、出演者であるタレントやコメンテーターは顔をさらしている分、発言には自制心が働く。しかし、ネットは顔が見えないため、無法地帯である。特に格差社会を迎え、カネに敏感になっている国民にとって、皇室の権威と持参金を手にしようとしているようにも見える小室氏を叩いて、自分の日常のウサを晴らしたいと考える人はいるだろう。そういった書き込みを紀子さまがご覧になると、精神的にも消耗することは間違いないし、何よりもプリンセスが安定した結婚生活を送るためにはどうしたらいいのか、という本質を見失ってしまわないだろうか。

 いずれにしても、国民が願うことは、プリンセスのお幸せである。「小室さん、ちょっと頑張ってよ」と背中を叩きたい思いでいるのは、私だけではないはずだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

眞子さまと小室圭氏の結婚問題に悩まれる紀子さまへ。「ネットを見ない方がいい」と進言したいワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「いっそ“結婚”を認めて発表してしまった方が、まだ良いのかもしれませんね」紀子さま
「週刊新潮」9月12日号(新潮社)

 本当にどうしたもんだか、というのが多くの人の感想ではないだろうか。

 秋篠宮家のご長女・眞子さまと小室圭氏のご婚約内定会見が行われたのが、2017年9月のこと。小室氏の仕事が安定していないことに一抹の不安を感じた国民もいただろうが(私もその一人である)、おおむね祝福ムードだったのではないか。

 しかし、同年12月、「週刊女性」(主婦と生活社)が「眞子さま、嫁ぎ先の“義母”が抱える400万超の“借金トラブル”」というタイトルで、小室氏の母親の金銭トラブルをすっぱ抜く。

 小室氏が幼い頃に父親は自死しており、母親はある男性と婚約していた。学費が高いとされるインターナショナルスクールや留学費用、アナウンサースクールの授業料は、この男性が“援助”していたが、あまりに金銭の要求が多くなってきたので、男性は婚約を解消。かわりに小室氏の母にこれまで「貸した」400万円の返済を求めたが、母親は「贈与だと認識している」と返済を拒否しているという内容だった。

 世間からは、「皇室に連なる家庭が、こんなことでいいのか」という意見が上がり、18年の2月に、結納にあたる“納采の儀”が延期されたことを宮内庁が発表。さらに、小室氏は3年間のアメリカ留学に出掛けてしまう。「週刊朝日」(朝日新聞出版)によると、授業料は奨学金で賄い、生活費はかつての勤務先である法律事務所が負担するという。法学部卒でない小室氏が奨学金をもらえるのはどうしてなのか、また法律事務所が、弁護士資格を持たない青年の生活費を丸抱えしてどんなメリットがあるのかを考えると、なんらかのチカラが働いているのではないかと疑問を持つ人は多いだろう。

 小室氏が留学して1年余りが経過したが、結婚問題に進展はない。仮に弁護士資格が得られたとしても、将来の見通しはそう甘くないようだ。ニューヨーク州の弁護士資格を持つ山口真由氏は「女性自身」(光文社)の取材に対し、「仮に合格しても、もとから日本の資格を持っていない人はニューヨークの州法しか扱えないので、日本での仕事はかなり限られます」「アメリカの法曹界はものすごい学歴社会なんです。スタンフォード、ハーバードといった『トップ14』と呼ばれる名門ロースクール出身者でなければ、都市部の大きな事務所では門前払いでしょう」とコメント。合格しても生活が安定するのは厳しいとの見方を示した。

 400万円問題も一向に解決しそうにない。元検察官で弁護士の清原博氏は同誌の取材に対し、借用書がないので返済義務はない、返済ではなく、和解金や謝礼という形にするのが一般的としたうえで、「『債務不存在確認訴訟』といって、借金がないことを裁判所に確認してもらうことができます」と打開策を提案している。しかし、訴訟となれば弁護士を依頼する必要があり、当然費用もかかるが、これまでの小室家の行動を見る限り、自腹を切って動くタイプではないと言えるだろう。これからもずっと「借金ではなく、贈与だ」と言い続けるのではないだろうか。

 小室氏に対してはもちろん、国民がプリンセスや秋篠宮家に向けるまなざしは厳しいものとなっている。9月12日号の「週刊新潮」(新潮社)によると、追い詰められた紀子さまは「このまま批判を浴び続けるくらいなら、いっそ“結婚”を認めて発表してしまった方が、まだ良いのかもしれませんね」などと、関係者に述べられたという。

 秋篠宮家が批判にさらされてイメージダウンすれば、悠仁さまという皇位継承者に対する国民の敬意をも薄れてしまうと紀子さまはお考えかもしれないが、もし本当にそうした思いで結婚を許可したら、紀子さまは、世間からの「眞子さまの今後を考えていない「眞子さまのことを切り捨てた」「冷たい母親」といった批判にさらされるのではないか。ご成婚以降、優等生妃殿下でいらした紀子さまには大きな屈辱だろうし、眞子さまが結婚した後、新たなトラブルが起きないとは言い切れない。

 冷静に「結婚か破談か」を見極めるため、紀子さまにできることは何なのだろうか。

 婚約会見で自分のことを「ニブい」と語った小室氏。であるなら、紀子さまは「ニブい」人にもわかるように、具体的な数字で、小室氏に結婚の条件を提示したらどうか。「〇年以内に小室家が400万円を全額返す」「小室氏が年収〇万円以上を達成する」ことを条件にすれば、話が早いはずだ。もしそれでも「返さない」「稼げない」というのなら、プリンセス云々の前に、一人のオトナとして誰とも結婚する資格はないと思う。しかし、これらの基準をクリアできるのなら、プリンセスとの結婚を認めてあげた方がよいのではないだろうか。はっきりとした基準があることは、プリンセスの気持ちを固める上でも有効だと思われる。

 そして、もう1つ。「週刊女性」が、「自分たちが国民からどう思われているかを知るために、紀子様はネットニュースをチェックしていることがある」という秋篠宮家関係者の証言を掲載していたが、紀子さまはネットをご覧になるのをやめた方がよいのではないかと思う。

 紀子さまご成婚の際、大きく報じられたのが、「家にテレビがない」ことだった。勉学の妨げになるとの方針で置かないというのが、いかにも学者家庭の川嶋家らしいが、私もある時期、テレビがない生活をしたことがある。意外なほど、不便はなかった。それどころか、勝ちとか負けとか、ブスとか美人というような二元論の世界から離れられて、精神衛生上よかった。

 ご成婚前こそ、紀子さまもお輿入れに必要なもの、例えば、手袋といったさして高額でないものも、天皇家に請求書を回して美智子さまにため息をつかせていると「週刊文春」(文藝春秋)に書かれたことがあるが、皇室に入られた紀子さまは、その環境にすんなりとなじまれた印象がある。その強靭なメンタルが作られた要因の1つは、テレビのない生活を送り、無駄な情報を入れなかったために、強い自己肯定感を保てたからではないだろうか。

 情報を得るものとして、テレビとネットは同じ役割と言えるが、そうは言っても、テレビにはスポンサーがついており、出演者であるタレントやコメンテーターは顔をさらしている分、発言には自制心が働く。しかし、ネットは顔が見えないため、無法地帯である。特に格差社会を迎え、カネに敏感になっている国民にとって、皇室の権威と持参金を手にしようとしているようにも見える小室氏を叩いて、自分の日常のウサを晴らしたいと考える人はいるだろう。そういった書き込みを紀子さまがご覧になると、精神的にも消耗することは間違いないし、何よりもプリンセスが安定した結婚生活を送るためにはどうしたらいいのか、という本質を見失ってしまわないだろうか。

 いずれにしても、国民が願うことは、プリンセスのお幸せである。「小室さん、ちょっと頑張ってよ」と背中を叩きたい思いでいるのは、私だけではないはずだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

高嶋ちさ子、「オンナにはみんなウラがある」の主張――「性別」で性格を決める不可思議

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「オンナはみんなウラがある」高嶋ちさ子
『ザワつく! 一茂 良純 時々ちさ子の会』(テレビ朝日系、8月30日)

 人柄もしくは性格を決定づけるのは、行動とされている。例えば、人に対して親切に接する人は「優しい」とみなされる……そう信じている人は多いだろうが、それは本当だろうか。

 今年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)に美容家・IKKOが出演し、「人生を変えた人」を紹介していた。横浜・元町の美容院で厳しい修行を積んだIKKO。その美容院のオーナーに、美容師としての技術はもちろん、礼儀作法も徹底的に仕込まれた。主婦と生活社が運営するニュースサイト「週刊女性PRIME」によると、IKKOはタレントとして活動を始めた頃から、テレビ出演の際に、共演者全員に直筆の手紙とちょっとしたプレゼント(ただし、自分の開発した商品以外)を欠かさないそうだ。

 礼儀を重んじる良識は、横浜の修業時代に培われたのかもしれない。ネットには「IKKOさん、いい人」という意見が多く見受けられた。

 もちろん、それに異論はないが、それではもしIKKOがヘアメイクとして頭角を現していない頃に、周囲に感謝の手紙やプレゼントを渡したらどうだろう。「いい人」と言ってもらえるだろうか?

 恐らく、否だろう。そんなことよりも、本業であるヘアメイクの上達に時間をかけるべきだという意見が出てくるはずだ。人柄や性格といった「内面」は、肩書、社会的地位などの「外面」と無関係であるかのように思われるが、実は連動していると言えるのではないか。本業(仕事)で成果を出しているからこそ、「人間ができている」「いい人だ」と言われるのだと思う。

 このように、「内面は外面と連動する」が私の性格持論だが、バラエティー番組は時々、「性別」や「見た目」で性格を決めてしまう。8月30日放送の『ザワつく! 一茂 良純 時々ちさ子の会』(テレビ朝日系)では、ロンドンで連携してスリを働く外国人美女3人組の動画を紹介していた。同番組進行のサバンナ・高橋茂雄は、MCの高嶋ちさ子に「やはり、美人はウラがあるんですか?」と質問を投げかける。

 人にウラがあることと、犯罪を働くのは次元の違う話だし、美人がみんな犯罪者であるわけはないので、かなり極端な質問と言えるが、毒舌売りをしている高嶋に話をフるのは「美人」もしくは「ウラのあるオンナ」をぶった斬ってほしいというパスだろう。高嶋は「オンナはみんなウラがある」とし、その根拠として「今年になってオンナに3人だまされている」「弱いところを見せて、人に何かしてもらって、それを踏み台にしていく」と述べた。

 詳細は語らなかったが、かわいそうだと思って助けてあげたら、感謝されるどころか利用されたというところだろうか。

 近づいてきた人が仕事関係の人なのか、それともプライベートで付き合いのある人かはわからないものの、今やバラエティー番組でひっぱりだことなった高嶋。お金も地位もある。たくらみを持って近づいてくる人がいても不思議ではない。

 ここで疑問に思うのが、「オンナにはみんなウラがある」の“みんな”に高嶋自身は含まれているのかということである。

 2017年放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)で、高嶋が夫とのなれそめについて、こんな話をしていたことがある。

 高嶋と夫は合コンで知り合ったが、夫には交際している女性がいた。夫にその女性と結婚するつもりがあるのか尋ねると「ない」と答えたので、「結婚する気がないのに、引っ張るのはかわいそうだから、別れろ」「クリスマスまでに別れろ」とたきつけ、夫は素直にそれに従ったそうだ。そして、高嶋はめでたく彼女となった。

 この方法、十分「ウラがある」と言っていいのではないだろうか。高嶋は夫の顔が大好きで、生まれて初めて自分から積極的にアプローチしたとも話していた。「ウラがある」と言われても、大勝負に出たい気持ちは、高嶋にも理解できるのではないだろうか。また、いくら高嶋に命令されたからと言って、それまで付き合っていた彼女をあっさり捨て、美人ヴァイオリニストとして名高い高嶋に乗り換えた夫だって、ウラがないとは言い切れないだろう。

 つまり、「オンナはみんなウラがある」のでもなく、オトコもオンナもみんなウラがあるのだ。

「〇〇にはウラがある」と言う場合、「〇〇」の中に美人という単語を入れたくなる人もいるだろう。「美人には相手にされないかもしれない」とか「美人は高飛車」という恐れに由来する決めつけだと思われるが、ウラがあることと、外見に因果関係はない。美人だろうがブスだろうが、自分にとって大事なもの、人に渡したくないもの、死守したいものを前にしたとき、法律とその人の常識の範囲内で他人を出し抜くかどうかは個人の問題ではないだろうか。それに、社会人にもなって、ウラがなかったら、求められる仕事を全うできると私には思えない。

 文化人枠からテレビの世界にやって来て、売れっ子になった高嶋。本業であるヴァイオリンのコンサートも満員御礼続きだそうだ。しかし、「好事魔多し」という諺もある。ウラのない人なんていないのだから、本当にシャレにならないだまされ方をしないように、お気をつけいただきたいものである。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

フジテレビ社長に「女として好みのアナ」を質問――山崎夕貴が破った「女子アナの暗黙の了解」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「女として、好みの女性アナウンサーは?」フジテレビ・山崎夕貴アナウンサー
『ダウンタウンなう』(フジテレビ系、8月23日)

 テレビ局が番組を放送することに意図があるとしたら、その一つは「視聴者に希望を与える」ことではないだろうか。

 『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)に対し、「感動ポルノ」という批判は昔からあるものの、ここまで続いているのは、やはり「希望を与えてくれる話」を求める視聴者が多数いると見ることもできる。

 そう考えると、ことバラエティーにおいて、視聴者が「希望を与えてくれる話」を求めているとすると、芸能人たちのぶっちゃけや自虐的な話に人気が集まるのも理解することができる。視聴者は「有名人でも、生活は一般人とたいして変わらないではないか」と共感し、「自分の生活」に希望を抱けるからだ。ただし、この方法は、リスクも伴う。例えば、マツコ・デラックスは『マツコ&有吉かりそめ天国』(テレビ朝日系)で、「ホテルのカレーは高い」と話していたが、「女性自身」(光文社)は、「マツコ ギャラが芸能界最高額に 30万円から4年で1本500万」と報じている。他人のギャラをどうやったら調べられるのか疑問だが、「マツコは庶民的だ、オレたちと同じだ」と信じていた人ほど、こういった高年収話を聞くと、アンチに回ってしまう可能性がある。

 ぶっちゃけや自虐というのは、行うのは簡単かもしれない。しかし、超えてはいけない一線、もしくは暗黙の了解というものがあるのではないだろうか。

 その一線を、8月23日放送の『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に出演した山崎夕貴アナは越してしまったように思えてならない。同番組のゲストは、フジテレビ新社長の遠藤龍之介氏。同局のエースアナウンサーである山崎アナが、聞きたいことを切り込んでいくという趣向だった。

 「若手の給料はどうにかならないか?」「社長はどれくらいもらっているのか?」というように、山崎アナは聞きにくいことを切り込んでいく。カネの話はタブーと上述したが、このように「給料が少ない」系の話であれば、「あんなに売れているアナウンサーも、給料が少ないんだ」とだまされてくれる視聴者はいるはずだから、OKだろう。

 私が度肝を抜かれたのは、山崎アナが「女として、好みの女子アナウンサーは?」と社長に聞いたこと、また「女性アナウンサーは社長に気に入られたいと思っている」と話していたこと。というのは、女子アナの暗黙の了解とは、「女として」見られていること、もしくは「女として」優れていることに、「気づいていないフリ」をすることだと思っていたからだ。

 では、女子アナの「気づいていないフリ」とは何か。

 例えば、フジはかつて『オレたちひょうきん族』という番組を放送していたが、この番組では女子アナがプールに落とされたり、水をかけられたりする演出が多かった。当時子どもだった私でも、プールに落とされるタイミングはわかったが、女子アナたちは逃げない。オトナになると気づくが、あれは単なる笑いではなく、男性へのサービスという意味も含んでいた演出だったのだろう。美人アナウンサーがびしょ濡れになり、洋服が透けたり、ボディーラインが出ることに性的な興奮を覚える男性視聴者も多かったと推測する。だから、女子アナはお仕事としてプールに落とされなければならない。なので子どもでもわかる見え見えの展開でも、「気づいていないフリ」をする必要があったのではないだろうか。それはつまり、「女として」見られていることにも、「気づいていないフリ」をしているということだ。

 この流れは、今日でもあまり変わっていないと思う。『モヤモヤさまぁ~ず2』(テレビ東京)でアシスタントをしていた大江麻理子アナは、さまぁ~ずの命令で筋トレ道具を使い、両足を大きく開いてМ字開脚のような体勢を取らされたことがある。そこで「やめてください!」と言うことは、その体勢がM字開脚であると認識していることと同じだろう。しかし、大江アナがМ字開脚だと「気づかないフリ」をして応じれば、番組は進行するし、男性視聴者も喜ぶ。大江アナはよくきょとんとした顔をしていたが、これは「気づいていないフリ」を表情で表したものではないだろうか。

 女子アナは自分の美貌やその価値についても、「気づいていない」ように振る舞う必要があるように思う。女子アナと言えば、ミスコンの覇者が多いことでもよくわかるように、美貌が要求される職業と言えるだろう。しかし、女子アナがアナウンサーとしての資質に美貌を挙げることはない。例えば、TBSラジオ『ジェーン・スー 相談は踊る』で、「どうしたらアナウンサーになれるか」という女子大生に対し、同局の江藤愛アナは「なりたいという気持ちが大事」「アナウンサーが出した本を読む」とアドバイスしていた。江藤アナは準ミス青山に輝いているが、女子大生に「見た目も重要」というようなアドバイスをはしない。美貌が必要なことは明らかではあるものの、「女として」認められたからではなく、あくまでも「会社員として」有能であると認められたふうに振る舞うのが、女子アナの掟というやつではないだろうか。

 接客のプロという意味ではなく、「オトコを喜ばす」という意味のホステスだと揶揄されることも多かった女子アナ。山崎アナの先輩にあたる中村江里子は、女子アナの性的な部分がクローズアップされたり、意図的にスキャンダラスに書かれることに対し、1998年の「週刊文春」(文藝春秋)で、「いい加減にしてよ女子アナいじめ」というタイトルで寄稿している。エルメスフリークとして知られていた中村は、とんねるず・石橋貴明にかわいがられていたこともあって「石橋から渡されたカードでエルメスを買っている」など書き立てられたことに怒り、中村をはじめとする女子アナは「会社員として」堅実に仕事をしていると訴えていた。

 しかし、あれから20余年の時を経て、後輩である山崎アナは、この「#Me Too」時代に「女性アナウンサーは社長に気に入られたいと思っている」と話したり、「女として、好みの女性アナウンサーは?」と質問することにより、フジもしくは女子アナのホステス気質を暴露してしまったわけだ。これは間違いなく、フジ全体のイメージダウンだろう。

 「NHKから国民を守る党」が「NHKをぶっ壊す」というスローガンを掲げたとき、「あり得ない」と受け止めた人は多かったことだろう。しかし、選挙で勝利した。地方出身で、就職試験まで一度も東京に来たことがなく、売れない芸人と結婚した“庶民派アナ”の山崎アナが、フジテレビをぶっ壊してしまう日があり得ないとは言い切れないかもしれない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。