藤原紀香、新型コロナ感染拡大に「地球よーごめんね」……「誰も傷つけない」発言の妙

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「地球よーごめんね」藤原紀香
「藤原紀香オフィシャルブログ」(3月27日)

 「お祝い」と「お悔やみ」というのは、オトナになると避けて通れないものになるが、芸能人や有名人の場合、これらの義理事が「自身のアピールの場になる」という側面も否定できない部分があるだろう。大スターが結婚した場合、また亡くなった場合など、芸能人など各界の著名人がコメントを発表し、それをメディアが取り上げることで、自分にスポットが当たるからである。

 お祝いとお悔やみ、どちらも言葉を選ぶ必要があることに違いはないが、より難しいのはお悔やみではないだろうか。そんなつもりはなくても、不謹慎だったり、不道徳と受け止められる発言をすると、深い悲しみの中にいるご遺族をさらに傷つけることになる。だからこそ、難しいと言えるし、もっと言うとお悔やみを言う側の“本質”のようなものが見える気がしてならない。

 タレントの志村けんさんが、3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。所属事務所は志村さんが感染と入院をその前に発表していたが、誰もが回復を信じていたのではないか。それだけに、国民が受けたショックも大きく、こういう不測の事態に、「この人って自分のことしか考えていないんだなぁ」と真底思わされたのが、小池百合子東京都知事のお悔やみコメントだ。

「まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。志村さんと言えば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり笑いを届けてくださったと感謝したい。最後に悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています。お悔やみ申し上げます」

 志村さんは「新型コロナウイルスは怖いんだよ」と国民に伝えるために、亡くなったのではない。ご本人も回復を望んでいたと思うが、新種のウイルスを前に、医師団も志村さんもなすすべがなかったのだろう。人の死を“功績”と変換してしまうあたりに、小池都知事の情のなさが露呈し、やはり彼女が自分のことしか考えていないと思わされるのだ。

 小池都知事は同25日の会見で、「感染爆発の重大局面」として、平日はなるべく家で仕事を、夜の外出は控えて、週末も不要不急の外出は取りやめるように促している。また同27日には「接待を伴う飲食の場で、感染を疑う事例が多発している。ナイトクラブやバーなどの入店を、当面控えてほしい」と呼びかけた。一言でいえば、なるべく家から出ないような生活をしてくれ、ということではないだろうか。

 しかし、同29日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)によると、渋谷や原宿は若者が激減しているものの、目黒川沿いには桜を見たい若者が集まっていた。自治体は花見自粛の看板を出しているが、若者たちはスマホで桜を撮影している。20代のある女性は「ずっと通勤で混んでいる電車を使っていて、今更自粛って言われても……」といった具合に、危機意識は薄いようだ。

 もちろん若者全員が同じ考えだとは思わないが、小池都知事が再三、三密(換気の悪い密閉空間、大勢がいる密集場所、間近で会話する密接場面)を避けるように呼び掛けても、どこか他人事だった人はいただろう。しかし、志村さんという国民的大スターが亡くなったことで、新型コロナウイルスの怖さが身に染みて、なるべく外出を控えようと思う人も増えるはずだ。それで感染爆発が抑えられれば、国民の安全な生活が保たれることはもちろん、それを主導した政治家としての小池都知事の手腕を示すアピール材料になるのではないか。こうやって考えていくと、「最後の功績」が誰のための言葉かと言えば、小池都知事本人のためではないだろうか。

 結果を出すのが政治家の宿命とは言え、人の死を軽視するような発言は、聞いていて気持ちのいいものではない。それに比べると、なんとも間が抜けていて、いい感じなのが、藤原紀香の新型コロナウイルスに関する記述だ。特定の人物へのお悔やみの言葉ではないのだが、新型コロナウイルスが世界中に大きな被害をもたらしていることに関し、“お気持ち表明”をしている。これもまた言葉選びが難しいものと言えるだろう。

 同27日、紀香はブログに「オリンピックが延期となりました。コロナが依然として猛威を奮いまくっています。こんなこと、誰が予想したでしょう」とつづっている。新型コロナウイウスを「目に見えないものとの闘い」とし、「目に見えないものといえば、ウイルスだけでなく、これまで自然や動物の声を、人はちゃんと聞いてきたのだろーか(中略)地球よーごめんね、そしてありがとう」と結んでいる。

 おそらく、紀香はウィルスを環境破壊によってもたらされる公害かなにかだと思っているのだろうが、それは違う。ウイルスや細菌と人類の付き合いは非常に長く、人類はこれらと戦いながら、生き延びてきたとも言える。

 例えば、最近、日本でも爆発的に罹患者が増えている梅毒は、まだ断定されていないものの、15世紀の終わりに、コロンブスが新大陸から持ち帰ったという説が濃厚である。新大陸を発見すれば、新たな領土、奴隷、農作物が手に入るという利点がある。しかし、梅毒のように不必要なものをもらってしまうこともあるわけだ。新型コロナウイルスが最初に発見されたのは、中国の武漢市だが、そこから中国全土、世界各国に広がっていった。グローバル化が進むと、貿易や旅行がしやすくなるなどいいことが増えるが、その一方で伝染病など好ましくないものをもらってきしまうリスクも高まると言える。コロンブスの時代も現代も構造的には変わらないと言えるだろう。

 理論で言えば、紀香の書いている「地球よーごめんね」は的外れである。しかし、紀香のこの文章は誰も傷つけない。加えて、ちょっとズレているという意味で面白くて、話題性もあるのでネットニュースにもなる。だが、炎上するほどではない。

 「話題になる」という芸能人としてのお仕事を果たしながら、越えてはいけない一線を越えることはない。紀香ってやっぱり、芸能人として、すごいと言わざるを得ない。

藤原紀香、新型コロナ感染拡大に「地球よーごめんね」……「誰も傷つけない」発言の妙

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「地球よーごめんね」藤原紀香
「藤原紀香オフィシャルブログ」(3月27日)

 「お祝い」と「お悔やみ」というのは、オトナになると避けて通れないものになるが、芸能人や有名人の場合、これらの義理事が「自身のアピールの場になる」という側面も否定できない部分があるだろう。大スターが結婚した場合、また亡くなった場合など、芸能人など各界の著名人がコメントを発表し、それをメディアが取り上げることで、自分にスポットが当たるからである。

 お祝いとお悔やみ、どちらも言葉を選ぶ必要があることに違いはないが、より難しいのはお悔やみではないだろうか。そんなつもりはなくても、不謹慎だったり、不道徳と受け止められる発言をすると、深い悲しみの中にいるご遺族をさらに傷つけることになる。だからこそ、難しいと言えるし、もっと言うとお悔やみを言う側の“本質”のようなものが見える気がしてならない。

 タレントの志村けんさんが、3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。所属事務所は志村さんが感染と入院をその前に発表していたが、誰もが回復を信じていたのではないか。それだけに、国民が受けたショックも大きく、こういう不測の事態に、「この人って自分のことしか考えていないんだなぁ」と真底思わされたのが、小池百合子東京都知事のお悔やみコメントだ。

「まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。志村さんと言えば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり笑いを届けてくださったと感謝したい。最後に悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています。お悔やみ申し上げます」

 志村さんは「新型コロナウイルスは怖いんだよ」と国民に伝えるために、亡くなったのではない。ご本人も回復を望んでいたと思うが、新種のウイルスを前に、医師団も志村さんもなすすべがなかったのだろう。人の死を“功績”と変換してしまうあたりに、小池都知事の情のなさが露呈し、やはり彼女が自分のことしか考えていないと思わされるのだ。

 小池都知事は同25日の会見で、「感染爆発の重大局面」として、平日はなるべく家で仕事を、夜の外出は控えて、週末も不要不急の外出は取りやめるように促している。また同27日には「接待を伴う飲食の場で、感染を疑う事例が多発している。ナイトクラブやバーなどの入店を、当面控えてほしい」と呼びかけた。一言でいえば、なるべく家から出ないような生活をしてくれ、ということではないだろうか。

 しかし、同29日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)によると、渋谷や原宿は若者が激減しているものの、目黒川沿いには桜を見たい若者が集まっていた。自治体は花見自粛の看板を出しているが、若者たちはスマホで桜を撮影している。20代のある女性は「ずっと通勤で混んでいる電車を使っていて、今更自粛って言われても……」といった具合に、危機意識は薄いようだ。

 もちろん若者全員が同じ考えだとは思わないが、小池都知事が再三、三密(換気の悪い密閉空間、大勢がいる密集場所、間近で会話する密接場面)を避けるように呼び掛けても、どこか他人事だった人はいただろう。しかし、志村さんという国民的大スターが亡くなったことで、新型コロナウイルスの怖さが身に染みて、なるべく外出を控えようと思う人も増えるはずだ。それで感染爆発が抑えられれば、国民の安全な生活が保たれることはもちろん、それを主導した政治家としての小池都知事の手腕を示すアピール材料になるのではないか。こうやって考えていくと、「最後の功績」が誰のための言葉かと言えば、小池都知事本人のためではないだろうか。

 結果を出すのが政治家の宿命とは言え、人の死を軽視するような発言は、聞いていて気持ちのいいものではない。それに比べると、なんとも間が抜けていて、いい感じなのが、藤原紀香の新型コロナウイルスに関する記述だ。特定の人物へのお悔やみの言葉ではないのだが、新型コロナウイルスが世界中に大きな被害をもたらしていることに関し、“お気持ち表明”をしている。これもまた言葉選びが難しいものと言えるだろう。

 同27日、紀香はブログに「オリンピックが延期となりました。コロナが依然として猛威を奮いまくっています。こんなこと、誰が予想したでしょう」とつづっている。新型コロナウイウスを「目に見えないものとの闘い」とし、「目に見えないものといえば、ウイルスだけでなく、これまで自然や動物の声を、人はちゃんと聞いてきたのだろーか(中略)地球よーごめんね、そしてありがとう」と結んでいる。

 おそらく、紀香はウィルスを環境破壊によってもたらされる公害かなにかだと思っているのだろうが、それは違う。ウイルスや細菌と人類の付き合いは非常に長く、人類はこれらと戦いながら、生き延びてきたとも言える。

 例えば、最近、日本でも爆発的に罹患者が増えている梅毒は、まだ断定されていないものの、15世紀の終わりに、コロンブスが新大陸から持ち帰ったという説が濃厚である。新大陸を発見すれば、新たな領土、奴隷、農作物が手に入るという利点がある。しかし、梅毒のように不必要なものをもらってしまうこともあるわけだ。新型コロナウイルスが最初に発見されたのは、中国の武漢市だが、そこから中国全土、世界各国に広がっていった。グローバル化が進むと、貿易や旅行がしやすくなるなどいいことが増えるが、その一方で伝染病など好ましくないものをもらってきしまうリスクも高まると言える。コロンブスの時代も現代も構造的には変わらないと言えるだろう。

 理論で言えば、紀香の書いている「地球よーごめんね」は的外れである。しかし、紀香のこの文章は誰も傷つけない。加えて、ちょっとズレているという意味で面白くて、話題性もあるのでネットニュースにもなる。だが、炎上するほどではない。

 「話題になる」という芸能人としてのお仕事を果たしながら、越えてはいけない一線を越えることはない。紀香ってやっぱり、芸能人として、すごいと言わざるを得ない。

唐田えりか、「杏から東出を略奪するため」に必要だったこと――「結婚とカネ」を考える

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「事務所の人も行方をつかめていないという話が……」山田美保子
『サンデー・ジャポン』(TBS系、3月22日)

 杏は、夫である俳優・東出昌大の不倫を許すのか――? 俳優・東出昌大が3月17日に不倫の謝罪会見を開いたことで、夫婦の今後に注目が集まっている。別居は続けているものの、杏は東出と子どものコミュニケーションは拒否していないそうなので、「杏は東出を許すのではないか」と見る人もいれば、一方、マスコミからの「杏と唐田、どちらが好きか?」という質問に、東出が妻である杏と即答しなかったことから、「杏も愛想を尽かして離婚に踏み切るのではないか」と見る人もいるようだ。

 杏の決断はいずれ明らかになるだろうが、金銭的な面で考えると、東出は離婚したくないのではないか。

 不倫騒動の影響を受けて、東出はCMを降板している。「フライデー」(講談社)によると、CMの違約金は2億円とのこと。東出に仕事があれば、支払うことはできるだろうが、イメージダウンした今の彼に、不倫報道前のようにオファーが来るかというと疑問だ。加えて、もし離婚となれば、家族で暮らす豪邸を完全に出なければならず、慰謝料や3人の養育費も払わなくてはならない。やはり、仕事がなければ、これらを支払うことができないだろう。しかし、杏に許してもらえれば、とりあえず食いっぱぐれることはない。杏と今後も一緒にいられれば、「危機を乗り越えた夫婦」と世間のイメージも変わり、仕事面でやり直せる可能性もゼロではないだろう。

 東出の所属事務所も、離婚は避けたいと思っているのではないか。事務所はビジネス的観点から、売れっ子である東出を早く復帰させて、違約金分を含めた金額を稼いでもらいたいというのが本音だろう。謝罪会見は、事務所がお膳立てをしたと考えるのが一般的だが、なぜそのように骨を折るかというと、正式な謝罪をしなければ、東出は芸能活動ができないから。会見での受け答えのうまさは、さほど問題ではなく、芸能記者に囲まれてぼこぼこにされ、“公開処刑”されることが、禊ぎになるのではないかと私は感じている。

 それに対し、唐田えりかの復帰は相当厳しいのではないか。3月22日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)に出演した山田美保子センセイは、「(唐田は)消息不明でして、事務所の人も行方をつかめていないという話が……」と言っていたが、これが唐田の立場を端的に表していると言えるのではないだろうか。事務所が行方をつかめていないというのは、事務所がさじを投げている、もしくはどうでもいい存在だと思っていることの表れのようにも感じられるのだ。女優業の先輩の夫と不倫をし、それをSNSで匂わせるとは相当タチが悪いだけに、事務所からそういった扱いをされても「当然」と思う人もいるだろう。しかし、不倫の“共犯”である東出には、事務所と経済力のある妻という守ってくれる人がいることを考えると、現在の東出と唐田はどちらも危機的状況にあると言えど、そのレベルには雲泥の差があると言えるのではないか。

 なぜこのような不均衡が起きるのか。それは、芸能界という「弱肉強食」「勝てば官軍」の世界では、売れていない人の立場が圧倒的に弱いからだろうが、加えて結婚という契約が、案外「重い」からではないか。

 恋愛と結婚の一番の差は、カネに対する権利と言えるだろう。恋愛なら、カップルのどちらがデート費用などにカネを出そうと、二人がよければ問題はないが、結婚においては、民法がカネの“分担義務”という基本理念を定めている。例えば、民法第760条には「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する」とある。結婚生活を送るにあたり、必要な費用は二人で協力して出しましょうという意味で、別居中であっても、生活費は分けてはならないとされているのだ。さらに、民法762条には「夫婦のいずれに属するか明らかでない財産は、その共有に属するものと推定する」とあり、結婚後につくった財産は(所有が明らかではない場合)、二人のものとされている。つまり「オレ(私)が稼いだんだから、オレ(私)のもの」とはならないわけだ。この原則を好意的に解釈すれば、“夫婦平等”と見ることができるだろうが、うがった見方をすると、稼いだ金が二人のものになるだけに、収入の高いほうも低いほうも「別れると損」なことに気づく。法律が、夫婦を別れにくくするように、やんわり縛っていると言えるのではないか。

 唐田がどんなつもりで不倫をしていたのかはわからないが、東出を奪いたいと思っていたのなら、「別れると損」というカネにまつわる結婚の原則を打破する必要があったのではないか。唐田が売れて稼いでいるのであれば、東出が唐田に乗り換えても損はないが、そうでなければ、特に唐田と結婚する意味はないだろう。また、唐田が売れっ子の稼ぎ頭であれば、不倫がバレても事務所も全力で守ってくれたはずだ。不倫する女性芸能人にとって「売れているか、稼げているかどうか」は、大きな意味を持つように思う。

 不倫が露見すればバッシングされ、仕事を失う――これまでのスキャンダルを見てわかっているはずなのに、それでも一向に減らない芸能人の不倫。それだけ甘美なものなのかもしれないが、不倫をするなとは言わないものの、せめて売れてから。稼いでいないうちは、不倫はダメ。独身女性芸能人のみなさんは、ぜひ自分が損をしない選択をしてほしいものだ。

「杏と唐田どちらが好き?」という質問を絶賛――『とくダネ!』と小倉智昭に危惧すること

「杏と唐田どちらが好き?」という質問を絶賛――『とくダネ!』と小倉智昭に危惧すること
小倉智昭は「SNS時代」を理解していない――「杏と唐田どちらが好き?」という質問を絶賛するヤバさ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「芸能史上に残ります」小倉智昭
『とくダネ!』(フジテレビ系、3月18日)

 会ったこともない芸能人について、ああだこうだ書くことを小商いにしている私が芸能ニュースに望むこと、それは「ちょっと笑える要素」があってほしいということだ。私の中で「不倫」というのは、芸能ニュースとして最適の部類に入るのかもしれない。なぜなら日本には姦通罪はないため、警察のお世話になる案件ではなく、また人命が失われるわけでもなく安心してネタにできる、そして「ちょっと笑えるポイント」に事欠かないからだ。

 「週刊文春」(文藝春秋)が、女優・鈴木杏樹と新派の俳優・喜多村緑郎の不倫を報じたが、2人は千葉の海岸でデートをし、ラブホテルで休憩したという。名の知れた芸能人がお安いラブホテルに行くというのが「ちょっと笑える要素」であり、こういう部分があると、ネタにしやすいし、沈静化するのも早いように感じている。しかし、俳優・東出昌大の不倫のように、「笑える要素ゼロ」の不倫は、私にとっては好ましくない芸能ニュースだ。女優・杏の妊娠中から不倫を始め、結婚生活5年のうち不倫は約3年、お相手の女優・唐田えりかはSNSで匂わせを連発と、「笑える要素ゼロ」。女性をイラつかせる要素を全部詰め込んだかのような不倫は、バッシングが過熱しやすい。事実、不倫発覚後2カ月近く経過したものの、テレビも週刊誌もSNSも、この話題で持ちきりだ。

SNSで変わったワイドショーと週刊誌

 昔は芸能人の不倫スキャンダルを報じるのは、週刊誌とテレビだけだった。週刊誌は1週間もすれば店頭から消えるし、ワイドショーも週刊誌から提供されるネタだけで番組を作り続けるのには限度がある。不倫のニュースも2~3日くらいで終息していたように記憶している。

 しかし、SNSの出現で、ワイドショーも変わった。テレビはSNSの反応を視聴者の意見とみなし、既存の情報とからめて、視聴者の反応をテレビで取り上げることにより、同じ話題を引っ張ることをし始めた。視聴者の意見に対し、さらに芸能人のコメンテーターがコメントし、それがネットニュースになり、そこに視聴者がまた反応する。こうなると、ニュースは延々と続き、「悪いことをした人」は、ずっと責められることになる。

 一方でSNSによって週刊誌は変わったのだろうか。東出の不倫を最初に報じた「文春」は、唐田や東出の言い分を続報した。この話題に読者が食いつくと踏んだのかもしれないが、これは小室哲哉氏の時と同じ轍を踏まないための「文春」側の“防御”ではないかと、私は勝手に感じている。

 2018年、「文春」が音楽プロデューサー・小室氏の不倫を報じた。くも膜下出血による後遺症で療養中のKEIKOという妻がありながら、看護師の女性を家に招き入れていたのだ。SNSでは激しいバッシングが起きるが、小室氏は会見を開き、妻の介護疲れから女性看護師に癒やしを求めたこと、また、男性としての機能を失っているので不倫ではないことを告白。しかし、騒動のけじめとして引退を発表する。この時に、介護に疲れた小室氏に同情の声が起こり、「『文春』が小室を引退に追い込んだ」「週刊誌にそこまでする権利があるのか」という怒りの声がSNS上に上がった。バッシングの矛先が小室氏から「文春」に変わったのだ。

 この経験から、「文春」は騒動の登場人物全てに焦点を当て、バランスを取ることで、1人だけを追い込みすぎることを避けようとしたのではないだろうか。例えば唐田は、先輩である杏に対し、不倫を匂わせる行為を連発するしたたかな女性という印象を持つ人も多いだろうが、「文春」は、唐田が東出と別れようと葛藤していたことも記事にしている。この記事を読んだからといって、唐田のイメージが回復することはないだろうが、「そこまで悪い子でもない」という印象を受ける人は多いだろう。また「文春」は東出にも直撃取材を行い、「いま、自分は自分の過ちから、かけがえのない日々を失ったことを実感しています」という本人のコメントを引き出した。唐田の記事同様、この発言があっても東出のイメージは地に落ちたままだが、「不倫を悔いている」というスタンスを見せることで、世間のバッシングが過熱するのを抑えた可能性はあるだろう。

 東出や唐田を追い込みすぎると、「文春」自体が批判にさらされるから、東出や唐田の言い分も掲載した……これは私の臆測に過ぎないが、杏にダメージを与えた側の言い分も掲載するというのは、「機会を均等に与える」という意味で公平なのである。

 しかし、テレビに、週刊誌のような配慮はあるのだろうか?

 3月17日、東出が不倫報道後、初めて公の場に姿を見せた。杏と離婚するのか取材陣から質問が集中する中、「これ以上、妻を傷つけたくありません」という理由から、「お答えできません」という回答に終始していた。そんな中、ある女性レポーターが「杏さん、唐田さん、どちらが好き?」と質問し、東出が「妻」と答えず「お答えできない」と言ったことが、ネットで話題になっている。「杏」と答えれば、「それなら、なぜ不倫したのか?」と言われてしまうから、うかつに答えられないだろうし、そう答えることで、「やっぱり、唐田をもてあそんだ」という意見が起こらないとも限らない。東出の答えは、そういった意味で「正解」と言えるだろう。

 翌18日放送の『とくダネ!』(フジテレビ系)では、司会の小倉智昭が、この質問を「芸能史上に残ります」と絶賛していた。しかし、この質問は本当に必要だろうか? 今更こんなことを聞いて、何の意味があるのだろうか?

 東出は今、芸能人として一番の危機を迎えていることは間違いないだろう。がた落ちした好感度を、これ以上下げたくないだろうから、どんな失礼な質問も我慢して答えなくてはいけない。不愉快な表情を少しでも見せれば、「反省していない」と言われかねないからだ。

 弱っているときにつけこむように、「杏と唐田どちらが好き?」というきわどい質問をすることを良しとした小倉は、これを「面白い」と思っているのかもしれないが、そういういじめのような論理がまかりとおるのは、情報源がテレビだけだった時代ではないだろうか。「悪いことをしたから」を理由に、調子に乗って芸能人を追い込むと、「文春」が抗議にさらされたように、SNSから批判の声が上がり、今度は怒りの矛先が、番組や小倉本人に行く可能性があることに気づいているのだろうか?

 ちなみに小倉と言えば、かつて『とくダネ!』でコンビを組んでいた女優・菊川怜の結婚相手である実業家男性と食事をし、「いい男」「こちらが言葉遣いに気を使わないといけないほど、きちっとしている」とベタ褒めしていたことがある。しかしその実業家男性は、2人の女性との間に、同時期に婚外子をもうけていたと「文春」が報じた。さらに、「週刊新潮」(新潮社)は、さらにもう1人、実業家男性の子どもを出産した女性がおり、彼女が養育費を求めて訴えを起こしたと報じている。小倉が何をもって「いい男」と判断したかは不明だが、もし「一代で莫大な財を築いたから、いい男」と思ったのだとしたら、それは時代遅れだと言えるだろう。「オトコは仕事さえデキれば、オンナにだらしがなくてもいい」という時代はもう終わっているからこそ、不倫がこんなに騒がれるのだ。

 小倉のこうした言動を見ると、年を取ることがマイナスだとは思わないが、ある程度は時代に沿う努力は必要ではないだろうかと感じる。そうしないと、テレビも小倉自身もどんどん「過去の遺物」に成り下がっていくように思えてならない。

小倉優子、「真面目な人」と言われた夫との“離婚危機”報道に考える「結婚相手」に必要なもの

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「夫がこんなにも怒りっぽい人とは思わなかった」小倉優子
「サンケイスポーツ」3月11日号

 2019年11月30日放送の『人生最高レストラン』(TBS系)のゲストがタレント・小倉優子だった。小倉は18年に歯科医の男性と再婚をしており、その経緯について話していた。

 きっかけはママ友の紹介で「絶対に合う人がいる。すごい良い人で、絶対2人は合うから」という理由で紹介してもらったのだという。一緒に食事をした際の印象はよかったそうだが、親友であるタレントのギャル曽根が「(小倉の言葉は)信用できない」として、2回目の食事の際に、マネジャーとともに同席したそうだ。

 ギャル曽根は「歯医者さんで今まで結婚したことがなく、40歳超えているとなったときに、『絶対遊んでる! 絶対ダメ!』って思って反対する気持ちだった」そうで、食事の際、小倉を部屋から出して質問攻めにしたという。「お金についても話しました。芸能界って良い時もあれば、悪いときもある。稼ぎがゼロになる可能性だってある。そのときに、あなたは養えますか? って。聞きたいこと全部聞いた」そうだ。その結果、「今まで見たことがないぐらい、真面目な人」という感想を抱き、ゆうこりんを託すことにしたと語っていた。

 おそらく、こういう話を、特に若い女性は「友達のために、ひと肌脱ぐいい話」と思うのだろう。しかし、私には歯科医を紹介したママ友も、ギャル曽根も「気持ち悪い」と感じるのだ。

 何を根拠に「良い人」「絶対、2人は合う」なんて言えるのだろうか。どうして「真面目な人」であれば、結婚生活がうまくいくと言えるのだろうか。ママ友とギャル曽根の行為が善意からきていることはわかっているが、結婚というのは、それなりに大きな人生の選択だし、ましてや小倉には前夫との子どもが2人いる。「相手の連れ子を愛せない」という話は男女関係なくよく聞く話だし、ごく一部の極端な例であるとは言え、夫が妻の連れ子を虐待する事件だって起きている。ママ友はそんなデリケートな状況に首を突っ込んで、「絶対合う」と言える自信がどこから来るのだろう。またギャル曽根のように、デートに友達がしゃしゃり出てくることで、小倉に対する男性の気持ちが萎えてしまわないとも限らない。

 繰り返すが、ママ友もギャル曽根も「ゆうこりんのためを思って」の行動だということはわかっているつもりだ。しかし、善意というのは「いいことをしている」という大義名分がある分、歯止めが利かなくて厄介な部分もある。それに、私にとって「気持ち悪い」ことでも、ゆうこりんの結婚がうまくいけば、全方位的に「いい話」になるはず……だが、現実はそうでもなかったようだ。

 3月11日発売の「サンケイスポーツ」が、小倉の離婚危機について報じている。記事によると、現在小倉は妊娠中だが、昨年の暮れに突然夫が家を出てしまい、離婚を要求してきたという。以降は、弁護士を通してやりとりをしており、離婚だけではなく、連れ子との養子縁組の解消を求めてきたという。なお記事では、夫は歯科医院を開業するにあたり、小倉に専業主婦になることを求めたものの、小倉が拒否したことが原因とされている。

 なぜ、夫が歯科医院を開業すると、妻は専業主婦になる必要があるか私にはわからないが、それはさておき、小倉は「私が悪かった」と詫びて復縁を望んだそうだ。しかし、夫の気持ちは変わらず、生まれてくる子どもに会う気もないという。小倉は「夫がこんなにも怒りっぽい人とは思わなかった。でも、子供たちや生まれてくる子のためにも、元の関係に戻りたい」と話しているそうだ。

 この記事は若干、小倉びいきのきらいがしないでもないが、夫婦の内情はともかく、妻が自分の子どもを妊娠中に、いきなり家を出ていって、弁護士を通して離婚を要求する人の、どこが「真面目な人」「良い人」なのだろうか。そういう冷たい仕打ちをする人と、小倉は「合う」のだろうか。

結婚相手との「性格的な相性」は意味がない?

 断っておくが、私は小倉に夫を紹介したママ友と夫に太鼓判を押したギャル曽根を「見る目がない」と言いたいのではない。数回会ったくらいで性格なんてわかりっこないし、もしかしたら小倉の夫は、本当は「良い人」「真面目な人」かもしれない。しかし、そもそも性格的なものは、結婚生活に意味がないのではないかと思うのだ。

 おそらく、ママ友が「良い人」とアピールし、ギャル曽根が「真面目かどうか」にこだわったのは、小倉の前夫が、小倉の妊娠中に事務所の後輩に手を出したことが影響しているのだろう。しかし、「良い人」「真面目な人」なら不倫をしないという保証はないし、かえって、「良い人」だから、「真面目な人」だから、相手に夢中になりすぎて、家庭を捨ててしまったという話を聞いたこともある。

 相手の性格的なものが問われるのは、結婚よりも恋愛ではないだろうか。恋愛は2人の問題だから、性格的な相性がいいほうが楽しめるだろう。しかし、結婚は生活を共にする(稼いで、家事をやって、欲しい人は子どもをつくり、育てる)ことだから、どちらかというと、男女の関係より、ビジネスパートナーと考えたほうがしっくりくるように思う。

 何年一緒にいても、相手の性格というのは、わかっているようで、わからないものではないかと、個人的には感じている。そして、性格が良い(悪い)よりも大事なことは、相手に何か「いいもの」を与えようとする姿勢ではないだろうか。極端な例ではあるが、みんなに「良い人」と思われたくて、後輩におごりまくる人よりも、誰にも1円もおごらず「ケチ」だと言われたとしても、給料をきちんと全額家庭に入れてくれる人のほうが、結婚相手としては向いているだろう。

 離婚はほぼ確定の感のある小倉だが、もう周囲は変な気を回して、次なる夫候補を探すようなことをせずに、そっとしておいたらどうか。数年のうちに「父親が変わること」を繰り返すのは、お子さんにいい影響を与えるとはどうしても思えない。

 仕事をして、子どもを育てるという今のライフスタイルを変えなくても、本当に縁がある人とは出会えるのではないだろうか。ゆうこりんも、歯科医師といった「ステイタスのある職業」や、「両親のそろった家庭」みたいな体裁にこだわらず、もっと自分を信じて頑張ってと言いたい気持ちだ。

AKB48・峯岸みなみは、「ハイステイタス男性」との結婚希望? そのためには「仕事」こそ重要なワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「どこかしらひっかかれば、そこから派生して全部できると思うんです」AKB48・峯岸みなみ
『伯山カレンの反省だ!!』(テレビ朝日系、2月29日)

 アイドルが人気グループから脱退し、オトナの女性として芸能活動を続けるというのは、なかなか難しいことではないだろうか。一度グループから出てしまったら、グループの御威光は通用しない。歌でも演技でもバラエティーでも、すでに活躍している人がいるわけだから、新参者が入り込むことはそう簡単ではないだろう。

 こんな時、女性芸能人は「結婚をしてしまえばいい」と思うかもしれない。しかし、「昭和や平成中期ならともかく、今の時代、それはダメだと思うよ」……2月29日放送の『伯山カレンの反省だ!!』(テレビ朝日系)に出演したAKB48・峯岸みなみを見て、頼まれてもいないのに、こんなことを言いたい気持ちになった。

 峯岸はAKB48の1期生。在籍期間は14年と長期に及ぶが、来月2日に卒業を迎える予定だ。番組は、峯岸の自宅を番組MCの講談師・神田伯山が訪問する形で進行する。峯岸は最近YouTubeを始めが、その理由を「テレビに疲れた」と説明する。「YouTubeですごいバズろうというのではなく、こういう“自分が出せる場所”であったらいいな」と語り、数字にこだわっていないと語る。この会話はリビングでなされていたのだが、私は、峯岸の後ろにある本棚の蔵書が気になった。

 峯岸はなかなかの読書家なのかもしれない。直木賞作家・桜木紫乃氏の『ホテルローヤル』(集英社)、芥川賞作家・今村夏子氏の『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)という文芸作品に交じって、樹木希林さんの『一切なりゆき 樹木希林のことば』(文藝春秋)、デヴィ夫人の『選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論』(講談社)が見える。

 AKBを卒業すると恋愛は解禁になるが、伯山に「どんな人を狙ってるの?」とたずねられた峯岸は「好きとかじゃなくて、こういう方とお付き合いとか結婚できたら、『峯岸っていいオンナなのかな』とか『まともなオンナなんだな』って思われそうな」お相手とし、「スポーツ選手とか」と答えた。スポーツ選手と一言でいっても、ピンからキリまでいるが、世間に「峯岸っていいオンナなのかな」と思われそうなお相手がいいという発言から考えると、人気も実力もある高収入なスポーツ選手を希望しているのだろう。峯岸がデヴィ夫人の婚活本を読んでいたのは、インドネシア建国の父であるスカルノ大統領というハイステイタスの男性と結婚した“実績”のある人の意見を参考したいと思ったからなのかもしれない。

 長い間、恋愛(結婚)と仕事というのは、水と油のように対極の存在と考えられてきた。例えば現在の皇后陛下、雅子さまは、男女雇用機会均等法1期生だが、当時は好景気で給料も右肩上がり、雇用も保証されていたので、男性は自分一人の収入で十分妻子を養うことができた。そのため、仕事に熱中する女性より、身の回りの世話を焼いてくれる家庭的な女性と結婚したいと願う男性は多かったのだ(この頃のドラマは、主人公のキャリアウーマンが、彼氏をぶりっ子に奪われ、結婚してしまうというパターンが目立っていた)。

 しかし、今やそんな収入のある男性はごく一部となっているし、男性の意識も変わっている。少し古いデータだが、厚労省が15~39歳の独身者3,133人を対象に行った「若者の意識調査」の結果が、2013年9月24日の「日本経済新聞」に掲載されている。女性に「専業主婦になりたいか」と質問したところ、「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」が計34.2%だったのに対し、男性に「妻に専業主婦でいてほしいか?」と質問したら「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」は計19.3%にとどまっている。つまり、現代は、妻に働いてほしい男性のほうが主流派と言える。となると、きちんと仕事をすることは婚活対策としても得策なわけだ。

 話を峯岸に戻そう。結婚にも「重要」と考えられる仕事に関し、将来の展望を聞かれた峯岸は、「ずっと日の目を浴びられたらいいな」というが、具体的にコレというものは見つかっていない様子。「何が求められているのかが、わからないので」としつつ、「どこかしらに引っかかれば、そこから派生して全部できると思う」と結んでいた。

 芸能界は結果が全てなので、彼女の方針が正しいかは、今後の活躍が証明してくれるだろうが、「どこかしらに引っかかれば、そこから派生して全部できると思う」とは、どういう意味なのだろうか。例えばバラエティーなどで頭角を現し、そこから歌や演技もというふうに、活動範囲を広げていきたい……そういった意味なのかもしれないが、そもそも、芸能人は「全部できる」必要があるのだろうか?

 引退した安室奈美恵さんが、「FRaU」(講談社)のインタビューで「できない」ことについて語っていたことがある。「自分より歌のうまい人も踊れる人もいる、だからこそ、歌って踊ることにこだわっている」という趣旨の話だったが、できないことを克服するよりも、できることを組み合わせて、その分野で抜きんでるほうが得策ということだろう。

 その理論に照らし合わせて考えた場合、峯岸の戦法は少し雑に感じる。「どこかしらに引っかかれば」ではなく、自分が引っかかる場所を明確にした上で、アプローチする必要があるのではないだろうか。そうやって仕事を続けていくことが、彼女の望む「結婚」にもつながっていくような気がするのだ。

 この「自分の強みをはっきりさせること」は、婚活にも大きく関わってくるのではないか。峯岸も参考にしているかもしれないデヴィ夫人が、1978年に発表した『デヴィ・スカルノ自伝』(文藝春秋)によると、夫人は、母親と弟を養うために、外国人専門の高級クラブで働きだしたという。その理由は、戦後まもない時代でドルが強く、ギャラが良かったから、また当時、水商売の女性は、世間的に低く見られていたものの、外国人相手なら、将来日本人と結婚するときに職歴がバレないと思ったからだそうだ。

 当初は日本人男性との結婚を夢見ていたが、自分をレディーとして扱ってくれる外国人男性のほうが性に合うことに気づいた夫人。交際相手の外国人から生きた英語と外国式のマナーを学び、商社マンなどの人脈を広げていく。そのうちの一人が、スカルノ大統領との出会いを橋渡ししてくれて現在に至る。夫人のケースは、日本とインドネシア間の戦後補償や開発援助など、いろいろな利害がからんでいたために、一般人の結婚と同列に語ることはできないだろう。しかし、もし夫人が、英語ができなかったら、またもし商社マンがスカルノ大統領を紹介してくれなかったら、このロマンスは結実しなかっただろう。つまり、夫人はクラブで働いたこと(仕事)をきっかけに、自分に合う男性を知り、外国人男性にふさわしいスキルを高めて、チャンスをくれる人と知り合い、理想通りのハイステイタスな男性と結婚したわけだ。やはり、強みをはっきりさせることは、仕事に、そして婚活に影響を与えると言えるだろう。

 峯岸と言えば、少し前、「週刊新潮」(新潮社)に「仮想通貨トレーダーや若手起業家などの飲み会にしょっちゅう来ていて、若くて羽振りがいいメンツだとすぐに顔を出す」「峯岸は“呼べば来る女”として有名」という失礼な書かれ方をされていた。峯岸は仕事も恋愛もやみくもに数打ちゃ当たる方式にするのではなく、自分の強みをもう一度研究することから始めるのもいいのかもしれない。

AKB48・峯岸みなみは、「ハイステイタス男性」との結婚希望? そのためには「仕事」こそ重要なワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「どこかしらひっかかれば、そこから派生して全部できると思うんです」AKB48・峯岸みなみ
『伯山カレンの反省だ!!』(テレビ朝日系、2月29日)

 アイドルが人気グループから脱退し、オトナの女性として芸能活動を続けるというのは、なかなか難しいことではないだろうか。一度グループから出てしまったら、グループの御威光は通用しない。歌でも演技でもバラエティーでも、すでに活躍している人がいるわけだから、新参者が入り込むことはそう簡単ではないだろう。

 こんな時、女性芸能人は「結婚をしてしまえばいい」と思うかもしれない。しかし、「昭和や平成中期ならともかく、今の時代、それはダメだと思うよ」……2月29日放送の『伯山カレンの反省だ!!』(テレビ朝日系)に出演したAKB48・峯岸みなみを見て、頼まれてもいないのに、こんなことを言いたい気持ちになった。

 峯岸はAKB48の1期生。在籍期間は14年と長期に及ぶが、来月2日に卒業を迎える予定だ。番組は、峯岸の自宅を番組MCの講談師・神田伯山が訪問する形で進行する。峯岸は最近YouTubeを始めが、その理由を「テレビに疲れた」と説明する。「YouTubeですごいバズろうというのではなく、こういう“自分が出せる場所”であったらいいな」と語り、数字にこだわっていないと語る。この会話はリビングでなされていたのだが、私は、峯岸の後ろにある本棚の蔵書が気になった。

 峯岸はなかなかの読書家なのかもしれない。直木賞作家・桜木紫乃氏の『ホテルローヤル』(集英社)、芥川賞作家・今村夏子氏の『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)という文芸作品に交じって、樹木希林さんの『一切なりゆき 樹木希林のことば』(文藝春秋)、デヴィ夫人の『選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論』(講談社)が見える。

 AKBを卒業すると恋愛は解禁になるが、伯山に「どんな人を狙ってるの?」とたずねられた峯岸は「好きとかじゃなくて、こういう方とお付き合いとか結婚できたら、『峯岸っていいオンナなのかな』とか『まともなオンナなんだな』って思われそうな」お相手とし、「スポーツ選手とか」と答えた。スポーツ選手と一言でいっても、ピンからキリまでいるが、世間に「峯岸っていいオンナなのかな」と思われそうなお相手がいいという発言から考えると、人気も実力もある高収入なスポーツ選手を希望しているのだろう。峯岸がデヴィ夫人の婚活本を読んでいたのは、インドネシア建国の父であるスカルノ大統領というハイステイタスの男性と結婚した“実績”のある人の意見を参考したいと思ったからなのかもしれない。

 長い間、恋愛(結婚)と仕事というのは、水と油のように対極の存在と考えられてきた。例えば現在の皇后陛下、雅子さまは、男女雇用機会均等法1期生だが、当時は好景気で給料も右肩上がり、雇用も保証されていたので、男性は自分一人の収入で十分妻子を養うことができた。そのため、仕事に熱中する女性より、身の回りの世話を焼いてくれる家庭的な女性と結婚したいと願う男性は多かったのだ(この頃のドラマは、主人公のキャリアウーマンが、彼氏をぶりっ子に奪われ、結婚してしまうというパターンが目立っていた)。

 しかし、今やそんな収入のある男性はごく一部となっているし、男性の意識も変わっている。少し古いデータだが、厚労省が15~39歳の独身者3,133人を対象に行った「若者の意識調査」の結果が、2013年9月24日の「日本経済新聞」に掲載されている。女性に「専業主婦になりたいか」と質問したところ、「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」が計34.2%だったのに対し、男性に「妻に専業主婦でいてほしいか?」と質問したら「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」は計19.3%にとどまっている。つまり、現代は、妻に働いてほしい男性のほうが主流派と言える。となると、きちんと仕事をすることは婚活対策としても得策なわけだ。

 話を峯岸に戻そう。結婚にも「重要」と考えられる仕事に関し、将来の展望を聞かれた峯岸は、「ずっと日の目を浴びられたらいいな」というが、具体的にコレというものは見つかっていない様子。「何が求められているのかが、わからないので」としつつ、「どこかしらに引っかかれば、そこから派生して全部できると思う」と結んでいた。

 芸能界は結果が全てなので、彼女の方針が正しいかは、今後の活躍が証明してくれるだろうが、「どこかしらに引っかかれば、そこから派生して全部できると思う」とは、どういう意味なのだろうか。例えばバラエティーなどで頭角を現し、そこから歌や演技もというふうに、活動範囲を広げていきたい……そういった意味なのかもしれないが、そもそも、芸能人は「全部できる」必要があるのだろうか?

 引退した安室奈美恵さんが、「FRaU」(講談社)のインタビューで「できない」ことについて語っていたことがある。「自分より歌のうまい人も踊れる人もいる、だからこそ、歌って踊ることにこだわっている」という趣旨の話だったが、できないことを克服するよりも、できることを組み合わせて、その分野で抜きんでるほうが得策ということだろう。

 その理論に照らし合わせて考えた場合、峯岸の戦法は少し雑に感じる。「どこかしらに引っかかれば」ではなく、自分が引っかかる場所を明確にした上で、アプローチする必要があるのではないだろうか。そうやって仕事を続けていくことが、彼女の望む「結婚」にもつながっていくような気がするのだ。

 この「自分の強みをはっきりさせること」は、婚活にも大きく関わってくるのではないか。峯岸も参考にしているかもしれないデヴィ夫人が、1978年に発表した『デヴィ・スカルノ自伝』(文藝春秋)によると、夫人は、母親と弟を養うために、外国人専門の高級クラブで働きだしたという。その理由は、戦後まもない時代でドルが強く、ギャラが良かったから、また当時、水商売の女性は、世間的に低く見られていたものの、外国人相手なら、将来日本人と結婚するときに職歴がバレないと思ったからだそうだ。

 当初は日本人男性との結婚を夢見ていたが、自分をレディーとして扱ってくれる外国人男性のほうが性に合うことに気づいた夫人。交際相手の外国人から生きた英語と外国式のマナーを学び、商社マンなどの人脈を広げていく。そのうちの一人が、スカルノ大統領との出会いを橋渡ししてくれて現在に至る。夫人のケースは、日本とインドネシア間の戦後補償や開発援助など、いろいろな利害がからんでいたために、一般人の結婚と同列に語ることはできないだろう。しかし、もし夫人が、英語ができなかったら、またもし商社マンがスカルノ大統領を紹介してくれなかったら、このロマンスは結実しなかっただろう。つまり、夫人はクラブで働いたこと(仕事)をきっかけに、自分に合う男性を知り、外国人男性にふさわしいスキルを高めて、チャンスをくれる人と知り合い、理想通りのハイステイタスな男性と結婚したわけだ。やはり、強みをはっきりさせることは、仕事に、そして婚活に影響を与えると言えるだろう。

 峯岸と言えば、少し前、「週刊新潮」(新潮社)に「仮想通貨トレーダーや若手起業家などの飲み会にしょっちゅう来ていて、若くて羽振りがいいメンツだとすぐに顔を出す」「峯岸は“呼べば来る女”として有名」という失礼な書かれ方をされていた。峯岸は仕事も恋愛もやみくもに数打ちゃ当たる方式にするのではなく、自分の強みをもう一度研究することから始めるのもいいのかもしれない。

SHELLY、 “離婚イジり”をスルーする姿に感じた「子どものために元夫も自分も責めない」という信条

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「フラれましたぁ~」SHELLY
『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系、2月23日)

 結婚や出産、そして離婚といったプライバシーは、できれば他人に明らかにしたくないものかもしれない。しかし、タレントにとっては、キャラを変更する絶好の機会でもある。うまくいけば、仕事につながることもあるので、これを利用しない手はないだろう。

 かつて芸能人の離婚はマイナスイメージでしかなかった。しかし、2017年に離婚した小倉優子は、仕事と子育てに邁進するシングルマザーにキャラチェンジし、同年、オリコン調査の「好きなママタレント」ランキングで1位を獲得。このように「好きなママタレ」は結婚しているかどうかは問題でなくなってきている。また一般的に芸能人にとって、CMはおいしい仕事と言われるが、小倉は大手消費財メーカーのCMにも出演しており、「芸能人として」見るのなら、離婚はまったくマイナスではなかったと言えるだろう。

小倉優子とSHELLYの離婚は「笑いのネタ」に

 しかし、結婚や出産と違って、「離婚ウリ」というのはプライドを捨てないとできないのかもしれない。

 小倉が離婚後に『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)に出演したときのこと。「チャチャッとキッチン」というコーナーで、小倉は「小倉家のハッピー豚丼」を披露する。しかし、石橋貴明に「ハッピー? 今、アンハッピーなんでしょ」と、離婚したのだからアンハッピーなはずだと言われてしまう。小倉が「毎日、ハッピーなんですよ」と力説すると、おぎやはぎ・矢作兼は「本当に楽しい人は、そんなこと言わない」と小倉が“不幸”であると主張して止まない。小倉が披露した豚丼は、母親の直伝のレシピだそうだが、それを元夫の好みにアレンジしたものと説明すると、木梨憲武は「前の旦那丼」、石橋は「同じ事務所の女の子を……」とかぶせていく。「週刊文春」(文藝春秋)が報じた小倉の夫(当時)の不倫相手が、小倉の事務所の後輩であったことから、このような表現を取ったのだろう。

 昨年の11月に離婚したSHELLYも、最近よくイジられている。『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)で本人が語った離婚の経緯は、

・テレビディレクターをしている夫から突然離婚を切り出され、晴天の霹靂
・喧嘩が絶えなかったことに気づいて、別居をしてみたら生活がすごく楽になった
・夫とは離婚をした後も、共同で子育てをしている。今はとてもハッピー

だそうだ。

 そのSHELLYが、2月23日放送の『行列のできる法律相談所』(同)に出演した。ゲストの俳優・窪田正孝は、昨年9月に結婚したばかりだが、東野幸治は「ちょっと、SHELLYさんもいるので、あんまり幸せなことは……」と茶々を入れ、SHELLYは「本当にもう大丈夫ですから」とカメラ目線かつ険しい顔で答える。誰が発言したかはわからないが、「負のオーラ」と言っている人もいた。

 また、昨年の12月に結婚したゲストのバカリズムも、「結婚したいと思って、SHELLYさんにアドバイスもらっていた」と言い、東野が「恥ずかしい」とかぶせる。なんでもバカリズムは、SHELLYから「男が言う『家事を手伝う』っていうのは、奥さんが家事をするのが前提の言い方だから絶対ダメ」と聞いていたので、「結婚して、言われた通りやっていて。(でも)テレビつけたら、(SHELLYが)めっちゃ離婚してる」と笑う。さらに、司会のアンジャッシュ・渡部建は、「珍しいパターンで、向こうに(離婚を)切り出される」、東野も「芸能人とスタッフが結婚して、スタッフにフラれる」と指摘。SHELLYはおどけて「フラれましたぁ~」と応じていた。

 そのほかにも、お子さんを元夫に預けている時間は完全にフリーとなったため、最近はいとうあさこや中村アンなどと飲みに行くことが可能になったというSHELLYに対し、渡部が「みんな、どっか腹の奥で笑っているみたいなところ、あるでしょ」と畳みかけるシーンもあった。

 小倉もSHELLYも、番組の制作側や共演者と協力し、あえてイジらせ、笑いにすることで、離婚を暗いイメージにせず、腫れ物のように扱われるのを避けていると見ることもできるだろう。しかし、『みなさんのおかげでした』や『行列のできる法律相談所』の出演者の発言を聞いていると、小倉とSHELLYが抱いているかもしれない思いとは裏腹に、「夫に不倫されて離婚するオンナ、夫から離婚を言い渡されたオンナというのはみっともない、恥ずかしい。だから、バカにしてもいい」という価値観を、制作側、もしくは出演者が持っているのではないかと思わされる。

 特にSHELLYは、バラエティーが主戦場のタレントなので、イジりがきつい。渡部はSHELLYを「笑いを食いつぶす野犬」とも表現していたが、離婚話は腕次第で、笑いのネタになる。制作サイドはそうしたエピソードを知りたいと思ったのか、事前アンケートで「最近イライラしたことは何ですか?」と尋ねたが、SHELLYは「喉を痛めてしまい、あまりしゃべらないようにしていました」と、離婚とは全然関係ない回答をする。「最近、気になることは?」という質問にも「ナマケモノに会いたい」、「弁護士軍団に相談したいこと」という質問にも「『SHELLYおすすめの店』と勝手に宣伝されて、困ってます」と頑として離婚に触れなかった。

 東野は「勘のいいSHELLYならわかるやろ」と突っ込んでいたが、離婚前のSHELLYが、家事をやらない夫への不満などをはっきり口にし、それがウケていたことを考えると、つまり番組は「元夫の不満、悪口」を求めていたのだろう。しかしSHELLYは、わかっているからこそ、あえて応じなかったのではないかと思うのだ。

 SHELLYは『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース』(Abema TV)で、「相手(元夫)を悪者にして、笑いを取るのってすごい簡単で。だけど、それをやったときに子どもたちがかわいそう。お母さんがお父さんの悪口をテレビで言ってるって、最悪じゃないですか」と話している。つまり、元夫の悪口は言わないと決めているということだろう。

 「元夫の悪口を言わない」というと、スザンヌのことが思い出される。福岡ソフトバンクホークスの元投手・斉藤和巳氏から離婚を切り出されたスザンヌは、話し合いを希望したものの拒否され、弁護士を介してしか、やりとりができなくなったという。しかし、離婚会見で、スザンヌはそんな身勝手な夫を責めなかった。「いろんなことがあっても我慢していたんだと思う」「私の余裕がなかった」といったふうに、どちらかというと自分を責めてみせた。男を責めずに、自分がへりくだるスザンヌの会見は称賛を浴びたと記憶している。

 しかし、SHELLYはスザンヌとは違って、夫も責めないが、自分も責めない。それは偶然というよりも、信条と言えるのではないだろうか。SHELLYの「お母さんがお父さんの悪口をテレビで言ってるって、最悪じゃないですか」という理論で言うのなら、お母さんが「私がダメなオンナなので、愛想を尽かされ、離婚されてしまいました」といった具合に自虐することも、お子さんたちは喜ばないだろう。

 もちろん、バラエティータレントとしてギャラをもらっている以上、ある程度は番組の方針に沿って「離婚されたオンナ」を面白おかしく演じなくてはならない。だから、おどけて「フラれましたぁ~」と言ったりもする。けれどSHELLYには「ここだけは譲れない」というポイントがあり、それが「元夫のことも、自分のことも責めないこと」なのではないだろうか。

 「オンナを笑うこと」に疑問を持たない日本のバラエティーでは、SHELLYのように主義主張のあるタレントは扱いにくい部分があるのかもしれない。けれど、結婚も離婚も両者の合意があって成立するわけだから、どちらが離婚を言い出したかに意味があると、私は思わない。明るくしていたが、少し細くなったようにも見えるSHELLY。体に気を付けて、頑張っていただきたいものである。

石橋貴明、「モテる」に重きを置かない若者とのギャップ――「40年ぶりレギュラーゼロ」報道に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「スマホやネットには負けない」石橋貴明
「女性自身」2020年3月3日号(光文社)

 一世を風靡した芸能人とて、永遠にそのポジションにいられる保証はない。静かに身を引く人もいれば、果敢に新しい芸風に挑む人もいることだろうが、成功するのはそう簡単なことではないだろう。

 関東お笑いコンビの筆頭格、とんねるず・石橋貴明のレギュラー番組『石橋貴明のたいむとんねる』(フジテレビ系)が今夏で打ち切られると「女性自身」(光文社)が報じている。同局の『とんねるずのみなさんのおかげでした』終了後、午後11時台で始まった同番組だが、石橋のギャラが高いわりに、数字(視聴率)が芳しくないのだそうだ。石橋はフジテレビ上層部に直談判して番組の継続を訴えたものの、フジ側は翻意しなかったという。こうして40年ぶりにレギュラー番組がゼロになりそうな石橋だが、テレビへの気持ちは強く、「スマホやネットには負けない。まだまだ面白いことができる!」と各局に新企画を売り込んでいると記事は結ばれていた。

 石橋の全盛期を知る者としては、レギュラーがゼロになることは想像もつかないが、それでは新しい企画を持ち込めば、石橋が“再生”できるかというと、首をひねらざるを得ない。

 というか、石橋の“敵”は本当にスマホやネットなのだろうか?

 石橋の出演番組を見ていると、彼の女性に対するスタンスが特徴的であると、私は感じる。石橋は最初の結婚をしている際も、妻ではない女性と親密な関係であることを自らほのめかし、女性に関する性的な冗談もよく口にしていた。また、モデルや女優といった女性共演者はほめそやす一方、芸人・友近のネタを『うたばん』(TBS系)で見た際、ネタの精度には触れずに、繰り返し「脚短い」と語るなど、女性を見たらまず容姿に触れるクセがあった。

 「それが許されていた時代だった」と言ってしまえばそれまでだが、石橋がオンナ遊びを隠さなかったり、女性の容姿に触れずにいられなかったのは、モテることや、美しい女性と交際することをステイタスと考えていたからではないだろうか。石橋のような数少ない“成功者”は、自分の中の「美しい」という枠にあてはまらない女性を「自分にふさわしくない存在」として、けなしてもいいと思っていたのかもしれない。

 ステイタスと言えば、石橋はかつてバラエティー番組で、「JJ」(光文社)の表紙を飾った女優・石原真理子と交際したかったと話していたことがある。石原と言えば、不思議ちゃん系の女優というイメージを持つ人もいるかもしれないが、大田区田園調布育ちの社長令嬢で、小学校から上皇后さまのご出身大学の付属校に通っていたお嬢さまなのである。芸能界に入ってからは清純派女優として人気を博した。石橋は、石原のように育ちと見た目が良く、人気者という高嶺の花のような女性が好みなのかもしれない。石原とは交際しなかったようだが、石橋の現在の妻、女優・鈴木保奈美も、トレンディードラマの女王として高い人気を誇っていた。お笑いの世界では、売れているタレントでも、一般人女性と交際および結婚することも珍しくないが、石橋の場合、ステイタスの高い女性を妻にして、さらに自分のステイタスを高めたいと思っているように感じるのだ。

 もし石橋が、そのように信じて、またモテることを是とするなら、若い世代と価値観が乖離していると言わざるを得ないだろう。「若者の恋愛離れ」という言葉を耳にしたことがある人も多いだろうが、結婚相談所「オーネット」が発表した、2020年に成人式を迎える男女を対象にした「恋愛・結婚に関する意識調査」によると、「現在、交際相手がいる」のは29.6%だそうだ。2017年~19年には、交際相手がいる率は3割を超していたそうだから、数字で見ると、恋愛している若者は徐々に減っていることになる。交際相手がいないことの理由はいろいろあるだろうが、個人的には多くの若者は「モテること」に重きを置いていないように感じている。

 となると「売れてのしあがり、ステイタスの高い女性と交際もしくは結婚する」という、石橋の人生訓もしくは成功譚そのものが、若い人にはピンとこないのではないだろうか。

 世代で価値観が違うのは当たり前で、無理に相手におもねっても意味はないだろう。石橋はバブル時に一世を風靡したタレントで、同世代に同じ価値観を持つファンを抱えていると思われる。

 以前この連載で、元貴乃花親方の元妻・河野景子について、「バブル世代は、いつまでもモテたがっているのではないか」と書いたことがあるが、石橋はこの際、バブル世代向けの『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)を復活させたらどうだろうか。番組の最初に「タカさんチェック」と称して、女性参加者が石橋から一方的にいろいろ聞かれることや、男性参加者が女性参加者に告白する(女性には告白の権利がないので、男性に好かれないと終わり)仕組みなど、男女平等教育を受けた若い世代には「は?」と思われる番組かもしれないが、「アプリは怖いが、出会いはほしい」という恋愛したいバブル世代には人気が出るかもしれない。

 石橋のオンナ遊び話や女性に対する容姿いじりの芸風は、今では受け入れられないだろう。しかし、長年、芸能界の先頭を走ってきた石橋が、それだけの芸人だと私は思わない。熟成した新しい石橋を見たいと思うのは、私だけではないはずだ。

石橋貴明、「モテる」に重きを置かない若者とのギャップ――「40年ぶりレギュラーゼロ」報道に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「スマホやネットには負けない」石橋貴明
「女性自身」2020年3月3日号(光文社)

 一世を風靡した芸能人とて、永遠にそのポジションにいられる保証はない。静かに身を引く人もいれば、果敢に新しい芸風に挑む人もいることだろうが、成功するのはそう簡単なことではないだろう。

 関東お笑いコンビの筆頭格、とんねるず・石橋貴明のレギュラー番組『石橋貴明のたいむとんねる』(フジテレビ系)が今夏で打ち切られると「女性自身」(光文社)が報じている。同局の『とんねるずのみなさんのおかげでした』終了後、午後11時台で始まった同番組だが、石橋のギャラが高いわりに、数字(視聴率)が芳しくないのだそうだ。石橋はフジテレビ上層部に直談判して番組の継続を訴えたものの、フジ側は翻意しなかったという。こうして40年ぶりにレギュラー番組がゼロになりそうな石橋だが、テレビへの気持ちは強く、「スマホやネットには負けない。まだまだ面白いことができる!」と各局に新企画を売り込んでいると記事は結ばれていた。

 石橋の全盛期を知る者としては、レギュラーがゼロになることは想像もつかないが、それでは新しい企画を持ち込めば、石橋が“再生”できるかというと、首をひねらざるを得ない。

 というか、石橋の“敵”は本当にスマホやネットなのだろうか?

 石橋の出演番組を見ていると、彼の女性に対するスタンスが特徴的であると、私は感じる。石橋は最初の結婚をしている際も、妻ではない女性と親密な関係であることを自らほのめかし、女性に関する性的な冗談もよく口にしていた。また、モデルや女優といった女性共演者はほめそやす一方、芸人・友近のネタを『うたばん』(TBS系)で見た際、ネタの精度には触れずに、繰り返し「脚短い」と語るなど、女性を見たらまず容姿に触れるクセがあった。

 「それが許されていた時代だった」と言ってしまえばそれまでだが、石橋がオンナ遊びを隠さなかったり、女性の容姿に触れずにいられなかったのは、モテることや、美しい女性と交際することをステイタスと考えていたからではないだろうか。石橋のような数少ない“成功者”は、自分の中の「美しい」という枠にあてはまらない女性を「自分にふさわしくない存在」として、けなしてもいいと思っていたのかもしれない。

 ステイタスと言えば、石橋はかつてバラエティー番組で、「JJ」(光文社)の表紙を飾った女優・石原真理子と交際したかったと話していたことがある。石原と言えば、不思議ちゃん系の女優というイメージを持つ人もいるかもしれないが、大田区田園調布育ちの社長令嬢で、小学校から上皇后さまのご出身大学の付属校に通っていたお嬢さまなのである。芸能界に入ってからは清純派女優として人気を博した。石橋は、石原のように育ちと見た目が良く、人気者という高嶺の花のような女性が好みなのかもしれない。石原とは交際しなかったようだが、石橋の現在の妻、女優・鈴木保奈美も、トレンディードラマの女王として高い人気を誇っていた。お笑いの世界では、売れているタレントでも、一般人女性と交際および結婚することも珍しくないが、石橋の場合、ステイタスの高い女性を妻にして、さらに自分のステイタスを高めたいと思っているように感じるのだ。

 もし石橋が、そのように信じて、またモテることを是とするなら、若い世代と価値観が乖離していると言わざるを得ないだろう。「若者の恋愛離れ」という言葉を耳にしたことがある人も多いだろうが、結婚相談所「オーネット」が発表した、2020年に成人式を迎える男女を対象にした「恋愛・結婚に関する意識調査」によると、「現在、交際相手がいる」のは29.6%だそうだ。2017年~19年には、交際相手がいる率は3割を超していたそうだから、数字で見ると、恋愛している若者は徐々に減っていることになる。交際相手がいないことの理由はいろいろあるだろうが、個人的には多くの若者は「モテること」に重きを置いていないように感じている。

 となると「売れてのしあがり、ステイタスの高い女性と交際もしくは結婚する」という、石橋の人生訓もしくは成功譚そのものが、若い人にはピンとこないのではないだろうか。

 世代で価値観が違うのは当たり前で、無理に相手におもねっても意味はないだろう。石橋はバブル時に一世を風靡したタレントで、同世代に同じ価値観を持つファンを抱えていると思われる。

 以前この連載で、元貴乃花親方の元妻・河野景子について、「バブル世代は、いつまでもモテたがっているのではないか」と書いたことがあるが、石橋はこの際、バブル世代向けの『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)を復活させたらどうだろうか。番組の最初に「タカさんチェック」と称して、女性参加者が石橋から一方的にいろいろ聞かれることや、男性参加者が女性参加者に告白する(女性には告白の権利がないので、男性に好かれないと終わり)仕組みなど、男女平等教育を受けた若い世代には「は?」と思われる番組かもしれないが、「アプリは怖いが、出会いはほしい」という恋愛したいバブル世代には人気が出るかもしれない。

 石橋のオンナ遊び話や女性に対する容姿いじりの芸風は、今では受け入れられないだろう。しかし、長年、芸能界の先頭を走ってきた石橋が、それだけの芸人だと私は思わない。熟成した新しい石橋を見たいと思うのは、私だけではないはずだ。