石田純一、占い番組での「女運はどうですか?」発言に考える「彼が人に優しい」理由

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「女運はどうですか?」石田純一
『突然ですが占ってもいいですか?』(7月3日、フジテレビ系)

 最近、千葉県船橋市に焼肉店「ジュンチャン」をオープンさせた俳優・石田純一。ニュースサイト「FRIDAYデジタル」5月20日配信記事によると、純一の息子である俳優・いしだ壱成と同誌の記者が焼肉店で落ち合う約束をしていたが、壱成は純一に取材の話をしておらず、店の予約もしていなかったそうだ。オープン当初で店内はごった返していたものの、純一は「本当に時間がないので少しだけですけど…」と言いつつも、笑顔で取材に応じていた。

 石田といえば、ワイドショーや週刊誌の取材を「断らない人」として有名で、物腰もソフトなことから、レポーターや記者からのウケが非常にいいと聞いたことがある。その優しさは、一体どこから来るのだろう。

 石田の妻・東尾理子はかつて『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)で、夫の影響から、 「叱らない子育て」を心掛けるようになったと話していた。石田はとても優しく、めったに怒らない性格だというが、それは親に叱られて育っていないからとのこと。東尾はそんな夫を見て、 子どもを怒ってばかりいると、子どもも他人に対して怒りやすくなる、だから叱らないようにしようという考えに至ったそうだ。

 確かに石田は、あまり人から怒られたことがないからか、自己肯定感が高そうで、 それが他人に優しくできる理由なのかな と見ていた。しかし、7月3日放送の『突然ですが占ってもいいですか?』(フジテレビ系)を見て、別の理由があるのかもしれないと思った。

 同番組に、壱成と共に出演した石田は、占い師から「話すことが大好きで、発言で損をするタイプ」「性が強い、絶倫」と指摘されていた。それは占いというより「Yahoo!ニュース」を見ていればわかることのような気もするが、まぁ、それはおいておこう。

 一方、壱成の占いは内容が重い。占い師から「寂しがり屋の甘えん坊」と指摘されており(まぁ、それはたいていの人にあてはまると思うが)、壱成はその理由に、「親の離婚」を挙げた。母親に育てられていた壱成だが、1人ぼっちで過ごす夜が多く、そのことに恐怖を感じていたという。いじめにも遭っていて、神田川に突き落とされたことが何度もあったそうだ。

 また、お父さんを求めていた壱成は、母親の同棲相手のことを「お父さん」と呼んだところ、「はっきり言っておくけど、お父さんじゃないからね」と言われ、「死にたくなりました」と大きなショックを受けたことを明かしている。

 幼少期、お父さんに甘えられず、家庭が彼の心を受け止める安全基地として機能していなかったように思える壱成。現在もなお、彼の対人関係や異性関係に不安定さが見られるのは、こうした生育環境が影響しているのではないか  。一方の石田はというと、「責任を感じています」「面と向かっては言ってはいないけど、本当にまぁ、悪かったなっていう……」と、壱成に謝罪していたのだった。

 ちなみに、石田がテレビ番組で家族に謝るのは今回が初めてではない。2015年に、『気まずい2人が久しぶりに会ってみました』(フジテレビ系)で、昨年亡くなった元妻の女優・松原千明さんと共演し、謝罪をしている。

 石田は、松原さんとの間にもうけた娘・すみれが小学校受験の最中に、モデル・長谷川理恵と不倫をしており、ワイドショーや週刊誌をにぎわせていた。その際に、石田が「不倫は文化」と発言したことも大きな話題に。小学校の面接官の耳にも、その“迷言”は届いていたようで、親の面接時に「『不倫は文化』とは何ですか?」と質問された石田は笑うしかなく、結果は不合格だったという。不倫と不合格に関係があるかどうかはわからないが、愛娘の受験の足を引っ張ることは極力排したいと思うのが、一般的な親心だけに、石田の当時の言動は、やはり理解しがたいものがあった。

 石田が謝り、息子や先妻が許す――こうした家族の和解は“いい話”なのだろう。しかし、『突然ですが占ってもいいですか?』で、占い師に「何か聞きたいことありますか?」と聞かれた石田は、恥ずかしそうに「女運はどうですか?」と尋ねていた。おい、お前、既婚者だぞ。そう思ったのは、私だけではないはずだ。

 結婚していても、異性に興味がなくなるわけではないし、配偶者ではない異性に心惹かれることもあるだろう。しかし、多くの人が踏みとどまるのは、それが家庭を壊す原因になり得ると知っているからだ。石田は元妻である松原さんや、すみれをさんざん悲しませた経験があるのに、よく「女運は?」と聞けるなと、あきれてしまう。

 結局、石田がワイドショーや週刊誌の記者に優しいのは、自分の立場を忘れ、欲望のままに生きており、 他人に興味がないからではないだろうか。夫とか父親とか社会人とか、人にはいろいろな立場があり、それによって行動はある程度制限される が、石田の場合、夫や父親という立場を忘れて好き勝手に生きているので、誰かに強く出ることもなければ、下手に出ることもない……ということのように思う。しかも彼には「自分は悪くない」という信念のようなものがあるので、不思議 な明るさも持ち合わせている。

 周囲の人は大変かもしれないけれど、こういう人がイキイキできるのが芸能界という場所なのかもしれない。焼肉屋「ジュンチャン」と並行して、ぜひ芸能活動も頑張っていただきたいものだ。

『DayDay.』MCの山里亮太は、「朝のワイドショーに向かない」と思う理由

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「これからは法律で決まったこと、裁くこと以外は何も勝手なことを言うべきじゃないなと思いました」南海キャンディーズ・山里亮太
『DayDay.』(日本テレビ系、6月27日)

 歌舞伎俳優・市川猿之助が、母親に対する自殺ほう助の疑いで逮捕された。6月28日放送の『よんちゃんTV』(毎日放送)によると、本人は「女性セブン」(小学館)に自身のセクハラやパワハラ記事が掲載されることを知り、両親と「3人で次の世界に行こう」と話し合って、睡眠薬を大量摂取したという。

 歌舞伎界を代表する人気俳優の逮捕とあって、世間に与えた衝撃は大きいが、なぜ「3人で次の世界に行こう」と思うに至ったのかなど、謎も多い。ゆえに多くの番組がこの事件を大々的に扱っており、6月27日放送の情報番組『DayDay.』(日本テレビ系)も猿之助の逮捕について報道していたが、MCを務める南海キャンディーズ・山里亮太の発言が物議を醸してしまった。

 山里サンは、「逮捕に至った経緯に、一度自殺を考えた人だから、もう一度可能性があるって言ってるのに、臆測だったりテレビで、ただでさえ、自分のご両親がこうなったことで精神的にショックが大きい中で、我々は報道するときに本当に気を付けないといけない。これがきっかけとなることもある」「繊細な状態の話なので……。これからは法律で決まったこと、裁くこと以外は何も勝手なことを言うべきじゃないなと思いました」などと力説。

 これはつまり、起訴や裁判の判決を待って報じるということだろうか。もしそうなら、逮捕直後の今、この事件を扱うことに矛盾が生じてしまう。ネット上でも「MCがそれを言ったらおしまい」という意見が見られたが、おそらく山里サンの真意は別にあるのではないかと思っている。彼は、この事件を扱う際には細心の注意を払って、極力当て推量を排し、慎重に伝えていくつもりだと言いたかったのではないか。

 メディアが個人を責めすぎることは時代の流れと逆行しているし、やりすぎれば、今度は番組や出演者がやり玉にあげられてネット炎上しかねない。そのあたりのリスクを総合的に考慮しての発言だったのだろうが、表現がちょっと極端だったためにバッシングされてしまい、気の毒だなと感じてしまった。

好感度が高い人気芸人なら誰でも名MCになれるというわけではない

 しかし、山里サン、そもそもワイドショーの司会としては、あまり適性がないのではないかと、私は思っている。

 山里サンは、人気芸人として知名度が高いだけでなく、妻は売れっ子女優・蒼井優で、お子さんもいることから、生活感覚があってクリーンなイメージを持ち、それが、今回のMC起用の決定打となったのかもしれない。一方、山里サンにとっても朝の帯番組の司会は、仕事の幅を広げることにつながるから、願ったりかなったりのオファーだろう。しかし、好感度が高い人気芸人なら、誰でも名MCになれるかというとそうではなく、やはり向き不向きがあるのではないか。

 MCはいろいろな話題を扱わなくてはいけない。そのため、タレントより、業界内での人間関係やCMスポンサーなどのしがらみが比較的少ないアナウンサーのほうが「MCに向いている」と私は思う。しかし、もしタレントがMCをやるなら、中立性やバランス感覚が必要になるのではないだろうか。メディアに悪者を追及するスタンスは必要不可欠である一方、悪者を過剰に責め立て、追い込む様子を見るのは、朝から気分が悪い。山里サンはそのあたりが苦手なように思えるのだ。

 6月14日放送の『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)の「あの恨みは忘れない!根に持つ芸能人ぶっちゃけSP」に出演した山里サン。その名の通り、芸能人が経験した恨みつらみを打ち明ける企画だが、ここで彼の「らしさ」が出ていたような気がした。

 ブラックマヨネーズ・吉田敬や明石家さんま、アンガールズ・田中卓志は、ヘアメイクの女性や合コンで出会った女性の対応に根に持っていると話していた一方、山里サンのエピソードは対象者が仕事関係者オンリーかつ重い。

 山里サンは、17年前、南海キャンディーズに密着した番組があったと回顧。その際、カメラマンの「だめだ、眼鏡のほうが入ってる」という一言で、番組が求めているのはしずちゃんこと山崎静代であり、自分は必要とされていないと気づき、この密着番組を台無しにしてやろうと画策したそう。具体的には、しずちゃんについて「犯罪歴があるのに隠している」と、今だったら問題になる大ウソをついたというのだ。

 その後、番組スタッフが謝罪してきたものの、「山里さんも映るように努力します」と中途半端なスタンスだったので、険悪さは解消されず。結局、オンエアでは山里サンは1ミリも映っていなかったそうだ。それ以来、山里サンはそのディレクターの動向をチェックしているという。

 仕事関係者への恨みが多いのは、それだけ山里サンが熱心に仕事をしているということであり、「上に行きたい」という野心が強いことの表れだろう。野心は仕事の場だけで発動するとは限らない。

 オードリー・若林正恭が『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)で、山里が飲みに行くたびに「もう女優か女子アナと結婚するしかねぇだろと叫んでいた」と明かしていたが、蒼井との結婚も、野心の賜物なのかもしれない。野心が強ければ強いほど、その反動で恨みも深くなるのだろうが、「やられたらやり返す」エピソードを得意とする人は、深夜番組はよくても、中立性やバランス感覚が求められる朝のワイドショーには向かないのではないか。

山里亮太は「長いものに巻かれる」タイプ?

 また、上に行くためには、権限を持った人や組織に認められる必要がある。実際、山里サンは、所属事務所である吉本興業が闇営業問題で揺れたとき、極楽とんぼ・加藤浩次などの所属芸人が吉本批判をする中、『JUNK 山里亮太の不毛な議論」(TBSラジオ)で「ウチの会社は言った人をメモったりする几帳面さがある」と指摘。安易な気持ちでの会社批判はよしたほうがいいと言っていたのだ。

 これは処世術としては実に賢明で、会社に楯突く人を会社はよく思わないし、プッシュすることもないだろう。しかし、ここまで徹底して「上下にこだわる」「長いものに巻かれる」タイプの人は、MCとして中立なポジションを取っているつもりで、つい強い人、自分にメリットがある人の味方をしてしまうと思うのだ。

 しかし、報道と暴露の垣根があいまいになりつつある今、山里サンの“恨み芸”が、朝のワイドショーにハマる可能性も十分にある。山里サンが“持っている人”なのは確かなだけに、彼がワイドショーに新風を吹き込むのかもしれない。

上沼恵美子はなぜ、広末涼子を「純愛」と表現した? 既婚女性の不倫がステイタスだった時代

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「40過ぎても純愛やねんなって思ってしまう私って、おかしいのかしら?」上沼恵美子
『上沼・高田のクギズケ!』(6月18日、読売テレビ)

 女優・広末涼子とフレンチレストランオーナーシェフ・鳥羽周作氏のダブル不倫騒動。6月18日放送の『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)に出演したMC・上沼恵美子(以下、えみちゃん)は、「40過ぎても純愛やねんなって思ってしまう私って、おかしいのかしら?」と発言していた。

 「おかしいのかしら?」という疑問表現から、えみちゃんが、自分の意見は世間で支持されない可能性があることに気付いていることがわかる。実際、ネットでは「不倫を美談にしている」とえみちゃんの意見に納得していない人も見られたが、私は彼女が広末の不倫を肯定するような発言をした気持ちがわからなくもない。

 なぜなら、不倫が露見すると芸能人(特に女性)が活動休止に追い込まれるようになったのはここ数年で、ある時期までは、特に既婚女性の不倫は、ある種の“ステイタス”とされていたから。その時の感覚が、えみちゃんには残っていたのではないだろうか。

 既婚女性の不倫が、一部から好意的に捉えられた例といえば、90年代の松田聖子が思い浮かぶ。俳優・神田正輝と結婚し、出産した聖子は、全米デビューに備えて、お子さんを実母に預けて渡米。現代でも、女性が同じことをしたら周りからうるさく言われるだろうが、90年代のバッシングは現代の比ではなかった。

 そんな彼女を応援したのが、文化人と呼ばれる女性たちだった。「オトコが一旗あげるために、女房子どもを置いて渡米したら、それでこそオトコだと褒めるくせに、同じことをオンナがやると叩くのは女性差別だ」と聖子を擁護したのだ。

 聖子はその後、アメリカ人男性と不倫関係に陥り、またしてもバッシングされるが、ここでも女性文化人が「オトコがやることを、オンナがして何が悪い」と聖子の味方をし、聖子が男性とうわさになるたびに人気が上がるという、今では考えられない現象が起きていた。

 2000年代に入ると、民主党の姫井由美子議員(当時)が、「週刊文春」(文藝春秋)に不倫を報じられた。姫井氏は当時、「姫の虎退治」というキャッチフレーズを掲げ、自民党の大物議員・片山虎之助を破って初当選を果たした期待の新人だった。

 姫井氏には夫と子どもがいたが、年下の男性と不倫関係にあった。2人の間には金銭トラブルがあり、男性は不倫の証拠となる温泉旅行の写真を「文春」に持ち込む。この時、男性から「彼女はかなりのMで『ぶって、ぶって』とよくせがまれた」と性事情まで暴露された姫井氏は、「ぶって姫」というあだ名をつけられ、世間の笑いの対象にこそなったものの、「カネのためにオンナを売るオトコ」と男性が非難され、彼女自身はあまりバッシングされなかった印象がある。

 それでは、90~00年代は、不倫全般に寛容だったかというと、そうでもない。同じ頃、独身の佐藤ゆかり議員が、選挙に出る前、既婚男性と不倫関係にあったと「文春」にスクープされた。その証拠として、彼に送った熱烈なメールも掲載され、大きな話題になった。選挙中の記事ということで、よくあるネガティブキャンペーンとして受け止められた可能性も否めないが、佐藤議員を積極的に擁護する人はいなかったと記憶している。

 なぜ当時、独身女性の不倫は冷ややかに見られるばかりなのに、既婚女性の場合は擁護されたり、バッシングが少なかったりしたのか。それは日本独特の「男性に選ばれてこそ、一人前」という男尊女卑思考と無縁ではないだろう。

 「男性に選ばれてこそ、一人前」という視点で女性を見た場合、独身女性はたとえ本人に結婚願望がなかったとしても、勝手に「選ばれないオンナ」のカテゴリに入れられてしまう。一方、既婚女性は男性に結婚相手として選ばれ、不倫という形ではあるが恋愛対象としても選ばれた――ある種の甲斐性を持った女性と見なされたからこそ、一部でおかしな“尊敬”を集め、それほどバッシングされなかったわけだ。

 不倫という倫理にもとる行いを“純愛”と表現したえみちゃんの言わんとすることが、私にはわかるような気がする。

 えみちゃんはそもそも、既婚者でしかも不倫できるのは、それだけ魅力的な人と、広末を好意的に見ているのだろう。その上で、広末の不倫相手が大物映画監督やプロデューサーというような、彼女の仕事に直接的なメリットをもたらす存在ではなく、それどころかバレたら大変なことになる人物だと知り、彼女にピュアさを感じたのではないか。しかも広末は、ラブレターという不倫の証拠になるものまで残してしまうほど、相手に夢中になっていた。そこも含め、えみちゃんは、この不倫を“純愛”という肯定的な言葉で表現したと感じた。

 こうやって考えてみると、女性の不倫に対する世間の反応は、「その時々の社会が女性をどう捉えているのか」を反映しているといえる。広末涼子という、時代を代表するスターが不倫をして猛バッシングされるのは、「男性に選ばれてこそ、一人前」という価値観は薄れる一方、「妻とは、母とはこうあるべき」という別の抑圧も感じてしまう。今はボコボコに叩かれている広末だが、きっと復活を遂げると信じて、その日を待ちたいものだ。

広末涼子、10代から“清純派”を押し付けられた彼女は気の毒な人かもしれない

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「大人ならば誰でも知っている。ウソは嘘を呼ぶことを」広末涼子
「STORY」2022年6月号(光文社)連載「毎日が3兄弟ママで、女優。」より

 都内の1つ星レストラン「sio」のオーナーシェフ・鳥羽周作氏との不倫報道を認め、所属事務所から無期限の謹慎処分を受けた女優・広末涼子。

 報道後、キリン、日本和装、EDWIN、リーガルオンなどのCM契約が終了に。以前、『ぽかぽか』(フジテレビ系)にゲスト出演したベッキーが、CMをやるとプライベートで問題を起こさないことはもちろん、日頃の発言にも制約がかかると話していた。そういう条件だとわかった上で契約を結んでいるのだから、この結果は仕方のないことなのかもしれない。

 しかし、19年からMCを務めるテレビ東京の大型音楽特番『テレ東音楽祭』も出演を見合わせ、今月中旬に予定されていた映画もクランクイン延期と、芸能界は「臭いものにふた」とばかりに、広末を排除しているように見えてしまう。ついには、女性誌「STORY」(光文社)での連載「毎日が3兄弟ママで、女優。」も休止となった。

 主婦と生活社のニュースサイト「週刊女性PRIME」が、同連載の中の一節を取り上げていた。22年6月に公開されたエッセイで、広末は読者から寄せられた「子どもがつくウソ。親はどこまで許容すればいい?」という質問について、下記のように書いている。

「大人ならば誰でも知っている。ウソは嘘を呼ぶことを。どんなに小さいウソでも、ひとつウソをついてしまうと、そのウソを隠すためにまた嘘を重ねてしまうことを。そしてウソをつくことに慣れてしまい、普通に嘘がつける人間になってしまうことを」

 ウソをつくと一度で終わらず、どんどん嘘の上塗りをしなければならなくなるし、そのウソを守るため本当の嘘つきになってしまうと言いたかったのだろう。子どもの教育のために書いた“名文”が、今の広末本人を的確に表しているとは、なんと皮肉なことだろうか。

「子ども3人いるんです」広末涼子はなぜ急転直下で不倫を認めたのか?

 「週刊文春」(文藝春秋)に直撃された広末は、鳥羽氏との不倫関係について「絶対にありません! 子ども3人いるんです」と強く否定した。ちょっと芝居がかった物言いで、個人的には嘘くさく感じだが、ともかく「不倫関係と思われたくない」という気持ちは伝わってきた。

 しかし、広末の所属事務所は「プライベートなことに関しては、本人に任せていますが、今回の報道を受けて本人に対して責任を持って行動するように厳重注意をしております」とコメント。自社タレントを守るのが仕事であるはずの事務所が、不倫を否定しないとは、これいかに。

 一方、不倫相手とされる鳥羽氏も予想外の反応を見せる。「文春」記者に「広末と再婚するつもりはあるのか?」と尋ねられて、「どうっすかねぇ、仲は良いですけど、そういう感じでは、今はないですね」と将来に含みを持たせた発言までしている。事務所と鳥羽氏がきっぱり否定しなかったことから、不倫しているという印象を持った人も多かったのではないだろうか。

 しかし、広末と鳥羽氏は急転直下、不倫関係を認めるコメントを出し、広末の無期限謹慎が発表された。おそらく、これは「文春」対策だろう。言い訳のできない証拠を「文春」に握られてしまったので、これ以上のイメージダウンを防ぐために認めてしまったほうがよいと判断したのではないかと感じた。

 さて、今回考えてみたいのは、広末が書いた「ウソは嘘を呼ぶ」発言である。「文春」記者に直撃されて、“不倫をしてない”と主張した広末は、確かにウソをついたと言えるだろう。しかし、冷静に考えてみると、あの場面で「はい、不倫をしていますよ」と答える芸能人はいないだろうから、ウソではなく、答えが「YES」か「NO」しかない“誘導尋問”に引っかかったと見たほうがいいのではないか。

 それでは、広末最大のウソとは何か。それは、広末が自身のキャリアを“清純派”としてスタートさせた点だ。とはいえ、これは事務所が、彼女をそのように売り出してしまったからなのだが。

 広末だけでなく、10代でデビューする女性芸能人は、この“清純派”カテゴリに半強制的に入れられてしまう。芸能界における“清純”とは何かを定義すると、多くの人に求められる優れた容姿を持ち、誰に対しても明るくさわやか、一方で貞操観念が高いため、男性に対して免疫がなく、セックスの経験がほとんどない女性のことを指すと思う。

 そのカテゴリに属することに疑問を持たないタレントもいるだろうが、中には「私はいっぱい恋愛したい」「付き合うとか結婚はどうでもよい、いいと思った人とはとりあえずセックスしたい」というタレントだっているはず。

 が、若い女性タレントは問答無用で“清純派”の箱に入れられてしまうので、何かのきっかけで“清純”でない行動が明らかになると、世間に「ウソをついた」「ウラがある」とバッシングされてしまう。

 広末は10代だった頃、夜遊びや、ちょっとワルそうな異性との交際がたびたび報じられたが、そんなとき「どうして、自分で自分のイメージを下げるようなことをするのか」と私は不思議に思っていた。しかし、広末本人からすれば「自分から“清純派”と名乗ったわけではないのだから、プライベートでまで“清純”な行動を取る必要はない」と思っていたのかもしれない。

 そう考えると、遊び対盛りの10代の頃から、“清純派”という役割を押し付けられた広末は、気の毒な人なのではないだろうか。

広末涼子に「子どもがいるから母に徹しろ」なんて言うつもりはないけれど

 3児の母となっても、恋をすると周りが見えなくなってしまうのは、10代の頃と同じで、“非清純派”の特徴なのかもしれない。冷静に考えてみて、今さらこの性質を変えることはできないだろう。

 今は鳥羽氏に夢中な広末だが、時がたてば、違う男性と激しい恋をするようにも思う。母親になったんだからオトコを断てとか、子どもがいるから母に徹しろなんて言うつもりはない。ただ、守らなくてはならない大切な人たちの存在を忘れないでほしいと願わずにいられない。

中田敦彦は、なぜ粗品を味方と勘違いしたのか? 彼が「愛される悪役」になるために足りないもの

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「一応、社交辞令で『見てます』って言ったよ」霜降り明星・粗品
『霜降り明星のオールナイトニッポン』(6月2日、ニッポン放送)

 オリエンタルラジオ・中田敦彦が自身のYouTubeチャンネルで、ダウンタウン・松本人志に対して、『M-1グランプリ』など、大きなお笑い賞レースの「審査員ちょっと何個かやめてくれないですかね?」と“提言”してから十日あまり。予想通り、中田は多くの芸人から叩かれた。中田がなぜ急に松本批判を始めたかはわからないが、芸能人としては、自分のしたことが世間サマにスルーされるより、騒がれるほうがいいだろう。中田砲第1弾は、成功したといえるのではないか。

 今回の件で、すっかり「悪役」が確定した感のある中田。しかし、悪役というのは独特の魅力があるものだし、かつて悪役レスラーだった北斗晶は『5時に夢中!』(TOKYO MX)において、「悪役がちょっといいことをすると、本当はすごくいい人なんだと思われるからトク」と、そのメリット を明かしていたことがある。悪い部分を強調するほど、いい人の部分が光るという意味でも、やはり悪役はおいしいのだろう。

粗品、中田敦彦への「YouTube見てます」発言は「社交辞令」と断言

 しかし中田は、悪役になるには、ちょっと足りないものがある気がする。

 松本批判の動画の後半、中田は「これ見てる粗品くん、どう思う?」と霜降り明星・粗品を名指しし、「最近ね、俺のトークチャンネルをすごく見てくれてるらしいんですよ。粗品くんが。すごくうれしくて。粗品くんなんて全部獲ってるでしょ。『M-1』も獲ってさ、で、『R-1』も獲ってます? でねぇ大喜利だって強いんだし」「まぁ、言えないよね。吉本から数千万借りてるから言えないでしょ」「だから、粗品くん、俺代わりに言うわ。松本さん、審査員やりすぎですよって」「ごめん、俺の意見だわ(笑)。粗品くんは関係ない。とばっちりでした」とオチをつけた。

 中田はおそらく、粗品は吉本興業系列の金融会社・よしもとファイナンスから借金をしている事情から、同社トップタレントの松本への批判を公言できないが、本当は自分の味方なんだぞと訴えたかったのだろう。

 が、6月2日放送の『霜降り明星のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)によると、真相はちょっと違うようだ。粗品は「それは言ったで、中田さんに。初めて会った時に『YouTube見てます』って。一応、社交辞令で『見てます」って言ったよ」と、よくある初対面のあいさつとして「見てます」と言ったまでで、中田を芸人として面白いと思いつつも、ほかの芸人を敵に回しても応援するほどの思い入れがある先輩ではないことを明かしていた。

 人はオトナになると、社交辞令を言うようになる。初対面で何を話したらいいのかわからない時、雰囲気を和らげるため、また相手を喜ばせるために、それほどその人の仕事について知らなくても「いつも見ています」くらいのことを言うし、言われたほうも「いつもじゃないだろ」と思いながらも、「うれしい、ありがとう」と返す――これは日常的にあることだ。 真実でないことを言うのは、ウソだと言われてしまえばそれまでだが、人を陥れようとか騙そうという意図はないわけだから、これは罪のないウソだろう。

 中田は、こういう社交辞令もしくは罪のないウソと、本気の発言を見分ける能力が足りないような気がする 。愛される悪役というのは、少ないながらも忠誠を誓っている味方がいて、本人が自分自身を犠牲にしてもその味方を守るというセオリーがあるが、社交辞令を真に受けてしまうようでは、本当の味方を見つけることができないだろう。

 それでは、どうして中田は社交辞令や罪のないウソと、本気の発言の見分けがつかないのだろうか。それは、中田自身が“条件”で人を判断しているからではないか。

 中田は粗品について語るとき、『M-1グランプリ』『R-1ぐらんぷり』の覇者であることを挙げている。中田自身がこういう業績にこだわり、そのブランド保持者に “片思い”をしているからこそ、粗品に「YouTube見てます」と言われ、望外の喜びを感じてしまい、「俺も好きだと思っていたが、向こうも好きでいてくれたんだ」とやや自分に都合よく解釈してしまったように思うのだ。

 お笑いコンビ・マヂカルラブリー・野田クリスタルは、中田の松本に対する一連の発言について、「(中田は)誰よりも(松本を)神格化してるのかなって思っちゃったんだけど」と語っていた。誰も傷つけない、いい答えだと思うが、私は、中田はお笑いに興味があるわけでもなく、松本本人に憧れているわけでもなく、ただ、人がひれ伏すブランドが欲しいだけなのではないかと感じる。

 一般人の間では、それは学歴とか年収だったりすることが多いが、お笑いの世界に身を置く中田の場合、賞レースのチャンピオンの座がそれに該当し、なぜ自分はそれが手に入らないのか、そうだ、審査員が同じ人だからいけないんだ、審査員が変われば俺だって認められるのに……というふうに、“逆走”したのではないだろうか。

 誇大妄想が止まらない、ブランドの有無によって人の上下を判断してしまう 、社交辞令などの暗黙の了解がわからないなどで、本気で悩んでいる人は、専門家に相談してみたらどうかと思う。ただ、中田の場合、その性質は芸能人として、メシのタネになり得るから、どんどん前に押し出せばいいのではないか。しかし、どんな人にも、味方は必要だ。家族を大事にして“帰る場所”を確保した上で、大暴れしていただきたいものだ。

中田敦彦、松本人志批判の“ヤな感じ”――強い者いじめに見えるワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「テレビとかYouTubeとか関係なく2人だけで話せばいいじゃん。連絡待ってる!」ダウンタウン・松本人志
(Twitter、5月30日)

 ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所名誉所長の教授・山中伸弥氏が、自著『賢く生きるより、辛抱強いバカになれ』(飯森和夫氏との共著/朝日文庫)で、日本で優秀な研究者が育たない背景について触れていた。

 要約すると、アメリカで「自分はこんな研究をやってみたい」と話した場合、周りはとりあえず「いいね、やってみなよ」と言ってくれるが、日本では先に「でも、それだと……」とダメな部分を指摘されてしまうので、研究内容が固定化されやすいという。

 また、日本では「教授が絶対」という考え方が根強く、教授がいい反応を示さないと、はっきりダメと言われたわけではないのに、学生が「この実験はムダなのだ、やっても意味がないのだ」と勝手に判断して、やめてしまう傾向があるそうだ。日本で優秀な研究者が育たないのは、こういったことも影響しているのではないかと分析していた。

 権威ある人の発言はすべて正しいと、深く考えずに信用してしまうのは、「権威バイアス」といわれる思い込みだが、このバイアスは日本社会のあらゆる場所に深く根付いているのではないだろうか。芸能界を見ても、大御所が何か発言すると、周囲は決まって手を叩いて大笑いするが、同じことを新人が言ったら、それほどウケないだろうと思うこともある。

 なので、オリエンタルラジオ・中田敦彦が配信したYouTube動画「【松本人志への提言】審査員という権力」の発言内容はわからないでもない。中田は『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)など、名だたる賞レースの審査員を松本が務めることで「松本さんに対して、何も物が言えない空気っていうのがすごくある」「全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんという、とんでもない状況」「松本さんが面白いと言うか言わないかで、新人のキャリアが変わる」と、松本に権力が集中することを憂えていた。

 確かにそういう部分はあるだろう。が、今回の中田のやり口は、2つの理由で、個人的にとっても“ヤな感じ”だと思った。

 この“ヤな感じ”の1つ目の理由は、中田がテレビ局を悪く言わないからだ。もし松本が番組制作者やテレビ局に対し、「賞レース番組の審査員は全部俺にやらせろ! ほかの人にやらせることは許さない!」と命じ、審査員の座を独占しているのだとしたら、それこそ「権力の集中」に当たるので、松本が批判されても仕方ないだろう。

 が、実際は、テレビ局に頼まれて審査員を引き受けていると考えるほうが自然である。中田がもし本気で、松本の権力独占を憂うなら、オファーをかけている番組の制作者もしくはテレビ局に「松本にばかり審査員を頼むな」と文句を言うべきだろう。それをしないのは、中田に「文句を言ってテレビ局を敵に回したくない、一時は遠ざかったけれど、やっぱりテレビには出たい」という気持ちがあるからのように思えてならない。

 “ヤな感じ”の2つ目の理由は、中田のしていることが“強い者いじめ”に見えるからである。今の時代、先輩が後輩を批判する動画を流したら、確実に「パワハラ」と言われるだろう。しかし、後輩が先輩を批判する場合、そうは言われない。批判された側の先輩が後輩に対して、ちょっと怒りを見せたり、強い口調で物を言えば、これもまた「パワハラ」だとか「オトナげない」と言われかねない。こうなると、知名度やキャリアのある強い人ほど、理不尽なことをされても怒ることができず、“強い者いじめ”のターゲットになってしまうのだ。

 中田に批判された松本は、Twitterで「テレビとかYouTubeとか関係なく2人だけで話せばいいじゃん。連絡待ってる!」と、おそらく中田向けであろうメッセージをツイートした。今のように、人目にさらされた状態では、話がどう転んでも、確実に松本が損だといえるだけに、「2人だけで」と提案したのだろう。

 松本のこのツイートの秀逸な点は「連絡待ってる」と添えたことだと思う。これはつまり、今後をどうするかについての決定権を、中田に委ねたということであり、この一文があることで「松本が中田を避けている」疑惑を回避することができたわけだ。

 これは100%私の推測だが、中田は松本と2人きりで対峙することを望んでいないような気がする。なぜなら、ギャラリーのいない場所で、芸人同士がぶつかったら、キャリアが勝るほうが強いように思うからだ。それに、テレビやYouTubeに関係のないところで話し合っても、その様子を放送・配信できないのであれば、視聴率や視聴回数につながらないだけに、中田にとってうまみはないだろう。

 いろいろな大学の調査で、SNSはメンタルヘルスに悪影響を与えるとされているけれど、YouTubeも同じなのではないだろうか。中田はYouTubeに参入して成功を収めた1人だが、自身が中心となってコンテンツを作り続け、配信するというのは過酷な作業だし、ネタ枯れの不安もある。これだけYouTuberが増えれば、登録者数や視聴回数が頭打ちになっても本人のせいではない。けれど、もともと誇大妄想的な発想をする人なだけに、その反動で数字が伸びないと「もうオレはダメだ」と必要以上に落ち込んだり、攻撃的になったりするのではないだろうか。

 1982年生まれの中田は、今年が厄年(本厄)なはず。非科学的なことは信じないタイプだろうが、溜め込んだ疲れが出やすい時期かもしれないので、ぜひ心身の健康には気を付けていただきたい。いっそのこと松本を見習って、筋トレを始めてみたらどうだろうか。メンタルヘルスにいいことが証明されているだけに、ぜひおすすめしたいものだ。

東山紀之、ジャニー氏性加害問題めぐる「後輩に待ってもらった」発言の危うさとは?

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「この件に関しましては、最年長である私が最初に口を開くべきだと思い、後輩には極力待ってもらいました」東山紀之
『サンデーLIVE!!』(5月21日、テレビ朝日系)

 ジャニーズ事務所創業者の故・ジャニー喜多川氏による少年への性加害問題を、「週刊文春」(文藝春秋)が詳細に報じたのは1999年のこと。かなり衝撃的な内容で、これが本当なら、ジャニー氏の信用は地に堕ちる。当然、ジャニー氏と事務所は文藝春秋を名誉棄損で訴えた。両社は裁判で争うことになり、東京高裁はジャニー氏による性加害を事実と認定。しかし、このニュースをテレビが扱うことはなかったと記憶している。

 今年3月、イギリス公共放送(BBC)が、ジャニー氏の性加害問題を追及するドキュメント番組『Predator:The Secet Scandal of J-pop』を放送、また4月に元ジャニーズJr.でアーティストのカウアン・オカモト氏が日本外国特派員協会で記者会見を開き、性被害を告発したことで、SNSでも話題になり、日本の大手メディアも取り上げずにはいられなくなったようだ。

 こうした状況を受け、ジャニーズ事務所も重い腰を上げた。現社長の藤島ジュリー景子氏は5月14日、「知らなかったでは決して済まされない話だと思っておりますが、知りませんでした」などとコメントする謝罪動画を公開。社長として、精一杯譲歩して、被害者に寄り添ったつもりかもしれないが、上述した通り、自分の会社が「文春」と裁判をしていたわけだから、ちょっとこの言い訳は苦しいのではないだろうか。

 ジャニーズ事務所のタレントといえば、報道の分野にも多数携わっている。嵐・櫻井翔は『news zero』(日本テレビ系)の月曜キャスターとして出演しているが、同15日放送の同番組では、メインキャスターの有働由美子が「この件(ジャニー氏の性加害問題)については、番組で話し合って私が話します」と番組の判断であることを示した後に、席を外した。櫻井が何も語らなかったことに対して、SNSでは「キャスターなのにダンマリ」といった批判的な意見も見受けられた。

 一方、ジャニーズ事務所の“長男坊”東山紀之は5月21日、メインキャスターを務める『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)でこの問題に触れ、「この件に関しましては、最年長である私が最初に口を開くべきだと思い、後輩には極力待ってもらいました」とコメント。櫻井が黙っていたのは、この問題から逃げたのではなく、先輩から頼まれたからなのだとホッとした人もいたことだろう。

 しかし、私には、これがテレビの独立性や中立性がいかに危ういかの証左のように思えてならなかった。報道番組にタレントを起用することは、芸能事務所によるテレビの私物化につながるのではないか。

 まず、これはジャニーズ事務所に限ったことではないが、タレントをキャスターに起用した場合、その番組が所属事務所の不祥事を放送することは非常に難しくなるだろう。その結果、番組内で、事務所のネガティブな話題はアンタッチャブルとなり、そうした姿勢を取ることで、“報道”としての信頼度も落ちるし、事務所が悪い意味で権力化してしまうようにも思う。さらに言うと、タレントもその気になれば、権力を振りかざせるという状況を生み出しかねない。

 今回の問題は、性加害というデリケートな問題なので、現所属タレントたちがコメントしづらいことは確かだ。東山の「後輩に待ってもらった」という発言は、自分が先陣を切ることで後輩を守りたい一心であったことは理解できる。

 しかし、誰が何をどんなふうに話すのかについて、指示する権利や責任を持つのは番組のプロデューサーやディレクターのはず。もし本当に他番組にレギュラー出演している「後輩に待ってもらった」のなら、番組の制作者よりも、ジャニーズ事務所の先輩のほうが「力を持っている」ことにならないか。

 繰り返すが、もちろん、東山にそんな意図はないと理解している。しかし、報道番組がタレントを起用することは、番組が“事務所びいき”となるだけでなく、先輩後輩関係を理由に、他番組のタレントの発言すらも操れるという危険性も出てきてしまう。報道番組に独立性、中立性が不可欠なことを考えると、これは非常に問題だと思うのだ。

 そもそも、なぜいちタレントが所属事務所創業者の不祥事についてコメントを出さねばならないのか、私には不思議でならない。今回の件を一般的な企業に置き換えて考えてみると、カリスマとして崇められていた会社の創業者が、生前、悪行を働いていたことが明らかになり、同社の従業員が謝罪を行ったということであり、それはあまりに不自然だろう。この場合、コメントすべきは現社長であって従業員ではない。矢面に立たされ、あれこれ言われるタレントが気の毒な気がしてしまう。

 視聴率が重要視されるテレビ、特に民放各局は、できるだけ人気タレントに出演してもらいたいだろう。なので、人気者を抱える事務所を怒らせたくないと忖度してしまうことは、容易に想像できる。しかし、報道など、その論理を持ち込んではいけない分野もあるはずだ。今回の件を機に、テレビは「芸能事務所と線を引く方法」を考えなければいけない。このようなことが今後も続くとしたら、視聴者のテレビ離れはますます進んでいくように思えてならない。

太田光代の「もう別れたいんですよ」発言が“偽らざる本音”と思えた理由

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「もう別れたいんですよ」太田光代
『踊る!さんま御殿!!』(5月16日、日本テレビ系)

 芸能人がテレビでする発言は、本音とは限らない。自分のキャラを立たせるために、思ってもいないことを言ったり、「みんなが同じ意見では面白くないから」とバランスを取るために、あえて共演者とは逆の意見を言うこともあるだろう。しかし、これは個人のその都度の判断でしかないが、時折「偽らざる本音では?」と思える発言がある。

 5月16日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)は、「有名人夫を転がす妻たち」が集合。その名の通り、有名人の妻が出演して、夫の知られざる一面を語り合っていた。「夫がストレスすぎてもう無理!」というお題では、スピードワゴン・井戸田潤の妻でモデル・蜂谷晏海がこんなエピソードを披露。井戸田は手が汚れる料理を嫌い、そういう料理を見ると食欲がなくなってしまうそうだ。手の汚れくらい、拭けば済むだろうと言いたいところだが、蜂谷は「だから、私が食べさせてあげる」と愚痴のふりをしたノロケを展開した。

 そんな中、1人トーンが違ったのが、爆笑問題・太田光の妻で、芸能事務所タイタンの社長・太田光代(以下、光代社長)。編集の都合でカットされていた可能性も否めないが、蜂谷のような「夫はこんなに手がかかるが、私が面倒を見てやっている」というエピソードトークはなく、その代わりに「もう別れたいんですよ」とさらって言ってのけたのだ。

 光代社長は3月20日放送の『突然ですが占ってもいいですか?』(フジテレビ系)においても、「別れたい」と発言しており、テレビで言えるくらいだから、光代社長は本気で別れるつもりはないと思う人もいるだろう。実際、スタジオは笑いに包まれていたのだが、私にはこれが本音に聞こえた。

爆笑問題のために土下座も――光代社長が太田光を愛しているからこそ?

 光代社長といえば、不義理を働いて仕事を干された爆笑問題のために、自分が芸能界を引退し、事務所タイタンを立ち上げて成功させ、芸能事務所以外の事業にも乗り出すなど、かなり優秀な女性実業家である。

 しかし、事務所を立ち上げた当初は困難が多く、「爆笑問題の漫才を見てください」とテレビ局の人に土下座して頼んだり、今だったら問題になるだろうが、爆笑問題をテレビに出す代わりに“見返り”を求められたこともあると、テレビで話していたと記憶する。また太田が問題発言をした場合、謝罪して回るのも光代社長というだけに、売れた後も何かと苦労がついて回ったのだと思う。

 なぜそんな大変なことができたのかといえば、ひとえに太田への愛があるからだろう。売れた男性芸能人が、それまで支えてくれた糟糠の妻を捨てて、モデルや女優と結婚するケースは珍しくないが、光代社長は週刊誌の対談で「そんなことになったら、太田にすべてを捨ててもらい、イチからその人とやり直してもらう」と言っていたのを読んだ覚えがある。彼女はずっと太田を愛し続けているのだろう。

 芸人としては大成した太田だが、夫としては光代社長の合格点に達していない。食事に誘っても断られるなど、「かまってくれない」エピソードを、かつてはテレビでよく披露していた。

 “かまってほしい妻とかまわない夫”というエピソードは、ある意味、テレビウケがいいのではないだろうか。視聴者の中にも“かまわれない妻”は大勢いるはずなので、共感を呼ぶし、「うちだけではない」と安堵感も与えることができるからだ。

 しかし、『さんま御殿』での光代社長はそういうエピソードを語らず、「だって、もう……何にも言ってくれないし、もちろん愛情表現もないし。ありがとうもないし。何にもですよ」「もう疲れました」「思い入れがないわけですよ、私たち。旅行も行かないし、ハワイも行ったことがない。太田がお家が大好きだから。思い出がいっぱいあれば、それを頼りにやっていけると思うんだけど……」と冷静に夫婦関係を分析していた。

 これは見方を変えると、“もはや夫に文句すら言う気力も残っていない”ということであり、光代社長の関心事は太田から別の何かに移ってしまったように感じられる。

 周りを見ていると、女性は相手に文句を言っているうちは離婚しない、本当に離婚するときは、誰にも言わずにスパッと実行する傾向があるように感じるが、太田も文句を言われているうちが華だったのかもしれない。太田には、“一緒にいるんだから、好きってことだ”という昭和のオトコが言いそうな言い訳はせず、大切な妻ときちんと向き合うことをおすすめしたい。

ベッキーはいつ許されるのか? 過去の不倫イジリに笑顔で応じる彼女に思うこと

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「無理もしていない」ベッキー
『ぽかぽか』(5月10日、フジテレビ系)

 5月10日放送の『ぽかぽか』(フジテレビ系)にゲスト出演したベッキー。2019年に結婚し、現在2児の母である彼女は、今年3月で39歳になったという。

 ベッキーは番組で、昔は“無理していた”というエピソードを披露。 スケジュールがハードすぎて疲れているにもかかわらず、「玄関開けたら、ベッキー」と、自分に“元気な私をキープすること” を課していたと明かした。

 ベッキーいわく、「14歳でデビューして、いつも元気だね、偉いねって言われたことによって、元気でいることが正しいことなんだって思っちゃって」とのこと。当時は「でも、無理もしていない」という認識で、「今考えると頑張ってはいたかな」と振り返っていた。

 芸歴が長いため、“昔の自分”を振り返ることもネタの一つにはなるだろう。でも、気の毒だなぁと思ったのが、いまだに他人から“過去のネガティブな出来事”を突かれる ことだ。

 ベッキーは自分の性格を「暗くはないけど、傷つきやすい」と 分析。「夫にもこんな傷つきやすいと思わなかった、こんなネガティブだと思わなかった」と言われるそうだ。それを受け、番組MCの一人であるハライチ・岩井勇気は、「あの時からですか? 昔からですか?」と聞き返す。「あの時」とは、明言されていないものの、ベッキーの不倫騒動を指すのだろう。昔のことを蒸し返されたベッキーは「全然大丈夫だし、みんなも気を使わないで」と観覧客に呼びかけ、笑いに変えてみせた。

 ベッキーはあえて明るく、過去のネガティブな出来事に触れる ことで、世間に“タブーのないベッキー”を印象付けたかったのかもしれないし、岩井も事前の打ち合わせでベッキーサイドに 「不倫の話に触れてもいい」と確認を取っていたのかもしれない。

 が、生放送のどさくさに紛れて、岩井が過去の話を蒸し返したのだとしたら、ベッキーが気の毒だなと思ってしまう。彼女の不倫が「週刊文春」(文藝春秋)に掲載されたのは2016年と7年も前の話だ。もちろん褒められた話ではないものの、社会的な制裁も受けたし、今は結婚して、夫とお子さんと共に新しい人生を歩んでいる。一体いつになったら、彼女は“許される”のだろうか。

 不倫といえば、俳優・渡辺謙は女優・南果歩との結婚中に、ニューヨークで一般女性との手つなぎ不倫デートを「文春」に撮られた。南とは離婚したが、「女性セブン」23年1月19・26日号(小学館)によると、渡辺は報じられた一般女性と何年も同居しており、年内に再々婚する予定だそうだ。もし渡辺が番組にゲストで来たとしたら、岩井は「あの時」のことを尋ねるのか。おそらくしないだろう。日本を代表する俳優に、そんな失礼なことを聞くとは思えない。

 もし本当に不倫が悪とみなされ、その事実が露見した芸能人は一様にテレビの世界から消えるというのならわかりやすいが、実際のところ、ペナルティが科せられるか否かは“人による”といえる。

 渡辺は不倫がバレても特におとがめはなく、NHK大河ドラマ『西郷どん』に出演。しかし、女優・斉藤由貴は一般男性との不倫を「文春」に撮られたことで、同ドラマの出演を辞退している。 男性はペナルティが科せられない(もしくは軽い)が、女性は降板という重いペナルティを科せられ、 “反省している”姿を見せないと、世間に受け入れられない――芸能人の不倫にはそんな傾向があるのかもしれない。

 女性であるベッキーもまた、一時期活動を休止するというペナルティを負い、今もなお、当時の話をイジられる憂き目に遭っているわけだが、彼女の 場合、本人の振る舞いからしても、他人に“言われやすい”面があるような気がする。

 上述した通り、ベッキーはろくに睡眠が取れないようなスケジュールの時でも、「玄関開けたら、ベッキー」とスイッチをオンにし、元気に振る舞っていたという。本人は「無理もしていない」という認識だったと話していたが、テレビの彼女から、“空元気”“偽ポジティブ”を感じていた人は、私だけではあるまい。そして現在、過去の不倫を突かれても、笑顔で応じる彼女を見ると、やはり同じような印象を抱いてしまうのだ。

 ベッキーは「傷つきやすい」と自己分析するが、傷つきやすい人ほど傷ついていることを知られるのが恥ずかしく、本当はダメージを受けているのに、大丈夫なふりをしてしまうこともあるのではないだろうか。

 ベッキーが無理をして大丈夫なフリをしても、他人、特に仕事関係の人は彼女の繊細な心の内までは理解しようとしない。そのため、「不倫の話をしてもOKなんだ」とみなし、今後も番組に出るたび、昔の話が蒸し返され、彼女が傷つくという構図がエンドレスに続く可能性はゼロではないと思う。

 ベッキーは現在、「別に無理しているつもりはない」と思っているかもしれない。しかし、 無理しているかどうかは、その時にはわからないことが多い。精神的な消耗の解消には睡眠を取ることが効果的だという。小さいお子さんがいるので難しい部分もあるだろうが、ともかく睡眠を取り、心を休ませて いただきたいものだ。

コロチキ・ナダルは、“時代”に守られている――先輩への失礼な発言が笑いになるワケ

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「余裕のC4で」コロコロチキチキペッパーズ・ナダル
『あちこちオードリー』(4月19日、テレビ東京系)

 多くの人は、嫉妬とは「自分より優れた人に向けられる感情」 だと思っているのではないだろうか。しかし、心理学では、嫉妬というのは「自分より劣っていると思っている人に、ラッキーが起きた時にもたらされる感情」としている。ということは、人を下に見る癖がある人ほど、嫉妬の感情に苦しむことになるといえるだろう。

 人を下に見ないほうがいいに越したことはないが、言うは易く行うは難し。社会人になれば、上司や先輩、部下や後輩という上下のある人間関係に組み込まれることになるし、取引先も丁重に扱うべきところもあれば、それほど気を使わなくていいところもある。自分より上か下かを意識して行動しなければ、「失礼なヤツ」ないしは「要領が悪いヤツ」 とみなされてしまうこともあるので、上下関係をはかることは、社会人として必要な能力の一つだといえる。

 しかし、一般的にいえば、やはり人を下に見ることは「恥ずかしいこと」なので、誰もが自分はそんな感情はみじんも持ち合わせていないかのように振る舞うはずだ。だからこそ、「人を下に見ている」ことを隠さない、コロコロチキチキペッパーズ・ナダルのような芸人に遭遇すると、思わず笑ってしまうのではないだろうか。

 芸能界は、 上下関係の厳しい世界といわれるが、ナダルは先輩にも悪意なく、さらっと上から目線で失礼なことを言ってしまう。それゆえに「クズ芸人」と呼ばれている。

 4月19日放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)によると、ナダルは劇場を中心に活動し、テレビには出ていない先輩に対して「すごいですね、満席にして。知名度ないのに」と言ったり、やはり先輩である宮川大輔、蛍原徹、ケンドーコバヤシがユニットを組んでコントをしたときは、彼らに対して「すごかったですよ、ウケかけてましたね」と暗にウケていないことを指摘してしまう。当然、先輩には怒られたそうだが、これが笑い話になるのは、 ナダルが時代に守られている部分があるからなのではないか。

 ひと昔前なら、先輩を怒らせたら、本人の活動に制限がかかったかもしれない。しかし、今の時代、いくら後輩が失礼だからといって、先輩が過度の制裁を加え、その話がひとたび世に出れば、 SNSで拡散されて先輩のほうがヤバいヤツとみなされかねない。

 となると、ナダルに対して本当に腹を立てている先輩は、ナダルと距離を置くことで意思表明をするだろうから、ナダルの「先輩に対して失礼」という一面は特にとがめられることがなく、彼のオリジナルな芸として成立する。「先輩の言うことは絶対」と考える若い世代も減っているだけに、悪意なく先輩に失礼なことを言ってしまうナダルを「面白い」と受け止める人も相当数いるだろう。

 そんなナダルは、番組内で「(仕事で)やる気が出ない時どうしてますか?」と共演者に疑問を投げかけていたが、隣に座るホラン千秋や、MCのオードリー・若林正恭と話していくうちに、「仕事のスケールが小さかったら、やる気が出ないってことだよね」と言い当てられてしまう。

 例えば、相方の西野創人によると、ナダルは同番組プロデューサー・佐久間宣行氏のYouTubeチャンネルに出演した際、「(テレビじゃなく、)YouTubeだし」と、やる気を見せず猫背だったが、300万回再生されている人気チャンネルと聞くと、背筋が伸びたそうだ。

 ホランは、ナダルのやる気について「(仕事を)上に見ているか、下に見ているか(でやる気が違う)ってことですよね」とまとめ、ナダルは「そうですね」とあっさり認めていた。そういった 発言を平然としてしまうあたりがナダルなのだが、その分、彼は「下に見る」視線を自分にも向けており、それがクズになりすぎないストッパーになっているように思う。

 同番組で、ナダルはNSC(吉本総合芸能学院)時代、「余裕のC4」だったと自嘲気味に話していた。どういうことかというと、NSCのクラスは優秀な順にA、B、Cと分けられており、さらにCは4つに分類され、その中でも一番下のC4に、ナダルは所属していたとのこと。にもかかわらず、Aクラスのコンビに「お前ら、ネタ変えた?」と上から目線で指導していたそうだ。

 何を面白いと感じるかどうかは個人の感覚が決めるので、クラスが上だから面白いとか、売れるというわけではないだろうが、 もしナダルが入学当初からAクラスで現在に至り、先輩に対して失礼な口の利き方をすると、それは単に調子に乗っている嫌なヤツになるが、「人や仕事を上下に見る自分も、実は一番下のクラスだった」ことで、失礼さが中和されるように感じられるのだ。

 プロレスラー時代、ヒールだった北斗晶が『5時に夢中!』(TOKYO MX)で、「悪役はトク」と話していたことがある。怖いイメージがついているので、ちょっとでも丁寧に接すると「本当はいい人」と思われるからだそうだ。ナダルも同じで、「クズ芸人」というキャラが定着することで、かえって「本当はいい人」と言われる可能性も高まるのではないだろうか。

 「クズ芸人」と呼ばれながらも、クズになりすぎず、かつ「本当はいい人」と世間に認識される可能性を持つナダルは、今後のタレント活動も安泰だろう。 一方で、最もアブナいのは、ナダルを「面白い」と思っている一般人ではないか。

 自分のこともままならない一番下のクラスのナダルが、一番上のクラスの人を下に見て、あれこれ言うのが「面白い」。そういった感覚を持つ人は、自身もまた 「人を下に見ている」からのように思えてならないのだ。人を下に見れば見るほど、嫉妬の業火に焼かれやすい。そのことをどうかお忘れなく――。